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2018年9月20日 (木)

墓掃除をして思う

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Katakra_jigan11

秋彼岸が近づき先祖の墓掃除をして思う。

「親祖先は自分自身の中にいる」

たとえ親祖先の肉体は今はなくなっているとしても、第一、生物学的にみると親祖先の血はまさしく自分自身の中に流れているのです。私たちの肉体を構成している細胞…それ自体がすでに親祖先のものです。

父そのもの、母そのものと全く同じではないにしても、この私の身体の中にすでに父母があり、そして祖先があるのです。これは科学的にも否定し去ることはできない事実です。

今日、私が生きていられることは奇跡的です。

それは、父親と母親のお陰なのです。何億人の中の一人として、何億人の中のたった一人とそれぞれ女房として、亭主として巡り合い、夫婦というご緑をいただいて「私」という存在が生まれました。

産んでいただいて、その上育てていただいて、こうして世の中に出て、歩ける今日がありますのは、すべてこの父と母がいるお陰なのです。

この父と母にはまたその父と母が、つまり私のお爺さんお婆さんが、何億人の中からこの人でなければというご縁をいただいて一緒になった。

このお爺さんお婆さんにも、そして何億人の…経緯を経てと考えると、このように脈々と続くこれが先祖代々ということになります。

生きていられることに感謝

いま私が生きていることに、感謝しなければと思うのです。人間は誰もが自分で生きているのではなく生かされているのです。人間は支え合って生きているのです。

生かされていることに感謝をすると、そこで自然に報恩の気持ちが芽生え、社会や人に対して〝何かしなければ〟という気持ちになります。生かされていることに感謝をしなければ、何も始まらないのです。

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