« 2011年6月 | トップページ | 2011年8月 »

2011年7月

2011年7月31日 (日)

大人がハマる“数学ブーム”の謎

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

07rose_ame21 最近、年のせいか数字に弱くなった?元々数学には弱かったから仕方がないか?そんなことを思うことが多くなった。ところでNHKのクローズアップ現代で取り上げていた27日放送で、「大人がハマる“数学ブーム”の謎」・・・に注目した。

科学技術立国の日本は数学ができる人が増えない・・・。ブームに参加する大人が増えればその子どもたちも数学が好きになり、科学技術が盛んになるといいんだが・・・。

NHKweb・・・大人の“数学ブーム”が続いている。出版界では「語りかける中学数学」がこの5年間で10万部を突破。高等数学の世界へ誘う「オイラーの贈物」、「ガロアの群論」といった難解な数学の本もそれぞれこの1年で2万部を超える勢いだ。

カルチャーセンターや個人塾など社会人向けの数学講座はキャンセル待ちの状態も出ているという。今、多くの大人が数学に求めるもの。

それはかつて中高時代に挫折した「何重もの論理の積み上げ」を体感したいという思いや、数学者の「ひらめきの秘密」を知りたいという気持ち。混迷する不安定な社会にあって、確かなものに接したいという願いと、想定外の事態でも進むべき道を切り開ける強さを身につけたいというニーズがあるという。

いったい人々は数学にどのような世界を見ているのか?「数学的思考で見えてくるまったく違う世界」 混沌とした社会のさまざまな問題にヒントを与えてくれそうな「いかにして問題をとくか」(G・ボリア著、柿内賢信訳)も売れている。

企業の立て直しを手掛ける32歳のコンサルタントの男性が、この本の効果を実感したのが母校、東大の漕艇部立て直しを依頼された時という。100年以上の伝統を誇り、五輪選手を輩出したこともある漕艇部だが、ここ数年は新入部員が激減し成績不振に喘いでいた。

新入部員を増やし、立ち直る手立てを考えてほしいと依頼され、まず考えたのが「なぜボート部に魅力を感じないのか」という新入生への聞き取り調査だった。

しかし、見ず知らずの新入生に時間を割いてもらい、質問をぶつけるのは難しい。悩んだ末にひらめいたのが「いかにして~」に書かれていた「似た問題を置き換えて考える」でだった。新入部員や先輩部員に入部した時の動機や魅力を語ってもらい、新人勧誘のパンフレットを作製した。これが受けて入部が急増したという。

2011年7月30日 (土)

夏の風物詩と、異状気象

00nyudogumobgm1_3 風物詩とはウキペディア・・・ある季節特有の自然現象、味覚、生物、物売りなどであり、その季節をより意識に特徴づける事ができる、物・事柄の ことである。風物詩の範囲は幅広く、俳句の季語として限定されたものと違って、日本の季節を現代人の我々の心に訴えかけているものを指す。また全国的な物から、祭事などの狭い地域の物まであり、季節の到来・節目を表現するときに使われることが多い。

夕立ち・・・うだるような夏の午後、ふっと空が暗くなったかと思うとどこかで雷鳴が聞こえ出す。冷たい風がさっと吹いてきて水の匂いがし、「来るな」と思うやいなや、ざあっと激しい雨が降り始める。家にいる人は慌てて洗濯ものを取り込み、道行く人は雨宿りに走る。ひとしきり降ると、雨は嘘のように上がり、涼しい夕方がやってくる。

これはごく典型的な例であるが、日本の多くの地域で夏のあいだ繰り返されるこうした体験が、日本の夏の風物詩としての夕立ちである。

しかし、今年の夏は例年と違い、梅雨明けが早く、明けたら、異状に暑い35度以上もするいわゆる酷暑日が続いた。熱中症で病院に担ぎこまれる人が続発したとマスコミは連日報道があった。

お隣の韓国と日本列島を繋ぐ形で前線が、居座ってさながら梅雨前線が横たわっている状況のようだ。韓国でも大雨で大きな被害が出たというニュースがあったが、日本でも新潟・福島でも一時間100ミリを超える豪雨が降って大きな被害が出ている。

さながら、空に大きな川が横たわって流れが溢れ零しているようなものだ。日本有数の信濃川の堤防が決壊し三条市の街中を襲っている。避難勧告ではなく、避難指示である。新潟・福島で27万人に避難指示を出たという記録的な大雨となった異常な今年の夏だ。

その影響で北関東はもとより、私達が住む東京八王子市も、日が出たかと思えば、急に黒雲になり雷鳴がとどろき、雨となる変わりやすい天気が続き、盆踊りを計画が、出来ず空を眺めて怨んでいる・・。。・・。。・。

盆踊りの雨天延期のこと

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

00a233ff1_2 東日本大震災で私達のまち、片倉町一丁目町会の恒例の盆踊りは、実施するか、否か、検討したが、住民に元気を取り戻す意味で今年も7月30日・31日に、盆踊り練習などを重ね、行う予定で進めてきた。

しかし、このところの空模様に異変?梅雨前線のように前線が新潟県ー福島県にかかり、居座っている。そのため、両県は記録的な1時間に100ミリを超える豪雨となり、この豪雨で、新潟県と福島県で、合わせて37万人余りに避難の指示や勧告が出ている。その雨雲が関東地方に南下し北関東に大雨を降らせている埼玉西部~東京奥多摩地方のも大雨警戒警報が出されている。

八王子市でも、昨夜から、雷鳴がとどろき、徐々に雨脚が強くなってきた。天気予報では、30日(土)31日(日)は曇りから雨の予報である。

片倉町一丁目町会の盆踊りは今日(30日)は、朝からテント設営、やぐらの飾りつけをし、夜6時から盆踊り第一に目として執り行う予定だったが中止することにして、明日31日に延期するころにする。したがって、明日の天気次第だが全く無しか、明日一日限りになるかである。

したがって、準備する事務用品・飲食用品・など仕入れ商店などに、今日の注文をお断りを昨夜した。また子供会・婦人会などにも今日の中止を連絡したが・・・

なんせ、大空の下で行う行事である、天候次第でそのリスクは、やもう得ないが、何とか明日は雨が上がって欲しい・・・

2011年7月29日 (金)

腐葉土にも放射性セシウムが・・・

Img_97161 栃木産の腐葉土に放射性セシウムが・・・ガーデニングや家庭菜園に使う腐葉土からも高濃度の放射性セシウムが検出された。秋田県内のホームセンターで販売された腐葉土から1キロ当たり1万1000ベクレル。栃木県の業者が生産したもので、ホームセンターによると、秋田県のほか青森、岩手、宮城3県にある110の系列店で販売されたという。

袋詰めされた腐葉土は産地や製造日を表示する義務はなく、不安が広がっている。青天の霹靂だったであろう生産した栃木県の業者も、いってみれば福島原発事故の被害者なのだが、「消費者に大変迷惑をかけお詫び申し上げます。手配して回収を進めています」と平謝り。

農水省も急きょ「東北、関東を中心に17都県で福島原発の事故以降に生産された腐葉土や堆肥の流通や使用について自粛する」よう通知を出した。後手に回る政府の対応で広がる高濃度の放射能汚染。水田は大丈夫か、今年の新米は食べられるのか。不安が広がりそうだ。(JCASTニュース)

しかし、やたらとマスコミで不安をかきてることはない。人体に与える影響について長崎大学の山下俊一教授は・・・放射性物質の人体に与える正しい知識を持ち冷静な対応が必要と述べている。

だが、福島県放射線健康リスク管理アドバイザー・でもある山下俊一教授は、就任以降、福島県内のメディアや講演で、「100ミリシーベルトは大丈夫。毎時10マイクロシーベルト以下なら外で遊んでも大丈夫」と発言してきたことに対し、3日に福島県二本松市で開催された講演会で、住民から次々と厳しい意見が飛んだ。

私も、ちょっと甘いのではと・・・影響は、幼児・子供・成人と違うようで、幼児・子供持つ両親は心配するのは当然と思う。

基本的には、以下のようなことだと思う。放射性ヨウ素はガス状で、呼吸などを通じて体内に入ると甲状腺に集まり、長期間にわたって蓄積した場合は甲状腺がんなどを引き起こす危険性がある。ただし放射性物質の量が半分になる半減期が約8日と短く、尿で排出されやすい。(ウイキペディア)

一方、放射性セシウムは体内に取り込まれると染色体や遺伝子の突然変異を起こすことがある。半減期が30年と長く、筋肉に集まりやすい性質があるが、筋肉にがんが起こることはまずなく、「どちらかというと、気をつけなければならないのは放射性ヨウ素」と強調する。

セシウムを体内に摂取してしまっても排泄行為により体内に残る日数は100~200日だそうでだ。半減していくとの事なので長い期間摂取しない限り人体への影響は問題ないとしている。

つる性の雑草あれこれ

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

800pxpueraria_lobata_ja021 東日本大震災と福島原子力発電事故以来、計画停電などがあったが、政府は国をあげて節電を呼びかけている。そして「電気予報」が毎日メデアから伝えられいる。

節電対策で、ゴウヤを日のあたる窓際に植えているお宅が多い。つる性植物の繁殖力を生かした室内温度の下げる効果があるのは間違いない。

つる性の植物は繁殖力が強く、アメリカにはないクズが日本からの外来種として始末に手を焼いているという話を聞いたことがある。ウキペディアでは・・・雑草としては、これほどやっかいなものはない。蔓性で草地を這い回り、あちこちで根を下ろすので、駆除するのはほとんど不可能に近い。世界の侵略的外来種ワースト100 (IUCN 2000) 選定種の一つである。

刈り取りを行わない場合、クズの生長はすさまじいものがあり、ちょっとした低木林ならば、その上を覆い尽くす。木から新しい枝が上に伸びると、それに巻き付いてねじ曲げてしまうこともある。そのため、人工林に於いては、若木の生長を妨げる有害植物と見なされている。

つる性雑草の代表的なものは、クズ、ヤブガラシ、ヘクソカズラ、ガガイモ等がある。ヤブガラシは、その名の通り「藪を枯らす」程の生育が旺盛で、一度生息してしまうと、地上部を除去しても、地中部の根が生きている限り新たな芽を出し、また伸び始める。

わが町(片倉町一丁目町会)の流れる湯殿川にフェンスに、ヤブカラシ・クズが巻きついて、それでは治まらず、通路まではびこって、人の通行にも影響が出てきそうなので、昨日、除草した(フェンスに絡みついたつる)を取り除いたのである。

曇りで気温は30度ぐらいであったが湿度が高い。午前中は、8時から初めて11時30分、午後は3時30分~5時30分まで行って目的の範囲を処分することが出来た。しかし、10日も経つとまた伸びてくるだろう。そして、不届き者が、草むらに、ゴミを捨てる・犬の糞をさせて行く輩がいるので、頭が痛い問題である。

フェンスの内側に根があるものが伸びて通路まではみだしてきているので、抜本的な解決ではない。もともと、河川管理は国土交通省の管轄であるので、除草のお願いし除草依頼することにしたい。

2011年7月28日 (木)

暮らしていける最低賃金

10shiretoko5go_1ko11 今の最低賃金ではフルタイムで働いても、月収12万円である。一生懸命に働いても貧困から抜け出せない人たちが増えている。最低賃金の影響を受けやすいのは、主にパートやアルバイトなど、非正規雇用の人たちだが、厚生労働省が去年、行った調査では、時給800円未満で働いている人のうち、主に自分の収入で家計を支えているという人が17.4%、2割近くに上っていた。一刻も早く、こうした"働く貧困層"をなくしていくことが求められている。

一方、中小企業は、最低賃金を仮に800円に引き上げた場合の課題について、コスト競争が激しいこと、下請け企業なので価格を自由に決められないことなどが理由で、費用が増した分を「価格に転嫁できない」ことをあげた企業が多い。最低賃金の引き上げが企業の収益を悪化させ、雇用を減らすことにつながりかねないことに・・・。

今、改めて考えなけれならないのは、"人への投資"の重要性である。最低賃金をあげるとともに、働く人が仕事を通じて訓練を受け、技能を高められるよう力を入れる。それが企業の生産性をあげ、収益力を高めていくことにもつながる。

政府が支援すべきは、そうした働く人を大切にする企業の取り組みだ。誰もが働けば安心して暮らせる社会が実現すれば、社会保障の支え手を増やし、経済を活性化することにもつながる。そうした発想の転換こそが今、求められていると思うのだが・・・。

730円の最低賃金をいくら引き上げるのか、厚生労働省の審議会の協議の結果がっ出たようだ。最低賃金はここ数年、10円以上の引き上げが続いていたが、今年は東日本大震災による中小企業への影響を考慮する形で、例年よりは小幅な6円の引き上げ幅にとどまるようだ。

読売新聞・・・厚生労働相の諮問機関・中央最低賃金審議会は27日、今年度の都道府県別の最低賃金(時給)について、全国平均で6円増となる引き上げ額の目安を答申した。

東日本大震災や電力不足で企業活動が打撃を受けていることを考慮し、昨年度の目安より9円下回った。目安通りに引き上げられた場合、最低賃金の全国平均は736円となる。

今後、各都道府県の地方最低賃金審議会が、答申を参考に各地の引き上げ額を審議し、10月中をめどに決定する。答申では被災地域の審議会については、目安を踏まえつつも被害や復興状況などの実情を考慮した、より主体的な審議を望むと付言した。

引き上げ額の目安は、神奈川18円、東京16円、北海道13円、広島6円、埼玉5円、千葉、愛知、大阪4円、兵庫2円。岩手、宮城、福島の被災3県を含む38府県は1円だった。

表に出ない陰の力

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

Sunflower_0041 気温32度、カンカン照りではなかったが蒸し暑い。ちょっと動けば汗だ出るような日である。私はある会議に出席した帰り道、湯殿川に草刈機のかん高い唸り声が聞こえた。

そうか、河川管理通路を私がお願いした、草刈をやってくれているんだ!防護服と防護眼鏡で完全装備は、さぞかし暑いだろう。しかし誰かがやらねば、30日・31日に予定している私達の町片倉町一丁目町会の盆踊り会場にこられた方に、伸びた藤つるで足でもとられて転ぶ危険があるので、草刈をお願いしたのである。

草刈機の音を聞いて、私も何か手伝わねばと思い、急いで着替えて出かけた。行ってみたら、防護服に草の切葉がいっぱいつけて汗びっしょりで作業してくれていた。そして嫁さんが箒をもって通路に広がった草屑を掃いていただいていた。

私は鎌で取り残されて藤つるを刈り取り、箒で掃き作業を行った。作業時間は、1時間半ぐらいだったが、着替えたシャツはびっしょりとなった。家に帰りシャワーを浴びた。

よく考えてみたら、こうやっていただく人がいて、町会の行事が楽しい盆踊りが出来るものだと思う。楽しく、安全に行うのは、表に出ない陰の力、理解者がいて初めて出来ることなのだ。主催者である一人として有難く、感謝するばかりである。

最近、表に出て実際のお膳立ては、気にしない人が多い時代である。地域の活動は、より多くの人の参加し楽しんでいただくことが第一である。多くの人に町会の行事を理解して頂きたいと思う。

2011年7月27日 (水)

立川断層帯と小河内ダム決壊!

800px1
残堀
川のとなりを走る立川断層の断層崖ウィキペディア)

東日本大震災では、マグニチュード9.0と世界でも第4位という大きさであったが、それによる大津波で被害は更に大きくなった。地震国日本は、地震の不安は尽きない。急遽「立川断層」の話題でクローズアップされている。

高校時代に地理の教科書に「フォッサマグナ」という、糸魚川―静岡伊豆半島そして伊豆諸島沖まで、という断層群があると記憶している。

活断層とは、200万年前以降に繰り返し活動し、今後も活動すると考えられる断層の事であり、日本全国各地に広がる活断層は日本列島に何枚かのプレ-トがぶつかる島としての特徴がある。

最近の調査では日本全国の活断層は約2000本あるとされている。その中で特にここ30年以内に地震が起こるとされる活断層として、関東では三浦半島で可能性は11%。その他小田原.国府津があげられている。

私達の住む八王子市から近いところに立川断層帯がある。立川断層帯とは、埼玉県入間郡名栗村から東京都青梅市、立川市・・・JR立川駅の東を横切り・・・を経て府中市に至る断層帯で、名栗断層と立川断層から構成されている。全体として長さは約33kmで、概ね北西-南東方向に延びている。

立川断層は多摩川を越えて南側に伸びている と、考える方が増えているものと思われるが、明確に何処まで続いているのかは分かっていないという。

テレ朝のワイドショー番組・・・J-castニュースで報じられた。立川活断層地震で小河内ダム決壊!多摩川駆け下る濁流 東日本大震災以降、地震の起きる確率が高まったとされる活断層が政府から発表されているが、そのなかで「都心にもっとも近い」のが立川断層。わりと人口密度が高い地域の下を走っている箇所もあるこの断層が動けば、最大震度7、死者6000人超の被害が想定されているという。

さらに、この地震には知られざる危険もあるという。防災評論家の大山輝氏によると、奥多摩の小河内ダムが決壊するおそれがある。「ダム決壊っていうのも、あるんですねえ」と、番組司会の羽鳥慎一も少々、意外な様子である。

東京大田区も水没 小河内ダムは1957年に完成。高さ150m、2億トン近い貯水量がある巨大ダムだ。満水時にダムが決壊すると、「濁流が多摩川の源流に近い渓谷を一気に流れ下って」いき、東京大田区でも、腰の高さまで水が来るという。

米国債の債務不履行(デフォルト)って?・・・

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

05detohama11 3年前のリーマンショックが、ようやっと癒えそうに見えてきたのだが、このところの円高はで日本は、震災などに追い討ちをかける状況にある。その元凶は、アメリカの国債のデフォルトが問題となっているのだ。

日本の基幹産業である自動車・電機などが円高で、コスト削減の努力も追いつかない。今やアメリカが大変な苦境にあることは、オバマ政権の民主党と多数を占める共和党の来年の選挙の駆け引き材料としている「連邦債務の法定上限引き上げ」にあようだ。

ラガルドIMF専務理事「速やかな問題解決が必要」と講演でも述べている。世界に及ぼす影響は計り知れない。「財政をめぐる米国の大胆な行動だ」として、「信頼できる財政再建計画が早急に求められる」としている。

いずれにしても世界に及ぼす経済は目に見えている。アメリカ発の金融危機は絶対阻止してもらいたいものだ。毎日新聞の社説でも・・・「米債務上限交渉 世界を道連れにするな」で書かれている。

世界で最も信用力が高い米国債の債務不履行(デフォルト)だ。
期限は8月2日。それまでに米議会が現行14.3兆ドル(約1130兆円)の連邦債務の法定上限を引き上げられなければ、政府の現金は底をつき、公務員への給料支払いや社会保障の給付が止まり、行政サービスが深刻な停滞を余儀なくされる。

だが最も心配なのはデフォルトによる金融市場の混乱や世界経済への打撃だ。市場はまだ「ありえない」と土壇場での決着を信じようとしているが、円相場が一時、1ドル=77円台に突入するなど、次第に緊迫の度合いが高まってきた。

米格付け会社、ムーディーズ・インベスターズ・サービスが初めてトリプルAという最高位の格付けを与えた1917年以来、1世紀近く最もデフォルトから遠い位置にあった米国債である。想定外の事態に陥った時の影響は極めて予測しがたい。

ところが市場や世界の不安をよそに、ワシントンでは今なお、内向きの政治ゲームが続く。与野党の溝は狭まるどころか、むしろ修復し難いほど開きつつあるようだ。

債務の上限引き上げを今年、来年の2段階で行い、本格的な財政赤字削減策の協議を2段階目の引き上げと絡めたい共和党。来年秋の選挙前に相手を揺さぶる狙いがある。これに対し民主党は今回1回で来年末までの必要分を引き上げたい考えだ。

政治家が次の選挙を意識するのはどこの国でも同じだろう。特に全議席が2年ごとに改選となる米下院では、議員が常に選挙区受けを狙った言動を取りがちだ。その下院で過半数を握るのが昨年の中間選挙で躍進した共和党だが、勝利を支えた保守系草の根運動「ティーパーティー」から、上限引き上げに断固反対するよう強い圧力がかかっている。

しかし、ここはドルの信用を守るという、はるかに大きな国益を優先させるべきだ。債務の上限引き上げで早急に合意することはもちろん、実効性のある抜本的な財政赤字削減策も不可欠である。中途半端な妥結では、結局、格下げを招き、短期的にせよ、ドルの急落(円の急騰)や長期金利の急上昇、世界的株安など負の連鎖が起きる恐れがある。

「ワシントンの政争が米国民を巻き添えにするようなことは許されない」--。事態打開の道が見えない中、オバマ大統領は国民向けに演説し妥協を呼びかけた。しかし巻き添えになりそうなのは米国民だけではない。リーマン・ショックからまだ3年もたたないのに、世界が再度、米国発の金融危機に巻き込まれることなど、到底、受け入れがたい。

2011年7月26日 (火)

警察は信頼できる正義の味方である筈・・・

07akitakoma_sumire11 どこかの国で起きている公務員の不祥事ではない、日本の誇る警察である。お金で名誉を保つ、そして、これが世間を生きる秘訣だと言わんばかりである。警察が信頼できないとなれば、国家は破綻しかねない。

社会を構成は「信頼」から成っている。警察の信頼が揺らいだら法事国家ではない。警察が事件を取調べ中に、捜査資料を、対象人物情報をもらしたら捜査も何もあったものではない。ただ個人的に賄賂(お金)などの便宜を図ったことしか考えられない。警察は、信頼の上で仕事が任されている。そして正義の味方である。

美容外科の事故ニュースはショッキングな事件であった。その事件に絡む事件は将に信頼を損なう重大な事件と言わざるを得ない。読売新聞社説でも取り上げている。

警察の捜査に対する信頼を裏切る行為と言わざるを得ない。

捜査対象となっていた美容外科側に捜査資料を漏えいしたとして、警視庁捜査1課の現職警部が地方公務員法(守秘義務)違反の疑いで警視庁に逮捕された。

警部の紹介で美容外科に再就職したとされる警視庁OB2人も、漏えいを働きかけた疑いで逮捕された。警部は2人から飲食の接待を受けた疑いも持たれている。3人とも容疑を否認しており、動機や経緯には不明な点も多い。警視庁は徹底捜査で、全容の解明を図らなければならない。

流出したのは、都内の美容外科で脂肪吸引手術を受けた女性が死亡し、執刀医が業務上過失致死罪に問われた事件の捜査資料だ。警部は流出が発覚した今年3月まで事件の捜査を担当していた。

資料が美容外科側に渡ったことで捜査の手の内を知られ、事情聴取などへの対策を講じる機会を与えてしまった可能性がある。資料には司法解剖結果などの情報が含まれていた。それが遺族側との示談交渉に利用されたのではないかと警視庁は見ている。

結果的に執刀医が逮捕されたため、警視庁は「捜査への影響はなかった」と説明しているが、納得できる人は少ないだろう。捜査過程を入念に検証し、漏えいの影響の有無を確認すべきである。今回の漏えい事件は、警察官の民間への再就職の在り方についても課題を投げかけている。

元警察官を雇う企業や団体は多い。暴力団や総会屋からの要求をはねつけ、悪質なクレームにも対処する役割が期待されている。長年の警察活動で培った経験を伝えることで、企業の法令順守の意識を高める効果もあろう。

だが、再就職先が捜査対象になった場合でも、“顔”を利かせて捜査情報を入手するようなことがあってはならない。警視庁は逮捕されたOBが美容外科に再就職していたことを知らなかった。退職者らに再就職先を届け出させるなど、一定の情報把握に努め、不透明な癒着を防ぐ方策を検討する必要がある。

警察の不祥事は後を絶たず、昨年の懲戒処分者数は前年比6割増の385人にのぼった。警視庁公安部の国際テロ捜査資料がネット上に流出した事件では、内部犯行の疑いが強まりながら、いまだに解明の糸口すら見えていない。組織をあげて綱紀粛正と再発防止に取り組まないと、信頼を失うことを肝に銘じるべきである。

震災とわが町の防災について

Yuu0031009_m1

「災害は忘れたころにやってくる」
3月11日に起きた、東日本大震災・30年後に起きる確率が86パーセント・東京でもし震度6クラスの直下型地震は、何時起きてもおかしくないと言われている。

福島第一原子力発電事故で安全の「ストレステスト」などの慣れない言葉が使われて日本の原子力発電所の54基あるうち定期検査などで37基が調整運転中を含む停止中、5基が8月までに停止する見込み。ましてストレステストの安全基準の見直しも決まっていないのだから・・・稼動見込みは先にずれ込むことが予想される。

そんな状況にあるが、災害は待ってはくれない。私の住む町八王子市片倉町一丁目町会でも市の指導もあり、防災倉庫を作って、震災に備えて、防災に必要な器具等を揃えたのだが・・・7/24日に防具器具の点検をしたのだが、その使い方、メンテナンス、まだ何が必要なのか、責任者の選出と、組織作り見直し、日ごろの点検が大事と考えさせられた。

例えば発電機のガソリンであるが、劣化する。電池も当然使用期限がある。その他、非常食米、水も同じである。そして住民の避難誘導の方法も町民の変動などの、把握も重要なことだろう。

組織と、訓練と、装備品のチエックは、大事なことだ。そして大地震が起きた時に、その評価がでる。当然、防災に感心が薄ければ、大混乱になり、被害は甚大になる。町の安心・安全は、住民一人ひとりの防災意識と、確りした組織と定期訓練、防具の整備と定期点検である。

わが町片倉町一丁目町会も、組織の見直し、定期訓練実施、防具の定期点検を早急立て直す必要があると思う。

中国の高速鉄道事故で思う

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

07_sl_kurosawa21 読売新聞ニュース・・・中国浙江省温州で23日夜起きた高速鉄道の追突、脱線事故による死者は25日夜までに40人となった。当局は「これが最後の数字ではない」としており、行方不明の乗客も多いため、犠牲者はさらに増えそうだ。

「市内の病院は全部回った。遺体もすべて確認したが、どこにもいない」「列車とともに地下に埋められたらたまらない」。温州市内の遺体安置所には、不明乗客の家族や友人ら約20人が集まり、担当者にすがりついて訴えた。テレビのインタビューに涙を浮かべながら答える者もいた。

鉄道省は、24日深夜の記者会見で死傷者数を公表したが、不明者がいるのかどうかについては説明がなく、疑心暗鬼を生んでいる。

カナダ・フランス・ドイツ・日本などの技術を輸入しいい所取りをして相互の関連をきめ細かく調整しないで、見切り発車したと思わざるを得ない。中国では日本の製品の模造品が多く、国際的にも問題となっているという。模造品を安い賃金で作って、安く売って儲かればいいという国民性・・・?

そればかりではない、中国は、日本などの鉄道先進国に、追いつけ、追い越せと言う政治体制と、13億人と国力を世界に誇示したい指導者の焦りのようなものを感じる。

今回の高速鉄道事故は、失敗を恐れない勇気と無知がある。同じ失敗を何度も繰り返すが、それでもめげない強さと図太さ・・・?意欲はあっても不得要領が悲哀でもある。

高架橋から落ちた車両を穴を掘って埋めてしまった?車両の中には、小さな子供がいて、スンでのところで生き埋めされたと言う。そして事故発生後1日半で復旧したというスピードは、日本では考えられない。

日本人は口にしたことは実行しなければならないので、それゆえに慎重になるが、慎重すぎて悲観的でさえあるように外からの目には見えていることだろう。事を起こす前にまず、失敗した時のことを考える日本人だが、慎重を通り越せば、先に責任逃れの手を打つ卑怯な手段と受け止めかれない場合も・・・。

性格の違いで、十分に熟慮してようやく一歩を踏み出す日本人と、とりあえず一歩を踏み出してみてから成り行きを見て考える中国人との行動の違いは男女の仲でもあるそうだ。

日本人が形式や物質的な意味合いに呪縛されすぎているが、中国人に言わせればいろいろな概念は将来変わっているかもしれない。一番安心できるものを目的にすればよいではないかという理論のようだ。それを「具体的に」と詰め寄っても「わからない」と答えるのが案外本音・・・?

2011年7月25日 (月)

地域のふれ合い、絆を・・・

800pxbonbokobon1  震災で ちょっと遠慮の 盆踊り

3月11日の東関東大震災は、いまだに被災者が避難所にまだ沢山の方が不自由な生活をしいられている。そして福島第一原子力発電所の放射能ので汚染された、稲わらで牛に食べさせ、汚染牛の肉が問題となっていることを始め、原発炉の冷却システムも安定稼動をしていない。

そういった状況で八王子市は、例年行っている花火大会・八王子祭りは中止となった。私達の町、片倉町一丁目町会では、検討した結果、例年通り行うことにして7月30日(土)・31日(日)二日間行う事とした。

そして昨日(24日)盆踊り用のやぐら組み立てを片倉時田まちの広場に例年通り、組み立てた。太い丸太で組み上げるのだが、なんせ全ての人が素人である。朝8時から、作業開始68名の町会の方が参集していただき、一人のけが人もなく11時に、無事組み立てることが出来た。

町会で一つの行事をみんなの手で作り上げることはコミニケーションをとることでも大変大事なことだと思う。30日の午前中テント・やくらの飾りつけなどをして準備、夕方6時から9時までとするが,ちょっと遠慮し8時30分とすることにする予定だ。31日も同じだ。

8月1日には飾りつけた提灯などの片付け、8月7日はやぐら解体で、住民のお力を借りて終了させたい。このことで住民の“ふれ合い”・“地域の絆”などが深まることが期待できるものと思う。

苗字の由来ついて

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

05oirase31 世の中、色々な苗字があるものだと思った。原子力安全委員長の斑目春樹さんが珍しいと思ったが、まだまだ沢山ある。

それは、場所であったり、職業・屋号・場所であったり、であるが、「源平藤橘」しかなかった?これは、日本における貴種名族の四つ、源氏・平氏・藤原氏・橘氏をまとめた言い方である。(高校の教科書の覚え)

それにして、も読めない・意味が分からない苗字があるものだ。一番合戦 (いちまかせ) ・  八月一日 (ほずみ) 群馬・明日 (ぬくひ) 山形・薬袋 (みない) 山梨・五六 (ふのぼり) 宮崎・・・なんて苗字あるなんて・・・。

他に「名前探偵団」ー「名字の由来や家紋先祖のルーツ探し」から・・・

日本の名前のあり方には大きな偏りがあります。日本の人口の10%余りが、「10大姓」と呼ばれる「佐藤」「鈴木」などのもっともありふれた名前を名のっています。そして、上位100位の名前を持つものは、日本の総人口の22%余りになるといわれています。

「田中」「山本」「小林」「中村」といった名前であれば、地形もしくは地名に起因しているものだと考えることができます。しかし「佐藤」「鈴木」といった言葉は日常生活の中で考え出されたものではないことが容易に理解できると思います。

佐藤の名称は、藤原秀郷の子孫にあたる藤原系の武士がなのった名前です。秀郷の5代目の子孫にあたる藤原公清、公脩の兄弟が祖先の秀郷が下野国佐野庄の領主であったことにちなんで、「佐野」の「佐」と「藤原」の「藤」とをあわせた「佐藤」を名前にしたことに始まります。

鈴木の名称は、古代にはみられません。「鈴木」は古くは「すすき」と読まれていました。それは、秋に稲を収穫して田につんでおくありさまをさす言葉でありました。

山のように積んだ稲の中に一本の棒または竹を立てます。その木から神が下りてきて寝ている稲穂に稲魂をうえます。そのあとで、稲魂を宿した稲を倉庫に入れて、種籾にしたのです。そのような神聖な木が「すすき」とよばれ、のちに稲穂を積んだものも「すすき」とされました。

熊野大社の神官は、中世に「穂積」が「すすき」とよばれるようになると「鈴木」を名前にしました。そして、中世に熊野大社は各地に山伏を送って意欲的に布教していました。熊野大社の分社を祭るようになった武士は、自分の名前を鈴木に改め支配下の農民に自分と同じ名前を与えました。

このような経緯から、「鈴木」の名前は熊野大社の末社の分布が濃い東北地方や関東地方に多いのです。

「田中」や「中村」の地名は、一つの農村が作られたときにその中心部分をあらわすために作られたものです。「中田」「木村」「大村」などの地名も同じ意味を持ちます。

人々が新たに土地をひらいて集落をつくったときに、そこの有力者が村落の中心部分に住んで「田中」となのりました。そして、その名前がしだいにそこの中流以上の農民のあいだに及んでいったのだと考えられています。

このことから、「田中」の名字は「鈴木」「佐藤」の名前が広まらなかった近畿地方から北九州にかけての地域に比較的多いことになります。

2011年7月24日 (日)

日本の貧困率って・・・そんな?・・・

10kouchi_katurahama11 所得格差が、日本でもこんなにあるとは知らなかった。相対的貧困率が2009年の厚労働省の調査であるが、国民の6人に1人が年間112万円未満で生活していることになるが、過去最悪の16,0%となった。

当然、生活保護費の水準にすら達しない金額だ。OECD(経済開発協力機構)の2000年代半ばの貧困率調査でも、日本は加盟30カ国中、4番目に悪かった。この格差を驚く人も多いのではないだろうか・・・。

OECDが敢えてこうしたデータを使用した理由は、日本においてはコスト削減を進める企業がパートやアルバイトなど賃金の安い非正社員を増やしたことが所得の二極分化を助長させたという報告書の主張と整合的であるための他、敢えて刺激的なデータを出して、OECDへの多額の拠出国日本のOECD報告書への関心を高めるためだと言う見方もあるが・・・。

民主党政権は3年前、貧困解消に向けた取り組みとして初めて06年の貧困率を公表。2回目となる今回はそれより、0・3ポイント悪化したのだ。

驚いているばかりではいられない。憲法は健康的で文化的な最低限度の生活を国民に保障している。いつまでに、どういう方法で、どれだけ貧困率を改善するのか。政府は、数値目標を設けるなど実効力のある対策が必要だ。

貧困率が悪化した原因は、所得の低い65歳以上の高齢者や非正規労働者の割合が増えたためだとされる。

最低賃金の引き上げは、企業にとっては負担が大きい。半面、労働者が消費に回す金が増え、景気浮揚効果もある。雇用し、労働に見合った賃金を支払うことが、地域や社会の向上につながる。それこそが企業の社会的責任だろう。

非正規労働者は、厚生年金や健康保険が適用されない場合がほとんど。政府の「社会保障と税の一体改革案」でも正規労働者並みの扱いを求めており、早期の実現が必要だ。

東日本大震災により、被災した企業から雇い止めされる派遣労働者も増えているという。手をこまねいていては、貧困率はさらに悪化するだろう。多くの政策を網の目のように張り巡らすことで、困窮にあえぐ人を救うことがなにより大事である。

負けるが勝ち

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

539571 「負けるが勝ち」・・・この諺はだれでもが一度は聞いたことがあると思う。しかし実行するとなると、難しいことである。なぜ難しいか、それは誰氏もプライドがあるからであろう。相手が一人のときでさえ自分の負けや非をを認めることができなくて、屁理屈を並べ立てる人も多い。

自分の意見や考え方が間違っていたときに、自分の誤りを認めることは恥ずかしいことではあるが、それは勇気を必要で、人間的に成長したのある。そんなときに自分の間違いを認めることができなくて、あとで抜き差しのならない状況になったり、信用を失ってしまい、反省することは日常茶飯事である。

「負けるが勝ち」ということは、決して自分が負け犬とか、妥協するということとは違う。負けて勝つためには勇気が必要である。自分の非を認められないから、負けて勝ちをとるということがなかなかできない人は多い。

世の中にはメンツにこだわって屁理屈ばかり並べて、人間関係で墓穴を掘ってしまう人が多い。くだらないメンツなんて持ってしまうから、よけいな苦労をしてしまうのではないだろうか・・・。くだらないメンツをプライドと勘違いしてしまい、引くに引けなくなって自分で自分を追い込んでしまうのではないだろうか・・・。

名を捨てて実を取ることができれば、相手も自尊心を満足させることができ、自分も実を得ることができ一挙両得だと思う。名を捨てて実を取るには、勇気と本当の意味でのプライドが大切だ。ただ、意識過剰こなると、相手に警戒されてしまい、ほどほどにすることが大事である。

名を捨てて実ばかりとってしまうと、守銭奴と呼ばれたり、本当の自分をなくしてしまいかねないからバランス感覚を考える事が大事である。 どんなときに名をとるのか、それとも実を取るのか、自分なりの原則を忘れないことだ。それが、その人のキャラクターと評価される。

2011年7月23日 (土)

モンスターボランティアに思う

282_field111 日ごろ地域の町の清掃デイや、川の清掃デイ・防犯パトロール等の行事には、仕事があるという理由から、ほとんど無関心である人が、震災支援で、会社を休んで出かけている人がいる。その行為は大変敬意を払いたいが、よく考えると「震災に遭われた人のため」と、必ずしもそうとは言えない心構えで出かける人もいるようだ。
.
「モンスターボランティア」というと・・・「自己満足のため」・「自分探し」・「就活に有利だから」という理等の理由で、ボランティア活動に参加する。したがって、ろくに働きもせず、仲間内でたむろして一日を過ごし、被災者に回るべき物資や食料を掠め取るような、自称ボランティアの事をいう?人がいるという。
.
ボランティア活動に参加するからには、このような恥ずかしい「自称ボランティア」はむしろ被災者達には大迷惑なことだ。ボランティアで被災地に出かけられる人はもう一度、心構えを確認して出かけて欲しいものだ。
.
決して被災地や、他のボランティアの負担にならないように、装備や食料は充分に準備し、現地のボランティア受け入れ態勢について、入念に下調べをし、少なくともモンスターボランティアにはならなないように、足手まといにもならないようにしてもらいたい。
.
現地に行った知り合いの人の感想を聞いたが、ネット上で伝えられるような、ひどいボランティアは、少ないし、ごく一部の人と思われるが・・・大部分のボランティアは、それぞれが、それぞれの志を持って活動に参加して頂いていたと思う。
.
一部には、何しにきたんだろうというボランティアも、いたことはいた。テント村で酒を持ち込んで、炭火で焼肉やっているのとか。夜に宴会したり、酔って夜中に奇声を上げるのとか。ペットの大型犬を一緒に連れてきて、その犬がテント村で夜中に吠えるのを放置していたり。指定のトイレに行かずに、立ち木に立ち小便したり、ごみを周囲に散らかす・・・。という。
.
そして今日のNHKニュースにあったように被災地に暴力団が係ってきているそうだ。窃盗などと心配である。
.
ただ、そんな連中は、本当に一部だけだったと思うと話されたが、その一部だけに、ボランティア全体のイメージが悪くなっているとしたら、非常に残念だ。
.
ボランティアの精神は、「する」ではなく「させて頂く」の志のことで、平常時でも「助けあい、励ましあい」で生きていられる「自分は幸せ」と言うことを常に持つ精神が大事であると思う。

ギリシアの財政危機で思う

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

06oga_toga11 今日のニュースで、欧米格付け会社フィッチ・レーティングスは22日、ユーロ圏17か国が決めたギリシャに対する第2次支援策の内容が、ギリシャ国債の「部分的デフォルト(債務不履行)」に該当するとの声明を発表した。正式にデフォルトに格下げされれば、ユーロ圏の国で初めてとなる。

ギリシャ支援には、民間金融機関が、保有するギリシャ国債を償還期限30年の超長期国債に交換するなどの形で参加し、ギリシャの資金繰りを支援している。フィッチはこれが、投資家に当初より悪い条件への変更を求める、デフォルトに当たると判断した。

近代オリピックの発祥の国ギリシア(1896年第一回開催)で、国の財政が厳しい状況にあるようだ。欧州共同体(EU)一国家でありドイツ・フランスなどの財政支援が頼みの綱と言われているが一体どうしてそうそうなってしまったのか?

ギリシャはEUの中ではドイツやフランスと言った先頭を走る国と比べると経済発展が遅れていたが、単一通貨ユーロ加盟によって金利が下がり一種のバブル経済となった。

そして経済が好調で税収が増えたことをいいことに財政の規律がゆるくなり大盤振る舞いをしだした。多分その公務員の高給与や福祉の充実はかった・・・。

その結果、リーマンショック以降経済が冷え込んでバブルが崩壊、今は借金が膨らんだ。社会党政権になって理想的な国家は都合のいいところだけを結びつけた。 私は解釈しているが・・・

日本も財政赤字が莫大である。その上東日本大震災で更に国債を発行することになる。1千400兆円を超える個人金融資産があると言われているが、国債が国内市場消化できてるが?、ギリシャは国債を7割ぐらい外国人に買ってもらっていて国債が償還できないということである。

これからギリシャがやることは公務員の給与引き下げ、社会保障切り下げ、増税と言った血の滲むような財政再建だろう。失敗すれば韓国のようにIMF管理下って可能性もあり得る。

ギリシャの財政危機は決して対岸の火事ではない。日本も財政再建の道を探らないと大変な事になると思う。

高齢化に伴う社会保障費の増大で、日本の国と地方をあわせた借金(長期債務残高)は約900兆に上り、国内総生産(GDP)に占める比率は先進国中最悪の180%に達している。プライマリーバランス(基礎的収支)保つことに、政治家は知恵を働かせて欲しい。

2011年7月22日 (金)

円高・ドル安・・・経済は・・・

09meigetu_tyusyu11 このところのユーロ圏の国々の動きが注目されていたが・・・深刻な財政危機に陥ったギリシャへの追加支援策について協議するユーロ圏の緊急首脳会合が、21日ブリュッセルで開かれ、総額で1090億ユーロ(日本円でおよそ12兆3000億円)に上る追加支援策で合意した。焦点となっていた、銀行など民間の投資家による自発的な負担も求めるとしている。

アメリカの経済の動向、中国の動きなどで大きく左右されるところであるが、震災復興・政治の不安定さなどで、日本経済の行方は不透明である。世界的に見ても不確定要素が多くて今後の経済の見通しも、読みにくいところだろう。

MSN・産経ニュース・・・22日の外国為替市場で円相場は急伸し、オセアニア市場で一時1ドル=78円22銭をつけ、戦後最高値(76円25銭)を記録した3月17日以来、約4カ月ぶりの円高ドル安水準となった。ユーロ圏17カ国が欧州債務問題への対応策で合意したことからユーロが対ドルで買われ、円もそれにつれて上昇した。

米連邦債務の上限引き上げ問題など円高への懸念材料は依然としてくすぶっており、今後最高値をうかがう可能性もある。このところの円高ドル安は日本の輸出企業の業績に打撃を与える恐れがあり、経済界などから円売り介入など円高阻止に向けた政府の早急な対応を求める声が一段と強まりそうだ(共同)。

時事通信・・・与謝野馨経済財政担当相は22日の閣議に、2011年度の年次経済財政報告(経済財政白書)を提出した。東日本大震災や福島第1原発事故の甚大な影響を受けた日本経済は、震災からの復旧・復興の過程では一定の需要喚起が見込まれるとした。

しかし、中長期的成長を確保するには、これをばねに、新たな技術や考えを導入して価値を生み出す「イノベーション」が不可欠と提言し、貿易、投資の対外開放や、人材やブランドなど「無形資産」への投資の必要性を説いた。他方、社会保障支出が増大する中、復興のための歳出増と財政再建を両立すべきだと強調した。

白書の副題は「日本経済の本質的な力を高める」。震災後の生産停滞について、阪神大震災(1995年1月)、米ハリケーン「カトリーナ」上陸(2005年8月)に比べ甚大で、部品供給網の立て直しや電力不足の解消などのため「長引く可能性が高い」と指摘。全国的な雇用・所得情勢の悪化につながることに懸念を示した。

その上で、日本が震災復興を経て中長期的に成長するための課題を提示。自由貿易協定、経済連携協定などの遅れから「グローバル化への取り組みは他の先進国と比べ遅れている」と指摘し、貿易の開放や投資の受け入れを進めて、海外需要の取り込みや生産性向上を図るよう求めた。起業の活性化、海外展開を担う人材の育成など、人的資本の質の向上も重要とした。

財政健全化をめぐっては、先進諸国の多くで財政再建後に経済成長率が高まっている上、高齢化などで社会保障支出が増大しても歳出規模の抑制に成功していると説明。日本では経済成長の促進と高齢者1人当たりの支出抑制が肝要とした。

踊る連星 相対性理論を実証?

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

Galleryplayer16_galaxy 「異質の連星、一般相対性理論を実証?」
宇宙の謎は、今の科学の発達した世の中でも分からないことが多い。3000光年の超遠い彼方で起きている現実がある。アメリカの天文学者のウォーレン・ブラウン氏等の研究チームが、その事実を解明しようとしている。その結果は「異質の連星、一般相対性理論を実証」できる?

暑い夏はこれからである。涼みながら真夏の夜の空の星を眺めて、想像を膨らませ、少年時代のように、想像と夢とロマンを持つこともいいことだと思う。

yahoo!webより・・・(ナショナルジオグラフィック 公式日本語サイト)
3000光年のかなたで、年老いた2つの星が“死の舞踏”を繰り広げている。最終的には衝突して、超新星(燃え尽きる最後に100倍もの明るさになりその後徐々に暗くなる)になる可能性があるという。

この連星(二つの恒星が互いに引力を及ぼし合い、共通の重心の周囲を公転運動しているもの)は、太陽サイズの恒星が燃えつきた後に残った中心核、白色矮星(恒星が核融合反応を停止し、収縮した天体の一種)2つで構成されている。秒速595キロという猛スピードで螺旋を描きながら互いに引き寄せられており、90万年で融合を遂げると見られている。

いずれ研究が進めば、アインシュタインの一般相対性理論の検証や、すべてのタイプの超新星に共通する起源を導く可能性がある。

アメリカ、マサチューセッツ州ケンブリッジにあるハーバード・スミソニアン天体物理学センターの天文学者で、研究チームのリーダーを務めるウォーレン・ブラウン氏は、「地球サイズと海王星サイズの矮星で、地球と月の距離の3分の1程度しか離れていない。12分間で互いを1周している」と説明する。

「互いの物質が流れ込む現象が発生しておらず、相互に影響を及ぼしていない点が異質だ。一般相対性理論の有効性や極端に強い重力について探る上で格好の手掛かりとなるかもしれない。」

“踊る連星”は、アリゾナ州のホプキンス山にある口径6.5メートルの多面反射望遠鏡(MMT)で白色矮星の連星を調査していた研究チームが発見した。2つの星が互いを隠す際に生み出される光のスペクトルを観察し相対運動を計測した。

白色矮星は超高密度の天体で、スプーン1杯あたりの質量が自動車1台分もある。

大質量の天体が互いを周回すると、時空がかき回された状態になり、池に石を投げたように波紋が生まれる。連星はこの「重力波」によってエネルギーの一部を失い、軌道がゆっくりと縮んでいくことになる。

「今回は物質のやり取りがないため、重力波の効果測定に最適だ」とブラウン氏は言う。「宇宙には多くの連星があるが、非常に接近して互いに影響し合っている。やり取りする物質から生じるエネルギーは観測できるが、連星の個別の解明は難しい」。

しかし今回発見された連星なら、互いに螺旋を描きながら近づいていく際の軌道周期の変化を正確に測定できるという。

また、星の進化と最期を解明する上で重要な手掛かりとなる可能性もある。例えば白色矮星の衝突は、Ia型超新星爆発(白色矮星と呼ばれる非常に密度の大きな星が、太陽の約1.4倍の質量まで太ったときに起こす大爆発と考えられている)を引き起こすと長い間考えられてきた。伴星から白色矮星へと降り積もった物質で質量が増加して物理的な限界を超え、核融合爆発が起こるのがIa型だ。

これまでの理論モデルに従えば、今回の連星が融合すると、超大質量の白色矮星となるか、あるいは非常に珍しい弱い超新星爆発が生じる可能性がある。

2011年3月の発見以降、地球から見て太陽のほぼ真後ろに移動しており、現在は観測できないという。軌道周期がどの程度短くなっているか確認するには、秋まで待たなければならない。

「90万年という、宇宙時間から見ればまさに一瞬で星が融合を遂げる。この連星は発見できただけでも価値がある」とブラウン氏は述べている。

2011年7月21日 (木)

児童の虐待の相談が5万件

108sirakami_mothertree11_2 私の住む近所で、子供の泣き声が聞こえない、沢山いた子供達はみんな独立し親元を離れて、「家を継ぐ」、事も「三世代家族」なんて風潮は古い?、嫁姑の問題をいぶかってか、老夫婦二人暮らしの家が多い。

すざましい、土地の開発が終ってアパート・マンションでは、子供の姿を見られるが、それも後30年も経ったら、私達の世代と同じように子供は、生まれ育った町から離れて、新たな暮らしを求めて独立していくだろう。人間の引継ぎの仕方が大きく変ってしまった感がするが、そこには大事なものがリレーのバトンを落としてしまっているようで仕方がない。

いま、児童虐待が大きな社会問題となっているが、昔のように、三世代家族、濃厚な近所のお付き合いがあった時代では考えられない。親権・義務・責任だの難しい話などはなくても、人間としての子供は、周りの大人が愛情を持って見守って育てられらていた。

親は幼い子を保護する権限と責務がある。その権限を逸脱して子どもを傷つけることが児童虐待だ。10年度に全国の児童相談所が受けた虐待の相談件数は5万5152件(速報値)に上った。東日本大震災の影響で宮城県と福島県、仙台市を除いた件数だが初めて5万件を超えた。前年度比では28・1%増だという。

虐待が問題となっている反面、学校の先生泣かせの、モンスターペアレントが問題となっている。近所の悪がきいれば「うるせいじじい」懲らしめていたが、今は見てみぬ振りをしてしまうお年寄りばかりである。

よく悪がきを見ると親の顔を見たいと言う声を聞くことがあるが、子供は、家の中で潜在的に虐待があってその反動で悪い事をしてしまうのだろうと思う。

法的な手立ては整いつつあるというが、それだけでは虐待は防ぎきれない。児童虐待防止法・児童福祉法とか虐待に取り組む法律は作られても、真に「子供を育てる」ということは、社会全体で育て、未来に繋げる、意識改革が必要と思う。

 

人の命を守る

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

10risiri_senpousi21 どこの地方の市・町・村にも自衛消防団はある。「自分達の生命は自分達で守る」という尊い精神から、昔から組織ある。いざと言う時には「遠くの親戚より、近くの他人」の仲間意識からである。

最近「無縁社会」「プライバシー侵害」などの問題で、「地域の絆」薄れている?普段、自営業者が少ない、サラリーマンなどで、消防団に入団する人がいないので・・・組織を維持していくのが大変であると私の近くのある団長は言っていた。

地震が起きたら、自助・共助・公助であるが、動けないお年寄り多く(特日中)、報道では東海沖地震で東京も震度6以上、限りなく起きてもおかしくないという。不安は、増幅するばかりである。

今日の朝日新聞の社説を読んで、震災国日本のあり方から、問題となっている「絆」・・・「家族」・「地域」・「社会」・・・本当の「人間愛」を考えることが、生きている人間の基本的なことを考え直す必要性を感じた。

社説内容・・・田中幸子さんは、仙台市で自死遺族の集まり「藍の会」を主宰している。震災でわが子を亡くした親からも相談が来る。宮城県石巻市の母親は、消防団員の息子が、避難の誘導中に津波にのまれたという。

「多くの命を救った立派な息子さんですねと、皆さんおっしゃってくださる」 「でも、英雄になんかならない方がよかった。ひと様を助けるより、息子には生きててほしかったのに」 押し殺した涙声になる。同じ立場の母親からの電話が、ほかにも何本かあったという。

消防団員は地域で仕事をしながら活動する非常勤の地方公務員だ。震災では岩手、宮城、福島3県で251人が死亡あるいは行方不明になった。消防署員と警察官の犠牲がともに約30人なのと比べて際だって多い。

働き盛りの男性が中心で、多くの子どもが残された。毎年、全国で殉職する消防団員は数人ほどだから、今回の事態に共済制度の遺族補償が十分に支払えない。何らかの遺族支援策で補えないものか。

津波が迫る防潮堤に水門を閉めに向かった人。避難を呼びかけるため、やぐらで半鐘を鳴らし続けた人。多くの団員が誰かを助けるために命を落とした。私たちは敬意と感謝を忘れない。そのうえで、決して英雄視するだけで終わってはならないと考える。

実践的な防災教育で知られる群馬大の片田敏孝教授は、危険を顧みずに職務を全うすることを是とする風潮は危うい、と指摘する。彼らの安全を確保する方策は十分だったのか、という問題提起だ。

最近の消防団は、携帯電話で連絡を取り合うことが多い。携帯が通じないなか、津波の予想高が引き上げられたことは伝わったのか。通信装備などの改善を急がねばならない。

三陸地方の団員は毎年、津波訓練を積んできた。浸水想定区域のすぐ外側で海を監視し、逃げるときはしんがりを務める。そんな想定は適切だったか。消防団が呼びかけても逃げようとしない住民がいた。そうした人々も含めた防災教育の見直しが欠かせない。

総務省消防庁は、大災害時の消防団活動のあり方を議論していく予定だ。まずは被災状況の詳細な検証が出発点になる。かねて消防団員のなり手不足は深刻だった。大震災は地域の防災の担い手としての重要性を改めて教えてくれている。だからこそ、悲劇から学ばなければならない。

2011年7月20日 (水)

感動とは・・・

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

00nyudogumobgm1 感動とは、日本国語大辞典・・・。

1.強い感銘を受けて深く心を動かされること。

2.人の心を動かして感情を催させること。

3.他からの刺激に反応すること、作用を受けて動くこと、または動かされること。の3つの語義を示している。

日常生活では、小さい事柄はあるが、それが毎日であったり、1ヵ月なかったりする。私は素直な気持ちで、感動を受け入れる幼少時代のように、何時も心の中のアンテナを張り巡らしておきたいと思う。

大きな感動と言えば最近は・・・昨年(2010年6月13日)JAXAの宇宙探査機イトカワが、小惑星のイトカワに到達し60億kmの旅を終え、地球に着陸した。日本人の科学者は、日本人のみならず世界中の人々をを感動させた。

そして、女子サッカーで、「なでしこjapan」が2011年7月18日 FIFA女子ワールドカップドイツ大会決勝でPK戦でアメリカを破って優勝し、世界の人々にアッと驚かせた。

「関心」はわれわれ人間にとって、美しいものえのあこがれ、美味しい食べ物えのあこがれ、美人、美男えのあこがれなど、さまざまなあこがれをもっている。

それが、意識的に、理性により形成されたものでなくても、人間の感性でもとめている最高(善)なものを求めているといって良い。数々ある人それぞれ異なる善へ触れた場合、これを感動という表現になる。

幼少時代、感動が数多くあったこと、それは、未知の空間や物体へのあこがれが、それぞれの一つ一つの自分の行動、そしてその結果を含めて、統一した最高善への到達手段を自ら創生したという点で経験となる。その経験はいつでもどこでも獲得できる感動は、最高善とはなり得ることだ。

幼少時代は感動が多数あったということができる。幼少時代の幼児には獲得できない感動を得ている。そして、今も尚、それを多数得ることにより、経験豊かな人間となり、かつ、更なる感動を得る心は清々しい幼少時代そのものでありたい。

2011年7月19日 (火)

人間とは何か

Galleryplayer3_desert 46億年前に太陽系の小さな星屑たちが衝突してひとつの星になった地球は、燃えたり凍結したりを繰り返しながら、そこに棲む生きものたちを何回も大量絶滅させた。6500万年前、エベレスト山に匹敵する大きさの彗星が、現在のメキシコのユカタン半島に衝突、恐竜王国を滅亡させた。

激しい寒波と酸性雨の中、生き残ったのは、死肉を食べるごく小型の哺乳類だった。これが人間達のの祖先である。子どもを卵ではなく、お腹の中で成長させてから産むというやりかたも、恐竜から逃げるのに有利だったと考えられている。

地球は長い歴史では、何回も姿を激変させ、その度に生きものは絶滅と繁栄を繰り返し、やがて人間が誕生したことなどを大きな目で見ると・・・。

多くの謎だらけの人間である。38億の時間が過ぎた現在、地球上には65億の人間が生存している。戦争の繰り返しと、東日本大震災に見られるように大きな津波で、多くの犠牲者があったりの状況であるが、これも歴史の一ページに過ぎない。

人間はこの地球上で唯一、進化した動物である。人間社会を作り、愛と幸せを尊ぶ動物である。科学・宗教・哲学など文明が発達し地球上の生物の頂点にあるのが人間・・・である。

唯一人間は、秩序を保つため、相手を尊重し、助け合って生きる知恵を生んで平和に暮らすことに知恵を発展させいる。その完成された社会において、考え直すことがある。

「人間ってなんだろう」である。
人間は死ぬまで、他の誰にもなることは出来ない。それなのに、社会の中でしか生きられない。どんなにお金があったり、力があったりしても、自分ひとりでは、全く意味はない。

これからも未来永劫?続く人間歴史であると思うが、私は相手の痛みが分かる人間であって欲しいと思う、それが生きる基本だ。独りでは生きていけない動物であるから・・・

あなたの存在を認める

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

07rose_ame21 最近、幼児虐待のニュースが多い。経済的・環境・人間関係で、子育てに問題があるご家庭があるようだが・・・。子供の存在価値が薄れてしまう恐れがある。「親権」をかざし、虐待と、「傍(はた)」では見られても、注意することが出来ない。なんて思われる人も多いと思う。

生まれたばかりの赤ちゃんにも人権がある。子育てには「存在を認める」ことから始まり、愛情を持って子育てに努め責任を持って育てる義務がある。

子育ての基本とも言うべき、親が子供に対する考え方は愛情を持って子供に接し「認める」ことにある。あなたが「してもらいたい事をしてあげる」ことから始まると思う。

そして子供を「あなたにとって重要な存在なのだ」ということを、親として強く認識する。 人は病気になると健康のありがたみを強く感じるように、それが普通になってしまう。それが残念ながら普通になってしまったことに対して私たちは感謝を忘れ、その存在を認めない。

子供が元気でいて普通なら子供の今の状態に対して、特にありがたみも感じない。自分だって、自分の子供のような時代があったはずである。忘れてしまっているだろうが、今の自分があるのは、間違いなく、この子のような時代はあったのだから・・・

そして、大事なのは、躾は怒ることではなく、誉めることである。その子のすばらしさを賞 賛することある。乱暴・無慈悲なことばはもちろんのこと、「バカな子ね」に類する、配慮を欠いた言葉も投げつけないことである。

親子の信頼関係は親の一方通行でもある。子供に愛情たっぷりかけて育てれば、自然と信頼関係は出来てくる。

そして、やがては、社会に出て行くのであるが「挨拶のできる子供」道教育をすることである。いづれは親元から離れ、多くの人と接していくのであるが、挨拶するということは社会人の基本である。怒って挨拶する人はいない。挨拶は必ず笑顔になる。挨拶することは信頼される必須条件でもある。

まだ聞こえぬ蝉時雨

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

セミ鳴かずして夏の到来なし?
      セミ鳴かずして夏の到来なし?
.
昔親父が、「7月25日北野の天神さまのお祭りにミンミン蝉が鳴きだせば陽気は標準だ。」と言っていたことを覚えている。ニイニイ蝉・クマ蝉・アブラ蝉が鳴いて、学校の夏休みが始まるころ蝉取りで蜘蛛の巣探して竹棹先に針金で丸く輪を作って蜘蛛の巣から糸を丸め取って遊んだ。

例年だと我が家の庭にニイ二イ蝉の幼虫の抜け殻が、木の枝葉についているの見かけるが、今年は見かけない。片倉城址(八王子市)の森で、鳴き声を少し聞いたが、セミ時雨を聞くまでには至っていない。「セミが静かなのは大地震の予兆?」「放射能の影響では」と心配している人も多い?。

J-CASTニュース・・・
日本本土で見られるセミは約30種という。そのうち「セミの大合唱」として親しまれているのは、「ジジジジジ」と鳴くアブラゼミ、西日本に多い「シャンシャンシャン」と鳴くクマゼミ、そして東日本に多い「ミーンミンミンミン」と鳴くミンミンゼミなどが挙げられる。

セミは土に出てくるまでに6~8年ほど土の中で成長するのだが、九州大の紙谷聡志准教授(昆虫学)によると、特にアブラゼミ・クマゼミには、出てくる年の「春から梅雨にかけて」の気温が影響するのだという。

気象庁発表の11年3月~5月の平均気温データによると、東京では「8.1度、14.5度、18.5度」、大阪では「8.1度、13.8度、19.6度」で、それぞれ3月4月が平年よりも最大1.3度低かった。「アブラゼミでいえば7月上旬から鳴き始めるのですが、今年は3~4月の寒さが足を引っ張ってしまって、出てくるのが遅れているようです」と話す。直前に温度が上がったから、それに合わせて時期が早まるわけではないようだ。

一方で、セミが夏になっても鳴かないのには大震災の前兆ではないかと懸念する声もある。セミと地震の関係については昔から関連性が指摘されてきたとネット上で話題になっており、古くは1707年の宝永地震、1923年の関東大震災、1995年の阪神大震災の事例が挙げられている。

その点について京都大大学院の沼田英治教授(動物生理学)は「阪神大震災前年(94年)の夏はセミが静かでした。関係がないと断言はできないものの、まずないと思っていいでしょう」とコメントし、研究者の立場からも「虫が地震を1年前から察知して、というのはまず考えにくい」と話す。放射能についても前出の紙谷氏は影響を否定。「放射能はDNAに作用するので長い目で見たら何かしらあるかもしれませんが、セミがいなくなるようなことはないでしょう」。

2011年7月18日 (月)

心に傷をつける言葉

10247681 最近言葉で大きなショックを受けて後まで尾を引いてしまいそうな経験をした。「その一言で、心に傷が・・・」言葉は相手の立場にたって話し、慎重さが大事と痛感した。

相手は何気なく言っただけなのかも知れないが、ふと投げかけられた言葉で心が傷ついてしまうことがある。どのぐらい深く傷ついてしまうかはその人の性格によるが、大した傷跡を残さずにすぐ立ち直る人もいれば、一生グズグズと思い悩み、自己否定してしまったり引きこもりになってしまうという人もいると思う。

特に、小さい頃に受けた心無い言葉が深く心を傷つけてしまうと、その体験が心理的な外傷となって成長してしまうことがある。そうなると人間関係がうまくいかなかったり、社会生活そのものが苦痛になるなど、深刻な事態を引き起こしかねない。

心の傷がなかなか癒えないのは、心が繊細だから・・・。「繊細」というのは「思いやり」という言葉にもつながる個性だが、それが度を越してしまうと、気持ちを切り替えことができなくなってしまうことがある。

感情が上手くコントロールできなくなってしまい、「繊細」であることは大切だが、「繊細すぎる」こともマイナスの要因の素でもある。必要ないことは忘れるか、捨てるか、大胆さ・図太さが必要である。

心を傷つけた言葉は、いつまでも覚えておかなければならないほど重要な言葉なのか?それほどの価値がある言葉か?人の心を傷つける言葉はマイナスのエネルギーそのもので、思い出せば出すほど、マイナスのエネルギーが心を覆ってしまう。

役に立たないものは捨ててしまい、一生懸命に磨いてもダイヤモンドには決してならない石ころ、そんなものを後生大事に持っていたところで何の役にも立たない。忘れる技術を身につけることだ。

忘れる方法は、なによりも、マプラスのエネルギーで、体に充満させることにある。その方法として明るい色の洋服を着たり、親しい友人と話したり、賑やかな音楽を聴くなどがある。そのことに神経を集中させること・・・。

悪い言葉はいつまでも心の中で反芻しないこと。こだわりの気持ちから抜け出すための「自分なりの忘れ方」を見つけける。マイナスのエネルギーは運気そのものを悪い方向に変えてしまう、絶対にこだわってはいけない。

芸術とは何か

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

Photo2010_71 人間と動物の大きな違いは何かというと、二足歩行、言葉を喋り、字を書くことである。それらに芸術を持ち、そこに価値を置いているところだ。

動物は本能に従って生きている。腹が減ったら、獲物を捕って空腹を満たし、時期がくればパートナーを見つけて子供を作り、育てる。 そこには何の迷いがない。人間の場合そういった一つ一つの行動に対して、疑問がわいてくる。

なぜ自分は生きているのか?なぜ飯を食うのか?なぜ苦しみはあるのか?なぜ人は死ぬのか?などなどである。そんな疑問を抱え込んでいるのが人間である。

そう言った疑問を、文化によって埋め合わせる必要から、文化には、そう言った疑問によって生活が苦しめられないように、補完する役割がある。様々な疑問は、感謝、尊敬、摂理、美、道徳、正義、愛と言ったような、より高次の価値に置き換えられる必要がある。

宗教や科学そして芸術などの様々な文化は、そういった人間の様々な疑問に対して、答えをだすために存在しているとも言える。

動物は、意味や根拠を持たなくても日々生活しているが、人間はそれなしに生きる事は出来ない動物である。いままで神とは、人間という存在に意味を与える、一つの絶対的根拠である。(人間が作った神)

人間は社会を持つ動物である。そして社会と言うものにとても関心を持つ動物である。二人あるいは三人以上集まれば、それは社会になる。人間の行為は、社会から了承される必要性が常にある。「そんな事は関係ない」と言っていても、一人で生きていけない。

社会とは、この了承関係の複雑な網の目とも言える。この了承関係が非常に複雑なのは、その決まり方が、文化的、歴史的背景に加えて、その時代の流行、そして個々の人間の価値観に左右される。

「了承関係の複雑な網の目の材料・様式などの美を追求・表現しようとする人間の活動」と解釈されるのだと思う。

2011年7月17日 (日)

高校野球と入道雲

00nyudogumobgm1 入道雲 球場空に 舞い登り

夏の高校野球が始まった。連日の猛暑で野球場は、大変な暑さになっているだろう。夏の高校野球といえば、真っ黒に焼けた顔と真っ白いユニホームが似合うスポーツである。

夏の代名詞である入道雲、真っ白く輝き空高く舞い上る入道雲は夏の代名詞である。球状は熱い歓声と汗の匂いと、爽やかな風で思い出作りになればと思う。(今年の夏のイベントは八王子市は花火、お祭りは、自重して行われない。高校野球は例年通り行うと言う。私達の八王子市片倉町一丁目町会の盆踊りは行う。)

夏の甲子園を目指して球児たちが戦う高校野球地方大会の季節になった。最も早い6月18日に開幕した沖縄大会は、すでに準々決勝が終了。今日(17日)には代表第一号が決まる。

出場校が少ない県は開催が遅くなるが、16日には47都道府県すべてで大会が開幕。その中には東日本大震災の被災地、福島、岩手も含まれる(宮城はすでに開催中)。

今年の高校野球は、やはり大震災を抜きにしては語れない。被災地の高校は震災後、野球をやれる状況ではなくなった。津波で家や家族を失った野球部員もいる。野球用具一式を失った者もいる。また、転校せざるを得なくなった者もいる。被害をまぬがれた部員にしても野球をする心境にはなれなかったにちがいない。ただ、彼らの気持ちをもう一度、野球に引き戻すさまざまな救済策や支援があった。

高野連は被災地の学校や選手に対する特例措置を設けた。まず選手登録。選手が転校する場合は引き抜き防止のため、転入学日から1年が経過しなければ登録が認められなかったが、被災によって転校をした選手は即、登録できることになった。次に連合チームの大会参加。連合チームは学校の統廃合や廃校を控えた場合に限られていたが、今回は被災で部員が減ったケースも参加が認められた。

実際、この措置によりグラウンドに戻った選手は多いし、福島第一原発の避難地域に位置し、転校などで部員が減った双葉翔陽、富岡、相馬農の3校は「相双連合」という連合チームで福島大会に参加したがざんねんであったが、相双連合1―8喜多方=7回コールド(14日・鶴沼)負け、初戦で姿を消したが、出場選手には貴重な思い出が心身に刻まれたことだろう。

禅語に親しむ・・・

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

05oirase31 梅雨が例年より早くあけたが、連日の猛暑であるが、高校野球も始まった。選手も暑さのため、体調を崩し試合が出来ず、延期になったとかニュースで聞いた。家の中にいても、節電で冷房を使わず熱中症で、病院に運ばれたお年寄りがいるという。

雨が降ったら、少しは涼しくなるかなー。その雨は台風は、超大型で非常に強い台風6号である。太平洋を勢力を増しながら西に向かっていて、連休明け19日ごろ鎌首を曲げ日本列島を西から東に縦断するような天気図で、これまた心配だ。

暑い暑い毎日であるが、朝日カルチャー「禅語教室」より・・・ちょっと涼しくなるような「禅語」読んだ・・・

「清流無間断 碧樹不曾」

清流間断無く 碧樹(へきじゅ)曾(かつ)て凋(しぼ)まず 

清流はこんこんと途絶えることなく流れてやまず、山の緑なす常緑の松やオガタマ、椿、ヤマモモなどはいつも青々として凋むことがない。暑さ厳しい夏の都会を抜け出して山中深く入ればこんな情景に出会う。

自然豊かな日本の多くの温泉地には清流があって、カジカがなき一層涼しさを演出してくれる。のんびりと湯船にひたり清流の音を聞きながら日頃の疲れを癒したいところである。いかにも夏のこの時期のふさわしい響きの「清流無間断」の語である。また「碧樹不曾凋」も常緑の樹のように家運の凋むことがないようにとの願うめでたさの意味にも当てられよう。

したが、禅語としては単に涼しさをも誘う言葉ではなく、「間断なく流れる」ところに意味を見出さねばならない。禅では執着を嫌う。雲は風のままに流れ、水は絶えず流れてとどまることがないように、心の働きが衰え途絶えることない不断の相続を忘れてはならない。

不断の努力、精進である。修行においては静中の工夫、動中の工夫、つまり四六時中、昼夜なく正念工夫が求められる。とはいえ、煩悩妄想にある私には「間断なし」などとは無縁の世界であったようにも思うが、やはり修行とは日々精進であり、「一を以て之を貫く」のように一貫相続を大事にしなければならないことである。

剣豪・宮本武蔵は「千里の道も一足づつはこぶなり・・・。千日の稽古をもって鍛とし、万日の稽古をもって錬とする」と言っています。因みに「鍛」千日は約3年、「錬」の万日は約30年ということであるが、要は単なる期間の経過だけではなく日々の稽古、日々の精進工夫の大切さを言っているのである。

昔人間の私どもは軍人上がりの先生たちから「朝鍛夕錬(ちょうたんせきれん)」ものらしい。砂鉄を溶かして銑鉄をつくり、その銑鉄を熱して槌で打ち、何度も何度の打ち叩き、不純物をたたき出して硬くて弾力ある鉄鋼をつくる過程が「鍛」であり、その鉄鋼をさらに折り返しては再び叩き、また火に入れて焼き入れ(水に入れて冷却)してまた叩いて刃金に仕上げていくことの繰り返しが「錬」である。

たしかに練ることの方がむずかしく、時間がかかり重要であることなのだ。昔、承福寺檀家さんに鍛冶屋さんがいた。まさに村の外れの小さな鍛冶屋さんで漁具や鍬や鎌などを作っておられた。

子供のころにのぞきに行ったというより寒い冬は火を使う仕事場が結構暖かったからかも知れない。

2011年7月16日 (土)

猛暑日が続く

Sunflower_0041 容赦なく 被災地には なお暑く

イヤー暑い、今日も午前中35度になった八王子市である。今年は梅雨の明けるのが例年より10日早く(7/9)明けたが、それ以来雨は降らず毎日が真夏日である。外にいると焦げる位の暑さだ。

気象庁は、水分・塩分を取って、熱中症に気をつけるよう注意している。このところ近くの国道16号に救急車の音がひきりなっしに聞こえる。節電で・・・お年寄りが・・・?

東日本大震災の地方でも梅雨は明けた。暑い毎日が続いていることだろう。避難先の体育館などにいる方は、四ヶ月も経ち、体力・気力も限界であろう。その上に30度を越す暑さである。何とか仮設住宅に移って、暑さを凌いでいただきたいが・・・

何が必要で、何を必要としているのか

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

Katidoki241 あの時その人に出会わなければ、巡り会いがなかったら、今の私はない、そういう劇的な出会い、その人との巡り会いが自分の人生を変えた。これも必要とされること、必要とすること、そういう関係である。

職を求めても採用されない、余分の人材は要らないと解雇される。それを世の中が不景気だからとか、原因を世の中のせいにしてしまえば一歩も踏み出せなくなる。

世の中では今、何を必要としているのか、必要とされるけれど今すぐにではなく、そのうち必要とされるであろうことなど、世の中で必要なことをしっかりと自分で見つけだせれば、それが仕事になり、生きていける。また必要とされる人格、必要とする能力をそなえた人ならば、世の中は必ずその人を必要とする。

民間のテレビにも出て顔も知られている人で古賀茂明氏のことが、今日の東京新聞(中日)社説・・・「官僚肩たたき 改革派を追放するのか」 あった。官僚の既得権益は恐ろしいほど硬い。その改革は並大抵のことでは変えられないという。
私は社説に同感である。

経済産業省の改革派官僚として知られた古賀茂明氏が「肩たたき」された。事実上のクビ宣告である。脱官僚・政治主導を唱えた民主党政権は、いまや霞が関の改革派つぶしにまで手を貸すのか。

古賀氏はかねて霞が関、永田町で筋金入りの改革派として知られていた。産業再生機構の執行役員当時はダイエー再建に辣腕(らつわん)をふるい、政府の国家公務員制度改革推進本部事務局では審議官として抜本的改革案をとりまとめた。

ところが、徹底した改革姿勢が官僚の既得権益を守りたい霞が関の怒りを買う。推進本部から本省に戻った後、一年半にわたって「官房付」という閑職に飛ばされた。このポストでは実質的な仕事がなかった。

最近では東京電力福島第一原発の事故を受けて、東電株式の100%減資や銀行の債権カットを柱とする独自の賠償案をまとめて公表した。同案を収録した著書「日本中枢の崩壊」は二十万部を超えるベストセラーになっている。

海江田万里経産相は就任当初「能力を発揮できる場所で仕事をしていただく」と語っていたが結局、閑職にとどめたまま放置し、六月末に事務次官を通じて古賀氏に早期退職勧奨をした。三週間後の昨日が退職期限だった。

国家公務員は法律で身分を保障されており、退職勧奨に強制力はない。古賀氏は辞職しない意向を通告しているので当分、身分は中ぶらりんの状態が続く。

古賀氏の肩たたき問題が示しているのは、民主党政権が霞が関をどう改革し、そのために有能な官僚をどう活用しようとしているのか、さっぱり見えない点だ。 

脱官僚と政治主導こそが政権の出発点だった。仙谷由人氏は一時、古賀氏を補佐官に起用しようとしたが、発令直前に断念してしまう。菅直人政権は今国会に公務員制度改革や公務員給与削減の法案を提出しながら、審議入りもせず先送りの方針だ。

そもそも民主党は退職勧奨こそ天下りの元凶と言っていた。そうではなく、本当は官僚の能力・実績をどう評価し、適正に処遇するか。それによって官民の人材交流をどう活発にするか、が真の問題だったはずだ。

そうした根本の議論を避けただけでなく、自分たちが厳しく批判してきた「肩たたき」という不透明な手段で古賀氏を退職に追い込もうとしている。まったく本末転倒と言わざるを得ない。海江田経産相に再考を求める。

まだ家がわら屋根だった頃の話

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

Top_image1  幼かった頃小作農の百姓わが家には、牛・山羊・鶏・兎などがいて、鶏は放し飼いだった。鶏は納屋の奥に積まれた稲藁に卵を産んでいた。卵を産むと大きな声で鳴くので生んだのはすぐ分かる。毎日生んでいるが、遊んでいて、ちょっと忘れてしまうと、何処にあるのか分からない。

鶏が鳴くと「ほれ~何処で鳴いてっか見てこ~~」と親父に言われ探した。鳴き声の居場所を突き止めておいて後で卵を取りに行くと生温かったかい。蛇に先を越されて卵を飲まれてしまうことも時々あった。

私は山羊の乳をよく飲んだが、乳搾りでつかんだおっぱいの感触は今でも掌に残っている。そして、よく山羊の後ろ足でたまった乳のバケツを蹴られてこぼしてしまった。

田植えの時期になると、田んぼで牛に鋤をつけて耕したが、子供の私は牛の鼻環に長い竹を括りつけた鼻面をもたされて田んぼを回った。

田植え・田の草取り、秋の稲刈り、俵づくりにして、一反約10俵とれて標準の出来で、その内4俵を地主に収めたのだ。子供の私は地主に収めることを、母親に聞いたことがあるが、ハッキリ説明はなかった。

そして農地解放で、米は地主に納めず作って出来た米俵は我が家の物置に置かれていた。小学校で農繁休みがあって子供はよく手伝った。やがて耕運機やトラクターになって、役牛はいなく、ホルスタイン牛を飼い酪農に力を入れていった。

川ではドジョウやシジミやフナやザリガニまでとって食べたものだが、げんごろうやミズスマシなど小さい虫もいなくなってさらさら流れていた秋には赤トンボを追いかけたり・・・冬は稲を刈り取った後の田んぼで凧揚げしたり・・・いつも自然そのものだった・・・

気持ちのいい朝は目が覚めるといきなり裸足で庭へおりたりして、足裏の気持ちよかったこと !!!まだ家がわら屋根だった頃の話・・・

 


2011年7月15日 (金)

誉める日本人でいたい

10shiretoko5go_1ko21 なべ おさみさんの「誉める日本人でいたい」を読んで、素晴らしいことだと思った。未来を担う子供達に、励まし、誉めることは大事なこと、地球温暖化とか、環境保護だとか、口では言っている大人たちが多い世の中であるが、一生懸命ゴミを無くそうと頑張っている人がいる傍ら平気でゴミを捨てている人がいる。本来大人は子供のお手本を示せねばいけないところだが・・・そして、子供の行動に、目を配らし良い行動に拍手を送ることはとても大事だ・・・と思った。

http://tsukijihongwanji.jp/tsukiji/shinpou_0807.html

外が賑やかだ。大勢の若やいだ声がする。寝ていた私は覗いて驚いた。私の家の前に連なる遊歩道に造られた花壇や緑道で、たくさんの子どもたちがゴミ掃除に励んでいたのだ。ポイ捨ての空き缶やペットボトル、吸い殻や犬の糞、落ち葉や雑草など、みるみる集められていったのだ。

私は慌てて外へ出た。近所の花見堂小学校の5年生、6年生の児童だった。こんな素晴らしい行動をしていると言うのに、黙って見過ごしていては申し訳ない。みんなに拍手して回った。それだけでは物足りず、「あなた方は素晴らしい行動をしました。1年生、2年生、3年生、4年生の模範になる立派な行為ですね」と記した感謝状を小さな額縁に入れて学校に届けました。

これが縁で学校で道徳の時間に「みんな、お母さんやお父さんを誉めてみないか?家へ帰ったら今日、早速やってみませんか?」という内容で45分の講義をさせていただき、また、保護者のみなさんへも講演をさせていただきました。 後日、林校長先生が私の授業に対しての生徒の感想文を持って訪ねて来られました。

そのなかに「夕食で父さんに言いました。父さんは偉いなぁと。どうして?だって風邪の時もお腹痛い時でも会社行って。僕はお陰で学校行けるんだ。父さんは偉いやと。父さんが席を立って帰って来ないので、見ておいで。と母さんが言いました。ドアを開けると、向こう向きで父さんが泣いていました。」とありました。

ほとんどがそうした文章だったのです。私と妻は、クラス全員の感想文を読んで、ずっと無言で鼻をすすりながら過ごしました。これは私の宝物のファイルになりました。他人の嫌な点を言いたくなるのが人の常です。でも良い点を少しでも見つけて、それを口にしてみましょうよ。それによって、人を誉める事を少しも惜しまない本当の日本人のできあがりです。

一茶の句にめぐり合って・・・

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

10ichige_akitakoma11 「花ちるや末代無知の凡夫衆」小林一茶

この句を読んで東日本大震災と東京電福島第一原子力発電事故で多くの被災者の苦しみに放射能という目に見えない物質に恐怖に晒されている。田んぼに置いた稲藁を牛に食べさせ、その牛の肉に放射性セシウムがあり、(体内に取り込まれると染色体や遺伝子の突然変異を起こすことがある。)ということで、その対応に戸惑っている人々を思い出した。

科学の発達した世の中でも、原子という物を構成している素を破壊して出るエネルギー(原子力)を利用して電気を作る。と言っても、専門家でなければ分からない。科学が発達した世の中でも、多くの人が、放射能の恐ろしさは広島・長崎で原始爆弾で経験している。しかし長い年月が経つと人の記憶は薄れてしまう。

知的水準の平均化した今日の大衆社会で、末代無知だなんて言おうものなら、袋だたきにでもあいそうだが、末代とは、仏法心が薄れて本気で仏道修行を行う人のおらなくなった世代のことをいっている。また無知とは人生の「一大事」を知らぬ人間のことを言っているのであろう。

末代無知の凡夫衆というと、それは「後世を知らざる人」ということで、後世とは、短くはあすから、長く言いますと未来永劫のということだ。

だから「後世を知らざる人」とは、明日からの一大事を知らぬ人ということで、今日の消費の美徳に酔い歓楽をむさぽっている人々に「花ちるや」という呼びかけで、一茶は存在の無常性を警告しているのだろう。

2011年7月14日 (木)

人間の寿命と自然の摂理の尊さ

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

1231 NHKスペシャル6月12日放送「寿命は延ばせる!」若返り長寿遺伝子発見。老化を遅らせ、寿命を延ばす遺伝子が見つかった。「サーチュイン遺伝子」という、その遺伝子は、特別な人でなくても、誰もが持っており、うまく働かすことができれば、平均寿命は百歳を超えるといわれているというが・・・。

そんなこと分かっても、生きているという実感出来る、平均寿命は百年程度のもだろう。無限ではないわけで、疎かに過ごすわけには行かない。その意味でも人生をどう生きるかは、生きているということはとても重いものである。

半世紀以前は、人生五十年と言われた。それが世界でもトップクラスになった日本人の寿命である。確かに戦争で若い人が亡くなったり、生活の質が悪かったり、医療の技術がなかったなどであった。

有名な、織田信長の「人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり。ひとたび生を得て滅せぬもののあるべきか」
(人間の一生は所詮五十年に過ぎない。天上世界の時間の流れてくらべたらまるで夢や幻のようなものであり、命あるものはすべて滅びてしまうものなのだ。)

地球誕生46億年が経ったが、遠い先祖から引きついたDNAは進化し続けて未来に引き継ごうとしているが、平均寿命が百歳を超えたら、人間の生活・文化も違ってくるだろう。

しかし、人間は一人では生きて生きない、社会を構成しながら未来に繋げていく義務がある。東京電力福島第一原子力発電事故は、人間の勝手な願望で、自然界になかった物質を作り出し、自然を破壊するという、自然界の掟を破った。その結果が、人間の命も危険に晒されてしまい、右往左往している。

人間が文化文明を進化させていく、夢を持ち続けることは、大事なことだが、生きて行くためには、地球上の尊い生き物からエネルギーを得なければならない。生きるためのエネルギー源を人間自身で作り出すことは未来永劫出来ない。

その化石燃料・地球上の生物だって、有限である。人間使い方次第で人間の寿命に大きく影響してくる。現状の平均寿命を維持していくことを考えていくことが大事なことかも知れない。

高学歴でも仕事がデキない

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

0261  猫も杓子も、大学に入学、月謝は親任せで本人全く勉強する気がなくても、お金の力で卒業する。・・・一流大学はお金持ちの家の子供が行ける・・・なぜなら本人の意思に関係なく、親の見栄で高額な授業料を払って、塾に通わせる。友達と遊びも制限され、親が引いた航路を進み、親の厳しい監視の目で、戦々恐々と青春時代を送る。

だから、一旦コースを外すと、元に修復が難しい。そういう人はいい悪いは別にして、自由奔放なアウトサイダー的人間が多くなる?

そして、一流大学をでても、人間形成が出来ていない、同世代の人間にはコミニケーション取れるが、年齢差がある人たちとは苦手である。つまり、人間形成が未熟である。なんと言っても、環境の変化についていけない人が多いということだ。

その結果が「なぜ、高学歴でも仕事がデキない人が増えているのか」(プレジデント)の内容であると思う。

企業が人材を採用する際に、学歴という情報を重視することがある。受験戦争を勝ち抜いて、有名大学を卒業した人は仕事を遂行する能力が高いはずで、採用すべきという判断からだ。「有名大学を卒業した人は仕事もデキるはず」という部分が「学歴シグナル」だ。

日本は、高い学歴が、高い収入をもたらすという学歴社会であった。しかし、この学歴社会と学歴シグナルは崩壊しつつあるようだ。高学歴=高収入の時代が終わったことは、過去10年の日本の歩みを見ればわかる。有名大学を卒業した高学歴グループに占める「高い能力」を持つ人の割合も減っている。

理由はいくつかある。例えば、一般の入学試験によらないAO入試(アドミッションズ・オフィス入試)で入学する学生が増えている。入試の科目数を減らす大学も多い。また、受験テクニックを重視する塾や予備校も増えている。こうした中で、受験生は勉強にさほど労力と時間をかけなくても有名大学に入学できてしまうのだ。

高額の教育投資が行える親は、子供を海外留学させて、帰国子女枠で大学に入学させる。あるいは、子供を小さいころから塾に通わせて有名大学に入学させようとする。これは、お金をかけて高学歴を買うのであって、「高い能力」を養っているわけではない。

これまでは、高学歴は「仕事上の能力の高さ」を示すシグナルだったのが、「親などの教育投資が高額なこと」のシグナルになってしまった。

こうして高学歴を獲得して社会人になっていくのだが、彼らは、社会人になってからの勉強が苦手だ。例えば、コミュニケーション能力である。社会人になれば、幅広い年齢の人たちとの間でこの能力が求められるが、同世代の間では可能でも、世代間のコミュニケーションはおぼつかない。激しい受験戦争によって、そうした能力を鍛える場所が非常に少なくなっている。

また、私が社会人になって身近に見てきた例をあげれば、エリートコースに乗る人は、必ず勉強している。一橋大学を卒業している先輩は、土日はいろいろな女の子と遊びに行くような人だった。しかし、仕事でどんなに疲れていても、夜中に必ず勉強していた。睡眠時間を削って勉強していたのだ。

もう一人は、上智大学を卒業した後輩である。英会話能力の高い人だったが、やはり必ずNHKラジオの英会話放送を録音していた。英語力を落としたくないと、仕事でどんなに遅くなっても録音を聴きながらテキストをめくっていた。

二人とも、その勉強に関連した仕事をしているかどうかとは別問題で、社会人になった自分が勉強すべきことを学んでいたのだ。

社会人になれば、受験生のときのように、勉強に集中できる環境が整えられ、勉強だけをしていればいいというわけではない。たとえ肉体的に、そして精神的に大変な状態であったとしても、勉強を続けられるかどうかが重要になってくる。社会に出て体育会系が重宝されることがあるが、これには一理ある。社会人になってから必要な勉強をするには、体力が必要なのだ。

仕事のできない高学歴者が増えているのは、こうした勉強をしなくなっているからだ。入社がゴールではないことに気づいてほしいものである。

2011年7月13日 (水)

人は皆罪深い

09hirugao31 「人は罪深い」そんことを日常思うことがあり、ドイツの哲学者フィヒテのメモを見て考えてみた。 

「人は皆罪深い」フィヒテメモ

「我々は皆同様に憐れな罪人である。」

「我々はお互いに謙遜して、相互に承認し合い、許しあわねばならない。」

我々は皆平等である。しかしまた、人間の間の差異も認める。」

「我々のすべての行為・活動の最後の目的は、我々の外的状態をよくするということである。」


さらに、このように言う。
「多数は、罪深いという前提によって、下等に、俗物的に、非宗教的になる.。」

「良き正しき人間は、たとえ自己の欠点を認識し、それの矯正にたえず努めるとは言え、自分を徹底的な劣等人とは、本質的な罪人とは、考えない。」


ジョバンニ(銀河鉄道の夜;宮沢賢治)がさがしていたような「ほんとうのさいわい」を幸福と呼ぶとするなら、この本のタイトルも「幸福への手引き」というようなものとなるのか・・・。

「銀河鉄道の夜」のあらすじ
父親が漁のため北の海に行ったまま、消息が分からず、病気で家から出られない母親を持ち、苦しい家計を支えるため姉と二人で働くジョパンニ。彼は、毎日活版所で活字を拾い、お金を稼ぐ生活をしていた。父親がいないために、他の子供達に、いじめられる中、小さいときから友達だったカムパネルラだけがはジョパンニに優しかった。ジョパンニは、カンパネルラに憧れていた。

ケンタウル祭の夜、ジョパンニは、お母さんに飲ませる牛乳を貰いに行く、しかし、途中でザネリに会って意地悪を言われ牛乳を貰えず、さらに帰る途中にまた、ザネリたちのの集団に会い、からかわれる。その集団の中に気の毒そうな顔をしたカンパネルラもいた。その時ジョパンニは、すっかり落ち込み、誰うもいない暗い丘に寝転んで星を見上げた。

その時ジョパンニは銀河ステーション、銀河ステーションという不思議な声を聞いた。気がつくと彼は、夜の軽便鉄道の車室に窓から外を見ながら座っていたのだ。そして前の席には、青ざめた顔をしたカムぱネルラを乗っていた。不思議に思いながら、カムパネルラの旅を胸を躍らせるジョパンニ、二人の幻想の旅が今始まる。

防災から減災へ

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

282_field111 「減災」?ちょっと聞きなれない言葉である。一体どういうことか?・・・地球は生きているのが寿命がある。その過程には、世界最高峰のエベレストは、かっては海の底だったり、氷河期が起きたりの歴史があったように、防ぎきれない自然現象がある。防ぎ切れないが、減災を考えることは、大事なことかも知れない。

「防災から減災へ」・・・NHKニュース解説より

大震災から4ヶ月が経った。政府の復興構想会議が、今後は「減災」の考え方が重要だと提言し、「減災」が災害対策のキーワードになってきた。

「減災」とは、防災というのは、たとえば津波を堤防などの施設で、いわば力で抑え込んで、被害を防ごうという考え方で、これに対して減災は、自然の大きな力をかわしたり、和らげたりしながら、被害を完全に防ぐことはできなくとも、最小限に抑えることを目指す考え方。

具体的には、減災には、これをすれば他のことはしなくていいという特効薬のような対策はない。様々な対策を組み合わせる。

一例では、住宅建て方の工夫である。津波が来ない高台を中心に町づくりを進める。住宅は高台に、沿岸部には工場や避難ビルを作るといった土地利用の仕方を考える必要がある。
また、2重、3重の防御体制を作ったり、海岸には堤防を作り、内陸には、盛り土構造の道路を作るなど多重の防御体制を作って、津波の勢いを衰えさせ、避難の時間をかせいだりする。

そうすると、公共工事のあり方や地域の防災訓練の仕方まで様々な見直しが必要だが、減災にとって最も重要なのが住民の防災意識を高め、避難体制を整備することである。

そのために行政にも住民にもやらなくてはいけないことがある。まず、国や自治体は、これまで以上に丁寧な説明が必要で、これまでは堤防などを作る際に、それによって大きな効果があることは説明してきた。

しかしそれだけでは、堤防ができて安全になるという情報しかとどかない。今後は、過去には堤防を上回る大津波が来たことやそれによって堤防が壊れる恐れがあることも説明しなくてはいけない。

住民がやることは、すべてを行政任せにしない住民の取り組みが重要である。全国をみると、行政が決めた避難路では避難に時間がかかるとして、道のない場所に独自に避難路を整備した地域もある。

被災地で減災の考え方を活かした町づくりを進めるとともに、全国の自治体や地域でも対策の見直しを急いで欲しいと思う。

2011年7月12日 (火)

これからの町づくりに・・・

3612 町づくりに思うことは、故郷を大事にしようと思う心と、先輩から受け継いだ町の風土・新しい風を吹き込んで醸成し未来に引き継ぎ、信頼・思いやり・優しさなどの将来が明るい希望の持てる社会(町)を作るうえで、大事なのが「影の力」必要と認識している

そんなことを考えてみると「影の仕事」をする人が、とても重要と思っていたが・・・最近「シャドーワーク」という言葉があちらこちらで聞かれるようになった。「影の仕事」が注目され、それをマネジメントするための方法論が議論される理由とは・・・

「エグゼクティブ」ITより参考なる記事と思い記してみた。http://executive.itmedia.co.jp/hensyubu/archive/155/0

家事労働、ボランティアが語源

シャドーという単語に続く言葉としては、シャドーボクシング(、倒すべき相手を想定して行われる訓練)だしシャドーキャビネット(現実の内閣の一員ではない野党議員が「自分が大臣ならこうする」という意思表明の方法)として使われるものだ。

最初に「シャドーワーク」という言葉を世に送り出したのは、そのものずはり「シャドーワーク」(一條和生 徳岡晃一郎共著東洋経済新報社刊)という書物であるそうだ。

「熱」を帯びた仕事集団を作りたい

フォーマルな組織やプロジェクトではなく、それらに縛られないインフォーマルな集団の独自活動をシャドーワークと呼び、インフォーマルな活動ゆえ、それ自体には賃金などの報酬がないのが普通だが、参加者はそれを特に苦にしているようには見えない。

逆にひどく苦痛が伴うシャドーワークというものは有り得ないといっていいだろう。命令され、しぶしぶやらされる仕事をインフォーマルな集団の中で継続することはないからだ。

シャドーワークはある種の熱を帯びた集団の仕事であり、シャドーボクシング、シャドーキャビネットという言葉が意味するような「予行演習」的なものでもない。あくまで、現実の仕事と密接に結びついたものなのである。

隠れプロジェクトとの違い

シャドーワークと、隠れプロジェクト違い。シャドーワークはプロジェクト単位で起こることもあるが、それだけに限ったことではない。隠れプロジェクトはプロジェクトが終わるとメンバーは散り散りになることが多いが、シャドーワークは継続的に行われる。

ワークスタイル

シャドーワークはあくまで自然発生的に生まれなければならない。その自然発生をうながすのは何かといえば、やはり、シャドーワークに適した働き方、考え方をしている人物が鍵を握っていると言える。

年齢はそれほど関係はない、ベテランの人が意外とシャドーワークを自然とやっているケースもある。ただ経験が豊富であれば、シャドーワークが必ずできるということもない。

シャドーワークは、組織同士の差をつけるものであり、また、個人同士の差をつけるワークスタイルだともいえるのだ。

トイレの修理で思う

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

Photo2010_91 わが町の(片倉町一丁目町会)会館のトイレが水が止まらない。緊縮財政でまた、大きな出費になる修理代が心配。何とか直せないものかと、挑戦して見ることに・・・老人会長に相談し快く見ていただいた結果、小さなゴムパッキンが、永年使用で磨耗してしまったようだとの結論である。

そのパッキンは外形5ミリ×内径2ミリ程度のドーナッツ型だった。非情に小さいものだが、TOTO製のものでパソコンでその部品があるのか調べてが、分からない、ではホームセンターに問い合わせしただが全く分からない、仕方がない、専門業者に修理依頼しなければ・・・と諦めかけたが、昔からある金物屋さんに当たることにした。

一軒目、ケンもほろろ断られた。二軒目はそのサイズに近いものならあるという返事でそのお店に行くことにした。夫婦・息子さんの3人で、金物屋さんを営んでいるが、忙しそう。

70歳代の奥さんが商品棚から一袋のパッキンの入った袋を取り出し合わせたが内径は一致したが、外形は大きすぎて使えない。ダメか何とか思案したが、この小さなパッキン一個で直るのに・・・奥さんも事情を察したのか、私の真剣な対応で、その外形ををポンチで切る作業を始めた。

最初の一個は、内径と外形が異中心で失敗、二個目を取り出しやや異中心であったが、挟みで修正し何とか使えそう。帰って取り付けてみたがダメだ、諦めかけたが近所の知り合いの方に事情を話し、見ても貰ったら、ようやっと直った。嬉しかった。費用はたった、157円だった。

最近「シャドーワーク」という言葉があちらこちらで聞かれるようになった。「影の仕事」が注目され、それをマネジメントするための方法論が議論されているが・・・(これは別途考えたい)

超高齢化に一人暮らし、電球一個取り替えるにも業者を頼まないと出来ない、頼めば何千とかかってしまう。ちょっとした技量があれば安く簡単に修理できるものを何千円、何万円もはらってしまうことになる。それで業者は成り立っているところもあるが・・・?

今回のトイレの修理で感じたのだが専門業者に頼めば、業者は、おいしい仕事だと思う、しかし、素人が、模索しながら直すことが出来たのだら・・・それは、お金をかけないで直そうと言う執念であったように思う。お願いした、お店の奥さん、相談した二人の方も私の真剣さに対応していただが、私の熱意が通じたのだと思った。

2011年7月11日 (月)

天然ウナギに卵が公開

011  日本列島35度の真夏日の暑さとなったところは多い。東北地方も梅雨が明けたという。暑さで熱中症で病院に運ばれ人が多いので気象庁は梅雨明け10日間を気をつけてほしいと呼びかけた。特にお年よりは汗をかかないで、熱中症であるか分からないので、要注意だ。

暑いといえば、ウナギである。国産の天然ウナギは、食べることは難しいが、21日が土用の丑の日である。高級食べ物になってしまい、庶民の口には入らない。それでも中国産でもいいから食べるという人は多いと言う。

子供のころは、湯殿川に沢山ウナギがいたので、結構食べていた思い出がある。「下げ針」と言って夕方大きなミミズをを捕まえて針に刺し湯殿川の深みに、仕掛けて置き一晩で2匹ぐらい獲れた経験がある。

ところでそのころウナギの生態なんか気にも止めていなかったのだが、まさか卵は海で産んでいたとは、全く知らなかった。

その生態系を研究している東京大学などのグループが「世界初 ウナギの天然卵を公開」すると言うニュースがあった。

NHKニュースから・・・どこで産卵するかなど生態が謎に包まれているウナギについて、東京大学などの研究グループが、太平洋のマリアナ諸島付近で採取した天然の卵を公開しました。ウナギの天然の卵の実物が公開されるのは、世界で初めてだということです。

ウナギの卵を公開したのは、東京大学大気海洋研究所の塚本勝巳教授らの研究グループです。ウナギの卵は、生まれてからわずか1日半でふ化することから、ウナギがいつどこで産卵するかは長年、謎に包まれていました。

東京大学などで作る共同研究チームは、おととし、太平洋のマリアナ諸島西の海域で産卵して間もないニホンウナギの卵の採取に成功しましたが、このときは研究のため、卵を原型のまま残していませんでした。

10日公開された卵は、直径1.6ミリほどの大きさで、研究グループは、先月29日に前回と同じマリアナ諸島西の海域で150個近い卵を採取し、その一部を標本にしました。ウナギの天然の卵の実物が公開されるのは、世界で初めてだということです。ウナギの産卵は、水深が150メートルから180メートルの付近で、新月の2日から4日前の3日間の日没から午後11時までに行われることが推測されるということです。

東京大学の塚本勝巳教授は「稚魚の漁獲が減り、かば焼きが将来食べられなくなるおそれもあるので、ウナギの資源をどうすれば守れるのかを引き続き調査していきたい」と話しています。ウナギの卵の標本は、今月16日から東京大学の総合研究博物館で一般に公開されます。

ウナギの生態系の研究で日本産ウナギが人工的に養殖?出き、庶民の親しまれる食べ物として扱われるようになれば有難いことだが・・・。

混迷化する世をどう生きる

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

0107ukisima11 人として何をするべきか・・・?物、金、力が支配する物質文明の世の中で、心や精神は置き去りにされている。科学は万能で、この地球・宇宙までも支配しようとしているが、神の領域はあるのだ。人間にできないものは何一つないと多くの人が勘違いをしている。

それがいま、大きな歪みとなって人類を脅かしつつある。かつての日本人は自然によって人間が生かされていると考え、畏敬の念と感謝の思いを抱いてきた。だが現代人はそれが当たり前だと勘違いし、感謝の思いを忘れてしまっている。

日本人にとって、人類にとって、本当に大切なものは何なのか。本来の日本人像はどうであったのか。人間は賢い生き物だが、便利のはずが、原子力発電事故に見るように収束が難航し、人間同士の不信感が生まれてしまった。

愚かな生き物でもある。なぜならば…本当に大切なものを普段見失いがちだからだ。そしてその大切な存在を失うまで認識できずにいる。現代社会が便利になった分、この大事なものがもっと見えなくなったと感じる。

人は空気と水がなければ、生きていけない。これは誰の目にも明らかだ。しかし人間は自らが生み出した科学が支えるこの社会を発展させるという大義の下に、空気と水を汚す。この行為が後々人類に災いをもたらすのは明白であるのに・・・。

またこの人類は空気や水といった物質的に大切なものだけではなく、精神的に大切なものを一層見失いがちである。この眼に見えない大切なものは例えば、両親が大切である事であったり、子供が大切であるという事であったりである。
 
その大切なものの存在があまりにも当たり前すぎて、失うその時まで大切だと心から感じ、行動にあらわす事ができなくなってしまっている。もちろん大切なものを認識できるかどうか?

つまり心を造るのは天が司る環境であるがゆえに、この責任は具体的に誰に問えるというものでもない。が、結果、親が実の子供を殺し、子供が実の親を殺す事件が頻発する世の中になってしまった。

本当に大切なものの存在に、それを失う間際まで気づかない。または失って初めて気づく。いや、失ってさえも気づけない人もいる。このように考えると、人間は自然の中に生かされている。だから自然の恵みの有り難さ、感謝することで人と人の信頼関係が生まれ平和に暮らしていけるのだと思う。

2011年7月10日 (日)

政治家と政治屋

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

07kitayamazaki31_2 世間には「政治家」と「政治屋」がいる。「政治家」と「政治屋」はどこが違うのか・・・ 

政治家の使命とは、国家、国民、民族の安寧と平和を保つということだ。そして、歴史、伝統、文化にしっかりと立脚していることが大事である。日本という国の歴史、伝統、文化をしっかりと認識し、感じ取り、これに立脚してビジョンを示し、政策を創り出していかなければならないと思う。

政治家の使命を果たすうえで、気概がなければならない。哲学を持って、己の信念を貫かなければならない。それが政治家の第一条件である。

物質より心、精神性を大切にするというのは、政治家にとって決して欠かせない重要な資質である。ことに現代人は、どうしても心よりモノに偏重してしまいやすい。政治家はそうであってはならない。そして次の時代のビジョンを持っていること。これが政治家として、きわめて重要な点である。

方や、「政治屋」は、大衆迎合衆の利益が政治に反映されるべきという政治的立場を指すつまり、ポピュリズムである。政治家にとって本来もっとも大切な、国家、民族、文化と伝統を守ることや、国民の安全平和よりも、今を優先す考え方で、目の前の出来事に流され、モノに流され、政治家本来の大きな使命を忘れてしまっている。

その考えは、短期的には人気が上がるが、長期的にはそれが国家の運命を大きく狂わす場合がある。今、日本の国会議員や地方の議員では、政治家は少ない。政治屋が多いように思えてならない。。それが、国民が政治に不信感を持っている一因である。

政治家は信念を貫く気概・絶対的なものに謙虚・モノより心で精神性を重視・そして時代を先取りする先見性、ビジョンがあることだ。

最近の国会の動きを見て、付和雷同型というべきかその場その場を凌ぎ、将来のビジョンを持ち、貫く意思のある根性のある人が少ないように思えてならない。

我が家の鉢植えのトマトが・・・

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

429pxtomatoesonthebush1 我が家で鉢植えのトマトが今年はじめて収穫できた。みずみずしいトマトた。あまりにも美味しそうなので冷やし、早速ひとかぶり、旬の味がいっぱい口にひろがった。

トマトはスーパーに一年中店頭に並んでいる。それは、ハウス物で人の手で温度・水・肥料などで育成したものである。農作物には旬があり自然の環境に育った食べ物が一番美味しい。

トマトは年中店頭にあり、夏の野菜と言えなくなってきたのか、トマトの正確な旬を子供達は知らない。トマトのみならず様々な果物や野菜はいつが旬なのか、わからなくなってきた。

旬に味わうからこそ,それぞれの本来の持ち味がよくわかる。野菜、果物、どんなものでもそれ自身の味、本来もって生まれた味があるはずです、それは人間の思量分別を越えたものである。

魚も切り身や加工されたものが、肉も、それぞれパッケイジされたものがスーパーの冷蔵ケースに並んでいる。若い人は好んでこれらのものを買い求める、時にはお総菜として調理されたものを調法する、自分で魚を包丁でさばいたり、肉を料理の用途に応じて量り売りしてもらうことを、若い人は敬遠する。

魚の目が怖いと思う人は調理ペーパーで覆えばよい、自分で鱗や腑をとり、さばくことが料理の基本であるはずである。

モンゴルの人は羊の血の一滴も大地に落とすことなく解体する。ドイツ人は豚の血の一滴をも無駄にせずソーセージをつくるという。いずれも親が子供によく教え込むから、あたりまえのこととして、食べ物の命を大切にすることを実体験で学び、子供は成長する。

人間は他の命を食して生きている、食物は命であり、それぞれの食材の持ち味を尊び、食材の命を尊ぶべきである。食物の命を尊ぶ心を育てることが、家庭や学校での子育において大切なのだと、もっともっと声高に叫ばれなければいけないと思う。

2011年7月 9日 (土)

常識と非常識

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

07_sl_kurosawa21 最近、菅直人首相の執権の有り方とか、東日本大震災に伴う復興、原子力発電の賛否問題、また玄海原発の再開のやらせメールなど、考え方で常識、非常識で問題となっている。

「常識・非常識」について考えてみたい。世の中は常に動いている。人の心も昨日と今日でも違う、未来に託した夢(スペースシャトルが30年間の使用を昨日最後の打ち上げに成功した)を次から次へと乗り越えて行くように、人間の価値観も時代と共に変り、それに同調できない人が非常識と言われることになるのだと思う。

辞書では・・・常識は、社会の構成員が有していて当たり前のものとしている価値観、知識、判断力のこと。そして、対義語は非常識・・・その社会に適した常識を欠いている場合、社会生活上に支障をきたすことも多い。

身近なことでは、結婚観、人生観、地域のコミニティー観、いわゆる生活の全てで、例えば夕方暗くなったら寝て、明るくなったら起きる原始の生活から、一日中起きているような時代ではコンビにも必要で、それが常識?

ただし、国や地域社会には自分が今まで暮らしてきて得た常識は、通用しないで相手から非常識と言われることになりかねないから、気をつけないとその社会に馴染めない。これは文化摩擦などとして表面化することもある。恐ろしい結果になる。

玄海原発のやらせメールは大きなショックである。これは過去にもそういう事があって地域限定で常識化していたという人もいるそうだ。だから問題はなかった?しかし福島第一原子力発電事故で放射能問題が、国内はもとより世界規模までになった今急浮上してきたのだ。

その事をわきまえて対応をしなかった九州電力会社の対応が非常識と言わざるを得ない処置となってしまった。時代の波に乗った船のように波に逆らず、同じように歴史の波に同調して生きることが常識人である事だと思う。

故郷の自然を残そう、取り戻そう

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

10shiretoko5go_1ko11 ♪ウサギ追いしあの山、小鮒釣りしかの川♪の詩にある「ふるさと」の風景が懐かしい。

土着者(生まれも育ちも同じ土地)には、激しく変る環境(人と文化・景観等)はわずか半世紀で大きく変ってしまった。

私が生まれ、育った故郷の藤谷戸山が宅地造成され、田畑が潰され住宅地ができて、昔の面影(鎌倉街道・・・シルク道路)や多摩丘陵のハイキングコース(御殿峠~高幡不動)も無くなってしまった。そして兵衛川・湯殿川が魚や昆虫のの棲める川ではなく、両側はコンクリートで川には入れない。

40~50年前の湯殿川には沢山の生き物が棲んでいた。川は蛇行し、深かったり、浅かったり流れが緩やかだったり、急流だたり、変化があって、人々は川や山と共に生活があった。

田んぼがあって里山があって、畑があって、ほとんど自給自足の生活の暮らしがあった。それが生活の質の向上の掛け声で、アッという間に自然が破壊され人々の暮らしが大きく変った。

私はもう開発はいいのではないかと思う一人である。いま原子力の放射能の問題で大きく取りだたされているが、「人間は自然に生かされている」ことを忘れ、人間の煩悩で好き勝手は行動し、気がついたら、取り返しのつかないことになってしまった。

それならばと言うことで、一部の人が昔の生き物を戻そうと運動しているが、ロケットに乗った気持ちの人間共の前に進むだけの考えの人が多くて立ち止まって考えることをしない。

「本当の幸せ」とは何かを考えて欲しい。一人で幸せなんて掴むことは出来ないのだから地域の人、日本・世界が同じように自然の中に生きていられる「幸せ・喜び」をもう一度考えなおしてみて頂きたい。

最近、物余りの時代・使い捨ての時代と言われているが限りある資源である。リサイクルなどをし、物を大事に最後まで使いきることを考えなきゃいけない。そして故郷の自然を残そうよ!取り戻そうよ!

2011年7月 8日 (金)

地域社会リーダーの後継者選び・・・

06oga_toga11 時代のスピードが速くなっている今、早い段階で良い後継者の選び、育てることが大事になってくるだろう。ある程度長くするのは仕方がないが、きちんとした理念を打ち出して潔く身を引くことも大事だ。

しかし、町のボランティアは、関心が年々薄くなっているように感じられる。まして新しく引越しされてきた人たちや、マンション・アパートの方達は町会の存在すら、煩わしく感じている人が多い。

そんな風潮の世の中では、どうしても後継者探しが難しいことは何処の自冶会・町会でも同じ悩みだと思う。災害時は何時やってくるかわからない。日ごろから近所のお付き合いがないということで、助けられる命を助けられないということは、東日本大震災でもあったことだろう。

80歳過ぎた、高齢の町会長・自冶会長では、責任のある適切な指示が出来ない。若い体力的にも、判断力も落ちていない人が地区の代表でなければならない。

「今がいいから余計な仕事はしたくない」と言うのが本音であろう。しかし、一人では生きて行けない。お互いに助け合って生きられるのであって、ひとり一役で、何らかの組織に入って、近所の方の顔を覚えておくことはとても大事なことだと思う。「遠い親戚より近くの他人」と言うことを肝に銘じて置くことが大切である。

大きな組織であればあるほど後継者探しが難しい、後継者の手腕で組織は良くも悪くもなる。今の役に長いこといても良いことはない。組織の中にイエスマンを生むだけだ。

「自分達の町は自分達で守る」ということを常日頃からPRしなければいけない。その方法も一工夫が必要?時代は変り、価値観が多様化してきている。そんな中で地域の連帯意識を維持し更に高めていくことが大事である。ましてや後継者探し・選びは尚更だ。

自分の価値観と融合

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

108genbikei21 人間にはそれぞれ価値観がある。
それは今まで生きてきた中で、様々な体験や経験を通じて学んだものがある。そして、時にはそれが先生であったり親であったり、上司であったりと、それぞれの判断基準で正しいと思ったことを信じて人は歩んでいく。

人は、時代の変化、環境の変化で自分を変えていくことが求められる。世の中の流は変化に富んでいる。世界も時も流転するし循環している。

そして、その時に重要なのがその時の判断基準が柔軟かどうか。つまり素直に受け止めるかが鍵を握る。そして逆に、自分の考えが正しいと決め付け相手や周囲に反発し自分を変えない人は、価値観に対して頑固ということになる。

そしてそれをやり続けるために、性根も一緒に曲がり、判断も湾曲屈折し、何をやってもうまくいかない。なので、ひねくれたり、意地っ張りだったりを貫き通し、そしていつまでも同じ環境を求めて、同じ場所を探し続けて転がり続けることにもなる。

もちろん、それが良い悪いではなく、本人の価値観なのだから自分がそれを深く理解し、それにあったものが幸せだと気づくのであればその道を探し求めていけば最後には自分の価値観に合うところに出逢い、幸福をつかむのだとも思う。

しかし、人間は社会の中で様々な環境や時代の変化に対して自分を進化成長させていかなければ大きく変化する世の中でみんなと一緒に支え合い共生していくことはかなり難しい。

世の中を将来も含めて、安定的な社会生活を送ることが大事になってくる。そのために一般世論の合意が必要で、そこに法律が出来る。いわゆる立法・司法・行政に考えの統一しその時代にあった法立を作って、自冶を収めていく。

世界はグローバル化してきいるが、人の価値判断が違うように、その国々によって価値観は違う。それぞれの国はお互いに価値観を認め合う心が大切な時代になったとも言える。

しかし、その中でも一定の価値観を共有しなければならないのは当然である。環境問題然り、人口問題・食料問題・生物保護問題など沢山必要となった時代である。

地球上に生きている68億人の一人ひとりの命の大切さの価値観が同じであることが条件である。そして、幸せになる権利を認めることが前提で、ルールを作ってそのは範囲で共存を考えることが今求められている時代だと思う。自分の価値観と他人と融合しようとする心を醸成していくこと大切だと思う。

2011年7月 7日 (木)

相手の立場になって考える

05sikotuko31 参議院予算委員会の集中審議を、NHKのラジオで聞いていて感じたことは、菅総理の個人的な問題に終始していて、肝心の法案など無視された質疑である。いわゆる震災3法案」、(①第2次補正予算案②再生可能エネルギー法、③特例公債法案)の審議は力が入っていない。

相手を攻撃するような事が多くて、ギスギスした、いやな参議院予算審議であった。一刻も猶予できない被災者の立場を理解していない。個人的に追求する場は他にあるだろうと思うが・・・

しかし、国会議員に限らず、私たちの身辺を眺めても、自分は悪くないが、相手が悪いのだというぐち話ばかりで、何だかやるせない気持ちになる。考えてみると、こういう考え方は、相手を自分の思うようにしたいという勝手な考え方で、結局は自分が腹を立てるばかりで、自分の救いにはならない。

相手の立場に立って考えること、それが真実、誠ということが分かる。自分が苦悩していると同じように、相手も苦悩している。自分が精いっぱい善意を持って仕事をしていると同じように、相手もまたそうしている。

そう考えるとき、自分の考え方の勝手なことにも気付き、必ずしも相手のみが悪いとは思われぬのではないだろうか・・・そこに、初めて互いに心の通い合う世界が開けてくるのであり、そこにこそ、自他共に悩み、自他共に世界が開かれるのではなかろうか・・・。

被災者の中には、世をはかなんで自殺者まで出ている。もう待てない、速やかに審議を進めてほしい。今回の審議は与党も野党も、被災者の救済と復旧・復旧で目的は同じだ。手法が違いはお互いに譲歩しながらまとめることは出来るはずである。

原発再開で追試で戸惑う

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

Katidoki181 私は、原発の運転再開は、EUの地震や津波などの自然災害から、テロによる航空機衝突までを想定する厳しいものをクリヤーした上は勿論であるが“賛成”である。有限である化石燃料・地球温暖化・自然エネルギー移行は早急にはいかない、などの理由がある。

それにしても、海江田産業経済相の住民への説明は事前斑目原子力委員長・菅首相に知らなかった。政府内の意思疎通は極めてずさんであると言わざるを得ない。

朝日・読売社説内容から・・・
原発が安全かどうかを判定するには、福島第一原発の経験を踏まえた検証が大事だ。最初から、合格させるための手続きであってはならない。電力不足による社会の混乱を防ぐために、安全とみなせる原発を当面再稼働することが必要になってくる。そのために、住民からも、日本の対応に注目している国際社会からも信頼されるテストにする必要がある。

安全性に合格点をつけた政府が突然、“追試”を課すと言い出したことに、知事と地元町長が強い不信感を表明したのは当然だ。築かれつつあった地元との信頼関係は、大きく傷ついた。他の原発に広がりかけていた再稼働の機運に水を差し、電力不足が全国的に長期化することも懸念される。

菅首相と原子力安全委員会の班目春樹委員長がともに、経産相の「安全宣言」の内容を事前に知らなかった事実も判明した。政府内の意思疎通は極めてずさんである。原子力政策の司令塔が一体どこにあるのかも不明確だ。政府はしっかり連携し、原発の安全確保を急がなければならない。

NHKのweb記事より・・・九州電力玄海原子力発電所の運転再開を巡って、佐賀県の古川知事は7日、枝野官房長官と会談し、政府が急きょ、「ストレステスト」と呼ばれる追加的な安全確認の実施を決めたことについて、地元の自治体に困惑が広がっていることを伝え、菅内閣の真意を確認したいととの意向である。

定期検査で止まっている玄海原発の2号機と3号機を巡っては、海江田経済産業大臣が先週、佐賀県を訪れ、古川知事らに「安全対策はしっかりとられている」と説明し、運転再開を認めるよう要請した。

しかし、菅総理大臣が、原発の運転再開や運転継続を判断するための新たな基準を作成するよう指示し、海江田大臣は6日、「ストレステスト」と呼ばれる追加的な安全確認を全国で実施することを発表した。

こうしたなかで、佐賀県の古川知事は7日、玄海原発の運転再開を巡って総理大臣官邸で枝野官房長官と会談することにしている。この中で古川知事は、「ストレステスト」について、安全性の観点から評価できるものの、海江田大臣が、運転再開を認めるよう要請した直後に、急きょ発表されたことから、地元の自治体で困惑が広がっていることを伝え、菅内閣の真意を確認したいとのことである。

これに対し、枝野官房長官は、住民の安心をさらに高めるために、「ストレステスト」を行うことを説明し、理解を求めることにしている。

政府は、「ストレステスト」の内容や実施期間などについて詰めの作業を急ぐことにしていますが、全国で停止中の原発の運転再開がズレ込むことが予想されるほか、場合によっては、稼働中の原発にも影響を与えるのではないかという見方も出ている。

2011年7月 6日 (水)

カミキリムシに会えた

Image1 昨日朝、今では珍しいカミキリムシを我が家の庭で見つけた。どうすることも出来ず、そのまま放してあげた。そして、湯殿川に低音で「グオーグオー」とガマの鳴き声を聞いた。何年前にいた昆虫が開発に伴いスッカリいなくなってしまった。

カワニナがいないので、蛍は当然いない。田んぼがなくなったのでドジョウ・フナ・タニシがいなくなった。

人が、昆虫などの生き物が棲んでいる場所の環境を変えてしまうと、そこに棲んでいる生き物は、餌がなくなったり、すみかがなくなって、数が減ることがある。それがもっとひどくなると、1匹のこらずいなくなってしまう。

昆虫には、害虫を食べてしまう天敵となるものや、植物の花粉を運んで、植物が種をつけるのに役だったり、鳥やカエルなどの餌となって、いろいろな生き物が生きていくのに役立っている場合もある。

また、ホタルやトンボ、セミなどのように昆虫のなかには、人が詩や俳句・短歌などを作るときに登場するものもあり、それらの昆虫は人に親しまれている。

さらに、昆虫の種類によっては、日本にしか棲んでいなくて、日本からいなくなると、地球上からその種類がいなくなってしまう貴重なものもいる。絶滅が心配されている昆虫の種類は、環境省の発表するレッド・リストに載っている。

人が、生き物を絶滅させずに、他の生き物とともに生きていくということは、環境を守ることにもなる。

このように、絶滅しそうな生き物、少なくなった生き物、身近な生き物を守っていくことは、人のためにもなり、人を含めた生き物の生きやすい環境を守ることにもなるので、大切なことである。

草とのバトル・・・

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

Nttekatakura011
草を刈る 顔から腕が 黒々と

国道16号住吉橋の西、(近くにNTT電話交換局がある)湯殿川の河川管理通路の約250メーター幅1メーターの場所にコスモスを植えているが、雑草が伸びてコスモスは、雑草の中では、思うように成長しない。

そこで雑草取りであるが、雨の多い今の時期は雑草の伸びるのが早い。1週間もそのままにすると、アッという間に大きくなってしまう。

そこで毎日草刈・草むしりで、雑草とバトルを繰り返している。午前中作業を終えて、シャワー浴び、午後も行う日が続いた。真っ黒になった顔・両腕である。

結構楽しんで作業をしているつもりであるが、慣れない作業で腰・肩・手首が少々痛い。しかし、作業していて、「ご苦労さん秋にコスモスの花がたのしみ・・・」と声をかけてくれる人がいる。古希は当に過ぎて、体力的にこんこと何時まで続けられるか分からないが・・・まだまだ草とのバトルは続くが頑張るつもりである。

Nttekatakura851_2                   交通安全の碑もある

2011年7月 5日 (火)

脆い卵と巨大な壁

24351 人間の真意を読み取る事の難しさ、松本龍復興大臣は就任9日目で、発言で辞任せざるを得ない状況に追い込まれてしまった。・・・自業自得?・・・最初からやる気がなかった?だったら最初から引き受けるなと!・・・時間とお金の無駄・・・だ。
.
衆議院議員7期、というベテラン復興大臣の発言は、常識的には考えられないない。国会議員という前に人間的にはどうだったのか・・・信頼で成り立っていると言うことは、重々承知しているはずであるが・・・頭をひねりたくなる。
.
「村上春樹雑文集と脆い卵と巨大な壁」を思い出した・・・
「もしここに硬い大きな壁があり、そこにぶつかって割れる卵があったとしたら、私は常に卵の側に立ちます。そう、どれほど壁が正しく、卵が間違っていたとしても、それでもなお私は卵の側に立ちます。正しい正しくないは、ほかの誰かが決定することです。あるいは時間や歴史が決定することです。
.
国家は本来人々を護るためにあります。会社は社員や株主の利益のために存在します。学校は子どものために存在します。家族は構成員を幸せにするために存在しています。
.
でも時に、あるいは驚くべきほど多くの時に、国家を護るために人々を犠牲にし、会社の利益のためにすべてを犠牲にし、学校の評判のために子どもを押しつぶし、家族の体面のために構成員を抑えつけます。
.
それは悪意や権力欲や金銭欲から生じることもあります。それはそれで分からないでもない。僕にも欲はあるから。でも僕が呆れたり怒りがこみ上げてくるのは、それが効率やシステマティックさのために生じることが多いからです。
.
松本復興大臣は、5日朝、総理大臣官邸を訪れ、菅総理大臣に対し辞表を提出し、受理された。記者会見した松本大臣は「被災者の皆さんにいちばん寄り添っているつもりだったが、ことばが足りなかったり荒かったりして、被災者の皆さんの心を痛めたことをおわび申し上げたい。一連の発言は不適切だったと思う」と述べ、みずからの発言について改めて陳謝した。
.
そのうえで松本大臣は「私は被災された皆さんから離れない。これからは松本龍、一兵卒として復興に努力したい」と述べた。
.
国会議員・大臣の品格が問われて当然だ。

松本復興相の発言

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

1231 天皇陛下が、被災地をご訪問されて、被災された方々と同じ目線で両手で握手されていた光景を思い出す・・・信頼しあう心は同じ目線で、優しく話すことにある。

人の言葉で、その人の心が分かる。いわば心の鏡でもある。後から発言取り消しても、聞く人は信頼できない。松本復興相の発言の真意はなんだたのだろうか・・・

「知恵を出したところは助けるが、知恵を出さないやつは助けない」・ 「県でコンセンサスをとれよ。そうしないと、我々は何もしないぞ」。 これは考えられない・・・暴言では済まされない。

上から目線でものを言う昔の お奉行?悪徳代官?ごとき発言である。水に溺れている人に手をさし伸ばして、助けようとしている人とは思えない。この上から目線は何なのだ。政府と自治体は「上下・主従」でなく「対等・協力」の関係であることを知らない?

後から県庁の応接室に入ってきた知事に「お客さんが来る時は、自分が入ってから呼べ」と言ったばかりか、取材する報道陣にも「今の言葉はオフレコです。書いたら、その社は終わりだ」と続けた。 復興相専任になったばかりの気負いもあったのかもしれない。

そもそも松本氏は「客」ではない。被災者とともに汗をかく役割を担っている。それに松本氏に、知事の後ろにいる被災者の姿が見えていれば、あんな言い方はできっこない。

確かに地域再生には地方の主体的な創意工夫が不可欠であり、多くの自治体は被災のハンディを抱えつつ懸命に議論を進めている。

地方に自助努力を促す言いぶりは国の支援がまるで恩典で、地方の要望は「甘え」と言わんばかりの印象だ。本人は叱咤激励のつもりかもしれないが復旧すらままならぬ多くの自治体にとって、感情を逆なでする恫喝の何ものでもない。

むしろ叱責されるべきは、国の覚悟不足と対応の遅れだろう。政府の復興構想会議が提言した住民の高台移住について記者団から問われた松本氏は財源対策について慎重な言い回しだった。地方に「知恵」を強いながら、自分は汗をかかないのか。

こんな人物が復旧・復興の司令塔として適任なのか。とても心配だ。野党は一斉に批判しており、またぞろ菅直人首相の任命責任も問われれるのは当然だ。

2011年7月 4日 (月)

男の老後が大変なことになる

15401 毎日新聞世論調査で、支持政党なし層では63%に及んだ。そして、原発再開反対51% 賛成37%であった。呆れるほどの国会審議、国の最高機関である国会が東日本大震災で、溺れている多くの人たちを無視して、話し合いすら出来ない状態が続いている。

これほどまでに政治に信頼が薄れてしまっては、いやはや三流国になり下がってしまったと言われても仕方ない。これでは、税金泥棒・私利私欲・烏合の衆状態で情けない。私はこれほどもまで危機感のない政治はないと思う。誰か日本を救ってくれるカリスマ性のある人がいないのかなぁー。

今日の毎日新聞の社説で、菅政権の危機感の足りなさを指摘しているが、将にその通りだと思う。勿論自民党にも、大人の政治をしてもらいたいが・・・。

菅内閣は本当に危機感が足りないと思う。税と社会保障の一体改革をまとめはしたが内容はぼかし、閣議決定も見送った。厳しい現実から逃げてばかりの政権に社会保障改革などできるのだろうか。医療や福祉の亀裂は足元に広がっている。特に男は大変なことになることを政府・与党の幹部はもっと知るべきだ。

「男性患者は退院させたくてもどこも引き受けてくれない」。認知症治療に携わっている堺市の病院の医師は厚生労働省の検討会で語った。認知症で入院治療をしても妄想や徘徊(はいかい)などの「問題行動」が改善されれば地域で暮らしていける。ところが退院できずにずっと社会的入院を余儀なくされている人がいる。同病院が原因を分析したところ、退院できる人とできない人の医学的な有意差は見られず、退院できない主な理由は「年金額が少ないこと」と「男性」だった。

病院から自宅に退院させようとしても男性患者の場合、家族らが反対して引き受けてくれず、特養ホームなどの施設を当たっても「うちは男性枠はいっぱいなので」と断られるという。日常生活ができない、家族やケアスタッフ、ほかの入所者らと良好な人間関係が保てないことなどが原因らしい。

一方、失業者や低所得者の生活支援をしている埼玉県内の福祉職員は「最近は独居で仕事も金もない50代男性ばかりが目立つようになった」と言う。正規雇用から締め出された若年層が非正規雇用になだれ込み、もともと非正規だった中高年男性が締め出されて仕事を失い、アパートなどに引きこもっている。生活保護を申請しても50代だと仕事を見つけるよう勧められ、なかなか認められないという。

税と社会保障の一体改革は、年金財政の立て直しや増え続ける医療費などのために消費増税が焦点となっている印象が強いが、子育てや若年者雇用などを含めた「全世代型」に社会保障を抜本改革することがねらいだ。その中でも現時点で200万人を超える認知症の人の生活支援、中高年層の貧困などは切実だ。「互助」「共助」の福祉を担ってきた家族や地域社会の機能が低下している中、行き場を失った人々の問題は社会に暗い影を落としている。特にこれまでは福祉の対象としてあまり着目されなかった「男性」が深刻な状況にあるのだ。

蓮舫氏が退任し菅内閣は全員が男になったが、男の老後について現内閣はまるで現状認識が足りない。さらに、消費税を10%へ引き上げる程度ではこの国の超高齢化は乗り越えられないということも強く指摘しておきたい。

地球温暖化は・・・どうした

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

07_sl_kurosawa21 民主党の鳩山由紀夫前首相の地球温暖化問題で日本は25パーセント削減するは・・・自身のグループ「政権公約を実現する会」(約50人)の会長に 復帰することが29日、分かった。平成21年の首相就任を機に顧問に退いていた。30日の会合で 正式決定する予定。現会長の大畠章宏国土交通相は「公務多忙」を理由に顧問に退くという。

東日本大震災で地球温暖化問題は影に隠れてしまっているようだが、公約は守れるでしょうか、何しろ原子力発電が、フル稼働できるかどうか分からない。その代替として火力発電に比重は増えるだろう。そうすることで、ますます世界に公約したハードルは高くなる。世界に発信してしまった公約はそう簡単に両手を下げることも上げる事も出来ない複雑な世の中になってきそうだ。

そんなことを思っていたが、地球の温暖化は確実なペースで上昇している。今日の毎日新聞で「100年間6.5度でペースで上昇し続けているそうだ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110703-00000012-mai-soci

東京(6.9度)と同じ傾向にあることから、同庁は「温暖化に加え、都市化の影響が顕著に表れている」とみている。北海道内8市と全国の主要都市などの1931~2010年(稚内は1938年から)の気温傾向を基に、100年の上昇幅を試算した。その結果、札幌は年平均気温が2.7度、冬(1月)の最低気温は6.5度上昇していた。

年平均は東京(3.3度)、名古屋(2.9度)、大阪(同)と近く、冬の最低気温の上昇率は名古屋(4.3度)や大阪(3.6度)よりも高かった。帯広や旭川も、札幌よりも小幅ながら似た傾向だった。

札幌管区気象台によると、札幌などの冬の気温が上がった理由は、建築物が多いため放射冷却が妨げられたり、地表付近の風通しが悪いことなどが考えられるという。

一方、夏(8月)の平均気温は、道内はほとんど変化がなかった。また、札幌市を含む石狩地方では夏の晴れた日に、都市化による気温上昇「ヒートアイランド現象」が確認された。札幌市中心部では緑地の減少や建築物の増加などで、2~3度も上昇しているという。

2011年7月 3日 (日)

自民党も大人になって・・・

08yokotesigai_yuukei21 菅直人首相のもとでは、議論に応じない?一体何にをそんなにヘソ曲げているのだろう、子供の喧嘩ではあるまいし・・・変な理屈をつけて・・・と思うのは私一人ではなかろう。

長期政権与党だった自民党の考えは大人らしさが全く感じられない。石原自民党幹事長は菅首相の人間性を問い正しているのみで、被災者の心を無視と言わざるを得ない。

大同小異と言うことではない、「自民党でないと被災者救済は出来ない。」と言いたげである。解散総選挙なんてやっている間がない事は自民党内の方達はわかっているはずだ。

ならば、ここは大人になって民主党との話し合いを本格的に行うべきだ。

今朝の西日本新聞の社説でも・・・「自民党 政権経験示す好機なのに」・・・
この政党はいま、一体どっちを向いて政治をしているのだろう。被災地や被災者のことは二の次で、政権を支える立場の民主党内で続く「ごたごた劇」を楽しんでいるのではないか。そう疑いたくなるような、延長国会での自民党の動きである。

震災直後に政権と交わした「政治休戦」の約束は、どこへ行ったのか。被災地復旧と被災者生活支援に、4兆円規模の第1次補正予算を5月の連休返上で成立させたころまでは、政治休戦はいい方向に機能していた。

それがいま文字通り「お休み中」なのである。延長国会に入った途端に法案審議は止まり、開店休業の状態が続く。8月末までという期間の長短はともかく、国会を延長したのは、被災地復興と被災者生活再建に、立法府として早急に「やるべき仕事」が山積しているからにほかならない。

なのに、そのために必要な法案審議をしないというのでは、被災地でなくても「何のための国会延長か」と言いたくなる。空転という名のサボタージュは、国民に対する裏切りでしかない。

眼前に苦しむ人々がいるのに、助けようとしないのと同じである。国会空転の大きな原因が、自民党が言うように、菅直人首相の震災対応のぶれや指導力の足りなさ、誠実さが見えない政治姿勢、思慮と配慮を欠く言動にあることは私たちも否定しない。

とりわけ、会期延長決定後の首相の開き直りともとれる言動が、国会運営に必要な政権与党と野党の信頼関係を失わせてしまった、と言っていい。

退陣表明をしながら、その後も何かと条件を持ち出す首相の政権運営を「姑息(こそく)な延命策」と言い切る自民党の疑心は理解できる。「菅首相の存在そのものが復興の阻害要因」として、早期退陣を求める元首相らの気持ちも分かる。

だからといって、退陣時期の明示を迫って民主党内の混乱と分断をあおり、審議に応じないというのでは、長く政権を担ってきた政党として大人げない。

非常時である。ここは冷静になって、率先して各党に国会正常化を呼びかけ、前政権党としての経験と能力を生かして眼前の危機対応と懸案処理にリーダーシップを発揮するときだろう。

そのためには、自らが震災復興や原発事故が提起したエネルギー政策の在り方をどう考えているのか、国民に明確に示す必要がある。民主党内の「菅降ろし」を後方支援して喜んでいるようでは、何のために存在しているのか分からない。

国会の責任の半分を担う野党第1党である。「ねじれ国会」の下では責任はより大きくなる。その真価が問われるいまこそ、責任野党としての度量と配慮を示すことが、政権奪還の近道であることに自民党は気づくべきだ。このままでは「人災」の共犯である。

「てんでんこ」から防災訓練の必要性を学ぶ

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

10kouchi_katurahama11 「てんでんこ」とは・・・バラバラという意味で、「てんでんばらばら」一定の決まりなく思いのままと解釈する

「津波てんでんこ」という言葉があるが、東北は、三陸地方で言い伝えられている言葉である。津波の際には親や兄弟にも構わずにとにかく逃げろ、そうすることで一家全滅を逃れることができる、という意味合いを持つ。そうでもしないと逃げ切れないという。

津波から避難することの難しさを示している。他に「自分の命は、自分の責任で守れ」も含意しているとされる。

東日本大震災で1200人を超す死者と行方不明者を出した岩手県釜石市では、3千人近い小中学生のほとんどが無事に避難した。

背景には、古くから津波に苦しめられてきた三陸地方の言い伝え「津波てんでんこ」(自分の責任で早く高台に逃げろの意味)に基づいた防災教育がある。

『防災の教え「津波てんでんこ」小中学生562人の命を守る』より・・・http://chitekizaisan.blog28.fc2.com/blog-entry-2582.html

釜石市北部の大槌湾を望む釜石東中学校(生徒数222人)は、同湾に流れ出る鵜住居(うのすまい)川から数十メートルしか離れていない。11日午後の地震発生時は、各教室で下校前のホームルームが行われていた。立っていられないほどの横揺れが生徒たちを襲った。

校庭に出た生徒たちは教師の指示を待たず、高台に向かって走りだした。途中、同校に隣接した鵜住居小学校(児童数361人)の児童も合流。小学生の手を引く中学生の姿も目立ったという。

子供たちは普段の防災訓練で使っている高台に集まろうとしたが、だれかが「まだ危ない」と言いだし、さらに高い場所にある老人施設まで移動。学校から1キロも走っていた。

教師たちが点呼を取ったところ、登校していた両校の児童生徒計562人全員の無事が確認できた。その5分後、両校の校舎は津波にのみ込まれた。

津波は地震発生後、いつ来るか分からない。教師の指示が遅れると、逃げ遅れることになる。釜石市内の小中学校は指示されなくても「とにかく早く、自分の判断でできるだけ高いところ」に逃げるよう指導してきた。

釜石市は昭和三陸地震(1933年=昭和8年)やチリ地震(60年)などの津波で大きな被害を受けた。市内の各小中学校は津波を経験した高齢者の講演会などを開いたり、当時の映像を見せたりして津波の恐ろしさを教えてきた。釜石東中の場合、平均して週1時間を防災教育に充て、年3回避難訓練を行っている。

市教委などによると、今回の震災で、釜石市内の小中学生2923人のうち、死者と行方不明者は5人。ほとんどが学校を休んでいた子供で、学校からの避難がほぼうまくいったことを裏付ける。

一方、釜石港沖には2009年、マグニチュード(M)8・5の地震を想定し、高さ約6メートル、全長約1・6キロの防波堤が建設された。耐震性を増すなど最新の技術が駆使されたが、10メートル以上とされる今回の津波であっけなく破壊された。

船や家を失い、避難所に身を寄せる漁業者からは「防波堤があるから、(津波対策は)万全だと思っていた」との声が多く聞かれた。釜石市の幹部は「津波対策は防波堤の建設などのハード面と、津波の恐ろしさを啓発するなどのソフト面があるが、今回の震災でソフト面の大切さを痛感した」と話している。

このことから普段からの防災意識の高揚と防災訓練の大事さを認識した。

2011年7月 2日 (土)

ドナルド・キーンさんから学ぶもの・・・

07akitakoma_sumire11 70年近くにわたり日本文学を幅広く研究し、世界に広めた功労者、アメリカ・コロンビア大学名誉教授のドナルド・キーンさんが、東日本大震災後、日本国籍を取得し日本に永住することを表明した。

きっかけは、大震災による大きな打撃に苦しむ日本人と共に生きることで、これまでの日本への感謝を心から示したいのだと言う。その決意に、多くの日本人が勇気づけられた。

18歳で「源氏物語」と出会い、その後、谷崎潤一郎や川端康成、三島由紀夫といった名だたる文豪とも親交を結び、日本文学に情熱を注ぎ続けたキーンさん。

親日家で日本人以上に日本人の心が分かっている人だと思う。キーんさんから学ぶものは沢山あると思った。

ドナルド・キーンさんにフリージャーナリスト肥田美佐子氏がインタビューした記事がある・・・。http://jp.wsj.com/Life-Style/node_235777   

教授は、日本という「女性」と結婚したようなものだと発言・・・。

日本にいると、いちばん落ち着く。アメリカでは、物を買っても、ありがとうとも言われない。日本のお医者さんの丁寧なことといったら。人間と動物のいちばんの違いは「礼儀」である。わたし自身、自然に日本の礼儀を守るようになった。

日本人と米国人の最大の違いは何だと思われますか・・・。

今回の震災でも、米国人は、日本人の落ち着きぶりに驚いた。素晴らしい、と。今ほど親日感情が高まっているときはない。アメリカ人は日本人のような落ち着きはない。

日本の最大の欠点は何でしょう?

極端から極端に走るところ、だろうか。バブルのころは、ロックフェラーセンターからドイツのお城まで、(日系企業が)ほうぼうで土地などを買ったが、もうちょっと遠慮してもよかったのではないか。 だが、(バブルがはじけると)今度は逆に、「もう日本はだめだ。外国は、みんな中国に興味がある」となってしまう。

今、日本は、サプライチェーンの混乱など、戦後最大の危機に直面していると言われているが・・・。

日本製品は高品質で信用できるという評価は、揺るぎないものだ。前は、日本は物まねが上手だと言われたが、今は、日本が新製品を出し、他国がまねる時代だ。

日本の美術も人気がある。音楽も、毎年、ニューヨーク・フィルハーモニックが武満徹の曲を演奏するようになり、広く知られるようになった。

経済力が、世界2位から3位になったことに意味はない。中国は人口が多い分、(国内総生産が高くなって)当たり前だ。日本が悲観することは何もない。

地球も生きている

05oirase31 東日本大震災で、日本の四季があり、人の手では絶対できない素晴らしい大自然が地震のあとでも呼吸している。何十億年前から天から授かった大自然の中の営みの一つである現象だったのだ。この地球に生きる歴史には多く動きがあって、今がある。だから地球も生きているのだ。この地球をそういう目で見たら、また人生観も違ってくるかも知れない。

清流無間断 碧樹不曾凋

清流間断無く 碧樹(へきじゅ)(かつ)て凋(しぼ)
まず
          
~朝日カルチャー「禅語教室」より~

清流はこんこんと途絶えることなく流れてやまず、山の緑なす常緑の松やオガタマ、椿、ヤマモモなどはいつも青々として凋むことがない。暑さ厳しい夏の都会を抜け出して山中深く入ればこんな情景に出会う。

自然豊かな日本の多くの温泉地には清流があって、カジカがなき一層涼しさを演出してくれる。のんびりと湯船にひたり清流の音を聞きながら日頃の疲れを癒したいところである。いかにも夏のこの時期のふさわしい響きの「清流無間断」の語である。また「碧樹不曾凋」も常緑の樹のように家運の凋むことがないようにとの願うめでたさの意味にも当てられよう。

だが、禅語としては単に涼しさをも誘う言葉ではなく、「間断なく流れる」ところに意味を見出さねばならない。禅では執着を嫌う。雲は風のままに流れ、水は絶えず流れてとどまることがないように、心の働きが衰え途絶えることない不断の相続を忘れてはならない。

不断の努力、精進である。修行においては静中の工夫、動中の工夫、つまり四六時中、昼夜なく正念工夫が求められる。とはいえ、煩悩妄想にある私には「間断なし」などとは無縁の世界であったようにも思うが、やはり修行とは日々精進であり、「一を以て之を貫く」のように一貫相続を大事にしなければならないことである。

剣豪・宮本武蔵は「千里の道も一足づつはこぶなり・・・。千日の稽古をもって鍛とし、万日の稽古をもって錬とする」と言っています。

因みに「鍛」千日は約3年、「錬」の万日は約30年ということであるが、要は単なる期間の経過だけではなく日々の稽古、日々の精進工夫の大切さを言っているのである。昔人間の私どもは軍人上がりの先生たちから「朝鍛夕錬(ちょうたんせきれん)」という言葉を聞かされてしごかれたこともあった。ものらしい。

砂鉄を溶かして銑鉄をつくり、その銑鉄を熱して槌で打ち、何度も何度の打ち叩き、不純物をたたき出して硬くて弾力ある鉄鋼をつくる過程が「鍛」であり、その鉄鋼をさらに折り返しては再び叩き、また火に入れて焼き入れ(水に入れて冷却)してまた叩いて刃金に仕上げていくことの繰り返しが「錬」である。

たしかに練ることの方がむずかしく、時間がかかり重要であることなのだ。昔、承福寺檀家さんに鍛冶屋さんがいた。まさに村の外れの小さな鍛冶屋さんで漁具や鍬や鎌などを作っておられた。子供のころにのぞきに行ったというより寒い冬は火を使う仕事場が結構暖かったからかも知れない。

町づくりと国づくりと・・・

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

06oga_toga11 まちづくりは泥臭くていいじゃないか、試行錯誤しながら、少しづつ前に進めれればいいじゃないか・・・大事なことは町会のみなさんと一人でも多くの方に参加してもらい、一緒に考え、汗をかき、苦楽を共有することが大切だと思います。

他からみたらなんて鈍くさい進め方でも、それでもみんなの意見だったらいいじゃないかと思います。町会のみなさんの中にはそれぞれ得意の分野があると思います。防犯・防災・医療・法律・教育・建築などに活躍された方などです。それらを町の発展に生かしたまちづくりが大切と思います。

人は、自分が今ま生きてきた経験や、培われた教育などで価値判断をしがちです。あんまり預金のない人の百円と、なん億円もっている人の百円は同じ百円ですが、それぞれの思いがちがうように、その人その人で物差しがちがいます。

ものの是非、損か得か、善悪などの判断をするとき、無意識のうちに自分の物差しで判断してしまいます。人それぞれに、それぞれの物差しや価値観があります。

しかも、その物差しも絶えず変化して気まぐれです。価値観や判断基準というものは、人によって、また地域によってもさ自分が支配しようとする人間は同じ思いの他と争いをくりかえします。また、いつの時代でも政治家個人が私利私欲を、政党が党利党略をむきだしにすれば、争いは絶えず世は乱れます。

人はそれぞれ自分の考えというものをもっているから、自分の経験や主観でものごとを判断しようとします。けれども個人的な価値観や主観で政治をすれば、混迷混乱をまねきかねません。そこで個々の価値観や主観を認めた上で、民主主義では万機公論に決するところに方向を見いだそうとします。

安心・安全でみんなが信頼し合って生きれる地域社会と日本の社会になれば・・・と願っている人は多いと思います。同じ日本人ではないですか、地域のリーダーや、国会議員の方も町を国も人の幸せを求めていることは同じであります。そのプロセスで考えが違うだけで到達点は同じであると思います。

 

2011年7月 1日 (金)

町も三世代で笑顔で・・・

271 私はボランティアで毎日ゴミ拾いをしている。ブログにも「湯殿川をきれいにしよう」私達の町をきれいにしよう」などを書いているが・・・そして湯殿川の河川管理通路にコスモスを植えて、通勤・通学買い物・散歩する方に少しでも気が休まる思いができるかとの思いで手入れを行っている。

私の行為を見てかどうかは分からないが、二人の地元の先輩が草刈り、草取りを行ってくれている。町の防災・防犯と環境美化に寄与していただいている。先だっても町の清掃デイに先駆けて、草刈をお願いしたら、快く引き受けてくれて、大変嬉しかった。

7月30日・31日の二日間恒例の片倉一丁目町会主催の盆踊り大会を実施する予定である。そこでやくらの組み立てのご指導を二方にお願いしたとろ、これまた快く引き受けていただき有難かった。新理事の方は、初めてであるので、本当に心強い思いだ。「誠意が通じれば石でも動く」が私の座右の銘の一つもである。

直径25センチの丸太を組み上げるので、経験と技術の指導がないとできない。そして高所作業でもあり、危険でもある。お願いできるのも、普段からの声賭けが大事で、折角技術はあるが、協力をしていただけない。何らかの理由があると思う。

私の町を想う気持ちが通じたのかと自惚れてしまった?そうしてベテランから、新人にバトンタッチできれば新しい町づくりの絆が出来ていければと思う。

理想の三世代の片倉一丁目町会皆様と、笑顔で暮らしていける町になればと、今日もゴミ拾いを行った。

目覚めよ日本の政治家達よ!

07kitayamazaki31 日本を支配しようとする人間は、同じ思いの他と争いを繰り返す。また、いつの時代でも政治家個人が私利私欲を、政党が党利党略をむきだしにすれば、争いは絶えず世は乱れる。将に今、日本の政治がそれだ。

民主党政権の菅直人首相と与野党入り混じって首相辞めろコールである。私利私欲・我田引水だけの言い争いが続いている。全く税金泥棒だ。国会は1週間議論はしていない。

国会議員は自己主張を貫き通すことはとても大事なことである。しかし、誰でも経験はあるだろうが、自分の意見に全く反対な考えをしていることがある。東日本大震災・原発事故による放射能問題で、解釈が多少違うところがある。

人は誰でも、自分の考えというものをもっているから、自分の経験や主観でものごとを判断しようとする。けれども個人的な価値観や主観で政治をすれば、混迷混乱をまねき終えない。そこで個々の価値観や主観を認めた上で、民主主義では万機公論に決するところに方向を見いだそうとする。

東日本大震災は、想定外という言葉をよく耳にするが、自然現象に想定外という表現はない。天地自然において人間の力のおよぶ範囲は微々たるもである。人間の価値判断をもってものごとを把握しょうとすれば見当違いを起こす。

下流志向と教育

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

10247681 私自身、なぜ勉強しなければいけないのか、教育について迷ったり、悩んだり、そして結婚し子供が生まれ、また子供の教育で悩んだ経験があります。「どうして勉強しなきゃいけないの?」と子供に問われたら、あなたは何と答えるでしょうか・・・。

勉強すると「いい大学」に入れて、「いい就職」「いい結婚」ができる。だから、勉強はつらいけれど、きっと将来の「役に立つ」んだよ…。と言ったでしょうか・・・。ところが、そうした考え方は、教育崩壊の原因そのものを示していると、内田樹(たづる)先生(神戸女学院大学名誉教授はいう。

では、「自分のやりたいことをやるため」というのはどうだろう。こちらも残念ながら、ニートにつながる考え方といわれる。では結局、「何のために勉強するのか?」

「その問いには答えられない」というのが答えだ。小学1年生に「ひらがなを学ぶ意味」を正確に説明できるでしょうか・・・。ひらがなを学習することの意味は、それを自由に使いこなせるようになってからでないと、理解できないのではないでしょうか・・・。

学校教育とはいってみれば、まだ手にしていないモノサシの存在を示し、それを子供に入手させる作業で、新しいモノサシがどう「役立つ」のかは、その使い方を習得するまでは、わからない。

30センチのモノサシしか持っていない子供には、そのサイズを超える長さを、あるいは重さや温度を計測することはできない。

最近『下流志向』という言葉があるというが(知恵蔵2011の解説)・・・この言葉は内田樹先生が((講談社、2007年)で命名したもので、働かないことや学習しないことを誇りに思う新しいメンタリティー(考え方)のこと。

近年、社会的格差や若い世代の労働意欲の低下を問題視する議論が盛んだが、これまでの議論との違いは、学習しないことや労働しないことを気にせず、むしろ誇りに思うメンタリティーが出現したとする点である。

内田によると、その背景には「自己決定」と「等価交換」を過大視する風潮がある。つまり、自分で決めたことならばどんな内容でも価値があると見なすことで、学習しなくても自信を持つことができる。

また、不快やコストに対して直接の見返りがあること(等価交換)を当然視するために、一見無駄と思えることはあえて我慢して行おうとしなくなる、というのである。

実証的に裏付けられた議論ではないが、例えば近年の教育の実学志向や資格志向には、等価交換を求める傾向が表れているように見える。

しかし人生も社会も功利性だけで成り立ってはおらず、自己が決定したことならば何にでも価値があるというわけではない。

贈与や他者への介入など無駄に見えるコストも必要である。これまで親密圏が提供してきたこれらのコストを、親密圏の範囲が縮小するなか、どのような形で再生するのかが問われている。

« 2011年6月 | トップページ | 2011年8月 »