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2015年10月

2015年10月31日 (土)

謝って済むものではない

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毎日毎日、お詫びの光景ばかりを見せられる今年のニュースは、苦々 しいものです。特に世間の注目を引く、『東芝の不適切会計」「横浜のマンション傾斜」です。

東芝の不適切会計…

「経営責任を明らかにするため、本日をもって辞任します」

東芝の田中久雄社長は、一連の「不適切会計」問題について、7月21日の会見で謝罪。

冒頭で10秒以上も頭を下げ、同日付で引責辞任することを明らかにした。東芝田中氏とともに、元社長の佐々木則夫副会長、西田厚聰(あつとし)相談役と、歴代3社長の辞任も発表。全取締役16人のうち、8人が引責する異例の事態となったのです。

本来もっと実力が出るような会社がそうでない場合にも、この「目的」と「目標」の混在が起こっていたり、本来の「目的」が忘れられているような場合も少なくないのです。本来目標であるものが、目的化したときにさまざまな問題が起こるのです。

「目的」=最終的に行きつくところ、存在意義
「目標」=目的に至るまでの通過点、具体的な評価、目的達成のための手段

 「謝って、済むものではない」

「組織のため」が優先し、どんなことをしても個人の倫理的責任が問われないという精神的風土と、それを助けて、個人の責任を見えなくする…官僚主義体制が、組織ぐるみ犯罪 の原因になっていることを明らかにして欲しかった。

横浜マンション傾斜…問題

「工期のためなら突貫工事」「都合悪いこと元請けに言えず」…弱い下請け、責任追及へ法整備を…(産経新聞)

問題の背景に「工期の短さ」「下請け業者の立場の弱さ」を指摘する声も上がっています。「工期のためなら、土日かまわず突貫工事で仕上げなければいけない」。2次下請けとして受注することが多いが、「工期厳守」は最低限守らなければいけないルールだという。

旭化成建材っていい会社だったんだけど…施工管理も厳しいはずなのに…施工管理も厳しいはずの会社で起こるってことは、他の会社だって危ないのでは?

 

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2015年10月30日 (金)

強さではなく、しなやかさを

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私は、どうも物事に考えすぎ?ているようで、その裏を考えてしまいます。素直に成果を認める事をしない…性格のようです。したがって、本当に明るく…くったくのない話し方・行動する人に憧れています。

それで考えたのです

人間の本当の「明るさ」とは、社交的であることや、弁が立つということではありません。明るさとは、ものごとのとらえ方の問題だと思うのです。

内向的な性格の人でも、口下手な人でも、明るく生きることは可能です。むしろ、一方的にしゃべりまくる人や、何かにとり憑かれたようにいつも活動的に動き回っている人は、「そうしていないと不安だから」という衝動に突き動かされているだけで、実は自分の暗さを必死で押し隠している人だと言えるのかもしれません。

また、明るい人というのは、いいことばかり、楽しいことばかりを考えている人のことではありません。辛いことから目をそらすのは、単に人生から逃げているだけです。

本当に明るい人とは、どんなことでも受け入れる心の深さをもっている人のことなのです。それも、深刻にとらえるのではなく、柳に風と、軽く受け流すことができる人のことです。

暗い性格の人は、困難を克服するために、「もっと強くならなければいけない」と、堅苦しく自分に言い聞かせてしまいがちです。他人にナメられてはいけない、はっきりと自己を主張しなければいけない、逆境にくじけてはいけない、弱音を吐いてはいけない…など。何にでも真正面から立ち向かい、それにうち勝つことが強さだと思い込んでいるのです。

自分を叱咤激励し、心にむち打ち、結局はへとへとに疲れてしまい、「強くなれない自分」に嫌悪感を抱いてしまいます。つまらないことにエネルギーを使い果たし、人生を楽しむ余裕を失ってしまっているのです。

「強さ」ではなく、「しなやかさ」を得るように、考え方を変えてみてはどうでしょうか。ガラスはゴムよりも硬いですが、落とせば粉々に割れてしまいます。ゴムは柔らかいものですが、叩き割ることはできません。

視野を広くもち、ものごとを一方向からだけではなく、さまざまな角度から眺めてみてください。「勝つか、負けるか」の二者択一ではなく、「柔軟に受け流す」ということも選択肢に入れてみてもいいのではないでしょうか…

受け流すということを、「逃げ」や「あきらめ」のように否定的にとらえることはありません。せっかく与えられた人生を前向きに楽しもうという、積極的な態度なのです。

「柔よく剛を制す」の言葉どおり、幸せに生きるために必要なものは、強さではなく、しなやかさなのです。

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2015年10月29日 (木)

わがままな人は嫌われます

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わがままな人は、他人から嫌われます。

相手を自分の意のままにするということ=あなたも自己中心的な人間になってしまいます。自分でも知らないままで治らないのが性格です。

他人に変えられるわけはありません。指摘すれば反発を食らい仲が悪くなること間違いなしです。

わがままな人は、おそらく、幼いころに問題があったのです。自分の言うことを、親がしっかりと聞いてあげる…子供は、自分の存在価値に自信がもて、自分の喜びのために生きることができるようになるのではないでしょうか…

危険・きたない・他人に迷惑…私の住む八王子市では、全市内歩行禁煙が条例で決めています。火がついたものを持って歩くなんて危ない…環境問題も考慮すると当然規制は必須です。

しかし、わがままな一部の人間が、誰も見ていない・歩道の植え込み・排水溝などへ捨ています。その行為は、卑劣な行為で、自分の家ではポイ捨てなどしていないはずです…わがままな行為そのものです。

火の粉が危ないし、道路等が汚れます。先進国の国際常識。健康、街の美化、火災防止など、理由はたくさんあります。道路は灰皿じゃないし、ポイ捨てがOKなら他のどんなゴミも道路に捨ててよいことになってしまいます。

ポイ捨て禁止のポスターを貼っていますが、一向に減りません。一般社会常識で禁止されている行為をすることは、わがままな人で、子供の頃の家庭の躾に問題があったのではないでしょうか…

世の中に誰かひとりでも自分を真剣に受け入れてくれる人がいれば、わがままな性格にはならなかったはずです。その淋しさを判ってほしいという強い欲求が、わがままという行動に表れていると思われます。

 

 

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2015年10月28日 (水)

広場が一部の心ない人の行為で困っています

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広場が一部の心ない人の行為で困っています。

私たちのまちには、片倉時田まちの広場があります。地元住民の手作りの広場…「片倉時田まちの広場」(2009年6月21日に正式にオープン)があります。

そのとなりに、2010年12月6日に大型スーパーが開店と、同時に周辺の整備がなされ,風景が変わりました。 地元住民は毎日の食料品などの買い物が近くに出来て、喜ばれています。

片倉時田まちの広場は、町会主催の盆踊り、防災訓練などと、老人会のグランドゴルフ、ゲートボール、輪投げなどの市民が気軽に楽しめる場所です。日当たりは、抜群であり、子供からお年寄りまでコミニケーション、ふれ合いの場に最高です。

しかし、最近のゴミの不法投棄・犬の糞・器物損壊(散水栓の破損)などと、やってはいけない花火・バーべキュウなど…自己中心のマナー・モラル・規範意識などの低下による行為が後を絶ちません。

それらを改善していくために、小学生にポスターを書いてもらい掲示したり、地域のの皆さんで防犯パトロール・八王子市の青パトロールの巡回・担当交番(みなみ野交番)パトロール強化・南大沢署にも話しかけたり、片倉地域安全センター・スーパーの店長などにも、実情を認識してもらい、大きな・事件・事故につながらないように、努めています。

広場は誰でも何時でも利用できますが、心ない一部の人間に汚されて困っています。「広場はまちの顔」です…何時もきれいで、気持ちよく使ようのご協力願います。後の人が気持ちよく使うように、ゴミなどは家に持ち帰るようにして下さい。

「守ろうよみんなの好きな町だから」

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2015年10月27日 (火)

真心が通じ合うこと

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真心が通じ合うことは嬉しく、感動します。

真心のこもったご飯はおいしい!食べた後になんともいえない大きな満足感が広がります。心のこもっていないモノは食べてもけして満足感が得られません。人間関係にも同じことがいえます。真心が通じ合う人間関係には確かな手応えがあり、うれしいものです。

しかし、誰にも真心が通じるわけではありません。通じていたはずの相手でも、いつしか通じ合わなくなることがあります。相手がこちらの真心を受け取ってくれない場合、拘泥するのは止めましょう。ちゃんと心の通じる人とよい人間関係を構築していけばよいのです。

思いやり、やさしさ、他人によくしたい…でも、思いだけでは何事も実現することはできません。大事なことは行動と知恵です。だからこそ、目の前のものから何かを感じ取っていただきたいのです。そのために必要なのは、自分の思い込み、を可能なかぎりなくしていくことです。

自分の観点から、評価するのではなく、まずはそのまま聞いて、受け入れる、感じることが大事なのです。

一行三昧…

何かをする時、ひとつのやり方を決め、迷うことなく、そのことになりきることです。何かをする場合、心が今の瞬間の行為に溶け込むことで我を忘れ、一種の心地よさを感じることではないかと思います。

この四字熟語は、仏教の言葉の1つで、1つの修行方法を決めて、その修行に無心になって励むことにより、 心の中がおだやかに静まり乱れない状態になることを言うようです。

た、ひとつの修行が、日常のいろいろな場面(座る、立つ、寝る、歩く、何かを行う)でも同じように、おだやかな心を…持ち続けることにつながるという意味もあるようです。

 

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アイデンティティ…とはを考える

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生まれながらにして本来、人間には自我というものなどない はずですが、ないはずの自我が、 14歳頃から40歳頃までの「青年期」の間に「自分は何者であり、何をなすべきか」を考えながら、イメージの自分と同一にしていきます。

アイデンティティidentity)とは…広義には、「同一性」「個性」

自分が自信をもっていること、自分自身のよりどころ、のようなことだと思います。なにか自分に自信をもつことができ、他のことで多少何かあってもへこたれないで生きていける…そういうものがアイデンティティです。

それは、他人より優れていたり、他人がもっていないものであったりする必要はありません。

勉強もスポーツもそこそこで目立たないけど、家族思いの心をもっている、ということを自覚していれば、それが自分のよりどころになるかもしれません。その場合には、そういう心が、アイデンティティといえるでしょう。

自分でわかっている方がいいのですが、わかっていなくても、そのことが自分の自信であり支え・よりどころになるような、広い意味の自分自身の「キャラ」のようなものです。

もちろん誰しもがうまく同一にして形成していくわけではありませんが、何度もの危機的な体験の中で形成していくと仮定されています。

おのれ自身の自我に固執したり、こだわったりするところから、悩んだり苦しんだり、安心したり、喜んだり、悲しんだり、悲喜こもごもの生活を繰りかえしています。だから時に、争ったり、殺し合ったり、傷つけたり、脅したり、ものの道理が理解できていないから、自分本位に行動してしまいます。

そして、常に心身が満たされなくて、満足できないことばかりだと、いっては欲望と不平不満から、苦しみが次の苦しみを生み、またまた次々と苦しみの迷い道にはまりこんでしまい、出口も進むべき道すら見失ってしまう人がいます。

人の一生は、そもそもあてにならないことばかりです、それで、いつも、満ち足りない思いを抱き、心は乱れ、煩悩に迷い苦しんでいます。

おのれ自身の自我に迷い、悩み苦しんでいるのが自分自身です、だからいつも「主人公」を呼び覚まし、迷いの根本が何であるかをよく知ることです。迷い苦しむ自分自身こそが、本当の自分の姿だと、さとることができたならば、人生は楽しくなることでしょう。

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2015年10月26日 (月)

老後の幸せとは…

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世界一の長寿国の日本です。

100歳以上の高齢者が全国に6万1568人(今年の厚生労働省の調査)分かった。男女別では、女性が5万3728人で87.3%を占めている。今年度中に100歳になった人となる予定の人は計3万379人という。

長寿国の日本ですが本当に幸せですか?

「個人的には、幸福である」として、「人類全体が、長寿になったら、どうなる?」…「”幸福”問題は、個人の立場」と「人類全体の立場」という、「両面の立場から、考えるべきである」と思います。

「私は、ほどほどの年齢で、一生涯、健康で過ごす」ことが、「両方の幸福に通じる!」と思います。

「認知症サミットが、2014年12月にイギリス主導で開催」されました。「長寿化と同時に、認知症の患者の増加が、国家予算に影響を与えている」ことは、「先進国に、共通の悩み」のようです。「医学を考え直すべき時代」ではないでしょうか。

我が国では、高齢者の4人に1人が認知症又はその予備群と言われています。このような方々を、支えられる側と考えるだけでなく、御本人に寄り添い、認知症とともにより良く生きていただけるよう支援していくことは、大変重要なことと思います。

家族の確執の違い

現代は、核家族化・集団より個(自己中心)の時代です。むかしの嫁のように舅・姑・小姑の家に入り、肉体的にも精神的に苦労し続ける…私に人生は、何だったのだろうかと思って、いたろうと推測されます。

現在での経済的・仕事上などの理由で、結婚は、両親と同居せざるを得ない人もいます。しかし、子供ができたり、時が経つと、両親・若い夫婦・孫の、いわゆる三世代家族は、良いことばかりではなさそうです。いま80歳前後の人の苦情に、うちの嫁のことの愚痴を聞くことが多いのです。やはり、社会全体が、核家族化での暮らしが定着してしまったからでしょう。

お盆・正月に、子どもたちが家に来るのですが「来てよし・帰ってよし」の言葉が出るようなるのです。遠くにいる子供たちは、親の健康を気遣ってくれてはいると思うのですが、自分たちの生活で精一杯?です。だから、自分たちの老後は、自分たちで何とかしなければと思っています。

私は、今80歳を前にして、夫婦とも元気でいますが、肉体的・精神的に、年を感じることが多くなってきました。そして、病気・怪我の不安は強くなるばかりです。年を重ねて「幸せとは」……そして「老後をどう生きたらいのか」を、考えてしまいます。

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2015年10月25日 (日)

家族・地域・職場のつながりを考える

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家族・地域・職場のつながりが変化しています。つながりの希薄化により人間関係が難しくなったと感じている人が多いと思います。

私は会社勤めの時代に職場が家族のような雰囲気がありました。上司の家に行っても、家族同様のお付き合いさせて頂きました。昔の中小企業ならいざ知らず…大きな会社のことです。

今の職場の人間関係はよく分かりませんが、プログラマーなどの技術者の仕事は、同じに席を並べていても、当然かも知れませんが、お隣の人の仕事内容などが分からない…人間関係が希薄化は仕方がないと思います。それだけ専門化された仕事が多くなってきているのです。

いま家族・地域・職場のつながりが希薄化が問題になっています。「泥臭さ」から斬新・洗練・求める逸出性を期待している会社が多くなってきているのです。したがって、会社での人間関係は希薄化はやもう得ないことでしょうか…

家族のつながりでは…

夫婦共稼ぎで家事の忙しさからか、最近の親子のつながりは険悪なものです、何かにつけて親に余裕というものがありません。幼児の子育てにおいても親は子に、「しっかり・がんばれ・きっちり・さっさと・早く」と、急き立てる、親のこの言葉から子はいつも逃れたいと感じています。

親も忙しいからと子供と対話することも少なくなり、父親の単身赴任や深夜に及ぶ仕事に追われ、父親が子供と対話することも遊ぶこともなくなり、母親も子の教育費のためにと、そして自分の楽しみに、家計の足しにと仕事に出れば、どうしても子供と接する時間もなくなる。

食事さえも母親の手作りのものが少なくなり、親の身勝手で夫婦別れして、子供は寂しい状況におかれることも最近は多いようです。

どんな生き物にも共通することですが、親は子育てに没頭する、親は危険をもかえりみることなく子育てにのみ力を尽くします。親は子を育てることに心血を注ぐことは当然のことなのに、昨今の親たちは、やるべきことが多分にぶれてしまっているようです。

かつて家庭には祖父母がいたので親の代わりをしてくれました、またご近所が地域で子供の成長を見守り支えるという地域力もあったので、その補完ができていました。

最近の家庭においては、それぞれの行動が個別化しており、家族としてのふれあいがなくなってきています。子は成長するや、親は子を離し、子は親から離れていくものですが、この頃は子が成長するまでもなく、親の心は子から離れ、子の心は親から離れてしまっています。

親子、家族、近所、お互いが思いやることによって、心の豊かさが手の届くところに満ちあふれているのに、それに気づかずに暮らしていることがけっこう多いのではないでしょうか…

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2015年10月24日 (土)

ふるさとには匂いある

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ふるさとには匂いある

山にも、川にも匂いがある

吹く風に匂いがある

水にも、野の草にも匂いがある

私はこの匂いが好きだ

だからふるさとが好きなんだ

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集団より個人を優先する時代を考える

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公徳とは、社会生活の中で私たちが守るべき道。

この世の中で生きていくうえで、他者への配慮や思いやりを大切にして、社会の中の自分の在り方、生き方を考えることは当然のことです。

でもいま、の世の中、自分だけがよければいいという人が多すぎると思いませんか…電車やバスの車内での悪いマナー、空き缶やたばこを無頓着にポイ捨てする人、平気で割り込みしてくる人…こういう人たちが「公徳心のない人」と呼ばれるのです。

公共の利益のために進んで奉仕することは、公徳心の表れと言えます。これらのことは、社会生活上のルールや基本的なモラルなどの倫理観並びに遵法の精神につながり、規範意識の育成には欠かせない要素です。

集団よりも個人を優先する現代社会においては、自己抑制力や忍耐力を培う場が減少し、公の場を意識して行動しようとする心が、十分に育っていないという状況にあると思えます。

今や、個人の未熟と放埒(ほうらつ…勝手気まま状態)の結果を社会が引き受けなければならないのに、社会にも、教育にも個人の放埒を抑制する「力」が付与されていません。

己の私益を優先する日本人が自己増殖を続けました。過疎が進み、少子化が止まらず、家族が総出で稼がなければ生きられない時代状況が到来した時、人々はもはや自由意志も自己責任も全う出来なくなりつつあるのです。

相互支援システムなしに、過疎も、少子高齢化も乗り切れないという状況が出現しているのです。少子高齢化時代は子育て支援でも、高齢者の支援でも、遠い専門集団よりは近い地域集団の助けが必要になります。

地域集団は壊滅の危機にある。

「主体性」の名の下に野放しにされた個人の欲望は、自己責任を伴わない多くの未熟で放埒な人間を「反社会的な存在」に転落させました。親不孝も、虐待も、青少年非行も、犯罪も、規範の崩壊も、不登校も、引き蘢りも、多くの場合が個人の未熟と不覚と放埒の結果と思います

社会の迷惑の多くは、未熟な主体の解放の関数です。今や、社会は個人の欲望に対する抑止力を失いつつあるのです。教育界は「個人の主体性」と「自己決定権」の前に無力なのです。

ですから、教育の抑止力を回復し、他方で、個人に分解された人々をボランティアとして再組織化し、従来の地域集団と目的・機能上の結合を果たすことが不可欠になりました。

過去の共同体や地域集団とは異なりますが、ふたたび共同体や地域集団が脚光を浴びる時代が来ているのです。これからのまちづくりの焦点は地域と機能の結合になります。婦人会の立て直しも、子ども会の機能強化もこの一点に集中すべきと思います。

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2015年10月23日 (金)

ものの道理

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道理とは、あるべき物事の正しい筋道。また、人として行うべき正しい道。ことわり。

人が人として行う正しい道であり、正義、正論をさす。 そして、道理は善であり本当に優秀な事。勉強が出来る、お金がある、社会的地位がある事は良いことであるが、そこに道理が問われる。

「正義や善と離れた、また歪んだ方向であれば、立派とは言い難い。 立派な人は何事にも 道理にあうかどうかを 考えてから行動に移すつまらない人は何事にも 得するかどうかを考えてから行動に移す (吉田松陰)」

私にとって、最も中心的なことは、「ものの道理」です。物の道理 とは…物質(物理的に)の普遍的な法則のことです。変化を期待しても、絶対に変らないことがあります。それを執拗に期待しても、道は拓けませんし、解決はしません。

「ものの道理」…とはなんでしょうか?…松下幸之助「道をひらく」

人間おたがいに落ち着きを失ってくると、他人の庭の花が何となく赤く見えてきて、コツコツまじめにやっているのは自分だけ、人はみなぬれ手にアワ、ラクをしながら何かボロイことをやっているように思えてならなくなる。だから自分も何か一つと思いがちだが、そうは世間はゆるさない。

人間として、ときにこんな迷いを持つのはムリはないけれど、この世の中に、決してボロイことはないのである。ラクなことはないのである。あるように見えるのは、それはこちらの心の迷いで、本当は、どなたさまも、やはり一歩一歩地道につみ重ねてきた着実な成果をあらわしておられるのである。

だから、努力もせずにぬれ手にアワみたいなことをやってみても、それは虫がよすぎるというもの。一時はそれで過ごせても、決して長つづきはしない。結局は失敗ということになる。

これが、ものの道理であって、この道理をはずれた望みを持つというのは、それこそ欲が深いというものである。欲が深いは失敗のもと。やはり、ものの道理に適した道を、一歩一歩あゆんでゆきたい。

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ポイ捨ては犯罪です

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拾っても拾っても、後を絶たちません。ゴミのポイ捨ては犯罪です。

道路や公園など公共の場にタバコの吸い殻・空き缶・ペットボトル・レジ袋・使い捨ての容器などが毎日のように捨てられています。他に、新聞・雑誌・集合住宅の郵便受けにポスティングされるチラシなどの紙類・食べ残した食品などがあります。

街の美化化を損なうばかりではなく犯罪に繋がるのです。また、「ポイ捨て」と軽い言葉で表現される傾向がありますが、火災や漂流・漂着ごみ、野生動物の殺傷など他の社会問題の要因ともなっています。

ポイ捨ては犯罪です。

飼い犬猫の糞は一般廃棄物に見なされ、その放置は不法投棄になり、「常習性」や「故意性」を考慮して罰則の対象になります。

ポイ捨ても「不法投棄」…「不法投棄」とは、違法に物を捨てる行為の総称で、道路への空き缶等のポイ捨てから、山林へのゴミ捨て、産業廃棄物の投棄など様々なケースが含まれます。

一方、ポイ捨てとは、空き缶、空き瓶、ペットボトル、犬猫の糞、タバコの吸殻、チューインガムのかみかす、紙屑等、軽微な廃棄物の小量な不法投棄を意味します。不法投棄にしてもポイ捨てにしても住人の生活環境保全や公衆衛生を乱す迷惑行為である事には変わりありません。

自分の家の敷地はきれいでありたいと思っている人が、街に出るとその意識が薄れるのでしょうか…モラルの問題・規範意識・公衆道徳の問題…私は子供ころのしつけ・教育が問題と思っています。それが、問題となっている「自己中心(主義)」…自分さえ良ければ…の考えと思います。

地球は環境破壊が進んで危機的状況にあるのです。人間一人ひとりが…「自然環境を守る」意識が絶対必要です。人が安心して暮して行くことの出来る環境を、後世につなげる責任があります。

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2015年10月22日 (木)

無為自然な生き方

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最近、年を重ねて思うことが、自分の人生「これでよかったのか?」この先をどういう考えで生きて行けばいいのか迷っています。

毎日、誰かに気を使って、時に疲れを感じたり、「自分は本当はこんなはずじゃないのに」と思ったり、誰かの人生ではなく、自分の、自分だけの人生を100%と送りたいと…

日々の生活に、これといった不平や不満はなくて、も心が満たされないと感じ…ありのままの自分を受け入れること出来ないのです。

現実が怖くて、現実から逃げだそうとしたことに、根本的な理由があるのではないのかなど…自問自答しています?考えてみますと、現実から逃げているかぎり、自分を受け入れることはできないのではないか…そんな弱い自分を認めることができなくなってしまったからです。

こんなところに、プライドという変なものが顔を出してくるのです。つらくて苦しい現実から逃げれば、楽になれると思って現実から逃げれば逃げるほど、生きることはつらくなってしまうのです。

「無為自然」・・・意味は、人の手を加えないで、何もせずあるがままにまかせることです。

「自分らしく生きる」…つまり何かに執着した生き方…人より上になりたいという思い。自分だけ金を儲けようとか、利益だけを追求するような生き方。地位があがることだけにあくせくするような生き方。有名になることだけを考える生き方は、無為自然じゃないのです。

自分本来の生き方を大切に、素朴であることを大事にして作為や、計算や見栄などを放して無為自然になり、本来のありのままにいれば、すばらしい生き方ができると思うのです。

現実を見つめようとしないかぎりは、つらい生活が続くことになる…現実を見つめても、一時的にはつらさを味わわなければならない…いずれにしても、苦しみを経験しなければ、苦しみから抜け出すことはできない…このことだけは、忘れてはならないことと思っています。

現実の自分がどんなに嫌いでも、いつかはそれを受け入れなければ、苦しみから抜け出せないのです。嫌いな自分を直視しなければ、自分は変われないのです。自分自身に嘘をついているかぎり、本当の自分を知ることはできないのです。なぜなら、現実を自分の都合のいいように見てしまうからです。

自分を受け入れる鉄則は、「どんな自分であっても、ありのままの自分を知って、それを認めること」以外にないということです。

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2015年10月21日 (水)

むかしの郷土にはこんな人も…


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 興に興

         尽くした上や

......................................................................花に月  

松原庵一知の詠んだものです。

興(きょう)とは、おもしろいこと。草や鳥など自然界の事物から歌い起こして、それとなく人間世界にたとえる手法。…と辞書にあります。

城定宇右衛門…松原庵一知という人は…

天保2年(1831年)武州多摩郡宇津貫村、現在の八王子市兵衛に城定家4代宇兵衛の嗣子として生まれ、幼名を艶之助、長じて宇右衛門を襲名。若くして水潤亭一致を号とし、俳諧・俳句に才能を発揮しました。

芭蕉の系譜を継ぐ伊勢派の松原庵を、明治29年(1896年)6世長田琴通の後を受け、松原庵7世として継承しましたが、惜しくもその立机披露の寸前に急逝。多くの俳句集・月並集を残す。http://www.geocities.jp/matubaraanitti/

また、みなみ野地区の歴史 http://www.minamino3.com/newpage33.html…ありますが、私の住む八王子市にも、こういう人がいたのかと思うと…感慨深いものがあります。

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2015年10月20日 (火)

仕事とは何なのか

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「仕事」とは何なのか?

私たちは日々、仕事をする中で、なぜ自分がこの仕事をしているか、と考えることは意外と少ないものです。

私は仕事とはを問われたら…「人様の役に立つ」ことを、仕事と思っています。その報酬で、自分が生きていける…ことで、生きるための手段です。

私たちの祖先は、自分の利益のために働く事、組織の為に働く事、それを仕事とは呼ばなかったそうです。

仕事とは、「社会(地域)の為に働く事」のことを言ったそうです。それこそが「仕事」だったのです。それは、自分たちはみんな地域を守る氏神様から生まれてきたと考えていたから…つまり、皆兄弟ということです。死ぬということは、もとの氏神様に戻るということです。

だから力を合わせて地域を守っていくのが当然であったのでしょう。そして、ただ氏神様から授かった命への感謝をささげ、次の時代に引き継いでいく…

そのなかで、自分の役割である「命」を果たすこととは、過去と未来の間にある「今、ここを大切に生きる」、「中今を生きる」ということでした。

過去は過去、くよくよしてもしょうがない。そして明日の事はわからない。だから、今を大事に生きる。今、自分の果たすべき命(仕事)を一生懸命に果たして、それが終われば氏神様に戻っていく…それが生きることの意味だったわけです。

現代は、農耕社会から変化し、発展し、複雑になって、地域の氏神様もよくわからない地域も多いようです。せっかく昔よりも豊かに便利になったのに、生きる意味がわからないという人もたくさんいます。もし、わからなくなったら、我々の祖先がずっとやってきたことを手本にするのが一番よいと思います。

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2015年10月19日 (月)

我は草なり

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『我は草なり』 高見順

われは草なり 伸びんとす
伸びられるとき 伸びんとす
伸びられぬ日は 伸びぬなり
伸びられる日は 伸びるなり

われは草なり 緑なり
全身すべて 緑なり 
毎年かはらず 緑なり
緑のおのれに あきぬなり 
われは草なり 緑なり
緑の深きを 願ふなり 

ああ 生きる日の 美しき 
ああ 生きる日の 楽しさよ
われは草なり 生きんとす 
草のいのちを 生きんとす

自分は縁あって今がある…生きとし生けるものすべてが、縁があって今があるのです。

人間というものは、自分は個別の「存在」だと思っています。「私は、私です」 と思っているのです。「私は…」と思った瞬間で、私たちはこの世界の全体的 な生命のエネルギーから自分を別なものだと、ある個体的な存在だと思ってしまい自分と他とを区別します。

区別することによって、自分がとても小さなものになってしまい、色々な問題が生じてきます。人間が人生で出遭う様々な苦悩は、この「私」というその個体があるんだ……と思ったところから生まれて来るのです。

簡単に言えば、この「私」という実感さえ無ければ、問題は何も無いのです。しかし、これはなかなか消えるものではないのです。誰かが体に触ったら「私に触りました」と感じるし、冷たい空気が体に触れたら「私は寒い」というように、簡単に「私」という主語は出て来ますが、しかしそのことは大問題なのです。

私」が居るから「他人」が居て、だから人間関係が悪くなったりする。「私」が居るから、他の人間と競争するためにいろんな才能を身につけなくてはならなくなる。例えばこのように、問題が生じて来ます。

そこで、何故「慈しみの心」が必要かというと、いくら「私が私が…」と言っていても実際には、ここに私が生きていられるのは他の生命が有るからなのです。私達が生きるために必要な栄養素にしても、他の生命を経由して体内に採り入れ るものが大部分ですし、例えば鉄分が必要だといっても、鉄の塊をガリガリとかじるわけにはいかないのです。 

また、私達の体内には無数の微生物が住んでいて、なにかしら有用な活動をしています。それらの生命に「これは私の体ですから、出て行って下さい」と言って追い出してしまったら、「私」も死んでしまいます。ひとつの体の中にも、多くの生命体が入り込みお互い助け合って共存しているの です。

ですから、「私」を発見する以前に、生命に対する「やさしい心」というのは、 大変必要な条件になります。どんな宗教でも共通して説いているのは、この「やさしさ」ということで、生命はお互いに助け合って生きている……ということは重要なポイントなのです。 

「慈悲の心」を育て上げられれば、自分は諸々の宗教に共通している真髄を実践しているのだと理解しても過言にはなりません。(慈悲の瞑想)…http://www.j-theravada.net/3-jihi.html

草という、定められた人生だけれども、それに不平不満言う事無く、一生懸命生きている。そして来年はもっと豊かな深き緑になれるよう、根を地下深くまで張り、たくさんの栄養を吸収して、一生懸命に生きる。その草が、また他の生き物の生きる糧になるように…

 
 

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2015年10月18日 (日)

子供は素直…

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昨日の雨で寒かったが、今日は暖かく、半そでも大丈夫でいられた…何時ものように、時田公園を道の上から眺めて、ゴミがないか見渡していたら、小学校3年生くらいの男の子が、一人で、サッカーボールを、蹴って遊んでいたのです。

「ぺトボトルが落ちているから、拾ってちょうだい!」と…大声で叫んで見ました。どんな行動をとるか…見ていると、「ハイ分かりました!」と言って、ペットボトルを拾い…そして近くのゴミを拾ってきて、私が持っているレジ袋に入れてくれたのです。「ありがとう!」と声をかけ、「公園はきれいに使いましょうね!」と言ってあげました。

 すがすがしい気持ちになれ、今日一日がいい日が続く…と思ったのです。そして、「子供はみんな素直なんだ!」と感動すら覚えたのです。

心ない一部の大人たちの行動で、公共の施設を汚す行為が後を絶たない…いわゆる公徳心のない大人がいて、ことの善悪の判断が付かない子供たちが、真似をする…大人たちに、猛省してもらわなければと思ったのです。

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自分自身を見つめる

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なにか、大事ことを忘れている?

最近、年をとったせいか、自分自身でも忘れることが多くなったと感じます。それは、人の名前であったり、用件であったり、モノを置き忘れ・持ってくるべきモノを忘れであったり、簡単な漢字であったり…です。

自分自身の心と体のことを忘れているのでは…

日々の忙しさにかこつけて、自分のことを忘れている、忘れるとは心を亡くすと漢字で書きますが、忙しいの字も心を亡くすと書きます。

いやいや、自分のことは自分で、やっているいるつもり、結構自分の人生楽しんでいると、思っていても、体調悪くした時などは、自然に自分自身を振り返るものです。

心と体は密接なつながりがあります。「そんなのあたりまえ」と思うかもしれませんが、私たちは案外そのことを忘れています。そして、体を酷使したり、心を磨耗させたりするのです。その結果、体が悲鳴を上げ、心が壊れたりします。そして、あらためて心と体の密接なつながりに気づかされるのです。

自分を見つめる時間このようなちょっとした変化に早い段階で気付くために、ふと立ち止まり、自分自身を見つめることが大切です。ほんの少しの時間でもよいので、眠る前や、入浴中のリラックスしている時など意識してそういった時間を作ってみることが大事だと思います。

今の自分自身について、以前と違うところはないか、同じようなシチュエーションで反応が変ったところはないか、こころと体の小さな変化を見つけられたら、積極的に休息を取るなど、リラクセーションを取り入れたいものです。

日常の忙しさから自分自身を見つめる時間というのは失いがちです。意識的に時間を取り、大きな故障に繋がる前に定期的なメンテナンスを行うことです。

そして取り返しのつかないところにまで来てしまった時、人はしみじみと思うものです、自分では分かっていながら、心と体のことを普段すっかり忘れて暮らしていたと… 肩ひじを張ってばかりいないで、背筋を伸ばし、ちょっと深呼吸してみることも大事です。

人間関係のとらわれや人間社会ばかりに目をむけていないで、天地自然の恵みによって生かされていることを知る…ありのままの姿が見る…

自然の中に生かされている…無意識に、空気(酸素)を吸って、二酸化炭素を吐きだす…呼吸しています。植物は、私たち人間と同じように呼吸をしています…酸素を吸って二酸化炭素を出しています。

また、植物は呼吸以外にも、光合成しています。そのとき二酸化を吸収し酸素を出しています。植物の光合成は私たち人間が出している二酸化炭素を吸収現として、大きな役割を果たしてくれているのです。(植物の存在しなければ、地球には二酸化炭素が充満して生きていけません。)

ストレスなどの原因で呼吸が速く浅くなって、空気を吸い込みすぎ、血液中の」酸素量が多くなり、二酸化炭素が少なくなると、呼吸困難、頭痛やめまい、手の指先や口のまわりのしびれ、失神などの症状が起こります。

昼は太陽の光がいっぱいに、夜には満天の星が輝いてます。「今」「命、生きている」この実感をいつも忘れないことです。大自然の中で生かされていること…小さなことに囚われないで、空を見て、海を見て、山を見て、気分を一新することが、大事なことだと思います。

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2015年10月17日 (土)

人生は山登り

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気がつくと、とんでもないところに来てる…でも頂上はまだだ…

山登りの醍醐味は、一歩一歩必死に登ってきただけなのに、気づいてみるとものすごい高いところに来ている…これが、登山の嬉しい瞬間だと思う。

人生を振りかってみると…山登りに似ている。毎日必死に働いて、その日その日を一歩一歩登っていく…そして、顔を上げると、いつの間にか「それなりのこと」を成し遂げている…

だから、最初から頂上ばかりを見ないで、まずは一歩一歩着実に何かをしていくことだ。これが人生の秘訣じゃないかと思う。頂上を見るのは、最初だけ…一回見たら、後は足元を見て、一歩一歩踏みしめて登っていくだけで、焦る必要なんてないのじゃないかなぁー

「のぼり坂」 北川文化:作詩 原譲二:作曲

いつか おふくろ 言っていた
笑うかどには 福が来る
人は 寄り添い 馬には乗ってみよ
あっても苦労 なくても苦労
いくつになっても なってものぼり坂

今も どこかで 呼んでいる
世渡り下手だと 叱られながら
くじける心 一度 二度は
それも我慢の 人性さ
いくつになっても なってものぼり坂

何がいいのか 悪いのか
迷う世間の うらおもて
こんな男と 情けのおまえ
夢でいいさ 夢見ていきる
ふたりあわせ 人生は
いくつになっても なってものぼり坂

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2015年10月16日 (金)

心の豊かさを求める

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心の豊かさを求めるには…

人としての正しい心の在り方を持つこと、人としての正しい心の在り方を持つこと、心の動きが、その人の運命から生じ、人生の幸、不幸を左右していくと思います。

夫婦に恵まれる…男女の子供に恵まれる…健康に恵まれる…生活に恵まれる…希望に恵まれる…これを幸せの六枚の花びらという。

人としての真の幸せ…心の豊かさを求めて真の人の道を歩めば、毎日が充実し生きる喜びを味わえるばかりか、我が子、わが孫の幸せ…子孫繁栄が叶えられます。

いつも安心感に包まれ、平和な毎日を送り、心身ともに健康で長生きし人生に何の悔いも残すこともなく、そのような人の魂は再び人として、生まれてくる事が約束され永遠の命を確立することができると思います。

また、世の中を、平和で穏やかな暮らしを求めるならば、公徳心を養うことです。

公徳とは、社会生活の中で私たちが守るべき道です。この世の中で生きていくうえで、他者への配慮や思いやりを大切にして、社会の中の自分の在り方、生き方を考えることは当然のことです。

でもいまの世の中、自分だけがよければいいという人が多すぎると思いませんか。電車やバスの車内での悪いマナー、空き缶やたばこを無頓着にポイ捨てする人、平気で割り込みしてくる人…こういう人たちが「公徳心のない人」と呼ばれるのです。

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2015年10月15日 (木)

秋の陽射しを浴びるバッタ

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秋陽射し 羽を休める バッタかな 

今朝は、この秋一番に冷え込みました、台風24号・25号が、日本の遥か南に発生したが、どうやら日本には影響がなさそうです。空気が乾き、お天気が続いています。

近年、余り見かけぬバッタが、秋の陽射しを浴びて草の葉で休んでいます。今朝の冷え込みは、ちょっと戸惑ったことでしょう。

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幸せはお金では買えない

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「幸せはお金では買えない」

今年のノーベル経済賞は、アメリカのプリンストン大のアンガス・ディートン教授です。

受賞理由は、「消費、貧困、福祉に関する分析」は消費行動に関する実証研究や途上国での貧困問題分析への貢献を評価したものです。

「福祉の促進や貧困の削減に向けた政策を策定するには、個人の消費行動を理解することが必要となる。誰よりもその理解を深めた」とのことです。

幸せはお金では買えないといえば…3・11東日本大震災の年…平成23年11月に日本に来たブータン国王の国会での演説され、話題になり、私は「幸せとは」を考えさせられました。

ディートン教授は、「世界の経済は良くなっているといわれるが、私は、目をつむった楽観主義者ではない。世界の貧困問題は、依然としてとても悪い状況にある」と指摘しました。

格差社会はどこの国内でもあり、また世界の国でもあるのが現実です。特に発展途上国といわれる国が発展する過程において、今先進国といわれる国々がたどった後を振り返ってみますと、自然破壊・温暖化があり、危機的温暖化があります。

格差をなくすには、今まで以上に先進国の温室排気ガスの削減・計画的に抑制する必要があります。後進国の経済発展は絶対に必要と思います。私は、先進国の経済最優先ではなく、地球環境が危機的状況にある事をより強く国々がもち政策に反映しなければと考えています。

日本国内のでも格差も問題となっています。特に貧困率では先進国でも日本の子供の貧困率は今、先進国の中で最悪レベルにあるという。そして、少子高齢化、無縁社会…

子供の貧困問題が深刻化しています。

わが国の未来は、貧困などの危機にある子供たちに託すしかない。貧困が貧困を生む、この見えにくい現実について考えなければいけないことです。

昨年、厚生労働省が発表した「子供の(相対的)貧困率」は過去最悪の16・3%に上り、6人に1人の約325万人が「貧困」に該当…豊かな先進20カ国のうち、4番目の高さにあるのです。

 

 

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2015年10月14日 (水)

危機的な環境

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街を歩いていて思うことがあります、環境問題は危機的状態にあると思っていますが、このままですと、私たちが住む地球はあと100年後、1000年後、1億年後を想像すると…

地球環境で実感することは、僅か50年で山にいた動物植物や昆虫・川にいた魚・昆虫などその種類を激減しているのです。人間の勝手な欲望で、必要なまで開発して、環境破壊が進んでしまっているのです。

ことし11月30日にパリで開幕するCOP21(新しい温暖化対策の国際的な枠組みを決める重要な会議)があり、注目したいです。絶対守らなければならないことがあるはずです。

私たちには遠い話ではないのです。今生きている人間一人ひとりが、環境に対する考えを、しっかり持ち、環境維持…取り戻す…ことが大事なことだと考えています。

「規範意識」の向上…ゴミのポィ捨てがなくらない…

「規範意識」…簡単にいえば「世の中のルールを守ろうとする心」と考えてます。「人として、してはいけないこと…すべきこと」です。その内容が、その年齢時に身につけておかなければならない「規範意識」と思っています。特に自然環境に対して…です。

私は、小学校低学年以前に家庭で身につけておくべきことが基本となっているのですが、なかなか「それができない家庭」が増加しているとおもうのです。

スイスの教育学者ペスタロッチは、教育は「読み・書き・そろばん」だけではなく「人格の形成」ということまで含めたものが教育であると定義しています。

そして、教育には家庭の温かさが必要だという、家庭教育の重要性を説いています。また、直感教授といって実物や絵を子ども達に見せて、感覚器官を通じて知識を習得させるという教育論を実践しました。

子どもの躾・教育をするにあたっては、何もかも欲張って一時期に与えるのではなく、身の回りのことから少しずつ訓練を積み重ねていくと、あるところから自ら進んで難しいことに取り組んでいくようになると述べています。

さらに道徳面では、善悪のことばについては日常の家庭的な場面や地域の住環境と結びつけて説明しなさいとも言っています。

これらから学ばなければならないことは、現代のようにやたらに華やかで豊かすぎるモノや、高度の知識や刺激の強すぎる情報が氾濫する社会の中で、私たち大人がそれらをうまくコントロールして子ども達の教育あたっていかなければならないということだと思います。

特に環境に対す考え…自然に、人に優しさと愛情を持った人間に育てることが大事だと考えています。

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2015年10月13日 (火)

空き家に虫の音

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人住まぬ 廃家の庭 虫が鳴く

最近、私の住んでいる町でも、ひとり暮らし・空き家が多いです。つい最近、ひとり暮らしのおばさんが、施設に移られた…お隣の人か聞きました。

全国では、空き家の数は820万戸で、空き家比率は13・5%と約7軒に1軒に達するそうです。

屋敷には、廃家となって、藪からしが伸びて覆い尽くし…秋の虫が鳴いている…一抹の寂しい思いがします。

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2015年10月12日 (月)

いたずらも、度が過ぎる…

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昨日、私たちの町の場広(片倉時田まちの広場)の散水栓を根元から折られました。たぶん…10/10(土)夜…のことだと思われます。(普段は、子供たちの水のいたずら防止のため、元栓を締めてあります。)

休憩小屋に弁当や飲み物のが散乱していましたので、近くにスーパーから、買って来て飲食したのでしょう…そして、水道で水を利用したかったのでしょう?…蛇口をひねっても水が出ないので…近くにあった木片で、叩いて水道栓の根元か折ってしまったのです。

食べ物・飲み物の空き箱・ペットボトル・タバコの吸い殻などが散乱していて、長椅子(お年よりがグランドゴルフ・ゲートボールが使うため置いてあります)を放りだして、相当に水が出ないことに腹をたてた?

この広場は、私たちの先輩が手作りし…散水栓も今年の3月に、八王子市公園課にお願いし、増設したものです。

片倉地域安全センター(警察のO.B)に相談し…みなみ野交番に電話で、実態を話し、夜のパトロールの強化・近くの住民に、事実を話し110番に電話をして欲しい事をお願いしました。

片倉時田まちの広場…管理は私たちの町民ですので、草とり、清掃は(公園アダプト)で行っています。最近近くに大型スーパーが出来て、町民にとっては、普段の買い物が便利になったのですが、人通りも多くなり、ポイ捨てなどが多くなったのです。また、温泉施設が建設12月オープンする予定で、ゴミが増えることが心配です。

善悪の判断

私は日ごろ子供の規範意識(教育)が問題と思っています。子供は、家庭・学校・地域の教育で大人になる…むかしの日本社会の姿があったが…

広場や公園で子供の、いたずらを注意する大人がいない…小中学生の親御さんたちの“しつけ”…親御さんに、「勉強の他に学校にしてほしい事はなんですか。」と聞いたところ、親のこたえのトップは「善悪をわきまえる教育をしてほしい。」ということだそうです。

「善悪をわきまえること」このことこそ、親がすべき家庭教育の本領です。

今日では日常生活のしつけまで学校の先生にしてもらうことを期待して、親は食べること、 着ることだけを受け持てば、それで親のつとめは果たしたと考えているのでしょうか…

親はだれでも自分の子どもが清い心をもって、正しい生涯を送ってほしいという、願いがあります。

子どもは1才の頃から、良いこと、悪いことの感覚はすでに芽生えています。 ですから子どもが学校へ入るはるか以前、人生の最初から正しい道徳観を教えてゆかなければなりません。 最初の家庭教育は「ことばの教育」です。それと同時に良いこと、悪いことについて教えるべきです。

私は、高校生から中学生の孫四人を持つ老人です。ご他聞に漏れず核家族化で、孫にも年に何回も会えません。規範意識を持った人間に育って欲しいと祈るだけです。

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2015年10月11日 (日)

湧き水と紅葉

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湧き水や 紅葉埋まって 音静か 

朝夕の気温が身体に感じる頃となりました。近くの片倉城跡公園の木々も落ち葉が、落ち始めました。

城跡公園の裏(北西)には、昔から湧き水が流れ、田んぼが作られていましたが、今は鑑賞用に水車があり、田んぼは水仙が植えられています。

その水路に紅葉が落ち葉となって水路に浸っていて、音がしない…静かです。

 

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年をとるということは…

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「年をとるということは、こういうことなのだ」と思うことが、“しばしば”となってきました。

過去・現在・未来…過去は過ぎ去り、未来は未知です。現在を一生懸命生きるのみです。現在(今)を生きるには過去の教訓を生かし将来に備えて生きることが、大切…と思います。しかし、加齢が増してくると、なかなか、自分で描く道筋がはっきり描けません。

生き物すべてが、寿命があります。老化は避けて通れないことなのです。

老化が進むと、体力も気力も衰えてくるから、何をするにも持続力がなくなり、疲労の回復力も低下します。筋力が落ちるとちょっとしたことで足腰に疲れがきて、筋肉痛になったり、歩行さえも困難になります。

動作がとろくなり、つまずいたり、転んだりします。歯が抜けてかたいものが食べられなくなる。耳が聞こえにくくなり、視力も衰えてきます。加齢とともにさまざまなことが悩みとなります。 

老いにともない、物忘れがひどくなり、思考回路も衰え判断能力が弱くなる。これまでにできたことが、できなくなり、何をするにもついおっくうになってしまいます。病にかかりやすくなり、快復力も衰え精神的に気弱になります。

そして、やがて自分で何ごともできなくなり、他の人の力を借りなければ、生活できなくなります。

日本人は、世界保健機構(WHO)加盟国のなかで世界一の長寿国になりました。日本人女性の平均寿命は世界最長で87歳です。先輩たちが経験したことのない長寿の時代をどのように生きるか、今、このことが課題になりました。

老いにともない、悩みや心配ごとが増えるにつれて、わがままな年寄り根性が強くなるけれど、老いることで悪いことばかりではないはずです。

年の功で、人生経験が豊かになり多様な判断能力が身について、なにごとにも偏らずに多角的に理解しようとします。相手の気持ちも受け入れようとする寛容な気持ちの余裕もできて、自己本位の思いをおさえて、相手の立場に立って理解できるようになります。

さらには人をおしのけて進むことよりも協調性を重んじたり、対決軸を持とうとしなくなります。このような「老人力」をどのように社会的子孫繁栄のために発揮するのか、これが長寿の課題であると思います。

老人特有の痴呆症が深刻…

65歳以上の人口は1985年に総人口の10%を突破し、90年代以降はさらに急増、今回初めて20%を占めるようになりました。「5人に1人が高齢者」という状態は、先進諸国の中でも最も高齢者率が高く非常に深刻な問題です。

この割合は今後も伸び続け、10年後には26%に達すると見込まれています。65歳以上の高齢者が増えると同時に、認知症の患者数も増加の一途にあります。

現在、日本国内には180万人の認知症患者がいると言われています。団塊の世代がすべて高齢者の仲間入りをする2015年には患者数が250万人に、さらに2035年には337万人にまで増えるとの予想もあり、介護負担が大きくなることから社会問題として特に注目されています。

 

 

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人生のタスク管理

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タスク管理…「何時かやること」・「今やること」を分けることです。

タスクとは…

1.他者から課されたこと
2.自ら自分に課したこと

つまり、仕事を課されることです。

物事によっては「その年齢や世代にしかできないこと」あると思います。その気になればどんな世代でも年齢でもやればできないことないですが、いわゆるその世代や年齢が最も適しているとか、相応しいということです。

昔、追いかけていた夢があったけど、事情により夢から遠ざかっていった人 夢をあきらめなけばいけなくなった人 生活に流されて、いつからか夢を見なくなった人

「今」が「どんな人生」であれ、「今よりももっと良くなれ!」って多くの方は希望に満ち溢れながら未来に向かって生きていることは間違いないと思います。

しかし、生活に追われながら暮らしていると「やりたいこと」「いつかやろうとしていること」に目を背けるつもりはなくても、ついついそれを放置してしまい、気がつくとあっという間に時が流れて年を重ねてしまっています。

「やるべきこと」・「やりたいこと」・「できること」

この三要素を一致させることはとても難しい…厳密に言うと不可能でしょう。しかし、三要素がどんな関係にあるかによって、肉体的・精神的な安定度や日々の満足感、アウトプットの質が違って来るのではないかと思います。

「やるべきこと」=今の環境で自分の果たすべき役割…

「やりたいこと」=理屈ではなく感情的に自分が望むこと…

「できること」=いまの自分の経験や能力から実行可能なこと…

タスク管理を考え始めることは…生き方を考え、生き方を変えていいくことで、年を重ねていく過程で、好きとか、好きでないとか…関係なく、誰しも当然来る時期はあり、それは試練と受け取る人もいます。

タスク管理は、時間の使い方の配分を考えること…物の見方・価値観がが当然に変わってくるでしょう。

例えば、1日24時間をどのように使うか…睡眠に何時間かけるのか…自己研鑽に何時間かけるのか…家族と過ごす時間に何時間かけるのか…どの行為にどれくらい時間をかけるのか…などを配分するのかです。

タスク管理とはそれを考える行為であり、人生はその時間の配分によって決まってくると思うのです。タスク管理をする意義はここにあるのです。

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2015年10月10日 (土)

道徳と規範

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最近、街を歩いていて思うことは、昔から日本人の「道徳」・「規範」の認識が薄れて来たようでしかたがありません。

家庭での子供のしつけや、学校の道徳教育のあり方…時代と共に変化?…個性を生かす教育が重視にしたためでしょうか…自己中心(主義)の人が多くなったといわれる時代になったのです。

人は一人では生きていくことが出来ません。「人間社会で生きていくためには、多くの人に支えられて生きていける。」・「そして自然との共生」という「生きる原点」の認識させる…教育が不十分だと思えるのです。

「道徳と倫理」 「道徳」とは、「人」の道であり、「倫理」とは、社会の中で「人間」として生きていくことの自己規範です。「道徳」は考える余地のない社会規範であり「倫理」は考えたあとでの自己規範です。

「道徳」が先にあり、あとで、相手との関わりの中で矛盾が起きた場合に、それを解決する為に考え、自らの判断を規範とするのが「倫理」です。

ルール・マナーはそれぞれの国の決まり(法律・方法)があります。日本では日本のルールがあります。公園や道路など公共の場・電車・バスなどもあります。その場には必ずあります。その場所のルールに従うことが、社会人として責任です。

不易流行…

「不易」はいつまでも変わらないこと。「流行」は時代々々に応じて変化すること。

いつまでも変化しない本質的なものを忘れない中にも、新しく変化を重ねているものをも取り入れていくことです。また、新味を求めて変化を重ねていく流行性こそが不易の本質であることです。

私は、教育は「不易」をしっかりと押さえていれば、「教育は間違った方向に行かない」と確信しています。子どもの「規範意識の低下」は、「親・地域の教育力の低下」が背景にあり、「学校でそれを補うには…問題は解決が難しいと考えます。

また、小学校低学年以前に「家庭教育」で身につけておくべきことが基本となっていると思います。なかなか「それができない家庭」が増加し、「本来学校でやらなくても…」と思うこともあります。「当然、家庭でしつけられている…」と考えています。

 

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2015年10月 9日 (金)

言行一致

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言行一致 (げんこういっち)…
「言うことと行動が一 致していること」

本当の人柄は行動に表れる…口でどんなに立派なことを言っても、行動が伴わなければ、人から信頼しません。

孔子は曰く…

「徳有る者は必ず言有り。言有る者は必ずしも徳有らず。」(徳のあるりっぱな人は、必ずよいことを言うが、よいことを言う者が、必ずしも徳があるとは限らない)

日頃から一生懸命努力して心の内に徳や仁のある人は、それが必ず何らかの言葉や行動のなかにも表れてくるものです。良いことを言ったり、勇気あるようにみえる人が、必ずしも心の内に徳や仁を持っているとは限りません。

残念ながら、世の中には詐欺師、ペテン師と言われるような口先ばかりの人がいます。

「巧言令色鮮なし仁」…
言葉巧みで、人から好かれようと愛想を振りまく者には、誠実な人間が少なく、人として最も大事な徳である仁の心が欠けているものだということ…(仁とは優しさ・思いやり…)

要するに「あなた!口の上手い人には気をつけなさいよ!」良い事を言う人が必ずしも徳のある人ではないのです。また、自分の感情にまかせて行動したり、自分の言いたいことだけを勝手に言う人もいます。

一方で、高齢者の方に電車の席を譲ったり、道で困っている障害者の方を助けたり、「おはようございます」と自分から挨拶するのも、りっぱなことだと思います。自分の優しい心の内から出てくる言葉は、真の仁のあると言えるでしょう。

その人の真の人柄は、その人の日頃のちょっとした行動のなかに表れると思います。人前ではなく、その人が気を許したときに発する言葉や行動こそが、その人の真の姿だと考えるべきでしょう。

口先だけの人は、その相手がいなくなると突然横柄な態度で行動したりするものです。いずれにしても、他人のことはともかく自分自身は、一生懸命努力して徳や仁のある人間になり、心の内からでてくる誠の言葉でしゃべったり、勇気ある行動がとれるようになりたいものです。

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2015年10月 8日 (木)

気候変動

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気候変動…

地球上で起こる様々な大気現象は太陽から受け取ったエネルギーを源としています。近年、「気候変動」が話題となっています。記録的な、猛暑・豪雨・旱魃・竜巻などの報道で、地球に何が起きているか大変気になるところです。

気候変動の要因には自然の要因と人為的な要因があります。人間の知恵では自然の要因で起こる変動は、諦めるしかありませんが、人為的な要因は人間が解決しなければならない問題と思います。

人為的な要因には人間活動に伴う二酸化炭素などの温室効果気体の増加やエーロゾル(大気中に浮遊する、半径0.001マイクロメートル程度から10マイクロメートル程度の大きさの微粒子の総称)の増加、森林破壊などがあります。

二酸化炭素などの温室効果気体の増加は、地上気温を上昇させ、森林破壊などの植生の変化は水の循環や地球表面の日射の反射量に影響を及ぼします。

近年は大量の石油や石炭などの化石燃料の消費による大気中の二酸化炭素濃度の増加による地球温暖化に対する懸念が強まり、人為的な要因による気候変動に対する関心が強まっています。

地球環境を守る…人間の欲望で他の生き物を死まで追いやることは神は許しません。地球環境は人間一人ひとりの環境に対する意識と、復旧の実行であるのみと思います。

身近なことから始めよう。

誰でも簡単にできるボランティア活動としておすすめなのが清掃活動です。地域の美観を保ち、気持ち良く過ごすためにも役立つボランティア活動として積極的に実施している地域も多いようです。

地球の優しい環境づくり、人間が汚した地球を取り戻すことが、今とても大事なことだと思います。清掃活動を通して仲間意識を深め、より良い住環境を整える意識が高まるためメリットが多いボランティア活動になります。

清掃活動は団体で実施した方が効率良く実践できますが、個人的な活動としても十分成り立ちます。一人ひとりが地道に取り組んで欲しいものです。

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2015年10月 7日 (水)

呼び戻そう川に魚を、昆虫を…

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記録的な大雨・50年に一度の暑さなど、毎日のようにテレビのニュース・新聞などで報道されています。

今、地球温暖化で、気象の変動が激しく、今年の夏は東京では猛暑日が8日も続きました。 9月には台風18号で鬼怒川が氾濫して大きな被害がでました。これも温室効果ガスで気温の上昇から起きた現象です。私も、80年近く生きていますが、最近の豪雨・暑さは、今まで経験したことがありません。

私の住んでいる近くに湯殿川という川が流れています。この湯殿川にはたくさんの種類の魚が棲んでいました。

うなぎ…八つ目うなぎ…なまず…ぎばち…どじょう…砂もぐり…かじか…はや…たなご…ふな…こい…そして、いもり…ゲンゴロウ・ヤゴなどの昆虫やシジミなどの貝類…ホタル・蛙・蛇など豊富に存在していました。僅か半世紀の間に、殆ど消滅してしまいました。

今の子供たちは、これらの魚・昆虫を湯殿川で見ることはできません。湯殿川だけを捉えてみても大変なことになっているのです。これも勝手な人間の我がままでのことから、起きたものです。

まだそのことに気が付かないでいる大人たちがいるのです。町に川にゴミやタバコの吸い殻をポイ捨てする人がいるのです。

私は、毎日湯殿川の両サイド(河川管理通路)のゴミ拾いをしていますが、「ゴミ捨て禁止」ポスターを貼って、注意を喚起していますがゴミはなくなりません。(私の町会のエリヤ内)

みなさん「川」というとどんなイメージを持たれますでしょうか…日本は雨が多い国で、どこに住んでいても近くに川があります。関東地方は平野が広く、いたるところに川が流れています。

都市化が進んだ街で暮らすと、なかなかその機会は少ないかもしれませんが、地方では子供たちは川遊びを経験し、川に親しんでいると思います。

私も子供の頃は、夏休みになると朝から晩まで魚を釣ったり、泳いだりし、川遊びをしていましたので、川には親しみを持っていました。

川はいろいろ手が加えられていますが、本来的には自然です。山や海や丘陵など他の自然に比べ、川は自然の中でも人間生活とのかかわり、結びつきがはるかに強く、人の生活に欠かせない存在になっています。世界四大文明の発祥地はいずれも大きな川のほとりであったことは、ご案内のとおりです。

また川は水を安定的に供給していることから、飲料用水源、灌漑用水源、水産、水運、レクレーションの場と多様な用途に利用されています。言わば人の生活の基盤になっているといってもいいでしょう。

さらに川は自然環境として潤いのある空間を形成し、アメニティー資源のもとになるとともに、海と同様、気候の緩和にも役立っています。

呼び戻そう川に魚を、昆虫を…

つい半世紀前にいた魚や昆虫を呼び戻そう…と思っています。これ以上環境破壊を止め…地球温暖化に楔を打ち込む…活動をしていただきたい。これは今生きている人間の務めです。地球は悲鳴を上げているのです。ゴミのポイ捨ては絶対やめましょう。

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2015年10月 6日 (火)

心の時代

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物では、本当の幸せには出来ません。これからは、「心時代」と言われています

せは、手に入れるものではなく、心で感じることです。よく、人は豊かな生活とは、たくさんの物を手に入れている生活だと思いがちになってしまいます。幸せは、心で感じることです。

心の栄養失調… 

今日の多くの国々の生活は、物質的には豊かになりました。本来食べ物は体の健康のために、栄養素を取り入れるためでありますが、今日では、いかに美しく目に映るかということの料理研究が盛んです。

それも機械文明の発達のおかげです。ところが、機械文明は、生産性の向上のために合理化が優先され、人の心の問題には、あまり関心を示さなかったのです。 

人の心の豊かさは取り残されてきました。人の心の豊かさは、合理化によっては培われないのです。かえって不合理性の中でこそ、人の心は、その栄養素を吸収するのではないでしょうか…

今を生きる私たちは、多くの生活に常に合理性を持ち出し簡素化しています。

そのことによって、私たちの心は栄養を失い、心の豊かさを失っています。心の豊かさを失うと、社会生活が希薄になります。社会生活が希薄になるということは、お互いの人間関係を失うことになり、バラバラに孤独に生きることを意味します。

社会生活をしている私たちは、お互いの連帯と協調性を必要とします。その必要性が満たされるとき、私たちは生きる希望が湧いてきます。お互いの連帯性・協調性が失われると、人は孤独になります。 

孤独な人は、自己中心的になり、他人と仲良く生きていくことが難しいと言われています。孤独な人は、さまざまな問題課題を背負って生きています。

孤独化を防ぐ… 

自己中心の人は孤独です。しかし自己中心であるが故に、孤独になっていることに気づきません。仕事や付き合い上、やむを得ず接している人たちにまで去られたときに初めて、自分が孤独になっていたことに気づきます。

物を得るにも、他人に頼まなければ手に入りません。一人では生きていけないのです。人が寄り合って、人間社会が出来るのです。人は無縁孤島では住めません。人間社会で生きていくには、自由と責任があります。 それが面倒と思う人が多くなっているようです。

 

 

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視点を変えてみる

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人間は自己中心的でわがままな生き物です。自分がしてあげたことばかりにしか目が行かず、自分が迷惑をかけたこと、自分が助けてもらったことを忘れてしまいがちです。

視点を変えて観る

① お世話になったこと…

② 自分がして返したこと…

③ 迷惑をかけたこと…

これらの視点(ポジション)を変えてみる…ことによって自分の人生を振り返る…心に余裕を持ち、反省することが出来るのです。

内観法…「自分を知る」ための方法として開発された自己観察法です。内観を続けていると、自分の身勝手さやわがままを見捨てないで助けてくれている人の存在に気がついていくようになると言われています。

さらに、自分の「臨終の時」を意識することによって、他者との関係を本来の地点に立ち戻って見つめなおそうというのです。「私はどのように生きていくべきなのか、どのようにすべきなのか」ということを見つめることです。

いつか自分の肉体から離れるとき、良いことして、社会に貢献できて、周りの人を喜ばせることに一生懸命生きたなら、幸せに生きられるでしょう。

悪いことして、社会を無視して、誰かをいじめてばかりいたなら、その瞬間、心残りがあるでしょう。そのいつかは、10年後かもしれないし、明日かもしれません。今日という日をどう生きるかは、自分で決める事ができます。

少しでも人の役に立てるよう、笑顔とか、挨拶とか、思いやりとか、声かけとか、出来ることを、重ねていこうと思います。

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2015年10月 5日 (月)

自然と共生

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自然との共生…

人間は、自分一人では生きていけません。他の生き物(動物であれ植物であれ)のいのちをもらって生きています。

「人間」は、動物や植物といった「自然」から、命をもらって、生きて(生活)います。自分の生活をより豊かにするために、多くのものを消費し、多くのものを排出しています。

見方によっては、人間は、「自然」を利用している生きているのです。

「自然」は、「人間」を利用することはないのかというと…

一方には利益があって、もう一方には利益のない関係を、「寄生」「搾取」などと表現することがあります。でも今、どうやら「自然」と「人間」は「共生」しているのです。

「共生」っていうのはどういう状態なんでしょうか…

きのう、公園の草取りをしました…終わってズボンに草の実がたくさん付いて、取るのが大変でした。これは、植物が、自分の種を、より遠くへ、より様々な場所へ広げるための知恵なんだな…と思いました。

柿が実ってきました…未熟なものが酸っぱいが、熟れた実は美味しい…熟した実の中には、熟した種が入っています。鳥が熟した実を食べて、空を飛んで移動する過程で、フンを落とします。落ちたフンの中には種が入っていて、そこから新たな芽が出ます。

そうやって、植物は、自分が動けない分他の動物を使って、自分の生息範囲を広げ、自分の子孫を残してきました。

果物は、食べられるばかりではないんです。食べられたあと、かわりに、自分たちにも利益があるような工夫が、なされているんです。

もちつもたれつな関係。これを、共に生きる、「共生」と呼びます。

こんな、生態系の共生の輪の中に、きちんと、人間も組み込まれているよ、というのが「自然と人間の共生」という言葉がいいたいことだと思います。自然は生き物です。

でも、人間も生き物です。人間だけが特別なんてことはない、ということを、共生という言葉は表わしている言葉だと、いうこともできそうです。

人間の無制限な欲望から、自然を破壊してまで、自然からより多くを得ようとしています。自然との共生のバランスを保つことが大切です。そのバランスを崩している事を気がつかないで…取り返しのつかない?

その結果、地球温暖化…深刻なことになっています。

現在の地球は、過去1300年の間で最も暖かくなっているのです。 気象庁によると、2012年の世界の年平均気温は1891年の統計開始以降8番目に高い値となり、世界の年平均気温は100年あたり約0.68℃の割合で上昇しているそうです。

もしも、このまま地球の気温が上がり続けたら?私たちの生活はどう変わるのでしょうか。

地球上の生態系は大きく変わることでしょう。地球温暖化によって、海面の上昇、降水パターンの大きな変化による乾燥化の進行、台風・ハリケーンなどの熱帯性低気圧による洪水や高潮などの被害が心配されます。

人間に多大な影響があると予測されている地球温暖化…この一因を作ったのも人間であることは、ほぼ間違いないと言われています。人間の自業自得になってしまう?

 地球温暖化は世界全体で取り組む課題であり、私たちの生活にも直結します。そこで、地球温暖化と電気について考えてみましょう。

今年12月にフランス・パリで開催予定のCOP21(国連気候変動枠組条約第21回締約国会議)ひらかれます。

国際社会は2020年以降の新しい温暖化対策の枠組みに合意しようとしています。この「パリ合意」にむけて、各国が2025年/2030年に向けた新たな温暖化対策の目標案を国連に提出しています。

成果を期待したいと思います。

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2015年10月 3日 (土)

柿の実や・・・

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柿の実や 陽に累々の 赤黄色

爆弾低気圧の風雨で、柿の葉がだいぶ落ちました、今まで葉に隠れて見えなかった柿の実が、日光に赤黄色が、まぶしい位…四・五個かたまって見えてきました。

昨日は、空は澄み切った青…乾いた空気…近くに百舌が来ているような…のどかな日でした。

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2015年10月 2日 (金)

笑顔で挨拶を交わす町づくり

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最近、思うことですが、笑顔で挨拶を交わす町づくりを考えています。

町に住むことは、一人ひとり責任と義務があります。たった一人では生きていけない…と同じように、多くの人と関わりあって生きられるのです。人が集まって社会ができているのです。それが、ふるさと…になる人もいるでしょう。

「住んでよかった町はみんなでつくってできる」…その目標は「安全で、安心して暮せる」ことです。助け合い、支え合いは…責任の義務が発生します。

町(地域)づくり(住んで良かった)…はみんなの理解・協力なくしては叶えません。まち…町…街…安全・安心に暮していくには、その地域に住んでいる人の決め事(ルール)があります。それを義務を守ることが必須条件となります。

ルール無視、自分だけの価値観では、いい人間関係・住みよい町はできません。美しい自然を残し、美しい街になるのです。町には、お年より、新婚ほやほやの人、独り暮らし、小・中学生、幼児など幅広い年代層の人がいます。よいコミケーションをつくることが肝心です。

そして、一人ひとりが、自分が町に対し何ができるか…を考え実行することです。

今後のまちづくりを展望する時 に、少子高齢化、人口減がさらに進む… それに伴い、コミュニティ関 しては、共同体意識の希 薄化や高齢による活動の停滞などが懸念されることから、地域の 皆さんがお互いを理解し、支え合い、尊重ってそれぞの立場で役割もち、最 善を 尽くすことによって、「安心」・「安全」な暮らができるのです。そして、みんなが笑顔になれるのです。

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2015年10月 1日 (木)

清潔でうつくしいまちにしよう

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ポイ捨ては 貴方の心が 曇ります

今日も公園・広場のゴミ拾いをしました。

相変わらずタバコの吸い殻が落ちています。捨てることは、当たり前?それとも無意識?1日1個のゴミでも、10日で10個になります、それが10人になると100個になりなす。

八王子市は、全市…歩行禁煙です。

まちが汚れれば、あなたも、嫌でしょう。そして犯罪が起こりやすいと言われています。しっかりルール・マナーを守って、美しいまちにしましょう。誰もが笑顔のまちにしましょう。

清潔で美しいまちづくりには、市民の皆さん一人ひとりの日ごろからの心がけと行動から、市民一人ひとりが日常生活の場である家庭や職場で美しいまちづくりに心がけるとともに、地域においては、市民の積極的な参加のもとに、美化・緑化「快適な生活環境」をつくりを進めたいと思います。

八王子市片倉町一丁目町会は、「安心・安全で快適なまち」・「誇りと愛着のもてるまち」の実現をめざし、市民・来訪者の両者にとって「住んで良かった」街とするため、清掃活動を広く啓発・展開し、人と自然が共生する快適なまちづくりを進めています。ご理解、ご協力をお願いします。

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本当の幸せって何?

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本当の幸せって何?

幸福かどうかは、数字では表せないし、幸福は他人が決めることではありません。本当の幸せって何?…健康で人間関係も良好、しかもお金持ち?…それでも幸福感は10%と言う人もいます。

「幸せとは、自分自身の中に存在するものであり、感じるものです。そして他人と比較するものでもありません。」「不幸な人とは、幸せを理性で捉えようとし、感じる事の出来ない人です。」

国連の「Sustainable Development Solutions  Network」は、2015年度版の国別幸福度ランキングを発表しました。果たして日本は何位なのだろうか? 結果は…以下の通りです。

2015年版の国別幸福度ランキングは、世界158カ国を対象にして行われ、ランキングの元となったのは、2012年から2014年の調査データ。そのデータは、1人当たりの国内総生産、平均寿命、個人の選択の自由、汚職レベルの低さ、社会的支援などを考慮して順位を決めたものです。

北欧と日本の違いで大きな点といえば、社会保障と言われています。税金が高額であるから当然といえば当然ですが、病気にかかっても医療費は無料で、病気などで働けなくなっても収入は保証されます。

その上、教育にお金がかからないということなども大きいとされています。また、税金が高額で共働きが一般的な北欧諸国では、ヘルパーよりも安く家庭の面倒をみてもらえる制度を国が用意していたりもします。そして、労働時間が短いことも、理由としてはよく挙げられています。

これらのことが、ランキングの上位に北欧諸国が位置する主な理由として考えられていますが、国によって文化も価値観も多種多様ですし、一概にどの国が幸福かを数値で示すことも難しいです。

ちなみに、北欧諸国がランキングの上位を占める理由について説明している記事もありました。

1位はスイス、2位はアイスランド、3位はデンマークで前回と同じ、次いでノルウエーでした。アメリカは、15位、ロシアは64位

ちなみに、日本は46位。アジアのその他の国を見ると、台湾が38位、韓国が47位、香港が72位、中国が84位です。今年で3回目になるこの調査。順位に変動はあるものの、上位13ヵ国の顔ぶれは昨年と同じ結果だったようです。問題のシリアは、158か国中155位です。

内戦が続くシリア国民は、多くが難民として海外に、幸せを求めて国を捨てています。昨日行われた、考え方の違いが表面化したシリアのアサド政権に対する米ロ首脳会談でも、考え方の違いがあります。

アメリカのオバマ大統領のアサド大統領の後退を支持し、プーチン大統領は、シリアやイラクに勢力を拡大する「イスラム国」など「過激派組織に対する防壁だ」と、逆に政権支援を明言しています。

世界平和は、程遠いのでしょうか…

ウクライナ情勢などを巡って対立する米露首脳は、「イスラム国」の早期掃討が重要だとの認識では一致している。しかし、アサド政権を関与させることの是非に関して、溝は埋まっていません。

格差・と環境は、関連性があり、まさに、一国だけで解決できない問題で、地球上の暮す人間の一人ひとりの考えなければならない問題です。格差問題で苦しんでいる国・人をどう救っていくかが、本当の幸せの答えになるのだと思います。

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