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2018年7月26日 (木)

道徳教育を考える

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Odaiba971

「道徳」とは

ある社会で、人々がそれによって善悪・正邪を判断し、正しく行為するための規範の総体。法律と違い外的強制力としてではなく、個々人の内面的原理として働くものをいい、また宗教と異なって超越者との関係ではなく人間相互の関係を規定するもの。(大辞林)

道徳とは社会の多数の意見で決まります。人間は自発的に自分の性格を選んでいて、生まれつき「善」である人も「悪」である人もいません。

「善良さ」…(正直で性質のよい。実直で素直なこと。)は後天的に身につけるものであり、訓練により獲得すべきものです。

自己中心的だったり、思いやりがなかったりする性格も自分で変えることができるだけでなく…自分の生き方を変えて他人に道を譲ることもできるのだと思います。

でも、そういう変化は一朝一夕にはできません。訓練し続ければ「善良」になることを習得できます。それが道徳教育です。

子供の道徳教育…「教える」より「考える」こと。

他人に対して善良に振る舞うことは習慣のようなものであり、実践を重ねることで完璧に近づけます(とは言え、人間は誰も完璧にはなれませんが)。

また、今後の社会では、グローバル化や価値観の多様化がいっそう進むとみられます。異なる価値観や倫理観をもつ人と共に生きていくためには、『賛同はできないけれど理解はできる』という感覚が必要です。

異なる生き方や価値観に触れることは、時に受け入れがたい違和感を引き起こす場合があります。そのような気持ちの「揺れ」が、理解の幅を広げることにつながるのです。

むしろ、大人が一方的に「異なる価値観の人を受け入れなさい」と教えるのは、自分の中の違和感から目をそむけさせてしまう危険性があります。

今後の「道徳」は、「教える」よりも、気持ちが「揺れる」体験を通して、自分はどう生きたいか考えさせることを大切です。多文化共生社会を生きるためには、様々な価値観に揺さぶられる体験が必要であると思います。

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