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2018年6月23日 (土)

梅雨の季節で思う

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梅雨…「うとうしい季節ですー」

思わず呟いてしまいそうです。でも、生きている生物とっては「恵みの雨」なかでも、草や木にとっては、成長のする雨の季節なのです。

花は惜しまれて散っていく…雑草は嫌がられても生えてくる…たしかに美しい花はいつまでも咲き続けて欲しいと思います。

そして、畑や庭の雑草は除草にしてはすぐに生えてくるから、困ったものだと嫌がられます。だから昔のお百姓さんが梅雨の季節は、「雑草との戦いだ」と言う言葉があるくらいです。

しかし、これらは人間の思いであって、草木は子孫を残すために花を咲かせ、草は芽を出すのです。アスファルトの割れ目や、草葺の屋根にも草は芽を出す…”しぶとさ”…を、人は「雑草魂」とも言っています。

風の媒介によって受粉する花「風媒花」に人間は関心を示さないばかりか、花粉症の心配をする…けれども虫媒花は、美しく咲く花が多いので人間の目に留まる…花を咲かせているのは昆虫や動物による受粉を期待しているからです。

草がはびこるのを人間が嫌うというのは、人間の身勝手な解釈です。人間の身勝手な目は、花の姿や咲き方で、ランクをつけて評価します、また人間の身勝手な思いは、山の木や、さまざまな植物を、経済的に評価します。

草木が芽を出す…花を咲かせる…実をつける…

いずれも子孫を残さんがためです、草木が生きているということは、種あるいは子孫を絶やさないという、この一言につきるでしょう。

草木は生(は)えるという、動物は生(う)まれるという、草木は死ぬとは言わずに枯れるという、動物は枯れると言わずに死ぬという、いずれも生命の生滅ということにおいては同じだということです。

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