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2016年1月

2016年1月31日 (日)

挨拶は人が生きていく基本

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挨拶は、人が生きていく基本

人間が生きていく上での最も基本となることがこの躾です。

「ツのつく年までは三つの躾で十分だ。その三つとは、挨拶ができること、返事ができること、そして靴を並べること、である」…教育学者の森信三が言っています。

「なんだ」そんなこと…と思う人がいるでしょうが…子どもたちには難しいようです。ツのつく年というと一つから始まって九つだから小学校の三年生まです。その年齢まで、この三つの躾を守らせる…実に簡単です。

挨拶がする大切さ

この社会は決して一人では生きていけません。人間関係の礎を築く基本が挨拶です。だから、挨拶ができることは生きていくうえで最も大切な躾なのです。

「返事ができること」は、自己存在を相手に伝えることです。成長するとは相手意識を持つことでもあるのです。そして、相手意識を持ったとき、人は想像する力を獲得します。創造力の源は想像力です。相手意識がいつまでもないということは、自ら幼児性をアピールするか相手を無視するかのどちらかです。

そして、「靴を並べること」であるが、整理整頓することで周囲に不快感を与えないことである。最も大きく考えれば、環境は自分の意志で変えることができるということです。

そのように考えれば、なぜ森信三が小学校の三年生まではこの三つの躾でいいのだと言った理由がわかります。

習慣とは小さい頃から親が手本を示し、粘り強く教え諭すことから生まれるものです。「ちゃんとご挨拶しなさい」と子どもに言ったのだから後は子どもがちゃんとやるだけだと思っているとしたらそれは大きな間違いです。習慣とは身体が覚えることで、身体が覚えるまで躾てあげることが親の愛情です。

親としては我が子が身体で覚えたかどうかをきちんと見る、見つめる、見なおすことが求められています。大人が模範を示すべきで、子は親の行いをよく見ています。

当たり前のことを当たり前にすることです。今大人が「挨拶・返事・靴並べ」がしっかり出来ているか、反省すべきことだと思います。

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2016年1月30日 (土)

日常生活が修行

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我執(がしゅう)とは…自分中心の考えにとらわれて、それから離れられないこと。

人は我執の凝り固まりですから、苦行により我執から逃れようとしても、我執からはなれられない。なぜならば、苦行に執着すればするほど、限りなく欲望の炎は消えることがないからです。

金銭欲や名誉欲から離れられたとしても、食欲、色欲、睡眠欲は人間の生理的欲求ですから逃れられません。

悩み苦しみなく生きられれば、それはとても楽で快適です。ところが人間とは弱いものです、我執という甘い欲望についつい心動かされてしまい、煩悩の迷路にはまり込み、苦しみや悩みの泥沼に落ち込んでしまうのです。

我執から少しでも離れたい

生きている限り、尽きない欲望の我執を離れることができません。自らを大きくしないようにと心がける…今、を如何に生きるべきかを考えて生きなければと思います。それが、日常生活がそのままで修行です。

食べること、寝ること、庭掃除、町や公園などのゴミ拾いも修行です。この日常生活すべてがの時間が、かけがえのない時間であり、その時間を使って生きているこことは、一瞬一瞬がたいせつなのです。

雑用と思って、いい加減に行えば、本当に雑用になってしまいます。何時もかけがいのない時間だと思って真剣に、真面目に行えば、自分を磨き上げる大切な修行になるのです。

日常生活の平凡な行いを雑用と捉えず、自分磨きの大切な修行と捉えたいものです。

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2016年1月29日 (金)

片倉の歴史と環境保護が大切

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       片倉城の跡に住吉神社

私は生まれも、育ちも、今住んでいる町も同じ、いわゆる土着者です。昭和20年代までは、農家に生まれ、畑・田んぼで働く人が殆どでした。

80年の歳月は、環境は変り、そして人も変りました。開発に開発…山がけづられ、田畑が埋められ、住宅ができ、他から移り住む人の方が多くなっています。

私たちが住む町には、先祖伝来の歴史があります。片倉城跡が整備され、八王子市の公園となっています。

片倉城は、湯殿川・兵衛川の合流点西方に張り出した比企丘陵の突端にある中世城館の跡。城の築城は、鎌倉時代の初期建暦三(千二百十三)年、鎌倉幕府の重臣の大江広元の第二子時広…五代目の子孫といわています。

むかしの屋号に「的場(まとば)」・「城下(しろした)」・出店(でみせ)」・「西村屋(にしむらや)」がありました。 このように、この地(片倉城)にまつわる歴史あります。

八王子市の南郊外に位置して昭和30年までは東京都南多摩郡由井村片倉でした。私は、明治生まれの両親の子として生を受け、昭和の激動期を経験してきました。

ホヤランプ→ハダカ電球→蛍光灯→LEDの現在のくらしを経験してまいりました。経済発展とともに、昭和時代の風景が大きく変りました。

文明の発展で、大きな犠牲がある事を人間は、あまり重きを持っていないと思えてならないのです。今も湯殿川・兵衛川の水は枯れることなく流れていますが、川にいる魚・山にいた動物・鳥類・昆虫・蛙そして、植物なども姿を消してしまった種もあります。

「今住んでいる地域の歴史を知り、自然との共生」が暮らしを成り立たせているのです。

自然があって人間は生きられるのです。人間の欲だけを追い求めてことを止めるべきで、その事を子どもたちに教育し、自然破壊を止めなければ、人は生きて行けない事を教えることです。

きのう、湯殿川に架かる橋の下でちょっと危険をおかして、ゴミ拾いをしました。(河川を管理している南多摩西部建設事務所に、ゴミの処置をお願いしたのですが、もっと汚れている箇所があるから…という理由で断れました)拾いきれませんでした。

私の苦戦している作業を橋の上で見守る大人がいましたが、どのように思われたか?私の願いは「ゴミは捨ては考えて捨ててください」・「捨てるのは簡単拾うのは大変」です。

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2016年1月28日 (木)

福祉…「ふ」「く」「し」を考える 

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「福祉」とは…「人を“しあわせ”にすることです。福祉の「福」も「祉」も、どちらの字も「しあわせ」という意味です。

「キラキラと目を輝かすそんなときってどんなとき」

「きっと何かを発見したとききっと何かに感動したとき」

「ふ」だんの「く」らしを「し」あわせに…それか「ふ・く・し」

「福」は幸福などに用いられるように、心の「しあわせ」「祉」は「めぐりあわせ」や「機会」、また、「しあわせ」のためにそれぞれの人が力や知恵を出し合う「仕合せ」という意味があります。つまり、「福祉」とは「人を幸せにすること」なのです。

何を幸せと感じるかは一人ひとり違うもので、誰もが「自分の幸せ」を願っています。だからこそ「他の人の幸せ」も大切にすることが求められています。一人ひとりが幸せに暮らしていけるよう、自分のことだけでなく、他の人から支えてもらいながら、またお互いを大切にし、一緒に支えあって生きていくことが「福祉」といえるでしょう。

なぜ、福祉教育は必要なのか…

現在は、地域でみんなが安心して暮らせるために、様々な支援制度があり、サービス、仕組みづくりがされています。しかし、そのような制度やサービスだけで本当に活き活きとした、住み良い地域になっていくのでしょうか。

学校や社会、地域の中では「心身の障害や不安に関する問題」「社会的排除や摩擦に関する問題」「人権を侵害する問題」「社会的孤立や孤独を要因とする問題」「生活に関する問題」等… 

人間性や社会関係に起因した問題が起きていることから、今は「人と人とのつながりの希薄化」が大きな課題となっていると言われています。

このようなことから「人と人とのつながりや関わり」「他者への思いやりと関心」を学ぶ機会が必要と考えます。 

福祉教育から得られるものは… 

人と人との関わりについてその重要性を確認することを通し、地域社会には自分以外の様々な人々がいるということを学べます。そのことが人としての成長につながります。 

更に、自分と自分以外の人々との関わりを自覚することで、地域のもつ様々な問題や課題に目が向けられ、それに取り組んでいくことで、人と人、人と組織、組織と組織が同じ地域の中でより良い関係を築く事が期待できます。

更に、疑似体験やボランティア活動等に実際に取り組むような体験学習をする事により、そこで体験した事、関わりのある事に意識を持つ事で、思いやりの気持ちに気付くきっかけとなります。

このことから「共に生きる力」「共に育つ環境」「他者を尊重できる豊かな心」へと結びつきます。

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2016年1月27日 (水)

毎日感動の日々でありたい

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新鮮な目、新鮮な心、三百六十五日、毎日感動

スポーツ・音楽・詩・小説・画・風景…山川草木大地、いわゆる森羅万象のすべてを…五感で受け入れ、心を磨くことが、人生の修行なのかも知れない。

「物事を複眼的に捉える」

昨日のそれと、何らかわらないはずのに、何かしら新しく活き活きとして輝き、新鮮に見えるから不思議…

まさに『萬物光輝を生ず』の語句さながらです。

「萬物光輝を生ず」とは…

何かの心境の変化や、ものすごく嬉しいことや、その知らせを聞いたときなど、飛び上がるほどの喜びが沸き、周りはいつもと何にも変わってないのに、その時は何かしら見るもののすべてがなぜか新鮮に輝いているように感じることがある…

空を見て…

雲と空が織りなす色合いと形状が刻々と変化し一瞬たりとも止まることは無い。あらゆる刹那が、得も言われぬ美しさなのだが、それは次の瞬間には無くなってしまう。そして、また別の様相を呈するのだが、それがまた美しい。

今までTVであれほど感動し、スポーツ観戦で感動したことは、実は自分自身の感動でなく、人の感動、感激に共鳴し、心を震わせ涙していただけではなかったのか…と言うことに気づいた。

老化現象なのか、情操が豊かになり、感受性も育ち心の成長が出来てきたのか、涙もろくなり、もらい泣きもいっぱいするようになったようです。

この涙もやはり本当の意味での自分の体や心で味わう喜びや、悲しみの涙とは違う。

私はいつも「小さな喜びを喜びと感じることが大きな喜びだ」このように毎日の生活の中にいつも新鮮な目を持ち、いつでも小さな…感動を見つけられる自分でありたいと思う。

「毎日感動」の日々でありたい。」

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2016年1月26日 (火)

思いやり

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思いやり」とは…

純粋に親切な心から出る行動のひとつで、「思いやり」と「優しい」というのは似ている様で大きく意味合いが違います。

優しいだけなら相手の事をどう思っていようが優しく振舞えますが、思いやりは相手の事を考えていないと成り立ちません。思いやりのある人が真の味方の人です。

相手の息災を気にしてひと言声をかける、なんの見返りも期待せずに自分が持っているものを分かち合う、こうした礼節の精神から思いやりが生まれます。 人を思いやる行為は、巡りめぐって必ず自分に帰ってくる…。

「思いやり」は親の子を思う心でもあると思います。

「親思う心にまさる親心」とは

の諺がありますが、子供が親を思う心よりも、親が子供を思う、慈愛の心のほうが、深いということです。

江戸時代の終わりに、幕府を非難したため、安政の大獄で、処刑された吉田松陰が、死の直前に残した言葉のようです。

また、「老心

という言葉がありますが、親が子を思うように他の人を思いやる心です。

親が子を心配する際、ちょっと考えすぎではと思えるほど細かいところまで気をもんで心配しますが、それと同じように他の人に対しても充分すぎるほど充分に、いわゆる老婆心と言われるほど細かいところまで気配りをする。これが老心。つまり懇切丁寧な“思いやり”です。

人間社会「思いやり」を持った人間が多くなればと思います。

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2016年1月25日 (月)

長生き…考える

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「生きることは動くこと」-老化を抑えるには運動しかない。

人生80年代に入って、老後の理想的生活は、大きく様変りました。80歳という平均寿命を超えて、生きるためには、活発に動き行動する『活発性・行動性』と積極的に、人と交わる『社会性』が不可欠と思います。

もし、健康で長生きしたかったら、「身体を動かし、頭を働かせ、人と付き合う」活発な毎日を送りなさい。それが老化に負けない最も効果的な長寿健康法なのです。

① 食事は、腹8分目を守る

食べ過ぎによるカロリーの過剰摂取が生活習慣病やがん、認知症の発症に繋がりますので、食べ過ぎないことが大切です。

食べる種類を減らすということではなく、バランスの良い食事をしましょう。 ;長生きの秘訣といえば、粗食です。粗食とは、“貧しい”という意味ではありません。自分の体を傷めつけない“バランスのとれた食事”のことを言います。

② 必要以上に考えない

悩まないこと 生きていればストレスも溜まり、悩むこともあります。でも、考え過ぎ、悩み過ぎは心の病を引き起こす可能性もありますので、しっかりと心の健康も守ることです。

何でも深く考えすぎない。では、何も考えずに生きて良いのかといえば、そういうわけでもありません。“悩まない”ようにすることが大切です。

③ 喜怒哀楽を素直に表現すること

自分の心に正直に喜怒哀楽は素直に表現することです。自分の感情に蓋をしない、知らんぷりをしない事です。あなたの感情をあなたが知らなければ他人に表現することは出来ません。

④ 趣味や仲間を持つこと

趣味を持つことは、ストレス発散のためにも必要です。それを分かち合う仲間も持ちましょう。家でただじっとしているのではなく、外に出る。旅行に出かける。習い事をする…などなど…。いろんなことに興味を持つ好奇心が、生活の活動量を上げ、長寿につながります。

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地球と生命の進化

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奇跡的にも近い偶然が積み重なり、幸運にも私たちが、こうして生きているのです

地球が誕生して46億年たった今、地球は生命の宿る星となっています。38億年前に 生命が誕生してどのように進化して来たかを 考える時期にきていると思います。

もう一度地球創世を最初からやり直したときに、私たちが同じようにこうして生まれてくる可能性は極めて低いでしょう。

存在の理由を問うことは、存在の意味を問うことでもあります。今までは人の命は何物にも代え難いものであるというのが常識でした。今でも社会通念上それに異論を挟むことは人格を疑われる行為でもあります。

しかし忘れてはならないことは、善悪などの概念は、自らが発達した知能で作り出したものだということです。人間社会の中、限定ではヒューマニズムが通用します。

しかし、宇宙の真理において、という前書きを付け足すとそれらの概念は全て崩れ去ります。人間社会以外の枠組みに、人間の作った概念を適用することは不可能です。

人の尊さの根拠を成しているものはフランス革命以降近代社会が発達する上で、モラルの基礎となったヒューマニズムです。

日本人は、よい意味で“こだわり”がないので進化論がすんなり受け入れられています。しかし、世界一の先進国アメリカでさえ、進化論を信じている人は11%しかいないそうです。

人は望む動物です。

しかし与えられるものは希望とは違うこともあります。人類が無知であった時代は過ぎ去りました。全てを知ることは出来ませんが、自分たちと世界に対するより真実に近い情報がもたらされています。

そこでの選択肢は2つだけです。

れを直視するか、それとも無視するかです。しかし、それを無視し、今まで通りにやりたいことをするだけの先に待っているものはほぼ確実な破滅です。ならば、私たちは現実を受け止め、そこからできることをしていくしかありません。

生命の歴史を振り返れば、絶滅しない種はありません。生きていたいと思っても大きな環境の変動が来れば適応できない種は否応なしに時代から消え去らざるを得ません。

生物としてみたとき、人類が今の形で何十万年も続いていくことはあり得ないと思います。形を変えながら次代へと続いていくのか、生命の歴史から去っていくのかは現段階では分かりません。

しかし、文明を持ち、住んでいる環境自体に影響を及ぼすまでに至った私たちにとっては、避けられない環境の変化や自然の淘汰が訪れるよりも、先に自分たちで招いた危機により絶滅にいたる危険性が充分潜んでいます。

核戦争や環境破壊などで人類が滅んでも、地球上の生物が絶滅することは無いでしょう。一時地球がダメージを受けたとしても、時が経ち環境が回復すれば開いた生活空間に次の世代の生物が進入してきます。

人間が地上からいなくなったとしても地球と生命の歴史はおそらく続いていきます。その時の地球と生命の形は私たちには予想は不可能です。

環境を守らなければならないのは自分たちのためです。それを間違えてはいけません。「地球を救えるのは人間だけだ」などとという言葉は、欺瞞に過ぎません。人が地球上のもの全てを支配できると思うのは、大きな間違いです。

宇宙の真理というより広いスケールで話すならば、人が地球上で生きる権利を誰かから与えてもらったわけではありません。地球のリーダーとしての地位を誰かに与えてもらったわけでもありません。権利も義務も善悪も人間社会だけで通じる概念です。

私自身は、人として私たちを育んだ地球と生命に感謝し、大切にしないといけないと思います。しかしそれにしても、人間の知性が生み出したひとつの概念に過ぎません。

人間が人間社会で生きていく上では、感情やヒューマニズムはとても大切なものです。しかし、環境への影響力が大きくなった現在、これからも人間社会が地球の中で何とかやって行くには、より大きな視点に立ち、物事の本質を見抜いていくことが不可欠です。

人は生態系の鎖からの脱却というパンドラの箱を開けました。狩猟採集生活をしていた昔に戻ることはもう出来ません。ならば、文明と地球とが折り合いをつけながら生きていける道を模索するしかありません。

今までは無知でした。それは仕方のないことだと思います。しかし、無知によって作られた今までの概念は少しずつ修正していかなければならないと思います。

人間社会は長い歴史を経て他者の幸福を考えることも出来るだけのヒューマニズムを生み出すに至りました。それをさらに新しい時代にあったものに作り替えていくことはきっと出来るはずです。

人類の繁栄は極限まで達しました。文明の残骸を残して破滅するのか、それとも自分で自分をコントロールしていき破滅を避ける道を選ぶのか、今まさに人類の真価が問われる時なのだと思います。

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2016年1月24日 (日)

春を待つ三つ葉つつじ

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寒風に 耐えて時期待つ 花芽かな

山道を登って行くと、山あいにあるお宅があり、そのお宅の庭先に、三つ葉つつじの木は、花目が、“ふっくら”としていました。

今日は、この冬一番の寒さになるという、関西地方も雪になりそうという天気予報です。四国や九州の鹿児島でも雪が降るかも知れない…という。

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2016年1月23日 (土)

清廉潔白な人が権力や経済力を維持できるのか?

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清廉潔白な人が権力や経済力を手に入れることはできるのか?また、それらの力を持った後も清廉潔白さを維持できるか?

不正や不祥事が起こると…

人々は「あってはならないことだ」「何をやっているのだ」と怒ります。とくに、それが権力や経済力を持つ立場の人だった場合、人々の怒りは大きくなります。それ自体は極めて自然な感情だと思います。

しかし、権力や経済力を持ったときに清廉潔白さを貫けるものなのかと考えてみると、それは相当に困難なことなのではないかと思います。

それ以前に、清廉潔白な人が権力や経済力を持つ立場にたどりつけるのか、もし出来るとしても、ごく少数ではないかとも思います。

多くの人の心にある弱さ

高齢者、妊婦、障害者など、困難な状態にあるのを多くの人が認識しているに関わらず、実際の場面では邪魔者扱いされることも多々ある。また、自分の親しい人やメリットのある人に対して便宜を図ってあげたい気持ちが起こりやすいものです。

誰しも、自分の苦労は実体験だからよく分かっても、他者の苦労を本当に推し量ることは難しいものです。

他者が不正を起こしたときに責めるのは簡単だけれど、多くの人に共通する心理などが作用してのことであって、いざ自分がその立場になったら、正しい道を貫けるのかという疑問を感じるのです。

人間が本質において性悪な存在であるというのを忘れないことです。いろいろ、世の中の問題を考えているうちにこのような考えに突き当たりました。

 

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一本のタバコの吸い殻

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どうしてタバコの吸殻をポイ捨てするのでしょうか?

禁止ポスターを立てても、一向になくなりません。

ポイ捨てされた吸殻は街の景観を汚し、非常に醜いとは思います。

誰かが掃除をしないと、街の景観が損なうだけでなく、精神・健康にも支障をきたします。

私は、ゴミ拾いの、ボランティアをいていますが、掃除をしている前で、火の付いたまま捨てて行く、立派な格好をしたサラリーマンに出会いました。

「ちょっと困るのです。私が吸い殻を拾っているのですよ!」…と言ったら

「電車に間に合わないから…ごめん」…と駈け去りました。

余りにも自分勝手でな行動、これが会社の部長?役所の課長?…なんと情けない…

こういう人は、私たちのまちに住む資格がないと…思いました。

誰も見ていないから…

たかがタバコの吸い殻一本ぐらい…

みんながすてているから…

これが困るのです、一本のタバコの吸い殻が、空き缶・ペットボトル・弁当の容器になり、ゴミの山になるのです。

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2016年1月22日 (金)

拾得物のこと(片倉地域安全センター)

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片倉地域安全センター 写真
           片倉地域安全センター

片倉地域内での拾得物の届けは、片倉地域安全センターへ

所在地 八王子市片倉町2411番地…国道16号線沿いにあります。地域安全センターとして、地域安全サポーターが常駐しています。(今は富田さん・平野さん)

拾得物のこと

子どものころから、お金などの、大事なも(落とした人が困ると思われる)のをを拾ったら、警察(交番)に届ける…と教えられていましたが、私たちの町には交番から、「片倉地域安全センター」に2007年(平成19年)4月1日に、変りました。

お金など拾得物は、道ばたにお金が落ちていたとき、あなたはどうするでしょうか? 財布ごと落ちていたのならともかく、現金だけが単体で落ちていた場合、ほとんどの人が警察には届けずに自分のものにしてしまうのではないでしょうか。

厳密にはこの行為は遺失物横領罪にあたり、1年以下の懲役または10万円以下の罰金、もしくは科料(1,000円以上1万円未満)に処されます。たとえ道ばたに落ちていたものでも勝手に自分のものにしてしまってはいけないのです。

私たち八王子市片倉地域で拾ったお金や、落とした人が困ると思われる物は、片倉地域安全センターに届けましょう。

警察にちゃんと届けていた場合どうなるのでしょうか。お金だけの場合、落とした人が誰なのかすぐにはわからないことがほとんどです。

そこで警察はホームページなどでお金が拾われた日時・場所などを発表した落とした人を探します。それで落とした人が見つかった場合、拾った人は拾った金額の5~20%を報労金としてもらえます。警察が発表してから3ヶ月経っても落とした人が見つからない場合は拾った人が全額もらえます。

お金を拾ったのがお店などの施設の場合は24時間以内にそのお店に人に届け出ます。道ばたなどの公共の場で拾った場合は拾った日の翌日から1週間以内に警察に届け出ます。

届け出たときに、落とし主が見つかったときの報労金は受け取るか、落とし主に自分の個人情報は教えるかなどを自分で決めることができます。

報労金を受け取る場合、落とし主を顔を合わせて書類を書いたりしなければならないのでちょっとだけ面倒になります。また、届け出るときに印鑑などは必要ありませんが、免許証や保険証など住所のわかる身分証明は必要になってきます。

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2016年1月21日 (木)

老と病は人間の成熟過程

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大きな大学病院に診療科目「老人科」という科があります。

老人科は、老年科、老人病科など呼ばれ方は病院によって様々です。今や日本の人口の約4分の1、3000万人が65歳以上の高齢者です。老人科では、加齢による体力、臓器の衰えなど、高齢者ならではの状況に配慮した、専門知識を備えた診療科というそうです。

お年よりの身体的衰えは、自分で経験しなければ本当に、身体の衰えは分からないことです。また一人ひとりの体力(身体能力)が違います。ですから80歳過ぎても普通の生活が、出来る人もいれば、介護の必要な人もいます。

一般的に高齢者とは65歳以上を指すそうですが、現代人は80歳を越えてもなお生き続けるようになりました。老人力という言葉がありますが、自分なりに老いの価値をみつけて、老いを楽しむ、どれくらい多くの人が老いの喜びを感受しているでしょうか…生きる希望を失い孤独に悩み失望している人も多いようですが、老人人口は確実に増え続けています。

長寿社会では老人の2人に1人が癌にかかり、その3人に1人が癌で死ぬそうです。また老いるまでに成人病で命を落としてしまう人も多いのです。

医療と介護が人の命を支える時代です。しかも家族でない他人の世話になるのです。現代人は、老いや死を自然なものとして受けとめようとしないから、老いを嫌い、死をけがれたものと受けとめてしまいます。

それで老いをむかえたものは、老いの生き方にとまどい、病は死に至る恐怖と感じるようです。「老と病は人間の成熟過程」で、死はその成熟の果てにやってくるなどという考え方は受け入れられないようです。
             

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2016年1月20日 (水)

自然との共生

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自然と共生の大切さ

自然環境は、生物多様性と自然の物質循環を基礎とし、生態系が 微妙な均衡を保つことによって成り立っています。

そして、人間は天地自然の恵みの中で生き生かされているのです。だから、「自然を大切にし、自然のサイクルに合った生き方をする」ということです。

そして「人は一人で生きているのではない。家族をはじめとして、隣近所、町や村の中で多くの人々と係わりながら生きているのだから、その関係を大切に、助け合いながら生きる」と言うことです。

特に、環境問題が注目されるようになってからは、さまざまなものとの共生が唱えられるようになっています。こうした例でもわかるように、近年言われている「共生」は、この時代の中での「共に生きる」ということを強調していると言えます。

現代社会の取り巻く、生活環境・自然環境の変化…

経済の繁栄にともなって自然破壊が進み、安全な水や食品の確保も困難になって、子どもを取り巻く環境は厳しくなっています。

少子化によって兄弟の数が少なくなり、互いに譲り合ったり、自己主張をする経験が少なくなり、本来、子どもに伝わるべき生活習慣も少なくなっています。

子どもの生活そのものである遊びにおいても、ひとり遊びで過ごすことが多くなり、子ども同士の関係を築く年代に一人遊びが多いと、将来の人間関係にも影響を及ぼすことになると憂慮されています。

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ストレス社会に生きる悩み

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高齢化にともなう悩みは、先ず健康問題です。次が経済・生活問題、さらに家庭問題だと言われています。 ストレス社会に生きる現代人は、何らかの精神的な不安や悩みを抱えています。

人生とは?人は何のために生まれてきて、何のために生きているのでしょうか?

ひと昔前の人生50年の時代では、子供を生み育てることが人生のすべてでした。子供が成長する頃には親は寿命がつきて死んでいったのです。

ところが人生80年の長寿の時代になった今では、子育ての終りが人生の終わりでなく、子育てを終えてもなを30年も生き続けるようになりました。

少子高齢化時代といわれる現代では、人々の生き方についての思いはさまざまです。男も女も子供を生み育てることを人生の第一義としなくなり、それぞれの自己満足を充足することを生きがいとするようになりました。

お互いに自己流の価値観をもって生きようとするから、親子や夫婦の間でも、社会での人間関係においても、それぞれが異なる自己満足の充足をめぐってさまざまな葛藤が生じてしまいます。

何らかの刺激で体内におこる防衛的反応や精神的緊張のことをストレスといいますが、家庭生活においても、職場でも、地域社会でも、ストレスを感じながら生きていかなければならないのです。

ストレス社会に生きる現代人は悩み苦しみの原因を他に求めたがります。親や家族、会社や同僚、上司など、他が変わらないかぎり自分の悩みが解消されない、などと思いこんだり、他のせいにしてしまうから、悩みは複雑です。

また、ことさらに自分を卑下したり、ひきこもってしまう人も多いようです。いじめや、メールなどによる誹謗や中傷、非行、薬物乱用、犯罪などの青少年の問題行動も、ストレスがもとで起こす行動と考えられます。

人は何らかの精神的な不安や悩みを抱えて、日々落ち着かない生活をしています。ストレスが解消されないと、精神的な不安や悩みはさらに深刻なものになり、体調までくずしてしまうと家庭崩壊や人生の破滅につながります。

健康で長寿であることを願うけれど、長生きすればそれだけ老化の苦しみがともないます。介護や年金の先行きが、ますます不安になってきています。

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2016年1月19日 (火)

「徳」について…考える

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子曰く…「仁者は必ず勇有り。
         勇者は必ずしも仁有らず。」
があります。

仁ある者は(その仁を勇敢に実行しようとして迷いが無いから)勇敢になる。しかし勇敢な者が必ずしも仁ある者とは限らない。(単に血気さかんなだけかもしれない)表面だけを見ていては、分からない。

「仁」…とは、徳の一つ…「徳」…とは、人間の持つ気質や能力に、社会性や道徳性が発揮されたものです。

「徳」を持つためには、奉仕の心や社会愛が必要です。それを得るにはたゆまぬ努力が必要でしょう。努力は克己心がないと続かないです。それを、続けて行けるかどうか?

良いことを言ったり、勇気あるようにみえる人が、必ずしも心の内に徳を持っているとは限らないということではありません。

政治家は、人前での演説の能力は必須と言えます。しかし残念ながら、世の中には詐欺師、ペテン師と言われるような口先ばかりの人がいます。

「勇気」…

普通の人が、恐怖、不安、躊躇、あるいは恥ずかしいなどと感じる事を恐れずに(自分の信念を貫き)向かっていく積極的で強い心意気のこと。

高齢者の方に電車の席を譲ったり、道で困っている障害者の方を助けたり、「おはようございます」と自分から挨拶するのも、りっぱな勇気と言えると思います。自分の優しい心の内から出てくる勇気は、真の仁のある勇気と言えるでしょう。

その人の真の人柄は、その人の日頃のちょっとした行動のなかに表れると思います。人前ではなく、その人が気を許したときに発する言葉や行動こそが、その人の真の姿だと考えるべきでしょう。口先だけの人は、その相手がいなくなると突然横柄な態度で行動したりするものです。

いずれにしても、他人のことはともかく自分自身は、一生懸命努力して徳や仁のある人間になり、心の内からでてくる誠の言葉でしゃべったり、勇気ある行動がとれるようになりたいものです。

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2016年1月18日 (月)

湯殿川の思いから環境を考える

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むかし、東京都南多摩郡由井村片倉と呼ばれた時代まで(昭和30年ごろ)…の湯殿川は、田んぼに水を引き、農機具を洗い、洗濯をしたり、野菜を洗いなど、農家にとっては、大切な生活基盤でありました。

子どもたちは川で泳ぎ、自然の生き物に接し、命の大切さ、自然の尊さを、身をもって体験できたのです。夏の夜に蛍を追い、蛙の鳴き声を聞いた思い出があります。その思い出は、一生忘れることはないでしょう。

今湯殿川は、開発に伴い、すっかり姿を変えて、昔の面影がありません。

かっての湯殿川には、どじょう・ふな・はや・くちぼそ・やつめうなぎ・うなぎ・ぎばち・なまず・かじか…などの魚と、シジミ・かわにな・たにしなどの貝類と、げんごろう・みずかまきり・などの水中昆虫またいもり・多種の蛙などがたくさんいました。

今では、魚の種類も少なくなり、鯉・はや、そして鮎(昔はいなかった)が見られます…

僅か半世紀(50年)で、多くの種類の魚・貝類・昆虫・いもりなど、姿を見ることが出来ません。夏にはうるさいほどの蛙の鳴き声が聞けません。蛙が棲めない環境になってしまったのです。残念です。

豊かな自然から、子どもの情操教育がなさるのです。人に自然に優しい人間が、将来の日本をつくるのだと思います。

今、現在大人たちが、やらなけれないけないことがあるのです。

自然を守ることです…もうこれ以上自然破壊は許されません。地球規模で温暖化が問題となってきました。昨年のCOP21で決まった(産業革命前からの気温上昇を2度未満に抑えることを目標とし、さらに1・5度未満とするよう努力する)を、日本はリーダー的役割を果たさなければいけません。

それにはわが国民が一人ひとり、環境に対する関心を持つことです。

…私の過去のブログ『西部建設のブログ記事(3ページ目)』に取り上げられて大変光栄思います。

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2016年1月17日 (日)

春を待つ

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枯れ枝に 凛として花芽 春を待つ

寒中で、一年で最も寒い時期です。暖冬とは言え、野外の木々は、しっかり固まって、暖かくなる春を凛として、待ています。

 寒中といえば、童謡の「冬景色」を思い出します。

1 さ霧消ゆる湊江(みなとえ)の
  舟し、
  ただ
水鳥はして
  いまだ覚めず、岸の

2 (からす)啼(な)きてに高く
  人(はた)にを踏む
  げに
小春日ののどけしや
  かへり咲(ざき)の
も見ゆ

3 嵐 吹きては落ち、
  時雨(しぐれ)降りては暮れぬ
  若(も)し
灯火(ともしび)の漏れ来(こ)ずば
   
それと分かじ、野辺(のべ)の里

今日は阪神淡路大震災が21年前にあった日でもあります。地震の恐ろしさは、東日本大震災と、経験しましたが、あらためて、「備え」の大事さを痛感します。町づくりと共に「事前復興」と言うことが大事だと言うことです。

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2016年1月16日 (土)

豊かな感性…を考える

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「豊かな感性」

豊かな感性は、自己も輝き、他をも輝かせる…

感性」(感受性)とは、対象をよく観察して、どのような反応を示すかという心の働きで、感性の豊かな人は、自分の目に映る状況に敏感に気づき、その真の意味を理解し感動して、適切な行動をするようになります。

感性豊かな人になるためには、どうすればいいのでしょう?

感性を豊かに身につけるためには、相手の言うことばを真剣に聞き、物事を「心の目」で深く見ることであり、それに「深く心を動かされる」…と言うことです。何を聞いても、何を見ても何も感じない人は感性があるとは言えません。

そして感じたこと、見たことに対する反応を即座に示さなければなりません。その心の反応を実践することです。行為のない感動は、なかったと同じであり、それは、聞かなかったと同じでもあり、何も見ていなかったことになります。

持っている感性を正しく用いれば、感性は、自分を成長させる要素であり、そして他人をも成長させる要素でもあります。そして感性は人が幸せになるための大切な土台に数えることができます。感性の豊かな人は、愛にあふれた人と言われるでしょう。

人は誰でも感性のある人と評価されたいと望んでいます。ところが感性のある人は、そう多くはないのです。そのために、感性に富んだ人は、多くの人から親しまれ、多くの人が寄り添ってきます。感性の豊かな人は、いつも親切であり、人々から感謝されます。

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2016年1月15日 (金)

心に残るふるさとづくり

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これから時代、「子どもたちに心に残る…シチュエーション作り」が、大事だと思っています。

私は、生まれも育ちも同じの「土着人」です。私の子供のころの思いで…

夕日を背に赤とんぼを追っかけ、うちわと虫かご持って蛍狩り…家のお勝手から味噌こしザルをそっと持ち出し、ドジョウやフナ・シジミを採り…、田んぼに咲いているやレンゲ草の花で首飾り…いろいろな草笛、笹舟…幸せ願って四葉探し…竹を使って竹とんぼ、竹馬、弓矢、水鉄砲…

などなど数え切れないほどの自然を材料に工夫して遊んだことが懐かしく思い出されます。

一方その傍ら、学習塾、テレビ、ゲームにと多忙な孫たちの姿があります。

孫たちを通して感じることですが、めまぐるしく変わる情報社会に生きる今の子どもたちは、頭でっかちで一見知識人らしく見えます。

お金さえ出せばなんでも手に入り、流行の玩具やゲームを次から次、使いこなす間もなく新しいものが出てくる…自分で工夫して作り上げたり、出来上がりのモノをより楽しく、より高度に遊べるように考えて、ワクワク、ドキドキ体験を味わうことがありません。

また、全て使い捨ての現代では、モノの大切さ、愛着心も希薄、大人たちの考え方や価値観の多様化にとまどい、子どもらしさが失われているように思えます。

この子たちが、大人になり…今の私のように、ほっと一息ついた時に、子どもの頃の思い出として、何を残すのでしょうか?子どもたちには、心に残る思い出づくりの機会をできるだけ多く作ってあげたい。そのような場こそ子どもたちにとっての心のふるさとになると考えます。
 
「心に残るふるさとづくり」とは…

まず、今住んでいる地区を愛することが大切です。そして、この地に育った大人たちが、子どもたちに、いい思い出作りを考えてあげることです。

美しい…川(湯殿川)・公園(片倉城址公園・時田公園)・広場(片倉時田まちの広場)を何時も大切に使う…自然を愛する事を、体験させる…人・モノを大切にする事を教える…

それには、先ず大人が模範を示さねばいけません。ゴミのポイ捨て・歩行禁煙…などの規範意識を示し、地域の、一人ひとりが、美しいまちづくりを考えなければいけません。

そして心の豊かで、人に自然に優しい人間になって欲しいと思っています。

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2016年1月14日 (木)

尊敬できる人

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子どものころ、本を読み、二ノ宮尊徳・野口英世を尊敬していました。だんだんと年を重ねていくうちに、価値観が違ってきてしまい「尊敬する人」は違ってきているようです。

しかし、「理論も大事だが、行動(行動力)が最も大事だ。」と言うことだと思います。

吉田松陰の言葉に…

「私が尊敬するのはその人の能力ではなく生き方である。知識ではなく、行動である。」…があります。

最近、世の中…評論家が多いと言うこと痛感します。「こうしなければいけない。このことはこうあるべきだ…」と実際に自ら身体を使って体感しないで理論を述べる人がいます。

「人物」…私が尊敬するのは、その人の能力ではなく、生き方であって、知識ではなく、行動です。

人をみきわめる 自分の生きる道を知る人は、いつも地味でありながら、その行動には迷いがないものです。

そして自分の言葉で、自分の行動をごまかすことを最低の恥と思います。

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2016年1月13日 (水)

人格形成…「結果」と「プロセス」

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自分を作るうえで…人格形成していく上で…「結果」と「プロセス」のどちらが大事か?

結論から言えば、どちらも欠くことはできない大事なものです。しかし、「真に人を作るのは」と問われれば、プロセスだと思います。結果は確かに人を自信つけ、歓喜をもたらしてくれます。

その一方で、結果は人を惑わしたり陥れたりもします。「結果はウソを言うときがあるが、プロセスはウソを言わない」と言い換えてもいいかもしれません。

人生には浮き沈みがあります、 喜びがあれば悲しみがある、夢中になれることがあれば、また失望と倦怠感にさいなまれることもあります。

災難に遭遇することや、大切な人を失い失意に打ちひしがれること、失業の憂き目にあったり将来に不安を感じることなど、自分をとりまく環境が激変することもあります。

人はなんのために生まれてきて、なんのために生きているのだろうか、 執着による迷いの人生から、生き甲斐が感じられる人生へと自覚したいものです。  

人は夢の彼方から生まれてきて、夢の彼方に帰る、 だから人生のことを人と夢とを合わせて儚いという字であらわすのでしょう。

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人生が一瞬の儚いものであるからこそ、ぼーとして、日おくりをしているとすぐに老いてします。人生には、始めての事の連続です。一日・一時間でも同じことはありません。でも同じようなケースがあります。

その時に落ち着いて…過去を振り返り見る心に余裕を持ちたいものです。どんなに忙しいときでも、履物をそろえて脱ぐくらい、心のゆとりが欲しいものです。心にゆとりが出来れば自分自身の姿もよく見えてくるでしょう。

自分の履物をそろえることは、そのまま自分の心の整理整頓となります。自分で履物をきちんとそろえて脱げるようになったら、他人の履物の乱れも直してあげられます。

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2016年1月12日 (火)

思いやりと優しさ

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「思いやりがある」・「思いやりがない」とか良く言います。

「思いやり」…相手の気持ちや立場にたって考えてやること。また、相手が苦しんでいたり、悲しみを感じている時に、その人の身になって共に苦しんだり、悲しんであげることです。

思いやりとは、理屈や常識を抜きにして、とにかく今苦しんでいる人、今困っている人の立場に立って考えたり、同情したり、手を差し延べてあげる、これが思いやり…思います。

人は、苦しんでいる時、悲しんでいる時、さびしい時、困っている時に、本当に優しくされると、相手が神様のように見えてきます。

「自分のせいで自分が勝手に困ったり、苦しんだりしているのに、相手はやさしく同情してくれる」そんな時、人の心の温もりが、ひしひしと感じられ、そして心が癒されて、また頑張ろうと思う元気が出てきます。

「思いやり」と同じような意味に、「優しさ」とか「情け」とか、「親切」などの言葉があります。いずれも、自分の損得とか打算に関係なく、相手のことだけを思いやる…「心」を表した言葉だと思います。

「優しさはあるけれど、思いやりがない」

損得、打算はないが、理屈と常識で割り切ってしまう。だから、手放しで相手の気持ちや立場に立って考えてやることが出来ない事があります。

本当に苦しんでいる人、悲しんでいる人の心を癒し、励ますためには、何も考えずに、その人の気持ちになってあげることが大切です。

世の中には、「法律」・「規則」・「常識」があります。また「力の限界」・「世間体」・「見栄」もあります。しかし、そんなものに一切囚われない、人間の本能としての優しさ、思いやりの心が誰にでもあると思うのです。

その本能こそが「愛情」です。

夫婦や親子や恋人、あるいは動物や植物に愛情を傾けます。人間として素晴らしい心の表現が愛情であると思います。愛情には、理屈も打算も道理も何もありません。

「相手を愛おしく思う」ただそれだけです。そんな純粋な心、愛情をかけてもらうことによって、人は立ち直り、再び生きようとする元気が出てくるのです。

やはり、「愛」が人を救い、地球を救う…と実感してきます。純粋な心で相手を愛おしく思う心が大切です。

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2016年1月11日 (月)

地球の歴史と環境を考える

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今年は2016年…地球の歴史が続いています。

138億年のビックバンから、46億年まえに地球誕生しそれ以来、現在の太陽系で地球が存在していると言われています。そして現在私たちが、地球の星で生きています。諸行無常…すべてのものが、変化しています。

この地球も終りがあるのです。地球が生命の住める星である期間はあと17億5000万年と言われています。そして現在私たちが、地球の星で生きています。

40億年前にこの世に形づくられた地球と約40億年前に誕生した「いのち」──現在見られる自然も、多様で素晴らしい生き物の世界も、これまでのこの星の上で進化をしてきた奇跡的な歩みで今があるのです。

そしてそれらは、138億年前に生まれたと言われているこの宇宙の進化の一環なのです。

山や川や岩石の表情に「宇宙」を感じ、タンポポや桜の姿に「宇宙」を感じることで、私たちは今、「宇宙」という言葉と、自然の偉大さを肌で感じることが出来ます。しかし、人間のエゴで、自然破壊・環境破壊と言われるように、私たちが安全安心して住める地球でなくなってきています。

この地球を安全で安心して住める自然環境を確保することは、今生きている人間の使命です。昨年COP21がフランスで開かれ、『気温の上昇を抑制する長期目標』と『温室効果ガスの削減目標』が合意されました。

新たな合意では、気温上昇を産業革命前に比べて、1.5度未満に抑えるよう努力するとしています。また、温室効果ガスの削減目標について、それぞれの国の削減目標にどこまで法的な拘束力を持たせるのか、合意案では目標達成の義務づけを見送る一方で、すべての国に5年ごとに目標を提出し、対策を進めることを義務づけています。

環境破壊は人ごとではありません。

私は80歳近い老人ですが、私が住む町は、子供のころの風景を現在では、想像も出来ないくらいに変ってしまいました。科学進んで人々の暮らしは、良くなったのですが、長い地球の歴史上から見たら、地球の寿命を縮めていると思うのです。

山や川などの自然の素晴らしさ、あり難さを人間は謙虚に受け止めるべきです。それには、その地域のみなさんと力を合わせて、自然の保護が大切です。

自分という生命体に素直な生き方をすべきところ、私たちは自我の欲望のおもむくままに利己的な生き方をしています。「生かされている」ということに、感謝の念を持ち、平和と、未来に希望が持てる地球(環境)になるように…ひとり一人の環境に対する認識を深めて欲しいと思います。

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2016年1月10日 (日)

人が生きる目的は、喜びのためである

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人間は何のために生きているのでしょうか?…

「喜びのために生きる」

人が生きる目的は、喜びのためであると思います。それも、深い満足のいく喜びのために生きているのです。

物質文明の問題点

核兵器、環境破壊、遺伝子組み換えなど、一歩間違えれば人類の破滅につながりかねないほどに発達したことです。そのために不安になるという、真逆的(予想もしない)結果になっているのです。私たちの生活においても、物こそあふれていますが、物で幸せ感を得ることは出来ません。

本当に人に寄り添っていく気遣い、人を安心させる思いやりに欠けています。人の心を忍耐強く理解しようという努力の代わりに、怒りや批判がごく当たり前のこととして幅を利かせているのです。

お年よりから学ぶ

豊富な生経験から、お年寄りたちはあらゆることに敬意を抱くことで、物を大切にすることはもちろん、あらゆることの愉しさや味わいが深くなることが分かっています。

また、あらゆることに感謝を捧げる姿勢を持つことで、自然と物事に前向きな姿勢になれるものです。あふれかえる物の中で、物を粗末にする私たちは、自分自身を粗末にしていることに気づくべきです。

「人様」…と他人のことを尊重するお年寄りがおられます。自分が他人の迷惑になっていないかといつも配慮を忘れないお年寄りの礼儀正しさ、美徳からはちょっと遠いところに来てしまったようです。他人から尊重されたければ、人を尊重しなければならないことが一部の若者にはわかっていないようです。

戦後と共に、個人の権利と自由、物質的な快楽の追求を是とするアメリカの価値観を私たちは全面的に受け入れました。

しかし、自己中心的な振る舞いや物質的な快楽といったものと、幸せを混同すべきではないでしょう。人の迷惑や不利益を顧みず、自分の喜びだけを求めることは長期的に見れば、空しさと不幸の原因となるのです。 誰もが幸せと喜び、不幸と空しさを選べるし、選び取っていることを教育で、しっかり伝えるべきと思います。

深い幸福や充実感は、成長すること、感謝すること、他人に尽くすことで得られるのです。子供たちに幸せになってほしければ、幸せを教えたれば、まずは我々大人が、幸せと喜びへの道をたゆまず歩み続けなければなりません。

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2016年1月 9日 (土)

協力し分け合ってこそ、生きていけるのです

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「協力し分け合ってこそ、生きていけるのです」 

自己中心的な人が多くなったように思われます。

 ほとんどの人は、自己中心で生きています。私たち人間は、いつも自分の都合の一番良いこと選ぶ…考えがあります。

自己中心的…と、それに気づかされた時、みんなで共に生きられる、世の中になるのだと思います。 世の中、障害持った人、お年よりの人、闘病されている人など、地域社会の一員とし安心して、暮らせることは、最も幸せなこと事です。

人が、生きていくことは…苦しいこと、辛いことなど、一人で乗り切れないと思うことがたくさんあります。それらを自分で、解決して行こうと思っても、年齢・家庭環境・病気・障害など、生きることが出来ないこともあります。支え合ってこそ生きられるのです。

地域社会は、一人ひとりが主役です。支え合い・助け合い・協力し合って、住みよい町になるのです。自分は一人で生きていけるから大丈夫と、思っている自己中心的は人の集まりでは、町は、成り立ちません。

ですからすべての人が、自分が出来る事を(町のため、町の人ため)することが大事なことだと思います。誰もがわかる、行動で示し、高齢者や障害がある人達も、地域の一員として、普通に生きていける…町づくりを目指すべきです。

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新春の湯殿川の鯉

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湯殿川 初春の鯉 川のぼる

誰かが餌を与えているのでしょうか、橋の上を通ると、群れで寄ってきます。

湯殿川、風原橋の付近の鯉は、随分と数を増えているようです。

そして大きくなっているようです。

今年(2016年)は、開けました。そして暖かな(暖冬)日が続いてます。

朝日にキラキラ輝き威勢よく、川をのぼる光景が見られます。

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2016年1月 8日 (金)

自然を通して「命の大切さ」を知る

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人にやさしく、自然の大切さを子ごもに…

現代の子どもたちは、自分から進んで人に自然に話しかけ、疑問などを働きかけ、問い正すことが少ないように思います。

それは、都市や地方に限らず、便利で快適な暮らしが、そうさせているのです。何でもボタン一つで答えの出る生活は、人や自然に関わる機会を奪い、子どもたちの好奇心を、削いでいるのです。

インターネット検索で答えを出し、そのことで物事を理解しようとしたり、テレビやビデオなどを視聴し、そこで得た情報で物事を受け止めたり…これでは、ますます受動人間になり、主体性は育ちにくいと思います。

夢を持ち、そのことに向かって主体的に生きていく人間を育てるには、苦労の伴う価値ある体験を通し、個人の考え(個性)を育むことになるのだと思います。

人の苦労・工夫・生き方に触れたり、自然の不思議さ・おもしろさ・追究する楽しさに触れたりする中で、情報処理のおおもととなる物事の見方・考え方の基礎を学ぶ教育活動を展開していくことが大切と思います。

その上で、人間社会での生きていくための規範・軌範…単なる事実ではなく、判断・評価などの基準として展開していく…行動したり判断したりする基本になるのです。

自然を通して「命の大切さ」を知る

大事なのは「命は大切である」と言葉の上で理解することではなく、一人ひとりが心から実感することです。子どもたちの生育過程をとおして形成される心の奥底の実感的基盤があってこそ得られるものなのです。

そのためには、見る、聞く、触れる、嗅ぐ、味わうといった経験そのままの感覚、つまり自分の身体をとおして感じるものを大切にしなければならなりません。そして、経験そのままの状態、いわば言葉になる以前の感覚を大切にする必要があると思います。

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2016年1月 7日 (木)

少年事件に思う

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少年の殺人事件に思う。

千葉市柏市の17歳の少年が橋から落とされて死んだ。昨年2月川崎市で13歳が川で泳がされて死んだ事件がありました。

中学生・高校生が、夜中に家出て遊ぶ…親はもちろん、近所や地域の人は、異常と感じて、いなかったのか、無関心なのか…気付いていなかったのか、何か防げる手段はあったはずだと思います。世が悪いでは済まされないことです。

子供は、家庭・学校・地域で育つと言われています。規範意識・公衆道徳など「良い・悪い」事をしっかり教えることが大事です。

将来の日本を作って行く子供たち、大切な子どもたちを育てる責任は、社会全体の責任です。規範・道徳・ルールを守る子供に育てる…意識を持つことが大事な時代だと思います。

規範意識とは、 集団生活や社会における公衆道徳・ルール など の規範に基づいて、主体的判断し行動ようとする 意識 です。

規範意識は、家庭でのしつけ、規則正しい睡眠、食事等の基本的な生活習慣を基盤としています。その基盤のもとに、学校教育において、きまりを守ることや他者との関わりを大切にするための具体的活動を通じて、育まれるものです。

子どもたちの規範意識の低下は、暴力行為やいじめ、ネット上での誹謗中傷など生徒指導上の問題行動の背景ともなっています。問題行動の未然防止の観点からも、学校全体でも、子どもたちの規範意識の育成に取り組むことが重要です。

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2016年1月 6日 (水)

ゴミ問題は深刻です

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ゴミのポィ捨ては、教育やモラルの欠如です。

環境破壊の一つにゴミ問題があります。不法投棄・ゴミのポイ捨ては、自然の破壊…に繋がります。むかしいた多くの生物が、消滅しています。恐れていることの、自然破壊は、人間の身体・心(精神)にも、大きく影響する問題です。

一人ひとり考えるべき問題

ゴミを捨てる事に対してどれほど罪悪感があるのか?残念ながら、今のところ、多くの人はゴミをポイ捨てすることに、さほど罪悪感を感じていないのでしょう。

スーツがビシッと決まって、きっとそれなりの社会的地位のあるような紳士が、ひょいとくわえたばこをする…吸い終わった吸い殻を、さも当たり前のことのようにポイと道端に投げ捨てる…こんな、がっかりするような光景をよく見かけます。

「赤信号、みんなで渡れば…」じゃないですが、「みんなで捨てれば」のノリで、ゴミの山になっているところのいかに多いことか…

「ゴミ捨て禁止」・「ゴミは持ち帰りましょう」・「犬の糞は片付けましょう」・「歩行禁煙」などの看板やポスターがあっても、無視?されているところが多いのです。

私は、ゴミを拾いながら思うのですが、ゴミ対策に関心を持ち、ゴミ拾いを実行する人が、一人でも多く参加してほしいと思っています。

規範意識の教育…

一度、みんな公園や道端のゴミ拾いのボランティア作業をすべきだと思います。学校教育や社員教育に、義務として組み込むべきです。放っておいたら、ゴミがゴミを呼びます。(ゴミの山になります)

とにかく、今のような物に溢れた時代は、ゴミをそこらに捨てる事がとても悪いことなのだという認識をみんな持たないと、将来に、取り返しの付かないことに…なると思います。

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2016年1月 5日 (火)

2016年新春に想う

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人は自分の意志で自分の力で生きていると思っています。

自分の意志に関係なく、自分の体の細胞は新しくうまれ、また死んでいきます。いつまでも若くありたいと思うけれど、年々老けていく…病気も自力ではなかなか治癒できません。死はやがておとずれてきます…つまり生かされているのです。

人は自分の力で生きているようですが、ほんとうは生かされているから、寝ている時にも臓器は動いています。自分の意思にかかわらず腹もすくし、爪も毛も伸びます。

そしてだれ一人として一人では生きていけません。さまざまな繋がりがあって、生きていけるのです。生かされている、他に支えられていると思えばよいのですが、自分の意思のおもむくままに、生きようとするから、欲が頭をもたげ、それが悩み苦しみにつながるのです。

世の中は、何もかもが何らかの関連に依って存在しています。自然界では、食物連鎖ですべての生きものの命がつながって、お互いに命を支えあって、生息しています。

海の魚は陸上の植物と命の支えあいにおいて無関係ではない、すなわち一つの命は他を生かし、他の命によって生かされています。ものごとは何らかの原因による結果としてその存在がある、この因果の道理はものごとの存在の根本です。

したがって悪循環を断ち切り、善循環おこすべきです。他を生かす利他行こそ己を救う。「利他」あるいは「利行」これが善循環をもたらす幸せのキーワードです。

この世に存在するものはすべて常に同じではありません。変化しつづけており、生まれたものは必ず滅していく…人生が一瞬の儚いものであるからこそ、ボーとして日を送っていると、すぐに老いてしまいます。

2016年を迎えることができ、とにもかくにも、今生きている、いや、生かされている幸せに感謝しています。あり難いことと思っています。

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2016年1月 4日 (月)

老後破産・老後を考える

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老後の資金…

夫婦で3000万円と言われていますが…どうも不安です。

とにかく、家の中の物を「スッキリ」しなければいけない…エンディングノートを書かなければいけない…遺言書…と考えてみたが… 

家の中をスッキリ」と言えば…断捨離(だんしゃり)…(やましたひでひこ氏の提唱)を実践しなければと思っています。

断・捨・離とは…

『断』 : これから入ってくる不要なものを断つ(買わない)
『捨』 : いま持っている必要ないものを捨てる
『離』 : 物へ執着することから離れる(物欲をなくす)

不要なモノなどの数を減らし、生活や人生に調和をもたらそうとする生活術や処世術のこと。

老後破産…

病気になったり介護が必要になれば、たちまち「破産」に至るような高齢者…「一昨年9月に放送されたNHKスペシャル「老人漂流社会~“老後破産”の現実~」で初めて使用された造語。」

現在、一人暮らしの高齢者が600万人に迫る中、月額10万円未満(生活保護水準以下)の年金でギリギリの生活を続ける人が200万人余に及ぶ。病気になったり介護が必要になれば、たちまち「破産」に至るような高齢者が急増しているという。 

「お金がなくて、病院に行くことをガマンしている」

「食事は1日1回。1食100円で切り詰めている」

国は社会保障費の抑制のため年金額を引き下げる一方で、消費税や医療費、介護費用等の負担は増しています。

多くの高齢者が「SOS」も発さず、じっと耐え続けていることです。医療や介護が必要であるにもかかわらず、「つながり」を絶って孤立してしまう人も多い。それが1990年代に急増した「孤立死」や「餓死」の背景にあります。

今の現役世代とて、非正規雇用やワーキングプアなど雇用環境が劣化し、年金さえかけていない若者も今や珍しいことではなくなっています。

十分な貯蓄がないまま、高齢期へとなだれ込んでいく人が、今後ますます増えると予想され、このまま問題を放置すれば、若者の老後が「時限爆弾」のように社会にコスト増を求めてくるとになるのではないでしょうか…。

いざというとき、誰もが頼れる制度だからこそ、厳しい財政状況の中でも、みんなで支えようという方向に、発想を逆にしなくてはならないと思います。

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2016年1月 3日 (日)

絆を考える

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絆を考える…

市の広報やお知らせ・通知を、各戸配布や回覧すれば…それだけでは徹底できません。声かけることが大事だと、日ごろ考えています。

世の中には自己中心的な考えを持った人間が増えてきたように思えます。ドアーの向かい側のマンションの住民…戸建てで、住民どうしで、話掛けをしない人が多くなって来ています。

今は、夫婦共働き当たり前の時代です。ディサービスを受ける老夫婦…保育園児や小学生の低学年が、夕方暗くなっても、一人家で母親の仕事を終えて帰ってくるのを待っている…そうした生活環境の人達が増えているようです。

今、貧富の差が広がってきている言われています。「子供の貧困率」は、今、先進国の中で最悪レベルにあるという。貧困は、子供の教育機会を奪うだけでなく、豊かな日本社会の将来のツケとして暗い影を落とすことになっています。

少子高齢化、無縁社会…わが国の未来は、貧困などの危機にある子供たちに託すしかない。貧困が貧困を生む、この見えにくい現実であるようです。

豊かな国日本であるはずが、「子供の(相対的)貧困率」は過去最悪の16・3%に上り、6人に1人の約325万人が「貧困」に該当する。豊かな先進20カ国のうち、4番目の高さにあるという。

貧しくても人と人が支え合う。「日々の生活は苦しくても、何とかやっていける。そこにはそんな希望があるはずだ。」しかし、人のつながりが薄れた今、生活の困窮は、孤立を生み、あきらめをもたらすことになっています。

昨年の川崎市の多摩川での中学生が殺されるという痛ましい事件は、夜中に起きた、常識を超えた生活の中の事件でした。支えることが出来なかったのか…

高齢者の介護の問題(事例)…埼玉県の利根川で昨年11月末に起きた事件

高齢の両親を乗せて、40代の娘が車で川に入っていった。両親は遺体で見つかり、娘は殺人などの容疑で逮捕、起訴された。警察などの調べに対し、娘は「生活苦や母親の介護の疲れで、一緒に死のうと思った」と話した。

生活苦で高齢者の介護の疲れで、40代の娘は、一緒に死のうと思った…47歳の娘は、認知症の母親が症状が重くなり、3年前に仕事をやめた。同じ頃「ごみ掃除の当番をするのがきついのでやめさせてほしい」と自治会を抜けた。

届かなかった支援

この間、一家は介護保険のサービスを全く利用していない。暮らしは、74歳の父親が新聞配達で支えていた。その父が病気で働けなくなって、娘が初めて市役所に生活保護や介護保険の相談に訪れた。事件の直前、11月2日のことだった。

市の担当者は「支援に向けて動いていた矢先のことで本当にショックです。もっと早く対応できていればとも思いますが、困っている人たちをどう見つけたら良いのか」…悩む。

町会・自冶会の役員なじめ、向こう三軒両隣のみなさんも、ふだんから声をかけ、お互いに困っていること、悩んでいることを話し合う…昔の井戸端会議などが大事だと痛感したのです。

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「バランス・調和」を考える

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世の中の仕組みは、すべてが「バランス」・「調和」によって構成され、成り立っています。人対人の調和・自然と人間の調和・物と物の調和など…で、今があるのです。

「弦の楽器はきつく張りすぎると切れてしまう、緩いといい音が出ない、ちょうどよいほどに張ってかき鳴らすとよく響きます。」

また、むかし、お正月に子供の遊びに凧揚げがありました。ゆるめすぎると高く飛ぶどころか、凧は落ちてしまいます。風の強さを読み、糸を張ったり、ゆるめたりしていくと、凧は天までとどく勢いで、高く高くのぼっていく…

人生においても、頑張り続けるだけでは、糸が切れてしまいます。リラックスしすぎるのも、だらけてしまい、あの糸を持つ感覚こそが大切だと思います。

車の運転と同じように、ハンドルをまっすぐ握れば、車はまっすぐ進むわけではありません。左右に動かしながら、遊びの部分があって、はじめてまっすぐ進むように…

「バランス感覚」や「自然との調和」が大切です。2016年を迎えて…今年は、この「バランス感覚」や「自然との調和」を、大切にしていきたいです。

人の心もバランスが崩れると病気になります。バランス(調和)がとれず争いになり、不安定になり戦争が起こります。

日々の生き方の基本は、欲ばらず貪らず、常に背筋伸ばして姿勢正しく、肩肘張らず、呼吸を整え、過去にこだわらず、この一年365日、日々心して生きたいものです。

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2016年1月 2日 (土)

希望が持てる社会を願う

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いま、世界では、テロや争いは起きています。家族と別れ離れになってしまったり、一人ぼっちなった避難民の子供のニュース映像を見て心が痛みます。

いまや日本でも、テロが起こる心配される時代となってきました。アメリカや欧州各国とロシアや中国と思惑があって、どうも対応が必ずしも一致していません。アラブの春は遠いと思わざるをえないのが実感です。

百人一首…から、にどんな世の中でも希望持って生きて生きたいものです。

「瀬を早(はや)み 岩にせかるる 滝川(たきがは)の
                われても末(すゑ)に 逢はむとぞ思ふ」
                  崇徳院(77番) 『詞花集』恋・228

川の流れが速いので、岩にせき止められた滝のように流の速い水が、いったんは別れ別れになっても末には一つになるように、あなたと離れ離れになってもまたいつか再会したいと思う。

この時期は誰しも厳しい「冬」にもたとえられるでしょうが、長い冬は暖かい春への準備だとも言えるでしょう。月の半ばごろからは、梅の便りも届くでしょう。暖かい春を目指して準備を怠りなく過ごしたいものです。

そして、「世界平和」。子供からお年よりまで世界中の人々が、希望の持てる社会になるように願いたいものです。
  

  

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しなやかな心を求められる時代

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台風や強風・雪で、大きな木が折れたり・倒れたりしますが、竹は折れたり倒れたりしません。「しなやか」だと言われます。

一般に「しなやかさ」とは、大きく曲げても折れない(靱性)、力を除くと元に戻る(弾性)、という2つの性質に基づいています。

しなやかな心を求められる時代

世界がグローバル化社会で、ストレスが増長されていくようです。ストレス対処というと、心を「強く」…「我慢」することだと思われがちです。

世の中は便利になった一方で、常に様々な刺激にさらされ続けることになり、心と身体は気づかないうちに疲労をしているのです。「嫌だな…ストレスだな…」と感じてしまうことが多いのは、当たり前の時代なのです。

ストレス過多の時代に目指すのは、「強さ」・「我慢」ではなく、へこんでも自力で立ち直れる回復力であり、柔軟性です。これは、困難な状況であったとしても、しなやかに適応して生き延びることができる「心の強さ」です。

目指すべきところは、ストレスに耐え続けて折れるのではなく、ざわざわしながらも折れずにいられる「しなやかさ」です。実は、日常的に嫌なことやストレスを感じることは、悪いことでも弱いことでもありません。これは、「心の強さを」を養うチャンスが多いということかも知れません。

さらに変化のスピードが増すこれからの社会において、どのように「心の強さ」を発揮し変化に対応をするか…これからの社会を生きる人に、求められる時代ともいえます。
 

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2016年1月 1日 (金)

地球の成り立ちと地球の危機

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2016年明けましてお目出とうございます。

地球は自ら回り(自転)しながら太陽の周りを回って、丁度一周したのです。地球は、壮大な宇宙の中の太陽系の惑星の(水星・金星・地球・火星・木星・天王星・海王星・冥王星)一つです。

宇宙には、地球のような太陽系を持った星群がたくさんあるそうです。その中には地球と同じように生命体を持った星があるかも…科学者は言っています。

ビックバンで、他の惑星と同じように46億年まえに地球が誕生し、規則正しく、一年で365日で一回り、太陽を回っています。そして24時間で、一回りしています。

昼と夜があり、日本などでは、春夏秋冬の季節まであり、人間などの生物を含め、地球上の生きものは、その大宇宙と地球の規則正しい、リズム?によって生かされているのです。

いま私たちが生きていられるのは、大宇宙の法則によって生きていられるのですが、人間の浅はかな行為によってこの法則を壊そうとしています。地球の環境破壊です。

地球環境は危機が叫ばれています。 

昨年フランCOP21が開かれ、産業革命前からの気温上昇を1.5度にした場合の影響や、排出削減の方向性などに関する特別報告書を18年に出すよう依頼する。

各国は20年までに、現在掲げる国別の温室効果ガス目標に続く目標を作ったり更新したりして、その結果を報告するなど決まった。

中国の大気汚染・日本の放射能汚染でも分かるように、経済優先に考えた政策は、リスクを十分考慮しなければならないことだと思います。

今、エルニーニョで、異常気象が世界的に問題視されるようになって来ました。これからの国際社会、環境に対する知識と、行動が重要です。

日本でも、まだまだ認識不足の人間がいます。タバコの吸い殻1人が1本でも、100人で100本です。それを大地に捨てたら、生態系を崩し、人間にも「生死」に関わる事態になるのです。

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