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2018年11月23日 (金)

思いやりの心

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争そいごとのない平和を願っている人は多いことでしょう。

しかし、いつの世も争い事は絶えません。その理由は、自分の欲が強く、他人の「思いやりの心」が、持てないからだと思います。

思いやりの心

 他者に対する思いやり、人を気遣ったり同情する気持ちのことです。

人に優しくしたい純粋な親切心が動機になり、自分なりに相手の気持ちを相手の立場に立って考え、 想像した相手の気持ちを大切にした行動を取ることです。

そして、大前提として、見返りを期待しない純粋な親切心が動機になること・・・ 決して自分が好かれたい(得したい)、あるいは嫌われたくない(損したくない)といった保身的な気持ちが行動の動機になるわけではありません。

そうした純粋な動機のもと、自分なりに相手の気持ちを、相手の立場に立って自分が当事者だと思って考える・・・その結果出た「相手の気持ち」を大切にする行動を取る・・・

これが私の考える「思いやりの心」です。

そしてこの純粋な親切心から来る行いは、たとえ相手を気にかける、些細な一言であっても相手の心にきちんと伝わり響くもの。そのため本人が見返りを求めなくとも巡り巡って返ってきます。

純粋な親切心から来る思いやりの行動は連鎖するのです。どんな形で返ってくるのかと言うと、例えば、普段から思いやりのある態度で接してもらえたり、本当に困った時にも快く力を貸してくれる・・・

他にも、周りに思いやりの心を持つ良い人が集まったり、自分が幸せな気持ちになれるのもその一つでしょう。私たちはどうしても与えたら受け取ることを期待しがちであり、実際に社会で生きていく上で「お互い様の精神」はとても大切です。

純粋な親切心から人を思いやっていると、思いがけず真心からの思いやりが返ってきて人望も集まるものです。

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