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2017年8月

2017年8月18日 (金)

子どもの道徳教育・・・

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私はよく、町内のゴミ拾いをします。

昨日は、大きな袋二つになりました。タバコの吸い殻・空き缶・空きビンなどす。最後に公園を見渡し、何も落ちていないと・・・思ったら、よく見たら、犬のフンがありました。

飼い主の犬の糞の不始末では、八王子市の公園課と相談して、大きな注意看板を設置してもらったのですが、まだまだ心ない人がいるのです。日ごろ子どもたちが、遊んでいるのです。

子どもの道徳教育…

教育は、家庭では、もちろん、学校・地域で、行うことが私の持論です。子供が遊んでいて、そのまま立ち去ろうしたときは、「ゴミは持ち帰りですよ!」と言います。そして、子供会の会長にも、親御さんにも、実情を話し、“躾け”をお願いしています。

心ない一部の大人に、まったくと言っていいほど、“まちの美化”に無関心?の人がいます。子どもたちの道徳教育にも良くないことです。絶対に改めて頂きたいことです。

京セラの稲盛和夫氏も言っています。

「小学校の道徳のようなことをいう」と笑う人がいるかもしれません。しかし、その小学生のときに教わったようなことを、私たち大人が守れなかったからこそ、いまこれほどまでに社会の価値観が揺らぎ、人の心が荒廃しているのではないでしょうか。

いま、子どもに向かって堂々とモラルを説ける大人がどれほどいるか。これはしてはいけないことだ、あれはこうすべきだと、明確に規範を示し、倫理を説ける。そういう識見と精神、重厚な人格を有した人物がどれだけ出てきたか。

それを思うと、私なども忸怩(じくじ)たる思いにとらわれないわけにはいきません。

正しい生き方とは、けっしてむずかしいことではないはずです。子どものときに親から教わった、ごく当たり前の道徳心 ― 嘘をつくな、正直であれ、人をだましてはいけない、欲張るな ― そういうシンプルな規範の意味をあらためて考え直し、それをきちんと遵守することがいまこそ必要なのです。

2017年8月17日 (木)

生きる使命とは・・・

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「私はこれのために生きている」

はっきりと断言できる人は、今のこのご時世、こうやって言い切れる人が、本当に少なくなった気がします。

「自分は“何に”心を動かされ、“何の”ために生きるのか?」

普通の生活、当たり前の生活を送っている中で、一番見失いがちで、一番忘れがちです。一番大事なものとは、一体それはなんなのだろう?

自分軸(自分の生きる基軸・キャラクター)づくり

自分がたくさんの判断を求められたり、誘惑を受けたりする中で、「常に自分を貫く確固たる価値観によって行動」していれば、自分らしく生きることができるはずです。

自分には、人に何が出来るのか…自分にしか出来ないものは何か…そういう生きる基軸、つまりは価値観を是非、見つけることです。

自分がこの世に生きて、その使命は・・・

「使命」の本質は、「当たり前の日常の一日一日、この日々の一瞬、一瞬に対し、意識的にしあわせに気づくこと」です。幸せを感じ、幸せを創り続けていくこと・・・すなわち、「私たちの使命は、日々、幸せになることそのものである」と言えそうです。

もちろん、周りの人が苦しんでいては、幸せ感は味合えません。周りの人を幸せにしてこそ本当の幸せ…私の使命と考えています。

「自分にしか出来ないことをして、人から感謝されること」「それが、自分がお金や物で満たされない、最高の幸せと思います。そう考えることで、生きることもそうですが、人と接することも楽になります。

2017年8月16日 (水)

信頼は行動で得るもの

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人からの信頼を得るには行動で示すことです。

言葉というのは意志を伝えるのに便利で、

話すことで信頼を得ることができると思うかもしれません。

しかし、言葉はその場では信じてもらえたとしても、

行動が伴わないとその信頼はすぐに失われます。

逆に言葉では信じてもらえなかったとしても、

行動で示すことで信頼を得ることができるのです。

「言行一致」

このことは相手が信頼に足る人物かを見極めるときにもいえることです。

口先だけなのか、やるべきことをちゃんと実行する人物なのかを・・・

行動を見るだけですぐにわかります。

信頼を築くことができるのは行動です。

一度や二度では信頼されないかもしれませんが、

継続して行動をしつづけることが信頼へとつながります。

信頼を得たければ行動あるのみです。

愚直に、一つ一つの行動で示すからこそ、

信頼は積み上がっていくのです。

 

人生善いこと善くないこと半々

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善いことと、善くないことが、半々であればいいじゃないですか。。。

それが人生」・・・認識しています。

理路整然とした論文のような人生などあり得ません。仮にあったとしても、そんな計算ずくの人生は心の葛藤も人間味はありません。完璧な人生なんて・・・遣り残しがあっていい。やり残したことがいっぱいあるのが人生です。

もがきながら、「人生の酢も甘いも知り尽くした人」は味があり、奥が深く、魅力的だと思っています。フットワークを考えて身軽さを心がけ、欲張らないこと…すなわち、多くを求めすぎないことです。

私は、Blogとか、Twitterとか、faccebookとか、Socialメディア系で、言いっぱなし、書きっぱなしといったように、一方的な情報発信が、今は市民権を得ていると思っています。

これは、最近の情報処理のトレンドかと思いますが、情報量がある程度以上になると、このスタイルしか情報交換ができないため、おのずとこの形に近づく・・・これでストレス発散できればそれが良いのです。

キーワードで検索する場合でも、じっくりと少ない回数で目的をさがすよりも、さらっとですが回数をなめることで目的に近付く、このスタイルが大容量情報をさばくために必要な発想方法が良いです。

従って、この「だいたい」をキャッチするアンテナを立てて、幅広く探す…この発想があれば、時間の無駄が省けることになると思う。

いつの間にかこんな歳に・・・

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いつの間にか、こんな歳を取ってしまった!

・・・自分では若い若いと思っていても、歳下の人と行動をしていて、気力・体力が落ちた…と気付かされます。

歳を取ってきますと、人間、鈍感になります。

緊張感が続くと…休んでも、中々疲れが取れない、素早い動きは出来ない、鉄棒にぶら下がり、蹴上がりができない、歩く時に平らの所でもつまづく…若い時には想像も出来ないことです。

そして、漢字や英語の単語が、覚えられない、思い出せない、すぐに忘れるなんて、記憶力の減退は明瞭に認識できます。これが、老化、ボケと言う事でしょう。

これに対処しようと努力をしても、どうしようもない、人間の本性の限界だから、逆らってもろくな事はありません。早い状況変化には、対応出来ないのです。

戦術実務からは引退すべきです。でなければ、世に老害を与えることになります。歳を取るに従い、肝に銘じておくべき事です。

一方、努力を続けると、ゆっくりしたものは良くわかることもあります。即ち、歳を取っても、経験の集積から、状況の中に於ける現在位置は良くわかる様になっている面もあります。

しかし、ボケた人は、言っていることが正しいか否かも分からないので、老人の話を聞いたとき、現役の人には、自分の頭で判断できる聡明さが必要です。

役に立つ事があればうまく取り込むのは、直接利害に関わる若い世代の人で、年寄りは関係なく消えて行くのがいいのではないでしょうか?それが自然摂理です。

2017年8月15日 (火)

ゴミを拾う人は、ゴミを捨てません

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「気づき」

社会人にとって、自ら気づき、考え、行動する力は大事な能力だと考えています。

「気づく」ということは、今まで目を向けていなかったことに目を向けることです。つまり、何かに「気持ちを向ける」ための活動です。

例えば、清掃活動に参加して、たくさんのゴミが捨てられていることに気づくことなどです。地球温暖化を引き起こすことを理解することです。「気づき」から一歩進み、ゴミを拾うという行動を起すことです。

そのことは、地域に住んでいる人たちの健康になり、明るいまちづくりの一環であると思います。

「気づいて」欲しい「平気でゴミのポイ捨てする人」に・・・

「信用」「品格」「こころ」「おもいやり」「自尊心」「高潔」「公共心」「道徳心」「魂」「礼節」…を捨てているのです。人によってさまざまな言葉が当てはまると思います。

その中でも、私は「信用」という言葉を一番に上げたいと思います。人の目の前でポイッとゴミを捨てる人は「信用」できません。

空き缶を車の窓から中央分離帯へ投げ捨てる人・・・タバコの吸殻を、舗道に捨てる人・・・その人たちは、実は、自分の一番大切な「信頼」を捨てているのです。

いくらお金持ちでも、どれほど大きな会社の社長さんでも、「空缶のポイ捨て」をするような人とは信用できないので、付き合いたくありません。

「ゴミを拾う人は、ゴミをすてません」

地球温暖化・・・地球の危機が叫ばれています。ゴミを拾うことは、次世代の子どもたちへの実践教育でもあります。

お盆休みに想う

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お盆(休み)

日本の夏行事のひとつであるお盆・・・今では盆休みは、一年の中でも、海外旅行?を楽しみにしている人は多いことでしょう。

家に仏壇はない、家の墓はもちろんない人は多いでしょう。しかし、自分の今いられることは、遠い先祖から引きついた両親のお陰で現在があるという事実があるのです。

先祖を敬う(尊んで、礼を尽くす

お盆は8月13日、あるいは7月13日から4日間、この期間にご先祖様や亡き近親者の霊魂を迎えて供養をする、仏教の行事の一つです。

今、自分が存在していることに感謝すること…伝統的習慣は大事に後世まで引き継ぐべきと考えます。

ご先祖様や数多のご縁を想う習慣があったり、ご縁に感謝するきっかけとなる行為が習慣づいた生活を送られているでしょうか・・・

忙しくて、色々なご縁やご先祖様から伝わって、今自分が存在しているという事を忘れがちな現代社会に、私たちは生きております。

今の自分が存在できているのは、色々なご縁、そして何よりも「ご先祖様から伝承される直系家族としてのご縁があるからである」・・・という事を、現代社会では忘れがちではないでしょうか?

私は、現代だからこそ、お盆休みは改めて、お盆の意味からそれらの事を、考える期間にしたいと思います。

ただ、宗派によって行為は違うとしても、少なくともお盆という季節・期間は、家族でご先祖様を想う期間であっても良いのではないか、そのような想いです。

そして何より、お盆休みという期間が、ご先祖様と現世に生きる、私たちとのご縁を、改めて考えるきっかけにしたいものです。

2017年8月14日 (月)

私にとっての8月の想い

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『八月』

「八月」と言えば、私とって、運命?(後天運命)になっていると思っている「事柄」があります。

人生が大きく変わった出来事→誰にでもあるのではないでしょうか…感受性の強い人は意識できているでしょう。でも、意識せずに過ぎ去っている場合も多いかもしれません。

運命(後天運)というのは、生きている間(後)に天から頂く運のことです。一番大事なのは言うまでもなく、先天運よりも後天運です。

八月に出生。そして七歳で、8/2八王子の大空襲。広島(8/6、長崎8/9の原爆を知り、終戦(8月15日)を経験をしています。11歳の8/13日、母親の死に遭うという・・・まさに、8月は「今ある私」にとって、運命を左右する出来事は「この八月」だった印象です。

肉体的・精神的のも大きく関わる少年の時期、感受性の強いこの年代、怖いこと、辛いこと、悲しいことが余りのもの多かった。それら…受けた事柄が八月に集約しているように思えるのです。

幸い周りの人優しさの心くばりがあって、生きて来られたと感謝しています。そして、今の私に繋がっていると思っています。

私はいつも思っていることですが「人は一人で生きて行けません。助け、助けられて生きられる」のです。優しさと、思いやりの人間の集まりが平和な社会が創られるものと信じています。

優しさや、思いやりは、行動で示さなければ人はわかりません。毎日平和に暮せることに「ありがとう」感謝の気持ちをもって、少しでも世間のみなさんに恩返しの気持ちで、行動をしていきたいと考えています。

情報過時代

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現代人が1日に触れる情報量は、平安時代の一生分、江戸時代の1年分と言われています。人は、多くの情報が溢れる生活の中で、大小様々な選択を日々迫られています。

忙しい現代人に「ぼう大な選択」を1つ1つ時間をかけ、論理的に考えているヒマはありません。そのため人は、考える手間が無く、物事の判断を一瞬でおこなえる「無意識」を使って、これら「ぼう大な選択」を処理しています。

何かを選択するとき、何か行動を起こす時、「意識」と「無意識」のどちらかによって見極め、行動をしていますが、その判断は、私たちが自覚しているよりも遥かに「無意識」によるものが圧倒的に多いというのが事実です。

実際には、ほとんどの人が“97%”もの判断を「無意識」に行っているということです。この「無意識」を使った判断は、効率的な選択をおこなえる一方、不合理でメリットの無い選択をしてしまいます。

テレビで流れるCMや町中に溢れる看板、コンビニで見かける商品パッケージ、電気屋の店員など、目にとまる多くの場所で、この心理パターンが使われ、不合理な選択をさせられています。

また、日常生活や人とのコミュニケーションの場面においても「無意識」を使った判断で、不合理な結果になってしまうこともあります。

「無意識を意識すること」

いかに、無意識レベルでの状況判断や行動を、普段私たちがしているか・・・ということを、きちんと認識することで、今後の判断を意識的に行うことが出来るようになると考えられます。

人間は、自覚していない“呼吸”と同じように、「無意識」を「意識」によりコントロールすることができます。

大切なことは「心を感じること」、意識は基本的に「脳」で認識しますが、「無意識」は「心」で感じています。つまり「心に蓋をしないようにする」ということです。

2017年8月13日 (日)

異常気象のこと

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風鈴の 音色も変る 暑さかな

今年の夏は特に暑く感じますが、年のせいなのかぁー?

地球温暖化で、地球全体の気温が上しているのは事実のようです。

温暖化が進むと、気温が上昇するだけでなく地球全体の気候が大きく変化します。既に世界各地では、そのさまざまな影響が現れ始めており、自然環境や人の暮らしにも重大な問題を引き起こしています。

こうした問題は、温暖化への対策を十分に行なわない場合、さらに深刻化し、地球規模の深刻な被害をもたらす危険性が指摘されています。(出典:IPCC 第5次評価報告書)

異常気象といわれると、台風や洪水、干ばつなどを思い浮かべます。

私達の身近なところでも異常気象は起きています。毎年のように続く猛暑と暖冬ですが、「たまたまでしょう?」などと思っていては大変です。猛暑や暖冬も十分に異常気象なのです。

温度上昇がもたらすさまざまな変化

地球の平均気温が変化することにより、さまざまな変化や影響が生じることが懸念されています。特に、このままの経済活動を続けた場合には、100年後に4度前後の気温上昇が予測されており、その結果として、取り返しのつかない影響が予測されます。

気温上昇をいかに抑えるか

現在の国連の国際交渉は、平均気温の上昇を「2度未満」に抑えることをめざして、行なわれています。この「2度未満」とは、産業革命の前と比べた気温の上昇幅のことで、それ以内に抑えることができれば、人類は温暖化がもたらすさまざまな影響と、なんとか共存できるレベルと考えられています。(WWFジャパン)

アメリカのトランプ大統領は、地球温暖化対策の推進を目指した国際枠組みである「パリ協定からの離脱を表明」しました。私は、何んとしても許すことはできない思いです。

2017年8月12日 (土)

人生の目的とは

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私は80歳になった同級生に、暫くぶりに会い・・・「今どうしているの?」と聞かれ「ドッキリ!」でした。答えられず・・・「ただ何となく毎日を送っています」…と。

自分の「人生の目的はなんだったのか?」問われたように思い、言った後で考えたのです。そんなこと考えたことがなかったのですが、目的が分らないでは・・・情けない。

「人生の目的とは、生まれてきた目的を果たすことにある。」=「とにかく行動することです。他人のために尽くすことです。」

その行動は、直接でなくても、間接でもいいのです。私の小さな行動(行為)が他人に分かってもらい「ありがとう」と感謝されることで、自分自身が「幸せ感」に浸れるのです。それは「生きがい」というのかも知れません。

いま、自分さえ良ければ・・・という自己中主義の若者が多くなったと思いますが、「一人では生きて生けない」といことが分かっていないのです。

このことを早く理解することが、若者には大事だと思うのです。

人は、母親に頼んで生まれてきたのではありません。生まれたこと事態、奇跡的な確立で、生まれてこれたのです。

両親に感謝し、周りの人に感謝し、その恩返しをしなければいけません。そして世の中の人のためになるように一生懸命尽くすこと・・・これが「人生の目的」と、私は考えます。

アメリカの作家のジャック・キャンフィールド氏は言います。

「人生の目的とは、生まれてきた目的を果たすことにある」

「私達は皆、それぞれ独自の人生の目的を持って生まれてきている。私達は皆、理由があってここに存在し、それぞれは周りに貢献をするためにここにいる。

あなたが、人生の目的に沿って生きている時、あなたの行動の全てに最高の喜びと達成感を感じることができるだろう。」

高齢者の幸せは・・・

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人は健康でないと幸せではない?

「お元気ですね」「健康で長生きしてください」高齢者にかける定番の言葉です。

背景には、健康であることが幸せという常識、言い換えれば健康でなければ幸せでない、という概念が人にはあります。

元気に暮らしてきた高齢者は、当たり前ですが、急に要介護状態になるわけではありません。日々の生活の中で少しずつ体力や気力が衰え、自分でできることが減っていくことで、最終的に介護が必要な状態になっていきます。

「フレイル」

高齢者が加齢とともに、心身の活力が低下して生活機能障害、要介護状態、死亡などの危険性が高まった状態のことで、フレイル(高齢者の虚弱)と言うそうです。

また、体重減少や筋力低下などの身体的な変化だけでなく、気力の低下などの精神的な変化や社会的なものも含まれます。

食欲の減退で、低栄養状態になったり、筋力が減ったり、認知機能が低下するなどがあげられます。多くの高齢者が、元気な状態からフレイルを経て、要介護状態になると考えられています。

「身体は衰えても幸福感を保つ“老いのかたち”がある」

人は虚弱になっていく過程で、辛いことでなく、楽しいことに目を向けようとする心の変化が起き、辛い現実を受け入れ適応しています。

高齢者の幸せとは・・・あるがままを受け入れ、日常の小さな幸せも、とても幸せと楽しいと感じることだと思います。

見栄を張るなど、周囲によく思われたい欲求がなくなり、若い頃のような自己中心性や自尊心が、よい意味で低下することです。

無理しない、何事も自然に任せる「無為自然」の人生観を持ち、友人の数や交友関係の広さより、少数の人と深い関係を結ぶことを重視するようになります。そして死を怖がらなくなることです。

2017年8月11日 (金)

生き方これでいいのか?

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迷いの人生・・・

「人生これでいいのか?」と不安に感じることがあります。

「ちょっと足を止めて冷静に考えてみることも大事だ!」

人間である限り、迷いから抜け出すことはできません。

「これでいいのか?」と不安になりなることも・・・

でも、人生という道を歩んでいかなくてはいけない。

あいだみつをの「諦念」

 諦念とは・・・道理を悟って迷わない心。

 『なんでもいいんだ
とにかく一生懸命やって
みることだ

いのちがけでやってみることだ
そうすれば人間の
不完全さがよくわかる
自分の至らなさが
骨身に沁みてよくわかる
頭でなくてからだ全体で
よくわかる
諦念の世界はそこから
ひろがってくる

手をあわせずには
いられない
諦念の世界が』

2017年8月10日 (木)

波動(バイオリズム)について

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『波動・(バイオリズム)』

人間の「肉体・感情・理性」には、リズムがあり、それぞれの周期があります。魂を輝かせると波動が高くなり、その波動が周りに伝わって、 他の人々や、世界にも影響を与えると言われています。

「波動」・・・とは、単に波とも呼ばれ、同じようなパターンが空間を伝播する現象のことである。(wikipedia)

宇宙の全てに波動がある・・・この地球上に存在している「すべてのモノ」から、波動は出ています。道端に咲いている花、石、草木、小動物でさえも波動を出しています。

人間が進化、成長していくために、人生を苦しいものから、幸せに変えるために、誰にでも、波動があるといわれ、それが、人の心に大きく影響しているようです。

量子力学という最先端の物理学により、物質の根源が分子-原子、さらに小さい素粒子というものであることが説き明かされ、それらは微弱ながら、絶えず振動しています。

全ての物質や、世の中の現象は、この波動に始まるといえるのです。地球も、それ自体が振動しています。

そして、その地球の波動が、私たちにも影響を与えているという証拠が、近年増えてきているようです。 何より、様々な生命の成長は、季節や、潮の満ち引き、光と闇のサイクルと関係しています。 どれも振動であり、ゆるやかな波なのです。

エネルギーは波として動きます。その波は『強さ』と『振動数』を持っています。その二つが、波に独自の性質と行動を与えています。

エネルギーは、空気、水、さらには意識という、媒体を通して伝わります。脳波は、私たちの意識レベルと相関関係にあります。

私たちは、宇宙から与えられた、命の尊さと、生命の原理(波動・人それぞれのバイオリズム)を学び人間社会に、生かしていかねばと思います。

2017年8月 9日 (水)

時間を大切にする人

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時間を大切にする人は、人生を無駄にしない人です。

人生は繰り返すことなどが出来ないもの、過去は過ぎ去って、もう帰っては来ないのです。 私たちがあるのは、今日と言う今と、明日と言う時間です。

大切なのは今どう生きるかということです。まさに今日という日は一生涯のうちで一度しかないのです。一瞬一瞬の時間もまた一回しかありません。

私たちは、時間と言う道を歩いています。

それは一度として同じ時間の繰り返しはありません 後戻りする事の出来ない時間を過ごして生きています。だからこそ今を大切に生きなければなりません。

人生は一回限りです。

二度と繰り返す事のできないものです。一生涯の中で今と言う時は一回しかない。今日という日は一生涯の中で今日だけ・・・時間を大切にする人は一日を大切にする人です。一年を大切にする人は人生を無駄にしない人です。

過去に悔いが残る人は今日、今から足りなかった点を補うことが出来ます。学校に通っていたころに、不勉強だったと思う人は、まだ学ぶ機会はいくらでもあります。

過去をもう一度繰り返す事は出来ませんが、反省と懺悔をして、今後の努力を誓うことは出来ます。誰にとっても今日という日は二度とありません。

多忙は心を見失います。空しく過ごすことは、心を奪い人生を捨ててることです。

価値ある人生

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このところの暑さは、事のほか身に応えます。

やっぱり年なのかなぁー思う。

自分には、まだまだ、すべきことがあり、少し体力に合わせ、活動しなければと・・・思う毎日です。確かに、今まで出来たことができないことは「悲しい」・・・それが「諦めてなってしまう」ことも・・・

私にも、私なりの人生観があります。

その一つに・・・人は誰でも「幸せを」求めています。自分が幸せになりたいなら、「他人の幸せを考え、行動することだと」・・・考えです。

確かに最近、身体がきつくなったと感じることが、多くなったのですが、他人のためにいま、出来ることすることで、自分の幸せ感が得られるのだと確信しています。

確かに年を取って、動きや考えの能力は落ちたのは仕方がないが、できることは今まで通りしていきたいと考えいます。

私が、勝手に毎日を暮らすことが出来るのは、家族(妻・子ども・孫)達が元気でいるからです。あり難いこと、感謝しています。

「他人のために尽くす人生こそ、価値ある人生だ」

自分の利益だけを考え、他人に配慮してこなかった人にはいつしかその代償を払うときがくる。他人の成功をもってして、自分が成功するからだ。

人間は人に喜ばれることで嬉しく感じることができる地球上唯一の生物でもある。他人のために尽くしてこそ、人生に価値が生まれるのだ。 ・・・ アルベルト・アインシュタイン

2017年8月 8日 (火)

支えあいと助け合い

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地域活動の基本は、「支え合いと助け合い」・・・(高齢者の活躍と暮らしを応援する地域づくり厚生労働省)より

「人生90 年時代」を生きる高齢者は、長寿の賜物である高齢期を地域で長く過ごしています。高齢期と一口に言っても、現役時代と変わらず元気な時期もあれば、心身機能が低下していく、あるいは介護を必要とする時期もあります。

高齢者が意欲や能力を活かして社会に関わり続け、周囲の支えにより地域で自立して暮らし続けられる。そのような社会を実現するには、多くの高齢者が健康づくりに取り組んだり、様々な地域・社会活動に参加したり、生活に役立つモノ・サービスを活用しながら自分らしい暮らしを続けられるように環境を整えることが重要です。

高齢者が健康を保つには、元気なときから日常の活動を続けるように意識することが重要です。ただし、加齢に伴って以前に比べてやりにくいことが出てきたり、怪我や病気で入退院したりすることもあります。 

何か困りごとが出てきたときに適切なサポートを得られないと、徐々に本人や周りがあきらめて不活発な状態に陥り、要介護状態になるリスクが高まってしまいます。

また介護予防は、以前は要介護になるリスクの高い層を把握し、専門職が個別にアプローチする方法が採られていました。しかし、動機づけが弱いといった課題が明らかとなり、自助や互助を活かしながら「自分のしたい活動や普通の生活を継続することで、結果的に介護予防になる」という発想の転換がされました。

協働は関係主体がばらばらに動いていては進みません。関心や価値観の異なる主体が信頼関係を作り、協力する方法を見つけるには、顔を合わせて互いの得意分野を知り、役割分担が上手く機能するやり方を実感する過程が必要です。

○地域資源・・・住民の暮らしを支えている人、物、お金、情報。
○地域課題・・・住民の困りごとを解決するため、地域として取り組むべきこと。
○協働・・・・・・・様々な主体が互いを尊重しながら、できることを持ち寄って取り組みを進めること。

2017年8月 7日 (月)

「これで、いい」より「これが、いい」

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「幸せはこれがいい」の心境になることです。

そして、他人の幸せを祝福できる人が、幸せになるのです。幸せとは、「これでいい」はありません。「これで、いい」より、「これが、いい」を選択することです。

普段使っている言葉に、そこまで意識してないのですが、 実はその、無意識に選んでいる言葉に、 いまの自分の心境が、表現されていることってあります。 

たとえば・・・ なにかを選ぶとき、「これでいい」が多いですか? それとも、「これがいい」が多いですか? たった一文字「・・・で・・・が」の違い。。。

「これが、いい!」だと、それをちゃんと自分が選んでいる感じがしますが、「これでいい!」という妥協が、混じっていそうな感じがします。

重要ポイント

自分に「これでいい」というものを自分に与えているという時点で 、あまり自分のことを大切にしてないような感じがします。

「これがいい!」と思い、毎日を過ごすのと 、「これでいい」で済ませるだけの毎日では、日々の満足感って、ぜんぜん違ってくると思います。

「これでいい」って、思うとき(行動するとき)には・・・ いま自分のこと大切に出来てないではない? 思うようにしなければと思います。

「これで、いい」より「これが、いい」 ちょっと意識して過ごしてみると、生きていられるあり難さや感じ、「感謝」の心が湧き、心が落ち着くような気がします。

川の流れに身を任せる

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「川の流れに身を任せる」

どんなに努力しても、「すべて思い通りにはいならない」ことです。「信念を持って遂行」しようという、心意気は素晴らしいのですが、それではちょっと疲れます。

時には、運命という大きな流れに身を任せること。一時的につらい運命があっても、流れに従っていることなら、進むべき正しい方向へ進んでいるということなのです。

流れに逆らわず身を任せることが、一番進みやすい方向なのです。「流れに乗る」と「流される」とでは、一見、「流れに乗る」も「流される」も似たような言葉のイメージですが、「流れに乗る」は「自分の夢や希望に向かって自然と背中を押されるような感じ」です。

「流される」は「自分の意志や希望とは関係なく、周囲の人々の思惑が渦巻く方へと押し流れてしまう感じ」だと思います。

つまり、「自分の心の主軸」がしっかりあるか否か・・・で、「流れに乗る」ことができたり、「流されて」しまったりするのでしょう。

今、私たちが生きている世の中には、目にはみえませんが、様々な方向から「ピンチ」や「チャンス」が流れていて、また、更に、清濁混合のいろいろな「流れ」も滔々と流れています。

ここで「自分の希望に沿った良い流れに乗るのる」のか、「希望に反して、濁った流れに巻き込まれる」のか・・・ここは、やはり、その人自身の心の「主軸」があるかどうかで、決まるように思います。

2017年8月 6日 (日)

毎日何をしているの?

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昨日、農作業している、中学の同級生に暫くぶりに会い・・・

「いま毎日何をしているの?」と聞かれ・・・

「ドキリ!」としました。

「毎日それとなくす過ぎている」と答えた。

いやいや何を考えているんだい俺は・・・

「年金生活者」の俺も今年・・・・・エッ「傘寿(さんじゅ)」だ!

「驚いている場合ではない!」

一回しかない人生、もっとやるべき事があるだろう?

アメリカでの興味深いデータ、80歳以上の老人を対象としたアンケート調査で・・・

「人生で最も後悔していること」は何ですか?問いに・・・70%の方が「チャレンジしなかったこと」だそうです。

月一回の医者通いと、朝昼晩に薬を飲み、「寄る年波には勝てぬ」~~です。身体の衰えを、つとに感じて来ている今日この頃です。

地域のために尽くす・・・町会の役員・交通指導員・住民協議会の役員などしていますが、それも、何時まも続けられない。

健康維持のため、毎日10000歩を目標に歩いていますが、「今でなければできない」事を考えなければと思っているところです。

まだ迷っているのです。でもそんなのが人生かなとも・・・健康しだいだなー。

スローライフの真意

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「スローライフ」とは、のんびり穏やかに生活することです。

でも、スローライフは単なるのんびり生活をするのではありません。何事もゆっくりでは「だらだらになった生活」です。

ローライフの真意とは、精神的に豊になること、心を充実させることです。スピードを出すと見えなくなったり、忘れがちになったりします。愛や感謝、喜びや楽しみ、精神的豊かさを取り戻すことです。

いま一度スピードを落とし、見えていなかったことに気づく・・・スピードを落とすことで、早すぎるがゆえに、見えなかったことが、ようやく見えてくると思うのです。

ゆっくり生きる」ということが苦手な人が多い?

なんでも簡単に手に入る時代になり、どこにいても答えが分かる世の中です。私たちもすぐに結果を求められることが増えてきました。だからでしょうか、いつも何かに追われるように感じてしまう。

大丈夫、慌てなくていい…急いで生きたりしなくていい…ゆっくり生きる方が、人生をよりよく味わうことができます。

の前のことに、ただ集中しょう。多くの人が、生きる焦点がぶれています。年を重ねるにつれて、過去を懐かしむ回数が増え、時間も長くなります。

「あのころは、楽しかったなー」

なぜか過去の記憶が輝いて映ります。一方、年を重ねるにつれて、将来の不安が大きくなります。

「この先どうなるのだろうか?」

年を取ることで体力が衰え、老後が不安になります。今現在、目の前のことがおろそかになってしまいます。そういう考えは悪循環になります。目の前がおろそかになると、素晴らしい未来を作れないし、素晴らしい過去を振り返られないからです。

いま一度、目の前のことに集中しましょう。それだけでいい…現在に集中することが、未来の不安を取り除く唯一の方法です。未来を切り開く一番の方法です。

現在しか生きていませんから、目の前のことに集中するしかありません。この世には「原因と結果の法則」があります。現在は、これまでの過去の「結果」です。現在は、これからやってくる未来の「原因」になります。

目の前にあることを一生懸命にすることで、素晴らしい原因を作り、素晴らしい結果を受け取ることになります。現在に集中することこそ、素晴らしい過去と未来の重要ポイントなのです。

2017年8月 5日 (土)

いたずらも度がすぎる

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私たちのまちに流れる「湯殿川」に「かたくり橋」があります。川の両側には河川管理通路があり、徒歩・自転車のみが一般の人が利用できて、多くの人が通勤・通学・買い物などで、なくてはならない生活通路となっています。

湯殿川の思い

湯殿川・・・私にとって湯殿川は、子どもの頃より、泳いだり・遊び・魚(どじょう・こい・ふな・はや・うなぎ・なまず・ぎばち・かじか・・・など多くの種と、多くの水生昆虫がいる豊な自然環境で育ち、80年の人生は湯殿川と共にあった感があります。

環境を少しでも、維持・取り戻しを考え、後世に引き継ぎたい思いがあります。多くの人の利用する人の中には「心ない」人の「ゴミ捨て」に頭を痛めています。

湯殿川の管理は、「東京都南多摩⻄部建設事務所」…「南西建」です。毎年、八王子市で行う「川の清掃デイ」には私たちのまちでは、多くの参加していただいています。今年は9月3日(日)です。

「いたずらも度がすぎる」

きのう、私のまちの「かたくり橋」の下に、スーパーで使う「カート」が投げ捨てられていました。年寄りの私には拾い上げるには、危険すぎるので、「南西建」の河川維持課に連絡引き上げていただきました。

近くのスーパーのものと思い、持っていたのですが、違っていて、2キロも先の、みなみ野駅前にあるスーパーのものでした。車で運んだのでしょう。「いたずらも度がすぎます。」

これは犯罪です。絶対に止めて欲しいものです。

2017年8月 4日 (金)

社会性(モラル)とは

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社会性・・・集団を作って生活しようとする、人間の根本的性質です。

最近、若者の社会性欠如やモラル低下が社会秩序に問題と思えます。

社会秩序とは(辞書)・・・社会生活が混乱なく営まれている状態。

もし社会成員たちの行動や相互作用がでたらめで混乱しているならば、社会そのものの存続は不可能です。

たとえば、当たり前のようにゴミのポイ捨て・・・公共の場で、ゴミを平気で放置して立ち去っていく・・・電車の優先席において、お年寄りが前に立っていても譲ることなくスマートフォンに興じている・・・困った人がいてもそれを笑うことはできても助けることができない・・などなどです。

社会性欠如やモラル低下は、社会問題化しているわけですが、実は当人にも大きなハンディキャップを与えてしまうことが少なくありません。

たとえば、しっかりとした教育のもと、高学歴を得ることに成功したとしても、社会性が欠如している場合、実社会に出た際に、職場のコミュニティにとけ込めなかったりする人もいるようです。

これでは、生きていくことさえ苦労することになることに・・・子どもが小さい頃から、社会性についての教育も、大切であろうかと思います。

先が思いやられる地域の環境

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町内のゴミ拾いをして思う。

私は、私たちの町内の道路・河川管理通路・駅前駐輪場・公園・広場・スーパーの周囲などのゴミをを毎日のように拾っています。“マナー・モラルの無さは”先が思いやれるのです。

分かったこと・・・「ゴミってゴミを呼ぶ」のです。

一つのタバコの吸い殻一本が、タバコの空き箱・食べ物の包装紙・ペットボトル・空き缶など、日に日に溜まって・・・「ゴミ捨て場」と化してしまいます。

だから、少ない量でもゴミ拾いしないと大変なことになるのです。少しのゴミでも油断していると、仲間を呼び始めてきます。

最近の傾向ですが、「ゴミ捨て禁止」の看板を取り付けても、その周りにゴミだらけになるのです。八王子市や東京都の出先機関に相談して「ゴミをすてるな!」の看板を立てても、その下に捨てて行ってしまう?頭が痛い問題となっています。

現代は、余りにも忙しいからでしょうか?歩きながらタバコを吸ったり、食べたり、飲んだり、スマホを見たり・・・

いわゆる、ながら族?そして自己中心主義の人が多くなったのではないでしょうか・・・お隣の人と挨拶もしない・・・こちらから挨拶してもとても迷惑そうに感じてしまう人もいます。

自分さえ良ければ・・・まちが汚れたって、税金を払っているのだから、行政がやればよい?と思っているのではと・・・

子どもの頃の親のしつけ、学校の教育が不十分だったのか?と、人間の社会性を疑いたくなることもあります。社会構造にも問題があるのでしょうか?

美しいまちで、安心・安全で快適な暮らしたいものです、地域に住んでいる一人ひとりが、規範意識を、もっと強くもって欲しいものです。

2017年8月 3日 (木)

後悔のないように今日を生きる

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私も平均寿命に限りなく近づきました。

平気寿命 男80.98歳 女87.14歳と発表されました。

日本の資本主義の父 渋沢栄一の言葉に・・・

「50,60花なら蕾、70,80働き盛り、90になって迎えが来たら100まで待てと追い返せ」・・・があります。

では、“人生の満開”は何時でしょう?

「開花(青春)を心身共に受け止めることができるとき」だと私は思っています。

アメリカの実業家・詩人・人道主義者のサミエル・ウルマンは言っています。

青春とは…

人生の或る時期を言うのではなく心の様相を言うのだ。

年を重ねただけでは老いない。理想を失う時にはじめて老いがくる…歳月は皮膚の皺を増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ…

年は70であろうと16であろうと…人は信念と共に若く、疑念と共に老いる…人は自信と共に若く、恐怖と共に老いる…希望ある限り若く、失望と共に老い朽ちる…。

人生に面白みを感じる人は、いくつになっても新しい事にチャレンジしたり、昔からの趣味を楽しんだりして、生きることを楽しんでいます。

「あらゆること」を経験できる人間なんていないませんが、同じことでも、自分が成長していれば受け取り方が違うので、「同じ」ではなくなりますから…

もうこれで満足だという時は、すなわち衰える時です。

いま80歳にして想うことは、「今日1日をどのように生きるべきか?」

結局は毎日を最大限、一生懸命生きることが、人生の終わりを満足いくものにするのだと思います。

「後悔のないように今日を生きる」・・・その積み重ねが、素晴らしい人生そのものになるのでしょうか・・・。

2017年8月 2日 (水)

思いやり・やさしさは行動で…

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「思いやり・やさしとは」なんだろうか・・・

それは気配り、相手の立場になって考えるなど、人によって千差万別、さまざまな意見・定義が存在します。

まず思いやりとは(辞書)…思いやること、気のつくこと、自分の身に比べて人の身について思うこと。また思い遣りとも書かれています。

「相手に対して思い遣る」ということでこれが語源であると考えられます。

これを基にすると、思いやりとは、相手に対して思いを持っているということです。相手に対して思いを持たなければ、人間関係の構築は不可能でしょう。

しかし言葉の語源が、そのまま現在の言葉の意味となるかと問われるなら、答えは否です。なぜなら言葉は時代とともに変化するからです。

では、思いやりが語源から変化した意味はなにか・・・

相手に対してただ思うだけではなく、何らかの反応を与えられなければなりません。それは相手に対する思いを行動で表すことです。そしてその反応とは相手にとって良い反応でなければなりません。

そうでなければ相手はそれを思いやりではなくお節介などと受け取ってしまうかもしれないからです。この行動による思いやりは結果も伴われることとなります。

だが結果を求めすぎることは、人間関係において逆効果を生む・・・思いやりを行動で示すことは失敗を繰り返し良くなっていくはずです。

思いやりにおいて一番大切な事は見返りを求めないことです。見返りを求め行動することは相手に対する思いは決して続かないからです。

私は、人に幸せしてあげるとは、「やさしさ・思いやり」・・・『自分を犠牲にしてでも、人の為に行動で示す』ことだと信じています。

やさしさ・思いやりは、心の強さで行動で示すことが大事です。

やさしさや思いやりのようなものは、よわよわしい思いに見えてしまうようですが?強い心の持ち主こそ、そういった真のやさしさ、思いやりの心を持てるのだと思います。

心の強さというのは何か・・・いろんな要素があるのだと思いますが、単なる肉体の強靭さにとどまらず、精神のタフさとか、勇敢さ、といったものにも、重きをおいているように思います。

そういった優れた精神を、その強さを、やさしさや思いやり、といったもを行動で示すことで、相手に伝わるのです。

2017年8月 1日 (火)

地域と道義について

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「道義を持った市民が創り出す社会」

「道義」とは・・・人の踏み行うべき正しい道に関するさまです。

道義を持った市民とは・・・人として正しい道を歩む市民、すなわち祖先を祀り、親孝行をし、兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合う。

夫婦は仲睦まじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じあい、そして自分の言動は慎み、全ての人々に愛の手を差し伸べる。

さらに進んで、社会公共のために貢献し、また、法律や秩序を守ることはもちろんのこと、非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕できる市民・・・

現在の日本には、人口の減少や少子高齢化、地域格差の拡大、政治不信や金融不安など多くの問題が山積し、先の見えない閉塞感が蔓延しています。

しかし、そんな今だからこそ改めて、それぞれの時代を生き抜いた精神や知恵に学び、確かな方向性を見出すことで、未来の子どもたちに胸を張って引き継げる社会を築くことが今を生きる私たちの責務なのです。

私たちは、一人の人間として、この地域で生きる者として、一時的な社会情勢や偏った情報に揺るがされることなく、気概と愛する心を持ち、強さと逞しさを身につけ、率先して行動しなければなりません。

先人の残した、自然豊なこの地域と、意志を受け継ぐ私たちは、将来につなげる「道義」を忘れず、「地域を大事にする」意識を強く持ち、子ども達に継承していくことが大事と考えます。

 

自然に生きること

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日本には「春」「夏」「秋」「冬」の四季があります。

春は草木の芽が伸びて、花が咲きだし、夏は身の置き所ない暑さに海・川での泳ぎ、秋は紅葉や食欲をそそり、冬は寒く雪が降り、スキー・スケートと、四季折々で楽しめます。

毎日生きる中で、季節が移ろいゆく様を心で感じるゆとりを持っているだろうか?

人によって好きな季節は違うだろうけれど、春・夏・秋・冬、東京であっても、北海道であっても、沖縄であっても、空も、山も、海も、風も、空気も、それぞれの趣を私たちに感じさせてくれています。

そんな四季折々の景色や空気感をいつも味わうことができる・・・心にゆとりを持った生き方を実践してみたらどうでしょうか?

自然の恵み

私たちは太陽なしでは、一瞬たりとも生きていくことはできません。太陽からのエネルギーが降り注ぐからこそ、生きていくことができるのです。自然の恵みで、大宇宙の営みの中、偶然?奇跡的に、生かされているのです。

人との出会い

私たち自身の存在自体がそんな奇跡の集合体(社会)です。みんな奇跡的に、この世に生まれてきて、奇跡的に育ち、奇跡的に人との出会ったのだのですから・・・自分自身の人生を大切にしなくてはいけません…出会う人の命=時間を大切にしなくてはいけないのです。 

人の性格に合う合わないはある

人には、人それぞれの個性(考え)があり、完全にすべての人を受け入れることはできないでしょう。それはそれで大丈夫・・・自分を責める必要なんてありません。人生は、大同小異です。ただ、社会(世間)の規範意識を持って、生きていけばいいのです。

自分が幸せに生きるために、ごく身近な人・自分にとって、大切な人、大切にしていけば良いことです。そうすれば幸せの連鎖が広がっていくと思います。自分と合わない人にだって、回りまわって自分の愛や思いが連鎖していくことでしょう。

だから、完全でなくても大丈夫・・・みんなつながり合って、助け合って、寄り添いあって生きているのですのですから・・・ 

たまには、空を見上げてみよう。道端や花壇に咲く花の匂いを嗅いでみよう。四季折々の空気に触れることによって、自然の力を改めて感じることで、自然と一体となり、心にゆとりを持つことができるようになるでしょう。 

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