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2017年11月 3日 (金)

お互いに礼をすること

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「人の道 」・・・

人の道とは、教育学者の森信三先生の「躾け」三原則があります。

第一 朝、必ず親にあいさつをする子にすること。

第二 親に呼ばれたら必ず、「ハイ」とはっきり返事のできる子にすること。

第三 履物を脱いだら必ずそろえ、席を立ったら必ずイスを入れる子にすること。

私は、時代と共に人の価値観は違えど、この三つは人間社会の基本であると思います。

「人としてふみおこなうべき道を守る」

その一つに「礼」があります。これは儒教の神髄ともいえる思想です。互いに礼をするという習慣が薄れつつあることは、社会的に考えても大問題です。

人間はなぜ礼をするのか・・・自分というものを通じて人を礼する…その人を通じて自分を礼する。互いに相礼する…つまり、人間たる敬意を表し合うのです。その人の人格をとうといものと認めてうやまうことです。

「お互いに礼をする」

すべてはそこから始まらなければなりません。お互いに狎れ(なれ…お互い親しみすぎて礼を欠く)、お互いに侮り、お互いに軽んじて、何が人間尊重であるかと思います。

松下幸之助も、何よりも礼を重んじました。彼は、世界中すべての国民民族が、言葉は違うがみな同じように礼を言い、挨拶することを、人間としての自然の姿、すなわち「人の道」であるとしました。

ところが、最近になってその人間的行為である「礼」が行なわれなくなってきました。挨拶もしなければ、感謝もしない。

礼は人の道、いわば「人間の証明」です。

にもかかわらず、お礼は言いたくない、挨拶はしたくないという人がいます。 礼とは、そのような好みの問題ではありません。自分が人間であるか、他の動物であるかを表明する、きわめて重要な行為なのです。

ましてや組織で一つの目的に向かって共同作業をするとすれば、当然その組織のなかで互いに礼を尽さなければなりません。挨拶ができない、感謝の意を表せない、そんな人は人間ではないと言わざるをえないのです。

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