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2018年10月 6日 (土)

これからの社会を考える

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世の中のいわゆる進歩的な人達は、地縁や家に伴うしがらみと戦ってきて、しがらみや束縛や抑圧に苦しんだ歴史があります。

その結果、少なくとも日本では、思想とテクノロジーと都市計画によって、しがらみは相当のところまで無くなった思います。

しがらみや束縛が無くなったことで、私達は自由な個人になりました。ひとり一人がワンルームマンションに暮らせるようになり、コンビニ等のサービスを利用すれば一人でも苦も無く生活できます。

一人では生きられない…もう一度群れるしかない

人は一人では生きられません。強い人間は、たくさんの他者を平伏させて一人で生きていけるかもしれない。だが、凡人は身を寄せ合い、心を寄せ合って生きていくほかありません。

精神的にも私達は自由になれたでしょうか?

そう思えません。個人が自由になればなるほど、個人の内面に抱えた欲求や葛藤することで、自縄自縛(じじょうじばく…自分の言動が自分をしばって、自由に振る舞えずに苦しむこと)で悩むことになってきたのです。」

そして、核家族化が、家や地縁に伴うしがらみが、再び、重要となてきたのです。

血縁や地縁を遠ざけたのはいい?では、それに伴って、かつてそれらの束縛や抑圧に付随していた社会的機能や諸々のメリットを、誰が今、代行しているのか?そして何が代行されないままなのか?

力を合わせなければ生きていけない。

一人では勝てない人間が、弱くても生き残っていくために、再度群れるためのライフスタイルや処世術が必要とされていると思います。

こうした「再び群れざるを得ない」・「群れてでも生き残る」気分が再起動しはじめた情勢のなかで、窮地に立たされるのは「経済的・文化的・精神的に弱く、なおかつ、群れるための作法も訓練も素養も持たない人」でしょう。

強者は個人単位で、それより弱い者はスクラムを組んで生きていくしかない中で、弱く、かつ群れることのできない者はどうやって生きていけば良いのか?問題は残ります。

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