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2012年5月 5日 (土)

差別と平等

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00nyudogumobgm1 最近、「差別」・「人権」という言葉を、聞くことが多くなったように感じる。特に、中国の盲目の人権活動家、陳光誠氏のニュースが世界的な話題になっている。

しかし、中国の人権問題は、何故改革できないのだろう、ノーベル平和賞受賞者の劉 暁波(りゅう ぎょう)は、2008年に監禁されたり、中国は人権問題で欧米から問題視されている。

「仏教」ー武田鏡村の本から(コラムほとけの言葉)から・・・「人権」は「差別・平等」に関係があるのではないかと思う、記して考えたい。

「人間本来みな平等なのだから、差別はあってはいけない」――こういう言い方を聞きます。つまり、(差別)は不正で、(平等)は正しいという、とらえ方です。

じつは、差別も平等もそれぞれ仏教用語のひとつなのですが、仏教では現代の一般的な感覚とは微妙に違うニュアンスで用いられています。(差別)は、仏教では正しくは「しゃべつ」と読みます。そして、この世のあるすべての、森羅万象は千差万別で、それぞれ多様なあり方をしている、という意味につかわれています。

つまり、個々の存在は本来独自性をもち、それぞれに異なる姿をもっているということです。現在一般によく使われる、「偏見にもとづいた区別」というニュアンスはありません。

一方、仏教でいう、(平等)とは、(差別)の状態にある千差万別のあらゆる存在も、心理(法=ダルマ)の観点からみれば、すべて等しく同じだ、という意です。

つまり、人間の眼にはそれぞれ異なって映る森羅万象も、縁起・無常・空といった仏法の説く原理にみな同様に等しくくるまているということです。

そして、仏教では、修業のレベルが進んだ人間は、差別的な見解から離れ、自他内外の一切を平等にみる智慧に至ると教えています。この智慧はとくに「平等性智」と呼ばれています。要するに差別と平等は、コインの裏と表のようなものなわけです。

そして、個々の違いは違いを認めたうえでなければ、平等はお仕着せの(悪平等)になってしまう、といこともあるのでしょう。

「法ののもとに万人が平等」が近年の平等観だとすれば、「仏法のもとでは「一切生命(生きとし生けるもの)が平等」とする仏教のそれは、スケールがより一層大きいものといえうるのではないでしょうか。

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