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2019年2月 4日 (月)

自然は誰が守る

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私たちの町では・・・

自然に対する畏敬の念が強くあったのです。

かつて(昭和30年代ごろまで)は、人々は、みんなの力を合わせて農作物を生産し、自然の太陽や水、風などを利用しながら、田畑を耕し米・麦・野菜を収穫し、山で、木を切り燃料にし、養蚕・莚織りなどをして現金収入の農業で生きてきました。

「水を汚してはならない」「悪いことすると神さまのバチがあたるぞ」・・・こういったことが生きる条件として、幼少のころから教え込まれてきたのです。

山の木の葉を掃き集めて、堆肥を畑に入れたりして、土を良くしてきました。畑・田んぼ・山・そして川には、「神さま」がいて、正月の仕事始めの田畑に「農入り」厄除けをし、山仕事する前にも、山の神を「お供え」を挙げて、安全を祈願したのです。

現代社会は、価値観の違いからか、自然環境に対する考えが全く違ってきました。私は、「自然と共存でしか人は生きられない」と思う一人です。私たちの町では、タバコの「歩行喫煙」は禁止ですが、歩道・公園・広場に捨ててあります。

それでいいのか?と言うことです。感覚の麻痺が怖いです。

環境問題は世界の人々も、温暖化問題で危機が叫ばれてきています。海辺に打ち上げられた鯨の胃の中から、「マイクロプラスチック」が大量に見つかったという、大変ショックなニュースがありました。

自然環境を守るということは、人間の生命を守るという事です。

少なくても、「私たちの町の自然環境は私たちで守る」という事をひとり一人考えて「ゴミは捨てない」意識改革し、環境に対し神経を使って欲しいです。

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