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2016年10月

2016年10月31日 (月)

里の秋

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昨日、小学校の同窓会で、相模原市「清流荘」で一泊し、旧友を暖めました。さすが、お歳(80歳)…皆さん、それぞれにお身体に不安があるようでした。

帰りに、古民家に見にいき、草葺・土間・竃(へっつい)・囲炉裏(ひじろ)・板の間…懐かしく…昔の子供の頃を思い出し、郷愁に浸りました。

 童謡「里の秋」を思わず、口ずさむ・・・

♪静かな静かな 里の秋
お背戸に木の実の 落ちる夜は
ああ 母さんとただ二人
栗の実 煮てます いろりばた♪

自然豊な公園・清流の相模川のほとりに多くの人(グループ)が、バーベキュウの準備をしていました。

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2016年10月30日 (日)

空き家に晩秋の風

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晩秋や 吹く風寂し 空き家かな

今、日本は人口減少が進んでいて、7軒に1軒の空き家だそうです。(総務省「平成25年住宅・土地統計調査」)。

 私たちの地域でも、高齢化が進み空き家が問題となってきています。

空き家でも、定期的に手入れ(雑草の始末などの庭木)されていればいいのですが、そうでない家があります。

主なき家は晩秋の風が裏戸を揺さぶる音が何んとも寂しいものです。

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2016年10月29日 (土)

歩きタバコや止めて

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タバコの吸い殻のどうしてポイ捨てするの?

街を歩いていて気が付くのですが、立派なサラリーマン風の人間が平気で、タバコの吸い殻を捨てて行くのを見かけます。八王子市は「歩きたばこは禁止ですが、注意ポスターある前に捨てていきます。

私は、子供の頃の躾が十分されいなかったからだと思います。勉強は親が口うるさく言っていたが…教育者の小泉信三先生の「挨拶・ハイという返事・後片付け」を確り身につけさせないで大人になってしまったのでしょう。

ですから公園などで遊んでいる子に、「ゴミは持ち帰りですよ」と注意するのですが、翌日には家から持ってきた缶ジュース・ペットボトル・お菓子の空き袋が散乱しているのです。子供に注意するより、親に注意しなければと思うほどです。

知識は身に付き、立派な大人になりサラリーマンになったが、社会で生きていく基本のモラルやマナーが欠如している?人が多いのではないでしょうか…環境問題など全く考えていない、無責任さには呆れ果てしまいす。

子どもは、こういう大人の行動を見ています。絶対に止めて欲しいです。そして、ボランティアでゴミ拾いをしている人もいるのです。これは、「自己中」、「モラルの欠如」、「マナーを知らない」、「躾をされてい」という評価をせざるを得ないことです。

競争社会に勝ち上がった勝者気分で、思いやり・優しさに欠ける人が多くなってきている自己中心主義の人が多くなったと感じられます。

最近特に思うのは、前述の、子どもの頃の親の躾が不十分だったと思うことです。市や町での清掃活動に参加して分って欲しいもだと思います。

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2016年10月28日 (金)

住み続けたいまち

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住んでみたい町が、住み続けたい町でしょうか?色々な年代の人々が住んでいる大都市も町も村も、現在の日本は高齢化が進んでおります。今は若くとも高齢者となるときが参ります。

高齢者も若い方々も安心して心豊かにいつまでも「住み続けたい町」について、想いをめぐらせて見ました。

住んでみたい町?人間って欲張りなもので、「住んでみたい町」のモデルにも色々と目移りします。「静かな田舎に住んで晴耕雨読もいいかなぁー」秋には黄金色の稲穂に彼岸花のコントラストが美しく、静かな環境が得られそうだ。

自宅は伝統的な和風にして、ゆったりと生活するのもいいなぁー

「それとも海辺の町に住むのもいいかなぁー」海に沈む美しい夕日を見ながら一日の仕上げは美味しいお酒でも楽しんで、休日には魚釣りなんてどうだろう。

「モダンな美しい街もいいかな?」駅前はインターロッキング舗装された歩道に、おしゃれな感じのお店が並んで時々食事やコーヒーが楽しめる。

それとも「近代的な都会で殆ど歩かなくても用を足せる街」もいいかなぁー。生活に必要な機関が集中しており職場にも近くて、各種の公共施設や病院も近くにあるようなまちは便利だろうと思うけど。。。。

住んでみたい町には沢山の要望と思惑や夢が込められていると思います。

最近のテレビ・新聞を見ると物騒な事件が多く、殺伐とした事件が後を絶ちません。昔より物質的には豊かになり、教育環境は整っている筈なのですが、公園や道路脇にはごみが落ちており、夜中まで騒々しい車が走り回る落ち着かない町になってきているように感じます。

何が変わってきているのでしょうか?日本古来の精神文化は「恥の文化」といわれております。ここ何代かで奥ゆかしい日本の文化が失われ、治安も少しずつ悪化しているように感じるのは私だけでしょうか…

少子高齢化は、ますます進みます。老老介護→独り暮らしになり→施設行き。。。お金・健康(身体的)がつきまとい、不安は増えるばかりです。そんな夢も希望もない、未来が待っているのでは、と思うと不安はつきません。この上、天災が来たら一体どう言うことになるのでしょう。

結論は、人と人(子供からお年よりまで)寄り添える(助け合い)町…そして心が温かくなるような町(みんなが目的が同じにする)だと思います。

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2016年10月27日 (木)

ゴミ拾いしながら・・・

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私は、毎日まちのゴミ拾いをしています。タバコの吸い殻・コンビニ弁当の空き容器・ペットボトル・ビニール傘・空き缶・空き瓶・家庭ゴミ・犬の糞まで…拾っています。レジ袋に、一杯になるほど集まります。

その拾い集めたゴミに処理ですが、近くの市民センターまたは、近くのスーパー(店長の了解を得て)で処分させていただいています。(私はスーパーへ処理をお願いはちょっと筋違いと思っています。)

昨日、袋一杯になった時、市の出先機関の由井事務所の前だったので・・・事務所に相談しました、ボランティア袋に区分けしたものは、事務所で、保管し指定日にゴミだしは、出来ますとのことです。

・・・が、ゴミの種類分けしますと、袋が一杯になるほどの量になりません。場合によっては数個ということもあります。いろいろなごみの種類があって、袋一杯になるのです。

特殊なゴミは(犬・猫の死骸・大きな袋に家庭ゴミ・粗大ゴミなど)、ゴミ相談センターに相談し、処理していただいています。

そこで、八王子市ゴミ減量化対策課に検討を申し入れました。

八王子市施設『市役所の主張所(由井事務所)』があります。事務所に、コンビニにあるゴミ箱(可燃ゴミ・不燃ゴミ・ペットボトル・空き缶・空き瓶、その他のゴミ)区分けして収納できるボックスの設置を…ボランティアの人が、自分の家まで持っていって、市の収集日に出すような事をしなくても、気楽にゴミ広いが出来ると思うのです。

事務所の職員は、スペースがないとも言われました。 

私は、市・地域で考えることだ思う・・・ゴミ問題は協働(八王子市・地域住民)で行い解決すべきです。

地域の人のゴミのポイ捨ては、しないようにすることは一番ですが、現状では、歩きタバコは依然減っていません。国道など車からのポイ捨ては相変わらずです。

規範意識の欠如?・子供のしつけ(挨拶・返事・後片付け)が出来ていない…大人になっている?

まちの美化は、まちづくりの基本です。組織で一ヶ月一回、日を決めて皆でゴミ拾いも、大事ですが、翌日は、ゴミは残念ながら落ちています。「気が付いたら拾う!」いつも「美しいまち」を心がけるのがもっと大事です。

八王子市は上記のように事務所・市民センター等にゴミの分別できるゴミ箱を設置し地域住民に協力しやすいゴミ収集(ゴミ拾い)を検討提案すべきと考えます。

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2016年10月26日 (水)

晩秋の候

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晩秋や 一雨ごとに 増す落ち葉

沖縄県では夏日・・・北海道は雪が降ったという。

こんなに違う温度差がある、日本列島ですが、

天気の方も「女心と秋の空」で、変わりやすいのが秋です。

昨日は、晴れから急に曇り…雨となった東京地方です。

そして、暖かい日が続いたら、急に寒くなって、

風邪を引いている人が多いです。

私は、東京の八王子市に住んでいますが、

朝晩の温度差が大きくなって来てきて、

桜の木などの葉の色も一段と赤や黄色に染まり

落ち葉となって路面を彩るようになりました。

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2016年10月25日 (火)

心の内なる敵と戦う

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現代社会はストレス社会とも言われています。

ストレス・・・なんらかの刺激によって「心や体の状態」のことを言います。

複雑多岐の世の中…社会の中でしか生きられない人間です。多くの人と関わり合っていかなければなりません。世の中には、いろいろな性格・人生観・考え方を持った人がいます。そういった人たちと、上手に付き合っていくことで平和が保たれるのです。

しかし、どうしても水と油のように、感情的に合わない人がいます。「外の敵?」の人もいます。そうした世の中で、生きていくには、自分の心の中で「内なる敵」が現れ、これがストレスということだと思います。

「内なる敵」とは…自分の感情ともいえますが、怒り、憎しみ、恐れ、その他の破壊的な衝動。不平不満や怒りを抱えていても、それを表に出せない人は多い。ところが、そうしたことの積み重ねが、ストレスを溜めていくことになるのです。

心の安定を阻む自分の感情をどのようにコントロールすればいいのでしょうか?

感情をコントロ―ルする には、感情を起こること自体を受け入れることです。 感情は意思とは関係のない「反応」なので、無理に打ち消そうとせずに、「感情は出るのは仕方のないことだ」「むしろ、正常は反応だ」と受け入れてしまう――感情が出ること自体にOKを出す――と、これだけでもかなり楽になれます。

自らにひそむ敵の根源を断つためには…

それは、怒りにとらわれたとき、最初に何を感じるか、そして激情が冷めた後も自分の中にわだかまっている憎しみがいかに不快なものかを、自分で振り返ることでよいという。

自分の中にいる怒りそのものが最大の敵であることを理解すれば、その怒りがどのように、どういった形で現れるかが分かれば、幸せを探求するための努力はシンプルなものになるはずです。あらかじめ対策を講じることができるし、その根を断つように仕向けることができます。

何か嫌なことがあったとしても、冷静に気持ちに折り合いをつけ、相手を対立する存在と考えず、思いやりをもてれば、不平不満を溜めることなく、良い人生を送ることができるでしょう。

(NPO法人しごとのみらい…より参照)

 

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2016年10月24日 (月)

秋の夕日に

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秋夕日 旅愁の歌を 口ずさむ

「秋の日はつるべ落としと」と言われますが、今の時期、日の暮れが早いです。このところ夏日になったり、上着がないと寒い日があったり、体調に気をつけたいものです。

夕焼けが美しいと言われる秋…すすきが夕日に照らされて、なんだか見ていたら切ないような、センチメンタルな気分になります。

唱歌に「旅愁」があります。

更け行く秋の夜、旅の空の、
わびしき思いに、ひとりなやむ。
恋しやふるさと、なつかし父母、
夢路(ゆめじ)にたどるは、故郷(さと)の家路(いえじ)。
更け行く秋の夜、旅の空の、
わびしき思いに、ひとりなやむ。

窓うつ嵐に、夢もやぶれ、
遥(はる)けき彼方(かなた)に、こころ迷う。
恋しやふるさと、なつかし父母、
思いに浮かぶは、杜(もり)のこずえ。
窓うつ嵐に、夢もやぶれ、
遥けき彼方に、心まよう。

 この唄を歌うと、なぜか子供の頃の情景を懐かしく想いだされます。「山を駆け巡り、川で魚を追った」子供の頃の顔…「あのひ人はどうしているのかなぁー」 

人生は片道切符の旅です。なんて遠くへ来たもんだ・・・と夕日を眺めて、涙ぐんでしまいました。

 

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完璧な人間などいない

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「完璧な人間」などはいません。

何もかもがうまくいき、何もかもが誰よりも優れている人なんぞいない。

それは、「人によって大切にしていることが違う」…つまり、価値観が違うからです。多くの人のなかで、自分はあらゆる点において優れているなどということは、まずあり得ません。測れません。

年を重ねると、なんとなく自分のことが自分自身で理解できるようになるものです。それは「自分はこういう人間なんだ」と、周囲の反応などで自覚していくということです。

「アイデンテティー確立」…(個人が、環境の変化ても、変らぬ考え方)

その中に「軸」があれば、それでいいのではないでしょうか。何か大切にしていることがあって、自分が決して誰にも譲れないことがあって、それさえ守れていれば、人がどういおうと自分自身が納得することができれば、それでいいのではないでしょうか…

誰かと自分を比べてしまうことはよくあります。

その比べた相手もこちらに対して同じことを考えているのかもしれないのです。お互いに大切にしていることが違って、それぞれがそれぞれに対して羨望しているかもしれないのです。

「完璧」とは、「自分にとって完璧」ということであって、誰もが見て完璧な人間などは存在しません。そして誰もが「もっとこうしよう」であるとか、「こうなりたい」と考えているのです。

それが日々のモチベーションになっているのであれば、それはそれでいいのではないでしょうか…

「自分はダメだ」と、自己否定することは簡単です。そして、「これ以上伸びない」と考えることはよくありません。人間とは、死ぬまで成長するものだからです。

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2016年10月23日 (日)

理性と感情のバランス

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理性と感情のバランスが大切

理性と感情は不可分(分けることができない)です。だから理性と感情のバランスが大切となるのです。

感情的な人は、頭脳の回転が早くなる反面、短期間で処理されるので継続性が弱い。一方、感情でものごとを捉えない理性的な人は、瞬間的な理解力が弱いことになります。どちらも一長一短です。だから、理性と感情は上手くバランスをとることが大切なのです。

感情を、丁度良いバランスに保つために、感情をコントロールするというのは、「感情のみを、優先させない」ということであって、感情を消し去ることではありません。

多くの人が、感情に振り回されることを改善しようとして「感情を麻痺させて、何も感じなくしよう」としたり、「感情を抑え込もう」としたりして、逆に、混乱しています。

人間ですから、誰でも感情は出てきますし、感情が悪いわけではありません。ただ、その感情の、度合い、バランスが大切なのです。

私は、感情を操作するのではなく、「理性の強弱により、感情と理性が釣り合うようにしていく」のが効果的と思います。

感情のみを基準にして選択や判断をしたり、感情が発生したことで瞬間的に行動をとると、その行動の結果は、不本意なもになるからです。

そうならないために、感情を、丁度良いバランスに保ち、大きくしすぎないように、コントロールをしていくことが大事で、感情をゼロにしようとしたり、(すでに)発生したものを抑えようとしたりするのは、ちょっと、捉え方が違っているのです。

つまり、感情をコントロールするためには、理性を磨いて高めていくこと…普段から、理性的な思考や分析を心がけること…理性を使った思考をする習慣をつけることが大事です。

理性的な人は「他人に迷惑を掛けない」という点において社会性が高い分、ストレスを溜めがちです。一方、感情的な人は「感情豊かにのびのび生きる」という点において自己満足度が高い分、周囲との軋轢を生みやすいといことです。

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2016年10月22日 (土)

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「縁」とは…

「袖振り合うも多生の縁」

知らない人とたまたま道で袖が触れ合うような、ちょっとしたことも、前世からの深い因縁であるということ…人との縁はすべて単なる偶然ではなく、深い因縁によって起こるものと仏教の教えにあるそうです。

私たちが住んでいる、となり近所の方たちも、前世からの「因縁」であるということです。ならば、お互いに助け合いの精神で、末永くお付き合いをしたいものです。

 「病いに学ぶ-天よりの手紙-」常岡一郎より

幸も不幸も、病みわずらいも、もったいないめぐみも、すべて先方から歩いて来るのではない。いつでも自分の方から歩みよっているのである。そこに行く道を縁という。

祈っても、願っても歩みよりはない。縁だけがある。

自ら反省する。悪をすてる。愚をあらためる。なまけ心をすて、常に努力、精進して、毎日一歩一歩よい縁を進む。自らを高める。これほどたのもしい生き方はない。

幸せを待っているひまがあったら働け、つくせ、みがけ、よいことをつみ重ねよ、よい縁をつくれよといいたい。

病気になったら、反省の好機が来たのである。静かにかえりみて誤りを省く。新しい芽生えの準備をする。

自分の方の一方的努力と奉仕とで精一杯の生き方が、この世の賢明な生き方であると思う。

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2016年10月21日 (金)

これからのまちづくり

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現代社会は、複雑な構造化が進み、なかなか、互いの支え合いに気付かない(気付けられない)人間社会になってきています。動物や原始社会のように、あるいは狭隘な村社会のようには、人々の繋がりが見えづらい世の中です。

それが、自己中心(主義)的に見られるような人間が多くなってきているとも、言えるのではないでしょうか…

少子化・核家族化・超高齢化(夫婦)・独り暮らし・結婚しない(出来ない)などで、昔からの町内会の事業(お祭り・盆踊り・など)崔しものに、無関心の人が多くなってきています。したがって、町内会の役員(担い手)になる人探しが大変となっています。

これからのまちづくりは協働が基本

そんな社会情勢ですが、私はあえて申し上げたいことが、「協働」…(地域に住む人が…同じ目的のために、対等の立場で協力して共に働くことです。)で「自分の身は自分で守る」ことから、「隣近所・地域の人を助ける!」…助け合いの精神が大事になってきているのです。

3・11東日本大震災・今年の熊本地震・台風10号で岩手県で大きな被害が発生しています。前述のように、地域の課題は複雑化しており、安心・安全に暮すことの出来る町にするには、「協働」の大切さを思わざるを得ないのです。

災害の発生などにより、地域の結びつきが大事であることが再認識され、自分たちのまちは自分たちでつくるという、まちづくりに対する町民の意識を持つことが大事です。

一人では生きていけないのです。「まちはみんなが生きていける」場所です。「私は人にお世話にならなくても一人で生きていける」と思っていている…若いから大丈夫とでも思っているのでしょうか?

仕事が優先で、隣近所・町内会など、面倒なお付き合いは遠慮します?…という人が結構多いように思うのです。が、「天災は忘れた頃にやってくる」いつ来るか分りません。普段からの助け合いの精神がなければ、何かあった時には、対応できません。

地域の美化運動や町おこしなど、身近で行われている活動の多くは、「協働」という考えに基づく取り組みとして行われています。他にも、子育てや健康、防災、など身近な分野で、町民やボランティア団体が地域をより良くしていくために活動しており、これらの活動は協働による取り組みで、さらに活発化することができます。

「協働」の効果 町民にも行政にも 一緒になって考え実行しなければいけません。 協働を進めていくことで、町民や団体、行政それぞれに良い効果があります。私は、自分が人のため、地域のために、どんな小さなことでも(出来ることで)良いと思います。

町民にとっては、まちづくりに参加することで多くの人と交流し、仲間づくりの機会が増えることや、まちづくりへの関心を持つことで自治意識が高まっていくことなどが挙げられます。今まで関心がなかった人も、地震・大雨・など他人事ではありません。いつ自分の身にかかるか分りません。ご理解をお願いします。

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2016年10月20日 (木)

ゴミのない美しい町にしたい

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どうしたら、「ゴミのない町」になるかゴミ拾いをしながら考えています。基本的には、町を常に綺麗な状態に保っておけばゴミはなくなると思っています。 ゴミは一つ落ちていると、次から次と捨てられて増えていくようです。

人間の心理から、先に誰かが捨ててあるから…私だけではない、と思うのでしょう。また、植え込みや、自販機の物陰や、川へ(流れるから)などで、自責の念があるのです。しかし、その行為が、ゴミを拾いをするとなると大変なのです。その理由は説明しなくとも分ると思います。

昨日、私たちの町の国道予定地(国が買収済)のフェンスの中のゴミを拾ったのですが、雑草が生い茂って見えなかったゴミが、業者が雑草を刈って、捨てられたゴミの多さのビックリでした。

そして、車からのポイ捨て(特にタバコの吸い殻・弁当の空きパック)…路肩や分離帯空き地に捨てられているのは、始末が面倒だから…自分の町ではないから…誰にも見られていないから…でしょう。

「ゴミ捨て禁止」・「歩行禁煙」などのポスターや看板を取り付けても、ゴミのポイ捨てはなくなりません。私は、地球環境問題は深刻な状況にあると思っています。わずか半世紀で、日本いた魚や昆虫・動植物の多くの種が数を減らしている現実を見ています。

地球規模で温暖化が進んで、気候変動が起きています。地球温暖化対策「パリ協定」が、11月上旬の第22回国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP22)の前に発効する可能性が高まっています。米・中・インドなど61カ国が批准を完了しています。温室効果ガスの排出量世界5位の日本は、国会で批准されていません。

私は、「人と自然との調和」と「美しい自然を後世に引き継ぐ」が今生きている人間の最も…大事な使命だと考えています。そして、美しい町にすることで、人に自然に優しさ・と思いやりのある人間になる思うのです。

誰でも美しい町・自然豊かな町に住みたいと思っていることでしょう。町の美化は、あなたの心がけにかかっているのです。「ゴミのポイ捨てはしない。」「ゴミが落ちていたら勇気を持って拾う。」を、今日から始めて頂きたいのです。

私は、町が一度きれいになれば、なかなか汚せないもので、人間のメンタリティ(心のあり方。精神のもち方。)に訴えかける効果もあると思います。

   

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2016年10月19日 (水)

「歩歩是道場」(ほほこれどうじょう)

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私は、今この世に生きている(生かされている)ことで、ちょっと辛いことがあったりすると、「これも修行の一つだ」と思うようにしています。これを乗り切れば、また、新しい道が拓けると…考えるようにしています。

禅の言葉に「歩歩是道場」があります。

「歩歩とはいま、ここのこと」つまり日常の一挙手一投足、そのすべてが自己を鍛える道場だ、という意味だそうです。私たちの日常の一つひとつの所作には、どれも大事な意味があるという考えです。

例えば

「靴をそろえて脱ぐのは、自分の足下を見つめて、自己を反省する」という意味があり、「食事の際に「いただきます」、「ごちそうさま」を言うのも、「食」にかかる手間や「食」が持つ役割などに対して感謝の意を示すという…意味があります。

日常生活を適当に行えば、全てがおろそかになります。逆に、きちんと行えば、何ごともきちんとできます。「歩歩是道場」とは、我々の気持ちの持ち方一つで、全てが「学びの場」になるということを意味しているのです。

「修行」…は山中の閑静な処にあっても心に妄想や邪心があっては修行とは形だけで其処は“道場”とはいえないし、素直な心で一日一日を一生に準えて修行をするならば、そこが病院のベットの上であれ、事務所や街中のような喧騒の場であれ“道場”、即ち修行の場です。

言い換えれば、ビジネスの世界に身を置いていようと、心掛け次第で一日一日が成長の過程となり修行の場となります。

「一途一心」…ひたらすら、ひたむきということです。一つ事に命を懸けること、ともいえます。

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2016年10月18日 (火)

何か忘れ物があるようで・・・

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後戻りのできない人生

私は、何か大事なものを忘れているようで仕方がないのです。

それは…

「他人に尽くすこと」?

「人を思いやるやさしさ」?

「今あるものに感謝する心」?

それとも「ささやかな幸せに感動する心」?

または「自分のなりたかった夢」?

「家族とのささやかな幸せに浸ること」?

しかし…

「人生に悔いなし」として死んでいける人はいないのではないでしょうか?

誰しも100%思い通り生きられないということでしょう。

そして…

他人と比べることも出来ないもの

他人が評価するものでもないことでもないもの

自分の心の中にあるもです

だから、後悔しないように…忘れものを見つけるよう…今を精一杯生きることだ!

自分の心の中で、納得できるか、出来ないかであるということだと思います。

 

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秋の夕暮れ

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「子は巣立ち 夫婦の暮らし 長きけり 昔を偲ぶ 秋の夕暮れ」

長雨に落ち葉は増し、

柿の実の熟れる季節になりました。

百舌の鳴き声が…

片倉城跡の森から聞こえる今日この頃です。

 季節の移り変りの早さは、

年を重ねるたびに、より早く感じられます。

私たち夫婦も結婚して、もう50年…

何んと、

ふり返って見る間もない、

慌しいことだったことだったことよ…

人生なってそんなもんか?

そんな事を考える…「秋の夕暮れ」です。

「妻の背も 丸みを増して 秋深む」

よくついて来てくれ、感謝・・・ありがとう

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2016年10月17日 (月)

情報化社会について

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情報化社会とは…情報の取得方法が多様でしかも大量に取得できるようになり、かつ、誰もが情報発信を自由に(しかも即時に)行える社会、だと理解しています。

そのベースとなる技術がインターネットであり、テレビのデジタル放送であると思っています。この社会に求められることとしては、大量に発生する情報の中から、自分にとって必要な情報をいかに探し出すことが出来るか、ということではないでしょうか…

また、昨今の報道でも話題になっていますが、情報はかなり強力な武器となり得ますから、その扱いにも慎重な態度と自己責任が求められます。

ある日、ある時、ラジオのニュース解説をきいて、グローバル化社会で、ますます「クリティカル・シンキング」大事な時代に、なってきたと言われました。

「クリティカルcritical」とは、調べてみる。

大辞林 … きわめて危ない状態であるさま。危機に瀕しているさま。とあります。私は、分りやすく言えば「ヤバイ」…(危ない、不都合な状況。)「取り返しのつかない事態」という意味だと思います。

クリティカルシンキングとは、

世界の様々な問題に対し知的好奇心をもち、問題を設定し、その問題に多角的な視点から論理的に分析を加える能力のことです。

これからの時代、この重要性はさらに高まる。

今後ますます進行するグローバル化により、WEB・リアルを問わず様々な言語で更なる情報の氾濫が予想されます。その中から情報を選択し、判断を行っていく力が必要になります。

また、人口知能×ビッグデータの急速な発展により、今まで経験したこともない複雑な問題が次々と起こる可能性もあります。

これらにスピーディーに対処することが求められる現代社会において、創造的かつ批判的にものごとを分析し、複合的に世界を見る力が重要になってくるのです。

クリティカルシンキングは、客観的で健全な批判精神にもとづいた、論理的な思考法です。

「なぜそうなるのか?」

「それはどういう意味なのか?」

「それはいま考える必要があるのか?」

「必要があるのなら、まず何について考えなければならないのか?」

「相手はなにを求めているのか?」

思考の中から徹底的に主観(思い込み、過去の体験からの判断、個人の考え方のクセなど)を排し、客観的な観点から物事を見て考える習慣をつける、ということです。

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2016年10月16日 (日)

本当の幸せとは

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人間は「幸せ」を死ぬまで求め続けています。

幸せは、物やお金ではありません。

そして、真の幸せは外側にあるのでは無く…

自分の心の中にあるのです。

自分の意識の中にあるのです。

本当の幸せは、

「他人への貢献と奉仕」の中に、あるような気がします。

優しさ、思いやり、温かな心で接し、

相手が十分受け止めていることが証明されたときです。

ですから、「人生の幸せ」の意味は、

「あ~幸せだな~」という感情は、

主に人間関係から発生することになるようです。

よって(人生の幸せ)の意味とは、

「暖かな人間関係があること」になるでしょう。

人間が社会的な生き物だからです。

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便利さの裏に負の遺産

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人間は自らの生活の豊かさや充実を求め続けています。しかしそれとは裏腹に、長い歴史の間に人類は負の遺産も蓄積し続けてきたことも事実です。

このことは多くの例を挙げなくても、地球の温暖化や環境汚染を挙げるだけで十分でしょう。これらを含めてすべての現象が、100%人類のなせる業ではないとしても、ほとんどそれに近い責任が人類の行為に帰すると言えます。

したがって、人類を特徴づける文化の創造は、生活の快適さや豊かさを目指す文化ではありますが、その反面には人類にとって厄介で、危険な面も孕んでいると言えます。

人類が追求してきたのは「便利さの文化」と呼ぶこともでき、同時にまた、近年は社会生活、産業、自然現象など様々な面における安全性の意識や対策が強調されるようになってきています。いわゆる「安全文化」です。

これは人類が便利さを追求してきた結果であり、「便利さの文化」とは「危険文化」であると言い換えることもできるでしょう。つまり人類が一貫して追求してきた「便利さの文化」には、常に安全性と危険性の二つの面が共存しているということです。

私は、作家五木寛之さんの「下山の思想」につながる想いです。

登頂したあとは、麓(ふもと)をめざして下山します。永遠に続く登山というものはありません。この下山こそが本当は登山のもっとも大事な局面です。

登山が山頂を征服する、挑戦する行為だとする考え方は、すでに変わりつつあるのではないでしょうか…そしていま、下山の方に登山よりもさらに大きな関心が深まる時代に入ったように思うのです。

 

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2016年10月15日 (土)

地域活性化について

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今求められる地域活性化策

地域が活性化し、地域住民が生き生きと生活できることが、そこに住む人みんなの願いといえます。

今日の日本で、問題となっていることですが、私たちの町でも同じで、少子高齢化や都市化が進み、高齢者のみ世帯や一人暮らし世帯が増加すると共に、家庭や地域のつながりや人間関係が希薄になり、昔の地域社会にあった、住民相互の助け合い活動や共同体意識が弱くなっています。

そうした中で、隣人や親族にも知られることなく孤独死・大規模地震や犯罪などの様々な社会問題が懸念されます。

こうした社会問題の発見や解決を考えると、家庭や地域社会でのつながり(人間関係)が良好であれば、また、地域社会のなかで市民相互の相談や協力関係があれば、それほど深刻な事態には至らずに済んだものもあると思います。

社会問題を解決するためには、自助(本人や家族による努力)、公助(国や自治体による公的なサービス)、共助(住民相互や仲間同士の助け合い活動・相互扶助)が必要であるといわれています。

特に、今日の情勢では、行政が公的サービスをしっかりと提供しながら、行政サービスが行き届かない部分を市民活動でカバーする、行動が大事なことです。

地域社会では、働く場の創造、市内の活発な交流と交通、スポーツ、生涯学習、安心して暮せるまちづくりなどのためには、市民活動を活発にすると同時に地域コミュニティを再生することが必要であると思います。

こういう時こそ、市民相互の連帯・協力(「人の和」)や行政との連携・協働で、活気のある「元気な町づくり」が急務です。少子高齢化、ひとり社会化は、コミュニティそのものを空洞化させる原因ともなっています。地域コミュニティの役割が、大きなファクターとなっています。

それゆえに、コミュニティの発展・再生を模索し、そこに暮らす人びとの安心と安全をの体制を創ることが喫緊の課題である考えます。

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2016年10月14日 (金)

幼児期からの心の教育の在り方

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自分が住む町を愛する心

今なぜ、自分が住む町をを愛する心が求められるのかといえば、都市化現象により、人間同士の連帯感や思いやりが失われてきています。

公園でゴミ拾いをして…

先日、公園で小学生高学年と思われる男の子が、10数人で、お菓子を食べ、ジュースを飲んでいました。「君たち、ゴミは持ち帰りだからね…ここには捨てないでね!」と言ったら「ハイ!わかりました」答えてくれました。

でも、「そこにあるのは僕たちではないもん!」と言ったので、「公園はみんなで使うところ、後で使う人のためにきれいにしようね…」「ハイ分りましたその空き缶も一緒に持ってかえります」と言ってくれました。

そして、昨日、公園に行って、驚いたことにゴミ(空き缶・ペットボトル・お菓子の空き袋・タバコの吸い殻など)がたくさん捨てられ、サッカーボールまで放置されていました。

そのことを、地域の子ども会会長に実情を話し、学校・家庭の地域が、一体となって、子供たちの公衆道徳の大切さを伝えました。

モラル(倫理・道徳)・ルール(規則・法律)が必要性が分らない子ども…やっていいこと悪いことの判断ができない子が増えてるのでしょうか? 以前から思ってましたが、こんなに大きいのにこんなこともわからないの?と思うことが多々あります。

人間は、生まれてから、成長過程により、人の社会で生きていくために躾け、教育が大事と痛感したのです。

今日の子どもたちについては、とかく社会性や自己責任の観念が十分に育まれず、社会で許されない行為は、子どもでも許されないという、認識が身に付いていないと思われます。

また、他人を思いやる温かい気持ちを持つことや、望ましい人間関係を築くことが難しくなっているとも言われています。加えて、子どもたちの生活に、SNSなどの情報機器が普及・浸透することで、子どもたちが多種多様な情報に接したり、発信することが容易になってきています。

それに伴って、間接体験・疑似体験の著しい増加などといった情報化の「影」の部分についての懸念が生じています。社会環境の急激な変化に伴い、子どもたちの生活の在り方は大きく変容しており、幼児期からの心の成長に様々な影響が現れるようになっています。

子どもたちの心の問題は、反面、大人たちの心の問題でもあります。大人社会にしばしば見られる自己中心的で刹那的な行動や、暴力や性的な情報が氾濫するような風潮が、幼児期から子どもたちの心に、色濃く影を落としています。

そして、大人社会において規範意識が揺らいでいく中、多くの親をはじめとする大人たちは、確固とした信念を持って、子どもたちの心の育成に当たる姿勢を喪失しつつある思うのです。

こうした様々な憂慮すべき問題を直視し、幅広い観点から、心の教育の在り方を見直し、社会全体が一体となって必要かつ適切な取組を進めていくことが、今日、喫緊の課題となっているのではないでしょうか…

大人たちの間では、子どもの心の成長に影響する環境について幼児期の段階から改めて考え直し、豊かな人間性を育み、進むべき道を、真剣に模索しようとすることが、重要であると考えます。

 

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2016年10月13日 (木)

怒ったら負け

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私は、最近「怒ったら負け」を心に強く持つようにしています。

「怒り」は一日のうち、何回もあります。残念ながらこれを防ぐことも、治すこともできません。ただ、あまり燃え上がらないように、怒りを抑える方法として、ことある毎に、「怒って感情を表したらいけない」と思うようにしています。

「正しいのは自分で、悪いのは相手側だ」と思うから腹が立つのです。日常の夫婦の会話でも「悪いのは自分だ」と思えば、多少喧嘩することはあっても、エスカレートすることはない…

腹を立てずに一日を過ごせる日なんて一日もありません。でも腹を立てて得をすることもありません。「怒ったら負け」を心に秘めていきたいものです。

考えてみれば、「世の中、真っ暗闇じゃございませんか」

不透明の世の中、北朝鮮の動き・中国の海洋進出・中東諸国の難民などと、地球温暖化・環境問題で、国家間から、個人間の問題まで、自分の意とすることの出来ぬ…苛立ちが「怒り」の感情の表れてしまい、争いとなり、核戦争まで発展しかねない世界情勢です。

イライラや怒り、緊張と言った感情は、人間なら誰もが持っているものです。その感情から逃れることはできませんが、うまく付き合っていくことが上手に生きることだと思います。

感情をコントロールすることで、精神的な強さも身につけることができる…そのためにはまず、「絶対にやってはいけないこと」を理解しておくことが大切です。

「怒る」ということは…

自分が怒れば 相手も怒る

自分が笑えば 相手も笑う

相手の顔を 決めるのは

いつも こちらの顔つきだ

現実に腹が立った時は、相手のことばかり責める…嬉しい時には、自分のことしか考えない…大きな視野をもつこともなく、小さい枠のなかで、キュウ、キュウとして生きていることです。

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2016年10月12日 (水)

落ち葉の花

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秋雨に かえで落ち葉の 道の花

10月に入っても、雨が多いですねー。

街路樹の楓の葉も色づきました。

今朝は、一段と冷え込んだ東京地方です。

風邪をひかないように気をつけないと…。

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戦闘行為?衝突?

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きのうの国会中継(参議院予算委員会)を見て…

「駆けつけ警護」とは 

朝日新聞掲載「キーワード」…離れた場所にいる国連や民間NGOの職員、他国軍の兵士らが武装集団などに襲われた場合に助けに向かう任務。

政府は、現地の治安当局や国連PKOの部隊などからの情報を得て、自衛隊の部隊長の判断で実施を決めるとしている。駆けつけるのは、自衛隊が安全を確保して対応できる。

現地の治安当局や他国の部隊よりも速やかに対応できる――場合という。

南スーダン・ジュバで7月に起きたことに…日本政府は、大規模な戦闘は、戦闘行為ではなく、衝突と認識です。数百人以上の死者・中国のPKO隊員が亡くなってます。

稲田防衛相は、8日(現地時間同)、南スーダン首都ジュバを訪問し、国連平和維持活動(PKO)に参加している陸上自衛隊部隊の活動や現地の治安状況を視察しています。(滞在時間7時間だそうです。)

「戦闘行為」?「衝突」?…政府の説明では「衝突」との説明。

自衛隊が国連平和維持活動(PKO)に従事する南スーダン・ジュバで7月に起きた大規模な戦闘について、安倍首相は11日の参院予算委員会で、民進党の大野元裕氏への答弁で、「『戦闘行為』ではなかった」と認識を示しました。

苦しい答弁

首相答弁に先立ち、稲田防衛相は「法的な意味における戦闘行為ではなく、衝突だ」「戦闘行為とは、国際的な武力紛争の一環として行われる人を殺傷し、またはモノを破壊する行為だ。こういった意味における戦闘行為ではないと思う」と述べました。

「戦闘ではなかったのか」と再三問うた大野氏に対して、首相は「武器をつかって殺傷、あるいはモノを破壊する行為はあった。大野さんの解釈として『戦闘』で捉えられるだろうと思うが、我々はいわば勢力と勢力がぶつかったという表現を使っている」と説明しました。

難しい判断

「武器使用」…日本国憲法が武力行使を認めるのは、日本が武力攻撃を受けた場合に限られます。しかし、自衛隊が海外に出て活動をする場合、自らの安全を確保するために武器を使う必要が生じることは大いにありうるでしょう。

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2016年10月11日 (火)

人は老いるほど心豊かになれる

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老いるとは…年をとって心身の働きが衰えることです。

「老い」は人にとって新しい価値が生じてきます。自然的事実としての「老い」はあります。

社会的事実としての「老い」も、それぞれの時代、それぞれの社会にあります。しかし、現代では、「老い」の持つ意味、そして価値は、これまでとは格段に違ってきていると思います。

これまでは「老い」は否定的に捉れがちでしたが、仏教では、生まれること、老いること、病むこと、そして死ぬこと、すなわち「生老病死」を人間にとっての苦悩とみなしています。現代では、生まれることが苦悩とは考えられなくなってきたにせよ、まだ老・病・死の苦悩が残ります。

しかし私たちが一個の生物である以上、老・病・死は避けることのできない現実です。それならば、いっそ老・病・死を苦悩ととらえない方が精神衛生上もよいし、前向きに幸福な人生が歩めるのではないでしょうか…

すべては、気の持ちようなのです。

高齢化社会と言われ、世界各国で高齢者が増えてきています。政治や経済の対策の遅れもあって、人類が皆「老い」を持て余している、それが現状でしょう。

特に日本は世界一高齢化が進んでいる国とされています。しかし、どうもこの国には、高齢化が進行することを否定的にとらえたり、高齢者が多いことを恥じたりする風潮があるようです。

作家の堺屋太一さんは、今の日本は史上稀に見る「嫌老好若社会」であると言ってます。世界一の高齢化国などといっても、ほとんどの人は「老い」を嫌い、「若さ」を好んでいる。そして高齢者にとって「老い」は「負い」となる…

人は必ず老い、そして死にます。「老い」や「死」が不幸であれば、人生はそのまま不幸ということになるのです。これでは、はじめから必ず負ける戦に出ているのと同じではありませんか…

不幸や苦悩はすべて自分の心が生み出すものです。ですから、これからは次の幸せになるいつも心の中に持つことです。

朝、目が覚める…今日も生きていることに感謝し、その日を大事に生きることを心で思うことです。

欲張らず、心穏やかに、一日一日を過ごすことに、に心がける…そうすれば、必ず幸せになれると思います。それが、「人は老いるほど心豊かになる」となると思うのです。

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2016年10月10日 (月)

80歳にして人生を考える

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「良好な人間関係」って何んだろう?

やっぱり人の幸福度は、「人間関係の善し悪し」決るものだと今は考えています。

人と人の関係は、長く、つきあえばもちろん、波風が立つこともあります。小さなケンカがあったり、一時疎遠になったり、いろいろあります。良好な関係とは「お互いに頼りあえる」と感じる関係です。

80歳で幸せを感じられること。

ある人は言います…50歳時点からの人間関係が高い満足度を感じているほど、80歳になった時の幸せ度が高くなるそうです。

なぜかといえば、50歳~80歳の30年間は、加齢に伴う健康問題、退職に伴う経済的変化、人との付き合う人の違い・変化、場合よっては介護などなどのと身心の変化は、避けようもありません。私は、もう直ぐ80歳になり実感しています。

幸福度の下がってしまう一番の要因は、家族との関係の問題なのだそうですが?

今真剣に考えていることは、「いま、何をしなければいけないのか?一番重要なものって何だろうか?」探し求めています。

でも多分見つからないでしょうが…

マーク・ウエイン言葉
かくも短い人生に 諍い 謝罪し 傷心し 責任を追及している時間などない。愛し合う為の時間しかない。それが例え一瞬にすぎなくとも。」

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2016年10月 9日 (日)

持続可能な地域社会

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「持続可能な地域社会づくり」

地域社会において、その政策課題として大きな注目をうけるようになった大きな背景に「迫りくる人口減少」があることは、明らかです。「限界集落」と呼ばれるような地域では当然のごとく、過疎化の問題はいまに始まったことではありません。

少子高齢化ならびに、人口の推移とその予測は、過疎地域や農村部だけではなく、中小規模の都市や大都市周辺の都市においても地域としての将来的な存続や自治体としての長期的な健全経営の面で大きな不安を広がっています。

右肩上がりの成長社会とそれによる地域発展を維持してきたわが国において、地域がそこにあるだけで地域として世代をこえて長期的に存続できると安易に考えらる時代が終わったのです。

人と人がつながる地域社会づくり

人と人のつながる地域社会とは何か…昔は、向こう3軒両隣というように、隣近所と助けあいながら生活をしていたが、今は集合住宅も増え、表札も出ていないなど誰が住んでいるかわからなくなってきています。

つまり、つながりが自然発生的に生まれにくくなってきています。だとするならば、つながりを意図的に作っていく必要があると思います。サロンや居場所づくりは、つながりづくりを社会的に作っている活動です。しかし、サロンのような互助活動だけではカバーできない現状もあります。

例えば、サロンに来られない人や来たくない人、サロンに馴染まない人などは参加することができない。そこで、専門職による個別の訪問が必要な人が出てきます。専門職の支援の場合でも、専門職が1人でその人の課題を解決することはできません。

やはり地域の方と一緒にできる支援は何かを考えながら対応していくことが大切だと思います。今は支援の質が問われています。地域の活動は、地域のみなさんが、かかわりを持つことが、とても重要だと想います。そして、一人ひとりの思いや気持ちを、大切に支援をしていくことが重要であると考えます。

また、グローバル化した社会で、価値観の多様化と、少子高齢化社会でのコミュニティのあり方が大きなテーマとなってきていると思います。

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2016年10月 8日 (土)

家庭ゴミがすてられていた

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私たちの町(八王子市片倉町)には湯殿川が流れています。

「河川管理通路」は、一般の住民の、通勤・通学・買い物などの利用しています。原付バイクは乗り入れ禁止です。自転車・歩行者だけですから交通事故の心配はありませんので、安心して利用しています。

管理は、国土交通省・南多摩西部建設事務所で行っています。除草などの維持管理を行っています。

ゴミのポィ捨てされる

多くの人が利用と平行して、ゴミの問題で頭を痛めています。通路に捨てるだけでなく、フェンスの中の水の流れているところまで捨てている人がいるのです。「ゴミ捨て厳禁」などの注意看板・ポスターを貼って、注意喚起していますが、捨てる人がいて困っています。

私は、いつも、安心・安全に利用させて頂き、大変ありがたいと思っています。地域の利用者が気持ちよく利用できるようにゴミを拾うようにしています。河川管理通路の、空き缶・ペットボトル・弁当の容器などとタバコの吸い殻…などのゴミ拾いをしてます。

常識を逸脱した行為に怒りさえ覚える

空き缶・ペットボトル・空き瓶・弁当の容器などのプラ容器など燃えるゴミと、区別して処分を近くの市民センターまた、近くのスーパーで処分をさせています。

昨日は、何んと家庭ゴミが捨てられていました。この処分が大変です。それも、1カ月で3回も捨てられていたのです。

家庭ゴミは週二回…市の回収車来るのですが、なぜ利用しないのか理解できないのです。通路に放置しておけば、鳥獣の被害・悪臭で始末が大変になります。こういう問題は、市のゴミ相談センターに連絡して、処分してもらっていることもありますが・・・

町の美化に、理解・ご協力を

私は地域住民が、気持よい環境を守って、安心・安全の暮らし守ることが大切の想いから毎日ゴミ拾いをしているのです。ゴミのポイ捨ては減りません。環境の復元は時間がかかります。ゴミは家に持ち帰り処分して下さい。そして、ゴミが落ちていたら勇気を持って拾ってください。

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2016年10月 7日 (金)

台風と地球温暖化

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台風の 過ぎ去りあとに 秋の風

稲穂が揺れる散歩道を歩いています(6日)と、乾いた空気が気持ちがいい・・・

それにしても、台風の大きさ・進路など、今までにない動きから、地球の温暖化を、ひしひしと感じさせられます。

今年(2016年9月)、北海道に、台風7号、11号、そして、9号が上陸し、1週間で3つの台風が上陸しました。北海道で1年に台風が3回上陸するのは観測史上初めてのことです。

台風10号は、日本の南で複雑な動きをした台風でした。数日間、南寄りの進路を通った後、再び東寄りに進路を変え、北上し、8月30日18時前に岩手県大船渡市付近に上陸。1951年(昭和26年)に気象庁が統計を取り始めて以来初めて東北地方の太平洋側に上陸しました。

そして、一昨日超大きな18号は朝鮮半島に上陸し日本海を猛スピートで東南東に進みに(温帯低気圧となり)能登半島・新潟県北部に強い風雨をもたらし太平洋に抜け去りました。

どうも、最近の台風の進路は、今までに例がないコースです。これは太平洋上の海水の温度が高いためといいますが、やはり温室効果ガスのために起きている現象だと考えられます。

地球温暖化対策は、国連の重要課題です。

地球温暖化対策を進める国際的な枠組み「パリ協定」について、国連は5日、締約国の温室効果ガスの排出量が世界全体の55%を超え、発効の要件が整ったとして、来月4日に協定が発効すると発表しました。アメリカのオバマ大統領は「記念すべき日」声明をしたが、日本は、国会承認はされていません…片身が狭い想い?

国連は5日、フランスやドイツなどヨーロッパ7か国が当初の予定を前倒しして締結したことに加え、カナダやネパールなどが相次いで締結したことで、締約国は合わせて73か国となり、排出量の合計が全体の56.87%に達したと発表しました。これによって協定は発効の要件がすべて整い、30日後の来月4日に発効することになりました。(NHK)

日本は、温室効果ガスの排出量が世界5位で、主要排出国として位置づけられ、平成9年には地球温暖化対策の国際的な枠組み、「京都議定書」の採択を議長国として主導するなど、温暖化対策に取り組んできました。(第4位のロシアもまだのようです)

しかし、今回のパリ協定をめぐって日本政府は、締結の国会承認を求める議案を来週11日にも閣議決定して国会に提出し、早期の承認を目指す方針ですが、ほかの主要排出国に比べて締結の手続きが大幅に遅れている状況となっています。

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2016年10月 6日 (木)

諸行無常

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「諸行無常」…あらゆるものは生じそして滅するのです。

私たち自身、動物や草木、私達の住むこの環境の世界はとどまることなく生まれ、やがて消えていくということの繰り返しです。

宇宙の存在・無数にある星・地球もビックバンが起きた。

ビックバン理論は1948年、アメリカのG.ガモフの理論によると、140億年ほども前に起きたビッグバンにより、“空間”と“時間“もここから始まったと言われています。

そして宇宙は現在に至るまで膨張を続けており、初め、超高温・超高密度だった宇宙(火の玉宇宙)は膨張したため、今日の冷えて空疎な空間になった。つまり、ビックバン以前は「時間」「空間」がなく、「何もなかった」ということです。

超常的で、私たちには実感を持った理解がしがたく、だからこそ宗教的な意味合いを持ちやすくもあります。概念としての「無」や「神」、数字の0といったところかもしれません。

この世の“もの”は永遠存在しない…生じて消滅していく法則があると言うことですが、化学的には、私たちの人体を構成している「有機物」その、多量元素は酸素(O)、炭素(C)、窒素(N)、水素(H)、リン(P)、 イオウ(S)の6種類です。

永遠に変わらないものはありませんが、大宇宙(でも膨張を続けているとのこと)のように長く変わらないものはあります。人の時間感覚で考えると途方もない時間、その形を保ち続けているものです。

ある一定の不変性を保っていられるのは、それが「理にかなっている」からです。循環や調和といった、一定に在り続けるための優れたシステムが成り立っているのでしょう。

生き物の中にもずっと進化せず、長い期間変わらず昔ながらの生態を保っているものもいます。その環境のなかで最適な形態へと進化した故です。やみくもに能力や機能を増やすのではなく、その環境で生きていくために必要な能力を獲得してきました。

必要な能力を発達させ、不要な能力を退化させる。退化までを含めた適応が「進化」と呼ばれるものでしょう。

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2016年10月 5日 (水)

私たちの未来に向けて、今できること

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私は生まれも育ちも同じまち八王子市片倉町です。(むかしの地名は、東京都南多摩郡由井村片倉でした。)

思い出すと…むかしは、田んぼが広がり、畑がたくさんありました。湯殿川には、ふな、どじょうなどたくさんの種類の魚が、棲んでいました。片倉城跡公園には、ホタルや蝉などがたくさんみられました。

今頃の季節には、片倉城跡公園の高台から、北西から、東北を眺めると、田んぼの稲が黄色になっていました。そこで働く農家の人、牛の力を利用して牛車がありました。畑から採れたさつま芋・草を詰めた、草刈かごなど、農家の忙しく、働く姿がありました。

東方面より南東に目を見向ければ、兵衛川が宇津貫方面より流れ、多摩丘陵と呼ばれていた山稜には、御殿峠~野猿峠~平山城跡公園~高幡へと続くハイキングコースがありました。

今頃の季節には、栗・柿を採る、子供たちの歓声が聞こえてきそうです。そんなみどり豊かと自然ときれいな水の流れる川で私たちは暮していたのです。

現在では、そんな光景から、想像も出来ない変りようです。田んぼは無くなり、湯殿川・兵衛川はコンクリートの岸になり直線化となって、棲む魚・昆虫など種類もほとんど見られなくなりました。

私たちの暮らしが、モノに恵まれ便利になり、毎日の生活でごみや汚れた水などを出す量が増えるにつれて、山の緑や水辺などの美しい自然環境の変化は、まだ、止まりません。このことから 、私たち人間を含む全ての生き物が住む地球では、温暖化や森林の減少、砂漠化などの多くの問題が起きています。

これらの問題の原因のほとんどは、私たち人間が行ってきたことであり、私たちはこうした問題にどのように向き合い、未来に向けて、山や川をどうしていけばよいのか、いろいろ考えなければなりません。

これらの問題を解決するための出発点は、私たちが身の回りのことについて調べ、今の私たちの暮らしの様子に気づくことです。

今の私たちの暮らしには、自然や環境に良いことだけでなく、悪いこともたくさんあります。このように、私たちの暮らしの様子や身の回りのことを知ることから、まず始めてみることです。

 

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あなたの公衆マナーは?

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昨日、気温32度と、10月としては記録的な暑さでした。

国道の歩道のゴミ拾いをしていたら…とつぜん、乗用車の運転席より、アイスコーヒーの飲みかけの容器をポィ捨てて、走り去ったのです。(声もかける、間もなく…です。) 何か私に、「このゴミをお願いします」とでも思っての行為です。悲しくなりました。犯罪行為?止めて欲しいものです。

以前にも火の付いた、歩きタバコの吸い殻を、捨てて立ち去った中年のサラリーマンの経験がありました。どうしてこのような、悪質な行為をするのでしょうか?

子どもの躾けの大切さ

子どものマナー教育は、大人(親)の公衆道徳の再教育をしなければいけない…よく公園や広場で遊ぶ子どもで思うのですが、地域の大人が子どもを注意するのは大事だが、その親を注意しなければ、子どもの規範意識は良くならないことだと思います。

あなたが気になる公衆マナーは?

街などにタバコ、空き缶やゴミをポイ捨てする… 犬の汚物を拾わない飼い主… 交通ルールの無視…路上駐車 電車・バス車中における携帯電話の使用… 子供の行動やしつけ…場所をわきまえない喫煙 道路へガム、タンやツバを吐く… 公園、行楽地で出したゴミを持ち帰らない…他人のことを考えない自転車の駐車。

ある研究所の調査・・・気になる公衆マナー

1位 街などにタバコ、空き缶やゴミをポイ捨てする…77,2% だそうです。

教育学者の森信三先生は、子ども躾けの最も大事な三つを提唱しています。

① あいさつができる。

② 「ハイ」とはっきり返事ができる。

③ はき物を脱いだら必ずそろえ、席を立ったら必ず椅子を入れるという事です。

これらを躾れば、他のことも難なくできるようになると論じています。これらのよき習慣をできるだけ小さい子どものうちから身につけさせたいものです。しかし、習慣は一朝一夕で身に付きません。親自身の模範がなければ、なかなか身に付かないとも言われています。

「おはようございます」のあいさつも、親が笑顔で受け止め「おはよう」と返してくれるからこそ、子どもは自分から進んでできるようになります。

「ハイ」という気持ちの良い返事する。

「はき物や椅子」も、親の心がけがそのまま子どもの行いに表れます。

親の言動から、親の頑張りを見て、自ずと頑張っていける“力”を身に付けています。

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2016年10月 4日 (火)

小さなお世話、大きな親切

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お節介・・・とは、出しゃばって、いらぬ世話をやくこと。

自分では親切だと思ってやっていたことが、相手にとっては迷惑で余計なこと…「小さな親切、大きなお世話」といいます。

の時代、「こんなことは、迷惑じゃないか」と人との距離を必要以上に離したり、人を傷つけないようにと、誰とも深くかかわらないようにしている人が、増えている気がします。

向こう三軒両隣に誰が住んでいるの・・・に、「無縁社会」だ、「孤独死」だと、新聞・テレビなどでも、問題視している通り、人と人との交流が希薄になっていることは、誰の目にも明らかです。

昔は、お隣から、味噌・醤油を借りたり、おかみさん同士の井戸端会議、慶弔などは親身になってお手伝いしたものです。それが、個人の自由・プライバシー保護の関係からか、今では隣に住んでいる人さえ分らないという、孤独死などの最悪の、人間関係の希薄さが気になるところです。

遠くの親戚より近くの他人

誰でも、火災・強盗・地震など非常事態時は、遠くの親戚より近くの他人です。それには、普段からのコミュニケーションが大事です。 引っ越して来られたら近所に「挨拶」することです。

近所のお付き合いも、相手の気持ちを気遣いながら、ほどほどのお節介をすることです。前からいた人・後から移ってきた人が、「お互いさま」精神をもつことです。

遠慮をすることは美徳、礼儀、はたまた常識と考えている人はたくさんいます。遠慮は日本人が人付き合いをする上で、長年暗黙の了解として共有してきた、相手を気遣うすべなのです。

地域・向こう三軒両となり、お節介の心がけで、人生そのものも楽しく豊かになります。「小さな親切、大きなお世話」ではなく、「小さなお世話、大きな親切」の心がけだと思います。

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2016年10月 3日 (月)

物事の本質を知る

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情報過多と言われている時代です。情報処理から、「物事の本質を知る」ことが大事ことになっています。

SNSが普及し真偽不明の情報が錯そうする現代では、必要な情報を正確に得ることは難しくなってきています。

限られた時間の中で華美に飾られた情報や人間関係から、いかに本質を見抜いていけるかが、これからの時代、最も、必要になってきていると思います。

論語の言葉の中に、「巧言令色、鮮なし仁」(こうげんれいしょく、すくなくしてじん)という言葉があります。…「口先が巧みで、角のない表情をするものに、誠実な人間はほとんどいない」という意味です。

それに対して「剛毅木訥仁に近し」(ごうきぼくとつじんにちかし)意味は、意思が強く強固で、素朴で口数が少ない人物が、道徳の理想である仁に最も近い者であるということです。

「弁の立つ人というのは一見、派手に見えて目立つけれども、人物としては必ずしも立派な人とは言い難い。たとえ目立たなくても、地に足を着け、自分のすべきことをきちんとやっている人が結局、一番強いものです。

いつのまにか周囲から、『やっぱり、あいつには敵わない』と一目置かれるようになるのです」

 「人の奥深さ」って、そう簡単には、わからないものです。年を追うごとに、そのことを実感します。表面的な世界だけを観ていたらわからないことも、本質 を追いかけていると、よくよく観えてくるものです。

派手さやゴージャスさよりも、「本質的なもの」に、気持ちが入るの当然のことです。気をつけたいことは、表面的なものには、すぐに惑わされない。良い、悪い・好き、嫌いなど感情を持たず、心に留めることです。

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2016年10月 2日 (日)

一日一善してみませんか

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最近聞かなくなった日本語の一つに「一日一善」というものがあります。

「一日一善とは、一日に一回良い行いをしましょう!」という意味があるのは皆さんご存じでしょう。それを、日々積み重ねていきましょう!という呼びかけでもあります。

「一日一善」といいいますが、これが、なかなか、難しいことです。忙しかったり自分にゆとりがないと、良い行いをするよりも、自分が癒されたいという欲求が多くなり、他のことまで気が回りません。

気づけば、忙しくてゆとりがない頭の中は、TVが見たい、ご飯が食べたい、早く休みたい、とか自分のやりたいことでいっぱいになっている?

果たして、自分の思い通りに休むだけがゆとりにつながるんでしょうか?逆に、忙しい人ほど、一日一善を心がけるだけで、自然とゆとりがでてくるんです。イライラ、ソワソワしてた心が、何か一つでも良いことをするだけで、気持ちがスゥーっと安らぎに変わるはずです。

例えば、『お年寄りに席をゆずる。』・『人に会ったら先に挨拶をする。』・『ありがとうと言う。』・『ゴミを拾う。』

など、ちょっとしたことでいいんです。出来ることを一日一回やってみてください。そうすると、何かのことで、一杯になった頭の中や、生活において心に“ゆとり”が出来ます。

それは、偽善じゃなくて真実から生まれるものです。一人が意識することで、それが周りに伝わり、周りからさらに、もっともっと広がっていって世界中が幸せに包まれていくようになると信じて行ってみてください。

そう考えるだけできっと“Happy”な気持ちをもたらしてくれると思います。その行いは、いつか必ず自分に跳ね返ってくると思います。是非、一日一善の精神を心の片隅に置いて生活してみてください。

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これからの地域社会と課題

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現代の私たちが置かれている環境は、経済や社会制度が発展し必要な物やサービスは満たされ、快適で便利な生活を享受しています。

社会が成熟し様々な問題が露呈しています。

人々は古来より、地域社会や家族等のコミュニティが持つ伝統や知恵を学び、また、コミュニティによる絆に支えられ生活してきました。しかし、現代の日本社会は、人々の生活が多様化し、コミュニティに支えられていた状況からコミュニティを必要としない、いわゆる個人主義に陥った状況に変容しています。

社会が成熟すれば快適で便利な生活ができ、人生そのものが平穏になると人々は信じていましたが、現実は個人も社会も国も大きな問題と不安を抱えている状況です。

日本はGDP(国内総生産)において、世界第3位の高いレベルですが、GNH(国民総幸福量)は178ヵ国中、第90位に留まっています。

それを裏付けるかのように、自殺者は依然として多く、また、簡単に人の命を奪う犯罪や子どもたちへの虐待等、目を覆うような事件が後を絶ちません。

我が国は、戦後の驚異的な復興、そして高度経済成長により、多くの人が快適で便利な生活を手に入れることができましたが、成熟すれば得られると考えられた幸福な人生や豊かな社会とは矛盾する事実があります。

その事実とは、少子高齢化に伴う人口減少、地方の過疎化、巨額の財政赤字、崩壊寸前の社会保障、さらには東日本大震災福島第一原発事故等、危機的な状況が続き、政治や社会はそれらの課題を解決すべく取り組んでいますが、現実は困難を極めています。

私たちは地域社会においても、大きく変ってきています。私たちは、今何をなすべきか、「これからの地域社会のありかた」が問われています。

高齢化社会では賢い大人の社会であるはずだと思う。そして「大人の感性」を持つことが大切・・・経済社会を真っ当な方向に持っていくために必要な道具は『傾ける耳』、『涙する目』、『差し伸べる手』・・・この3つが成熟した社会に必要な要素であり、これからの地域社会を創る大きなポイントである。(浜矩子氏)

晩婚化・少子化・高齢化・ひとり暮らし・そして、空き家・・・問題は深刻な状況になっていると思います。「安心・安全の確保と、生きがい」づくりは、どうしたら、創り・維持していけるか、私たち課せられた課題は、大きく重いと思います。

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2016年10月 1日 (土)

政治家の志は何時から狂った

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政治家になろうという志は「世のため、人のため」だったでしょうが、最近のニュースでは、富山市会議員の「政務活動費」不正請求で10数人が、辞職するという異例の事態が、大きな問題となっています。

数字が書かれている領収証の金額欄の前に数字を書き増し、数字の単位を一桁追加するという…考えられない事例があったそうです。

立派な事を並べて立候補し当選したのでしょう。こんなことは、市民の政治に対する信頼は得られません。このことは、日本の各地で行われているだろうと懸念されるところです。

東京都の築地市場の移転先の豊洲問題では、盛り土の問題・予算の問題は、闇に葬ろうとさえ思われます。隠れ権力のパワーで、支配されているとしか思えません。

回答は9月30日期限だった、盛り土問題では、何時。誰が。決めたのか、回答できなかったと言う。

政治家に志した理由は…「世の中のため人のために、精一杯働き人々を幸せにしたい」ということでしょう。それが何時何処で変ったのでしょう。答えは、盛り土の問題と同じで、はっきり答えはでません・・・と同じです。想像ですが、前から慣例?当たり前?

そういう「世のため人のため」という大切な宝物の言葉は、心の奥底にしまって…「自分だけが」ではなく、自分自身も確り多くの「市民のため」“こころざし”を貫く…意志今の世の中大事なことです。

政治家は、「事」の善悪を確り見極めて、他と協調することも大事です。いつも「自分のことより他人のこと」を優先に考える行動が大切だと思います。だいぶ昔のことですが「滅私奉公」と言う言葉がありましたが、もう一度勉強して欲しいものです。

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環境は守るのは常識です

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「自然環境」守りは、将来も継続しなければならない。 現代人常識です。

「ゴミは持ち帰る!」 なぜ!子どもの躾け「あいさつすること・ハイという返事・後片付け」と言われています。後片付けが大事なのです。なぜ、後片付けが大事なのか…よく考えて欲しいのです。後使う人の事を思いやることと、自然環境保護に繋がるからです。

「自然環境」をインターネット検索してみることです。自然環境の保護の大切さや活動についての情報やアイデアがいっぱい出てくるはずです。

大人は模範を示すことです。

毎日通勤途中で、タバコの吸い殻がポイ捨てされています。子供たちは、大人の“しぐさを”を見ています。親の躾け・学校の教育・地域の指導でも「環境の保護」大事なことですが、公園。広場に子どもたちが帰ったあと、ペットボトル・空き缶が捨てられています。そして、大人が吸った、タバコの吸い殻が落ちているのです。大人の無責任は悲しくなります。

町内会の美化活動に参加

自分の身近な、家の周りの道路の清掃する・町内会の美化運動に参加することです。

いつもお世話になっている地域に恩返しをすることで愛着が湧くし、自分の周囲のゴミを取り巻く環境を考えることにもなるでしょう。「知ること」は自然や地球に対して自分がどう行動してゆけば良いのかそのきっかけをきっと与えてくれるはずです。

一人ひとりが環境を守る意識で実行することが大事です。「自分達で出来ること」「身近で簡単」なことです。自然を守ることに大きな影響を与えるのだと言うことを知っておいてほしい。

また私達がこのような行動を起こせることも、何より私達がこうして元気に生きてゆけるのも、この大きな自然、地球があるからだと言うことを、今改めて思い返してほしいのです。

「自分達で出来ること」を実行してゆくことは私達の自然を守るだけではなく、人に対する思いやりや優しさ、尊敬にもつながり、その姿を見て「オレもああなりたい!」と思った子供達が育つことで、たくさんの「カッコイイ」奴がもっとこの世の中に増えて、もっともっといい地球にしてゆけるのではないでしょうか・・・

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