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2016年6月

2016年6月30日 (木)

人の道を守る

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「人の道」とは、人として生きていく上で、守るべき事柄のことで、人として踏み行うべき道筋…です。「―ー人の道を踏み外す」「―ー人の道に外れた行い」…道徳。

道徳とは、自らを律し、してよいこと、しなければならないこと、してはならないことを認識できることです。

今の世の中で、感じますのが、利己的考えの人が多くなって来ていることです。それは、誰でも使える、広場・公園などで遊ぶ子ども達の遊び方でも分ります。一例ですが、公共物を大事にしない。食べ物・飲み物など片付けない(持ち帰りしない)。が見られます。

社会全体で、子どもを育てる意識を持つこと。

現在の子どもたちは、昔の子どもたちに比べて、心の成長を支える基盤となる環境が悪化している…と言えます。言い換えれば、「子どもを大切に」という言葉が声高に叫ばれていますが、その反面、利己主義的な大人社会の風潮が進展してきていています。

こうした現状を考えれば、大人自らがそのモラルの向上に取り組むとともに、子どもたちの発達の環境が、今まで経験したことがないような厳しさの中にあるという現実を十分に見据え、今の子どもへの、徳育が大事なことだと思います。

今、私たち大人に必要なことは、数十年後、今の子どもたちが大人になる時代を考え、子どもの道徳性をはぐくむため、「子どもを大切」にし、自ら何ができるかを考えて徳育を実践することです。

真に「子どもを大切」にするために、大人ひとりひとりが子どもの視点に立ち、教えるべきことは教えるということと、子どもの持つ能力を引き出し、はぐくむという、両面を大事にした教育を推進する必要があると思うのです。

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2016年6月29日 (水)

自然が五感を育む

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半世紀前のこの時期は、私が住む町では、見渡す限りの田園風景があり、つばめが飛び交う風景は当たり前でした。歌にあるように、ドジョウ・コブナなどの魚・タニシ・カワニナなどそしてカエル・ホタルなどの昆虫類などたくさんいました。

しかし、現在私たちの町には田んぼは全くないのです。 自然と触れ合うことは、子供だった頃は当たり前だったのです。

その当たり前だった自然が、今では、探さなくては見つけられなくなってきています。四季折々の自然は子供に素晴らしい感性を与えてくれます。自然の中でのびのびと子育てしたいものです。

私は、自然がいっぱいの中で育ちました。家の前には川が流れていて、あたたかくなると泳いだり、魚捕りを日が暮れるまでして、夏には、びっくりされるくらい真っ黒に日焼けして外で遊びまわっていました。

私たちが小さかった頃、走り回ったタンポポの咲き乱れる道は、アスファルトで舗装され…川の水は汚れて、魚はめっきり減ってしまいました。暮らしがどんどん便利になっていく一方で、忘れられていく、これは悲しい想いです。

自然の大切さを見直し、環境のことをみんなで考えなくては…

季節の移り変わりと共に姿を変える…木々や、草花や、水や魚などに触れ、自分の感性や五感を鍛えることが、自然にできれば…と思うのです。今の子供達が置かれている状況を考えるとちょっとかわいそうだなと思います。

私たちの子供の頃と比べると、体験できる、触れられる自然が、圧倒的に少ないのです。 都会では、アスファルトの道路で土が無くなってしまいました。これでは、草花どころか、虫たちも生きていけません。

こんな現実におかれていては、虫や草花など、図鑑やテレビでしか見たことがない、なんてこともおこってきそうです。 今の子供達は、私達が小さかった頃に比べて、自然の中で経験できることが少なくなっています。

また、自然に触れるということは、人や物をいたわる気持ちも育んでくれると思います。私は、子供は自然の中でのびのびと育ててやりたいと思う一人です。

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今どきの若い者は・・・

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「今どきの若い者はと…」私も若いときに言われた記憶があります。

大人が眉をひそめるような子どもたちの言動も、当の大人が若いころに行動してきた場合もあると私自信、自戒しています。時代による価値観の相違から、摩擦を生じる原因となる言動が、やがて時代の流れとともに社会に受け入れられることも少なくありません。

さらに、新しい価値を希求する若者の文化が社会発展の原動力となることもあります。したがって、今の子どもや若者の行動が、昔の子どもたちと異なる行動だからといって直ちに否定されるべきではないと思います。

また、このような指摘については、世代間の意識の差によるものであれば、対話によって理解を図り、解決していくことも可能です。

今、子どもたちの行動に対して指摘される問題点の多くは、大人たちの問題でもあるのではないでしょうか…子どもたちが、将来大人となる際の手本となるべき今の大人が、手本となり得ていないという大人社会の問題が、子どもに投影されていると思うのです。

例えば、他人のことを思いやらず、自分さえ良ければといった言動や、責任感の欠如した言動、真摯に努力することを軽視するといった言動は、今の大人が行っているものであり、そうした大人に起因する問題が、子どもの問題と受けとめられているからこそ、問題の解決に至らない原因と思います。

子どもたちが豊かな人間性をはぐくむためには、まずもって、身近な大人たちが、子どもたちの目にはどのように映るかもよく考えて、自らの言動を振り返り、子どもの視点に立って、必要に応じて改善し、大人全般のモラルの向上に、大人自らが率先垂範して、早急に取り組まなければならないと考えます。

そのうえで、子どもの持つ力、成長する力を信じ、子ども同士で体験し、多様性を学び、お互いを大切にすることを学ぶ機会を保障していくことが、我々大人社会の課題であると言えることです。

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2016年6月28日 (火)

初夏風景

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風鈴の 気になり始める 暑さかな

紫陽花は 霧雨ごときも 重くして

あけぼのに 露ひと筋の 茄子の花

電線で 爽やかに着る 燕尾服

片倉城 水無月あかり 松の影

月日の経つのは早いものです。もう6月もあと三日で終りで、毎日を大事にしていきたいものです。きのう見つけた…ひよどりの巣ですが、何羽かの命が無事に飛び立つて欲しいものです。

万葉集の山上億良の短歌を思い出しました。

「世の中を 憂しと恥しと 思えども 飛び立ちかねつ 鳥にしあらねば」山上億良

世の中をいやなところ、身が細るように耐えがたいような、ところと思っても、捨ててどこかに飛び去ることも出来ません。私たちは所詮鳥ではないのですから…

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2016年6月27日 (月)

若木の桜の枝にひよどりの巣

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私たちの「町の広場」の桜の木の枝に…ひよどりの巣が…

「片倉時田まちの広場」の西に階段(市道)があり、桜が植えられています、木の高さは3メーター位で若木です。巣は葉でちょっと見えない枝で、2メーター位で手が届くところに…静かに親鳥が卵を温めていたのです。

直ぐ近くにスーパーがあり人通りの多い場所で、ひよどりの巣があるなんて驚きです。山が宅地造成され、緑の野山が少なくなって、広場や公園まで、巣作りするようになってきたのでしょうか…考えてしまいました。

そっと見守り、無事に巣立ちが出来る事を願いたいです。そして、自然との共生の大事さを痛感しました。

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2016年6月26日 (日)

ピンピンころり…

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死ぬときは、ピンピンころりと…

人生の終末の理想は、生きているうちは元気に暮らし、寿命の尽きたときに患うことなく「ころり」と死にたいという願いたいものです。老後の資金は、そこそこあっても、身体的・精神的に不安は増してきているのが現状ではないでしょうか…

老老介護・介護疲れ…から、悲惨な虐待・痛ましい殺人の事件のニュースは、耳慣れてしまうほどです。明日はわが身と不安は募るばかりです。政治の関わり方・一般市民の考え方など奥が深く、放って置けない、介護に関わる問題は深刻です。

誰でも通る道です。

人の最後は、多くの人に煩わす「介護」を受けずにはいられなくなります。むかしは二世代家族は普通で、嫁が年寄りの面倒を看るのが当たり前でしたが、現在は核家族化が進んで、子ども達は離れて暮すことが普通になってきています。また晩婚化・結婚しない・出来ない人も増えているようです。

結果は老老介護・結婚しない子ども達が仕事を辞めて、親の介護をするというケースが増えています。そのことで、事件・事故が起きると思うのです。隣近所で、見回りと言ってもプライバシーの問題もあり、見て見ぬをするしかない?

介護施設でも、施設が足りない・施設で働く人の待遇改善は、政治が考えなければならない問題と思います。みんな通る道です。老後の生活は、安心・安全に送れる世の中になって欲しいものです。

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2016年6月25日 (土)

人生の目的とは

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人生の本当の目的は、自分に正直に生きることです。そして、自分とはいったい誰なのかを知ることが、納得できる人生…つまり「幸せな人生」を歩むことができると思います。

「人生の目的とは、生まれてきた目的を果たすことにある」

アメリカのベストセラー作家のジャック・キャンフィールド氏は言います。

私達は皆、それぞれ独自の人生の目的を持って生まれてきている。私達は皆、理由があってここに存在し、それぞれは周りに貢献をするためにここにいる。あなたが、人生の目的に沿って生きている時、あなたの行動の全てに最高の喜びと達成感を感じることができるだろう。」

人は誰でも悩みを持っています

人はそれぞれ悩みや、不安な気持ちを持っています。人が精神的に強く前向きに生きるためには、多くの人の悩みを聴くことです。話し合うことです。聴いてあげて、よいアドバイスは出来なくても、相手は、少しは心が落ち着き、また前向きになったら、私自身も幸せに思えるのです。

私は、人のために尽くすことで幸せだと思います。それは「自分のため」でもあるのです、相手に対して、見返りを求めません。相手から感謝されたり、喜ばれると、更に幸せは、倍増します。

ボランティア=自分のため
         
ボランティアは、人のため=良い事と考える人が多いと思います。ボランティアに初めて参加する人は、「人のためになる」ので一度はやってみようかと思い参加します。

そこで感謝されたり、笑顔が返って来ると思います。「良かった!」…次からは、笑顔や感謝の心が忘れられずに「自分のため」に参加することでしょう。

アルバート・アインシュタインの名言で…「他人のために尽くす人生こそ、価値ある人生だ」ということです。      

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2016年6月24日 (金)

きれいなまちで暮したい

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きれいな町に住みたい ! 人は誰でも、きれいで快適な町で暮したいと思っています。 そうです…一人ひとりの心がけで、実現できるのです。また、かけがいののない自然は、人によって破壊されてしまいます。

自然は、人間生活にとって、広い意味での自然環境を形成し、生命をはぐくむ母胎であり、限りない恩恵を与えるものです。

私たちの社会生活における自然の役割を思うとき、なによりも私たちがその価値を高く評価し、保護保全の精神を私たちの身につけることこそが、あらゆる対策の第一歩であるというべきです。

私たちの、ちょっとした、日ごろの行動で大きく変るものです。つまり、自然環境にいつも認識を深めることこそ、私たちの生活環境が改善され、素敵な暮らしが出来るのです。

人間活動は、日光、大気、水、土、生物などによって構成される微妙な系を乱さないことを基本条件で、自然環境保全が、何より大事なことです。

ところが、一例ですが、昨今の熊本地震後の大雨の災害などでも、自然環境の破壊された影響からさらに被害が大きくなったことは否めません。この状況は、我国全土に及んででおり、その規模において、多様性において、深刻な問題を提起しています。

一方、私たちの生活形態は、便利さを追求するあまり、自然環境をないがしろにしていまい…その傾向に気がつかない?認識不足の人間がいます。具体的には、利己的な考えと自然環境に対する大切さ…いわゆる認識不足の人がいるのです。ゴミのポイ捨ては一向に減っていません。

科学の発展と自然環境の保守で、人は快適な暮らしが続けられる、そのバランスを保つことが、将来に引き継がれていかねばならないことだと思います。

すなわち、資源のもつ有限性に留意し、大量生産、大量消費、大量廃棄という型の経済活動に厳しい反省を加え、公害の未然防止に努めるとともに、経済的効率優先の陰で見落とされがちであった非貨幣的価値を適正に評価し、尊重していくことが求められていると思います。

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2016年6月23日 (木)

シニア世代の不安

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シニアの不安とは、「お金」・「健康」・「家族」つまり“3K”です。

過去の調査など見ますと…「生活のための収入こと」・「自分や配偶者の健康や病気こと」・「子や孫の将来のこと」だそうで、私もその通りと思います。

核家族化で、「孤独」に自らの将来を不安に感じる高齢者は年々増えていると思います。その背景としては、景気の悪化傾向なども原因の一つとして考えられます。しかし、これから高齢化社会を迎える今、私たちに課せられた課題は、高齢者が安心して暮らせるための社会づくりであることは言うまでもありません。

また家族の在り方が変化してきた今、独居老人の増加が考えられます。一人で孤独を抱え、一人で最後のときを迎えるようなことは決してあってはいけない、そのためにも家族の在り方をもう一度見直すとともに、社会全体で、高齢者のみなさんを見守り支えるシステム(体制作り)が求められると思います。

高齢者の皆さんが不安を抱えることなく、穏やかに過ごすことのできる社会づくりが大事なテーマとなってきたと思います。

―高齢者の生きがいとは?

「生きる喜びや満足感」・「生活の活力やはりあい」

男性は…「他人や社会の役に立つ」ことを考えもありますが、女性は…心の安らぎや気生きがいは、孫の成長を楽しみ、自然に親しみ、仲間と趣味を共有して静かに暮らすことでしょう。

―レジャーの社会化

レジャーという言葉は、ただの気晴らし、生活と切り離したところでの遊びのイメージが強いですが、これからの高齢者は働く、学ぶ、遊ぶのすべての分野に「社会性」を求められます。

労働を単なる生活の手段としてとらえず、社会的価値を求め、遊びも社会に向かって自己実現できるものを求める手段となると思います。

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2016年6月22日 (水)

自然環境に認識を深めよう

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当たり前のように、タバコの吸い殻を路上に捨てる…空き缶・ペットボトル・食べ物の容器まで、当然のごとく、空き地や、川に捨てて行く…歩きながら…車の運転しながら…の行為です。今の世の中、そんなに忙しいのでしょうか…

自然環境は破壊されてしまい、取り返しのつかない結果が待っている…自分も犠牲になることになることも知らない?認識がない?恐ろしいことです。

私たちは、豊かで便利な生活を追い求めて、その便利さや豊かさを当たり前のように感じ享受しています。

その結果、当たり前になっている消費生活が生活排水による水質汚濁や近隣騒音問題、ゴミ処理問題などの都市・生活型公害や自然環境の破壊を引き起こしています。

さらに、活発な生産活動や豊かな消費生活は、地球上の多くの貴重な資源やエネルギーを消費し、地球温暖化やオゾン層の破壊、野生生物の絶滅、砂漠化、熱帯林の減少などの複雑・多様化した地球環境問題を招いています。

こうした問題の多くは私たちの日常生活そのものに根ざしており、解決のためには私たち一人一人が、問題認識を持つことです。

具体的には…

① 人間と環境の関わりについての理解をし認識をする。

② 豊かな自然や快適な環境の価値についての認識を高める。

③ 環境に配慮した生活や責任ある行動をとる。

④ 環境問題を引き起こしている社会経済の背景や仕組みを知る。

⑤ 社会経済の構造を環境に配慮したものへと変えていく努力をする。

そのためにはまず、環境に対する豊かな感受性や見識を持つ「人づくり」が環境問題解決の確実な方法といえるでしょう。その方法として「環境教育・環境学習」がクローズアップされ、重要性・必要性がますます高まっているのです。

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2016年6月21日 (火)

家族のコミュニケーション不足

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教育学者の森信三先生のしつけの基本「あいさつ・返事・後片付け」…(7/19に書きました)があります。

一昨日の夕方に近くの公園で、子ども達が遊んでいたので、「君たち飲み物のペットボトル・ジュースの空き缶など、散らかっているがちゃんと家に持ち帰ってね」と言ったら「ハイ分りました」…と返事があったのでした。

しかし、翌日に(20日)は、ジュースの空き缶・ペットボトルは見事散乱していました。片付けたのですが…どこの公園でもそうらしいです。

家族とのコミュニケーション不足

公衆道徳の大事さからさと、家庭での“しつけ”の大切さを通感心しました。最近の家庭の事情(核家族化)からか、子どもの教育が昔と違ってきていると思います。学校で専門知識は学んでも、社会で生きる…いわゆる人間教育が不十分であると思うのです。

つまり、思いやり、気遣い、優しさがない…利己的な考えの子ども達が多くなっているように思えるのです。学校から誰もいない家に帰っても、話す相手がいない…用意されたおやつを持って公園に行き、友達と遊ぶことで、その日の学校での出来事など話すチャンスがない?家族揃って食事なのどなされていないのではと思うのです。

今一部の大人で、利己主義・自己中心の人がいます。将来この類の人が増えることに心配です。人のために尽くす・ボランティアなど精神を持ち合わすことで、世の中平和が保てるのです。私は公園で遊ぶ子ども達から思ったのです。

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2016年6月20日 (月)

強い信念を持つこと

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誰でも、希望や夢を持って生きています。しかし、何かの衝撃的な物象が起きますと、今まで持っていた希望や夢が失いそうになり、不安さえ覚えるようになり、挫折してしまうことになります。

強い信念を持ていれば、どんな難題をも乗り切れるのです。信念がなければ何をやっても長続きしない…そもそも行動を起こすことすらできません。

信念とは…何かを成し遂げるには絶対に欠かすことのできない思考で、「正しいと信じる自分の考え」です。

最近思うのですが、「自分はこうなりたいんだ!」「こういう人間をめざすんだ!」こういった強い思いを持っている人が少ない、特に今の20代よりも若い世代は信念がない人が多いように思えます。

信念があるからこそ、嫌でもめんどくさくても行動が出来るのです。「楽なことをやっていれば成功する!」って言う人もいるけど、そんな成功者はごくわずかです。

オリンピック選手や一流経営者の話を聞いていても、みんな「楽しいことだけじゃない」と言っています。つまり、どんなに苦しくても、自分の願望実現のために行動する…自分の信念に従って行動し続ける…これができればたいていの人は成功するはずです。

どうやって信念を持ち続けるかですが、多くの人は信念がないから行動できないので、ここを改善することができれば確実に成功へと近づくわけです。

未来を見据える…今日斬新であっても明日は過去となってしまう。研究だけをやっていても未来は拓けない、それをどうやって世の中に役立てるのかを考えることです。

努力を忘れないことです。人間が日々積み重ねる努力が、成功の基です。そして、失敗を恐れないことで挑戦することです。新しいことをやれば、必ずしくじるものです。腹が立つ…だから、我慢強く、何度も何度もやってみることです。

 

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2016年6月19日 (日)

あいさつ・返事・後片付けのこと

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遊んだ後の片づけが出来ない子どもが多い。家庭の“しつけ”が問題があるような気がしてならないのです。

最近、公園や広場の掃除をしていて、ジュースの空き缶・ペットボトル・空き瓶が落ちていることです。空き缶は、潰されています。ペットボトルは砂が入っています。ビンは割られています。

親からもらって、お菓子や、飲み物を家から持ってくるのでしょう。まったく家に持ち帰ることはしないのです。どうしてだろうと思うのです。

公園にダストボックスは置いてありません。なぜなら管理する人間がいないからです。

ある公園でダストボックスがゴミで溢れている光景を見ることがありますが、見るに耐えかねる状態で、公園管理をしている自冶体の自冶能力が疑われても仕方がないと思いいます。

「公園デビュー」

公園や広場などの公共の場で遊ぶことは社会人になる段階の子供のとっては、大変大事なことです。身体を動かす…体力増進はもちろんです。その上、協調性・道徳・モラルなどの育成、植物などの自然を大事にすることなどで、人間育成の場でもあるのです。

社会に飛び立つ予行訓練ので、次ぎのステップに飛躍する場でもあるのです。大勢の子供たちどうしで遊ぶことはとても大事なことです。

しかし、自分で持ってきたものを、片付けられないのは、家庭に“しつけ”に問題があるのではないかと思うのです。三歳ころの幼児期のしつけが出来ていなかったのではないでしょうか?

しっかりあいさつが出来たり、遊んだ後の片づけが出来る・年下の子を面倒みる子供もいます。それぞれの子ども行動を見ていて、家庭の“しつけ”の差を感じさせられます。

「しつけ」3原則というものがあります。

これは、神戸大学名誉教授の森信三先生が提唱されて以来、あらゆる教育現場に広がっていきました。それは簡単にいうと次の3つです。

1.あいさつ
2.返事
3.あとかたづけ

これらを徹底すれば、他のことをあれこれ欲張ってしつけなくても、しっかりした子に育つというのが森信三先生のお考えです。

あいさつで人間関係のコミュニケーション能力が磨かれ、「はい」という返事で素直な心になり、後かたづけで責任感が育っていきます。任されたことを責任感をもって最後までするということは、勉強や仕事をするうえで、大人になっても大切なことです。

この責任感は、子どもが小さいうちから「あと始末・あとかたづけ」の習慣をしつけることによって育てていけます。

できていないときににイライラして叱ってしまいがちですが、むしろ親が手本をみせ、やり方を教え、できているときを見つけてほめてあげた方が効果的です。親がかたづけ上手ですと、後かたづけの美的感覚が子どもにも養われていきます。

美的感覚が磨かれると、その他の後かたづけも親に教えてもらいながら次第にできるようになります。さらに、ほめることです。ほめることで、整理整頓されていた方が他の人のためにもなることがわかってきます。

そして、物を大事にすることを付け加えておきたいのです。このことにより「優しさ」の心が育まれ、人・物に大切にし思いやりのある大人になると思うのです。

 

 

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2016年6月18日 (土)

環境美化について

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一般的に環境美化というと、町中のごみを拾うこと、家の周りを掃除すること、空き地の除草や落書き消し、ビラはがしや清掃、さらにはごみの削減、不法投棄の防止などが思い浮かぶことですが…

環境美化活動は、美しいまちを将来の世代へ引き継ぐための取り組みであり、広い意味では、地球の温暖化防止や自然環境の保護などにもつながる身近で幅広い取り組みで、大変大事なことす。

また、美しい環境を保つことは、一人だけでは難しいものです。一人で清掃や除草などを行ったとしても、周りの人がまたごみを捨てたというのでは意味がありません。

市内の国・都道沿いなどでは、地域外の人によるポイ捨て等によって、地域内での注意だけでは解決できないマナーの悪さも問題になっています。

何よりも大切なのは一人ひとりが関心を持つことです。そして、地域の環境に対して関心を持って行動することが重要です。

一方、高齢者が多い地域では、決められたごみ出しの曜日や時間が守れない…公園や広場で、子どもの環境に対する教育が不十分と思えてなりません。こうした背景を踏まえ、地域で力を合わせて環境美化に取り組む必要があります。

個人のモラル・環境教育・啓発活動

少数ではありますが、自分さえよければいい、市に税金を払っているからいい等、地域の環境美化へ無関心な人もいます。地域でごみ出しのルールが守れない人などへ注意をしていく地道な取り組みです。

土地所有者(都・市・一般事業主など)の環境美化の協力が必要です。また子ども達に環境教育では地域の人の協力が大事でゴミは、持ち返りを指導することです。

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2016年6月17日 (金)

当たり前の日常を見つめ直す

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今日のNHKラジオ深夜便(常磐勝範 壷阪寺住職「当たり前の日常を見つめ直す」)を聞いて…話の中で「天を知る 地を知る 己知る」の言葉は…日ごろの考え・行動はまさにその通りだと思いました。

人の心は、タイトロープの上を歩いているようなもので、フラフラして危うく、ちょっとのことで、くじけたり・転げ落ちたりします。いつも戒めの心を持って人生を送ることだと思います。

「天知る 地知る 己知る」これは、私の大事にしている言葉の一つです。

万引きが出来る環境にあるけど、自分は決してしない。カンニングをやろうと思えば出来るけど、自分はしない。そういう積み重ねが、自分を人間として育てます。

かくいう自分自身はどうかと振り返ってみると、聖人君子ではありません。ごまかしたり、嘘を言ったり、ずるをしたり…そういうことが絶対ないというわけではありません。

でも、自分自身にも語りかけていることは確かです。人が見ていなくても、善行を行った。人が見ていなくても、悪いことをしなかった。そういう自分を認めるときは、密かに自画自賛をしている私です。

逆に「ついつい」という自分を認めたときは、自己嫌悪に陥ります。いずれにしても、「天知る 地知る 己知る」を意識して日々生活するのと、意識に、その場限りで生き抜いていくのとでは、大きな違いがあると思います。

人の陰口を言う。これも、立派な背信行為です。

「天知る 地知る 己知る」と通じるところがあります。「陰口」の定義が問題ではありますが、自分がそういう目にあったときは、人間不信に陥ってしまいます。

「面従腹背」ではありませんが、日頃の顔と蔭の顔との落差を知ったときの人間不信は、(日頃信頼していただけに)ガクッときます。

「壁に耳あり、障子に目あり」は、よくぞ言った言葉です。回り回って伝わった背信行為(言葉)は、相手への不信感を増幅します。そういう意味で、「学校評価」に出てくる「匿名投書」まがいの内容、表現は、まだましなのかも知れません。

いや、これとて「相手が特定できない」のですから、「陰口」と大差ありません。世に言う「誹謗中傷」の類です。

 

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花は語らず

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「花は語らず」…柴山全慶

「花は黙って咲き 黙って散ってゆく

そうして再び枝に帰らない けれども

その一時一処にこの世のすべてを託している

一輪の花の声であり 一枝の花の真である

永遠にほろびぬ生命の喜びが悔いなくそこに輝いている」

花は黙って咲いています。「ここで咲いていますよ」「私を見てください」と自分をアピールしません。そして散るときも、散りたいとも散りたくないとも言いません。ただ黙々と咲き、散ってゆきます。

花は、その時、その場で、その生涯を生き切っているのです。それゆえ花は美しいのでしょう。綺麗に見えるのでしょう。花は何も語りませんが、そこに一輪の花の命の神髄が見えてくるようです。

散りやすい花は、無心に精一杯咲いているからこそ、そこに「真実」を感じるのです。そしてまた、この句は無常観を表し、その無常観こそが、永遠の真実です。

私たちに恵まれた、たった一つの尊いいのち…そのいのちの限りをつくし、いたわりあう心…己をふりかえる心…美しいものに感動する心…出会いに感謝する心…を大切にしたいものです。

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2016年6月16日 (木)

目に見えないものの大切さ

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科学がどんどん発達してくると、色々な物が科学によって証明されてきます。

新元素113番を理化学研究所チーム発見の命名権獲得したニュースがありました。素晴らしいことで、日本の子ども達に夢を与える出来事です。

しかし現代社会は、科学によって証明される物しか認めずに、目に見える物しか信じられなくなる。そのような環境ができてくるのではないかと思います。

私は、街で会う子ども達に、あいさつするよう心がけています。現在の多くの子ども達は、挨拶をしても挨拶しても返事がない子どもがいます。「おはよう」と言っても無言で通りすぎてしまう子がいるのです。

目に見えるものや、自分が確認できるものだけを追及していくと、目に見えないものや確認のできない物は重要視されなくなってきます。思いやり、優しさ、気配り、言葉や挨拶、神とか仏、霊など、目に見えない物は大切に考えられなくなり、理解もできなくなってしまうのです。

人の心の“ふれあい”がうっとうしい?

近年、人と人とのふれあい、あいさつや言葉づかいが重要視されなくなってきているように思えるのです。「挨拶はしなくていいんだ」「めんどくさいなぁ」という考えがおきてきます。

ですから、子ども達からどんどん言葉が少なくなって、簡略された新しい言葉が若者同士の中で作られ、私たちには全然何を意味しているのかさえ分からなくなってしまうのです。

物事すべてが科学で、証明されるわけでもなく、目に見える物しか存在が認められないというわけでもありません。本当は目に見えない物の中にこそ大切な物がいっぱいあるのではないかと思います。

目に見えないものの大切さ

目に見える物、科学で証明される物だけを信じていたら、信じられるものの範囲がとても狭められてしまいます。狭められた範囲の中から最終的に自分が信じられるものとなると、自分自身しか信じられなくなってしまいます。

自分自身しか信じられない人は、自分が自信をなくしてしまうと、もろくなってしまう、すぐに崩れてしまう、挫折をしてしまう、立ち直りができなくなってしまうのです。

苦境に立ったとき、人の思いやり、優しさ、励ましの言葉など、色々な形で我々は元気付けられ、又やり直そうという気持ちになってきます。しかし、今の若い人達には、人の心を受け入れられない状態になってしまっているのではないでしょうか。

自分を中心としてしか考えられない結果が、色々な凶悪犯罪を引き起こすきっかけになっていると思うのです。人の心が変われば世の中も変わるのです。世の中が荒れてくると、見えない物の大切さを教えていくことが、これからの教育に大切なことではないかと思います。

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2016年6月15日 (水)

本当の幸せ

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今思う「本当の幸せ」とは…

私たち人間は、何を求めて生きているのだろうか?と考えてみました。人は誰でも、健康的・経済的・精神的な暮らしを誰でも望んでいます。

まず第一に求めることは、健康です。その次に、お金に困らない安定だと思います。三、人間関係の円満であることです。四、に心の安らぎの持てる生活です。この四つのことが人間として、誰もが求めることです。

個性を生かす

人には個性があります。得意・不得意な個性を生かせる道を求めることができたとき、人は心からの喜びを感じるのではないでしょうか…

個性を生かせて、一生続けていける仕事であるならばこれに優るものはありません。趣味のことでも、心の奥底から喜べるものに出会えた人は、満足を覚え、感謝の生活を送ることができます。

感謝の心

感謝の心は素直な心を呼び起こします。素直な心とは、我をはらない心です。自分一人の力で生きているのではない、大自然の恵みの中に、大勢の人達の支えの中に、自分は生かされているという謙虚な心です。

謙虚な心

謙虚な心・素直な心・感謝の心からは、人のために何かをしてあげたいと思う奉仕の心が芽生えてきます。自分のためにではなく、他人のために、社会のために、人類のために尽くす奉仕の心は、人間の本来の心が求めるものだと思います。

私欲を捨て、奉仕に生きる喜びが持てたとき、心の奥底から喜べる本当の喜びを得ることができるのです。人は、誰かのために何かをしてあげたいと思う存在なのです。

私は、本来の存在意義を悟り、実践を行うところに、真理の喜びがあり、こころの充実となって、心の安らぎを持った生活ができると思うのです。

奉仕の心

人生の幸、不幸は自分の心が決めることです、幸せになれるよう、私欲の心を捨て、奉仕の心を育むことで、心より幸せ感を味あうことができるのだと思います。

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2016年6月14日 (火)

笑顔で挨拶できる町

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今の世の中、価値観の多様化しています。

他人の心を動かすというのは容易なことではありません。どんなに説得しても、なかなか心を動きません。人の心を動かすには、何度も訴え続けることだと思います。そして、信念を持ち行動の継続することです。

大手の社長であっても、自分から掃除をしたり、お茶汲みをしていると、部下も「社長にそんなことをさせられない」という思いもあるかもしれませんが、「この社長のためなら自分も動こう」という考えが芽生えるものです。

私は、地域社会の環境保全・美化を訴え続けていますが、具体的行動(ゴミ拾い)などの行動するまでする人は少ないです。地域社会で暮らせて貰っているという謙虚な心を忘れないようにしています。

人の心を動かすというのは、なかなか難しいことではあります。しかし、相手の気持ちになり、その人のためにどんなことをすれば喜ぶか…どんなことをすれば、動きたくなるかを考えるように心がけています。

人は社会で生きられる

人は誰でも一人では生きられません。人の社会の中でで生きられるのです。人の社会で生きるには「責任と義務」があります。思うがごとく…自己中心…では社会人として生きられません。

ルール・マナーがあるのは当然です。違反すれば罰則があります。これまた当然です。ルール・マナー守って生き生きとみんなで楽しくいきたいものです。

「笑顔で挨拶運動」

子ども…お年よりにも、思いやり、温もりあり、安心して暮せ、誰もが、笑顔で挨拶できる町になるようにしたいものです。

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2016年6月13日 (月)

かけがいない地球を大切に

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昨年まで散々台風に悩まされ、2015年12月まで19ヶ月連続で発生していましたが、今年に入っては何故か一つも発生していません。このような現象が起こる原因は、エルニーニョ現象がおさまった事だそうです。

台風発生年間平均25回

実際に過去にもこのような現象が発生した事があり、1983年…23回・1998年…16回・2003年…21回・2010年…14回で少ないです。

雨が降らないで水不足が深刻

雨が降らないためにダムに水が溜まらず、水不足が深刻化してきます。ニュースで、東京の水がめ既に梅雨入りしている関東ですが、まとまった雨は降らず…首都圏のダム(矢木沢ダム、奈良俣ダム、藤原ダム、相俣ダム、薗原ダム、下久保ダム、草木ダム、渡良瀬貯水池)貯水率が平年の約半分になっています。

今起きている地球の異常気象

1,ブラジルマイナス20℃寒波

2,ドイツで記録的な大洪水

3,中国の海南市で超巨大な竜巻10数名死傷

4,ロシア北部の6月の初夏は「激しい吹雪と氷点下2℃の気温」

5,熱帯のジンバブエで、観測史上初めて雪が降る

6,  熱波の続くインドで51℃を記録 …など、テレビのニュースで知りました。

地球環境を守ろう

人間の仕業で地球の環境も 大きく変ってきています。 少しでも地球に優しく、思いやりのある、行動を一人ひとりが持たなければいけないのです。「環境を守り、後世に引き継ぐ…」という意識を持つことを改めて痛感します。

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2016年6月12日 (日)

美しく輝いて生きる

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生きていることは…動いていることです。

「動くのだ…停滞してはならぬ…川や海が生きているのは、いつも動いているからだ。うごいているからうつくしいのだ」(坂村真民一日一言より)

生きるとは、心と身体を動かすということです。恋愛でも家族でも何でもよい、何か目的をもって誰かのために、生きている人は、いつも心と身体が動いているから、いきいき輝いていて、美しい。

生きる目標もなく流されてしまうと、心と身体が受け身になり、動きにくくなる。よわよわしく、よどんでくる。一度きりの人生なのだから、いつまでも、うつくしく輝いていたいものです。

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 「井の中の蛙、大海を知らず」「されど天の深さを知る」

「井戸の中にいる蛙は、井戸の外にある広い世界のことを知らない」という意味で中国の思想家の「荘子」に言葉です。そしてその後に、「されど天の深さを知る」は、日本人がつけたもだと言われています。

大海は知らなくても、自分の持ち場で一所懸命に努力し、その一隅を照らせるようになれば、すべてに通ずる真理に達することができるという意味です。

そんな天の深さを知る、りっぱな蛙になってから大海を知れば、恐れることも無く、悠々と広い世界を見渡すことができることでしょう。

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2016年6月11日 (土)

郷土愛について

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私は、生まれも育ちも、そして今住んでいるところも同じ、東京都八王子市です。私には、想い出の沢山詰まった懐かしい故郷でもあるのです。

生まれ育ったところには、格別の想いがあります。確かに、故郷を快く思う者ばかりとはかぎりません。嫌な想い出、思い出したくないことが多い人も沢山います。しかし、それでも、故郷は大切です。

故郷とは、心安らぐ場所です。回帰する場所です。懐かしい場所です。だから必ずしも生まれ育った場所を指しているとはかぎりません。ただ、自分にとって原点となる場所です。自己を形成した場所でもあるのです。

郷土、それは、自分が生まれ育った場所と今現に住んでいる場所、自分の生活の基盤がある場所であるのです。郷土愛というのは、最も生々しい感情です。複雑な感情です。それは、親子兄弟、夫婦間の存在するような利害と直接結びついた感情です。だからこそ、大切なのです。

ちょっと前の時代では、私たちの生活は、もっとシンプル、単純で素朴でした。生活に必要なものを自分達の手で作り、助け合って暮らしてきました。誰の助けもいらぬと言う社会は、社会としての本質的機能、相互互助の精神を失ってしまう。そうなってしまったら社会など不必要なのです。

人と人との関わり合いの中で、社会は形成され、また必要とされます。人と人との関わりそのものを否定し、喪失したら、社会なんて無意味なものです。何が、自分達に必要なのか…何を、依って立つべきなのか…以前の人々は、もっと単純明快に理解していました。助け合って生きてきたのです。

重要なのは、単純明快さです。今の時代は、複雑怪奇になりすぎて、自分達が依って立つ基盤をも見失いつつあるようです。中央集権化されすぎたために、自分達にとって大切な意思決定が自分達からかけ離れたところで行われるようになってしまったのです。

政治や経済というのは、本来、自分達の身近な生活の延長線上で捉えるべき事柄なのです。子供達の教育も生活に必要な事も、根本は、自分達の郷土をどの様な社会にするのかと言う構想です。だからこそ、環境も大切にすることができるのです。

大切なのは郷土愛です。その上にたって、その土地に生きていく人達、地元で決めていくべき事なのです。つまり、日常生活の一環なのです。それがなければいかに土地が荒廃しても開発を優先するでしょう。

経済は栄えても、土地は荒廃していく…現代社会は、そのころの生活に比べて複雑になっています。私たちの子供の頃と比べても格段に違います。

今は、誰も他人のことを思い遣らなくなりました。そして、思いやるゆとりさえなくしてしまったのです。そして、他人と関わり合うのさえ厭になってしまったのです。親は子の世話をしなくなり、子は親の面倒を見なくなり、それで足りなくなったところを教育制度や介護制度、福祉制度に求めるようになってきています。

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2016年6月10日 (金)

加齢ということ

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先だって、ちょっとしたところで転んでしまい痛いおもいをしました。岸信介の「転ぶな・風邪ひくな・義理を欠け」を思い出す…私はもう一つ「怒るな」を付け加えて、自分を戒めるようにしています。

他に80歳近くになり、年を重ねることで初めての経験で「加齢」ということは、こういうことなのかと、実体験しています。「誰でも通る道」と思い…この先如何に上手に暮らしてゆけばいいのか焦りさえ覚えます。

加齢ということ

体力も気力も衰え…何をするにも持続力がなる…疲労の回復力も低下…体力が落ちるとちょっとしたことで足腰に疲れがきて、筋肉痛になったり、歩行さえも困難になります。動作がとろくなりつまずいたり、転んだりします。

歯が抜けてかたいものが食べられなくなり、耳が聞こえにくくなり、視力も衰えてきます。物忘れがひどくなり、思考回路も衰え判断能力が弱くなるのです。これまでにできたことが、できなくなり、何をするにもついおっくうになってしまいます。

病にかかりやすくなり、快復力も衰え精神的に気弱になる…そして、やがて自分で何ごともできなくなり、他の人の力を借りなければ、生活できなくなるということです。

超高齢化時代になり、先輩たちが経験したことのない長寿の時代をどのように生きるか、今、このことが課題です。老いにともない悩みや心配ごとが増えるにつれて、わがままな年寄り根性が強くなるけれど、老いることで悪いことばかりではないはずです。

年の功で、人生経験が豊かになり多様な判断能力が身について、なにごとにも偏らずに多角的に理解しようとします。相手の気持ちも受け入れようとする寛容な気持ちの余裕もできて、自己本位の思いをおさえて、相手の立場に立って理解できる…

また、人をおしのけて進むことよりも協調性を重んじたり、対決軸を持とうとしなくなります。このような「老人力」をどのように社会的子孫繁栄のために発揮するのか、これが長寿の課題です。

人も、そして、生きとし生きるものも、どうしてこの世に生まれてきたのか、そして生きている意味とはいったい何なのか…それは、それぞれの生き物が子々孫々に繁栄していくということに意味があるのでしょうか…

いずれの生き物も、それぞれの命が受け継がれてきたから、その命を子々孫々に繁栄させるということが、生まれてきたこと、生きることの意味だといえそうです。その能力に陰りが見えてくると、死滅に向かうことになるのでしょう。すなはち老化がすすみ、やがて死んでいくのです。

それでは、体力的にも精神的にも若々しく保てれば、老化の進行を遅くできるでしょうか…老化の速度を遅くすることで長生きできるかもしれませんが、いつまでも若くありたいと願う気持ちがあっても、長生きの条件がそろわなければ、老化の進行をゆっくりとしたものにできないでしょう。

人間という生き物は他の生き物とちがって社会的生き物であるから、社会的にも子孫繁栄に貢献できるということが長生きの条件に付加されます。

だから、社会的子孫繁栄のための貢献能力とは、年齢にかかわらず、その人の存在が世の中にとって必要であるか否かということでしょう。

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2016年6月 9日 (木)

リーダーとリーダーシップの違い

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リーダーシップとして最も大事なことは「言行一致」させることです。言っていることとやっていることが違うと、信頼はなくなるのは当然で、リーダーシップの資質が疑われていまいます。

もちろん、それだけがリーダーシップの資質ではないですが、信頼されるためには、信頼するためには、言行一致はやはりとても大事であるようです。

リーダーとリーダーシップの違い

「リーダー」と「リーダーシップ」という言葉は良く聞く言葉ですが、どちらも同じような言葉だが、内容は全く異なります。

リーダーとは…指導者、先駆者、先達、首領という意味があります。要するに、特定の地位に立っている者のことを言いいます。

リーダーシップとは…指導権、指導者としての能力、資質、統率力。つまり、集団の状況に影響を与えるものです。集団の目標や仕事に対して、その集団に影響を与える働きがあると言えます。

このように2つの言葉は異なります。リーダーの資質に当てはまるのは、リーダーシップであります。リーダーシップは地位に関係なく、誰にでも取ることができるのです。

責任を持って仕事をする、物事を継続する力がある…さまざまな経験を生かすことができる…知識に優れている…仕事が機敏である…独自性を持っている…など地位に関係なく、力を発揮できるのがリーダーシップです。

リーダーシップを持っていくことで、集団に与える影響、組織の成長、個の成長に与える影響は大きいと言えるでしょう。

今話題になっている東京都知事の問題なども、リーダーシップが執れる人が1350万人の都民トップリーダーと言える人と思います。

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2016年6月 8日 (水)

愚かな知恵者より利口馬鹿になれ

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ウィリアム・シェイクスピアが言った。

「愚かな知恵者になるよりも、利口な馬鹿になりなさい。」

知恵を持ち、しゃべることに酔いしれる人間がいる。

これらの人間は何も成し遂げることができない。

誰もついていきたいと思わないからだ。

「なるなら利口な馬鹿になろう。」

いろいろな情報を持っているにもかかわらず、馬鹿のふりをするのだ。

相手はあなたのことを面白おかしく思ってくれるだろう。

そして協力してくれるだろう。

その方が人生は得である。

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ふるさとを守り後世に引き継ごう

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戦後すざましい開発により山は削られ、川は自然の姿から直線化し、宅地化されてきた歴史があります。むかしは里山があり、自然豊な町でした。私たちの町も、田んぼがあり、片倉城跡公園があり、ホタルやカエルやドジョウやフナが沢山いました。

今は残念ですが姿見ることは出来ません。それでも、八王子市や市民の協力で、環境改善に力を入れ、少しずつですが取り戻し、最近はカエルの鳴き声聞けるようになりました。

私たちの町にも、必死で自然を守ろう、私たちのふるさとを守ろうと…私たちの先輩がいたのです。地域の子ども達のために、汗水流して一生懸命で作った…「時田公園」や「片倉まちの広場」があります。

今ではお年よりは、広場でゲイトボール・グランドゴルフなどで毎日利用しています。そして毎年恒例となっている盆踊り大会や、どんど焼きなどに使われています。公園は、毎日元気に子ども達がで遊んでいます。

きれいな広場や公園を守るのは、私たち片倉町一丁目町会の役目です。いつも公園や広場はきれいに使いましょう。公園や広場は、私たちみんなが使うところです。

最近気になることは子ども達が、公園で遊んで缶ジュース飲んり、お菓子を食べたりして…それらが散乱している光景が見られることです。「後の人のために心配り」をして欲しいのです。そして、タバコの吸い殻が多いです…絶対に止めて欲しいものです。

「ゴミは持ち帰りです!」クズ篭は設置しません。

みんなで遊ぶこと…遊びにもルールがあるよう公園や広場にも使うルールがあります。空き缶・空き瓶・お菓子の空き袋が捨てられています。

ゴミは「持ち帰り」です。後の人が気持ちよく使うように、気配りをして欲しいのです。このことが大人になっても「人に自然に優しい」教育の場でもあると思うのです。

私は、広場や公園で捨ててあるゴミを毎日片付けています。その場に子ども達がいれば「そのゴミ拾って…」と言って拾わせます。それが地域の大人の教育だと思っています。

子どもを持つお母さん達にお願い

子どもに、缶ジュースおやつも持たせて遊びに出かけるときには「持ち帰るのですよ!」と言って欲しいのです。そして、子ども達が遊ぶ公園や広場に行って、子どもたちが帰ったあとを見にいき確認して欲しいのです。

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2016年6月 7日 (火)

政治は信頼から

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正直驚いた、舛添東京都都知事の記者会見です。

道義的責任(人としての正しい道を守るべき責任)を果たせない、指導者では信頼が出来ません。言動がともわない…都民を裏切った背信行為は明らかです。今後、出直し選挙を行って、信を問うべきです。

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2016年6月 6日 (月)

素直に日々実践し身につけたいこと

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「素直な心、常に謙虚な心を持つ」

素直な心とは、自分自身の至らなさを認め反省でき、そこから努力するという謙虚な姿勢のことです。本当に素直な心になれば、自由自在に見方・考え方を変え、対処できる心を持つことができるのです。

我の強い人は、自分の立ち位置や役割を忘れ主張したり、人の意見を聞かず、たとえ聞いても反発することがあります。しかし、本当に進化する人は、素直な心をもって人の意見をよく聞き、常に反省し、自分自身を見つめることのできる人です。

そうした素直な心でいると、その人の周囲にはやはり同じような心根をもった人が集まってきて、物事がうまく進んでいきます。

近年、物が豊富になるにつれて、自己中心的な価値観を持ち、自己主張の強い人が増えてきたと言われます。しかし、この考え方ではエゴとエゴの争いが生じ、到底「いい地域社会」になれませんし、チームワークを必要とする行事などできるはずはありません。

「自分はできる」「自分が正しい」「非はない」と傲慢不遜(いい気になって、人を見下したり他人を敬うことがない)になり、周囲の人たちの協力が得られないばかりか離れていき、自分自身の成長の妨げにもなります。

儒教においては、人として常に心がけるべき5つの道を「五常の徳」というそうです。

そうなると、「五常の徳」の実践とは、素直な心によって「仁義礼智信」を実践しながら日常を生活しなさい、という意味になります。

仁------人を思いやるに素直になれ
義------正義を貫くに素直になれ
礼------礼を尽くすに素直になれ
智------智を磨くに素直になれ
信------人を信じるに素直になれ

「つべこべ言わず素直に日々実践して身につけよう!!」といったところでしょうか…

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2016年6月 5日 (日)

梅雨入りで思う

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梅雨入りや 早苗の上を ツバメ飛ぶ

気象庁は4日、九州、四国、中国、近畿、東海地方が梅雨入りしたとみられると発表しました。早苗とは… 苗代から田へ植えかえるころの稲の苗のことです。

東京地方は、梅雨入りはまだですが、朝から雨が降っています。発表もう間近のことでしょう。(今日梅雨に入ったと気象庁)

梅雨というと、田植えを思いだします。雨の中、箕の傘を被り、苗とりをした、母親の姿が、今も目に浮かぶのです。農家の最大イベント「田植え」で、子供も含め一家総出での行事でした。

牛も田んぼに連れられて、田起こしです。子供の私は牛の鼻どり…10時のお茶…そして、3時の“おこじゅう”が楽しみでした。苗を植えたばかりの田んぼに、つばめが飛び交う…懐かしく思いだされます。

 作詞者 井上 赳  作曲者 中山晋平

そろた 出そろた  早苗(さなえ)が そろた
植えよう 植えましょ  み国のために
米は宝(たから)だ  宝(たから)の草を
植えりゃ  黄金(こがね)の花が咲く

そろた 出そろた  植え手も そろた
植えよう 植えましょ  み国のために
ことしゃ豊(ほう)年  穂(ほ)に穂が咲いて
みちの小草(こぐさ)も  米がなる

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2016年6月 4日 (土)

六月の句

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6月に入り、我が家の小庭に溢れんばかり、紫陽花の花が咲きだしました。梅雨の予報はまだ出ていませんが、もうそろそろでしょう。しかし、昨日は風が強く、乾燥注意報が…ちょっと身体がついて行けない感じです。

鎌倉の名月院に、紫陽花寺として有名です。今年も見事に咲いていることでしょう。

紫陽花は 濡れて色づき 楚々となる

紫陽花の 紫と白 雨の朝

音もなく 白紫陽花の 露一つ

鐘一つ 紫陽花寺は 暮れて行く

古寺の あじさいの花 凛として

静けさや 額あじさいは 朝日浴び

散歩しながら…

大空に 両手を広げ 他になし

夏草は 燃えるがごとき 激しけり

富士の山 空の青さに 夏の雲

山寺や 小鳥の勤行 夏の朝

霧深し 不如帰鳴く 初夏の朝

石積みの 苔ひたたりし 城の跡

草燃えて 片倉城や 夢誘う

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2016年6月 3日 (金)

参院選の日程が正式に決る

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参院選の日程が正式に決まった。今月22日に公示され、来月10日に投票日を迎えることに…これからの国政選挙には18・19歳から新たな有権者として参加できます。新たな有権者は240万人と言われています。

消費税のこと

消費増税の8%→10%引き上げを2019年(平成31年)10月まで2年半再延期することで、社会保障費の財源確保や、財政健全化目標の達成への影響が懸念されます。

消費税10%ですと、今よりも年間5.6兆円程度税収が増えると見込んでいます。

この使いみちはすでに決められており、このうちのおよそ3分の2は高齢化によって膨らみ続け、赤字国債で補っている医療や年金などの社会保障費の財源に充て、残りの3分の1は社会保障の充実などに充てることになっています。

このため、引き上げの再延期で、社会保障費の財源不足が続くことになるほか、所得の低い高齢者や障害者に対する年額6万円の福祉的給付や、基礎年金の受給資格が得られる期間を25年から10年に短縮するなどの社会保障の充実策の財源確保が難しくなります。

また政府は、一億総活躍社会の実現に向けた工程表「ニッポン一億総活躍プラン」に盛り込む保育士や介護職員の処遇改善に必要な財源には、「アベノミクスの成果」として税収の増加分や歳出改革の成果などを活用するため、再延期の影響はないとしています。

しかし、これらの新たな施策も、必要な恒久財源をどのように確保するのかは明確になっておらず、今後の調整に委ねられていて、影響が出ることも予想されます。

一方、政府は財政健全化目標として、国と地方を合わせた基礎的財政収支=プライマリーバランスの2020年度(平成32年度)までの黒字化を掲げており、中間目標として、再来年度(平成30年度)には赤字をGDP=国内総生産と比べて1%程度まで縮小するとしています。

これについて、ことし1月の内閣府の試算では、中長期的に実質2%以上、名目3%以上の高い経済成長を達成し、消費税率を予定どおり来年4月に10%に引き上げた場合でも、再来年度は9.2兆円程度、GDPと比べて1.7%程度の赤字となり、2020年度には6.5兆円程度の赤字が生じるとしています。

引き上げ延期によって、目標の達成がこれまで以上に険しくなることから、日本の財政に対する国際市場の信認が低下し、比較的な安全な資産と見られている円や日本国債の急落、ひいては長期金利、マイホームローンなど国民生活に直結する金利の上昇を招くのではないかという懸念も出ています。(NHKデジタルニュース)

他にも大事な争点…

朝日新聞社説・『参院選 論戦スタートへ 語られざる「改憲」を問う』があります。

ただ、政治は今を生きる人たちだけではなく、未来の日本に暮らす人に健全な社会を引き継ぐ責任も担っています。さてどうするか…新しく有権者となる240万人…答えを探す過程に政治参加の意義があるのです。

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2016年6月 2日 (木)

心の豊かさとは

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心の豊かさとは…

「豊かさ」と言うくらいですから、容量・キャパシティのことです。その『心』には色々なものが入ってきます。他人への配慮や思いやり、人の過ちを許す寛大さ、美しいものを見て美しいと感じる感性などなど…

みんな眼に見えないものばかりですから、自分の努力(考え方)でいくらでも拡げることができるのです。

「豊か」とは、もともとは「ゆったり」と同じ語源を持つ言葉です。その人がゆったりした状態にあれば豊かとみなすことができ、「豊かさ」とはきわめて主観的なものだったのです。

しかし、現代人は客観的な言葉として数字に換算したがりますが、だから、訳がわからなくなるんです。月収がいくらだから豊かであるとかではなく、すべて「心」です。

実感として「今日はいい一日だった」とか、「おいしいものを食べた」とか、そういう気持ちを抱くことが豊かさであり、幸せなのではないでしょうか…

許す・感謝することで心が豊かに…

人を憎んでばかりいたり、他人を妬んで悪口ばかり言っているようでは、自分にとってもよくありません。いつしか自分にしっぺ返しを受けるかもしれないというのもありますが、自分の心が穏やかでなくなってしまうからです。

私もニュースをみて政治家や、他人の言動に腹を立ててしまうこともあるのですが、やはりそういった気持ちは心を乱してしまいます。どんなに頼りない政治家であっても、自分にはできない政治をやってくれているわけですから、少しは感謝しなければならないものなのかと思います。

こういった感謝の気持ちは、心を穏やかにし、心に少し余裕を持たせてくれます。また、常に感謝の気持ちを忘れないようにすれば、運を引き寄せることができるかもしれません。

感謝の気持ちを忘れて他人に腹を立ててしまうと、余計に不運が重なるようになります。しかし、感謝の気持ちを持つことで、少しは不運を回避できるようなことがあります。

人には調子の善し悪しがあり、運についても良い時もあれば悪い時もあるものですが、少しでも運の良い状態を保ちたい場合は、他人に感謝することを忘れないようにして、他人に腹を立てたりしないようにすることです。

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2016年6月 1日 (水)

平凡に当たり前に生きていく

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「平凡は非凡なり、当たり前は立派なり」

「平凡で、当たり前に暮しができれば、立派なものだ!」とよく親父に言われたものです。何の特別なことはないのですが、「当たり前のことができるって、すごいことなんだ」と思います。

いま当たり前のことができないで、コミュニケーションがとらない…社会生活を営む人間が互いに意思や感情、思考を伝達し合うことをしないでも生活して行けると…勘違いしている人が多くなっていると思います。

人は一人では生きていけません。特に、年をとれば誰でも、人の手を借りなければ生きられません。赤ちゃんから、幼稚園~小学生~中学生~高校生~大学生~社会人~となり結婚…の当たり前の人生行路ですが、それまでには、親を初め多くの人に助けられて生きてこられたのです。でも、自分の努力があったからです。

人は助け…助けられて生きていけるのです。

いま普通に社会人として生きていけることは当たり前と思うかも知れませんが、とっても立派な事とと思います。今生きていられることに「有り難いこと」と感謝する心を忘れないことです。

人に会ったら挨拶する。感謝の言葉や礼を言う。困った人がいたら手を貸す。お年寄りに席を譲る。道を聞かれたら教えてあげる。歩行喫煙はしない。歩きながら飲食しない。ゴミのポイ捨てはしない。

火星がいま大接近しているそうです。その時の火星と地球の間の距離は7,528万キロメートルです。私たちは、この地球でしか生きていけません。地球は、今生きている人間だけが、勝手気ままに環境破壊する権利はありません。後世に生きていける地球を引き継ぐ義務であるのす。

別に肩肘張らず、平凡に当たり前に生きていきましょう。それが、立派なことなんです。

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