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2018年6月21日 (木)

普通という言葉の難しさ

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普通とは

普通の考え・普通の生活・・・など知らぬ間に?会話の中で使われています。

しかし、よく考えて見ますと、使い方が難しいと思います。

辞書では、「普通」・・・特に変わっていないこと。ごくありふれたものであること。それがあたりまえであること。

私は「普通」という言葉は「定義できないもの」と思います。

普通・当たり前・常識、それらは、時代・国・地方によって、一様ではなく、小規模の塊(国・地方・仲間うち)において、ありふれた・取立てて珍しくもない事象を便利な「普通」という、言葉を用いて表したことだと考えます。

時代や、国・地方によて、「変遷する=事象」それを、「普通」という、言葉で表したのだから、定義すること事体、無理があります。

『普通』を定義したら、そのとたん、「普通」という言葉が使えなくなる?

言葉は生き物

また、条件つきの=定義は、定義とは言えないのです。どの時代にも通用する=曖昧な言葉が必要な場合があるのです。

曖昧だが、その時代の仲間・国・地方だけには通用する・・・だから、みんな、普通に使っているのです。

誰かが「普通は」と言い始める時、それは自分がこれから言おうとしている事が既に「正しい」ことを担保するときです。

「担保」というのは難しい言葉ですが、もともと日本語には無かった言葉ですが、「保証する、確実にする」という意味のようです。

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