« 2016年1月 | トップページ | 2016年3月 »

2016年2月

2016年2月29日 (月)

悲しい出来事

Yjimage1

暖かい日もあれば寒い日もある、今日この頃です。桜の花が咲くことは誰とっても、楽しみです。

伊豆の川津桜が、見ごろという。その川津桜の苗木を、篤志家が、私たちのまちの広場(片倉時田まちの広場)に植えられたのです。

広場の隣はスーパーがあります。そして、昨年(2014年)12月に日帰り温泉がオープンしました。買い物やお風呂を、利用する人は、桜の花の咲くのを心待ちにしていて、今年は3メートル以上になった枝先に、ピンクのつぼみを、沢山ついて期待出来そうです。

悲しい出来事が…

寒さに耐え、やっとつぼみから、花を開こうとしていた、枝を折られていたのです。無残にも折れた枝が落ちていました……まだ、人の指ほどので50センチぐらいの枝です。どういうつもりで折ったのでしょうか?…涙がでそうです。

子ども?子どもの仕業でしたら、近くにいた大人は…なぜ注意し止めさせなかったのか?残念です。また、昨日は、砂場に、犬の糞がありました。

スーパーや日帰り温泉が近くに出来て、人通りが多くなりました。広場は、私たち町会(片倉町一丁目町会)の管理です。いつも美しい広場で、何時でも、誰でも、気持ちよく使えるように、アドプト制度で、「緑の会」を組織して、広場の除草・清掃をしています。

ゴミ捨て禁止・ポイ捨て禁止・ゴミは持ち帰ろう・犬の糞の始末は飼い主で・などの看板を貼っていますが…

樹木の枝を折る・ポイ捨て行為は、犯罪です。南大沢警察防犯課に巡回をお願いしています。絶対に止めて欲しいです。

感謝することで幸せを感じる

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

E6_01xga

生きてるだけで幸せです。

幸せとは、当たり前のようで、当たり前ではないものです。身近にあるもの、日々感じていけるものだと思います。

散歩をして、光、風、鳥、花、木々たちなど自然と触れあっているとき…人の喜ぶことが出来ること、人の幸せを願うことができること、人の助かることが出来るときにも感じます。

人の幸せを心から祈っているときも、幸せに感じます。

幸せは辛に一を足したものです。辛いと思っている一歩前は幸せなんです。辛いことがあっても幸せになりますように…そのような願いが感じられます。また、幸せは上下ひっくり返しても幸せです。

真の幸せとは、辛さの片りんもないことを言うのではないでしょうか…辛いときは、幸せに…幸せならもっと幸せにという願いが幸せという字に感じられます。

当たり前のようなことでも、それは奇跡に近いのです…素晴らしい出来事です。幸せはそのように心が決めていくものなのです。日々の奇跡に近い出来事に感謝することが幸せを感じられることだと思います。

当たり前のことは何一つありません。全てがかけがいのないこと、幸せなことなのです。そして、感謝出来ることなのです。

稲盛和夫氏…「生きていることに感謝する」

人は自分一人では生きていけません。空気、水、食料、また家族や職場の人たち、さらには社会など、自分を取り巻くあらゆるものに支えられて生きているのです。

そう考えれば、自然に感謝の心が出てくるはずです。不幸続きであったり、不健康であったりする場合は「感謝をしなさい」と言われても、無理かもしれません。それでも生きていることに対して感謝することが大切です。

感謝の心が生まれてくれば、自然と幸せが感じられるようになってきます。生かされていることに感謝し、幸せを感じる心によって、人生を豊かで潤いのあるものに変えていくことができるのです。

いたずらに不平不満を持って生きるのではなく、今あることに素直に感謝する。その感謝の心を「ありがとう」という言葉や笑顔で周囲の人たちに伝える。そのことが、自分だけでなく、周りの人たちの心も和ませ、幸せな気持ちにしてくれるのです。

2016年2月28日 (日)

困ったゴミのポイ捨て・・・

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

1101

ゴミの放置は生活環境を汚染するだけでなく、動植物の生態系まで壊し、自然環境全体 のバランスを破壊してしまいます。

ゴミの分別やリサイクルを強力に進めて資源の再 生産を図らないと、地球の資源が涸れ果ててしまいます。 川に捨てられたゴミを回収 することが大事になって来ます。

 地球の水は絶えず循環しています。

絶え間なく循環している海や川の水…もしも汚れた水で循環が繰り返さなければ、私たちが使っている水道の水や、生物などに、大きな影響を与えることになります。

モラルの崩壊?

最近、近くのコンビニのゴミ箱が、店頭に置かれていたのですが、店内に置いています。家庭ごみを捨てる人がいるからです。

中には自分の住んでいる地域のゴミ収集日を知らない人も? コンビニやスーパーなど公共の場のゴミ箱に家庭ゴミを捨てた場合は、不法投棄とみなされまして法的手続きも可能です。

近くのスーパーでも…貼紙がありました。

「家庭ゴミの不法投棄!」で処理に困っています。次のような張り紙をして注意を促しています。

「最近、地下駐車場に一般・家庭ゴミの不法投棄が頻繁に行われています。多くのお客様のご迷惑となっておりますので、警察への連絡をし、パトロール強化と防犯カメラの設置をしました。発見次第、即刻警察に通報いたします。」

「また、不法投棄を行っている者を見かけたお客様は、○○○従業員に連絡くださいますようご協力お願いします。」…というものです。

湯殿川の河川管理通路にも、管理管轄である南多摩西部建設事務所に、お願いし、ゴミ捨て禁止のポスターを貼って頂いていますが、ポイ捨ては減っていません。

もし、河川などで不法投棄をしている現場を見つけましたら、市役所、警察などに通報したいと思います。 できれば写真など証拠を提出したほうが効果はあると思います。

しかし、一日見ている訳にいきません。まして夜などは無理です。通行人の良心に、期待すしかないのです。

他に道路や公園などにも、タバコの吸い殻を始め、空き缶・弁当の空き容器・ペットボトルなどが、遠慮容赦なく?捨てられています。

幸せと心の豊かさ

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

3612

「見えない努力」

幸せになれる人は、人に見えないところで努力をしています。自分の人生を大切にし、人に見せるための人生ではなく…陰で努力しているのです。

誰でも明るく前向きに生きられる訳ではありません。明るく振る舞えるのは、人知れず何度も何度も泣いているからです。

幸せになるためには、自分を信じることです。そして自分らしい、生き方をすることです。生きていると感じるのは、何かに立ち向かっている時です。逃げていては、生きている実感は湧きません。そして幸せにもなれません。

「おかげさまの心」

「私、私」と権利は主張するけれど、みんなとの繋がりの中で、生かされている「私」ということが忘れられていることが、多いように思うのです。

「お蔭様」(おかげさま)は、感謝の心を表わす日常語です。

本来、「お陰」とは、神仏の助けや加護のことをさしていますが、そこから派生して、人から受ける恩恵や力添えをいうようになったのです。

また、「お陰様」の文字からわかるように、何かとうぬぼれが強く、自分の力で生きていると錯覚している私…私の気づかないところで(陰の見えないところで)、多くの方々に支えられていのです。

自分のことより、ちょっと他人のことを考える…こんな事ができる人を、心豊かな人と、言うのでしょう。

「心の豊かさとは」

本当の豊かさとは何かというと、それは、自分自身の心の中の、信頼する心です。

家族・地域・社会など…人が関わりあって、つくり出すコミュニティです。そしてまた、きれいな水であり、美しい森、花咲く…草や木なのです。つまり自然です。

しかし、現代社会は川を汚し、森を壊し、海を汚しています。お金を得るために、本当の豊かさを壊しているのです。

コミュニティや家族も、お金のために崩壊しようとしています。みんな、お金を稼ぐのに忙しく、家族がお互いを大切にすることが、できなくなっているのです。

コミュニティや家族が今、どんどん壊れているようです。

これは、人々がお金の奴隷に、お金を稼ぐ機械になりさがっているからではないでしょうか…お金を稼ぐために忙しくて、人生を楽しむ余裕すら残っていないのではないでしょうか…

お金は、たんなる手段にしかすぎません。本当の意味での豊かさとは何か…今それが「豊かさ」と勘違いされているのです。

2016年2月27日 (土)

ゴミ捨て看板のイギリスで思う

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ
1089523l1

今、衝撃的なブログ「保育園落ちたら…」が話題になっています。私は一理あると思っています。

海外(イギリス)の「あまりに挑発的なゴミ捨て禁止看板」が話題になっているという…ニコニコニュースより ……実は私も、公園・河川管理通路などで、禁止看板は、無視されているようで、表示内容を変えてみてはと思うことがります。

ゴミのポイ捨てでも、「ゴミ捨て禁止」の看板の下にゴミが捨てられているのを見て思い出します。イギリスのことですが、「あまりに挑発的な、ゴミポイ捨て禁止看板」が話題になっているそうです。

路肩や河川敷などのエリアにはゴミのポイ捨て・不法投棄の禁止区域であることを示す看板が設置されていることが少なくない。

世界中どこの国もマナーの悪い市民への対応に苦慮しているようですが、海外のポイ捨て禁止を訴える看板広告のメッセージ内容があまりにも喧嘩腰過ぎるとネット上で話題になっているという。

一般的に、日本国内で見かけるゴミのポイ捨て禁止を呼び掛ける看板には、「ここにゴミを捨てないでください」・「ポイ捨てをやめましょう」などの穏やかなテキストが並んでいます。見る者の良心に訴えかける狙いがあり、平身低頭な日本人らしい看板と言えるでしょう。

片や、イギリスのデザインサービス企業・Solid Developments社がスポンサーを務める看板には、見る者を困惑させるような過激な文言が並んでいる。大きな文字で「なぜ貴方はポイ捨てするのですか?」と問いかけ、以下にその理由を示す四つのチェックボックスが記されている。

1.バカだから。
2.町がどうなろうと知ったこっちゃないから。
3.ママが後で掃除してくれるもんね。
4.上記すべてに該当。

ゴミをポイ捨てする人を完全に見下している実に挑発的な看板である。へりくだってマナーの順守を呼びかける日本の看板とは真逆で、ルールを守らない人間に対しては一切容赦しない威圧感がみなぎっている。

日本人の目にはギャグで立てられた看板のようにも見えるが、海外ではゴミのポイ捨て・不法投棄が非常に厳しく取り締まられている。

特に有名なのがシンガポールだ。路上で唾を吐いただけで警察に捕まることもあり、ゴミをポイ捨てすれば最大で1000シンガポールドル(およそ9万円)の罰金を科される。

他にも、中国やタイ、スリランカなどの国々でもゴミのポイ捨てを法律によって禁止して罰金を科している。

名将・野村克也氏は自身の語録の中で、「人間の最大の悪は鈍感である」と説いている。

何気なく行ったポイ捨てであっても、地域の美観を汚すだけでなく、自然環境破壊にもつながる悪しき行為であることに変わりはない。

普段タバコや空き缶をポイ捨てしている方は、自分の行動を省みてはいかがだろう。

私は、地域社会の一員として、安心・安全に暮していくには、一人ひとりが、「ゴミのないまち」にする…という意識をもつ」ことだと思います。それが分からない人間は、住む資格がないと思っています。

2016年2月26日 (金)

マナーやモラルを守って「当たり前」に…

07rose_ame21

親の躾けが大事です。

教育や子育てで、"実践"を重んじた森信三先生は、戦前、戦後を通じて、日本の教育界に大きな影響を与えた哲学者です。

先生は「しつけ三原則を」提唱された。「三原則」とは、「はい」と返事をする」・「挨拶をする」・「靴を揃える」の三つで、これを、子どもが「つ」のつく歳までに、しつけなさいと言うのです。

ひとつ、ふたつ、みっつ…から、やっつ、ここのつの九歳までに、これだけをしっかり教えれば、他のしつけは自然に出来るようになると言う。

ちゃんと躾けられていると、ポイ捨てなどは、したくてもできなくなるでしょう。捨てている人を見ると人種が違うのかなと思うように?嫌悪感をもつようになるでしょう。

マナーやモラルを守って「当たり前」に…

我が国では、他国では賞賛されるような状態が「当たり前」と認識されている面が多々あると、しばしば指摘されています。

きれいな道路や安全な水…狂いなく運行される公共交通機関、安定供給される電気、ガス等、民間でも各種サービス業の丁寧な接客や清潔なサービス等々、「当たり前」のように提供されているものが沢山あります。

でも、そのいずれもが、多くの人に支えられ、必ずどこかの誰かがそのコストを負担しているのですし、公的なものであれば税金がそれらを賄う原資の大きな部分を占めています。

このような、「誰かが支えている結果を」、「当たり前」と思いがちですが、その「支えている存在」を忘れてしまうと、「ポイ捨て」が生じるのかもしれません。そしてその代償は、確実に社会に、そしてその人自身にのしかかっているのに、そのことも忘れてしまっているのでしょう。

私は、誰かが支えている(そして、場合によってはその支えている一人として自らが当事者参加している)ことを忘れてしまった結果がもたらす負担増が、私たちの社会の決して小さくない足かせになっているように感じています。

もしかしたら、「モンスター○○」と言われる人たちの行動も、そのような意識の欠如があるのかもしれません。

予防接種の恩恵もそうですが、多くの人たちが接種するリスクと接種しないリスクを天秤にかけて、接種しないでワクチンで防げる疾病に罹患することのリスクを避けるために、予防接種を受けているから、疾病の流行が防げたり抑制できたりしているのだと思います。

「当たり前」だと思うことは、実は誰かに支えられているのだ、そういう意識を持つ人がもっと増えれば、この社会はもっともっと暮らしやすくなるのではないでしょうか…

難しい日本の舵取り

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

06oga_toga11

春は名のみの風の冷たさと歌にあるように、3月のお彼岸過ぎぐらいまで、風も冷たく、木々の芽吹きもそれからです。

それでも、私の家の近くに、湯殿川の河川管理通路の草の芽はのびて、小さな紫のオオイヌノフグリが咲いています。そして、暖かな陽だまりに、菜の花の、黄色い花が咲いています。水ぬるむ春をむかえて、人々の心もなごみます。

あなたは今、輝いてますか?

あなたは今、ご自身の命を輝かせていますか?と、たずねられたら、どう答えますか?

無邪気にたわむれる、子供たちの姿は、みんな生き生きと輝いています、仲良く寄り添う恋人たちはキラキラとまばゆいばかりに輝いています。仕事に励む人々にはエネルギシュな輝きが、ひたすらに、一つのことに打ち込む人々の姿には、充実感に満ちた輝きがあります。

ところが、命の輝きを失いつつある人も多く、100人のうち1~5人はうつ病などで心療内科に通っているそうです。

人生に絶望して、自ら命を落とす人が、少なくなったとはいえ、昨年(2015年)24000人です。悲しいことですが、自分で命を絶つかもしれないという、悩みの深い人々がその何倍もいると予想されます。

しかも、最近の、マイナス金利・株安・円高・人口減少などで、日本経済は行く先不透明…。大手の電機メーカーが初めて外資傘下となったり、中小企業はじめ、まだまだ、悩み苦しむ人々は多いようです。

現代人の悩みで最も多いのが健康問題です、次が経済・生活問題、さらに家庭問題だと言われています。自殺の原因・動機でも、病苦によるものが最も多く、うつ病などの健康問題です。

マイナス金利・消費税率(国・地方)の10%への引上げ(平成29年4月1日)があります。私はそれらの影響で、特に問題になるのが、子ども貧困率です。

子どもの相対的貧困率

内閣府の発表では、1990年代半ば頃からおおむね上昇傾向にあり、平成21(2009)年には15.7%となっている。子どもがいる現役世帯の相対的貧困率は14.6%であり、そのうち、大人が1人の世帯の相対的貧困率が50.8%と、大人が2人以上いる世帯に比べて非常に高い水準となっているということです。

グローバル化した経済状況ので日本の将来も不透明さが増してきたように思えます。高齢化対策・少子化対策・貧困対策などで、不透明は増して、生きることに絶望してしまう人がさらに増えるのではと、気がかりです。いずれにしても日本の舵取りは難しいことです。

今朝の朝日新聞に、「埋もれた貧困の声、つなごう 泣く母を学校・地域で支援」…の記事がありました。「保育園落ちた…」も、考えさせられる問題です。

2016年2月25日 (木)

智者とは・・・

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

108genbikei21

【智者】とは…

老子によれば、「智者とは他人を理解できる人」ということで、他人の能力や適性を含めて見極めることができ、なおかつ他人を思いやることができる人が「智者」だとされています。

人付き合いにおいて、まず大切なことは、相手を知り、自分を知ってもらうということです。

誰にでも愛嬌を振りまいたり、付き合いにくい人とまで無理に仲良くなろうと努力したりする必要はありません。親しくなれなくても、ともかくよく「知り合う」ことで、ほとんどの問題は解決できるのです。

人付き合いが苦手で、殻に閉じこもってしまう人は、自分以外の皆が幸せに見えるか、皆が冷たく感じられるか、どちらかに偏ってしまいがちです。

どちらにしても、世の中は不公平で、自分だけが特殊な問題を抱えていると思い込んでいるのです。世の中のすべての人が幸せであったり、すべての人が冷たかったりということはあり得ません。

他人のことをよく「知らない」ことからくる錯覚です。

幸せそうに見える人が、実は大きな悲しみを抱えていることがあります。一見明るく社交的な人が、心の底では他人から見捨てられる恐怖に怯えていることがあります。

大嫌いだった人が、自分にはない長所をもっていることを知り、はっとさせられることがあります。他人を知るとは、その人に共感することから始まります。すべてに共感できなくても、同じ人間同士、どこかひとつは通じるところがあるはずです。

他人の個性を長所として認め、よい方向に活かしてあげるのです。自分を犠牲にしたり、何か損をしたりするわけではありませんので、裏切られる心配もありません。

いろいろな人を理解していくうちに、自分も他人も、似たようなことで喜んだり悲しんだりしている同じ人間なのだということが分かってます。

他人を理解することによって、自分自身が分かるようになり、自分自身が分かれば、ますます他人も理解できるようになります。

いいことばかりは続きません、悪いことばかりも続かないものです。人間は、誰にとっても自分が特別な存在ですが、客観的に特別な人などというのはいません。

自分に自信を持つためには、現実を変えるのではなく、現実の受け止め方を変えればよいのだということに気づくことです。

2016年2月24日 (水)

年寄りの呟き

10kawadusakura_minamiizu21
.
♪梅は咲いたか 桜はまだかいなぁ-の時節です。
.
伊豆の川津桜は、見ごろというが…
.
私の近くの広場の川津桜はまだつぼみで~す。
.
「お早うございます」
.
今朝の八王子市郊外では、しっかり暖房しないサムイです……
.
春は三寒四温…
.
夏日に近い23度の日もあれば、小雪のちらつく日もあります。
.
身体に気をつけないと…

暑い7・8月と、寒い1・2月にお年寄りが亡くなる月…と親父が言っていた…思い出します。

それだけ体調を崩しやすいからでしょう。

私も、そんな歳になったんです

幼児期に身に付いたことが常識に

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

Dscn04001_2

私は毎日、道路・公園などのゴミ拾いを行っていますが、ゴミのポイ捨ては一向に減りません。タバコの吸い殻、弁当の空き袋・ペットボトル・空き缶など、今日も袋一杯になりました。

特に困るのは、ビン(ドリンク剤)を石垣で割る(遊び?)のです。公園で、昨日・今日と二日続けてありました。粉々になり砂に散らばってしまっているので、拾うが大変です。大人のタバコの吸い殻も砂にまぎれています。

公園は、まちのお年よりから、幼児まで、使うのです。もし幼児が手に怪我をしたら…と思うと、心が暗くなります。ちゃんとゴミは持ち帰る児童もいるのです。

どうして、ゴミをポイ捨てするの?

あえて言うなら、幼少期の刷り込み(しつけ・教育)と育ってきた環境の影響でしょうか…。

森信三先生の、ツの付く年までに躾けることの大切さを痛感するのです。「あいさつをする」・「ハイと返事をする」・「靴をそろえる」…の三つを9歳までに、完璧に覚えさせることです。

「三つ子の魂百までも」ではないですが、ある一定年齢までに植えつけられた知識や経験は理由のいかんに問わずその人の常識になります。

ある学校の伝統的なルール

ある中学では、修学旅行などのイベントで集合した際に自分の周りにあるゴミを10個拾うというルールがありました。

最初はめんどくさいと思いましたが、やっていくうちに普通の事だと感じるようになり、最終的には率先してゴミを拾っていました。

人間は、ある一定期間特定の環境下におかれると、その環境下で行ってきた行為について常識と思ってしまうようです。これが普通の行動と、身体に浸み込んでいるのです。

この影響は大きく、社会人になった今でも休憩中に、ふと近くにあったゴミを拾ってしまう事があります。子を持つ、ご家庭の親御さんに、“しつけ”について、考えて欲しいものと思います。

2016年2月23日 (火)

新たな地域コミュニティの時代

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

Odaiba971

「持続可能な地域社会づくり」

地方自治体や地域コミュニティ、将来世代のニーズを満たす能力を損なうことなく、現在世代のニーズを満たすような開発を意味です。

具体的には、持続可能な発展や「持続可能な環境保全」・「将来世代と現在世代のバランス」を考える…というものです。

いま、地域社会において、その政策課題として大きな注目をうける「迫りくる人口減少」がありす。「限界集落」と呼ばれるような地域では当然のごとく、過疎化の問題はいまに始まったことではありません。

しかし、わが国がいよいよ「人口減少社会」に突入したところで、少子高齢化ならびに人口の推移とその予測は、そうした過疎地域や農村部だけではなく、中小規模の都市や大都市周辺の都市においても、地域としての将来的な存続や自治体としての、長期的な健全運営の面で、大きな不安が広がっています。

これは、明治維新以降からの、いわゆる右肩上がりの成長社会と、それによる地域発展を維持してきた、わが国において、地域がそこにあるだけで、地域として世代をこえて、長期的に存続できると、安易に考えられる時代が終わったことを意味していると思います。

地域コミュニティの時代と、地域づくりの新たな展開

わが国では、1970年代の終わりから「地方の時代」といわれ、1990年代以降、まちづくりや地域の活性化、地域における「まちづくり組織」が注目されるようになり、いまや「地域の時代」の様相を呈しています。

単なる「限定された地理的空間」という意味ではなく、また中央に対する地方というだけではなく、もっと身近な「地域」やまちで、しかも、ただその権限や利害を主張するのではなく、むしろ、そのなかの社会的、あるいは共同体的なまとまりを、求めようとするという意味で「地域コミュニティ」の時代といってもよいと思います。

「地縁」・「血縁」が崩壊し、「社縁」までもが崩壊していった社会において、人とびとが絆を紡ぐことが出来ない社会が生まれてきました。コミュニケーションはすでに、誰もが持ち得る当たり前の力ではなくなっています。

私たちは、コミュニケーションを学ぶ時代に入っていることをあらためて認識しなければならなりません。私はその中にあって、地域の絆が疲弊していることを感じるのです。

それを払拭するには、そこに暮らす一人ひとりが地域に愛着と誇りを持ち、まちづくり、地域づくりに対して主体的・能動的な姿勢で関わっていくことが肝要です。

とりわけ、持続可能な社会の存続とより一層の生活環境の向上のためには、行政と地域との適切な役割分担が必要と思います。

2016年2月22日 (月)

心を磨く

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

10kanmonkyo11

「心を磨く」とは、「心をきれいにする」そして、「心のすさみ…(荒れ)」を消し去ることです。

心は目には見えませんが、目に見える形で表に出る「行動」を変えることで、見えない部分も変えることができる、というものです。

心がきれいになれば、曇りなく物事を見ることができ、素直に、前向きに、物事に取り組むことができます。心に曇りがあれば、物事に対して正面から取り組むことができません。斜めにかまえ、全力でぶつかることもできなくなります。

心をきれいな状態にしておくために、私たちは「身のまわりをきれいにする」ことに取り組みます。目に見えない心をきれいにするために、目に見える環境をきれいにし、目に見える行動を変えます。

具体的には、清掃活動や奉仕活動(お手伝いやボランティア)に取り組みます。その姿を知る人は少ないことでしょう。もしかしたら、誰も知らないかもしれません。

自己満足でいい

誰かにほめてもらわなくてもいいのです。認められたくて掃除をしているのではないはずです。 前向きな気持ちになることができます。

自分で決めたプラスのことに自ら取り組む、という習慣を作ることで、仕事に対しても主体的に取り組む姿勢が生まれます。 誰かのせいにするのではなく、「誰かのおかげ」と考えるようになります。

町の掲示板が期限が過ぎたままのものがあったり、公園や広場に、ゴミが散乱していたりする…つまり、環境がすさむと、そこで生活する人びとの心もすさんでいく、あるいは、心がすさむと、環境もすさんでいく、ということです。

また、家庭では、玄関に靴が脱ぎ散らかしてあったり、台所の食器はほったらかしで浸けたままだりでは、人間の心もすさんでいくのです。

目に見えるものを変えることで見えない心を変えていく…すさんだ心をきれいにするために…ゴミを拾い、あいさつ・返事をする・靴をそろえること…(教育学者 森信三、も言っています)を教えていきたいものです。

「何のためにするのか」という目的意識を明確にしながら、自分が決めた活動に継続して取り組むことが大切です。 心を磨くとは、人格を磨く、ということです。

物質主義の世界ですっかり疲弊してしまった現代社会の人々の心は、モノではなく心によって満たされます。

今年も花のきれいな花の咲く季節がきます。でも、きれいな花が咲くには、それは肥沃な土壌であったり、適宜な水であったり、温かな太陽の光であるからです。人間も同じで、子どもから大人になっていく環境が大事になるのです。

「良い環境で、良い子が育つ」汚い環境では、思いやりのある、優しい人には育ちません…街を歩けば、ゴミのポィ捨てがあります。住む環境をきれいにすることは、人の育成には大事なことだと思っています。

2016年2月21日 (日)

飄々と生きる

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

E0035757_18140571

世の中は、もの凄いピードで流れています。そして、他人と比べられ、目に見える結果を求められる世の中です。

追いつくために頑張ってしがみついて、取り残されないように無理に周りに合わせて、常に急かされて余裕をなくして暮らしています。皆ストレスを抱えて、いつもピリピリしながら過ごしています。

慌てなくていい…無理に他人に合わせなくていい…時代遅れと言われてもいい…人それぞれのペースがあります。自分なりのは速さで、自分なりの歩幅で歩いていけばいいのです。

競わなくていい…力を抜いて飄々と生きればいい…自分自身が「これでいい」と思えることをマイペースに積み重ねていくことです。大切なのは誰かの尺度ではなく、自分の中の尺度で選択していくことです。

決めつけず固執しない

「こうするべきだ」・「こうあるべきだ」…そうやって、多くのものを背負い込んでがんじがらめになっています。

いろんなものに囚われて、いろんなものに縛られて苦しい思いをしている人がいます。自ら不自由な生き方を選んでいるのです。

世の中を複雑にしているのは自分自身…絶対に「こう」と決めつける必要はないのです。

どちらか一方が正しくて、もう一方が間違っている…すべてが白か黒かと分けられるものではないのです。

答えはひとつじゃないのです、絶対的な正解なんてないのです。そして、完璧を求めなくていいのです。難しく考えなくてもいいのです。

わざわざ自分で複雑にしない。もっといい加減でもいい。こだわらず「まあいいか」と、飄々としていればいいのです。

柔軟で自由な心

自分自身を縛りつける檻…自ら生み出したしがらみに苦しめられなくてもいいのです。

自分の思うように生きていい…もっとわがままに生きていい…自分さえよければと、身勝手に振る舞うことではありません。何かに依存するのではなく、誰かに迎合するのでもないのです。

囚われず自由に、飄々と生きていきましょう。

2016年2月20日 (土)

二十四節気の1つ「雨水」

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

 5bdc9f2169e1de1e911b5c4cc1bd0b896_2
       片倉城跡公園の二の丸広場

 片倉の 郷土の森や 雨水の日

片倉城跡公園の雑木林の木々も、気のせいか先端の木の芽が“ふっくら”として見えます。

春一番は(14日…気温23度を記録)吹き、季節はかくじつに、めぐり巡っています。まだまだ寒い日もありますが、我が家の庭の沈丁花も赤さましてきました。

昨日は、24節季の「雨水」でした。散歩していている人に半袖の人もいるくらいの暖かさでした。そして、街行き交う人の「きょうは、あったかくていいですね」などの会話が聞かれました。

今日(20日)は全国的に雨になり、南風も吹き春二番が吹く地方も?

「雨水」というと…啓蟄までの期間です。立春から数えて15日目頃です。空から降るものが雪から雨に変わり、氷が溶けて水になる、という意味です。

草木が芽生える頃です。昔から、農耕の準備を始める目安とされてきました。本格的な春の訪れにはまだ遠く、大雪が降ったりもします。「三寒四温」を繰り返しながら、春に向かっていきます。

雨水……啓蟄(三月五日)……春分(三月二十日)…に季節は移り変って行くにです。人はその季節に合わせ行事を行い、楽しんできたのです。

2016年2月19日 (金)

善と悪について

151

人間には「善と悪」という対極した二つの面が、「陰と陽」の関係のように刻み込まれています。善良な人が悪人に変貌することは、とても簡単で、また、悪人が善良な人に変貌することも可能であるということを、アメリカの心理学者「フィリップ・ジンバルド」が言っています。

ジンバルド教授は、人間は、その素質に関わりなく、おかれている状況や、環境、集団心理によって簡単に善人から悪人へと変貌するこのメカニズムに「ルシファー効果」という言葉を名づけた。ルシファーとは、天国から追い落とされて、やがてサタンと結託して神に反逆を企てる堕天使の名前です。

因みに、ジンバルドは1969年、人が匿名状態にある時の行動特性を実験により検証した人物です。

「人は匿名性が保証されている・責任が分散されているといった状態におかれると、自己規制意識が低下し、『没個性化』が生じる。その結果、情緒的・衝動的・非合理的行動が現われ、また周囲の人の行動に感染しやすくなる。」というものだそうです。

没個性」とは…個性が無い、個性が薄い事を指す表現のこと。

人間の中には「悪と善」両方の側面があり、純度100%の善人も純度100%の悪人もいないのです。それ故に自分も状況によっては「悪」に転落する危険性もあるということがわかっていれば、何か問題が生じてしまたとしても、軌道修正することは可能だということです。

 

地方・国の議員の不適切な言動で思う

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

539571

最近、国会議員や、地方の議員の不祥事や、閣僚の不適切な発言が多いのですが、一体どういうことなのでしょう。真意を問いつめると、発言の撤回?…撤回では済まされない発言も?少なくとも、国民の負託された公人であるのです。

心の緩み?・緊張感がない?選挙で選ばれた議員は、国民の公僕のはず…国会議員は、公務員の頂点に立っており、公僕として、国民全体のために奉仕する義務があり、社会的責任は非常に大きいと言えます。

問題行動・発言など見聞きして、人間的に資質を問われても仕方がない人もいます、閣僚・議員を、辞任・辞職すればいい…当然辞めてもらいたいのですが、その行動・発言がなされた内容から…私は国民の一人として、その真意を知りたいものです。

地方・国会の議員や公務員は「公僕」です。 特に最近の議員さんの言動には「公僕」と言う意識が欠如しているように思えてなりません。

国民の皆さんから一票を頂いて、国民の皆さんの代わりに仕事を「させて頂いている」…と言う事を肝に銘じて頂きたいと思います。

「真心(まごころ)」を持って、世のため、人のために尽くしていただきたいものです。

ところで、真心とは何でしょう? あらためて真心とは?と聞かれると、普段の会話で、なにげなく使っているのに、何となく感覚ではわかっているのに、言葉で表現するとなると、なかなか難しいものです。

真心とは「自分中心の心を離れて、他を生かすために尽くす」という、誰しもが持っている人間本来の心であります。

折りにふれ、人から受ける真心に感動したり、その尊さを教えられ、それがきっかけとなって、自分の心の中に無意識に潜んでいる「真心」を、目覚めさすことがあります。

形の上では「他人のために、世のため、人のため」にしているようでも、「周囲から誉められ、認められ、注目され、自分の気持ちが済むように…」といった、自分中心の気持ちになってしまいがちです。

そのような心が少しでもあれば、それは、真心から遠く掛け離れてしまい、押し付けがましく取られることさえあるのです。

人が知らなくても、自分の得にならなくても、余計なことは考えず、ただ純粋に世のため、人のために尽くすことが出来る、ということに自信を持つことが、「真心を尽くすは己を支える力」ようするに、真心を尽くした事は、他人は知らなくても、自分を支えていく力になっていくということになっていくのです。

是非、そのような心を持ち、自分を支えていく力として頂きたい。

2016年2月18日 (木)

挨拶をしよう

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

786pxnagaokatenjin_hakubai1

最近、自治会や町内会などの活動が活発におこなわれていない地域が増え、近所づきあいは昔よりも希薄になってきていると言われています。

自分が住んでいる地域内であったら、挨拶しましょう。

挨拶の効能…

ふだん見かけない人に挨拶すると、顔を見られることにより、防犯になります。

また、二度三度会って、挨拶から、ご近所さんと顔見知りになっていれば、次に顔を合わせたときに、会話がはずみます。

そして、どこのパン店さんが美味しいといった情報交換だけでなく、頂き物をおすそ分けしたり、家族ぐるみで親しくなったりすることもあります。

助け合いの精神の醸成…

よほどの緊急性がない限り、知らない人に助けを求めたり、何かをお願いしたりはできませんが、顔見知りがすぐ近所にいれば、「天井の電球の交換をしてほしい」「急病で寝込んでいるので、外出するついでにバナナを買ってきてほしい」といったお願いもしやすくなります。

たいがいの人は、知らない人には自分の悩みや不安を話さないでしょうし、話されたほうも戸惑います。

困ったときにまわりの人や社会にサポートやSOSを要請しやすい環境が整っていなければ、万が一のセーフティネットは、いくら制度や仕組みがあっても役に立ちません。

元気なうちは、近所付き合いや地域住民との人間関係は煩わしいと思っても、いざ困った時には頼る人がいないという事態に直面する可能性は誰にでも起きます。

「地域コミュニティーの復活」というと抵抗があっても、「一定の距離を保ちながら、近所の人たちとつながりたい」と考える人は少なくないはずです。

こうした緩やかな関係があることが、住民の安心や安全につながります。そして、笑顔が素敵な人が多くなります。

「住民全ての間で困ったときに互いに助け合う」という関係は、挨拶をする、顔見知りを増やすといった、今日から簡単にできる努力から始まるのではないでしょうか…

2016年2月17日 (水)

時間(とき)の流れ

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

141

年をとったせいか…時の経つのが早く感じられて仕方がないです。

アッという間に…一日…一週間…一ヶ月…一年です。スケジュールで一杯の人……そして毎日が何もすることがなく、朝起きてさーて、今日は何をして過ごそうか、考える人もいるでしょう。「時は金なり」で、一日を有意義に使いたいものです。

西洋に伝わるナゾナゾです。

「一本の木に十二の枝

どの枝にも四つの巣

どの巣にも七つの卵があります」

さーて、この木はなんでしょう?

答えは「年」で、十二の枝が「月」、四つの巣が「週」、七つの卵が「日」だそうです。

このナゾナゾの深く意図するところは一日を卵にたとえていることです。卵は壊れやすく、腐りやすいものです。だからこそ大切に扱わなければいけません。一日も同じです。

しかし、自分を振り返るとどうでしょうか?私自身、昨年は卵をいくつ壊したでしょうか、たぶん数え切れないほどの卵を壊し腐らして、日々を無駄に過ごしたかもしれません。

私たちは時計を使って時間を計りますが、心理的な時間は必ずしも時計の時間とは一致しません。

楽しいことをしているときは、瞬く間に時間が経ちますが、嫌なことや、また病気などで辛く苦しいときには、一分が一時間にも感じられるものです。

さらに、年を取るほどに一日が短くなっていくことは多くの人が感じていることでしょう。私たちの感じる時間の流れは人によって千差万別です。

充実した一日に…

日々の生活でも、昨日の続きは今日であり、今日の続きは明日であります。一日の生活を振り返って、明日は、今日より充実した一日にしたい…と考えなければと思います。

「果報は寝て待て」では、童謡にあるように「待ちぼうけ」のようになってしまうと思います。日々の生活を充実・満足させるためには、やはり目標を決め、そこにいたる計画をしっかりと見つめてこそ、「充実した日々」があることになります。

一日の生活の中に自分自身にノルマを課す。それを続けるために、一日、一週間、一ヶ月、一年間の目標に対する計画を立てる…

時間を使うのは他でもない自分自身であります。主体をどこに置くか?今年一年を、時間に使われるのではなく、その時間を使い切る毎日でありたいと思います。
 

 

2016年2月16日 (火)

高齢者の生きがいづくり

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

Gurandohouru1807301

高齢社会の進化

私も高齢者ですが、高齢者人口は、平成27(2015)年は3,395万人、日本の高齢化率はますます深刻な状況になるようです。

犬も歩けば…ではないですが、私の住む地域でもお年よりは多いです。元気な方は、シニヤクラブ(老人会)に入り、地域のお年寄りのみなさんと、ゲートボール・グランドゴルフ・カラオケなどで楽しんでいるようです。

しかし、元気な人ばかりではありません。介護の必要な方もいます。これからは、増えていくことと思いますが…その問題も大きな社会問題となってきています。

元気なお年寄り…生きがいづくりの必要性

高齢者が健康で、いきいきといつまでも暮らしていくためには、生きがいづくり活動が必要です。核家族化と高齢化の進行により、高齢者のみの世帯やひとり暮らしの高齢者が増えています。

このような高齢者は、生活や心身の健康に、不安を持つことが多く、要介護状態になる恐れも高くなります。

生きがいづくり活動は、高齢者が年齢にとらわれることなく自由に生き、主体的に活動し、自立した生活をしていくために必要不可欠なものとして、益々その重要性を増していると思います。

家族…

高齢者が精神的にも身体的にもできるだけ健康で、いきいきと生活し活動を続けられることは、家族にとっても望ましいことであり、家族と地域社会とのつながりも強くなります。

さらに、地域住民同士の関係も深まることから、家族にとっての意義や効果もより大きなものとなります。

このため、高齢者が健康なうちはできる限り家庭内で一定の役割を任せたり、地域の人々との交流や社会的な活動に参加しやすくするための家族への支援についても配慮が必要となります。

地域社会…

高齢者の生きがいづくりと健康づくり活動は、身近な地域で、いきいきと活動しながら暮らし、若い世代とともに地域社会を支え、地域全体を活性化する上でも極めて重要なことです。

生きがいと健康づくり活動は、高齢者がその意欲と能力に応じて、社会とのつながりを持ち続けるための活動として捉え、地域の中にしっかりと定着したとき、地域社会を支える活動として不可欠なものとなることでしょう。

また、高齢者の「生きがいづくりと健康づくり活動」は、それぞれの地域特性に対応した、多世代協働による「まちづくり」活動の一部であるといえます。

このように世代間交流を通じた、高齢者の生き方・暮らし方が、既存の形にとらわれず、多様な形に対応できる地域社会を形成し、高齢者の生きがいと健康づくり活動…そのものが地域社会を創り、変化させ、さらに活性化していくという極めて大きな意義を持つものと思います。

2016年2月15日 (月)

大事な子どもの道徳教育

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

S121

先日、私がゴミ拾いをしている途中に公園で、子どもたちが遊んでいる近くのベンチに空き缶・ペットボトル・パンの空き袋が見えました。

フェンス越しに、大声で…

「そのゴミひろって、私のレジ袋に入れてもて来てちょうだい」いったら

「はい」といって三人の男の子が競争するように走って持ってきてくれました。 

「ありがとう…公園はみんが使うもの…いつもあとの人が使う人のことを考えましょう

「はい分かりました。」…

とても素直に、爽やかな気分になりました。

これが本当の「道徳教育の実践」だと思いました。

子どもの「道徳教育」は、家庭・学校・地域でと言われていますが、それぞれの事情があって、なかなか思うように教育がされていないのが実情だと思います。今大人たちが、道路・公園などに平気で、ゴミのポイ捨てをしています。

道徳教育」が子どもの頃に学んでいなかった?だから自分の子どもにも教育をしていない?のではないのでは…と思います。

そして、自分の子が悪くないと先生に文句をいう、いわゆる、自己中心的かつ理不尽な要求をする親…「モンスターペアレント」が横行まで出現するのです。

人間としての規範意識の醸成

子どもが年を重ね大きくなるにつれて、多くの人と出会います。そして社会人として巣立ちます。人間としての「規範意識」を備えて、立派な日本人…として世界にまで羽ばたく…夢を持ってもらいたいです。そして「人間として正しい生き方」をして欲しいと思います。

「人間として正しい生き方」…稲盛和夫氏

「小学校の道徳のようなことをいう」と笑う人がいるかもしれません。しかし、その小学生のときに教わったようなことを、私たち大人が守れなかったからこそ、いまこれほどまでに社会の価値観が揺らぎ、人の心が荒廃しているのではないでしょうか。

いま、子どもに向かって堂々とモラルを説ける大人がどれほどいるか。これはしてはいけないことだ、あれはこうすべきだと、明確に規範を示し、倫理を説ける。そういう識見と精神、重厚な人格を有した人物がどれだけ出てきたか。

それを思うと、私なども忸怩(じくじ)たる思いにとらわれないわけにはいきません。

正しい生き方とは、けっしてむずかしいことではないはずです。子どものときに親から教わった、ごく当たり前の道徳心 ― 嘘をつくな、正直であれ、人をだましてはいけない、欲張るな ― そういうシンプルな規範の意味をあらためて考え直し、それをきちんと遵守(じゅんしゅ)することがいまこそ必要なのです。

2016年2月14日 (日)

転んでもいいじゃないか

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

Photo

転んでもいいじゃないか…

生きているのだから、誰でもつまづいて転ぶことがある

諦めないで、立ち上がって歩こうよ!

 泣き笑い…苦しみながら…時に幸福を感じ…

泣きながら笑いながら、転びながら、明日へと進むことだよ!

 転んでもいいじゃないか…

人は、道などで何かに足を取られて転ぶことがあるよ…

だから、人生でも失敗しても、思い通りに行かなくてもいいじゃないか…

だって、間違ったり、立ち止まったりするのが、人間なのだから

2016年2月13日 (土)

美しい町にしよう

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

Katakurajouseki_suisya1 
        片倉城跡公園内の水車

Img_0103
               湯殿川

「美しい町にしようよ!よみんなの好きな町だから…」

歩道に散らばるたばこの吸い殻、植え込みの陰の空き缶、公園に残されたファスト・フードなどの包装容器…これら「ポイ捨てごみ」の散乱により、町の美観が損なわれています。

「ポイ捨てごみ」がはらむ問題は、町の美観にとどまりません。たばこのフィルターやプラスチック、金属類などの分解されにくい材質のごみが、動物の誤食や、からまり以外にも自然に影響を与えていることはいうまでもないことです。

「ポイ捨てごみ」対策は、まちの美観、自然に与える影響の両面から、環境との共生をめざす八王子市の町づくりにとって重要な課題となっています。

捨てられたごみを掃除する責任は、まず第一に捨てた本人にありますが、誰が捨てたのか分からず、放置されてしまった場合は、その場所(土地・建物等)の所有者または管理者が責任を持って清掃しなければなりません。

このため所有者または管理者にとっては、その土地・建物等を清潔に維持するための費用が必要となります。

八王子市や、国(都)が管理する道路や河川の「ポイ捨てごみ」(公園・河川・国道)の清掃のために使われている経費は、私たちの税金が使われているのです。

「一人ひとりの心がけで住んで良かった町になるのです。」

1…私たちの町を美しくするには…先ず各自が、自分の家の周りの清掃することです。

2…集合住宅では、ゴミの集積場所は当番制でしっかり責任を持って行う。スパーやコンビニなどの事業主は、周りの道路などのと植え込みにも目くばせし処分することです。

3…子どもの教育に、家庭のしつけ…学校の教育・地域のみなさんの指導(声かけ)を積極的にすることです。

2016年2月12日 (金)

この一瞬の「今」に生きている

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

426c64451

夜空の星の輝きに見とれていると、ふと我を忘れてしまいます。満天の星空にとけ込んで、自分の存在さえも忘れてしまいそうになります。そして、ふと我に返って、自分の存在を意識する。そんな思いをしたことはだれにでもあると思います。

宇宙には始まり…

ビッグバン理論は現在一番広く受け入れられている宇宙論であります。 それは、今から100億年から200億年の昔に起こった爆発によってこの宇宙が 始まりとされています。また、その終焉があるといわれています。

今というこの一瞬の時があり、宇宙の始まりから今までを過去といい、今というこの一瞬から宇宙の終焉に至るまでを未来という。

私たちはこの一瞬の時、「今」に生きています。しかし、過去も未来も、今という一瞬の時も、人間の認識によるところの時間にすぎないようです。

今とは一瞬の時であり、そして過去も未来も時間です。時間とはビックバーンで始まる膨張する宇宙そのもので、時間とは光の速度であり、また、あらゆる物質の存在を意味づけるものでもあります。そのあらゆる物質の存在するところを、人間はこの世であると認識しています。

この世とは…

生活圏としては地域社会とか国であり、広くとらえると地球という世界です。そして現代人は、漠然としているけれど、宇宙がこの世であると認識しています。この世すなはち宇宙は膨張しているから、あらゆるものの存在は、ことごとくが常に同じ状態をとどめていない、すなはち無常です。

突然ですが…

「 あなたは今を生きていますか?今を忘れて生きているのではないですか?」と言われたら…

私たちの身体はいつもこの現在只今を生きているのです。でも、私たちの思いはどうかと言えば…今を離れて、昨日あったことを悔やんだり、明日のことを思いわずらったりしているのではないでしょうか…?

昨日が過ぎて今日になり、そして明日になる…そういう過去から現在、そして未来へ時間が流れているように思っています。つまり、過去を背景として、未来を内容とした現在ということです。過去、現在、未来は流れ去っていく時です。

しかし、過去、未来、現在は、常に過去と未来を包んで現在只今ということ、つまり常に現在しかない今を生きているのだという受け止めです。

私たちは、思いの中で、いつも過去を懐かしんだり悔やんだり、また、未だ来ぬ未来を夢見ながら、あるいは明日の準備に追われて、現在只今に立っていないのです。それは浮草のような生き方です。

「今を生きよ」と呼びかけ、この「今、いのちがあなたを生きている」という言葉ではないでしょうか…

2016年2月11日 (木)

品格もゴミと一緒にポイ捨て…

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

646452111

「ゴミをポイ捨てする人、品格もポイ捨て…」立派と思える人が、平気でタバコの吸い殻を捨てて行くのです。

まだまだ低レベルの人格と思うしかありません。あなたの何気ないタバコのポイ捨ては、多くの人が迷惑を感じているのです。

私の住む町は、八王子市ですが、全市内歩行禁煙になっていますが、一向にタバコの吸い殻のポイ捨てが減りません。

誰でも美しい町に住むことは望んでいることでしょう。そして安全で安心に暮したいでしょう。「私一人のタバコの一本ぐらい」と思っているとしたら、認識不足です。「子どもたちはあなたの行動をみていますよ!」

勇気を持って、ゴミ拾いをしよう。

ゴミ拾いの活動をするのは少し恥ずかしいし、緊張する。そのように考えている人もまだ多いです。しかし、自分が一歩勇気を出してゴミを拾うことで周囲の反応が変わってきます。

普段道端にポイ捨てをしている人も、一生懸命ゴミ拾いをしてくれている人の前では捨てることができません。そして街がきれいになっていくことで、ゴミが目立ちます。

きれいな町に自分からゴミを捨てる人は少ないです。常にきれいな状態を保っておくことで、ポイ捨てをする人は減っていくものです。

人前でゴミを拾うのは少し照れくささもあります。しかし勇気を持って一歩踏み出すことで、街は大きく変わっていきます。自分の暮らしている町や公園をきれいにすることで、多くの人が笑顔で生活することができるのです。

2016年2月10日 (水)

混迷の時代

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

T6_02xga

地球の環境問題

最近思うに、産業・経済始め、文化・芸能・スポーツなどのすべてが、グローバル化…まさしく五感で、感じる時代となってきたと実感します。

今中国は新年で連休中とのことで、日本に観光と言うより「バク買い」?で多くの人が来ているという。その中国では、PM2.5が酷いという。

忘れてはならないのは地球の環境で、温室効果ガス・海に漂うマイクロプラッシックなど、地球環境問題は、先延ばしに出来ない問題と思います。昨年のCOP21フランスでの決めごとを各国が、守ることが大事です。

混迷する経済

このところの中国の経済成長が鈍化していて、その影響は世界中に及んでいるという。日本でも、デフレ脱却に躍起になっている安部政権ですが、ここで、日銀は、2016年1月29日の金融政策決定会合で、初めての「マイナス金利政策」導入を決定し、市場に大きな衝撃を与えた。

日本では、年明けからの株式急落で市場からは「追加緩和」を催促されていたが、その中身は、予想を大きく超えるものだった。奇策ともいえる「マイナス金利」の効果はあるのだろうか…

劇薬的処方?黒田日銀の「マイナス金利政策」に市場もメディアも評価が揺れているようです。市場も戸惑い、乱高下繰り返しているようです。

私たちは、自然の道理にかなった生き方をしないで、人間の認識で生きていこうとするから、自分のこともわからなくなり、自分の位置も、自分の進むべき方向も見失ってしまうのです。

ヒト(人)、モノ(物)、カネ(金)が善循環して価値を創造し、経済の実体がかたちづくられます。これらが悪循環して、モノ(物)が極度に不足したり、溢れかえったりして、時には経済が混乱することが懸念されます。

近年はカネ(金)が質的に変化し、肥大化した金融が経済を左右するようになると、経済の実体が虚像と化して、泡銭が経済をまたたくまに混乱の渦に巻き込んでしまいます。

今、地球的規模の混乱の渦の中で人々は右往左往しています。深刻な世情ですから、人間の認識をもってこの現実を理解しょうとすれば、混迷の世に自分自身の存在までも見失ってしまいそうです。

2016年2月 9日 (火)

個性と協調性

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

011291

個性を大事に子育てを…

「個性」という言葉は、よいニュアンスを持ってよく使われています。しかし、いまの大人たちはこの言葉に苦しめられてきたとも言えます。

いま、大人になっている人たちは、「個性的であれ」とさまざまな場面で言われてきましたが、それとは裏腹に実際の学校や社会では、型にはまるように求められることが多く、そう言われる割には個性を育めるような教育や育てられ方をされてはきませんでした。

本当のところ、それを求めていた頃の大人たちも本当の意味で「個性とはなんなのか?」が、わかっていなかったのかも知れません。習い事などの宣伝文句として「お子さんの個性を伸ばします」などとしきりに言われていた時期もあります。

例えば、なにかの習い事を習得したとして、場合によってはそこから派生してその人の「個性」につながることはあるかもしれませんが、習い事を身につけること自体は実のところ「個性」とはあまり関係のないことです。

「なにかを他者に優れて習得しているということ」そのことは周囲の人と違うという差異であって、本当は「個性的」なのではなくて、「個別的」ということです。

みんなと違っていて当然

自分の子供は周りの子供と同じように成長しているのだろうか?遅れをとっていないだろうか?隣の子供はもうオムツが取れた、隣の子供はもう字の読み書きができるようになったなどなど…

自分の子供が周りの子供と同じように成長していないと不安になる方がいます。そんな心配する必要はないと思います。性格や興味を持つ事なんて、人それぞれ違うでしょうし、子供の成長具合だって十人十色で当たり前なんです。

個性と協調性・・・「チームの中でこそ発揮される個性」

個性とは、個人や個体の持つ、それ特有の性質・人柄…

協調性とは、異なった環境や立場に存する複数の者が互いに助け合ったり譲り合ったりしながら同じ目標に向かって任務を遂行する素質…

団体ではどちらもとても大切なことです。個性をまわりにださないと本人のいいところが見えてきません。協調性がないとチームワークがとれません。

自冶会・町会などの地域でも共同活動(作業)をすることがあります。協調性が大事ですが、その中で個性を発揮することは大いに歓迎すべきことだと思います。

協調性を全員が意識することによって、生活面で向上・改善で意識をもって欲しいものです。

2016年2月 8日 (月)

当たり前の習慣

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

Img_01

教育や子育てで、"実践"を重んじた森信三先生は、戦前、戦後を通じて、日本の教育界に大きな影響を与えた哲学者です。

先生は「しつけ三原則」を提唱されました。「三原則」とは、「はいと返事をする」・「挨拶をする」「靴を揃える」の三つで、これを、子どもが「つ」のつく歳までに、しつけなさいと言うのです。

やって当たり前の習慣になるように、「つ」のつくうちにお母さんが根気よく教えてあげる。これは「しつける」ことが成人しても大切なことと言えるでしょう。

人間は、ある一定期間特定の環境下におかれると、その環境下で行ってきた行為について常識と思ってしまうようです。

「三つ子の魂百までも」ではないですが、ある一定年齢までに植えつけられた知識や経験は理由のいかんに問わずその人の常識になります。

私たち一人ひとりが毎日身近に取り組むことが出来ることとして「ごみ」の問題があります。“ゴミ”のことを考えてみませんか?

片付ける・ポイ捨てしない・モノを大事に使うこと

「しつけの三原則」が不十分な大人が多いのでしょうか…公園や道路などで「ごみ」やイヌの糞・タバコの吸いが落ちています。車からポイ捨て…

そして、子どもたちが遊んだ公園や広場に野球のボールや、サッカーカーボール・グローブまで片付けないで放置されています。

規範意識の大事さ

集団や社会の中で生活するには、一人ひとり人がルールを守って行動するとともに、場に応じた望ましい行動を選択するなどの、規範意識の育成が必要です。

規範意識は、家庭における、「三つのしつけの原則」と規則正しい睡眠や食事などの、基本的な生活習慣等に関する教育が土台となっています。

学校においては、こうした家庭教育をもとに、生徒指導、教科指導、道徳教育及び人権教育などのあらゆる教育活動を通じて育成されるものと思います。

2016年2月 7日 (日)

道を考える

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ
9acf51df3ca04976bdf12ee53423c4fd_l1

毎日、何気なしに通り過ぎ、空気や水のように、感じている道…生活に欠かせない道…

古代より道は、人々の共有財産として、力を合わせ普請し、守ってきました。道は暮らしを支え産業を起こし、文化を運び、人々を結びつけてきました。

いま道は人々から、地域から遠い存在に…子どもたちが道路で、キャッチボールや縄跳びし、老人が縁台で将棋を指した風景が、懐かしく思い出されます。その風景はどこえ行ったのだろう。

便利だが危険…車優先・大気汚染や騒音…心地よい広場の役目や「公共」の心は失ってしまったのでしょうか。

私たちにも忘れ物がある…

「道は行政の責任」と自宅前のゴミや雑草と汚れなど、ことさら知らん顔で、空き缶・空き瓶どころか家庭ごみまで、ポイ捨て…共同で「道路普請」の心は一体何処に…

先ず自分の家の周りをきれいにする…

童謡の「焚き火」にあるように、自宅の家の道は、いつも掃除をするのは当たり前のことでした。いま自宅前を掃除する人は少ないように思います。それぞれ、みんなが掃除すれば町は美しい町になるのです。

道を考えよう…

道を守る…その由来は万葉のむかしにさかのぼる…旅人の飢えと渇きを潤す果樹を沿道に植えたのだそうです。

現代の道を守るには、住民と行政とが協働し「道と人の新しい縁」を紡ぐ…ことにあると思います。そして自分たちが暮している町は、いつも美しく、安全な道を維持していきましょう

2016年2月 6日 (土)

道端に小さな春みる

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

Dscf49651

むかしから、「立春を過ぎて一週間が一番寒い」と言われていますが、東京地方の昨日は、歩いて、春を感じるような風だったです。

枯れ草の中に小さな春を見る…昔の親父が「チョコ花」と言っていた、コバルトブルーの小さな花「オオイヌノフグリ」を見つけたのです。

毎日通っている道ですが、気が付かなかっただけなのです。

「踏まれても踏まれても、雑草の如く、生きる人間になれ!」“したむき生きろ”…親父の顔が頭をよぎったのです。

「オオイヌノフグリ」は、ヨーロッパ原産の帰化植物で、1890年頃に東京に帰化したそうです。路傍や畑の畦道などによく見られ、早春からコバルトブルーの花を咲かせる。春の訪れを感じさせる植物の1種です。

真冬になると大きくなるのをやめて花芽を付けはじめ、昼間の日だまりは結構暖かいのでしょうが、枯れ草の中も、夜の冷え込みは厳しく、温度差の激しい環境を堪え忍ぶ仕組みを持っているのでしょう。

2016年2月 5日 (金)

人生の終い方・・・を考える

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

108genbikei21

人生80年時代です。

厚生労働省2014年の統計によると、日本人の平均寿命は、男性が80.21歳、女性が86.61歳で、おととしと比べて男性は0.27歳、女性は0.20歳上回り、いずれも過去最高を更新しました。

「健康寿命」…

健康寿命というのは、寿命を全うする間、どれだけ健康な期間があったか…ということです。

健康寿命は介護が必要だったり、日常生活に支障が出る病気にかかったりする期間を除き、自立して過ごせる期間です。日本の健康寿命は男性が71歳、女性が76歳だそうです。

人生の終い方…人生には「三つの真実」があると言われています。

の一は、人は必ず死ぬ。
その二は、人生はただ一度しかない。
その三は、人はいつ死ぬか分からない。

「人生のしまい方」を考えたのは、人生の「三つの真実」を知ったときからです。それに加えて高齢者の方々の「自分らしく人生の終焉を迎えたい」、「迷惑をかけずに逝きたい」という言葉でした。

「人生のしまい方」=(ライフ・クリエイティブ…創造性を持って生きる)。
自分自身の最期のステージを如何に生きるかです。人生の有終の美を見つめながら、迷惑をかけずに、綺麗に美しく締めくくる…これを目標とすることです。

人生の終焉を考えながら、それまでの間を有意義に「充実した時間として、精一杯生ききる」ことが大切ではないかと考えています。

人は死という終着点があるから、人生を精一杯生きたいという思いが湧いてくるのではないかと思います。たまには立ち止まって、今の自分の人生の「とき」を見つめてみると、そこからまた新たな方向が見えてくるのではないでしょうか…

「人生の終い方」の基本は、自分の人生の終焉に向かって「美しく自分らしく生きる」、「生き切っていく」という生き方ではないでしょうか…

高齢者にとっては、即ち自己の「人間力」を高めることです。老いと病は人間力を成長させる素なのです。人間力を高める努力をするポジティブ心理を持っている人ほど「幸せ度」が高いという調査結果もでています。

高齢者の元気の基本…

①健康であること。

②友だちがいること。

③サムマネー(ほどほどのお金がある)。

④好奇心があり、なんでもチャレンジ…感動すること。

⑤朝起きて、なすべくことがある人(スケジュールカレンダーのある人)。

人生を楽しみ・生きることには、素晴らしい知恵と順応力を持っているようです。

2016年2月 4日 (木)

川に学ぶこと

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

142820090228081

川の存在価値の変容

川の存在は歴史からみても、人間生活に切っても切れない存在です。近年、治水・利水を中心に国や自治体が整備を進めてきました。

しかし、川の整備により、かつては盛んであった人と川との係わりが薄らいでいき、川の存在は人々の意識から遠ざかってしまいました。

本来、川は、さまざまな生物を育み、地域固有の生態系を形成する空間であり、地域共有の公共財産です。そのため、「これからの川」は、地域住民、国・自治体および河川管理者が連携して、地域の特性や実状に応じた手法で、共に守り、育てていくことが望ましいものと考えられます。

これらのことから、人々の価値観、川の利用形態や係わり方が多様化した「現在の川」には、これまで以上の住民ニーズへの対応と情報の共有が必要であり、「住民等と行政との連携・協働による川の管理」が必要となっていると思います。

決して意のままにならない川の自然や生物と向き合うことで、子供たちの感性が磨かれ、創造力が養われた。自然と真剣に向き合うことで、生命の尊さ、自然の法則や仕組みを理解することができるです。

また、様々な年代の人々がひとつ川に遊び、これを利用する状況の中で、他者への思いやりが芽生え、人と人とのつきあい方を学び、地域社会の形成、連帯を促す…また一人自然と向き合うとき、川やそれを取り巻く自然には、その生命感、躍動感、神秘性によって、人の心を癒す力があるのです。

このような川での経験は人々の心の原風景をなし、大きな心理的財産となっているはずです。このことはどの世代においても共通するものですが、特に子供時代における経験は、かけがえのない価値をもつものです。

さらにこれらの経験は、これからの地球全体の大きなテーマである「自然とどのように共生していくか」という、大きな課題に対する答えを出していかなければならない際の、非常に重要な基礎となりうるものであるとおもいます。

このように川は、人間と自然とのかかわりのすべてを多様にかつ端的、かつ具体的に示す場であることによって、環境教育の場として最も優れたものであると言るでしょう。

このような川と人との関係を復活し、次世代へ引き継いでゆくことが我々の世代に課された責務であると考えています。

2016年2月 3日 (水)

恐ろしい「マイクロプラスチック」

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ
Photo

いま、世界中の海が「マイクロプラスチック」のゴミが、大きな問題となっています。

レジ袋・食料品など容器・ペットボトルなどのミは、数年すると微細なゴミは、「マイクロプラスチック」になります。川などに捨てられ、海に流れ出ていると言われています。

世界中から海に流れ出るプラスチックの量は、推計最大1300万トン。それが砕け目に見えないほど小さくなり、海に漂っているのです。

マイクロプラスチックは、海水中の油に溶けやすい有害物質を吸着させる特徴を持っていて、100万倍に濃縮させるという研究結果も出ていて、生態系への影響が懸念され始めています。

街の道路・公園・広場・河川管理通路などの、ゴミ拾いをして、タバコの吸い殻と同じにプラスチックのゴミが圧倒的に多いです。

後先を考えない…無責任…自己中心…などの理由で河川・道路などに捨てられ、最終的には、海に流れてしまうのです。「人間が自らの首を絞める」ようなものです。…(自らの行動によって自分を苦しい状況にすること)

この問題を先のばすことは出来ません。この問題は元を断たねばいけない問題であろうと思います、人間一人ひとりの問題です。先ずこの恐ろしい状況にある現実を知ることです。

私が恐れているのは、「小さいゴミだから・タバコの吸い殻一本ぐらい…捨ててもかまわないだろう…」が多いのが現実であろうと思います。

まだ直接自分自身に被害がないと思っている人がいるのです。それには、現実をマスコミや政府機関・学校教育など、あらゆる情報機関で取上げ、深刻さを訴え続けることにあると思います。

レジ袋などプラスチックを使わない生活を心がけ、リサイクルも進めて生産量を抑えへ、さらに、海はもちろん、川や屋外にプラスチックごみを捨てないことです。

毎日新聞2月2日の社説に「プラスチックごみ 海を守る取り組み急げ」が取上げられています。

2016年2月 2日 (火)

早春賦に思う

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

78c51da9bc51691af89cll2

春は名のみの風の寒さや-
   
谷の鶯(うぐいす) 歌は思えど
    時にあらずと 声も立てず
    時にあらずと 声も立てず♪

立春は2月4日で、暦の上では春とはいっても、名前だけでまだ風が寒く感じます。暦の上では春なのに寒い日々が続くとき、この「早春賦」の歌詞を連想します。

この詩を思うと、70年前の子どもの頃を思い出します。氷った川に行き、竹を割って長靴の底にしばりスケート遊びして遊んだり、あめん棒(脚などに付いた氷)をなめたりしたのです。

しかし、寒い寒いと言っても、今では川は凍りません、あめん棒も出来ません。温暖化が進んでいるのです。そして、霜柱の道を学校に通ったものですが、コンクリート化され見ること出来ません。

今や人間は大自然に住まうのでなく、改造された人工環境の中で生活しています。今日、私たちが「自然」という場合、山川草木や雨や風など、人間を取り巻く外的な環境のことを指します。

そのような自然環境は人間に対立するものであり、自分たちに都合のよいように改造できるものと考えてきたのです。その結果、地球の温暖化や砂漠化、水や大気の汚染などの様々な問題を起しています。

どれもこれも人間の我がままが原因です。人間は自然を支配しようとするが、自然は人間の支配の対象としてはいません。

人間は自然を超えた存在ではなく自然の一部です。その人間が思い上がって科学技術を駆使して自然を破壊します。一方で、意匠を凝らした盆栽や日本庭園に人工の自然を見いだそうとしているのは、何と考えたらよいのでしょうか…

今年も、香り高き梅の花が咲く時節になりました。梅は夏に伸びた若枝「すわえ」に、翌春には蕾をあまりつけません、冬の寒風に吹かれ、そして夏の灼熱を超えて成長して、翌々年の春になって、その枝も太くなり、多くの花を咲かせるのです。

2016年2月 1日 (月)

美しい町にしよう

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

Tokita1

「美しい町にしよう」

二日前の夕方、片倉時田公園の前の湯殿川に河川管理通路を散歩していたら大きな家庭ゴミらしき、レジ袋が一つ置かれていたのがフェンス越しに見えました。「なんであんなところに置くのだろう?」と思いました。他にペットボトル・潰した空き缶が数個が転がっていました。

「片付けないといけない」と思いましたが、夕方で、明日片付けようと思ったのです。そして昨日午後2時、どうなったのか見に行きましたら、袋が破られ、ゴミが散乱していました。近くに子どもたちが遊んでいたのです。

早速、袋とはさみを用意し、丁寧に拾い集めて、公園内の空き缶・空き瓶・などを拾いましたが、ベンチの上に何んと「男の火に焼かれてズボン・Tシャツ」雨で濡れていました。若い男が火遊びをして、焦がした物と思われました。

管理者…

誰かが始末しなければ、私たちの町は、汚い公園で、印象の悪い町となるのです。お年よりから幼児まで、公園は、みんなが自由に使う場所です。利用者の責任で、汚さない…後の人が使うことを考えて欲しいものです。管理者は、町会(片倉町一丁目町会)のみなさんです。

公園を使うには、ルールが書かれています。ルールを守り使いましょう。ルールを守らない子どもたちがいたら、注意する・教える…大人がいてほしいと思いました。

公園だけでなく、道路・広場など、町内の公共の場は、町内に住んでいる、人の責任で保護する責任があるのです。「割れ窓理論」にあるように、取り返しの付かない犯罪にならないように、みんなで「美しい町」を守りましょう。

割れ窓理論…(デジタル大辞泉)

窓ガラスを割れたままにしておくと、その建物は十分に管理されていないと思われ、ごみが捨てられ、やがて地域の環境が悪化し、凶悪な犯罪が多発するようになる、という犯罪理論。軽犯罪を取り締まることで、犯罪全般を抑止できるとする。米国の心理学者ジョージケリングが提唱した。ブロークンウインドーズ理論です。

« 2016年1月 | トップページ | 2016年3月 »