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2016年9月

2016年9月30日 (金)

金木犀の香り

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甘い香に 季節を知らせる 金木犀

今月(9月)は、敬老の集い(11日)の準備。全国交通安全運動(21日~30日)の出動。などと、矢継早に台風がやってきて、秋雨前線を刺激し、雨が多かった9月でした。私にとっては、ちょっと忙しかったです。

今日(30日)は久し振り、雲の切れ間に青空が見えました。「甘い匂いが~」「そうか…金木犀の匂いだ!」 季節の移り変りを知らせてくれている・・・

金木犀の花こと葉は、謙虚・謙遜と気高い人だそうです。

1. 謙虚、謙遜

強い香りが印象的な一面とは裏腹に、咲かせる花は、小さくつつましい様子にちなんでつけられました。

2. 気高い人

季節の変わり目に降る秋雨の中で、潔くすべての花を散らせることが「気高い人」という花こと葉の由来となっています。

 

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悪いこと知ってする・知らないでする

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「悪いこと」…と知って悪いことをする人と、「悪いと知らず」…に悪いことをする人と、どちらが罪が 重いでしょうか?

自分は知らないで悪いことをしたのだから、罪が軽いということにはならないのです。 無知ということがいかに罪が重いのです。悪いことをしたかしないかよりも、悪いと知っているか知らないかということの方が、より大事なんだということです。

悪いと知ったら悪は直ぐ止められる・・・悪いと知らないで悪いことをしている人は、知らないから、止められないから悪い“行為”は続くのです。

しかし、本当に 悪いと知っていて、止められるでしょうか? 悪いことと分っていても、悪いことが止めらられない世の中ではないでしょうか?悪いと分っていながら、やっている人が多くいるからです。 詐欺事件などの犯罪もそうです。

また、自分身体にも悪く、社会的にも悪い、例えばタバコは、体に悪いと理解しているが止められない。「分っちゃいるけど止められない。」・・・まさにその通りです。

困っているのが「歩行喫煙」です。

公徳心のなさが重なって「歩きタバコ」をし、吸い殻をポイ捨てする人が後を絶たないのです。八王子市では、守れない人がいるので、条例で「歩行禁煙」が決めていますが、一向に減っていません。(人が見ていないから…たかがタバコの吸い殻一本ぐらい…)一般市民は迷惑しているのです。 

悪いと知ったら、止めるというほど簡単なものではないです。悪いと知っていても悪いことをしたがるのが 人間というものです。 知らないでするのと、どっちが罪が重い?

悪いと知っていてやっていると、「私は悪いことをしているけれど、今日は少し止めておこう。」という慎みというものが起こるかも知れないけれど、知らないでやっている人は、悪いという自覚がないから、止めようという気にもならないので、罪は重い?のです。

だから悪いと知らないと、ずっと悪いことをし続けるということになります。考えてみれば、ずいぶん迷惑なことです。 自分のこととして考え、反省してみたいものです。

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2016年9月29日 (木)

環境美化は続けることです

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いろいろな環境問題が起きている現在、21世紀を生きる私たちは、未来の地球のために、どんなことをしなければならないのか、真剣に考えなければいけません。そのためには、今、自分が生活している地域の現状をしっかり知る必要があります。

私は長こと、ゴミ拾いをしていますが、今までこんな物まで「何にこれ~」と言うものまで捨てられています。例えば、犬・猫の死骸、川鵜の死骸、羽毛の布団、お米10キロ位の袋、タイヤのない自転車、冷蔵庫、コピー機、猫のトイレに使った砂などなど…常識では考えられないものです。そして、タバコの吸い殻のポイ捨てが相変わらず多いです。

また、下水道の処理がしていない家から河川に放出していたりしていたりしていました。これは、八王子市の担当課の連絡し処置をお願いしました。環境の保持は大切な事です。「割れ窓理論」からも、地域住民の目が大事です。

地域社会が安心・安全で、住んで良かった町にするには、住民の一人ひとりの環境に対する心がけ、いわゆる規範意識の高揚が大事です。

そして、すべての人が安心して暮らせる地域づくりを進めるためには、さまざまな人のさまざまな暮らし方があることを前提として、性別、年齢、障害、国籍などにかかわらず、みんなが地域社会の一員であることを認識していく必要があります。

そのためには、ふだんのふれあいの中で、気軽に助け合いができる「共に生きる」仕組みづくりを進めていくことが大切です。

今までは・・・人と人とのつながりにより地域社会が活性化していた頃は、「お互いさま」という精神が息づき、地域のあちらこちらで気軽な助け合いを目にすることができました。しかし現在では、その地域社会の力を感じさせる場面が少なくなってきています。

核家族化や少子高齢化の進展は、八王子市でも例外ではありません。また、日中、市外に通勤、通学している人が多いことも、人と人とのつながり、地域とのかかわりが希薄化している大きな要因であると考えられます。

大事なことは、子どもの公衆道徳の教育です。公園などの公共の場での遊びには、ルールがあります。ゴミ・空き缶・空き瓶・ペットボトルは、持ち帰りが基本です。お母さん躾け・学校の先生の教育、地域の大人(タバコの吸い殻ポイ捨てはもってのほかです)の指導が大事です。良い環境づくりを理解し、みんなで住みよい町づくりが大事だと思います。

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2016年9月28日 (水)

今チャレンジしなければ悔いが残る

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「時間を大切にする」

お金がなくなってしまっても、また稼げば取り返すことができます。しかし、時間は、なくなってしまったらそれが最後です。たった今、この瞬間も、実は最初で最後なのです。

時間を大切にすれば、必ず行動力が出てきます。

「お金を粗末にするな」と言うのなら、なぜ「時間を粗末にするな」とは言わないのでしょうか…時間のほうが大事です。あっと言う間に終わってしまう人間の一生です。終わるときにはきっと「早かったな」と思うものです。

私は、子供の頃、早く大人になりたい!と、思っていました。いざ二十歳を過ぎてしまったら、今度は子どもに戻りたいと思うようになりました。そして、結婚して、二人の子どもに孫が二人づつ出来て、もう高校生となっています。

普通の人は、20歳を超えていれば、人生で感じる時間の半分は、すでに終わっているような気がするそうです。たしかに私も、20歳を超えてからというもの、すごいスピードで毎日が過ぎていくのが分かります。

今、しなければいけない大事なことがある?

アメリカでの興味深い、80歳以上の老人を対象としたアンケート調査ですが、「人生で最も後悔していること」は何ですか?の問いに…70%の人が「チャレンジしなかったこと」事だそうです。

私は、今80歳を目の前にして思うことは、何か大事な事を忘れているのではと思う毎日です。その大事なこととは何であるのか、なかなか思い浮かばないのです。

でも、それなりに、やって来たのでは…と思う。

いままで、生きて来られた人生に「感謝」する心持ち続けること…そして、多くの他人(人)に、お世話になってきたことに「ありがたいという気持ちを忘れないように…しています。何より、地域の人たちに、恩返しの気持ちで、環境美化に行動しています。

多くの人が、人生を終うとき…「こんなはずの人生じゃなかった」と言って死んでいくそうです。満足まではいかないでしょうが、「こんなはずの人生だった」と言って笑って天国に行ってみたいと…本気で思って探します。

人生はたったの一度きり、自分に正直に生き、悔いない人生を模索し続けていきます。

 

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秋の長雨

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長雨に 歩道の落ち葉 色づきぬ

歩道に落ち葉が色づいてきました。季節の移り変わりを感じさせられます。

台風一過の秋晴れが望めない

台風の日本列島上陸の数が6(8月4・9月2)とあり、始めてのコースも進路でした。そして日本列島にしぶとく居座る秋雨前線の影響で、台風一過とはいかず、長雨になっているようです。

日照時間平年の半分以下

気象庁は27日、東日本と西日本で9月中旬以降、日照時間が平年の半分以下になっていると発表した。今後も10日間程度は日照時間が少ない状態が続くとみられ、農作物などの管理に注意を呼びかけている。

気象庁によると、前線や湿った気流の影響で、9月11~26日の日照時間は、東京で12・8時間(平年比21%)、名古屋で22・4時間(同29%)、大阪で29・6時間(同37%)だった。 

9月中旬(11~20日)の日照時間の平年比をみると、東日本の太平洋側で26%、東日本の日本海側で38%、西日本の日本海側で44%となり、9月中旬としては統計がある1961年以降、最も少ない記録だった。西日本の太平洋側は54%で2番目に少なかった。(朝日新聞)

全国交通安全運動実施中

21日~ 30日実施されていますが、私も、交通指導員で、出動していますが、雨でも頑張ています。

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2016年9月27日 (火)

思想と哲学

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思想と哲学について

思想・・・(思い)と、哲学…(考え)の違い

思想・・・とは、人生の考え方です。
哲学・・・とは、人生の生き方です。

思想とは、心に思い浮かんだもので、特に生活の中に生まれ、その生活、行動を支配するものの見方です。つまり、考えるだけなら思想です。

哲学は、人生・世界・事物の根源のあり方、原理を理性によって求めようとする学問です。つまり、思想を極めてゆけば哲学です。

生きているといろんなことが、起こります。個人的には、病気になったり、隣近所のこと、家庭の問題など。社会的には、豊洲問題・東日本震災・熊本地震、原発問題のこと、国家的には、北朝鮮の核の問題、外交問題で中国やロシアとの領有権争いや、環境問題などがあります。

これらの問題を考える時に、経済学者は、もちろん経済面から考え、その意見を言うし、政治学者は政治的価値観で、ものを言います。倫理学者も、道徳的価値の立場から専門的見解を述べます。これらの事を、その立場で意見になってしまって、総合的に判断する人がいないと思います。

経済優先でいい訳ない問題はたくさんあります。また政治中心で解決しては、いけない、それになじまない問題もあります。さまざまな学問領域を網羅して、人としての立場から発言をする人が、哲学者の役割です。哲学は、科学を束ね総合する立場に位置している学問でもあると思います。

個々の学問では、答えられない「生と死」の問題や、「生甲斐」「愛について」「幸福とは何か」「美とは何か」などが対象分野となっています。

「そんなの関係ない」と思っている人は多いと思いますが・・・

でも実は、世の中の人が、実は、その瞬間瞬間、判断を下しながら生きているのが実態なのです。現在直面しているいろいろな問題に、哲学はその本当に正しい答えを与える可能性が、大いにあるのです。

 

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2016年9月26日 (月)

インドも「パリ協定」締結へ

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「インドもパリ協定締結へ」…で思う。

モディ首相が25日、インドを独立に導いた偉大なガンジーは、温室効果ガスをほとんど出さずに生活した。ガンジーの誕生日である来月2日にインドはパリ協定を批准する」モディ首相が25日、南部ケララ州で行った演説で明らかにしたものです。(NHKデジタルニュース)

パリ協定は、2020年以降に温室効果ガスの削減に取り組む国際的な枠組みで、協定の発効にあたっては、締結した国や地域の温室効果ガスの排出量の合計が世界全体の55%以上を占めることなどが条件となっています。

インドは温室効果ガスの排出量が世界全体の4%余りと、中国、アメリカ、ロシアに次ぐ世界4位で、インドが締結すれば協定の発効に向けて大きく前進することになります。

温室効果ガス排出量が、中国・アメリカ・ロシア・に次ぐ世界4位のインドが批准すると発表しました。5位(3.8%)の日本は、まだすが、安倍首相は「日本としても今年中の協定発効に向け、早期締結に最大限努力する」と述べ、26日召集の臨時国会で批准を目指す考えを表明しています。

環境にいての教育

私たちは、豊かで便利な生活を追い求めて、その便利さや豊かさを当たり前のように感じ享受しています。その結果、当たり前になっている消費生活が生活排水による水質汚濁や近隣騒音問題、ゴミ処理問題などの都市・生活型公害や自然環境の破壊を引き起こしています。

さらに、活発な生産活動や豊かな消費生活は、地球上の多くの貴重な資源やエネルギーを消費し、地球温暖化やオゾン層の破壊、野生生物の絶滅、砂漠化、熱帯林の減少などの複雑・多様化した地球環境問題を招いています。

こうした問題の多くは、私たちの日常生活そのものに根ざしており、解決のためには私たち一人一人が、今の生活環境を勉強し、行動することです。

① 人間と環境の関わりについての理解をし、認識をする。

② 豊かな自然や快適な環境の価値についての認識を高める。

③ 環境に配慮した生活や責任ある行動をとる。

④ 環境問題を引き起こしている社会経済の背景や仕組みを知る。

⑤ 社会経済の構造を環境に配慮したものへと変えていく努力をする。

危機的状況にある地球環境

健全で恵み豊かな環境は46億年という地球の歴史において、多種多様な生態系とそれに取り巻く環境と、相互関係作用に育まれてきたものです。

かって、日本では昭和40年代の高度成長期に、産業公害が、大きな問題になりました。その発生源の特定ができたことから、加害者と被害者という、区分が比較的に分りやすい、という特性がありました。

しかし、先進諸国のめざましい、経済発展に伴う、大量生産、大量消費、大量廃棄の社会経済活動による、環境負荷は、地球規模にまで拡大し、バランスを保っいた多様な生態系が崩れはじめました。

今後は、開発途上国での、人口増と経済成長を背景として、環境負荷がより一層増大することが予想されています。それにより、地球規模で生態系が崩れ、水不足、食料危機、貧困といった問題のさらなる深刻化が懸念されます。

地球環境は、進行する時間が長期にわたることから、現代社会・経済どころか将来世代への影響、さらには、人類の存続すら危ぶまれる最大の問題であると思うのです。

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2016年9月25日 (日)

一人暮らしが多いことから思う

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最近、「一人でも生きていける」と考えている人が多いようです。

厚生労働省が2015年の10月に発表した「平成27年版 厚生労働白書」によると、日本人男性の生涯未婚率(50歳までに一度も結婚したことがない人の割合)は、年々上昇していき、2035年にはおよそ3人に1人の29.0%にのぼるという。

主な理由・・・

1位 お金を自分のためだけに使える。

2位 妻子を養っていく自信がない。

3位 一人のほうが何かと気楽。

一人でも生きて行けると思っているからです。人は、人の社会の中でしか生きられない動物です。人間は、生物学的には「群れて暮らす生き物」ですが、群れでなくても生きることは当然可能です。

「群れて暮らす」を選ぶ理由は「生活するのに便利」と考えます。ですから、生活上の利便から群れて暮らす(社会生活)を選ぶならば、「群れ社会のルールと価値観」をあるレベルまで守ることが不可欠です。

社会はルールを守らない人々を「強く」あるいは「それなりに」排除しなければならないのです。あるいはルール遵守(社会成立のためのコスト負担・価値観)を要求します。さもなければ「その社会」が成り立たないとの理由からです。

人間は、ある一定の教育を受けことは、社会の一員となって働き、社会貢献をしていくためです。社会奉仕(仕事)をすることによって報酬を得ることで、社会で生きていけるシステムが人間社会です。

人間社会では、ルール(法律)があります。それは価値観が違う人がいるからです。それは、その国・地域社会に適合したもので、その国・地域社会の人たちで作られた規則です。違反すれば当然罰せられるものです。

そのためか、規範意識の低下が気になります。

規範意識とは、道徳、倫理、法律等の社会のルールを守ろうとする意識のことです。上述のように生涯一人で暮していく…という人は、共通の常識(価値観)から違和感を持つ人が多くなると思います。

それが、自己中心的な人の多くなった現われとなっているのです。一般的には「わがまま」と言われる…今の社会に馴染めない?人なのでしょう。相手の気持ちを全く考えない、自分さえ良ければいい、何でも自分の思い通りにならないと気が済まない人です。

規範意識の低下と言えば、自然環境に対する保護意識が気になります。それは、地球温暖化・温室効果ガスの地球規模から、地域社会のゴミのポイ捨てまで、人間は自然なくしては、生きられない事を認識しなければ、生きることが難しくなるのです。

 

 

 

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2016年9月24日 (土)

自分に正直に生きる

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私は年を重ね、いま大事なことで、考え方(意思)を、確立せねばいけない…と思うのですが、心が幼すぎるのか、見つけることができないで悩んでいます。

「人生はあっという間だ」とよく言われます。多くの人がなぜか年を重ねるごとに時間の加速を感じるように、モタモタしていると、やりたいことが何もできないままに一生を終えしまう。やりたいことができなければ、その分だけ後悔する羽目になるわけです。

人生の何に喜びを見出すかは人それぞれですが、何であれ、自分の気持ちを押し殺して、他人優先の人生を送るというは大方不幸せのように思うのですが…自己中心的に自分勝手な生き方も、後の付けが大きいことになるのです。

日本は他国に比べると、うつによる自殺者が多いと言われていますが、これは日本人特有の真面目さ、我慢を重ねる性格が原因といわれています。我慢のし過ぎは心を破壊してしまうのです。

仕事でもプライベートでも人付き合いは必要で、いい人ほどストレスを抱えます。うまく手の抜き方を知っている人、言い方は悪いですが、小ズルく生きている人ほどストレスは溜まりません。ストレスが溜まらない方が、人生は楽しいでしょうし、長生きだってできます。我慢なんて体にも心にもいいことなんて一つもないのです。

自分の心に嘘をつき続けて生きてきた人は、死に際に必ず後悔します。好きな人がいるなら告白すべきだし、今とは違った仕事がしたいならすべきなのです。これは自分勝手に振舞えという意味ではありません。人の道に反しない範囲で、本当にやりたい新しい人生を歩みべきだということです。

新しいことをしようとすると逆風はつき物で、それなりにつらい経験をするでしょう。しかしもし失敗しても、やらなかったときの後悔に比べれば何のことはないはずです。我慢を重ねた人生は、人から尊敬されるかもしれませんが、羨ましいとは思われません。羨ましがられるのは、自由に生きてきた人生です。

「自分に正直に生きる」

後、何年生きられる分りませんが、「自分の気持ちに正直に生きる…」ということです。いい意味で頑固さを身につける。一生懸命考えて判断したのであれば、それがいくら周りの人たちと違う道を行こうと、たとえどんなに批判されようと関係ありません。自分の信念(夢)について、懸命に考えていることだから…と思っているのですが・・・。

 

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豊洲の問題で思う

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いま、豊洲問題が大きな話題です。小池百合子都知事株は、さらに上がったようです。しかし、都政とは、石原前都知事が言うように、訳けの分らぬ「伏魔殿」のようです。

858億円という巨額なお金を、うやむやな使い方をして、食の安全をないがしろにしてしまう?異常さには、強い衝撃をうけました。

自分の家を作ることを想定して考えたら、今、出ているのような問題はなかったと思います。自分が家主さんであれば、工事の途中で見に行き、設計と違ったら、当然修正させると思いますが・・・

役人(根性)とは、融通がきかず杓子定規であり、威張りたがるものとしてきたが、最近の状況で目立つのは無責任です。

元々は民は無知で、だらだら怠けていて何もしないから、我々が導かなければ世の中うまくゆかない、との思い上がりから、役人根性というような在り方が言われてきたのだと思います。

豊洲問題では、あまりにも、無責任ではないでしようか?やるべきことを定めながら、自分達はいい加減なのです。

やるべきことを定め、チェックするというのは、不届き者がいるかも知れないので、監視を怠っては、都民に被害が及ぶという、視点から為さなければならない。それが…彼らの任務のはずです。

ところがこの機能が全くと言っていいほど働いていない。不正を見出す検査は抜き打ちでなければならないが、検査を予告するのです。

予告されれば、不届き者は検査に備えって、準備万端怠らなくする位簡単なことです。検査に行って、お茶でも飲んで、晩飯くらい一緒に食べて帰ってくる…これが今どきの”立ち入り検査”の実態などでしょう。だから、毒入米が、都民(国民)の口に入ってしまう結果になるのです。

豊洲問題で、不祥事が明るみに出たからとて、彼らは責任を取ろうなどとは考えもしていない?当事者感覚が欠如しているようだ。

切腹でもしてお詫びしたのは昔の話、今どきの役人は「毒は微量で検出されないから食べた「都民(国民)に健康被害はない」などと、自分たちの不行状を顧みる発言など一言もないのです。

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2016年9月23日 (金)

台風一過とは行かず

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今年は台風が日本列島の上陸した数がすでに、8月4回・9月2回で計6回です。(昨年4回)今までなかった台風10号の動きだったです。

10号は(8月19日21発生)何を思ったのか、地球規模での台風の本来の目的を忘れて南下し、このまま西に向かい、本来のコース先島諸島方面に行くのが…驚くなかれ、発生した、海上をUターンし日本列島の東海上を北上するという、今までにないコース…そして…

8月30日に岩手県の大船渡市付近に上陸

大きな被害と(岩手県・北海道で16人の犠牲者)その後日本海へ抜けたのです。(その後、北朝鮮では大きな被害がでたそうです。)岩手県に最初に上陸したのは初めてで、1951年の統計開始以来とのことです。

そして、台風14号は、超大規模(アメリカでいうスーパー台風に発達)の台風は、台湾・中国方面に大きな被害を出して、温帯低気圧になり、日本列島に横たわる、秋雨前線を刺激する16号と、相まって…九州南部に上陸し四国・紀伊半島・伊豆半島・房総半島と日本列島の南部を通過し、各地で記録的な雨が降ったのです。

「台風一過」と行かず

16号通過したその後、秋雨前線の影響で、スッキリしない天気が続いて、今朝も冷たい雨が屋根を叩いている音がします。普通は台風が通過すればスッキリした青空が広がることが多いのですが、台風16号が過ぎ去ってもすっきりしないです。

昨日は、気温は20度ぐらい寒かったです。 朝から雨が降り、午後時々止んだことはあったが、殆ど一日中、雨でした。

最近の気象庁の異常気象は、「統計を取り始めて以来」・「「数十年に一度」・「過去に例がない」など表現があります。これは、自冶体などでは分りづらいと意見があるという。

いずれにしても、温室効果ガスなどで、環境の異変を感じてしまうのは、私だけでしょうか・・・。

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2016年9月22日 (木)

無用の用

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「世の中にあるすべてが役に立つ」…老子の言葉に「無用の用」があります。

この言葉は簡単に言えば、役に立たない、と思われているものが、実は役に立っているものであり、天から見れば、世の中には役に立たないものなど一つもないのだ、という哲学です。

世の中とは、 人々が互いにかかわり合って生きて暮らしていく場。世間の人々の間です。

私たち人間は、世の中に存在する物や、現象や、人など、さまざまな事柄を、役に立つとか、立たないとか、有益であるとか無益であるとか、人間の都合で決めつけて判断しています。

人が住む家建てたい…高価な材料を使い、有名な設計士に依頼し、またデザインに凝って、内装にお金をかけて、立派な家を立てたとしても、実は私たち人間がその家に住むことが出来るのは、家の内部にできる空間なのであって、外側の壁の部分ではないのです。 

そこで老子は、建物だけを見るのでなく、実は内側の空間こそが、人が暮らすために必要な部分であることを、忘れてはいけない、と言っているのです。

大切なことは、自分のまわりにいる人達を、自分の考えだけで評価して、決めつけて見ることをせずに、この世で出会った人達と、特に身近な家族とは、楽しく互いに力をあわせて生きることなのです。

社会には、価値観の多様化で、考え方の違う人間がいて当たり前だと思います。しかし、自分の考えと違うからといっても、「社会の中(世の中)」でなければ生きられません。

必ず人には、「生きる」ための知恵を持っています。「人の世でなければ生きられない」ということを本能で分っています。意見の違いがあっても、協働の精神が必要です。

一緒に協働で汗をかくことができれば、笑顔に溢れ、互いに信頼しあう、どんな時代が来ても、私たちは幸せに、そして力強く生き抜けるのではないでしょうか…。

 

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いつまでもお元気で・・・

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日本人の平均寿命は、世界保健機構(WHO)加盟国のなかで世界一の長寿国です。男女別では、女性が世界首位の86.8歳、男性が6位の80.5歳です。日本で100歳以上のお年よりは66,000人とのことです。

先輩たちが経験したことのない長寿の時代をどのように生きるか、今、このことが課題になりました。医療の進歩で長生きできているのでしょう。私も後期高齢者の一人ですが、最近、体力・気力の落ちてきたことに、つくづくと感じられるようになってきました。

老化現象

体力も気力も衰えてくるから、何をするにも持続力がなくなり、疲労の回復力も低下します。筋力が落ちるとちょっとしたことで足腰に疲れがきて、筋肉痛になったり、歩行さえも困難になります。

動作がとろくなり 、つまずいたり、転んだりします。歯が抜けてかたいものが食べられなくなる。耳が聞こえにくくなり、視力も衰えてきます。また、物忘れがひどくなり、思考回路も衰え判断能力が弱くなる…これまでにできたことが、できなくなり、何をするにもつい億劫になってしまいます。

病にかかりやすくなり、快復力も衰え精神的に気弱になる…そして、やがて自分で何ごともできなくなり、他の人の力を借りなければ、生活できなくなります。

高齢化社会における問題点

高齢化社会の問題点には、看護師や医師などの医療業界の人材不足、社会保障費の増大、介護負担の増大、生産年齢人口の減少など、どれも国に深刻なダメージをもたらすものになります。

安全面…加齢とともに認知機能の低下が進み、いつもできていたことが、突然できなくなることがあります。健康な人でも起こる加齢現象です。高齢になると車の単純な運転ミス、火の後始末不足など事故を起こすことが多くなります。

近年、ブレーキとアクセルを踏み間違えて事故を起こすケースが多くなっていますが、その加害者の多くが65歳以上の高齢者になっています。加齢による認知機能の低下は、周囲への安全へ影響することがあります。…気をつけたいものです。

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2016年9月21日 (水)

人間関係の希薄化について

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地域コミュニティ」の重要性

地域コミュニティの重要性は認識していても、高齢化、核家族化、個人の価値観の多様化などにより、地域を支える人材が不足し、地域住民同士のつながりが希薄になってきています。

地域の人間関係の希薄化はなぜ?

単に村社会や長屋や集合住宅からから、隣人も知れぬマンション化したり都市型社会に移ったりしたこととか、男も女も労働者として遅くまで社会で働き、町会やPTA、昼間に機能している専業主婦同士のネットワークがすくなくなり、訪ねようにも昼間は家は誰もいてない…(地域間の社会性の希薄化)

家族内の人数も減り、大家族から核家族化したこと。両親共働き化(家族間の社会性の希薄化)少子化により兄弟間による摩擦など…(兄弟間の社会性の薄れ)

ちなみに、2015年の合計特殊出生率が前年からわずかに上がり、1・46となっています。 (1人の女性が一生に産む子供の数を示すもので、人口維持に必要な「2・07」と言われています。)

日本人の絶対数が減ってきてるのですから否が応でも人間関係が希薄化してきたと言うことでしょう。

一人遊びするにも今ではネットやゲームもあげられますが、昔は家に、一人で家に篭るのも退屈でしかたがないもので娯楽も少なく外で皆と遊ぶしかなかったんです。

今では、リアルに人付き合いやコミュニケーションが取れなくても、ネットで自己表現もバーチャルな人間関係を作ることもできます。良し悪しは別として方向性が昔と違ってきているということでしょう。

中には篭ってオンラインゲームばかりしてネットの友達で誕生日を祝ってもらってたりして、リアルで子供に友達が少ないと(リアルで充実して欲しいと)嘆いている親御さんもいます。

だからといって、昔がいいというと良い面もあったでしょうが、濃密な人間関係は鬱陶しい面もあったことはたしかです。物事には良い面も悪い面も付きまといます。

地域のコミュニティが機能していたのもいいことでしょうが、周りが皆顔見知りの大人ばかりだと監視も行き届いて、ちょっとの悪いことも出来ません。

希薄化した人間関係は人付き合いの煩わしさもなくなってきてるのだから、いいというのも確かですが、それに伴って失うものもあります。それは、人間的(動物的)な触れ合いから、究極的に生きる“よりどころ”が薄れてしまうことです。

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2016年9月20日 (火)

人と人・自然とのつながり

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過去をかえりみますと、家庭内のつながりを始めとして、ご近所付きあい、地域のつながり、また学校や職場でのつながりというものが年々、希薄になってきているようではないでしょうか…

便利なくらしと、それとひきかえに、時間のゆとりをなくした日々によって、道で近所の人と会っても挨拶さえしない…寂しい関係が日常的になってきています。

私たちは便利で快適で、効率のよい生活を享受し、経済的に豊かといわれる社会をつくってきました。その反面、私たちは子どもたちがホタルやメダカに夢中になる光景や、縁側で近所の人と茶飲み話をする光景…親子でモチつきをする光景や歴史あるたたずまいなど…

ふるさとの景観ともいうべきほっとするこころの原風景を次々と失ってきたのではないでしょうか…私たちは自然の一部としてのヒトであるにもかかわらず、人間中心の世界をつくってきた結果、そのツケが環境問題や人間関係にきしみをおこしているのだと思います。

考えよう「自然の恩恵」・「共生」

人間」は、動物や植物といった「自然」から、いのちをもらって、生活のために使っています。自分の生活をより豊かにするために、多くのものを消費しています。現代人は、自然の恩恵を薄れてしまっているのではないでしょうか…

自然は生き物です。そして、人間も生き物です。人間だけが特別なんてことはない、ということを、共生という言葉は表わしている言葉だと、いうこともできそうです。

「生態系の土台」

地球の自然環境を支えているのは、植物の力です。植物が光合成を行ない、光(太陽エネルギー)と水や土(無機物)から、葉や実などの「有機物」を作り出すことで、あらゆる動物は食物を得ることができるのです。

もし、植物が有機物を作り出してくれなくなったら、人間を含むすべての動物は、生きていくためのエネルギーを、全く得ることができなくなります。

「環境リサイクル」

他の生物を食べた動物の排泄物や死がい、枯死した植物などは、土の中にすむ小さな生きものたちによって、無機物に分解され、文字通り土に返ります。 分解者と呼ばれるこうした小さな生物たちは、環境の中で大きな役割を果たしているのです。有機物から無機物、そしてまた有機物へ。このサイクルが、自然環境を支えています。

「人も環境の一員」

地球上の生命は、人間のために存在しているのではありません。人類も地球の生命の一員であり、豊かな自然、すなわち、生物の多様性がなければ生きてゆくことは不可能です。土や大気、水を含む地球環境そのものが、生物の多様性なくしては成り立たないからです。

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2016年9月19日 (月)

地球環境を真摯に考えよう

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「真摯」とは、「真面目に、熱心に、真剣に」という意味で、とても大事な事として真剣に受け止めている、ということを伝える言葉です。

あるがままの自分でまっすぐに正直に人や物事に対する心の姿を言います。どのような社会、どのような時代に於いても人として大切なことです。

一瞬たりとも留まらない現代社会、仏教で言う世は「無常」です。激動する社会…うかうかしていると自分が何をしようとしているのかさえいつの間にか忘れてしまいそうです。

私たちは、偶然なめぐりあいから生きています。この生きていられることについて、一日、一回、寝る前に「今日一日生きられたこと」を真摯に考えてみることが大切です。

私が今考えていることですが、環境問題です。すべての生き物には寿命ありますが、人間が環境を支配することは出来ません。しかし、人間の我侭で、他の生物を消滅させることは、理不尽なことだとです。

地球(自然)人に思いやりが大事です。

私は、「世は無常」すなわち、宇宙の星のひとつの地球という星も寿命があると思っています。専門家は、太陽系が出来て以来46億年が経っていますが、太陽の質量から計算すると、およそ100億年が寿命という。

地球の寿命は後50億年?と言っても、良く分りません。しかし、私たちが住む地球は、人間の欲望のために、地球は人間を含め、生物が住みづらくなっています。昔棲んでいた動植物が消滅しています。最近は異常気象で、過去に経験のないいろいろな現象が出ています。地球温暖化が深刻なまで進んでいるのです。

温室効果ガスの排出は、国のエゴで、規制が難しく、気候変動枠組条約第21回締約国会議(COP21)昨年パリ行われましたが、まだまだ不十分だと思います。

知恵を使う

人生において、本当に役立つ学びとは、知識ではなく知恵です。知識は、時代の流れによって変化しますが、知恵は時代が変わっても変化しません。なので、知恵を身につけた人間は、どの世界、どの時代でも、生きていけます。

人生において、本当に役立つ学びとは、知識ではなく知恵です。新聞に書かれていることは、100年後にはまったく通用しなくなっています。知識は、時代の流れとともに変わります。

頭がいい人は、記憶力がよいがゆえに知識の量で勝負しようとします。しかし、知識は時代とともに変化しますから、時間が経てば、また勉強が必要です。

 

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感謝の心を持つこと

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最近思うことですが、年をとったせいで、あちこち痛む…ちょっと考えてみて、痛いと感じることは、神経が正常なんだ(交感神経と副交感神経の機能はまだ正常)と?…感謝(ありがたい)の心を持つようにしています。

不安な世の中

私が知る、過去の時代でも、平穏無事な時代なんてなかったと思います。今年は台風が連続して日本列島に上陸し、しかも東北地方や北海道に大きな被害を出したり、今、台風16号が、九州地方から近づいています。一方、東京都の築地市場の移転で、移転先の豊洲の問題…北朝鮮の不穏な動き…などなど、心休まることがない世の中です。

しかし、いつの時代でも、また将来もあるでしょう不安定な世の中。世の中というもは、不安がつきものでです。科学が発達した現代でも、人間の能力では自然の力には、立ち向かえないモノがあります。

生きているだけで感謝

人の能力では自然現象をコントロール能力はありません。生きるということは大変なことなのです。人間社会は、価値観の違いなどで、争い・戦争は絶えません。そして、競争社会でもあります。

今生きていられることは…私たちは多くの人に助けられ、沢山のものに生かされています。ときに誰かを傷つけ、気づかぬうちに迷惑をかけてしまうこともあります。ですから生きているだけで感謝しなければいけないことです。

困ったときはお互い様です。人はひとりでは生きられない弱い生き物です。だからこそ、助け合い寄り添いながら生きてきました。大切なのは感謝の心を失わないことです。「ありがとう」という気持ちを忘れないことです。

「感謝」の反対は「当たり前」

人は慣れる生き物です。はじめは感謝したいたことも、しだいに鈍感になってきます。「やってもらって当然」そんなふうに考えてしまいます。身近なものほど「当たり前」になりやすい。つい感謝の心を忘れてしまいがちです。

相手を「敬う」気持ちが薄れていく、感謝の気持ちがあっても、口に出して言わくなる。思っているだけでは伝わらないこともあります。「ありがとう」感謝の心を、言葉して伝える…。

人はひとりで生きているのではない。感謝を「義務」や「義理」と捉えている人も少なくないように思います。

ありふれた日常にこそ感謝する

私たちは変わらない毎日があることを「当たり前」だと思って過ごしています。人が生きるということ、平和が日々があるということ。当たり前になりすぎて、そこにある幸せに気がつかない。何か特別なことがないかぎり、改めて感謝することもありません。「特別」に対してだけ感謝をするのではないのです。

足る心を知り、恵まれていることを実感する。感謝できれば今ある幸せに気がつくことができるのです。人を憎んでばかりいたり、他人を妬んで悪口ばかり言っているようでは、自分にとってもよくないことです。

 

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2016年9月18日 (日)

規範意識の高めよう

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いま、地球温暖化・気候変動で地球環境が、大きな問題となってきています。

一人ひとりの環境にたいする意識改革が大切な事です。その地域住民が「地域を守る」という、人として公徳心で、その町の伝統や文化を、後世に継承して行くことは大切なことです。

激しい変化の時代ですが、先代から引きついている伝統・文化・自然環境など、次世代に継承し行きたいもです。それには、地域住民の規範意識が問題です。規範意識とは、道徳、倫理、法律等の社会のルールを守ろうとする意識のことです。最近規範意識の低下が問題となってきています。

環境のことですが、いくら拾ってもきりがないほど落ちているタバコの吸い殻や空き缶、紙屑などを見ると、道端にゴミを捨てる人の規範意識や公徳心を疑いたくなります。

まちが、タバコの吸い殻やゴミが落ちていていたら、他所から来た人は、そのまちは「一体どうなっているのだ!」「これは酷い!」まちが問われるのです。

公徳心とは、社会の一員としての自覚に基づき、公共のマナーや利益を守ろうとする心指しです。また、公共物を大切にすること、人に迷惑をかけないようにすること、公共の利益のために進んで奉仕することは、公徳心の表れです。

これらのことは、社会生活上のルールや基本的なモラルなどの倫理観並びに遵法の精神につながり、規範意識の育成には欠かせない要素です。

しかし、集団よりも個人を優先する現代社会においては、自己抑制力や忍耐力を培う場が減少し、公の場を意識して行動しようとする心が十分に育っていないという状況にあります。

児童の公の場の秩序維持の意識と、不特定多数の人々を想定して行動することの大切さを学ばせることはたいへん意義深いものです。

公共物を大切にしたり人に迷惑をかけないようにしたりすることの大切さは知っている…。しかし、自分を律する態度や他人への配慮が不足しているため、「分かっているけれどできない。」という状況にあると思います。

先だって、公園で小学生の男の子が5・6人が水風船で遊んでいました。水道の水で風船を膨らませて、ボール代わりに投げて遊んでいました、風船が破れて落ちていたり、落ちていたペットボトルや空き缶が散乱していたので、「君たち後始末をしてくださね!」後に来た人が気持ちよく使えるようにしてね」と言いました。

「ペットボトルと空き缶は、僕たちではないですよ!」と言いました。「でもね、ここは大勢使うものだから、片付けてちょうだい」と言いました。とても不服そうでした。後で確認したらそのままもの状態で散らかっていました。

ある小学校の先生の調査

「ごみが落ちていることに気づきました。あなたはこの後どうしますか。」という日常生活に関する問いに…

「自分から進んで拾う。」と回答した児童が10名、「人から頼まれたら拾う。」と回答した児童が10名、「その時の状況による。」と回答した児童が15名。」「拾わない。」と回答した児童が2名であったとう。

「自分が落とした物ではない。」という意識が強く、公共の場を大切にするためには自ら行動することが必要であるという意識は十分に育っていないと言えます。

そういう認識で育ってきた若者たちは、タバコの吸い殻ぐらい、人が見ていないから、小さいゴミだから…と捨てて行くのではないではないでしょうか…家庭でのしつけ、学校の教育、地域の指導が大切さを再確認しました。

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2016年9月17日 (土)

利他の精神

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自分の身の周り、大変なことがあっても、自分に関係ないからと…自分中心の生き方をしていると、必ず生きづらくなってきます。

私たちの心にはもともと「自分だけがよければいい」と考える利己の心と、「他によかれかし」と考える利他の心があります。利己の心で判断すると、自分のことしか考えていないので、誰の協力も得られません。

利他の心があれば、視野も広くなるので、正しい判断ができるのです。ですからよりよい仕事をしていくためには、自分だけのことを考えて判断するのではなく、周りの人のことを考え、思いやりに満ちた「利他の心」に立って判断すべきなのです。

「他を幸せにしない限り自分に幸せは来ない」、これが利他の精神です。

何ごとにつけてもこだわりをもたずに、他に必要とされることを通して、他に貢献する、これが利他の行いです。世の中は自分をどんなことで必要としているのか、自分にとってそれは何か、何ができるのか、他に必要とされている自分を見つけて、他の幸せのために働かせていただく、そこに生きる意義を見つけられたら、その人は幸せになれるのです。

利他の生き方こそが幸せに通じるのだという、この道理をしっかりと把握しておけば、迷うことなく、自ずと地に足が着いてきます。

誰でも、この世に必要だから生まれてきたのです、生まれてきたことが幸せの始まりです。どんな人であっても、他に必要だから存在しているのであって、自分中心の幸せを求めることばかりを考えていたら、その人は必要とされない人になってしまい、孤立化して、日々を過ごすことになってしまいます。

利他の精神は、思いやり、優しさ、知識、世の動き、技術などを、たえず高めていく努力が必要です。利他心と、向上心を持つこと、この二つが生き方の基本です。

辛く苦しくても、この生き方の基本がぶれないようにしたいものです。自分が生きる楽しみを知ることができれば、その生き方が他の人の気持ちに影響して他も自分の生き方を変えようと思います。

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2016年9月16日 (金)

ゴミ拾いをして思う

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ゴミ拾いをして思う。

サラリーマンが、朝、夕使用の通勤路は、殆どの人は同じ道を通ると思います。なぜか家からちょっと離れた、川の草むら、植え込みなどに、当たり前のように、タバコの吸い殻を捨ててあります。家の敷地には捨てないでしょうが・・・

10人が、毎日捨てていれば、10日で100本です。それを片付けないで置けば、汚いし、環境に良くありません。そして地域の美化は失われます。

最近、規範意識の低下が問題となっています。その原因の一つが、地球温暖化・異常気象なとなっているかも知れません。環境は自分達の世代から後世に引き継ぐものです。良い環境を維持し、安心して住める地域社会、地球にしなければいけません。

人が見ていないから、タバコの吸い殻ぐらい、みんな捨てているから…いいだろうという思いだからでしょう。誰かが清掃しなければ、ゴミの山になります。

ポイ捨てしないことが、徹底されない原因の一つが「罰則」や「取締り」の有無などです。実際、ポイ捨ては廃棄物処理法等に違反しますし、歩行禁煙なども、殆どの自治体で条例で制定されています。(八王子市では路上喫煙の防止に関する条例があります。)

しかし、罰則があっても、取締りが行われていなければ、たとえ法律違反であっても有名無実です。処罰されない…違反行為は、最終的には個人の道徳・モラルなどで判断されてしまいます。

法律に違反しないように、法律の内側で自分を規制するものが、モラルや道徳です。しかし、「法律にさえ触れなければ良い」などと考えれば、モラルなど不要になってしまいます。

あなたの意識(ポイ捨てしない)で、地域の皆さんが、気持ちよく暮せるのです。

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「アイデンティティ」・・・確立

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「アイデンティティ」…確立

「アイデンティティ」とは「自己同一性」や「自我同一性 」です。

心理学者のエリクソンは、アイデンティティのことを、「自分らしさ」または「自分が自分であること」といった言葉で表しています。

つまり、「自分とは何者なのか」という疑問に対して、「自分はこういう人間だ」という自覚を持つことがアイデンティティの始まりであるとし、このことをアイデンティティの確立と呼んでいます。

日常生活の中に、そこでの悩みや葛藤にはアイデンティティの問題は現れるか?アイデンティティとは、どのような状況で、どのように、意識の中で問題になるのでしょうか…。

人間が成長していく過程で、今まで培われた環境から、次のステップに移る時の起きる悩み、自分の考えは、主張は…居場所はと…不安や、悩むことは誰にもあることです。

学校に在学している間は勉強、社会の中で働いていれば仕事、家庭においては家事や育児等、主たる活動の対象があります。

そして、このような主たる活動の対象が、学校の勉強から社会に出てからの仕事及び家事等と移り変わっていく中で、その選択に悩んだり葛藤することがあります。

自分探しは、ただ自分のことを考える作業ではありません。そんなふうに自分を探せば探すほど、自分のことがわからなくなるでしょう。そんな自分探しは、たいていは失敗します。

「若者の自分探しは、活動すること」

人の成長は新しい社会への飛躍するときです。いろんなことを体験しながら、自分自身を見つけていくのです

アイデンティティとは、社会の関わりの中で身につける自分の役割、自分自身の価値についての確信だからです。

人間は誰でも長所と短所がありますが、たとえどんな欠点があっても、それでも自分は価値のある人間だという「自尊心」を持つことが、アイデンティティの確立だということができるでしょう。

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2016年9月15日 (木)

とかくに人の世は住みにくい

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人間関係は、とかくに(さまざまなことで)摩擦がつきものです。

夏目漱石の「草枕」の冒頭に…「山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画えが出来る。」…

…にあるように 人間関係の摩擦は不可能に近いです。地域社会にあって、隔絶した生活をしょうとしても、出来ません。人間は他の人との関係において、生かし合い生かされ合いしながら生きていけるのです。

だから、生きる絶対条件は、他人とのつながりが前提です。その人と人との関係のことが人間関係です。この世に悩み苦しみのない人などいません。

誰でも何らかの悩み苦しみをもちながら生きています。の悩みで最も多いのが人間関係の悩みでしょう。人間関係は親子、兄弟姉妹、夫婦など家族であったり、親戚、ご近所、職場、学校、取引先、友達、グループなどさまざまです。

そして利害関係があるとか、なしとか、少数か多数であるか、いろいろです。いずれであっても人は他と関係しながら生活しています。

人間関係とは、自分でない他の人との関係です。人間関係がよかれと願うけれど、人はだれでも自分が大事だから自分を大切に思い行動しょうとします。人と人の間でさまざまな摩擦が生じてしまいます。

人間関係の悩みは人が生きていく上で生じることですから、生きているかぎり消えて無くなることはありません。人間関係での悩みがない生き方ができれば、自分にとっても、また関係する人にとっても幸せなことですから、人間関係を良くしておきたいものです。それにはどうすべきか、それは個々人の考え方や行動によるところということでしょう。

良い人間関係を保つには…

①相手を変えようとしない。

相手に気に入らない部分があっても、無理に変えようとはしない。

②適度に距離を保つ。

必要以上に他人へ干渉しない。

③笑顔で挨拶を徹底する。

すべてのコミュニケーションの始まりは挨拶。

④敢えて苦手な人と接する。

 苦手な人に対して、積極的に話しかけるようにする。

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2016年9月14日 (水)

人間の煩悩のこと

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人間の煩悩(貪・瞋・痴)

人間には、誰にも心の迷いがあります。これを仏教では「煩悩(ぼんのう)」と言います。百八煩悩というくらいに、人の心はさまざまに迷うのです。

なかでも、最も人の心を毒す代表的な煩悩が三つある…「貪欲(どんよく)」、「瞋恚(しんに)」、「愚痴(ぐち)」略して「貪(とん)」、「瞋(じん)」、「痴(ち)」→これを三毒と呼びます。

「貪欲」とは、むさぼりの心であり、自分だけがうまいことをしようとする強欲な心です。「瞋恚」とは、自分の心に逆らうものを怒り恨むことです。「痴」とは、事物やものの道理に関して心が混迷していて正しい判断ができないで迷う心理作用です。

人は、いつも損得を考えて行動するものです。いつも得を考えていて損の行く方向には、自ずから背をむけてしまいます。大きいか小さいか、美味しいか美味しくないか、好きだ嫌いだ、幸せだ不幸だと、違順相争う(自分=物差しをあててしまう)ことばかりです。

私たちは日々にそういうことに思いをめぐらしていますが、それには際限がなく、何がよくて何がいけないのか、わからなくなってしまいます。つまらない自己の嫉妬心がそう思わせているのであって、こだわりの思いを捨てれば、いずれでもよいことだと思います。

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2016年9月13日 (火)

世間じゃ理屈なんぞ通用しねえ!

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勝海舟の言葉に…

「理屈は死んでいる。世間は生きている。」があります。

今の世の中、どこか理屈に走ろうとするところがあるじゃないですか…「理屈を言ったってダメなんだよ!!」「世間じゃ理屈なんぞ通用しねえ!」

子どもは、事の善悪が分らないのは当然です。大人の行動を真似して覚えるのです。タバコを吸うことや、お酒を飲む子どももいます。どうしてダメなのか分からない…それは両親や家族などの躾け・教育と周りの人の注意(教育)に問題があったからだと思います。

子供の頃、悪いことをすれば本気で怒鳴ってくれる大人が周りにいました。しかし、今ではどうだろう?ウカツに注意すれば、大人でも子供でも何をされるか分からない、それが怖くて行動ができない…

何かを言えば自分の狭いルールで理屈を振り回す人もいる、得てしてそれは本人が思っているほど「良心も良識も無い」、理不尽がまかり通ってしまう世の中です。

大人と子どものコミュニケーションは、理屈本位でなく、態度で示すことです。山本五十六の言葉に…「やって見せて、言って聞かせて、やらせて見て、ほめてやらねば、人は動かず。」があります。

「有言実行」とは、言ったことは必ず実行するということです。「不言実行」とは、言わずとも実行するということです。人付き合いでは、有言実行より、不言実行のほうが私は好きです。

本当の気持ちは、言葉を通して伝わるのではなく、態度を通して伝わるものです。言葉に出して言わなくても、実際の行動さえ伴っていれば、言葉以上に気持ちが伝わります。

「悲しいです」という言葉では、本当に悲しんでいるかどうか、気持ちが伝わってきません。しかし、無言でも、涙を流している顔を見ると、本当に悲しんでいる気持ちが伝わってきます。

「必ず約束を守ります」という人が毎日、学校に遅刻をしていれば「この人は嘘を言っている」と思います。しかし「必ず約束を守ります」と言わなくても、無遅刻できちんと時間を守る人は、ルールを大切にしていることが伝わってきます。

態度は、言葉に勝るのです。言葉だけでは、気持ちは伝えられません。態度が伴って、初めて伝わるのです。態度で示すことができれば、言葉以上のパワーを発揮します。

人間関係は、言葉によるやりとりより、態度によるやりとりのほうが重要です。態度・行動が、信頼と信用を作っていくのです。

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2016年9月12日 (月)

「都政の不信」

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築地市場から豊洲市場に移転問題…

「市場棟床下の空洞」…

850億円のかけて有害物質の対策で盛り土を行い安全性を確認した公表したのですが…

唖然です。

築地市場の移転先となる豊洲市場では平成13年以降、敷地内の土壌から環境基準を大幅に上回るベンゼンなどの有害物質が検出されたことがわかり、東京都はおよそ850億円をかけて汚染された土壌の入れ替え工事を行いました。

そして、敷地全体に高さ4.5メートルの盛り土を行ったと説明し、おととし11月、安全性を確認したと公表しました。(NHK9月10日)

なぜそうなったのか…

業者はもちろん東京都の監督部署も責任は重い。「政治と金」…間違いでしたでは済まされない問題の一つ…、まだまだ不正事案があるのでは…勘ぐりたくなります。都政と利権が絡んでいるのではと悪い体質があるのではと疑いたくもなります。

都の責任で築地市場を移転するにも関わらず、実際の建物がどう作られるか把握しておらず、古い情報をホームページ上に残しておくというのは無責任と思います。

小池都知事は…「全都庁の職員に粛正」

「間違った情報を公開してきたことは、都政への信頼回復に逆行する。全都庁の職員に粛正していきたい」

全都庁職員を、しっかりと粛正して、正しい都政へと改めて欲しいです。

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2016年9月11日 (日)

人は“つまづき”で大きくなる

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人は、生まれて…から徐々に母親から家族の人たちから近所の人から幼稚園・小学校・中学・高校・大学…社会人へと多くの人と接しすることになり、多くの過程を経て…一人前の人間に成長すのです。

その過程で、今まで培われた価値観が違う人と出会い、今まで人生観に疑問を持ち、悩んで落ち込んでしまうことは、誰にも経験するものです。

人間はよく、つまづきます。

環境が変る(生きている)と、自信喪失・自己否定したりします。(自己否定とは、自分のことを、認めない、嫌う、肯定しないことということ。)

それを“つまづき”とするなら、それを乗り越えて、ひと回り大きくなっていくものです。人生につまづくのは、能力が足りないからではない。根性がないからでもなく、弱いからでもないのです。…それも成長の脱皮で大きくなる過程であるのです。

たとえ人生につまづいても、さらには状況をこじらせても、人は誰しもそれを克服する力を持っているのです。

人生に「つまづく」と、人は自分を信じることができなくなることが多いです。自分は劣った人間であるとか、無能であるとか、自分を卑下しがちになります。この社会に自分の「居場所」なんかないんじゃないかと悲観的な気持ちになったりもします。

つまづいて、ひと回り大きくなるのだと思います。だから、つまづきの数だけ大きくなるのです。

そして…孔子の言葉の通り「七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず」
(七十にして、こころのほっするところにしたがえどものりをこえず)

河合隼雄…『「せっかく生まれてきたこの世で、自分の人生をどのような物語に仕上げていこうか」という生き方の方が幸せなんです。』

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2016年9月10日 (土)

これからの地域社会を考える

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今、よく言われていることですが、「少子高齢化・核家族化…人の絆の希薄…」で暮らしに不安を持つ人たちが多くなった。どうすれば、安心・安全に暮していけるか…

地域が社会が…埋没してしまう危機は、迫ってくることは私は痛いほど感じられます。今こういった危機を、どうすれば地域社会を改善され・活性化できるか…

市や町と地域の住民と感覚の「ギャップが大きい」まだまだ、住民の悩みの実情をつかみ切れていないのではないと思えるのです。

勝海舟の名言…「理屈は死んでいる。世間は生きている。」

世の中は理屈どおりにはいきません。理屈で物事を見ている限り、本質を見抜くことはできないということです。ですから、「百聞は一見にしかず・百見は一体験に及ばず」大事なのです。

毎日、汗や涙を流し、喜び、笑い、悲しみ、怒りながら、懸命に生きている…。そこは人生の現場…その現場からけっして目をそらさず、じっくり見て、考えて、ひたむきに行動することだと思います。

「困ったときはお互いさま」、そして、「遠い親戚より近くの他人」が大事です。日ごろから信頼し合えるお付き合いを心がけたいものです。

言葉に「誠意」という言葉があります。

誠意という言葉を辞書で調べると、次のような意味が書かれていました。私利私欲をまじえず、真心をもって人や物事に対すること、つまり、自分の利益を省みず、相手の為に尽くすということです。

打算的に行動をする人は、それが相手に伝わってしまうために、誰からも信用されることはありません。相手からすると、自分を陥れようとしていると感じてしまうからです。

一方、何の計算もなくフラットに接することができれば、裏表のない印象が感じられます。すると、信頼につながりやすくなるということです。口で言うのは簡単ですが、実行するとなると非常に難しいと思います。

相手の気持ちを最優先に考えて、相手の為になるような行動を心がける必要があります。こういった行動を積み重ねることで、少しずつ信頼は大きくなっていくでしょう。

信頼関係は日々の言動や態度などから生まれてくるものです。一朝一夕で得られるものではありませんから、毎日の積み重ねを意識していきたいものです。

信頼されるためには、誠実さが無くてはいけません。日頃から誠実さのある行動を心がけていれば、自然と周りからの信頼は付いてくるでしょう。なので、信頼されていない人は、日頃の行動を見つめ直すことです。

誠実さを伝えるために重要なことは、①嘘をつかない…②他者を認める…③約束を守ることです。

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2016年9月 9日 (金)

地域活性化を考える

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地域コーディネーター

地域社会は様々な人や価値観が入り交じる複線化した社会です。その中で、考えの異なる人たちを繋いで行き、多様な関わりをもって地域を動かして行くのが地域コーディネーターの役割であり仕事です。

この中で大切なことは主体者はあくまで地域であるということです。地域が主体性をもって動かなければ地域の持続可能な発展は望めないからです。

ですから、地域コーディネーターに求められる資質としては、パワーでグイグイ人を引っ張っていくタイプではなく、地域に何度も何度も通い、対話を重ねながら、少しずつ信頼を掴んでいきながら地域の人たちのやる気を引き出したり、主体性を引き出すような、みんなの支持や協力を仰ぐタイプが相応しいといえます。

また表に出ない裏方としての地道な活動を続ける志も重要な資質の一つといえるでしょう。血の通った、普通の人間が持つ感情や欲望が感じとれる…いわゆる“人間臭い”…ちょっとお節介すぎ?の仕事が、私は理想だと思います。

ゆたかに暮らせる地域づくり

今、時代は大きく変化しています。市民のライフスタイルや価値観の多様化が進み、行政による公平で均質的な公共サービスでは対応できないニーズが増えてきました。一方で、子育てや高齢者のケア等について、地域や家庭のあり方が変容し担いきれなくなり、公共サービスとして支えることも必要になってきています。

しかし、少子高齢社会となり厳しい財政状況が予想される中、今後も増えていくさまざまな社会ニーズに対して、全てを行政サービスで対応することには限界があります。

効率的なサービス提供のあり方を追求すると共に、地域のさまざまな力が公共サービスを補いあうことが必要になります。

「一人ひとりの幸せ」を追求する利用者本位のサービスを創造する可能性にもつながり、私たちがゆたかに暮らせる地域をつくる力にもなっていくのです。

助けあいの地域をつくるために

子どもの安全、高齢者の一人暮らし、災害時の救出等、わたしたちの生活の中には、自分一人の努力だけでは解決できない問題も多くあります。

「子どもを地域で見守る気持ちがある」「災害時に近所が助けにきてくれる関係がある」といった「ご近所の底力」がこれまで以上に問われる社会になりました。

一人ひとりが小さな力を出し合って地域をよくしようとする気持ちや行動が育まれる町内会等の地縁組織が比較的活盤として今後も守り育くんでいくことが必要です。

ふれあい豊かな地域をつくるために

助けあいや地域の問題を解決しようという源になるのは、周囲の人々を思いやり、自分が役に立ちたいという気持ちです。しかし残念ながら、昨今は隣人に対し無関心の人が増えています。

他方で、自分の力を発揮したり、仲間づくりをするきっかけがつかめず地域で孤立する人も少なくありません。人と人の絆の大切さと、それに喜びを感じる心を改めて取り戻していく時期にきているのかもしれません。

心の絆や思いやりは、一朝一夕ではなく、身近に人と交流する機会があり、その体験が積み重なるようにして醸成されていきます。昔のお祭りや農作業のように、世代を超えて体験や時間を共有するような機会を、私たちはもう一度、今の時代にあった形でつくることが必要になってきているのではないでしょうか…。

お年よりと子育て中の親子が同じ場に集い、そこで料理の腕をふるまう人がいる…そんな何気ない交流に市民が楽しみながら関わる機会が生まれてくれば、まわりの人々の幸せを願いあうふれあい豊かな地域になっていくのではないでしょうか…。

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2016年9月 8日 (木)

公園の子どもの遊びで思う

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私が子供(1950年頃)ころ…山に行き木に登り、枝にぶら下がり、本当に野うさぎを追いかけたことがあります。川で泳いだり、魚を捕って、近所の友達と遊んだことが懐かしく思い出します。

小学唱歌の「ふるさと」の詩の通りでした。その代わり怪我(すりむき、切り傷など)虫刺されなどは当たり前のようでした。♪うさぎ追いしかの山小鮒つりしかの川♪…あるように…私たちのまちには、自然がたくさんありました。

毎日泥んこになって遊び、どっかの路地に行けば、必ず誰かが遊び、道路に、ロウ石で絵を描いても、別に怒られたことなんかなかった気がします。そんな子供時代を皆過ごしたのです。

昨日、私たちのまち(八王子市片倉町)に時田公園で野球のボールを石垣に投げて一人キャッチボール・もう一人はサッカーボールを石垣にキックして遊んでいました。

公園には注意看板があります「サッカー・キャッチボール禁止」などが書かれています。

子どもが公園でボール遊びをすると周りの利用者に危険が及ぶから、野球もサッカーも禁止、大声も禁止で、昔ながらの子どもの遊び場がないですね。

とにかく今は子育てはしにくい時代と思います。やたらめったら「うるさい」と苦情をいう人もいるし、遊び場が全然ないんですよね~。

男の子の定番キャッチボールですけど、公園は殆ど、すべてボール禁止です。仕方がないので、家の前の道路でやっていると、「危ないから公園でやりなさい」と文句を言われる…どうすりゃいいんだと思います。

しかし、公園はゴミ(ペットボトル・空き缶・弁当の包装紙など)落ちています。ゴミ篭置いていません…(管理できないからだと思います)ですから「ゴミは持ち帰り」です。が、毎日のように捨てられています。誰かが片付けないと、ゴミだらけになって管理者不在(町会の管理)です。

親御さんの躾けの範囲?地域(町内会)住民の指導?学校の教育?いずれにしても、子どもの遊び方、質に考えさせらる思いです。

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2016年9月 7日 (水)

高齢化社会を考える(1)

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高齢化…

どのような生き物であっても年齢を重ねることで、心身の機能が衰えてしまいます。人の場合には個人差がありますが、高齢者に該当する場合には目や耳が悪くなるだけでなく物忘れが多くなります。

私は後期高齢者です。せめて、精神的に…心に余裕を持って、社会(親族や地域社会)にご迷惑かけないように、努めなければと考えています。

お年寄りの意見を聞く

大事なことは、長く生きてきて得たさまざまな経験を、社会に還元する…(聞く耳を持つ…話す機会)をつくることが大事です。話すことによって機能の活性化になり、新しい“まちづくり”などに役立つことができます。つまり歴史づくりになると思います。

コミニケーションを取るための会話

人と親睦を図るためや仲良くなるためには会話をしなければ、その人との距離を縮めることが難しいです。高齢者の人たちとコミュニケーションをとるためには、楽しい会話を行うことで高齢者の心を開いてもらうことが必要となります。

高齢者の人は、若い人たちと会話するの場合、年齢を重ねている事で…それだけ自分の歴史が長く存在していることになります。そのため過去の思い出話をすることで、高齢者の人たちにこ楽しかった思い出を思い出させることで高齢者とのコミュニケーションを行うことができます。

お年よりは、「生きる知恵の宝庫」です。これからの社会(高齢化を考え)づくりに、大いに力を発揮できる機会を、誰でも積極的に持って欲しいものです。

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残りの人生大事に生きる

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残りの人生大事に生きる

生きていれば、突然に…死を考えてしまうほどの、とてつもない試練がやってきます。周りの人たちからいじめに遭い、つらい時間を過ごし、耐えきれない思いを抱えている人もいるでしょう。

また、重篤な病気にかかり、胸を杭で突かれたかのように重苦しく思われ、何でこの私がと、眠れぬ晩を過ごすこともあるかもしれません。または、突然の災難で身近な人や家を失い、茫然自失、何も考えられないという状況に陥ることもあるかもしれません。

生きるとは何でしょう

物心ついた頃には自分という意識があり、あたりまえのように時を過ごしてきました。親(父と母)から生まれてきたことは当たり前のように思っています。しかし、その親から前世に遡ると果てしない遠いところから引きついていることです。

いま、私が生きていることは、先人たちの善業の(よい果報を得る因となるべき行為)お陰です。何でも自分の意思で行える恵まれた世界である人間界に生まれてきた果報者です。

しあわせは自分しだい

善きことをなしていれば良くなる。悪しきことをなせば自らが損なわれていく。何事も因果応報、善因楽果、悪因苦果ということです。幸せは自分次第ということでもあります。

では、その幸せとは何でしょうか。私たちにはいろいろな夢があり、希望があり、目標があります。それらが叶えられると幸せを感じます。でも、直ぐに色あせてきます、そして新たに目標を立てて前に進み努力することです。

ですから、いつでも、青い鳥を追いかけているようなものです。様々なことを経験して心を磨き、教えを学んで心を清め、少しでも青い鳥に近づくために人生はあるのだと思います。

人生には、様々な試練、挫折、厄介なことが次から次にやってきます、それが人生です。だから…たとえ、そうして目標(青い鳥)を目の前にして、つまづいても、それもその先にある最高の目標に至るための糧なのだ…そこから何事かを学んで自分を成長させていくのだと思えれば、何があってもそれを乗り越え、頑張っていけるはずです。

いのちを大切に生きる

私たちの一生は、生まれてから死ぬまでの一瞬一瞬の積み重ねでもあります。過ぎ去っていく今は帰ってきません。ですから、いのちを大切にするとは、自分と周りの人たちの、ここにある今を大事に生きることだと言えます。

大事に生きるとは、後悔することをなさぬよう、誰も悲しんだり苦しんだりしないよう、自分にとっても周りにとっても良くあるように気をつけることです。

誰もが大変ですが意味のある今を生きています。周りの人と思いを分かち合い、何かあれば助け合い、誰かが良くあれば喜び、分け隔てなく誰にもやさしい心で接するよう心がけて下さい。そうすれば、自ずとさとりに通ずる良い未来が開かれる…と思います。

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2016年9月 6日 (火)

人と人の繋がりは財産です

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「触れ合い」…人と人の繋がりは財産です。

大切な人と過ごす時間を大事にする…そして自然を愛でる一時を楽しむ…ゆったりと家族や自分と向き合う時間や、自然とのつながりを楽しむ時間…そんな豊かな、なにげない時間を大事にしたいです。

今の社会は、経済成長をとげ、たくさんのモノが溢れ、とても豊かな社会になりました。ただ、一方、失われてきたものもあると思っています。

日々の仕事に、時間に追われ、他者との競争に追われ、誰かを思いやること、他者と感動を分かち合うこと、いのちの繋がりりを大切にすること、そんな当たり前ことを、当たり前に“しにくい”社会になったように思います。

「自然を大事し、人と人とのつながりを大切にする」…まちの人…心豊かな人づくり

「触れ合い」とは何か、それは人と人が直接ふれあう生身のコミュニケーションの事です。決してEメールとかそういうこととは違うということです。人と人の繋がりは財産です。

「挨拶をしよう」

小さな子どもさん・お爺ちゃん・お婆ちゃんまで…まち中で・公園でであったら「挨拶しよう」挨拶は人間の大事なコミュニケーションの始まりです。

人間関係は挨拶から始まります。挨拶ができなくてもしっかりとした人はいますが、人間関係を改善する際は挨拶をはじめの一歩とするのがよいでしょう。無視されてもめげないでください。

あせらず、毎日挨拶する習慣をつけましょう。とりあえず、声を出しましょう。あなたの声は必ず他の人の心に響くでしょう。

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2016年9月 5日 (月)

これからの町内会を考える

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町内会(自冶会)

もともとは戦時中の「隣組」が発祥、戦後はあくまで「地域の自主的活動」としたものだ…戦後71年も経ち、少子高齢化・核家族化・価値観の多様化などの中の町内会の構成員で、町内会は、転換期にあるのは言うまでもない。

行政の末端機構に組み込まれてきた実態が、時代に合わなくなっているのだ.。市報配布、会費集金、地区の行事参加の動員など、地域住民の交流が希薄化している現在、町内会が唯一お互い顔の見える活動と言えるのだが…

働きが進んで担い手が減る一方、人員やコストのスリム化を進める行政からは次々と新たな業務の委託が相次ぐ…住民参加の祭りや行事を取り仕切るだけでなく、防犯対策、高齢者の見守りなど、幅広い役割を担わされている。

それが高齢化で負担になってることが多々ある。自主防災会を結成したものの、構成員が高齢で助けられる側であり、具体的な取り組みまでにはなっていない。

負担の重さに耐えかねた住民の脱退は止まらず、「サービスただ乗り」をめぐって住民同士の係争が全国で頻発しているそうだ。

住んで良かっ町に…

高齢者の知恵を活かす・子育てへの支援…様々な世代が集える場所つくり…自冶体が町作りを新たな視点で企画することが必要である。

安心・安全で住んで良かったと言える「まちづくり」…住民と話し合いし、その町の歴史・文化を尊重しつつ、町内会のあり方を模索すべきである。

5年前の東日本大震災・今年の熊本震災…そして首都直下地震・東南海トラフ地震などが予測されている中で、「遠くの親戚より近くの他人」…である精神を守りたいものである。

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2016年9月 4日 (日)

川の清掃デイで思う

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八王子市内を流れている川はたくさんあります。

私たちが住むまち(八王子市片倉町)には、一級河川の湯殿川が流れています。そして今日9月4日、八王子市では、「川の清掃ディ」を設けて、住民に呼びかけ早朝の6時から、一斉に清掃活動を行うことになっています。

当町会では、毎年参加者は、130名ぐらいです。

「ゴミ捨て禁止」・「ごみ・犬の糞は持ち帰りましょう」「全市内歩行禁煙」・・・などのポスターを設置しても、ゴミのポイ捨ては減りません。酷いことに注意看板の近くにゴミが捨てられているのです。

湯殿川には、人が放した鯉が泳いでいます。昔は、どじょう・ふな・なまず・はや・かじか・うなぎ・すなもぐり・ぎばち…など魚の種類もたくさんいました。その魚は、たった半世紀で殆どいなくなってしまいました。川が汚れたからです。

その汚れの原因は人間の、わがまま(人の文化・生活の進化)で環境に配慮の無さによるものです。気が付いて見たときは取り返しの効かない大変な事態になってしまってしまったことです。

それでも、事態を深刻に受け止めていない人がいます。それは湯殿川にゴミを捨てる人がいるからです。川はもっとも低いところを流れているため、ゴミをポイ捨てすれば、川はもっとも被害が多くなるわけです。

公園や道端、山などで、ゴミが当たり前のように捨てられています。当たり前のように捨てるのは、ゴミを捨てる人、一人一人が、「少しぐらい、いいだろ」と、思って捨てるのが原因です。

「塵も積もれば山となる」という言葉はこのためにあるのかも知れません。ゴミを当たり前のように捨てる人は、この言葉を意識してほしいものです。川・山や公園、道端などにゴミが捨てられていると、せっかくのきれいな景色が台無しになってしまいます。

一人の人が軽い気持ちで、ゴミを捨てると、他の人も軽い気持ちでどんどん捨てていく…一人の人が捨てているからって、他の人もやっていけません。プラスチックなど永久に残らない物だったら言語道断です。

ポイ捨てがポイ捨てを呼び、美しい町にゴミがあふれていく様子は、誰にとっても不愉快なものであるはずです。拾って片付けても、直ぐにゴミが捨ててあるのを見ると、悲しくなりますす。

昔のように湯殿川にたくさんの種類の魚・生き物を呼び戻そう…そして美しい環境を後世に引き継いでいきましょう。

 

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自然を大切にする

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いま人間社会の活動によって、さまざまな生物が大きな危機にさらされています

自然を守り、共に生きる社会とは?

人間と地球に生きるすべての生物がともに暮らすことができ、自然からの恵みを受けつづけることができる社会を自然共生社会といいます。 

空気、大地、川、海、そしてそこに生きる動植物など、すべての自然環境は地球という星のなかでつながっていて、どこかの環境に問題が起これば、必ず他の環境に影響がおよびます。

ですから自然共生社会は、地球に暮らす人間一人ひとりが、身近な自然環境を大切にしないと実現できません。「自然を大切にする」その約束を守ることができれば、地球は豊かな恵みを与え続けてくれるのです。

地球の自然環境はつながっているのです。

さまざまな生物の存在が、人間社会を支えています。地球上には、数多くの生物が存在しています。また、それぞれが異なる環境に適応し、同じ種であっても、生息する地域や環境によって、少しずつ体のかたちや行動が違っていたりします。

このことを「生物多様性」といいます。私たち人間は地球の長い歴史のなかで、生物からたくさんの恵みを受けてきました。毎日の食料はもちろん、木を燃料にしたり、家を建てたり、植物から衣服をつくることもしてきました。

また、病気のときに飲む薬も約40%は自然界から得られたものを原料としています。生物が多様でいられること、つまり生物が生きる自然が大切に守られることが、私たち人間の社会には必要なのです。

いま地球の自然と生物が大ピンチ!

 水や土壌の汚染、空気中の有害な化学物質をふくんだ酸性雨オゾン層の破壊、森林の減少と砂漠化など、世界のいたるところで自然環境の悪化が問題になっています。

自然環境の悪化は、私たちの生活環境や健康だけでなく、自然界に生きる生物にも大きな影響をあたえます。国際自然保護連合が2009年に発表した、絶滅のおそれのある野生生物の数を調べた レッドリスト」によると、絶滅の危険性が高い、または絶滅が心配される野生動物が、17,291種もいることがわかりました。

「自然を大切にする」JFTC(一般社団法人 日本貿易会参照)

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2016年9月 3日 (土)

人生に正解はない

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私は、80歳になろうとしているが、まだ「人生に迷い」がある…しかし、過去をふり返ってみても、必ずしも間違っていたとは思っていない。これからも探し求めはするが…

だから、『正解なんてない…』あっても「正解はひとつじゃない」ということだ。いけないことは間違えることを恐れて、行動する前から止めてしまうことだ。正解を求めて探し続けたまま何もできないでいる…答えを求めても見つからない。(何でも正解か間違いかで判断していると苦しくなってしまうものだ)

そして、みんなと同じが正解ではない。人と違うことが間違いではない。「正解はひとつじゃない」だから誰かの真似をしても仕方がない。いろいろ試してみればいい。失敗を恐れずに挑戦すればいい。その中で、今の自分なりの答えのようなもの見出していく…ということだ。

「人生は自ら切り拓くもの」

人生はテストのように正解が用意されたものはない。目の前に出された答えにすがるのではなく、自ら切り拓くものだ。誰かの出した答え、どこからか持ってきた答え。それは自分の人生ではなく、「誰か」の人生だ。

上手くいかなくなると責任を押し付けて「誰か」のせいにする…。誰かに与えられた答えはいらない…。正解はひとつだと信じて、自分の中の正解を他人にも強要する。正解は押し付けるものではない。人それぞれに正しさがある。何事も決めつけずに心を柔軟にしておくことだ。

正解を求めなくていい。正解なんてどこにもない。大切なのは正しいかどうかではなく、自分自身がどう感じるかだ。判断するのは他人じゃない。だから他人と比較すべきことではない。常識に縛られて自らを制限しなくていい。自由に生きていい。我慢して自分の思いにフタをする必要なんてない。正解ばかりを追い求める生き方では窮屈なだけだ。

要は自分の心に素直になればいい。自分の人生は、自分の望むように生きていいのだ。

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2016年9月 2日 (金)

生前の墓作りで思う

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「生前に墓」

生前に墓を作り…「自分の死後に家族と共に眠る場所を作り、心落ち着き、これからの人生にもハリが出て来たように思えます。

「終活」

残りの人生をよりよく生きるため、葬儀や墓、遺言や遺産相続などを元気なうちに考えて準備することです。

総務省や厚生労働省の調査によると、今年4月現在、65歳以上の人口は3384万人(平成27年9月15日現在推計)で、総人口に占める割合は26.7%。…超高齢化時代ですが…

やがて来る「死」の事を人それぞれの考えはあるでしょうが…元気なうちに、自分の身の墓作りを考えている人、は増えるのではないでしょうか…

「寿陵」…

「寿」は長寿の意味です。「ことぶき」は祝い事を表します。この「寿」と「陵」がくっついた「寿陵」は、めでたいお墓を意味します。「寿陵とは人が長く生きる、「たいへん『目出度い』作業」という意味を込めて使われた」ということです。

「標し」

墓標は「憩」です。『後の「人」の心覚え』のため…「先祖は私たちを見守っている」………

また、生きていることが出来ることに「感謝」することのできる標識であると思うのです。故人を想う気持ち、感謝の気持ちや、生きる励ましなどの「よりどころ」でもあります。

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気付きから行動へ

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環境問題は理屈では、いろいろな方面で理論が出ています。しかし、地球上に住む、人間の一人ひとりが行動しなければ、なんの効果も生まれません。

「環境学習ガイドブック(福井県)」を見て明日からでも行動に移し、地球を救う…行動を後世に引き継ぐ…このこと人類の死命であると思います。(死命=生きるか死ぬかが左右される大切なところ)

http://www.erc.pref.fukui.jp/sogo/d215/html/guide_top.html

気づきから行動へ

 人間は次のように気づきから行動へのプロセスをふみます。

気づき 環境=自分の身の周りの問題に気づくそれぞれの要素のつながりに気づく
理解 環境=自分の周りで起きていることを認識する。身についた知識(知恵)となる。
評価 気づいたこと理解したことについて自分なりに評価し、価値観を明確にする。問題についてどのように行動すればよいかを自ら考える
行動 気づき、理解し、考えたことを実行に移す。

 この段階に応じた活動について例をあげます。

(1)気づき→理解→評価→行動

[1]気づき

「気づく」ということは、今まで目を向けていなかったことに目を向けることです。つまり、何かに「気持ちを向ける」ための活動です。
例えば、自然観察会でさまざまな動物や植物に気づくこと、清掃活動に参加して、たくさんのゴミが捨てられていることに気づくことなどです。昔から、大きな「気づき」を「目からウロコが落ちる」と比喩しています。

[2]理解

「理解」するということは「気づき」から一歩進み、身の回りで起きていることについて認識することです。
例えば、たくさん消費することで、世界の資源が少なくなることを理解する。便利な生活が、地球温暖化を引き起こすことを理解する。

情報
(断片)
知識
(体系化)
知恵
(身につく、腑に落ちる)

[3]評価

「評価」するということは、知り得た情報や理解したことについて、主体的に考え、どうすればよいか、またはどうもしないかを判断することです。
例えば、消費が資源の減少につながると気づいたとき、無駄をなくそうと判断する。または、資源の減少にはかまわず消費し続けることを判断する。

[4]行動

「行動」するということは、考えたことを実際に行動に移すということです。
例えば、車が環境に負荷を与えるということを理解したら、自分が車を利用することを控える。市の環境に関する条例に問題があると感じたら、条例の作成に参加する。動物の生息地が少ないと感じたら、ビオトープづくりを実践する。環境学習の機会が少ないと感じたら、自分が環境学習を実践する。

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2016年9月 1日 (木)

環境を考えて行動しよう!

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環境を守ることの意味

「地球環境が大変です」・「自然や生態系を守ろう」・「地球にやさしく」…地球環境の危機を伝える情報と、この問題への取り組みを呼びかける言葉が今、世の中には溢れています。

ニュースでは毎日のように、何か環境にかかわる報道があり、インターネット上でも多くの情報が発信されています。学校でも子どもたちが授業で環境のことを習い、関心と知識とを蓄える機会に恵まれています。

しかし、どうして環境を保全しなくてはいけないのか、という理由を、誰かが納得のいく形で明確に示してくれることは、なかなかありません。なぜなら、その本当の理由は、一人ひとりの心の中にあるからです。

環境危機感の認識の違い

環境問題はあらゆる機関で叫ばれていますが、国や個人での認識の違いがあります。例えば、エルニーニョ現象ですが、エルニーニョ現象自体は、異常気象や地球温暖化に直接的な原因はありません。

二酸化炭素などの温室効果ガスが、上がった気温を温存し、猛暑や暖冬の原因となっているのです。温室効果ガスがエルニーニョ現象を刺激していると言っていいでしょう。

一人ひとりの環境に対する行動が大切

世界には、もっと違った理由で、環境問題に取り組む人たちがいるでしょう。環境というものの捉え方や考え方もさまざまですし、時には全く相反する見解を持つ人たちもいるに違いありません。

本当に環境問題に危機感を感じて欲しいものです。暮らしから反省すべき行動があると思います。ゴミのポイ捨てです。「そんなの関係ない!」と思っているのでしょうか…街の道路公園などに、無意識?ゴミ、タバコの吸い殻のポィ捨てはなくなりません。環境破壊になっているのです。

環境を考えて行動しよう!

環境を改善するのはあなたの行動次第です。無意識?捨てるポイ捨ては、やがて、あたの身にかかって来るのですよ!ゴミのポイ捨ては止めましょう。

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