歳をとると言うことは
人は、いくつ歳を重ねても、いつでも「幸せ」になりたいと願っています。その幸せの感じ方は、人それぞれ異なるとは思いますが、多くは自分の願いが満たされた時ではないでしょうか。
しかし、人間の願いにはキリがありません。ひとつの願いが満たされても、また新しい願いが生まれます。その願いの中心には、「自分が愛おしい」という「自我」があります。
すると、いつのまにか「損か得か」「役に立つか立たないか」「健康か病気か」というような物差しが中心となってきます。
また、私たちには、「病気は不幸だ」とか、「死は不幸だ」という価値観があります。
具体的な言葉にすれば、「周りに迷惑をかけたくない」「これでは生きている意味がない」「歳をとって何もいいことがない」ということになるのでしょうか。
まさに自分は「廃品」であると表明しているかのようです。したがって、自然と「健康でありたい」「元気でいたい」というのが私たちの願いになっていきます。
それは裏をかえせば、「老・病・死は不幸である」という人生観に帰着します。老・病・死が不幸というのなら、私たちの人生は、不幸の完成で終わることになってしまいます。私たちは知らず知らずのうちに、人生に二つの坂をつくっています。
「上り坂・下り坂」
若くて元気なときは上り坂で、下り坂には死が待ち受けている。これでは「不幸の完成」です。
確かに肉体的な衰えからは逃れることはできませんが、人生は下り坂ではなく、上り坂のみです。
「別れ」を奈落の底にではなく、坂の上に置き換えることが大切と思います。
まさしくそれは「死」(不幸)ではなく、「往生」(往きて生まれる・幸福の完成)するいのちであり、いのちが解放され、輝くいのちに作りかえられていくことなのです。
« 湯殿川に想う | トップページ | 選べる道は一つだけ? »
コメント