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2015年3月

2015年3月31日 (火)

四月で思う「一期一会」

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今日は3月31日で、下期の最後の日です。明日から新年度始まりです。

4月は、入社・入学を始め、進級・組織編制して新スタートし更に、個人的にも組織的にも飛躍・発展を目指す…別れがあり、出会いの月でもあります。

学校での新しい友達との出会い、職場の人との出会い、ご近所や地域の人々との出会い、さまざまな人との出会いがあります。

出会いこそ人生の始まり、生きていく上での新しい展開のきっかけとなることから、人生の悲喜こもごもは、出会いからだと、人は言う。 人にとっての最大の出会いの始まりは、自分との出会い、すなはち、我が命の誕生です。

自分の誕生には、父母の出会いがあったからです。自分の存在は他が支えている、人は互いを大切に思い、必要とするからこそ、出会いがあるのです。

“おいでる”→“おいとま”する(訪問→帰る・別れる)そのために、お客さまが、路地に入るより 出ずるまで 心をくばる、その心遣いが 無言のうちにも通じていきます。 今日 今席しかないという気持ちで相手に接していく 生き方であります。

すばらしい心くばりです、自分に対する心くばりも、かくあらねばなりません。 毎日が新しい日、はじめての日、毎日が新しい私、はじめての私です。一期といえば 、人生の一生涯、一会といえば その時、その場、はじめての日のはじめての人との、一度きりの出会いですから、一期一会とは、一生に一度の出会いということです。

さまざまな出会いのもとに 人は生まれてきました、そして、人にはさまざまな出会いがあります、どんな出会いでもありがたきことと喜びたいものです。

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2015年3月30日 (月)

老いるとは…

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出来ていた 出来ぬで知った 老いたこと

老いの現実…このくらいのことは出来きる、何十年ぶり鉄棒にぶら下がり「懸垂」…イザ!やって見たが、何んとしても出来ない…一回もできないで…ヤハリ老いのせいだとあきらめた…

記憶力…人の名前・簡単な漢字・暗算など、どうも苦手になってしまったー「老いるとは こういうことかと 老いて知る」です。

何とか痴呆症になって、人に迷惑かけぬようにしたいと思うが…歩きながら考えていたら…おっとと…「つまずいて 足元見れば 何もなし」情けなや…とほほで苦笑いする始末です。

 

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今、生きている・生かされている

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ニュースで、「地球のほかに生きものが?」存在する星があるという。

土星の月「エンセラダス」の地下には、生物を育むのに適した温度の熱水があることを、米航空宇宙局(NASA)などの土星探査機カッシーニの探査で確認したと、日米欧の研究チームが発表しました。

生物に必要な有機物も確認されており、日本から東京大など3大学1機関が参加する研究チームは「生命が誕生したころの地球に近い環境がある」と指摘、専門家は「地球外生命の探査に弾みがつく」と期待しています。

地球以外の天体で、生物誕生に必要な水、栄養、高温(エネルギー)の3条件がそろっていることが確認されたのは初めてす。

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地球という星…46億年前に誕生して、それから6億年ほど経った頃(40億年前)、海で生命が誕生したといわれてい ます。

この地球上に生きるあらゆる生き物は、生きとし生ける、さまざまな他の命にささえられて、生きることができる、人も同じです。そして、誰でも一人では生きていけません。

この道理を認識する謙虚な態度こそ最も大切なことですが、現代人はあまり気に留めようとしないばかりか、気づいていても、自分本位に行動します。

この最も基本的なことが崩れ去ってしまう世の中ほど、恐ろしいことはありません。

親の子供虐待、おれおれ詐欺・還付金詐欺や凶暴な犯罪、川崎で起きた、未成年青の命を尊ばない無謀な行動…などなど…最近、人々の心はすさんでいると思えて仕方がありません。

信頼や信用、お互いを助け、生かし合えることを、みんな忘れてしまったのでしょうか… 自分の力で生きているのだと思い込んでいる人であっても、人間は多くの人々や、生きとし生ける、さまざまな命にささえられ、生かされています。

只一人では生きていけません、多くの人々や、生きとし生ける、さまざまな命とともに生きているから、ヒトと間、すなはち人間というのでしょう。

「生きているうちが花だ、死んだらおしまいだ」救われたいという 願いがあるなら、「他を救わんとする 願いをおこせ」命がよみがえる暖かな季節を迎え、生きとし生ける すべての命に、人に、手を合わせ、心静かな自分を取り戻しましょう。

「今、生きている、生かされている」 この幸せを、喜びを実感しましょう。

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2015年3月29日 (日)

ぼんぼりと夜桜

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ぼんぼりに 映し出したる 桜かな

いよいよ桜が咲き出しました。片倉城址公園では、二分咲き?

朝からシートを広げてお花見を楽しんでいるグループも…

お天気は、午後から曇ってきて、風も出て肌寒くなってきました。

昨夜の、東京上野公園は、夜桜見物客で賑やかだったとか…

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人生と山登り

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人生は山登りと同じです。徳川家康人生訓…
人の一生は、重荷を負うて、遠き道を行くがごとし…があります。

人生は山登り…

山に登っている最中は足元を確り見つめて、周りの景色など見る余裕などありまえん。途中に少しの平地があり一休みする場所があれば、休んで体力を回復させて登ります。そうして何回か休んで、また上を目指して登り出す……頂上は見えないのです。登り方は人それぞれです。

幸福とは…

平地で(人生の入学・卒業・成人・結婚・出産などの節目…)休んで辺りの風景を見回し、今まで登ってきた厳しい道のりを振り返り、「幸せ」を味合うことが出来ることだと思います。だから、一所懸命登っている最中は、幸せとか、不幸せとかをあまり認識しません。

しかし、一日を終えて、就寝につくとき、一日を反省し、生きられたことに、感謝する…それが幸せ…だということだと思います。

幸せを、求めた場合には、何処にも無い事が分ります。幸せとか不幸と言う事を考える事自体が、心の安定になっていないからです。全てを忘れて、「今現在に打ち込む時」あるいは幸せとかを忘れ果てている時、本当は満足出来ていることだと思います。

このような心理状態を追求した時、ある結論に達すると思います。それは「今を、あるいは今の自分を、あるいは今の自分の状態を」すべて全肯定出来た時です。

今の自分を肯定出来ない事から「疑問や不満や、果ては自己分析にはいる」と思えるからです。自分で自分を分析していない時とは「自分を忘れている時です」

お金があるとか、ないとか、会社においての地位や、社会における名誉とか、または自分が他の人より優れているのか?と云う事を全て忘れて、自分が自分を生きた時、あるいは比較する全てを持っていない時、自分にはお金があろうがなかろうが、社会的に如何いう状態であろうが、本当は幸せであると感じるのです。

その理由は「今自分の命を生きているからです」五体満足であっても幸福感を得られない理由は、自分や周りを肯定出来ていないからと思います。

自分自身を肯定出来た時…たとえ一人であっても、孤独にはならないと思います。大勢の人の中にいた場合でも「孤独を感じている場合は」自分自身の心が自分自身の心と仲たがいしているのです。

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2015年3月28日 (土)

霞か雲か

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今の時期になると、童謡の「霞か雲か 」…(ドイツの民謡)

を思い出します。今日(28日)は、午前中は花ぐもりですが、昼ごろは、暖かくなり、5月の陽気になるそうです。

1.かすみか雲か ほのぼのと
       野山をそめる その花ざかり
     桜よ桜 春の花

2.のどかな風に さそわれて
     小鳥もうたう その花かげに
     いこえばうれし 若草も

3.親しい友と 来てみれば
     ひときは楽し その花ざかり
     桜よ桜 春の花

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ボランティアで心を豊かに…

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ボランティア…楽しく続けて人生豊かに

ボランティアは自分が好きでやるのが基本です。後継者は考えない。市民活動は指揮命令でなく、共感で動…ゆとりを持って支え合う…精神で行動することです。

ボランティアは、自分の身近なゴミ拾いから、色々な奉仕活動で、「無償」であり、「継続」出来る事が大切な事です。

ボランティアは、活動して辛いとか、犠牲になってる感があったり我慢されているのであれば長続きしなし、ボランティアとは言えません。身近なことから…私たちの身のまわりを見直し、気がついた事を出来るところから始めることです。

自分を成長させる

ボランティア自身が持っている知識や技能を社会に役立てるためには、 研修や学習をおこたらず、自分自身を一層高めるよう努めることが必要 です。

無理をせず継続を心がける…無理をすると長続きできません。自分の生活のリズムを考えて計画を立 て活動することです。 犠牲的精神?では活動は長続きしません。

人生の真の豊かさとは

「働き盛り」の方々を見回すと、多くの方が仕事に没頭し、多忙に流されて自分らしい大切なものを忘れているようです。日本は経済にあまりにも軸足を置いているため、経済の豊かさが、あたかも人生の豊かさに直結しているかのような錯覚を起こさせているようです。

人生は誰でも「おひとり様一回限り」経済も間違いなく大事なのですが、「真の豊かさ」は、経済的な豊かさを超えたところにあると思います。人のため・社会にために尽くす…感謝されることで「生き甲斐い」を得られる…素晴らしいことです。

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2015年3月27日 (金)

老後の不安がつのります

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私は、結婚して50年…子供・孫もおかげさまで元気で暮していますが、いわゆる核家族で、遠く離れて暮しています。

近所の方もほとんど、同じと言いいたいのですが、50歳を過ぎた子供が、所帯を持たない…で同居している状況の家族が多いのです。

「結婚しない」・「出来ない」などの理由はそれぞれあると思いますが、父親・母親のどちらかが亡くなって、片親になり、結婚して親との同居は、若い人は敬遠されています。

昔のように嫁が犠牲になっていた時代から、暮らしのパターンが違ってきました。嫁姑の“いさかい”を嫌って他で暮す…「後とり」と言う言葉さえ死語となってしまいました。そして、遺産の問題では兄弟・姉妹でも骨肉の争い?問題を起こすのも珍しくないようです。

70歳を過ぎた老夫婦が、昔からの隣近所のお付き合いを、辛うじてしていますが、それとて難しい状況に追い込まれました。歳を重ねると言うことは、若い時には考えられなかったことです。心身ともに弱ってきて、言動にも限界を感じています。

これからの健康の不安は募るばかりです。老老介護となるのでは…財産を計算して、高専賃(高齢者専用賃貸住宅)など検討…遺言書を考えてみたり…

でも、人は死ぬまで一人では行き続けられません。家族・近隣・社会の多くの人に関わりってしか生きられません。そんな状況になってきた環境です。「なるようにしか成らない…」では済まされない思いです。真剣に考えるとまた、不安になってしまいます。

町内会・自冶会も、高齢化・後継者いない…は日本各地で起きている問題のようです。私の住む町でも、ひとことではありません。一人暮らし問題・空き家対策・自然環境問題などを含めて喫緊の問題と思っています。

待機児童・子育ての問題もあります。社会の仕組みを変える?それは政治しかないと思います。四月に統一地方選挙があります。「安心・安全」と「生活を守る」真剣に考えている人を投票したいと思います。

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2015年3月26日 (木)

早くもツバメ来る

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春暁に 一番ツバメ 空を舞う

朝6時、雨戸を明け庭に出て、ツバメの鳴き声を、今年初めて聞きました。どこにいるのだろうと、空を見渡したのですが、姿を見ることは出来ませんでした。

ずいぶん早いなーと思いましたが、関東地方は3月下旬~4月上旬です。多摩地域もこの時期に渡ってくるという。 http://kawasemi.fan-site.net/research/tubame/answer2.html

「チキチキ」と甲高い鳴き声…ツバメの来ることは誰にとっても楽しみなものです。

ツバメは古くから多くの人々に親しまれてきました。そのため、ツバメにちなんだことわざや言い伝え、物語がたくさんあります。また、短歌や俳句にもツバメが詠まれています。

また、列車の名前やプロ野球チームの名前にまで「ツバメ」が使われていて、ツバメがどんなに身近な鳥かよくわかります。家の玄関先など巣を作り子育てをする。昔から野鳥でありながら、親しみを持てる渡り鳥で、毎年のように同じ場所で、子育てをするようです。

ことわざに…

燕が巣を作るとその家は繁盛する (日本各地)
人間のすぐ近くに巣を作り、田畑の上を飛び回りながら害虫を食べてくれるツバメは農家の人たちには特に大切にされ、幸せを運ぶ鳥として喜ばれていました。

燕が早く来ると良い年になる (ロシア)
ロシアではツバメは聖なる鳥と言われ、春の訪れを告げるツバメの飛来は北国の人々にとって大きな喜びであり、早ければ早いほど喜びは増したということです。

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町内会はなぜ必要か…

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安心・安全と快適な町に住みたい…

町会は、任意団体であり強制加入ではありませんが、地域住民が安全で安心して快適な生活が送れるように、協力し合い、支え合いながら、町の美化を始め、防災・防犯などを解決するために組織されたのが町会です。

孤島に一人で住んでいるならともかく、隣近所に人が住んでいれば、少なからず常識や約束事によって他人と協調しながら生活しなければなりません。そういう部分を調整する機能が町会にはあると思います。

町会が、無くても生活出来るという意見もあります。必要以上に他人と付き合いたくないというのも良く分かります。多くの人が住んでいる地域であれば、町会のような自治組織がある方が全体としてメリットはあると思います。

また、町会がうまく機能しないと、自分の住む町が汚くなり、間接的に治安も悪くなります。町会組織があれば、住民の意識が高まり、生活環境も比例して良くなると思います。そういう地域が増えれば社会全体が良くなると思います。

人の価値観はいろいろなので一概に言えませんが、少なくとも私自身は、孤独死のような死に方はしたくありません。必要以上に濃密な人間関係はいりませんが、会えば挨拶したり、地区のゴミ拾いぐらいは、一緒にできるような地域でありたいと思っています。

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             片倉城跡公園の桜

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2015年3月25日 (水)

童謡は日本人の心

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童謡に作詞高野辰之・作曲岡野貞一の『朧月夜』があります。

1914年(大正3年)『尋常小学唱歌 』が、1948年(昭和23年)から小学校6年生の音楽教科書において採用され、平成以降も取り上げられています。

1 菜の花畠に 入日薄れ
見わたす山の端(は) 霞ふかし
春風そよふく 空を見れば
夕月かかりて にほひ淡し

2 里わの火影(ほかげ)も 森の色も
田中の小路をたどる人も
蛙(かはづ)のなくねも、かねの音も
さながら霞める 朧月夜

日本の童謡は素晴らしい、童謡は日本の文化遺産です。日本人が大切にしてきたものがみんな入っています。

童謡は、メロディーも、歌詞も易しく作られているのに、どの歌を聴いても情景が浮かんできます。童謡には、日本のやさしさ・日本のあたたかさ・日本の美しさ…つまり日本の心、日本の美的感覚が息づいています。

童謡は、季節感や伝統を無意識のうちに記憶させ、優しい気持ちを育てる…役割を果たしきたのです。あらゆる世代が一緒に歌えるのが童謡です。私の親や祖父母の世代は子どもや孫が小さい頃、童謡を歌ってくれました。

ですから、歳をとってからでも、口ずさむと、今まで生きてきた人生行路と重ねられて、感傷的にさえなってしまうのです。そして、童謡の奥深さつくづく感じるのです。

それは大切な財産になっています。私たちは、大事に次世代に引き継いでいきましょう。日本の心を!

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ふるさと…とは

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「ふるさとの山に向いて 
言うことなし ふるさとの  山はあ~ ありがたきかな」 石川啄木

いにしえからの美しい自然と、文化の中で、私たちはその営みは、日々の暮らしの中で、自分が生まれ育った場所を「ふるさと」と認識してきました。「ふるさと」…という認識を持つことで、私たちに安心感をもたらしてきたのです。

「ふるさと」は、いわば心の拠りどころでした。そして、その「ふるさと」の原風景には、青き山、清き川、風や空、祭りなど、世代を超えての一定の原型があるように思われます。

しかし、現在は、実際には途絶えてはならない原風景が失われつつあるなど、現実と「ふるさと」の原型に隔たりが生じてきているように思えます。

また、大都市に人口が集中している現状においては、自分が生まれ育った場所が「ふるさと」であるという認識を持たない人も増えています。

このような状況を踏まえると、私たちの活力の源であり、誇りである「ふるさと」の価値を再認識し、「ふるさと」を愛おしく、大切さを後世に伝えていくことが大事ではないでしょうか…そして、そのために「ふるさとづくり」をどのように進めていくかを、今、考えてみるべきではないでしょうか…

「ふるさと」は心の中にあるものであり、自分自身が最終的に帰属する精神的な拠りどころになる場所です。生まれ育った場所を「ふるさと」と思う人が多いが、「ふるさと」は必ずしも生まれ育った場所に限定されるものではありません。

たとえば、両親や祖父母の出身地、学生時代を過ごした場所、勤務で赴任した場所、旅行で訪れた場所等、何かのきっかけで愛着を感じ、何らかの形でかかわった様々な場所が「ふるさと」になり得ます。

また、生まれ育ったことはもちろん様々なかかわりがあれば、地方に限らず、東京や大阪などの都市部も、その人にとっての「ふるさと」です。

ひとり一人にとっての「ふるさと」は、落ち着き、穏やかさ、安らぎの基であるとともに、明日に向かって生きていこうという原動力となりうるものとしても人生の基礎となるものであり、「ふるさと」に対する誇りは、自分自身に対する誇りともつながるものです。

「ふるさと」は、自分自身の支えとなる場所であり、そして、安心と癒やしを感じる場所です。また、生活の営みの場としての「ふるさと」は、日本人の原像風景としての自然環境が残された場所、誇りある生活の場として自律的な経済活動が営まれる場所、人々の絆やつながり、交流が築かれている場所です。

「こころの拠りどころ」としてのふるさとに、こころをよせる(精神的態度)ことにより、「ふるさと」に対する愛着が生まれます。そして、こころをよせるだけでなく、「生活の営みの場」としての「ふるさと」に、何らかの形でかかわる(実践的態度)ことにより、さらに「ふるさと」を思う気持ちが強くなっていきます。

ある場所に「かかわる」ことにより、また、その場所へ「こころをよせる」ことが促進されていき、また、より深く「かかわる」ようになっていく。このくり返しによって、新しい「ふるさと」がつくられていきます。

愛着のある場所との「かかわり」によって、失われつつある「ふるさと」への誇りと価値をふたたびつくりだすことによって、新しい「ふるさと」は、100年先の子どもたちまで受け継がれるものになっていきます。

 

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2015年3月24日 (火)

木の芽どきに思う

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今朝は冷えました。新潟をはじめ日本海側の地方では大雪とか…真冬に戻ったようでした。

春は名のみの風の冷たさと歌にありますが、お彼岸過ぎても、まだ寒い日があると言うことです。今日は北風は冷たいですが、木々の芽ぶき、草の芽はのびて、桜の開花宣言(東京)がきのう出されました。

三月…卒業・進学・転勤・など、春は命が輝きはじめる季節です。あなたは今、輝いてますか?

無邪気にたわむれる子供たちの姿は、みんな生き生きと輝いています。仲良く寄り添う恋人たちはキラキラとまばゆいばかりに輝いています。仕事に励む人々にはエネルギシュな輝きが、ひたすらに一つのことに打ち込む人々の姿には充実感に満ちた輝きがあります。

ところが、木の芽ぶき時は、うつ病や精神疾患に罹る人も多いそうです。年度末ということで人事異動などが決まってくると、またまた適応できない…で、一人悩んでしまうのでしょう。

通りを歩いていて、意味不明な独り言をブツブツ言いながら自転車に乗っている若者がいます。統合失調症?不思議と3~4月です。

現代人の悩みで最も多いのが健康問題で、次が経済・生活問題、さらに家庭問題だといわれています。大企業の景気はよくなり、春闘の賃上げも、なん年振りかの値上げ額だそうです。しかし、中小企業などまで、波及していくかは疑問です。

まして、ワーキングプアーの問題と格差問題・派遣社員問題などと、川崎の13歳の少年の家庭のような、母子家庭の問題が気がかりです。最近の自殺者ではこれらの原因・動機が重なっているようです。生きることに絶望してしまう人がさらに増えるのではと…

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さくらの開花宣言

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それぞれの 思いをこめて さくら咲く

気象庁は、昨日23日東京で桜が開花したと発表しました。 午前11時ごろ、靖国神社にあるソメイヨシノの標本木で6輪咲いているのを気象庁の職員が確認したという。

例年より3日早く、去年より2日早い東京での開花となりました。1週間から10日で満開となる見込みです。日本人は、むかしから桜の開花に関心が強いようです。

現代の日本人も、桜の花に心を動かされますが、古代の人びとも桜の花に強く心を揺れ動かされていました。人々の想いは、歌に読まれています。

「世の中に たえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし」 在原業平

「世の中にまったく桜というものがなかったなら、春を平和な気持ちで過ごせるだろうに」という歌を詠みました。先人達も桜の開花に心躍らせたり、散りゆく花びらを惜しんだりしていたことがわかります。

絵師も同じような気持ちを覚えたのか、変わりゆく季節を象徴する桜の日本画を数多く生み出しました。わずか十日ほどの花の命でありながら、今日に至るまでたくさん描かれてきたのはまさに愛されている証拠です。

「散る桜 残る桜も 散る桜」 (良寛の辞世の句と言われています。)

別離・愛惜・詠嘆・回帰・再生・循環・無限……なるほど…ね。

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2015年3月23日 (月)

彼岸

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春昼や 畑辺りから 煙立つ

昨日(22日)は暖かな一日でした。

墓参りの途中で、農家の人の畑を耕す(春耕)なのか…

白い煙が立ち登り、のんびりした光景でした。

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公園の木登り

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公園の木登り…

私たちのまちに、時田公園(2298㎡)があります。滑り台・馬乗りに、6・7メーターのさるすべり・プラタナス・桜の木があります。他にベンチ2ヶ所があるだけの公園です。小学生が、よく集まり、サッカーボール遊び・キャッチボールなどで遊んでいます。

最近、気になることがあります。それほど幹が太くない桜の木に登る遊びです。5・6人の男の小学生が登っています。「登ってはいけません」と声をかけ注意すべきか迷っています。

登ることはいけませんの理由は…「木の枝を折る」…「落ちて怪我をする」…「木が枯れる恐れがある」・「花のつぼみの枝を折る」…などです。

登ることに注意しない理由は…「子供たちの体力増強と冒険心の高める」…です。誰でも子供のころは、冒険心と好奇心を持って成長するのです。

私にも、経験がありますが、大きな柿の木に登り、柿の実を採った記憶があります、落ちたり、シャツを破いたり・汚したり・手足を怪我をしたこともあったりしました。そういうことがあっても、友達と競って登って、自慢しあっりすることで、楽しいのです。

今は登っても大丈夫な、昔のような自然な木は在りませません。近くにアドベンチャー的な場所・施設もありません。

公園はほかに使用規則がありますが、木登りについては…ありません。このような環境で、木登りは、子供の判断に任すべきでしょうか…

体力つけたり友達とのコミュニケーションが深めることは、大事なことだと思っていますが…公園の隅で、スマ-トフォンに熱中している子供もいるのも気になります。

私は、子供にとって公園とは、子供同士のコミュニケーション・体力増強・好奇心・冒険心養成・公衆道徳の修養の場である。そして人間形成にとっても大事なことだと思っています。

公園は、お年寄りから、幼児まで安心できる場であることから、公園の器具・維持管理は利用者の責任で行うことで、ゴミなどの持ち帰りは、大事なことで、マナー・ルールなどの規範意識をもって利用すべきです。

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2015年3月22日 (日)

基礎を培う教育…

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「自分で疑問を探しだす」

現代の子供たちは、自分から自然の不思議さを発見したり、疑問を解き明かすことに努力しないように思えてしかたがありません。

それは、都市・地方に限らず、便利で快適な生活環境にあるからです。何でもボタンひとつで、結果がでる暮らしは、人や自然とかかわる機会を奪い、子供たちの好奇心をそいでいるように思えます。

インターネット検索で答えを出し、そのことで物事を理解しようとしたり、テレビやビデオなどを視聴し、そこで得た情報で物事を受け止めたりする。

これでは、指示待ち症候群?、自らの疑問点見つけたり、調べたり・観察したりする行動力が薄れ・・・主体性は育ちにくいように思えます。

夢を持ち、そのことに向かって主体的に生きていく人間を育てるには、苦労の伴う価値ある体験を通す必要です。

人の苦労・工夫・生き方に触れたり、自然の不思議さ・おもしろさ・追究する楽しさに触れたりする中で、情報処理のおおもととなる物事の見方・考え方の基礎を学ぶ教育活動を展開していくことが大切です。

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うぐいすの鳴き声

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静けさや うぐいすの声 透き通る

暑さ、寒さも彼岸まで…

日に日に木の芽が膨らんでいくの分かる今日このごろです。

まだまだ、上手ではない鳴き声聞こえる方向に目をやると、どうも藪の方からです。

チャッチャッと笹鳴」は甲高い鳴き声…

繁殖期で・縄張りで鳴くのでしょうか…

ホトトギスの卵を孵化するという面倒見の良い鳥でもあるらしい…

そんなことをことを考えて、私にとって初鳴きを聞く散歩でした。

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2015年3月21日 (土)

春風や

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春風や 足遠くして 散歩かな

春風がそよそよと吹くなか

日課の散歩も心は

どこか余裕が出来た感じ…

菜の花が咲き

木々の芽も膨らんできているのがよく分かります。

道端のタンポポの花が黄色…

印象的に目に入り、いよいよ春の季節です。

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人を過信せず、また過疑せず

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諺に「耳を信じて目を疑う」と言うものがあります。

意味は…人の言ったことを信じて、自分の目で見たことは信じない。遠くのことをありがたがって近くのことを軽んじる。

「自分の目で見たものしか信じない」…見なくとも真実はあるだろう…逆に…この目で見たからといって、必ずしもそれが正しいとはかぎらない。

「君子は人を過信せず、また過疑せず」菜根譚(中国の古典)より とも言います。 お人好しに人を信じすぎるのも不幸の元、疑心暗鬼になって人を信じなさ過ぎるのも、不幸の元と言うところなのです。

人の心根を見極める人間性を身に着け、相手を信じる勇気を持てる自分を信じて、心を強く生き抜くことが先人の云わんとしている幸せへの道だと言うことです。

自分の心には自分で責任を持ち、傷つくことを恐れて人を信用できないような臆病な人にはならない…そう決めることが全ての幸せにつながるのではないでしょうか…

「人を騙す」…ということは、最初から、相手から利益を得ようとした目的があって行う行為ですが、そうではなく、相手の立場・利益になると信じて説得行為が、結果が逆で悪い結果になることがあります。

その判断が難しい…

善し悪しの判断の難しい時代になってきていると思います。中東の「過激派組織IS」に走る若者・「オウム真理教」に共鳴する若者が後を絶たないという現状があるからです。

人生の行く道が善と悪はありますが、その分岐点で迷って誤った道に入ったとしても、“気付き”引き換えす…勇気と努力があれば、戻ることは可能です。そして、多くの人が望む「平和かつ幸せ」に迎え入れてくれる人はいる筈です。

私が思うには、人生に迷う…環境「貧困」・「格差」・「飢餓」などと「地球の自然環境」の問題でを真剣に考え具体的な対策を立て、実施しなければ、解決できないものと思います。

ドイツで公表された世論調査で「貧困が原因の危険思想について」…

資本主義が貧困や飢餓問題を引き起こしているとの回答の 割合が3分の1近くに上った。そうした経済システムでは、真の民主主義が実現できないと大半が感じているという…ことです。

 

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2015年3月20日 (金)

地下鉄サリン事件とチュニジア襲撃事件

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オウムと過激派組織IS=イスラミックステートの事件のニュスを観て感じたことです。

決して人ごとではない…もしかすると身内にも、迷い込んでしまう若者もいそうで仕方がありません。

オウムの地下鉄サリン事件は今から20年前の出来ごとでした。無差別に人を殺す恐ろしい行為で、人を殺す理由さえ分からない教団で、日本中を震撼させられた事件でした。

今も尚、その後遺症で悩んでいる人がいる中で、オウムから、名前を変えて集まる若者がいるとのことです。人殺し教団はあるようです。若い人が生きるということに疑問を感じたり、迷ったりして、刹那的に溺惑してしまうのでしょう。

北アフリカのチュニジアで、過激派組織ISにより日本人3人を含む観光客23人の犠牲者を出す痛ましい事件がありました。イスラム原理主義は宗教の皮をかぶっているが、人殺し集団で恐ろしい宗教?…イスラム教の創始者は、人殺教団を目指すことである筈はない。

人は幸福を求めることが真理であります。1人個人では、真理を追究できません、多くの人の関わりを持って、得られるものです。

朝日新聞の社説の中の中から…

事件の根が深いのは、信徒たちが犯罪をするため教団に入ったわけではなく、生きる意味に悩んだり、社会に矛盾を感じたりしていたことだ。だれにでもある感情である。

それでも、救いを求めた先が、思考することを許さず、人心を支配し、服従させる集団だったとき、あんな事件は起こりうる。そう考えた方がいい。

身勝手な主張で人命も顧みない過激派組織「イスラム国(IS)」にひかれる若者がいる現代にもつながる問題である。

宗教や自己啓発をうたうカルトの誘惑は絶えていない。集団名を言わず友達として近づくなど、手段も巧妙になっている。

教団の事件の被告たちを心理鑑定した西田公昭・立正大教授は「人生の悩みはそう簡単に解決しない。すぐに答えを出そうとして『カリスマ』に依存する危険を意識すべきだ」と話す。

社会になじめない人を孤立に追い込んではいないか。多様さも、異質さも受け入れ、包みこむ社会は、一人ひとりが意識することなしにはつくれない。

今日の新聞各紙の社説 

朝日・・・「地下鉄サリン20年―今も問い続ける社会の姿」

読売・・・「チュニジア襲撃 「民主化モデル」を脅かすテロ」

毎日・・・「チュニジア乱射 「春」への凶弾を許すな」

日経・・・「テロ拡散阻止へ連携深めよ」

産経・・・「チュニスの襲撃 決して遠い事件ではない」

 

 

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春の鯉

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人影の 映りに群れる 春の鯉

湯殿川の鯉は、沢山いるので名物?になりそうです。

近所の人が、よくパンんなどの餌を与えている光景を見かけます。

風原橋渡ると人影に気づき…餌が食べられるから…ひと目50匹ぐらいの数の鯉が我先に集まります。

水が盛り上がるように見えます。

春の鯉は、五月くらいから産卵という大事なイベントを控えています。

このため冬で失った体力を取り戻すために、積極的に餌を食べるのでしょう。

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2015年3月19日 (木)

旅たちのとき

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「世間(世の中)を 憂しとやさしと思えどども 飛び立ちかねつ 鳥にしあらねば」…
万葉集、山上憶良…

私は、多感な子供の頃を思い出しますが、小学校から中学校・高校そして別れ別れて行く…三月は出会いと別れ、旅立ちの月でもあります。

今、現在を確り生きる…未来に向けて、歩く続ける、過去を振り返りながら…

旅たちの“とき”…

人間の可能性は限りなく無限に広がっている。そんなかなで、自分はもの凄いことをしても、そこには数え切れないほどの、ほかの力が働いているのです。

四年前の東日本大震災への鎮魂に思いを致す月でもあります。

この間、私はなにを学び、脱皮したでしょうか。全てが変わった様でもあり、なにも変わっていないかの如き今の様子があります。歳月とは、まさに諸行無常に棹さして生きている様子そのもののことであります。

私もいつの間にか見た目にも若くはないことを自覚せざるを得ない昨今です。益々、わが人生を自問自答し直し、再生の歩みを新たにしなければと思うのです。

世は無常

この無常ということについて、私たちは日々の生活においてあまり気にとめていません。でも、このことわりが、人が人らしく生きようとするための原点になるはずです。

命の儚いこと、命の尊いことに気づくから、やさしさの心が育まれ、真実に生きようとする気持がおのずと生じてくるようになる、命にはかぎりがあることを思うから、より良き人生でありたいと願う、そして、他の人を思いやる気持にもなれるのです。

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2015年3月18日 (水)

地球温暖化のこと

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防災も大事だが、予防も大事です。

昨日は、日本全国・春真っ盛り?沖縄・九州では夏日だったそうです。最近誰もが口にするのが、「地球温暖化」という言葉です。

世界各国で起きている自然災害で、何年に一度・かってない大きな被害…などの現象のニュースが多くなったように思えます。

最近では、サイクロン「パム」で壊滅的な被害を受けた、南太平洋の島国バヌアツの首都ポートビラでは9割の家屋が被害を受けたとの情報があります。

地球温暖化の影響で、今まで想像すら出来ないことが起きる?各研究機関とマスコミなどは、警鐘を鳴らしています。いま、この世に生きている人間は、環境(保全)を、これ以上悪くせず、後世に引き継ぐ責務があると思います。

今日の毎日新聞社説で…「温暖化への備え 縦割りを排し体系的に」

このまま地球温暖化が進むと、今世紀末の日本は平均気温が最大で4.4度上昇し、大雨による降水量も2割以上増える。農作物の品質が低下し、魚介類の生息域が変化する。人々の健康や季節の伝統行事など、その影響は幅広い分野に及ぶ。

環境省が今月まとめた温暖化の影響評価報告書が描く、今世紀末の日本の姿だ。政府はこれを踏まえ、温暖化がもたらす被害に備える対策をまとめた初の「適応計画」を、今年8月にも策定する。政府には、省庁の縦割りを排し、国家戦略として体系的に取り組んでもらいたい。

温室効果ガスの排出削減が世界で進んだとしても、ある程度の温暖化は避けられない。仙台で開催中の国連防災世界会議でも、異常気象の頻発など温暖化による災害リスクは主要テーマの一つとなっている。世界的には多くの国が適応計画を策定済みで、日本は対応が遅れていた。

報告書では、7分野56項目について現状と将来影響を評価した。影響の重大性や緊急性を考慮し、対策に優先順位をつけたのが特色だ。

なかでも、熱中症やコメの品質低下、洪水や高潮被害など9項目は優先度が特に高いとされた。

暑さによる死亡リスクは今世紀末に約2〜4倍となり、九州では1等米の比率が約4割減る。ブドウやモモは高温による生育障害が発生する。日本を代表するような河川でも洪水のリスクが高まるという。

少子高齢化が進み、インフラも老朽化するなど、日本の防災力は低下していくことが懸念される。

だが、インフラ整備に頼りすぎるわけにはいかない。災害リスクが高い地域を公表し、住民の移住を誘導する。まちづくりと連携し、自助や共助も活用して減災効果を高める。そうした多面的な対策が重要だ。対策に優先順位をつけることで、限られた予算を効果的に使いたい。

そのためには、関係省庁がそれぞれの分野で個別に実施する従来型の施策ではなく、内閣全体で取り組む体制づくりが求められる。適応計画が、関係省庁の施策の寄せ集めに終わってしまっては意味がない。

温暖化の影響の表れ方や優先すべき課題は地域によって異なる。政府は、地域ごとのきめ細かい影響予測を提供するなど、対策の先頭に立つ自治体を積極的に支援すべきだ。

もちろん、温暖化の影響予測には不確実性がある。最新の観測結果や研究成果を踏まえ、適応計画を定期的に見直すことが不可欠である。

今回の計画策定は閣議決定に基づく。だが、国家戦略として統一した方向性を打ち出し、着実に実行に移すためには、法律で定めるものとした方がよい。

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魅力ある地域

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現在住んでいる地域の魅力は…

魅力ある地域(社会)とは…考えました。

自然環境が豊か・気候風土が良い・治安や風紀が良い・地域の住民のつながりがある・独自の伝統や習慣などの文化と歴史があること…などがある思います。

ほかに、雇用・まち並みが美しい・公園・広場が整っている・学校・保育園や文化施設が整っている・道路が便利・買い物や、医療、交通機関が便利なことです。

年齢差によってその割合は違ってくると思います。高齢者などは、買い物が便利で、医療機関や交通に便利なことが優先的に考えられることです。

そして、子育ての真っ最中の年代は保育園・幼稚園・学校などが上げられると思います。

グローバル化が進んでいる現代社会・価値観の多様化などでも考えた、組織づくりが大事です。

私は、自分が住んでみたいのは、先ず、安心・安全であること、そして、昔からの伝統文化を守り、住民がお互いに責任を持って、助け合い・協力し合い「まち」づくりです。

「まち」づくりは地域に住む一人ひとりが、目標をこころざし、その意思の基づき、その行動することだと思います。安心・安全は人任せではなし得ません。

    

    

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2015年3月17日 (火)

コミュニケーションの基本

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コミュニケーションの基本に、話しをきく(「聞き方・聴き方」)があります。

「聞く」と「聴く」の違い…2つの「きく」の違いがあります。「聞く」は質問することと、聞いて知ることです。主に左脳を使い、認知のはたらきがあり、「聴く」は耳を傾けて熱心に聴くことという使い、「聴く」は主に右脳を使う感覚や感情の働きであるという違いがあると言われています。

「聞き上手」というときには一般に「聞く」を使いますが、その中味としては、「聞く」と「聴く」の両方が上手に使えることであると考えられます。

つまり、早合点や思い込みをすることなく、わからないことは質問する、幅広く情報収集をして知識として聞き知る、相手の話に熱心に耳を傾けて本意を聴き取る。このすべてができたときに、本当の意味で「聞き上手」であると言えるのではないでしょうか。

コミュニケーションに最も大事なことで、次のようなことが考えられます。

①・・あいさつをする…日ごろから誰に対しても分け隔てなく気持ちの良いあいさつをする習慣を徹底する。

②・・メモをとる…相手の話を聞くときは、ただ耳で聞くだけでなく、ノートを常に携帯し、メモを取る習慣をつける。

③・・質問をする…わかったふりをしないで、とくに成功事例などの良い話を聞いたときには「なぜそうなるのだろう」という関心をもち、わからないことは質問する。

④・・話は最後まで聞く…相手の言葉を最後までよく聴き、その「本意」を知ろうとする習慣をつける。早合点したり、自己流の解釈をしないように心がける。

聴き方には、“Active Listening”(アクティブリスニング)というスキル(教養や訓練を通して獲得した能力)があり、「伝え方」には“Assertion”(アサーション)…『(爽やか)自己表現』という態度とスキルがあります。

人と人との対立については、“Conflict Management”(コンフリクトマネジメント)の考え方とスキルがあると言う…コンフリクト(衝突、葛藤、対立)などの概念で、「コンフリクトを引き起こさないように、できるだけ避けなければならない」ということです。

 

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2015年3月16日 (月)

桜の開花が気になる

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寒暖に 桜の枝さき 気にかかる

暖かな日もあれば、寒い日もある彼岸前です。

無機質な湯殿川沿いの風景も、活気が増してきたようです。

片倉城址公園の桜の開花が気になります。

さーて…お花見の日にちを何時に決めるか?

今日の天気予報では15度(東京)です。

枯れの道 タンポポの花 まずは咲き

昨日、河川管理通路で、タンポポの花を発見!

枯れ草の中から黄色い花が印象的でした。

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2015年3月15日 (日)

GNHとGDPの関係

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GNHとは、国民総幸福感(Gross National Happiness)で、「国民全体の幸福度」を示す“尺度”です。GDPとは、国内総生産(Gross Domestic Product)で、一定期間内に国内で産み出された付加価値の総額のことです。

人間の究極的な目的は幸せを希求することだと思います。幸せになりたい…その条件に物作りと、よりよい付加をつけて、人間が生きていくため、最高を目指して、物づくりに休むことはありません。

時代とともに、価値観が違ってきています。いま、「GNH」とか「幸せ」は、「新しい指標」として、日本では特に、世の中が大きく変わってきています。

昔だったら、特に男性が「幸せ」なんて口に出すのは恥ずかしいとか「女々しい」とか言われた時代もあったと思いますが、そうではなくなってきています。

それは多分もう、GNHとか幸せを考えざるを得ない理由が、誰の目にも明らかになっているからだということがあると思います。

その一つは、地球環境です。もう地球の限界を超えてしまっている。それなのに、GDPの成長による経済の発展をまだまだ増やそうとしている。それはもう、地球を見たって、温暖化・生物多様性などから、無理でしょうと…

地球の限界ということが明らかになってきた…いや、そうではない、経済の大きさではないものを模索するという動きが、社会的にも出てきています。

また、一つは、社会の崩壊です…二極分化・格差の問題・ワーキングプア、そして貧困の人たちの問題。いま日本では貧困層が非常に増えています、そういった大きな背景があると思います。

一方で、「日本の経済はどうなるの?」・「世界から置いていかれていいの?」・「若い人たちの雇用がなくなる?」・「年金の元がなくなる?」・・・と、若者の意見があるようです。

理想として、「GNH」や「幸せ中心」というのはいいけれど、現実的ではない、というのが多分、多くの方々の感じなのだろうと思います。

つまり、GDPとGNHの間には非常に大きな溝があって、今、全然その架け橋が架けられていないことが問題なのじゃないか、という気がしています。私の一番の問題意識は今、そこです。GDPとGNHを、どういうふうに橋渡ししていったらいいのかと言うことです。

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2015年3月14日 (土)

規範の形成

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日本人が昔から伝えられてきた…日本らしい、マナー・規範意識が乱れて、問題であると、常々思っています。

確かにグローバル化した国際社会で、物の考え方・(価値観)は、その国その国で違いはあるでしょうが、やはり、日本らしい良いところもあります。それを守っていくことが、大事なことだと考えます。

道徳と倫理…道徳は積み上げて行くものであり、倫理は抑制するための歯止めです。

倫理と道徳、共通してるのは規範の形成です。

道徳は…社会規範であり人間関係です。道徳に従うと、周囲から徳を得られ、何かと得です。日本では「空気を読む」に代表されるような、不文律が多いので文書化されない事が多いです。言葉には「説明」と「指示」があります。日本では説明したつもりが指示になっていたり、指示してもその通りにならなかったします。言葉と現実とのズレがあり、文書化がしづらいのです。

倫理は…人が見ていなければ仕出かせます。犯しても従わなくても、損しないのです。「あとは野となれ、山となれ」「旅の恥はかき捨て」だったり、反倫理的な誘惑があります。こちらは雑学のように文書化できます。

倫理には誘惑があります。近親姦、人食、あやまち、罪の誘惑、領分を侵す、イケナイ情事、夜更かし、深酒…。駄目だと分かっていても、やってしまう魅力があります。反語的に「倫理は犯すためにある」と言えます。ただし、道徳を犯す人はいません。社会での立場を失い破滅を招くからです。

倫理を評価するのは主に時間です。長い時間の中で分かります。環境が破壊されても公害をまき散らしても、後の事など知らない。そう言って、乗り逃げ食い潰しを実践しても誰も咎めません。そこにストップをかけるのが倫理です。また、環境を考え子孫のことまで考えると、徳のある人になれます。(Yahoo!知恵袋より)

産経新聞3月13日…道徳教科化に賛否両論6000件「健全な社会秩序維持」「価値観の押しつけ」がありました。小中学校での道徳教科には賛成です。

教科化によって「健全な社会秩序が維持され、伝承される」などの賛成意見が出た一方、「一定の価値観や規範意識の押しつけにつながることが危惧される」などの反対意見も寄せられた。

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2015年3月13日 (金)

花無心

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若き木の 河津桜に 春巡る

桜の開花宣言…そろそろ聞こえて来そうな、今日この頃です。(伊豆の川津町の桜は、満開を過ぎたようです)近くの広場に町内の篤志家が、植えられた川津桜がありますが、いま、咲き出しました。

梅が(花)終わり、私たちの番だと言うことでしょうか、赤い花びらが、何とも「すがすがしい」思いがします。

「花無心」

「花 無心にして蝶を招き、 蝶 無心にして花を訪ぬ。花 開くとき 蝶来たり、 蝶 来たるとき 花開く。吾(われ)もまた 人を知らず。 人もまた 吾を知らず。知らずして 帝則(ていそく)に従う。」

花は、蝶を招こうとして咲いているのではなく。蝶に、花を訪ねようという心があるのでもない。花が咲くと、蝶が飛んできて、蝶が飛んでくる時に花が咲いている。自分も、他の人々のことは知らないが、他の人々も自分のことを知らない。互いに知らないながら、天地の道理に従って生きている。

花は意志をもって蝶を招くのではなく、蝶も意志をもって花を訪ねてはいない。花は、咲く時節がきたら咲き、蝶は飛ぶ時節がきたなら飛ぶのです。ただそれだけのことで、それが自然の摂理なのです。

蝶は花から蜜をもらい、蝶は花から花に花粉をつけてやります。自然とその関係で互いの子孫の繁栄につながっていくのです。それこそ自然の仕組みの見事さなのです。

“すがすがしい”とは…

良寛は、「心がすがすがしくなれば、あらゆる物もみな、すがすがしい」と言う。それは…「心が変われば、あらゆる物がみなすがすがしい」ことです。

道元禅師の「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて すずしかりけり」よく知られいます。「すずしかりけり」…は「心がさわやかである、わずらいがない」と言うことでしょう。

 

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2015年3月12日 (木)

「まちづくり」と「環境に対する意識高揚」

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                                   湯殿川


「まちづくり」と「環境に対する意識高揚」

「まちづくり」とは…

『まちに暮らすすべての人々が幸な人生を送れるような環境を整えること』です。町に暮す人々の…暮らしを包む全ての環境(自然、景観、社会、経済、文化、)を指します。

そこに住む人々が、明るく、気持ちよく、安心・安全・支え合って暮していける地域のことです。町に住む一人ひとりが、「“まち”に対して何が出来るか」を考え、実行することにより実現できるものと思います。

「環境に対する意識高揚」…環境に配慮して、ゴミのポイ捨てをやめましょう…

最近、ゴミ拾いをして思うことは、一本のタバコの吸殻ぐらい…いいじゃないかという考えの人がいます?…もし、100人いれば100本になり、十日で1000本になります。歩きながら…車の窓から…ポイ捨てはやめてください。

タバコを吸うこと自体はあくまでも本人の健康問題でもあります。それを認識しながらタバコを吸うことは自己責任です。しかし、地球温暖化・まちの美化を損ない・自然破壊につながるのです。

最近、気象変動が問題で、「気象災害」起きています。

豪雪、竜巻、豪雨…各地で異常気象が相次ぐ…

極端な高温や日照りに見舞われる熱波や干ばつ、逆に極端に冷え込む大寒波、そして暴風や大洪水など、このところ世界規模で異常気象が発生しています。

もともと異常気象とは数十年あるいは数百年に一度起こる程度の現象を指すものですが、むしろ当たり前になりつつある近年の状況こそ異常かもしれません。日本も例外ではなく、2012年だけでも異常気象が相次ぎました。

北日本や日本海側を中心とした1~2月の記録的な豪雪、茨城・栃木の広い範囲におよぶ5月の竜巻、7月の九州北部豪雨、8月の近畿中部などの豪雨と、各地で甚大な被害をもたらしています。今後も予断を許さず、気象状況には常に注意を払う必要があるでしょう。

地球温暖化による大気の不安定化が一因!?

増加傾向の異常気象ですが、実はその原因はまだ十分解明されてはいません。気温の寒冷も、地球規模で見れば数千年単位で氷期と間氷期を繰り返しているほか、そもそも年ごとに数値が上下するのは自然なことです。

しかし、CO2など大気中の温室効果ガスが急速に増えていることは間違いなく、地球温暖化の原因という見方は否定できません。

いずれにしても気温とともに海水温も上昇し、貿易風や偏西風といった上空の大気の流れに少なからず影響を与えています。これが例えばエルニーニョ現象やラニーニャ現象といった、異常気象の要因を引き起こしているとの説もあります。

温暖化だけが問題とは限りませんが、これからも異常気象が起こる状況は続きそうです。(nifty不動産記事より)

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2015年3月11日 (水)

生かされている

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「この大宇宙の地球という星で…」

天と地と水」とその「つながり」の中

私たちは、生きています。

受けつがれてきたいのち…

父がいて・母がいて
生をうけ育まれ

はかり知れない、つながり無量の縁に支えられ…

今ここに存在します。

今日もまた、たくさんの命を頂いき、

食料が整い食事が出来…

水・お茶などの飲み物も喉を潤す

そのお陰で今このように、生きている

命が在らしめられます。

食べて飲むことは、生きる源…

毎日の食事は、手を合わせ「いただきます」

深くご恩を喜び有難く頂きます。

一日一日の命「お陰さまで…有難う」

生きていく、自分の器量に応じて精いっぱい生きていく…

そのままが生かされている私…であるのです。

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「東日本大震災から4年避難23万人、生活の復興道半ば」…(朝日デジタルニュース)

まだまだ心が冷たく、固くなっている人もいることでしょう。人と触れあうことで 固い心が温かくなっていけます。思いやりの励ましが、どれだけ勇気づけられるかわかりません。

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2015年3月10日 (火)

水ぬるむ

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水温み 鴨戯れて 湯殿川

日一日と日は伸びてきています。

このところの雨で、湯殿川の水量増しいます。

湯殿川の鴨は恋の季節を迎えているようです。

さくらの開花予想もでました。今年は3月24日(東京)

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               時田大橋

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2015年3月 9日 (月)

支えあう社会

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私たちの地域社会でも、高齢化の問題を実感

ある出来事をきっかけに、それまで意識しなかったことに気づかされました。聞こえなかった隣人の叫び声に耳が開かれ、見えないでいた隣人の姿に目が開かされたのです。大切なのは、そうした人々に向かい合う気持ちを持つのみならず、支え合う力を養い、実際に支え合う共同体を実現していくことだと思いました。

住み慣れた場所で自分らしく暮らせる

高齢者のみな様が住みなれた地域に、住まい、医療・介護のサービス、介護予防、多様な主体による見守りや暮らしの支え合いなどの生活支援を、自助・互助・共助・公助の視点と協働で支え合うということです。

補完性の原理

「補完性の原理」という考え方がクローズアップされています。身の回りの問題は、まず個人や家庭が解決にあたり、個人や家庭で解決できない問題は地域で解決し、それもできない問題は行政が解決するというものです。

社会保障

日本は超高齢社会に突入しています。社会保障費を支えるのは若い世代だが、2000年には4人の現役世代が1人の高齢者を支えていた。今年(2015年)は3人で1人を支えることになると言われています。やがて2055年には、高齢者1人を現役世代1人が支える“肩車社会”が確実にやってきます。

支え合う社会

町会・自治会・などの各種団体が、お互いに地域の中で支え合い、日常の問題を解決する環境づくりを通じ、市民の心のふれあいと満足度を高めていくことが、今後の地域社会の大きなテーマと思います。

 

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2015年3月 8日 (日)

人はひとりで生きられません

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「人はひとりで生きられません」

だから…

私たちは毎日の生活の中で無意識のうちに人と接し、関わり合いながら生きています。「もし、この人がいなかったらどうなるだろう?」きっと、そんなことなどあらたまって意識することなどないでしょう。

しかし、考えてみると多くの人のお陰で毎日が生活できていることに気づかされます。

自分が存在すると言うことは、先祖があり、両親があって生まれます。そして身近な家族や親戚と出会い、やがて友だちや他人と出会い、社会で多くの人と出会い、関わりを持つようになります。

そして、人から教えられたり…気づかされたり…世話になったり…助けられたり…協力してもらったり…と様々な恩恵を受けて生きていきます。

お蔭さま・・・・・・・お陰さま、も感謝の心を表す日常語です。「お陰」は、仏様の助けやご加護のことで、そこから仏さまや他人さまのお陰で生かされていることを自覚し、感謝するという意味から来ています。

私たちは、様々な人々と相互に関係しあい、多くのものの力、お陰、恵みを受けて生きています。自分ひとりでは、生きていくことはできません。お陰さまの気持ちを忘れずに日々の生活を心掛けたいものです。

いま、人と人の「ふれあい」、が大事であると思う一人です。東日本大震災から4年が経とうとしています。多くの人が犠牲になり、今も苦しんでいる人がいます。“ふれあい”によって心を通じあえる社会が大事だと、改めて思います。

中村雅俊さんのヒット曲に「ふれあい」があります。(1974年)日本テレビ系ドラマ『われら青春!』がありました。いい歌だと思います。

(詩:山川啓介 曲:いずみたく)

 ♪悲しみに 出会うたび
あの人を 思い出す
こんな時 そばにいて
肩を抱いてほしいと

なぐさめも 涙もいらないさ
ぬくもりが ほしいだけ
ひとはみな 一人では
生きてゆけない ものだから

空しさに 悩む日は
あの人を 誘いたい
ひとことも 語らずに
おなじ歌 歌おうと

何気ない 心のふれあいが
幸せを 連れてくる
ひとはみな 一人では
生きてゆけない ものだから

何気ない 心のふれあいが
幸せを 連れてくる
ひとはみな 一人では
生きてゆけない ものだから
生きてゆけない ものだから♪

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2015年3月 7日 (土)

和顔愛語

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仏教で「和顔愛語」と言う言葉があります。

和顔とは、和やかな笑顔、愛語は優しい言葉という意味で、努めてそのようにふるまいなさいと、お釈迦さまが勧めておられるのです。笑顔は、幸せの花を咲かせ、周囲も自身も明るくします。

先日、近くのスーパーへ買い物に行ったら、レジのお姉さんが笑顔いっぱいで、テキパキ仕事をこなすものだから、しばらく見とれてしまいました。感じがいいなあーと、本当にしばらく見つめてしまいました。しかし、笑顔はこんなにも人を惹きつけるものなのかと感動し、同時に私は一体、毎日どんな顔をしているだろうかと反省させられました。

周囲の人を明るくすると同時に、自分の心も明るくなる。それは体にもよい影響を及ぼしすことは、医学的にも証明されているそうです。笑うと、血行がよくなる。反対にしかめっ面していると、血行はとたんに悪くなると言われています。

現代はストレス社会、どうしても血行は乱れたり、血圧が不安定になります。心はどうあれ、笑うことで血流がよくなる…血流がよくなると、体のいろいろな流れがよくなって、ストレス解消となるのだそうです。

ストレス社会といわれるようになって久しい現代…だからこそ、笑顔で!頑張りたいと思います。和顔愛語を心して生きたいと思います。

松下幸之助の名言…「誰にでも与えるものはある。笑顔を与える、笑いを与える。求める活動から与える活動へ転換をはかりたい」

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2015年3月 6日 (金)

真理はひとつ

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私たちは、生きてるかぎり、どんな人とも争うことのない世界であって生涯、平穏無事に生きたいと願っています。

しかし私たち人類の歴史は、悲しいことに争いの歴史でもありました。

それは自分の生きることを確かなものとするために、自分のところにだけあるものを真理だとして生きてきたからであります。つまり、自分の国とか、自分の民族とか、自分の宗教とかを絶対化することによって生きてきたからです。

しかし、それらは時とともに変化する相対的なものでしかありません。そのように相対的なものを、あたかも真理であり、生きることは、必ず異質なもの、反対するものを排除することでしか成り立たないのです。

したがって、この世に争いは絶えず、そのことによって私たちの生きることも不安定なものになってしまっているのです。

とくに現代は、私たち人間は、自分たちのところにだけ何が真理であるかを知ることのできる力があるかのように思い、その力を使ってひたすら自分たちに都合のよい快適で便利で豊かな生活を実現しようとしてきました。

それは自分たちに都合の悪いものを排除することによって成り立つ生き方でもありました。自然界の多くの動物や植物が姿を消してしまったのは、そのためです。そして、同時に私たち人間も生存の危機を迎えることになったのです。

そういう意味で、現代ほどこのような私たち人間のありようが問われている時代はないとか言えるでしょう。だから、変わることのない、いつ、どこの、だれのところにも例外なく通ずる真理を、追究することが大切だと思います。

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啓蟄

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冬木立ち 日差しをあびて 膨らめり

今日は二十四節気の一つ「啓蟄」です。

啓蟄(けいつち)とは…

 春の暖かさを感じて、冬ごもりしていた虫が外に這い出てくるころのことです。「啓」には「ひらく、開放する、(夜が)明ける」などの意味、「蟄」には「冬ごもりのために虫が土の下に隠れる、とじこもる」という意味があります。

片倉城址公園の水車も、最近の雨で、水のかさが増して、回り方が力強く感じられます。菖蒲池は、まだ冬モードですが、日長になるにつれ賑やかになっていくことでしょう。

かたくり・さくら・やまぶきそう・・・などなどです。そうして、小鳥もさえずり、春は一気にやって来るのです。片倉城址公園が春爛漫となるのはもう近い…です。

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2015年3月 5日 (木)

信頼できる社会…

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最近、どうも納得いきません…「中学一年生の殺害事件」・国会で議論になっている「政治と金」の問題があります。

中学一年生の惨い事件では、13歳の中学生が真夜中に家を出て遊び歩くなんて信じられないのですが、これが普通?なっていたとは驚きです。

当然一人では遊べません、何人かのグループがあるのでしょう。不思議なのは親は勿論ですが、一般社会人の大人たちは、何も感じていなかったのでしょうか?

教育再生・教育改革を安倍首相が『「人づくりは、国づくり」教育再生実行会議』行われていますが、不登校の問題で学校の先生の指導・教育委員会・教育長の対応は適切だったのでしょうか?どうも納得できません。

国会で問題となっている「政治と金」の問題では、法律が不備?道義的な責任感がなかったのか、疑問が残るのです。

法律がないから不備だからでは責任回避ということでは人は信頼されないものです。どうか指導者はもう一度心して考えてほしいと思います。

道徳教育が叫ばれていますが、国民一人ひとりが考えなければいけない問題となっています。「みんなやっているから…」国は治まりません。

信頼とは…相手を信用し、頼りにすることです。信用が、「悪いようにはしないだろう」程度の消極的な人間関係であるのに対し、「自分の味方になってくれる」との、積極的な意味合いがあります。

「滅私奉公」・「精錬潔白」なんて言葉を意味を、政治家はもう一度考えて欲しいものです。

信頼できる政治・信頼できる社会を創りましょうよ!

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2015年3月 4日 (水)

春のうた

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保育園 聞こえてきます 春のうた

このところ、お天気の日と雨の日が目まぐるしく変わっています。暖かくなったり、ちょっと寒かったりです。桜の枝先はふっくら赤くなってきて、確実に春は近づいています。

もう、ずーと昔のこと、私に子どもが通った保育園が…川向こうに、あります。卒園式も間近になってきました。三月は、卒園式があります。そして、四月に入学というイベントが控えています。

私は、今でも覚えている歌があります。

「おもいでのアルバム」

増子とし作詞・本多鉄麿作曲・芹洋子歌

 ♪いつのことだか おもいだしてごらん あんなことこんなこと あったでしょう うれしかったこと おもしろかったこと いつになっても わすれない♪


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常識とマナー

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片倉城跡公園

公園で考えました。

「常識」

世の中には、誰もが使っていながら、実はよくわからない「言葉」があります。その代表は、「常識」という言葉です。「常識」というのは、ふつう、「誰もが知っていて当たり前のこと」という意味で使われています。専門的ではない、一般的な知識のことです

「マナー」

マナーには罰則がありません。あくまでも個人が自発的に守るものです。社会全体で形作るものです。ですから、だいたいどこへ行っても通用するものです。

公園・広場などで、飲食したり、喫煙・犬の散歩などの規制はありません。しかし、マナーの欠如と言いますか、ペットボトルや空き缶・弁当の残り物・タバコの吸殻などが、ベンチの周りに捨てられています。酷いのは犬の糞が砂に埋まっていることさえあるのです。

公園では注意看板にも書かれていないのです。常識とは「その時代・土地・社会での生活上の価値基準」です。ですから、公園の使用規定に書かれていませんが、自分で汚した公共施設などは、自分で始末することは常識です。公園管理者(市役所)が掃除を行うことではありません。町の人たちの皆さんが気持ちよく使える場所であるのです。

公園・広場など公共施設を利用するときは、ルール・マナーを守りましょう。

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2015年3月 3日 (火)

無心とボランティアのこと

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幼子を見ていると、ただ「無心」に生きていると感じます。

人は全心身で活動しているときには知らずに無心になっているもので余分な雑念はありません。また、好きなことに熱中しているときは自然と無私の状態になるものです。しかし、あくまで意識はハッキリ澄んでいる状態なのです。

無心とは理念で解決するようなものではありません。ひたすらに忘れようと頑張る行為は意に反してそのことにとらわれてしまうのです。

たとえば、不眠症で、眠ろう眠ろうとしすぎるから眠れなくなる。「早く寝なければ」と思うと、寝ようということよりも寝られないかもしれないという妄念にとらわれてしまうのです。

ボランティアでゴミ拾いをしていながら、考えたことがあります。あれこれ理屈をこねてすべきではない。ただ…“汚いから拾うんだ”当然「人から褒められたい」・「使命感」を持って行っていません。

「自然を守り・安心・安全できれいな町にしたい」ということのみです。何より思うのは、自分が健康だから出来ることで、ボランティアできる境遇に感謝しています。そして生き甲斐すら覚えます。

その心は「無心」になっているような気がします。「子供たちにお父さん止めて恥ずかしいから」と言われたことがありますが、一向に止める気がしない…のです。

また、人に「よくやるねー」と言われることがありますが、「暇だから…」「元気だから…」と笑って答えています。

これは「無心」と言えるかどうか分かりませんが、ふと、今自分は何をしているのだろう?今もっと大事なことしなければいけないことがあるのでは…と思ったことがあります。いいんだ、ゴミ拾いができることは幸せで、健康だからできるのだ…感謝しなければいけないことなのだと思うのです。

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2015年3月 2日 (月)

春の雨

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春の雨 草芽にそっと ふりそそぐ

きのうは一日雨が降り続きました。枯れ草の中に青い息吹が感じられるようなりました。道端の草をよく見ると、青い小さな花をつけている草花を見ました。寒かった冬を必死に生きてきたのでしょう。何か愛おしく思えました。

以前から見かけているのですが、「ちょこ花」と覚えていました。ネットで調べたら、「オオイヌノフグリ」という草のようです。

むかし親父が、「夜あがりの天気は三日持たない」と言っていたことを思い出します。今日の天気は、明後日は、雨だそうです。それを言うなら「春に三日の晴れ間なし」の方がいいのかなぁー、 一雨ごに暖かくなるようです。

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日本の社会はどこかが歪んでいる

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「日本の社会はどこかが歪んでいる」

少年犯罪少なくなっているいうが、猟奇的な事件・残忍な事件が起きるたびに、その原因を考えたとき「心の歪み」を挙げざるを得ません。

「心の歪み」「社会の歪み」ある意味、だれもが納得するフレーズで、落としこみ易い…しかし、事件の話題が世間から消えた頃、結局根本的には何も変わってないなと感じてしまうのもまた事実です。

社会全体を包含する大きな雰囲気というものは、果たして明るい方向に進んでいるのだろうか…私自身は、なかなか実感できずにいます。

「格差社会」が起因していると指摘している人がいますが、少子高齢化・核家族化などの社会構造の変革と規範意識の低下で、家庭での躾け・道徳教育が不足してしまっていることは、昔と比べて感じられます。

グローバル化した社会で価値観も違ってきたように思います。日本人の性格が見えづらくなってきていると思います。

人生を楽しむ

「人生を楽しむことが苦手」という外国人の評価があるそうです。

確かに、「楽しむ」…特に、誰かと一体になって楽しむことが、あんまりない…率直な思うのです。

自分の居場所を固定化させ安心したい、つまり「境界線を作りたい」欲求です。家族や学校というコミュニティだったり、1人の空間だったり…安定した固定的な場所に身を置きたいと言う思いがあります。

一方で、誰かと一体化したい、気持ちを共有したいという思い、つまり「境界線を取り払いたい」欲求も持つ…感動の共有などがそうで、もらい泣きなどはその現象の一つです。 そして、この一体化したい、境界線を取り払いたいという思いは、いわゆる「楽しむ」ことにつながるように思います。

スポーツでの一体感。お祭りでの一体感。何かを作り上げることで生まれる一体感。感動の共有。これらの体験はその場が楽しいことはもちろんです。

その体験自体が、体の中で大きなエネルギーを生み出しているようにも思います。私自身は、そこに一種の人間らしい大きなパワーの可能性を感じます。

一体化を美化しすぎれば、時に全体主義につながりかねないし、危険な側面ももちろんあります。しかし、スポーツでも文化でもなんでもいい。日本において純粋に「楽しむ」ことの可能性を追求することは、意味あることだと思います。

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2015年3月 1日 (日)

心の平安とは、心が無事で穏やかなこと

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心の平安とは、心が無事で穏やかなことです。

確かに、私たちの暮らしで、物事が自分の願い通りに無事に運んでいるときは、心は満足し心は穏やかになり幸せを感じます。

しかし、私たちの毎日の生活には、多くの問題が発生します。そして、私たちの暮らしは一寸先が、どんな問題が起きるか予測できません。そのために、私たちの心は揺れ動き、心は不安に陥り、私たちは心の平安を失ってしまいます。夜の睡眠も十分に取れなくなるのです。

私たちが、日常の暮らしにおいて心が平安であるためには、問題が山積していても、心は平安でなければならないのです。それが本当の平安というものです。

人が、健康で生きるためには、十分な睡眠をとり、適当な運動を継続し、バランスのよい食事を摂る…心の平安に必要不可欠だと言われています。心が平安である人は、心身共に健全であり、その人は幸せな生涯・平安な生涯を過ごすことができることになります。

問題のない状態の中で生きている人は、一人もいないのです。私たちの社会生活は、問題が常に発生します。さまざまな問題が起きている中でも、心は平安でなければならないのです。

心が平安であれば、問題に遭遇しても、その問題から逃げることなく、全力を集中して、その問題を解決していくことで成長し、有益な力となるエネルギー源が隠されていることを知ることができるのです。そして、問題を一つ解決するごとに一段一段と人格的にも、人は魅力を増してくるのです。

その問題を乗り越えて進んでいけば、必ず平安な生活を築くことが可能であることを確信し、夢と希望を持ち続けることができ、心も平安で満ちあふれます。

問題から、不安と恐れによって逃げるのではなく、その中で耐えて、そこから多くの知識と知恵を学び、次への飛躍の機会に備えるのです。そのような心の平安は、私たちの人間の創造者への信頼から与えられるものです。

信頼こそ、平安の土台であると言えます。私たちは、問題が多く、生きる夢も希望もそう簡単には持てない混沌とした社会、明日の見えない不安な社会の中で生活しています。

今は、心の時代とよく言われますが、そのことは、人々がどうすれば心の平安を取り戻すことができるのか、という心からの叫びでもあります。心の平安こそ健康で幸せな生活を築く土台であると思います。

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少年犯罪を考える

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川崎の少年殺害事件は大きなショックをうけました。

少年犯罪の要因は、生育環境がかなり影響しています。

環境的要因で重要なファクターは親です。何らかの形で親の存在が子供の精神に関わっていることは疑いようがないでしょう。何らかの形で親の存在が子供の精神に関わっていることは間違いありません。

なぜ少年は殺人を犯したか…大人になりきれていない親(特に父親)の姿です。自分の感情を子どもに直にぶつける自分本位の親、家族間の緊張から逃げてコミュニケーションを避けている無責任な親、自分を満足させているときだけ子どもを可愛がる自己中心的な親が要因と思われます。

子どもを過大評価してプラス面しか見ようとせず、子どもが親の夢をかなえている間は一心同体となって一喜一憂しますが、子どもが挫折すると手のひらを返したように無視し、怒りをぶつけたりします。

挫折した子どもの深い悲しみや苦しみに思いが至らず、子どもからの必死のSOSを見逃してしまいます。そうして子供が、異常で不健全な精神のままの環境が続くと、間違った倫理観を持った人格が形成されるのです。

その結果…口達者で一見、魅力的だが、非常によく嘘をつく、そして同情を引こうとする…無責任で問題行動が目立つ…衝動的に行動する…責められると逆ギレする…感情が浅く思いやりが無い…

精神病質、あるいは反社会性・人格障害などと呼ばれる極めて特殊な人格を持つ人間になると考えられます。

毎日新聞社説…「遼太さんの死 大人たちが問われる」・3月1日

東京新聞社説…「中1殺害逮捕 届かなかったかSOS」・2月28日

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