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2015年11月

2015年11月30日 (月)

小さな喜びでも大きな感動

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人間の欲…

七欲あるといわれてます。食欲・金銭欲・物欲・色欲・権力欲・名誉欲・睡眠欲です。人間には、欲望は必要不可欠なものですので、限界まで貯めると、人間ではなくなります。 

また、欲望を満たすだけでは、人間として真の心の充足感は得られません。なぜなら、欲望は動物的本能の働きであり、心には、人間の本質的働きがあるからです。

本質的な心は、「真・善・美」を求めて止まないものです。「真…真実の真」・「善…善悪の善」・「美…美しさ」です。

心は、偽りの生活よりも、真実に生きるほうを求めます。悪いことよりも善きことを求めます。汚いことよりも美しいことを求めます。それが神から生まれた人間の本質なのです。人はみな、内在する本質的心が満たされることによって真の充足感が持てるのです。

最近の若い人は、「無気力」「無関心」であるといわれています。極端ではなくても、そういう傾向が自分にもあると、感じている人も多いと思います。

感動は自分を変える…

感動は心を清め、感動が感激に変わってくる…「自分もああなりたい」とか「こうしたい」とか「自分も一緒にやりたい」等の行動を取りたくなってくるのです。そして、心の求める本質を奮い立たせてくれるのです。

人が輝いて見える時、魅力的に見える時、艶やかに見える時は、その人の「充実感」が体全体に現われているからだと思います。心に喜びを持っている人、心が満ち足りている人には自然と顔や体に美しさや、心を引き付ける魅力がわき出てきます。

感動を多く持てる人は、多くの喜びを持てる人です。毎日の生活がすべて当たり前と思って過ごしていると、何を見ても何を聞いても心の弾みがなく、淀んだ心となってしまいます。

水も流れが止まるまると腐ってしまいます。心も同じで、淀んだ心は不平不満や無気力を生み出します。感動は魂をふるい起こさせ心を清めてくれます。

当たり前と思う心からは、感謝の心が消えてしまいます。見方考え方を変えて感謝の心であらゆる物を見たならば、新たなる感動が生まれてきます。

動物的本能の欲望に心が支配されるのではなく、多くの感動によって、人間の本質的魂が求める「さわやかな心」を奮い起こして、潤いのある、前向きの人生を過ごしていきたいものです。

そして、多くの感動を人に与えられるような人生を送りたいものです。小さな喜びを心の中で大きくふくらませ、やがてそれが大きな感動となるよう、小さな喜びを見つける達人になることです。

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2015年11月29日 (日)

歴史を埋める落ち葉


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               片倉城跡公園

城跡の 歴史を埋める 落ち葉かな

時の経つのは早いものです、今日(三の酉)明日一日で12月…

片倉城跡の公園の大鳥居付近も、落ち葉で一杯です。

片倉城…
健保元年(1213年)和田合戦により大江広元の領地となった。室町時代、大江広元を祖先に持つ大江備中守師親あるいは長井時広が在城(築城)したと言われているが、諸説あります。

長井氏以降の片倉城に関しては詳らかでないが、その堅固な構造から、後北条氏の領地になってからも砦として戦国時代後期まで使用されたと考えられる。…(ウキペディア)

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2015年11月28日 (土)

たき火…思い出


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最近は、まちの風景からか、情操感が昔と違ってきているようです。

情操とは…高い精神活動に伴って起こる感情、情緒より知的で安定感があり、持続できる情緒的態度という意味です。

つまり、さまざな事に対して知的かつ感情豊かでいられるということで、具体的には、音楽や絵画など芸術に対して素直に感動できたり、文学などに対して理解が深く、感動できたり、人の気持ちや感情に対してもちゃんと受け止められるように、なっている状態です。

情操が豊かな人は、精神的にゆとりがあり、人間関係も円滑に築きやすくなるでしょう。

むかし、童謡に「たき火」があります。

♪かきねのかきねの 曲がりかど
たき火だたき火だ 落葉たき
あたろうか あたろうよ
北風ピープー ふいている

さざんかさざんか 咲いた道
たき火だたき火だ 落葉たき
あたろうか あたろうよ
しもやけ おててが もうかゆい

木枯らし木枯らし 寒い道
たき火だたき火だ 落葉たき
あたろうか あたろうよ
相談しながら 歩いてる ♪

北風ピープー吹いている… (北風は、日本においては冬に吹く北西方向からの季節風のことです。)・おちば‐たき…(晩秋に落ち葉を集めて燃やすこと。)

そして、さざんか咲いた道 (秋の終わりから、冬にかけての寒い時期…初冬。)

初冬…といえば、雪 - 霜柱 - つらら  - たきき火 -  麦踏み - 雪虫などのイメージがあります。私はこの歌詞で、とても暖かな気持ちになるのです。いまでは、この情景が、ほとんど見られなくなりましたが、郷愁を覚えます。

黄色い熱々の焼き芋を食べて、空を見ると、一番星が夕空に「一番星を見つけたー」の歌声が聞こえてきそうです。

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2015年11月27日 (金)

生きている幸せ…感謝の心

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生きていられる幸せ」

今の世の中、自分一人で生きている(一人でも生きていける)と思っている人がいます。また、人に迷惑をかけていないし、これから「自分ひとりで生きていきます!」なんて言っている輩が多くいます。

考えてみますと、どうもそういう人は自己中心主義の人ではないでしょうか…

現在の人間関係が嫌だと言い、無人島へ一人で移住したいという…食料・水は十分あったとしても、一年もしないうちに助けを求めてしまうでしょう。絶対に一人では生きて行けないのです。

水、食料、は勿論必要ですが、家族や職場の人たち、さらには社会など、自分を取り巻くあらゆるものに支えられて生きているのです。

そう考えれば、自然に感謝の心が出てくるはずです。不幸続きであったり、不健康であったりする場合は「感謝をしなさい」と言われても、無理かもしれません。それでも生きていることに対して感謝することが大切です。

感謝の心が生まれてくれば、自然と幸せが感じられるようになってきます。生かされていることに感謝し、幸せを感じる心によって、人生を豊かで潤いのあるものに変えていくことができるのです。

いたずらに不平不満を持って生きるのではなく、今あることに素直に感謝する。その感謝の心を「ありがとう」という言葉や笑顔で周囲の人たちに伝える。そのことが、自分だけでなく、周りの人たちの心も和ませ、幸せな気持ちにしてくれるのです

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2015年11月26日 (木)

気遣い

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「気遣い」とは…

言葉よりプラスαの行動をすることです。それは、優しさ・思い遣りの心が伝わり信頼関係につながります。

「さりげない気遣い」は心温まるものです。それは、相手を思いやって、見返りを求めない優しさだからではないでしょうか?さりげない気遣いが出来るのも、「コミュニケーション能力」の一つです。その人の人間的魅力として、周囲に好感をもたれます。

見返りを求める心が透けて見える親切や、善意の押し売りなどは、気遣いとはいいません。「さりげない」と言うのは、簡単でも行動で示すのは難しいものです。

気遣いができる人は、「お疲れ様です!」と心から思い(感謝)を伝わる声をかけることです。そして、気持ちを、行動として見せることが本当の気遣いだと思います。

また、気遣いができる人は、先を読む能力に長けています。先を読むというのは、想像力を働かせることです。先回りしておくことで信頼感を得ることができます。また、何よりも大事な相手の立場を思いやるという意味での想像力もあるはずです。

ちょっとした小さな気遣いが積もり積もって周りに良い影響を与えています。そして最も大切なことは、「気遣いができる人は、受けた気遣いに気づける人」ということだと思います。

現代社会は、自己中心の考えの人が多くなっているようです。気遣いが社会を明るくなることになるのです。自分の胸に手を当てて考えてみたいものです。

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2015年11月25日 (水)

平常心

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「平常心是道」(びょうじょうしんこれどう)

「平常心」とは「ありのまま」「そのまま」という意味です。

政治家たちがよく、政治課題や政治姿勢を、問われて「平常心です」という。これは平常心は、普段通りで、格別の構えもなければ、気負いもなく、淡々とした心境であるという意味で、使われていることが多い…

一般的に平常心と言えば何事にも心が動じない、揺れ動かないことのように思われていますが、禅語としての「平常心」とは、淡々として、全く心が動かないとか、動じないと言うことではありません。

人生には喜怒哀楽があって、一喜一憂、悩んだり苦しんだり、泣いたり、笑ったりしながら心は揺れ動くのが常で、嬉しいときは喜び、悲しいときは、涙するのは人として当然のことです。

この揺れ動く自分のその心そのものが、我が心のそのときの真実の心であり、さまざまな状況、状態に応じて変化し現れるのが、人の心であり人間としての自然の姿です。

緊張すべきときに無理に平常心を作ろうとか、落ち着こうとあせる心を起すときに不自然な心が働き、かえって変調をきたすのです。このままじゃいけない、何とか落ち着こう、泰然としていようとすればするほど、緊張は高まり、不安になることも少なくないものです。

むしろ、上がり…緊張している我が心こそ、今の自分の真実の姿であり、ありのままの心なんだ、ということを素直に認め受け入れることです。

ありのままの心、ありのままの姿を認め受け入れるとき、そこには自らが否定しし排除しようとした自分の心はなくなり、障りとする緊張感はなく平生の平常心があるのみとなります。

とはいえ、「平常心」は普段のまま、現在の煩悩…心のそのままではない。道元禅師の言われる…「ただわが身も放ち忘れて仏のいへになげいれて、仏の方より行われ、是に従い行くとき ちからも入れずこころもついやさずして 生死を離れてほとけとなる」…とあります。

要は仏のいえ、大自然の運行、自然法爾のままに、一切を御仏にお任せするその心そのままが平常心なのです。

ですから平常心とは、ああしよう・こうしようと作為する心・思慮分別や、ああすべきではない・こうすべきであるという…規範の意識などをきれいに棚上げした、文字通りの無造作な心、何ともない心のことであります。

つまり、すべての思いを捨て、そうしたすべての判断に死ぬということです。これは、人にとって一番難しく恐ろしいチャレンジなのだと思います。 

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2015年11月24日 (火)

見えない気配り

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見えない気配り

せっかく自分は他人に気を遣う…無神経な人を見ていると、なぜもっと他人に配慮ができないのだろうか…最近思うに自分さえ良ければの、自己中心主義の人が多くなってきているようの感じます。

何気ない気遣い

「気遣い」とは、相手に気づかれないようにやるものです。自分が気を遣っているのと同じくらいに、他人も知らないところで気を遣ってくれているのです。どうも子供のころ、親の躾け・教育にあるように思えます。

親がどんな態度をとるかで、子どもの性格は変わると言われています。環境や・親の育児の考え方・態度により、支配型、服従型、保護型、拒否型があると言われています。その性格が、人間社会で成長し、社会人になっていくのです。だから子供の躾けは大事なことだと思うのです。

私は時代背景が変れば、ある程度その時代に適応できる、性格が必要で、その社会に馴染むことが大事なことだと考えます。

他人に気を遣い、相手から感謝されたら、「逆に相手に気を遣わせるようでは、自分もまだまだ未熟だな」と反省したほうがよいのです。「よし、今度は相手に悟られないように、他人の役に立つことをしよう」と、自分だけの密かな楽しみをもつのは、なかなか乙なものです。…これらも性格と価値観で、人それぞれで対応の仕方あると思います。

毎日歩いている公園や駅前の通りも、誰かが掃除をしてくれているのかもしれません。「掃除をしてくれる人がいるおかげで、いつもきれいだな」と、他人の心配りをくみ取っている人が、どれだけいるでしょうか…

また、私たちは、知らないうちに他人の気分を害したり、他人に迷惑をかけたりしているかもしれません。それを他人が我慢し、大目に見てくれているから、自分は気づかずにすんでいるのです。

「自分の気遣いに他人が気づいてくれない」ということにどれだけ悩んでも、きりがありません。逆に、「自分の気遣いを他人に気づかれないようにしよう」ということを目指すべきなのです。

他人に感謝してもらえなくても、腹を立てない。

「互いに、相手に何かをしてもらったときに感謝する」のも、もちろんよいことなのですが、世の中のすべての人が、「他人のために何かをしたとき、感謝されることを求めず、逆に自分が感謝する」ことができたら、なおすばらしいのではないでしょうか…

何かをしてもらったときに感謝し、何かをしたときも感謝する。そう心がけていれば、つねに安らかな心でいられるでしょう。

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農家の山しごと

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霜月や 木肌も寒さで 引き締まる

今年は暖かい、東京地方は、11月でも今日21度との予報です。でも、山の楢の木の葉は落ちてしまっています。

むかし、この時期の農家では、「山仕事」…肥料にするために、くず(落ち葉)掃き・燃料にするため、山切り(間引き)の作業をしたのです。大きな篭に、山盛りし背負って家に運ぶ、薪にする間伐は、リャーカーで運び薪割りをしたのです。

 

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2015年11月23日 (月)

地域の安心・安全は地域のみなさんで…

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「地域の安心・安全は地域のみなさんで…」

むかしの私たちの町は、春には、うさぎ・きつねがいる山がありました。そして、夏にカエルがうるさいほど鳴き、川には、ほたるや、どじょう・ふななどのいる、自然豊かな山・川がありました。

田んぼがあり、畑がありの、長閑でした。暮らしは粗末でしたが、心が豊(どこか心に余裕)かある人ばかり、そして人に自然に、思い遣りあり人情味のある人が多かったです。

いまは、生活の質・便利性は確かに良くなりましたが、多くの自然や植物や生き物が姿が消え去ってしまったのです。

人間は、便利さだけを追い求めた結果のつけの結果が「自然との共生」という大事な法則を忘れさせてしまったのです。昔の自然の姿を、取り返すことが非常に難しくなってしまったのです。そのことすら無知な人間がいまだにいるのです。

今年はフランスで、COP21が開かれます。これの主な議題は「地球温暖化対策」です。言うまでもなく「温室効果ガス」の各国の枠組みを決めることです。「私の国では出来ません」と言う訳にはいきません。

日本でも、目標を提示し、しっかり守ることが大事なことだと思います。そして環境に対す考えは国民人一人に認識の問題です。

きのう、町会の研修会を終えて、午後3時ごろ帰宅途中、私のまちの広場にゴミが散乱していて、そこには中学生の男女が飲食をして楽しんでいました。私は、「君たち、飲食後はゴミは持ち帰ってね」と言い・「このゴミは拾ってね」と言ったら、「このゴミは、自分達ではない、以前からあった」と言う。

私は名前・学校名(八王子市立第七中学)を聞いて、素直に話したので、私は拾いました。大きなレジ袋に二つなり、近くのスーパーに処分をお願いしました。帰宅途中だったのでカバンや手荷物を置いての作業だったのです。

飲食し、ゴミを散らかしてそのまま立ち去る、人・団体(4~5人と思われる)が毎日のようにあり、市の公園課・南大澤警察に事情を説明し、パトロールの強化を、お願いしていますが、私は、「地域の安心・安全は地域のみなさんで…」行うことだと思います。

地域の川や公園・広場はもとより、道路や駅周辺を“ゴミのないまち”にすることが必須です。自分の家の周りの清掃と、ちょっと先まで…心がけと心遣いでまちはきれいになるのです、私たちのまちは、安心・安全のまちにしましょう。ご理解・ご協力をお願いします。

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健康に勝る幸せなし

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白鵬の猫だましに対して北の湖さんらしいコメントをしていたので、元気でいると思っていました。「相撲の北の潮理事長が、九州場所中に亡くなる」…の報にびっくりしました。

「身命は露よりも脆し」と言う言葉があります。野の風に揺れる草の先の露よりも、さらに儚いのが人の命だと言うことです。

「生まれたものは、必ず死ぬ」誰でも知っていることです。しかし、健康な時は誰も自分の死を予定している人はいません。自分が死ぬことなど誰も考えたくないのです。

自分がいつ死ぬか分からないからこそ、私達は平穏に毎日を送ることが出来ます。でも、いつか終わりが来る…そして、刻々と過ぎ去っていく時間は、どんな巧い工夫をしても取り戻すことが出来ません。

今年も忘年会の季節が始まり、時の過ぎ去り速さを感じるころとなりました。そして一年一年…歳重ねて行くのです。

「寿命」…生まれてから死にまでの間です。長生きしようとどんなに努力しても、叶わない人もいます。もうダメだと思っても、奇跡的に一命を取り留める人もいます。しかし誰も自分の寿命を分かっている人はいません。

年をとるとうことは、自分の寿命(持ち時間)が減っていくということでもあります。流行言葉に「今でしょ」というのがありますが、人生何かやろうと思うなら「今でしょ」というのは、その通りだと思います。

そのうちに…と思っていると、多分「そのうち」は、ずっと「そのうち」のままです。時は刻々と過ぎ去って行き、二度と戻ってくることはありません。除夜の鐘までに、何かまだ出来ることはないか?時を大切に、人生を大切に生きなければと思います。

いつ寿命が尽きてしまうかわからない。まだまだ先があるなどと悠長にかまえていると、突然に死がおとずれてくるかもしれません。

健康に勝る幸せなし

だれもが幸せな人生でありたいと願うはずです。では、何が幸せであるのかと問われれば、どう答えるでしょうか?

多くの人が「健康で長生できれば幸せです」と答えるでしょう。でも、健康で長生するためには、それを可能にする条件が整っていなければなりません。その条件とは、はたして何でしょうか…

 

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2015年11月21日 (土)

本当の幸せとは…

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心に余裕持つこと…

日常生活の中で、めぐり来る季節の風景・その時期に咲く花を、心から美しいの感じることできる、心の余裕を持てることです。何気ない風景から、それは意識しなければ簡単に意識の中をすり抜けていくような、毎日目にしている日常風景のことです。

本当の幸せとは…

精神的豊かさです。愛情・愛着・友情など…「人とのつながり」を通して得られる心です。

幸せは、心で感じるもので、余裕の心があってこそ、本当の幸せを感じます。「人とのつながり」を通して得られる心に触れたとき、人は深い満足感を抱かれます。

人から慕われたり、愛されたり、尊重されたりするとき「幸せだな」と感動し、深い満足感が得られるのです。本当の幸せとは、お金などの物質的豊かさではなく、精神的豊かさです。

日本は、少子高齢社会では平均寿命が伸び、また、科学技術の発展により健康寿命を伸ばすことができれば、長い人生を健康で豊かに暮らせる社会となることが期待されています。

さらに、「これからは心の豊かさやゆとりのある生活をすることに重きをおきたい」という人の割合が多くなってきています。

京都大学で、脳の部位がお起きほど、幸福感?…(京都新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151120-00000025-kyt-l26

がありました。

 

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2015年11月20日 (金)

転ぶな・怒るな・風邪引くな

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年をとると言うことは、こう言うことなのか…変に納得?しています。

今まで、できていたことが、できなくなる…体力も気力も衰え、何をするにも持続力がなくなり、疲労の回復力も低下します。

転ぶな・怒るな・風邪引くな

歩いていても、ちょっとした段差でつまづく…足が上がっていないのです。そしてちょっと、体を動かす作業すると、足腰に疲れがきて、筋肉痛になったりします。動作がとろくなることを実感します。

そして…歯が抜けてかたいものが食べられなくなる。耳が聞こえにくくなり、視力も衰えてきます。加齢とともにさまざまなことが悩みとなります。

老いにともない、物忘れがひどくなり、思考回路も衰え判断能力が弱くなる。これまでにできたことが、できなくなり、何をするにもついおっくうになってしまいます。そして、肉体と精神が伴わないと…起こりぽっくなります。病にかかりやすくなり、快復力も衰え精神的に気弱になる。

老いることで悪いことばかりではない

年の功で、人生経験が豊かになり多様な判断能力が身について、なにごとにも偏らずに多角的に理解しようとします。相手の気持ちも受け入れようとする寛容な気持ちの余裕もできて、自己本位の思いをおさえて、相手の立場に立って理解できる。

さらには人をおしのけて進むことよりも協調性を重んじたり、対決軸を持とうとしなくなります。このような「老人力」をどのように社会的子孫繁栄のために発揮するのか、これが長寿の課題でしょう。

また、やがて自分で何ごともできなくなり、他の人の力を借りなければ、生活できなくなるのです。いま、施設での虐待・事故・スタッフ(介護士の不足・待遇)・運営などが、今の社会構造の政策に歪みが出てきているのです。

日本人は、世界一の長寿国になりました。先輩たちが経験したことのない長寿の時代をどのように生きるか、そして、誰もが通る道…安心して、人生の終焉を、どう送ったらよいのか今、このことが、悩ましい課題になりました。

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2015年11月19日 (木)

広場が心ない人の行為で困っています。

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私たちに「片倉時田まち広場」があります。広場は、地域の盆踊り・老人会のゲートボール・グランドゴルフなどに使用しています。

最近、広場を汚す人間がいるので、困っています。八王子市公園課・南大澤警察署に、事情を説明し防犯パトロールの“強化”をお願いしています。

中学生?…(近く人の話)ですが……食べて飲んで…ペットボトル・空き缶・弁当の残りものご飯・空き袋などが、散らかして(投げ捨て)ある状態にあることが“しばしば”あります。また、ベンチの周りにはタバコの吸い殻・コーヒー空き缶・ペットボトルが投げ捨てられています。

私は、毎日のように、拾って処理していますが、時には量が多くて、市の公園課・ゴミ相談センターに処理(集めたものを)お願いしています。

こんな記事を見つけました…警察・市の公園課に相談出来なかったのでしょうか?

http://jin115.com/archives/51896963.html

東京都西東京市で8月、公園でごみを散らかしていた女子高生に腹を立て、ナイフを見せて脅したとして無職の男(60)が警視庁田無署に逮捕された。

その後、釈放された男は取材に対し「一晩中夜遊びし、ごみを散らかす子供たちを注意したかった」と動機を説明した。

事件の要約

捕まった男性は毎朝妻とともにボランティアとして公園の掃除をしていた。

8月27日朝6時、いつものように掃除をしに公園に向かうと、ベンチに女子高生と男子高生2人が座り込んでいた。

高校生の周りには空き缶や菓子袋が捨てられていて、夜遊びをして食べ散らかしていたらしい。

男性の妻がそのゴミを片付けても、高校生はその様子を眺めているだけ・・・

高校生がゴミの上に足をのっけていたので、男性の妻が「足をどけて」と言っても、『おばさんは掃除の人?』と答えるだけで足すらどかさない高校生たち・・・

怒った男性は3人に近づきナイフを取り出しながら、「襲われるなよ。こんなものを持っている俺みたいなやつもいる」と注意・・・

女子高生 「きゃあー、怖い」 と逃走・・・

その後警察官が現れ、男性は暴力行為法違反の現行犯で逮捕された。

釈放後もボランティアの掃除を続けている・・・

今日(11/19)も、「片倉時田まちの広場」が、心ない人に汚されていました。また、放置自転車と盗難自転車の処理(警察・市公園課などに連絡・立会い確認しました。

非常識・無責任・自己中心など心ない人がいて、困っています。このようなことで、取り返しの付かない大きな犯罪に繋がらないように…町民の皆様にも、監視をお願いしたいと思います。

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我が強い人

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人の気持ち・事情を察すること…

グローバル化・情報のスピード化・合理的な考え方で、今の世の中にあっては、「優しさ・思い遣り…」ある人間関係は、“おなざり”(その場しのぎ)になっているようです。

人はそれぞれ考え方・価値観が違います。その価値観の違いを、「できる限り認めあう心」が、社会を構成する重要なポイントの一つであると思います。

価値観の違い?性格(我が強い人)…「我」が強い人(困っています)

世の中、「我」が強い人・自己中主義の人が、多くなってきたように思います。協調性がないので、地域の共同作業・ルール作りには、周りの人から、疎まれることが多いようです。

「我」が強い人に限って、初めて知った情報や、知っていた情報、両方に対して人から聞き入れた時に「でも」と批判からの言葉で返事をし出します。

こうらしいよ?の返事が、「でも、○○はこうだから、こう見たいだよ」と、相手が知らない情報を一生懸命頭の中で探り出し、言葉にしていることが多いです。

また、別の使い方としても、自分の間違いに対して、認める前に、「でも」からの言い訳をしたりします。「でも、私の考えとしてこうしました。」と言うように、ただ返事をするのではなく、必ず理由をつけてくることが多いです。

自己主張している自覚がない

これが一番困った特徴かもしれませんが、我が強いという自覚がないのです。誰もが程度の差はあれ、自分が周りに迷惑をかけていないか省みるものですが、我の強い人ほどそれがないのです。

それどころか、自分は他人に譲ってばかりと思っているのです。「私って、自分の意見を主張するのが下手なのよね」など、実情と違うことを言い出す人すらいるのです。

困るのは、知り合って間がないときだと、こちらはそれを信じてしまうこと。「あれ、おかしいな」と違和感を覚えたら、自分の直感を信じて、少し冷静に相手を観察する余裕を持ちたいものです。

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2015年11月18日 (水)

生きている…感謝する心

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いつも当たり前にある“空気”で生きていられることですが、空気があるのが当たり前すぎるため、気に留めることがなく、感謝の念も湧きません。

宇宙の数え切れない星がありますが、空気と水の存在する星は、科学の発達した今でも確認されていません。この地球に生存する生物は空気(酸素)と水・太陽があって生きていけるのです。ここ(地球)に、生きていくために欠かせない、存在であり命の源です。

しかし、人間は、当たり前と思って生きているのです。当たり前の存在だからです。当たり前の存在すぎて、感謝を忘れがちなのです。一日一回は、生きていることに、自然と多くの恵みによって、生きていられることに、感謝することが大切です。

生きていること…感謝する心

私たちは日々活動に追われていると、心にゆとりを失ってしまいます。「忙しい、忙しい」と飛びまわっているわりには、これといった成長感や充実感があまり感じられない…

心がせかせかしたり、体が疲れやすくなったり、ささいなことでひどく気持ちが落ち込んでしまう。人間関係に気を遣い、いつも周りに合わせるものの、あとになって、とてもむなしさを感じてしまう。ふと、「このままでいいのかな……」という気持ちが浮かんできます。

そんな心の叫びが聞こえてくるときは、静かに立ちどまって、自分自身と深く向き合うときなのかもしれません。そんなとき、自分が一番リラックスできる空間を見つけて、自分の存在というものについて、少し掘り下げて考えてみてはいかがでしょうか…心を落ち着けて、内なる声に耳を澄ませてみるのです。すると、さまざまな心の声が聴こえてきます。

例えば、今咲いている花を見て、美しいと…花と素直に思える“心のゆとり”を持つようになるのです。

また、夜空を見上げてみるのもいいでしょう。日が沈んで、あたりが暗くなりはじめると、漆黒の夜空にまばゆいばかりの星たちが輝きます。そうして夜空を眺めていると、無限に広がる宇宙に不思議を感じ、時が経つのも忘れてしまうほどです。

宇宙はそれ自体、一つの大きないのちです。しかし、私たちもまた宇宙の大切ないのちの一部なのです。そう思うと、自分自身が宇宙になり、宇宙が自分になる。そんな心の広がりを実感します。

私たちがこうして生まれてきたのは単なる偶然のようにも思えますが、決してそうではありません。地球に初めて生命が誕生した三十八億年前から、いのちのバトンリレーが行なわれ、人智でははかり知れない宇宙のはたらきのなかで生きている、いや生かされているのです。

こうして空気を吸えるのも、水や食物をいただけるのも、太陽の恵みがあるのも、すべて天地万物のおかげさまです。胎児は母親の胎内で生物が進化してきた三十八億年の歴史をそのままたどるのだといいます。そのこと一つとっても、私たちの周りにはさまざまな不思議にあふれていることが分かります。

こうして、自分の存在について深く見つめていくと、人間として生をうけたことがいかに有り難いことか、人はなんのために生まれてきたのか、人間はどう生きなければならないのかといったことが感じられてきます。

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2015年11月17日 (火)

安心して人生を送れる社会に…

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いま政治は、不安定・不確実社会…確実性社会に全力を…

いまの世の中は、強引な「力」が勝つ時代と思わせること多いと思う。安保法制の成立は、憲法学者は「違憲」と反対し、多くの国民の不信買ったが、終局は、数の力で成立…

沖縄の普天間飛行場の移設の問題は裁判沙汰になってしまったようです。

中国の南沙諸島進出もアメリカのなどの制止も効きそうもありません。3日前のフランスのIS(イスラミックステート)犯行とされるテロは、世界中が震撼させれました。

政治的に緊張

世の中がギスギスしている…というのは、いまに始まったことではないと思いますが、どうも今年はいろんなことで、「政治的に緊張」しています。そうした揉め事の中では、オリンピックのエンブレムの問題は茶の間でも関心をさせられました。

そんな世の中に生きる、お年より(私も含む)は、どう生きるか最大のテーマは、介護の問題です。介護…とひとことで言っても、そこには様々な問題が潜んでいます。

介護を必要とする高齢者の増加、介護職員の人手不足や待遇の改善、その解決のひとつとしての介護ロボットの導入、介護にかかる費用、要介護者の虐待、高齢者の孤独死などなど深刻な問題です。

こうして課題をひとつひとつ挙げていくと気が滅入ってしまいそうではありますが、これが現実。そのポイントは、ひとえに介護業界全体の状況改善と言っても過言ではないと思います。

しかし、超高齢化社会時代…忘れては困る…問題は「介護」です。

身体の機能が低下した高齢者に対して、高齢者自身の尊厳を大切にしながら、QOL(=生活の質)の維持・向上を図りながらお世話することです。虐待・不自然死が連日報道されています。その実態はほんの少ししか見えていない…と思います。

その理由は、業務自体に大きな生産性を見出しづらいのは確かなことであり、かつ介護保険という公的な市場にあるため費用設定にある程度の制限が設けられることから、厳しい市場であるのは致し方のないことかもしれません。

しかし、いずれは誰でも通る道です。私たち老人に将来の不安をなくし安心して老後を生きられる社会を創ることが大事だとことで声を大きくして、世に訴えたいです。

緊張・忙しない世の中ですが、人が安心して人生を全うできる、世の中が究極の目標に政治を考えて欲しいものです。

 

 

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2015年11月16日 (月)

繋がりある地域社会

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繋がりのある地域社会が大切な時代となってきています。

震災以降、人々が多様につながりあえる地域社会の創出が重視されて来ていますが、一方では、情報化社会の進展や個人生活重視などライフスタイルの変化により、他人とつながらなくても不便を感じていない人たちも少なからず存在しているのが現状です。

これからますます少子高齢化が進み、防犯・防災等で人とのつながりが重要になっていきます。しかし、人とのつながりは、近所に住んでいるから自然に生まれるというわけではありません。

少し前のデータになりますが、平成19 年版国民生活白書によりますと、近隣の住民と行き来する頻度は、「よく行き来している」「ある程度行き来している」と回答している人が約4割、「ほとんど行き来していない」「あてはまる人がいない」と回答している人が約4割と報告されています。

このことから、ゆるやかな人とのつながりを生み出すためには、まずは地域での活動に参加し、人とふれあう機会を得ることが必要になってくることがわかります。

現在、地域活動は、町会が主で行われている行事等に限って行っていて、ある一つの目的を達成するために集まった人たちとの間で、確実につながりが生まれています。

しかし、中学生・青少年の「行事に関心が薄い」と思わざるを得ません。参加することで…地域のあたたかさに支えられている自分を実感でき、人とのふれあい・つながりの心地よさを味わうことが、体験できる工夫が大事だと思います。

中学生と青少年による地域活動は、地域活動に中学生や青少年が参加することで、彼らが核となり、地域の大人どうしの交流やつながりが創出されることもねらいとしています。

この取り組みで得られた心地よい感情がきっかけとなり、参加した中学生、青少年、そしてかかわった大人たちが、自分の居住する地域においても人とのつながり「地縁」を大切にしながら、世代をこえたより多くの地域住民が一体となった、ぬくもりあるまちづくりを推進していってくれることが期待されます。

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2015年11月15日 (日)

現状を認識し未来を模索する

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現状を認識し未来を模索する…「時流に乗る」

これはとても大事な思考法です。「労力少なく、成果が大きい」方法だと思います。

流れに乗れば、乗るだけで進む…流れに逆行すれば、努力しても成果は少ない…

例えば…種子は、春に蒔け…洗濯物は、晴れた日に干せ…人がやっている時に一緒にせよ…世間で話題になっている時、一緒に考えよ…

しかし、「時流に乗る」には条件があります。

①・アンテナをはり、どういう時流があるかを知る。
②・いつでもその流れに乗れる身軽さが必要。

忙しすぎては、時流に乗ることができません。

先を考え…時代を読むは「現状の把握」です。

今の状態を知ることなしに、未来の状態を正確に予想することもできません。現在の状態を知り、どういう流れ、勢い、方向を知ることで、やってくるであろう未来の姿が見えてきます。

一にも二にも、現在の状態を知るために、どうする必要があるのかというと「幅広い情報収集力」です。特に情報社会と言われている昨今、情報処理能力で成否が左右されることです。そのため1年や2年の勉強では難しく、長年に及ぶ勉強と経験が必要です。

あらゆる情報に目を通して、現在の実態を学びます。さまざまな分野の情報を幅広く収集していくことが大切です。政治・経済・食品・コンピューター・サイエンス・スポーツなど、広ければ広いほど傾向が見えてきます。

国内だけでなく、世界に目を向けることです。一つの分野だけ集中して学ぶのはよくありません。たしかにその分野には詳しくなりますが、見えている視野が狭いと正確な未来予想ができません。

異分野が影響を与え合っているので、それぞれの勢いを知る必要があります。

「先」という言葉の意味を「思考することにより将来得られる結論」と捉えれば全ての思考は先読みとなります。動物だって先を読んでます。自然界の気象の変化を先読みして大陸を移動したり、居住場所を変えたり、また、餌の行動を先読みすることで上手に食事にありついたりします。

地域の安心・安全をどうすれば確保・維持し、継続していけるか、少子高齢化・核家族化に伴い、老人の一人世帯・空き家・向こう三軒両隣のコミニティの問題・買い物弱者・認知症者・自己中心主義…などなどで、日ごろ、防災・防犯などを考えてみて…地域(町会の役員)での思いを書いてみました。

現状を認識し、未来を模索することの今が大事で、時流をしっかり掴むことだと思う。

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2015年11月14日 (土)

人が環境をつくり、環境が人をつくる

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「人が環境をつくり、環境が人をつくる」と言われています。

自分とっていい環境をつくることが、自分を成長させるためには、大事なのではないでしょうか?…変えようのない環境もあるでしょうが…自ら努力で環境はあるでしょう。

人は自然と共に生きていけるのです。

私たちの暮している町の自然を大事に守ることは、私たちが安心して暮せるのです。

過去、自然環境は、人により破壊され、いま地球が悲鳴をあげています。COP21がフランスで10月30日開かれます。地球温暖化の対策は待ったなしです。

これは他人事ではありません。私たち一人ひとりの心がけにより、改善しなければいけないのです。

残念ながら…私たちの町でも、心ない人間がいます。ゴミのぽい捨てや不法投棄、自転車の放置などの光景を目にしたことはありませんか?…ゴミや放置自転車がないまちは、きれいで気持ちがいいものです。

一人ひとりのちょっとした心がけや思いやりの気持ちが、きれいな町をつくります。

心がきれいな人は…行動に表れます。

心がきれいな人は、言葉にも汚れがなくきれいです。行動は、心が外に表れたものです。ポイ捨てをする人は、心にそういう気持ちがあるからそうするのです。

動物を優しくかわいがる人は、心にそういう気持ちがあるからそうしているのです。悪口を言う人は、心でそういうふうに思っているから、口にしているのです。行動と心は、たしかに存在としては別々ではあります。

しかし、行動を見れば、心が見えるのです。心と行動は同じだからです。

心を変えて行動を変えるアプローチがあります。一方、行動を変えることで、心も変えるというアプローチもあるのです。

行動は心と大きなつながりを持っているためです。行動を変えることで、心にも影響を与えることができます。

「心を変えることで行動が変わる。行動を変えることでも心は変わる」

心とは、行動です。心から変えてもいいし、行動から変えてもいいのです。どちらもつながっているのですから、影響を与え合うことには変わりありません。

「ポイ捨てはしない!ごみが落ちていたら拾おう!」そして笑顔の溢れる町にしよう。

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2015年11月13日 (金)

昔の情景を思い出す

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............................縄ない機械(動力は足踏み)..................................

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    筵織り機(二人で…左側でひごで藁を入れる)

父親に貰った小遣で、八王子に行き、頼まれもしない、りんごを買ってきたが、もう体の具合が…母親は(胃潰瘍)が悪かったのです。せっかく買ってきてくれたが食べられない…といって涙を流している顔を覚えています。

でも、長兄が満州から復員して来ていたので、子供たち7人が家に揃っていたので、それが何より安心感があったのだと子供ながら思いました。母親は「日照り続きで、雨がふらないかなぁー」つぶやいていました。子供たちに看取られ、昭和24年8月13日に亡くなったのです。

終戦後現金収入のない、小作農家の生活は、お蚕・縄綯い・むしろ織りが収入源だった。米の収穫を終えて、する仕事は、藁から作る、縄・莚織りだったのです。

空いた条桑小屋(お蚕の桑を置く小屋)の軒先に、藁打ち杵と石・縄綯い機械・莚織り機があり、母親の姉さんかぶりと、荒れた手にアカギレ・子供を刺し子に使い、懸命に働く姿がありました。

思い出に残る、そして、心に染みる歌が、昨夜、NHKラジオ深夜便で流れて昔を偲び、記してみました。

詞 サトウハチロウ 作曲 徳富繁

百舌が枯木で

もずが枯木で鳴いている    
おいらは藁を たたいてる
綿びき車は おばあさん
コットン水車も 廻ってる

みんな去年と 同じだよ
けれども足んねえ ものがある
兄さの薪割る 音がねえ
バッサリ薪割る 音がねえ

兄さは満州に いっただよ
鉄砲が涙で 光っただ
もずよ寒いと 鳴くがよい
兄さはもっと 寒いだろ

この情景がよく分かります…

枯れ枝にカエルが刺さっていると、「あっ、百舌がこの辺にいるんだ」。これはえさの少ない時期のために食料を蓄えておくらしいのですが、干物にして保存するなんざ、頭のいい鳥ですね。キー・キキーと甲高い声で鳴いているのは、縄張りの鳴き声だそうです。

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2015年11月12日 (木)

環境に対し危機感を!

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ゴミ拾いをして思いました。

地球温暖化は深刻な状況にきています。しっかり、自分にも大きな影響があると、認識すること…自分が普通に行っている(ポイ捨て)行動を反省することです。

COP21が、11月30日からフランスのパリで開かれます。これは、私たち日本人は、しっかりやっているから…関係ない?とでも思っているのでしょうか?…相変わらず、タバコの吸い殻のポイ捨てが後を絶ちません。

世界の気温上昇を産業革命から2℃未満に抑えるという国際目標を実現するためのタイムリミットは目前です。COP21で実効性のある大胆な温暖化対策を打ち出せるかどうか。2015年は温暖化対策の正念場なのです。

他人事ではないのです。日本人は他の国の人よりも気を使っている?「たかがタバコの吸い殻一本ぐらい」いいじゃないか…とでも思っているのでしょう?一人の人が一本でも100人になれば100本です。

タバコの吸い殻が捨ててあるのだから、パンの空き袋ぐらい小さいからいいだろう…空き缶・ペットボトルも面倒だから捨ててしまえ…という具合に、アッと言う間に、道路や公園がゴミだらけになってしまいます。毎日拾っていますが…なかなか無くなりません。

私はこうすれば…

1・地道な活動を続ける。

◎清掃活動を継続し、きれいさを保ち、ポイ捨てをしにくい環境を維持する。
◎対策としては、地区の人に一声かけてポイ捨て防止を呼びかける。
◎拾う姿を見てもらおう。

2・家で・学校で教育を徹底する(子ども大人も!)

◎ 小、中、高校生たちに、歩きながら缶ジュースを飲んだり、アイスクリーム・おかし・アメなどを食べる、悪い習慣をやめるように、学校及び家庭で指導することです。

◎ マナーを守る。道徳の教育。家庭、学校内でのしつけ。

ほんの少しの心がけがあれば「ポイ捨てごみ」はなくなります。何よりも幼い時期からの指導で、子供達にポイ捨ての問題点、環境の大切さを教育活動をとおして認識させ、意識向上を図っていくことが、遠回りではあるが、着実に環境を変えていく道と考えます。その意味で、幼稚園や、小学校の役割は大変重要で、大きいものと考えます。

3・一人ひとりの心がけ

◎ ごみカゴや吸い殻入れを設置することよりも、一人一人が自覚を持つことです。

◎ 住まいの前の道路、店舗を構えている前の通りは個々清掃に心がけること。一人ひとり、自分の周りだけでも気遣っていただくことです。

 

 

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自分に正直になろう

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この年(70歳過ぎて)になって反省することばかりです。

人間にとって、もっとも不幸なこととは、他人に傷つけられることでも、不慮の災難に見舞われることでもない。自分の弱さから目をそむけ、自分自身をごまかしながら、ただ虚しさの中で生きていくことこそが、最大の不幸ことです。

自分に自信がないから、「自分は価値のない人間だ、悪いのは自分だ」という言い方をします。しかし、本心ではそう思っておらず、悪いのは他人だと思っており、自分を認めてくれない他人に対して激しい憎しみを感じます。

それがみにくい感情であることは判っているので、あからさまに口に出すこともできず、巧妙にごまかしているだけ…ごまかし、言い訳をしながら生きている自分にますます嫌気がさし、自己嫌悪は深まっていくとです。

他人を信頼しているなら、「欠点も含めて、互いを認め合おう」という意識が生まれるはずだが?それができないのは、「どうせ他人は自分を見くだすに決まっている」と、他人への不信感があるから、要は、「悪いのは他人」ということに決めてしまう。

憎しみは、抑圧しているうちに、抑圧しているという意識さえなくなってしまい、自分でも自分の本心が判らなくなってしまっているのです。自分を受け入れ、好きになるためには、まず自分の心をまっすぐに見つめ、自分に正直にならないのです。

他人が憎いなら、憎いでかまわない。「私は人が憎い」と、気のすむまで心の中で叫んで…これから、「では、前向きに生きるためには、自分はどうすればよいのか」と、解決策を探っていけばいいか考えることです。

いつまでも感情を抑圧し、ごまかしていては、成長はない。「誰も本当の自分を理解してくれない」と言う人にかぎって、他人の前で本当の自分をさらけ出そうとしないものです。

本当の自分を隠しているのに、理解されるはずがない。今日から、勇気を出して、少しずつ抑圧された心を開放し、自分を許し、他人に心を開いてみることにしよう。

そうすれば、少しずつ成長していく自分を認めることは、大きな喜びとなると思うのです。

「自分に正直になる」ことだ!

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2015年11月11日 (水)

雑感・・・

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最近、思うのですが、奉仕活動・ボランティアの活動がクローズアップされる中、一方では自己中心主義・利己主義などの考えの人が、多くなって来ているように思えるのです。
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例えば、公衆道徳・規範意識からモラル・マナーなど・・・家庭で子供のしつけ、学校の教育・地域での監視がむかしに比べて弱くなってきている社会に思えるのです。
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自分本位…何事も自分に都合の良い方向でしか考えられない。でも、人に与える打撃は比較的そんなに大きいイメージは無い。
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身勝手…自分の気分次第で人を振り回す感じ。
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自己中心主義…人の価値観に左右されず己の価値観で生きている。人に打撃を与える事も有るが、与えない事も有る。ヒッキーとかオタクとかはそんな感じ。
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自己至上主義…自分を中心に地球が回っていると思ってる人。でも、頭が良くて儲けている人がいるってイメージ。人を蹴落とすけど、感情的に打撃を与えるとは限らない。
(例えば、計算的に人へ恩を売る事が上手く、恨まれない様にしつつ蹴落とすとか)
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ワガママ…広い意味で使われる言葉。好き嫌いが激しい人もワガママと言える。なんでも自分の思い通りにならないと気が済まず、思い通りにならないとかんしゃくを起こしたりすねたりする人の代名詞。
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利己主義…自分が得すればなんでもOK。基本的に「人の迷惑考えず」では有るが、迷惑を掛けない場合も有る。
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個人主義…人との関わりを嫌いう人又は己の人権だけを尊重する人って感じです。
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その背景には…
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右肩上がりの成長が望ましいと、それがあたりまえのようにいわれ続けています。毎日の通勤では時間に追われて満員電車に押し込まれ、仕事といえば経済効率・利益優先の要請に追いまくられ、まるで車のガソリン補給をするかのような食事をとり、仕事の疲れを癒す睡眠すら不足がちになる。そんな不自然な生活をしている人がとても多いようです。
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情報化や技術革新の進化によって、あらゆる分野でスピードが要求される。深夜業務が増えて休みが取れないと、疲労が蓄積します。サラリーマンは常にキャリアアップをめざして自己努力をすべきだといわれる。
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一生懸命会社につくさねばと、自分と会社を運命共同体のように思っていても、最近では会社と個人の絆も弱くなり、いつ解雇されるかわからない。非正規雇用の場合は、雇用の継続にいつも不安がともないます。

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2015年11月10日 (火)

気は力なり…もっと気楽に…

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人生、いい加減に生きられたら、悩むこともないのだが…

「禍福は糾える縄の如し」と言います。

生きていれば、いろいろな局面で、苦しい事に突き当たります。そんな時、いつも思い返す好きな言葉です。良いことと悪いことは、より合わせた縄のように、表裏一体であり、一時の幸・不幸に深く、一喜一憂しても仕方がないと、言うことです。

喜びがあれば悲しみが、苦があれば楽がある、人生は悲喜こもごもです。はたして、人は悩み苦しみがなければ、幸せでしょうか?

今、生きているから、人は悩み苦しみもする。悩み苦しみがあるのは、生きている証拠です。だから安心して悩めばいいのでしょうが、一つの悩みが解消できても、またあとから、次々と新たな悩みが生じてくるものです。

そこで逆転の発想で、悩みのおかげで生きる意欲や希望が持てるのだと、笑顔で達観できればいいのですが……

人間の性というものは、貧(むさぼり)・瞋(怒り)・癡(愚かさ)三毒のおもむくままに生きていますから、あらゆる事に執着してしまいます。この執着心が煩悩であり、ストレスを引き起こす原因をつくってしまうのです。

人はだれでも諸々の条件が備わったからこそ、はじめてこの世に生まれ、存在しています。そしてさまざまな条件に支えられているからこそ、生きていけるのです。ところが人はなにごとにつけても自己中心的に認識しょうとするから、ことさらに執着して自分自身で悩み苦しんでしまいます。

執着しないで、 いい加減に生きることができれば最良です。いいころ加減に、生きるということでしょう。物事に執着しないで、いい加減に生きるというのが、なかなかむつかしい…気楽に生きる、自分らしく生きる、身の丈に合わせた生き方をする、背伸びしない、この開き直りが大切です。

「気は力なり」です、もっと気楽に生きることです、癒しによってストレスは解消されます。背筋のばして姿勢を正し、肩の力をぬいて、息をゆっくり吐く呼吸法を、一日数分でもいいからこころみることです。

一年先はおろか明日も見えないと嘆き悲しむよりも、一度しかない人生です、いつも笑顔で、もっと気楽に生きたいものです。そして、人は一人では生きていけません、お互いを思いやったり、励ましあったり、助け合ったりしないと、生きられないのです。

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2015年11月 9日 (月)

責任感について

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自分の考えを語る…「責任ある個人」…たかたまさひろ氏の「責任感について」を読み長い間、悩んでいたものが解けた思いです。

「正義感と責任感」 

人間社会において言うまでもなく、非常に重要なことです。

正義感のない人は、自分が得をするためなら「悪いことをしても、見つからなければよい」と考え、利己的になりがちです。また、責任感のない人は、自分を守ること、面倒から逃げることばかり考え、自分の怠惰が他人に迷惑をかけているという意識がありません。

正義感と責任感は、一人前の大人として認められるための最低条件でしょう。しかし、これらは、「確固たる自己」が形成された結果として、自然に生じるべきものです。 

「確固たる自己」とは…言われたままに動く組織の歯車になるのではなく、自分の考えを語れる「責任ある個人であること」です。

「自己」がなく、正義感や責任感だけが強い人は、ただ「堅苦しい人」と思われるだけで、かえってまわりからうとまれ、また自分自身も苦しむことになってしまいます。 

自分に自信のない人が、やみくもに正義感や責任感で自分を縛りつけるということは、よくあります。自己をもたない人にとって、正義感や責任感とは、「他人から批判されないための防具」であり、また、「他人を批判するための武器」なのです。

自分は、会社で与えられた仕事を責任をもってこなしているのに、まったく報われない。母親として、妻としての努めをきっちり果たしているのに、夫は評価してくれない。責任感の強い人ほど、激しいストレスに悩まされてしまいます。 

何をするにも、自分から進んでしているのではなく、「やらされている」という意識しかないのです。もちろん、自分に与えられた責任を果たすことは、それだけをとり上げて考えれば、けっして間違ってはいません。絶対に正しいことです。しかし、理屈では正しいことだからこそ、始末が悪いのです。

「自分は間違っていないのに、なぜ報われないのか」という被害者意識、他人への怒りに悩まされてしまいます。そこで、原点に立ち返り、「何のための責任感か」ということを考え直す必要があります。 

責任感それ自体は正しいことなのですから、改めることはありません。しかし、責任感とは、「自分自身への誇り」の自然な結果として生じるものなのです。あくまで、心豊かに生きるためのものです。

自分の不安をごまかすためのものでも、他人を批判するためのものでもありません。自分にとっても社会全体にとっても有益であるから、責任感というものは存在するはずです。

責任感がかえって自分を苦しめるなら、やはりその動機が間違っています。自らの意志で責任感を「もつ」のではなく、「もたされている」という意識しかない人は、結局、「自分だけが我慢している」という不満を抱いてしまいます。 

はっきりとした自我に目覚め、自分に誇りをもっている人は、むしろ正義感や責任感というものは、ことさらに意識することなく生きています。責任感はしっかりと自分の中にとけ込んでいるので、「我慢している」などという意識はさらさらないのです。

 

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2015年11月 8日 (日)

自然の大切にしよう!


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自然の大切にしよう!

私は生まれも、育ちも同じところで、生活しています。50年前は、山があり、川がありました。山には、野ウサギや野鳥(キジ・ホオジロ・メジロ・シジュウカラ・カワラヒワ・ヒバリなどと、川には魚(フナ・ドジョウ・ウナギ・ギバチ・ナマズ・ヤツメウナギ)などホタル・カエル・昆虫は種類が沢山いました。

今は開発が進み生活は便利になりましたが、春にはおたまじゃくしが、卵を産む場所がなくなり、川にはフナやドジョウが棲めなくなってしまいました。夏にはホタルもいません。カエルの鳴き声も聞けません。

人間の無制限な欲で自然の尊さをも無視して開発がされてきたのです。

私はこれでよいのかと、30年前ごろから、私たちの住む町に、先代たちから引きついた…?動物や魚・昆虫がいなくなってしまった、環境にした人間の罪は重いと思います。

少しでも、自然環境をを取り戻すように何とかしたいと思っています。自然を取り戻すことは簡単ではありません。しかし取り戻せねばいけないのです。人間そのものが生きていけなくなるのです。

大変なことですが、現代の人が自然環境を戻し、つい最近までいた魚や動物・昆虫などが棲める環境を取り戻す責任があります。子供~大人まで、ひとり一人が、その気にならなければいけないのです。そのためには、自然を大事にする教育を、徹底することだと思います。
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2015年11月 7日 (土)

一日一善

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最近聞かなくなった日本語の一つに「一日一善」というものがあります。

人の住む社会を一人ひとりが、ちょっと他人のために気を使うことで、心が爽やかになることです。私が子供の頃は一日一善を喚呼するCMが流れたり、家庭や学校でその大切さを教えられたり、書き初めで一年の目標として書いた記憶があり、生活に根付いていた言葉だったように思います。

現代の子供たちは一日一善という言葉を知っているのかなぁーとふと疑問に思いますが、この教えは後世までずっと伝えていきたいものです。

仏教にはその”善いこと”を私たちが普段から行いやすくするために、善を次の6つにまとめた「六波羅蜜(ろくはらみつ)」と呼ばれる教えがあります。

・布施(ふせ)
・持戒(じかい)
・忍辱(にんにく)
・精進(しょうじん)
・禅定(ぜんじょう)
・智慧(ちえ)

布施…人のために惜しみなく善い事をする。(ほどこす)

持戒…本分を忘れずにルール・マナーを守った生き方。(つつしむ)

忍辱…悲しいことや辛いことがあっても、落ち込まないで頑張ること。(しのぶ)

精進…まず最善を尽くし努力すること。(はげむ)

禅定…心を落ち着けて、動揺しないこと。(心身をしずめる)

智慧…真理を見極め、真実の認識力を得ること。(まなぶ)

というものですが、とかく世の中、自己中心主義の方が多くなってきているように思える今日この頃です。また、忙しなく、季節の移ろいを感じる暇さえないと思える人ばかりです。心落ちついて…「本当の幸せ」とは…考えてみてはいかがでしょうか…

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2015年11月 6日 (金)

片倉城跡公園の紅葉

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        片倉城跡公園の大鳥居
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落ち葉散る 城址の森は 静かなり
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季節は確実に巡っています。一の酉は過ぎ、立冬は11月8日(日)です。

朝晩の温度差が13℃と大きく感じる今日この頃です。

近くの片倉城址公園の紅葉もきれいです。

ここ2~3日お天気が続き、乾燥した日が続いています。
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静かな朝、落ち葉を踏みしめて散歩もいいですねー

 

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2015年11月 5日 (木)

倫理と道徳

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倫理と道徳

辞書で「倫理」を引くと…人として守り行うべき道。仲間の決まりごと。善悪・正邪の判断において普遍的な規準となるもの。モラル。などと示されており、「道徳」を引くと、人のふみ行うべき道とあります。

ある社会で、人々がそれによって善悪・正邪を判断し、正しく行為するための規範の総体。 などと示されているように、辞典上ではほぼ同義とされており、一般的にもその解釈が用いられています。

ただ、道徳が個人や家族などの小集団に用いられることが多いのに対し、倫理は個々人の関係から社会に至るまでより広範に用いられることが多いようです。

道徳は社会規範であり人間関係です。道徳に従うと、周囲から徳を得られ、何かと得です。日本では「空気を読む」に代表されるような、不文律が多いので文書化されない事が多いです。

言葉には「説明」と「指示」があります。説明したつもりが指示になっていたり、指示してもその通りにならなかったします。言葉と現実とのズレがあり、文書化がしづらいのです。

倫理は人が見ていなければ仕出かせます。犯しても従わなくても、損しないのです。「あとは野となれ、山となれ」「旅の恥はかき捨て」だったり、反倫理的な誘惑があります。こちらは雑学のように文書化できます。

倫理には誘惑があります。あやまち、罪の誘惑、領分を侵す、イケナイ情事、夜更かし、深酒…。駄目だと分かっていても、やってしまう魅力がある。反語的に「倫理は犯すためにある」と言えます。

ただし、道徳を犯す人はいません。社会での立場を失い破滅を招くからです。

倫理を評価するのは主に時間です。長い時間の中で分かります。環境が破壊されても公害をまき散らしても、後の事など知らない。そう言って、乗り逃げ食い潰しを実践しても誰も咎めません。そこにストップをかけるのが倫理です。また、環境を考え子孫のことまで考えると、徳のある人になれます。

道徳は積み上げて行くものであり、倫理は抑制するための歯止めです。

道徳とは…はどのように異なるのでしょうか…辞書で「倫理」を引くと…人として守り行うべき道。仲間の決まりごと。善悪・正邪の判断において普遍的な規準となるもの。モラル。

などと示されており、「道徳」を引くと、人のふみ行うべき道。ある社会で、人々がそれによって善悪・正邪を判断し、正しく行為するための規範の総体。 などと示されているように、辞典上ではほぼ同義とされており、一般的にもその解釈が用いられています。

ただ、道徳が個人や家族などの小集団に用いられることが多いのに対し、倫理は個々人の関係から社会に至るまでより広範に用いられることが多いようです。

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2015年11月 4日 (水)

恥を知れ

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タバコの吸い殻を拾っていたら、私の目の前に、火を消さないで捨てて行く人に出会ったのです。さすがおとなしい?私ですが、腹が立ちました。

「ちょっと待ってくださいよ!」「私はボランティアで、町の清掃活動をしているのですよ!」すると「電車に間に合わない」…と何処かの会社の課長?さてまた役所の部長?

もう一度…「私が拾っているのですよ、そして八王子市は全市内歩行禁煙です!」と声を大きくして言いました。「申し訳ない…一言」と…足早に過ぎ去って行ったのです。

人が見ていないから…ポィ・こんな小さなゴミだからポィ…・植え込みの中ならポィ…犬の散歩で糞を始末しない人・糞をビニール袋にとって、家まで持ていかないで、袋ごとポィ…まったく非常識な人間がいるのです。

規範意識の欠如で、これでは子どもたちにも、示しがつきません。

自分が住んでいる町なのです。町をきれいにし、快適な暮らしをしたいならば、自らゴミを拾ってみることです。

日本人には謙譲の心、思いやりの心が宿っていると信じておりましたが、そう言った場面に出くわしますと、それも薄れつつあるのかと本当に悲しいと申しますか、空しくなりました。

自己中心主義…集団より個を大事にする考えの昨今です。自然の大切さ・人に・自然に・優しさ・思い遣り…ある日本と思っていましたが、本当に悲しく、空しくなりました。

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身体機能を使うことは老化を防ぐ

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不用意に風邪を引いてしまった。ゆっくり家でゴロゴロしていたが、私も年をとった…と感じています。

身体機能を使うことは老化防ぐ…

使われなければ退化していく…脳細胞でも身体と同じだそうです。したがって、人間の部位を使わなくなれば、体は衰え、退化していくものです。私は生きていることは、動いていること・使っていることだと思います。

衰えること…

病気で倒れてしばらく入院でもすれば、手足の筋肉はみるみる衰え弱くなるのでよくわかります。足など骨折をすれば、動かさないほうの足は極端に細く関節は硬くなり、筋肉はよわってしまいます。骨折は治っても元の状態に回復するまでのリハビリにかなりの時間を要するものです。

人間の身体は廃用性萎縮と言って体の機能を使わないとだんだん萎縮していくものらしい。安易に楽を求めれば求めるだけ人間の身体機能は萎縮し、弱っていくのは外面ばかりでなく内臓諸器官でも同じことです。

消化胃薬ばかりに頼っていたら本来自然に分泌される消化液やホルモン分泌が鈍ったり、なくなってしまい自然< 良能、自然治癒力も弱ってしまいます。

アメリカの初期の頃の宇宙ロケットの飛行士たちがある時期カルシウム不足に悩まされたということです。どんなにカルシウム剤を飲ませてもおしっこと共に体外へ出てしまったそうです。原因は狭い空間に閉じ込められ、座りぱなしでだったための運動不足だったのです。

カルシウムは人間が立ったり動いたり走ることによって効率的に骨に定着し、骨は丈夫になり骨折を防ぐのだということです。 運動不足のお年寄りや子供の骨折についても言えることで、最近多いの児童の骨折も走ったり跳ねたりする、運動不足とも聞いています。

硬いものをあまり食べず、柔らかい物ばを食べる傾向から、現代っ子はあまり噛まないために顎の発達が悪く、歯の成長が出来にくくなっているとも聞きます。成長以前の子供までが既に廃用性萎縮ではかわいそうです。

元気で働く人の願望であっても、現実は決して楽であるはずはありません。手や足は動かさないと頭の働き悪くなり、当然認知症の原因にもなると言えましょう。

やはり人間の身体は動かし使わなければならないように出来ているのです。車や機械の普及によって便利になり身体的にも楽になりました。しかし、その分運動不足気味になり、糖尿病などの成人病の心配が大きくなってきました。

人間の身体は本能的には働きたがり、汗を流したりしたがっているのに、車に頼り便利さに慣れてしまって、知らず知らずに廃用性萎縮の症状から、心身障害者になってしまわないよう気をつけたいものです。

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2015年11月 3日 (火)

命の元は太陽です

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わたくしたちの命の元は太陽です。

私の母親は明治生まれでした。水飲み百姓(農家)に嫁いで、私たちの兄弟7人を生んでくれました。母親は、朝早く起き、井戸に水汲みをし、お勝手を始めるのですが、必ず太陽の上がる方向に向かい両手を合わせていました。とても印象的に頭に残っています。

多分家族の健康と世界の平和を願っていたのでしょう。悪い事をすれば、お天道様がちゃんと見ているからな…と…

太陽のお陰で、太陽の恵みで私たちは生きています。だから、わたくしたち日本人は、ずうっとむかしから、太陽を大切にしてきたのです。そこから「日の本」という言葉が生まれてきたのです。

太陽がなくなれば、地球全部がその瞬間に真っ暗になり、あっという間に、氷の海になり、生きているものはみんな死んでしまいます。わたくしたちが生きているのは、太陽エネルギーのおかげです…

そういうことを、みんなが大切に思い感謝して生きてきました。むかしの人は、太陽のことを「お蔭様」ともいっていたのです。

グローバル化した世界…

世界の国々では、今何が起きているのか?を知ることです。情報化社会と言われています。そのこと知り、自分は日本人として何をすべきか…を模索して、人生を送ることです。

まず自己を知る

自分の国の文化や伝統の価値を知ることです。人からもらうことばかりではなく、自分の国にある自分の国の文化の価値を知ること…そこから出発しなかったなら、外国のまねばかりして、劣等感だけ持った腰抜けの人間になって、この世を終わることになります。

アイデンティティーの確立

他人から学ぶと同時に、人からは絶対にまねられない自分、ほかからはだれもまねられない自分というものをしっかりと確立してく行くことです。

それが自分自身の心棒なんです。そして、自分達が大切にしているもののように、他国の人たちが大事にしている世界各国の文化とか、伝統とか宗教とかを、真心を込めて大切にしていくことです。

そのように思って、どうか日本人としての自分の人生に大きな太陽のエネルギーを感じながら、世界の隅々にまで視野を大きく広げて、平和な人生を送ことです。

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正しく生きるとは…

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江戸時代から明治時代にかけての、教育の変化によって、もたらされた影響で、村落の中にある共同体意識が失われる要因のひとつになっているようです。

忠孝を重んずる儒教的道徳思想に基づき、 天皇への忠誠と封建的家族制の 維持を国民教育の方針とし、自由民権運動などにゆれる国民思想の統一をはかったのです。

最近、社会のグローバル化・価値観の多様化ですが、明治・大正・昭和20年ごろまで、国民思想の統一?が戦前まであり、私(6歳)も、家で兄たちの暗記している声で覚えた文があります…「教育勅語」がります。

「朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ」

「チン オモウ二 ワガコウソコウソ クニヲハジムルコト コウエン二 トクヲキツルコト シンコウナリ……」と覚えたのです。

いま思えば、日本人には、色々な思想を持った人がいます。昔の価値観が同じという事はまったくないです。集団から個を大事にすることの教育がなされています。

つまり、個性を生かすことは結構ですが、公衆道徳を持った人間が大事ではないでしょうか…人間として、正しい生き方をもう一度考えて欲しいと思います。

正しく生きるとは…

自分の心に嘘をつかない。

自分にとって不利な事でも、世の中、人のためになる道を選ぶ。

誰が見ていなくても、態度を変えず、ずるをしない。

世の中のルールを守り、人に迷惑をかけない。

自分に出来る親切は、積極的に行い、力の出し惜しみをしない。

町では、ゴミをひらい、クリーンに努める。

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2015年11月 2日 (月)

地盤(層)を考える

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山に行き、地層の重なりを目にすることがあります。この地面の下も、長い年月を経て層になっています。

いま、傾斜マンションで問題となっています、杭の打ちが支持層までとどいていないので、傾きの原因になっている…という事です。

地盤は異なる種類の土の層が重なり合って形成されています。基本的には地表面に近い地層ほど軟らかく、深くなるにつれて固い地盤になります。一般的な地層は上から順番に表土、表層地盤、砂れき、沖積層(ちゅうせきそう)、洪積層(こうせきそう)という構成になっています。

一番下の洪積層は岩盤や砂れきで構成された堅固な地盤で、鉄筋コンクリート造の中高層マンションの場合は、この地盤を支持層とします。

関東ローム

関東地方の丘陵、台地、段丘の土地を覆っている、風で運ばれた火山粒子(降下火山灰)で出来ている堆積層(風成層)のこと。俗称、赤土。水が通い易い性質を持つ。

地層名では、関東ローム、関東ローム層、関東火山灰層という。地質学では、洪積世の中、後期(約1万年前~万年前)に形成された堆積層とされている。この時代は、氷河期があり、人類やマンモスが出現したとされ、現在の自然環境の成立に影響している。

南関東の堆積物は、富士、箱根など、北関東の堆積物は、浅間、榛名、赤城などに由来することが知られています。

この宝永噴火を最後に、富士山は300年以上沈黙を守っています。何億年という時の流れを経て土ができ関東平野をおおっている火山灰層…普通赤土と呼ばれているが、ロームという呼称は・1881年に D.ブラウンスにより名づけられた。南部では富士・箱根・北部では浅間・榛名・赤城・男体の諸火山に由来する。 (ブリタニカ辞書)

土壌

土壌の中には、生きものの生き死にの歴史があり、微生物がこれに関係しています。一粒の土にも数えきれないさまざまな微生物がいて、それぞれに個性があります。

今年のノーベル医学生理学賞に決まった大村智・北里大特別栄誉教授(80)は、土の中から人類を救う「宝物」を見つけた。合成された化合物を元にした薬の探索が主流になった今でも、自然界の天然物が未知の可能性を秘めていることには変わりないという。

ある微生物の個性を発揮させることで特定する細菌が消滅するのです。この物質から、熱帯地方で流行する感染症の特効薬や、家畜やペットの寄生虫治療薬が作られたのです。

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2015年11月 1日 (日)

人間教育と知徳合一

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間の生きる目的…今日を生きることは、自分自身を磨くこと、そして家庭と社会における、自分の責任と役割を立派に果たすことです。

また、人生より多くを学んで、自分の品性、資質を磨いて、人格を向上させる…これが人間として、この世に生まれて、一生を生きる目的です。思いやりのある人になろう。平和に対し真摯に考える人、努力できる人になることです。

人間教育とは…

学校教育の主たる目的…人間教育です。学習はあくまでも人間教育のための手段です。教育基本法は、実にいいことを言っています。「本当にそうなったらいいなぁー」と本心から思います。

とにかく、望ましい国民を作るのが学校の役目です。知識が知識で終わってはなんの意味もありません。行動・生活・習慣と結びつかなくてはいけなません。「知徳合一」の考え方です。

知徳合一とは…

徳についての知識がなければ徳に適った善い生き方が出来ません、逆に不徳であるのは徳について知らないからです。王陽明の知行合一は「知識として知っているのに行動が伴っていないのは本当に理解できていないからだ」ということです。

極端な例だと「私はマナーについて良く知っています。」という人が公共の場で、ゴミをポイ捨てしたとしたらこの人は「マナーのことを知らない」ということです。

「本当に心底理解していれば知識と行動が伴う」というのが知行合一で、その考え方を踏まえた上で知徳合一を考えてみると、どちらも「実践重視主義」です。

「知っていて行わないのは知らないことと同じで、知って行ってこそ知っているといえる」これを徳に置き換えると「徳について知って行わないのは徳について知らないことと同じです。

徳を知って徳に適った善い生き方をしている人こそ徳を本当に知っている」ということです。要するに…「知っているなら行動せよ」あるいは「知識は行動を伴ってはじめて完成する」というほどの意味です。

 


 

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