« 寒川神社に参拝 | トップページ | 体感治安について »

2016年11月 3日 (木)

生きがいについて

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

10_12801_2

いきがい【生きがい】

人生の意味や価値など、人の生を鼓舞し、その人の生を根拠づけるものを広く指す。(辞書)

(1)趣味や生きがいは人それぞれだが、 人生の目的は万人共通で唯一のものである。

(2)趣味や生きがいには、金輪際完成ということはないが、人生の目的には完成がある。

(3)人生の目的は、臨終に達成されても、人生の勝利者といえるものである。

趣味や生きがいは、百人百様、人それぞれであっていい。これに対し、人生の目的とは、万人共通唯一のものです。「なぜ、自殺してはならないか」の答えです。

生きる目的を明らかにし、生命の尊厳をハッキリさせてこそ、「命を粗末にしてはならない」という言葉に、説得力が生まれるのではないでしょうか。

目的がなければ 生きられない。

人は、目的なしに、生きていけるだろうか。

朝日新聞の「天声人語」に、次のような話が載っていました。

たしか、ロシアの作家ドストエフスキーの「死の家の記録」だったと思う。囚人に苦役を科し、土の山を別の場所に移し、またもとの山に戻すといった仕事を繰り返させたら、数日で首をくくって死ぬだろう、といっている。

これほど残酷な仕事はない。目的や意味があれば、たとえ苦しいことでも我慢する。だが、まったく無意味なことを自分で知っていて、しかも努力することはできない。それを強制されれば、ついに自分が自分自身に反抗するようになる。

瀬戸内海の岩国で魚をとる人たちのニュースを読んで、思わずこの話を連想した。岩国では汚染源の東洋紡の工場が、海でとった魚をすべて買い上げることにきめた。

明け方、漁船が帰ってくると、工場のトラックが待っている。魚種ごとに魚の目方をはかったあと、工場にはこび、タンクに汚染魚を捨てる。悪臭を放つ魚に、市場値の金が払われる。

はじめのうちは、取れば取るほど金になるので、精を出して出漁する人もいた。が、やがて漁師たちの疑いがふくらんでくる。毎日、海に出るのは、捨てるための魚を取るためではない。

金になりさえすればよいと、いつまでも割り切れるものではない。たとえささやかでも、自分の仕事に何らかの意味がなくては生きていけない。

「何のための人生か。漁民だっておいしい魚を食べてほしいのだ」「情けのうて涙が出ます」と口々に訴える声は胸をえぐる。(昭和48年6月16日。朝日文庫より)

私は、「幸せを感じるため」ということだと思います。

「幸せになるため」としないで「幸せを感じるため」としているのは、幸福感を大切に考えているからです。

人は幸せを感じた時に、「幸せだなぁ。生きててよかった。生きているかいがある。これからも(幸せを感じるために)生きていこう」と思うことができます。

幸福感は、生きる価値・生きがい・生きる目的につなげることができるのです。

私は、幸せとは、「他人を幸せにさせて…自分が本当に良かった」と感じることだと思っています。それを行動で示し、多くの人に、幸せ感(喜び)を与えることです。

誰の人生にも「死」という終わりがあります。終わりがあるから、それまでの過程が大事、今が大事と思えるのではないでしょうか・・・

|

« 寒川神社に参拝 | トップページ | 体感治安について »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/69672/68229699

この記事へのトラックバック一覧です: 生きがいについて:

« 寒川神社に参拝 | トップページ | 体感治安について »