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2018年4月30日 (月)

春の愁い

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「故里の 住む人変われば 景色かわる」

長き年月を、この地に住み続けていますと“故里”も、世の移り変りで、想像もできない、故里の変わりようです。もちろん、地番も変わり、村から町に変わっています。

昔は屋号で人の名を呼んでいたのが懐かしく思えます。そして、山も川も人も一体で、生きてきた感じがしたのです。

子供のころ、私たちの住んでいた人達で、結婚式・葬儀式はもちろん、家の屋根葺き、山きり(燃料)、田植え、道普請など、共同作業が多が多かった。

お天道様・山の神・川の神に、お供えをして、安全を祈願したものでした。自然の尊さを、子供ころから教育されてきたのです。

そして、川で魚を釣るのも、山で猟をするのも、神様からのいただきものと思っていたものが、戦後のころから、何もかもその人に、お金を払わなくちゃならなくなったのです。遠い歴史だと思っていたことが、ついこの間のことだということが強烈に残っています。

今私たちが、突き当たっている環境問題は、とどのつまりここにあるような気がします。昔の人々は「神さまからのいただきもの」と思うから、自然の声を聞こうとして来ました。

ところが、その自然を所有した人は、神さまの存在を忘れる・・・富を産み出し、育て、送り出しているその大自然の持つ大きな力を・・・

歌ったり、踊ったりする暇があったら働きなさい、と「アリとキリギリス」のアリは言うけれど、それじゃ何故、人がこれほどまでに歌や踊りを求め、祭りを絶やさずに来たのか・・・それが自然と人との対話だったからだと私は思います。

大昔の人たちの文化が、日本に今も生きているということは、すごいことです。その暮らしの中にあった、知恵や習俗や音楽や物語が、大切な財産であることを、思い出さなくてはいけないと思います。

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