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2017年9月30日 (土)

兵衛川のむかし

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  現在の兵衛川(左)と湯殿川(右)の合流地点

兵衛川の記憶

兵衛川は、七国峠…(昔、山頂より七つの国(武蔵、相模、駿河、甲斐、上総、下総、常陸)を望むことができたとも伝えられ、七国という地名になったといわれている)発していて、堰を作り、水を引き込み稲作・麦はもちろん・・・

川で野菜を洗ったり、オムツの洗濯したり、流れを利用して、小さな水車を回し芋などを洗ったり、生活の一部であったのです。(昭和30年ごろま…)

私の記憶では、現在の片倉町のJRの片倉駅近くは、大きなけやきと竹やぶがあって、けやきの根が兵衛川に張り出している場所で、根に上り、魚(ふな・はやなど)たくさんの種類の魚を捕りをしたのです。

釣りであったり、モリであったり、網であったり、下げ針・カイボシ(水を迂回させる)春から秋の子どもたちの遊びでもありました。もちろん、泳ぎもしました。

川で野菜を洗ったり、オムツの洗濯したり、流れを利用して、小さな水車を回し芋などを洗ったり、生活の一部であったのです。(昭和30年ごろま?)

兵衛川は私が育った実家の近くで(片倉町・川久保谷戸)、湯殿川に合流しています。それから100メーターぐらい下流に新堰がありました。ボートに乗ったり、一本橋から飛び込んだり、夏はちょっと大きくなった子どもたちの遊び場でありました。

また心配事もありました。毎年秋になると台風シーズンになると、自然のままの、木や竹の護岸でしたので、氾濫し床上まで水が上がってきたのです。

兵衛川は、湯殿川となって、長沼町で浅川に合流・・・

大正の初期ころまで、集落に4・5台の水車が回っていて、きれいな水が豊かに流れ、たくさんの蛍が飛んでいました。地域で使われていた“語”があります。

川久保谷戸は、北に湯殿川・南に兵衛川に挟まれた地域です。川久保谷戸の屋号・・・くぼった・西村屋・出店・上の向かい・下・新屋・隠居屋などを覚えています。

そして川久保谷戸は、竹藪が多く、けやきの大木が多かった印象があります。竹やぶは川の護岸の役目を(根を張り巡らし)すると言われていました。

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