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2016年4月

2016年4月30日 (土)

ゴミをポイ捨てする心理

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人間は、きれいな環境に憧れます。

公園・広場など多くの人が集まります…きれいだからです。きれいな環境で育った子ども達は心が、きれいで、心優しく、思いやりのある人に育つと思います。

私は、子ども達が、社会的良識を持った人間に育ってもらいたいと思っています。子供は、家庭・学校・地域で育てることが大切と思うからです。

きれいで安心できる環境づくりが大事ですが、ゴミ・たばこの吸い殻のポイ捨てが多いいと感じています。困ったことだと…心を痛めている一人です。

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ゴミをポイ捨てする心理

多くの日本人は何もないところにはゴミをポイ捨てしません。良心が働くというのもあります。何もない場所にポイ捨てすることで目立つのが嫌という、心理もポイ捨てをしない十分な理由になります。

目立たなくなれば、平気でポイ捨てできるようになるということでもあります。「皆が捨てているから自分も捨てる」というよくある集団心理で、赤信号を皆で渡れば怖くないのと同じようなものです。

ただ、赤信号を皆で渡るためには必ず、最初の一歩を踏み出す人間が必要です。

最初にポイ捨てする心理

多くの人は綺麗な場所にはポイ捨てしません。しかし、綺麗な場所にも平気でポイ捨てをする人が一定数いるのもまた事実です。このタイプの人はそもそもポイ捨てを悪いことだと思っていないか、全く罪悪感を感じないかのどちらかです。

良識ある人からしたら理解し難いのと同様に、このタイプの人からしたらルールを守ることが理解し難いことなのです。ただ、少なくとも「ゴミを持ち帰りたくない」と思う心理はポイ捨てをする全ての人に一致することです。

心理的には「自己防衛タイプ」が最も多いと思います。

理由として、綺麗な場所でのポイ捨ては目立つので注意されて恥をかくのが嫌と思う心理が働きますが、元々からゴミが散乱してる場所でのポイ捨ては目立たないし、もし注意されても他の人もゴミをポイ捨てしてると言い訳がしやすいからと思います。

しかし、ゴミが散乱してない…綺麗な所ではゴミをポイ捨てする、人は少ない傾向があることも経験でも分かります、自らが快適な環境にいたい気持ちもありますが、ボランティアで、ポイ捨てしたゴミ類を拾い集めてます。

また、如何なる場所でもポイ捨てをしない人は「他人に迷惑を掛けたくない」と思う道徳心を持ってるからで、このようなタイプの人達が最も多くなって欲しいと思います。

2016年4月29日 (金)

春の雨

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春の雨 そっと下りて 草の上 

昨日は朝から、雨となり一日中降っていました。霧雨のようでした。ちょっと近いところに、傘を持たず出かけたのですが、家に帰ってみたら上着がしっとり濡れていました。

「春に三日の晴れ間なし」…の諺がありますが、春の天気は、かなり早い周期で移り変わり気温の変動も激しいものです。

春は冬のような冷たい雨と寒さが続いたと思ったら、一転してシャツ一枚で過ごせるくらいの暑さになるなど極端な天候、急激な気温の変動があります。

こまめに天気予報をチェックし、服装選びと体調管理を心がけることが重要になります。

2016年4月28日 (木)

一人暮らしと日本の将来を考える

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日本の人口=1億2533万3千人…平成28年4月確定値(総務省統計局)

高齢者のいる世帯数「2,242万」→「44.7%」

65歳以上の高齢者のいる世帯は、平成25(2013)年現在、世帯数は2,242万世帯と、全世帯(5,011万)の44.7%を占めています。

親・子・孫の三世代世帯は減少傾向である一方、親と未婚の子のみの世帯、夫婦のみの世帯、単独世帯は増加傾向にあります。

昭和55(1980)年では世帯構造の中で三世代世帯の割合が一番多く、全体の半分程度を占めていましたが、平成25(2013)年では夫婦のみの世帯が一番多く約3割を占めており、単独世帯と合わせると半数を超える状況です。(平成27年版高齢社会白書 内閣府)

一人暮らし 日本の介護…「増え続ける“独居老人”と“未婚”の男女…孤独死の危険性をはらむ、2つの大きな問題…

いわゆる結婚適齢期にある人の中で「結婚している人は約50パーセント弱」というデータが示すように、2人に1人は結婚していないか、離婚した後も再婚していないことがわかっています。

親から独立して一人暮らしをしている人もいますが、その中でも2000年頃から社会問題になっているのが“パラサイト・シングル”と呼ばれる人々です。

“パラサイト・シングル”とは…「学校を卒業後も親と同居し、基礎的な生活条件を親に依存している未婚者」のことです。 かつては20代を指す言葉でしたが、問題が提起された頃から年月が過ぎるに従って、中心層は30代から40代へと移りつつあります。

総務省統計局の公表した統計データによると、“パラサイト・シングル”の人口は2003年には191万人で、33歳から44歳の全人口の約12パーセントでした。しかし、2007年になると262万人で約15パーセント、2012年には305万人で約16パーセントと、その数も、割合も増加の一途を辿っています。

そこには大きな問題があり、「彼らは、同居する親が亡くなった後、社会的に孤立する可能性が高い」と専門家からは厳しい指摘がされています。つまり、超高齢社会を迎えつつある日本では今、「パラサイト・シングルの高齢化」という新たな問題が生まれているのです。

地域社会の暮らしに歪みが…

私の近所でも、結婚しない?結婚できない?…年老いた親と同居し、独立できない?しない?人が沢山います。このままでは、地域社会での“生き方”が問題になってくることは必至です。

少子高齢化の社会構造の変化

一人暮らし人口が増えているという事実…そして、今後も増えていくであろうという予測できます。一人暮らし人口の増大によって、社会の風景がどう変わるのか、社会的インフラ(特に生活や福祉に関すること)がどのように変わらなければならないか…日本の大きな課題になってきています。

きまりを守る、住みよいまち

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都市化や過疎化の進行、地域における人間関係の希薄化、モラルの低下などから、地域社会の教育力は低下していると言われています。

私たちは、今こそこれからの地域社会の在り方を、率直に問い直してみる必要があると思います。

そして、何より大切なことは、地域のアイデンティティーを確立し、地域の人々のだれもが自分の住む地域に誇りと愛着を持ち、その中で、地域の大人たちが手を携えて、子供たちを育てていく環境を醸成することです。

このような視点に立って、私たちは地域全体に[ゆとり]を確保する中で、地域社会が、地域の大人たちが、子供たちの成長を暖かく見守りつつ、時には厳しく鍛える場となる…

また、地域社会が単に人々の地縁的な結びつきによる活動だけでなく、同じ目的や趣味・関心によって結びついた人々の活動が活発に展開され、子供たちをはぐくむ場となることが大事と考えます。

「きまりを守る、住みよいまちに」

いろいろのきまりは、共同生活のための約束であります。個人の約束を守らない人は少いのに、共同のきまりを守れない人の多いのは、わたくしたち市民の恥です。

ひとりひとりの良心と社会連帯の責任を持って、きまりを実行しまち全体の平和と幸福のために協力し合うことです。

私たちは、どんなちいさなきまりでもなげやりにせず、勇気をもってこれを守りひとにめいわくをかけることなく、みんなに不安のない住みよいまちをつくることです。

①きまり正しい生活設計をたてて、家族ぐるみで実行する。

②公衆衛生を守り、道や川へごみを捨てないようにする。

③公共の施設はきまりにしたがって、大切に使う。

2016年4月27日 (水)

広場のゴミを拾い続けて思うこと

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時田公園と湯殿川挟んで片倉時田みんなの広場

私たちには、誰でも自由に使える広場があります。

誰でも自由に使えることで、ゴミを捨てる…無責任?人がいます。広場にはゴミ入れ箱は設置してありません。管理は地域住民であるからです。ゴミは持ち帰りを基本にしているからです。

しかし、広場のごみは、拾っても翌朝行くとまたごみが落ちています…特に汚れているのがベンチの辺りです。毎日拾っているのすが…タバコの吸い殻・お菓子の袋・ペットボトル・空き缶が散乱しているのです。

べつに腹も立たず、散らかす人間と片づける人間の根競べだと思っていましたが、捨てたごみは陽当たりの水溜りのように自然に蒸発すると考えている輩のなんと多いのです。

広場のごみで最も目立つのはやはりタバコの吸殻です。

小さくて数多く出るだけに、タバコ吸いにとっても始末が悪いのだろう。山歩きをしていても滅多に吸殻を見かけないのは、山でタバコの吸殻を捨てるのは恥ずべき行為だとのモラルがハイカーに行き渡っているからだろうが、山でできることは公園でもできるはず…と思うのですが???

ごみの中で最もいただけないのは、犬の糞です。大型犬の糞が公園の真中や人が通る道にデンと残されていると、これがいちばん腹が立ちます。そして不自然に砂が盛り上がっていると糞が埋まっているのです。…どうも犬まかせにさせているのです…これには怒り心頭です。

飼主が気づかぬはずはない。多分夜の散歩で、誰も見ていないのをいいことに知らぬ顔の半兵衛を決め込んでしまうのでしょう。また、ビニール袋に入った糞を捨ててあるのは最早、情けない気分になってしまいます。

犬は可愛い、犬の散歩は、大事なことかもしれませんが、犬の糞は、飼い主が始末することで、出来ない人は犬を飼う資格無しと思います。

2016年4月26日 (火)

子供に注意するより親を指導…

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今、環境問題が世界でも、日本でも、大きな問題となっています。持続可能な社会をつくるのは、人間一人ひとりが、環境に対し、責任ある行動が大事なことになってきていると思います。

規範意識の欠如

公園や道路などに、タバコの吸い殻のポイ捨てが後を絶ちません。私一人…タバコの吸い殻一本ぐらい…が大変なことになるのです。ひとり一本が100人で100本です。そして自分さえ良ければ…利己主義・自己中心主義の人間が多くなっています。

町の広場・公園などで子ども達が、元気よく遊ぶのは結構ですが、どうも最近の子ども達の遊び方が昔と違うようです。

夫婦共稼ぎの、ご家庭が多く、子供たちは学校から、家に帰ってきても誰もいない、いつものところに、おやつ・ペットボトルのジュースが置いてあり、それを持って、公園などの遊びに出かける…そして飲んで、食べて…そのままで帰る…

親の躾が悪い?

片付ける事を教えない…「ゴミは家に持ち帰るのですよ!」「もし持ち帰らなければ、おやつ・飲み物は用意しないから…」と言って聞かせる事をしないのでは?だから、子供を注意するより…親を指導しなければ…と思うのです。

子供は、みんな素直です。

「そのゴミ拾ってこちらの袋に入れてちょうだい!」というと「ハイ分かりました」駆け足で拾って袋に入れてくれました。「でもね、大人の吸ったタバコの吸い殻があるよ!」後で、おじさんが注意しておくから…」言ったのでした。

湯殿川を散歩して

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         椚橋の上流南側付近

草伸びて 道端狭く なりにけり

湯殿川を片倉町の国道16号より河川管理通路を上流に風原橋ー時田大橋ーかたくり橋ー稲荷橋ー殿田橋ー釜土橋ー大橋ー白旗橋ー船橋ー椚橋ー境橋ー田中橋ー新田中橋ーと散歩をしますと、季節の移ろいを、目で耳で肌で感じます。

2016年4月25日 (月)

信念を持つことと、柔軟性を持つこと

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「信念を持つことと柔軟性を持つこと」

信念を持つことは大事です。しかし、柔軟性を持つことも大事です。

「柔軟性があること」と「ブレない信念を持つこと」は、相反するものですが、併せ持つことが大事です。

でも、人から「柔軟性が大切だ」とアドバイスされると、行動がブレてしまう人がいたり、また「ブレない軸を持った方がいいよ」と言われると、頑固一徹のようになってしまう人もいます。

例えば、これだけは譲れないという自分のブレない信念はあっても、それをするための手段は柔軟に選ぶことが大切なのです。

さらに、歳を重ね、経験を積むと、その信念すら変わることだってあります。でも、それは成長するにあたり当然の変化であり、ブレているわけではありません。

バランスが重要

つまり、人間的に魅力的でいるためには、相反する魅力を持ち、上手にバランスをとっていくことが大事です。逆を言えば、このバランスを崩れると、欠点になってしまうことになります。

人は自分の欠点を直そうと思うと、その特徴をなくさなくてはいけないと勘違いをして、自分らしさを失いがちです。逆に、自分の欠点を直すのを諦めて、頑固になってしまう人も…

でも、その特徴はなくさなくていいのです。単に、微調整をすればいいだけのことなんだと思うのです。

2016年4月24日 (日)

この町が好き、人が好きだから…

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この町が好き…人が好き…だから町を大事にしよう!

湯殿川は、姿を変えたが今でも清流が流れている。遠い昔…泳いだり、魚を捕ったり…いま片倉城跡(住吉神社)の森で、子ども達が、木に登り、野道を無邪気に走り回わっている君をみると、むかしのことが昨日のようによみがえり、胸が熱くなる…

小鳥のさえずりや 虫の鳴き声さえ 今でも心の奥で やさしく鳴り響く…駆け抜けていった 季節が 愛おしくなる。ふと 立ち止り 気づく 生きる喜び…いつも私を支えてくれる。

私が生まれ育ったふるさとは心の拠りどころである。

ふるさと…このまちが好きだから このまちの人が好きだから…このまちで暮らす喜びを ともに分かち合おう!

都会にあこがれ ふるさとをはなれた まぶしい光の中 手探りでさまよった…がむしゃらに 追いかけた夢 かけがえのない日々…ふるさとに戻り出会った なつかしい友… 今でも変わらない 笑顔とあのしぐさ、いつでも 受け止めてくれる。やさしいまち人と出会い 別れ 人のさみしさを知った。

信じ合える 喜びを 教えてくれた ふるさと…このまちが好きだから…

 このまちを守り育んで ともに夢を描こう!

過去からのメッセージを 訪ねてみよう!

今を感じて 明日をつくろう!

このまちが好きだから このまちの人が好きだから…

このまちで暮らす 喜びを ともに分かち合おう…

のまちが好きだから このまちをもっと元気にしよう!

2016年4月23日 (土)

地球はひとつ

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熊本県を中心とする九州地方で日本時間14日夜マグニチュード(M)6.5、16日にM7.3の地震が発生、多数の死傷者と被害をもたらした。続く17日(日本時間)には南米エクアドルでもM7.8の地震が発生、19日までに死者は400人を超えたという。

地球はひとつで、つながっている…日本とエクアドルの巨大地震は、環太平洋火山帯の地震活動が活発化している結果かもしれない? 

このままじゃ持続不可能?地球と社会に・・・

地球はひとつ、だからつながっているんだ!

最近よく言われている「持続可能な社会」なんていう言葉がよく聞きます。これは、地球、人、動物が、この先の未来、なんとか「存続し続けられる可能性のことですが、これでは、このままで、存在し続けれらないのではないでしょうか?

「温暖化」や「貧困」など環境や社会の中で、さまざま問題が起こっています、いま地球や人や動物の未来は不安がいぱいです。

それらの問題を向き合って地球や人や動物がずっと先の未来まで暮していくため…キワード「サステナビリティ」=持続可能性…(サステナ)です。

エコだけではなく地球全体を考える

石油や石炭などの化石燃料を燃やすと、温暖化が進み、南極の氷が溶けて、海面が上昇するといわれていますが、さらに海水の温度が上がって気候が大きく変り、一部の生物が絶滅の危機さらされる一方、マラリヤ・ジカ熱などの、病原体を運ぶ、虫(蚊)が増えて病気が大流行したり、水不足に悩んだり、水質が悪化したり、さまざまな影響が予測されます。

そこで、石油などの燃焼の化石燃料で「炭素」を放出するのを止めて地上に生えている植物から燃料を作ろうとアメリカなどでは、トウモロコシや小麦やバイオエタノール作りを始めている。

すると、食用の小麦が減ってパンが高くなり、牛や豚の肉も高くなり、エタノールの原料に畑を奪われた大豆などの他の作物まで値上がり…私たちの生活にも大きく影響があります。種や肥料の急激な値上がりなどで、特にアフリカなどの発展途上国を、苦しめる結果となります。

このように地球で起きている出来事は、全部つながって、何かをすれば何処かに影響を与える…だからそれを理解して、環境も経済も一緒に考えながら未来の社会を創る…「サステナ」という考えは大事だと思います。

2016年4月22日 (金)

オーチャードグラスの想い

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私の近くの湯殿川の河川管理通路に、オーチャードグラス(牧草)が伸びています。

オーチャードグラスと言えば、昭和20年後半~30年代の私が、中学生~高校生の頃の事を思い出します。酪農家が栽培していました。刈ってもまた伸び…一年で3回~4回刈り取れたのです。それだけ繁殖力の旺盛な植物です。

その草(オーチャードグラス)が、湯殿川管理通路に生えています。他の雑草にを押しのけて伸びていて、その繁殖力には驚かせられます。一株から増えて…増えて…大変なことに…牛・山羊・羊などの草食動物の餌になるのではと思うのですが…その草の茂みに、ゴミを捨てる人がいて困っています。

河川管理通路は、私たち住民の生活通路となっている今、管理している、南多摩西部建設河川管理課にお願いし、刈り取りをお願いしなければと思っています。

以前は、近くの住民で、草刈をし、コスモスを植えるなどして、通学・通勤・買い物など利用者の楽しみにしていましたが…住民の高齢化で、今では草刈はお役所に、お願いするしかなくなりました。

若い人は、価値観の相違からでしょうか…ボランティアで草刈り、花植えなどは、無理のようです。私のできることは、「ゴミ拾い」ぐらいで、毎日ゴミを拾っています。私たちの町を流れる、湯殿川の環境を守ることは私の…「想い」で続けて生きたいと考えています。

2016年4月21日 (木)

熊本地震で自然の大切さを考える

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熊本地震の影響の土砂災害 熊本中心に5県で71か所起こっています。(18日のNHKデジタルニュース)多くの民家が押し流されている光景を見ますと心が痛む思いです。

そして余震は頻繁に起きていて、被災されている夜も眠れず、人々のストレスはいかばかりかと心配してしまいます。

山紫水明の美しい日本

日本国土の7割近くを占めている森林は、古来から人間にとって大きな恵みと、自然の変わりゆく美しさを与えてきました。

春には山は芽吹き、秋は木々が美しく紅葉し、柿や栗などの実をつける。今はあまり使わなくなったが昔は燃料として炭を作り、炭焼小屋もあり、里山から私達は沢山の恩恵に浴してきたのです。

今回の熊本地震が起き…近年、台風、地震、大山噴火などの災害が相次ぎ、人々に恐怖を与えて、東日本震災から顕著になっているような気がします。自然災害が大型化し、土砂くずれなどを起こし甚大な損害を与えています。

そして、森林は荒廃しているのでしょうか…山間部落では、ニホンジカ・カラス・ハクビシンの被害に悩まされているようです。野生動物たちは餌を求めて、生息域から出て、人間の住む集落との境界線がなくなってきたようです。

丹精込めて作った農作物は、人間が収穫する前に動物たちが畑を荒らし、最近は都会にまで出没するようになったと聞きます。ニホンジカの被害も多い。どの位増えているのか、個体数を正確に把握して、調整することが必要な地域もあるでしょう。

里山が消えた代償なのかもしれませんが、対策を急がなければならないことです。年々人工林が増えているが、私達にとって保安林は特に重要な役割を果たしているのです。水源涵養、土砂流出の防備林、飛砂防備林など、森林を守るためには大変重要だと思います。

豊かな森林を守るため、荒廃した山を生き返らせ、人間と動物が共存していく方法はないものでしょうか…

林の有効利用を考えるとともに、農林業に携わる人たちだけでなく、国民一人ひとりが森林の大切さ、自然環境保守を、今一度考え、学び、未来を背負う子ども達にも、森の大切さを学ばせる為にも全国的な取組をして欲しいと思います。

2016年4月20日 (水)

競争と助け合い社会

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「競争と助け合い」

いま「熊本地震」で助けを求めている人が沢山います。一刻も早く救出させたい、と願っている人は、多くいることでしょう。そして「助け合い」の大事さが痛感します。

子供の時に競争を避け、順位をつけない教育(ゆとり教育)を受けた場合、大人になってから助け合い行動を取らない傾向があるという話を聞いたことがあります。

理由は子供のころ、競争をせず順位もつけなかった場合、明らかな差を目にすることが少ないので人間の能力は平等であるという考えを抱きやすいのだという。

もし人間の能力が平等であるならば、優秀であるかどうかは努力次第で決まることなので、優秀でない人は努力をしてこなかった人ということになります。だから困っている人を助けない傾向にあるのだという。

社会の仕組み

社会という仕組みをもう一度原点に返って思い出してみると、全てにおいて、助け合いという意味だった思います。

経済という言葉の意味も助けるということも…多くの法律、いわゆる規制というのは真面目に生きている人々を助ける、または助け合うという事だったと思います。

自然の険しさ、他からの侵略、あらゆるコミュニティーは守備、助け合いです。ただこの集まりが大きくなると他からの恐れがなくなり、身内の支配関係の争いが生まれてくるようです。安全がおおよそ確保されると人は支配欲に駆られるのかもしれません。

しかし助ける裏には我慢が必要になります。我慢という最高の英知は築くのは難しく壊れやすくもあります。人の脳幹にある原始的な欲望の部分にやさしく触れられると残念ながら簡単に壊れてしまうようです。我慢を理解するにはある程度、社会の仕組みも理解する必要がありそうです。

安全性の高い社会システムや、効率化された技術システムは、逆に世界の注目となっているようです。社会を理解し、我慢の構えを有する者だけがルールの下、競争を正当に楽しむ事ができるのではないでしょうか…

2016年4月19日 (火)

生きているだけで幸せ

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「生きているだけで幸せ」

私は「生きているだけで幸せ」と感じています。

仕事が現役ころまでは、「財産が沢山あって、家族に恵まれた人が本当に幸せだろうなぁー」と思っていました。しかし、財産がある人はその上を見ているのです。人間の欲…煩悩には際限がないのです。

ですから、町一番の財産家でも日本見渡せば、まだまだで、その上を必死で、目指して虎視眈々と狙っています。その考えは違う…財産を増やすには、多くの他人を迷惑をかけてしまうことが多いことに気付かないからです。

他人が苦しんでいるのを見て、自分が幸せ気分になれない…からです。「苦しんでいる人を見て助けてあげたい」何故かと言えば人は、一人で生きていけないからです。

14日に熊本地震が発生し、今も、度重なる余震に怯えている方々には。想像絶するご苦労があると思います。その方々の避難生活は、大変お辛い事とお察しいたします。出来れば直ぐに駆けつけて、何かお手伝いしたいところですが、80歳では、年を取り過ぎています。

本当にお気の毒と思います。自分は、今は元気に今日一日を過ごしています。これって自分が逆の立場になりうることもあり得るのです。これだけでもありがたいと思うし、被災された方々には申し訳ないと思いです。

このように考えていくと普通に、そして無事に過ごしている素晴らしさというものに気付くのです。そうなると毎日普通に暮らせている事が奇跡的にも思えてくるし、本当にありがたいと思えるようになるのです。

そして毎日朝、目が醒まし、健康で手足がちゃんと動いている事自体にじわじわ「ああ、ありがたいな」と感謝の念が沸いてくるのです。朝一番からこのように思えるようになった自分を大変嬉しく思います。その一日は色々な事があり、自分の思い通りにならないことや嫌な事もあるのですが、それでも無事に過ごせているだけでありがたいと思えるのです。

こういう気持ちで毎日が過ごせるようになると幸せ感が増します。この世で暮らしていると辛く思うこともありますが、でも自分の足元を再度新たな目で見ると色々ありがたいことが今日も自分に起っているのです。

健康であること、ご飯が食べられる事、自分の命の危険を感じる事が無い事、手足がちゃんと動いている事、頭が普通に機能してくれている事などありがたいことが一杯あるのです。

それを当たり前と思っているから、毎日愚痴や不満で暮らさなければならないのです。そりゃ毎日が辛くなるでしょう。大概は自分の思う通りにならない事が起こるのが人生なのですから…。

色々な理由で健康を害したり、体が不自由になると、今まで普通と思って気にもかけなかったことが大変素晴らしい事に思えるのです。普通に歩けていた人が歩けなくなったら「自分の足で普通に歩けるというのは素晴らしい事だったのだ」と気付くのです。

失ってからその大切さに気付くのです。だから失う前にその大切さに気付く事が出来れば、普通に暮らせている事自体が奇跡的であり、ありがたいと心から思えるのです。

2016年4月18日 (月)

町内会・自冶会の必要性が問われています

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いま、あらためて町内会・自治会のあり方が注目されています。

その背景には、4月14日に起きた、熊本地震は、連日余震が続いています。地元の方々は、大変な心労でさぞかし、お疲れのことでしょう。私は、遠く離れていますので、テレビの報道だけで、その現実の厳しさは想像すしかありません。

回に限らず、深刻な大規模災害に見舞われた都市でも農漁村でも、近隣住民の助け合いや支えあいが重要な役割を果たした事例が多くみられるようです。

災害直後の救出から避難所・仮設住宅の暮らしを通じて、同じ地区で生活をともにする人々の気心の知れた関係は、生活の迅速な再建に欠かせないものです。

町会・自冶会の必要性が問われる

災害も高齢者介護も先のことと思いたい地域住民にとって、町内会・自治会の存在は影が薄く、マイカーとコンビニとSNSがあれば、隣人との付き合いは不要と思われることも多いのが現実です。

その背景には、日々の仕事や生活に追われるなかで、いま地域がどうなっているかの情報もなく、直接関係のあること以外はなるべく関わりたくないし関わる余裕もない、という住民生活の姿があります。

そしてそのために、こうした住民で組織される町内会・自治会は、組織への加入率の低下や役員のなり手がないという、組織存続の条件を欠く事態に追い込まれようとしています。

少子高齢化…人口減少…に転じた社会の構造転換は、地域でもそれへの備えをゆるがせにできないものにしてきています。

震災を契機に、一時期注目されていたNPOやボランティア団体も、その守備範囲が明らかになってくるなかで、町内会・自治会などの地縁型組織の意味と役割とが、あらためて問われるようになっています。

町会・自冶会は、必要です…

上記のように、自然災害や緊急災害時は、必要と認識すでしょうが、平常時の地域社会のコミュニティが大変重要になってきています。

そして地域社会の課題

①・・高齢化・独居化による孤独死の増加
②・・地域で守り育てる子育て機能の低下
③・・火災や地震等に対する地域防災機能の低下
④・・病院や買い物に行くバスの減少など生活環境の悪化
⑤・・犯罪や事故に対する地域防犯機能の低下
⑥・・祭りや年中行事の継続困難による地域文化の衰退
⑦・・行政からの情報伝達など連絡調整機能の低下

地域コミュニティの再生へ

こうした厳しい状況を乗り越え、元気なまちをつくっていくためには、地域コミュニティを支える住民、企業、行政等が力を合わせ、自発的に様々な地域課題の解決に取り組んでいくことが重要であると考えます。

2016年4月17日 (日)

熊本地震お見舞い申し上げます

熊本地震で被災されている方々に心よりお見舞い申し上げます。

14日夜の発生以来、余震が頻発していた熊本地震で、16日午前1時25分ごろ、震度6強(マグニチュード7.3)の地震が発生しました。この地震を受けて会見した気象庁は「今回が本震で14日夜の震度7の地震(M6.5)が前震とみられる」との見解を示しました。

「前震」「本震」「余震」と長く続き心労は、いくばくか、はかり知れません。テレビニュースを見ながら、、、何とか一刻でも早く治まることを、心より祈るばかりです。

2016年4月16日 (土)

蛙の鳴き声を聞く

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       片倉城跡公園の水車

きのう、夕方、片倉城跡公園でカエルの鳴き声を聞きました。「アッカエルだ!」「カエルの鳴き声!だ」思わず叫んでしまいました。近年聞いたことがなかったのです。

「よかった!」カエルの棲める環境に戻ったのだ…嬉しい…

片倉城跡公園は、むかしは田んぼがあって、沢山の蛙がいました。種類は、天気予報士の「雨ガエル」・「ひきカエル」(がまカエル)・「とのさまカエル」・よく焼いて食べた「赤カエル」などがいましたが、多分「とのさまカエル」でしょう。

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        とのさまカエル

カエルの鳴き声を聞き…少し環境が戻ったのか…カエル戻った?…ホットする気分になりました。むかし、ホタル狩りして田んぼの畦道を歩くと今まで鳴いていたカエルが、ピタッと鳴きやんで、通り過ぎるとまた鳴き、一晩中鳴いていました。

湯殿川きれいにしょう

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私たちの町に流れる川『湯殿川』きれいになりました。

心ない人がゴミを捨て汚れていて、何んとかしたいと河川管理している、南多摩西部建設事務所に相談していたら、事務所のお手配で、湯殿川のゴミを収集してもらいきれいになりました。これで鯉もさぞかし気持ちよいことでしょう…

川は、むかしから人間が暮すには無くてならないものでした。川で洗濯・野菜を洗い・水を田にひき米作りなどなど…そして、私たちにとって川は私たちの心が休まる存在でした。

私は、今でも川を眺めていると…遠い昔に思いで(郷愁)します。

川を汚すのは人間です。ゴミ捨て禁止の看板・ポスターは取り付けていますが、一向に減りません。そのためにむかし棲んでいた魚や、昆虫などの姿を見ることが出来なくなってしまいました。

人が生きるためには、自然環境がなければ生きられません。自然を破壊することで、人が住めなくなるのです。もう一度自然の大事さを考えて欲しいものです。自然を取り戻すには長い時間がかかります。

川は、人間が生きる源(原点)です。人地域の人間の歴史をじっと見つめています。いま川を大切にすることがとても大事なのです。

『守ろうよみんなの好きな町だから』『環境破壊はあなたの命も縮めます』『ゴミのない町にはきれいな心の人がいる』

2016年4月15日 (金)

人はみな花から花へと心をときめかす

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       片倉城跡公園の山吹草

人もみな  花から花へと  ときめかす

さくらが終り 桃が終り そして今はやまぶき草…八王子市片倉城跡のやまぶき草は今年も見事に咲きました。

遠くから、多くの人が見に来ています。ちょうど今が見ごろです。遠くから見ますと黄色い花のじゅうたんです。一本一本が、しっかり将来を見据え、今を掴んでいるようです。

圧巻してしまい…心が揺さぶられる思いがします。

そして、人は、みな美しい花を見て、いつも新鮮な心になる…ことを期待しているのです。そして山吹草が終わると藤ですか?そしてまた山百合ですか?

2016年4月14日 (木)

今年もツバメがやって来た

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今年もツバメがやって来ました。

きのう、私の家の前の電線で二羽のツバメが、「ちょっと遅くなりましたが、只今到着いたしました!」と言わんばかりに、鳴いていました。

何千キロの遠い南の国から、無事に生まれ故郷に戻ってきたのです。無事に戻ってきたことは嬉しいことです。多分、何処かの家の軒先に巣を作り子育てをすることでしょう。

私たちの町では田んぼが無くなり、餌の昆虫など少なくなり、子育てが大変でしょう。でも、巣作りの土は、ちょっと離れたところの町の田んぼで間に合いそうです。そろそろ、田起こしを始めるでしょうから…。

そう言えば、昨日隣町にある田んぼのあぜ道で、「田芹」を摘んできました。春の香りを楽しみます。何んと言っても…雨と田んぼが、似合うツバメです。

最近ツバメの数が少なくなっていると聞いて、ツバメの暮せる環境を守ることが、より大事なことだと思います。そして何時までも、渡り鳥が飛来してくる事を願いたいものです。

2016年4月13日 (水)

季節の移ろいに思う

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季節は確実に巡ってきます。さくらは散り、草木は燃えるように色を変えています。自然の中の色んな場面で、その春の足音は聴くことが出来ます。

季節の変わり目特有の、寒暖差の激しさはありますが、今日から春…というような変化ではなく、いつの間にか、すっかり春になっています。

音を立てるように芽吹く、植物たち一つ一つを見ていると、はっきりと変化は見えるのですが、全体の、肌や視覚で感じる春は、その小さな変化が集まって、一帯を春色に染めていきます。

私たちは、忙しさのあまり、自然の移り変わりを感じる暇?もなく、寒暖の差で季節の移り変わりを感じるだけの生き方をしている人がいます。

野山に出かけて見てください。草木は着実に、自然の移り変わりを教えてくれます。そして大宇宙の法則を…自然の偉大さを…教えてくれます。

これは、私たちの夢の実現の、変化、進歩そのものの感覚でしょう。毎日の小さな色づけは、何色を塗ったのかも分からないほど、小さな変化、進化かもしれませんが、ゆっくりですが、しっかり一歩一歩進んでいるのです。季節は後戻りしないのです。

人間も変化・進化しています。

その小さな、針の先の点ほどの変化でも、毎日色を落としていけば、いつかは、その色が分かるようになり、そして、全体を染め上げていくことが出来ます。小さなものを、積み上げていくことは、本当に、だんだんその威力を感じることになります。

どんなことでもいいですが、毎日欠かさず、チャレンジを重ねて、あなたの思う色に染め上げられれば、全てのことは、同じ要領です。

どんなことでも、3年夢を持ち続け、毎日欠かさず、チャレンジ出来れば、自分のものに出来るでしょう。毎日、昨日を超えるチャレンジは出来ています。1ヶ月では、まだそれほど色にも染まっていないでしょう。

でも、それが3ヶ月、半年と積み重なっていくと、明らかな違いが、誰の目にも分かるようになります。いつの間にか、変わったあなたに、誰もが驚くことになるでしょう。

日々、小さな小さな一歩を、確実に刻んでいけば、一日で百歩は刻めなくても、一歩を百日は刻めます。

 

2016年4月12日 (火)

強い自分・弱い自分を認める

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私たちは、ちょっと都合の悪いことがあると、すぐ自分のことを正当化しようとあれこれ策を講じてしまうものです。自己防衛本能といえるかも知れません。

強がるから苦しくなる

人はみんな弱い…だからこそ他の人と支え合いながら生きることです。「自分は強い」・「私ひとりで何でもできる」…そうやって強がっていてもつらいだけで、周りを拒絶していても寂しいだけです。人はひとりで生きていくことはできないのだから…。

できないことはできないと正直に言うことです、助けてほしいときは助けてほしいと言うことで…それを言う勇気を持つことが大事です。格好つけても、背伸びしても自分自身が苦しくなるだけです。

弱い自分を認める強さ

弱い自分を隠すほど、生きることが困難になります。強い自分を演じるほど生きることが苦しくなります。出来ないことを認めてみる… 失敗も間違いもを受け入れてみる…それだけで心が少し軽くなりなります。

助けてほしいときは誰かに頼り、泣きたいときは泣けばいいのです。それだけで生きることがぐっと楽になります。

限界まで我慢して自分のことを傷つける必要なんてありません。他の人からどう思われるかなんて関係ありません。選択肢はひとつではありません。生き方は自由に選ぶことができるのです。

弱い自分を受け入れる…

弱い自分を隠すことが強さではありません。強く見せることと強さは違います。何でもひとりで抱え込んで身動きがとれなくなっている。そんな苦しい生き方はもうやめにしましょう。自分も他人も、誰かを傷つける生き方は終わりにしましょう。

弱い自分は、誰の中にも存在します。私たちは誰もが弱い自分を抱えて生きているのです。もう少し自分に優しくしてあげましょう。

自分の中の弱さを認めること…どんな自分も、ありのままを受け入れること…何ができるかで人の価値は決まりません。

野球の清原和博選手が麻薬におぼれた。強い自分を意識しすぎると、強くない自分に負けてしまう。それで入れ墨をしたり虚勢をはって見栄っ張りをするけれど、強くない自分に負けて麻薬に手をだした。

強い自分であっても、弱い自分であっても、いずれでもよいではないか、弱い自分であってもそれを受け入れたら、自分らしい自分であることがわかる。それができないから、清原選手は麻薬に堕ちてしまった。

野球選手の間では賭け事が日常的だという、相撲界でも過去に賭け事が流行っていた。そして、バトミントンのリオオリンピック有力選手が、賭博に手を出して問題となっています。いずれも自分で自分の足をかじっているようなもので、そのうち歩けなくなってしまう。

2016年4月11日 (月)

成田山新勝寺参り

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若草に さくら吹雪 舞い落ちる

今日は、恒例の八王子一心講で、成田山新勝寺へ 参拝に(152回目)行って着ました。バス4台150名? 私たち由井地区は37名の参加でした。

朝のうちは曇って雨の心配がありましたが、午後から晴れてきました。境内のさくらが、風に舞い、道端の若草に舞い散っていました。

帰りは高速道路調布インターで下り、深大寺公園を散策し、深大寺そばを食べてきました。

無事に行って来られて感謝…ありがたいことだと思います。

2016年4月10日 (日)

自然に優しく思いやりを…

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八王子市片倉町の片倉城跡公園の桜は、今年も見事に咲きました。多くの人が訪れて賑やかに酒宴の席が設けられて、大いに盛り上がっていました。

しかし、その宴の後の始末は、決して褒められることでは状況ではありません。モラル・マナーの欠如と言わざるを得ません。地元である私は、毎朝、ゴミ拾いをしていますが、困ったことです。

環境・自然を大切にする心

環境問題が地球的な規模で大きな課題になっている今日に、人は自然の中で生きているものであって、自然を尊重し愛するとともに環境の保全に積極的に取り組むことが、人間などの生命あるものの命を守り、慈しみ、そして持続可能な社会を形成することにつながるのです。

子ども達に、理解させる意味でも、命ということをしっかり教えていくことは大変大切なことだと思っております。それには、まず大人が模範を示すべきです。自然に、優しく、思いやりを持つ…育てる…ゴミを片付けながら思いました。

世界的問題となっているタックスヘイブンのこと

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タックスヘイブン(租税回避地)

中米パナマの法律事務所から流出した「パナマ文書」いま世界を揺るがす大きな問題になっているようです。

夫婦で名を連ねていたアイスランドのグンロイグソン首相が辞任へと追い込まれ、英国のキャメロン首相や中国の習近平国家主席、ロシア・プーチン、ウクライナ・ポロシェンコ両大統領の親族や知人、本人の名前も上がっているという。

課税逃れの疑いが指摘

こんな世界があったのか…頭のいい人はこうやって金儲けをしている?

納税者の多くが税金の負担に苦しんでいるのに、税金を課す側の統治者やその周辺は特権を使って蓄財に励み、税逃れの手立てを着々と打っている――。そんな不公平に対する怒りと不信は各国共通である。

勤労者が真面目に税金を納める傍ら、権力者や資産家は、国外に富を隠し課税から逃れる仕組みを利用できる…

麻生副総理兼財務大臣は8日の記者会見で、「疑惑が事実であれば、課税の公平性を損なうことになるので問題だ」と述べ、国際的な租税回避の防止に取り組む考えを示しました。

新聞各紙の社説(主張)

朝日 『パナマ文書 納税者の怒りは大きい』4/9

読売 『パナマ文書流出 課税逃れ防ぐ国際連携強めよ』4/9

毎日 『パナマ文書 税の不公正解消へ動け』4/9

産経 『タックスヘイブン 政治家の利用は「背信」だ』4/8

合法的であるとされていますが…

「パナマ文書」なぜ波紋 格差拡大、市民に不公平感 脱税行為の疑念も :日本経済新聞は…(4/8)解説しています。

1つは道義的な責任の問題だ。財政の厳しい多くの国は税金を増やしたり福祉を削ったりして国民に重い負担を強いている。その裏で国を率いる政治家が税負担を軽くできるタックスヘイブン(租税回避地)を使っている実態が明るみに出た。経済格差が広がり不満をためこむ市民が改めて不公平感を覚えている。深刻な金融危機に陥ったアイスランドの首相辞任はその一例だ。

もう1つは、違法行為への疑念だ。タックスヘイブンに設けた会社でお金をやり取りをすること自体は合法だが、詳しい情報は外国当局からつかみにくいため、自国で本来負担すべき税金を納めない脱税に使われている可能性がある。資金洗浄や、北朝鮮など制裁を受けている国やテロ組織への資金提供にも悪用されやすい。

2016年4月 9日 (土)

バドミントンの選手の行動で思う

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バドミントン選手の行動が大きな問題となっています。

知識はあっても、知恵がなければ人間的に未熟で、本当の意味の大人とはいえない。

むかし、「どんなに理屈を言っても、結婚して子供を持たなければ一人前の人間として認めない」と言われていました。ですから、一流の大学を出からと言っても、子育ての経験していなければ一人前と認められなかったのです。

バトミントンは超一流だが人間的に失格者?

バトミントンの世界ランキングの選手らが、国内の違法カジノ店で賭博をしていたとのことでリオ・オリンピックに出場が難しくなっているという。

ましてや…違法カジノ店と知りながら通っていた理由を「ギャンブルが好きだった。いけないと分かっていてもやめられなかった」と説明した。また「ギャンブルに興味があった。抜けられなかった」ではいい訳にはならないことです。

スポーツ選手の清廉さを求められています。人の道に反する行動で、オリンピックへの道が閉ざされて大変残念なことです。

一般社会人に言えることですが…知識があっても知恵がなければ、人間的に未熟者です。

「知恵」とは、人がその人生においてさまざまな経験を積み重ねていく中で、否が応でも生じる弊害や苦悩、迷いを克服していく過程のなかにおいて、あらゆる学問などを通じて培った「知識」を、如何に自身の心で消化して、自分のものとするかです。

知識は外部から入ってくるものであり、知恵は自身の中から生じるものである、ということです。

 

礼節とは・・・

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『相手を思いやる』ということは『相手を理解し尊重する』と私は理解しています。

自分とは違う考え方、価値観を持っている『相手』の気持ちを理解して尊重する。時には自分の気持ちを押し殺すときもあるでしょう。でもそれを苦とは思わずに、相手を尊重できることが思いやりだと思っています。

思いやりだと思って相手のために何かをやってあげたとしても、相手が喜ばないこともあるということ…それどころか、相手にしてあげた行為に対して、不快感を感じてしまうこともよくあります。

思いやりには単に善意の行動とか、思慮深く他人に接するということだけではありません。思いやりをもつということは、「礼節」の一部でもあります。

礼節とは…

人間生活の習慣として、身を守り、生活体である社会を守っていくに、もっともウエットな知恵が要請されます。それが道徳であり、道徳が形として現れたのが「礼儀作法」「マナー」「モラル」です。

相手を尊敬し、自分を謙遜し、行いを丁寧にすることが「礼」です。この「礼」を時に即し、場合に応じて、自分の行動ができるように、わきまえる事が「節」です。「礼節」を知って初めて一人前の人間といえるのです。

礼節は社会生活の秩序を保つために必要とされる行動・作法、礼儀のことであり、社会の幸福、果ては地球の健全までを考える現実的、積極的な行動なのです。

最近、賢明な人、良識的な人、義なる人が少なくなっているようです。それはなぜか?それは、人々が礼節を軽んじ、自我・我欲の赴くままに生きるからだと思います。

「衣食足りて礼節を知る」の有名な言葉があります。

衣服と食物は、生活をする上での根本ですから、それらが満たされることによって心にゆとりができ、礼節を知ることができる…。

2016年4月 8日 (金)

知っている事と悟ることは違う

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浪花節の“国定忠治”

名文句…

♪満つれば欠くる月の影…

♪昨日の淵は今日の瀬と…

♪移り変わるも人の世の定め…

とあります。今の世もその通りです。

出ては消え…消えて出る…この世の移り変わりは、昔も今も同じことです。諸行無常でしょう。万物流転でしょう。」…「そんなことは、もう知っております。」とおっしゃる人がいます。

すべてが移り変わっていくということは当たり前のことです。「諸行無常」「万物流転」「移り変わり」、こんなことは誰でも知っています。しかし、知っていることと、すべてが移り変わっていくことを悟っていることとは、根本的に違うのです。

「苦しみが無くなりましたか」と聞いたら、「いいえ、無くなりません」という答えが返ってきたということは、その方は、知ってはいても、まだ悟れてはいないということです。

悟って始めて心に納得が生まれ、救いの灯が見えてくるのです。頭で知っただけでは、悟ったとも、救われたとも言えないのです。

自己中心的な人

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最近、自己中心的な人…が多い?「自分のことしか考えてない、人間がこの世の中多過ぎる」のではなく、むしろ何も考えていない人が多すぎる?

人間は基本的に、自分のことが一番可愛く、そして自分の存在が一番気がかりな利己的な生き物なのです。人間という生き物は、自分発の、自己中心的な視点からしか物事を見ることが出来ないし、考えることが出来ないのかもしれません。

現代社会の日本で生きていくには、以下の3つの選択肢も、存在しているようです。

①自分の個性や主張を押し殺し、他人や社会常識に合わせて、組織や集団に属して生きていく…

②自分の個性や主張も出しながら、他人との利害を調整し合い、共生して生きていく…

③他人や社会常識にお付き合いすることを辞め、組織や集団に属さず生きていく…

自分の人生なのに…

私は、他人や周りの人達から「常識あるまともな大人」「社会性のある立派な大人」と思われていたくて、自分の個性や主張を押し殺し、他人や社会常識に合わせて、組織や集団に属して生きていくという生き方をしていました。

自分の人生なのに、自分以外の、他人達の考えや価値観にとらわれて流されて生きていました。他人の顔色ばかり伺って生きていました。

けれども、誰しも自分のことをしっかり見つめ、自分の身の上の事をしっかり考えたならば、次の様な考えが次第に真理であることに気づかされるのです。

他人の存在なくしては自分は生きていけないこと…人間は結局自分一人ではないこと…。そして、自分が幸福に生活するためには自分ひとりの事を考えるのではなく、他者や社会全体の幸福についても同時に考えなければいけないことを…です。

実際、他人の事を考え、社会の事を考えることの出来る人は自分の事をよく考えています。自分のことすら考える事の出来ない人がどうして他者や社会について考える事ができるのでしょうか。

つまり、本当に自己中心的な人とは…自分の身の上しか考えない人を指すのではなく、自分の事を考えていくうちに、いつの間にか他者の事までも考えてしまっているのが人間というものです。

むしろ自分の身の上すらまともに考えられない人を、指して自己中心的ということだと、思います。

2016年4月 7日 (木)

幸福とは…

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考えさせられる「幸福」とは…

「世界で最も貧しい大統領」として知られる南米ウルグアイのホセ・ムヒカ前大統領(80)が5日、初来日しました。

ムヒカ前大統領の言葉…

「貧乏なひととは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ。」

「発展は幸福を阻害するものであってはいけないのです。発展は人類に幸福をもたらすものでなくてはなりません。愛情や人間関係、子どもを育てること、友達を持つこと、そして必要最低限のものを持つこと…これらをもたらすべきなのです。

「人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。命よりも高価なものは存在しません。そのお金を貯めるための人生の裂いた時間で買っているのですよ。。。」

ムヒカ氏は昨年退任するまで5年間、大統領公邸に住まず、給与の9割を貧しい人々のために寄付し、月額1000ドル(約12万円)ほどで生活した。80年代から今に至るまで、首都郊外の農場で質素な暮らしを続けている。(日刊現代)

軽井沢町のホームページ

http://www.town.karuizawa.lg.jp/www/contents/1451282160236/index_k.html

私たちの歩んできた道は正しかったのでしょうか

日本社会は、より効率的に、より速く、より多く、より便利に、の一辺倒でまっしぐらに歩んできました。その結果、今日の繁栄を勝ち取り、生活の利便性が高まるとともに多くのモノを手に入れることが出来ました。これは喜ぶべきことであり、先人たちの努力の結晶であるわけです。

しかし、一方で、家には入らないくらいのモノが溢れ、会食等ではたくさんの食べ物を残飯として廃棄しています。また、気の遠くなるような長い時間によってつくられた石油などの資源を一夜で使い尽くし、その上に私たちの豊かな生活が成り立っています。

自己中心的な考えから抜け出る

「モノ」だけではありません。東日本大震災では、世界中から称賛された助け合いの精神は、私たちの日常に生きているでしょうか。

自分だけ良ければ、とした考え方に冒されてはいないでしょうか。子どものいじめ問題などにも、その影響が出ているように感じます。私は、現在の日本社会は他人の痛みを自分の痛みとして感じ取る力が弱まっているのではと危惧しています。

日本を指して、自分のことしか考えない子ども社会であるという本が発刊されているくらいです。

そして自己責任です。自己責任という言葉が死語になりつつあるのでは、と感じるくらい責任を他者に押しつけている場面を多く見受けます。世の中に起こる問題すべて他人のせいと言わんばかりに声高に主張する姿を見ると、そこに市民としての義務の精神を感じ取ることはできません。

教育現場もしかりです。どこかの学校で話題になった、「かけっこを手をつないでゴールする」的な考えが横行しますと、子どもたちの中に養わなければならない、「健全な競い」や「たくましい精神」という成長を奪いかねません。無菌室で育った子どもたちのいく末は、ここで言うまでもないことでしょう。

すべての事柄は表裏一体であり利害得失は同じということもありますが、修正を求められていることは間違いないものと思います。

 

2016年4月 6日 (水)

ふるさとっていいなー

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ふるさとを持たない人はいないと言われています。私たちには、私たちのふるさとがあり郷土があります。私は八王子市に生まれ、育ち、今も暮している、いわゆる土着者です。

ふるさとっていいなー

もはやふるさとは記憶の中で懐かしむしかありません。今でも夢に出てくるのは現在住んでいる家ではなく、すでになくなってしまった生家です。

近くの川で泳ぎ、山で木登り…子ども達と遊んだ記憶は何十年経っても忘れません。ふるさととはいつまで経っても夢に出てくる場所であり、心が休まる大事な所だと思います。

開発が進み、列島改造で、確かに、人の暮らしは大きく変りました。しかし、土地開発によって幼い頃によく遊んだ空き地や駄菓子屋などがなくなり、ふるさとの姿はすっかり変わってしまいました。

八王子市片倉町に郷土を持つ私は、片倉町を美しく素晴らしいものにし、ここに生活するからには、住みよい郷土にしなければと思うのです。

郷土を住みよく美しくする気持ち、それは郷土を愛する気持ちです。そして、この郷土を愛する人たちの気持ちの高まりこそ、郷土を発展させる原動力のささえになるものと信じています。

この片倉の郷土を守る…自然環境に恵まれた歴史ある片倉町を知り、ここに残された郷土文化の伝承と環境保全のために、自然を取り戻しむかし棲んでいた魚や昆虫そして植物などを呼び戻せねばと考えています。そして子ども達に自然の素晴らしさ…尊さを引き継がねばと考えています。

自然や社会文化の特質を考えない開発や経済成長は、自然破壊と公害を伴うといわれている現代社会において、まず緑の山に囲まれた郷土に自然、それに郷土の歴史などを知ることがなにより大事と思っています。

私たちの住む片倉はまだまだ未知であって、どんなすばらしいものに遭遇するかわかりません。この郷土の誇りを次の世代に伝え、胸を張って私たちの郷土を語れる若者を育てたいものです。

自然環境を破壊から守り、私たちの郷土の財産として残す必要があると考えます。土地に住む一人ひとりが集まって郷土ができております。郷土は人です。素晴らしい郷土とは、住む人々の心のぬくもりそのものなのです。

2016年4月 5日 (火)

お花見の後始末しっかりお願いします

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一昨日の日曜日は桜は満開…片倉城跡公園

朝から場所取りのシートが、あちこち張られていて、昼近くには円陣になって、空は霧雨が若干降っていましたが、そんなものお構いなし?大いに盛り上がっていました。

昨日は、静かにお花見をしながら散歩する人ぐらいでした。私も散歩して気が付いたのですが、これは酷い!飲んで…食べて…そのままの状態…立ち去った?のです。お酒の空き瓶・空き缶・プラ弁当の容器・タバコの空き箱・吸い殻…袋に入れて運ぶのに大変な量でした。

八王子市の公園課に電話して、処分をお願いいたしました。(管理事務所の前に置いた)

「旅の恥はかき捨て」…普段なら恥ずかしくてできないようなことも、旅先にいるときは、その場限りのことだと思ってしてしまい、遠くから来て汚しぱなし…後は野となれ山となれ。。。で困るのは地域の人…

東京上野公園などでも花見客のゴミが問題となっているようですが、困ったことです。規範意識がない人がいることにより、地域の人が、どれだけ迷惑しているのか、真剣に考えて欲しいと思います。

向こう三軒両隣の精神

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個人化とは…個人個人が固まらずに別途行動すること。

日本では個人化が進んでいます。かつての地域コミュニティは崩壊しつつあり、新興住宅地では存在感を失っております。

向こう三軒両隣」という言葉がありますが、私たち日本人は世間とのつながりや地域での助け合いを大切にしてきました。それではなぜ、ここまで個人化の流れが進んでしまったのでしょうか。

一人で生きていけるという錯覚

なんとなく一人ででも生きていけるような気がする…そう考える人は少なくないように思えます。働いてお金を稼いでいれば、贅沢を望まなければ住む家にも、食べる物にも、そう困ることはないような気がする…

インターネットが普及した今、コンピュータ1台あればお金稼ぐ方法はいくらでもあります。部屋に引きこもっていても、買い物もネット通販で済ませることができます。なにやら他人と関わることがなくても、一人で生活できるように思えます。しかし本当にそうでしょうか…

共助の重要性

「自助」「共助」「公助」と呼ばれる三助をご存知のように…災害時などの対応で、自らを守るのを「自助」、近隣同士で助け合うのを「共助」、国や自治体が手を貸すのを「共助」と言いますが…

この中でも最も「重要で効果のあるのが共助」です。なぜならば、自分がケガや病気をしてしまっているときは自助は弱くなります。また災害の規模が大きいと、国や地方自治体は対応スピードに遅れが生じます。

だから共助なのです。東日本大震災発生当初、海外メディアは日本人のメンタリティーである「助けあいの精神」を讃えておりました。これは私たち日本人にとっても嬉しいことです。

欧米では、社会から飛び出した個人は独立したと見なされますが、日本では独立と言うよりも孤立です。社会復帰の可能性も薄れ、どんどんやせ細っていくような個人化を目の前にして、どうして個人主義を尊重できるのでしょうか。地域コミュニティが個人化する日本を救う…

 そんな日本を救う方法は地域コミュニティの構築であると思います。現代にあった、「向こう三軒両隣」の考え方を再び考え直すことで、地域コミュニティの再生を図ることが必要だと思います。

もしものこと…地域コミュニティが大事

地域のコミュニティ主義というのは、一定地域の中で、自治を敷き、その自治の範囲内で内部経済構造を形成する考え方です。

今の私たちにとって重要なのは、志です。自分達の郷土、国家を、どの様な社会にしていくのか…その思いと情熱こそが必要とされているのです。ただ、私利私欲にのみ拘泥すればかえって自分を見失う。自分を産み育んでくれた地域社会に対する恩返しにこそ、自分を生かし、また、生き甲斐があるのです。

個人主義を見直し、地域コミュニティの再生に向けて、考えていく必要があると信じています。

2016年4月 4日 (月)

自己中心主義を考える

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世の中には、自分が幸せになりたいと思っている人はたくさんいますが、幸せになる方法を知らない人も多いものです。大概の人は、人の事はさて置き、自分や自分の家族が幸せになれば良いと願って毎日を過ごしています。これはこれで自然なことだと思いますが、中々幸せになれないのが現実です。

個人主義と利己主義

個人主義と利己主義は当然ながらその意味が違います。しかし、現代社会の人々の生き方を見ていると、近頃の日本人はその意味の違いを理解していないように私には思われます。あるいは、これらの二つの言葉を、各人が自分の都合のよいように勝手に解釈しているのかもしれません。

個人主義は、個人が社会の仕組みの中で自分の位置を与えられ、関係付けられ、働き(運動)が明らかにされ、かつ保障されている社会を指しています。

つまり、個々の人間の主体性を重んじて、一人ひとりの個人が自由に生きることの権利が保障されている代わりに、個々の人間が集合して成立する社会に対して個人としての自覚と責任を負うものです。

一方、利己主義は、自分が益することだけを行為の基準として、他者のことや個々の人間で成り立つ社会の利益を全く考慮することなしに、自己本位な生き方を推し進める考え方です。

個人主義と利己主義という、これら二つの言葉に対するおおまかな定義からも、その違いが明らかです。

自己中心主義

都市化や過疎化等の影響により、従来の地縁的な人間関係が希薄になり、地域での人と人との交流や相互支援が行われにくくなっています。

また、少子化や核家族化が一層進行する中で、子どものしつけや育児に自信が持てない親が増加するとともに、個室化や孤食化などという言葉で表現されるように、家庭での団らんの機会が減少しているともいわれています。

そのような環境の中で、日々生活を送る子どもたちには、生活体験・自然体験の不足や、保護者や学校の先生以外の大人とのふれあい、様々な人の生き方や考え方に接する機会の減少がみられ、その結果、善悪の判断や基本的な生活習慣が十分に身についていなかったり、他者との人間関係の構築が不得意な子どもが増加しているとの指摘があります。

世知辛い世の中

困っている人がいても、その人をよけて無視して通って行く人や、人が見ていないからタバコの吸い殻やゴミをポイ捨てする人…「掃除は誰かがやれば」…と考えている人?

心に余裕ない人が多い時代…自分のことで、せい一杯…今、他人のことを思いやる人が少なくないようで仕方がありません。

そのためか地域社会では、人を思いやるゆとりさえなくしてしまった。そして、他人と関わり合うのさえ厭(いや)になってしまった。親は子の世話をしなくなり、子は、親の面倒を見なくなったのです。

それで足りなくなったところを教育制度や介護制度、福祉制度に求めるようになり、会社は、会社の都合だけで社員を雇い…社員にとって会社は、生活費を稼ぐだけの場でしか過ぎなくなった。国に、国民は、要求だけをして国に尽くす事を忘れてしまったのです。

誰の助けもいらぬと言う社会は、社会としての本質的機能、相互互助の精神を失ってしまう。そうなってしまったら社会など不必要なのです。

人と人との関わり合いの中で、社会は形成され、また必要とされます。人と人との関わりそのものを否定し、喪失したら、社会なんて無意味なものになるだけです。

2016年4月 3日 (日)

桜が満開

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鯉泳ぐ 川面に映る 桜かな

片倉城跡公園の桜が満開です。

湯殿川の鯉も、花見しているのかな?

いつもより元気に泳いでいるように見えます。

年寄りの呟き

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老いとは…いつの間にかやってくるもの・・・「いつまでも若くしていたい!」「年を取りたくない!」と思っていても…

真っ直ぐに 歩いたつもりが うねってる

健康に良いからと、毎日10000歩を目標に歩いていますが、道なりに真っ直ぐ歩いていいるつもりが、どうも左右に“うねって”しまっているように感じることが…

人生は ミステリーが 多すぎる   

この世の中って、まさにミステリーな、わからないことばかり…理解できないことが多過ぎる。常識・価値観が時代と共に変わっている?

子供より 親の教育 したい国

街を歩き、公園・広場をを散歩して思うことは、最近の大人のマナー・モラルの無さは、情けないほど…これでは、子供のしつけは、先ず無理だ。(毎日ゴミ拾いをして思う…)

環境美化 注意看板 100よりも 一人ひとりの 心がけ

ゴミ拾いを長年続けていますが、汚れが酷いところに看板を付けても、一向に、ゴミのポイ捨ては減らない…これは子供の時期の躾け・教育が大事なこと…つくづく感じる。そして、大人の一人ひとりの心がけ(規範意識)で環境美化は保てる。

冗談に 値切って無駄を 買わされる

お年よりはお金を持っている?社会一般の人は、思っている。おれおれ詐欺にまんまと引っかかる人が減らない…そして、お年寄りを対象に、詐欺まがいの商売をしている人はごまんといる…注意…注意だ。

自己中の 人ばかりでは 世間なし

今問題となっている、自己中心(主義)の人が多いように、感じる今日この頃である…そういう人は、「要領の良いこと」と思っているだろうが…そうではない!究極的には争いとなり、一番先に泣く人生が待っている事を知らない人だ。

2016年4月 2日 (土)

悪い事すればバチがあたるよ

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「不幸せの原因は、他の誰かの身勝手ではなく、自分自身の身勝手である。」…これはイギリスの哲学者のジェームズ・アレンの言葉です。

また、「私たちの人生は、ある確かな法則にしたがって創られています。私たちがどんな策略をもちいようと、その法則を変えることはできません。”原因と結果の法則”は、目に見える物質の世界においても、目に見えない心の世界においても、常に絶対であり、揺らぐことがないのです。」と言っています。

「悪い事すれば、バチがあたるよ」…と昔はよく言われました。

善因善果(良い行いには良い結果が返ってくる)

悪因悪果(悪い行いには悪い結果が返ってくる)

自因自果(自分の行いが自分に返ってくる)

これ以外で結果が自分に報いることは絶対にないということです。

 これには一切の例外がなく、例え相手の言葉で自分が傷つこうが、相手の失敗で自分に不利益が起ころうが、自分がその原因を過去に作ったということを意味しています。

因は”直接原因”で、縁は”間接原因”を表す。

つまり、1つの結果が生じるということは、直接原因と間接原因の2つが必ず存在しているということになります。

「現在の苦しみの生活から脱却し人生を好転させること」という現実世界の問題にも当てはめることが出来るということです。

因縁果の道理を正しく理解することで、これまでより圧倒的に得たい結果が得られるということを知っておきたいです。

変えてあげたいと人がいても、その人自身に、自分は変わりたいという意思(直接原因)がなければ絶対に人を変えることなど出来ないということです。

自分の人生が良い方向へと変わることがあるとすれば、それは本人が変わりたいと心の底から望んでいて、周りの人たちが良い縁(関節原因)となったときにしかありえません。

そのため、知っておくべきことは、自分の力や周りの人たちの力(関節原因)のみで、その人を変えることは絶対にできないということです。

2016年4月 1日 (金)

自然と共に生きる

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今日から4月です。

長く厳しい冬から、暖かく明るい春へ移り変わり、草木の芽吹きます。人間の身体も、ある種の冬眠状態から醒め、活動的になる準備を始めます。

毎年思うのですが…しっかり自然の移り変わりを捉え心の余裕を持った生活をする…慌しい世の中で埋没してしまいますと、季節の移り変わりさえ分からず、一年を過ごしてしまうことに…

人間は元来、大自然の中で生き続けてきたものです。「大自然に生かされて来た」と言っても過言ではないのです。桜が咲き、桃の花が咲き、りんごの花が咲き…夏にも、秋にも…色々な種の花が咲き実ります。

当たり前のように自然の営みに人間は、恩恵を受けていますが、ありがたいことです。感謝し、「大自然に生かされている」…意識することです。

冬から春へと移り変わる時の大自然のエネルギーは、人間は無意識のうちに感じている通り、とても活動的で、気持ちも開放的になります。私は明るく、楽しく、信念を以て生活をして生きたいと思います。

自然から学び、自然と共に生きる大切を子ども達へ

美しい山川と湖沼と海に恵まれた、自然に子どもが触れることにより、その厳しさといのちの尊さに気づき、感動・驚きを体感し、生きる力の柱である豊かな感性を育むとともに、自然や環境への生きた理解を深めていくことが大切です。

このため、学校・家庭・地域社会における教育をはじめ、あらゆる機会を通じて、子どもの豊かな自然と触れ合う時間を確保するなど、自然の家等の青少年教育施設の整備や、環境保護の教育が大事と思います。

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