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2019年6月24日 (月)

年老いて考える人生

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孔子の人生訓で、有名な論語、五十・六十ときて「七十にして心の欲する所に従って矩を踰えず」で、70歳になったら自分の心のままに行動しても人道を踏み外す事が無くなった・・・と。その先を生きるには?

年老いて、生きることの難しさ、虚しさが如実に現れる・・・「老いる」それは、取りも直さず生きることの意味を改めて考えさせられる時期でもあるのです。

年をとると言うことは、ある意味で残酷なことです。

何か新しいことをするためには、気力も体力も残されていない。同じ事を同じようにしようとすれば、若い人間には、太刀打ちできません。三十代・四十代の人間と同じ条件で七十代・八十代の人間が競わせようとするのは残虐な行為でしかありません。

年寄りには、生きてきた蓄積があります。

それは、人間としてかけがいのない財産です。現代社会で、老人をただ介護の対象としてしか見れないのは、その人の心が貧しすぎます。人は、ただ生きてきているわけではありません。生きようとして、生きる希望を持っているから、生きているのです。

生きると言うことは、生き生きと生きることです。世間の世話になり、邪魔者扱をさせられることではありません。年をとっても幸せになる権利はあるのです。

「誰の世話にもなりたくない」

そんなことを年寄りに言わせるような社会は、本当に豊かな社会なのでしょうか。人生の終局に、私は、何のために生きてきたのだろうなんて、年寄りが呟くような社会は貧しいと思います。

老齢期は、人生における集大成です。

失われていく力や記憶、技術や能力それに逆行しながら人間としての最後の修業、修道の期間こそが老齢期、晩年であると思います。自制心や抑制心が失われ、自らの規律が保てなくなってきた時、自らを支えるのは、それまで培ってきた、人間としての自信と誇りです。

安心して、終末期を生きることができる社会が大切と思います。

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