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2018年2月

2018年2月28日 (水)

春がもうすぐそこまで・・・

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力抜き 生き方を知る 春隣り

春は少しづつ近づいて・・・

暖かさが感じられるようになってきました。

リハビリで徐々に歩く距離を伸ばし・・・

今日は近くの、片倉城跡公園まで、歩きました。

病気をして、これからの生き方・・・知る。

環境破壊は人間の生存も・・・

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産まれた赤ちゃんは、何をしたわけではないのに、国、家庭環境、容姿、才能…遺伝(DNA)を持って産まれます。また、環境(自然)は選べません。

私は、正常な人間が育つには、適切な自然環境が大切と考えています。人間が、生まれて育った環境で、社会を形成していくことで・・・大事なことの一つに自然環境の問題があります。

環境破壊は人間の生存も脅かしています。人間が、安全で健全な環境なしには生存できず、自然体の生活を継続できないことに疑いの余地はありません。

このため、近年においては環境保護が生命の存続のための、最も重要で基本的なニーズの1つとして、全ての人々に注目され、健康的で安全な環境を保持する権利は、その他の権利とともに人権の1つとして、学術界や環境保護主義者の間で注目されています。

日本には、実は世界的にみても豊かな自然が残されていることを知っていますか? 現在、国内には未だ知られていない生物も含めて約30万種を超える生物がいると考えられています。

南北に長い国土、海岸から山岳までの大きな標高差、大小数千の島嶼を有することなどにより、日本独特の豊かな自然がつくられてきました。ほ乳類の4割、爬虫類の6割、両生類の8割が日本にしか生息しない固有種です。

んな日本で今、多くの生物たちが絶滅の危機に瀕しています。生物を絶滅から守ることは、生命の長い歴史を守る重要なことです。しかし、実はそれだけでなく、私達の暮らしを守ることにもつながっているのです。

環境省・・・「自然環境・生物多様性…なぜ、まもらなければいけないの?」』参照

2018年2月27日 (火)

上手な老い方

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上手な老い方?

「何でも進歩、進歩といろいろな物の蓋を開けてきてしまったけど、もう少し別のものがあるんじゃないか」・・・落合恵子さん。

私は、老いても「季節の感覚を持つ」ように努力することだと思います。

文明の発達した現代社会では、衣食住に季節感は失われてきたとしても、その時々に、雨を降らせ風を吹き寄せ、ひとしずくの葉に宿る露にも、季節は確実に感じられます。

それは断固として潔く清々しく、安っぽい環境論などに、もたれかかっていない・・・季節は先へ先へと変わって行き、新しいものへと姿を変えています。

季節に老いはない

季節と共に生きていれば自分も前向きになってきます。身体が老いれば、心も屈して万事に消極的になり勝ちですが・・・

季節に引っ張られていれば、過去に沈没せず生きられます。これは四季の変化に恵まれた国でなければ生まれ難いことですが、日本人らしい老いの接し方です。

そして、「ありがとう」「助かりました」「感謝しています」・・・全て、お礼の言葉を心の中に持っていることです。

春を探して・・・

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「少しだけ 足を伸ばして 春探し」

 昨日は、朝のうちは雲っていてちょと寒かったですが…

午後より晴れてきて、暖かくなり

相模原市の城山湖へ、車で行って見ました。(妻の運転)

 リハビリのつもりで歩いてみましたが。。。

吹く風もそんなに冷たく感じませんでした。

梅林の花は、もうちょと先のようでした。

2018年2月26日 (月)

常識と非常識

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川に平気でゴミを捨てる人を見て・・・

「自分の常識は他人の非常識」「他人の常識は自分の非常識」に過ぎないことも多いものです。 私たちは「常識」や「普通」にこだわって生きています。

ちなみに常識とは「一般の社会人が共通にもつ、またもつべき普通の知識・意見や判断力」(『大辞泉』)・・・普通とは「特に変わっていないこと。ごくありふれたものであること。それがあたりまえであること」(『大辞泉』)です。

私たちは、これらを守って生きることが「大人になること」であるとも思っています。もちろん、こう考えることは間違いではないでしょう。

しかし私たち一人ひとりの経験は、それぞれで違うものです。今まで育った環境、出会った人、仕事の内容、読んだ本、見た風景、そんないろいろなものによって、その人の「常識」や「普通」は出来上がっているのですから、人と人が出会えばどうしても、常識も普通も相容れなくなりがちです。

それは、人間同士が完璧には分かり合えないのと同じことですから、結局常識や普通は通じ合わないのだと、割り切った方がいいと思います。

「何が常識かなんて…人それぞれでしょ」

私は、常識=「社会のルール」であり、そもそも、人によって違いがあるものではないと思います。人それぞれのものだったら、それは常識ではなく、「個人の考え」になってしまいます。

もちろん、常識を認識しているかいないかについては、個人差があると思います。反論をする人は大抵、失礼なことをしておいて、「自分が常識を知らなかったのでは」と疑うこともしない・・・

価値観の相違?

つまり自己正当化のために「価値観の相違」という無茶な設定を振り回してくるわけです。本当に自分に非が無いのなら、その理由を理路整然と説明できるはずです。常識云々と言い訳する必要などないのです。

高齢者の生きがい

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生きがい・・・

人は誰でも、何らかの「生きがい」を持つことで、人生の価値や意味を見い出そうとします。

生きがいとは・・・「生きるはりあい。生きていてよかったと思えるようなこと。」です。人にとって「生きる価値や意味」を与えるものです。

「生きがいを感じる」・・・主観的な感情を表す用語であるともいえます。従って、何を生きがいと感じるかは人によって様々であり、一概に定義できるものではありません。

人それぞれで・・・「生きていく上での張り合い」というやや消極的なものから、「人生をどう生きていくか」というその人の人生の根源ともいえるような積極的なものまで、さまざまな捉え方があります。

私は80歳を越えました・・・80歳を越えた老人にとって最高の幸せとは、「普通の生活ができること」ではないでしょうか?

病上がりの私は、町中を歩いている老人たちは、幸せな老人たちと思うのです。動きはスローですが、行動範囲で制約がない・・・お金さえあれば、食べたい物が食べられることだと思います。

老人にとって「行動の自由」があるという事に意味があります。老化で自由な行動が出来ない老人がたくさんいます。

2018年2月25日 (日)

焦らずゆっくり・・・

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私は、「70日間、病気で歩けなかった。。。。」入院し手術・・・医師の診断は、(腰椎椎間板ヘルニア)という病気です。

退院したのですが・・・長い間?これまで出来ていたことができなくなり…普段の生活のパターンが変わることで肉体的に精神的に、ダメージ負ってしまいました。

当然ですが、これまで出来ていたことができなくなり…ショックです。

とりあえず、リハビリをして体力・気力を戻そうと、毎日努めていますが、そう簡単にはいきません。周りからは「あせらず時間をかけて…」といわれますが・・・

私は長い間の生活環境で過ごした暮らしを、断念せざるを得なくなることも覚悟しなければならないと思うのです。

年を重ねての衰えとは違い、普通に出来ていたことが急に出来なくなる・・・メンタル的にも大きなダメージがあります。夜眠れない…胃腸の調子が狂う…などの症状が現れるのです。

『「焦らずゆっくり…」を心がけていこう』

誰にとっても春は待ち遠しい

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枯れ山の 木の枝先に 春を見る

年を取ると・・・

冬の厳しき寒さが身に応え・・・

一年ごとに増すようです。

このごろに、温かい日があるかと思うと・・・

また寒い日がくるという。。。

まさに「三寒四温」という言葉がぴったりです。

春が来ることは、誰にとっても、

待ち遠しいものです。

2018年2月24日 (土)

人の心の繋がりを大切にすること

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本来の人対人の繋がりが良い関係であるために、どの様にして人との関わり合いを築き上げていくのか、そのためには必ず心の繋がりが必要になります。

人は一人では生きて行くことは出来ません、他人との心の繋がりを 自分から意識することで、今よりも更に生きていく、価値が生まれてくるのです。

もし、人と心の繋がりを待たずに人生を生きて行く事が出来るのであれば・・・それは、自分のの周りに心を許せる人がなく・・・自分自身が 人との関わり合いを拒絶している悲しい心の持ち主なのかも知れません。

人は生きていく心の中で、喜びもあれば悲しみもあり、喜怒哀楽を共有できる人間がいなければ、ただただ、悲しい心の生き方を選択してしまう可能性があるのです。

しかし、どんなに人との心の繋がりを拒絶したとしても、人生を生きていく中では人との関わり合いを拒絶することは出来ないのです。

なぜならば、目に見えない摂理と自然の働きによって、生きて行く事と人との心の繋がりを求めながら、生きて行く事が潜在的に意識化されているのです。

人間関係(繋がり)を大切にする・・・それは思いやり心です。思いやり心は、(自分でそう思っていも、行動を伴わないと相手は分りません。)基本は挨拶から・・・挨拶は基本中の基本です。町で人に出会ったら挨拶をすることです。

花を親しむ心

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日本は四季折々の花が咲きます。

それぞれの季節にそれぞれの地域に、花はいつも人々のそばに咲いています。

そんな光景を目にしますと。。。

立ち止まる勇気、素通りさせずに、見て楽しんで行く・・・

時代のスピードが早過ぎる?そんな「心のゆとり」が必要だといつも思います。

そんな社会だからこそ、花を見る心を持ちたいものです。

それが「心のバランスを保つ」ことに繫がるがる気がします。

それどころじゃない・・・そんな余裕が無い・・・そんなつぶやきが聞こえてきそうです。

今はそうかもしれないけれど、いつかそんな時間が訪れるといいですよね。。。

きれいな花は昔から、花に親しむ心が受け継がれ、今なお、人々の暮らしの中で息づいています。

花は、人の心を豊かにし、安らぎとゆとり、希望と勇気を、もたらします。全ての人が、花を慈しむ心を育み、心豊かになります。

2018年2月23日 (金)

平衡感覚の大切さ

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生きていくためには「平衡感覚(バランス)が何事でも大切です。

私は体調崩し2ヶ月以上歩くことが出来ず、考えました。

当たり前ですが、人間が日本の歩くことバランスが取れないと歩けません。

また、生きていくための「バランス」が取れなければ生きられない。

たとえば・・・

○ 平衡(バランス)感覚
○ 収入と支出のバランス
○ 体重のバランス
○ 遊びと仕事のバランス
○ 子供に対するアメとムチのバランス
○ 食事のバランス

などが、考えられます。

最近、私を含めて、バランスを崩している日本人が多いと思います。

歳を取るということ

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超高齢化の時代・・・私もその仲間入りしたのですが、上手に歳をとりたいものです。

世間では、「余生をどう生きる?」なんて考えている人もいるようですが・・・

人間には余った人生、余計ものの人生などある筈がありません。仮にそんなことを口走っても本心でそう思う人は少ないのではないでしょうか・・・

それもこれもあまりにも、鋳型にはめた潰しの効かない人間を、作り上げてしまった事に対する懺悔か罪滅ぼしのように思えてならないのです。

しかし、年寄りになると・・・肉体的・精神的に衰えは実感します。

この世は無常、常なるものはありません。しかし「歳は取りたくないものです」「歳をとることは嫌です」という言葉をよく聞きます。

いかに歳を取るかが大切です。歳を取るということはいろんなものを失っていきます。しかし歳を取ることにより気づく、目覚めて、得ることもあります。

70歳で気づくこと、80歳でわかることもあります。歳を取りいろんなものを失いますが、年を重ねることが喜びとなる人生を歩みたいものです。

2018年2月22日 (木)

自然の摂理に生かされいること

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夜…暗くなったら寝る・朝…明るくなったら起きる・・・

私たち人間は、自然の摂理(法則・ルール)に基づいて生きています。すなわち、人間は太陽と水、空気をはじめとする大自然の無償の恵みを頂き生きているのです。

人間中心主義の近代文明は、今や限界に来ていると思えるのです。私たちの住む、地球上に生き物の頂点に立ち、思うがままに生きてきたのです。このままでは人類そのものの存続が危うくなってきました。

この文明の危機を乗り越えるには、人間も太陽・空気・水といった自然のめぐみによって命を与えられ生かされている一つの生き物ですから、大自然の摂理にもとづいた、人間として望ましい生き方を心がける事です。

私たちは「生きてきた」のではなく、目には見えない大いなる力、宇宙の生命を動かしている何かによって(太陽・空気・水等)「生かされている」のです。

そして、誰でも納得できる客観的な基準にもとづいた、大義なんてないから争いが絶えないのです。

まさに現代は嵐の海を羅針盤のない船で、航海しているようなものです。どちらへ進んでいいのか判らない。早く羅針盤を取り付けなければ沈没してしまいます。

客観的基準にもとづいた世界共通の大義とは、私達人間も生かされている地球の摂理、大自然のルールにもとづいた人間として望ましい生き方です。

「こころ」はだれにも見えないけれど…

「こころづかい」は見える。

「思い」は見えないけれど…

「思いやり」はだれにでも見える。

「こころ」は行いになってはじめて見えるのです。

2018年2月21日 (水)

三寒四温

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「春なのに 真冬にもどる 寒さかな」

日の東京地方は、厚い雲が低くたれ、

北風冷たく、冬に戻った寒さです。

片倉城跡の池の中の鯉は、

ひっそり潜めているようだ。

「三寒四温」という時期なのです。

必ず、暖かな日は来ます。

思いやりと…やさしさと

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『思いやり』・・・

純粋に親切な心から出る行動のひとつで、その形や大きさはさまざま。

誰でも、肉体的・精神的にダメージから、心に疲れを感じてしまうことがあります。そんな時、「人の思いやり心」に触れたとき、生きる勇気と、幸せな気分になれます。

幸せな気分になると、心に余裕が生まれて、他の人のことも良く見えてきます。そしてその幸せな気分を誰かと共有したくなります。図らずもその気持ちが行動になって表れるものです。

どこかの誰かの、ほんの小さな思いやりの心が、めぐりにめぐってもしかしたら、今の自分をどこかで救っていてくれていたのかもしれません。

『やさしさ』・・・

誰かのやさしさを感じた時、そのやさしさは、そこにつながるまで、たくさんの人のやさしさで紡がれていたんだ。そしてそのやさしさは、何の気なしに自分が行った行動がきっかけになっていたのかもしれない。

どんな出来事でも自分に起因していると考えると、今おかれている自分の状況は自分自身で作り上げているのかもしれません。

2018年2月20日 (火)

人が安心して暮せるには・・・

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人類が長い時間をかけて社会を形成し、文化や学問が発展した現代では、なかなか意識に上らりませんが、本来自然というのは自然法則に従うものです。

そんな本来は無秩序な世界に、人間たちの行動の中からルールや道徳が生まれて、少しずつその網目が紡がれていって形成されたのが現代社会だと言えます。

そして、ルールや道徳がある程度世界に秩序を与えてくれることで、私たちは相手の行動が予測できるし、ある程度安心して人々と交流し生きていけるのです。

しかし、「人を殺すことは、絶対いけない・・・」と言いながら、現在の地球上では、戦争はどこかで起きています。戦争は人の殺し合いです。

また、最近子どもたちの道徳観が乱れて、世の中が悪くなっていると感じている人もいるでしょう。それらは、「道徳観の欠如…人を思いやる心が欠けている」からです。

紛争が起こる、それを防ぐ・・・「法律を作り、警察が取り締まり、司法が裁く」これが現代社会の国であり、人が安心・安全に暮していけるのです。そして時代と共に、法律の見直しが、必要です。

また基本となる法律しっかり、わきまえて、子供のしつけ道徳教育も大事なことは言うまでもありません。

子は親の鏡

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「子供の躾と道徳…教育」

子供の日頃の行動から、『親の「道徳教育」…』の必要性を感じることがあります。

親の道徳観や判断力の乱れが感じられ、それが各地で子どもをとりまく、さまざまな問題を引き起こす最大の原因になっているからです。

「子どもは親の後ろ姿を見て育つ」・「子は親の鏡」・「親が親なら子も子」…とにかく子どもと親のつながりをいう言葉はたくさんあります。しかし、最近の親には「親が親なら子も子」といったようなことばが一番ピッタリなような気がします。

確かに「子どもは親の後ろ姿を見て育つ」のですが、最近の親は必ずしも子どもにいい後ろ姿を見せていない場合が多くありませんか?

学校は、学業を教えるところであって、躾をする場所ではありません。最近「子どもは地域で育つ」・「教育・躾は学校でやってもらうもの」そう決め込んでいる親もいる?

私は、基本的には「教育の根本は家庭にあり」という一番重要なことだと思います。小・中学校の子育ての段階で、学校任せになってしまっているという考えがありますが、これは間違いであると思います。

基本的生活習慣や躾の根本まで学校任せということもあります。そうでありながら、学校に対してさまざまなクレームをつけてくることが多いのです。

ですから学校も反対に、子どもをしっかりと養育しない親に対して、子どものためにもクレームをつけてもいいのではないかと思うほどです。

それに、「地域で育つ」では、親として自分自身が地域の一員という意識が薄い親が多いのです。中には「地域」といえばなにかわが家庭ではなく、自分たちが含まれない何か別の場所とでも思っている節さえ感じさせる人もおられます。

2018年2月19日 (月)

健康とは・・・

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「健康は人間が自分に贈ることの出来る最高のプレゼントです」

・・・元NHKのアナウサー鈴木健二

健康とは・・・

世界保健機関(WHO)・・・「健康とはただ疾病や傷害がないだけでなく、肉体的、精神的ならびに社会的に完全に快適な状態であること」と定義されています。

身体的、精神的、社会的に全てが完全に良好な状態であり、単に病気がないとか衰弱していないということではない。

例えば・・・以下のことはどうでしょう?

○ 体に痛いところはない。

○ 毎日、一日三食、おいしく御飯を食べている。

○ 毎日、快便である。

○ 夜はぐっすり寝ていて、朝の目覚めも良い。

○ 悩み事はない。

○ 人間関係で良好で、一切のストレスを感じていない。

○ 経済的にも十分に恵まれている。

○ 自分の社会的地位に満足している。

現代社会では、全部クリヤーしている人はいないでしょう。誰しも健康でありたいと思いますが、身体的にウイークポイントがあるのが人と思います。何処が悪いのか承知をしながら、生きていると思います。

私は、10何年か前に同級生の女の人が、同窓会の幹事で、一緒になり、「私今、ガンなので・・・ありがたいワ」と言って、病気になってむしろ喜んでいる?ようでした。

どうして?と聞いたら「だって今交通事故で、多くの人が死んでいるじゃないですか・それに比べれば、治療すれば治る可能性があるじゃないですか…」と言って、平静な精神を装っていました。

身体的に精神的に経済的に悩んで生きるのが、人間であり、まぁまぁで感謝することが出来れば、「健康」であると思えるのです。

2018年2月18日 (日)

年寄りの不安・・・

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病気(腰椎椎間板ヘルニア)をしてつくづく感じられた「不安」になったのです。手術して、退院したその夜、蛍光灯の紐が切れて・・・

“灯かりが点かない”

さぁーどうしよう、病気する前には、自分で直せたが、誰かに頼まなければ・・・

子どもは、離れて暮していて呼ぶこともできない。近所の方にお願いする?ちょうど器具を交換時期だったので、近くの電気屋さんに、お願いしたのですが…

今まで、出来ていたものが、病気や怪我で、出来なくなったら、“どうしよう”という不安になったのです。

「遠い親戚より近くの他人」

と言われますが・・・蛍光灯の球切れ交換から、超高齢化社会の悲哀をしみじみ考えさせられました。

健康寿命…2013年時点のものが公表されており、男性が71.19年、女性が74.21年です。(平均寿命が男性80.98年、女性87.14年)

向こう三軒両隣りの精神

日本には昔、「向う三軒両隣」といって、最低近所付き合いは当然としてお互いが何かと助け合ってきた良き習慣があったのです。そこには、信頼と安心によって結ばれたコミュニティーが存在していました。

みそが無くなったといっては隣に駆け込み分けてもらい、子供をちょっとあずかってくれと頼まれれば快く自分の子供同様にかわいがるといった風情があったのです。

ですから、お年寄りのご家庭の蛍光灯の球切れ交換など…気楽に頼めたのです。

2018年2月17日 (土)

春はそこまで。。。

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春まだ浅いこのごろですが・・・

寒さの中にも春の兆しが、少しづつ感じられ~

日足も延びてきて・・・

そこはかとなく春の気配が感じられるようになりました。

私の住むまち八王子市片倉町・・・

片倉城址公園の木の芽・草の葉、湯殿川の鯉の泳ぎから~~

「春はそこまで」。。。

病気をしてしばらく、外気の空気に当たらなかったので・・・

外の空気が新鮮に感じられます。

「自然は正直」・・・実感しています。

2018年2月16日 (金)

腰椎堆間板ヘルニアの見舞われる

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春の訪れを「満作の花」が咲きました。

長らく休んでいた、ブログを書いていきたいです。

昨年12月6日・・・突然、右脚に激痛が走り立つことも出来なく・・・当然歩けなくなってしまい、脊椎管狭窄症?

整形外科医に診てもらい、ブロック注射・痛み止めの処方されて、様子を見たのですが、痛みは一向に取れませんでした。

1月24日入院

レントゲン・エコー・MRI・ミエログラフィーの検査から、「腰椎椎間板ヘルニア」と診断され、手術しました。21日間の入院し、2月13日に退院しました。

手術後は、リハビリを行っていたのですが、約70日の歩けない日となり、今はリハビリに頑張っているのですが・・・完全復活はまだまだ、先のようです。

しかし、なにもしなければ、退化するばかりです。病院で、理学療法士の指導でリハビリを頑張ることにします。

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