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2018年7月

2018年7月31日 (火)

正義は勇気を持って行動すること

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孔子の言葉に「義を見てせざるは勇無きなり」があります。(人として当然行うべき正義と知りながらそれをしないことは、勇気が無いのと同じことです。)

失敗することもあれば、成功につながるかもしれないのが人生です。

まだ見ぬ未来に不安を感じても、自分から動くことで、多かれ少なかれ物事は変化します。どんな体験であってもそこから得るものは大きく人、として成長することができます。

しかし自分から何もしない人は、常に受身の精神です。身を持って学ぶ機会が非常に少ないため、人に語れるような自分の言葉を持ち合わせていません。積極的な行動をとったり難しい問題に対処することが苦手で、なるべく避けたいと思っています。

そもそも自分から何もしない人は変化を嫌います。ましてや自分のスタイルや生活環境を変えようとする周囲の人のことも好きではありません。人にとやかく指図されたくないと考える、我が道を行くマイペースタイプです。

失敗を恐れないこと

「失敗なくして成功なし」とはよく言われますし、そのことを多くの人は頭ではわかっていると思います。

しかしまた、多くの人は失敗を恐れるあまり行動できないとか、ちょっと失敗するとすぐにあきらめてしまう、「失敗」の前にやる気も可能性も奪われ、つぶされることもしばしばです。

成功者は、そのことをわかって普段からしっかりとした「失敗」に関する哲学のようなものを持っていらしたのではないでしょうか・・・まったく意識せずごく自然(ナチュラル)な人もいもいます。

善いことと思えたら、行動を起すことです。行動することで、結果が出るのです。それが失敗しても、やり方・方法を変えて、挑戦することです。小さな成功であっても、何度も挑戦(方法を変えて)することで、大きな成果が得られるのです。

2018年7月30日 (月)

哲学を持つこと

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哲学をもつことの大事さ

哲学とは、各人の経験に基づく人生観や世界観。また、物事を統一的に把握する理念。「仕事に対しての哲学をもつ」「人生哲学」(デジタル大辞泉)

人生哲学」・・・人生をどうとらえるべきか、あるいは、どのように生きていくべきかを、説く(道理説明できること)です。

それは「自分は人生をどのように考え、どのように生きていこうとするか」についての筋道だった確固たる考えを持てという言葉となります。

哲学をもって生きることが大事です。

あまり、難しいことではなく、自分なりに筋道の通った考え方のことで、筋道の通った考えをもつことだと思っています。その結果として判断がぶれなくなる・・・

哲学をもつことは、自分をつくりあげるということと同意義で、哲学をもつことは、人間の生きる目的そのものです。

人のあり方についても良く「哲学を持て」と言われるますが、それは「自分は人生をどのように考え、どのように生きていこうとするか」についての筋道だった確固たる考えを持てという言葉となります。

哲学を持つと、他人から信頼され、頼りがいのある存在になります。私は80歳を過ぎた爺ですが、まだまだ、修行が足りず、しっかりした哲学は持っていません。しかし、これから「どう生きるべきか」考えて自分なりに哲学をもって、いこうと考えています。

2018年7月29日 (日)

81歳の生き方

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81歳で人生を想う・・・「心身の衰えで人生観も変わる…」

人は、人それぞれの価値観があります。

私は81歳になり、心身の衰えを痛感してます。私は、地域社会の一員として、地域で生きる仲間、共同体意識を持って、「自然環境を守る」ことこそが、安心・安全の町づくりであると…思っていました。 

私は、今年の初め体調を崩し、入院・手術をし、半年を経過しましたが、まだ完全復活は、出来ていません。その上、81歳となり残念だが、心身の衰えを強く感じるようになり、「今まで出来ていた事が出来ない」という事柄が増えきたことです。

仕方がない・自然の摂理?地域の思いはあっても、身体がついていかないのです。そして、今までの生活スタイルまで、(自分自身の生活)不安さえ感じています。

NHK視点・論点

「長寿社会にどう向き合うか」が目に止まりました。(慶應義塾大学 教授 駒村 康平氏)から・・・

 現在の社会経済の仕組みは、ライフステージを0歳から20歳までの「教育・学習期間」、20歳から65歳までの「現役期間」、65歳から80歳までの「高齢期間」の3つの期間に分けていますが、見直す必要が出てきます。80歳以降に、「10年の超高齢期」が加わることになります。

長寿は長い間、人類の夢でしたが、今日、それが現実のものになりつつあります。しかし、他方で、多くの不安も生まれています。

70歳代後半になると多くの人が、記憶力、判断力、感覚能力などの認知機能の低下を実感するようになるでしょう。多くの人が人生の一定期間、認知機能の低下を経験することになります。

私たち個々人が、そして社会全体も、加齢とどのようにつきあっていくか考える必要があります。ただ、仮に肉体的な認知機能が低下しても、それが、ただちに生活に支障を与えるかどうかは別問題です。

認知機能の低下が生活の支障になるかどうかは、社会の対応次第です。

どのような社会的な対応が必要でしょうか。身の回りで増えている高齢者の自動車事故、オレオレ詐欺などを目にすると、高齢者への手厚い保護の必要も感じます。
しかし、年齢による一律の保護、過剰な規制は、高齢者の自由を奪い、高齢者を社会から切り離すおそれもあります。そして、過剰な規制は、社会経済全体にも悪影響を与えます。

2018年7月28日 (土)

人の寿命のこと

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「寿命は天命」

寿命というものは・・・

そもそも医者にも患者本人にもタッチできないものではないだろうか。。。

一人ひとりの寿命は、運命的に決まっていて・・・

病気に限らず、事故や災害での突然の死も、本人が生まれ持っているもの・・・

寿命は医療で延ばせるものではなく、『天命』だという気がする。

いくら健康に気を使おうと寿命の長さは変わらない。

ただ死ぬその瞬間まで元気な方がいいだろう。

寝たきりヨボヨボで死をむかえるよりいい。

だから、健康に気をつける事は大事。

死ぬ時がきたら石につまずいても死ぬ。

突然、心臓麻痺で死ぬのも寿命が来たからだと思う。

知行合一と先知後行

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◎ 知行合一

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「理屈より行動」…100の理屈よりひとつの行動

しかし、コレは考えるな…理屈、理論はいらないということでありません・・・人は机で考えるより、動きながらの方が、よりよく考えられるということです。

私たちは、子どもの頃から色んな人に「勉強しなさい」と言われますが、でも、「実践しなさい」とは言われません。本来、学ぶとは実践を目的としたものであり、ただ知識を仕入れるためのものではないのです。

歴史を勉強し、過去の賢者や賢人の話をいくら口にしても、実践、実行しなければ意味はないのです。実践なくして結果は生まれません。

◎ 先知後行

先知後行(せんちこうこう)とは、知識を先に身に付けて、後から行動すると言うことです。

現代の教育は、どちらかと言うと「先知後行」と呼ばれるもので、知識を先に知ってこそ実践できるという考え方です。まず学び、そして行動するというものです。

私は思う

知行合一は、知識は行動と共に学ばないと、わかりません。知識を学んで、「あーでもない…こうでもない…」と考えながら時がズルズル経っていくばかり・・・結果として行動に移さなければ、意味がないということです。

知行合一でいくべきです。

物事を決めていくときに、まず始めると言う事が大切です。その中で軌道修正したり、知識や経験を活かし、行動していくことが、最も成功率が高いと思います。

2018年7月27日 (金)

優しさも限度がある

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世の中には自分よりも他者のことを考えて、その人のために行動する、優しすぎる人がいます。こういう人は義理人情に厚く、言葉遣いや物腰がとても柔らかい人です。

しかし、優しさは人をダメにしたり、自分を犠牲にすることも多く、限度が必要です。優しさを抑えるためにも感情に流されず、本当にそれが相手のためになるのかどうか、を考えることです。

優しすぎる性格を治すには?

① 客観的に考える

 他人に優しくしてしまうのは、どこかでその人のことを「かわいそう」だとか、「放っておけない」という同情の気持ちがあるからです。つまり、感情で動いてしまうから人に優しくしなきゃと思い、その優しさが止まらなくなるのです。

そこで、なるべく第三者的目線、客観的にその状況を見れるようにする…なぜその人は今苦しんでいるのか、本当に今助けてあげるべきなのか、などということを状況を見て判断する…時には、助けるべきではない時や、自業自得の時もあります。

② 人間関係に一定の線を引く

 どうしても、人から嫌われたくないと思うと、なるべく人に優しく接しておいた方が、相手からの印象も良いだろうと考えてしまいます。しかし、すべての人間に好かれるなんてことは決してありません。どんなに優しくしても嫌われるときは嫌われます。

こうしたことを理解して人間関係に深く入り込まずに、適度な距離感を作っておく・・・そうすれば、好かれたいとか人間関係を気にして優しくなりすぎることはありません。また、より客観的な目線で人間関係を把握することもできるようになります。

③ 断る勇気を持つ

 いくら他人を優しくすることが素晴らしいことだとしても、自分も大切にするべきです。自分をないがしろにしてまで他人を助ける必要はありません。逆に自分を助けてくれるのはいったい誰でしょう。それはまずは自分自身です。

もし、誰かが困っていてもそれで自分の身に危険や迷惑がかかると判断したら思い切って断るという勇気を持つべきです。優しくしないという勇気も必要な時があるのです。

④ その優しさが本当に正しいかどうか考える

 優しすぎる人にとって優しさは絶対のものであり、優しくするという行為自体に良さを感じています。しかし、それが本当に相手のためになっているか、どうかということも考えることです。

優しさは正しいことばかりではありません。時には間違った優しさというものもあります。それは、「人をダメにする優しさ」です。なんでもかんでも許して、甘やかし続ければいずれその人は一人で立つことは出来なくなります。

2018年7月26日 (木)

溶けちゃうほどの暑さ

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ミンミンの わが家の庭木に 鳴き始め

風鈴の 音さえ溶ける 暑さかな

連日、溶けちゃうほどに猛烈な暑さです。

むかし親父が、7月25日ごろ、ミンミン蝉が鳴き出すと、「陽気は平年並み」と言っていた事を思い出す。今年も、26日…まぁまぁ平並みかな?でも、この暑さ初めてだ。

それにしても、今年は暑いですね、、、酷暑が続いていて、熱中症で死者が、特にお年寄りが家で亡くなるという。「ためらわず、クーラーかけましょう」とニュースで語りかけています。

道徳教育を考える

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「道徳」とは

ある社会で、人々がそれによって善悪・正邪を判断し、正しく行為するための規範の総体。法律と違い外的強制力としてではなく、個々人の内面的原理として働くものをいい、また宗教と異なって超越者との関係ではなく人間相互の関係を規定するもの。(大辞林)

道徳とは社会の多数の意見で決まります。人間は自発的に自分の性格を選んでいて、生まれつき「善」である人も「悪」である人もいません。

「善良さ」…(正直で性質のよい。実直で素直なこと。)は後天的に身につけるものであり、訓練により獲得すべきものです。

自己中心的だったり、思いやりがなかったりする性格も自分で変えることができるだけでなく…自分の生き方を変えて他人に道を譲ることもできるのだと思います。

でも、そういう変化は一朝一夕にはできません。訓練し続ければ「善良」になることを習得できます。それが道徳教育です。

子供の道徳教育…「教える」より「考える」こと。

他人に対して善良に振る舞うことは習慣のようなものであり、実践を重ねることで完璧に近づけます(とは言え、人間は誰も完璧にはなれませんが)。

また、今後の社会では、グローバル化や価値観の多様化がいっそう進むとみられます。異なる価値観や倫理観をもつ人と共に生きていくためには、『賛同はできないけれど理解はできる』という感覚が必要です。

異なる生き方や価値観に触れることは、時に受け入れがたい違和感を引き起こす場合があります。そのような気持ちの「揺れ」が、理解の幅を広げることにつながるのです。

むしろ、大人が一方的に「異なる価値観の人を受け入れなさい」と教えるのは、自分の中の違和感から目をそむけさせてしまう危険性があります。

今後の「道徳」は、「教える」よりも、気持ちが「揺れる」体験を通して、自分はどう生きたいか考えさせることを大切です。多文化共生社会を生きるためには、様々な価値観に揺さぶられる体験が必要であると思います。

2018年7月25日 (水)

当たり前の毎日なんて

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「当たり前」の毎日なんてない。

ある僧侶は・・・

「ありがとうの反対語は何でしょう?」

◎ 「それはね、当たり前という言葉だよ。」・・・「そして、『当たり前』の毎日なんてない、ありふれた日常こそが奇跡なんだよ。」

「今日が人生最後の一日だと思って生きる」と、言った人がいます。

人生に無駄な時間なんてない。当たり前なことなんてどこにもありません。私たちのありふれた日常こそが特別であり、奇跡そのものです。

まだ見ぬ未来の為に、今を犠牲にするのではない。何かに耐えた先に幸せがあるのではないのです。生きていれば楽しいことばかりではありません。落ち込む日もあれば、つらくて泣きたくなる日だってあるでしょう。

だけどね、どんな一日もすばらしい。よかった日もダメだった日も、等しくかけがえのない一日なのです。だから、今この瞬間を精一杯生きることです。

環境なんて関係ありません。人生を有意義にするのも、つまらなくするのも、あなたしだいです。

「当たり前」ではなく「感謝」を・・・今この瞬間を精一杯生きることです。

◎ ありがとうは、「有難う」・・・

つまり、有ることが難しいという言葉です。あなたに感謝しますという意味だけでなく、私が今ここにいることはどんなに「有ることが難しい」ことであったか、この出会いがどんなに難しいことであったかという、驚き・感動の言葉です。

いろんな場面で、『当たり前じゃないよね、当たり前なんかないんだよね・・・全部ありがとうだよね』と確認しあって生活することが大切です。

他人への思いやり

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「人間愛⇒他人への思いやり」

今の世の中は、誰も他人のことなど思いやらなくなってしまった…その思いやるゆとりさえなくしてしまってしまった…また、他人との関わり合うのが、面倒という人が多いと思います。

親に大学を出させてもらって、一人で暮らしが出来るところまで、必死に働いて育ててきて…子は、一人でも生きて生けると、思ってしまっているのでしょうか?

人が、人間社会で生きるとを理解できない子育ても、問題があると思いますが…親は子の世話をしなくなり、子は、年老いた親の面倒を見なくなってしまっています。

それで足りなくなったところを、教育制度や介護制度、福祉制度に求めるようになってきたのです。国民は、国に要求だけをして、国に尽くす事を忘れてしまっています。

誰の助けもいらぬと言う社会は、社会としての本質的機能、相互互助の精神を失ってしまう。そうなってしまったら社会など不必要なのです。

人と人との関わり合いの中で、社会は形成され、また必要とされる…人と人との関わりそのものを否定し、喪失したら、社会なんて無意味なものになります。

何が、自分達に必要なのか…何に依って立つべきか…少しの前の時代の人々は、もっと単純明快に理解していたと思います・・・助け合って生きてきたのです。

今の時代は、複雑になりすぎて、自分達が依って立つ基盤をも見失っているのです。中央集権化されすぎたために、自分達にとって大切な意思決定が自分達から、かけ離れたところで行われるようになってしまったのです。

政治や経済というのは、本来、自分達の身近な生活の延長線上で捉えるべき事柄なのです。子どもたちの教育も生活に必要な事も、根本は、自分達の郷土をどのような社会にするのかという構想です。

だからこそ、環境も大切にすることができるのです。大切なのは郷土愛です。その上にたって、その土地に生きていく人達、地元で決めていくべき事なのです。つまり、日常生活の一環なのです。

少し前の時代では、私たちの生活は、もっとシンプル、単純で素朴でした。生活に必要な物を自分達の手で作り、助け合って暮らしてきました。現代社会は、そのころの生活に比べて複雑すぎる思いです。

2018年7月24日 (火)

貧乏な人とは・・・

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ホセ・ムヒカ…元ウルガイ大統領の言葉に感銘しました。

貧乏な人とは・・・

「貧乏な人とは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」

「私たちは、発展するために生まれてきているわけではありません。幸せになるためにこの地球にやってきたのです。」

日々生活していく中で傲慢さが出てきてしまっていたんですねーこれからは、もっと謙虚な人間でありたいと心から思いました。

発展は幸福を阻害するものであってはいけないのです。

発展は人類に幸福をもたらすものでなくてはなりません。愛情や人間関係、子供を育てること、友達を持つことです。 

そして必要最低限のものを持つこと・・・ 今ある物の大切さ、日々過ごしていく中で生まれる幸福感が・・・私には見えなくなっていました。 私は、自然保護につながり、真の人間愛の基本と考えます。

ホセ・ムヒカ氏は、2010年3月1日から2015年2月末までウルグアイの第40代大統領を務めあげました。

ウルグアイ…南アメリカ南東部に位置する共和制国家 。首都はモンテビデオ 。北と東にブラジル と、西にアルゼンチンと国境を接しており、南は大西洋に面している。日本の約半分の面積に人口343万人の国。

2018年7月23日 (月)

美しさの原点は自然です

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私は、自然には美しさの原点を感じます。

太陽も、青空も、海も、緑も、星も、動物も、みな自然の恵みです。

すべてのものが意味があって、地球はバランス(調和)がとれいます。

むかしから、花鳥風月という言葉があるように…

自然界のあらゆる生物や風景の中に。。。

美しさの原点が詰まっているように感じます。

大自然を目の前にすると…

人間は、とてもちっぽけに思えてしまいますが。。。

自然界にいる膨大な種類のどんな生命も、人間が取って代わってもつくれません。

でも、私たち人間にできることがあります。

人間として生を受けたからこそ、どのように…

美しく活かすことができるのか?

それに向き合うことが…

自然に対して人間ができる恩返しであるように思います。

命尽きるまで人間の現役

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「老後」とは漢字で「老いの後」と書きます。今、私は老人の真っ最中で、現役の老人です。

関西お笑いの最長老コンビ・漫才師の「いとし・こいし」さんが、こんなやりとりで笑わせていました。

こいしさん…「そろそろ我々も、老後のことを真剣に考えんと、あきまへんな」

いとしさん…「おかしなこと言なはんな、老後とは漢字で老いの後と書きます。今、私は、老人の真っ最中で、現役の老人です。老人の現役ですから、老の後のことを考えるのはまだまだ早い、老人の現役を退いてから、老後のことをぼちぼち考えたらよろしい」。

 …命尽きるまで人間の現役とは、さすがにうまい表現です。

私は、日野原重明さん・・・「ここまでっていう限界はないね、頂上はないね。」。。。印象的に頭に残っています。

「オレみたいなロートルの出番じゃあないなあ」・・・なんていけません、死ぬまで現役ですよ。。。

ロートル…という言葉が懐かしい。

ロートル(老頭児)とは…年寄り・老人という意味の中国語です。日本では、昭和30年代頃まで会話で俗語・隠語としてよく使われていて…

谷戸の寄り合いなどで・・・親父さん達が、よく使っていたので覚えています。「年寄り」「じいさんばあさん」を意味する遠まわしな表現・・・年長者が「オレみたいなロートルの出番じゃあないなあ」・・・と。

2018年7月22日 (日)

暑いですねー

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あいさつが 暑いですねの 今年夏

熱中症 厳重注意の 猛暑かな

この暑さ 不要不急の 禁外出

危険なり 命に差し障る 酷暑かな

お年寄り 過信は禁物 この暑さ

  • ① 各地で猛烈な暑さが続き、熱中症に厳重な警戒が必要です。
  • ② のどが渇いていなくてもこまめに水分補給をしましょう。
  • ③ 夜間や室内でも暑さを避け、エアコンや扇風機を使いましょう。
  • 人間の生きる原点に戻って考える

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    ――「諸行無常」――

    世の中のあらゆるものは一定ではなく、絶えず変化し続けているという真理です。世の中の物事は常に変化を繰り返し、同じ状態のものは何一つありません。

    発達している、文明社会で生きている…私たちの生活・価値観――「人間の生きる原点に、戻って考える」――時代に来ていると思います。

    山登りに、たとえれ見れば、下山することの大切さを「下山の思想」作家五木寛之氏が書いています・・・

    永遠に続く登山というものはなく、私たちの時代はすでに下山に差し掛かっていると言うことです。この下山こそが登山の最も大事な局面であると・・・下山という言葉はマイナスイメージがあるが、下山の途中に発見する事も沢山あるのです。

    下山こそ実は本当の、収穫の季節だ(ハーベストタイム)だという。これから先の日本は、ある意味楽しみで――「下山は新たな山頂に登る前のプロセス」でもあります。

    さらに下山の時期は人の一生にも訪れるという。40歳を境目に肉体的、体力的にどんどん落ちていく……

    下山は最短処理をまっすぐに降りていけばいいのものじゃない。人生の下山は回り道をしながら安全に優雅に生きていくことが大切。。。

    登頂したあとは、麓を目指して下山するものです。永遠に続く登山というものはないのです。この下山こそが本当は登山のもっとも大事な局面であるのです。

    無事に下山してこそ、その登山は成功と言えます。これまで登山のオマケのように考えられていた下山のプロセスを、むしろ山に登る事のクライマックスとして、見直してみたいものです。

    幸せは他人と比較するものはない

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    「生きてるだけで幸せって、思える時が一番幸せ」…斉藤一人

    大事なことは・・・

    「幸せは自分自身で感じるもので、他人の幸せと自分の幸せを、比較してはいけないことです。」……

    幸せとは別に競争するものではないのです。

     当たり前の話かもしれないが、これが意外と難しいのです。

    ここで、自分の幸せに焦点を当てることができれば、幸せについて悩むことは少なくなるでしょう。

    なぜなら、そうすることで、自分の幸せにたくさん気ずくからです。

    そのような幸せを感じることが増えると・・・

    心が暖かくなってきて、また幸せな気持ちになります。

     一回しかない人生・・・

    どうせ生きるなら、幸せをいっぱい感じる方が良いです。

    もう一度いいます。「人と比べてはいけないけません。」「自分は自分です。」「人は人です。」

    2018年7月21日 (土)

    暑さ「厳重警戒」のニュース

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    危険な暑さで・・・「厳重警戒」・・・NHK呼びかけ

    昨日「各地で38度超 命に関わる危険な暑さ 熱中症に厳重警戒を・・・」の臨時テレビ・ラジオニュース(テレビにテロップ)が何度も流れました。高齢者の在宅での熱中症で、亡くなる方が相継いでいます。

    「私は大丈夫」と過信は禁物です。エアコンを点けることを呼びかけています。

    17日午前、愛知県豊田市で小学校の校外学習に参加した1年生の男子児童が学校に戻ったあと意識を失い、熱中症で死亡しました。

    先の西日本豪雨で、家の片付けなどのボランティアに参加されている方などは、水分補給・適度の休憩など、気象庁は呼びかけています。

    高校野球の予選が行われています、選手は勿論、スタンドで応援する高校生も、熱中症に厳重に注意だ。気象庁では当分続くとの予報です。

    「命に関わる真実の報道」に耳を傾けることは大事です。私はさきの戦争(第二次世界戦争)時のラジオニュースを思い出しました。

    大本営発表「警戒警報」・「空襲警報」・・・艦載機のグラマン機が襲来…B-29の連隊が、富士山をめがけ侵入…、日本空軍が迎撃。。。連想してしまいました。

    2018年7月20日 (金)

    今年の夏は・・・

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    蝉しぐれ なお一層の 暑さかな

    キリギリス 暑さに負けず 鳴き競う

    百日紅 老いて知る この強さ

    例年ですと7/21頃が、梅雨明けですが、今年は梅雨明けは、6/8ごろでした。そして暑い日が続きます。また、関西豪雨…があり今年の夏は、日本列島異様な感じさえします。熱中症に気をつけましょう。お年寄りは特に・・・家の中で多いという。

    熱中症?国道16号に救急車のサイレン音(一日3回?)多いように思えます。わが家の百日紅は、俄然頑張って咲いています。

    安心して住める環境を取り戻す

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    宇宙の星の太陽系一つ私たち人間が住む星…地球…

    私たち人間以外にもたくさんの生き物が存在しています。 ですが人間の身勝手な行動により、地球の環境問題で、年々不安が増してきています。

    地球温暖化や、酸性雨、これも全て森林伐採や空気汚染など人間たちのもたらした環境破壊なのです。 そして、日本の気候に大きな影響を及ぼす、南米沖に発生するエルニーニョ・ラニーニョ現象は、地球温暖化が原因と言われています。

    知らず、知らず?の地球破壊…で、自分たち以外にも生き物は生きている、自然を大切にしなければならない。気が付いて気付ては、遅いのです。私たちは、今一度自分の行動を見つめ直してみるべきです。

    東京の昔の姿・江戸は18世紀初めには100万人以上が暮らす大都市でありながら、衛生状態がよく清潔な街でした。水路にゴミを捨てないよう町ごとに「ごみため」を設置し1655年にはゴミ処分場も作られています。

    そして物をすぐに捨てずに、着物ならおしめや雑巾に、割れた焼き物は修理してまた使い、金属は包丁から釘に至るまで回収し、かまどの灰や生ゴミは肥料に…と見事に再利用するシステムができていました。この姿を現在の都市も見習うべきでしょう。

    70年前の、私の記憶で…私の生まれ育った村は、山(富士谷戸山)には、うさぎや・きつねがいました。川(兵衛川・湯殿川)には、多くの魚(ナマズ・ウナギ・フナ・カジカ・ギバチ・ドジョウなど)がいました。

    私は思います、こう言った多くの生き物を犠牲にして来たのです。持続可能の環境を取り戻すことが、現代人課せられた使命と考えます。

    自己中の人が増えたこと

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    慈悲とは

    一般的には優しさや情けをかける意味で使われますが、自分をかえりみず他者に思いやりを持ち、手を差し伸べる人の事を、慈悲深いというのではないでしょうか・・・

    人の苦しみを我が事のように感じ、人の喜びを我が事のように受け止められる、そんな人が沢山あつまった社会ができれば、皆が幸せになれると思います。

    また、自分の事だけに捉われず、誰かに何かをしてあげたい、手を差し伸べてあげたいと常に考え、行動している人は、心も体も知らずと元気になるものです。身の回りに困っている人がいたら、手を差し伸べられる勇気を誰もが持ちたいものです。

    自己中の人が増えたこと

    心に余裕がない人?日本の戦時下の体制は神がかり体制であり、隣組を始めとする相互監視下・密告奨励といった「自分の権利」を主張できるような状況ではなかった事は明らかです。

    それから七十三年・・・今の時代、自分や自分の大事な者(モノ)以外に、目を向ける余裕が非常に少ないからだと思います。周囲に気を配るには自分が、まず満足出来ないと多くは無理です。

    心に余裕がある人、ない人

    「心にゆとりがある人」のことを言います。いくら忙しい環境下に置かれても、ゆとりをもって落ち着いた行動をすることができます。焦って行動することがないので、失敗をすることが少なく、周りから頼られる存在になります。

    あそして、「心に余裕がない人」は、倫理観が欠如していて、社会的な常識などの認識が低い。人に対する気疲れもしないし、批判されても意味がわからないし、人と比べることさえしないのではないでしょうか。

    2018年7月19日 (木)

    老化現象を考える

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    「よりよく生きる」

    私たちの脳の細胞は毎日死んでいく、けっして増えることはない・・・と言われています。しかし、脳の細胞も刺激すれば増えるとも言われています。

    身体を動かし、楽しい趣味をもち、本を読んだり、絵を描いたり、音楽に親しんだりすることで何歳になっても脳細胞を活性化出来るとのことです。これが…よりよく生きる…ということなのです。

    人間の体の中で再生しないどころか毎日減っていく細胞があるという。それは脳細胞だ。15億の脳細胞は毎日毎日減っていく…。1日平均10万個が減っていく…。多く減る人は15万個、少ない人で8万5千個と言われています。

    呆けないで生きる

    社会に貢献する・・・ということがよりよい生き方と、私は思っています。本を読むのは知識を増やすためだけではない、脳を活性化し、脳細胞の減少を遅らせることになるのです。それがボケを防ぎ、いきいきと生きさせるのです。

    老いは病気ではない

    老化とは、生物学的にいえば、時間の経過と共に生物の個体に起こる変化のことであり、生物が死に至るまでの間に起こる機能低下の過程をいいます。

    生⇒老⇒死は自然の摂理

    人は生まれてから亡くなるまで、常に何かしらの変化が起きています。ある時までは「成長」と呼ばれますが、人として成人し、成熟期を迎えると、そこから先は「老化」と呼ばれるようになります。もちろん、これは誰にでも起こる変化ですが、そのスピードには個人差があります。

    「老化」とは一般的に、成熟期以降に起こる生理機能の衰退を意味し、遺伝的な要因や外界からのストレスに対し、適応力が低下することで起こる変化と考えられます。

    老化現象には「からだの老化」「こころの老化」「いのちの老化」と3種類の老化があるということです。この三つの老化を理解し、心豊かに生きたいと思います。

    2018年7月18日 (水)

    人間の寿命で思う

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    0歳、90歳まで生きられて当然と思ってる人がいますが…

    ・・・“元気でいいね”・・・

    とはとても単純には言い切れません。年を重ねて、「歳には勝てない」辛さを感じることあるのです。身体的機能・記憶力は言うに及ばず、人にはなかなか言えないけど…複数の専門医に診て貰い、複数の薬を朝・昼・夕に飲み、健康を保つ努力が必要になってきます。

    年寄りの生き方に「怒るな、転ぶな、風邪引くな」がありますが…まったくその通り、そして無理は利かなくなります。自分では気がつかないが・・・「よぼよぼのボケ老人?」

    ちまたでは、いわゆる「平均寿命」なる数字が幅を利かし、あたかも当然?80歳までは生きられるかのように考える人も多いようですが、私は誰からもそんな保証書はもらっていません。私だけでなく、誰一人としてそんな保証はしてもらっていないはずです。

    「老少不定」

    確かに、100歳まで生きる人は年々増えているのかも知れません。しかし、平均寿命に至らずに終わる命もたくさんあります。

    病気が縁で終わる若い命もあれば、不慮の事故が縁で終わる幼い命もあります。命の事実は「老少不定」。老いた者から順番にいのちが終わるのではないのです。

    そう言うと、「そんなこと言われなくても分かっているさ」と言われるかも知れません。しかし、頭では分かっているつもりでも、私たちの心と体はなかなか理解しようとはしません。

    だから、大切な人を失った時には、私たちは平静を保つことができず、深い痛みと悲しみに襲われることもあるのです。

    「当たり前」の毎日なんてない

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    「当たり前」の毎日なんてない。ありふれた日常こそが奇跡なのです。

    私たちは今ある暮らしがずっと続くものだと錯覚し、ただ漠然と日々を過ごしてしまっています。当たり前に毎日を過ごしています。

    しかし、東日本大震災・今回の西日本豪雨のように、想像を絶する被害に、誰が予測していたでしょうか?

    当たり前の毎日なんて・・・

    当たり前なんてどこにもないのです。これからがどうなるかは誰にもかわかりません。今日があるから明日もあるとはかぎらないのです。命の危険は想像しないことで起きることもあります。

    「ああすればよかった」・「どうしてもっと大切にしなかった」後悔しても今日という日は二度と戻らないのです。私たちは失ってみるまで、そのありがたみに気がつかないのです。

    「当たり前」ではなく「感謝」

    当たり前の反対は⇒感謝することです。探そうと思えば不満なんていくらでも出てきます。足りないものを数えれば切りがありません。今あるものに、目を向ければ感謝の気持ちを表すことです。

    「いつもありがとう」と、心から、身近な人やお世話になっている人に伝えてみましょう。多くの人に支えられて、たくさんの人に助けられて私たちをは生きています。そのことに気がつけば、毎日が価値あるものに変わります。

    「当たり前」ではなく「感謝」の心を忘れないすることです。ときには理不尽なことなこともあるけれど。。。生きていれば、つらいことや悲しいことだって起こるけど。。。それでも人生は素晴らしく思えてきます。

    2018年7月17日 (火)

    心のふるさと

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    私は「心の故郷」という言葉には、強く心が惹かれるものがあり懐かしく思います。

    心の故郷がある人は、そこに帰ると緊張緩和、不安減退がもたらされ、生命力が補強されるといわれています。心の故郷を思う時、私は純粋な心になります。純粋な心とは、あるがままの心⇒子供の心のことです。

    私は、生まれも育ちも、今住んでいる町です。

    故郷…これが歳を経ていくごとに次第に純粋さが日常の生活の小さな出来事によって曇っていきます。曇ってしまえば、自分の純粋性も分からなくなります。魂が何を望んでいたかもわからなくなります。

    三つ子の魂百までという諺があります。私の解釈では、魂や心が望んでいることは誰にも変えようがない。つまりは普遍的に魂や心はこの世で何をしたいかを持っているという意味です。

    天命を与えられて生まれてきた存在は、そのまま死ぬまで天命がなくなることがないということです。しかし実際は、その天命をやらせてもらえず教育によってやってはいけないことばかりを仕付けられてはそのものであることが否定されたりもします。

    心のふるさとは、子供のころの風景の中で安心・一切わだかまりのない、落ち着くところですが、人間の勝手な欲望で、自然破壊が進み、自然との共存でしか生きられない、ことまで忘れるさまは、心の故郷もかき消されそうです。

    未来に繋ぐ担いて、子ども達が安心して生きていけるというのは、心の中に懐かしいふるさと…心の故郷を持つことです。その心は、父母の無償の愛を持っているということです。その無償の愛とは、言い換えれば自然慈愛の魂とも言えます。

    2018年7月16日 (月)

    日々新たなり

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    苟日新、日日新、又日新」…

    (まことに日に新たに、日々に新たに、また日に新たなり)

    「新」の文字が反復されてでています。この言葉は、土光敏夫さんが経団連の会長になった頃”好きな言葉”として紹介されたことでも知られています。

    自然界のすべてのものは、今日の姿(状況)は、昨日と同じではありません。

    きれいな花を見ていて…素晴らしさは、感動させられます。しかし、花の命は短い、美しい花であればあるほど、人は短く感じられるのです。植物の花は、美しく咲くことに意味あるのです。究極的には、子孫を繁栄です。

    私は、自然界は、自然法則があって、いつまでも、美しい花を咲かせていては、いけないのです。新たな命を生み出すために、日々新たに替わることが自然の法則と考えています。

    世は無常です。過ぎ去ったことを悔やむのでなく、日々新たな命をみつめて、その日をスタートさせる…大昔からの知恵は脳内神経の面から見ても間違いなく有効に違いありません。

    人生は決して、あらかじめ定められた→すなわち、ちゃんとできあがった一冊の本ではありません。 各人がそこへ一字一字書いていく白紙の本なのです。 生きていくそのことがすなわち人生なのです。

    2018年7月15日 (日)

    心の時代

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    日本人が持ち合わせている心として…

    向学心。熱心。まじめ。公徳心。勤勉。仕事を大切にする。嘘をつかない。などがあります。

    日本人の心の大切さ⇒今、「心の時代」とも言われています。

    日本人の心とは

    例えば…

    ○ お米一粒でも無駄にしないようにという心。

    ○ 今まで助けてお世話になったから、その御恩を忘れずに粗末にしない。

    など、日本人の元来持っている大切な感性⇒「尊敬」・御蔭さま、感謝の念が入ってその言葉が素晴らしい響きを持ちます。

    今、この素晴らしい日本語が消失してきています。

    日本人が日本語が分からないというのは、日本人が日本人の心が分からなくなっているということです。日本人の心を失った人たちが増えれば、それまでにあった日本人が使っていた古来からの素晴らしい言葉もまた同時に失われます。

    日本人の心が美しい日本語を生みだし、その美しい日本語が使える日本人が美しい心を持ったまま暮らしていたのです。それが失われてきている今だからこそ、あえて古来からの日本の言葉にこだわる必要あると言うことです。

    「信じきる」とは日本人の心が入っている言葉です。この言葉が世界共通になるとき、世界は今よりも、もっと子ども達が創り出す未来に安心できるようになると思います。

    八十歳からの生き方

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    人生八十歳にして思う。

    孔子の論語 「七十にして心の欲する所に従って矩を踰えず」(七十歳になったら自分の心のままに行動しても人道を踏み外す事が無くなった)があります。孔子は七十四歳でなくなっていますから、その先は?

    なるべく人様に迷惑かけないようにしたいと願っていますが?

    もちろん、病気や怪我は好き好んでするものではないので病気=迷惑ではありませんが、自分のことは自分でできる程度にいつまでも健康で自立していたいと考えていますが・・・

    八十歳からどう生きるか?

    残された時間をどのように使うかは、人それぞれですが、本人の時間の使い方、自己満足が行く使い方を見つけられるかどうかです。

    私は、長生きをさせてくれた社会に感謝する意味で、この世を旅立前まで自分にできる社会貢献に自分の時間を還元すべきだと思っています。

    人生の目的?・・・『超高齢化の時代「あなたはどう生きますか」』

    映画プロデューサーのアダム・レイプツィ氏が提唱する五つの質問?

    ① あなたは誰ですか?
    ② 何をしますか?
    ③ 誰のためにそれをするのですか?
    ④ 相手は何を欲していて、何を必要としていますか?
    ⑤ 結果としてどう変わりましたか?

    私はこの質問に答えを復唱しながら、また、日々感謝しながら、人生をまっとうしたいと考えています。

    2018年7月14日 (土)

    社会的責任意識を持つ

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    社会的責任意識を持ち、人生「充実感」を持って暮らす。

    社会的責任・・・市民としての組織や個人は、社会において望ましい組織や個人として行動すべきであるという考え方による責任です。(ウイキペディア)

    誰もがやりがいや充実感を感じながら働き、仕事上の責任を果たす一方で、子育て・介護の時間や、家庭、地域、自己啓発等にかかる個人の時間を持てる、健康で豊かな生活ができることを心がけることです。

    仕事と生活の調和

    仕事と生活の双方の調和の実現を希求していかなければならないと思います。つまり、「仕事・家庭・地域」にバランスよく調和が取れたことで、「真の幸せ感」得られるのです。

    そのような社会の実現に向けて、国民一人ひとりが積極的に取り組み、仕事と生活の調和の必要性、目指すべき社会の姿を示し、新たな決意の下、官民一体となって取り組んでいくことが大事なことと考えます。

    仕事は、暮らしを支え、生きがいや喜びをもたらす。同時に、家事・育児、近隣との付き合いなどの生活も暮らしには欠かすことはできないものです。その充実があってこそ、人生の生きがい、喜びは倍増するものです。

    しかし、現実の社会は

    ① 安定した仕事に就けず、経済的に自立することができない、

    ② 仕事に追われ、心身の疲労から健康を害しかねない、

    ③ 仕事と子育てや老親の介護との両立に悩む、

    など仕事と生活の間で問題を抱える人が多い。そして仕事・家庭・地域など思うように動けない、考えられないで、心に余裕をもてない、社会になって行くことが懸念されます。

    考えるより感じること

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    「考える」ことよりも「感じる」ことが大事です。

    情報が溢れている時代です。生きていく上で、その情報をどう捉え、どう自分に生かしていくか、判断することが多くなってきています。答えを見つけるためには「考えること」です。 きちんと考えることで、正しい答えを見つけやすくなります。

    問題を解くのも、考えるのが基本

    解決策を見いだすのも、考えるのが基本です。論理を組み立てて考えることで、思考を積み上げていけます。感情に流されず、理論的な思考をすることで、正しい答えを導き出せます。しかし・・・

    何でも、よく考えれば良いものではない

    深く考えても、結論が出ないこともあります。損得勘定が働き、見栄や世間体を考え…さまざまな欲に惑わされます。そして、さまざまな邪念や雑念が浮かんで、余計な情報に振り回されます。収拾がつかなくなり、決断を下せなくなることがあるのです。「考えているから分からない」ということがあるのです。

    「心で感じること」が大切

    自分の心に集中して、自分の感じ方に・・・

    ○ どんな気持ちになったか…

    ○ どんな印象を受けたか…

    ○ どんな感じ方をしたか…

    AI(人工知能)は心が読めない、答えをださない。

    近年、何かと話題の人工知能。その有能さ故に、「人の仕事を奪うのでは」とまで囁かれています。でも、心で感じることは、AI・ロボットやコンピューターにはできないです。

    心で感じる作業は、頭で考える作業以上に高度です。心で感じたことを大切にすると、直感も生かしやすくなります。顕在意識だけでなく、潜在意識の力も活用できるようになるため、物事の本質をとらえやすくなります。そして、より正しい方向性が見えてくると思います。

    2018年7月13日 (金)

    モク拾いとゴミ拾い

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    私は知っていますが、戦後間もないころ、「モク拾い」を生業(なりわい)としていた人がいました。「モク拾い」と聞いても多分殆どの人が知らないと思います。

    街中(まちなか)でタバコの吸い殻を拾う仕事のことです。

    竹の棒の先に針を付けてそれを吸い殻に刺して拾って、集めたものをほごして、一本を再生(タバコの長さにする機)のようなものでした。

    生きる手段(もしかしたら家族を養うため)として必死に働いていたこと自体は尊いものです。

    私は、私の住むまちで、ゴミとしてタバコの吸い殻を拾っているじじいです。むかしを思うと不思議?複雑?考えさせられる・・・隔世の思い?です。

    物が豊富だけでは幸せになりません。心が豊かであること、自然を慈しむ心を持ってこそ、幸せ感は味わえると・・・今思うのです。

    童謡「ふるさと」のが意味分からない?

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    私が子供のころ、有名な童謡「ふるさと」の歌詞にあります。

    野うさぎ狩りで、うさぎを追いかけた、故郷のあの山・・・晩御飯の“おかず”にする鮒を釣りに出かけた、故郷のあの川・・・今では夢で見るしかできません。

    自然破壊?開発?・・・確かに生活の質は向上しました。私は、忘れる事のできない故郷の景色あります。

    二つの自然破壊・・・

    一つは自然事態が起こす自然破壊。もう一つは人類(人間)が起こす自然破壊です。

    東日本大震災・今大変なことになっている「平成30年7月豪雨」など、自然が起こすものの一部は 火山の噴火、大風、地震…まだまだ、これ以外にも沢山あります。

    人類が行う自然破壊・・・

    これは人が生活を豊かにする為に行うものです。家を建てる為に樹木を伐採し、町を作る為に土地を整地したり海や湖を埋め立て、生活するのに必要な物を作る時材料を取ってきます。

    自然破壊が起こっても自然の力でなおす力を地球は持っていますが、人が起こしている自然破壊の大きさは、地球自身が持っている…復元力の何倍もの破壊をしていることが多すぎるのです。

    そのことが問題なのです。防ぐ方法は自然と資源を大切にする事、人間が使っているもの、全てが完全なリサイクルできる様にする事だと思います。

    でも、現在では完全なリサイクルを行うことは出来ていません。技術と科学と人の考え方、行動が進歩しなければできないでしょう。

    人間は自然と共存

    子供のころ、山で木に上り、うさぎを追いかけまわり、川で泳いで、魚を捕まえていたのですが、今では山はなくなり、川は汚れて「どじょう・ふな」いません。泳ぐことも出来ません。そして、私たちの町には、田んぼは完全になくなり、畑は少なくなりました。

    また、環境意識を持たない人が多くなり、自分の住む地域でさえ、汚しています。「人は自然と共存」・・・でしか生きられません。これでは将来…不安です。

    人間は感情の動物です。嬉しいときに笑顔。悲しいときに涙します叙情歌「ふるさと」が分からない人たち・・・かわいそうでなりません。

    2018年7月12日 (木)

    健康寿命と平均寿命

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    健康寿命とは、人が心身ともに健康で自立して活動し生活できる期間。2016年平均寿命は男性80.98歳、女性87.14歳。健康寿命は、男性72.14歳、女性74.79歳。(厚労省18年3月発表)

    平均寿命ー健康寿命=男性8.84歳。女性12.35歳。(何らかの介護受けた年数)

    「ピンピンコロリ」で逝く

    誰しも寝たきりで長生きはしたくはないと思います。 「ピンピンコロリ」とは、健康寿命の長さを言い表した表現で、病気に苦しむことなく、元気に長生きし、最後は寝付かずにコロリと死ぬことです。

    健康寿命を延ばす努力を

    ○ 適度な運動 ⇒ 毎日1時間の散歩

    生活習慣病の予防には男性で9,000歩、女性で8,000歩が目安といわれています。平均的な歩数から考えると、足りないのはあと1,000歩、時間にして10分です。

    ○ 適切な食生活 ⇒ 1日プラス70gの野菜を食べる

    生活習慣病予防の観点からは1日350gの野菜摂取が推奨されています。日本人は280gの野菜を食べているといわれているので、推奨量にはあと70gです。トマトなら半分、野菜炒めなら半皿分です。また、朝食を欠食せずに摂ることも大切です。

    ○ ストレスを溜めない

    ストレスは、心や体に継続的に掛かってくる負担のことです。社会に生きている以上、全くストレスと無縁と言うわけにはいきません。ストレスと上手に付き合うことです。

    ○ 何事も余裕をもつこと

    人は望んで始めることはあっても、あまりやる事が多すぎると、確実にストレスになります。まずは、自分の生活と精神にゆとりがあるか、確認することです。

    ○ 多くの人とコミニュケーションを取る

    近所の人…散歩しながら…趣味などを通して…多くの人と関わりを持つことです。

    環境は地域住民のみんなで・・・

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    悪環境に慣れるって怖い

    私はゴミ拾いをして、気が付いたのですが、河川管理通路に不法投棄の家庭ゴミ・歩道に自動車の壊れた部品などがあり、近所の方に聞いてみますと、4・5日前から捨ててあったと言っていました。

    いつまでも、放置していたら、どうなるか?

    犯人?は、通りかかりの人間かもしれない・・・そのままでは、環境に良くありません。近くの人は、毎日嫌な光景を見たくないことでしょうが、片付けることもしない。風や野鳥に拡散され片付けが大変になります。

    誰かが片付ける?

    八王子市で…とでも思っている人もいるでしょうが、あまり関心がない人がいる?つまり、環境意識があまり意識していないのです。近くに公共施設・営業事業所などがある場所です。また、多くの人が通る場所です。

    八王子ゴミ相談センターにお願いし処分しました。

    一体どうなっている環境意識は?と思いたくなります。ゴミが落ちていようが 自分の家でなければ気にしない・・・悪環境になんとも思わない人に驚きです。

    最近コンビニ店では、ゴミ箱を外でなく、店内に設置しています。家庭ゴミを持ち込むからです。モラル・マナーの悪さかでしょうが、コンビニ店の従業員も、店の周辺の掃除を徹底していただきたいと思います。

    2018年7月11日 (水)

    モラル・マナーの悪さ

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    モラル・マナーの悪さななぜでしょう?

    一番多いと思うのは、「他人の迷惑になる」なんてあまり考えない、「自分さえ良ければ・・・面倒なことはなるべくしたくない」という考えの人だと思います。

    ● 忙しいから・・・

    ● 人が見ていないから・・・

    ● タバコの吸い殻一本ぐらい・・・

    ● 誰かが先にしているから・・・

    ○ と思っているのでしょう。

    見ていて一番、イヤだと思えるのが、たばこのポイ捨てです。ゴミ拾いをしている私の前に捨てて行く輩がます。「この吸い殻もお願いします」と言うつもりなのでしょうか?

    「貴様、誰のために掃除すると思ってんだ」と言いたくなります。

    たばこに限らずゴミのポイ捨てをみると、当事者の耳をつまんで、ゴミの目の前まで引っ張ってきて、「ゴミを掃除する人の身になって見ろ!って・・・」言いたくなります。

    でも、それが現実に出来ない自分も、情けないと思います。

    マナーを守らなければ集団の保持する安全性自体が崩壊してしまいます。そうなると、社会の構成員全員が社会の恩恵を受けることができなくなります。私は、ことによっては法律でしっかり規制することも必要と考えています。

    価値観の違いと多文化共生

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    人生の価値観は人それぞれ違っていて常に変化し続けています。

    人の価値観は、本当に個人個人違っていて、自分の価値観が普通で正義だと信じて、疑わない人が多いことです。

    価値観は、十人十色です。

    本人が幸せを感じて、人生を心豊かに暮しているなら、それが一番良いのだと思います。でも、自分の価値観こそが普通で常識的で正義だと主張して、優劣をつけたがる人がいるから、話がややこしくなるのです。

    違う価値観を認めず、非難をはじめるから、面倒だ。。。お互い罵倒し合ったところで正解はないのだし、妥協点もないのは分かっている。分かっているのに、それを永延と続けている。

    また、社会がそうだから、周りがそうだから、本で読んだから、テレビでやっていたから・・・自分で考えたり、感じたことがなく、回りに流された価値観?で、気が付かない人もいます。

    これからの社会は国際化・グローバル化は進みます。

    地域で暮らす外国人・・・文化や生活習慣などが違う人と、隣りあわせになることもあり得る時代になってきています。

    異なる文化を持つ人々が、互いの文化的違いや価値を受け入れ、尊重し、新たな関係性を創造することを目指す「多文化共生」の考え方が、重要な意味を持つようになりました。

    でも、私たちは自分の持つ文化を、普段はそれほど意識していません。

    例えば、海外で食事の前にお祈りをするクリスチャンを目にしたとき、私たちは、自分たちが食事の前に「いただきます」と言葉を発しながら手を合わせる習慣を持っていることに気がつきます。

    異なる文化が交差するとき、初めて私たちは自国の文化を意識させられ、同時に、異なる文化に対して違和感を感じることもあるでしょう。

    しかしこうしたとき、それぞれの文化に優劣をつけるのではなく、違いを理解して受け入れることが多文化共生につながります。

    外国人も地域の一員として、家族ぐるみの交流や地域活動に参画し、日常生活に不便なく暮らせる町づくりも、考えていかねばなりません。そして、平和な社会を実感しながら、平和を大切に思う気持ちが広く共有されることが大切と考えます。

    2018年7月10日 (火)

    感謝の心持つこと

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    生きていられることに感謝すること

    人は自分一人では生きていけません。家族や社会の人たち、自分を取り巻くあらゆるものに支えられて生きているのです。私たちは多くの人に助けられ、沢山のものに生かされています。

    困ったときはお互い様

    人はひとりでは生きられない弱い生き物です。だからこそ、助け合い寄り添いながら生きてきました。大切なのは感謝の心を失わないことです。「ありがとう」という気持ちを忘れないことです。

    災難・不幸続きでは、感謝することはできないと思いますが、それでも生きていることに対して感謝することが大切です。感謝の心が生まれてくれば、自然と幸せが感じられるようになってきます。

    生かされていることに感謝し、幸せを感じる心によって、人生を豊かで潤いのあるものに変えていくことができるのです。いたずらに不平不満を持って生きるのではなく・・・

    今あることに素直に感謝

    その感謝の心を「ありがとう」という言葉や笑顔で周囲の人たちに伝える。そのことが、自分だけでなく、周りの人たちの心も和ませ、幸せな気持ちにしてくれるのです。

    精神的豊かさとは

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    物質的豊かさ+心の豊かさ=精神的豊かさ

    この命題はこれまでも多くの人に語られてきました。その人の価値観によって大きくは2 極に分かれる問題です。それは、「物質的豊かさ」と「心の豊かさ」です。

    「物質的豊かさ」は、戦後の日本は、物資の乏しく、貧しい生活から、多くの人が逃れたいと求めてきた「豊かさ」です。

    人間だけが追求する欲求といえるでしょう。今、私たちは「物質的豊かさ」を得た裏側で、その負の遺産として、地球温暖化を始め、人類の生存にも関わる様々な環境問題に直面しています。

    このことは大変大きな問題として、すべての人が考えなければならない問 題です。ある国では、わずかなお金で一本の井戸を掘り、水を与えられることで、大きな喜びと幸せを感じることができる人々がおられます。

    「物質的豊かさ」は状況によって、わずかなことで幸せを感じることができますが、限りない質と量への欲求につながっていきます。また、豊かさとは、お金さえあれば、何でもできると思う人もいるでしょう。

    決して経済的に豊かでなくとも、家族が健康で、楽しく思える生活が送れることに幸せを感じる人も多いと思います。心の幸せを感じる人は、同時に心に「豊かさ」を感じて生活していると思います。これが「精神的豊かさ」です。

    真の「豊かさ」とは、これという定義があるわけではなく、ひとり一人の価値観や心の持ち方にあります。言い換えれば自分で満足できる「形」を見つけ、実践できるところに真の「豊かさ」を感じることができるのです。

    「豊かさ」は他人に強制はできないし、同時に自分の「豊かさ」を他人に押しつけることもできないのです。

    ここで注意すべきは、自分の「豊かさ」を享受するために他人に迷惑をかけてはいけないことです。また「豊かさ」はひとり一人異なるとはいえ、人間共通に必要な最低限の「豊かさ」があることを忘れてはならないことです。

    また、文化国家として、国家が守らなければならないこともあるということです。

    2018年7月 9日 (月)

    迷いの人生

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    生き方80歳を過ぎても迷いがあります。

    たったひとつ選択

    正しい選択と決断をするための、たったひとつの方法・・・人の悩みで多いのが、「どう生きるべきか」という人間の“根源”に関わる悩みです。自分は何のために、何を模範にしてどう生きていったら良いものか・・・その選択は?

    老子の言葉

    そんな取るに足らない存在である人間があれこれ悩んでみても、この自然界は変えられないし、びくともしない。だからこそ、その偉大なる存在=自然を見よと。。。自然を手本にしてあるがままに生きよと、老子は教えています。

    諸行無常

    この世の全てのモノは変化・・・変化するモノを維持しようとするから、苦しみが生じるのです。つまり、若さを維持しよう・・・世間の評価を維持しよう・・・プライドを維持しよう・・・と考えるから、苦・ストレスが発生し、その苦悩はつきないのです。

    七十にして矩(のり)を踰(こ)えず

    論語に、70を越えて則を越えずとあります。今まで人様に迷惑をかけたりせずに生きてこられたら、これからも、意の趣くまま生きても、同じ生き方が出来ます。もう思考や性格は作り込まれています。

    だから、大それたこと考えず、人の道の沿って生きることだと考えます。そして、新しい自分に進化するために、毎日「新しい挑戦」をすることだと思います。

    2018年7月 8日 (日)

    協調性と思いやり

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    最近、自己中心的な人が多くなったように思います。

    不透明な時代「協調性・思いやり」が大切と言われています。 

    「協調性」・・・他の人と物事をうまくやってゆける傾向や性質(大辞林)

    協調性の高さ、というのは実は、良い面ばかりではないと思います。

    周りに流されやすかったり、自分を必要以上によく見せようとして周りに合わせてしまうといった傾向の裏返しでもあるのです。また、自分が損をしたくない・・・「自分本位」で「ずるい」・・・考え方もあるのです。

    だからこそ、しっかり言うべき場面で大人としての言動もできなくなるのです。自分さえ良ければそれでいいって…いうことになるからです。

    言いたいことやイヤなことは、ハッキリ言う、というだけではダメです。

    自分にとってはそうなのかも知れないけれど、「じゃあほかの人にとってはどうなの?」という視点が抜け落ちていますから・・・大人としての言動っていうのは、他人の立場を推し量れることを言うのです。

    「思いやり」というのは・・・

    何も、優しく他人に接すること・みんなに合わせてあげることではなく、正しいと思われる方向に導いてあげることも含まれます。

    大人としての言動ができないと、そういった「導き」の行動にも欠けてしまうので、結果的に、思いやりに欠けてしまうことにもなるわけです。

    要は、自分を他人に置き換えて考えることもできていない…自分を客観視できていない、ということにもなります。自分がされたらイヤなことは他人にとってもそうなのだ…という考え方ができない人ということにもなります。

    ですから・・・

    自分がされたときに心地よく思えることを、実際に、他人に対しての行動として実行して行く…そうすれば、必ず変わってゆくと思います。変われるものなんですから、あとは意識してやってみるだけです。決して悲観的になることはないと思います。

    2018年7月 7日 (土)

    豪雨お見舞い

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    「七夕に 鎮めて欲しい 荒れる空」

    大雨で被害に遭った地域の人達、お見舞い申し上げます。

    今日は・・・七夕

    七夕のお願いごと・・・これ以上大雨が降らないように祈るばかりです。

     非常に激しい雨が断続的に明日8日も続く予報です。

    浸水や洪水の危険も指摘されており…

    関西地方では記録的な豪雨で…

    テレビの報道で、屋根で助けを求めている光景・・・

    何とか無事に救出して欲しいと祈るばかりです。

    心の豊かさ

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    「心の豊かさ」とは

    最低限度の物質的な豊かさが必要だと思いますが、その上で何気ない日常にありがたみを感じることができれば、精神的に豊かだと言えると思います。

    何もないところに穏やかさを感じ、心穏やかに過ごす・・・また何もないところから笑いや楽しみを生み出し、身近な人と楽しく過ごす。。。

    そんな何気ない日常が、悪くはないというだけでなく、何気ないありふれた日常に、ありがたみや幸福感を感じるようになれば、それは心が豊かなのだと思います。

    そんな心の豊かさは、「こうでなければ」という条件はあまり付かないように思えます。私は、今年の始めに、体調を崩し入院手術して、ようやっと戻ってきています。ありがたいことです。

    天気の良い日の心地よさや、頬を伝う風の心地よさなど、自然の与えてくれる心地よさは、日常から感じることができるようになりました。

    幸せの型を自分で決めてしまって、自らそこに捉われてしまえば、そうした日常の幸せは、心が感じ取れなくなってしまうように思えます。

    そういう意味では、心の豊かさは、型に嵌(は)まった幸福感に捉われていないことで、ふとした幸せを、心が感じ取れる状態と言えるように思います。また心が豊かであれば、人に与えることができ、人と分かち合うことができる状態だとも思います。

    自分が得ること、それはもちろん大切なことではありますが、必要以上の物を求めず、「足るを知る」感覚があれば他の人と分かち合うことは可能なはずで、そういう意味では欲が少なく、人と分かち合うことができる状態が、心が豊かな状態だと言えると思います。

    2018年7月 6日 (金)

    どんな時代でも心の繋がりは大事

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    昔の人は「ふたつよいことさてないものよ」の言葉があります。

    一つ良いことがあると、一つ悪いことがあるとも考えられるということです。これは「いいことずくめの事はない」ということでしょう。単純なことかもしれませんが、これは人生の真実です。

    昔と比較をすれば、今は万事に便利な世の中となりましたが、便利と感じるのは、それ以前の不便な生活を知っているからなのでしょう。

    便利な世の中に生まれた方々は何が便利なのか、何が不便なのかも解らないのかもしれません。水くみも、井戸からポンプ、そして水道へ、ひねったら水が出たうれしさを、私も思い出します。

    朝日新聞の調査で・・・いま以上に便利さを享受するのと引き換えに、あなた自身が失うものはあると思いますか?のお尋ねに、99 63.9%でトップだそうです。

    便利な世の中になって失われつつあるもの・・・「人の心の繋がり」と、独りでも生きていけると勘違いしてしまうことです。その結果は「自己中心主義」です。

    どんな時代になっても…どんなに便利な世の中になっても…人が生きていくためには、「人と人」が繋がっているのが絶対不可欠です。

    人は人とつながることで心も豊になっていくのです。世の中で起こっている嫌な事件の多くが、人間関係が元になっていると言えます。一般常識やモラルを守られて、世の中、平和に暮して行けるのです。

    人間関係が希薄になると、人の心はだんだん荒み、壊れていきます。すると、考えられないような行動に出たり、事件さへ起こしてしまうこともあります。

    自分一人でなんでもできてしまう世の中、恐いこと、危ないことはしないでも安全な道を歩ける世の中、誰とも会わないでも生活できてしまう世の中、そんな時代だからこそ、人とのつながりを大切にして欲しいです。

    人はあなたの行動をみていますよ!

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    人の行いは良いことも、悪いことも、人はみていないようで見ています。

    子供のころ、悪いことをすると「お天道様が見ているよ!」と言われたものです。特に私は母親に言われたことが、今でも記憶があります。

    行動を見ているから、見ていないから、ではなく、いけない事をしたら、「バチが当たりますよ!」と母親に言われたものです。

    人は悪いことをしてしまったとき、誰にも見つかりたくないと思う反面、良い行いは誰かに見ていてもらいたい…お礼を言ってもらいたい…ほめてもらいたい…と考えがちです。

    最近思うのですが、「誰もいないから・・・」「人がいないから・・・」ということで、ゴミを捨てる・・・万引きをする・・・人が後を絶たないのではないでしょうか。。。

    私は、子供の躾けに問題があると思うのです。

    人間も動物で、産まれてきて、何の躾けしなければ、思い思いの「野木」に育ち、人間社会から 遠ざかられる・・・人物なってしまいます。人間社会に生きるにはルールがあり、道徳があって生きられる、原理・原則あるのです。

    あらためて思うのですが、森信三先生のしつけの三原則の教えの重さを痛感するのです。

    【一つに『挨拶』二つの『ハイという返事』三つに『後片付けする』です。】

    そして、人間社会に生きるためには、ルール・マナーの教育です。

    「善と悪」をよく知り、「善い習慣」を身につける必要があります。「善い習慣」とは社会の法律や規則を守るだけではなく、道徳的、倫理的にも正しい生活をすることです。そのためには、まわりの全てのものへ「思いやり」をもつことが最も大切なことだと思ってます。

    2018年7月 5日 (木)

    深刻な環境問題・・・

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    私たちの町(八王子市片倉町)は、農業中心の村から、戦後(1945年)より急速に開発が進み、先代から引継ぎられた風習や伝統の行事などと、価値観の違った人たちで、社会常識・責任感の感じる度合いも、多様化してきています。

    確かに、交通の便・日常の食料品買い物・医療についても近くにある状況になり、生活の質は、70年前には、考えられないほどの高度化しました。

    その結果、文化・文明の向上と、人間本来の共存でしか生きられない事を、忘れてしまっているような勝手主義・自己中心主義が、まかり通ってしまっていることが、将来の地域社会・いや日本全体が懸念されるのです。独りでも生きていけると・・・?

    それは、超高齢化と人口減少問題・環境問題です。具体的には、空き家・独り暮らし・晩婚化・将来結婚しない・買い物弱者・・・

    自己中心主義・・・ゴミのポイ捨て・不法投棄などのモラル、マナー意識の欠如などが、目立ち懸念されます。国道16号沿いの歩道には車からのポイ捨て、京王片倉駅周辺ゴミの多さに閉口しています。

    今日私は、ゴミ拾いをして気が付いたのですが、家庭ゴミを湯殿川河川管理通路に、大量に不法投棄されていて、処分を八王子市「ゴミ相談センター」にお願いし処分してもらいました。同じ場所に2回目です。

    私たちの町に住んでいる人と思えます。良心はあるのか?怒りさえ覚えます。また、その場所に置いても市で処理してもらえるとでも思っているのでは・・・思いたくなる出来事でした。

    散歩しながら一句

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    すれ違う 白きうなじの 夏帽子

    草伸びて 人歩く道 筋通る

    散歩道 遠回りして 日長し

    汗かいて 下校あいさつ 夏帽子

    古城址の 石垣降り来 夏の蝶

    老人の 憩う木陰に 夏園児 

    2018年7月 4日 (水)

    常識のある人

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    常識のある人とは

    社会常識とは、自分が作り出すものではありません。自分以外の他の他人達が作り出すものが常識・・・なのです。なぜなら、常識とは、時代背景によって違ってくるもので、最大公約的な社会の通念であるからです。

    自分以外の人達の考えの集合体でもあるから、社会常識とは、自分が作り出すものではなさそうです。自分以外の他の他人達が作り出すものが常識・・・なのかもしれません。

    現代を生きること

    社会人としてのコミュニケーションの在り方などで、ちょっと変わっている人(共同作業などの場合)、最大公約数的考え・行動に違和感を持った価値観の人がいます。

    最低限、人に不快感を与えない人・・・出来ればお互いが気持ちよく絡むことが出来る人と思います。

    もっと言いますと、価値観は十人十色は在っていいと思います、共同作業などの場合は、効率化などを考え、作業はみんなと協力することが大事だと思います。

    また、常識人は周りから流されている駄目な大人で、非常識人は周りから流されない立派な大人 とも言えるのかもしれません。

    ウイキペディアでは

    社会の構成員が有していて当たり前のものとしている。社会的な価値観、知識、判断力のこと。また、客観的に見て当たり前と思われる行為、その他物事のこと。

    対義語は非常識。社会に適した常識を欠いている場合、社会生活上に支障をきたすことも多い。社会によって常識は異なるため、ある社会の常識が他の社会の非常識となることも珍しくない。これは文化摩擦などとして表面化することもある。

    2018年7月 3日 (火)

    出来ることが当たり前に

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    「当たり前のことができる人間になる。」

    「当たり前のこと」ってなんだろうと時々考えながら、生活しています。

    教育学者の森信三先生言葉にある三つのことです。

    ○ 返事ができる

    ○ あいさつができる

    ○ あと始末ができる

    「ありがとう」と感謝できる…悪いことをしたら、「ごめんなさい」と素直に言える…困っていた人がいたら、声をかける…ゴミが落ちていたら拾う…など積極的に行うことです。

    ○ 約束を守ることです。

    当たり前のことって、よく考えてみると、すごく小さなことです。また、簡単なことです。でも、小さいことだからいいや、簡単なことだからあとでいいや、と思っていると、当たり前のことができていないことになります。

    当たり前のことが当たり前にできるような人間になるために、小さなこと、簡単なことでも気づいたら、その場ですぐに行動していきたいです。

    因果応報と心の修行

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    「因果応報」と「心の修行」

    因果応報・・・“善い”のも“悪い”のも、自分が受ける結果のすべては、自分が作るものです。仏教でいう法則みたいなものです。

    心の修行・・・自分の心と向き合い、自分を見つめなおすことによって、「柔軟で、しなやかな心」持つことできるということです。

    強い心ではなく柔軟な「折れない心」 です。

    「折れない心」と聞くと、何事にも揺るがない強い心を想像しがちです。ストレスを跳ね飛ばすような、固い頑丈なイメージを抱く人が多いでしょう。だけど折れない心とは、強い心ではありません。

    また、「折れない心」とは固くて強い心ではなく柔軟な心。力ずくで打ち負かすのではなく、受け流す「しなやかさ」です。

    絶対にブレない強い意志。必ず成功させるという思いは、ときに大きな力を生みます。でも、人の心はもろいものです。無理に強くあろうとしても些細なきっかけで簡単に崩れてしまいます。

    「絶対に、これじゃなければいけない」ひとつの形しか認められないと、どこかで行き詰まってしまいます。

    人生は、何が起こるかなんてわかりません。どうなるかも誰にもわかりません。だからこそ、どうなってもいいような心持ちでいることです。

    2018年7月 2日 (月)

    歌丸さん逝く

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    人気落語家の桂歌丸さん亡くなる・・・

    落語家の桂歌丸(本名椎名巌=しいな・いわお)さんが2日病院で亡くなったという。ご冥福をお祈りいたします。

    私と同じ歳(81歳)

    横浜市生まれ。落語芸術協会会長。体調不良や病気を押して、日本テレビ「笑点」の5代目司会を長く務めたのです。

    私の記憶にある…桂歌丸さんの言葉が印象的の頭に残っています。

    苦しまないで楽しようと思ったって、人間なかなかそうはいかない。」

     「楽しようと思ったら苦しまなきゃダメだ。」

     人はなぜ苦しまなければならないのでしょうか? 

    1つの答えとして、イソップ物語の『アリとキリギリス』の譬えがあります。

     ラクばかりていたら、その先には苦しみが待っています。苦労した後には きっと、楽(幸せ)が待っています。

    便利さの代償

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    便利な時代

    最近、コンビニがあちこちに出来で、そこは食料や雑誌の購入に留まらず、郵送、銀行決済や引き出し、公共料金支払い、チケット予約、など実に様々な活動が1日24時間可能です。

    携帯メールを使えば、「人とつながりたい」という欲求を瞬時に満たせます。いつでも、どこでも、好きなときに・・・電車にしばらく振りに乗ったのですが、若い人は、携帯でメールを打っている人が多いことに、驚きでした。

    欲しいものが、いつでも手に入る時代です。家にいても、メール・インターネット・電話一本で、衣・食を揃えることが出来る時代になりました。欲しいものが、何時でも叶えられる時代です。

    人は、様々な欲求をもつ多面的な存在だが、欲求が生じたときに、すぐにそれを満たせば、快感や満足感が得られるでしょう。そして、それが可能な状況が許され続ける限り、欲求不満のストレスもたまることもありません。

    自己中心主義の増長・忍耐力の欠如・異常までの個人情報の保守で弊害・・・で非常時のリスクが高まったのです。

    本来の人間的なコミュニケーションを取らなくても、生きていけると勘違いをしてしまっています。ですから地震などの天災に、戸惑う結果が目に見えています。

    私は、最近の世の中の事件を見回してると、資本主義、物質中心主義で、技術進歩による便利さと快適さを追求してきた結果、置き去りにされてしまったと思うのです。

    最近の犯罪の傾向で推測されます。

    本来の人間性』・・・「忍耐」・「我慢」・「思いやり」の欠如が根底にあるように思えてならないのです。当然あるべき普通の人間であり、心を裸にした、着飾らない、素顔の、あたりまえの人間の状態というものです。

    2018年7月 1日 (日)

    真の文明は心の豊かさを・・・

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    真の文明とは・・・

    田中正造(足尾銅山鉱毒事件でとり組んだ政治家)が言ったという 、 真の文明は・・・

    「山を荒さず、川を荒さず、村を破らず、人を殺さゞるべし。」

    人間は競って、早さ、便利さ、快適さ、合理性が文明の証であると思い違いし、なりふりかまわず、この目標に力を注いできました。しかし、ほとんどこの目標が達成できた今日、一体人間はどんな感動を味わい、どんな安らぎを体験し、どんな満足を得たというのでしょうか?

    何も得ていないのです。

    かえって、心の不安は広がっているといえるでしょう。だからまた人は際限のない欲望にのめり込んでいくのでしょうが、果してそのようなことがいつまでも許されるでしょうか?

    文明には、安らかさと、安定さと、美しさがなくてはなりません。そして何よりも感動をもたらすものでなくてはなりません。つまり・・・

    ○ 早さに対して・・・・安らかさ

    ○ 便利さに対して・・・安定さ

    ○ 快適さに対して・・・美しさ

    ○ 合理性に対して・・・感動性

    この牽制が必要なのです。昔を懐かしむのは私の感傷かもしれませんが、一昔前までは一つひとつの品物に人間的温もりが感じられました。

    たとえば、畳、手織物、木工品、履物、その頃の文明品であったラジオや自転車にしても、小売店のおやじさんが一つひとつ手で組み立てていたものですから、そこかしこに人の匂いが感じられました。

    また一般家庭では、古い布を再利用したおしめや、雑巾や、毛糸を巻き直しての手袋や靴下など、母親の夜なべ仕事から生まれた手作り品は、子供心に無上の幸福感を与えてくれたものです。また食べ物にしても、その家独特の「おふくろの味」というものがあって、その味の中に母心がたたみ込まれていました。

    子供の遊びにしても手作りが主流でした。あやとり、おはじき、竹とり、おてだま、竹馬、など、不用品を利用した遊びは、そんな物不足から生まれたものでした。

    物がないからこそ大切に使うし、大切に使うからまたその物も生きてくるわけですが・・・これを昨今の「作られた・与えられた」遊びとくらべてみて下さい。どちらに拍手を送りたくなるでしょうか。。。

    「心の豊かさ」を求めるべきと、私は思います。

    ◎ 人情溢れる人間臭さ

    ◎ 実生活に密着したもの

    ◎ 自然と共生しうる均整の取れた

    ◎ 地域色豊かな泥臭さ

    などの文明・・・考えです。

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