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2019年9月20日 (金)

老いを考える

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「秋彼岸」・・・私は「先祖を敬う日」と、捉えています。

人間の一生は「生・老・病・死」で、生まれた時に、死に向けて歩んでいます。

現代は、長生きするようになり「人生100年時代」といわれ、人生が終わるという感覚が薄れ、彼岸を思うことも少なくなってきました。しかし、人間は、永遠に生きられるわけではありません。

人生は、いずれは終わる

そのことを忘れて、「寿命が延びた、また延びた」と浮かれていると、いずれは、「こんなはずではなかった」ということになります。

現代は、いわば、「長寿のバブル」に浮かれている時代ですが、バブルは、いずれ弾けます。

人間が生きるとは、「生き物としての活動」すること

たとえば、食べものを手に入れる・・・住む場所を作る・・・連れ合いを求める・・・子供を育てる・・・地位を争うとか・・・です。

人間だけではなくて、生き物なら、みんなすることです。生活というのは、生き物が、生きながらえよう・・・生き延びようとしてする活動のことですから、生活の基本は、困難な状況を越えて生き残ることなのです。

老いの現実を知る

老いの現実に寄り添い、老いた自分を直視してこそ、これまでとは違う人生の局面が見えてくる。また、残された時間が充実すると思います。

若いあいだは、ほとんど生活に忙しくて、なかなか気づけないですが、ひと山越して、中年を過ぎますと、それまで見えていなかった、峠の向こうが見えてきます。

峠の向こうを見れば、老いの坂道が、死の断崖に続いているのです。寿命が延びたといっても、老いの坂道が長くなっただけで、行き着くところは「死」なのです。

そのことに気づいても、なお、「死ぬことなんか考えない、生きることだけを考えている」というのなら、それは、死への不安を、ごまかしているだけだと思います。

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