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2017年9月

2017年9月30日 (土)

兵衛川のむかし

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  現在の兵衛川(左)と湯殿川(右)の合流地点

兵衛川の記憶

兵衛川は、七国峠…(昔、山頂より七つの国(武蔵、相模、駿河、甲斐、上総、下総、常陸)を望むことができたとも伝えられ、七国という地名になったといわれている)発していて、堰を作り、水を引き込み稲作・麦はもちろん・・・

川で野菜を洗ったり、オムツの洗濯したり、流れを利用して、小さな水車を回し芋などを洗ったり、生活の一部であったのです。(昭和30年ごろま…)

私の記憶では、現在の片倉町のJRの片倉駅近くは、大きなけやきと竹やぶがあって、けやきの根が兵衛川に張り出している場所で、根に上り、魚(ふな・はやなど)たくさんの種類の魚を捕りをしたのです。

釣りであったり、モリであったり、網であったり、下げ針・カイボシ(水を迂回させる)春から秋の子どもたちの遊びでもありました。もちろん、泳ぎもしました。

川で野菜を洗ったり、オムツの洗濯したり、流れを利用して、小さな水車を回し芋などを洗ったり、生活の一部であったのです。(昭和30年ごろま?)

兵衛川は私が育った実家の近くで(片倉町・川久保谷戸)、湯殿川に合流しています。それから100メーターぐらい下流に新堰がありました。ボートに乗ったり、一本橋から飛び込んだり、夏はちょっと大きくなった子どもたちの遊び場でありました。

また心配事もありました。毎年秋になると台風シーズンになると、自然のままの、木や竹の護岸でしたので、氾濫し床上まで水が上がってきたのです。

兵衛川は、湯殿川となって、長沼町で浅川に合流・・・

大正の初期ころまで、集落に4・5台の水車が回っていて、きれいな水が豊かに流れ、たくさんの蛍が飛んでいました。地域で使われていた“語”があります。

川久保谷戸は、北に湯殿川・南に兵衛川に挟まれた地域です。川久保谷戸の屋号・・・くぼった・西村屋・出店・上の向かい・下・新屋・隠居屋などを覚えています。

そして川久保谷戸は、竹藪が多く、けやきの大木が多かった印象があります。竹やぶは川の護岸の役目を(根を張り巡らし)すると言われていました。

正直者は馬鹿みない世の中に・・・

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正直者はバカを見る世の中では、あってはならないのです。」

大人になれば、時には人間関係を円滑にするための、「嘘も方便」も必要なこともあるかとも思います。いつも、馬鹿正直になる必要もないとは思っていますが・・・

でも、正していかなければいけない問題もありす。そして、自分の都合の悪いことは何も言わない、見てみぬふりをする人が、この世の中には多い…ことです。

自己中心主義…で、周囲の人は何も対応をしなかったり、のらりくらりかわしたり…いわゆる労力を惜しんで(いい訳ばかり…頭の良い?また黙秘する)何も対応しない人が多です。

言うべきことを言う人よりも、本音を隠して表面的に上手に振る舞う要領のいい人間のほうが幸せそうに見えてしまいます。

だったら自分もそうなればいいじゃないかと思いますが、私は、そういう人間にはなりきれません。自分が傲慢で堅すぎるのでしょうか…いろんなことに日々「おかしい」と思いながら、神経をすり減らしています。

小さなうちから、本音と建前を使い分け、空気を読むことに神経を尖らせなければならない社会を作っているのは・・・私たち大人だ。

一向に減らない「おれおれ詐欺」・・・

若い人が正直者の、お年寄りを騙す・・・違法なことをしている・・・など、平気で人をあざむき、傷つけ、裏切ることに痛痒を感じない人間がいます。

本当に正直者が馬鹿をみる、そして、騙し合い世の中では将来の日本が不安です。倫理観を持ってことに当たる政治家・公務員、法を守る警察官、未来がある若者・・・汗をかかないで利益を得、人を足蹴にし、のうのうと生きてい者たちもいる世の中です。

そういう人は、一生心から喜べる人生は送れません。心の寂しい人間で一生を終わることを知らないからです。

2017年9月29日 (金)

人の性格について

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「人の性格」・・・

性格とは…行動のしかたに現れると言われています。その人に固有の感情・意志の傾向などです。誰にでも分け隔てなくやさしい、気遣いがうまい人・・・「良い性格の人だねー」と言われています。その反対も・・・

人間形成(性格)は生まれ育った環境で左右される?

躾けの要点は、① 生活習慣 ② 人間関係 ③ 善悪の判断かと思います。

環境(家庭)つまり、その子供一人一人が育った環境や家庭でのしつけ、習慣、両親からの教育は後の人生まで左右しかねない問題を含んでいます。

三つ子の魂百までと諺にもありますように、その間どのような環境で育ったのかが概ねの人格を形成していくことになるでしょう。「鉄は熱いうちに打て」「三つ子の魂百まで」などと古くから幼児期のしつけの重要性について言われています。

幼児期の子どものしつけのあり方は、その子どもの一生を左右するかもしれません。もちろん、しつけの重要性は幼児期だけに限ったことではなく、それ以後もさまざまな課題として親に課せられてきますが・・・

人間教育の大切さ

最近の子どもや若者について、基本的生活能力、人間関係調整能力やコミュニケーション能力、命の尊さに関わるような善悪の判断力などが欠けているのではないかと心配されています。

その原因?家庭のあり方・・・

むかしは、「父親は外に出て働き、母親は家守り・子供を看る」という生活スタイルが確立していましたが、近年では夫婦共稼ぎで、子どもは幼児期から施設に預ける…

また、核家族化で、大事な人間教育役の祖父母の出る幕がない社会となってしまったのです。

2017年9月28日 (木)

不安なことが多い世の中・・・

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最近、年のせいか?毎日の嫌なニュースで、不安が増してきているように思います。人間である限り不安を感じることがあるのは、ごく普通なことなのかなぁ?

今、北朝鮮とアメリカの軍事衝突の危険性について色々不安を感じる人も多いと思います。一つ間違えば戦争になると思います。その時は日本も戦争に巻き込まれることでしょう。無傷で済むとは思いません。

でもそれを「どうなるだろうか?」と色々心配して、またその心配を口にして誰かと話したところで、自分が政府高官でない限りは、何もこの件に関してできないので、事態を見守るしかないのです。

これは別に北朝鮮問題だけではなく、人生に起こる色々な問題や思い通りにならないことで、私が考えても仕方がないこと、何もできないことに関して、心配したり考えたりすることを意識的にしないようにしていますが。。。

そして自分の心や感情を守るのです。これだけでも嫌な事が起こった時に必要以上に嫌な思いをしなくて済むと思うのです。

私たちは大抵、相手の行動や言動に対して、反応し合って生きています。「善い」「悪い」や「正しい」「正しくない」とジャッジしがちです。そして、相手に自分の正義を押し付けて戦ってしまうのです。

人は安心したい生き物

否定や攻撃からは、前向きな言動は生まれにくいものです。安心感があれば、頑張ろうと思えるし、困難にも立ち向かいやすくなり、周りの人を受け止めることもできるようになります。そう、安心感が人を動かすのです。

人に安心感を与えるためには、相手を「認める」ことです。認めるという言葉の語源は「見る」「留める」だそうです。

「見留める」とは、自分とは違うんだ、と心に留めること・・・いい、悪いとジャッジするのではなく、“そうなんだ”と受け入れることです。

幸せに感謝すること

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「生きてるだけで幸せ」

「幸せとは」・・・当たり前のようで当たり前ではないものです。

私は、身近にあるもの、日々感じて行けるものだと思います。外に出て、光、風、鳥、花、木々たちなど自然と触れあっているときに幸せを感じます。

夜寝ているとき、温かいお風呂に入っているときも幸せに感じます。そして、何より生きていることを実感しているときに幸せを感じます。

人の喜ぶことが出来ること、人の幸せを願うことができること、人の助かることが出来るときにも感じます。本当に「あり難いなぁー」と感じます。人の幸せを心から祈っているときも、幸せに感じます。

当たり前のようなことでも、それは奇跡に近い、素晴らしい出来事です。幸せはそのように心が決めていくものなのかもしれません。日々の奇跡に近い出来事に感謝することが幸せを感じれることなのかもしれません。

当たり前のことは何一つなく、すべてがかけがえのないこと、幸せなことなのです。そして、感謝出来ることなのです。

喜ぶことを見つけて・・・

小さなことでも大きく喜ぶことです。こうして生かされているだけでも、本当に幸せなことだなぁ…そう感じれたら、それは幸せそのものです。

2017年9月27日 (水)

すべて物事には終りがある

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ロシアの作家マクシム・ゴーリキーの名言…

「すべての物事には終わりがある。
            
したがって忍耐は成功を勝ち得る唯一の手段である。」

人間が何か志(こころざし)「を成し遂げるには、苦しい時期や厳しい時代が続くものです。人間とは弱いものです、結果が出る前に諦め、投げ出してしまうことが多々あるものだと思います。 

厳しい状況に置かれた中においても、苦しくとも諦めず、負けそうになる自分と戦いながら、最後の最後に勝利できた者だけが「成功」の二文字を掴み取れるものだと思います。成功を掴むためには苦しい時期や厳しい時代が続くものです。

しかし、目指すものが何であれ、日々弛まぬ努力続けることによって、人は確実に一歩ずつ前進し、進化していくものです。

なかなか結果が出ずに辛く苦しい時期も、自らを信じ、忍耐強く努力を続けることだけが「成功を勝ち得る唯一の手段である」とゴーリキーは言っているのでしょう

「始まりあれば、終わりある。終わりあれば、始まりもある。」

私たちの命も、いつか終わるのです。そう考えると、人間の幸・不幸の量は、一見、不公平に見えて、どこかでつじつまがあってるとも思うのです。世の中は表裏一体。白黒、表裏、上下、など良いも悪いも全てです。

いつまでも、この時が続けばいいのに… しかし、何んでも終わりはやってきます。そうして、私たちの命も、いつか終わるのです。何事も、いつか来る終わりがあるからこそ、輝く今と…意味があるのだと思います。

2017年9月26日 (火)

人生80にして思うこと

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孔子の「吾、15にして学に志し、30にして立ち、40にして惑わず、50にして天命を知る。60にして耳順(耳にしたがう)、70にして心の欲するところに従って矩(のり)をこえず」・・・あります。

しかし、その先の80は・・・我八十にして深く我が生を愛し、何とか今日という日を越えて明日を迎えて、またその日を越えて……と私・・・

「足るを知る」

現実を受け入れることです。欲望を持ち、何かをしたいともがく人ほど苦しみます。絶対に死ぬのですから、上手に死ぬ方法を考えてみることも・・・

「幸せ」の定義

自分の心がつくるものです。・・・自分が笑顔になれる瞬間であるということでしょうか?

家族のことを思って、「よし!頑張るぞ!」って思えたらそれも幸せだし、地域のために、ボランティアすることが出来ることが、幸せだと思います。

人生の岐路

岡本太郎・・・「人生の岐路に立った時、いつも困難なほうの道を選んできた」

スティーブ・ジョブズ・・・「安全にやろうと思うのは、一番危険な落とし穴なんだ」

二人とも、簡単そうな道を選ぶのではなく、難しそうな道を選べよという、至極シンプルな判断基準です。

普通の人の感覚で言えば、やはり簡単そうな、安全そうな、リスクの少なそうな道を選んでしまいがちです。というのも、人間というのはそういう風に考えるように出来ているからです。

人間というか動物全般はそうです。とにかく生き残る事、死なない事が一番重要な事ですから、敢えてリスクの高そうな選択をするのは、動物学的に見たら不自然なわけです。

人間社会で、ある選択をしたからって、それが死につながる事は稀です。どんなことにも良い面と悪い面があります。

長生きも同じ。片方にばかり着目せず、その良い面と悪い面をしっかりと考えることが大切です。長生きはいいね、とはとても単純には言い切れないです。

2017年9月25日 (月)

家庭制度と家族を考える

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「家制度」

数百年続いてきた「家制度」ですが、戦後には憲法24条等に反するとして、日本国憲法の施行(1947年5月3日)をもって廃止されました。

「家庭制度」

現代では「家庭制度」・・・「家」というつながりではなく、「家庭」というつながりを重視しています。結婚すると、新郎も新婦も、親の戸籍から離れ、新しい戸籍をつくります。そのため、「嫁に行く」とか、「婿に入る」とかいう概念はなくなったのです。

結婚すれば、どちらも親から離れ、新しい「家庭」をつくります。「本家だから」「分家だから」とか「嫁に行く」「婿に入る」とかは、100年も前に廃止された風習なのですが、いまだによく聞きます。

「風習や習慣」なかなか変わらないものです。

すでに法律も制度も変わっているのに、「主人」「家内」「嫁」「婿」などの言葉だけ残っています。言葉の意味を考えれば、現代で使っているのは、確かにおかしいのです。

昔は長男(あととり)の家に嫁ぐと言うことは、舅・姑・こじゅとう(配偶者の兄弟姉妹)の世界に入り義父母の介護は当然の如くでした。今でも思うのですが、嫁はいったい人権なんて無視された時代であったように思います。

今では介護保険制度があり、家族のあり方も改善されてきましたが、農業などの自営業に嫁ぐことには、周りの理解が大切なのは同然です。

二世代家族

二世帯住宅で住むということは、祖父母、夫婦、子どもと三世代で同居することになります。二世代同居のメリットとして考えられるのは、日常生活のさまざまな場面でお互いに協力し合えることです。

家事や育児を分担できることは非常に大きいでしょう。子どもが祖父母と触れ合いながら成長できたり、祖父母側も孫との生活で元気や刺激を得られたりします。

また、二世帯そろって留守になることは少ないでしょうから、安心して旅行や帰省など長期間、家を空けることができます。病気の際には、誰かしら家族がそばにいてくれることでしょう。

一方、二世帯住宅のデメリットは、親世帯と子世帯との文化の違いです。互いに生きてきた時代背景や社会環境などが異なるため、ライフスタイルや価値観が違います。

例えば、洗濯や料理、掃除のやり方や、生活リズムの違いに関して、摩擦が起こることもあるでしょう。

間取りによっては、プライバシーの確保も難しくなってきます。はじめは小さな摩擦だと思っていたことが、後々互いに大きなストレスとなることも考えられますので、注意が必要です。

2017年9月24日 (日)

判断と行動について

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私たちは、日常の生活において、何を基準に判断をして行動しているのでしょうか?

状況に応じて判断は異なりますが・・・

①・・・好きか嫌いか。

②・・・得か損か。

③・・・正しいか正しくないか。

この三つが選択の基準であり、行動の動機ではないでしょうか?

あとは、状況や立場によって使い分けることです。ただ、日常生活では一般的に“好きか、嫌いか”で判断し、仕事では「損か、得か」で判断しているように見受けられます。

でも、反論をする場合は、“正しいか、正しくないか”で判断しているみたいです。意見が違うというにも考えている基準が違うと食い違って当たり前です。

判断や議論をするときには何がベースになっているのか知ることで、よりいっそうのよい結果をもたらすことが出来るのではないでしょうか。

ただ気をつけてもらいたいのが、“好きか、嫌いか”です。人は知らず知らずのうちに、潜在的に“好きか、嫌いか”で行動、判断しています。

最近日本人は、先ず最初に、損か得かで判断して行動する人が多いように思えるのですが、“損か得か”を超えたモノサシを持てることが本当の心の豊かさを持つことなのかもしれません。そして、本当の心の豊かさというのは、徳を尊ぶ中にあると思います。

「言葉は建前」、「行動は本音」といいますので、信念を持つことが大切です。

2017年9月23日 (土)

家風・・・

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「家風」・・・個々の特定の家において世代を越えて踏襲される固有の慣習・流儀などの行動様式である(ウイキぺディア)

何代も続く「家」には、家風というものがありました。

それぞれの家庭一軒ずつに独特の香りや匂い、また、味わいや温もりなどというものが存在していたと思います。

しかし、現代は、残念ながら「味わい」とか「温もり」などが、だんだん失われつつあるのではないかと思います。それを家庭のあり方から考えると、おじいさんやおばあさんと同居する方が減ってきたことと関係があるのでしょう。

日本人の家庭というものは、おじいさんやおばあさんの姿・・・ご先祖様を大事にされ、あるいは神様仏様を信心されるお姿、信仰心・・・これを見ながら育つ子供たちは、小さいうちから自然とその姿を見習いました。

そして「自分もこうしなければならないんだな」と、おじいさんやおばあさんの日々の生き方から、家族の温かい愛情を知り、また、厳しいけれども大切な躾(しつけ)が形成されてきたことと思います。

一軒家の中で家族がそのようにして過ごすことにより、日本のすばらしい伝統文化が育まれてきたとも言えると私は思うのです。

それ故に、諸外国の人々から「日本人とは礼儀正しい素晴らしい民族だ」とか「非常に謙虚さを尊ぶ人たちだ」と、私たちの独特の気質を美徳として崇められてきたのです。

彼岸花の思い出

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彼岸花 今年も咲いて 墓参り

実家の墓は、つづら折り(幾度も折れ曲がった坂道)の途中にあります。

その途中にも彼岸花が咲いています。子供のころに、花は「家に持ち帰るでないぞ!…家が火事になるからな・・・」母親から言われていました。

今では、野道は舗装され、車が通れるまで開発されて、墓の近くまで家が建ち、昔の面影はありませんが、墓地(来光寺)は、昔のままです。

彼岸は(夜と昼が時間が同じ長さ)・・・秋分の日でもあるのです。

彼岸花というのは本当にお彼岸の間に狙い済ましたように咲くものなんですね。

 毎年のことだからわかってはいるものの。。。

お彼岸の少し前に時期を知らせてくれるように間違いなく咲いてくれるというのは、けなげでたいしたものだなぁ…と毎年思うのです。

2017年9月22日 (金)

幸せとは自分の心の在り方しだい

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人は誰でも幸せになりたい思っています。

お金・物がたくさんあっても幸せではないのです。幸せは、自分自身の心の中(在り方)しだいです。どんな生活環境でも、生きているだけで幸せと感じることが出来れば、最高の幸せ・・・

人生は決して不幸でも、つまらなくもありません。全く楽しみのない人なんていないはずです。どこにも喜びのない人生なんてないはずです。小さな幸せはいくらでも私たちの周りには溢れています。

裕福で華やかな暮らしでなくてもいい。幸せは人と比べるものでも競うものでもありません。ちょっと見上げた空が青く澄んでいる。そんな些細なことにも幸せを見いだせるのが私たちです。

「ありふれた毎日なんてつまらない」・・・そんなふうに決めつけて生きていれば、何をやっても退屈になってしまいます。

幸せに生きるために「特別な何か」は必要ありません。幸せは心の在り方しだいです。日々の小さな幸せを丁寧に感じてみることです。たったそれだけで人生を豊かに生きることができます。

2017年9月21日 (木)

秋の全国交通安全運動始まる

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「笛は鳴る 交通安全 秋運動」

「まちの人 笑顔で挨拶 交差点 コスモス咲いて 爽やかな朝」

今日から全国交通運動(21日~30)が始まりました。私も(片倉町一丁目町会)交通安全指導員として、小学生の通学時間に合わせ出動しました。

今日はよく晴れて、気持ちのよい朝でした。

ゆっくり生きよう

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「ゆっくり生きる」

心理学者のリチャード・カールソンの名言

ゆっくり生きることが大切なこととは・・・

(1)ストレスが少なくなる。

(2)肉体的に健康になる。

(3)その場にふさわしい、親密で愛情あふれる人間関係を築くことができる。

(4)感動する心が生まれ、身の回りの自然の美しさを楽しめるようになる。

(5)心の平静と落ち着きが得られる。

(6)生産性や創造性が著しく高まり、集中力も飛躍的に増す。

「今」に目を向けて、ゆっくりと生きよう言っています。

「やるべきことをすべて片づけてから(そんな日は決して来ない)、人生を楽しもうと考えてはいけない。私たちは目的地への到着を楽しみに待つだけでなく、旅の過程を楽しめるようになれるのである」

なんでも簡単に手に入る時代になりました。どこにいても答えが分かる世の中です。私たちもすぐに結果を求められることが増えてきました。だからでしょうか、いつも何かに追われるように感じてしまう。

大丈夫、慌てなくていい・・・急いで生きたりしなくていい・・・ゆっくり生きる方が、人生をよりよく味わうことができますから。。。即効性で、手軽に。。。そんな言葉が重宝がられる社会です。

幸せに見せる努力をやめれば幸せは見えてくるのです。自分を苦しめる余計なものは捨ててしまえばいい。急がず焦らず、丁寧で穏やかな暮らしでいいのです。

2017年9月20日 (水)

親が教えなければ・・・

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私はゴミ拾いをして思うのです。

車から、歩きながら、まちの道路・公園に・・・当然の如く捨てられています。タバコの吸い殻・空き缶・空きビン・ペットボトル・食べ物の包装紙・・・などなどです。

大人がポイ捨てしていれば、子どもはそれでいいと思うのです。そして人が捨ているので捨ててもいいだろう・・・とゴミだらけの“まち”になってしまいます。

親の躾け

躾とは、子どもが自ら生命の危険から守りつつ、自由に責任を持って生きるために、子どもに社会の一員として生きるてだてを教えながら、意欲や思いやり、善いこと悪いこと、命の大切さ、生活習慣や社会のルールなどが身につくよう教え導くことです

哲学者で教育者でもあった 森信三先生 は 「しつけの三原則」 として挙げています。

① 挨拶をすること。

② 「ハイ」 すること。

③ 履物をそろえること。 離席する時に椅子を元に戻すこと。

3つとも、日常生活のことです。やろうと思えば誰でもできる、もしくはすでにできているかもしれません。ただ、よくよく考えてみると、毎日、あるいは毎回、子どもがやっているかというと、そうではないケースが多いのではないでしょうか。

親ができているか

もう1つ、この三原則で思うのは、子どもにとって最も身近な存在である親が、普段からこの3つをやっているかどうかです。

朝、自分 (親) は家族に 「おはよう」 と挨拶をしない時もあるにもかかわらず、子どもにはしつけとして挨拶をしなさいと言い聞かせるとします。子どもにとっては説得力がないように見えるでしょう。2つ目と3つ目も同様です。

自分自身のことを振り返ると、3の靴を脱いだらそろえることは、特に自宅に帰った際はできていませんでした。離席する時に椅子を元に戻すこともやっていなかったです。

日々の小事にこそ躾の本質がある

しつけ三原則に対するポイントは、一見すると小事に見える日常のことにこそ、毎回毎回できるようにすることです。脱いだ靴をそろえるのは、玄関を共有する他人への気配りです。椅子を入れることも、次に使う他人への配慮です。

一方で、やらなかったからといって、特段に誰かに迷惑をかけるというほどのことでもありません。なので、どうしてもおろそかになりがちです。

だからこそ、それができるかどうか、毎回ちゃんとできるかどうかが、しつけの大事な要素になるのではないでしょうか。そして、子どもをしつけるためには、親である自分ができているかどうかがあらためて問われます。

日々の小事にこそ、躾の本質があるのではないでしょうか。

2017年9月19日 (火)

平均寿命と健康寿命

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日本人の平均寿命と健康寿命より

今年3月の、厚生労働省の発表で、日本の平均寿命は、男性80.75歳、女性は86.99歳で過去最高を更新です。毎年伸びています。

一方、健康寿命はというと、女性75歳、男性71歳。平均寿命から健康寿命を引いた年数、つまり、女性11.99年、男性9.75年が、病気で寝たきりになってしまったり、要介護などで、自立した生活が困難な状態の年数となります。

平均寿命とは・・・

平均寿命とは、0歳児が平均して、あと何年、生きられるかという指標となります。寿命には、喫煙や飲酒などの生活習慣、医療体制、ストレスなど様々な要素が影響するとされており、若い人の死亡が多い時、平均寿命は引き下げられます。

現代の平均寿命が延びているという事については、医療の力が深く関わっているのだと感じます。

健康寿命とは・・・

健康な状態で生活できた期間のこと。身体的自立した生活が営める状態です。若い時は、歩行も走行も飛んだり跳ねたり、自由自在です。思考も働きます。しかし、老いと共に、運動能力が低下し、思考能力も次第に低下します。

免疫力の低下により、病気にもかかりやすくなります。この、健康寿命をいかに長く保ち、平均寿命に近づけるかが重要になっています。

平均寿命と健康寿命の差をいかに縮めるか・・・誰だって、いつまでも元気でいたいです。他人の世話になんてなりたいなんて思いません。しかし、どうしたら絶対そうでいられるかなんて、名医といわれる医師だってわからないことなのです。

私は・・・食事・運動・奉仕活動・ストレス解消努めること。また、病気の早期発見と、治療も大事だ。。。と思います。

2017年9月18日 (月)

故郷の想い

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人には誰しも、生まれ育った故郷がある。それは母親の温もりにも似た聖地かも知れない。地方であろうが、都会であろうが、故郷への想いはみな同じです。

目を閉じても直ぐに思い浮かぶ、山や川、山で繰り拾い…川で魚捕り…田んぼでタニシを探し、ヤギ・ウシの餌を、土手で草を刈り…山で、木を切り、燃料に、川で洗濯する・・・山や川での生活そのものでした。

ですから親たちは、山の神様・川の神様。。。大切にしてきたのです。確かに、山仕事・田んぼの仕事は大変だった。ですから中学生の時期「農繁休日」があったくらいです。

現代は、何でも手に入る世の中、ものが溢れている世の中ですが、「他人事にして、行動を起こさない人が多い世の中」でもあります。

今、地球温暖化は、異常の大雨・異常の少雨など、気象現象が現れています。無意識ゴミのポイ捨てする人。小さなタバコの吸い殻など捨てても関係ない?という人がいます。

そして、問題なのは子どもたちが育つ環境が、ゴミだらけのまちで育つ・・・と思うと将来は大変なことになるのではと思うのです。

幸いにして私たちのまちには、形は大きくかわってしまいましたが、山や川があります。山にはうさぎはいません。川には、むかし棲んでいた、多くの種類は魚はいませんが、何とか現状維持を考えて行動(ゴミ拾い)しています。

私たちの住むまちは、自然豊なまち、美しいまち、住んで良かったまちに、しなければと考えて行動してきました。「自分さえ良ければ」の考えは改めて欲しいものです。

私は、人にやさしく、自然にやさしく、思いやりを持った大人になって欲しいもと思います。そして、子ども達も大人になり自分の生まれ育った故郷を私のように「大好き」と思える日が来ることを思う。また、故郷を大切に思う気持ちを育てていきたいです。

無理が利かない

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無理の利かない年齢・・・80歳~~~そうか今日は「敬老の日」だ。

台風18号のせいか、昨日の東京地方は、朝から雨でした。とても寒く…体調が悪く、ベットで寝てしまった。

高齢になると一般的には「他人の言うことを聞かなくなり」「頑固になり」「自分が正しいと思い込みが強くなり」と言われていますが、それが私本人とは・・・

「交通事故=高齢者」

周りのものから車の運転は、そろそろ・・・

実際高齢者の車の事故は多く、テレビや新聞のニュースで連日報道されています。人ごとではないと認識しています。

いやいや私も、車の運転も、考えなければいけない・・・やはり、動態視力・とっさの動作は以前より落ちていることは認めざるをえません。

年寄りは年寄りらしく・・・生きるのは、周りに迷惑をかけないこと(なるべくだが・・・)と思います。

それには、日常…1・・・有酸素運動 2・・・筋肉トレーニング 3・・・脳トレーニング 4・・・奉仕活動・・・を実行することだと思い、実行しているつもり。。。

2017年9月17日 (日)

安心して生きること

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人が安心して生きること

人間は、信頼でつながった、コミュニケーションの中で、その心は満足し穏やか心になるのです。人間の脳の仕組みがそのように造られているのです。

本物の親密さを知っている人が安心して生きることができます。何かがうまくいかなくても、それでもやさしくしする・・・そこに親密さは生まれます。

 「慈愛精神と信頼」

親であれば、我が子を愛するような深い愛情を持って接することができます、それが他人や身近に接する人々との間ではなかなか難しいと感じられます。

しかし、私たちがひとつとして生きるのであれば相手がどのような人であっても、慈愛の心を持って接することで、相手の立場を思いやり、お互いに良い信頼関係を築いて行くことができるのです。

人間は失敗の積み重ねから成長していくのです。

だからこそ自然で正常な人間関係のなかで成長してこられた人は、失敗したらどうしようという不安に支配されることがありません。だからこそものごとに挑戦的になれるのです。

うまくいかなかった時でも優しくてもらえる暖かさを知っている者は、安心してものごとに挑戦し、自分のなかに隠れている力を引き出すことができるのです。

2017年9月16日 (土)

人生は勝ち負けではない

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私は、平均寿命まで(男性80.75歳、女性は86.99歳)生きて来られたのは幸せです。

今までの人生振り返り思うことは・・・

「人生に勝ち負けではない」ということ。人生は誰かと競い合う場所でない。私たちに敵はいない。争う相手なんてどこにもいない。「生きる」とは幸せを奪い合うことではないんです。

他人は「敵」ではなく、共に生きる「仲間」・・・手を差し出せば、きっと味方になってくれる。誰かと比べて勝った負けた、上だ下だと一喜一憂してもむなしいだけ・・・

敵なんて、どこにも存在しない。他人を蹴落としても、幸せになれるわけじゃない。誰かが成功したって、その分幸せが減るわけじゃない。

人生は自分自身の戦い

人それぞれの価値観があります。自分の価値観に近い?人もいます。比較して競い合う理由なんてない。みんなで一緒に幸せに生きていくことができるのです。

そのことを理解していないと、どこまでいっても満たされないまま・・・人生を勝ち負けで捉えているかぎり、穏やかな気持ちでは生きられません。勝ち負けを手放した先に、心の平和があるのです。

大切なことは、価値観が違う人も認める心を持つこと

私は、異なる価値観に触れ、共感する事もある…考えられるようになりました。その結果、仲間と親しむ喜びを覚え認めてもらう嬉しさを知り、相手の方を尊重する幸せを手にしました。 自分の心を育てそれなりの人生哲学を持つようになりました。

2017年9月15日 (金)

未来の子供達にきれいな環境を・・・

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ゴミ問題対策・・・未来の子供達にきれいな環境を

ゴミ拾いを実行する勇気を・・・「ゴミ拾いをする人は、ゴミをすてません」

街中のこと

「ゴミを捨てる人は、捨てることを“良くないこと”と認識している。だからできるだけ目立ちにくいところにゴミを捨てる」・・・例えば、歩道の植え込みの中・物かげなどですが、ゴミが一つ落ちていたら、そこに捨てて行き・・・「チリも積れば山となる」です。

公園のこと

規範意識は、大人が示さなければ、子どもたちの将来はどうなるのでしょうか?公園に、子どもたちの飲んだジュースの空き缶・ペットボトルが散乱していたので、片付けたのですが・・・

お母さんたちは「チャンとゴミは持ち帰ってね!」と言っているのでしょうか?、そして帰ってそのフォローしているのでしょうか?疑ってしまいます。

もちろん、地域の人の注意の一言もだいじと思いますが・・・また、タバコの吸い殻も落ちていることもあります。犯人は若者?

ゴミ拾いをすると“捨てない大人”になる

自分の住む街がキレイだと多くの人は汚せないものなのです。ところが、多くは汚せない人だとしても、それでもゴミを捨てる大人がいることもまた事実です。それぞれの“大人の事情”を抱えた耳の痛い大人の人がいたら、ぜひ試しに「ゴミ拾い」を実践してほしいと思います。

自分がゴミ拾いする姿を「恥ずかしくないか?」

想像している人に知ってもらいたいことは、ゴミ拾いする姿はちっとも恥ずかしくない、それどころか、見ている者に何かを感じさせることができる・・・人に良い影響を及ぼすことができる姿でもあるのです。

私たち大人が率先して自分たちの街をキレイに保ち、そんな背中を次の世代に見せていきたいものです。

不安な時代だからこそ

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「人は生きているのではなく生かされている」のです。

自分一人の力で生きていると勘違いしている人が多い世の中です。他の人のことは、考えない、自分中心主義の人は独りで生きていると、勘違いしているのです。人は多くの人と繋がりが合って生きているのです、それが人間社会です。人間社会には・・・ルールと責任があります。

いま北朝鮮の核開発の問題もあり、混迷を極め先行きの見えない「不安の時代」を生きています。また、私たちは、豊かなはずなのに心は満たされず、衣食足りているはずなのに礼節に乏しく、自由なはずなのにどこか閉塞感があります。

やる気さえあれば、どんなものでも手に入り何でもできるのに、無気力で悲観的になり、中には犯罪や不祥事に手を染めてしまう人もいます。

不安な時代だからこそ、規範意識と思い遣りが大切

今日の家庭や地域においては、少子化や核家族化が進み、子どもは異年齢集団との交流や地域の大人との関わりが減少し、規範意識や他者への思いやりなどといった道徳性が育まれにくくなっています。

人間は他者と共存し、社会の中で生きることが、生まれついての使命でありまた、その中で幸せに生きて行くことも、個々の人生における使命です。

それを実現して行くことが人間として成長するということであり、大人になるということだと思います。ですから、他者を配慮しない振る舞いは、社会的に受け入れられず、一人前としては認められないのです。

2017年9月14日 (木)

ご近所付き合い

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ご近所付き合いから地域社会を再構築

自分たちの住むまちの現状・・・

核家族化で、老夫婦世帯・独り暮らし・空き家・住民票移さない住民・・・などと、町の人がお互いを知る機会は非常に少ないです。 

不安なのは、プライバシー?隣どうしでも、挨拶もしない人がいます。住民票移さない住民は、電話番号も教えないことなどです。

何処にどのような人が住んでいるかもわからない町内では、もし大きな災害が起こった時に連絡が取れない・・・命に関わる大きな問題が起こります。 

若い人同士はインターネットのツールで繋がれているから助かるかもしれないけど、お年寄りなど、誰が助けられるのかと・・・心配です。

多くの人が、近所付き合いを「ある程度したい」と思っていても・・・それが昔からの自治会や町会だけではなく・・・
今の社会に合ったものがあるのではないか?その新しい近所づきあい再構築する必要があると思うのです。 

地域の繋がりを再構築するには、従来の自冶会・町内会を活性化するには、若い人たちの意見を取り入れ・・・今何処にどのような人が住んでいるか?

むかし、警察の方が、住民台帳?持って、「家族構成にお変わりありませんか?」と聞いて歩いていました。今出来る事を実行することです。

実際に地域社会に暮らす人たちの知恵を借りたり、要望をを聞き、防災という切り口で地域に眠っている助け合いの仕組みを創ること・・・再構築が急務です。

2017年9月13日 (水)

自然の大切さ

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「自然環境を守ろう」

私たちはすべての生き物といっしょ・・・

自然環境の中に生きています。

海や山や、川などの大きな自然はもちろん、

木や花や虫や鳥、川の中の魚、私たち人間の体も自然の一部です。

大事な環境保護

森の木を切ったら新しく植え直す・・・

川を汚さないようにする・・・

野生動物をむやみに殺さない・・・

自然環境を大切に守って、問題が見つかったら直していく・・・

どうすればよいかをみんなで考えて工夫する。

自然のしくみを守りながら暮らしていくと、

気持ちのよい自然環境の中で生きていくことができます。

自然環境保護は、エコ活動の基本です。

ちょっと昔にいた生き物がどんどん、いなくなっています。

     むかし川にいた魚

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           沢かに

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           すなもぐり

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           かわえび

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なまず

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           ギバチ

ほかに、私たちのまちを流れる湯殿川には、ウナギ・ドジョウ・メダカ・フナ・ハヤなどなど、たくさんの種類の魚が棲んでいました。水生昆虫・ホタル・カエルも多くいました。残念ながら、開発が進み、いなくなってしまいました。

なんとか取り戻したいものです。

田んぼのあぜ道に秋

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畦道に 稲の穂垂れて 秋の蝶

9月に入るとまだ暑い日もありますが・・・

朝晩には確実に秋が近づいていることが実感できます。

そして「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉の通りに・・・

お彼岸を過ぎると本格的な秋へと季節は移り変わります。

人は行動で評価される

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「人を動かす」

連合艦隊の総司令長官 山本五十六の有名な言葉・・・

「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ 」・・・があります。

理念遂行・・・ひたむきな行動が大事

ひたむきに行動する・・・いろいろ意見を言っても行動しない人が多い現代社会・・・そのひたむきさに、その想いに、人は響くものを感じ、心を動かされていくのです。ひたすら一つのことに行動を続けることです。

何か一つ、自分の魂から想うことをやり続けることで・・・人は大きく成長するものと信じたいものです。

人は、それぞれの使命をもって生まれてきたと思います。その使命とは何か?世の中に貢献することです。世の中に役立つことを実行することです。

私たちは生きているうちに様々なものを頂いて生かされています。太陽の光や水や空気、そして子供から社会人になるまで両親などに育てられてきます。

社会人になっても、様々な人の見えない支えによって私たちは快適に暮らせているわけです。

理論から行動

世の中を“よくする”使命を持って生まれてきたと言えます。自己実現の道が成就したら世の中の役に立つのか、それとも自己満足が強いのかを検討しておくのも必要かと思います。

人々のお役に立つものであるのか、それとも自分が偉く見られたり、評価を受けることを目的としていないかをチェックしていただきたいものです。

2017年9月12日 (火)

季節移り変り早い

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秋雨に 城跡の森は 静かなり

秋涼し 過ぎ行く夏に 湯殿川 

歳を取ったせいか、時の流れは早く感じます。

夕方、片倉城跡の森のツクツクボウシ鳴いていたのが

・・・いつの間にか聞こえなくなりました。

祭りも終えて片倉城跡公園に秋の訪れが・・・

湯殿川沿いにススキの穂が秋風に揺れています。

それにしても、今年の夏は、雨の日が多かったです。

 

生きる目的・・・

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人生の目的は「幸せ」になることです。

パスカル・・・「すべての人は、幸福になることをさがし求めている。それには例外がない。どんな異なった方法を用いようと、みなこの目的に向かっている・・・」

「幸せ」というのは人間の主観的なもので、人によって「幸せだ」と感じる内容や程度に違いがありますが、その一つに・・・「仕事で社会に貢献すること」・・・「良き子孫を残すこと」もあります。

日々の暮らしで人の役に立ち、人に感謝され、人に尊敬され、人に必要な存在なのだと実感する事が少ないのが現代社会です。本当の意味での喜びや楽しさ、人生の豊かさは心が通った人々の係わりの中でしか生まれません。

現代は、過剰なモノやサービスは当たり前で必然的に他人との係わりは薄れ、機械的にまわる世の中にいると次第に他人に感謝する気持ちも無くなっていく…必要以上に他人と係わらなくなる…

価値観の多様化で、他人をいちいち信頼できる人間なのかを確かめるのが面倒だから、結果は不本意ながらも心は閉ざされていってしまう。

自己中心の自分の欲望の赴くままに欲しいものを手に入れ、物にあふれ物質的に満ち足りているように見えていてもなぜか、心の中は隙間風が吹いている?

自分を偽り虚構の中に一人孤独に苦しみ生きているからなのでしょうか、心を閉ざし続け目の前にあるものが見えなくなっているのでしょうか。。。

生きていて何も悩みがないという人はいないと思います。友人や仲間が欲しい、恋人が欲しい、結婚したい、愛し愛されたい、人に認められたい、人の役に立ちたい、生き甲斐を見つけたい、好きな事をしたい、楽しく生きたい等と思っている人は多い。

究極的幸せとは・・・

一生懸命生きながら、「幸せを探し続けることができる」ことだと思います。

感謝の心 

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日々に感謝の心

「ありがとう」

「人はひとりで生きているのではない」

感謝の心を、言葉して伝えることが大切・・・言われた相手も、言った本人も気持がいいものです。

「感謝を「義務」や「義理」と捉えている人も少なくないように思います。良くしてもらったからお礼を返さなくてはいけません。助けてもらったのだから恩を感じなければいません。

自分にとってプラスになったときだけ感謝する・・・何かをしてもらったときだけ感謝するのではありません。人は自分だけの力で生きているのではないのですから。。。

「自分の弱さを認め、驕ることなく、謙虚さを」

今があるのが当然ではなく、多くの人たちのお陰です。沢山のものに自分が生かされていることに気づき、自覚することです。

「ありふれた日常にこそ感謝する」

私たちは変わらない毎日があることを「当たり前」だと思って過ごしています。人が生きるということ、平和が日々があるということ。当たり前になりすぎて、そこにある幸せに気がつかない。

何か特別なことがないかぎり、改めて感謝することもありません。「特別」に対してだけ感謝をするのではないのです。どんなときだって感謝の心を忘れないことです。

『何でもない「今」という瞬間に感謝』

特別ではなく、何でもないありふれた日常にこそ感謝する・・・足る心を知り、恵まれていることを実感する。感謝できれば今ある幸せに気がつくことができるのです。

2017年9月11日 (月)

人が涙するとき

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「人の涙」

涙を、今すぐ流そうと思っても、流すことができません。人は涙が流す時は、悔しいとき、嬉しいとき、涙を流します。また、悲しいことがあったときや、懸命の努力が報われたときなどです。そして、思いが胸いっぱいになってあふれたとき、涙がこぼれます。

涙が出そうになったとき、我慢するのはよくありません。涙は、流すためにあります。

たくさん涙を流すのは、弱いからではありません。いろいろな深い経験をする機会が多いから、よく涙を流すのです。すなわち、涙の数が多いほど、貴重な経験もできていることになります。

人生では、涙を我慢するのではありません。むしろ逆です。涙を流す機会を増やす努力が必要です。人の気持ちが理解できるようになったり、自分の夢を実現しやすくなったりするからです。

涙の数だけ強く、大きくなれる

TOMORROW の「涙の数だけ」強くなれるよ!・・・がありますが、涙の数だけ、大人になれ、強くなれます。泣くことが少ない人より、よく泣く人のほうが、人生を深く味わっています。泣き虫ほど、大きく成長できるのです。

2017年9月10日 (日)

コスモスへの想い

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 2008年地域の有志植えた湯殿川のコスモス

「コスモスは 空キャンバスに 咲き誇る」

日本の秋の代表的な花「コスモス」

今年も、可憐なコスモスが咲く季節となりました。それと同時に、時の移り変りは早いと、感じる今日この頃です。

ひとむかし前まで、私たちの地域の有志で毎年、近くの湯殿川の河川管理通路に、コスモスを植えて、楽しんだものですが、今では高齢化で出来きません、また引き継ぐ人もいなく、寂しいことです。

価値観の違い?

ますます、忙しい時代となっているのでしょうか…心に余裕がないのでしょうか…価値観の違いでしょうか…コスモスを植えて花を楽しむ。。。人はいません。

コスモスの花言葉

いろによって、花言葉は違うそうです。全体的には「調和」・「謙虚」・「乙女の真心」だそうです。秩序を重んじ、調和を保つことを好み、謙虚であることが多い日本人の気質を表しているかのような花言葉です。

原産地はメキシコで、これほどまでに日本になじみ、秋の季語にもなっているコスモスですが、原産国はメキシコです。日本には明治の初期の頃だそうです。

2017年9月 9日 (土)

和の精神について

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『和の精神』

「和」の精神の大切さと言えば、毛利元就と「三本の矢」を思いだします。

戦国時代には親子や兄弟同士が戦うこともあった中で「家族の絆」「兄弟の絆」を大切にしなさいという元就のメッセージ…とても奥深い気がします。

私たちの町の氏神様で、住吉神社(片倉城跡公園)にあります。その社(やしろ)に毛利家の家紋「一に星三つ」です。その由来は別にして住吉神社は、日本各地にあります、地域の人々に和の精神の尊さを諭しているのではないでしょうか・・・

「和の精神の本来の意味」

民主主義の現代では、「みんなと一緒の強制」や「自己主張しない美徳」などでは決してありません。みんなが主張すべきは主張した上で、より大きな目標に向かって集合知(多くの人による大量の情報の寄せ集めの集計のこと)が和の精神です。

議会制民主主義の原型とでも言うべきグローバルに通用多くの人による大量の情報の寄せ集めの集計のことする発想が和の精神の根本なのです。

「和をもって貴しとなす」

人々がお互いに仲良く、調和していくことが最も大事なことであるという教え・・・「立場や価値観の違いは尊重した上で、共通の目標のために力を出し合う」ということなのです。

「和」を大切にというのは、「みんなの価値観を全て同じにしよう」ということでは決してないのです。

2017年9月 8日 (金)

生きていられることは当たり前ではない

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私たちは、人の見ているところでは、あまり悪いことはしません。でも、人の見ていないところが大切なのです。人の見ていないところ、心の中で、毎日どのような生活をしているのか・・・ここがまさに幸福と不幸の分かれ道なのだと思います。

感謝の心をもつ

毎日を生かされている自分を感謝する心が大切です。

私が子供の頃、母親が、朝起きて、外に水汲みに行き…よく「おてんとうさまにりょう手を合わせている」姿を見ていました。今思うと「今日も、無事夜が明けたという「感謝の心」からだったと思うのです。

生きていられることは、当たり前ではない

人に見られない…心の中で、いつも「ありがとうございます」という感謝の想いをもって、暮らすことか大切です。生きていられることは、当たり前はないのです。

夜、床に付くとき今日も無事に一日終り「ありがとうございます」を想いながら眠りにつく・・・目に見えないところを大切に、感謝で始まり感謝で終る一日。。。それが幸福への一番の近道であると私は信じます。

町の将来が不安

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「空き家」

全国的には、現在ほぼ7軒に1軒の割合で空き家になっているとのことです。また野村総合研究所の試算によると、このまま減築が進まない場合、2033年には3軒に1軒が空き家になるとしています。

少子化・人口減少・核家族化などなどで、私たちのまちでも空き家が増えています。

今まであまり気にしなかったが、空き家が増えているという報道を見てから、近所に注意を向けてみると、至る所に空き屋を発見して驚いています。

景観上・・・

空き家を放置すると近所迷惑になりやすい要素が多く、地域によっては景観上の問題にも発展して、その影響度は大きいと考えられています。

犯罪・・・

空き家があることで犯罪が増加するとしたら、まずは不法侵入や不法占拠です。ただし、それだけでは所有者に対する不法行為なので周辺まで至りません。

ところが、死角になった空き家の内部で犯罪が行われるようでは、周辺の治安にも影響しますし、安心して暮らすことができなくなります。そして最も悪影響を与えると思われる犯罪は、空き家への放火の増加です。

ワンルームマンションの新築

その一方で、ワンルームマンションが建ち、に学生?(住所変更しない)が、近所に引っ越してくる住民もいます。

自然災害はいつ起こるか分かりません。連絡先き、名前を問い合わせても、プライバシーがあるからと、教えられない状況では、町内会・近所に住む者としても不安です。

2017年9月 7日 (木)

絶対安全はない

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交通安全に「絶対安全はない」

信号がない道路を渡る人が後を絶ちません。私の近くの国道16号住吉橋付近では、通勤・通学・散歩などで、信号があるところまで行かず、危ない近道?を渡る人が、後を絶たない・・・

最近警察で、警告の“危険・渡るな”を表示シート橋の欄干取り付けました。

しかし、多くの人が渡ったいます。その近くで、むかし、子供の死亡事故が、多発した経緯があり、近くに、「交通安全の碑」があります。(最近は“碑”自体気付いていない)…

「事故がない?」

無視されているのです。「アッ危ない」光景が見られるのです。「絶対安全はありません」・・・

事故が起きてからでは遅いのです、取り返しが付かないのです。

実際、『赤信号 みんなで渡れば こわくない』・・・なんて言葉がありますが、「皆がやっているから」・・・は事故が起こります。「9月21日~30日全国交通安全運動」が始まります。絶対に事故は、起こさないようにしたいものです。

八王子市では、市民一人ひとりに交通安全の知識を普及し、交通安全思想の高揚を図るとともに、交通ルールの遵守と正しい交通マナーの実践を習慣付けることにより交通事故防止の徹底を図るため、交通安全運動を実施しています。

八王子市内の交通事故(八王子市ホームページより)

平成29年7月末時点の交通事故発生状況(累計)

 発生件数死者数重傷者数軽傷者数
八王子市内  

  926

  1   8

1085

(前年比)

 (+28)

 (-4)  (+1)

(+21)

「みんなで守ろう交通ルール」

2017年9月 6日 (水)

小さな雑草から学ぶ

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小さな雑草

踏まれてもたくましく立ち上がる雑草・・・

ちょっとコンクリートの割れ目にも息づいて、実をつける雑草・・・

この雑草の強さの秘密とは何なのでしょうか?

雑草はいわば“逆境を生きる道”を選んだ植物です。

抜かれたり、踏まれたりという生存にとって苛酷と思われる環境こそが、

彼らの活躍の場であるといえます。

人間に忌み嫌われ焼かれ抜かれても、根や種を残す、強かさがあります。

何故そこまで強いのだろう?

その強さこそ憧れではないでしょうか・・・

「君よ雑草のごとくあれ!」

その強さがあるならば人の世でも、望むなら美しくも生きられるでしょう。

この地上で一番存在を謳歌しているのは・・・

人が感心すら抱かない、ありふれた存在の雑草ではないのか。。。

誰に知られる事無くくひっそりと・・・

それは偉大な貢献だと思います。

「雑草は凄い!」

人もその様に生きられたら、それは紛れもない事実だし美学です。

2017年9月 5日 (火)

「老化」と言う、言葉に重みを…

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「老化」と言う、言葉に重みを実感する今日この頃です。

確かに、気力・体力の衰えは、如何ともしがたい…モノがあります。

いま80歳 年相応な生き方を、考えてみました。

その一つ「肩の力を抜いて楽に生きよう」

虚栄心(みえを張りたがるきもち)を手放し、あるがままで生きよう。

どんな人にだって欠点はあるものです。

苦手なことがあっていい…出来ないことがあっていいんです…

不完全な自分を認めることができないと疲れます。

ありのままの現実を受け入れることです…

ありのままの自分自身と向うことができます。

今より生きることが楽しくなります。

弱さを認められた先に本当の強さがあります。

不完全さを受け入れることで、しなやかで穏やかな心が持てるのです。

軽やかな心で人生を歩んでいきたいと思います。

2017年9月 4日 (月)

倫理の大事さ

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北朝鮮の核実験はショックな出来事です。

北朝鮮で、昨日、核実験を行ったという。日本や韓国、アメリカは、もちろん、世界中の国々で危機感を抱いています。

それは、地球上で生物が生きていけないまでの、危機的な状況を招きかねないのは、現代人では分かっているからです。

人間の幸せを求めていくには、暴力では勝ち取ることは出来ません。どんな人間でも、自分中心の考えでは生きていけないのです。人類の歴史上からも証明されています。

倫理の大切さを痛感しています。

倫理とは・・・

人が共に生き、仲良く暮らしていくための“すじみち”です。目に見えなくても、社会生活をまっとうする上に、確かに存在するルールです。

もともとは、人が造り定めてものではなく、大自然の摂理を日々の生活に取り入れた、易しくも、厳正な法則です。

したがって、人間は、これによらなければ、一日も満足に生きていけないものです。政治・経済、あらゆる主義、思想などの基盤であり、それらをすべてを包括して、正しい方向を指示する道といえるでしょう。

倫理の実践・・・

私たちにとって忘れてならないことは、倫理は、実践によって命が与えられるということです。実践するその時に、倫理は初めて生きて働くのです。それを行うことによって、人は、幸せに生きられるのです。

2017年9月 3日 (日)

共生の社会

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人は、他の人と関わり合わなければ、生きていけません。

性ある人間が共に生きていく上で、価値観をすべて共有することは、不可能です。

共生社会・・・誰もが相互に人格と個性を尊重し支え合い、人々の多様な在り方を相互に認め合える全員参加型の社会です。

部分的に共有するとか・・・多様性を相互が認め合うという努力を必要です。互いが理解する努力をしないかぎり、人間関係は破綻してしまいます。

ロシアの文豪ドストエフスキー名言『自分も生き、他人をも生かすようにする』があります

「自分も生き、他人も生かす」ということは、自分だけが生きればいい、という自分本位な考え方を捨てるということです。

『 自分を生かし 、他人を生かして、共に生きる 』

◎ 「自分を生かす」とは・・・自分の弱さやよさを知り、自分にできる精一杯の力を出し切ることです。

◎ 「人を生かす」とは・・・仲間を大切にして、仲間のよさを見つけ、仲間から学び、仲間を支えることです。

◎ 「共に生きる」とは・・・仲間のよさも弱さも認めた上で、お互い協力し合い、よりよいものを目指して、一緒に高まり合うことです。

2017年9月 2日 (土)

幸せとは・・・

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幸せとは何か?

幸せ=安心・満足できることです。

厳密な定義は難しいのですが、簡単にいえば  安心・満足と言えるでしょう。

精神的に安心・満足は・・・愛情、愛着、友情などから、感じられます。

人とのつながりを通して得られる心・・・幸せは、心で感じるものです。

心があってこそ、本当の幸せを感じます。

人とのつながりを通して得られる心に触れたとき、人は深い安心感・満足感を抱きます。

人から慕われたり、愛されたり、尊重されたりするとき・・・

「幸せだな」と感動し、深い満足感が得られるのです。

人間関係を大切すること・・・

家族関係、友達関係など。。。

本当の幸せとは、物質的豊かさではなく、精神的豊かさです。

2017年9月 1日 (金)

毎日が幸せ

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私は毎日幸せ…感謝しています。

当然悩むことも落ち込むこともありますが、「生きるって本当に楽しいなぁー」と思いながら、毎日生きています。生きてるだけで幸せです。

幸せとは当たり前のようで当たり前ではないものです。身近にあるもの、日々感じて行けるものだと思います。

幸せとは、朝起きて…夜寝ること…

その一日の連続で、一週…一ヶ月…一年…と生きられることだと思います。そりゃー人間関係・体調不良・生活環境などの問題はあります。三度の飯が食べられて、妻・子供・孫たちも、百点満点ではないけれど、生きているのです。

また、光、風、鳥、花、木々たちなど自然と触れあっているときにも幸せを感じます。外を散歩をしているときにも幸せを感じます。

手があること、足があること、耳が聞こえること、目が見えることにも幸せを感じます。そして、人の喜ぶことが出来ること、人の幸せを願うことができること、人の助かることが出来るときにも感じます。

当たり前のようなことでも、それは奇跡に近い、素晴らしい出来事です。幸せはそのように心が決めていくものなのかもしれません。日々の奇跡に近い出来事に、感謝することが幸せを感じれることなのかもしれません。

当たり前のことは何一つなく、すべてがかけがえのないこと、幸せなことなのです。そして、感謝出来ることなのです。

自利利他円満・・・

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仏教の教えに「自利利他円満」があります

自分の幸せ(自らの喜び)が、他人の幸せ(他者の喜び)にもつながり、他人の幸せ(他者の喜び)が、自分の幸せ(自らの喜び)にもなるということです。

「なるほど」と思う反面、現実問題となると、非常に難しいことです。他人の幸せが、必ずしも直接的に自分の幸せにつながると思えないからです。

人には「自我」の思いがあります。しかし、他人のことはほっておいて、自分の幸せのみを追求すればどうでしょうか・・・ギスギスとした、争いごとの絶えない凄惨な社会となります。

私たちは、そんな社会を決して求めていません。

自然と、「おもてなし」「おもいやり」「おかげさま」等の言葉に、何か、懐かしさや、安らぎを感じ、心がひかれるのではないでしょうか・・・

大切なことは、「自分」「他人」という「自我」の壁を可能な限り低くし、「少しでも相手の心を知ることができる」ように努めることです。

しかし、このことが難しい。「情けはひとのためならず」と、いずれ自分にかえってくることを計算したり、世間の評判をひそかに期待したりする心が働くことです。

私たちは、社会の現実に向きあって、欲望や執着などの煩悩に支配されて生きている人間です。

人として、不十分、不完全であることを知らされると共に、そのことを自覚しつつ、少しでも「利他他者の喜びを自らの喜びとする」生き方を願いとして、歩んでいきたいものです。

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