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2019年7月23日 (火)

便利な世の中になったが心が寂しい

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82歳になって思う。

電気もないから、テレビもラジオもない。水道もない。ガスも当然ない時代で、辛うじて新聞があったが、世帯数2~3パーセントぐらいだった、1945年(昭和20年終戦)のごろまで、生活形態は、今では想像がつきません。

村には医者が一人、ノミ・シラミがいたり、女の子の頭の髪の毛にDDTを散布し真っ白になった、小学生がいた。エキリ・セキリで児童が死んでいくのを知らされた。

デキモノ”が出来て、向う脛に膿んで、ハエがたかったり、下着は10日も洗わないで履きぱなし、靴は買えず、何時も素足で駆け回って遊んでいる子供達・・・たかが60~70年歳月で月とスポンです。

しかし人の暖かさ、支えあい、思いやり、絆などは、反比例して“しぼんで”しまって誠に寂しい現代です。

何故そうなってしまったかは、人それぞれに思いや、考えはあるのだろうが、私は人間はひょっとしたら独りで生きていけると錯覚してしまっているのだろう。なぜなら、お金さえあれば、何でも手に入り好きなものが自由に出来ます。

足を止めて考えてみて下さい。自分の思いのままに生きられる時代なんて、そう長い時間はない。各人が思いのままに生きられることはない。人は智慧を働かし、お互い、協力し合わなければ生きていけないと感じるときは直ぐやって来ます。

いかに早く気が着くかで、世の中が希望に溢れ、心の豊かさを感じ暮らしていけるということだ。

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