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2015年6月

2015年6月30日 (火)

考えても仕方ないことは一切考えない

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数えで103歳となる現役の美術家・篠田桃紅さんの著書「一〇三歳になってわかったこと 人生は一人でも面白い」ベストセラーとなっているという。

今朝のNHK…おはよう日本で、現役の美術家・篠田桃紅さんの著書「一〇三歳になってわかったこと 人生は一人でも面白い」紹介されました。

篠田さんの元気の秘訣

.考えても仕方ないことは一切考えない。

2.いつも何かに夢中になる。

「若竹のようでいらっしゃる」…背がすらりと高いしゃっきりとした着物姿の桃紅さんは、何処となく、容姿が92歳で亡くなった義母に似ているように思えました。

「この歳になると、誰とも対立することはありませんし、誰も私とは対立したくない。百歳はこの世の治外法権です」という。

治外法権とは大変ユーモラスなたとえのように思う。しかし桃紅さんがその境地に達するまでの孤独に徹した道のりは、実に厳しいものがあったことを考えずにはいられません。

プラス思考で…

様々な理不尽の状況は全て自分の弱い心が招いています。さらに、そんな周りの影響から次第に自己嫌悪や自暴自虐になってしまう事もあります。

自分自身に自信がない。自分自身が嫌いだ。自分を否定する気持が続くとやがて「うつ」や「引きこもり」などの様々な社会恐怖症を引き起こしてしまう事もあります。

また心ばかりではありません。体調が悪く病院に行ってもどこも悪くは無いと診断されたりすることも…心が体に悪影響を及ぼしているのです。また、ストレスで本当に心臓病や様々な内臓疾患を招くこともあるようです。

ネガティブな感情に支配された心は、エネルギーが低下します。 やがて肉体的には免疫力の低下が起こります。そうなると様々な病気を引き寄せてしまいます。 本人は望まなくても、「がん」「心臓病」などをはじめ様々な病気を引き寄せてしまう事も…考えられます。

番組を見て、さまざまな悩みは…プラス思考で生きねばと思いました。

 

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環境を守ることは人間に課せられた喫緊の課題

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自然環境を守ることは、命を守ることです。

私たちの食べものは、地球という生態系があって生まれています。農業、漁業、畜産業…どれをみても、自然の生態系がもたらす恵みを、私たちは食として与えてもらっているのです。自然環境を守ることは、自分自身の命を守ることでもあるのです。

近年…竜巻・大雪・豪雨・熱波などで地球の異常現象が多発してると感じている人は多いと思います。

地球温暖化…昨年のペルーのリマで行われている国連気候変動枠組条約第20回締約国会議(COP20)に際して、世界平均気温が観測史上最高となる…世界気象機関(WMO)により発表されました。

日本を含む北西太平洋域の二酸化炭素濃度の状況 ~過去最高を更新、年平均値で初めて400ppmを超える~ (H27/5/28 気象庁発表)など深刻な状況になってきているのです。

地球温暖化を緩やかにするために私たちにできること…誰にでもできる身近なことから、二酸化炭素の排出を減らしていきましょう。…(気象庁)

地球温暖化対策の中で一番大きな課題が二酸化炭素の排出量の削減です。二酸化炭素の排出量を減らすには化石燃料の消費を減らす必要があります。

日本の二酸化炭素排出量の約2割は、給湯や暖房、調理のためのガスの使用、電気製品の使用、それに自家用車の利用などにより、わたしたちの日常生活から排出されています。

カーテンによる太陽光の調節やクールビズ・ウォームビズによる冷暖房機に頼らないすごし方の工夫、冷房・暖房の温度を控えめに設定する、シャワーを流しっぱなしにしないなどにより、燃料や電力の消費を抑えましょう。

ポットやジャーの保温を控える、電化製品の主電源をこまめに切る、長時間使わない時はコンセントを抜くなどにより、節電を心がけましょう。家族が同じ部屋で団らんすると、暖房と照明によるエネルギー消費を2割減らすことができると試算されています。

通勤や買い物の際に自家用車の使用を控えて、バスや鉄道、自転車を利用したり、自家用車を使うときもアイドリングストップなどの「エコドライブ」を実践しましょう。

自然環境を守る、里山の重要性…

里山には様々な樹木があり、それらの樹木はとても大切な役割を持っています。まず、里山の樹林は「緑のダム」と呼ばれるように雨水をダムのように貯めて、ゆっくりと川に流す働きがあります。さらに、雨水が土壌に浸透する過程で水質が浄化される働きもあります。

次に、樹木等の根が表土を安定させます。これらの機能によって洪水や水の枯渇、土砂の流出が防がれているのです。また、そして、里山は様々な生物が棲む場としての機能を持っています。

これは里山に樹林、草地、水辺といったような様々な環境があるからです。これらの環境は人の手によってつくられ、維持されたものなので、人が関与していかなければ守っていくことはできません。これらの機能を有効に発揮させるためにも、人が手入れを行い、里山を保全する必要があります。

 

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2015年6月29日 (月)

自他一如

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自他一如

世の中の道理…自然の有り様…自己中心的に生きようとしても、生きていけないということは、人は理解していますが…知らず知らずのうちに自分を中心にして、自と他、生と死、愛と憎など、言葉に独立した実体が存在するかのように考え、分け隔てをしてしまいます。

けれども、自己中心の生き方しかできないのが、私たちです。本来は自他一如であるはずだと、頭では理解できても、実際の生き方としては難しいことです。人権やプライバシーにかかわる問題が多いのも、このためでしょう。

しかし、すべてのものは互いに因となり縁となり、生じては滅していきます。他のものと分け隔てられ、それ自体で独立自存できるような実体的な、ものは何一つありません。

この私の存在も、他の一切を私の成立根拠として宿しており、私の中に他人が、他人の中に私が宿っています。他人と切り離した自分というものは、分け隔ての心のはたらきによる抽象的な自分の影に過ぎません。

あらゆる分け隔てを超えた世界では、自と他、生と死、愛と憎といったものは一如であり、そのまま安らかな世界なのです。

この世では、すべてのものが個々に存在しているように見えますが、すべてのものはどこかで何らかの形でつながっています。人とどこかで、社会とどこかで、自然とどこかでつながっています。

だから、どこまでが自分で、どこからが他なのか、本当のところはよく分からない、本来は自他の区別がなく、自他一如の世界なのかもしれません。

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2015年6月28日 (日)

四摂法(ししょうぼう)

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仏教に四摂法(ししょうぼう)…【人々や集団をまとめる(摂)ための手段、方法のこと。】の教えがあります。

1.布施… 2.愛語…3.利行 …4.同事…

「布施」…自分のためではなく、他の人のため・世の中のために何かを行うことです。

「愛語」…どんな人に対しても、その人の事を第一に考え、その人のために愛語なる言葉をかけることです。

「利行」…他人の利益になることに、力をつくすことです。

「同事」…相手のことを思い、相手と同じ立場に身をおき、行動を共にすることです。

自分が幸せになりたいと思うならば、他を幸せにすることです。他を幸せにできないで、自分の幸せはありえない、これは世の中の真理です。このことにまず気づくことでしょうか…

この世で一番美しく尊いものは慈しみの心と行為です。自分のことはさておき、周囲のものの真の幸福のために、ほとけ心をおこすことです。他を幸せにしたいとの願いをいつも心に思い続けることです。

自らが幸せになりたいと思うならば、他を幸せにしない限り、自己の幸せはない、人間は欲があるから生きられるのでしょうが、心清浄にして、自らが自らを苦しめることになる強欲の心、すなわち煩悩を離れることが肝心です。

他を幸せにするためにエゴを捨てて悩み苦しむ人を救う利行は自他ともに幸せになることです。

 

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2015年6月27日 (土)

草しずく

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静けさや 短夜の朝の 草しずく 

昨日から降り出した雨は、

今朝まで降り続いていました。

 東京地方は、九州地方のようなな

雨は梅雨に入っても降っていません。

今朝我が家の庭の芝に、

雨のしずくが光っています。

もなく霧雨がふっていました。

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向う三軒両隣の精神

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日本には昔、「向う三軒両隣」といって、最低近所付き合いは当然としてお互いが何かと助け合ってきた良き習慣がありました。

そこには、信頼と安心によって結ばれたコミュニティー存在していました。味噌がなくなったといっては隣に駆け込み分けてもらい、子供をちょっとあずかってくれと頼まれれば快く自分の子供同様にかわいがるといった風情があったのです。

戦後、アメリカ的思想や習慣が、導入し、今や悪いことに、自己中心主義の思想が多くなってきたように思います。日本の習慣、風習は野暮で時代遅れと言わんばかりに捨て去ってきました。

自己中心主義…(ウキペディア)

自分自身を物事の中心と定義して、世の中の物事を解釈する(本人がそれを自覚していないことが多い)こと…また、そのような考えを元に他人のことを考慮しない行動をする性質のこと…単に自己中心、これを強調的に指す場合は自己中心的とも言う。

自己中心(ジコチュー)的な考えで良いはずはないわけで、昨今のいろんな事件をみてもこの考え方に起因しているのではと思ってしまいます。

まずは、自分ありきが先で、他人はどうでもよいという傾向の強い考え方から方向転換をしないといけないのではないでしょうか…

「向う三軒両隣」の助け合い精神を復活させる…

日本は古来より「向う三軒両隣」という思想があります。この手法を応用することによって、良いアイディアを発想し、お隣・ご近所との友好を保つことができるのではないかと思います。

意見の異なる人が接触すると、そこにぶつかり合いが起こります。お互いが自分の「正義」を主張するだけでは争いが永遠に続きます。どこかで折り合いを付け、また普段から信頼関係を築いておく、というのが「向う三軒両隣」で、和を重んじる日本人が編み出した知恵といえるでしょう。

困った時はお互い様

自分が困っている人を助ける時に、その相手に気を使わせないように言う、気遣いの言葉だです。

困ったときには、遠慮なく助けを求めることですが、日ごろから、「向こう三軒両隣」の精神で「お付き合い」をしていると…心から安心できる生活ができるのではないでしょうか?安心・安全の生活は、誰でも思うものです。

 

 

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2015年6月26日 (金)

物で栄えて心が滅ぶ

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「物で栄えて、心が滅ぶ」…

薬師寺の管長を努めた高田好胤さんは、40年も前に「日本は物で栄えて、心が滅ぶ」という言葉を残されました。

昨日の新聞で「14年度税収53兆9000億円台…17年ぶり高水準」・「日経平均株価、18年半ぶり高値水準 ITバブル超える」…活字が躍っていました。

だが、一般庶民は経済が良くなって暮らしが楽になったという実感がない人が多いのではないでしょうか…しかし、日本は世界の中では物質的にとても恵まれた環境にあることは間違いありません。

思うに…清らかで美しく親切で心豊かなかつての日本人の面影は少しずつ消えていると多くの識者たちは指摘をしています。まさに「物で栄えて、心が滅ぶ」状態です。

我々は今「日本を覆いつつあるモラルハザード(道徳的・倫理的な退廃)をどのようにして払拭するか」という深刻な課題に直面しているのです。人間にとって、教育にとって一番大切なものは何でしょうか…

“知育”も“体育”も大切です。しかし今一番大切なのは「心の教育」すなわち“徳育”だと思います。豊かな情操を養う人間性の教育です。

40年以上も前に指摘をされた「日本は物で栄えて、心で滅ぶ」という指摘があながち間違っていない…そんな思いが私たちの心の中に生まれつつあります。心の荒廃を食い止めなければならなと思っています。

現代人は余りにも即物的で物に頼りすぎ、見えざる存在に恐れを感じたり、畏敬の念を懐くことも忘れてしまったようです、「物で栄えて心で亡ぶ」という現実を直視し、反省しなくては…この世知辛い世の中に潤いを取り戻していくことは、難しいように思います。

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2015年6月25日 (木)

こころざし教育

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「豊かな生活」に、浴している現代人は、ややもすると、人としてやってはいけないこと、社会の決まりを守ることなどについて考えることが少なく、自己中心的な思いによる大きな事件がおきています。

21世紀に生きる日本人に求められるのは、多くの知識や技能に加えて、この地球上の様々な問題を世界の人々といっしょに解決しようとする強い気持ちをもつことです。

しかし、今の日本は、生活は豊かになりましたが、その一方で人としてやってはいけないこと、社会の決まりを守ることなどについて考えることが少なく、自己中心的な思いによる大きな事件がおきています。

日本の伝統であるきめ細かな感性や道徳性(公共・正義・礼節)などに生活のなかでふれることも少なくなりました。

むかしから、未来の日本を担うこころざしと意欲をはぐくむ「こころざし教育」があります。

 「立志は、万事の根源なり(将来についてこころざしをもつことがすべての始まり)…という昔の人の言葉があります。「こころざし(夢や目標)」は、人が行動するための大本です。

「志」は、文字どおり「士」(さむらい)の「心」(こころ)と書きます。また、その意味は、「心に決めて目指していること。また、何になろう、何をしようと心に決めること。人に対する厚意。人を思う気持ち」です。

「志」は、「世のため、人様のため」という気高い思いや理想がその背景になっているという点で、「自己のため」である「夢」や「希望」とは異なっています。

他者への配慮を持ち、公(社会)のため、人様のために私利私欲を捨て、奉仕の精神を持ち、心に決め、物事を成し遂げようとする決意を合わせ持つことこそが、「志」の意味するものなのです。

「志」を育てるためには、まず、家庭で・学校で、人は「社会的存在として成り立っている」という事実を教えなくてはなりません。

自己も大切ですが、自己の存在を、日常の社会生活の中から生じている事象や、関係づけの中から理解することこそが大切なのです。「自分の人生はこうありたい」「こんなふうに生きていきたい」という心のもちかたこそ「こころざし」なのです。

若い今こそ、地域や日本そして世界の人々のために力を尽くそうとする信念「高いこころざし」を立てるときです。

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2015年6月24日 (水)

自然の摂理

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摂理とは…

自然発生的に生まれ、よく均衡が保たれているシステムを神の御業に例える慣用表現。(ウキペディア)

自然の法則…

この地球で起こるすべての現象は一定の法則があります。地球はエネルギーの恩恵を受けている太陽の周りを回っています。そこには引力があり、空に向かって物を投げても、また地球のほうへ落ちてくるという、大宇宙には法則(万有引力の法則)があります。

その法則は人間の法則にも似ています。ただ、地球は見えない太陽光線によってエネルギーを受け、崩壊の法則(地震、台風、津波、など)により力強く生きているのです。

一方人間は、脳によって発せられたエネルギーが、全身に張り巡らされた神経組織によって各組織細胞へ伝達されて活動しています。ただし、人間は崩壊の法則ではなく、構築の法則によって成り立っています。

自然の摂理(自然が持っている逆らえない法則)…

現代ではもとの意味から離れて理性のレベル、判断・分別のレベルで捉えているようです。従って、神の意志だとか自然界にはたらく理法だとかと言われ、私たちは、分かったような、分からないような、いろいろと説明されても、どうも釈然としない気持ちです。

例えば、美とか信仰の場合でも、それらを言葉で説明されてもどこか釈然としないのと同断です。美とか、信仰とかは、生きた働きそのもので、自らが体験して初めて感動をもって納得できるものなのです。頭で解っても、本当の意味での理解にはなりません。

摂理や恩寵(めぐみいつくしむこと)にしても、キリスト教者が信仰を通して得た宗教的体験に根ざしているのだそうです。敬虔な信仰生活のなかに神を感じたというようなことでしょう。つまり、そこに神の意志を感じたということなのです。

言葉にも、もとはそのように驚嘆や感動など心の生きた働きがあったのが、いつの間にか理性で捉えるだけの死物と化してしまったのがたくさんあります。摂理も、現代ではそのような言葉の一つと言えるでしょう。

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今を生きることに感謝

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今を懸命生きる…

取り越し苦労をするのは、今を一生懸命生きていないからだです。「明日食うにはどうしたらいいだろう?」とも悩んでいないはずです。

将来に夢を持って今を生きる…

取り越し苦労、持ち越し苦労をしている人は、今を一生懸命生きていない人です。今目の前のことを一生懸命やっていたら、取り越し苦労も持ち越し苦労もしないはずなんです。

将来が不安な人は、明確な夢をもっていないからです。 将来の理想の自分の姿というのが明確じゃないんです。だから、どうなるかわからくて不安なんです。

将来の理想の自分の姿が明確にイメージできてる人は、その理想に向けて毎日を生きてますから、困難や問題にぶち当たっても 落ち込む時があっても、必ず乗り越えていけます。

「人生はあっという間だ」とよく言われます。多くの人がなぜか年を重ねるごとに時間の加速を感じるようになります。やりたいことが何もできないままに一生を終える…?。

私は、子供・孫がいます。おかげさまで、みんな元気で暮しています。自分自身は老化が進んでいる事を認識するようになって来ましたが、「今が幸せ」と感謝の気持ちを持って日々を送っています。

感謝の日々を送る…

私がこれまで、先祖・両親があって生きてこられたのです。そして多くの人に支えられて生きていられるのです。ですから、感謝の気持ちを持って生きています。これからも感謝の気持ちを持って生きて行きたいと思っています。

年齢は勝ち負けではありません。寿命から逆算して減っていく人生の残り時間を惜しみおびえるのではなく、また新たな一日をもらったと感謝の思いで臨みたいものです。"

日野原先生の言葉…

年齢を重ねると、もう何もかも引退して、何も新しいことに挑戦しようという気持ちを失いがち…

でも今日も一日生きることができたことに感謝して、出来ることなら明日の朝も新しい命を与えられますようにと祈るような気持ちで一日を終わりたい。

 

 

 

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2015年6月23日 (火)

国会95日間延長…

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安全保障関連法案は、「違憲」をどう理解できるか、国の根幹に関わる大きな問題です。国会95日間延長して、その結論が、大変に気になるところです。

朝日新聞の世論調査で安倍内閣支持率39%だったという。安全保障関連法案への賛否は、「賛成」29%に対し、「反対」は53%と過半数を占め、同法案が内閣支持率に影響したとみられるようです。

憲法と関連法案の関係

国民の生命、自由、幸福追求に対する国民の権利を政府は最大限尊重しなければならない。憲法前文、そして憲法13条の趣旨を踏まえれば、自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛の措置を採ることは禁じられていない。

先の衆院憲法審査会でも、長谷部恭男・早大教授ら3人の憲法学者がそろって、すでに確立している政府の憲法解釈を時の内閣が一方的に変更してしまうことのおかしさを指摘した。

西修・駒沢大名誉教授は「限定的な行使容認であり、明白に憲法の許容範囲内だ」と述べた。西氏の主張は、日本は集団的自衛権を認めた国連憲章を受け入れており、憲法も明確に否定してはいないというものだ。(朝日新聞6/23社説)

安倍首相はきのう参議院決算委員会で、「その時々の国際情勢を見て、具体的な対応を考え抜くことを放棄するのは、国民の命を守り抜くことを放棄しているのに等しい。」と述べた。

昭和47年の政府見解にしがみついていれば、国民の命や国土、領海、領空を守っていくことができるのか、考え抜いていく責任を放棄してはならない」と述べ、憲法解釈を変更して集団的自衛権の行使を可能にする必要性を強調した。

歯止めをなくして、日本が戦争をするかどうかを政府の裁量や判断に委ねていいと考えている国民は誰もいないでしょう。歯止めが不明瞭→気がついたら戦争→気が付いたら→「戦争真っ只中に」なってしまうのではないでしょうか?

日本は戦争する→徴兵→戦死者→靖国……のイメージ浮かぶ人が多いと思います。また、歯止めの判断が難しいのではないでしょうか…そして、引くに引けない事態になることが想定されると思います。

世界の動きは、刻々と変わっているのは分かります。特に日本の周辺では軍備増強をいる国は確かにある。軍備は抑止力?…だから、国民の生命と財産を守るためには、集団的自衛権を(限定的)にと言うが、その判断が超難しいことになる?

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2015年6月22日 (月)

人は誰でも孤独です

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人は誰でも孤独です。

愛する人がいる、頼れる人がある、信頼できるパートナーがいる、家族がいるからといっても、所詮、人は誰でも自分一人だけ、孤独です。

愛と希望があれば人は生きていけるというけれど、自分で自分を見失ってしまいそうな時があります。幸せな人生を生きる道標として、何をよりどころとして生きていけばよいのか、進むべき方向さえも見つけられずに、不安な日々を過ごすこともあります。

人は何が幸せであり、どのような時に幸せだと感じるのでしょうか…はっきりいえることは、だれでも絶対に死ぬということです。だから自分が「生き甲斐」を感じる時が幸せだということだと思います。

水に気体、液体、個体の三態があるように、人間にも三態がある。川北義則著より

○ 他人と関わる自分
○ 一人だが外に意識を向いている自分
○ 一人で内に意識を向けている自分

もっとも大切な「ひとり」は「一人で内に意識を向けている自分」であるにもかかわらず、いまの若者はそれに、になりたがらないという。

社会と関わっていくには、「他人と関わる自分」・「一人だが外に意識を向いている」があればいい。しかし、「一人で内に意識向けることが大切」である。理由は、孤独を特徴とするこそが人間の本質だからです。

しかし、だからこそ思い切って意識的に「ひとり」になってみるべきだという。他人とつながってうれしいのは、寂しさが癒されるからだし、一人で他人のことを思っていれば寂しくない….そういうことを深く理解するためにも、もっと「ひとり」を味わった方がいい…と言う。

「人間は一人で生まれ一人で死んでいく…大勢の中に混じっていたからって孤独になるのは、わかり切ったことだ。」…田山花袋

人間は生まれるときも死ぬときもひとりです。それが人間の本来の姿だと思えば、孤独を憂い嘆くことはないのです。大勢の中にいないと寂しくてやりきれないという人がいます。孤独を恐れて自主性を失うと、「小魚は群れたがる」という状態になり、個性のない人間になってしまう。

所詮、孤独を逃れられぬ人間ならば、孤独を愛し、自由・自主の精神を大事にして、個性豊かな人物になるようにしたいものです。

「君子は和して同ぜず。小人は同して和せず」(『論語』)と孔子はいう。

 

 

 

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2015年6月21日 (日)

環境を考える

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八王子市片倉町の兵衛川と湯殿川の合流地点

人間はより高度な生活を追い求め続けています。

 そのことにより、限られた地球の資源を貪り尽くす勢いです。まだ、残念ながら、自我の欲のため、生命の危機が迫っていることに、気付いていない人がいるようです。

そして今、世界には環境、貧困、人権、平和、開発といった様々な問題が発生しいます。そして、核まで考えた戦争まで考えている国さえあるのです。

ESDとは、持続可能な開発のための教育(ESD:Education for Sustainable Development)これらの現代社会の課題を自らの問題として捉え、身近なところから取り組む…(think globally, act locally)ことにより、それらの課題の解決につながる新たな価値観や行動を生み出すことが大事になってくるのです。

そしてそれによって持続可能な社会を創造していくことを目指す学習や活動です。子供だけでなく大人にとっても、新たな発見があり地球の未来を考え、行動するためのヒントを与えてくれるのです。

地球の明日のため、自ら考え行動を起こして欲しいのです。

人のゴミを拾う所までモチベーションは上げなくても最低限自分のゴミは何とかしよう。時々、個人的にゴミ拾いをしていて思うこと気づくことがあります。

ゴミが放置されると、当たり前のことですが、もっと汚されます。有名な話で割れ窓理論(ブロークンウインドウ)があります。「建物の窓が壊れているのを放置すると、誰も注意を払っていないという象徴になり、やがて他の窓もまもなく全て壊される」…ということです。

ここで、言いたいのはゴミを放置しておくと無意識に、ここは汚しても大丈夫なところという感覚が生まれる…ということです。自分の出したゴミを適切な場所に片付ける意識を持ち、行動するだけで街は必要以上に汚れないのです。

面倒?…数十メートル先にゴミ箱があるのに…↘(捨てる)

人が見ていないから隠す?…道路の植え込みやベンチの↓(捨てる)

それらの行動真理は、少しの罪悪感があるからです。しかしそれが常習化することで、恐ろしいことになるのです。植え込みは枯れ、下水は詰まって汚水が溢れてしまう…という結果になのです。

私は毎日ゴミ拾いが出来ているわけではありませんが、気付いたら拾うようにしています。勿論、自分が出したゴミは持ち帰るなり、きちんと処分することを実践しています。

一人の人が一個のゴミを、100人が捨てれば100個になります。それが一週間で恐ろしい結果になるのです。私はそのまま放置したら、生きることさえおぼつかなくなると…と思います。

気がついた遅かった!…環境取り戻すには、大変な時間と労力が必要となってきます。町がきれいであるということは、生きることは素晴らしい!と感じる筈です。

『ゴミを拾う」みんなやった方がいいとは言いません。「ゴミはキチンと処理する」ことは、現代人にとって、とても大事なことだと言う事です。

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2015年6月20日 (土)

18歳選挙権と環境問題…

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環境問題…待ったなしです。

地球環境を保全し、持続可能な社会を構築することは21世紀の人類最大の課題であります。

近年における地球環境問題の深刻化は、我々に改めて地球の有限性について気づかせると同時に、大量生産・大量消費・大量廃棄型の現代文明と生活様式の在り方に問いを投げかけています。

私は、「環境教育」・「規範意識」の高めることしかないと思います。

環境教育については、学校だけでなく、地域社会においても、様々な学習機会を提供するなどの取組を進めるべきです。

地域社会における環境に関する学習機会の提供の取組を進めるためには、学習活動の場の充実、学習機会の拡充や情報の提供などについて充実する必要があると思います。

環境に対する問題意識を持つ…

若い人が、責任感・危機感も持つことです。選挙権年齢を18歳以上に引き下げる改正公職選挙法が17日午前、参院本会議で全会一致で可決、成立しました。

公衆道徳…(社会生活を営む一人一人が守るべき社会的規範)の再認識し、私は、若い人が率先して環境問題を考え・教育指導…そして自ら自分の事として実践する…ことによって地球環境は改善できると信じています。

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谷戸の里

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谷戸の里 燃えるがごとき 草木かな

谷戸(やと)とは…山あいにある畑とか田んぼがあり、人の住まい(集落)あるところ…むかし私が住んでいたころに近くに「富士谷戸」と呼ばれた場所がありました。

今では住宅の開発が進んで少なくなりましたが、多摩丘陵地などの浸食されて形成された谷状の地形です。また、そのような地形を利用した農業とそれに付随する生態系を指すこともあります。

多摩丘陵のハイキングコース、八王子市の御殿峠から野猿峠・平山・南平・百草園~日野市の高幡不動までのコースがあり、何回か歩きました。

昨日は東京地方は一日…雨でした、そして寒くらいでした。今日は朝から晴れていますが、夕方から雨という天気予報です。

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2015年6月19日 (金)

ホトトギスの鳴く頃

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みじか夜や  ホトトギス鳴き 目を覚ます

キョキョーキョ・キョキョーキ

今朝、甲高い鳴き声は、朝一番に雨戸の向こうから聞こえてきました。

一年で一番夜が短い(二十四節季芒種…6/6~6/21)・・・

麦の穂の満る頃で麦秋とも言われています。

今では私のまちには、田んぼなくなりましたが、昔の農家では、田植えが真っ最中の時期だった頃を思い出します。代掻き・苗取り・箕の傘の田んぼの風景が…懐かしい。

ホトトギスは主にウグイスの巣に卵を産込み、ヒナを育ててもらいます。そのため、ウグイスが生息している場所に渡来すのだそうです。

今日は朝から雨が降り続くそうです。

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安心して暮せる国にするには…

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「安全保障関連法案」…法案が違憲という学者と違憲ではない安倍政権が真っ向から対立しています。自民党の高村正彦副総裁が「憲法学者の言う通りにしていたら日本の平和と安全は守れない」 などと発言していることに…

憲法学者の長谷部恭男早稲田大教授は、「法案は日本の安全を危うくする。確実に安全を守りたいなら、ぜひ学者の意見を聞くべきだ」と語った。「違憲ではないという学者はたくさんいる」…菅官房長官の辻元民主党議員との国会質疑があった。

「このけんかは買うしかない」…

「学者の言うとおりにして平和が守れるかとけんかを売ってきた。このけんかは買うしかない」と山口二郎法政大教授(政治学)が語気を強めた。分野を横断した学者でつくる「安全保障関連法案に反対する学者の会」が15日に東京都内で開いた記者会見。ノーベル賞受賞者の益川敏英氏も呼び掛け人になっている。

安全保障関連法案に反対する声明に賛同する学者の数が3000人を超えた。憲法研究者の「違憲」との指摘をきっかけに広がった動きは、学者の見解を軽視するかのような政治家の発言が出たこともあって、さらにボルテージが上がっている。

ミリタリーバランスで平和は保てるのか…

ミリタリーバランスとは、侵略をしても得にならない状態を作り上げることです。これは、なにも相手と同等の戦力を保持することではないのです。相手が侵攻しても割が合わないだけの戦力をもつということ…

「露の核配備表明 時代錯誤の危険な脅し」

毎日新聞社説(6/19)…またもや核の脅しである。ロシアのプーチン大統領が、年内に40基以上の大陸間弾道ミサイル(ICBM)を新たに配備する計画を明らかにした。欧米に力で対抗する姿勢を見せるために、核戦力を威嚇の道具に使うことは許されない。

日本を取り巻く、状況は激変している…

中国の海洋進出・軍事費の増強と北朝鮮の核ミサイルの装備など、日本を取り巻く状況は、厳しくなっている事実があります。

平和という段階は現在は非常にむずかしく、とりあえずは個々の国が安全な状態をつくっていき少しでも状態をよくしていくしかない?…まだ分からないです。

 

 

 

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2015年6月18日 (木)

美しいまちづくりのこと

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みんなでつくろう!美しく住みよいまち

道路や公園などの清掃は行政が管理業務の一部として行っていますが、限られた財源の中で行き届いた清掃作業を行うことは困難な面があります。また、モラルの低下によるポイ捨てや不法投棄の増加により、美しく快適な環境が損なわれています。

美しく住みよいまちづくりを進めるには…「自分たちのまちは自分たちでつくり、その結果を共有する」という地方分権時代にふさわしい新しいまちづくりが必要です。

私たちが安心・安全に暮せる“まち”にするには、防災・防犯・交通などは、一番に大事なことです。そのまちづくりの第1歩は、自分たちのまちを自分たちの手できれいにすることから始まります。

それには、ゴミ拾いなどの小さな事から始めることです。それが、美しく住みよいまちをつくり、後世に伝えていくことにつながるはずです。一人でも二人でも、ゴミ拾いを始める・そして大事なことは自分に家の周りを点検し、何時もきれいにすることです。

家の周りが美しくなり、道路や公園など公共施設がきれいになれば人は笑顔になります。そしてお隣、ご近所の方と素敵な笑顔になるはずです。道路や公園の掃除は役所の仕事ではありません。住んでいる人のモラル次第で誰もが気持ちよく安心して暮していけるのです。

むかしよく言われていましたが、「繕いはし小さいうちに修繕すべし」忙しいから~“しない”では、修繕は大変になる…ということです。小さいうちにすれば、手間がかからず…まち全体が気持ちよい、まちになるはずです。

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公園の空き缶で思う

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昨日の午後4時ごろ、公園(八王子市片倉町=時田公園)で、母親と子供の二組(たぶん、お母さん同士が友達)でそれぞれが幼稚園児ぐらいのお子さん連れて、ベンチで話していました。昼ごろから雲行きが怪しくなり黒雲からポツポツ雨が降ってきたのです。

「すみません・その空き缶を処分して貰いませんか?」

と、声をかけるべきか…お母さんたちの行動を見守るべきか…迷いました。結果的には、声をかけず、その空き缶はそのまま…(空き缶は、前からあったのかも知れません)

フェンスの遠くで眺めていましたのですが、お母さんたちは、ベンチの下に空き缶が5・6個あったのですが、そのまま急いで子供の手を引いて、その場を後にしたのです。私は公園に入り拾って処分しました。

公園はみんなで使うもの…後で使う人のことを考えて…地域の人々に気持ちよく使うことが求められていると思います。お子さんにも公衆道徳を身をもって教える…大変大事なことです。

「子は親の背中をみて育つ」と言われます。公衆道徳は、紙に書くより、「実践で示す」ことが教育効果があると思います。

最近言われていますが、自分さえ良ければの…「自己中心主義」が問題となっています。「人を思いやる」「人や自然に優しさ」はとても大事なことです。

最近、青少年の引き起こす、むごたらしいさまざまな凶悪犯罪が多発しています。その人の、幼き頃の育ち方と、親の子育ての延長線上に、それらの凶暴な犯罪が生じたのではないかと思えてなりません。

子供を育てるにも親はまず言葉より、行いを実践で示したいものです。子供が、片付ける・責任感を持たせる…これが道徳教育の基本です。

親の行動をみて「善悪」の判断できてきます。子供が自主的に善い行動をとるようになるのです。そして我が子をしかり、我が子をほめる…いつもあたたかい親子の心のつながりが生まれてくるはずです。

でも親のエゴでの子育て、幼児虐待や躾のあまさ、偏重教育等々、子供の心が癒されないと、情緒不安定でゆがんだ人格が形成されていくそうです。心豊かな人は、自然な動作をします、自分自身の心の安らぎをとりもどせます。

人は、多くの人と関わり合って生きていけるのです。共に生きていることの幸せを感じて喜ぶことができる人は、ほんとうに幸せな人でしょう。

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2015年6月17日 (水)

マナーを考える

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マナーとは…

自分とみんなのための立ち振る舞い、生活の仕方のことで、一般的には、その場その場においての作法であったり、その文化で生きるときの行儀のことです。

例えば、誰かと会話をするとき、誰か人と会うとき、誰かとものを食べるとき、自分がやりやすいように、そしてほかの人が不快にならないように気をつけることです。

また、ある国の文化において、こうした方が美しいであるとか、素晴らしいであるとか、気持ちが伝わるであるとか、そのような行儀があります。これらの、ある意味空気を読むであるとか、常識的に考えた結果がマナーと呼ばれます。

マナーを守って、社会の秩序維持…

集合住宅での居住者間のマナー、駅や交通機関でのマナー、飲食店内など子供を連れての利用マナー、ペット愛好家のマナー、そして喫煙マナー、いわゆる公共の場でのマナーは守ることを求められているマナーだと判断できます。

悪すぎる故にマナー(公共)を守りましょうという社会風潮にもなっていると思います。
ところが、最近「○○はマナーです」と言いながら、「○○を守れとは言ってない」という主張さえする人が多くなったような気がします。

「マナーです」と言いながら…それが出来ない者に、その行為に言及しにくいのです。

マナーに反する、マナー違反、守れない、人によりバラバラです。反している、守れていないとまでは言いにくいという側面もあります…言ってしまうと余計な反発を招く可能性もありますから…

マナー違反者…

マナーというものは守る守らないは個人の判断に委ねるものだと思います。ただし、守らないと恥をかきます。恥ずかしい思いをしても構わないなら勝手にしろって感じです。

ただし、場所によってはマナー違反者を追い出す所もありますが、それはまあケースバイケースです。

大きな迷惑になる…

卑近な例…6月9日、JR京浜東北線鶴見ー新子安間を走行中の大宮発大船行きの普通電車内で男が男性客に対し、刃物を突きつける事件が発生しました。

優先席に男性が刃物を持った男が暴れた事件で、男は、隣席の乗客が使用していたタブレット端末をめぐってトラブルになったということです。

非番で別車両に同乗していた神奈川県警鶴見署員が銃刀法違反(刃物の携帯)の現行犯で、男を逮捕したという。

JR東日本によると、騒ぎに気付いた乗客がドアコックを操作し、電車は緊急停止。複数の乗客が線路に降りて避難し、同線や並行する東海道線などが一時運転を見合わせ、約3万5千人に影響したという。

マナー違反の行為そのものよりも大きな迷惑を起こすこともあります。

 

 

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2015年6月16日 (火)

雨に紫陽花

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雨に濡れ あじさいの花 艶を増し

雨に紫陽花……浴衣姿のおねーさん??似合うねー 

6月紫陽花の花は、何んと言っても 存在価値があります。

小さな我が家の庭にも、咲いています。

雨に濡れた紫陽花は、艶っぽい魅惑があります。

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戦争が起こる原因…考える

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「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制」の整備が必要…今、国会で審議されています。

「なぜ戦争はなくならないのか?戦争が起こる3つの原因」から…。

http://matome.naver.jp/odai/2140730775904390701 

そもそも戦争はなぜ起きるのでしょうか…古代アテナイの歴史家 トゥキディデスは…

戦争が起きる原因は3つしかない、それは「利益」か「恐怖」あるいは「名誉」だという。

 【1】利益

戦争は景気回復の為に起こされるということ…戦争が絶対に無くならない理由として、景気回復のカンフル剤として使用される。

最近の戦争は、単に領土を広げたり、国の名誉のためではなく、商工業の利益を世界的に拡充したり、その拡充を妨害されるのを防ぐために起こしている。兵器製造企業を抱える国家にとって、これ以上の貿易利潤を生みだす手段はない。

戦争を起こせば、どこの企業に(もしくは、どこの国に)利益をもたらすのか…残念なことに、武器の売買が多国間で活発になり、この10年で軍需産業は順調に成長した市場のひとつとなった。

【2】恐怖

抑止という言葉はあたかも緊張を緩和させるようなニュアンスが感じられるけど、結果的としてはむしろ緊張を激化させる。

軍事力を持って、抑止しようとしても、「威嚇」と同じ行為でしかない。相手も武装、抵抗をしてくる。 抑止という言葉はあたかも緊張を緩和させるようなニュアンスが感じられるけど、結果的としてはむしろ緊張を激化させる。

軍事力を持って、抑止しようとしても、「威嚇」と同じ行為でしかない。相手も武装、抵抗をしてくる A国がB国を恐れて軍備拡張を行います。すると、B国は軍備拡張しているA国を見て恐怖を覚え、負けじと軍備拡張を行います。結果として軍備拡張戦争が起こり、果ては戦争に繋がります。

【3】名誉

名誉軍人、警察官、消防士の名誉を守るのは国民の義務である。近年の戦争では、あまり、大きな理由とはならない軍人、警察官、消防士の名誉を守るのは国民の義務である。

近年の戦争では、あまり、大きな理由とはならない戦争と平和、名誉について もし戦争が起こったら、国のために戦うかどうかという国民意識には、先の大戦が如何に大きな影響を与えているかがうかがわれる。

名誉やプライドのために、行う戦争は近代では少なくなってきている。一方で、宗教による戦争は行われている。

 

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2015年6月15日 (月)

湯殿川の水質

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私たちの住む八王子市の館町・小比企町・片倉町・打越町・北野町・長沼町を西から東に流れる湯殿川は高尾山などの山々を源流とした一級河川です。

多くの湧水を有する潤いのある豊かな環境をもつ町です。また、これらの湯殿川は人々が自然と身近にふれあえる場としても貴重な財産です。

湯殿川…昔は、子供たちは泳ぎや魚捕りなどで格好の遊び場でした。そして洗濯、野菜を洗い、水車を回し、田んぼに水を引き苗を植える…湯殿川は近くの山と同じに、まさしく人々の生活の場でした。

だが、台風での大水などで川が氾濫し床上浸水もあり、水が引いた後に庭に魚がいたこと覚えています。そして、稲にも冠水し大きな被害もあった記憶があります。

昭和40年代から都市化による市街地の拡大などにより、雨水の地下浸透機能が低下し、湧水の枯渇や生活排水等による河川の汚濁、水辺空間の減少など、水本来の健全な水循環機能が低下しつつあります。

八王子市では、生活の安らぎを川・山の自然環境の取り戻し、市民の働きかけと理解と協力の結果少しずつ改善されてきたと思います。これからも健全な水循環の回復、やすらぎや貴重な自然体験ができる水辺環境の保全に力をおいた取り組みを進めなければならないと思います。

まだまだ、ゴミのポイ捨て・歩行喫煙をしている心ない人がいます。そのゴミが川に流れているの光景を見ますと心が痛みます。人が健康に生きるには環境保全が大切です。一旦汚しますと回復が大変です。環境保全は自分に関わることです。市民一人ひとりが、守る意識を持っていかねばと思うのです。

湯殿川 春日橋(A類型)…八王子市の調査結果(速報値)で、公表されています。

http://www.city.hachioji.tokyo.jp/seikatsu/25053/37486/37488/001932.html

 

 

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2015年6月14日 (日)

公園・広場はみんなで使う場所

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私たちの…「片倉時田まちの広場」近くにスーパーがあります。広場では、残念ながら空き缶や弁当の容器などを目にすることが少なくありません。

特に夜間、スーパーから買ってきて、広場のベンチに座り飲食し、そのまま放置…ということのようです。そうした行動に関しては、全く理解することができません。が、私たちがすべきことは拾うことです。他人の心無い行為を穴埋めするようなことに対する声も耳にしましたが、放置してしまえば自分たちのまちが汚れていくだけです。

今日、午後3時ごろスーパーの帰りに広場を見渡したらベンチに、食べ散らかしたゴミが散乱していました。広場には大人と子供たちがボール遊びをしていました。そして、水道の水場で子供たちが水遊びをしていました。その光景は、スーパーに買い物する大人たちは目にしている筈ですが…誰も片付けないし、注意もしないのです。

行き交う人々の公衆道徳の意識が低いのか、清掃活動なんか眼中にないのか?無責任な大人たちが多いということです。広場は町民みんなの使う場所です。そこには注意看板もあります。

犬の糞・ゴミの持ち帰り・野球などの禁止・ゴミのポイ捨て(タバコ含む)禁止などありますが、いずれも毎日のように、捨てられています。マナー・ルールは、守ってほしいものです。

八王子市は全市歩行禁煙となっていますが、タバコの吸い殻は、ありとあらゆる所に落ちています。恐ろしいことに、子供たちの広場や公園での遊び方で、注意して欲しい大人が、平気で汚していては、子供たちは、大人になって、公衆道徳はどうなってしまうか先が思いやられます。

公園・広場はみんなが使う場所です。自分が使ったら片付けて、後使う人が気持ちよく使えるようにして欲しいです。

ゴミを片付け、水遊びをしていた子供たちに「水は大事に使うものですよ」「もう止めなさい」と注意したら、素直に「ハイ分かりましたすみません」と返事がありました。良かったと思いました。

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自然を大切に

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植物や動物など自然を大切にしよう!

山にいる鳥や動物・昆虫と、川にいる魚や昆虫そして海にいる、魚・動物・貝などのすべての生き物を大切にすることは、人間にとっても大変大事なことなのです。

自然と共生…社会

「自然を守りともに生きる社会」のことで、人間と地球に生きるすべての生物がともに暮らすことができ、自然からの恵みを受けつづけることができます。

空気、大地、川、海、そしてそこに生きる動植物など、すべての自然環境は地球という星のなかでつながっていて、どこかの環境に問題が起これば、必ず他の環境に影響がおよびます。

ですから、自然共生社会は、地球に暮らす一人ひとりが、身近な自然環境を大切にしないと実現できません。自然を大切にする。その約束を守ることができれば、地球は豊かな恵みをあたえ続けてくれるのです。

地球の自然環境はつながっている さまざまな生物の存在が、人間社会を支えているのです。

生物の多様性…

地球上には大変に数多くの生物が存在しています。また、それぞれが異なる環境に適応し、同じ種であっても、生息する地域や環境によって、少しずつ体のかたちや行動が違っていたりします。このことを「生物多様性といいます。

私たち人間は地球の長い歴史のなかで、生物からたくさんの恵みを受けてきました。毎日の食料はもちろん、木を燃料にしたり、家を建てたり、植物から衣服をつくることもしてきました。

また病気のときに飲む薬も約40%は自然界から得られたものを原料と言われています。

生物が多様でいられること…つまり生物が生き、自然が大切に守られることが、私たち人間の社会には必要なのです。

人間の勝手な行為(必要異常な開発・ゴミなどの無意識に捨てるなどなど…)は、やがては人間に大変な悪影響が及んでくる事を早く知ってほしいのです。

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2015年6月13日 (土)

足の裏的人間になれ

 

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坂村真民の名言 

尊いのは、
頭ではなく、手ではなく、
足の裏である。

一生人に知られず、
一生きたない処と接し、

黙々として、
その務めを果たしてゆく。

 しんみんよ、
足の裏的な仕事をし、
足の裏的な人間になれ。

頭から光が出る。
まだまだだめ。

額から光が出る。
まだまだいかん。

足の裏から光が出る。
そのような方こそ、
本当に偉い人である。

現代社会が抱えている課題解決の糸口が記されているような気がします。自分が良ければよい。他人のことなど考えない。こんな人たちが多くなってきています。

足の裏的な存在でありたいものです。「人に花あり 花に心あり」人にはそれぞれ良いところがあるのです。その良いところにはその人の心があるのです。

「人のために尽くす」ことは簡単には出来ないことです。

ですから、簡単なことから実行しながら、自分を磨き、研鑚を積んでいきたいものです。そのためには笑顔で人に接し、温かい言葉かけが大事であることを忘れてはいけません。 

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まだ修行の半ば

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最近どうも疲れる…どこがと言うことではない。頭から足に爪まで…「年だなぁー」と思うことが多くなった。

具体的には…頭がボーとして、考えがまとまらない。耳が遠くなった。目が悪くなった。手に何時の間にか打撲痕が現れる。懸垂が出来ない。足が上がらない。もちろん記憶力が落ちたと感じる。

まだ修行の半ば…ゴールは何時なのか分からないが人生道半ばであることは間違いない。確かに、頂上を極め…後は下り坂を下りるだけである。これからは如何に上手に降りるかが課題である。

自分の行く道は、自分にか選べない。精々人様に迷惑掛けぬように、人生を全うしたい。これからの道も修行である。苦しくても、泣き言を言わず…ただひたすらに…すべてを受け入れて、ゴールの見えない人生を送りたい。

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たべ物でもう一度「もったいない」を考えよう

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日本の食卓…家族のコミ二ティは、食事どきが大事です。

私は農家の生まれです。子供のころは、朝・昼・夕の食事は、家族全員で、丸いテーブルで食べたものです。揃って食べる習慣がありました。これは大事なことだと思います。

昔は、「ごちそうさま」のあとに、茶碗にご飯粒がついていると「もったいない」と叱られたものです。

ところが、今では食べ物の量も種類も豊富にあり、食事を平気で残したり、古くなった食品はポンポンと気軽に捨ててしまう人がほとんどです。今、日本は食べ物を無駄にしています。コンビニ、ファミリーレストラン、ホテルなどから出る生ゴミの量には驚かされます。

まだ食べられる食品や食べ残し食品を含めて、日本全国で1年間に2189万トンもの食品廃棄物が出ています。国民1人当たりだと171kgにもなります。日本は、世界で一番食べ物を捨てている国だといわれているのです。

生ゴミとして捨てられている食品の4分の1は、食べ残しや手つかずのまま…だそうです。

世界では飢えに苦しんでいる人がたくさんいます。今、世界では8億人を超える人々が食料不足に苦しんでいます。また、飢えや栄養不良による病気で毎日3万人、年間1000万人もの子どもたちが命を失っているといわれています。

人口が増加して食料の生産が追いつかない国、戦争や紛争などで食料の生産ができない国、天候不順や災害などによって食料生産が極端に減ってしまった国などが世界にはたくさんあるためです。

無駄をなくすことになり、その分の食べ物を海外から輸入しなくてもすむことになります。飢えに悩む人々が日本人と同じ食料を摂ることができます。他の先進国の人々も同じようにすれば、さらに多くの人々を飢えから救うことができるのです。

食べ物をごみ箱に捨てる前に、あるいは店で食べ切れないほどのメニューを注文する前に、もう一度「もったない」という言葉を思い出してみませんか…

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2015年6月12日 (金)

他人に優しく、自分に厳しく

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「他人に優しく、自分に厳しく」…

この気持ちを多くの人に持ってもらいたいと思っています。

世の中いい事ばかりありません。

人生は、「苦の娑婆」・「死ぬまで修行」と言われています。

苦しみ・悲しんで、楽しみや、嬉しさが味わえるのです。

今世の中…自分が目立てばよい。

他人のことなど考えない。

こんな人たちが多くなってきています。

わがまま勝手な青少年問題、騙して金を稼ぐ大人の社会。

どれをとっても、人の「心の問題」です。 

金を稼ぐためなら何でもする社会。

私たち大人が、模範を示し住みよい心豊かな社会にしたいものです。

そのために今自分に出来ることを、子ども達に示さねばいけません。

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今が大事…

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今が大事…

今という時間はもう絶対にないのだから

「今この時が大事」である。

今、 この瞬間に、何が起ころうと、

しなやかに対応することが出来るよう、

日ごろから心身を鍛錬を積み重ねて置く…」

…素晴らしいことだ。

何事も終わりがある…

一瞬たりとも同じではない、

終わりに近づき動いているのだ。

これは仏教の教え…

「生あるものは何時か死す…形あるもの何時か壊れる」

「諸行無常」という事である。

「悔いのない人生」なんて出来ないと思うが…

努力することだ。

どんな些細なことでも、

一日一日積み重ねていくことで、

大石も動かせることができる。

老いぼれても、努力する姿は美しい。

人は美しいものを観て感動するのだ。

 

 

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紫陽花が真っ盛り

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紫陽花や 小庭がなおも 狭くなり

何年か前に、この紫陽花は珍しいですねー

きれいですねーと、知り合いの方から、枝をもらい

挿し木にしていたものが、咲きました。

狭い我が家の庭に、紫陽花の花で、なおも狭くなってしまった。

紫陽花は雨に似合いますねー今日は、雨の予報です。

 

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2015年6月11日 (木)

時期が来れば花は咲き…時期が来れば花は散る

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時期が来れば花は咲き…時期が来れば花は散る…

花はまだ咲いているのもありますが、全体的には終わろうとしています。枯れ枝が伸びてきています。

人生は花が咲き―――そして散るが如しです。

花は無心…美しく花もすべての真心を込めます。花が咲くことは美しけれども、花が散ることは悲しいことです。良寛さんの「花無心」を思い出す…自然の摂理で、咲いているのでしょう。

人間も…同じことで…青春が過ぎ去れば老けていくのは自然なことです。この世の中すべての道理が花が咲いて散っていくように、それが私たちの目に見える世界です。

深い道理を知れば花が咲いて散ることや、若くても年齢を必ず重ねていくこと―――生まれて死ぬことも、花と同じ、全体が一つの人生の姿なのです。

真性な生命は変わることではなくて、すべての生と死の意味は、見えない生命自体に会うことなのです。

 

 

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老後を自分らしく生きる

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日本は急速に少子高齢化や都市化が進展し、本格的な人口減少時代を迎えるとともに地域コミュニティの希薄化も進んでいます。

その中、高齢者をはじめ若者や中高年層を含む社会的孤立問題が深刻になり、少子高齢化や人口減少に対応した住宅・地域づくりやコミュニティの再生が重要な課題となっています。

仕事と生活を共存させながら、持っている能力をフルに発揮し、 それぞれが望む人生を生きることを目指す…いわゆる「ワーク・ライフ・バランス」も大事なテーマでもあります。

さらに世代を超えた社会的孤立や格差社会を解消するための社会デザインおよび私たち一人ひとりが「幸せ」に暮らすためのライフデザインを…考えることは大事なことだと思います。

老い支度…

「老い支度」とは、将来、身近に頼れる人がいないかもしれない「一人暮らし」を前提として、どのように歳を重ねていくのかという、ウェル・エイジング(上手に年をとる)を考えること…

人は社会との関係性の中で自分の役割を見つけ、自己肯定感を抱き、「自分が何者であるのか」というアイデンティティを持つ…それが自分の居場所をつくり、生きがいや幸福の源泉にもつながる…

しかし、加齢とともに職場や家庭、地域における人間関係が希薄になり、自己の役割の喪失が社会的孤立を生み、暮らし『クオリティ・オブ・ライフ(QOL)』を低下させる…。

QOLとはWikipedia)一人ひとりの「人生の内容の質や社会的にみた生活の質」のことを指し、つまりある人がどれだけ人間らしい生活や自分らしい生活を送り、人生に幸福を見出しているか、ということを尺度としてとらえる概念である。QOLの「幸福」とは、身心の健康、良好な人間関係、やりがいのある仕事、快適な住環境、十分な教育、レクリエーション活動、レジャーなど様々な観点から計られる。

よりよく生きること

「よりよく生きる」とは自分自身が社会の中で「よりよく活きる」ことです。最期まで活き活きと暮らすためには社会との関係性を維持することが重要であり、そのためには何らかの社会的役割をデザインすることが必要です。

自分が社会の中で「よりよく活きる」ための「老い支度」は、実は新たな高齢期の社会的役割を獲得する「就活」でもあるのではないでしょうか…

私は、老齢化に伴い心身の衰えには抗し切れません。社会奉仕の心は持ち続けたいですが、「他人に望まれる」だけではなく…「自分らしく生きる」をことを考えてみたいと思っています。

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2015年6月10日 (水)

風鈴の音が心地よい

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風鈴の 心地良さの つゆ晴れ間

関東地方は、一昨日梅雨入り、昨日は雨降った…

今日は、梅雨の中休み?

晴れて気温も30度ぐらいになりました。でも風があり…

一年中、吊るしぱなし風鈴…存在感…

リーン・リーン乾がいた音心地よい

明日は、雨の予報です。

 

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正しいとは…

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国会で法律を決める…例えば、いま安保法制の集団的自衛権が審議されていますが、何が正しいか…正しくないのか…審議している過程から考えてみました。

3人の憲法学者は違反していると明言しているの対し、安倍晋三首相は「憲法の基本的な論理は貫かれていると確信している」と反論しました。

本当のことで「真理」という言葉があります。「真理」とは、絶対に定義が揺らぐ事のない普遍的な事象・思考」の事です。

「人はなぜ幸せを求めるのか」ではなく、求めるものを「幸せ」と呼んでいるだけです。

「真理」と言うと科学、宗教、哲学など、日常世界や個人の判断を超えた普遍的なもの、というイメージがありますがそれは幻想です。

日常の中にも「正しい―正しくない」という構図は働いていて、人は常に何かを選びながら生きています。それは真理を自分で選んでいることであり、真理はすべての日常の中にあります。

人間は欲の連鎖で生きています。おいしい物が食べたい→お金がたくさん欲しい→給料がいい安定した仕事に就きたい→などなどです。

人はなぜ「それらを」求めるのでしょうか…一番単純に答えれば、それは「生がより充実するから」でしょう。もちろん、そのためには自分の人生がよりよいものになり得る、という可能性が前提条件として必要です。

相対的真理と絶対的真理

私は、自然界における人間以外の動物にとって、本能に従って生きていく事が「真」であり、本能の全てが「真」です。したがって、それらに「偽」は存在しません。

「真」も「偽」も人間特有の認識・判断・評価です。真理とはその条件によって変わりうると思います。

では、人間特有の「真」とは何か?それは、「主観」と「客観」の一致した状態です。ならば、「真理」とは、「真の論理」とは?それは、論理と事実・現実との一致した状態、とい事です。

真理とは「事実または現実性との一致…真理として証明される、または受け入れられている。現実または現実性」のことです。

本当の現実などというものはなく、認識と意見だけが存在するのだと言う人もいるでしょう。その一方、何か絶対的現実、または真理があるはずだと論じる人もいるでしょう。

「絶対的真理」だと思ったところがさらに詳しく条件が求められて、「相対的真理」との統一が進むと言うことがあるかも知れません。

しかし、だからといって、「真理」でなくなることになるのではありません。より正しく「真理」が深められたと考えられます。

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2015年6月 9日 (火)

日記を書くということ

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日記を書く…

日々身の回りで起こった出来事や自分の行動や体験を記録しています。

日記の効能…人間は忘れる動物です。そのため、その日の行動・考えを記して置くことは、明日からの生活にプラス思考的になり、生きる自信が強く感じられるようになるのです。

①ストレス発散
②インスピレーションが生まれやすい
③記憶力向上(脳力UP)
 

一般的には言われているようですが…私は、ボケ防止…?一日の出来事の中で、感謝すべきことがあったら書いています。他人と比較したり哀れむのでなく、純粋に感謝の気持ちを書き残す…私は、気分的に穏やかになります。

痴呆症の予防にも…2015年1月厚生労働省により、2025年の認知症患者は、現状の約1.5倍となる700万人を超えるとの推計が発表されました。

これにMCI患者数を加えると、約1,300万人となり、65歳以上の3人に1人が認知症患者とその予備軍といえることになりそうです。

MCIとは…認知症の中でもアルツハイマー病になる危険性のある状態を…MCI(Mild Cognitive Impairment)軽度認知障害といいます。

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忘れること…

「覚えていて悲しんでいるよりも、忘れて微笑んでいるほうがいい」…クリスティナ・ロセッティ(イギリスの詩人)

人間の記憶は、とても不思議なものです。印象に強いものは、それが喜びであろうと悲しみであろうと、とかく心に残ってしまいます。

嬉しさや喜びなどは、思い出して心に力を与えますが、悲しみや怒りなどは、思い出すことで心が沈んでしまいます。過ぎてしまったことをいつまでも覚えていると、怒りや悲しさという負の感情から離れることはできません。

もう、その時間は戻らないのです。どんなに願っても、どんなに頑張っても、時間は戻りません。ならば、いっそのこと忘れてしまうことです。

つらい出来事を忘れてしまえば、いつか微笑むことができるはずです。そして、時間は心を癒す薬という言葉は、忘れるということで癒されていくということなのだと思います。


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2015年6月 8日 (月)

少年犯罪に思う

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今年の2月20日未明、18歳の少年ら3人が、多摩川河川敷であった大変ショックな事件は、記憶に新しいです。が、またもや愛知県刈谷市で、15・16歳の少年が暴行を加え、同じように川を泳がせた8日朝現在被害者の少年は見つかっていないという。

その光景を想像しただけでも恐ろしい犯罪です。他にも、信じられない少年犯罪事件のニュースは後を絶ちません。どうして、凶悪少年犯罪が多発しているのでしょうか…原因は、生活環境と躾を含む道徳教育に問題があるのではないかと思います。

日本の社会経済システムの在り方そのものや、生活様式と社会科学の分野から一人一人の感性や心の問題があると考えます。また、ある意味で、一人一人の子供たちの生き方にもかかわる課題でもあります。

子供の教育を考えると、それは単に、学校教育における取組のみをもっては、到底そのねらいを達成できるものでなく、幼少年期からの、学校、家庭、地域社会のそれぞれの場における様々な取組によって、初めてその実効が期せられるものであると思います。

命の大切さ・人を思いやる心・自然に対する豊かな感受性・環境に対する関心・多くの人に関わり合って生きていることなどを、しっかり身に付ける…教育を考えるべきと思います。

最近、特に気になることですが、「物を大事にする」感覚が薄れたように思うことです。大量生産・大量消費…「消費は美徳」なんて言葉がありましたが、子供たちの公園などの遊びから、物を大事にしない…を感じるのです。そして、「人に物にそして自然に」思いやりがない…いわゆる自己中心の子供が多いということです。

日本の古いことわざに「一人の悪者が出ると(その家族が前後)七代祟る」と言われています。山本有三の戯曲「米・百俵」によって世に知られた…長岡の誇り、「米百俵」の故事であります。

「米百俵のまちづくり」には 「国が興るのも、滅びるのも、ことごとく人にある。その日暮らしでは、長岡は立ち上がれない。食えないからこそ、学校をたて、人を育てるのだ」…を思い出しました。

人を育てる…地域を…日本を…そして世界の人々に平和に尽力する…は教育からだと確信します。少年犯罪で…教育の大切さを痛感したのです。

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2015年6月 7日 (日)

時間は有限です

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「時間」は有限…だから「自分を変える」ことにチャレンジする!

歳を重ねると…老いの速さを実感します。

私はその「時間」の多くをダラダラと過ごして無駄にしてきたことだなぁ……でも、何歳であろうが「自分を変える」…始めた瞬間から新たな人生のスタートなんだと思います。これからの「時間」を有意義なものにするために、チャレンジしなければ…と考えます。

だれでも老いを感じはじめると、時の流れもいっそう速やかに感じて老いを嘆きます。この世の中の何もかもが一瞬たりとも同じ姿をとどめない、すべてのものは移り変わっていくのです。

無常とは変わることだと知っていても、どのように、またいつ変わるか予想できません。そして自分の思い通りにならないことばかりです。すべての事象に、終わりがあることを知っているからでしょう、不安であせりいらだつのです。

「すべてのものは苦なり」と、それが事実だと受けとめるところに安らぎが得られるのでしょう。 新しい自分に変えていく自分が変わらなければ前途はひらけてこない。過去を引きずって、過去に執着すれば、今がなくなる…。

未来はすぐに今になり、今はすぐに過去になる…過去にこだわると未来が見えません。感性と向上心を高め、この世の真理を求め続けることに、楽しみを見いだそうとするならば、生きている究極の喜びを感じることができると思います。

 

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2015年6月 6日 (土)

安保法制は憲法違反…

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衆議院憲法審査会で、参考人は、自民党、公明党、次世代の党推薦の長谷部恭男氏、民主党推薦の小林節氏、維新の党推薦の笹田栄司氏…安保法制は憲法違反と断定しました。

日弁連の見解…

集団的自衛権とは、政府解釈によれば「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利」です。

これまで政府は、憲法第9条の下において許容されている自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであり、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されないとしてきました。

ところが、現在、政府は、この政府解釈を変更して集団的自衛権の行使を容認しようとする方針を打ち出しています。

しかし、これまで政府は、集団的自衛権の行使は許されないとする解釈に関し、政府による法令の解釈は「論理的な追求の結果として示されてきたもの」と説明していました。長年の議論によって積み重ねられてきた解釈を変更することは、立憲主義の観点から極めて問題があります。

戦争と武力紛争、そして暴力の応酬が絶えることのない今日の国際社会において、日本国民が全世界の国民とともに、恒久平和主義の憲法原理に立脚し、平和に生きる権利(平和的生存権)の実現を目指す意義は依然として極めて大きく重要です。

それに対して…読売新聞社説では…(6/6)

中谷防衛相は安全保障関連法案審議で、集団的自衛権の限定行使について、「憲法違反にならない」と答弁した。「これまでの憲法9条の議論との整合性を考慮し、行政府の憲法解釈の範囲内だ」とも語った。

前日の衆院憲法審査会で自民党推薦の参考人が法案を「憲法違反」と断じたことを取り上げ、法案の撤回を求めた民主党議員に、正面から反論したものだ。

参考人の長谷部恭男早大教授は「従来の政府見解の基本的論理で説明がつかないし、法的安定性を大きく揺るがす」と述べた。首をかしげたくなる見解である。

それに対し朝日新聞社説…(6/6)

およそ法たり得ないものが国会で論議されているという根本的な指摘に、政府と与党は耳を傾けるべきだ。国会で審議が続く安全保障関連法案は憲法に違反する。

集団的自衛権の行使を認めるという中身も、憲法改正をせずに事実上の改憲をしようとする手続きのいずれにおいても――。

また毎日新聞社説では…(6/6)

集団的自衛権の行使は、憲法上「許されない」としてきた解釈を「許容される」へと逆転させる。こんな解釈改憲を認めれば、憲法の規範性は損なわれ、憲法に対する国民の信頼は失われかねない。安全保障関連法案がもつ根本的矛盾が改めて突きつけられたと言えよう。

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「国民の命と平和な暮らしを守ることは政府の最も重要な責務です」…日本は辛い戦争を経験しています。私は、二度と戦争にならないこと望んでいます。

集団的自衛権の政府解釈…「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利」となっています。知らず知らず戦争に巻き込まれる心配は多くの国民が持っていると思います。

諸般の事情から慎重に審議して頂きたいと思います。

 

 

 

 

 

 

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模索の人生

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どう生きればいいのか…
自分の生き方は自分で作り出す以外に、自分で納得できる生き方はないのです。

世間体を気にしたり、八方美人になったり、責任転嫁ばかりしていては、決して心の底から人生を楽しむことはできないと思います。

後悔のない生き方は…たった一度きりの人生を如何に生きるのか、ここ数年、年を重ねてきたせいか、時々人間の死について考えたりします。

○どう生きるのが本当の幸福か?○私の使命は何なのだろうか?

そんな事を考えていると生命の意味…この地球上の営み…今世間でで起きている事…などを考えるようになったが、もちろん明確な答えは見つかっていません。たぶん死ぬまで模索していくのかもしれません。

 幸せ、豊かさ、幸福感…何ともつかみ所の無いこれら一種の感情を追い求める心というのはどういう状態なのか?

たとえ苦しく、辛く、厳しく、孤立している状況に置かれていても幸福感を感じられる人がいますが、一方で、一見全てに満たされているように見える人が実は悩み苦しんでいたりします。

何でそうなるのか、何がそうさせるのか…

人は誰もが幸せになりたいと思っているでしょう、不幸になりたいと最初から思う人はいないでしょう。でも結果的に不幸になり、そしてそこにしがみつき、抜け出せずにいる人がいます。何故なのか…

それは、色々複雑な面もあるだろうけれど、単純に考えると、置かれたそれぞれの状況で、何を優先的に選び、何を後回しにするのかが人によって違うからなのではないか?と感じます。

名言から…

松下幸之助

迷う、ということは、一種の欲望からきているように思う。ああもなりたい、こうもなりたい、こういうふうに出世したい、という欲望から迷いがでてくる。それを捨て去れば問題はなくなる。

バーナード・ショー

間違いを犯してばかりの人生は、何もしなかった人生よりも、あっぱれであるだけでなく、役に立つ。

などありますが、いま納得していることは人生死ぬまで「修行」であると思っています。どんなことでも受け入れる心が大切と考えます。

 

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2015年6月 5日 (金)

素直な心を持ち続けたい

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素直な心…

相田みつをの詩に『美しいと 思う心が 美しい』があります。

人間だれしも美しいとか醜いといった気持ちをもって生きています。それを伝える勇気をもつことが美しい…ということです。

人は悩みのせいで周りが見えなくなっていたり、何か不満や恨みを持っていたりすると、美しいものを見ても美しさに気づかなかったり、また、美しいものを素直に感じることが出来ません。

だから美しいものを見て、その美しさに気づき、素直に美しいと言えるということは、その人の心が美しく澄んでいることのあらわれなのです。醜いものを醜いということは、醜い行為だと思います…それが素直な心です。美点に気づき、感じられる心が尊いのです。

濁った心では、美しいものは見えません。素直に「いいなぁ」・「うれしい」・「よかった」・「楽しい」・「美しい」・「美味しい」・「幸せ」などと考えられれば、それを心地好く(幸せに)感じられるでしょう。

このような働きによって、幸せを感じられる心を持てたらいいのです。「幸せと思える心をもった人が幸せなのだ」とも言えそうです。

「幸せだなぁ」と思う素直な心を持ち続けたいものです。

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たわらぐみの思いで

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たわらぐみ 夏の陽射しに 赤らみぬ

たわらぐみは、赤い実を揺らしています。

たわぐみと言えば、子供の頃、よく食べた記憶があります。何もなかった戦後の、近所の子供たちと、取り合って夢中で食べた甘くて美味しかった。他に、桑の実・梅の実・ひどめ(野生の木瓜の実)などを食べたました。

ほうずきの 実をつけたりし 夏の朝

梅雨入り間近の東京地方です。昨日は湿度が低く、気温のわりに過ごしやすかったです。

ほうずき…農家の庭の片隅にほうずきが植えられています。よく見ますと青い実をつけています…散歩しながら、「もう夏…」なのだ。

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2015年6月 4日 (木)

何時までも元気の秘訣

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いきいき人生…元気の秘訣

①有酸素運動…脂肪や糖質を酸素によってエネルギーに変えながら行う、規則的な繰り返しのある比較的軽い運動です。

②いつも心の鮮度を保つ.…そのためには、心が感動するように行動せよということです。そして、「あなたの存在が必要なんです」と、そう言われるような人間関係になることです。

③感動する…ある物事に感じて深く心を動かすこと…魂が揺さぶられることです。また、共感・共鳴して自らの心自体が反応し影響を受けることです。

いつまでも元気の秘訣は、これらを受けいられる柔軟な心を持ち続けることです

 青春…サムエル・ウエルマン

青春とは人生のある期間ではなく、心の持ち方を言う。

薔薇の面差し、紅の唇、しなやかな手足ではなく、たくましい意志、豊かな想像力、炎える情熱をさす。

青春とは人生の深い泉の清新さをいう。青春とは臆病さを退ける勇気、 安きにつく気持ちを振り捨てる冒険心を意味する。

ときには、二十歳の青年よりも六十歳の人に青春がある。年を重ねただだけで人は老いない。理想を失うとき初めて老いる。

歳月は皮膚にしわを増すが、熱情は失えば心はしぼむ。

苦悩・恐怖・失望により気力は地に這い精神は芥にある。

六十歳であろうと十六歳であろうと人の胸には 驚異に魅かれる心、おさな児のような未知への探究心、 人生への興味の歓喜がある。

君にも吾にも見えざる駅逓が心にある。 人から神から美・希望・よろこび・勇気・力の 霊感を受ける限り君は若い。

霊感が絶え、精神が皮肉の勇気におおわれ、 悲嘆の氷にとざされるとき、 二十歳であろうと人は老いる。

頭を高く上げ希望の波をとらえる限り、 八十歳であろうと人は青春にして已む。

(「青春とは、心の若さである。」サムエル・ウルマン著、作山宗久訳、角川書店より)

 

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2015年6月 3日 (水)

年金情報流出のこと

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日本年金機構から125万件の個人情報が流出したことが明らかになりました。 流出した情報が振り込め詐欺など、犯罪に使用される可能性があります。

年金機構の前身の旧社会保険庁の時代に5000万件の年金記録が紛失した問題がありましたが、いまの年金機構はその旧社会保険庁から移った職員たちが仕事をしている。組織全体に個人情報に対する甘さがある可能性が考えられます。

来年はマイナンバー制度が導入されるので、今回のことについてはきちっと原因究明し体質改善することが大事だと思います。

マイナンバー制の手続きはこの秋から始まり、取得しないと年金受給や行政サービスを受ける時に不便が出るだけでなく、就職・転職もできなくなる。政府は情報管理に万全を尽くすと説明していますが、国民の不安は深まったと思います。

原因究明と再発防止対策は、国民の信頼回復を得るまで徹底して行い、国民の不安を全力で払拭することです。

今朝の新聞各紙の社説

朝日…「年金情報流出―再発と二次被害を防げ」

読売…「年金情報流出 サイバー攻撃への認識が甘い」

毎日…「年金情報流出 責任感が欠如している」

日経…「この甘さでは個人情報は守れない」

産経…「年金情報流出 国民の不安払拭に全力を」…(6/2・主張)

東京…「年金情報流出 マイナンバーが不安だ」

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長寿社会の課題

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長生きすると…

今まで何をするのも、何の問題もなくできていたものが…出来ないで体力・気力の衰えを感じることが多くなりました。持続力がなくなり、ただ疲れが残り、回復力が低下します。

歩いていて、気をつけないといけないのは、何でもない平らな道で、つまづきそうになることです、足が上がっていないのです。転んだり、歯が抜けたり、耳が遠くなり、視力が衰え、髪が抜けたたり…さまざまなことが悩みとなります。

そして、老いにともない、物忘れがひどくなり、思考回路も衰え判断能力が弱くなる。これまでにできたことが、できなくなり、何をするにもついおっくうになってしまいます。病にかかりやすくなり、快復力も衰え精神的に気弱になる。そして、やがて自分で何ごともできなくなり、他の人の力を借りなければ、生活できなくなります。

長寿社会の日本は、先輩たちが経験したことのない、時代をどのように生きるか、今、このことが課題になってきました。

「老人力」の発揮をどのように生かすか…

人生経験が豊かになり、いろいろな判断能力が身について、なにごとにも偏らずに多角的に理解しようとします。相手の気持ちも受け入れようとする寛容な気持ちの余裕もできて、自己本位の思いをおさえて、相手の立場に立って理解できるようになります。

さらには人をおしのけて進むことよりも協調性を重んじたり、対決軸を持とうとしなくなります。このような「老人力」をどのように社会的子孫繁栄のために発揮するのか、これが長寿の課題でしょう。

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2015年6月 2日 (火)

ゴミゼロ運動で思う

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5月30日はゴミゼロ運動

関東地方環境美化運動の日(5月30日・ごみゼロの日)統一美化キャンペーンの趣旨に賛同し、八王子市内の町会・自治会など各種団体の協力を得て、地域の美化清掃を行いました。

毎年およそ200団体15、000人の参加があり、広場、道路等のごみの散乱を防止し、美しいまちづくりを目指しています。

私たちの町会(片倉町一丁目町会)でも5月31日に行いました。参加者は何んと150人以上でした。町会の役員はもちろん、幼稚園のお子さんから、おじいさん・おばあさん・子ども会の小学生も参加しました。

ゴミ拾いを体験した子どもは、ゴミを捨てない大人になる!

「ゴミ拾いで大人と交わり、子どもたちは成長する」

150人以上参加…素晴らしいことだと思います。ただ、私は、ごみ拾いそのものが目的ではないと思います。参加することに「意義がある」と思うのです。

参加者の皆さんにはあまり真剣に拾わなくていいように…それよりも参加者同士のコミュニケーションが大事…日ごろ近所に住んでいて、挨拶程度で済ましている人が多い近頃です。目的が同じ共同作業を通して、コミニケーションが深まることが出来たと思います。

だから、親、先生以外の大人と話す場が欲しいからと子どもを連れてくる親も…子どもが小さい時から社会に携われたり、大人から評価される機会は貴重だと思います、そして、本人に参加する意思がある限りは一緒に参加させることは大事なことです。

1時間ちょっとで集まったゴミはかなりの量に及びました。特に多かったのは吸殻の一部と見られる白い小さな紙です。

取れにくい紙を子どもたちは熱心に拾っており、ゴミを見つけると嬉しそうでもあります。本来、ゴミは落ちていて嬉しいものではないが、拾うことがイベント化されると楽しい作業になるのです。

私は「ゴミを捨てない子どもを増やしていけば、モラルが上がり、いずれゴミを捨てないことが当たり前の社会になる」と確信します。大人たちも何度か参加している人も多いようで、顔なじみ同志の会話が弾んでいました。

「社会に貢献することをやり、繋がりを作る」…同じに住むまちで、多くの人とふれあう場に積極的に参加し、環境の美化・知り合いを作り…大変意義深い行事と思いました。

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老いることあれこれ

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誰でも老いていく…老いかたは人それぞれに違いますが…「老い」は生まれた時から老いは始まっています。最近は、私は「年をとったなぁー」と実感することは、しばしばです。

「老いの実感」

加齢を実感する瞬間というのが確かにあります。そしてその瞬間は毎年増えてきています。今、また一つ…人生の残り時間を考えると、現状の老いに不安を抱かざるを得ません。恐らくある年齢を過ぎた人であれば誰にでもあることだと思います。

身体の異変を何か感じたとき…気付かないフリや、気にしないフリはしないで、ごく自然に振舞っていたほうが良いと思います。今までの経験から…現実から逃避しないことです。

「老いてこそ人生」…石原慎太郎『老いてこそ人生』(幻冬舎)より

誰しも年はとりたくはない。誰しも老いたくはない。しかし誰しも必ず年をとり老いていくのだ。そんな当たり前のことがらを前にして、なんでくよくよしたり、怯えてたり、腰が引けたりすることがあるのだろうか…正面きって向かい合いこちらから仕掛けていけば、こんなにやり甲斐生き甲斐のある人生の時の時は他にあるものではないのです。

そのためには必ず老いていく肉体の原理と、その兼ね合わせで、かつて若い肉体が作った精神の関わりについて知ることです。それを踏まえて老いに関するさまざまな情報を心得ながら、若い頃にはなかった経験と、それが培ってきた冷静さをもって老いを迎え討つことです。

若い人とは…

「あの人若い!」…☆フットワークが軽い  ☆毎日ように運動している ☆肌がきれい ☆ 美意識が高い…

老いにともない悩みや心配ごとが増えるにつれて、わがままな「年寄り根性」が強くなりますが、老いることで悪いことばかりではないはずです。年の功で、人生経験が豊かになり多様な判断能力が身について、なにごとにも偏らずに多角的に理解しようとします。

相手の気持ちも受け入れようとする…寛容な気持ちの余裕もできて、自己本位の思いを抑えて、相手の立場に立って理解できる。さらには人をおしのけて進むことよりも協調性を重んじたり、対決軸を持とうとしなくなります。

このような「老人力」をどのように社会的・子孫繁栄のために発揮するのか、これが長寿の課題ではないでしょうか…

認知症の問題…5人に1人

認知症の問題は深刻に…団塊の世代が全のて75歳以上となる2025年には多い場合で730万人となり、高齢者の5人に1人に上ると言われています。今年の初めに国が明らかにした推計では、認知症社会に…?

特に糖尿病や高血圧は認知症の大きなリスクファクター。生活習慣病に不安のある中高年は注意が必要と言われています。

「老人力」(赤瀬川源平薯)の文章より

ふつうは歳をとったとか、モーロクしたとか、あいつもだいぶボケたとかいうんだけど、そういう言葉の代わりに「あいつもかなり老人力がついてきたな」というふうにいうのである。そうすると何だか、歳をとることに積極性が出てきてなかなかいい。

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2015年6月 1日 (月)

本当の幸せとは…

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心から本当に望んでいるもの、真の豊かさ幸せとはいったい何でしょうか?こんなに物質的に豊かになった日本でなぜ多くの人々は更なる幸福を探しているのでしょうか?

経済的に豊かになって大変便利な世の中になり、不安も少なく安心して暮らしていけるはずの日本…どうして心の豊かさや幸福を求める人がいるのでしょうか?

経済・産業・文化が発展の今の世の中…人間が本来もっている本能的な部分、人間として生きていく上での重要な部分がある意味、“わき”に追いやられ欠落している結果なのではないか?と思えます。

つまり、地位や名誉、成功、お金、等を追い求めるあまり心をどこかに忘れてきてしまったのではないでしょうか?と思えてくるのです。

心とは一体何なのか…科学が発達した現代、人間の体の仕組みも大分わかってきていますが、脳みその基本的な働きの記憶がどこにどう蓄えられ、どう取り出しているのかの働き…実はまだまだ不明です。

物質でもない心はどう探れば良いのでしょうか…大量に物を生産し、物を豊かに消費することで幸せになれるでしょうか?

地球温暖化現象一つを真面目に考えるだけでも、もはや消費文化に幸福を見出すという考え方は成り立たないとはっきり知ることができます。

このまま、地球の温暖化、オゾン層の破壊を続けてゆけば、近い将来、地球的規模で洪水、渇水、暴風雨などの自然災害がおこり、食料不足、居住地の放棄など人類は大変な事態に追い込まれるでしょう。

最近の異常気象…インドでは、摂氏50℃…5月に7個も台風が発生するなどは過去に例がないそうです。こういうことが、知らず知らず、普通に起こる?ことが恐ろしいことです。

小欲知足とは…

あまり、いろいろな物を欲しがらず、現在の状態で満足すること… 欲望を全て、消してしまうのではなく、欲張らないで、与えられた現実を素直に受け入れることです。

現代文明は生産を中心に考える文明ですが、その考え方の基準に自然征服は善であるという考え方であるようです。このような考え方が、人類の欲望の全面解放を善とみる思想を生み出したのです。

いま、私たちとって最も重要なことは、このような科学技術文明の根幹の思想にメスを加えなければならないということです。欲望というものは、満たせば必ず次の欲望を生むものです。

釈尊はこれが迷いの人間の変わることのない在り方だと指摘されました。この果てし無い欲望をどうやって自身でうまく決着をつけてゆくか…これは科学や技術で解決できない問題ではありません。

釈尊は欲望を満たすのがいけないとは申されていません。欲望というものは、絶えず危険性を伴うものであることを知り、その制御を学びなさいといっているのです。

いうまでもなく、地球温暖化を防止し、持続可能な社会を築くには、大量生産・大量消費・大量廃棄型の現行の社会経済システムから、適量生産・適量消費そしてリサイクル社会へと根本的なところで変えていく以外に方法がないことは明らかです。

病気の治療よりも病気にならない予防が第一、出口より入り口を考えることが基本、ということは多くの人が理解しているはずなのに、現実の社会ではまだまだこの基本が認識されるには至っていません。

もう一度考えましょう「本当の幸せとは」を真剣に…

 

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