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2019年6月29日 (土)

草木への想い

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我が家の小庭の草むしりをして、むかし親父が「百姓は、草との戦いだ」・・・と言っていたことを思い出しました。畑や庭の草は除草してもすぐに生えてくるから、困ったものだと嫌がられます。

梅雨はうっとおしい季節だと思う人もいるでしょうが、生き物にとっては恵みの雨、とりわけ草木にとっては成長する雨の季節です。

きれいな花は惜しまれて散っていく、草は嫌がられても生えてくる、たしかに美しい花はいつまでも咲き続けて欲しいと願い、けれどもこれらは人間の思いであって、草木は子孫繁栄のために花を咲かせ、草は芽を出すのです。

風媒花に人間は関心を示さないばかりか、花粉症の心配をする、けれども虫媒花は美しく咲く花が多いので人間の目にとまる、花を咲かせているのは昆虫や動物による受粉を期待しているからです。草がはびこるのを人間が嫌うというのは、人間の身勝手な解釈です。

人間の身勝手な目は、花の姿や咲き方で、ランクをつけて評価します。

草木が芽を出す、花を咲かせる、実をつける、いずれも子孫を残さんがためで、草木が生きているということは、種あるいは子孫を絶やさないという、この一言につきるでしょう。

草木は生(は)えるという、動物は生(う)まれるという、草木は死ぬとは言わずに枯れるという、動物は枯れると言わずに死ぬという、いずれも生命の生滅ということにおいては同じです。

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