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2016年8月

2016年8月31日 (水)

もう季節は秋です

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風で  雨のち晴れて 秋陽射し

大型の台風10号は30日、暴風域を伴ったまま日本列島の東海上を北上し、岩手県大船渡市付近に上陸…気象庁によると東北の太平洋側からの上陸は1951年の統計開始以来、初めてだそうです。そして、台風は東北を縦断し、同日夜に日本海に抜けました。

そのコースには気象庁でも難しかったようです。テレビやラジオでは、台風の動きを逐次放送していました。東北地方では、雨や風の強まりで、台風の恐ろしさを実感しながら、台風に備えていたと思います。

今日の東京地方は、朝から良く晴れました。正に「台風一過」です。昨日までの空気が違います。忘れていた「秋」となっていたことです。肌でうける陽射しから体感できます。湿度が低く、爽やかさが感じられます。

ういえば明日から9月です。9月1日は、防災の日、関東大震災記念日です。そして「ハイビスカス」「向日葵」から…「赤とんぼ」・「コスモス」の季節に移っているのです。

2016年8月30日 (火)

挨拶をしましょう

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「おはようございます!」と挨拶してみてください。「挨拶してイヤな気持ちになった」なんてことは滅多にありません。また、「挨拶されてイヤな気分になった」なんてこともないでしょう。挨拶はするのもされるのも気持ちがいいものなのです。

これは大きなメリットです。挨拶をするだけで気持ちのいい一日を始めることができるのです。

一日の中で「気持ちいい!!」と感じられることってそう多くはありません。実は挨拶は、その少ないチャンスのひとつなのです。挨拶をしないということは、朝から「気持ちいい!」と感じるチャンスを自ら逃しているのです。

暗い顔をして大きな声で挨拶をしている人ってあまり見かけませんよね。大きな声を出して挨拶を続けていれば、顔は自然と明るくなり、口調も自然とハキハキしてきます。

昨日イヤなことがあって暗い気持ちが残っていても、大きな声で挨拶をしているうちに気分が晴れてくることもあります。

挨拶は、暗い気持ちを吹き飛ばす力があるのです。1回や2回、挨拶をしただけでは気分は変わりませんが、挨拶を続けていくと気持ちは間違いなく明るくなっていきます。

いつも大きな声で元気に挨拶をする人はほぼ例外なく、気持ちが前向きです。それは前向きな人が元気に挨拶をするというだけではなく、挨拶を続けることで前向きになっていくからです。

小学生対象に交通指導をして…

今朝…小学生の登校時間に合わせて、押しボタンのある横断歩道で、交通指導を行いました。台風10号の影響で雨が降り、風がありました。子供たちは元気に行く姿は気持ちが良かったです。

「おはよう…いってらしゃい」と大きな声で言ってあげ…「おはようございます…行ってきます」と返事が返ってきました。「車に気おつけてね!」「ハイ」…と約1時間でした。

挨拶の効能

1.大きな声で挨拶をすると気持ちがいい。

2.笑顔になる機会が増える。

3.相手からの印象が良くなり、人間関係も良くなる。

4.常識のある人という評価を得られる。

5.挨拶から会話が始まる。

6.思い立ったら今すぐに始められる。

などがありますが、近所に見知らぬ人に挨拶して、空き巣を狙った人だったとしたら、顔を見られて仕事も(空き巣)できないという。

挨拶は、小学生でも知っている一般常識です。しかし、大人になると日々の忙しさに忙殺されてしまい、挨拶がおそろかになってしまうことは少なくありません。挨拶がおろそかになっても、さしあたって大きな損害はありません。是非は挨拶の習慣づけてみましょう。

 

 

 


 
 

少年の集団万引きで思う

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昨日昼頃…近くのスーパーに、少年(中高生?)の集団万引きがあったそうです。スーパーにいたお客(顔見知り)の話しでは、5~6人が店員の「待てー」という怒鳴り声と少年たちの一斉に逃げる姿を見たそうです。犯人の少年たちは、逃げてしまったそうです。

私も、捜査を終えて引き上げる、警察(5~6人)を確認しました。その一人の警察官に伺いましたら、「高校生の集団万引事件」と答えてくれました。

夏休みも終り、何か物足りないさ、刺激がほしい?…エネルギーの発散ができない少年たち…が何時の時代でもいるものです。しかし、真夜中に親に気付かれずそっと抜け出し遊ぶそうです。

こういう事件を起こすことは、家庭での子どもの躾け・教育に問題があるのではないでしょうか…核家族化・地域内の不干渉化(無関心化)などで、子育てに必要な愛情のある目配りが足りない社会風土(環境)になっているのではないでしょうか…盗品をネットオークションで売る?といった話まであるそうです。

身近に感じる不安

少年の窃盗グループ化が、中学生の集団万引きで、川崎・東松山の事件を生む、恐ろしい結果になるのではないでしょうか…

これらの事件は、他山の石では済まされません。私たちの広場(八王子市…片倉時田まちのひろば)でも、5月のある日に八王子高尾警察少年係りの刑事3人と被害に遭われた女性が、捜査に来たのです。盗品(冬物の皮のジャンバー・手袋)を探しに…(私がすでに市の公園課に処分済み)と話す…

近くにスーパーや日帰り温泉施設が出来ました。開発されて、多くの人が集まるようになりましたが、その分防災・防犯に、配慮しなければと痛感します。

要因…

内閣府…平成17年度 少年非行事例等に関する調査研究報告書より…

親の教育能力の欠如や厳しい体罰等により罪障感や規範意識が薄れ、あるいは友達をつくることができず孤独に陥ったりするそして、中高生では、周囲の気を引くため、万引き、火遊び、家出などの問題行動が出始める。

「思春期(中学生)」においても、相変わらず家庭では構ってもらえず、幼い頃からため込んでいた憎悪の感情が周囲の子どもたちに攻撃的に向けられ、学校不適応で明らかに問題児となり、万引き、侵入盗を繰り返したりなど問題行動がエスカレートしていく…

規範意識の低下

規範意識とは、道徳、倫理、法律等の社会のルールを守ろうとする意識のことです。

現在の日本の若者・子どもたちには、他者への思いやりの心や迷惑をかけないという気持ち、生命尊重・人権尊重の心、正義感や遵法精神の低下や、基本的な生活習慣の乱れ、自制心や規範意識の低下、人間関係を形成する力の低下などの傾向が指摘されている。社会を震撼させるような、少年が関与する事件の報道に触れ、子どもたちの規範意識について不安を感じる人も多い。

2016年8月29日 (月)

心に刺さる詩に出会う

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日本人は寿命が延びたといわれていますが、人間の生きる意味を考えて見ますと、疑問だらけです。ハッとする…文章に出会いました。

アメリカのコメディアン「ジョージ・カーリン」が、最愛の奥さんを亡くしたときに、ボブ・ムーアヘッド牧師の説教を引用し、友人に送ったとされるメールの一部。

人生において本当に大切なものは何なのか。私たちの心を、静かに、そしてときに激しく揺さぶってくれる至極の言葉です。(参照元:dclog , DhiPatriots

ビルは高くなる一方だけれど、人の気は短くなる一方。

高速道路は広くなったけれど、人の視野は狭くなった。

お金はじゃんじゃん使っているが、得るものは少ない。

物は買いまくっているものの、楽しみは少なくなるばかり。

家は大きくなったが家族のかたちは小さくなり、ずっと便利になったのにも関わらず、私たちには時間が無い。

学のある者は増えたが常識がある者はめっきり減り、その道のプロフェッショナルと呼ばれるやつが増える一方で問題は一向になくならない。

薬が増えたのに、病気がなくなる気配はない。

飲み過ぎ、吸い過ぎ、浪費に走る。

それなのにほとんど笑うことはないし、スピードを出し過ぎるし、すぐに怒る。

夜更かしをし過ぎるあまり、朝起きた時にはすでに疲れている。

読書しなくなった分テレビばかり、そして祈ることもめっきり少なくなった。

たくさん物を持つ、その一方で物の価値が目減りする。

私たちはおしゃべりが過ぎる。

愛するということを滅多にしなくなって、いつのまにか憎むことばかりが増えていった。

私たちは生計の立て方は学んだが、生きることを学んでいないのだ。

寿命が増えただけで、真の意味で生きてなどいない。

月まで行けるようになったというのに、隣人とはトラブルばかり。

外側の世界を征服したところで、私たちの内なる世界はどうなんだ?

大規模なことは成し遂げてきたけれど、本当に善いことは未だ達成されていないだろう?

空気を洗浄したぶん魂を汚し、原子核をも支配したが差別は一向に消えない。

たくさん書いているのに多くを学ばず、計画は増えたのに成し遂げられていない。

急ぐことばかりを覚え、待つことを忘れた。

多くの情報を抱えるべくコンピューターを作り、どんどんコピーを生みだしたが、コミュニケーションは減る一方だ。

ファーストフードのおかげで消化は遅く、体ばかりでかくて人格は極めて小さい。

利益利益で人間関係は希薄。

共働きで収入が増えた分離婚も増え、見た目ばかり良い家が増えたけれど、その中は崩壊している。

手軽な旅行に使い捨ておむつ、モラルはなくなり、ワンナイトラブが溢れる。

太り過ぎの体を持て余し、死に急ぐため薬を多用する。

ショールームに物が溢れかえるなか、倉庫は空っぽのまま。

テクノロジーはあなたの元へすぐにメッセージを届けてくれるけれど、読むも読まないも、また消すのだって、今やあなたの指先ひとつですべてが決まる。

今はそういう時代なんだよ。

忘れないで、愛する人と多くの時を過ごすことを。

だってその時は、永遠には続かないのだから。

忘れないで、あなたに畏敬の念を抱く人たちに優しい言葉をかけることを。

だって彼らはすぐに大きくなって、いずれあなたの元を去ってゆくのだから。

忘れないで、側にいてくれる人に温かなハグをすることを。

だってこれがあなたが持っている1番の宝であり、しかもこれをするのに1円もかからないのだから。

忘れないで、愛する人に「愛している」と伝えることを。

そのときどうか、心をこめて。

心からのキスと抱擁は、相手の心をも必ず深く癒してくれるから。

忘れないで、相手の手を握り、共にいる時間を慈しむことを。

だってその人はいずれ、あなたの前からいなくなってしまうかもしれない。

愛するため、話し合うため、そして思いを共有し合うための時間を作って。

そしてどうか、これだけは覚えておいて。

人生は呼吸の数で決まるのではなく、どれだけハッとする瞬間があったかで決まる、ということを。ずいぶんと世の中の廻りが早くなったものだ。昨日のことは古くて使われない。

2016年8月28日 (日)

美しいまちづくり

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安心・安全に暮せるまち

今、住んで入るまちを愛する心が求められています。

都市化現象により、人間同士の連帯感や思いやりが失われてきています。そして、自然破壊が進み、豊かで美しい自然が失われ、まちの伝統や文化が忘れ去られようとしています。

「美しいまちづくり」

住民一人ひとりが環境に配慮しながら身近な景観づくりに取り組むことで、心地よく・快適で・心豊かに・誇りをもって暮らすことができる“まち”にしたいものです。

まちづくりの主役は住民です。究極の目的は、地域に暮している住民が「安心・安全に暮せるまち」です。自分の生まれ育ったところや現に住んでいるところの自然や歴史、人との関わり合いを意識することです。

郷土愛

生地を離れると自分の生まれ育った土地や地域に思い出、懐かしさなど特別の意味を与えることによって、郷土を意識するようになります。

誰しも自分がその土地とかかわり、そこに生活の実態があり、その中で様々な忘れがたい、経験を経て生ずる心の安らぎ、親しみ、懐かしさなどがあります。まさに世は無常です…時代とともに、人の価値観・自然環境も変ります。

しかし、人間の在り方の根元と深くかかわりを考えたとき、郷土を意識するためには、まず郷土と自分とのかかわりを理解し、感得することが大事です。また、道徳意識としての郷土愛が大事になって来ます。

郷土愛は、自分と自分を取り巻く共同社会との関係としてとらえることができます。「公共心・公徳心」「勤労の精神」「尊敬,感謝」とも関連しています。 自分にとって親しい、 懐かしい、大切な郷土に対してより積極的にかかわり、 郷土をよりよくすることに貢献し、文化や伝統をさらに発展させようとする能動的な側面を育てることが大切と思います。

2016年8月27日 (土)

テレビの記者会見を観て・・・

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高畑敦子さんの記者会見で思うこと…

第一印象は、記者の質問に気丈に答えは、理路整然であり、立派であった。華やかな芸能界と報道のあり方、一般社会の影響、信頼性…記者の「資質が問われる」ことだと思う。

記者の質問内容などから、なぜそこまで聞くの?報道の自由とは?

高畑淳子会見 性癖問う意義は(2016年8月26日(金)掲載) - Yahoo!ニュース…より

東洋経済オンライン…

高畑淳子さんを責めても何も解決しない …「息子の性欲」について母に聞くべきなのか?母親に息子の性欲について、質問することが、このような事件報道の目的にかなうことなのだろうか。

そもそも、報道機関はなぜ、事件報道をするのか。日本新聞協会は「裁判員制度開始にあたっての取材・報道指針」で次のように掲げている。

「事件報道には、犯罪の背景を掘り下げ、社会の不安を解消したり危険情報を社会ですみやかに共有して再発防止策を探ったりすることと併せ、捜査当局や裁判手続きをチェックするという使命がある」

BuzzFeed Newsは、メディア倫理を専門とする青山学院大学法学部の大石泰彦教授に話を聞いた。

「質問したことに対して批判されたときは、記者側もなぜ聞いたのか明らかにする責任がある。それができないのであれば、『取材の自由』と『報道の自由』の過剰行使とも言える」

「犯罪報道は、将来同じような犯罪が起きないように、注意できるようにするのが目的のはずです。記者が何のために事実を明らかにして、何が防げるのか。どう世の中のためになるのかを説明できないのに、相手に答えを求めることはできない」

その上で大石教授は、取材者がそのようなことを「分かっていなかったのではないか」とも語る。

「取材によって何を明らかにし、世の中に裨益するのかを理解せずに『俺たちには自由がある』『親なら責任がある』と、わけのわからないことを聞いてしまっている。『読者が知りたがっている』という理由だけではなく、何の問題を明らかにしたいのかを説明できないと、説得力はありません」

こうした質問について、ネット上では批判が噴出。「息子の性癖」や「息子の性欲」がツイッターのトレンドに入り、スポーツ各紙は「高畑淳子に「息子の性癖」質問、ネットで批判噴出(日刊スポーツ)」などと報じた。

2016年8月26日 (金)

自分さえ良ければ…

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「自分さえ良ければよい」…の考え方

「義務は果たさないが権利はきっちり主張する!!」私は、いまの世の中は、自己本位的な考え方が増えているように思います。

子どもの頃の記憶は、隣近所の人間が何かと言えば集まって祭りの話や世間話をしていた事や、困った時には、助け合いました。町内の子供の世話を町内の人間がするのは当たり前でした。

何かあれば寄り合いで集まって決めたし、「泥棒!」と叫べば即座に土地の若い衆が飛び出した。つまりは、落語にでてくるような、義理と人情の世界だったのです。人間的な繋がりを基礎として形成される社会、それが共同体です。

その共同体を基礎とした社会理念、経済理念が社会主義です。つまり、社会主義と共同体主義は、根底の所で繋がっているのです。

現状の社会的背景

かつて、会社経営が家族主義的と言われた時代には職場がひとつのコミュニティでした。また、マイホームのある一帯もコミュニティでした。

昨今、雇用が流動化し、会社に依存することが必ずしも生活の安全をもたらさなくなっている状況では、職場のコミュニティは事実上解体されているといわざるを得ません。

地域コミュニティも、非都市部では担い手の流出、都市部では新規住民の急増などの要因もあり、今までのようには機能していません。このような状況では、自分を守るものは自分しかありません。

共同体は、個人の自由を制約する一方で、その上位にある社会的主体からの介入を退け、外部からの攻撃から個人を守る役割を果たしてきました。しかし、ここにきて、個人は、共同体の呪縛から解放されるかわりに、自分で自分を守るという課題に直面することになったわけです。

しかし、伝統的に我々の倫理・道徳は「共同体」に基礎を置いていました。そこから解放された時代にあっては、個人が直接外界と接する新しい倫理・道徳が必要となる…又は今まで「共同体」に意味づけられていた倫理・道徳を新しく定義しなおす必要があるはずなのですが…

それができずに、倫理・道徳なき個人が暴走している(というよりむしろ過剰防衛に向かっているというべきか)、という説明が可能かと思います。

日本では横のつながり(たとえば世間)が重視されるといいます。その横のつながりが壊れて、絶対者の意識もないところに、どのような倫理が打ち立てられるのでしょうか…

2016年8月25日 (木)

美しい環境を後世に引き継ごう

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私たちの地域環境は、みどり輝くの山があり、きれいな川が流れています…今住んでいる地域は大昔から先代から引き継がれてきた、かけがいのない地域(八王子市片倉町)です。

歴史を勉強しよう…

今住んでいる地域の歴史を知り、地域を愛し、人に優しく・自然を大切にする心を、後世に引き継ぐことが大事なことだと思います。環境は人をつくると言われています。いつも、ゴミが落ちていない…きれいな環境が人々の心を豊かします。

美しい環境を地域住民と共につくることにより、地域住民一人ひとりが、自らの存在意義を感じ、また、共に助け合い協力しあう精神を培うことになり、共に生きる社会の実現につながっていくことになるのです。

御茶ノ水女子大教授、藤原 正彦氏は、天才を育む共通項は、幼少期を美しい環境で過ごした子供達が多かったという。生物は、生まれてすぐに親から離れても生きる力を持っているが、何故か人間だけは2~3歳位までは親の保護がないと生きられないという。

この時期に、親がしっかりと子供を抱きしめて話しかける事が、その後の人格の形成に大切であり、さらに美しい心は、美しい自然の環境の中で育まれるという。

三つ子の魂、百までも、と言うように、上品で円満な人格は殆どこの乳児期に決まってしまう。親が胸を張って子供に語りかけ、汗を流して働いていれば、子供は立派に育つのです。

教育が、社会が、おかしいと言いいますが、今、大人達は胸に手を当てて子供達に手本を示さなければならないと思います。

2016年8月24日 (水)

人生の目的

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人生の目的は…魂を磨くこと

魂(たましい)とは、生きものの体の中に宿って、心の働きを「つかさどる…(コントロール)」と考えられるもので…「心の活力。精神。気力。」です。

私たち人間が生きている意味、人生の目的はどこにあるのでしょうか。もっとも根源的ともいえるその問いかけに、私は心を高めること、「魂を磨く」ことだと思います。

生きている間は欲に迷い、惑うのが、人間という生き物の性です。欲は際限なく持っている動物です。生きているかぎり衣食が足りていなくてはなりません。不自由なく暮らしていけるだけのお金も必要です。

いちがいに否定すべきものでもないでしょう。しかしそういうものは死んだらあの世へ持っていけません。この世のことはこの世限りで精算しなくてはならないのです。

そのなかでたった一つ滅びないものがあるとすれば、それは、「魂」というものではないでしょうか。死を迎えるときには、現世でつくり上げた地位も名誉も財産もすべて脱ぎ捨て、魂だけ携えて新しい旅立ちをしなくてはならないのです。

この世へ何をしにきたのか?

私は迷いもてらいもなく、生まれたときより少しでもましな人間になる、すなわちわずかなりとも美しく崇高な魂をもって死んでいくためだと答えたいです。

さまざまな苦楽を味わい、幸不幸の波に洗われながらも、やがて息絶えるその日まで、倦まず弛まず一生懸命生きていく…そのプロセスそのものを磨き砂として、おのれの人間性を高め、精神を修養し、この世にやってきたときよりも高い次元の魂をもってこの世を去っていく…私はこのことより他に、人間が生きる目的はないと思うのです。

生きていくことは苦しいことのほうが多いです。ときに、なぜ自分だけがこんな苦労をするのかと神や仏を恨みたくなることもあります。しかしそのような苦しき世だからこそ、その苦は魂を磨くための試練だと考える必要があるのです。

労苦とは、おのれの人間性を鍛えるための絶好のチャンスなのです。試練を「機会」としてとらえることができる人--そういう人こそ、限られた人生をほんとうに自分のものとして生きていけるのです。

2016年8月23日 (火)

寛容の精神

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江戸時代の儒学者「貝原益軒」の「養生訓(健康、健康法)」…「心を平らにし、気を和にす。これを身を養い、徳を養うの工夫」…があります。

「平穏な心で過ごす…和やかな気もちで人と接する」心身の健康は幸せで、そして周りの人との良好な関係も大きな幸せです。平和な心で、気分よく生活できるようになる秘訣があるのではと、考えてみました。

幸せとは、一人だけでは感じることはできません。人と人との関わりのなかで、感じて育まれていくものです。幸せになるためには、毎日の暮らしのなかでいつでも感じられる、そんな幸せを探してみることです。

“くよくよ”“イライラ”せず、平穏な心で過ごすことができれば、心身の健康にいいでしょう。人と争わず、和やかな気もち・やさしい気もちで人に接することができれば、人間関係が良くなるでしょう。

私は、世の中を穏やかに生きていくには「寛容の精神」が大事だと思っています。寛容とは優しいという意味ではなく…無条件に受け入れるという意味でもありません。

つまり、自分の中に入れて納得するということで、否定から入らない心構えのことで、まず受け入れて、それが自分の中で腑に落ちればいいのです。そうでないなら距離を置くのもひとつの寛容であり、自分とは異なるものをどうやって受け入れるか…それが寛容ということだと思います。

価値観の多様化の現代社会で、どう人と接し、どう受け入れて自分のものとするか…完全な理解は出来なくても、どうやって否定しない自分を見いだすか…反論すべきところは反論し、否定すべきと思うところは否定できるだろうか…

これが出来なくなった時が私の老いの始まりで、精神が老人となるということだとの考えです。肉体的には加齢とともに衰えるこれは仕方がないことで、せめて「寛容の精神」はしっかり保って生きたいと思います。

2016年8月22日 (月)

人生には無駄な経験など何一つない

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昨日は、いろいろあって、ちょっと疲れたです。そして寝る前に考えたのです。

私の人生をふり返り「なんて遠くに来たもんだ…」と思うことがあります。しかし「人生の終着点は、まだ先だ!これからも前を向いて生きなければ…」

つまり、自分の過去を振り返ってクヨクヨしないことだということです。これまでの自分を全て受け入れて、これからを生きることが大切だということです。

「人生には無駄な経験など何一つない」というのは、決して今から犯すであろう過ちを肯定している訳ではありません。

「今」から過去を振り返った時に、失敗は何度もあったことで「寄り道」・「回り道」・「行き過ぎ」など、そうした「過ち」でさえも「人生にとっては無駄な事ではない」ということです。

要は、「成功も失敗も全て、自分が起こしたことなのだ」というように、自分の人生に起こった事を、誰のせいにもせずに、正面から正々堂々と向き合う事が大事なんだと思います。

だから大切にしたいと思っているのが、目の前のことに本気になること。「今」を精一杯生きることだと思います。

2016年8月21日 (日)

これからの人生を考える

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いのちを輝かせる

相田みつをの詩に、「この世は私が私になるところ、あなたがあなたになるところ」とありますが、私が私であってよかったと、自分の花を咲かせ、いのちを輝かせて生きていきたいです。

私たちは日々のお役や活動に追われていると、心にゆとりを失ってしまいます。「忙しい、忙しい」と飛びまわっているわりには、これといった成長感や充実感があまり感じられない・・・心がせかせかしたり、体が疲れやすくなったり、ささいなことでひどく気持ちが落ち込んでしまいます。

人間関係に気を遣い、いつも周りに合わせるものの、あとになって、とてもむなしさを感じてしまう。ふと、「このままでいいのかな…」という気持ちが浮かんでくる…

そんな心の叫びが聞こえてくるときは、静かに立ちどまって、自分自身と深く向き合う時なのかも知れない…それは、自分が一番リラックスできる空間を見つけて、自分の存在というものについて、少し掘り下げて考える必要があると思います。

心を落ち着けて、心の内なる声に耳を澄ませてみるのですが…具体的に現状打破できず、何かあせりまで感じるのです。

自分の存在について深く見つめていくと、人間として生をうけたことがいかに有り難いことか…人はなんのために生まれてきたのか、人間はどう生きなければならないのかといったことが感じられてきます。

2016年8月20日 (土)

季節の移ろい

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森の夕 せみ一段に 鳴き競う

台風がいつもの年と違うコースで・・・

6号・7号と続き日本列島の東をかすめて北上し北海道では大雨となっているという。

そして9号が発生これが関東地方に?

そのためか、秋雨?のごとく、ここ3~4日雨が降る日が続いています。

片倉城跡公園の夕方の森は、ヒグラシの大合唱が秋の訪れを予感します。

日が短くなってきました。 

季節の移ろいを感じます。

処暑【24節季(8月23日)】のことだそうです。

「暑さが和らぐ」という意味だそうですが…ちょっと夏バテ気味です。

2016年8月19日 (金)

町をきれいにしよう

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どうして捨てるの…家庭ゴミ

私は、町のゴミ拾いをしています。きのう、1時間かけて拾い終わり、これでよし!と終わって一回りして???エッ…家庭ゴミがレジ袋(5キロ位)が道路の植え込み上に捨てられていました。

それが二日続けて、ほとんど同じ場所でした。これは犯罪と思う行為です。それは、私がゴミを拾っている行為をどこかで、どう処置をするのか見ている?どうするのか?とさえ思っているよう気がします。腹が立ちます。

ゴミを持ち帰らない子どもたち

公園(八王子市片倉時田公園)で、普段子供たちに「ゴミは持ち帰ってね!」「みんなが使うところだから後の人が気持ちよく使うようにしようね!」と言っています。「はい!分りました!」と素直に言っています。

しかし、きのうのことですが、石垣の水抜きパイプに、空き缶が詰め込まれていました。なんと8個もあったもです。鋏でやっと取り除きました。一見きれいに見えますが、これでは大雨が降って水が流れなくなる恐れがでます。

町をきれいにすることは、いろいろな意味で大切なことです。町をきれいにすることは、町に住む一人ひとりの心がけです。「美しい環境でよい子育つ」と言われます。

規範意識に、お父さん・お母さんは子どもに教えて欲しいと思います…「正しいゴミの処理のしかた」…それが大人が、町の道路や公園などに、当たり前のごときに捨てて行く…タバコの吸い殻・ゴミのポイ捨てが減らない原因です。

いま地球環境の危機が大きく取上げられています。かけがえない地球は後世に引き継がなければいけません。子供たち…孫たちまで安心・安全な環境を引き継ぐ義務があります。

環境は「これで良し」はありません。住民方々の、ちょっとした心遣いがほしいのです。ご理解とご協力をお願いいたします。

追記…ゴミの処理を終えて帰宅途中にマンション(マイキャッスル)清掃員が二人で小さなレジ袋を持ってきて湯殿川に放り込んだのです。「何を捨てたのですか?」「イヤーマンションに蛇がいたので捕まえたのですよ!」と言って当たり前だと言わんばかりだったのです。川に捨てれば袋に入った蛇は死に…ゴミです。「絶対に川には捨てないでください!」といいました。「はい気をつけます」と二人が合わせたようにいいました。大人の認識がまだまだだ…感じました。

2016年8月18日 (木)

死を見つめること

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「死を見つめることは…生を見つめること」

「死を見つめることは、生を最後までどう大切に生き抜くか、自分の生き方を問い直すことだ。」…(アルフォンス・デーケン)

私たちが、生きているということは、取りも直さず死に近づいているということに他ならないし、「生きている」その直線上に「死」はあるはずなのですが…

いつ頃から、「生きている」時間だけを見て、「死」を見ないようになってしまったのか?ひと昔は、家族というと、祖父母がいて両親がいて、子供がいるという形態が普通でした。

それがいつ頃からか、核家族という言葉に代表されるように、年寄りが身近にいなくなり、仕事をする適齢期の人間だけで住んでいるのが普通の家族のように言われるようになってしまったのです。

そうすると当然のことながら、「子ども(幼児)は保育園」・「年寄りは老人ホーム」「傷害者は施設」元気な者だけで住んでいる(社会?)状態です。

年を増すごとに、自分の自由に身体が動かなくなる人間、つまり年寄りを身近に見ることが少なくなります。まして現代は、病院でいのち終わっていく時代です。身近な者(例えば祖父母)が、布団から起き上がれなくなり、徐々に呼吸が弱くなって、いのち終わっていく…そういうことを体験しない(出来ない)時代が、現代ではないでしょうか?

過去は、今という現在の結果であり、今という現在は、少し先の未来がやってきた結果なのです。過去も未来も自分には関係ない、と言う態度で過ごしているのが「現代人」ではないでしょうか…。

今生きている自分しか見えないから、「死」に対する畏れを感じることもなくなり、「死」に近づく人間に対する敬意さえも持たなくなってしまう。現代という時代は、そのような時代になってしまっているのではないでしょうか…。

時間は、過去から現在に、そして未来に流れ続けているのだから、現在しか見ないというのは、どこかに歪みが生じると思うのですが、そこに気付いていない「現代人」があまりにも多いように感じます。

もう一度、私の生きている時間の中に、私の「死」もあると言うことをしっかりと、見つめることが大切と思うのです。

2016年8月17日 (水)

自尊心とプライドの違い

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人は、プライドを持って生きています。似たような解釈できる言葉に「自尊心」があります

違いは、自尊心…「自分の存在そのものを尊いと感じること。」プライド…「他人と比較して、自分が上(下) と感じること。」…自尊心は、自信に由来するのに対して、プラ イドは、自信の欠如=劣等感に由来する。

だから、本当の自尊心は、決して傲慢ではなく、礼儀正しい紳士淑女であり、自分も大切にすると同時に仲間も大切にします。

一方、プライドは、本当の自分は欠点だらけで弱く、嫌な奴だと思い込んでいるので、それがばれないように隠したり、逆にあたかも強くふる まったりするので傲慢、うぬぼれとなります。

私は、プライドは大事かもしれませんが、邪魔になるときが多いので基本的に持っていないです。プライドなんてものは自分自身の成長の妨げにしかならないと思っているので、負けられない何かに対してだけプライドは持っていればいいと思います。

プライドではなく自尊心を持って生きる

基本的に、人が成長する方向性として、欠点を矯正するよりも長所を伸ばす事、 自信を砕くのではなく自尊心を育む事の方が、結果的に大きな成果につながるのでしょうか…

影は、目立つので、突きたくなりますが、日のあたる側面のほうが圧倒的に大きい事を忘れてはいけません。人は、確かに欠点を持っていている完璧ではない存在ですが、断じて無力ではありません。その人の可能性や潜在性は、人の見立てや思い込みよりも、はるかに大きいものです。

それをちっぽけにしか見れないのは、そう認識す るエゴの器量のなさ、自身の勝手な絶望から来る偏見です。人は、断じて欠点だらけの無力な存在ではありません。本気を出せば、どんな人でも素晴らしい仕事を成し遂げる力を持っています。

2016年8月16日 (火)

現在・過去・未来

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「過ぎ去った過去に執着せず、また未来を憂いず、ただ今を懸命に生きる」

…と私が若いとき、悩んだとき親父が言った言葉です。

過去は、書き換えられないと言いますが、確かに、事実としては、変えられないでしょう。しかし、過去を学ぶことは大事、それをどう解釈するかによって、事実の意味は、大きく変わります。

未来には、無限の可能性が広がっているかのように言う人もいれば、運命は、定まっていて、動かしがたいと言う人もいます。

無限の可能性というときは、現状や過去から、逃避しているだけかもしれず、定まっているというときは、考える事を停止しているだけかもしれません。

人生をあせってはならない。

心に余裕を持つことだ。

大切なことは、忍耐とタイミングだ。

全てのことには時がある。

人生は、望み通りにいくことはない。

したがって、人はその時々にやってくるものを受け入れ、それ以上望まない方が良い。

2016年8月15日 (月)

広場・公園を掃除して…

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昨日、広場(片倉時田まちの広場)時田公園の掃除をして

小学生高学年か中学生?の女の子が、5人で水風船を作って遊んでいました。水道の周りは風船の破れた物が散乱し汚れていました。そして公園のあちこちにペットボトル・空き缶・野球のボールなどが、転がっていました。

君たち…「ここはみんなで使う広場・公園なのよ」「後で使う人が気持ち良く使うようしようね!」 

 「だから片付けてちょうだい!」

子供たちは、「ペットボトル・空き缶は、私たちではないです」…前からあったから…と言いました。 

でも、広場・公園のゴミに気が付いたら、拾ってちょうだい!」「そうすれば、いつもきれいな場所で遊ぶことができるでしょう!」

 「はい分りました」 

 といって、駆け足で拾い集め、私が持っていた袋に入れてくれました。 

 「社会の宝」として子どもを育てよう!… 

 子育ては、親だけが担うことだと思っていませんか? 

 そうではありません。 

 子どもを育てることは未来の日本を支える人材を育てることです。社会の一人ひとり、みんなが主役なのです。子ども成長を社会全体で支え喜び合いましょう。(文部科学省) 

近頃の子どもは」…と眉ひそめる人が何時の時代でもいます。どんな時代の環境でも子どもは次世代につなげる大事な存在です。 

 広場や公園で、子供たち遊び方(夜中に遊ぶ・きまりごとなど守らない)に地域の大人が気が付いたら注意して欲しいと思います。異常な問題があれば、警察に電話して欲しい(警察では連絡した人の名前は言わなくても受理してくれます。) 

 私は、環境(美しい広場・公園)から、人に自然に心優しい子供たちが育つと信じています。いつもきれいにしておくことは大事なことと思っています。 

 人に自然に思いやりは、次世代につなげなければいけません。地域の皆さんどうかご理解、ご協力をお願いします。 

2016年8月14日 (日)

人生の成功

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誕生日にしみじみ思ったことですが、いつの間にかこんな年に…これからの自分の人生の指標は…を考えると、満足できる「人生の成功」と思えることです。

人生の成功とは…「心の平和」…ジョン・ウッデン

心の中が平穏でなければ、幸せに生活することはできないでしょう。幸せな人と不幸な人の決定的な違いは、「心の平和」なのかもしれません。

「尊敬すべき幸福な人は、逆境にいても、つまらぬことはくよくよせず、心配しても始まらないことは心配せず、自分の力のないことは天に任せて、自分の心がけをよくし、根本から再生の努力をする人である」…武者小路実篤

「歓喜」、「感動」、「快感」、「達成感」、「充実感」、「やすらぎ感」、「愛する喜び」、「愛されている実感」…

様々な幸せな時があるでしょうが、そのベースに「心の平和」があることが、幸せな生活には欠かせないのかもしれません。心の平和を保つためには、まず、人や現実をありのままに受け入れることかもしれません。また、多少のことは忍耐で済ませることです。

幸せになるためには、心の平和を保てるようになることが肝心です。また、心が平安な状態を「幸せ」に感じられるようになれば「人生の成功」と思う。

今の自分の生活を振り返り、充実しているかどうか考えることも大切です。昔の自分はどこにいたのか、今の自分はどこにいるのか、そして未来の自分はどこへ向かっているのか、その道のりを確かめることが大事です。

2016年8月13日 (土)

陰徳にあらずんば徳にあらず

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陰徳とは何か

世間に知られないよいおこない。ひそかに行う善行。

「陰徳にあらずんば徳にあらず」というが、これ見よがしに、自らの評価を高めるためにおこなう善行は、それがたとえ世のため、人のためても、徳を積んだことにはならない陰徳は、単に「隠れて陰でおこなう善行」と勘違いされる方がいるが、人に知られずにこっそりやれば良いということではない。

陰徳を積むと運気が上がると言われたから、誰れにも知られないように掃除をする」という方がいるが、この行為は陰徳ではない。なぜなら、掃除という善行の発露が、自分のためであるからだ。善行が陰徳として、その発露は必ず、他者のためでなければならない。

自分の行動に対して、一切の感謝も見返りも求めない、他者の幸せだけを願う善行のみが陰徳であり、徳というものの本質なのだ。

思いの強さ

精神が強いといわれる人は現実と向き合える人だ。
現実はもちろん良いこともあるが、反面すごく残酷で厳しい。色んな辛い経験をすると人はよく考えたり悩んだりしてたくさん学ぶことに…その経験値が強さにつながる。

でも良い思い、楽な経験ばかりしてると大して考えない、心も成長しない。何か問題があった時、自分で考えずすぐに人に頼る人も成長しない人。いつまでたっても子供の心だ。

結局、体と同じで心も辛い時間と経験、そして楽しい時間の両方が必要である。(辛いことばかりだと病んでしまう)その時々で目の前にある現実(辛いことも良いことも)受け入れて経験していると自然と成長して強くなる。

こんな弱い人間

現実から逃げる、すぐ投げ出す、人に悪さする、すぐ魔がさす(誘惑に負ける)、いざという時断れない、自分で物事を考えないなどである。 

リオ・オリンピック

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真夜中に リオの歓声 聞こえ来る

南米ブラジル リオネジャネイロでは、オリンピックが真っ最中です。NHK初めテレビ各局は、放送でしのぎを削っているようです。

 ブラジルと日本の時差は12時間です。ですから日本で朝6時ではブラジルは夕方の6時です。試合が日本の深夜になることが多いのです。結構寝不足な人も多いのでは・・・

でも、生の映像が見られるのですから、ビックリです。地球の裏側での様子が分るのですから…半世紀前は考えられなかったことです。

2016年8月12日 (金)

ワクワク感を取り戻す

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好奇心とは、珍しいことや未知のことなどに興味をもつ心です。

年を重ねると、何が起きろうと…考えるのも面倒臭い…仕方がない…何故 起きた原因・処置など…なるようにしかならないとあきらめてしまう…無気力から、認知症?まで疑がわれてしまいそう…

近年では、アンチエイジングや10歳若く見える○○など若さを保つ秘訣というものが様々な所で取り上げられています。自分自身が好奇心が湧かなくなってしまう…こうしたものは単純に外見にスポットを当てた物が非常に多いですが、若さを保つには内面に目を向けるという事もとても大切です。

内面の若さを失ってしまうと…

1 無気力になる

2 物事に興味がなくなる

3 毎日マンネリでつまらない

4 夢も希望も無い

5 喜怒哀楽をなくす

など、こういう状態に陥ってしまうので、例え外見が若かろうとエネルギッシュさを失ってグッと老けて見える事になってしまいます。こういう風にならない様にする為には何歳になっても好奇心を失わないという気持ちが大切です。

年を取るほど好奇心、感動を失いがち…考えてみると、私たちは年を取るほどに感動を失ってしまいます。経験を重ね、物事に対して新鮮さが薄れてしまいます。

感動するワクワク感を取り戻す

若いときの感動は傍からみても「何だそんなことで…」でも本人はその感動で、その日が特別な日のようになった経験はあると思います。また別社会に来たような感じなったこともあるのではないでしょうか…新鮮さ…幸福感…です。

感動力の取り戻す…人はなにも無い場面で感動する事はありません。外部から何らかの好ましい刺激を受け取って、感動をするわけです。

それには、その受け皿を持っていることで…ろいろなことに感動する人は、いろいろなことを勉強している人です。いろいろな刺激を受け取る受け皿を持っているからです。それは、いろいろな価値観を持つことができているということです。たくさんの受け皿を持つ人は、たくさんのことに感動します。

言いかえれば、年を持っていても、好奇心を持っていて毎日を送ると言うことだ…と思います。「修行も一生、勉強も一生」ということです。

2016年8月11日 (木)

心の安らぎ

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「心の安らぎ」とは…

本当の幸せは「心の安らぎ」を持てることです。心に悩みや苦しみがなく嫉妬、怒り、憎しみなどで心が病んでいない状態です。モノがあろうとなかろうと、心が病んでいれば、そこには幸せはありません。モノがなくても心が病んでいなければ、幸せになることはできます。

幸せになれる環境や条件が整っていても、心が、悪い感情に囚われていれば、その人は不幸です。大金持ちや大成功した人や素晴らしいパートナーに恵まれた人でも、不幸な人います。

環境や条件に恵まれていなくても、心身の苦痛がなければ、それなりに幸せに暮らすことは可能だと思います。

心の安らぎは、幸せな生活の基盤となるのだと思います。安らいだ心の状態で生活する中で、ときどきでも幸せを感じられる…穏やかな心、静かな心、シンプルマインド(心に悩みがない状態)です。

このような心の状態だと、心の余裕も生まれ、より幸せを感じやすく、幸せに暮らしやすいことになるのではないでしょうか…

2016年8月10日 (水)

子どもは大人の背中を見て育つ

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「子どもは大人の背中を見て育つ」

子どもが成長していく過程において、優しさや保護などの受容性の役割と、厳しさや規律などの社会性の役割の二つの機能が必要だと言われています。

これまでは家庭の中で培われ、子どもたちは自然に受容性や社会性を親から学び、身につけて成長してきます。

子どもは親の背中を見て育つ、とはよく言われる言葉です。親から細かい指示を出されてそれに従うのではなく、親の姿を見ることから学びます。しかし、サラリーマン家庭の多くは、働く親の姿を見る機会や生活の中で親の姿を見る機会が少なくなっています。

家庭のほかに子どもが大人と関わる場は、学校や地域などがあります。そこでは若者から年配者まで様々な年代の大人が働き生活する場面に出会う可能性があります。

受容性と社会性の役割を家庭内だけでなく地域の大人に担う…

子どもは、家庭とは違う大人の姿を見ることで様々なことを学び、多くの大人の働く様子や生活する姿を見ることで、将来なりたい自分が見えてくるものです。

家庭での「親の背中」とは別に、地域の人々もまた親に代わる「大人の背中」を見せる役割が必要になっているのではないでしょうか…

かつて、地域の中で多くの大人が関わりを持って子育てが行われていたときは、子どもは地域の大人に見守られ、他の子どもと関わることにより社会のルールを学ぶことができました。

親もまた、他の大人や自分の子ども以外の子どもと関わることで社会の中での自分の役割や、地域の中での大人の役割、親の役割を学んできました。地域の中で、親も子どもも成長する機会を得ていたのです。

地域社会が必要とされています。

子どもは大人を見ているものであり、大人が子どもへの挨拶や声かけを日々続けることで「知らない大人」から「地域のおじさん、おばさん」であることを理解してくれるようになったという、実際に活動に取り組んでいる方もおります。

家庭の中では、親が子どもの悩みを受け止められる環境をつくり、共に何かをしていくという関係を築くことが大切なことです。

子どもを認め、褒めたり叱ったり相談したりすることは家庭を離れて、地域の大人が地域の親としてそのような役割を担うこともできるのではないでしょうか…

子どもたちにとっては、家族以外の大人から声をかけられる、気にかけてもらえるということが安心感につながっていきます。次世代を担う子どもたちを育てていくのは、家庭・学校・地域であり、社会の役割です。

2016年8月 9日 (火)

隣の三尺

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子供が公共の広場でのゴミを持ち帰らない・・・大人の公徳心の“なさ”になる。

広場・公園などは、町(地域社会)で管理していますが、汚れていたり、危惧が壊れていましたら、町会や自冶会の管理能力が問われるばかりではなく、防犯・防災までも不安な・・・町と思われても仕方がないことになります。

私たちの町の広場に子供たちが、よく遊んでいます。元気に異年齢で遊ぶことは大いに結構なことと思っています。昨今、公共の場でのマナー・ルールを無視し、自分本位な行動や公徳心の欠如と思われる行動が問題となっています。

公園・広場のペットボトルや缶・吸い殻・食べ物の包装等のゴミが、毎日のように落ちています。私は、地域の子供会のお母さん方にお願いし、お子さんにゴミを持ち帰るよう指導をお願いしていますが、一向に改善されません。

また、私自身、子供たちに注意していますがその時は「ハイ分りました!」と返事をし片付けますが、残念ながらまだまだです。しからば、近隣お宅にお願いし注意をお願いしていますが・・・また公園課・警察に見回りを強化をお願いしていますが・・・

幼児期から地域を愛する心・奉仕の心を育み、環境や公共心を考え、健康で明るい地域社会にしたいものです。

昔の言葉に「隣の三尺」というのがあります。昔は朝早く玄関先の掃除をして清々しい一日の始まりとし、その際、自分の家の前だけでなく、隣の家の前も三尺(約九十センチ)ぐらい踏み込んで掃きます。

勿論、隣の人も我が家の前の三尺ぐらい掃いてくれます。それが暗黙の了解となっており、向う三軒両隣との付き合い方、気配りの基準となっていました。

「隣の三尺」は、現代では殆ど死語化している古い言葉ですが、地域社会の一員としての自覚を幼少の時期から芽生えさせることの大切さを、毎日「隣の三尺」の気持ちをもって自宅前から親子一緒に清掃に取り組んでみると、もっと身近な所から「公共」を考えることができると思います。

2016年8月 8日 (月)

8月…私の記憶

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  昔新堰といわれた左が兵衛川・右が湯殿川

8月といえば!

誕生日と母の死

何んといても、先ず私の誕生日月だ(7日)…そして私にとって衝撃的な母親の死(13日)です。私が11歳で…今ある私の運命は、この時に決ったようなものと思います。

67年前(1949年)の13日…朝から良く晴れた暑い日でした…雨が降ればいくらか涼しくなるのだが…父親が母親の枕元でつぶやいていたのが、印象的で今でも記憶に残っています48歳でした。

終戦

15日…(1945年)終戦です。昼に天皇陛下から重大なお言葉がある…近所の人が私の家のラジオを聞きに集まった。父親は、いつも被っていた戦闘帽・母親たちは姉さん被りをとり、頭を下げて聞き入っていた。隣のおじさんは、ちょうど防空壕を掘っていたという。大人たちの意気消沈しきった光景は今でも忘れません。

原爆投下

6日広島に7日…長崎に、原子爆弾が投下…大人たちの話から…これはただ事ではない?と子供ながらに思えました…いよいよ日本にもアメリカ兵が上陸し本土決戦?

祭り

29日の地元鎮守様(住吉神社)お祭り…母親に小銭貰って、神社まで駆け足で行き、ヨウヨウ(ゴムの袋に水を入れた袋にゴム紐で結んだもの)買い、夜には地元の青年団が田舎芝居を見ることが楽しみであった。青年団の名前は、「若葉会」だった。

川の遊び

毎日川で泳ぎ、魚を捕って遊んだ子どもの頃の8月でした。湯殿川の泳ぎの名所(場所)は、一本橋が高い「新川」湯殿川と兵衛川と合流した、川下に「新堰」があった。

2016年8月 7日 (日)

ゴミ拾いをしながら思う

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今から70年前のことですが…自然一杯…豊な山には、大きな木、藤蔓でターザンごっこしたり、蛇や蛙を捕まえたり、野兎を追い…川で多くの種類の魚を捕ったり、田んぼで、どじょう・小鮒を捕って遊んだ思い出があります。同じ地域に住む…異年齢の子供たちと遊ぶことで、自然と…「知・徳・体」が備わってきたと思います。

現在は、開発が進み以前のような自然に、ふれあう子供達の遊びは出来ません。ごく限られた広場や公園で遊ぶしかありません。遊び方もだいぶ違います。子供たちは手にゲーム機を持ったり、携帯電話・スマホでポケモンGOで遊ぶ子もいるという時代です。

野球するまでの広さがない広場はないので、キャッチボールぐらいで身体を動かすぐらいです。そのキャッチボールですが幼児などがいるとできません。

物を大切に使おう

広場・公園などのゴミ拾いをして思うのですが遊び道具の野球のボール・サッカーボールなど、放置して帰っていくのです。グローブまでも置いていくこともあります。キャッチボールをして、草薮に入ってしまったら捜しません。川にサッカーボールが入ってしまったら拾いません。

家から飲み物・おやつを持ってきて飲んだり・食べたりしても…ゴミは持ち帰らない子供が多いのです。

自然や物を大切する

広場や公園など「公共の場」はモラル…規範意識の教育の場でもあると思うのです。自分たちの遊び方や物の取り扱いや、自然や他人に対する思いやり・優しさの心は遊びの中から醸成されていくものと思います。

今環境問題が深刻な状況の中・自己中心主義の人間が多くなっています。人は一人では生きていけません。自然や人に優しさと思いやりを持つ…子供たちにするにはどう教育すればいいのか、私たち大人が真剣に考えないといけないと思います。

そして、心も体ものびのびと安全で安心して活動できる居場所をつくり、異年齢の子どもたちや地域の人々と触れ合うことにより、地域一体となって心豊かに育む環境づくりが大事と考えます。

 

「豊な人間性」を育つ環境を考える

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最近、子供たちが、公園や広場で遊んでいる光景を見ていて…

故郷を思うと、懐かしい思い出の一つや二つ、出てくると思うのです。故郷とは、自分を育ててくれた場所でもあります。年齢を重ねるごとに、それは懐かしい思い出として、自分の中に蘇ってくるものだと思います。

それは、心の中で、若い頃には眠っていた、「故郷を愛する心」だと思うのです。私たちは、年齢を重ねるごとにいろんな経験をしていきます。楽しい経験ばかりであれば、今の生活がいいと思い、故郷を思う気持ちというのは遠ざかっていくと思うのですが、そういい経験ばかりではありません。

グローバル化した経済・少子高齢化・三世代家族の減少の現代社会です。事故や犯罪への懸念など子供たちが学び、動き、育つ環境…

こうした生活環境にあって、私たちの地域社会・日本の未来を担う子供たちには、自からの課題を見つけ、学び、考え、行動する能力…さらに自律、協調の意識・たくましく成長するための健康や体力など「生きる力」を身につけることを求められています。

かっての地域には、里山を走り回り、川で遊び近隣の大人と笑顔で話をする…子供たちに、体験や技術を伝え、時には叱る大人たちの姿があり、家庭においても、食習慣や、あいさつ、家族を思いやる心などと教える力がありました。

いま、こうした地域や家庭における教育力の低下も懸念されており、子供たちの視野能力を広げ、社会の変化に対応できる…「豊な人間性」と「郷土を愛する心」を培うため、学校教育の原点である「知・徳・体」のバランスある育成に留意すとともに、学校・地域・家庭が一体となった教育環境の充実が必要となっていると思います。

2016年8月 6日 (土)

真の穏やかさとは・・・

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真の穏やかさを身につけた人

どんなことが起こっても、また誰から何をいわれても、決して動揺しない心の状態…それが真の穏やかさです。

どういう人なのか…何をすることも喜びを感じ、心を常に穏やかな状態に保つことのできる人です。人生の真の目的を求めたいならば、単に穏やかになるだけでは不十分です。穏やかさは、不変の、真の穏やかだでなくてはなりません。

穏やかさは、ねばり強い…自己コントロールができるのです。

そのため、真に穏やかな心の中には、身勝手な考えはもとより、後悔や自責の念も存在しません。真の穏やかさを身につけた人にとっては、何をすることも喜びです。 ほとんどの人が嫌々こなしている、日常の義務的な作業でさえ、穏やかな人は喜んで行います。

真に穏やかな心の中では、「義務」という言葉は「幸せ」と同じ意味をもつものになっているのです。 真の穏やかさを身につけた人にとって、義務は幸せを奪うものなどではなく、幸せをもたらしてくれるものにほかならないのです。

なぜならば、毎日の決まりきった仕事や家事も含めた、私たちが「やらなくてはならないこと」もまた、私たちの人生を作り上げている大切な要素だからです。

つまり、義務的な作業もまた、私たちの成長を助けるために存在しているのです。 人は、穏やかになればなるほど、より大きな成功を手にできる 真の穏やかを身につけた人にとっては、何をすることも喜びである 努力はしても、結果は求めないのです。

2016年8月 5日 (金)

住んで良かったまちづくり

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住んで良かった町とは…

それは、「自由と責任」を認識している人が多いと言うことです。言い換えれば、子供の教育から軌範意識を持った人が多いと言うことです。

快適な社会を実現するためには、個々の市民が少しずつ我慢して他人に迷惑をかけないことを心がける…他人のことに配慮し、「困ったときにはお互いさま」精神が大事なことだと思います。

町が安全・安心…

地域の安全・安心へ向けた活動のための大切なポイントは“ゆるやかな連携”です! 安全・安心の町づくりは、そこに住む一人ひとりが、自分は何が出来るか考え“町のため”に実行することです。

ネットワークの活動を進める上では…それぞれの団体が普段行っている活動(得意分野)と地域のいろいろな問題とを結びつけ、必要な時に、お互いの得意分野を活かした地域で支え合う“ゆるやかな連携”による組織づくり!そして、そのつながりを広げていくことが大切です。

人を信用する…

人は一人では生きて行けません。寄り添いながら生きていけるのです。人間はみんな弱い存在です。嘘をつき、人を裏切りもします。とても弱く、信用できません。でも、どこかで人間社会が成り立っているということは、つまり人間には信じられる部分があるということなのです。

その部分を重点的に見ていくと、この世の中は捨てたものではないと明るくなれると思います。 そしてこの町に住んで良かったと思うのです。

人間は弱いところもあれば強いところもあり、信用できるところもあれば信用できないところもあります。その総体を丸ごと受け止めて、そのうえで人が信用できるかどうかを考えていくことが大切と思うのです。

2016年8月 4日 (木)

自分流に生きる

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自分らしく生きる

昨日、散歩していて、どこかのおばちゃんに、追い抜かれたのです…頑張って追いつこうとしたが…だめだ…年を取った事を実感したのです。無理に他人に合わせなくていい…人それぞれのペースがあります。自分なりのは速さで、自分なりの歩幅で歩いていけばいいのだと…競わなくていい。

現代社会は流れは速いスピートでせわしなく流れていきます。他人と比べられ、目に見える結果を求められる世の中です。追いつくために頑張ってしがみついて…取り残されないように無理に周りに合わせて…

常に急かされて余裕をなくして暮らしています。ストレスを抱えて、いつもピリピリしながら過ごしています。

ちょっと足を止めて…深呼吸して…考えて見ると…人は生まれた時から一人で生まれ…死ぬときも一人で死んで行きます。孤独は人間の本性なのです。

力を抜いて飄々と生きればいい

自分自身が「これでいい」と思えることをマイペースに積み重ねていく…生き方で大切なのは誰かの基準ではなく、自分の中の基準で選択していくことだということだ。。。

決めつけず固執しない「こうするべき」「こうあるべき」そうやって、多くのものを背負い込んでがんじがらめになっています。いろんなものに囚われて、いろんなものに縛られて苦しい思いをしている。自ら不自由な生き方を選んでいるのです。

世の中を複雑にしているのは自分自身…絶対に「こう」と決めつける必要はないということだ。。。どちらか一方が正しくて、もう一方が間違っている…すべてが白か黒かと分けられるものではない…

要は、難しく考えなくてもいいのです。もっといい加減でもいい。こだわらず「まあいいか」と、飄々としていればいい…何かに囚われず自由に、飄々と生きていきることです。

2016年8月 3日 (水)

本当の幸せとは

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本当の幸せとは何でしょうか…

精神的豊かさなのです。お金ではありません、人とのつながりを通して得られる心…愛情、愛着、友情などです。幸せは、心で感じるもので、心があってこそ、本当の幸せを感じます。

人とのつながりを通して得られる心に触れたとき、人は深い満足感を抱きます。人から慕われたり、愛されたり、尊重されたりするとき「幸せだな」と感動し、深い満足感が得られるのです。

「幸せだから感謝するのではない 感謝できることが幸せである」

 人生は、思いどおりにはなりませんし、そんな中で幸せを感じることができたならば、感謝する心が湧いてくるということがあるのかもはしれません。ですが、感謝することができるというのは「生きている」ということです。 

生きているということは、誰かに、何かに支えられていてこの瞬間があるということです。すなわち、日常生活の中で感謝することができたという中に自分自身を、大切ないのちを知らされるのです。

ゲリラ豪雨に遭う

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陽射しもあり、晴れ間があり、全く雨の心配をしないで、いつもの公園に行き、今日も落ちている、空き缶・ペットボトル・を拾い片付け始めたら「アッという間に…」大粒の雨が背中に落ちてきた。

「まだあそこにもある!」片付けなきゃーと駆け足で拾いきった!その時です「閃光が走った」それと同時に豪雨です。木陰は危ない…全身びしょ濡れになってしまった。

英語で「Guerrilla heavy rain」です。

大田道灌の歌を思い出す… 子供の頃はよく遭った思い出がありますが、最近は珍しい経験でした。

2016年8月 2日 (火)

環境をみんなで守ろう

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環境はみんなで守るものです。

環境が悪くなれば、地球上の生物だけでなく、人の命に影響するのです。

最近、街を歩いていて思うことですが、相変わらずタバコの吸い殻、ゴミのポイ捨てが多いことに心が曇る思いです。私が住む八王子市では、全市内「歩行禁煙」です。

私も以前はヘビースモカーでした。25年前にキッパリ辞めました。理由は、今までいたカエルの鳴き声きが、聞けなくなったからです。私も通勤途上で、路上でポイ捨てをしていました。…それ以来「罪滅ぼろし」の意味で、道路や公園などのゴミを毎日拾い続けています。

散歩に行くときは、目だ立たぬように、小さなレジ袋をポケットにしのばせて拾っています。

一本ぐらい…

誰も見ていないから…

溶けて無くなる?…

空き缶・ペットボトル・空き瓶・弁当の空き袋まで…

大人が捨てているのだから子供たちも、捨てて行く…通勤・散歩・買い物などで捨てて行くのです。特に横断歩道がある交差点・植え込みある歩道に多く見られます。

環境問題では、ブログにも何度も書いていますが、環境は深刻な状態なのです。このまま放置していい筈はありません。むかしいた魚・昆虫・植物までも、姿を見ることができません…生態系が変ってしまっています。

山本五十六の名言で…

「やってみせ 言って聞かせて させてみて ほめてやらねば 人は動かじ」…があります。

人間の心理をとてもよくついてます。私は勝手に思っていますが、私の行動(ゴミ拾い)をみて一人でも二人でも、分ってくれる人がいたらいいと思っています。

2016年8月 1日 (月)

「傾ける耳」「涙する目」「差し伸べる手」

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グローバル化する現代社会では、価値観の多様化が、時には非常に深刻な対立や緊張関係を生み出しています。

価値観の違いによる対立や争いは、避けられないのでしょうか…普遍的価値規範を共有し、共生社会を構築することは不可能なのでしょうか。

価値とは…良いこと・悪いこと、好ましいこと・好ましくないことなどの程度を表し、私たちのものの見方の根底にあります。

規範とは…何をなすべきかという行為や判断の基準に関わることです。人それぞれの価値と規範は、地域や文化固有の信仰や慣習、政治体制などによって醸成されます。

グローバル化によって地理的・時間的「距離」が縮んでいる今、「私たち」と異質な価値観を持つ人と出会う機会は増えています。「かれら」と今後どのように共存・共生していくのかは、未来を考える上で大きな課題です。

これからの地域社会に必要な要素は、「傾ける耳」「涙する目」「差し伸べる手」!と言われています。

「傾ける耳」

まずは「耳を傾ける」ことにより、洞察力や理解力が深まるからではないでしょうか。意思決定もより適切に下せるようになり、相手を尊重し、安心感を与えることにもつながります。つまり、信頼に与える効果は計り知れないものとなるのです。

「涙する目」

人に頼る勇気をもつことです。

自分の奥底の気持ちというのは、人との触れ合いの中でわかることが多いものです。人に自分の気持ちを共感されて、はじめて人は自分の本当の気持ちに気付くのです。

「それは、辛かったね」「今までよく頑張ってきたね」と言って肩に手を当ててくれたら…あぁーこの人なら自分の気持ちをわかってくれるかも知れない。この人にいままで気付かないようにしてきた自分の本当の気持ちを見せてみよう。

この人に心開いてみよう。そして、受け止めてもらった時、今まで気が付かなかった自分の本当の気持ちに気が付く…すると、いつの間にか涙が出てくる。溢れるように流れ、止まらなくなる。

自分のこんな気持ちに一緒になって涙し、自分の幸せを本気になって応援してくれる人に巡り会えたことに、悦びの涙がとまりません。

そして、自分の今までの悲しみ、苦しみ、寂しさ、そしてその気持ちをずっと抱えてきた自分に、また涙が出てきます。辛かった、どうすることもできなかった自分に涙が出ます。

「差し伸べる手」

目の前に困っている人がいるとき、あなたはそっと手を差し伸べることができるでしょうか?

なんの見返りのない優しさを示すことができ、誰も見ていないし、誰も称えないかもしれない。打算も思惑もなく、自然に、ただ「助けないといけない」という気持ちを持つことです。

他人は他人、自分は自分…人が目の前で危機に晒されていて、あなたがひとつ手を差し伸べた分だけ、地域社会は良い場所になるはずです。

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