« 2019年7月 | トップページ | 2019年9月 »

2019年8月

2019年8月31日 (土)

人間は心から老いる

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ 

1c729002[1]

片倉町の住吉神社お祭りも終わり、夕方になると、「カナカナカナ・・・・」とひぐらしが鳴いています。

日中は相変わらず暑くて汗を流していますが、夕暮れの風景の一瞬、「あぁー夏も間もなく終わり、そこまで秋がやってきている。」と感じます。

「一年なんて早いなぁー」

一年は365日であり、一日は24時間で、若い時も、年老いてからもこの鉄則は何ら変わりないのに、何故そう感じるのでしょうか?

82歳の私・・・夏の暑さに一段と身に堪えました。人生の大半の時間を過ごしてきたのですが、何故か少年時代は長く思い出がぎっしりです。それに引き換え、今は一年の経過がとても早く感じます。これは不思議な現象です。

「人間は心から老いる」という格言があります。

人生の後半、望まずして必ず対面する老い、人間は与えられた宿命を背負いながら、自分の人生を歩く以外にどうすることもできない存在です。素直にそのままうなづいていくことが、老いを超えていくことになるといえるでしょう。

身体的に歳をとっていく事は自然の法則ですが、自分の精神的年齢は自分が決めるということです。そして、となり近所・同級生の老いてゆく姿は気にしない・・・自分の人生は、自分のものであって、他人と比較するものではないのです。

長生きの秘訣は「一病息災」

一病息災とは、まったく健康な人よりも、何か一つくらい軽い病気を持っている人の方が健康に気を使うので、かえって長生きするものだということです。(goo辞書)

誰しも無病息災を願わない人はありません。しかし、無病の方は、ほとんど居られません。一病、二病息災で元気に暮らして居られます。これは、病気と共生して居られることになります。

2019年8月30日 (金)

兎角に人の世は住みにくい

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

絹の道

夏目漱石「草枕」の冒頭・・・

「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい 」があります。

「理屈だけで動いていると、人と衝突する。。。逆に人の気持ちを思いすぎて、情けだけで動いていると、自分の考えを伝えることができず、相手に対して折れてばかりになる。。。かといって、自分の意地を主張すると、この世は生きにくい。このように社会というのは、ままならないものだ。」ということです。

今の世の中も明治の時代と同じです。

社会は自分の考えと同じではありません、程度の差こそあれ、ギャップというのは存在します。また、自分にとって正義であることが、他人にとって、社会にとって正義であるとは限りません。

また、他人に悪があるように見えても、その人の中では善かも知れませんし、悪は自分の中にあるかも知れません。正義、善悪の基準ですら、自分の主観に左右されるので、絶対の基準というのは存在しないのです。

それでは、どう生きるか。

それは、自分の基準を持つことです。自分の基準に照らし合わせて、どうだろうと考えることです。そして、自分の基準が独善的でないか、独りよがりではないか、社会の基準とどれだけ離れているか。自分の基準もときどき社会の基準にあっているかチェックしてみることです。

2019年8月29日 (木)

異常気象は人間のエゴが原因

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ 

00nyudogumoBGM[1]

昔から、春はひと雨ごとに暖かくなり、夏には一雨ごとに近づいていく、また、秋は雨が降るたびに寒くなり、春と秋は、夏と冬の間に訪れる・・・緩やかに季節は移り変わることが、人間は生活しやすいものでした。

ところが、近年の季節の移り変わりのサイクルに、何が起きるか分からない、異常な雨の降り方(雨が降らない)が、近年多くなってきていると感じています。

昨日から、九州の佐賀県・長崎県・福岡県の大雨でもそうですが、「観測史上1位」「数十年に一度」「記録的」というワードが連日のように並び、もはや「異常気象」が「日本の気候」になりつつあるようです。

地球温暖化は原因は人間のエゴ

気温と海水温の上昇が起きている大きな原因として、地球温暖化が挙げられます。これは人間の生産活動を経て排出する二酸化炭素が要因です。19世紀半ばと比べて、空気中に含まれる二酸化炭素が40%も増加したというので、異常気象の増加はある種必然かもしれません。

異常気象を抑えるには、二酸化炭素の排出を減らすことが絶対条件です。

二酸化炭素の排出量が多いのがアメリカと中国・・・それを受けて、二酸化炭素の排出を減らす世界的な取り決めを定める会議が開かれ、アメリカのトランプ大統領は自国の経済を優先して取り決めから離脱してしまいました。

地球温暖化は環境問題と考えられがちだが、実は政治経済問題の側面が強いです。経済優先か、異常気象を減らすことが大事か、人間の知恵の見せどころではないでしょうか。

2019年8月28日 (水)

私たちの家が燃えている

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ 

yjimage[4]

「環境の問題」問題は、海洋プラスチック・オゾン層破壊・温暖化・などなどありますが、人間は今の時代だけのの欲望を追求するあまり、将来のことを考えない?便利なツールを開発してきたから・・・その付けが現れてきていると思います。

「地球の肺」が・・・火災で大変なことなっています。

日本の領土の17倍の広さと言われている、「地球の肺」と称されるアマゾン熱帯雨林が、続発する火災で過去最悪とも言われる危機にさらされています。アマゾンの開墾・開発に前向きなブラジルのボルソナロ政権の対応は後手に回っており、環境NGOのみならず、国際社会からの批判が高まっています。

地球で最大の熱帯雨林であるアマゾン熱帯雨林は「大気中の酸素の20%を供給」「地球の肺」と言われ、また全世界の生物種の約1割が生息する生物多様性の宝庫とされています。900~1、400億トンという膨大な炭素を固定しているアマゾン熱帯雨林の破壊は、既に深刻な地球温暖化の進行をさらに加速させることにもなります。

フランスのマクロン大統領は22日、アマゾンの熱帯雨林で多発している森林火災は「国際的危機」だと警告し、同国で開催される主要7カ国首脳会議(G7サミット)の最重要課題にすべきだと主張しました、そして、マクロン大統領はツイッターに、「私たちの家が燃えている」と投稿しました。

これに対しブラジルのボルソナロ大統領は、マクロン大統領氏は「政治的利益」のためにこの問題を利用していると批判・・・また、ブラジルの参加しないG7で森林火災問題を取り上げるのは「見当違いの植民地主義的思考」だと述べたという。(BBCニュース)

私は、日本も黙って見ていてはいけないと思います。自分の国のことと考え、最善の方法をとるべきと思います。


2019年8月27日 (火)

自分の心に言い聞かせる言葉

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ 

みなみ野シテイ仮説道路

人生というものは高齢になっても、心配や不安は尽きません。

大丈夫、うまくいく、できるなど、心配や不安、恐怖などに心がとらわれたときに、元気のでる言葉を繰り返し自分に語りかけると、徐々に気持ちが落ち着いてきます。

心配や不安、恐怖というのは実体がないのです。そのほとんどは、自分の心がつくり出した、根拠のない妄想です。気持ちが落ち着いてくると、心配や不安にいたずらに振り回されず、自分がすべきこと見えてくるものです。

「松下幸之助 今日の言葉」

『・・・あせらず・あわてず・あきらめず・・・』あります。

☆ 努力をしてもなかなな成果が現れてこない。

☆ いらいらがつのる⇒投げ出したくなってくる。

そんな時こそ心を乱さず、地に足をつけて努力を重ねること。

焦らず、慌てず、諦めず・・・人生は一歩一歩着実な歩みを心がけること。

◎ 過去の失敗を引きずらず、今、ここに集中する。

◎ 他人の批判に惑わされず、自分の力を信じる。

◎  一度や二度の挫折にめげず、人生を楽しむ。

そして、自分で選んだ道を歩み続ける・・・そして努力を信じることです。


2019年8月26日 (月)

家族の絆・地域の絆を考える

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ 

御殿峠より市内を望む

「うちの息子はまだ独り身でね、困ってしまって。でもよく面倒を見てくれるから感謝していますよ」

少子高齢化のうちの少子化が進んでいる原因には未婚率の増加があります。未婚率は男女ともに増加傾向にあり、現在は男性の20%以上、女性の15%以上が生涯未婚のままだと言われています。

結婚や子どもを持つことに対する価値観の変化

結婚や子どもを持つことへの価値観が変化し、少子化の原因となっていると思います。一昔前までは結婚し子どもを持つのが当たり前と言った考えが一般的でした。しかし現在は「独身生活の自由さ」や「結婚をしないことへの偏見の減少」などから男女ともに結婚しない選択をする方も増えています。

家族の絆や地域の絆を改めて考える

生命を次代に伝え育んでいくことや、家族の大切さが理解されることが重要です。そしていま、核家族化で家族の絆が薄れています。さまざまな家族の姿がありますが、子どもを家族が育み、家族を地域社会が支える、そのような社会があってこそ、平和で安心社会と考えます。

家族の絆は「いのち」のつながり、地域の絆は「おかげさま」のつながり。私たちは、時に悩み、くじけそうになることもあります。そのようなとき、心の支えとなり、活力を与えてくれるのは、家族の絆や地域社会とのつながりです。

更に地域のスポンジ化は、コミュニティーとしての機能低下と、福祉・防犯といった基盤の拡散・希薄化、さらには景観を損なうといった問題を引き起こす不安が増してきています。


2019年8月25日 (日)

納得する生き方

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ 

八王子16号バイパス2

マイペースで生きる・・・もちろん自分勝手ではなく・・・「上手に歳を重ねる」ことです。人から認められるかも、どっちでもよくて、大事なのは、「自分の生き方に自分が納得してるかどうか」・・・です。

今は多くの人、周囲の人を幸せにしたい、社会の役に立ちたいと思って生きています。しかし、高齢になって身体機能や認知能力が衰えると、それがなかなかそうはいきません。自分は役に立つどころか、周りに迷惑をかけて生きるように、ならざるを得ないものと思います。

82歳の私も今、「人に迷惑をかけないよう歳を重ねる」ことを考えますが、心身の弱体化は認めざるを得ません。どんなに頑張っても、最終的には誰かの世話にならなければならないと思っています。

「そうだったなぁー」

むかし儀母が「早くお迎えに来てくれないかなー」独りつぶやいていたことです。今、その気持ちとてもよく分かります。感覚や運動器官の衰えは、生きていれば誰であろうと回避できません。介護が必要になることや認知症の症状が出ることを「他人への迷惑」と考えるのは、仕方がないことです。

もちろん、健康な老後を過ごすために今のうちから生活習慣に気を配ることは、無意味ではありません。しかし、ある程度の備えはしつつも、自分に対しても他人に対しても「認知症になったらなったで、しょうがない」くらいの心構えでいた方が、社会はゆるやかでいられるのではないでしょうか。。。

2019年8月24日 (土)

吹く風も秋めいて・・・

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ 

322_2[1]

今年は8月8日が立秋でした。台風10号が日本海に抜けて暑さも収まる?
昨日は、朝から雨が降ったり止んだりの一日でした。そして、なんとなく風が冷たく、感じるようになりました。
「秋風に アイスの旗も 疲れ気味」  
「草むらで 夏を惜しむか キリギリス」
「暑かった わが町にも 秋の風」
「年寄りの  命を縮めて  夏は往く」
「黒い肌 頑張り証拠に 夏過ぎる」
「散歩みち 湯殿川も 秋めいて」

“むかしのこと、”夏を過ぎて一段落”・・・と年寄りから聞いてました。畑に・・・秋の野菜づくりを始めるということ?

2019年8月23日 (金)

地域の高齢者の安心確保

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ 

123[1]

最近、私の住む地域では、高齢化が進み、一人暮らしの高齢者が増えています。

以前は、地域における近所付き合いなども活発に行われていましたが、最近ではこうしたつながりや、家族関係ですら希薄になってきています。

地域の暮らしに不安

核家族化で老夫婦生活・・・50歳代の未婚者(子)との家族(日中は高齢の親一人)・・・

☆  ごく卑近の例(4日前のこと)地域の高齢者の安心確保を思い知らされました。

一人暮らしのお婆さんが、買い物帰りに道で倒れ、頭を打って血を流していた。。。近所の方が救急車を呼んで、病院へ搬送したのですが、家は何処?名前と住所をやっと聞き出し、近所の方に聞いても、連絡先(子供・親戚・知り合い)が分からない・・・

緊急事態時の対応

◎独り暮らしの人(老夫婦を含め)緊急事態が起きた場合の対応・・・「連絡先を近所の方に知らせておく」こと。

◎普段からの、近所とのコミュニケーションをとること。

その場(事故)に遭って思いました。

※入院はせず、娘さんと連絡が取れ、一緒に帰宅出来たとのこと・・・連絡がありホッとしました。






2019年8月22日 (木)

ゴミ拾いをして思う

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

ka_072[1]

「ゴミのポイ捨ては一向に減りません。」

ゴミ拾いをして気づくのですが、今の暑い時期で、ペットボトル・空き缶が、多くなっています。水分補給?で冷たいものが欲しくなる・・・ということでしょうか・・・ゴミのポイ捨ては一向に減りません。

原因は家庭教育の崩壊?

家庭教育とは、子どもへの愛情を基盤に、親及び親に準ずる者が子どもに対して主体的に行う教育であり、『すべての教育の出発点』です。

現代は、核家族化が進み、家庭での教育が失われてしまいました。躾、礼儀、善いことと悪いことの判断、道徳、人との関わり合いなど、本来は日常生活の中で親から子へ受け継がれていくべきその機会が、家庭教育の崩壊とともに、なくなってしまった。

家庭教育の重要性

家庭で行なわれていた教育の崩壊で、子どもたちは成長に合わせ、変化が表れはじめます。人に迷惑をかけなければ何をしてもいい・・・自分だけよければいい・・・好きなことはするが嫌いなことはしない・・・面倒なことはしない・・・など、自由放任教育のもとで、自らを律することができない子どもが増えています。

この家庭教育によって、子どもに「基本的な生活習慣や生活能力」・「豊かな情操」・「人に対する思いやり」・「善悪の判断」・「社会の一員としての倫理観や規範意識」・「自立心や自制心」・「他者とのコミュニケーション能力」などの「生きる力」の基礎的な資質や能力をはぐくむことが、今最も求められていると思います。

子どもの「生きる力」の基礎的な資質や能力を育成するためには、あたたかい家庭や家族とのふれあいを大切にしながら、多様な遊びや自然体験・社会体験の機会をつくるなど、家庭教育の充実を図ることが必要と思います。

2019年8月21日 (水)

これからの社会を考える

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

odaiba-97[1]

今、社会や政治・経済・自然環境そして人との間に、様々な問題が起こっています。それらの問題は日々深刻になっていると、私は思えるのです。

過疎化や都市化が進行し、地域社会の連帯感は次第に希薄となってきました。核家族化が進み、家族の有り様も大きく変化しています。

豊かさを実現したといっても、物質的な豊かさが中心で、あふれるモノに取り囲まれながら、何かしら満たされぬ思いが募る毎日を送っています。

◎ 隣の家に住んでいる人・・・関係ないから関わらなくていい・・・でも、本当に自分と関係ないっていえるでしょうか?

◎ 子どもは好きなこと、得意なことを伸ばしたらいい・・・でも、教育って本当にそれだけでいいんでしょうか?

◎ 市民としての自覚が大切・・・でも、政治や社会への参加や関心って強制されなければいけないのでしょうか?

こうした問題は、私たちの日常に大きく・深く関わっています。

政治や社会の本来の意味に立ち返り、「他者と共に生きている」「自分とは違う人がいる」「人と人とが関わりあう」ということを、積極的な考えていかなければ、未来は見えてこないと思うのです。

自分たちで考えて、変えていく・・・

問題はもっともっと深いところに、あると思いますが、まず現状を認識し、一人ひとりが未来を想定し、多くの人とあ話し合い、考えることが大切と思います。

人は人と関わり社会の中でしか生きられないのから・・・「社会」って?「政治」って?そんなに難しく捉えなくても、まず、他者とうまく付き合っていくには、どうしたらいいのか、考えることです。


2019年8月20日 (火)

親身になる

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

  123[1]

人間は、多くの人に助けられ支えられて生きてきたはずです。そして、色んな誰かを助けたり支えたりして生きてきたはずです。互助の精神があって生きてこられたのです。

誰しも、これまで生きてきこられたことは、親や兄弟・従兄弟・向う三軒両どなり・・・そして学校の先生・職場の先輩など、色んな人が、関わりあって生きています。みんな誰かと一緒に生きてきたのです。それらの人々はかけがえのない存在であったはずです。

「親身になる」

親身になるとは・・・「肉親であるかのように、細やかな心遣いをする」ことです。それには、我慢をしたり・・・犠牲になったり・・・自分の我を張らないで、思いやりの心と行動することです。

ただ単に誰かと一緒にいるだけでは、かけがえのない存在とはならないと思うのです。長い時間を共に過ごしたとしても時間だけでは助けられたり助けたりの関係を築けはしないのです。

当たり障りのない会話をし、楽しくみんなで群れているだけであったとしたなら関係は深まらないのだろうと思います。必要があれば言うべきことをはっきり言ったり、駄目なことを駄目だと、叱ってくれるようなことがなければならないのだろうと思うのです。

「お互いがお互いに対して真剣に向き合ってこそできてくる信頼関係」

親身なって考えてくれる人・・・助けられるとか支えられるとかいうのは、そういうことを指すのだろうと思います。共に生きるということはそのようなことなのだろうと思います。

2019年8月19日 (月)

自分軸を持つこと

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ 

287_Field11[1]

自分軸を持つ」ことについて、改めて考えたいと思います。

最近自己中心な人が増えたと思います。

信念を持っている人とは「自分軸を持っている人」です。信念は正しいと思っている自分の考え方ですが、これは行き過ぎると、我が強いとか言われてしまうかもしれません。

「自分軸」と「自己中心」の違い

自己中心は相手がいてこそ成立するものであるのに対し、自分軸はあくまで「自分がどうしたいか」が中心なので、相手がいる必要がありません。ただし、そこには「自分への誠実さ」と「責任」が必要になる…と私は考えてます。

自分軸で生きている人は、他人をコントロールしようとしない。

自己中な人は、物事の全ては自分自身が中心という考え方で、周りの迷惑を考えずに行動する様子のことを表す言葉です。 自分が正しい・自分が一番という考えが根本にあるため他人の意見に耳を貸さずに、全てが自分中心で周囲への配慮は一切ありません。

「自分の考え=他人の考え」と他人と自分が混同してしまっている状態です。同じ考えなんだから、自分の言う通りにみんな動いてくれると思い込んでいます。

どのような世界を自分が創りだしたいのかを知り、自分はその為に何をしていきたいのかがわかる時、それ自体が自分軸になります。



2019年8月18日 (日)

もっとゆっくり生きよう

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ 

03557[1]

私は人生82歳を過ぎて、「もっとゆっくり生きよう」と考えています。

世の中「ゆっくり生きる」ということが苦手な人が多いように感じます。なんでも簡単に手に入る時代になりました。どこにいても答えが分かる世の中です。私たちはすぐに、結果を求められることが増えてきました。

だからでしょうか、いつも何かに追われるように感じてしまう・・・大丈夫、慌てなくていい。。。急いで生きたりしなくていい。。。ゆっくり生きる方が、人生をよりよく味わうことができますから。。。

「急がない方いい」

確かに歳をとり、心身の衰えは実感しています。私は、自動車の免許は返納し、行動範囲は確かに狭まって、楽しみは減りました。今の生活を楽しめない、幸せを感じられないということは、自分自身の心の持ち方で、幸せ感はもっともっと、身近にある・・・見えないだけかもしれません。

「マイペースを生きる」

幸せに生きるためには、急がずに、そして焦らず、自分に合ったペースが大事。。。ソフトランディングと想定し、心をちょっとスローダウンする。マイペースで生きられるように、心がけることが大事と思います。時には、道草や寄り道を楽しむ、心の余裕がある・・・ゆっくり生きる方が、人生をよりよく味わうことが出来る。。。

いくら「ふり」をして華やかに見せても、余計に虚しい思いをするだけ・・・小さくても、少しずつでも進んでいく・・・ゆっくりでも自分のペースで歩いていく・・・自ら踏み出した一歩だからこそ、自分自身を肯定できます。

2019年8月17日 (土)

生きる姿勢

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ 

statue-318783_960_720[1]

仏教の教えに「慈悲喜捨」があります。

◎ 他人を慈しみ、楽を与えるこころ(慈)。
◎ 他人の苦を救済するこころ(悲)。
◎ 他人に楽があるのを妬まず共に喜ぶこころ(喜)。
◎ ひいきしたり恨んだりする心を捨て、平等に利益するこころ(捨)。

「自分が幸せになりたかったら、自分以外の人々を幸せにしなさい。そうすればその人たちと共にいるあなたも幸せになれますよ」と、仰っているのです。

そして、「あなたたちはこうした人間に変われますよ」と、教えてくれているのです。これは家庭にも職場にも当てはまります。他人を幸せにすることは自分の幸せを放棄することではありません。他人を幸せにすることこそが、自分の幸せへの近道なのです。

生きる姿勢の基本

人としての生きる姿、いつの世も変わらないものです。それは親子や夫婦の情であったり、兄弟や友達の絆であったり、あるいは他人を思いやる優しさであったりというものです。

生きる姿勢の基本をを見失わない限り、どんな時代であっても人は強くなれます。また、それを見失っては人は生きてはいけないのです。

2019年8月16日 (金)

当たり前のことに感謝

  にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ 

odaiba-97[1]

私たちは、人からとても親切にされたときや物などをいただいたとき、とてもうれしく思い感謝します。日常生活の中で特別に何かをされたり、もらったりしなくても感謝することはたくさんあります。

たとえば、自分の身体が自由に動く・・・五感の自由が利・・・今日も生きている・・・など普段何気なく生活している中にたくさんの感謝すべきことです。

私たちはあることが当たり前になり、それが自分自身の基準(尺度)となっているのです。その当たり前のことを一番感謝すべき、「ありがたいことだと気付く」ことが大切なのです。誰かのお世話にならずして、この世で生きていくことはできません。自分の一日を振り返ってみても、「ありがとう」と言える場面があります。

それは誰もが思っている以上に、たくさん存在しています。私たちはただ、感謝するべきポイントに気づいていないだけです。本当はいつでも「ありがとう」と言えるはずなのですが、お世話になることが当たり前になりすぎて感謝にすら気づけないのです。

自分が今、生きているということ自体・・・当たり前すぎて「ありがとう」に気づけない場合が多いのです。私たちは、知らず知らずのうちに自分はたくさんの人に支えられていると・・・いうことに気づかないといけません。

気づいて、一言でも多く「ありがとう」と言えるようになることが、心をきれいにするポイントです。「ありがとう」という感謝の心を持つことで、自分自身の心をきれいにし、周りにいる人たちの心も一緒にきれいにします。 そして生きていることに、幸せ感じることが出来るのです。

2019年8月15日 (木)

使命感を持って生きる

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ 

DSC_0081[1]

使命感を持って生きる

使命感とは、自分の人生の目的を持ち、なぜこれをするのかのその意味を知り、その上で自分は何を成し遂げるのかをはっきりと明確に持っていることを言います。つまり、自分が今此処にいる意味や、役割、存在価値や存在意義を自覚しています。

こういう人たちは責任の範囲を限定していません。指示命令があったとしても、自分の範囲を限定せずに自分からその範囲を超えて、役割や責任を自らが拡げ使命を果たそうとします。

この目的を達成する意義や意味、この理想を実現することの必要性、なぜこれを自分がやるのかということが、自分自身の人生とつながっていることに自明するのです。

そういう人は、やるなといってもやりますし、休めといっても動きます。つまり自分から使命に燃えて使命を果たそうと、自ら行動し続けることが生きがいになるからです。

使命感を意識して行動していると、大事な場面で踏ん張れます。自分が今、なぜそうしているかという理由がはっきり分かっている人には、底力が湧いて出てきます。

生きている意味や、自分がここにいる「存在意義」というものをしっかりわかっていると、今やらなければいけないことを一生懸命行なう・・・自然と毎日の目標を持って行動することができ、充実感が湧いてきます。

2019年8月14日 (水)

地に足をつけた生き方

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ 

100712_172824_ed[1]

グラウディング(Grounding)とは・・・地面に両足をしっかりとつけて、前を向いてどっしりと立っているイメージで、自分に自信が湧き・・・少しくらいの風が吹いてもびくともしないことです。

「現実を見ること、今を大切に生きること」
人間は目標を持ったり、理想を掲げたりしますと、テンション上がります。そこに向かって努力する・・・どうやったら目標をクリアできるだろう???何をしたら理想に近づけるだろうと考えます・・・そして行動します。

その行動は今できることに集中しなくてはいけません。遠い将来ではなく今です。いつかしようではなく、今するのです。過去に縛られることなく、未来に踊らされることなく、今できることをする!これがグラウディングにつながることです。

「自分自身の本質に沿って生きること」

道徳的な事から外れなければ、他者からの評価は気にする必要はないのです。自分自身の本質の軸にしたがって人生を生き抜けばいいのです。失敗や批判を恐れることはないのです。

色々な問題が起きるかもしれませんが、何一つ自分に不必要な問題はないのです。必要な学びがあるからこそ問題は起きるのです。恐れずに自分らしく自分の軸がぶれることなく、問題に向き合い、問題を乗り越えながら、学びな得て、厚みのある充実した人生を・・・と考えています。

「人間はみな未熟な存在です」

未熟だからそこ学びがあるのです・・・人生は学びの場です。「地に足を着けて」自分の本質を軸として、困難があっても、逃げずに、逃避せず、依存せず、腐らずに歩むからこそ、人生は苦しくも楽しい学びの場なのです。価値のない人など存在しません。誰でもその人だけにしかない唯一の価値があるのです。

2019年8月13日 (火)

笑顔が幸せを呼ぶ

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ 

飾り矢車

いま、女子ゴルフのAIG全英女子オープンで初優勝を果たした、渋野日向子のシンデレラスマイルが話題になっています。

「笑う門に福来たる」

常に笑い声の絶えない家には、ひとりでに幸福がやってくる、辛く困難なことが多くとも、笑いから道は開けるものです。辛く困難なことが生じた時、笑ってばかりおれないというけれど、笑いは希望と勇気を生み出す原動力となります、笑いは幸せを生み出す大きな力となります。

「幸せだから笑うのではない、笑っているから幸せなのだ」

もちろん、現実を受け止め真摯に向き合うことや、悲しい時に悲しむことはとても大切です。でも、そのことをいくら考えても事態が好転しないのであれば、気持ちを切り替えて次にどうするかに、向かうことも同じくらい大切です。

「笑顔は幸せを生み出す大きな力となる」

人生は泣き笑いです、生きているから、悲しい時に涙が出ます、本当にうれしい時にも涙が出ます。人間だから、自分のことだけでなく他の人のことでも涙を流すことがあります、それは慈悲心がそうさせるのでしょう。

現代では思考を使う時間が多いためか、過去や未来を考えすぎてしまったり、心の切り替えが難しいと感じる人も少なくありません。

「笑顔を作る」

笑顔をつくろうとするその行動が、脳に働きかけ幸福感を生み出すスイッチになるのです。何を幸せと感じ何を不幸せと感じるかは、人それぞれの価値観ですが、幸せの感度を上げるには、笑顔が必ず必要となるのです。


 

2019年8月12日 (月)

ゴミを拾う人はゴミを捨てない

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ 

tokita[1]

ゴミを拾う人はゴミはすてません。

タバコの吸殻を捨てたからといって、急に人生が悪くなるわけではありません。だから無神経に捨てる・・・その考え方が問題です。

捨てる人は捨てる一方です。捨てる人で拾う人はまずいません。反対に、拾う人は捨てません。

この差は年月がたてばたつほど大きな差となって表れます。人生は、こうしたことの積み重ねですから、無視できません。

ゴミ拾いをしていると・・・「なかなか出来ることではない」・・・と言われます。・・・「暇だから出来るのさ」・・・と笑って答えていますが、自分の家の中にいるような感覚で町中を認識して欲しいと思っています。

町内の安心・安全で楽しい、町づくりの基本は、“美意識”です。決して、市役所・町内の役員の方ではありません。町内の一人ひとりの責任です。良くも悪くするのも貴方次第です。

2019年8月11日 (日)

現代のコミュニケーションあり方

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ 

ka_072[1]

ネット・コミュニケーションは、多くの情報を、より確実に伝えられます。履歴が残るので、あとで見直して確認することもできます。

なによりも、ネットでのやり取りは手軽です。じかに会うのは緊張してしまう人も、ラインやメールなら大丈夫という場合も多いでしょう。交通事情や経済その他の事情により会うことがむずかしくても、オンラインならつながることができます。

でも、インターネットを使ったコミュニケーションには、気持ちが伝わりづらいという欠点もあります。私たちは普段、顔を合わせて会話をしているとき、言葉の内容だけで相手の気持ちを判断しているわけではありません。顔の表情や声の調子などの情報もふまえて判断しています。

しかし、インターネットを使ったコミュニケーションでは、そうした情報がなく、文字だけで相手の気持ちを読み取ることになります。そのため、顔を合わせて会話するときと同じ感覚でやりとりしていると、相手を怒らせてしまったりすることがあるのです。

リアルコミュニケーション・・・
ただ対面であることを指すのではなく、人が過去の経験から形成された価値観(考え方、将来への想いやビジョンなど)を基に本音で語り合うことで、「自分への気づき」と「他者への気づき」を与え、相互に成長を促すコミュニケーションです。

リアルとオンライン、両方の特徴を理解して、うまく活用することです。
オンラインでのコミュニケーションばかりになると、幸せ感が低くなり、頼みが受け入れられないなど、いろいろな不具合がでてきます。じかに会うことは、時間も労力も使うし気も使います。しかし、それだけの効果はあることも事実です。

命の引継ぎ

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ 

odaiba-97[1]

人の親は、自分の子供が立派な成人になることを望んでいます。

人はみな生から始まって死に至りますが、生を次代に委ねることによって生がつながっています。つまり、「リレーされるいのち」とは、人間として、種族として、家族として継承される生命ということです。

家族でいいますと、祖父母、父母、子、孫というように続いているいのちです。私たちが先祖や子孫のことを想い起こすことができるのは、せいぜい3世代くらいまででしょう。

私が今ここにいるということは、何はともあれ2人の父母がいたからです。その親がまた2人ずつで4人というふうに倍々に増えていきます。

父母、祖父母、曾祖父母と世代をさかのぼればのぼるほど、ご先祖様の数はふくれあがっていきます。これを続けて計算していくと20代前には100万人を超え、とんでもない数字になります。

実際はいろいろと複雑に絡み合っているのですが、こうして考えますと人類みな兄弟、ご先祖様はみな同じということになります。

人間同士も、すべてのいのちも同じつながりがあるのです。ですから、いのちあるものはみな兄弟と意識できれば、人間同士が傷つけあったり、他の生命を粗末に扱ったりということもなくなるのではないでしょうか。

2019年8月10日 (土)

人生は長さだけではない

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ 

img_1[1]

「人生は長さだけではなく、深さ・幅が大事です。」

長生きすることを否定はしませんが、「幅」や「深さ」を持って生きることが大切と思っています。

人生の「幅」とは、色々なものを受け入れる・・・柔軟性であり、文字どおり、身も心も柔らかいという意味です。

心身が柔軟であれば、自分の考えと異なる意見や、新しい変化を受け止めることができます、しかし、身心がコンクリートの壁のように硬いと、視野が広がらず、自らの成長にもつながりません。

自分と違う人の意見をどこまで理解できるか・・・自分の考えを曲げてまで賛同する必要はないとしても、相手の主張する内容をなるほどと理解し、そういう考えもあるなと理解できれば、それによって視野が新たに広がり、成長する可能性も高まります。

「幅」の意味は、人生も、役に立つものだけで身の回りを、ぎっしり詰め込めばよいとはかぎりません。日本画の余白のように、一見何も用がないように見えるものが、人生の味わいを深めて、自分のこころを豊かにしてくれることもあります。それが人生の「幅」です。

そして人生の「深さ」とは、自分の「いのち」の尊さを深く受け止めることを言います。

自分の「いのち」は、遠い祖先から受け継いでいるかけがえのないものです。目に見える今のこの世だけではなく、目には見えない世界に支えられているのだと受け止められれば、人生に深まりが出てくるはずです。

何か辛いこと、苦しいこと、嫌なことがあると、誰それが悪いと他人のせいにしたり、自分の置かれた環境が悪いと周りのせいにするだけでは、一面だけの見方で終わってしまい、深みのある生き方はできません。自分の「いのち」をどう受け止めるか。。。自分の側の受け取るこころによって、人生は深まりが出てくるのです。

「長さ」と「幅」と「深さ」を人生に持つこと・・・少し欲張りでしょうが、そんな人生を送ることができればと願っています。

2019年8月 9日 (金)

心の時代

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ 

361[2]

今は心の時代と言われています。

今日の社会の人間関係が希薄になっているとの指摘がされていますが、その背景的理由として人の心がその栄養を失っていることが考えられます。

人の心の豊かさは、合理化によっては培われません。かえって不合理性の中でこそ、人の心は、その栄養素を吸収するのではないでしょうか。。。

今を生きる私たちは、多くの生活に常に合理性を持ち出し簡素化しています。そのことによって、私たちの心は栄養を失い、心の豊かさを失っています。

心の豊かさを失うと、社会生活が希薄になり、社会生活が希薄になるということは、お互いの人間関係を失うことになり、バラバラに孤独に生きることを意味します。

社会生活をしている私たちは、お互いの連帯と協調性を必要とします。その必要性が満たされるとき、私たちは生きる希望が湧いてくるのです。

お互いの連帯性・協調性が失われると、人は孤独になります。孤独な人は、自己中心的になり、他人と仲良く生きていくことが難しいと言われています。

孤独な人は、さまざまな問題・課題があると思います。

2019年8月 8日 (木)

地域への愛着を持つ

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ 

c0004251_160107[1]

地域社会で生きる

地域で絶対に必要なのは具体的には何なのかというと、家族であったり、その土地の自然だったり、そこに住む人たち(場合によっては訪れる人も含めて)の間の信頼関係であると言うことです。

地域とは、かけがえがないという生活の場・環境で、何か他のもの、典型的にはお金と交換することができません。だからこそ、それは地域の再生や発展・・・という問題意識がでてくると思います。

「地域への愛着」ということは・・・

◎ 人とのつがながりを大切にする思いである。

地域の人たちとの交流を通して、暮らしの営みを分かち合えていることにありがたさを感じ、この地域の一員として周囲の人たちとのつながりを大切に思う気持ちです。

◎ 生きるための活力の源である。

この地域には自分の原点や大切な思い出があり、ここに自分の居場所を見出し、安らぎや安堵感を得ることができているという安寧的な感覚です。

◎ 自分らしくいられるところである。

この地域での暮らしの営みに楽しく専心することができ、そこから生きていくための活力源を得ることができているという闊達的な感覚です。

◎ 住民であることの誇りである。

この地域の住民であることに誇りを感じ、この地域の人たちと共に自分たちの地域の良さを守り、より良くしていきたいという願いやかかわろうとする気持ちです。

という4つの意味が含まれていると思います。

2019年8月 7日 (水)

歳を取って思うこと

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

湯殿川と君橋付近

むかし、親父が日ごろ言っていた「年は取りたくないなー」・・・実感している・・・今日この頃。。。です。
「最高の幸福は、富でも名誉でもなく、自分のしたいことを見つけ取り組むことなのです。」<ジョセフ・マーフィー>

「どんな年齢であれ、その時にできることを可能な限り楽しめばいい」
自分の心に正直に生きつつ、今、この瞬間を楽しむことです。人生は、自分の想像で、出来あがっています。「思考は現実化する」という話も、想像の力を言っています。

想像力を鍛える・・・「見えない物を見る」

心の目で見る・・・見えない物は何だ?心の目で見ることで、「想像力を鍛える・・・」自分の物を探すことです。それは、他人からの借り物ではなく、自分の物を探すことです。

私たちは普段、自分で考えているようで、実は他人の考えに支配されています。洗脳という言葉が否定的なイメージで言われることが多いですが実は、自分の考えのほとんどは、洗脳だとも言えます。

誰かの考え・誰かの意見・その多くは、親の意見であり、世間体です。自分のオリジナリティをどれだけ、持てているかです。心の目で見る・・・自分の物を探すことは大事なな事だと思いす。


ない物を探し続ける
「ない」のではなく、「ない物を見る」のです。想像(クリエーティブ)する・・・「どんな状況からも、喜びを見出していくこと。出来ない状況の中で、何が出来るかを、見つけていくことです。

2019年8月 6日 (火)

倫理観と道徳観

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

  東京工科大学2

「道徳観と倫理観」
「倫理観」とは社会全体や大きな集団で共有されるものであり、「道徳観」とは個人や小さな集団で用いられるものなので、同じ意味合いでも規模の大きさが違うことです。

現在の日本の若者・子どもたちには、他者への思いやりの心や迷惑をかけないという気持ち、生命尊重・人権尊重の心、正義感や遵法精神の低下や、基本的な生活習慣の乱れ、自制心や規範意識の低下、人間関係を形成する力の低下などの傾向が指摘されています。

京都アニメーション放火事件のように、社会を震撼させるような、若者が関与する事件の報道に触れ、子どもたちの規範意識について不安を感じる人も多いと思います。

日本には宗教教育が存在しないから、道徳教育が行き届かないのでしょうか。 それは家庭におけるしつけも同様で、親が持つ自己の常識に委ねられるのです。 全てではありませんが、代が重なる毎に、倫理観が稀薄となる過程にあると思えます。

この現状を打開する方法はないのだろうか・・・現代社会における武士道が、そのもっとも近道と思います。それは学校教育で、武道(柔道・剣道・相撲)など・・・しかし、教科を実習させることのみで培われるものではないと思います。

武士道は、特権階級である武士の道徳律として生まれ、時代の変遷とともに、今の日本の舵取りを行っている者たちの行いはどうでしょうか・・・その多くが、国の行く末より、目先の利己主義に走っているようにしか映りません。そんな堕落した精神が、波及影響していると思います。

2019年8月 5日 (月)

自分の心を知る

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

hiland05[1]

「自分の心を強くしたい」と願うのは、自分は弱いと感じているからこその想いです。その「弱い」部分を自分で認めることができると、ある意味「強さ」にもつながると思います。

無理に強いフリをして背伸びをするのでなく、素直に弱い自分をさらけ出すことが、本当の強さでもあるのです。強くなりたいと願うのであれば、まずは自分の弱さごと素直に認めることです。

自分の弱い部分を認めることができるようになると、バリアのような妙な壁をつくることを止め、強くみせるために使っていた労力を注がなくても・・・安心した状態で、素の自分の力が沸いてくると思います。

「自分に納得できる生き方」
自分の心の声にしっかりと耳を傾けることです。私たちは、「一般的に」・「普通は」・「常識的に」ということを大事にし過ぎているのではないでしょうか。

今に満足しているか?やりたくないことをしていないか?本当にそれはやらなければいけないことなのか?今やらないといけないことなのか?
自分の本心はどう思っているか・・・何がしたいのか・・・何が好きなのか・・・何にワクワク感動するのか・・・考えてみることです。

「失敗したら行動に移すことです」
小さなミスを潔く受け入れることができたら、気持ちの切り替えも早く対処でき、次へと行動を移すことかできます。失敗をしたことを、どれだけ早く受容できるかによって、気持ちの切り替えの早さを身につけると、「強い人」へとまた一歩となるのです。



2019年8月 4日 (日)

人間の使命とは・・・

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

  DSC071201[1]

この世に生を受けた人間は、命を大切にし、 寿命を全うしなければなりません。自分の生きる使命を知るということは、何よりも尊いことです。

「本当の自分を認識すること」

本当の自分に出会うことなのです。そうすると、自分の使命の方向に自然と導かれていくのです。
「これこそが自分の使命だ!」と、自分で発見する場合もありますが、それよりもむしろ、本当の自分に目覚めた結果として使命の方向に自然と向かっていくものなのです。

使命の再認識

現代社会は、人を包み込むさまざまな社会的組織をもち、多彩な生産・創造の活動に満ち溢れています。しかし、この豊かな創造性と社会性のなかにいながら、むしろ個人は、それらのことから疎外されていく傾向です。近年ボランティアは、盛んに行なわれれるようになりました。

ボランティア・・・この(現世)社会性を求め、働くことの喜びを求めた、個人の自発的な活動になりますが、創造性や社会性をしっかりと持った、私たちの活動ということでは、その自覚の一形態として、「使命」というものがあります。

ボランティアは、つい最近のことばになるが、「使命」は、それに比べると、昔よりの歴史があります。

「使命に生きる」

最近、「使命に生きる」といったことばを耳にすることは少なくなりましたが、それでも、個人の社会的な活動への自覚のことばとして、「困難だが、これは、自分に与えられた使命なのだから」と、ファイトを燃やす人を見ることができます。

本来、人は、自分が住んでいる地域社会に、根づいた生き方をし、創造的な活動に生きたいという願いをもっています。現代社会は、個人の創造性や社会性を端的に満たす「使命」のようなものをもう少し意識し、大切にしていく必要があるではないかと思います。

2019年8月 3日 (土)

経験と知性

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ 

10shiretoko5go_1ko2[1]

82歳になり最近ようやっと、日々の生活で、生きる意味が解かってきたような感じがする。どういうことかと言うと、考える事、行動をすることが、楽しいと思え、幸せを感じることである。

苦しいことも、悲しいことも、嬉しいことも、楽しいことも「全てを受け入れることが素直に出来るようになった。」

以前にはこんなこと嫌だと思うことがあったが、喜んで出来るようになた。自分でも大分、心が大人になったと思う。これは今までの人生で一番に幸を実感できる。。。

よく考えるとーーー

①、ボランテアを進んで毎日行っている。

②、毎日ブログを書いて勉強している。

③、健康。

そしてそれは、毎日の積み重ねで、同じ事を続けられる事の結果だと思う。

これからも「負の人生」が来るかと思うが、それも修行と思えて、乗り越える自信がでたようだ。「死を待つだけ」の人生だけはしたくない。また見られたくない。

自分より、隣人を情けをかける心が出来るようになったような気がする。相手敬う事が最後は自分に戻ってくる「因果応報」である。

昔、サラリーマン時代、ある人が言っていた言葉を思い出した。人間は、世の中を泰然と構えて、対処する力は、その人の「経験と知性(物事を知り、考え、判断する能力。人間の、知的作用を営む能力)」である。

魂を磨くとは

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ 

ka_072[1]

京セラの会長の稲盛和夫氏・・・人生の目的は「魂を磨くことである」としています。言葉を換えれば、人格を高めるということです。

人間は困難によって魂が磨かれる

今、この日本に生きていると言うこと・・・この 混乱のない時代に魂が出てきたということは 素晴らしいチャンスです。

私の経験したことですが、戦後の頃は、ただ食べることに必死の時代でした。貧しくてほとんどの人が学ぶ機会がなかったのです。

現代は、物質的に恵まれ、自由に生きられる日本です。平和な今の時代、物は豊かになりましたが心が貧しくなりました。そしてその心の貧しさを豊かさに転じるには魂を磨く必要があると思います。

自分の思い通りにならないことは、自分を磨く試金石だとも言えます。
自分の魂を何を持って磨くか、そこに自分の志や初心があります。魂を磨くというのは、人生の意味そのものですから誰もが磨く機会、試練をいただけます。その試練と苦労がその人の魂を育て光らせていくように思います。

今の世に何を成そうとして生まれてきたのか・・・
それは、人に良きものを与えようという事です。祈り・・・。笑顔・・・。やさしい感情でもいいのです。人を助けることでもいいのです。「自己中心的・自分のためだけの人生」は 神の意志から遠いということに気づくことです。

2019年8月 2日 (金)

ふるさとの思い

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ 

71766873[2]

私たちは生きていくには、助け合っていかなければ生きられません。

私が日ごろ考えていることですが・・・一市民としての責任と義務があります。

◎自分のことは自分で決めていい--でも、みんながそうしたら社会はめちゃくちゃにならない?

◎子どもは好きなこと、得意なことを伸ばしたらいいーーでも、教育って本当にそれだけでいいんだろうか?

私の信条のひとつに「私たちの町は、私たちで守る」です。

私たちの住むまち八王子市片倉まちは、緑豊かなふるさと、湯殿川・兵衛川の清流にはぐくまれ、私たちは、このまちに住み、このまちを愛し、いつまでも平和で友愛に満ちた心のふるさとと、多くの諸先輩たちのから引きついてきました。

自然豊かな町を後世に引き継ぐ責任があります。

太陽と緑をたいせつにし、土の香りを残し、一人ひとりが、市民としての自覚をもち、助け合い、年よりやこどもをいたわる、若い力を育てる・・・そして、伝統を尊び、文化を高め、未来に展望ができるまちに。。。と思います。

2019年8月 1日 (木)

老いるとは・・・

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ 

07akitakoma_sumire1[1]

「老いる」とは・・・

「老いるとは、こういうことかと、老いて知る」

自己の様々な能力の衰退・喪失の変化を、自尊心を持って受け容れるプロセスということだろうか。。。

人生は山登りと同じ・・・「人生そのものが登山であり冒険である」

これまで、自らの身体的成長を実感してきましたが、今度は緩やかに衰えてゆく自己に直面せざるを得ないのです。そのギャップに一抹の寂しさを感じながらも、その現実は受け容れざるを得ないのです。

これから、さまざまな身体的、精神的な衰えが顕在化してくるだろう。その時、一体、私は過去の「できた自分」のイメージに呪縛されながら生きることになるのだろうか。。。

過去の「できた自分」に呪縛されるのは、自分自身が「成長」という価値観に支配されているからです。これまでの人生を評価してきた「成長」という物差しに替え、新たな価値観に基づいて生きればよいのではないか。。。

「人生というフルマラソン」

ゆっくり走ると沿道の様々な景色が目に入ってくる。そして何よりも走る楽しさを味わう余裕が生じる。そこにはタイムを競うマラソンとは別次元の世界が広がっています。

「老い衰えること」と向き合いながら、多様な"走り方"〈価値観〉を発見することこそが、実は「老いる力」なのかもしれません。

« 2019年7月 | トップページ | 2019年9月 »