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2018年2月26日 (月)

常識と非常識

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川に平気でゴミを捨てる人を見て・・・

「自分の常識は他人の非常識」「他人の常識は自分の非常識」に過ぎないことも多いものです。 私たちは「常識」や「普通」にこだわって生きています。

ちなみに常識とは「一般の社会人が共通にもつ、またもつべき普通の知識・意見や判断力」(『大辞泉』)・・・普通とは「特に変わっていないこと。ごくありふれたものであること。それがあたりまえであること」(『大辞泉』)です。

私たちは、これらを守って生きることが「大人になること」であるとも思っています。もちろん、こう考えることは間違いではないでしょう。

しかし私たち一人ひとりの経験は、それぞれで違うものです。今まで育った環境、出会った人、仕事の内容、読んだ本、見た風景、そんないろいろなものによって、その人の「常識」や「普通」は出来上がっているのですから、人と人が出会えばどうしても、常識も普通も相容れなくなりがちです。

それは、人間同士が完璧には分かり合えないのと同じことですから、結局常識や普通は通じ合わないのだと、割り切った方がいいと思います。

「何が常識かなんて…人それぞれでしょ」

私は、常識=「社会のルール」であり、そもそも、人によって違いがあるものではないと思います。人それぞれのものだったら、それは常識ではなく、「個人の考え」になってしまいます。

もちろん、常識を認識しているかいないかについては、個人差があると思います。反論をする人は大抵、失礼なことをしておいて、「自分が常識を知らなかったのでは」と疑うこともしない・・・

価値観の相違?

つまり自己正当化のために「価値観の相違」という無茶な設定を振り回してくるわけです。本当に自分に非が無いのなら、その理由を理路整然と説明できるはずです。常識云々と言い訳する必要などないのです。

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