« 今なぜ「命の大切さ」なのか | トップページ | 小さな事でもやり続けること »

2019年6月 1日 (土)

人間らしく生きる

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

P1020129[1]

昭和から令和時代になりました。令和の時代も平和であってほしいと、誰でも思うことでしょう。私も勿論、「令和」という時代が「平和」であってほしいと強く願っています。

しかし、それと同時に、「平和」」「平和」というけれど、先ず、自分の心が平和にならないと平和にはなり得ないということも、強く思います。

現代社会は、みんな核家族で近所づき合いも少ない、だから「人のことに、口出しはしない」「隣は隣、どうなってもウチとは関わりはない」と、自分勝手に生活することもできるのです。

でもそうではなく、「困っている人がいるなら助けてあげよう」という考えで接する・・・「いかがですか?お元気ですか?」と声を掛け合う。もし老人がひとりで住んでる家があるならば、よく行って面倒を見て様子を聞いてあげる・・・そんな風に、少し人のために何かすることで、人間性が少しあがります。

お節介の人もいても世の中いいのです。人にたくさんのお節介をすることで、 人から感謝・信頼され、協力させてもらうこともあるのです。

昨今では、陰湿な事件、見て見ぬ振り、自分さえ良ければよいという人、他人への無関心、社会へのあきらめ、心と心が通じていない表面の付き合いは、未来への不安と、世の中の陰惨な事件の多くは、お節介の心があれば救えたこともあると思います。

人は幸せでありたい。そして幸せのために必要なのは、「人との繋がりが確保されること」「安心感のもとに暮らせること」ではないでしょうか。

生産高率化が優先される現代社会では、人間関係が築きにくく、心を許せる相手に飢えています。

人に迷惑をかけないように、人から後ろ指をさされないようにと気遣いながら暮らす中で、日本では、結局人と人との交流の垣根が高くなり、肩の力を抜いて心を開ける人間関係が希薄になってしまいました。

同じ水を飲み、同じ風を受け、同じ光を浴びる人間どうしです。フレンドリーな関係を作れないはずがありません。日だまりの縁がわのように暖かで居心地がよい場所で、同じ急須から注いだお茶を飲むようなよい関係を繋ぐことができれば嬉しいです。

 


 

« 今なぜ「命の大切さ」なのか | トップページ | 小さな事でもやり続けること »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 今なぜ「命の大切さ」なのか | トップページ | 小さな事でもやり続けること »