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2014年10月

2014年10月31日 (金)

まちづくりとは~暮らしづくり~

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“まちづくり”とは…
まちに関わる全ての人々による多角的・協調的・継続的な活動を通した豊かな暮らしの創造です。

昔からの伝統文化を引き継ぎ、社会、経済、文化、環境等、生活の根幹を構成するあらゆる要素をも含めた暮らしそのものの創造です。街路や公園、建物と言った単なるまち空間の創造(都市デザイン)ではありません。

ですから、自治体や民間企業、専門家などまちのつくり手によるプランニングやデザインと言った所謂“空間づくり”だけではなく、市民やNPOなどのまちの使い手による町並みの保存や再生、コミュニティ・ボランティア活動などを含めた総合的・複合的な行為によって初めて実現されるものであると言えます。  

また、“まちづくり”はまち空間の完成とともに完了するものではなく、そのまち空間が生活の場として使われていく中で、長い年月をかけて行われる継続的な創造活動です。

まち”に関わる全ての人々がそれぞれの分野における高度な知識と様々な情報を共有しながら、生活を取り巻くあらゆる要素を総合的に検討・判断し、多角的・協調的・継続的な活動を通して真に豊かな暮らしを創造してゆくこと、すなわち“暮らしづくり”こそが“まちづくり”であると考えています。

これは決して空間づくりによるまちづくりを否定するものではありません。空間づくりと言う創造行為が“まちづくり”の中心的役割を担うことは事実です。問題は現在の空間づくりでは結果としてのデザインのみが重視され、そのプロセスが軽視されていることです。

それはまちのつくり手によってのみ行われ、住民やNPOなどまちの使い手がそのプロセスに参加する機会が限られています。その結果、まち空間の完成とともにまちは放置され、空間づくりが継続的まちづくり活動へと発展することは残念ながらあまりありません。

一方、市民、NPOなどまちに関わる全ての人々が参加する空間づくりでは、創造される空間以上に様々なものがそのプロセスにおいて生成されます。空間づくりの過程で住民は自らのまちを見直す機会を持ち、今まで気づかなかったまちの魅力に気づきます。

まちの将来を真剣に考えることで、住民の中にまちの担い手としての自覚と責任が芽生え、住民相互のコミュニティ意識も醸成されます。勿論従来のつくり手も自分達の論理だけで空間づくりを進めることはできなくなり、使い手の意思が反映された空間が創造されます。

まち空間の完成後も、コミュニティを中心にまちは継続的に維持、管理され、豊かな暮らしの場として発展して行きます。(勿論このようなプロセスが全て空間づくりにプラスに働くとは限りません。)

このように空間づくりは住民参加型で行われることにより、コミュニティにまちづくりの当事者としての積極的な姿勢を生み出し、何より空間づくりと言う実践的創造行為が暮らしの場としてのまちをつくり上げるのです。

勝手な色メガネを捨てる

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自分のわがまま勝手な色メガネを捨てなければ、真実の姿はなかなか見えてきません。

色メガネとは…文字通り「色のついたメガネ」という意味ですが、「色メガネで人(物)を見る」とは、先入観や偏見をもってその人(物)を判断するという意味です。

電車に乗って窓から、外を見ていると景色が走っているかのように見えたりしたことがあります。このようなことはだれにでも経験があると思います。

観念でみる

そのも のをしっかりと見定めようとしないで、自分勝手な見方やとらえ方をしていることが多いものです。正しくものを見ることができないで、 我がまま勝手の色メガネでもってものを見てしまいます。

たとえば、非常にだらしのない格好をした人がいます…ある人がそういう人を見たら、その服装だけで、その人の性格や、言動、教育や家庭環境にいたるまで、「色のついたメガネ」すなわち「偏見」をもって推測するとします…その判断は当たっているかもしれませんが、当たってないかもしれません。

自己のこだわりを捨てないかぎり、すべてが自分中心に回転していると思い込んでしまうものです。

私たちは常に意識して呼吸していません、自然に呼吸しています。みんな生かされているのです。私達の身体だって、一つ一つの生き物である細胞が寄り集まって新陳代謝して生きています。

自分で生きているようでも、実は生かされている…だから自己の身体は自分の生命じゃない、ともいえるでしょう。

大きな宇宙全体、全部丸がかえで生かしてもらっているということでしょう。宇宙の小さな自己だけれど大きな宇宙に生かしてもっらているのです。

思いつめて、絶望だとか、窮地に堕ちて再起不能だと思い込むことも、実は自分勝手な思い過ごしなのです。自殺…自ら死を選ぶことは、我がままかってな色メガネで見ていることに気づかなかったために起きてしまう悲劇です。

もっと大きく視野を広げて、真実の姿をありのまま、そのままに見ることです。おのずと道もよく見えてきます。自分の色メガネを捨てなければ、真実の姿はなかなか見えてきません。

2014年10月30日 (木)

親と子の想い

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子どもは親を選べない

最近、幼児の虐待が大きな社会問題となっています。

虐待とは、親またはそれに代わる保護者により、子どもに加えられた次の…①身体的虐待・②ネグレスト(情緒的虐待)・③性的虐待・④心理的虐待行為です。

これらの行為が、非偶発的で長期にわたり、継続的でかつ、反復性があり、通常の体罰の程度を超えている場合です。これらの虐待を受けた子どものダメージは、大人になっても影響は残り、心の傷は一生癒えないと言われています。

人間は他の動物とは違い、他の人間の助けなくしては独り立ちできません。その助けの最たるものが親の庇護です。

親は子供への庇護を通して、子どもとともに成長します。それはその子どものミッションが親の学びの手助けであることでもあるのです。

虐待という行為は、この世に生を受ける時点で、自分がその親を選んだことや、自分の使命が何であるか…そして親自身も自分の使命(親は子どもの思いに寄り添って、子どもは親の思いに寄り添える関係…)があるのを忘れているのです。

親思う心にまさる親心

思う心にまさる親心とは、子が親を思う気持ち以上に、親の子に対する慈愛の気持ちはさらに強いものだということです。

江戸時代の終わりに、幕府を非難したため、安政の大獄で、処刑された吉田松陰が、死の直前に残した言葉のようです。

親孝行であった吉田松陰が、自分の処刑に当たって、親が自分の死んだことを知って、どんなに悲しむだろうかと、親に先立つ 親不孝を悲しく思って作った歌のようです。このことわざには、「けふの音づれ何と聞くらん」という下の句があるようです。

全部の句の意味は、「私が親を思う心よりも親の慈愛のほうが優れている。だから、今日の私の死を、親はどんな思いで聞くのであろうか」 となると思います。

親より先に死ぬほど親不孝はない

人の死は免れられません。しかし、世代の順に死んでいくのはいはば世のならいであり自然なことです。

子が親を見送るのは、ですから悲しくはあってもこれは逃れられないことだ、誰でも経験しなければならない通過儀礼のようなものだと思うことで悲しみをまぎらすこと、諦めることは可能です。

それは昔から皆が耐えてきたことであり、耐えねばならないことなのです。しかし自分を見送る役目を負った子供に先に死なれるということは、その責務を果たさずに逆に親にその悲しみを投げ返すようなものです。

逆縁(さかえん)といいますが、そういう意味でも親にはやりきれない思いがあるのです。「この親不孝者め…」といいたい気分にもなります。

 

2014年10月29日 (水)

常識とは…

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「…常識がないねー」「常識が欠けている行為だ!」なんて日常会話で使われています。では常識とはなんだだろう…と考えてみました。

人は社会性を持つ生き物で、一人単独では生きられません。人と人とがコミニュティを持つ上で、人を殺さない・ものを盗まない・お互い不快と感じることは行わない・などと決め事や共通の認識を持つ方が、お互いにとって生きるうえで得なのです。

「社会契約」…少なくとも近代国家や現在の社会環境は、このような意識をお互いが持つ上で成り立ってきました。 資本主義国家も共産主義国家もこの共通認識があるから、安心して成り立っています。

つまり、社会性を持つ、人という生き物が、お互いがお互いに干渉を受けず、お互いを守るために法律や常識が出来上がったものです。

法律は常識を具体化したもで、共通認識・ある一定の哲学だと思います。ですが、そのような過程で生まれる共通認識です。

異なる認識…例えば「イスラム国家」の主導者と言われている“バグダディ”ような哲学の人には、他の大勢にとって常識ではなくても、その人の中での哲学には正しくなります。

私は「常識だ」と言われても疑問のときもあります。常識という言葉の乱用は、その言葉うんぬんの前に、自分の哲学を世間の共通認識と勘違いする…からではと思います。

常識という言葉が生まれる過程を考えてみると、つまりコミニュティの中で生きる上で、持っておいた方がお互いにとって都合の良い、共通知識・認識と考えてみることで、分かります。

2014年10月28日 (火)

公共の精神とは…

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私は「公共の精神」…厳しく問い直していかなければならないと考えています。

「公共の精神」とは、ひろく市民性全般を指しており、必ずしも「国」の枠組みのなかに治まるものではありません。

よくわが国民が伝統的にもっていた「規範意識」が最近欠如してきたなどといわれています。そこで語られている「規範意識」は、儒教道徳や武士道を模範とするものであるとすると、それらの価値観が本来、封建社会のもとでの規範であるのです。

むしろ、「公共の精神」は21世紀の社会にふさわしく、構築され直さなければならないと考えます。したがって、その根本となる市民性の根拠をどこにおくかということを、厳しく吟味していかなければならないと思います。

失われたとする「規範意識」を「国」に対する思いと、結びつけて議論することは、封建社会がもつ主従の倫理を理想とする価値観に支えられているにすぎないと考えざるを得ないのです。

その場合の「主」とは誰なのか…民主主義社会における「主」とは何かが…吟味されるべきでしょう。

いわゆる社会規範に対する意識というものは、自然に考えれば、その人の属する身近な共同体に対する意識から発生する原初的な感覚ではないでしょうか…

自然を大切に未来に残そう

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エゴとエコ 心入れ替え 町づくり 

この池の カエルの居場所 守ってね

山と川 元気をくばる まちづくり  

私たちのまち、八王子市が本来持っている自然や文化などの魅力を活かしつつ、地域における支え合いや、福祉の充実などを通して、住民の心の豊かさを育み、ソフト面での住環境を向上させることで住民のくらしがより一層輝くまちにしましょう。

昔からの自然を大切に未来につなげていこう。

 地球温暖化、ヒートアイランド現象といった問題が年々深刻になっております。環境に配慮することがますます重要になっています。

ゴミの不法投棄、タバコの吸い殻の投げ捨て、放置自転車など、社会的モラルの欠如がまちの環境を悪くしているのも事実です。地球にやさしく、美しいまちづくりを進めるにはみんなの力が必要です。

2014年10月27日 (月)

柳は緑 花は紅

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私たちは、いつも気持ちが揺れています。

嬉しかったり、怒こったり、悲しかったり、また楽しかったり、気持ちがいろいろ変化します。なかでも、何をやっても駄目で、ほとほと自分が情けなく…自信喪失に落ち込むことがあります。

真剣に仕事をやったが、結果として、それが上司に認められなかったり、大変なミスを犯してしまったり、いろいろあります。

こんな日は、何をやっても“ついていない”ものです。飲みにいっても、つい愚痴って、仲間にうとまれてしまう。家に帰ると、妻に、意見され…怒鳴ってしまったりすることこともあります。後で反省は、後悔先に立たず…修復が大変…踏んだり蹴ったりの状態です。

そして、より自己嫌悪におちいってしまうものです。こんな経験は誰しもあると思います。

ただ、多くの人は寝て、次の日は忘れてしまうのですが、傷つきやすい人は思い詰め、「自分は何をやっても駄目だ」と思い詰めてしまいます。そして、次の日も、また次の日も、……自分を責めていくようです。そして、抑うつ状態になってしまう人もいます。

緑は柳 花は紅

柳の葉は春夏秋冬いくら努力をしても紅の花にはなれないし、紅い花もいくら努力をしても紅い花であるのです。つまり、人間も同じことでそれぞれが、「あるがままに生きる」ことが大切、という意味です。

不安神経症や対人恐怖症、抑うつの人たちの多くは、不可能を可能にしようとする努力をします。この言葉から、緑を紅にする努力をすることです。

つまり、完璧主義者ゆえ、緊張や不安を感じる場面であるのに、「緊張や不安を感じてはならぬ」と心で闘う。不安感が自分に不利と心から追い出そうと闘う。しかし、どう抗っても無理であるからますます心はこんがらがってくるのです。

本来人間というのは不安感を伴ったり、うつになったり、恐怖におびえる場面があったりと、心は絶えず流動変化しているものです。しかし、神経症や神経症性うつの人たちは、これらを理解するまで時間がかかります。

柳には、柳の色(緑)があり、花には花(紅)のいろがあります。それぞれが美しく、どれが一番かを比べる必要はないのです。

それぞれの持つ個性を、そのまま、あるがまま尊重することです。人は、なぜか不安に駆られると、自分と他人を比較したがります。そして、自分が優れていることを証明するために、それも自分より劣っているものを見つけては、批判します。

別に比較しても何があるわけでもない。私見と異なり、客観的な基準がない以上、自己満足に過ぎないのです。

2014年10月26日 (日)

年をとるということは…

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突然、妻が「足・腰が痛くで歩けなくなった」

昨夜は「足腰が痛くて…一睡もしていない…」と訴えたのでした。とにかく病院に行って診てもらいたい訴えた。

以前から坐骨神経痛(脊椎管狭窄症)で掛りつけの整骨院に掛り、電気マッサージ・痛み止めの薬を飲んでいたのですが…

腰痛の専門の病院をネットで調べて、「脊椎外科の専門の病院」を探してみた。診療時間は、8;45分でしたので、私はその時間に合わせて送って行きました。

痛み止めの点滴をしたりレントゲンなどをして、病院から迎えに来てほしいと電話で連絡があったのは18:35分でした。予約制であり、待ち時間があった…それにしても、11時間とは長い…何度か携帯電話で様子を聞いたのですが…心配しました。痛み止めが効いたのか、朝より痛みは和らいたようでした。

生老病死…

年をとるということは、体が衰え、病気の危険性は増すことだと実感しました。誰でも体力の衰え・機能の衰えは、すべての身体部位に及ぶことを知ることになることです。

老眼には眼鏡を…難聴にはイヤホーンを…足の歩行には杖を…と言うようになりその上の段階では車椅子…要支援…介護1、2、3、4、5の過程で進むのです。

ポジティブな考えで…

どんなに年をとっても、ポジティブな考えで過ごしたいものです。それには元気なうちに、人に優しくいてあげること心がけて、「いいお爺ちゃん・お婆ちゃん」であることです。

年よりは…「怒るな・転ぶな・風邪ひくな」

体が衰えても自分で歩ければ良しとします、病気の危険性は特に年とは関係ありません。むしろ風邪とか胃腸不良とかどうすれば早く回復するか経験的に解るようになります、容姿のことは今更人の目を気にする事はありません。

実はこの事が年を重ねて体験することが最大の利点かもしれません。自分が健康に気を配って生活できる事が大切です。

年をとるにつれ、たくさんの経験をするから、人にも優しくありたいと思います。ですから年をとる事は恐い事ではありません。年を重ねるに従って人生の喜びを見出せる、多少の蓄えと健康に気をつけて生きたい考えています。

人間は死ぬまで「悟る」ことが出来ないと思います。「悟る」ということは納得いくということですが、生きていることは「苦の娑婆」なのですから…

 

2014年10月25日 (土)

自然と親しむためのルール

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いま野山は紅葉で、行楽シーズンです。

今日残されたこの自然は、私たちの貴重な財産というべきものです。21世紀を担う次の世代に引き継ぐことが私たちに課せられた重要な使命であると考えます。

子孫によりよい自然を引き継ぐためには、ひとり一人が自然に対するルールを知り、それを守ることが大切です。

このルールは、自然と親しむ時に守るべき基本的なルールです。このルールに沿って行動することが、大切な自然を守ることにつながります。

ごみは全部持ち帰りましょう

ゴミはすべて持ち帰るのがルールです。公園や広場で、飲み食いし、(容器や食べ残)ましてや家庭などのゴミを近くの川に捨てるなどもっての外です。ビニール袋や空き缶などは腐りません。

危機意識も、慣れでしまうと無意識に→普通に感じられてしまう恐ろしさが心配です。いぱいゴミを捨ててあるのだから、このくらいのゴミはいいだろうと捨てていき、いつの間にかゴミの山できてしまいます。

市は、生ごみ・空き缶・空き瓶・雑紙・新聞・危険物など、区別して収集します。ゴミカレンダーもあります。

最近は、ゴミの分別が面倒だからでしょう?コンビニで買って夕飯を買って、分別しないでそのままレジ袋に入れて、草むらに捨てていくとう人までいます。また、公園などに、ゴミになるものは持っていかない工夫をし、出てしまったゴミは必ず持ち帰るのが最低のルールです。

自然は誰もが共有出来るものです

誰一人独占することなどできないものです。私たちの町は一人だけのものではありません。ゴミを捨てる行為は多くの人が迷惑しているのです。そこにいるのは、自分たちだけではないことを覚えておいてください。

 

紅葉の森に百舌の声

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静けさや 紅葉の森に 百舌の声

今朝の東京地方は、移動性高気圧に覆われ良く晴れました。

朝はこの冷え込みました。日中は暖かく…なるようです。

近くの片倉城址公園の森に百舌が鳴いていました。

今日・明日のイベントが、晴れそうで良かったです。

2014年10月24日 (金)

親孝行とは…

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「親孝行」とは…

墓の掃除をしながら考えました。親孝行…私が子供のころには、よく言われていましたが、現代では、忘れ去られているようです。

父母によく仕える行為…子の親に対する道徳…家族制度を基盤とする儒教道徳の基本…日本では近世封建社会以後、生活規範として確立され重視された。明治以後天皇に対する「忠」と並んで、「忠孝」が国民道徳の基本とされた。(ブリタニカ国際大百科事典)

近年の解釈…

一口に親孝行と言っても、その手段は幅広く多い。

親孝行とは…定期的に電話をする。実家に帰る。結婚をする。孫の顔を見せる。お金を送る。旅行をプレゼントする。父の日や母の日などに物を贈る…一番の親孝行とは 「親より先に死なない」という意見が有力である。(ニコニコ大百科)

私は、「親より先に死ぬ」ことが、最大の親不孝だと思います。そして、「成長した我が子から、乱暴な言葉を浴びせられるほど親にとって悲しいことはない…と思いす。

親自身、望む事は人それぞれですが…「子供が健康で家庭円満であれば」・「人に迷惑かけず・後ろ指を指されるよなことをしないで生活できていれば」それだけで充分だと思います。

子を持って、親の恩を知る

ことわざにありますが…自分が親の立場になって初めて子育ての大変さがわかり、親の愛情深さやありがたさがわかるということです。

親は何歳になろうとも子供の事が気がかりです。子供の幸せそうな顔や姿を見ることが、親にとっては一番の幸せであり、それが何よりの親孝行なのではないでしょうか…財力に恵まれずとも、決して高名にならずとも、幸せな結婚をし、幸せな家庭を築く事です。

仮に一人だったとしても、その子が「今が一番幸せなんだ」と思っている事こそが一番の親孝行だと私は思っています。

便りのないのが元気な証拠?

便りがないのは元気な証拠… 幸せいっぱいじゃなくてもいい、泣いてもその後笑ってくれていたらいい。 普通って言葉は普通じゃないけど、それなりに過ごしていてくれたら、それで安心できます。

2014年10月23日 (木)

生きる原点を考える

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近年、少子高齢化が進み、日本の人口が減り続けて、大きな社会問題となっています。

価値観の相違からでしょうか、核家族化・独身化・晩婚化などで、従来から続いてきた人間社会の構造(枠組み)が大きく変化してきています。

グローバル化世界で、日本の小集団の中の地域社会にも大きく影響してきています。人間の生きる目的・社会構成の在り方など…今まで経験したことがない状況に来ていると思います。

生きる原点を考える

何のために生きるのか…人間は、その答えを探し求め続ける動物なのかも知れません。

つまり生きるということは、子孫を残すことのほかに、自分とはどういう存在なのか、その自分という存在を自覚し、自分と他人との関係を理解し、自分がどういうところからやってきて、どういうところへ行こうとしているのか、気にしないではいられません。

その回答を求めようと古来から努力を哲学を生み出し、神をつくりだし、場合によっては自らが神になり、世の中を支配し、そして滅亡し、殺し、殺され、自殺することもします。

生まれたときは、あるがまま生きているだけでよかった赤ん坊が、いつの間にか成長する中で、自分に意味を見出さないと生きていくことができなくなるのは、必然的な行為のようです。

そしてまた老いて、周囲との関係を考えなくて良くなって、人は子供に戻ってゆき植物のような存在になっていくなかで、人間はあるがままの存在になっていく…

仏教では人間の存在を「衆生所遊楽」(しゅじょうゆうらくところなり)
と、人間とはこの楽しく遊び戯れるために生まれてきた存在である、と定義しています。ところが、実際にはその反対に苦しみばかり。

それはいったいなにが原因なのだろう、それを取り除くためにどうすればいいのだろうか、ということを問題として、仏教特有の因果応報の原理を使いながら苦しみの原因を解き明かし、自由な存在になれる道を指し示していたりします。

2014年10月22日 (水)

秋雨

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秋雨や 静かに落ち葉 濡らしゆく

今日の東京地方、朝から一日冷たい雨が降り続いています。

一雨ごとに寒さが増してくる季節になってきて、老体の身に沁みます。

近くの片倉城址公園の落ち葉が石畳を隠しています。

道徳(教育)に思う

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理想の人間像

70数年の齢を重ねられている温厚な人で、その道でのキャリアも豊富、組織に尽した功績も大きく、経歴は眩しいばかりに煌めいています。

人格者でもあります。話される事には人の心を打つ奥深い内容が多く、聞く人すべてに、とにかく万人に共感を与えています。

豊かな教養もあり、そして智恵もあり、そしてちょっと意外にも運動神経も発達しておられます。それらを含めて、組織を統括する求心力、リーダーシップ、それも完璧--すべてを兼ね備えている本当に立派です。ご本人がそれらを堂々と申される時もあるのですが全く嫌みはありません。

正しい判断をするために必要…道徳(教育)

「道徳」が小中学校で子どもたちの学ぶ教科になります。中央教育審議会がきのう、その答申を文部科学相に出しました。

教育とは…教え育てること。知識、技術などを教え授けること。人を導いて善良な人間とすること。人間に内在する素質,能力を発展させ、これを助長する作用。人間を望ましい姿に変化させ、価値を実現させる活動…(コトバンク)

道徳の根源は、生物が持っている親子の愛、特に母子の愛情にあります。母親が子供を思うことほど、利他の心はありません。

動物の場合は、個体の生命を維持するための自利の欲望と、子孫を残そうとする利他の欲望がバランスを保っています。

ところが、人間の欲望は、自分のためを考える自利と、他人のためを考える利他とのバランスが難しいのです。とすれば、人間にはどうしても道徳(教育)が必要で、それがないと自利の固まりになってしまいます。

目先の利益ではなく、「利他の心を判断基準にする」ということです。私たちの心にはもともと「自分だけがよければいい」と考える利己の心と、「他によかれかし」と考える利他の心があります。

利己の心で判断すると、自分のことしか考えていないので、誰の協力も得られません。

今日の新聞社説(関連)

朝日…「道徳の教科化―多様な価値観育つのか」

産経…「暴力の低年齢化 家庭のしつけが問われる」

2014年10月21日 (火)

大人が変われば子供も変わる

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規範意識とは、道徳、倫理、法律等の社会のルールを守ろうとする意識のことです。

最近、公園・広場や街なかでのゴミの投げ捨て、歩行喫煙、犬の糞などが、市や町会・自冶会などで注意看板を取り付けたり、市の条例で決められていますが、一向に減らないです。

「決められたルールは守ろう」

注意看板や、条例があります。みんなで町です…地域です…。ルールを守って人間社会は成り立つのです。ひとりよがりは許せません。

東京都は2020年オリンピックの開催にあたり、「こころの東京革命」を掲げ、規範意識の高揚と、「おもてなしのこころ」・「思いやりのこころ」の二つを掲げています。

こころの東京革命とは、親と大人が責任を持ち、次代を担う子供の正義感や倫理観、思いやりの心を育み、自らが手本となりながら、人が生きていくうえで当然の心得を伝えていく取組です。

www.kokoro-tokyo.jp/

親と大人が責任を持ち、次代を担う子供の正義感や倫理観、思いやりの心を育み、自らが手本となりながら、人が生きていくうえで当然の心得を伝えていく取組です。

その中で、こころの「東京ルール」~大人が子供の手本となろう~

○毎日きちんと挨拶させよう

○善いことは褒め、悪いことは叱ろう

○ねだる子供にがまんをさせよう

○先人や目上の人を敬う心を育てよう

○体験の中で子供を鍛えよう

私は、この五つの標語をしっかり子供に教えていくことは人間形成において、最も大事なことだと思います。それには大人が模範を示すことです。

子どもたちは親の背中を見ています…。大人の行動を見ています…。きっちり態度で示すべきと思います。よく、最近の子どもは…最近の若者は…と言う声を聞きます。そういう本人は…どうなのか?と思うのです。「胸に手を当て反省して頂きたい」と思います。

安心・安全な町づくりは、大人から子供へ…家庭・学校・地域のみなさんの義務だと思います。まず、大人が出来ることを勇気をもって実行することです。

2014年10月20日 (月)

70歳を過ぎると…

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加速して 老い感じたり 富士袴

今年もフジハカマの花が咲く季節です。

70歳を過ぎると、一年の経つのが早く感じられます。

もちろん、1ヶ月1度の検診日の来る日も…薬が少なく…

 

今を精一杯生きる

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草も木も鳥も蝶も、与えられた命を精一杯生きています。

私たちは、今を生きています。生かされていることを喜び、生かしてくださっている方に感謝しながら、毎日を生きていきましょう。

「今を生きる」永六輔さんの詩に、「生きていくということは」という作品がありますが、生きているということは、誰かに借りを作って、借りを返していくことなんだ、一人じゃ生きることができないんだ…ということです。

私は、子どものころ親から、「人に迷惑はかけないように」…と教えられてきました。そして私の子どもにも、教えてきました。

ですが、実際に迷惑をかけないで生きてゆくことはできません。インドでは「人は迷惑をかけるもの、だから他人の迷惑を許す心を養え…」と教えるそうです。生きているということは、まさに誰かに借りをつくっていることでもあります。

日蓮聖人の『身つよき人も、心かひなければ多くの能も無用なり』があります。

たとえ体が丈夫で、多くの能力があっても、心が正しい方向を向いていなければ、それはまったく無用のもの…という意味です。

とかくに強い人、能力の高い人は、弱者の気持ちが理解できません。同じように自分が迷惑をかけずに生きていると思っている人は他人の迷惑が許せません。それは決して、楽な生き方ではないはずです。

幼い時は親に迷惑をかけ、老いては子や孫に迷惑をかける。それを当たり前のこととして受け止め、許しあうということが大切かと思います。人は一人では生きては行けないのですから…

人はいつ死ぬとも知れなません。今は元気であっても、明日は分かりません。そうであるなら、私にできることは「今を精一杯生きる」ことしかないのです。

私はこれからも生きていく…一日一日を感謝しながら…自分に与えられた命を精一杯生き抜くつもりです。

2014年10月19日 (日)

自分さえよければ…の考えの人

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有り余るものの豊かさと、長寿社会にあって、私たちは大切なものを見失っています。

自己本来の生命活動により生かされている自分に気づかないで、自力で生きているという錯覚に現代人は陥ってしまっています。

この世の中には変わらないというものは何一つありません。このことに意識ない人が多いため、人生の今をより良く生きるという意識が弱く、今さえ楽しければそれでいいという生き方をする人が多くなったことです。

「歳月人を待たず」です、この世の無常なることを悟って、生かされている自分に気づくことができれば心に動揺がなくなるはずです。

また、一切の生き物は他を生かし、他に生かせてもらっているという根本原則が忘れられて、自分さえよければという考えをする人が多くなったことです。

日常の生活の中…コンビニ、町の交差点、通行中、乗り合わせた電車などで、社会常識を逸脱した行動を…見るに見かねた善良な人が見知らぬ人に、他の人の迷惑になるからと一言注意しただけで刺し殺されるという事件があります。

これはキレ易い現代人の異常な行動でしょうか、さまざまな犯罪や人々の行動においても、「自分だけよければ」自分の権利がと、あまりにも現代人は利己の意識が過ぎるようです。

人間の自然環境に与える影響についても同じことです。利他(自己の利益よりも、他者の利益を優先する考え方)の生き方ができるところに心の豊かさが得られる、利他の意識が弱くなったために、心貧しい生き方をしている現代人が多いようです。

 

 

2014年10月18日 (土)

キャリアとは…

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「キャリア」とは…

(狭義の)キャリア=職業、職務、職位、履歴、進路…
(広義の)キャリア=生涯・個人の人生とその生き方そのものと、その表現のしかた=人生の中でその人が積み重ねてきたすべての経験…

「キャリアといえるものは何もない…」という人がいますが、どんな小さなことでも職業生活の中で日常の積み重ねた経験の全てが「キャリア」です。

キャリアは「自分にとっての資産」です。つまり、今後の自分の仕事・人生を考えるときに必要となる「今まで何をしてきたか」・「仕事をしていく上での個々の能力」が「キャリア」です。

そのため、個人のキャリアを考えるときには、それぞれの個人が「これまでの経験の棚卸し」をすることが大切です。

キャリアは、子どものころから人生をずっと通して形成されます。その段階と課題がどのように発展するかについては、もちろん個人差があります。

子どものころから目標を定めてそれを生涯の「天職」とする人もいるし、また、転職をくり返す中でキャリアを積む人もいます。

「キャリア」の語源…

車の通った車が道に残した車輪の轍(わだち)…

人それぞれで、個人差があります。さまざまな出会い、経験によって、歩んできた私たちの足跡の軌跡が道に残っていき、その足跡をまた後ろに続く者たちが歩いていく、その足跡を辿って道を歩いていくその先には果てしないもので、どこまでも続くはるかな道…といったイメージです。

轍(わだち)は車を降りないと見られません。車を乗り換える時、ぬかるみにはまった時、道に迷ったときに車から降りて目にするものです。それが轍(わだち)であり、「キャリア」です。

人は誰でも、自分の将来を展望するとき、「自分は何をして来たのか」「何ができるのか」など自分の過去を振り返ります。それは自分の「轍(わだち)」を振り返ることです。

そして、立ち止まったところが現在であり、それに続いて、未来へと続いていくのです。

2014年10月17日 (金)

感謝の心

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感謝の心が幸せを生み出す…

いつも感謝の心を抱いている人は、心が安らかで、周囲の人々の心をも明るくすることができるものです。毎日を感謝の心で過ごすことができたなら、どれほど幸せな人生でしょうか…

感謝の心は、自分の周りの人に対してだけでなく、暮らしを支えてくれているモノに対しても向けることができます。モノから返事が返ってくることはなくても、感謝するという心がけ自体が、私たちの心を育てていくのです。

いつでも、何事にも感謝するという心の習慣は、人生に潤いと温かさを与えてくれると思うのです。

物が豊かになったせいでしょうか…あるいは人間が尊大になったからでしょうか…近ごろは感謝の気持ちというものが、何か次第に薄れつつあるようにも感じられます。

感謝の気持ちということは、これは人間にとって非常に大切なものなのです。見方によれば、すべて人間の幸福なり喜びを生み出す根源とも、感謝の心とも言えるでしょう。

したがって、感謝の心のないところからは、決して幸福は生まれません、したがって、不幸になるということです。

感謝の心が高まれば高まるほど、幸福感が高まっていく…つまり、幸福を願う気持ちが、感謝の心とも言えるわけです。幸福を願う気持ちが失せたら、幸福の姿は瞬時のうちにこわれ去ってしまうというほど、人間にとって感謝の心は大切なものだと思います。

感謝の心があれば、幸福なり喜びは自然に高まっていき、しかもそれが無限に長続きするのです。感謝の念をもてるような人は、無限の喜びと新たな勇気というか、活力を生み出せる人間だといってもよいでしょう。

感謝の気持ちを持つには…

自分自身で感謝の心を養うことです。つまり、感謝の心をもつことが、自らの幸福感を高め、ひいては、自らの活力を高めるのだということを知ることです。

それを自ら知ることができなかったら、誰かにそれを教わらなければなりません。そこに宗教とか「道徳」・「人間の道」とかいうことが、非常に大切になってくるわけです。それらの教えの中には必ず感謝することの重要性が説かれているわけです。

近頃は、みな忙しくなり、またお互いの心に余裕がなくなったのでしょうか…だんだんと宗教心からは縁遠くなっていく傾向があります。

ですから、なおさらお互いの宗教心を養い高めていく必要があると思うのです。よりよき幸福を得るためには、宗教もまた、欠かせぬ大きな役割を果たすものだと言えます。

このように、感謝の心の大切さを学び、自ら実践していく…そうした姿勢からほんとうの幸福が生まれてくると思います。

 

 

エボラ出血熱の脅威

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「エボラ出血熱」遠いアフリカの国のことのことで、日本は切実感ない人が多いようです。

しかし、グローバル化した世界です。日本に多くの外国人が、観光、仕事、スポーツ関係などで交流で、来日しています。また、日本人も、世界のあらゆる国に出かけています。

西アフリカを中心に猛威を振るうエボラ出血熱の感染拡大が止まりません。死者は加速度的に増え5000人に迫る勢いです。

世界経済にも影響

米国やスペインに飛び火したことで先進国にも大きな脅威となっています。日米欧での株価下落など世界経済の先行きにも暗い影を落としています。

エボラ出血熱の封じ込めに向けた国際的連携は加速、日本政府も感染症法改正案を閣議決定するなど対応を強化します。

冷静さと的確な対策が大事

「致死率は70%」で、恐ろしいウイルスで、現在ワクチンなど、治療薬はない。

エボラ出血熱のウイルスは空中には浮遊しない。感染した人や動物の血液や汗など体液、体内組織に直接触れることで感染する。

WHOによると、エボラ出血熱の初期症状は発熱や頭痛、筋肉痛、喉の痛みなどで、マラリア、腸チフス、コレラなどと見分けにくい場合がある。

汗や血液などの体液を通じてしか感染しないので、広範囲で急速に広がることはない。

感染した人が発症し始めるまでに3週間あるということです。その間に、感染した人と接触した人たちによって、ウイルスが広がる可能性があるということです。

新聞各紙の社説…

読売…「エボラ出血熱 封じ込めへ世界の結束を急げ」

毎日…「エボラ対策 感染防護体制の徹底を」(16日)

 

2014年10月16日 (木)

防犯の集いに参加して

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安全・安心の町づくりは、誰でも願いです。昨日、八王子市で「防犯の集い」が、いちょうホールにて行われ参加しました。

八王子市の(八王子・高尾・南大沢警察署)管内では犯罪件数は平成16年が、1万件から減少傾向が続き、平成25年は6割程度の減少の約6千件になったということです。

平成25年の市政世論調査で防犯対策が市政への要望で4位(高齢者福祉32.4%・財政健全化22.7%・保健医療22.3%に次いで防犯対策17.2%)となっています。

依然市民からの関心が高い、全庁における防犯体制を再確認するとともに、社会情勢や犯罪傾向などの変化に合わせ、新しく防犯課を創設したのです。高齢者を対象に、「おれおれ詐欺」「母さん助けて詐欺」などで犯罪も巧妙化してきています。

「オレだよ。母さん。」……と電話をかけてくるのは、息子しかいません。偽名で電話するなんて思いつかないですから「オレだよ。…」で親ごころでスイッチが入るのは当たり当前!……元の携帯にかけててみることです。

空き巣の被害対策は、地域の皆さんとの普段からのコミニケーションが大事だと思います。「見守り隊」など南大沢署では、毎月発行しています。私の町会では、回覧し、注意を喚起しています。

私は、防犯対策として考えていることは、①挨拶する。②町をきれいにする。ことです。そして防犯パトロールなど積極的に参加し「私たちの町は私たちで守る」という防犯意識の高揚だと思います。

「声掛け運動」…ちょっと留守にしますとお隣へ 「知らない人でも挨拶を」…空き巣犯人は顔を見られ、犯罪を諦める。

2014年10月15日 (水)

暑さと寒さが交互に

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季節の変わり目体調に気を付けたいものです。

台風19号が、足早に通り過ぎていった。翌日は27度で、半そで日傘の姿が多かったのですが、そして、一昨日は、朝から寒く、家の中で何処にいていいやら、炬燵を出して、一安心…と思えば昨日は、26度となり炬燵ちょっと早すぎた感じでした。

今日はというと、朝からどんより曇って寒い。午後から雨との天気予報です。

体調を崩す…

季節の変わり目…気温の変化などによって体調を崩す人が多いと聞きます。肩こりや体が思うように動かなくなるというのは、とてもつらいことだと思います。

自律神経失調症もその一つです。自律神経失調症の症状は、体の一部が痛くなったり、精神的に落ち込んだり、だるかったりと、人によってさまざまです。風邪をひき、持病を持っている人は、注意をしないと、余病を併発する恐れが生じます。

無理しないで休養をとることです。特に体力ない。お年寄りや幼児には気を付けたものです。

気圧の変化…雨の日・天気で気圧が違います。

近年、観測史上例をみない豪雨、大雪、竜巻など異常気象が特に多いです。原因不明の肩こり、倦怠感、頭痛、歯痛と天候との因果関係があるようです。

そのため、天気(天候)が変化しやすい時期、季節の変わり目や台風が生じている時、など目まぐるしく気圧が変化する時ほど具合が悪い方が多くなってしまうのです。

特に季節の変わり目、雨の日と晴れの日が頻繁に入れ替わります。つまり、気圧の変化が激しい上に、太陽が顔を見せない日が多いので体調、自律神経の乱れやすくなるのです。

 

 

 

これからの町会の運営のあり方

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町会の運営

年ごとの持ち回りの役員(理事)の選出が、超高齢化で難しくなってきています。そして、マンション・アパートの住人の町会の存在の理解が得られない、戸建て居住者との、コミニティが出来ないなどで問題となっています。

最近はどこの町会でも、運営にそんな苦悩しているのが実態ではないでしょうか。防災・防犯上から、空き家対策・一人暮らし対策など…町内の住民の安心・安全確保などと、買い物弱者・急病など対策は、先延ばしが出来きない問題です。

町会は、お互いの助け合いの組織

町会を構成する以上、スタッフとして役員は必要だし、その負担は結構大変です。もともと福祉的業務であり…福祉というものは、これで大丈夫とは、なかなか叶えられないものです。

そういう性質上、もっと工夫をして負担を軽くしてかねばとの、板挟み? があるのが実態であると思います。そのことから、役員の引き受けて手が少なくない。

お互いの助け合いの仕組みだから、役員を引き受きうけてもいいという意識はあっても加齢に伴い自分の意思とは関係なく、健康上の問題をかかえこみ役員を引き受け出来ない、また、仕事・家庭の事情などの理由でもうなずけます。

今後の活動の方針

従来の活動を一度ゼロに戻し、自分たちの町にとって本当に必要な活動は何なのかを、住民同士で改めて議論してみることが大事だと考えています。

市と住民のパイプ役である町会ですが、住民の年齢構成の変化に合わせて、行政としてどんなサポートが必要なのか・町会に介在する諸問題にも目をむけ、行政として何が助言できるのか等についても配慮して欲しいと願っています。

2014年10月14日 (火)

経験は財産です

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むかし、親父に「若いときは、苦労は買ってでもしろ」と言われたことがあります。人の嫌がる仕事をすることもそうだと思いますが、人との関係で、気難しい人、神経質などの人でも積極的に話をするなどもそうだと思います。

苦労は必ず貴重な経験となって将来役立つものです。経験は財産です。

それに反対の言葉になりますが“すれっからし”の人間…があります。さまざまな経験をして、悪賢くなったり、人柄が悪くなったりしていることで、悪い印象の人をさす場合に使うようです。

親の想い(願い)

親は、自分の子供が健康で素直に、そして純粋な気持ちを失わず成長していくことを願います。しかし、それはある時までのことで、いつまでも純粋で素直な心のままでいると、今度はその子に対して心配と不安がでてきます。

こんな素直でいい子は人にだまされないか、いいように扱われないか、このままだと将来苦労するのではないか…などと、反対の思いが出てくるのです。この社会では、純粋で素直な心のままで生きる事は難しいから、早いうちからこの「純粋性」を捨てていく…とくに現代は、その傾向が強くなていす。

純粋で素直な子供を相手にしていると、人の心も緊張感が解かれ自然に和らぐものでです。この心からのリラックス感自体は「純粋性」の表れなのですが、この事すら気づかなくなった大人といわれる意識状態も寂しいものです。

世の中で揉まれる内に自分の損得で物事を見るようになり、子供の頃の素直な心をだんだん見失っていくのです。

そして、いろいろな思惑が出てきて苦しむようになっていくのです。無心で遊ぶ子供を見ているとこちらの心まで無心に帰っていくような気がします。

子供の頃は素直な心でいたのに、成長していく過程でその素直な心が傷つく経験を重ねていく内に、人は素直さを忘れていくのです。擦れて…世間慣れて…それは心にこびりついた垢のようなものです。

「俺はこうだ。私はこうでなければいけない。」という心の垢が付いていくのです。そして心の駆け引きをするようになり、損得で言う物質的な得を得るかわりに、心の平穏というものを失っていくのです。

人間同士が心から純粋な気持ちで接するなら、何の抵抗も生じず平和な気持ちになる事くらいは、誰もが知っていると思うが、知っていながら実現できません。

そうならざるを得ないのは、人の心に悪やネガティブがあるためであり、またそれに警戒しなければならないからです。

私たちは、このようなつまらないもののために、本来知恵と力そのものである「純粋性」を捨てるだけでなく、いつまでも同じ繰り返しの生まれ変わりをしなければならないのです。

この世ににおいて、純粋そして素直であることは、それを大切にする反面、精神力の弱い消極的でパワーのない人間に取られることもあります。

「心がきれい、素直、純粋、そんな奇麗事じゃこの世は生きていけないよ」、私もこのような
言葉は、今まで結構聞いてきました。しかし、私たちが思うまた基準とする「純粋性」は、どこからが純粋かというとまったく人それぞれの基準も違うでしょう。

私たちは今まで、いつの間にか心に入ってきた純粋という観念だけで、「純粋性」を知っているに過ぎないのです。だから簡単に、この「純粋性」というものを自分から外す事ができるのです。

 

 

 

2014年10月13日 (月)

自然という治療薬

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ゆっくりと 一息ついて 秋があり

まいにち、慌ただしい人の世です。

ふー心静かに一息つけば、辺りは、秋の真っ盛り…

自然という治療薬を知りました。

福祉と幸せの関係

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私は社会人の一人として、「福祉」と「幸せを」の関係を考えています。

福祉とは…「しあわせ」や「ゆたかさ」を意味する言葉であり、すべての市民に最低限の幸福と社会的援助を提供するという理念を指す(ウキぺディア)

人間の欲望は際限がありません。三毒があります…貪とん=むさぼり(欲深く物をほしがる、際限なくほしがる)、瞋しん=怒り(自己中心的な心で、怒ること、腹を立てること)、癡=愚かさ、迷妄(物事の道理に暗く実体のないものを真実のように思いこむこと)、これを人間が持っている三毒と仏教では言います。

人間は、いつも、ものねだりをしたがります。「もっと、もっと」と際限がなく、貪り(むさぼり)があり、心を平穏に毎日暮らしたい…人に依存する心をもっと少なくしていきたい…と思う反面…こうして欲しい、ああして欲しいとの欲望止まらないことです。

まぁー色々今の自分にないものを欲しがり、「これで良し」と思えないのです。こうなると一生涯「これで良し」とは思えないのかなと思ってしまいます。

人は、金持ちになると不安が無くなるようにみんな思っていますが、金持ちほど不安なのです。自分が持っているものを失う不安が持てば持つほど増大するからでしょう。

だから一生涯安心することが無いのです。働いてお金を作っていくことは悪いことではありません。持っているものに対する執着を捨てることができないと幸せにはならないのです。

「人間本来無一物」

権力を持って相手を利用したり、されたりしない関係…楽しく笑い、元気に裸になって付き合える社会であってほしいものです。

自分自身の心が裸に…相手も裸になってくれるのだと私は思います。人は身に着けているものが多いほど、自分の本当の顔が見えなくなってしまいます。

自分が人より偉いとか、自分より下だとか、そんなことばかり考えて、お互いの本当に素晴らしい部分が見えなくなります。そんな人たちはお互い、気を遣い合い、迎合し、全く本来の自分が出せません。裸になれません。

これは決して、「自己中心的」が良いということではありません。自分が幸せであるということです。

自分という存在すら幸せにできないで、周りの人を幸せにすることはできません。まずは、自分らしく、楽しく笑い元気になることで、人も幸せにできるだと私は思います。

 

 

2014年10月12日 (日)

見えないお陰さま

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「見えないお蔭さま」

物事をうまく進めることは、根回し、周到な準備が大事です。往々にして紙に書いたもので旨く進められると思っても、イベントなど失敗に終わることがあります。ある程度の想定外を予測したり、過去の経験などを参考にすることが大事です。

老子は、世の中の物事が上手く回ること、人間が便利に生きられること、そこには見えない存在…空、犠牲者、影の功労者、名も無き者たち…「見えないお蔭様」が存在することを知りなさい、と言っています。

ノーベル賞の受賞者やスポーツで優勝した人の言葉で良く聞く言葉ですが、「お蔭さま」「多くの人の支えで」…と言う謙虚さが大事です。

「おかげさま」…て私たちは、日常何気なく使ていますが、感謝の気持ちを表す言葉として使っています。

「おかげさま」の言語の由来…他人から受ける利益や、恩恵を意味します。「お蔭」に「様」をつけて丁寧にした言葉で、古くから「陰」は、神仏など偉大なものの陰で、その庇護を受ける意味として使われています。

これは御影(おかげ)が「神霊」や「みたま」「死んだ人の姿や肖像」を意味することに通じます

接頭語「お」がついて「おかげ」となったのは室町時代から…悪い影響をこうむった時にも「おかげさま」を使われるようになったのは、江戸時代からのようです。

2014年10月11日 (土)

ノーベル平和賞に二人の女性

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女性と子供の人権を守る活動…ノーベル平和賞二人の女性(2014年)

 子どもも、大人と同じ一人の人間です。 子どもの人権…

人権とは…人は一人ひとりがかけがえのない、尊いものであるということから、いかなる場合にも踏みにじったり、無視したりしてはならないものを人権とい考え方す。

子どもは発達の過程にありますが、一人の人間として、大人と同じように、自由と権利があります。往々にして、子どもに権利だからといって自由を認めると、わがままな人間になってしまう意見の人もいます。

宗教でその考え方が違う…学術用語としての宗教の定義は学者の数だけあるといわれ、統一した見解があるわけではない。事典類によると、神仏などの超自然的存在に対する信仰、教義、儀礼、組織などをもって宗教と定義している。

宗教とは

 https://kotobank.jp/word/%E5%AE%97%E6%95%99-76838

 そもそも宗教の始まりは、ひとつの思想なり教義が、1人1人の持つ信仰とは異なり、ある集団(民族・部族など)に共通して信仰される共通認識となった時点であることです。

今日世界宗教とみなされている宗教はキリスト教、イスラム教、仏教であります。

イスラム教は、大きな特徴は一夫多妻制、女性は男性の所有物であるから家に閉じ込め、他人には触らせない、顔を見せないなどがあります。しつけとしての家庭内暴力は或る範囲で今でも認められています。

問題となっている、原理主義のタリバンの考え方で女性には教育は必要ないというのもその延長線の考え方でしょう。

グローバルな時代なので男女差別も徐々に消えて行くべきと思いますが、イスラム社会では原始的な男尊女卑思想がコーランに書かれており、社会習慣としても未だに明確な形で残っているのです。

イスラム社会ではいわゆる政教分離は全くなされておらず、むしろ宗教の立場が強くて、コーランに反する法律は無効だみたいなことになっているようです。

子どもは、親の愛情で育つのです。育つ過程に親のマネしたり、教育を受けて人間社会に対応できる成人になります。人間社会には、秩序(昔は掟)が必要です。

れには子どもの教育が必要で男・女は同等の教育を受けることは、個人にとっても、国にとっても大事なことと考えていますが…まったく、考えられない、女性には教育は必要ないとするイスラム教です。

今年のノーベル平和賞の受賞者は…

インドのカイラシュ・サティアティさん(60)とパキスタンのマララ・ユスフザイさん(17)の2人が選ばれました。

カイラシュ・サティアティさんは60歳の女性で、教育もろくに受けさせられずに過酷な労働を強いられている子供たちの開放に尽力している人権擁護活動家です。

マララ・ユスフザイさんは、若者や子どもの教育を受ける権利を求めた運動が評価された。ユスフザイさんはノーベル平和賞で最年少の受賞者となりました。

ユスフザイさんは少女の教育を受ける権利を主張。その後パキスタンのイスラム武装勢力「タリバーン」のメンバーに頭部を銃撃された事件で世界的な注目を集めた人です。

2014年10月10日 (金)

これまで経験したことがない気象現象

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異常とまで言われた暑い夏も終わり、10月に入り台風の本格的季節になりました。台風18号に続き19号は、今までに経験したことのない、強くて大きな台風のようです。それが日本列島を狙っています。

温暖化で、春夏秋冬の季節感が違ってきていす。気象庁の言語表現も、新しい言葉が使われています。

「これまでに経験したことのないような大雨」…気象庁は、重大な災害が差し迫っている場合にいっそうの警戒を呼びかけるため、短い見出し文のみで伝える気象情報の発表しています。

異常気象の影響***「深層崩壊」…山の地表近くだけが崩れる通常の山崩れ(表層崩壊)とは異なり、奥深くの土壌までが崩れてしまう、大規模な山崩れのことです。

人間の驕り

46億年の地球の歴史の中で、地球にとって初めての経験が多くあります。現在の地球環境が最終的な環境のように語られますが、それは人間の存在する極めて短い期間でもあるかもしれません。

人間の歴史は宇宙の歴史から見れば、極新しいものです。しかし人間の驕りで、私たちが住む地球までも住み続けることが危うくしてしまっているといるのです。自然環境に大きく影響している「地球温暖化」・「環境破壊」問題です。

地球温暖化・環境破壊はどこかの国で起こしていると思っている人がいるのです。人間が日常使っている食品の容器やたばこなどの有害物質など始末を仕方が問題となっていますが…

今が良ければ、楽しければ、と大変なことになること分からない?のでしょうか…どんどん生態系が変わっていても鈍感なのでしょうか?一旦自然の生態系の狂いを生じたら…それを取り戻すことは大変の時間がかかり、また不可能になるのです。

2014年10月 9日 (木)

色づいた柿の実

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朝露は 色づき柿に 輝けり 

10月に入り、急に朝晩の寒さが身に応えるようになりました。

でも、日中は夏日になります。

葉に隠れていた、赤い柿の実が、

目立つようになりました。

何処かでモズの鳴いています。

自分らしく生きる

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自分らしく生きるとは…心底より本当の自分に正直に生きることだと思います。しかし「わが人生悔いなし」と…100点満点で人生を終える人はいないでしょう。死ぬまで努力し自分の目指す信念を貫き通すことだと思います。

誰れでも「こんな自分になりたい」という理想像を描いているはずです…自分の思いのままに生きたいとは、自由奔放にに生きることになり、自分らしく生きるとは、社会的制約の枠内で生きると思います。

世の中、一人では生きていけません。多くの人間と関わりあって生きられるのです。人間社会があって生きられるのです。ルール・法律があって…それを守ることで、共存共栄が基本です。

誰からも信頼され、自分の言いたいことが言え、人間関係の万事順調で、争いのない、家族や仕事や社会とも調和した理想的な生き方を理想ですが、はたしてそのような生き方はできるのでしょうか…

現実は、自分らしい生き方が簡単にできるほど甘いものではありません。むしろ、自分の思い通りにはならない、自分らしさを発揮するには勇気が必要とされるのではないでしょうか…

自分らしく生きようとすることは、自分の価値観を第一に考えてその価値観を実現することです。制約の人間社会では、自分らしく生きるということは、大変つらいことなのです。むしろ他人に妥協したり迎合した生き方の方が楽だとさえ言えます。

だから、妥協や迎合した生き方が、社会にはびこることになるのです。自分は考える必要もないし、責任をとる必要もないからです。

言われたことを言われた通りにしていれば、それでもなんとか生きていけるのですから、他人に追従する生き方は面白くありませんが、ある意味ではとっても楽な生き方なのです。

毎日が自分や他人との闘いです。

現実の人生は自分の思い通りにならないのがあたりまえなのです。だから自分らしく生きなければならないと言えます。他人の言いなりになって生きていても、充実した人生にはなり得ないのです。

2014年10月 8日 (水)

感動と震撼させるニュース

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昨日は感動と震撼させるニュースで天国から地獄へ落とされたような心境になりました。

感動のニュース…ノーベル物理学賞の受賞者に、青い光を放つLED=発光ダイオードの開発に成功し、フルカラーの大型画面の実現などさまざまな応用への道を開いた、名城大学教授の赤崎勇さんと、名古屋大学大学院教授の天野浩さん、カリフォルニア大学教授の中村修二さんの日本人研究者3人が選ばれた…ニュースです。

受賞記者会見で…若い研究者へのメッセージについて「自分のやりたいことをやるそれが一番」…印象的でした。そして、地味な仕事を60年、研究一筋にようやっと頂上に登りつめた…成功とは、そう簡単なものでない、そして多く人のサポートがあって出来るものです。

朝日新聞社説…「ノーベル賞―地道な研究の土壌守れ」

読売新聞社説…「ノーベル賞 世界変えた青い光を誇りたい」

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そして、震撼したニュース…今シリア内で世界的に問題となっている「イスラム国家」を創るという、超過激な団体の存在です。

アメリカ・イギリス・フランス人を公開殺害す場面をネットで世界に発信するという異常さには世界の人々を震撼させています。その集団に入りたいということで、北海道大学生が、シリアへ行く計画していたという。

26歳の北大生「義勇兵になれないなら自殺する」

目的は…「そこには戦場があって、全く違う文化があって。イスラムという強大な宗教によって、民衆が考えて行動している。このフィクションの中に行けば、また違う発見があるかな。それくらい」と話したという。

「もしもシリアに行かないとしたら、ことし中か、来年にも、間違いなく自殺しているから、シリアで死ぬことになっても、全く変わりがありません」…

秋葉原の古本を扱う書店でシリア入りを募るビラを見て、シリアに渡航歴のある元大学教授の手配で、トルコ経由でのシリア入りを計画し、イスタンブールに向け、7日、成田から出国する予定だった…

こんな人が日本にいるとは…アブノーマルな考えは特異でありますが、ネット社会とグローバル化した社会で、価値観の多様化しています。だが、私たちは自分の持つ文化を、普段はそれほど意識していませんが、現実には、極端に偏見を持った人間が…恐ろしいことだと思います。

毎日新聞社説…「テロ予備軍 日本も無縁ではない」

2014年10月 7日 (火)

地方創生とは…

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地方創生…

政府は、「まち ひと しごと」は、地方の伝統・文化・産業で確かに衰退してしています。この現状から、安倍首相の最重要の最重要課題として取り上げられています。

地方創生とは(基本的理念)…人口急減・超高齢化という、日本が直面する大きな課題に対し、政府一体となって取り組み、各地域がそれぞれの特徴を活かした自律的で持続的な社会を創生することを目指して設立されました。

国民の皆さまが、誇りを持ち、将来に夢や希望を持てる、そして、誰もが安心して暮らすことができる地域づくりを進めるため、魅力あふれる地方を創生し、地方への人の流れをつくってまいります。また、経済の回復を全国津々浦々で実感できるようにしてまいります。8(政府案)

歴史的にも転換の時期…

集団就職…1960年代を中心として、高度経済成長期にあり、賃金も農村部より都市部の方が高くて、大量の中卒者が毎年地方の農村から大都市部に移動して、三大都市圏の転入超過人口の合計が40万人~60万人もありました。

季節労働者…冬の間、北海道・東北・北陸の地域では冬季に低温が続き、降雪や積雪があることにより、第一次産業の多くが事業を行うことができない、収入を得るためにするために出稼ぎがをした時代があったのです。

グローバル化した経済の時代です。いま、長期的な観点からみると、日本経済はデフレ長期化、人口減少、財政危機といった三つの大きなリスクを抱えています。これらのうち、これから20年ほどの間、日本経済に最も深刻な影響を及ぼすのが財政危機すなわち財政破綻のリスクです。

日本経済が持続的に成長していくためには、財政危機からの脱出策を見出すことが最も重要な課題となると考えます。

国民が、安心してす住み続け、将来に希望が持てる社会になることを期待したいです。

2014年10月 6日 (月)

ゴミ・放置自転車で困っています

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いつの世にも、ルール違反・マナーのない人はいるものです。

が……私たちの町に、家庭ゴミをまとめて捨てる人がいて困っています。ほとんど同じ、大きさの袋(コンビニのレジ袋)で、週に一度ぐらいですが場所は、湯殿川の国道16号住吉橋付近の、河川管理通路または湯殿川の堤防の法面の草むらの中です。

中身はペットボトル・空き缶・コンビニ弁当の食べ残した容器・納豆の容器・使った、テッシュ・牛乳パックなどの袋が4~5個です。合わせると400リットルの袋一杯になることもあります。

拾い集めて、処分していますが、量の多い場合は、河川を維持管理している南多摩西部建設事務所に連絡したり、八王子市ごみ総合相談センターに連絡して処分を、お願いしていますが…そして注意看板を取り付けていますが…ほどほど困っています。

また、放置自転車の処置・処分も大変です。

3~4日公園内に、放置された、自転車は、警察に連絡し、盗難届が出ているかを調べて頂き、出ていれば警察が処置していただけますが、盗難届が出ていない場合は、市の自転車対策課に連絡し公園化へ連絡して…公園化は、公園を管理している指定業者に連絡して、所定の処分をしていただいています。その手間と、監視が大変です。(月1~2台)

ゴミを捨てることは、自然環境に、まちの美観にも良くありません。また、止めてはいけない公園内にでは、子供・お年寄りが使い危険です。

規範意識とは…

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誰でも、自分の家・町・職場・学校・公園など毎日の生活に関わる環境は、きれいで気持ちのよいことは…当たり前のことだと思います。

世の中は一人では生きていけません。多くの人と関わりあって生きていけるのです。当然そこには、分かち合い・思いやり・優しさ、そして責任・反省・感謝の心が、大事なことになるのですが…

最近、自分ひとりで生きていける?と勘違いしている人がいるようで、自分と職場があれば生きていけるということで、周りの他人と関わり合いたくないと、考えている人が多くなったと思います。

その原因は、ネット社会で、生活するための情報が得られる。職場でもプログラミングなど、個人で出来る仕事が増えていることからだと思います。

規範意識の欠如…が問題です。

規範意識の問題を要約しますと…

①…他人の存在を、大切なもの(意味あるもの)と感じていない。

②…人は様々な他人(社会)の恩恵があって、初めて生きていけると感じていない。

③…他人の存在は、自分の欲求を達成する際の障害でしかないと感じている。

④…自分の世界に没入すれば、他人の存在は気にならないと感じている。

⑤…そもそもそうしたことを、あれこれ言われること自体が「かったるい」と感じている

といったような場合には、いくら「規範意識」・「公衆道徳」を説いたところで無駄?

公衆道徳…自分が社会の一員であると自覚して、良識的な社会行動をとれてこそ社会人。公衆道徳はその社会行動の最低レベルのルールとなります。

まずは一社会人として良識のある人間になりましょう。公衆道徳が欠けていると、結局仕事も人生もつまずきの連続となるでしょう。難しいものは一つもないのでしっかり身につけたいものです。

2014年10月 5日 (日)

健康・危機意識とその対応

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健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます。(日本WHO協会訳)

イギリスに「健康は人間が自分に贈ることのできる最高のプレゼントである」という諺があります。

いつの時代でも健康こそ全ての基本です。今日、高齢化社会を迎え、益々高度化・グローバル化した経済社会にあって、健康に対する関心は、一段と高まっています。

病気になる前に適切な健康管理を行い、病気を早期に発見して軽症の段階で治療を進めるいわゆる自己治療…”セルフメディケーション”の役割を担うものが大切です。

事故・災難は、今まで生きてきて、経験したことがないことや、想定外の事案に遭遇してし起きる…御嶽山の噴火に出会い、多くの犠牲者が出てしまうということもあります。

町を歩いていても、家にいても、寝ていても、起きていても、24時間災難は起こる可能性はセロではありません。だからと言って、意識過剰になったら、生活は出来ません。

そして、エボラ出血熱のように、その抗生薬が発見できていない、ウイルスなどの存在に対する対策などは、人間の今までの知恵で、対処できることです。

また、原子力発電事故で、再稼働・中止の議論は、国民の議論が続いています。エネルギーの問題は、産業・経済・国民の暮らし関わっています。

リスク管理は重要ですが、絶対安全はありません。火山爆発可能性のある山は、110の山が存在しています。原子力発電事故は、起こり得ることで、放射能汚染などで、大きなダメージは起こり得ることです。

危機意識高揚とその対応

身の回りの情報や環境について、常に安全を保つと同時に行動を心がけることです。そして自ら判断する「もしや」という危機への懸念を持つことだと思います。

 

 

何の取り得のない人間

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何にも取り得のない人間は「自制心」・「忍耐力」・「粘り強さ」の三つが備わっていなければ、成功の見込みはあまりないと言えます。

自制心…自分の感情や欲望を抑える。私情や私欲に打ち勝って、社会の規範や礼儀にかなった行いをすること。(克己心)

忍耐力…苦しさ、辛さ、悲しさなどを耐え忍ぶこと。

粘り強さ…根気強く最後までやり通そうとするさま。

人生は毎日が勝負

人は、いろんな意味で恵まれている面とそうでない面を持っています。調子が悪いときは、どうしても恵まれていない部分を見がちになるのです。旨くいかないときこそ、恵まれている部分を見るようにしないといけない思います。

世の中には、想定外なこと・不確定な要素があります。自分がベストを尽くしたからといって、必ず成功するとはかぎりません。自分の力ではどうしようもできない部分もあるのです。

運のいいときはありがたいと思い、悪いときは鷹揚にしているのがいいでしょう。貸しを作ったくらいに考えておき、それはいつか返してくれるだろうと…。最も悪いのは、責任転嫁をすることです。そうすれば努力しなくなります。

外山滋比古氏の心に響く言葉より…

『リンゴも人生もキズがあるほど甘くなる』幻冬舎より

青森へ行った帰りに、朝市に寄ってリンゴを買った。キズのあるリンゴを売っているおばあさんがいる。こちらが、「キズのあるリンゴの方が甘いんですよね」

と言うと、おばあさんが、「東京のひとのようだけど、よくごぞんじです。みんなにきらわれています」という意味のことを土地の言葉で言った。うれしくなってもち切れないほど買ってしまった。

キズのついたリンゴ。なんとかそれをかばおうとして、力を出すのであろう。無キズのリンゴよりうまくなるのである。

キズのないリンゴだってなまけているわけではないが、キズのあるリンゴのひたむきな努力には及ばないのか。

人間にも似たことがある。

試験を受ければ必ず合格、落ちるということを知らない秀才がいるものだ。他方では落ちてばかりいる凡才がたくさんいる。

もちろん、秀才の方がえらくなるけれども、落第ばかりしていた人が、のちになって、たいへんな力を発揮、かつての秀才を追い抜くことも、ときどき起こる。

若いときに失敗をくりかえすような人は、はじめはパッとしない。しかし、いろいろな経験を重ねているうちに、実力があらわれる。

ちょっとした失敗は人間ならだれしもあることだが、失敗したことのない秀才、エリートは、なんでもないミスで破滅したりする。

蓮(はす)の花は、にごった泥の中でしか咲かない。

人も同じで、幾多の失敗や試練をくぐりぬけ、泥水をかぶって生きてきた人ほど、真の強さがあり、深い人間味(にんげんみ)という花を咲かせることができる。

キズのあるリンゴの方が旨い、ということだ。

深みがあるというのは、振幅のおおきさが大きいということ。成功と失敗の落差、幸福と不幸の落差、楽しさと悲しさの落差…

落差が大きければ大きいほど、人生というドラマは盛り上がる。そして、人は、それらを乗り越えるたびに、深い魅力的な人間となる。

深くて魅力ある人でありたい。

2014年10月 4日 (土)

心の老いを無くす

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老いとは…

一昨日、駅でのこと、普段はエスカレーターを使うのだがーー健康のためと思って階段を登ってみることに、イヤー年をとった…と実感しました。「老いとはこういう事」…か。

階段を足を踏み外しそうになり…足に衰え、目にも衰えが来ているのだと……気力はあるけど体が追い付かない状態でしょうか?

諦めるしかないか…自分では、まだまだと思ていたのに…これが自然なのだと思う。体力・気力も落ちて当たり前です。簡単な漢字も忘れることがあり、物覚えも悪くなったようだ。

痴ほう症が心配…

今話題になっている、老人性痴ほう症の方が、家を出て行ったまま、帰ってこない人が年に一万人以上いるという。その対象になっては・・・と、思い拙いブログを書きつづけています。

そう言えば、町会の役員の中でも何時の間にか一番年上のになっていたのです。そろそろ老兵は消えるとするか?

老いを受け止める

老いを受け止めて…周りの人に迷惑かけないように、生きていきたいと思います。若い頃のように大胆なことは出来ません。でも老いを受け止めた上で、人生経験を活かした新たな道を探すことはご老体でも十分叶うと思います。

老いは誰にでもやって来ます、そして避けられません。しかし何歳になっても心は元気に保つことが出来ます。体の老いを受け止めるためには、「心の老い」を、いかに無くしていくかが重要になる気がします。

心構えと努力により、上手く年を取り、精神的、肉体的、社会的にも健やかな老後を過ごせるのではないかと考えます。

2014年10月 3日 (金)

秋日射し

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木の揺れが 縁側に映る 秋日射し

澄んだ秋の光… 初秋の陽が眩しく溢れています。

グーッと日が短くなりました。

今日の日の出 05時37分 :日の入 17時23分でした。

太陽は南に傾き、日差しが縁側の端まで届くようになりました。

窓越しに木の揺れる影が映るようになりました。

今日はよく晴れて39度?、暑いくらいです。

9月の始めの暑さになるという。台風18号が気になります。

  • 明るい社会(町)づくり

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    明るい町をつくろう。

    人の役に立つことが嬉しい。人の笑顔を見ることが楽しい。私たちの町に住む人が、自らの小さな親切を実行することで、町の人たちに伝わります。

    「挨拶する」・「ゴミを拾う」・「席をゆずる」…小さな親切に対して「ありがとう」という。日常で出来る小さな心がけを…実行する人が…明るい町づくりの実践者です。

    そういう人が一人でも二人でも多くなれば、私たちの町は、明るい町になるでしょう。信頼され、安心できる町になります。

    みなさんがその気になれば、出来るのです。私たちの町を明るく変えていきましょう。

    ①あったかい…ひとり一人が尊重されお互いに支え合う町

    ②ほっとけない…子供が大切にされる、希望ある町

    ③ゆずりあい…争いがなく安心して暮らせる町

    ④ささえあい…誰でも笑顔で挨拶とコミニケーション出来る町

    ⑤守りたい…自然環境と伝統文化が大切な町

    小さな善行…社会明るくしよう。

    小さな善行の積み重ねが立派な人格をつくること、他人がしてほしいことを人に対してすることが善行の基本です。

    逆に言えば自分がいやなことは、他人にもしないことが大切。多くの宗教、道徳、哲学では大体共通しています。

    ◎ キリスト教では、『人がしてもらいたいと思うことを、あなたは人にしなさい』

    ◎論語では、『自分の欲しないことを、他人にしてはいけない』

    ◎イスラム教では、『自分が人から危害を受けたくなければ、誰にも危害を加えてはいけない』

    行動まで行かなくても、心で思うことも善行の一歩で、繰り返し訓練することにより他人への親切や思いやりの心、善行に結びつく心ができるのです。友達が怪我をする、ああ痛いだろうなと思う気持ちが大切。この気持ちは訓練をすることで自分のなかにつくられます。

    更にこの気持ちが本当に根付くと、他国の人、他の民族へのいたわりの気持ち、理解する心にもつながります。国際化とは異質な人や異質なことへの理解であり、単に英語がしゃべれることではありません。

    また良い習慣を身につけると気持ちがいい。人に迷惑をかける、人をいじめる、バスや公共の場で大声で話す、みっともない服装や言葉、これらは全て悪いことだが、他人から見ても見苦しい。

    人間の品格つまり、立派さはというものは、人に親切にする、人を助ける、人の役に立つなど良いことの積み重ねで自然に出来上がるものです。

     

    2014年10月 2日 (木)

    経済は一流でもマナーは三流

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    道路は灰皿ではありません。道路・公園・広場などの公共の場所に平気でたばこの吸い殻や、ゴミを捨てている人がいて、本当に困っています。

    八王子市では、全市歩行禁煙です…たばこの吸殻のポイ捨てなど、喫煙マナーの欠如が社会問題になっています。市は、平成19年1月「路上喫煙の防止に関する条例」を施行し、市内全域路上での歩行喫煙を禁止しました。

    市の担当課は、歩行喫煙者及び吸殻のポイ捨て数は減少した…といいますが、いやいや、交差点や植込み中・排水溝のグレーチングに片づけても、片付ても…あります。

    たかが「煙草の吸殻一本ぐらい」と思っている人もいると思いますが、その一本が大変なことに、「一本が…百人いれば百本に」になるのです。「塵も積もれば山となる」のです。

    このようなことを法律(条例)で定めなければならない社会というものも悲しい。

    タバコの吸殻が風に飛ばされ川に流れ込んだり、さつきの植込みの枝に乗っていたり、花や、川の魚は可哀そうです。

    町はきれいな、川があり、山があって人が住めるのです。

    魚たちや川の魚たちが胃の中にいれ病気にさせている?山には昆虫やよう動物が生きられない?そんなことを考えたら捨てられないでしょう。

    ポイ捨て、歩きタバコをやめられない人がいる限り、罰則を重くするしかないというのでは、あまりにも悲しいことです。

    何とか「規範意識」を持って欲しいと思います。町を美しくするには、言うまでもなく、ひとり一人の心がけです。自然のあり難さを実感して欲しいものです。

    「経済は一流でもマナーは三流」では情けない」と思いませんか…

    実行すること

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    「議論するだけなら議員は大勢る。 実行が問題になるとだれもいなくなる」 (17世紀フランスの詩人 フォンテーヌ)

    議論するだけならリスクは何もない・汗をかく必要もない……実行することは、その逆で、リスクや不安・葛藤の大きな障害を乗り越える勇気が必要で、ひたすら愚直な取り組みが続く…

    だからこそ、その「目的」と「志」と「使命感」が明確になった上での実行は、周りからの共感と応援を集めることができます。

    そして、表層的な空論を語るだけではなく、このように「何かを為す」こと自体が生きる上での幸せの一つと言えるのかもしれません。

    私は、今の子どもたちの教育の基本は「立志・自立・郷土愛」…だと考えています。一人ひとりの個性を見出し、それを大事に見守る、周りの人(家族・学校・地域社会)であると思います。子供たちの行動をする場(良い環境)づくりを考えていくことが大事だと思っています。

    2014年10月 1日 (水)

    人は生かし合うために生まれる

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    人は誰でもたった一人です、けれども一人では生きていけません。他人ともに生きるから人は生きていけるのです。

    生かし合うために自分も「世の中」に必要とされています。

    それで自分が他人に必要とされるに値する人であるかどうかが問われます。したがって自分しかできないこと、そういう能力を身につけることです。

    人は、何時死ぬか分かりません。生きているのは「今」です。

    実在しているすべてのものは、本来は空虚なものだから、命も自分のものであって自分のものでない、自分の命も授かった命であり、「世の中」に必要だから生かされている命です。

    世の中に必要とされる自分であるべきです。そのために向上心を持って、自己の人格を高める努力を日々怠らないことです。人間は「何のために生まれてきたのか、何のために生きているのか」

    認め合い、生かし合う社会…人間は自己中の部分が誰でもあります。生き残るためには何でもやって来た存在でもあります。

    大を生かして小を殺す世の中でもありますが、生きるコツは、認め合い、生かし合う事です。子供といえども自分以上の力量が、あったりするのも、人間社会です。

    利害が異なる相手と向き合う時、主義主張の異なる相手と向き合う時、異なる部分だけに、目を向けず、どこかに共有できる部分はないか、お互いに探してみることが大切な気が致します。

     

     

    地球も人も生きている

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    人も地球は生きているのです…大事な事を見落としてはいませんか?

    御岳山爆発…全く予想もしなかった、紅葉の美しい山で多くの犠牲者がでてしまいました。自然の恐ろしさを、まざまざ見せつけられました。まだまだ、今の科学の力では予測は出来ないことは、沢山あることです。

    この地球の謎は現代科学では解明しきれないことはあるのです。

    しかし、地球上で起こる自然災害とは、別に人間がもたらして起こる問題もあるのです。

    地球温暖化です。温暖化で起こりえる災害は、人間含めて地球上の生物が生きていけなくなる重大なことです。

    地球温暖化による影響は、気象や自然環境への影響と、社会や経済への影響とに大別されます。 影響は広範囲に及ぶと予想されており、気象や自然環境への影響では、気温や海水温の上昇、海水面の変動(上昇)、異常気象や激しい気象の増加、気候の変化、生態系の変化、植生や地形(景観)の変化などが挙げられます。

    社会や経済への影響では、食糧生産や飲料水への影響、激しい気象や気候変化による物理的な被害や人的な被害、生活環境の変化、経済システムの変化、社会制度の変化などが懸念されています。

    二酸化炭素排出量の各国の排出量の合計(世界の排出量) 2011年は31,811 億トンだそうです。

    既に一部では氷雪の減少などの顕著な変化が観測されている。 また日本においても、年ごとの降水量の変動幅の拡大や、米の品質の低下などの影響が観測されている。また蔵王連峰における樹氷の出現高度が上がるなどの変化も観測されている。(ウキぺでィア)

    最も多い中国、2番目に多いアメリカは毎年50億トン以上を排出し、全世界の多くを占めています。日本は中国やアメリカの4分の1以下ですが、5番目に多い国です。一人当たりの排出量ではアメリカが最も多く、日本の約2倍、中国の約5倍です。

    私たちで出来ることは…

    電気の無駄づかい・資源のリサイクル化(エネルギーリサイクル化)などなど沢山あると思います。そうして、古来から続いている私たちが暮らしていける地球です。将来も末永く人類はじめ、生物の棲める環境の保全です。

    地球も生きているのです。そして終わりがあるのです。この地球を人間だけが使ってわがままな行為で、生物が棲めない地球することは、絶対いけないのです。

    一人ひとり一人の認識し、地球温暖化を阻止できるか…自分は何が出来るかを考えて実行することです。

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