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2015年4月

2015年4月30日 (木)

自然との共生社会を創る

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自然は、人間を始めとして、生けとし生けるものの母胎であり、厳粛で微妙な法則を持ちつつ調和を保っています。

人間は、日光・大気・水・大地・動植物などと、共に自然を構成し、自然からの恩恵をとともに、さまざまな試練を受け、それらを生かすことによって文明を築きあげてきました。

しかし、私たちはいつのまにからか、文明の向上を追うあまり、自然の尊さを忘れ自然のしくみの微妙さを軽んじ、自然のは無尽蔵であるという錯覚から、資源の浪費し、調和を損なってきました。

この傾向は近年とくに著しく、大気の汚染・水の汚濁・緑の消滅など、自然界におけるいきものが、生きてゆくさまざまな条件はいたるところで、バランスが崩れ、自然環境は急速に悪化しています。

この状態が速やかに改善されなければ、人間の精神は奥深いところまで、むしばまれ生命の存続さえ危ぶまれることになります。私たちの未来は重大な危機に直面する恐れがあります。

しかも、自然はひとたび破壊されますと、復元には途方もない時間がかかります。また、多くの動植物が、消え去ってしまった歴史があるように、まったく復元できない場合もあります。

今こそ、自然の厳粛さを目覚め自然を征服するとか、自然は人間に従属するなどと、思いあがりを捨てて、自然を尊び自然の調和を損なうことではなく、節度ある利用につとめ、自然環境の保全に国民総力を結集すべきです。

自然と共生ということ

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毎日、大量に出る家庭ごみ、道路や公園・広場・山・川・海などに捨てられているゴミは多くの生き物に影響しています。
人は、自然と共生して生きていられるのです。

毎日の暮らしから見える自然環境のこと考えましょう。

環境問題が起こった最大の理由は、人類が便利で快適な生活を求め続けたからです。技術が発達して、自分が出せる何百倍ものスピードで移動したり、夏でも冬の食べ物が食べられるようになりました。

また、自分で作らなくても、さまざまな道具が手に入るようになりました。でもその陰で、エネルギーの大量消費や地球温暖化、生物の減少、ごみの増加、大気汚染など、さまざまな環境問題が起きています。

一つしかない地球を守るための行動を始めよう!

環境問題は幅広くて、とても複雑につながっています。大切なのは一人でも多くの人が環境問題について学び、地球のためにできる取り組みをスタートさせることです。
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そうすれば人類はもちろん、生物ものびのびと暮らせる明るい未来が待っているはずです。私たちの暮らし方を変えなければ将来危うくなると思います。
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いま環境問題を考えないで、便利さのみ追求していては、後世に引き継ぐことが出来ません。そのために自分ができることを考え、ゴミの問題や、エコ活動を始めてみましょう。

2015年4月29日 (水)

ゴミのポイ捨てはやめましょう

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「天を仰いで唾する」という諺があります。

天に向かって唾をすると、それが自分の顔にかかってくることになるように、他を害するような行為をすると、かえって自分自身が害を蒙ることになるということです。

公共の場の道路や、公園・みんなの広場などに、不要なものを無神経にゴミを捨てて、汚す行為が自身を汚すという結果になって還ってくるということです。自己中心的な行為は、残念だが、当然の報いがくるのです。  

たばこのポイ捨てなど見ると、その吸い殻を突きつけて、捨てた本人に言い聞かせたくなるようです。仏教ではこれを因果応報と呼んでいますが、誰もが分かっているようでも、中々実行できないことです。

誰かが始末してくれると思っているのか、それとも市や町の役所の仕事でも思っているのでしょうか、タバコの吸殻一本ぐらい実害がないとでも思っているのでしょうか…

しかし広い視野から考えれば、私たちが投棄したゴミや無秩序な造成による自然破壊などが、将来どのような結果を引き起こすことか…

誰もが、自分だけではなく他の人・全ての存在と共に生きているんだという、「共生」の心を自覚し行動しなくては、遠くない将来間違いなく、そのしっぺ返しが来るのです。

一人が一個のゴミを捨てると100人で100個ゴミとなります。自然環境は敏感です。自然環境破壊が進めば人は、住めなくなります。子供や孫の将来にも安心して暮せるまちに…「ゴミのポイ捨てはやめましょう」

桜前線と北海道の真夏日

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北国へ さくら前線 駆け上る

今年(2015年)の桜前線はポカポカ陽気と共に例年にないスピードで駆け上り…4月22日に札幌で早くも開花宣言がされました。これは至上2番目に早い開花だそうです。

例年の平均見頃はGW前後という事が多いというのに、驚かれた北海道民の方も多いのではないかと思います。

「日本列島、4月なのに「夏」 北海道で17年ぶり真夏日」

気象庁発表によりますと、全国的に気温が高く、北海道では、十勝地方の帯広などで30度を超え、道内で今年初めて真夏日に…北海道で4月に真夏日となるのは1998年以来、17年ぶり2回目だそうです。

2015年4月28日 (火)

信念を貫く…ということ

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「わがまま」…

いわゆる「自己中心的」ということです。相手の気持ちを全く考えない、自分さえ良ければいい、何でも自分の思い通りにならないと気が済まないということです。

「信念を貫く」…

一言でいえば、自分の意志を信じて、それに従って行動することです。

「自分の事は、自分の意志に従って決める。自分で決めた道で嫌な事にぶつかっても、他人の勧めに従った結果、嫌な事にぶつかるよりはいい」 これが、私の「信念」です。

自分らしく生きようとすると、時には反対されることもあれば、批判・非難されることもあるでしょう。ただ、人として間違っていないなら…人の道を外さないなら…「こう生きる!」という信念を貫きべきと思います。

人の意見も大事でしょう。でも他の誰れでもない自分のためでもある、だからい意見や批判は素直に聞き入れてもいいと思いますが、でもそればかりでは、人の言葉や気持ちに流されるばかりです。

「自己の確立」…

自分の感情や価値観をすべてコントロールことで、アイデンティティの確立ということです。しっかりとした、自分の信念を強く持って、自分の生き方を貫くことです。

自分という人間は、後のも先にも、「今」しかいないのだから…そして時間も限られています。刻々と時間が流れ続けています。当然なにもしなくても歳をとります、そして思うように動けなくなったとき、後悔してしまうことになるのです。

一度きりの人生です。後悔いないように、生きたいものです。

2015年4月27日 (月)

故郷の持つ連続性と連帯感

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故郷…という言葉を聞くと、何を思い出すでしょうか…

私は、あの童謡の「ふるさと」の「♪うさぎ追いしかの山小鮒釣りしかの川♫」が象徴する農山村風景をもつ育ちの地が頭に浮かびます。

育ちの地だからこそもつ…友達や仲間との共有体験・水泳とか川遊びやお祭りへの参加などが懐かしく思い出されます。

また、私という人間がそこの持つ歴史や文化に囲まれて成長していったところです。先祖伝来の田畑や山々、そしてお墓があり、自分の原点を意識させられる地でもあります。

また、その土地特有の食べ物や狭い地域社会での強いネットワークに包まれた思い出でがあります。これらは、故郷に対する個人的感傷だと決めつけることもできますが、多くの人には、最も心のやすらぐ思い出の地であることも間違いではないでしょうか…

故郷の持つ連続性と連帯感

同じ土地、同じ水、同じ空気、同じ学校、同じ地域、同じ体験、同じ慣行、同じ祭り、同じ食べ物、同じ風景などから作られる共通感覚の共有です。

この共通感覚は、先輩後輩を問いません。つまり、過去から現在、そして未来へと時間軸に沿っても意識される。またこの共通感覚は、一定の広がりを持つ人々に共有されます、同窓会などの活動もこの現れでしょう。

つまり、横の広がりを持っている故郷は、何も農山村に限ったことではありません。大都会でも、都市部でも、街中でも、十分故郷足りうるのではないでしょうか…故郷は誰にでもある育ちの地といえます。

「よい自然環境は、よい子供が育つ」と言われています。私は、前述のように、多感な子供の成長時期を、美しいく、優しい自然環境が失わnれて行くようでしかたない思いでいる一人です。

子供たちが集まり遊ぶ、公園や広場が汚れていたら、子供たちはそれが、良くも悪くも受けざるを得ないのです。「悪い」環境で過ごしていたならば…これが「普通」と認識して成人になってしまう…この感覚が多くの子供たちへの影響が心配するのです。

地域住民の一人ひとりの故郷づくり、そして守る…環境への気配りをお願いしたいのです。

自然との共生社会

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豊かで便利な生活(社会経済の拡大)…自然環境の破壊につながっています。「地球温暖化」・「オゾン層の破壊」・「砂漠化」・「熱帯雨林の減少」・「酸性雨」などで生物の危機が現象として現れています。

昔いた動物の種族が消えてしまったり、植物種の減少がおきています。人は便利さだけを続けて、環境破壊につながっているのです。

地球上には非常に数多くの生物が存在しています。また、それぞれが異なる環境に適応し、同じ種であっても、生息する地域や環境によって、少しずつ体のかたちや行動が違っていたりします。このことを「生物多様性」といいます。

私たち人間は地球の長い歴史のなかで、生物からたくさんの恵みを受けてきました。毎日の食料はもちろん、木を燃料にしたり、家を建てたり、植物から衣服をつくることもしてきました。また、病気のときに飲む薬も約40%は自然界から得られたものを原料としています。

生物が多様でいられること、つまり生物が生きる自然が大切に守られることが、私たち人間の社会には必要なのです。

自然との共生社会

自然を守り、ともに生きる社会…人間と地球に生きるすべての生物がともにくらすことができ、自然からの恵みを受けつづけることができる社会を自然共生社会といいます。

空気、大地、川、海、そしてそこに生きる動植物など、すべての自然環境は地球という星のなかでつながっていて、どこかの環境に問題が起これば、必ず他の環境に影響がおよびます。

自然環境を守る…一人ひとりが考え行動しよう!

自然共生社会は、地球にくらす一人ひとりが、身近な自然環境を大切にしないと実現できません。自然を大切にする。その約束を守ることができれば、地球は豊かな恵みをあたえつづけてくれるのです。

 

2015年4月26日 (日)

すべてが丁度よい

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幸せとは…

病気でもなく、家や食べ物がある状態、安楽な状態が幸せでしょうか…もちろん、お金も食べ物も必要です。しかし、人はそれだけでは幸せにはなれません。

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直訳すると「幸福」…WHO1946年の草案がもとになった言葉で、「身体的・精神的及び社会的に良好な状態であって、単に病気ではないとか、虚弱ではないということではない。」とされています。

健康とは…

「身体的・精神的及び社会的に良好な状態であって、単に病気ではないとか、虚弱ではないということではない。」とされています。

価値観の違う人間社会は、ストレス社会とも言われています。しかし、ストレスはあなた自身がつくり出しているのです。

考え方の偏り、劣等感、怒り、恥意識などのストレスのもとが生まれます。現代人はストレス社会に生きており、悩みのない生活を送る人は皆無と言えます。

すべてが丁度よい…

どんな自分であれ、自分は自分のままでよい、今の自分は充分であり、愛されるに値する人間である。」ということです。何か今の自分とは対局にあるような理想像を掲げると、なかなかその理想に近づけないことで、今の自分を否定してばかりいるようになりす。

だから、そんな理想像は考えないことです。「今の自分が丁度いいのだ」…と観念すること…今ある全てのものが、自分にとって丁度いいから存在しているです。

大根の花

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風に揺れ 大根の花 空に入る

散歩の途中のこと、咲く大根の花を見ました。

紫色の大根の花が、土手に広がっています。

空の色と、とっても調和の取れた色合いで

風に揺れて空に溶け込むように感じました。

2015年4月25日 (土)

命がけ…

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命がけで守らなければならないもの…

近年、家とか、義理・人情と言うのは、古くさくて、封建的だと決め付けられて意味もわからないままに否定されているようです。

愛という言葉も人間関係をさす言葉ではなくなり、ただ刹那的感情を表しただけの言葉に変質しているようです。それにつれて家族愛とか、友愛、愛国心も、仲間意識も、空々しい意味になってしまっています。

仲間なのだから、家族なのだから、困った時に助け合うのは当たり前ではないでしょうか…そう言った人間関係が当然のこととして成立しなくなった時、その人間関係は、存在意義を失うのです。

存在意義を失った人間関係は、稀薄になり、失われていきます…

家族であろうと、国であろうと、会社であろうと、どんな人間関係でも誰も守ろうとする者がいなければ守りきれるものではありません。ただ廃れ、失われていくのです。

現代人は、自分が命をかけてまで守らなければならないものを見失っています…

それは、命がけで守るに値するものを持たない、つまり、命がけになるに値しない人生だと言う事を意味します。人は、自分が命がけで守らなければならないものを知った時、生きる価値を見出すのです。失うことを怖れていては、得るものは何もありません。

命をかけて何を守らなければならないのか…それが生き甲斐です。つまり、生き甲斐とは、死に甲斐でもあると思います。

共同体内部の結びつきが弱くなり、最後に消滅するのは、共同体を破壊しようとする者の意志が存在するからです。国・社会・会社・家族の人間関係を断とうとする者は、その共同体を破滅と混乱に陥ることになるのです。

命をかけて守らなければならないものは、家族・社会・国と、自分の名誉です。死ぬ気で守る…生きることは、死と背中合わせです。闘病という言葉がありますが、毎日を死ぬ気で闘っていると言っても過言ではないのです。

2015年4月24日 (金)

輝いて生きる

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「過去を悔やまず、未来を憂えず、今を輝いて生きろ」…
むかし、若いころに、生き方に悩んでいた時、父親からと言われた言葉が記憶にあります。

戻らない過去を想い悔やんだり、未来をあれこれと考えて、心配してはいけない…「今を一所懸命生きる」ことだと…自分がいまやるべきことをよく見極め、信念をもって、今日やるべきことに最善を尽くすということです。

私たちが心の中で苦しみや不安を抱くときの主な原因は、自分の過去や未来について考え過ぎてしまうことです。

ただ過去や未来を思うだけでは、わたしたちの苦しみや不安は心の中で無限にふくらみ、それが自分を縛りつけて自身を動けなくしてしまうだけです。

「自分はいま何をすべきか」…一瞬一瞬を常に考え、考えがまとまったらすぐ実践することで輝いて生きて生きられるのです。

そしてすべきことに集中すればするほど、最善を尽くせば尽くすほど、心の中の苦しみや不安はいつの間にか消えていくのです。

苦しみや不安は、他の何かに救ってもらいたいと思いがちになります。他に伝えて、解ってもらいたい、共感してほしいと思ってしまいます。

しかし、解決にはなっていません。それは「無心」になっていないのです。(無心とは…仏教の術語としては、妄念を離れた「心そのもの」を意味します)

限られた人生で悔いなく生きるには、一瞬一瞬「自分がいまやるべきこと」を考え、それに集中することだと思います。

2015年4月23日 (木)

哲学を持つということ

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何が正しくて、何が間違っているか?…分からぬことことが沢山あります。自分でしっかりした考えを持つことは大事なことです。結果的に判断するしかありませんが…その人その人生経験で、今までの蓄積した考え方(哲学)で判断することです。

しかし、この世の中に「絶対に正しい」ということはありません。だから、自分なりに、何が正しいのか、何が価値があるのかについて考え、それなりの答えのようなものを出し、それを基準に自分が正しいと思うことを信じて生きていくことです。

価値基準

いろんな事柄に関して、それが正しいのか正しくないのか…あるいは善いことなのか悪いことなのか…価値のあることなのか価値のないことなのか…を判断できる根本となる基準を自分として用意しておくことです。

一つの社会の中で暮らしているのであるから、その価値基準もなんらかのパラダイム(ある時代に支配的な物の考え方)に影響を受けます。しかし、できるだけそういうものに惑わされないように努力して観察し、洞察し、こういった基準を作り上げていくことが大切だと思います。

その努力がこの基準を年と共により善いものにしていくことと思えます。そして、基準が根本的に変わってしまう事件も今後ありうるかもしれません。しかし、このように自分で作り上げ、それなりに自信のある価値基準で持って、自分が正しいと思うことを信じて生きていれば、他人の批判などはそんなに気にする必要はないということです。

自分の哲学が個性となっていくことです。

2015年4月22日 (水)

老後の生きがいを考える

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老後の生きがい

人を愛し、信じあい、支えあうことは大切であります。自分の老後を自分たちで創っていくことは理想であり、必要とされている人間であることを、実感することが、生きがいにつながっているのです。

人生の目的

人間が生きている意味、人生の目的は、心を高めること、「魂を磨く」ことです。

「魂を磨く」…魂とは、生きものの体の中に宿って、心の働きをつかさどると考えられるもの…古来、肉体を離れても存在し、不滅のものと信じられてきました。

「この世に何をしにきたか」…生まれたときより少しでも、ましな人間になる…すなわち僅かなりとも美しく崇高な魂を持って死んでいく…  の世にやって来た時よりも、高い次元の魂を持ってこの世を去っていく…この事以外に人間が生きる目的はありません。

苦労することは…己の人間性を鍛える為の絶好のチャンスです。試練を「機会」として捉えることが出来る人…そういう人こそ、限られた人生を本当に自分のものとして生きていけるのです。

性格という先天性のものに哲学という後天性のものをつけ加えていくことで、人格・心魂の品格は陶冶されていきます。

「精進」することの大切さ

精進とは、一生懸命働くこと、目前の仕事に脇目もふらず打ち込むことです。それが心を高め、人格を練磨するために最も大事で、一番有効な方法です。

労働には欲望に打ち勝ち、心を磨き、人間性をつくっていくという効果があります。単に生きる糧を得るという目的ではなく、そのような副次的な機能があるのです。

日々の仕事を精魂込めて一生懸命に行っていく事が最も大切で、それこそが、魂を磨き、心を高めるための尊い「修行」となるのです。

 

2015年4月21日 (火)

きれい町で快適な生活を…

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「まちをきれい町で快適な生活したい」

道路や歩道を歩いてみると、たくさんのごみが捨てられています。紙くずやペットボトル、空き缶やタバコの吸殻など、捨てられているごみはさまざまです。もちろん、これらのごみは自然に発生したものではなく、私たちが捨てたものばかりです。

タバコをポイっと捨てる、空き缶やペットボトルをベンチや道路脇に置いていく、車から外へ紙くずを投げ捨てる。そんな行動の一つ一つが、道に、川に、公園にたくさんのポイ捨てごみを生んでいるのです。

自分のごみは自分で持ち帰って処分する。この当たり前の行為をみんなができれば、ごみのないきれいなまちになるはずです。

自分のしていることがどのようなことになっているのか気が付いていない(気にしていない)人がそれだけ多いのだと思います。

自己中心の考えだから…なくならないのではないでしょうか。吸いたいから吸う。終わったからそこら辺に捨てる。歩きたばこをする人は、特に周りのことなど気にしない自己中心的な人たちだと思います。

きれいなまちに住みたい…誰でも思うことでしょう。ルール・マナーを守るということは分かっているいると思うのですが、それが出来ない…大人です。そして子供たちは、「親の背中を見て育つ」と言われます。

さすが子供は、タバコを吸っている光景は見かけませんが、公園・広場で遊んだ後はペットボトル・空き缶・パンなどの空き袋などが散らかっています。

タバコの吸殻が捨ててあるのです。たぶん親子で来て、飲食して帰ったのでしょう。親が公衆道徳を教えなければ、子供が大人になる…末恐ろしいことに……

もう一度大人は反省すべきだと思います。

公園や広場が汚れていたら、誰しも気分が悪いものです。「自分たちの町」なのですからごみがあったら拾って片付ける…そして絶対にゴミのポイ捨て・タバコの吸殻は捨てない…町の人が守ってていれば、きれいで、快適な住みよいまちになります。

「自分たちの町は自分たちで守る」…ということです。

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2015年4月20日 (月)

夏近し

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緑増す 城址の森に 夏近し

片倉城跡公園の森の木々は日一日と燃えるようになっています。

そして、一気に若葉の季節に移っていきます。

小鳥は愛を求めて鳴き声も一段と高まってきています。

自然の生き物も、本格的な躍動する季節となりました。

夢と希望に満ちあふれ未来に羽ばたくのです。

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2015年4月19日 (日)

人に信頼を得るには難しい

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最近、町内会の役員をやっていて「人に信頼を得るには難しい」つくづく感じます。世代の違いから価値観の違いからでしょうか…改めて考えてしまいます。

人とうまくコミュニケーションしていくには、相手に信頼されることが必要不可欠です。

人間は言葉を信じずに、行動を信じようとします。いや本当は行動を信ぜずに、心を信じようとします。しかし自分の心を他人に示すことは難しく、それを理解できるなら、信頼を得ることがどれだけ難しいかが分かります。

理路整然とした言葉には、誰もが納得せざるを得ません。しかしその言葉が感情的なら人は服せず、強制的に感じられたら人は承服できません。私心を差し挟んでも人は服せず、自分に便宜を図ろうという気持ちが表れても人は服さない。

筋が通っている言葉に人が納得しない場合は、自分自身を反省しなければなりません。自分が心から言葉に従って、はじめて人も従えると言えます。

冷静沈着

他人を責めるより先に自らを省みる…口で言うほど簡単にできることではありません。ついつい自分を甘やかし、うまくいかない原因を他に求めようとします。

周囲の状況が変化していても、本質は同じであることは多いものです。心が憂鬱で塞がれていると、考えていることのすべてが間違え、誤ってしまいます。

私は、信頼を得るには…「正直であること」・「自分から先に信頼する」・「相手をコントロールしない」…という事を心がけていきたいと思います。

2015年4月18日 (土)

日本の人口減少を考える

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日本の人口が減り続けています。

総務省の発表によりますと2014年10月1日現在の日本の総人口は1億2708万3000人で前の年より21万5000人減っています。

65歳以上の割合は過去最高となり、初めて0歳から14歳の「年少人口」の2倍を超えました。少子高齢化は数字の上からも分かります。

15歳から64歳の「生産年齢人口」は7785万人で、前の年より116万人減ったほか、0歳から14歳の「年少人口」は1623万3000人で、前の年より15万7000人減って、総人口に占める割合は12.8%となり、過去最低だった前の年をさらに下回りました。

65歳以上は3300万人で、前の年より110万2000人増えて、総人口に占める割合は26%と過去最高となったほか、比較が可能な昭和25年以降で初めて、年少人口の2倍を超えました。総務省は「少子高齢化の傾向が続いているため、総人口の減少は今後もしばらく続きそうだ」としています。 (NHK今朝のラジオのニュース)

「地球と日本の人口問題」

今世紀末、世界の人口は100億人突破、日本の人口は6割減…!?

2100年の人口予測…

世界=約109億人(約5割増)

日本=約4959万人

(約6割減世界人口は2012年・国連の推計、日本人口は2014年・国立社会保障・人口問題研究所の推計(参考値)

現代日本の人口減少、最大の要因は「晩婚・非婚」

結婚と出産(子孫を残すこと)への義務感が薄れたこと…その上、現代文明の行き詰まり(世界と日本の将来への漠然とした不安感)も、出産に直結する結婚を避けようという意識につながったのではないかと思います。

問題は、年々、老人を支える働き手世代の割合が減っていくことは、深刻な問題です。

このような急速な人口減少と高齢者増加の大きな要因は、第1次・第2次ベビーブームと、第1次ベビーブームの後に行われた大規模な産児制限にあると言われています。

つまり、人口の急峻な「山」のすぐ下に「谷」が来て、また山が来て谷が来る、という日本特有の人口構造によるところが大きいのです。なお、高齢化が進む国では出生率もおおむね下がる傾向にあると言われています。

労働人口減少でGDPはどうしても低下は避けられないでしょう。今世界第三位ですが、何時までも、グローバル化した世界で、老齢化先進国の日本…社会の構造の変化を予測した政策を考えないと、大変なことになりかねない思いがします。

2015年4月17日 (金)

「ありがとう」という感謝の心

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「ありがとう」という感謝の心はいつも、もち続けたいものです。

「日常の五心」

「はい」という素直な心

「すみません」という反省の心

「私がします」という奉仕の心

「おかげさま」という謙虚な心

「ありがとう」という感謝の心

いつも感謝の心を持て日常生活を送りたいものです。独りで生きているつもりでも、多くの人に加護されて生かされているのです。その事を忘れてはいけません。

顕加と冥加

人と人とがスムーズでいい関係を築くには、普段から己を尽くし、誠を尽くすことが必要です。お礼状でだけ誠意を示しても、日頃からそういう姿勢を貫いていない限り、相手には通じません。

仏教に…感謝には2通りあり、目に見える何かをしていただいたことへの感謝を顕加、表に表れない、見えないものへの感謝を冥加と呼ぶ言葉があります。

普段、顕加だけでなく冥加の世界に至るまでありがたいという気持ちで生きている人は、「ありがとう」という言葉が自然に出ます。

相手を敬い、拙い自分を恥ずかしく思う気持ちがあるからであり、だからこそ人は成長するのです。そうでない人との違いは子どもの頃の躾や習慣からでしょう。躾が身についているからこそ、心がこもったお礼が自然に言えるのです。

「ありがとう」は、口癖のように言うぐらいが丁度いい。人間関係を円滑に保つ大事な言葉だからです。

 

 

2015年4月16日 (木)

片倉城址の山吹草

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城跡に 歴史を偲ぶ やまぶき草

カタクリから桜と咲き終わり、いま片倉城跡公園では…

 山吹草が咲き出しました。

黄色い花の絨毯のように群生しています。

 見事です…一見の価値がります。

かっての、武士どもは、どう目に映ったのでしょうか…

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2015年4月15日 (水)

高浜原発の司法の判断

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「安全と福祉」の施策は、これで・・・「絶対」・「完璧」ということはあり得ません。

人間が文化的生活を希求するならば、より多くのエネルギーを必要とします。そのエネルギー源は「自然」と「化石燃料」・「原子力」です。

化石燃料は後何十年で掘り尽されるという有限です。そして「水力」・「太陽光」・「風力」などの自然からのエネルギーを求めるには、限界があります。

そして原子力エネルギーですが、東京電力福島第一原子力発電所事故のように恐ろしい事故を経験した日本人・いや世界の人々が、原子力でエネルギーを利用には、「絶対安全ということはない」と思ったことでしょう。

日本は原子力発電で電力エネルギーの30パーセントまで達していたのです。日本の経済・文化を高めたものは、原子力の利用であったことは、間違いありません。福島第一原子力発電所事故で、日本の原子力発電所は、全国17箇所48基で、現在稼働中の発電所は完璧なゼロとなったのです。

再稼動を巡って、今回、福井地裁の判断が安全性に対し否定した結果が出ました。「福井県の地元住民らが高浜原発は地震の想定が甘く安全対策が不十分と主張。」…関電は安全性を確保していると反論したが、地裁は「重大事故に至る危険がある」と差し止めを命じました。

そして、「命の安全」と「暮らしの質の向上」に選択は相反するものがあります。人間の欲望は果てしない…もうこの位でいい?という議論が起こって当然と思います。「絶対安全」はないということでしょう。この問題は、日本人のみならず、全世界の人間が考えるべき問題と思います。

新聞各紙の社説でも大きく分かれています。悩む問題ですが、私は重たい警告だと思います。私自身判断がつきません。

新聞各紙の社説

朝日…「高浜原発差し止め―司法の警告に耳を傾けよ」

読売…「高浜差し止め 規制基準否定した不合理判断」

毎日…「高浜原発差し止め 司法が発した重い警告」

日経…「福井地裁の高浜原発差し止めは疑問多い」

産経…「高浜原発差し止め 「負の影響」計り知れない」

 

 

2015年4月14日 (火)

傘の花

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春の雨 路面に映る 傘の花

昨日の東京地方は、一日雨が降り続きました。

交差点で、横断歩道をわたるとき、黄色・黒・白・茶などの傘の色…

雨水が流れる中に映っていて、傘の花のように思えました。

今日も一日雨のようです。

2015年4月13日 (月)

今…地域コミュニティが重要  

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地域コミュニティについて・・・

価値観の多様化などで、独りでも生きていけると思っている人?も、多くいるように思えます。
人は、一人ででは生きていけません。何時までも若くしていられません。そして何より、病気や災害・犯罪・不慮の出来事があります。

最近、あの家の人をあまり、見かけない…

会っても頭を下げるぐらいで、話しかけられない…

わずらわしいのか、町会を脱会をする・したいという人が…

地域コミュニティとは…日常生活のふれあいや共同の活動、共通の経験を通して生み出されるお互い のつながりや信頼関係を築きながら、自分たちが住んでいる地域をみんなの力で 自主的に住みよくしていく地域社会です。

今…地域コミュニティが重要   

近年、地域や職場等において人と人との関係が希薄になり、一人暮らし等で日常的に家族の支援が得られない高齢者などが増加し、孤独死といった問題も生じ ています。

こうした地域等における人間関係の希薄化により、地域の支え合いの機能が低 下し、介護や子育てといった福祉や、防犯・消防といった生活安全など市民生活のあらゆる分野で深刻な影響を与えています。

「地域のつながりの再生」

人と人とのつながり、支え合う地域社会に向けて、社会的に孤立した方にどのよ うに手を差し伸べたらよいと思いますか?また、私たち一人ひとりにできること は?

さらに、よりよい地域社会づくりに向けて、東京都・八王子市に何を期待しますか ?

みなさんも一緒に考えてみませんか…

2015年4月12日 (日)

環境と経済成長

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経済成長の目的「国民の生活を良くすること」です。

人間の欲望には際限がありません。人間以外の動物は必要な分のみ充足すると満足するそうですが、人間はあらゆるものを貪欲に欲しがります。

この人間による豊かさの追求を具現するために発展してきたのが経済学であり、その目的は欲望を充足するためにおカネをいかに獲得し、豊かな生活を実現するかにあります。それぞれの国・人が競って国民の暮らし「経済成長」に懸命に努力しています。 

エネルギーと経済成長

生活を豊かにする手段…物やサービスを作るには何らかのエネルギー消費が発生するので、環境が破壊されます。

現在、物やサービスを生産しても環境を破壊する度合いを少なくしようとする努力(省エネ)…経済の成長は環境破壊を招くことで、有限な化石燃料や原発・太陽光などの自然エネルギーなどあらゆるエネルギー源を検討・模索していますが、深刻な環境問題は、「経済成長」すれば「環境悪化」することです。

つまり、経済成長で人の暮らしはよくなりますが「エネルギーから環境破壊」を起こす結果になるのです。ならばと、人間の欲望を抑えることを考える議論が浮上しています。だから、これ以上経済成長(発展)しなくても自然環境を守って行くべきという考え方です。

環境と経済発展の歴史

環境と経済発展は本当に両立し得ないものでしょうか…全世界では公害問題が深刻化するとともに、1970~80年代にかけ、石油ショックに端を発してエネルギー資源の有限性に関する危機感が深まり、そして経済成長の限界が危惧されるようになりました。

長期的な視点では、18世紀の産業革命以降、経済活動の拡大につれ、石炭・石油等化石燃料の利用にともない二酸化炭素の排出量が大幅に増加した歴史があります。

その結果、空気中の温室効果ガス濃度が上昇し、全人類が地球温暖化とそれにともなう気候変動の危機に直面しています。その結果、1992年の地球サミットや1997年の地球温暖化防止京都会議(COP3)を経て、気候変動問題は21世紀における最大の地球環境問題のテーマに掲げられています。

戦後の日本経済を振り返ると、右肩上がりの高度経済成長から産業公害をはじめとする環境問題が深刻化した歴史があります。近年、人々が単なる消費の増大よりも、豊かな環境を望む機運が高まってきたように思えますが…。

環境問題は一国だけの問題ではありません、全世界の国・人が環境に関心を持ち、環境による、自然破壊で、このままでは、人間は大きな代償を払わなければ、ならないということを肝に銘じべきです。

今日の朝日新聞社説…

「温暖化対策―地球益に背を向けるな」

 

 

 

2015年4月11日 (土)

成田山参り

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成田山 春の恒例 バスの旅

毎年4月11日と決めて、成田山新勝寺にお参り

八王子成田山一心講の皆さんで、今年は150人とか…

あいにくと雨で今日の天気は午前中の雨の予報です。

気をつけて行ってきます。

2015年4月10日 (金)

子供の遊びと公園を考える

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子どもが自立した若者へと成長していくためには、自然や人と直接ふれあうことによって、心豊かにたくましく育ち、生活や社会、自然とのかかわりを学び、生きる力を発揮できるようにしていくことが重要です。

私の住む町内には、近くに雑木林があり、昆虫や生物を探したり、木登りも出来る公園がありますが、親の教育からなのでしょうか、ほとんど林の中では、子供たちの遊んでいないようです。 

確かに、大人の人たちの監視が出来ない場所ですので、親たちは、ごく近くの公園で遊ぶように指導しているのでしょう。四方から見渡せる位置していていますが、遊具が少ない(スペースが狭い)のです。(時田公園2298㎡)

もちろん「サッカー禁止」「野球」は禁止です。それでも、子供たちはサッカーボールで石塀に蹴ったり、野球のボールを投げたりして遊んでいます。

小さな子どもたちが遊んでいる傍でサッカーやキャッチボールなどをすると危ないが、ほとんど誰も遊んでいないような所で、あれもダメ、これもダメと言うのもどうでしょうか…

しかし、四方が道路に面した公園ですので、野球のボール・サッカーのボールが道路に出てしまうことが見かけられます。過去に、道路にでたサッカーボール出たボールが、通行人に当たりそうになったと聞きました。(ひょっとして事故に…)

昨日のニュースで、小学生が校庭でサッカーの練習中に蹴った球が道路上に転がって交通事故につながった。保護者の親は責任を問う裁判で、親の賠償責任が争われた民事訴訟で、最高裁が「親に賠償責任はない」とする判決を言い渡されました。

毎日新聞社説…「親の監督責任 限界に配慮した最高裁」…がありました。

子供たちから危険を除くのは大人の責任ですが、物事の善し悪しの付かない小さな子には親が目を離さず危険から守り、少し物事の判断が付くようになったら、子供自身が自分から安全か危険かを判断できるように力を持てるよう育てるのが大切です。

子供を見守り健全に育てるには学校や地域の力も欠かせません。特に公衆道徳(ゴミは持ち帰る・公園を汚さない)指導したり、子どもたちにルールやマナーを教えることは大切と思います。(しかし、その大人達の中にも、タバコの吸殻や飲酒したゴミを放置して行く人もいます…)

判決は、一定の条件下で親の免責を認めただけです。社会生活上のきまりや交通ルールに反すれば、子供自身も含めて賠償責任は問われます。親の子供に対する適切な指導やしつけは大切…それも肝に銘じたいものです。(毎日新聞) 

 

 

2015年4月 9日 (木)

空過

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「空過」…むなしく時を過ごすこと。「無駄に過ごす」というような意味です。

「一日を無駄に過ごしていると、やがて一生を無駄に過ごしてしまうことになる」・「いつか手をつけようなどと思っていると、いつまでも実行せずに時が過ぎてしまう」

何か目標を立てたり、今までの自分では、駄目だって気持ちを入れ替える…誰しも、難しいことですが、その気持ち続けることが「幸せになる鍵」だと思います。

確かに、一日一日を大切に、とは思うのですが、それがなかなか難しいです。育児や仕事に追われたり、せっかくの休みも寝て過ごしてしまったり、何もやる気が起きずにボッーと過ごしてしまったり…

今やっていることで、大変なストレスなると、「早く終わって欲しい」と、「今」を放棄したい!…ことがよくあります。また、今が面白くないと、「昔はよかった。あの時は楽しかった」と過去の思い出の中に逃げてしまうことがあります。

そして、今も昔も面白くなかったら、「まー、そのうち楽しいこともあるだろう」と、未来に淡い期待を抱いて、「今」を“生きていない”ことがよくあります。

もちろん、過去を懐かしむことや明日への希望を持つということがいけないと言っているのではありません。ただ、過去を懐かしむのは「今」をよりよく生きるためであり、明日への希望を持つのも「今」を大切に生きていくということから生まれてくると思います。

かけがえのない一日を大切にし、明日へと繋げて行きたいものです。「そのうち、そのうち……」という生き方はまさしく「空過の人生」です。与えられた一日一日を精一杯生きるという生き方を考えたいものです。

充実した一日一日の積み重ねが、人生で悔いのない人生に少しで近づけられる…と努力していくことが大切で「幸せと充実」一生となると思うのです。

 

2015年4月 8日 (水)

はなまつり

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「はなまつり」・灌仏会(かんぶつえ)…釈迦の誕生を祝う仏教行事です。

今日は4月8日です。

6~7歳の頃近所の子供たちと近くのお寺(八王子片倉町の慈眼寺)のお堂に上がり、線香の匂い、周りが暗く漏れる光で輝いていたこと…花御堂(はなみどう)の屋根に飾られていて直ぐ落ちそうだったこと…甘茶を頂いたのですが、あまり美味しくなかったことが記憶に残っています。

お堂の中には甘茶で満たされた桶が置かれ、その中心には右手を上に、左手を下にした誕生仏という仏像が安置されます。柄杓を使って誕生仏の頭へ甘茶をかけ…甘茶をいただきました。

「天上天下唯我独尊」…「天の上にも天の下にも、ただ、我々人間だけが果たせる尊い使命がある」…

「唯我独尊」の「我」というのは、釈尊だけのことをおっしゃったのではなく、我々、人間ということなのです。人間なら誰しも、釈尊と同じように「天上天下 唯我独尊」なのであり、そういえるのです。

なので、「天上天下 唯我独尊」ということは、天上・天下広しといえども、我々人間にしか果たせない、たった一つの聖なる目的があって、生まれてきたのであるということです。

 

 

桜と寒さと雑感

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気温の変動が一年うち、最も激しいのが4月です。

一昨日の東京地方は、暖かで歩いていて、半そでシャツで汗をかくくらいでしたが、昨日は一転12度ぐらいでした。もちろん、しまいかけた冬物のコートを着て出かけました。北海道では雪になったとか…

昨日は、バスツアーで、東京の花の名所めぐりで一日過ごしました。芝増上寺・池上本門寺・新宿御苑と回って、浅草から日の出桟橋まで、隅田川を水上バスで…対岸の桜を観る…ということでしたが、花は冷たい雨で散ってしまっていました。

さくらの花びらで、路面が真っ白になっている光景を見て思い…人の世の儚さを…「散る桜 残る桜も 散る桜」…良寛和尚の時世の句と言われていますが、人は「等しくやがては死を迎える運命を秘めている」ということです。

その生命と死の対比を情景の中に感じ取ることにより、よりいっそう生命の輝きを強く感じることが出来るというのでしょう。

その上驚いたのは、外国の観光客の多さです。浅草始め、東京の観光名所に日本の観光客より多いと思えるほどでした。皆さん寒さに戸惑っていたことでしょう。

「春の北風は晴れる」

自然現象や、ことわざで天気を予想する「観天望気」…「春の北風は晴れる」があります。移動性高気圧と低気圧とが交互に通り、それにともなって天気が変化する低気圧が日本海を抜けることがよくあります。

このような時には南風が吹いて雨が降ります。低気圧の後から移動性高気圧が来る時には、その前面では北寄りの風が吹き、やがて高気圧におおわれるから天気はよくなります。

また移動性高気圧が来なくても、低気圧の通った後で大陸の高気圧が発達することがあり、この場合にはいうまでもなく北風が吹き、日本はこの高気圧の勢力圏内に包含されるので晴れることだそうです。

 

2015年4月 7日 (火)

タバコの吸殻一本ぐらい

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タバコの吸殻ぐらい…捨てても構わない…とでも思っているのでしょうか…地球環境は、年々酷くなっていることは、昨年、史上最悪となった東南アジアのサイクロン・今年になって、日本の裏側の国チリでアタカマ砂漠に歴史的な豪雨で大きな被害が出ていることでも分かります。

このように、世界の人々は、刻々と変わる気象に気がついていると思いますが、平気で、タバコの吸殻を捨てて行く人がいます。地球上に暮している人間は70億人と言われています。地球の環境は、良くするにも悪くするのも人間です。

連鎖反応

連鎖反応…一般に、ある反応における生成物や副産物が新たに同種の反応を引き起こし、結果的に反応が持続したり拡大したりする状態を指す。(ウキぺディア)

地球上に住む、人間を含めすべての生き物は、自然の摂理に従って生きています。ある一つの現象で連鎖反応(悪い)方向に向かって進むのです。それが史上かってない…経験のない現象…が現れるのです。

この世では、すべてのものが個々に存在しているように見えるけれど、すべてのものはどこかで何らかのかたちでつながっています。自然とどこかでつながっています。

そして、世の中の道理というか、自然の有り様とは、自己中心的に生きようとしても、生きていけないということを、人はなんとなく理解しています。しかし、結果(予想)も出来るのも人間です。

たかがタバコの吸殻一本ぐらい」…いいだろうが…これも連鎖でタバコの吸殻でゴミも山になってしまうのです。

この地球は、私たちの世代だけのものではありません、子供…孫…ひ孫…そしてすべての生き物もが…未来永劫まで生き続けられる環境を守る…ことを考えて欲しいものです。

2015年4月 6日 (月)

山桜

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やま桜 己を律し 花咲かす

山深い谷間の崖に、咲いている山桜を見て思う。

 花は何故ぜ咲くのか…

明日を信じて咲くのでしょう。

4月です。

新入学、新入社おめでとうございます。

きっと希望、に胸をふくらませていることでしょう。

2015年4月 5日 (日)

食料・エネルギーの危機

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地球規模で深刻化しているエネルギーと食料の問題

グローバル化が進展する一方で、環境・エネルギー、貧困、地域紛争など地球規模の課題が深刻化しています。人口増で食料不足は、危機的状況が目の前にきていると言えます。

飢え…餓死という現実

現在、世界ではおよそ8億500万人(人に1人)が飢餓に苦しんでいます。

世界の飢餓人口の65%は7つの国(インド、中国、コンゴ民主共和国、バングラデシュ、インドネシア、パキスタン、エチオピア)に集中しています。栄養不良により、発展途上国において5歳になる前に命を落とす子どもの数は1年間で500万人います。

発展途上国では、約1,090万人の子どもが5歳の誕生日を迎える前に命を落とし、このうち6割は飢餓や栄養不良に関連した病気が原因とされています。

世界の総人口は、現在、約70億人であり、1950年(25億人)から2.8倍、1970年(37億人)から1.9倍というように、増加の一途をたどってきました。それを支える食料生産も増加し、世界の穀物生産量は1970年から2倍となっています。

また、食料の分配不均等から、飽食によって4億人の肥満者を抱える一方で、8億人を超える人々が栄養不足に直面しているという。

さらに、世界的な気候変動や、土壌・地質条件、水資源の枯渇、野生動物による森林や耕作地被害の激増など環境の変化、原発の安全神話の崩壊…人間活動の弊害による食の安全性や信頼性の低下など人間生活への影響も年々深刻化し、人類の生存も脅かされる状況にあると思います。

食料問題は、地球規模の環境やエネルギー問題と決して切り離して考えることは出来ません、事象を広く俯瞰的に捉えなければならないと思います。

 

2015年4月 4日 (土)

老人が涙もろくなる理由

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老人が涙もろくなる理由…

「年寄りの目に涙」といわれますが、以前は涙など流したことがなかった人が、近頃とみに涙もろくなり、ちょっとしたことで涙が出てきて止まらないという人がいます。

テレビドラマを観ていて主人公に、今まで経験・想いが重なり、感情が高まって、自然と涙が出て止まらなくなるのだと思います。私もそうですが…

これまで、「男の涙は見苦しい」・「男は涙を流してはいけない」という…精神文化が涙することを抑制していたと思います。特に現職時代には感情をコントロールし、責任を果たさなければならない存在でしたが…

定年後人生においては、誰はばかることなく自由に生活できるようになれば、精神的抑圧も取れると涙腺も緩むのかも…ドラマに神経を集中できる環境において、素直に受け止められる心の余裕があって、ドラマを見られようになっているからだと思います。

涙のない人生はなく、泣きたいときには思いっきり泣けばよいと思います。そういった意味では、私も確実に老人化しています。

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北国新聞…コラム「時鐘」2015年4月2日より 

朝のテレビ小説をみて涙ぐむのは老化現象の一つだという。そう言われてみれば、朝ドラで涙がにじんだのは「おしん」ぐらいだった。

このところの「まれ」に胸を熱くしている。塩田で、じいさんが少女に聞く。「まれってどんな字を書く」。「希望の希です」。「いい名前やがい」。会話だけで感動しているのではない。老人世代と孫世代の出会いが心に響くのである。

人生とは何かと聞かれて「出会いだ」と答えた恩師がいた。友人と出会い、恋人と出会い、名著や名画と出会い、旅をして見知らぬ土地と出合う。しかし、出会いだけで人生完結しない。「別れ」があ手こそ人は成長し、人生に幕が下りる。

残された時間が少ない老人と、人生これからの少女が偶然能登の地で出会って心を通わせる。その単純なシーンに胸が熱くなるのは、「別れ」を予感させるからだ。春はそんな季節である。人と別れ今日また新しい出会いがある。

桜が咲き始めた。毎年同じ花を付けるのに、いつもどきどきさせる。その心で「地道にコツコツ」出会いを積み重ねていきたい。

2015年4月 3日 (金)

桜が満開

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        湯殿川と片倉城址公園の満開の桜

それぞれに 思いを寄せる 桜かな

今日は2015年(平成27年)4月3日です。

片倉城址公園の桜は満開です。

寒さに耐え・夏の暑さに耐え、秋の風雨に耐えて、

花の咲く時期は、わずか10日間ぐらいです。

人は、桜の花を見て、それぞれの思いを重ねて観ていることでしょう。

一期一会…別れがあり、出会いがあります。

そして希望・夢・勇気を抱く人もいるでしょう。

パット咲いて、パット散る…これが人生…と重ねて回想して…いる人も…

明日は、私たちの福寿会(老人会)ではお花見です。天気が心配です。

2015年4月 2日 (木)

殺人と戦争

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国際的な問題…「過激派組織IS=イスラミックステート」がいま、大きな問題となっています。一方、日本国内でも「親の子殺し」・「子の親殺し」や一般殺人事件のニュースに、いとまがありません。人の命を奪うと言う行為は、人間として最も卑劣な行為です。

戦争も人殺しも何故なくならないのか…仏教でいう人間の煩悩からでしょうか…現代では、宗教問題・格差社会が起因しているとか…平和の社会は、全世界の人々の願いであるはずです。世界が戦争と人殺しがなくなることを願わずにはいられません。

「戦争」とは…

現在、どこの国を見ても「人を殺してもいい」というルール(法律)を持っている国はありません。しかしながら、戦争はそのルールを超えたところにあります。

戦争とは武力により、相手の国にダメージを与え、力でねじ伏せることです。相手の国土を、建物を、さまざまな施設を道路を破壊し、ダメージを与えます。そのなかには当然「殺人」も含まれます。すなわち、戦争とは「殺しあってもやむを得ない」というルールの上に成り立っている…と思います。

通常の法治国家のルールを超えた異常事態、といってもいいでしょう。もちろん、戦争にも捕虜を殺してはいけない、民間人を巻き添えにしない、などのルールはあります。しかし、そもそも戦争が相手にダメージを与える、という目的の上に成り立っているわけですから、意味がありません。

たとえば「イスラム国を叩く」とか、「過激派組織IS=イスラミックステートを攻める」という言い方はきれいに聞こえますが、「イラク人を殺す」ということと同義であることを私たちはしっかり認識すべきでしょう。つまり戦争はそもそも殺人を回避しない、という前提に立って行われる、ということです。

「殺人」とは…

平和な法治国家で故意に殺人を犯した場合は、罪に問われることになります。 そして、故意ではなく過失で人を殺めた場合であっても過失致死などの罪に問われます。

殺人は、どのような社会であっても重い罪の一つとされます。近代の法律は殺人を取り締まることが成立の要因と言っても良いほどに刑法で重視されており、緊急時の正当防衛、妊娠中絶、死刑の執行など一部の例外を除けば上述の通り罪に問われることは避けられません。

日本の法律では有期懲役、または無期懲役、あるいは死刑の何れかが課せられます。

正当防衛の場合であっても、相手を殺さなければ自分が殺される(死ぬ)ような緊迫した状況でなければ、大体の場合過剰防衛とみなされるでしょう。

 

2015年4月 1日 (水)

一日一生 一日生涯

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一日
一生 一日生涯

それは「一日生涯の気持で、感謝しつつ、今を悔いなく精一杯に生きること…そして、私にかかわる全ての仲間と、命のある限り生きる喜びを共に分かち合っていくこと」そうした信念を持って生きることです。

一年は一日の集まりです。そして一生も一日の集まりです。つまり、“今日”という一日を後悔なく過ごせたと思える日が多くあったということは、その人は“幸福である”ということです。

朝起きたときは生まれた時で、昼間はその人の人生で、夜寝るときは死の時です。人の一生とは、短く言えば一日で表すことができるということです。元気一杯満足に一日を過ごすと、ぐっすり眠ることができます。逆に、悪いことをしたり心配を明日に残しているとぐっすり眠ることはできません。

“ぐっすり眠る”ために、私たちはどうすればいいのでしょうか?私たちはずっと起き続けることはできませんし、眠り続けることもできません。そして、ずっと生き続けることも、死に続けることも…

不満足な生は不満足な死を招き、不満足な死は不満足な生にしかならないのです。今日の幸せがなければ明日の幸せに繋がらない…この言葉には、そんな意味が含まれているような気がします。

参考:われわれの気分の変わりようは、運の気まぐれ以上に勝手気ままだ(ラ・ロシュフコー)
http://kotoba.ti-da.net/e575816.html 

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人の最後に…

看護師が明かす「人が死ぬ間際に最も後悔すること」…あなたは、後悔のない人生を送っていると思いますか?

末期患者のための苦痛緩和治療に長年携わってきたオーストラリアの看護師、ボニー・ウェア(Bronnie Ware)さんが患者たちと接する中で学んだ、死の間際に最も後悔することを教えています。

 「人の期待に沿うためでなく自分に正直に生きれば良かった」

最も多い後悔で、人は自分の人生が終わる時に隅々まで振り返り、叶わなかった多くの夢に気付くとのこと。殆どの人が自分が決断した、もしくはしなかったことで夢が半分も叶わなかったことに気付いて死を迎えている、といいます。

「働き過ぎたこと」

ボニーさんが看た全ての男性が持っていた後悔だそうで、子供の成長を見守ったり、配偶者と一緒の時間を持てばよかったと話しています。

「自分の感情を表現する勇気を持てていたらよかった」

対人関係を良好に保つため、多くの人が自分の感情を押し殺すもの。その結果、本当に自分が出来ることをできず、中途半端な存在になってしまったと後悔。また、こうした苦しみや苛立ち、鬱憤などが病気を引き起こした人たちも。

「友達ともっと繋がりを持っていればよかった」

古き良き友人を持っていることの恩恵に気付くのは、死が目前に近づいたとき。多くの人が自分の生活に忙しくて友達との関係に時間を割けず、友達のことを思って寂しく思うのだそうです。

私は、以上のような事を想定して、残りの人生を送りたいと思います。

 

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