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2016年3月

2016年3月31日 (木)

大事なのは人間としての生き方

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今、テレビや新聞に大きく報道されています、2年前に行方が分からなくなった埼玉県朝霞市の当時中学1年生だった、女子生徒が東京・中野区で保護されたニュース

で思うことは…

一流大学を卒業して、一流企業に勤めれば、幸せになれるというのは、幻想にすぎません。大事なのは人間教育です。人生いかに生きるかです。

人間教育とは…

「自由」の意味を取り違えた「放任」された教育を、子どもの自主性に任せた教育と錯覚している社会の中で、教育の基本的、本来的な目的であったはずの、礼儀や道徳を教える「人間教育」が忘れ去られてしまっています。

社会が教育の質を偏差値や学歴で、はかるようになり受験戦争を加熱させた結果、心の痛みを理解できない子どもたちによる、いじめや非行が増え、社会問題化しています。

今、核家族化が進み家庭での教育が失われ、価値観が「心」から「物」へ移行する中で、改めて「人間教育」が注目されています。

放任された教育により「自分だけ満足できればよい」といった風潮が子どもたちに広がる中で、大事なのは和の精神と「礼節」「知育」「勤労」を柱とする人間教育により、「他者への思いやり」「礼儀」「道徳」「善悪の判断」「協調性」などを身につけた日本人らしい人間教育が望まれると思います。

そして、日本の伝統文化を重んじ、「物を大切にする心」「敬う心」「人との関わり合い」「協力してことをなすことの喜び」など、失いかけた日本人の「心」を独自の人間教育が、大事なことだと思います。

「泣く子と地頭には勝てない」という諺がありますが、教育において「子どもは未熟だから仕方がない」と諦めてしまうのは間違いです。子どもの至らない考えを容認するのではなく、厳しい態度で道徳を規範とした、社会や人との関わり合いを教えていくことです。

個性の尊重や自主性などを身につけていくのは、その次の段階です。教育の本質は「大切なことは何か」を教えることです。大切なものとは、いつの時代も変わらない人間としての生き方です。

シニアクラブのお花見

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私たちシニアクラブの仲間38人で、

“お花み”を昨日行いました。

天気が気になったが、花曇…

温かな、お花見には絶好の日和となりました。

シニア仲間で、桜の下でお弁当を食べたり…

お酒を飲んで、楽しいひとときを過ごしました。

2016年3月30日 (水)

嫌老好若社会

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高齢化社会…

高齢化社会と言われ、世界各国で高齢者が増えてきています。政治や経済の対策の遅れもあって、人類が皆「老い」を持て余している、それが現状ではないでしょうか…

アフリカのジンバブエのムガベ大統領が1924生まれの92歳です。一昨日(28日)、安倍晋三首相と首脳会談を行った…驚きです。

今や日本人の4人に1人が「65歳以上」の高齢者です。特に日本は世界一高齢化が進んでいる国とされています。しかし、どうも日本は、高齢化が進行することを否定的にとらえたり、高齢者が多いことを恥じたりする風潮があるようです。

今の日本は史上稀に見る「嫌老好若社会」のようです。

人もモノも新しい方がいいという近代工業社会の影響で、「若さ」を好み、「老い」を嫌うという風潮が生まれたのです。でも、その風潮はあくまで近代工業社会特有の現象であって、人類の歴史は、常にそうであったわけではありません。

日本は、世界一の高齢化国などといっても、ほとんどの人は「老い」を嫌い、「若さ」を好んでいます…そして高齢者にとって「老い」は「負い」となています。

私は、「老い」というものを、醜く年を取ること、老衰していくことというようにネガティブにとらえるのではなく、充実であり円熟であるとひたすらポジティブに考えたいです。

人間は年を取れば取るほど経験が豊かになり、当然、老人を尊重することになってきます。「敬老」「尊老」という考えを持っていたいです。

「寄る年波は、いかんともしがたい…

寄る年波で老います。確実に私を追って来ています。人生の旅路は場所を移動し、訪ね旅行するといった旅人ではなく、時から時を旅する者であるともいえます。

子供の時は子供らしく生きる…実年の時に青年のようにとあがくと…これもできない、あれもできない…と不安になってしまうことも、実年の時には実年のように生きる…そのように生きる時が最も輝いているのではないでしょうか

時には何もできなくなってしまったとの思いから、人生における退歩、後退と思うかもしれませんが…しかし、それは逆に美しいものではないでしょうか

2016年3月29日 (火)

ゴミは持ち帰りましょう

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 ゴミは持ち帰ってね!

昨日公園のゴミを拾っていら、小学生が3人サッカーボールを持って蹴り始めました。

「公園はみんなが使うもの、後から来た人が気持ちよく使うようにしようね…」

「君たちここで遊んだらゴミは持ち帰ってね!」と言ったら「ハイ分かりました!」

「あのネ僕たちも子ども会で、ゴミ拾いしたよ!」

でも大人がタバコの吸い殻を捨てているよ!ほらここにも…あそこにも…一杯あるよ」

「大人がちゃんとしないとね…」と言っていました。

本当です大人が模範を示すべきです。片倉城跡公園の桜も咲き始めました。地元の人はもとより、八王子市内の方・遠くからお花見に来ることでしょう。みんなが楽しみにしています。

春うらら…うぐいすが鳴き始めました。今日から暖かな日が続きそうです。例年各種団体で車座になって盛り上がっています。盛り上がることは結構なことですが、ゴミの持ち帰りはキチってしていただきたいです。

鯉が泳ぐ湯殿川がありますが、絶対にゴミを川に捨てないで欲しいものです。近くに保育園があり、園児たちも見ています。大人のモラル・マナーが問われます。

2016年3月28日 (月)

一日一生

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「一日一生」

「一日一生」と言う言葉は今日一日が自分の一生の最後の日だと思って精一杯生きよ!という意味です。

長く思える一生もよくよく考えてみると一日一日の積み重ねであり、それとて永遠に続くものではありません。何歳まで生きられるか、人の寿命は誰にも分からないのです。

明日という日が、全ての人に必ずやって来るとは限りません。とすれば、いつの日か今日一日が自分の最後の日となることは明白です。

その最後の日が私達一人一人に知らされていない以上、今日のこの日が自分の一生の最後の日だと思って生きる生き方もあながち間違っているとも思われません。

一生を真に充実して生きる道は、結局今日という一日を、真に充実して生きるほかないということでしょう。実際、一日が一生の縮図です。

比叡山に千日回峰行を二回成し遂げた超人的な僧侶がいる。酒井雄哉(さかいゆうさい)師での言葉に…

大事なのは八十何年生きたからどうの、これまで何をしてきましただのではなくて、大事なのは「いま」…そして「これから」なんだ…

『一日が一生』と考える。『一日』を中心にやっていくと、今日一日全力を尽くして明日を迎えようと思えるのです。

「今日の自分は今日でおしまい。明日はまた新しい自分が生まれてくる。一日が一生。今日失敗したからって、へなへなすることない、落ち込むこともない、明日はまた新しい人生が生まれてくるじゃない」

すーっと心にしみて、すとんと胸に落ち着いた、そんな気持ちになりました。

2016年3月27日 (日)

老いをどう生きるか

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老いいとは…

高齢者の老いのみをさすものではありません。老いは自然なものであり、細胞は絶えず生まれ死にしていますから、細胞の新陳代謝において、若い人であっても老いは生じるのです。

日本の高齢化率は(平成14年)26.0%…4人一人が65歳以上です。

幸いにも長寿を生きることができれば、さまざまな人生の喜びを経験することでしょう。もちろん、さまざまな苦悩もともなうことになりますが、苦悩も味わい深いもので、喜びそのものであると受容できるように心がけたいものです。

ほろにがきものや、淡白なものにも深い味わいを感じたり、雲の動きや川の流れなど無情なるものの輝きに心躍らせ、小さな野の花や草木の芽吹き、生きものの息づかいなど無常なるものへ哀れさと愛しさを感じ、触れる、これも老いのゆえに感じることかもしれません。こういう感動が得られることは老いの特権であると思います

生きがいづくり…

「高齢者の不安の3K」というものがあります。「健康」・「経済生活」・「こころ(生きがい)」です。これからも永久に変わることはないでしょう。その中で、近年最も大きな問題として注目をあびてきたのが「生きがい」です。

高齢者の生きがいとは?

「生きがい」とは健康や経済問題のように普遍化できるものであるがゆえに、人それぞれに人生観も年を増すことに違ってくると思います。

「生きる喜びや満足感」・「生活の活力やはりあい」…から更に年を重ねると「他人や社会の役に立つ」こと…女性では「心の安らぎや気晴らしさ」だ…そうです。

過去に培った知識や経験をいかして、それを高齢期の生活で社会に還元し活躍する…自らの時間を活用し、近所付きあいや仲間うちなどでの支え合い活動に積極的に貢献する…

中高年から一念発起して、物事を成しとげた壮年期において達成した地位や体面などにとらわれることなく、高齢期を新しい価値観で生き生きと生活している人もいます。

自らの努力、習練等により、優れた体力・気力等を維持し、地域社会の中で、地域住民のリーダーやコーディネーター的な役割を発揮し、生き生きと生活する…

自然を受け入れる 高齢期には「自然と共生する」「自然を楽しむこと」が老いの時間が豊かなものとなると考えます。

時間はたっぷりとあります。厳しい仕事の世界よりやっと解放されたのです。風の流れ、木々の変化、小さな虫たちの動きなど楽しくしてくれる環境はどこにでもあるのではないでしょうか…

それを楽しまないことは大きな損失です。

老いも、自然として受け入れることが大切でしょう。いずれは老人になります。現在は、人間の欲望が自然を破壊しているような気がしてなりません。

老いの時間の幸せを、必要以上の欲望が壊しているように思えます。金銭欲、名誉欲等々これらを必要以上に求めないことで、幸せな老いを過ごすことができるのではないでしょうか…

小さな喜び、小さな自然の動きに目を向けることです。きっと楽しいことが発見できると思います。多くの友人もできる事でしょう。

 老いは誰にでもやって来ます。老いることは避けられません。しかし何歳になっても心は元気に保つことが出来ます。体の老いを受け止めるためには、心の老いをいかになくしていくかが重要になる気がします。

2016年3月26日 (土)

片倉城跡公園の桜咲く

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桜咲き 回り道する 町の人

私の家の近くに、桜の名所・・・片倉城跡公園があります。

今年も桜が咲き始めました。

ちかくのスーパーに買い物に行く人は、ちょっと回り道して・・・

桜を観ながらいきます。

休日は円陣になってお花見で賑やかになることでしょう。

2016年3月25日 (金)

なんて遠くにきたもんだ

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なんて遠くへ来たもんだ!

人生行路の終着駅は、まだまだ先かもしれませんが…最近、年を取り、片道切符の人生を振り返って見ることが多くなり、何て遠くに来たものだと思います。終着点は?どんなことになるのだろう?

この人生は旅です。その旅は片道切符の旅です。往きはあるが、帰りはありません。この旅で様々な人と道中道連れになります。

有名な、松尾芭蕉の奥の細道にある…

「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也」

(月日というのは、永遠に旅を続ける旅人のようなものであり、来ては去り、去っては来る年もまた同じように旅人である。)

坂道をあえぎあえぎ登る人、怒涛のごとく駆け上る人、深い穴に嵌って抜け出そうとしている人、また道を誤って軌道修正して入る人…人それぞれに旅をしています…生きるとはこう言うことか…と考える年に?

0年近く年月を振り返って…「人生に正解はない」と言うことです。

こう生きて行くのが正解だということは、その時代や国によっても様々で、その時の社会情勢によってかなり左右されるでしょう。戦争するのは当たり前の時代もあった…

今の時代ではそれは当たり前な事ではないですし、今戦争している国を見て、戦争なんて、なくなればいいのにと思うのは、私たちが、それが正しい事だと思っていて、そういう価値観の人が多いことです。

最近、自爆テロで、恐怖を感じている人は多いことでしょう。若い人が自爆して多くの人の命を奪うことで、死後に神に近づける?と信じてしまうという人がいる…間違っている(私は思う)人がいる世の中です。

日本人は、平凡で平和な社会の一員で、いたいという人が殆どで、会社に勤める、社員になって仕事をきちんとして、保険や年金を払って、家族が出来て家を買って…という事になる…

それももう変わり始めてます。

昔は会社に勤めていて、過酷な労働だったとしても、頑張ってやるのが素晴らしいとまでは言いませんが、そういう価値観の人が多かったかと思います。今ゆとり世代、悟り世代と呼ばれる年代の人達が社会に出始め、その価値観も変わって来ていると思います。

他の人と違うから正解だとか間違いだとかって、比べる事はしなくていいし、こう生きるのが正しいとかっていうのは、その人の主観で、他の人には通用しないんです。

間違いなく、危険と思われる価値観を持つ人たちと一緒に、この地球上で暮していることです。しかし、地球も生きています、地球の環境・自然を破壊する行為には、私は断固反対です。

2016年3月24日 (木)

人間関係の大切さ

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人間関係の大切さ…

周りの人を大事することが、自分に大きな幸せをもたらしてくれるのです。人は一人で生きられません。あらためて人とのつながりを考えてみますと、今何ひとつをとっても私たちは人間関係のなかで生きています。

孤独になりたい一人になりたいなどと私たちは時々思うことがあります。しかしその孤独は何日も何か月もの孤独になりたいとは考えません。

何日も山にこもって修業を続ける修業僧でさえ、いつまでも続く孤独ではなく、いつか人と会える…いずれ人と交流がもてるという…条件付の孤独を体験してるのに過ぎないのです。

今日私たちが人間として生活できているのも人間関係の恩恵を受けています。いま言葉を話せるのも人間関係のお陰なのです。もしあなたが生まれてから一度も人間との接触がなく 今まで生きてきたとすれば 狼少年の様に4つ足で歩き、狼としての言葉しか話せないでしょう。

今人間として生きていること自体、人間関係の恩恵の結果なのです。現実に戻して今を見た場合でも、この人間関係をいかに大切にするか…いかに重要視するかが、その人の幸・不幸 ・成功・充実した人生などに影響してきます。

これからの人生を変 える変えるためにも、人間関係を重視しなければと思います。この大切な人間関係に大きな影響力を持っのが話すと言うこと、コミニュケーションです。

コミュニケーションについて、なぜ重要なのか…

コミュニケーションとは、複数の人間同士が感情や意思、情報などを受け取りあうことです。自分の考えや思っていることを、他の人に伝えることです。

私たちの日常生活でも、常にコミュニケーションが行われています。スムーズなコミュニケーションによって快適な日々を過ごすことができるのです。

何を考えているのか…どうしたいのか…相手に伝えなくては、自分の意志はないものと同じに、なってしまいます。黙っていても分かる、分かってくれているつもりだった…では大きなトラブルにつながってしまいます。

引きこもり…が社会問題となっています。仕事、学校生活、そして恋愛・家庭・子育て…といった普段の生活でも、コミュニケーションはとても大切なものです。

いくら多くの知識や技術を持っていても、コミュニケーションがうまく取れないと、実力を発揮することができません。これからの日本を変えていく為にも、コミュニケーション能力の向上は日本社会の課題といえそうです。

毎日仕事で忙しく、充実した日々を過ごすのは素晴らしいことです。仕事を通して、生きている充実感を感じられるのは幸せです。しかし、人生には仕事よりも、大切なことがあることを忘れないことです。それが、人間関係なのです。

仕事上の人間関係ももちろん大事だが、働きすぎて、家族や愛する人々に寂しい思いをさせていないだろうか? 仕事は一生続けられるものではないかもしれません。仕事を抜きにした自分を“無条件で愛してくれる存在”を、忘れてはならないと思います。

人間にとって一番大切なのは、人間同士の心の通い合う交流であることを忘れずにいようと思います。

2016年3月23日 (水)

あきれてものも言えず

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「75年も生きて何を学んできたのだ」…J-CASTニュース(3/22)

「注意に逆ギレ6歳の首絞め」老人に批判殺到… 6歳男児にポイ捨てを注意され、逆ギレした75歳の男が逮捕された。

ネットでは「最低な大人」「大人の行動とは思えぬ」と厳しい声があがった 「75年も生きて来て何を学んできたのだ」と男への批判が相次いでいる。

たばこのポイ捨てを注意されたことに腹を立て、男児(6)の首を絞めたとして、兵庫県加古川市に住む無職の男(75)が逮捕された。

ネット上では「最低な大人だな」「大人の行動とは思えぬ」と男への批判が相次いでいるが、本件に限らず「キレる老人」の姿は今やメディアで頻繁に取り上げられ、社会問題となっている。

人間社会では、モラル・マナーが大切 そのモラル・マナー守れないからルールが出来るのです。みんなで決めてルールを守らなければ社会の一員として失格です。

何を考えているのか?75年も生きてきて、「知識はあっても常識がない」これは情けない!プライドを傷つけだれた?…八王子市などは、市内「歩行禁煙」です。タバコは指定した所以外ではNOです。こんな大人がいるから、子ども達へ注意をしづらいのです。

この75歳の男は、ゴミは、どこに捨ててもかまわないと、子どもの頃から認識していたのでしょう。いま環境問題がこれだけ、危機的状態になっていることに、まったく無関心などです。

自分に直接関わる問題は、血相を変える…いわゆる現在多いと言われる…自分さえ良ければの自己中心の考えの持ち主なのです。その上注意されたからとて、子どもに手を加えるとは…あきれてしまいます。

人が見ていないから…捨てる篭なかったから…邪魔だから…小さいゴミだから…めんどくさいから…の理由で捨てられると思うのですが…それで爽やかな気分になれる?お思いでしょうか?それは、もう神経科に行くべきでしょう。そういう人、結構多いと思います。

人は必ず陰徳を修すべし

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「隠れての信は顕れての徳」かくれてのしんはあらわれてのとく…

人の見えない所で、良い事をすると誰も見て無くても神は天網恢恢疎にして漏らさず、ちゃんと見ていて、現実界で良い事を与えてくれる(おかげ)。という意味です。

また、「人は必ず陰徳を修すべし」…

人は必ず人に知られないところで徳を積むべきだというのです。

どんなに善いことをしてもそれを人に知られるようにやったら、それは徳にはなりません。人を助けるのでも、わざわざその事が相手にわかるようにして人を助けるのは「陰徳」とは言わないというのです。

人間は、善いことと、悪いことには、必ず執着がつきまとうものですから、善いことをしたという執念がつきまといます。同じように悪いことをすれば、悪いことをしたという、執念がつきまといます。

悪いことをしたなという執念が起こる方は、自分はまだ「悪いことをしてはいけないな」という方向に向いてくる可能性があるから、まだいいのですが、善いことをしたときに、自分は善いことをしたのだという自己満足を抱くと、これはなかなか抜けないものです。

善いことをしているのだから、どうしてそれを人に知られて悪いのかと思うし、どうしたって人に知らせたいと思うになります。

考えれば…徳を積むということは両刃の剣のようなものです。世の中には「ついている人」がいます。これは人に知られず陰徳をつんでいるからではないでしょうか…。それは、こっそり人に知られないところで、善いことをしていると、それがちゃんと報いてくるのです。そこが人生というものの面白さでもあるのです。

理屈ではなく、隠れて善いことをすれば、心が豊かになり、身体も、生活も変っていくのです。そして、それだけではなく、もっと別の大きな力が備わると思うのです。

2016年3月22日 (火)

この時代に生きる私たちの矛盾

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アメリカのコメディアン「ジョージ・カーリン」の言葉と言われていますが、ホブ・ムーアという牧師さんの説教がアレンジされたものだそうです。

「この時代に生きる 私たちの矛盾」

豊かで貧しい…なのか。
貧しくて豊か…なのか。

人生において本当に大切なものは何なのか。私たちの心を、静かに、そしてときに激しく揺さぶってくれる至極の言葉です。

ビルは高くなる一方だけれど、人の気は短くなる一方。

高速道路は広くなったけれど、人の視野は狭くなった。

お金はじゃんじゃん使っているが、得るものは少ない。

物は買いまくっているものの、楽しみは少なくなるばかり。

家は大きくなったが家族のかたちは小さくなり、ずっと便利になったのにも関わらず、私たちには時間が無い。

知識のある者は増えたが常識がある者はめっきり減り、その道のプロフェッショナルと呼ばれるやつが増える一方で問題は一向になくならない。

薬が増えたのに、病気がなくなる気配はない。

飲み過ぎ、吸い過ぎ、浪費に走る。それなのにほとんど笑うことはないし。

スピードを出し過ぎるし、すぐに怒る。

夜更かしをし過ぎるあまり、朝起きた時にはすでに疲れている。

読書しなくなった分テレビばかり、そして祈ることもめっきり少なくなった。

たくさん物を持つ、その一方で物の価値が目減りする。

私たちはおしゃべりが過ぎる。

愛するということを滅多にしなくなって、いつのまにか憎むことばかりが増えていった。

私たちは生計の立て方は学んだが、生きることを学んでいないのだ。

寿命が増えただけで、真の意味で生きてなどいない。

月まで行けるようになったというのに、隣人とはトラブルばかり。

外側の世界を征服したところで、私たちの内なる世界はどうなんだ?

大規模なことは成し遂げてきたけれど、本当に善いことは未だ達成されていないだろう?

空気を洗浄したぶん魂を汚し、原子核をも支配したが差別は一向に消えない。

たくさん書いているのに多くを学ばず、計画は増えたのに成し遂げられていない。

急ぐことばかりを覚え、待つことを忘れた。

多くの情報を抱えるべくコンピューターを作り、どんどんコピーを生みだしたが、コミュニケーションは減る一方だ。

ファーストフードのおかげで消化は遅く、体ばかりでかくて人格は極めて小さい。

利益利益で人間関係は希薄。

共働きで収入が増えた分離婚も増え、見た目ばかり良い家が増えたけれど、その中は崩壊している。

手軽な旅行に使い捨ておむつ、モラルはなくなり、ワンナイトラブが溢れる。

太り過ぎの体を持て余し、死に急ぐため薬を多用する。

ショールームに物が溢れかえるなか、倉庫は空っぽのまま。

テクノロジーはあなたの元へすぐにメッセージを届けてくれるけれど、読むも読まないも、また消すのだって、今やあなたの指先ひとつですべてが決まる。

今はそういう時代なんだよ。

忘れないで、愛する人と多くの時を過ごすことを。だってその時は、永遠には続かないのだから。

忘れないで、あなたに畏敬の念を抱く人たちに優しい言葉をかけることを。だって彼らはすぐに大きくなって、いずれあなたの元を去ってゆくのだから。

忘れないで、側にいてくれる人に温かなハグをすることを。だってこれがあなたが持っている1番の宝であり、しかもこれをするのに1円もかからないのだから。

忘れないで、愛する人に「愛している」と伝えることを。そのときどうか、心をこめて。

心からのキスと抱擁は、相手の心をも必ず深く癒してくれるから。忘れないで、相手の手を握り、共にいる時間を慈しむことを。だってその人はいずれ、あなたの前からいなくなってしまうかもしれない。

愛するため、話し合うため、そして思いを共有し合うための時間を作って。そしてどうか、これだけは覚えておいて。

人生は呼吸の数で決まるのではなく、どれだけハッとする瞬間があったかで決まる、ということを。

 

2016年3月21日 (月)

ブログ(ココログ)書き続け10年

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2006年3月20日ブログ(ココログ・つぶやき)を始めました。

ちょうど書き始めて10年経ちました。内容は、思いつきで、一部日記代わりのところもあります。そして、何と言っても何かを書かなくては…の想いで書き続けてきました。

誰でも年を取ると記憶力は劣化します。頭を使う時間を持つことが大切です。拙い文章ですが記事数6660件で、コメントや、アクセス(67万3000件)していただいております。「ありがとうの感謝」で幸せを感じます。

生きていく基本的な考え・信条(アイデンティティー)持ち通すことが、大事と思っています。基本的には、環境問題…ふるさとの心の大切さ…人と人の温もりを持つ尊さ…を訴えた内容です。

一日のパターン

早寝早起きです。朝は2時半に起きて5時にまで、テーマ・内容を考えてパソコンで書く…5時から朝食作り…朝が早いので昼寝を20~30分します。そして就寝は19時頃です。なるべく一日のパターンを変えないように努力しています。

さーて、これからは、ちょっと変則になるかもしれませんが、書き続けたいと思いますが、健康問題・諸般の事情でどうなることやら…

2016年3月20日 (日)

ほーら春がそこまで来たよ!

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うぐいすは まだ控えめに 声の出し

きのうは、春らしい陽気なりました。

朝は雨でしたが、昼前に雨はやみ、午後から晴れて暖かくなり…

絶好の散歩日和(私にとっては…)になりました。

いつものコースを散歩していますと、竹やぶの奥から、まだ喉の調子を整え中?控えめに?うぐいすの鳴き声を聞きました。

ほーら春がそこまで来たよ!

ほっと…何んとも言えぬ気分に…

春が確実に来つつあることを、生きとし生きるすべてが察知し…

動き出すのだ!

2016年3月19日 (土)

慈しみの心とは・・・

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「慈しみの心」

幸せになりたいと思うのならば他人を大切にして、思いやらねばなりません。人間は自分と他人との比較から幸せを感じたり、不幸を感じたりすることがあります。

人の幸せや喜びを願うこころのことを「慈しみの心」といいます。慈しみの心こそが、自分を幸せにしてくれるいう。自分だけの幸せや喜びを求める行為は、ときには人を傷つけ、恨みをかうこともあります。

それでは結局、自分が幸せになれません。自分の幸せは、周りの幸せなくして成り立たないからです。多くの人の幸せや喜びを実現しようとすることで、自然と自己中心的な考えが消え、自分の幸せにも近づけるのです。

しかし誰にとっても、なかなか難しいことです。でも頑張りたいです。

何故「慈しみの心」が必要かというと、いくら「私が私が…」と言っていても実際には、ここに私が生きていられるのは他の生命があるからです。

私達が生きるために必要な栄養素にしても、他の生命を経由して体内に採り入れ るものが大部分です。そしてまた、私達の体内には無数の微生物が住んでいて、なにかしら有用な活動をしています。

それらの生命に「これは私の体ですから、出て行って下さい」と言って追い出してしまったら、「私」も死んでしまいます。ひとつの体の中にも、多くの生命体が入り込みお互い助け合って共存しているの です。

ですから、「私」を発見する以前に、生命に対する「やさしい心」というのは、 大変必要な条件になります。

どんな宗教でも共通して説いているのは、この「やさしさ」ということで、生命はお互いに助け合って生きている……ということは重要なポイントなのです。

「慈悲の心」を育て上げられれば、自分は諸々の宗教に共通している真髄を実践しているのだと理解しても過言ではありません。

2016年3月18日 (金)

こんな物まで捨てるなんて・・・

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始めての経験です。ネコのトイレの砂を捨てられ…困ってしまいました。愛猫家?の仕業なのでしょうか…

今朝いつものように、ゴミ拾いをして大きな紙袋が捨ててありました。相当重い(約10キロ位)砂の袋が入っていました。よく見ると使ったものです。袋の中は他に弁当の空き袋・使用済みのテッシュなどゴミでした。私たちの町内の方なのかは分かりません…

この場所は、国道16号の住吉橋南側で、湯殿川の河川管理通路です、大きな桜の木が数本あり、毎年桜が見事に咲くのです。また、JR片倉駅に通勤・通学路です。近くには由井市民センターがあります。

通勤・通学路だからでしょうか、タバコの吸い殻が多くご近所のお宅も困っている場所です。管理している南多摩西部建設の事務所にお願いし、「ゴミのポイ捨て禁止」のポスターを掲示してもらっている所でもあります。

処分が大変です。規範意識が全くない?これは犯罪行為です。絶対に止めて欲しいです。

環境は一人ひとり規範意識が大事です

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郷土愛と規範意識について

規範は…人間生きていく上で最低限、身につけておかなければならない、最低限のルール・行動様式です。郷土愛…「精神的に支えてくれている土地、または、地域」で、地域を大事にする心です。

いま地球は、環境の危機で生態系が崩れてきつつあります。地球環境を守ることは人類にとて大事な曲がり角に立たされているといっても過言でないと思っています。

環境を守ることは一人ひとりの心にあるのです。郷土愛…から環境を守ること…規範意識をもつことが大事と思います。

「地球環境が大変です」「自然や生態系を守りましょう」「地球にやさしく」…地球環境の危機を伝える情報と、この問題への取り組みを呼びかける言葉が今、世の中にはあふれています。

ニュースでは毎日のように、何か環境にかかわる報道があり、インターネット上でも多くの情報が発信されています。学校でも子どもたちが授業で環境のことを習い、関心と知識とをたくわえる機会に恵まれています。

しかしなぜ、環境を保全しなくてはいけないのか、という理由を、誰かが納得のいく形で明確に示してくれることは、なかなかありません。なぜなら、その本当の理由は、一人ひとりの心の中にあるからです。

私たちが受けている環境の恩恵…

生態系の土台

 地球の自然環境を支えているのは、植物の力です。植物が光合成を行ない、光(太陽エネルギー)と水や土(無機物)から、葉や実などの「有機物」を作り出すことで、あらゆる動物は食物を得ることができるのです。

もし、植物が有機物を作り出してくれなくなったら、人間を含むすべての動物は、生きていくためのエネルギーを、全く得ることができなくなります。 環境のサイクル 他の生物を食べた動物の排泄物や死がい、枯死した植物などは、土の中にすむ小さな生きものたちによって、無機物に分解され、文字通り土に返ります。

分解者と呼ばれるこうした小さな生物たちは、環境の中で大きな役割を果たしているのです。有機物から無機物、そしてまた有機物へ…このサイクルが、自然環境を支えています。

人も環境づくりの一員

地球上の生命は、人間のために存在しているのではありません。人類も地球の生命の一員であり、豊かな自然、すなわち、生物の多様性がなければ生きてゆくことは不可能です。

土や大気、水を含む地球環境そのものが、生物の多様性なくしては成り立たないからです。何気なく、まちの道路・河川・公園に、ゴミ・タバコの吸い殻・ゴミのポイ捨ては絶対に止めて下さい。

2016年3月17日 (木)

春めく

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今日はきのうと、打って変わって、4月の陽気となり、めっきり春らしくなってきました。

「春は曙(あけぼの)…やうやう白くなりゆく山際(やまぎわ)、すこしあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。」・・・清少納言の「枕の草子」があります。

「枕草子」の「春はあけぼの」の詩句が今こそ、精彩を放つ時期になりました。その素晴らしさには、いつ読んでも心打たれます。

今日の散歩は、ちょっといつもより、距離を伸ばして歩くことにしました。河川管理通路の草「麦草」が、太陽の日の光でつやつや光っています。黄色いタンポポ・小さなイヌフグリの花が、春の訪れを告げているようです。

私たちのまちの広場の、桜のつぼみも一気に膨らんできそうです。桜の開花宣言も、もう直ぐでしょう。

お金の価値

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お金の価値

お金の価値はつくられるものです。額に汗して手にするものです。

お金は使われ方によって価値を持ちますが、使い方がわからなければただの紙切れです。お金を浪費して身を滅ぼしてしまうこともあり、身内の醜い争いのもとにもなりかねません。

かつては社会が教えてくれました、サービス産業や情報産業が今ほど発達していなかった時代には、若者のアルバイトといえば建設業や製造業などの手伝いでした。

欲しいものを手に入れるためには土や油にまみれてコツコツと働くしかなかったから、経済活動に現実感が伴っていました。しかしバブル経済以降、土地や株の売買は投資マネーの動きとして一般化し、ITによるバーチャルな商売も幅を利かせ始めました。

一夜にして巨万の富を得る「勝ち組」がいる一方、破産に追い込まれる「負け組」もある。某企業間の経営権争奪をめぐって株の売買合戦が巷の話題になっていますが、億単位のお金の動きには人間の体温は全く感じられない、人の目には見えないところで、冷たくてどす黒い”おかね”が飛び交っています。

働くことを通して人は社会的に共生していると、だれもが思っていたから、ものづくりにも技と心と人のぬくもりがあり、ものの売り買いにも心のふれあいがありました。けれども経済合理性のもとにこの価値観さえも否定され、働くことの意味やお金のありがたさが見失われてしまったようです。

 人は生きるために働き、働くことによって暮らしていける、しかし働くことはコストの一つにしか値しないとなると、人は生きる意味すら見失ってしまう、人情やいたわり、やさしさの心がなくなり、すべてがお金で計られる世の中になってしまったのでしょうか、お金絡みの一連の事件や出来事が多発するのは、社会のゆがみの深刻さの現れでしょうか…

「振り込め詐欺」…卑劣な行為です。

毎年、何百億円単位の被害が出ています。「振り込め詐欺」は、言葉巧みに人をだまして身内を思う心情をもてあそび、高額な金を送金させて利益を得る、まことに卑劣な犯罪です。 

しかし昔から「地獄の沙汰も金次第」・「世の中金次第」…ものごとはすべてお金で解決するという考えを持つ人が多いからでしょうか、善良な人の側にもこうした詐欺につけこまれる心のスキがあるのかもしれません。

2016年3月16日 (水)

お婆さんの日向ぼこ

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お婆さん 微笑み返す 日向ぼこ

あと一週間で春彼岸…まだまだ北風が冷たい…

いつものようにお婆さん

一人石垣を背にして日向ぼこ

白髪、しわ顔に微笑んで、何か話をしたそう…

「風が冷たいねー」

どこえ行くの?ちょとスーパーに買い物に…

「行ってらっしゃい、気をつけてねー、風邪ひかないようにね」

お婆さんの微笑が微笑みかした昼下がり…

2016年3月15日 (火)

幸せと思うことは・・・

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幸せと思うことは…

幸せとは当たり前のようで当たり前ではないものです。いま生きていることです。朝起きて、今日も生きられる…それが幸せと思えるのです。

光、風、鳥、花、木々たちなど自然と触れあっているときにも幸せを感じる。また、外を散歩をしているときにも幸せを感じる。そうして、夜寝るときに、今日も一日が無事に終わって…感謝できること…それが幸せ…といことだと思います。

また、人の喜ぶことが出来ること、人の幸せを願うことができること、人の助かることが出来るときにも感じます。本当に幸せだなぁー、有り難いなぁーと感じます。

人の幸せを心から祈っているときも、幸せに感じます。当たり前のようなことでも、それは奇跡に近い、素晴らしい出来事です。幸せはそのように心が決めていくものなのかもしれません。

日々の無事が奇跡…

日々の奇跡に近い出来事に、感謝することが幸せを感じれることなのかもしれません。そのような当たり前のようで、当たり前ではない、奇跡のような、幸せを日々心に抱きしめて感じていけたらいいと思っています。

ご飯一つとってみても、これを食べれるのは本当に幸せなこと、有り難いことです。何て幸せなんだろうと、奇跡のように感じれることが出来ればそれは幸せです。

心に余裕持つこと…

自分の心に余裕ができると、他人に優しくなれます。他人に優しくできる人は、感謝され、認められ、ますます心に余裕が生まれます。心に余裕をもつために、背伸びをしたり、自分をごてごてと飾りつけたりする必要はありません。

電車で席を詰めて座るように、ちょっと隙間をあけてやればよいのです。そこには、まだまだ多くの幸せが入り込む余地があるのです。私たちの心には、自分でも気づいていない余分の隙間がたくさんあるのです。

他人に必要とされる生き方をすること…

この世は人間だけでなく、なにもかもが互いに関係しあって存在しています。それぞれが互いを必要とすることでこの世は成り立ち、それぞれが存在しています。

人間だけでなく、なにもかもが互いに必要だからこの世に生まれてきた。ところが人間は強欲のあまりに殺生など傍若無人のふるまいをして、人と人、人と自然の互いに必要な関係を壊してしまうことがあります。

人は一人では生きていけません、生きとし生けるものも同じで、ただ一つで存在できるものはない。人間という言葉の意味は、世の中ということです。

世の中に生きているということは、一人ひとりが世の中の構成員であり、他の人とのつながり、支え合う存在です。すなわち必要とされる何かがあるから、その人は存在している、必要でなくなれば存在する意味を失うということでしょう。

      

2016年3月14日 (月)

歩くということ

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私は、毎日時間があれば歩く(散歩)ようにしています、目標は10000歩です。

歩くことは、「人生の道のり」を歩いているよう気します。何か同じような連想してしまいます。

歩く(Walk)…「ある目的地までの移動する手段」(Means to move to a certain destination)「人生の道のり」(The distance of the life)も…

歩くとは、ある目的に移動する手段ですが、近年では誰でも、健康を意識するようになってきました。そもそも人間は動物であり、他の動物と同じように「動く仕組み」が身体の中に備わっています。しかし便利な世の中になるにつれ、運動する機会が激減しました。

多くの人が運動不足を感じており、運動したほうが良いということは理解をしていても様々な理由(暑い、寒い、忙しいなど)により習慣化するのは難しいのが現状であると思います。胸をはり、大きく手を振って歩くことを心がけて…。

人生の道のり…

「すたすた」・「とことこ」・「せかせか」・「のっしのっし」・「とぼとぼ」…と言う歩き方がいます。

歩き方ひとつで、その人のこころが透けてみえるようです。人生はよく長い道を歩むことに例ええられます。その道をそれぞれがそれぞれの歩幅で歩いているのです。

決して平坦ではないその道には、のぼり坂もくだり坂も待ち構えています。平凡でいいからとなるべく平坦な道を探してみますが、なかなかそうもいきません。

歩き続けると、のども渇くし、お腹も減ります。そんな時に目の前にある、水や食料は自分で手に入れたのではなく、恵まれたものであると気付いた人は感謝と一緒の歩みに変わるでしょう。

ある日突然、歩くことが困難になってしまうかもしれません。その時には、今まで当り前のように歩き続けていたことが、当り前ではなかったことに気付くでしょう。

再び歩き出すことができたとき、深い感慨と悦びを感じるでしょう。歩き続けることが空虚に思えることもあるでしょう。前ばかりが気になって、足元がおぼつかないことにも遭遇するかもしれません。

でも自分の歩幅で歩き続けるのです。歩き方はそれぞれでも、しっかりと地に足をつけて歩いていくことが、人生の本当の歩みなのです。

 

2016年3月13日 (日)

木の芽起こしの雨

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地中や木の梢で凍てついている若い芽を、長い眠りからそっと呼び起こす、春のさきがけの優しい雨…たっぷりと水分を吸い、やがて雨上がりの陽射しに温められて、ゆっくりと植物たちが動き出す…

もっともっと、おじいさんになったとき、傍らにいる誰かに、私もしみじみと言ってみたい、「ほら、芽起こしの雨だよ。やっと暖かくなるね…」

今年の春は、暖かい日があるかと思うと、翌日は真冬に逆戻りする…という、温度差にちょっと閉口してしまう。三寒四温を実感しています。

日が長くなると、どんなに寒くても、植物はちゃんと「とき」を知っています。人間だって、きっと同じだ…眠りのとき、目覚めのとき、出会いのとき、別れのとき、成長のとき、衰退のとき…

宿命なんてものに、そうやすやすと降伏したくはないが、宇宙や自然の掟になら、私も喜んで身を任せよう。宇宙の成り立ち…40億年前の生命誕生の歴史が、ずっとそうであったように…

自民族中心主義を考える

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いま、世界中の多くの地域で民族紛争が起こっています。異なる民族や異なる宗教、異なる文化はそれぞれに固有の「善」の概念を持ち、価値を持っています。

それを他者に押しつけて、平和な世界が実現されるでしょうか…また、これからの社会は、エスノセントリズム/自民族中心主義…では、世界を治めることは、出来ないでしょう。

自分に固有の生き方を大切にしながらも、同時にみなが共に生きていけるような世界を築くためにはどうしたらよいのでしょうか…異なる民族や宗教、文化の人々が平和に共存するために、どのような「ルール」を作ったらよいのでしょうか…

将にそのことが問題と思います。そのルールを「正義」に求めたのが、アメリカの哲学者のジョン・ロールズです。

ロールズのいう「正義」は「人間は自由で平等であるべきだ」というものです。これだけが、世界中のどんなところにいて、どんな宗教を信仰している人でも受け入れられる共通のルールだというのです。

自由というのは、自分が人生で何をしたいのか、目的を立て、それを実現するために生きることが出来る、ということです。さらに、自分が生きる社会の構造を認識し、それを正しい社会にしなくてはならない、ということも含みます。

平等というのは、人々が等しい、ということではなくて、人がみな自由を持つ、そのことにおいて等しい、ということです。

けれども、人間にはうまれつき能力差があり、貧富の差があります。ですから教育や職業選択の機会を均等に開放していても、必然的に格差は生まれてきます。このことを避けるために、新しいルールが必要です。それを作るためにはどうすれば良いのでしょうか…

そこでロールズは「無知のベール」を提案するのです。自分に有利となるようなルールを誰も提案できなくなるように、みんな「無知のベール」をすっぽりかぶる…

うして、誰も自分の境遇や、社会的地位や身分、資産や能力、知性、体力がまったくわからないようにする。そうすれば、みんな自分が「もっとも弱い者」と考え、弱い者に有利なようにルールを作るでしょう。そうすることによって、本当の意味で自由で平等な社会を実現できるはずだ、と考えたのです。

自己中心性から脱却するために、いったん無知のベールをかけて考えてみようとロールズは提案するのです。誰にとっても公平・公正なルールを決めるためには、みんなが自分の実際の立場をいったん忘れて、様々な立場に自分を置いてみてどんな立場にいたとしても納得できるルールを考えようと言うのです。

2016年3月12日 (土)

挨拶とギブアンドギブのこと

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みなさんは毎日、挨拶(あいさつ)をしていますか?

「人に会ったら、あいさつをしましょう」…小学生でも知っている一般常識です。

しかし、大人になると日々の忙しさに忙殺されてしまい、挨拶がおそろかになってしまうことは少なくありません。挨拶がおろそかになっても、さしあたって大きな損害はありません。だからついついしなくなってしまいます。

でも、実は挨拶ってするメリットがたくさんあります。

毎日の挨拶はちょっと面倒にも感じるかもしれません。でも大きな声で挨拶をすれば、とても多くのものを得ることができます。挨拶を続けていけば、精神的にも良い影響が出るのは間違いありません。

きのう、散歩していて、小学生の女の子から、「こんにちは」…と笑顔で挨拶され、心が和む思いをいたしました。…「挨拶は大切だなぁー」と改めて感じました。そして、60歳代の女の方からも挨拶されて、「生きることの幸せ」を感じました。

世の中が平和になる

1.大きな声で挨拶をすると気持ちがいい
2.笑顔になる機会が増える
3.相手からの印象が良くなり、人間関係も良くなる
4.常識のある人という評価を得られる
5.挨拶から会話が始まる
6.思い立ったら今すぐに始められる

「おはようございます!」と挨拶してみてください。「挨拶してイヤな気持ちになった」なんてことは滅多にありません。また、「挨拶されてイヤな気分になった」なんてこともないでしょう。挨拶はするのもされるのも気持ちがいいものなのです。

これは大きなメリットです。挨拶をするだけで気持ちのいい一日を始めることができるのです。

「ギブ アンド ギブ」…心と実践

ギブ・アンド・テイクは与えたら、お返し得ると言うことですが、「ギブ アンド ギブ」は、一方通行で良いという考え方…「小さなことでも・他人に喜んでもらう」考え方・生き方

生きる喜び・幸せを感じることが出来る。「ギブ」とは英語で「与える」という意味です。「与えて、また、与える」…

ギブ・アンド・ギブは、お金だけじゃありません。白い杖をついている人を見かけたら、「お手伝いしましょうか」と声をかけるとか、「公園に落ちているゴミや空き缶を拾う」…というものです。

2016年3月11日 (金)

気が強い人・・・

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気を向けて行動

気を向けて行動することで、コミュニケーションは劇的に変化します。お互いに気を向けるからこそ、そこに「信頼の心」の交流が生まれます。

気が強いとは…辞書では「気性が激しく容易に屈しない性格」・「勝ち気」ですが、ここ一番、大事な場面においても「氣の交流が活発である」ということです。

自分が緊張したり、不安になっているときの状態になると、たいがい、自分の世界(心)がどんどん狭くなり、息苦しくなって、相手や周りとの交流どころではないはずで、周囲との交流が、途絶えた状態にあるはずです。

逆に、山に登って、雄大な自然を眺めている自分を思い浮かべると、心が広く、リラックスできて、大自然との交流によるエネルギーを感じ、なんとなく元気になって、それこそが、氣の交流が活発になっている状態になるのです。

そういう氣の交流は、山や海や神社などに行って充実感が強まります。しかし、普段自分の家の部屋の中でも、仕事場でも、どんなときにでも自然に、大なり小なり氣の交流が起こっているのです。

その交流をできるだけ活発にするように日頃から心がけることで、ここ一番の場面でも、自分の力を十分に発揮できるようになり、健康で元気になることが出来ると思うのです。

それでは、日常生活のなかで氣の交流を活発にするには…

まず理解すべきは、人間は本来、気の交流は本来活発なはずなのですが、の交流を妨げている最大の原因は、自分自身だということです。

姿勢が悪い…どこか緊張があり…暗いことを考えていて…人の悪口を言っていたら、もともと活発であった氣の交流もすぐに止まってしまいます。

逆に、姿勢を良くしてリラックスして、明るいことを考えたり、話していたら、自然に相手や周りとの氣の交流が強くなってきます。それは、実は本来の自然の姿に戻っているだけなのです。

そして、ここ一番や、何か大きな壁にぶつかったときにも、身体を緊張させるのではなく、いつものように姿勢を良くしリラックスして、対応できるようになったら、自分本来の力を十分に発揮できると思います。

そういう「気が強い人」になれるように、日頃にこそ、いつも心がけたいものです。

人の心の持ち方・鍛え方

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まだこの位はと思っても…現実の身体能力の衰えは、如何ともし難いものがあります。「あぁー年なんだー」と、身の程を知ることが多くなってきた…80近くなれば当たり前?

そんな歳になって、考えるのですが…病気などの身体的能力の減退の差・家族や身内などの環境の変化によって、同じ年頃の人でも、幸せに毎日を過ごしている人もいれば、そんな歳になって苦労して悩んでいる人もいます。

私たちは、ある意味平等に身体や脳の機能をみんなに与えているのに、これだけの違いと…思えるほど、違いが出来てくるのです。

私は、このような違いが出るのは、心が全てであると思うのす。良い人生を歩むのも、苦労や悩みに満ちた人生を歩むのも、全てその根源は心に起因していると思うです。

もちろん、その時その時にその人が置かれている環境はそれぞれです。でも、同じような環境の中でも幸せになる人と不幸になる人がいます。

心の持ちようがすべての根源で、同じ事象をどのように受け取るかが幸せになるか不幸になるかを決めているように思います。そして天は、ほぼ平等に同じような身体機能を私達に与えているのです。

その機能をどのように使うかは、その人の心次第なのです。幸せになるように使うのか、不幸になるように使うのかその人の心にかかっています。

つまり、誰でも幸せになりたいのなら、まずは自分の心に目を向けて、その心が自分に与えられた身体機能を幸せになるように使えるように、心身の修練などで、維持する努力をすることです。

幸せ、不幸せは環境ではなくその人の心の感じ方の中にあるのですから、幸せになりたかったら自分の心に目を向けて、トレーニングするしかないのです。

人それぞれを決めているのは、その身体や脳の機能ではなく心です。頭脳の良し悪しが幸せ、不幸せを決めている訳ではありません。ましてや体の機能が決めている訳でもありません。

そんなものはみんな大同小異なのです。大きく違うのは心だけです。だから人間は心が全てです。健康になるのも病気になるのも心が全てす。幸せになるのも、不幸せになるのも心が全てです。

今の世の中はストレス社会で、心を消耗する事ばかりが多くなってきました。お互い心を傷つけあうことが職場でも、学校でも、地域社会でも、政治でも当たり前になっているのです。

2016年3月10日 (木)

ストレス社会に生きる

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ストレス社会に生きる現代人は、何らかの精神的な不安や悩みを抱えています。

薬物依存で人生を破滅…中学生が間違いで、万引きしたと先生に言われ自殺…野球選手の賭博…暴力団の抗争…毎日テレビのニュース・新聞の記事は、暗いニュースが多いように感じる今日この頃です。

少子高齢化時代といわれる現代では、人々の生き方についての思いはさまざまです。男も女も子供を生み育てることを人生の第一義としなくなり、それぞれの自己満足を充足することを生きがいとするようになりました。

なんらかの刺激で体内におこる、防衛的反応や精神的緊張のことをストレスといいます。家庭生活においても、職場でも、地域社会でも、ストレスを感じながら生きていかなければならないのです。

ストレス社会に生きる現代人は悩み苦しみの原因を他に求めたがります。親や家族、会社や同僚、上司など、他が変わらないかぎり自分の悩みが解消されない、などと思いこんだり、他のせいにしてしまうから、悩みは複雑です。

また、ことさらに自分を卑下したり、ひきこもってしまう人も多いようです。いじめや、メールなどによる誹謗や中傷、非行、薬物乱用、犯罪などの青少年の問題行動も、ストレスがもとで起こす行動と考えられます。

人々は何らかの精神的な不安や悩みを抱えて、日々落ち着かない生活をしています。ストレスが解消されないと、精神的な不安や悩みはさらに深刻なものになり、体調までくずしてしまうと家庭崩壊や人生の破滅につながります。

穏やかな日々の暮らしには生きていけるだけの衣食住が必要です。ところが経済危機のもとでは生活不安を感じざるをえません。健康で長寿であることを願うけれど、長生きすればそれだけ老化の苦しみがともないますが、介護や年金の先行きが心配です。

2016年3月 9日 (水)

白木蓮の街路樹の街を散歩する

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みなみ野の 街に似合う 白木蓮

青空に 白木蓮は 風を呼び

きのう、八王子市みなみ野の街を散歩してきました。街路樹に白もくれんが植えられて、春の日差しに輝いていました。晴れて暖かく、4月の陽気のようでした。

開発される前は、7つの国が見渡せる峠がありました。七国峠は甲斐国、上総国、駿河国、伊豆国、安房国、武蔵国、相模国の7つの国が見渡せたことから由来しています。

子は親の鏡

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公園・広場などで、「挨拶する子ども」、頼んだら(ゴミを捨てないでね!と言ったら)「ハイ」と答えた子ども」「飲み物の空き缶・ペットボトルをしっかり家に持ち帰る子ども」もいます…が、そうでない子もいます。

昔から「子は親の背中を見て育つ」と言われています。

実際私も、二人の子供を育ててきましたが…「親の背を見て子は育つ」のだと思います。一般的に言えるのは、親の影響をしっかり受けていて、それを本人も自覚して、良い面、悪い面あります。

何代も続いた名門といわれる【家】となると、継承されている伝統の文化があります。そして、「しきたり」「家風」というものがあります。現代の一般社会では、核家族化・自由思想の世の中で、思い思いの子育てをしているようです。

しかし、社会に生きることは、ルール・モラル・マナーなどの制約があることは、しっかりわきまえて、子育てをしなければいけないのは当然のことです。

場合によっては、親は「反面教師」…親の背中を見て幻滅したり、苦しんだりしたことを受け止めなければいけないこともあるでしょう。それぞれが育った家庭の違いはあると思います。

子供とのコミニュケーションは言葉だけではありません。生活そのものが大切なのです。

さりげない会話だけでなく、問題に直面したときの対応のし方、躾、礼儀作法、人と接する態度、親の価値観や考え方、いろいろのものを感じ取り、その中から子供が自分の考えに沿うもの、沿わないものがでてきて、衝突したり、意見を交わしたりして過ごす、普通の生活にこそ大切なものがあると思います。

「親の背中」に嫌悪感があっても、頼もしさがあってもそれは大切なことです。それを一つの基準として、子供は何かを量っているところもあるのかも知れません。

多分「親の背中」というのは、自分と社会の最初の出入り口だと思います。夫婦の関係や親の社会性を象徴しているのです。

子どもの社会的道徳・規範意識の、有り無しは、親の子育てに関わりが強く影響されています。「子どもを注意するより親を注意しろ…」となるのです。それだけ責任は重大なことです。少なくとも「モンスターペアレント」とは恥の上塗りと思うことです。

挨拶は心が和みます

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あいさつは、心が和むものです。

きのう、新興住宅のまちを始めて散歩して、学校帰りの小学生に「こんにちは」と…あいさつされ心が和みました。そして、また40代の主婦と思える方からも「こんにちわ」と笑顔で挨拶されて、感動したのです。

私は、毎日のように散歩しています。子どもや、見かけない人にも挨拶しています。「挨拶する」ことを心がけています。

今は、道行く人々はみな、自分のこと他人のこと、知らないそぶりで通りすがります、しかも何か怒った顔ばかりに見えます。すごく寂しく冷たいと感じます。

「知らない人には、しらんぷり…」

「子どもや、自分より年下にはできない」

「ちょと偉そうな人だから」…誰もがそう感じてると思います。

挨拶は…人間同士コミュニケーションの第一歩であるのは、言うまでもありません。「人の信頼」につながり、「安心→心が和む」→「思いやり心」が醸成されるのです。

それは歩く度に、数百人それ以上の人にいちいち挨拶などしては、お互いが時間をとりすぎて迷惑だからでしょう。やむを得ないでしょう。しかし、残念なことに、これが要因となって、犯罪が増えてるのも間違いではありません。

心和むのはハイキングコースでほとんどがお互いに挨拶しあうことです。いかんせん若者に挨拶してくれる人は少ないのが残念です。慣れていないのでしょうし、照れもあるかもしれません。

田舎では今でも、すれ違うた度に挨拶をしあう地方はあります。すれ違う人が少ないだけに、時間も、無駄ではなく、お互いに気持ちがよいからです。見習いたいものです。

2016年3月 8日 (火)

まちづくりは清掃活動から・・・

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「きれいなまちには、きれいな心の人が育つ」

“町をきれいにすること”…で、犯罪は減り、人々の笑顔が増えます。

アメリカのニューヨーク市長が実証した話は有名です。まちがきれいなると、犯罪は減り、人々は明るくなって、活気が出てきのです。「割れ窓理論」

今、私たちのまちでもゴミのポイ捨てが、多く、環境が損なわれています。

歩道に散らばるたばこの吸い殻、植え込みの陰の空き缶、公園に残されたファスト・フードなどの包装容器…これら「ポイ捨てごみ」の散乱により、まちの美観が損なわれています。

「ポイ捨てごみ」がはらむ問題は、まちの美観にとどまりません。たばこのフィルターや、プラスチック、金属類などの分解されにくい材質のごみが、動物の誤食や、からまり以外にも自然に影響を与えていることはいうまでもないことです。

「ポイ捨てごみ」対策は、まちの美観、自然に与える影響の両面から、環境との共生をめざす、まちづくりにとって重要な課題となっています。

八王子市では、灰皿やごみ箱などの回収容器が設置されている場所以外では「ごみは持ち帰り」が原則です。しかし現実には、公園、道路などの公共の場所に限らず、私有地にも「ポイ捨てごみ」が散乱しています。

捨てられたごみを掃除する責任は、まず第一に捨てた本人にありますが、誰が捨てたのか分からず、放置されてしまった場合は、その場所(土地・建物等)の所有者または管理者が責任を持って清掃しなければなりません。

このため所有者または管理者にとっては、その土地・建物等を清潔に維持するための費用が必要となります。八王子市が管理する道路や「ポイ捨てごみ」の目立つ公園などの清掃のために使われている経費もかなりの額に上っています。

老後の不安が募る

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昨年に100歳以上のお年寄りが6万人を超えたという。おめでたい事です。

の一方…老後の不安は募るばかりです。

日本の超高齢化は、深刻な問題が浮上してきていると思います。藤田孝典氏の造語で「『下流老人ー一億総老後崩壊の衝撃ー』朝日新聞出版 2015)。」

下流老人とは文字通り、普通に暮らすことができない下流の生活を強いられている老人を意味します。

確かに、深刻な話です。今日の食事、今月のアパート代にも困窮している、圧倒的多数の生活困窮高齢者 の「下流老人」です。

「3B」・・・★ぼっち(独りぼっち)★貧乏★ボケ(認知症)…

「老人の一人暮らし」・「医療・介護」・「地域とのコミニュケーション」などは今後大きな社会問題となってきそうです。

超高齢社会となった日本において、深刻なのが独り暮らしの高齢者の問題です。その数は、600万人を超え…と言われています。その半数が生活保護水準以下の年金収入しかないとのことのようです。

マイホームを持ち、退職金をもらい、生活できる程度の年金がある高齢者もいる一方で、「破産」寸前の状況に追い込まれている高齢者がいる現実は衝撃です。

老後の不安…

「老後に不安あり」96パーセントがあるという。その理由と解消方法とは?

もちろん、年金・医療・介護の社会保障の充実による改善を望みたいところですが、若者世代は、老後に備え、自らの力で将来の不安を軽減させるためには、将来設計をきっちりしなければならないのは当然なことと思います。

2016年3月 7日 (月)

人生に無駄なことなんてない

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本田宗一郎の名言に「人生に無駄なことなんてない」…があります。

人生は、平坦な道ばかりではありません。いくら努力しても、その成果が見えないときって、つい「今自分がしていることはいったい何なのだろう」とか「あの時もっとこうしていれば」と、反省?することがあります。

物事がうまくいかなくて苦しいときは、自分が成長しているとき…で、物事がうまくいっているときは、自分が成長していないとき…80歳近くになって、つくづく思うのは、人生って、無駄なことはないということです。

結果が決まっていることでは、新しいことは生まれません。

一般的に無駄ではないこととはなんでしょう?確かに、目的に向かって最短距離に進むために、回り道などせず論理的に行動することが、無駄なことをしないということなのかもしれません。

しかし、それでは新しいことなど何も生み出せないのではないでしょうか…

ゴールが決まっていて効率的に行うことに、新しい気づきはありません。結果が決まっているのですから、何も考えなくなってしまうからです。

そして、結果が決まっているのであれば、新しいことが生まれる余地はありません。一見、無駄と思えることが新しい気づきになったり、新しい発見のきっかけとなるのです。

人生において過去の行動を無駄なことにするのもしないのも自分しだい…

私もこれまでの人生の中で、無駄だと思えることが、数知れずありました。それらの時間やお金があれば、得られたことは他にたくさんあったかもしれません。しかし、そういった時間を経験したことによって、今の自分があると思っています。

そして、今ではそれらの経験や、時間の使い方を改めて考えるようになりました。また、お金についても深く考えるようになりました。これらのことに気づき、教訓にできたことによって、私は一般的には無駄だと思うことを、無駄ではない貴重な経験へと変えられたのだと思います。

柔軟なもののほうが剛直なものよりも、かえって耐える力が強いことをいう。「柳の枝に雪折れなし」とも言います。人生いき詰まり悩む場面に遭遇したときなどで、立ち直りには、それまで無駄と思っていた経験が、役に立つことがあるのです。

人生の中で無駄なことをせず、ありきたりな人生を送ることは、無数にある自分の可能性を否定して生きているのかもしれません。そういう人の方が、ある意味人生を無駄にしてしまっているのかもしれません。

そのとき、無駄な空回りをしているように見えても、それって、後で必ず自分の栄養になっていると思うのです。

人生の中で、一見無駄に見えること、回り道のように見えることでも、後で必ず、「ああ、あのときの体験はこのときのためにあったんだな」と思えるときが来ると、自信を持って言えます。

むしろ、あのとき逃げたり斜に構えたりしないで、もっと徹底的に経験しておけばよかった、と思うことがあります。

2016年3月 6日 (日)

ありがとうの感謝の気持ちを持とう

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グローバル化した社会では、日本も国際社会の責任ある国とした価値観で対応しなければならないと思います。私たち一般庶民でも、否応なしに身近に感じることが多くなってきました。

日本国内でも、マイナス金利・株の乱高下・暴力団の抗争などと少子高齢化・医療介護などなどで、不安を感じる人が多くなっていると思います。

そんな昨今ですが、こんなときだからこそ心にも余裕をもって、今自分がおかれている環境のなかで満足できる何かを見つけ、“ありがとう”という感謝の気持ちを忘れないようにしたいものです。

家族や身近な人に…日々顔を合わせる人に“ありがとう”という気持ちを感じていますか?

もしそうでないなら、ぜひ“ありがとう”と思うことを意識してみて……人は感謝の気持ちを覚えることで、より謙虚になり、人間関係もよりスムーズにしていけると言います。

それだけではありません…“ありがとう”という感謝の気持ちひとつでより幸せを実感できる、ということが心理学のアプローチからも注目されています。

「“ありがとう”の気持ちが強まると、目標を決め、達成しようというモチベーションも上がる」

いろんなことに感謝できるようになると、意識もよりポジティブで楽観的なものに変わってゆきます。そうなると、自分なりに目標や理想を設定し、それを達成しようというモチベーションもぐっと高まります。

“実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな“

という名言がありますが、これも成功をおさめた人ほど、感謝の気持ちを忘れず謙虚であることを忘れないという戒めでもあるのでしょう。

傲慢で、人を見下すような態度をとっている人には、決して人望も集まらないし、個人としても幸せな気持ちにはなかなかなれないことでしょう。“ありがとう”という感謝の気持ちは、キャリアやプライベートで幸せになるためにも、とても大切なことです。

2016年3月 5日 (土)

啓蟄で思う

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虫たちの 眼を覚ましたる 春になり

今日(3月5日)は24節季の啓蟄です。啓蟄(けいちつ)いったい何なのかと言うと…「冬ごもりをしていた虫たちが出てくる」 という日です。日本では「啓蟄」と書きますが、中国では「驚蟄」と書くそうです。

まだ冬のコートをしまいきれないが、地底深くぬくぬくと冬ごもりしていた虫たちが土のなかから出てくるには、まだちょっと早いんじゃないかなー、といらぬ心配をしてしまいます。

それでもひと雨ごとに春の陽気となっているのはたしかで、花はその身を外気にさらしているのだから、花の時期を見極めているのだろうと推量できます。

土のなかにいる虫たちはどうしてそれを知るのだろう。ちょうど今時分、今年最初の雷が鳴り、これが合図になっていたと考えられて「虫出しの雷」という言葉もあります。

「虫出しの雷」…冬眠している虫をさそい出す意味です。 立春後の初めての雷を指す言葉です。鳴り響く雷は虫たちの目覚めを促す自然の目覚まし時計の音なのかなぁー

「春が来たぞ、早く起きなさい!」虫出しの雷は、そう呼びかける天の声なのでしょう。

この天の声に応じて目覚めるのは何も虫たちだけということはありません。冬眠するなら両生類でも爬虫類でも哺乳類でも同じです。

虫以外のものが姿を現す…虫も蛇も熊もみんな「春が来たぞ」と知らせるこの天の声が聞こえているのでしょう。

熊や蛇の姿は目にしませんが、ちょっと以前には、啓蟄を過ぎた頃から、私の回りで蛙の声がうるさいほどに聞こえていていましたが、今では、ほとんど聞くことが出来ません。人間の勝手な、振る舞い(開発)で蛙の姿を見ることすら出来ません。

本当に残念な思いです。何とか復活させたい思いです。

雑排水が川に流れていた!

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驚き!雑排水が川を汚していた…

昨日、私たちのまちを流れる、湯殿川に、雨水の排水管が(直径1メーター位)あるのですが、どうも、異様に汚れて放出されているようでした。相当まえから(何年も…という感じ)で排水し続けているようでした。

どうしてか?色々思案したが、どうすることも出来ず、「八王子市役所 水循環部水再生課水質保全担当」に電話し調査以来をしました。

職員が3人が来ていただきました。湯殿川に注いでいる排水管は、梯子を使わなければ降りられない場所です。汚水が、排水管の出口に泥流化して溜まっていました。

その原因をまず調査することにし…道路にある、排水管のマンホールの蓋を何箇所も開け、目視してみたのですが、どうも、雑排水の処置が(雑排水の管に接続)されていないお宅があるようでした。(調査は1時間位…立会いました)

そのお宅には、八王子市水再生課で、指導していただき、川には、汚水が流れないように、して頂きたいと思います。

それにしても、八王子市は、上下水道は完全に終っていると思っていましたが…「美しいまちにしよう」・「湯殿川をきれいにしよう」…ゴミを拾いをしていますが、まさかこんな問題があるとは…残念です。

やはり、地域の環境を守るには、地域のみんなが監視…一人ひとりの理解と、認識ががなければと思いました。

2016年3月 4日 (金)

日本の伝統文化を次世代に継承しよう

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昔から、「礼儀作法」は、社会で生活するのに必要な「ルール」として、「行儀作法」は、人に迷惑をかけないという「しつけ」として、家庭や社会で教えられてきました。

この礼儀と作法が無くなると、犯罪や事件が増えると言われています。

昔は二世代家族が、普通(常識)であした。しかし、現在では、「核家族」が常識のようです。そのために、暮らし方に大きな変化があり、「社会常識」・「価値観」・「規範意識」が違ってきています。その結果は、助け合い精神が、自己中心に変容してきたと思います。

いわゆる…「自分さえ良ければ…」という考えです。

日本人にとって、「助け合う」ことは、当たり前のことでしたが、日本以外の国では、考えられない行為のようです。これは、私たち日本人の道徳心がとても高いと言う事であり、この道徳心が治安の良い国を作り出してきたとと言えます。

近年は、日本においても、自由や個人主義が横行して、住みにくい社会になりつつあります。それでも、他国に比べると秩序のある国であることに間違いないと思います。

そういう日本を作り上げている私たちは、「日本人としての誇りと自信を持つ」ことが大切だと思っていますが…

グローバル化した社会において、異文化の違う相手とのコミュニケーション作りにも、日本人としてのアイデンティ(道徳心や気質)をしっかりと持って交流・対応できるようにならなければ、相手の文化や考えを丸ごと受け入れてしまうことになります。

そうならないためにも、日本人の道徳心や気質を育む伝統文化や習慣などの常識を次世代に正しく伝えていくことがとても大切であると、思っています。

もう春です

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タンポポは 枯れ草の中 春を告げ

もう春で~す。

春告げの花、くじけない花としてタンポポは多くの人に好かれています。

「アスファルトの裂け目でも石の間にも、咲くタンポポ」・「踏まれても踏まれてもくじけずに花をつけるタンポポ」…悪い条件でもたくましく生きる…

昨日、湯殿川の河川管理通路を散歩して、灰色の枯れ草の中に、一点…黄色い花が目に止まったのです。「あれ!タンポポだ」と思わず、近寄ってみてしまいました。

湯殿川の鯉も、暖かさを感じてきたのか、喜んでいるようで、威勢よく泳ぎまわっていました。

最近、だいぶ日が伸びてきたことを実感します。そして、気温は16度ぐらいでした。集いの公園よりの眺めは、遠くに雪に覆われた丹沢山の山並みと、真っ白な富士山がとてもよく見えました。

2016年3月 3日 (木)

「まち」の美化を考えよう

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私たちの「まち」は美しいと思いますか?

きれいな「まち」も何もしなければ、紙屑やたばこの吸い殻(散乱ごみ)が、落書きが、と次第に汚れていきます。誰かが掃除をしないと、きれいで、快適なまちは維持できないのです。

日本では、欧米諸国と比較して、公共スペースの美化・清掃システムが立ち遅れていると言われています。さらに、大都市では、地域社会の崩壊に伴い、コミュニティ意識が希薄化していることも、まちが汚れる原因となっています。

「まち美化」は行政や他の誰かに任せるのではなく、地域に暮らす人みんなで真剣に考えていく必要のあるテーマです。

「まち」をきれいにしているのは誰でしょう

一般に、道路や公園、広場などの公共空間の清掃は、行政が管理業務の一部として行っています。清掃作業にかかる費用は税金で賄われていますが、限られた財源の中で、行き届いた清掃作業を行うことは困難な面があります。

あなたのご理解・ご協力が必要なのです

それを補っているのが住民のボランティア活動です。毎朝の自宅前の清掃から、道路や河川のごみ拾いなど、全国各地でさまざまな活動が行われています。

個人での活動、団体での活動、継続的な活動、単発的な活動などまちまちです。このようなボランティア活動は、今後ますます重要になりますが、これらの活動の多くは自主的に行われており、現時点ではまだ社会の仕組みとして確立されたものではありません。

各地域で行われているまち美化の仕組みを、自分の目で確かめ、自らの役割を考える。ここから地域独自の仕組みづくりが始まります。

「まち」はみんなの共有財産です

「まち」を構成する公共空間は誰のものでしょうか…公共空間は、わたしのものであり、あなたのものでもある、みんなの共有財産です。まちの美化は、そこに暮らす私たちみんなが進めていかなければなりません。

駅前、街路、公園…を共有財産として見直してみてください。ごみの散乱状況、行政の清掃事業、ボランティアのまち美化活動など、今まで見えなかった部分が見えてきます。そこから、一人ひとり「まち美化」を考えて、何ができるか…実行して欲しいのです。

人間くさい・・・とは

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町内会・自冶会での回覧板をお隣に持っていく、ただポスト入れるだけではなく、「お早うございます」「今朝はとても寒かったですね」「風をひかないように…」などと、一言声をかけることは、とてもだいじなことと思います。

「人間くさい」…機械のようではなく、血が通い、心があり、喜怒哀楽がある、ということです。手書きの年賀状は、相手の暖かい気持ちが、より感じられるものです。

善いことも悪いことも考え、正しいこともするが間違ったこともする、時に賢く、時に愚かでもあり、コンピュータにはプログラムしきれない、人間ならではの思考や行動をすることです。 

人間の優秀なことより、むしろ「愛すべき愚かな点」「理屈には合わないかもしれないが、心情的に共感できる点」について「人間くさい」が使われることが多いと思います。

「人間くさい」と「人間らしい」はニュアンスが違います。

「人間らしい」は…「優秀よりは、愛すべき愚かなこと、心情的に共感できること」に、とくに重点が置かれるわけではなく、「冷酷無比ではない、人間的暖かさや、感情を持っている」ということです。

たとえば…

「偉人の伝記を読んだら、子どものころ泣き虫だったり、いたずらっ子だったりと、人間くさいところもたくさんあって、親しみをおぼえた」・「あの人は、二枚目で上品で素敵だが、どうも人間くさいところがなくて、とっつきにくい感じがする」・「彼はとても優秀なエリートだが、態度が冷たく、友だちもなく、人間らしい点に欠けている」

「いいじゃないか人間だもの」。。。相田みつをの詩…心が救われます。

時には、間違ったっていいじゃないか…泣いたっていいじゃないか…できないことがあったっていいじゃないか…落ち込んだっていいじゃないか…

人間だもの、スーパーマンじゃないんだから、コンピュータじゃないんだから、神様でも仏様でもないんだから…。

つらい時に自分を責めるのは、自分で自分をいじめているようなものです。つらい時には「いいんだよ」って、自分にやさしくしてあげたほうがいいのではないでしょうか…

2016年3月 2日 (水)

他人事でない「認知症の事故」

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認知症の事故、家族の責任なし…最高裁が初判断」…

おおきな関心事…私だけではないと思います。私たちの将来を考えると、今高齢者の最大な「不安」は、介護問題…です。そして、人生を安心して終うことを、願わずにいられません。

身近に迫る…関心事でありました。私の兄夫婦で、子ども達の在宅介護で、その現状を、近くで見ていて、在宅介護の限界を感じるまで…深刻な問題と受け止めています。

従事者の不足・介護士の待遇問題は、川崎市で起きた事件に見られるような、大きな社会問題となっています。

誰でも避けて通れない…人生の終焉…を安心して送れることは誰も同じだと思います。それぞれの家族事情などで、在宅・施設で人生を終うことになるのですが、現状では施設にならざるを得ない人が殆どではないかと思います。

「産経新聞ニュース」

「認知症事故訴訟、家族に賠償責任なし JR東海の逆転敗訴が確定 最高裁判決」

高齢者の4人に1人が予備軍とされ、平成27年で約520万人、37年で約700万人まで増加すると厚生労働省が推計する認知症…最高裁が示した判断は、認知症など高齢者介護の現場に影響を与えそうだ。

争点は認知症高齢者を介護する家族の監督義務。民法714条では、認知症などが原因で責任能力がない人が損害を与えた場合、被害者救済として「監督義務者」が原則として賠償責任を負うと規定している。

1審名古屋地裁は、「目を離さず見守ることを怠った」と男性の妻の責任を認定。長男も「事実上の監督者で適切な措置を取らなかった」として2人に請求通り720万円の賠償を命令した。2審名古屋高裁は「20年以上男性と別居しており、監督者に該当しない」として長男への請求を棄却。妻の責任は1審に続き認定し、359万円の支払いを命じた。

読売新聞の社説(3/2)…「認知症事故判決 賠償責任の議論を深めたい」

朝日デジタルニュース…『認知症事故判決「家族にとって救い」 誰が責任…課題も』

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物忘れと認知症は違います。

認知症は何かの病気によって起こる症状や状態の総称です。老化によるもの忘れと認知症は違います。誰でも年齢とともに、もの覚えがわるくなったり、人の名前が思い出せなくなったりします。こうした「もの忘れ」は脳の老化によるものです。

しかし、認知症は「老化によるもの忘れ」とは違います。認知症は、何かの病気によって脳の神経細胞が壊れるために起こる症状や状態をいいます。そして認知症が進行すると、だんだんと理解する力や判断する力がなくなって、社会生活や日常生活に支障が出てくるようになります。

2016年3月 1日 (火)

隣人愛とは

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「人にしてもらいたいと思うようなことを、自らしなさい」

これは、イエスが語られる「隣人愛」を表した言葉です。「隣人愛」…無条件で万人に平等な愛のことです、 神が私達に与える愛のことでもあります。

儒教の教えにも似たような言葉があり、日本でもよく知られています。

「己の欲せざる所、人に施すなかれ」…

つまり、「自分がして欲しくないことは、他人にもするな」ということですが、これも隣人愛のひとつです。

昔から母親によく、「他人に迷惑をかけないようにしなさい」と言われました。「他人に迷惑かけない」これは、とても大切なことだと思います。

たとえば、道路や公園などで、ゴミのポイ捨てする…自分勝手な行動をしていては、当然のことながら、多くの人に迷惑をかけます。これは親が、しっかり教えるべきは「マナー」・「躾け」です。

「~しない」という控えめな態度も大切ですが、それだけは、なんとなく物足りないような、寂しいような気がします。もう一歩踏み込んで、「自分がして欲しいことを他人にもしてあげる」という積極的なふれあいにこそ、温かな人間らしさを感じます。

たとえば、バスや電車に乗ったときは、「お年寄りの方がいたら、席を譲ってあげなさい」と、子どもに言うだけでなく、自ら進んでそうしてみる…そういう行いも、この言葉に込められた隣人愛ではないでしょうか…

「老いる」ということ

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実体験から…老いてくると、体力も気力も衰えてきます。

「初老期」…

色々な処に衰えを感じ始めるのが「初老期」です。かつては、40歳ぐらいの人のことを指していました。ただし寿命が長くなった現代では、「初老」が当てはまるのは60歳ぐらいからと考える人が多くなっているそうです。(NHK文化放送研究所)

人生の四つの時期…

古代インドでは、人生を四つの時期に分けて考えたという。「学生期(がくしょうき)」、「家住期(かじゅうき)」、そして、「林住期(りんじゅうき)」と「遊行期(ゆぎょうき)」…「林住期」(五木寛之)

人生には節目となるような時が何回かはあり、生き方が大きく変わることがあります。学校の入学・卒業、就職、結婚、定年退職…他にも、自らの意志で生き方を変える人もいるでしょう。

日本人は、世界保健機構(WHO)加盟国のなかで世界一の長寿国になりました。日本人女性の平均寿命は世界最長で87歳です。日本人男性の平均寿命は80歳で世界第8位、男女平均寿命は84歳で、前年に続き首位を維持しました。

先輩たちが経験したことのない長寿の時代をどのように生きるか、今、このことが課題になりました。 老いにともない悩みや心配ごとが増えるにつれて、わがままな年寄り根性が強くなるけれど、老いることで悪いことばかりではないはずです。

年の功で、人生経験が豊かになり、多様な判断能力が身について、なにごとにも偏らずに多角的に理解しようとします。

相手の気持ちも受け入れようとする寛容な気持ちの余裕もできて、自己本位の思いをおさえて、相手の立場に立って理解できる。さらには人をおしのけて進むことよりも協調性を重んじたり、対決軸を持とうとしなくなります。

このような「老人力」をどのように社会的子孫繁栄のために発揮するのか、これが長寿の課題でしょう。

豊かさを無限に追い求めることは、人間のおごりであり、決して真の幸福にはつながりません。心は楽にし、苦しめず、からだは使い、やすめ過ぎないことです。

平均を意識しない…他と比較しての価値判断基準から脱却することです。

知足…高望みせず、現状の自分自身を完全に肯定することです。

やがて私達は更に年を重ね、「遊行期」を迎えます。がんばりがきかなくなり、否応なしに自分の体の衰弱を認めざるを得ない時です。そして、ついには、この地上での生涯を終えるのです。

れぞれの時をふさわしく生き、美しく老いていきたいものです。

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