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2018年7月 1日 (日)

真の文明は心の豊かさを・・・

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真の文明とは・・・

田中正造(足尾銅山鉱毒事件でとり組んだ政治家)が言ったという 、 真の文明は・・・

「山を荒さず、川を荒さず、村を破らず、人を殺さゞるべし。」

人間は競って、早さ、便利さ、快適さ、合理性が文明の証であると思い違いし、なりふりかまわず、この目標に力を注いできました。しかし、ほとんどこの目標が達成できた今日、一体人間はどんな感動を味わい、どんな安らぎを体験し、どんな満足を得たというのでしょうか?

何も得ていないのです。

かえって、心の不安は広がっているといえるでしょう。だからまた人は際限のない欲望にのめり込んでいくのでしょうが、果してそのようなことがいつまでも許されるでしょうか?

文明には、安らかさと、安定さと、美しさがなくてはなりません。そして何よりも感動をもたらすものでなくてはなりません。つまり・・・

○ 早さに対して・・・・安らかさ

○ 便利さに対して・・・安定さ

○ 快適さに対して・・・美しさ

○ 合理性に対して・・・感動性

この牽制が必要なのです。昔を懐かしむのは私の感傷かもしれませんが、一昔前までは一つひとつの品物に人間的温もりが感じられました。

たとえば、畳、手織物、木工品、履物、その頃の文明品であったラジオや自転車にしても、小売店のおやじさんが一つひとつ手で組み立てていたものですから、そこかしこに人の匂いが感じられました。

また一般家庭では、古い布を再利用したおしめや、雑巾や、毛糸を巻き直しての手袋や靴下など、母親の夜なべ仕事から生まれた手作り品は、子供心に無上の幸福感を与えてくれたものです。また食べ物にしても、その家独特の「おふくろの味」というものがあって、その味の中に母心がたたみ込まれていました。

子供の遊びにしても手作りが主流でした。あやとり、おはじき、竹とり、おてだま、竹馬、など、不用品を利用した遊びは、そんな物不足から生まれたものでした。

物がないからこそ大切に使うし、大切に使うからまたその物も生きてくるわけですが・・・これを昨今の「作られた・与えられた」遊びとくらべてみて下さい。どちらに拍手を送りたくなるでしょうか。。。

「心の豊かさ」を求めるべきと、私は思います。

◎ 人情溢れる人間臭さ

◎ 実生活に密着したもの

◎ 自然と共生しうる均整の取れた

◎ 地域色豊かな泥臭さ

などの文明・・・考えです。

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