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2019年4月18日 (木)

歳をとると言うことは

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人は、いくつ歳を重ねても、いつでも「幸せ」になりたいと願っています。その幸せの感じ方は、人それぞれ異なるとは思いますが、多くは自分の願いが満たされた時ではないでしょうか。

しかし、人間の願いにはキリがありません。ひとつの願いが満たされても、また新しい願いが生まれます。その願いの中心には、「自分が愛おしい」という「自我」があります。

すると、いつのまにか「損か得か」「役に立つか立たないか」「健康か病気か」というような物差しが中心となってきます。

また、私たちには、「病気は不幸だ」とか、「死は不幸だ」という価値観があります。

具体的な言葉にすれば、「周りに迷惑をかけたくない」「これでは生きている意味がない」「歳をとって何もいいことがない」ということになるのでしょうか。

まさに自分は「廃品」であると表明しているかのようです。したがって、自然と「健康でありたい」「元気でいたい」というのが私たちの願いになっていきます。

それは裏をかえせば、「老・病・死は不幸である」という人生観に帰着します。老・病・死が不幸というのなら、私たちの人生は、不幸の完成で終わることになってしまいます。私たちは知らず知らずのうちに、人生に二つの坂をつくっています。

「上り坂・下り坂」

若くて元気なときは上り坂で、下り坂には死が待ち受けている。これでは「不幸の完成」です。

確かに肉体的な衰えからは逃れることはできませんが、人生は下り坂ではなく、上り坂のみです。

「別れ」を奈落の底にではなく、坂の上に置き換えることが大切と思います。

まさしくそれは「死」(不幸)ではなく、「往生」(往きて生まれる・幸福の完成)するいのちであり、いのちが解放され、輝くいのちに作りかえられていくことなのです。

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