« 過去の郷土の思い出から | トップページ | 生涯独身者のこと »

2018年6月 3日 (日)

宮沢賢治の「雨にも負けず」で思う

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

K21378854461

宮沢賢治の詩「雨にも負けず」があります。

この最後は「みんなにデクノボーと呼ばれ、ほめられもせず、苦にもされず、そういう者に私はなりたい」・・・と締め括られています。

「デクノボーとは、木の人形のことで、役立たずのことです」

① 人形。あやつり人形。でく。②  役に立たない人。気のきかない人。人のいいなりになっている人。また、そのような人をののしっていう語。「この木偶の坊め」 と辞書にありました。

「雨にも負けず」の真意

自分のことだけを考えるのではなく、人を思いやって生きていく素晴らしさは、今の世の中で見かけることは、少なくなってきているのではないかと私は思います。

何があっても対局的な見方・・・自分の欲ではなく全体を見てどのような言動が調整・調和になるかを考えて自分の役割を決めることだと思います。

心に余裕を持っこと

私は、余裕というのは、極めて主観的な感情であり、態度であり、生き方そのものなのです。人がなんと言おうと、自分が「余裕がある」と思えば、それでいいと思います。

心に余裕のある人は、自分の力でことを成就しようとは思っていません。どんなに案件を抱えていても、その多忙ぶりを周りに見せずに的確に、一つずつこなしていく人です。

周りを気にせず、自分の意思をしっかり持ち続けることができ、神仏の加護や周りの人々の協力があって、物事はうまくいくと考えている人です。そして、自分の力を過大に評価しないことです。

« 過去の郷土の思い出から | トップページ | 生涯独身者のこと »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 宮沢賢治の「雨にも負けず」で思う:

« 過去の郷土の思い出から | トップページ | 生涯独身者のこと »