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2017年1月16日 (月)

陰徳を積むということ

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むかし、親父から、「人は陰徳を積むことだ」と言われ、改めて「陰徳を積む」とは・・・を考えてみた。

誰も見ていない所で行う行為がその人の本性であり、人としての真価が問われるとところです。全ては回り回って自分のところに戻って来る。

「陰徳」とは・・・「義・礼・智・忠・信・孝・悌」を行う事と言われています。これを行う事を「仁」という。

義とは、正しいことならば、例え自分が犠牲になっても行うこと。
礼とは、どんな相手でも尊敬して接すること。
智とは、原因と結果を明らかに観ること。
忠とは、裏表のない行動。
信とは、言葉と行動が一致すること。
孝とは、恩に報いること・・・親や神や恩人の恩に報いること。
悌とは、秩序を守ること・・・秩序維持の為に、法律・先輩・上司を立て自我を出さないこと。

そもそも儒教的な「徳」とは何かというと、優しさや気品といった人間本来の良き精神を示すものではなく、天分が社会的経験や道徳的訓練によって後天的に獲得するものであり、
誰でも経験や教育によって善き人間の特質となりえる後天的な精神です。

つまり、徳は訓練によって得られる「善因」であるということであります。それを「人知れず積みなさい」ということですから・・・

基本的に「陰徳」とは、「報酬を考えず良いことをする」→「後で良いことがある」では無く、
「自己鍛錬の為に報酬を考えず良いことをする」という姿勢です。

また、「仁」とは何かという説明に、「心優しいこと」とか「人の痛みが判ること」という説明がありますが、それも間違いではないが、不完全であります。

心優しいが、裏表のある人は仁者ですか?心優しいが、秩序を守らない人は仁者でしょうか?心優しいが、強欲の人は仁者でしょうか?

「義・礼・智・忠・信・孝・悌」を実践しようと生き方を正す事を陰徳を積むと言い、常に自分を高める努力をする生き方を実践する者には、善い事があるという意味なのです。

・・・と言うことで日ごろから、人知れず良いことをする(実行)する姿勢でいたい。

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