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2011年4月

2011年4月30日 (土)

片倉城跡(住吉神社)の算額

片倉城跡は、湯殿川・兵衛川に挟まれた西は高尾山その奥に富士山が望める小比企からの多摩西部からの丘陵地の東の端に、片倉城があった。現在は住吉神社になって、近隣住民の氏神様として、親しまれています。片倉城跡は、北緯35度38分51秒 東経139度20分16.7秒に位置ています。

Katakurajoc21_3

           鎌倉時代の片倉城付近の画

Sumiyosi01
この大きな看板のような奉納絵馬、「算額」(さんがく)といいます。算額は江戸時代の庶民が、数学(和算)の問題が解けたことを神仏に感謝し、増々の勉学を誓うために奉納されたといわれています。

東京都八王子市 住吉神社 (片倉城跡)嘉永8年(1851) 川幡元右衛門泰吉 門人奉納
138×43.5cm 昭和62年復元 (参考文献:多摩の算額 [佐藤健一著] 研成社 1979 )

今でも全国に約820面の算額が現存しており、国内で現在残っている一番古い算額は栃木県佐野市星宮神社のもの、天和3年(1683年)江戸の村山庄兵衛吉重という人が掲げたものです。
..
次いで京都市の北野八幡宮のもの、貞享3年(1686年)。東京都では、寛政6年(1794年)正月奉納の秋川市二宮神社のものが最古で、八王子市住吉神社の算額は嘉永8年(1851年) 奉納。梅田不動、金王八幡不動神社に次いで東京で4番目に古いものになります。

八王子市の将来を考える

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Photo_2 八王子市は人口は平成32年ぐらいまで増え、そのスピードは鈍るはするものの、60万人ぐらいまでになるだろう。世帯数は核化もありやや増えるだろう。

八王子市は、東京都では23区に次いで人口の多い市である。面積も伊豆大島の2倍もあり、これも23区と奥多摩町に次いで第3位の面積を有する市だ。ただ、場所が山間部にあり、中央線で東京駅から52分かかる。

江戸時代から絹織物産業や養蚕業が盛んであった為に「桑の都」及び「桑都」などとも呼ばれていたが、安価な住宅地として高度成長期に人口が急増し、数々のニュータウンが造られた。大学の誘致も盛んで、都内にあった大学が八王子にキャンパスを構えたことでも知られている。

高齢化と少子化は同時に進むから市の人口・社会は今後大きな変化はないだろう。経済構造はIT関連での企業や小規模化がすすみ、勤務・労働形態も変わってゆくだろう。市内は農工型でなくてソフト関連の職住接近か職住混在型の特色を強めるだろう。

日本や東京は過去のような経済の急成長時代には戻らないだろう。老齢化は進み、児童の数も少なく、個人経営者中心だった商店街は経営者の老化と相俟ってコンビニ、スーパー、チェイン店が多くなり、店舗の業種も変わり地元の人にとっては昔を想いだせる姿が少ない町になってきている。

そごうも閉鎖へ、全百貨店撤退セブン&アイ・ホールディングスは、2012年1月31日に傘下の百貨店、 そごう八王子店を閉鎖すると発表した。 (JR八王子駅に隣接する八王子店は1983年に開業した。)

地域を活性化を図るには、IT産業の誘致に積極的に進めることが必要であり、既存の大学と相俟って拠点作りに力を入れていくこと。そして、地域の特色を活かした、地産地消型の安くて新鮮な野菜を諸費者に提供し生産者と消費者の相互の利益になる事業を推進すべきだ。

2011年4月29日 (金)

町づくり考える

08adachi_bizyutukan11 町づくりは人づくりと言われて久しい。人づくりは一朝一夕で出来るものではないだけにハード(施設)面が先行しがちですが、ソフト(人づくり)の面も同時に進行することが必要であります。

当八王子市片倉町は、里山はもとより田畑が開発され、団地・アパートに変貌してしてしまいました。農業を営む人が激減しています。少子高齢化に直面し、町は首都圏に通うためのベットタウン化しています。

地域との接点が少ない、サラリーマンが多くなり、車で大型スーパーで買い物し、以前あった魚屋・酒屋・電気屋・肉屋などの専門店も姿を消さざるを得ない状況に追い込まれてしまいまっています。

従って、町の安全・安心で活気ある町づくりは、むかしから住んでいる地元が中心に考えざるを得ない。その人たちは高齢化が進み、従来あったまちのお祭り・盆踊りや市の主催するまちの清掃デーや川の清掃デーなど行事にも、積極的の参加して、汗をかいてお互いのコミニケーションを図って欲しいと願っています。

違った環境で育ち、価値観の違う人が心を一つでき、防災・防犯・交通安全に備えて取り組みと地域の皆さんとコミニケーションの取れるまち作りが望れます。

その中で、八王子市では学校、公園の建設とハード面の施設着々と整備されてきました。こうした施設をよりどころとして、いかに人づくりをするか、いかにして町おこし、いかにして生き甲斐のある豊かな町づくりをするかソフト面の充実が今後の大きな課題です。

町おこしは一人ひとりの意識改革から始めなければならない。そのためには、町民がコミニケーションを通して市・町や地域のよさを発見して、どう町おこしに係るかが大切であると考えます。

町民が一堂に会し、討論や提言を通して,いかに多くの人が町づくりに関心を持つことができるかをテーマにかかげ討論したり、専門家の先生の診断や提言してもらうことも必要なことだと考えます。

原子力発電の今後の行方

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06_12801 東日本巨大地震で想定外の地震に、世界でも注目された防潮堤も、ものともせず乗り越えて多くの犠牲者をだし、多くの財産を失ってしまった。その悲しみははかり知れない。

その上、東京電力福島原子力第一発電所の事故は未曾有の被害となっている。福島県産の農業・漁業関係に携わっている人には仕事を奪われて途方に暮れてしまっている。

放射能という目に見えない物出が風に飛び、土に降り、水に溶け、海中に流れて植物や生物に取り込まれてしまう。放射能は半減期が数日単位の短期間から何億年と半永久的な年数まで、物質によって大きなばらつきがあるそうだ。それが人間の身体に取り込まれると一般的にガンになるといわれている。

目に見えない物質は空気と同じで、生物は空気の中の酸素で人間は生きていられるのだがその空気の中に人間の身体に害を及ぼすという、厄介なものだ。

しかし、原子力を利用して大きなエネルギーを作り出すし、今日の人間社会が文化的生活が維持されて言っても過言でない。日本では電力の30パーセント以上という供給量だ。これかも経済を発展していくためには、化石燃料では維持出来ないし、今の経済発展を続けるならば、後40年で石油は枯渇するといわれている。

はたして、人間の存亡に係ってくる大きな問題となってきた。世界各国でも原発問題で国民的議論が巻き起こっているという。EU諸国でドイツ・イタリアなどは原発廃止の方向という。原子力発電所の世界第一位のフランスは原子力依存度80パーセントという国であるが継続していくという。アメリカのオバマ大統領は原発必用論者のようだ。

世界の国々でも経済成長途上国とされているブリックス(ブラジル・ロシア・インド・中国)では、原子力利用は必要であろう。風力・太陽光・地熱・波などの自然エネルギーを利用という方法もあるが、設備費やコストの面で不可能とされている。

「どうして経済は成長し続けなければいけないのか」、との問いに対して正確な答えがあるのでしょうか、成長、発展、進歩、について、疑問をもつことをはばかる風潮さえあるから、答えをだすことすらタブーなのでしょうか。

2011年4月28日 (木)

世界経済は不安材料が多い

06oga_toga11 過去3カ月あまりの世界は、中東革命と日本の大震災・原発事故に関心が集中した。結果、その他のニュースは目立たない状態が続いたが、この間も世界では様々な重大な変化が起きている。

チュニジアに始まった中東の革命はエジプト・リビア・シリアと続き、現在進行形で、今後の行方は不透明である。リビア情勢がどうなるかなど、情勢はさらに大きく変わる。中東情勢の変化は世界全体の安全保障に影響する。イスラムとの共存という世界の大問題にもかかわる。石油資源を通じた世界経済への影響も大きい。

独裁国家の多い中東での「民主化」の行方は、中国を始めとする世界の非民主国家の政治のあり方にも影響を及ぼす。ネットの規制問題などにとっても重要。中東革命のインパクトは幅広く、大きい。

シリアの一連の抗議運動での死者が300名を越えたとの数字が出ていたが、エジプト革命の時と同じような数字になってきた。人口はエジプトより少ないから悲惨な状況は深刻であると言わざるを得ない。

東京電力福島原発事故の発生と長期化となって、原発への逆風が決定的になった。世界的に賛否さまざまであるが、今後様々な変化が出て来ることは間違いない。

ユーロ危機第3波である。ポルトガルがEUなどに支援要請し、くすぶっていたユーロ危機の第3波が表面化した。など、世界的に商品市況が上昇しインフレ懸念が拡大している。

世界経済の現状は厳しい。15日にワシントンで開いたG20財務相・中銀総裁会議は、世界経済の現状を議論した。共同宣言で示された認識は・・・

①世界経済のリスクが高まっている。
②中東情勢と日本の原発という不確定要因が加わったこと。
③世界の不均衡の拡大や、インフレ、ユーロ危機などが懸念される。

などがあげられるが、日本は震災で復興は第一に考えなければいけないが、世界を見渡すと中東・中国・北朝鮮などの東南アジアの動きも見逃してはならない。世界経済的には、こういった不安定材料が存在し、その評価と判断が難しい。

生かされている命に感謝

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05sikotuko31 当たり前のように毎日「感謝」しながら暮らしている人がどのくらいいるのでしょうか?逆に感謝どころか「生きていて当たり前」と思っている人が多いように思えてなりません。

その人たちは、自分勝手で、世の中、要領よく生きていくことが大事で、汗をかかずに骨身を惜しみ、人の力で生きている人間が多いと感じます。

3月23日全国選抜高校野球大会で、岡山県の創志学園高の野山慎介主将による選手宣誓が話題になった。

「人は、仲間に支えられることで大きな困難を乗り越えることができると信じています。私たちに今できること。それはこの大会を精いっぱい元気を出して戦うことです。がんばろう!日本。生かされている命に感謝し、全身全霊で正々堂々とプレーすることを誓います。」

「生かされている命に感謝」という言葉が今の日本人に欠けているように思えてなりません。世の中を少しでも明るく、住みよい社会にしていこうと考えている人が少ないように思います。

本当の困った人がいても、見て見ぬふりをして通りすぎていく人間が多いと言うことです。
この間、横断歩道で猫が車ではねられた死骸があったが、大勢の人が横断歩道を利用し目にしたのだが、片付けようとしないで、誰か片付けるだろうと考えている人がいると言うことです。

ゴミを捨て、タバコの吸殻は道路に捨てていくのは当たり前、川に生ゴミを捨てるのは当たり前、子供達が公園でサッカーで遊んで、ちょっと古くなったのでそのまま捨てていってしまう。

散歩・通勤・通学・買い物など多くの人が利用している河川敷管理通路で雑草を刈って気持ちよく通行していただこうと思って汗を流していたのだが、刈っている目の前で犬の糞をさせて始末しないでそのまま立ち去る人がいることです。

また、女子高校生が、何と近くのスーパーで買い物用のカートを持ち出し、乗って遊んで返すのは面倒と川の中に捨てて行ってしまったり、公園で子供達が遊んだ後は飲みかけの缶コーヒー、ペットボトル、パンの空き袋が捨てていってしまうことです。

こんな光景は私の住んでいる町だけではないと思います。年寄りは「今の若い者は」と言うが、その当人が子供達にどんな躾・道徳教育をしてきたのだろうと疑いたくなります。

今、震災で苦しんでいる人がいます。「救援で義援金を!」も大事でしょうが、本当に「生かされている命に感謝」するならば、両親に感謝、地域社会に感謝し、「地域社会に自分は何が出来るか」考え、行動して欲しいと思います。

大事なことは、人は誤った言動に気がつかない事がある。その時、勇気を持って注意したり、教えてあげることだと思います。住みよい町をみんなで作りましょう。

2011年4月27日 (水)

初夏に思う

07akitakoma 冬の間は静かに眠っていたかのような草木が、日差しが強くなるにつれて、百花繚乱となる。木々はいっせいに芽吹きはじめる。この時期、自然の光景が日々変化していくありさまには瞬きも出来ぬほどの早さである。草木は葉より花が先に咲き出し種類が多い。

遠く南の使者であるツバメは、早くも軒先に巣作りに、この時期を逃すまいと、一所懸命に新しい命の引継ぎに努力を重ねいる。まさに風薫る4月、5月は生命が躍動する好時節である。

自然界では自然の摂理である絶妙なバランスのもとに、さまざまな生きものが生存している。生きているというより、お互いを生かしあい、生かされている。なんの疑問もなく生きものたちは命のある限り精一杯に生きている。

人間だけが生きることに悩んだり苦しんだりしている。人は、生きることにさまざまな疑問を持って生きているが、昆虫達は我が道を行く生き方になんの疑問もなく生きている。

自然の姿に目を向けると、自らの世界が見えてくる。この世のすべてが同じ姿を止めることなく無常であり、ありのままの自らの世界である。人は悩むことが多いが、人間関係・仕事や勉学・経済的・生活環境の悩み等さまざまである。本来悩むべきことも、苦しむことも、ないはずである。

地球環境の変化にも柔軟に適合して、生きぬいてきた私達の先祖の歴史は壮絶な戦いでああったともいえる。仮に先祖の一人が何かアクシデントが起きていれば、私はこの地球上には現れなかったことである。

四季がある日本人として生を受け、さまざまな、生き物が躍動する季節になり、新緑となった片倉城址公園の望みながら考えてみた。大事にしよう二度とない人生である。人生を楽しんで、悔いのない一生を送りたいと・・・。

暮らしを考えるチャンス

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08yokotesigai_yuukei21 地球温暖化の目玉としてCO2を出さない原子力発電を推進して、日本の電力需要のほぼ3割を原発で賄っている。「原発は安全」から想定外の津波という原因ではあるが「原発は危険」という現実である。

「原発廃止」で、その代替エネルギー世界はをどうするのか、化石燃料ではコストが掛かり、何といってもCO2の排出の問題と地球温暖化が深刻となってくる。経済産業省の一部門から「エネルギー省」に格上げし国民の合意で 原発の安全設計を基本的概念から見直せと言う学者もいる。

今回は想定外の津波だったからと言っているが、見直すにしても「想定外にも耐える安全」でなければならない。地震国・日本、想定され得ぬ大地震、大津波が起こり得る日本である。これに応えられるものでなければならない。

何といっても、今の文化生活・産業経済を維持していくには、電源は不可欠である。代替電源があればいいが火力は温暖化対策から増やすことは難しい。資源のない日本の繁栄のエネルギー源は既存の火力・水力原子力以外の新しいエネルギーの開発を期待したいが・・・?

新エネルギーが開発されなければ、経済規模を縮小するしかない。どんな大きな地震にも耐え得て、放射能を完全にコントロールする技術は日本人にはある。日本が沈没し富士山も海底に沈んでしまたらそこまで、想定しなくてもいいと思う。

地球46億年の歴史には爆発・氷河期などで生物などに大きなダメージ与えてきた経緯がある。宇宙規模の異変に対応する原子力発電の安全確保は無理である。

大震災で今までの社会が崩壊した。大量生産、大量消費、大量廃棄の世の中が続き、豊かさ・ぜいたくの極限まで来たところに原発の事故という人災が起きた。これまで通りの生活を求めるなら2度目3度目の原発事故を覚悟しなければならない。幸せとは何だろうかと現在の暮らしを考え直すチャンスなのかも知れない。

 

2011年4月26日 (火)

私たちの川、湯殿川をきれいにしよう

Kasenkanri1 ごみの多くは、皆さんの心がけやマナーの向上によって確実に減らすことができるものです。きれいな川を未来の子どもたちへ引き継ぐために、住民の皆さんのご協力が必要です。湯殿川にごみを捨てると…川、の汚れと動植物への影響は、はかりしれない。ごみは分解されると、有害な物質に変わるものもあるのです。

私達のまちを流れる湯殿川が汚れ、いろいろな動植物に影響を与え、自然破壊につながります。下流まで流れ、たまった空き缶やペットボトル生活習慣病になるといわれています。

ごみの処理にはたくさんの税金が必要ごみの回収費用、処理費用にはたくさんの税金が使われます。ペットボトルや空き缶、家電製品は再利用が可能な資源です。八王子市では、環境保全に力を入れて、ゴミの収集をきめ細かく行っています。

そして、河川を管理している、東京都建設局の、南多摩西部建設事務所で、八王子市内の河川の整備と管理を所管しています。

下の表は八王子市は毎月1回河川の水質測定を行っています。このデータはその測定結果を速報値としてとりまとめたものです。(2,011-4-15の公表の湯殿川春日橋付近のデータ)

月日 水素イオン濃度
(pH)
生物化学的酸素要求量
(BOD)mg/l
浮遊物質量
(SS)mg/l
溶存酸素量
(DO)mg/l
4月26日 7.8 0.9 3 10.9
5月13日 7.7 0.9 2 10.7
6月3日 8.0 1.3 4 9.9
7月8日 7.5 1.1 2 9.4
8月5日 7.8 1.0 2 10.3
9月2日 7.6 0.6 1 10.0
10月7日 7.5 0.9 1 8.9
11月11日 7.5 0.7 <1 9.0
12月2日 7.7 0.8 <1 10.2
1月6日 7.8 1.2 <1 11.1
2月10日 7.8 1.5 2 10.3
3月3日 7.7 1.2 <1 10.5
環境基準 6.5以上8.5以下 2以下 25以下 7.5以上

私たちの住んでいる片倉町は長沼町にある測定地(春日橋)より6キロ上流です。湯殿川は一人ひとりの心がけで、きれいになります。湯殿川をきれいに保って次世代に引き次ぎましょう。

挨拶は幸せの感謝の気持ちです

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05detohama11 むかし農家だった実家は、方角がいいからといって、井戸が庭の東南東方向にありました。手漕ぎ井戸で、家族の一人ひとりが、最初に行うことは、顔を洗うという行事でありました。そして肩にかけた手ぬぐいで顔を拭い、「今日は良い日です」「良いお天気でありがとう」と太陽に向かって両の手を合わせていました。

それこそが、人間の生きる原点です。改めて考えてみました。「おはよう」「こんにちは」「こんばんは」という、ふだん何気なく使っている挨拶の言葉は、もともとお日様に朝・昼・夕に感謝の気持ちにあらわした言葉だそうです。

お互いに同じお日様に向かって、感謝の気持ちをあらわすことにおいて、お互いの心を通い合わせ、共に相手を思いやる、これが 「おはよう」 「こんにちは」「こんばんは」という挨拶の言葉です。 人は 、自分を大切にしなければいけない。

人間は一人では生きていけない。だから、他の人をも大切にしなければいけません。だから お互いに、「おはよう」 「こんにちは」 「こんばんは」という言葉を交わして、お互いが心をこめて拝み合う、挨拶は心をこめて誠意を示して欲しいと思います。

手を合わすことは、人がもともと持ちあわせているごく自然な姿です。自分自身の心の安らぎを求めたい時も、手を合わせると清々しい気持ちになります。

子供を育てるにも親はまず自らの心に手を合わせたいものです、そして我が子をしかり、我が子をほめる、手を合わせる心によって、いつもあたたかい親子の心のつながりが生まれてくるはずです。

「おはよう」 「こんにちは」 「こんばんは」という、ふだん何気なく使っている挨拶の言葉は、人は皆 一緒に、手を合わせ、共に生きている幸せを感じて喜ぶことができる人は、ほんとうに幸せな人でしょう。

2011年4月25日 (月)

信頼されるには・・・

05detohama11 統一に地方選挙で、八王子市の市議会議員選挙にちょっと携わって感じたことを書いてみた。

人前で話をするとき、今までの博識を前面に出し、専門用語を並べてのべるのが得意である人がいる。そういう人は、一般の方の心情を察しないので、どうも事務的になる傾向が強い。従って一般の方との信頼関係が生まれない。

話す相手がお年寄り・子供・女性・スポーツ関係の若い男性などそれぞれ年代で話し方・話の内容を変えて話さないと理解出来ない。理解できなければ、どんなに良いことを話しても「馬の耳に念仏」であり、当然信頼関係は醸成されない。

まず相手の立場に立って誠意ある言動が大事であろう。話べたでもその人の熱意が伝われば、信頼関係が生まれると思う。

70歳を過ぎて思うことは人に信じてもらうには、格好よくではない。話べたでも、誠心誠意、真心を持って地道な説明を、何度も何度も繰り返せば、必ず最後は理解していただけると思う。

本当の幸せとは・・・

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07rose_ame21 「正義のよって得る僅かなものは、不義によって得る多くのものにまさる」の格言がある。また「名誉は大いなる富にまさる」もある。

この「名誉」とは、「あの人は正しい人だ」と思われる程度の評判がよいというもの。お金をたくさん持っていても「あいつは信用できない人だ」と思われたら生きていけない。逆に貧乏でも「あの人は他人をごまかすようなことはしない」という評判があれば、堂々と胸を張って生きていけるということだ。

「人間の目的は幸せになること」である。誰も反対しないが、その「幸せとは何ですか」と問えば、その答えは人によって千差万別である。

「健康で明るい生活が出来る」こと、その上に家族や近所・社会が平和であること。そして他人苦しんでいたり、困ってしたら助けてあげられることである。逆に言えば、自分以外の他人の嫌がることが出来ることでもある。そして、人権が守られ、助けあいの精神と平等の心をもって社会に生きていられることだと思う。

「快楽、金、財産、名誉、権力などは人を幸福する。」という人もいる。確かに金や健康や財産や名誉は人間らしい生活をするためにある程度必要なものだ。でもそれらは手段であって目的ではない。この点を見極めることができれば人生の道に大きく迷うことがない。

2011年4月24日 (日)

みんなでつくる住みよい町

F0077877_191735911 こういうものが欲しい、こうして欲しいと、大きなお金を作って道路や公園、施設を作っても、それを使う人たちが、自分勝手に使い、後に使う人に迷惑をかかることには全く考えない人がいます。

また、道路は自分だけで利用していると勘違いしていると思えるような人がいたり、全く公共のものと考えていないで、大切な公共施設を個人の所有物であるがごとく考えている人がいる。このことを称して「仏作って魂入れず」というのであろうか?

地域住民のためと思い、要求して勝ち取ったものを自冶体・町会・自冶会で、使用規定を作ったり、マナー啓蒙する、ポスターに掲示しても不心得者が後を絶たない。本当に必要だったのか疑いたくなるような状態を再々見かけられます。

道徳心の欠如なのか、近くの湯殿川に大の大人がためらいもなく家庭ごみを捨てているのを発見注意したら「スマン」一言である。全く悪気はないといった感じです。

この町に住んで良かったと思えることは、「町民一人ひとりが、この町を安心・安全で人に優しい町にしていこう」と責任を持って言動することです。

そういう観点から、①歩きながらの喫煙はやめよう。②公共施設は後に使う人のこと考えてきれいにしておこう。③マナーを守りましょう。など看板は立てても一向に守られていません。

私は、地域住民一人ひとりが、「住んで良かった」という町に創っていくこに責任があると思う。それには多少の労力の提供が必要であろう。町会で決めた行事の清掃デーなどに積極的に参加して汗を流すことだと思います。

町づくりは、ハードとソフトの組あわせ一体で創られると言われますが、ハードは出来たが魂のソフトが入らないと片肺飛行で、墜落しかねないと思います。私は、毎日ゴミ拾いし、この町の湯殿川はきれいで、片倉城址公園は素敵なところだと多くの人が集まりコミニテーの場となるようにしたいと思っている一人です。一人でも二人でも応援よろしくお願いします。

そして子供達が、大人になって他の土地に行っても、生まれ育った故郷が、良かったと思い出が残る町にしたい。

人生は花のごとく・・・

07yamazakura_kitakami11 咲く桜 散る桜もあり 浮世かな

これは、私が自宅の前の片倉城址公園の桜が儚く散ってしまった光景を見て作ったものだが、散ってしまった桜と同じで人の一生も儚い。死んでいく人、この世に生を受ける人、そこには筋書きのないドラマがあるのだ。桜の花と人間の一生と重なるところがある・・・

林芙美子の詩に「花の命は短くて、苦しき事のみ多かりき」がある。これは、楽しく若い時代は短く、苦しい時が多かった。自らの半生を詠まれたように、人生は楽しいことや喜びも沢山あるが、それ以上に辛いこと、悲しいことことが多い。

木村無相翁の念仏詩集に「ご縁」という詩がある。

ご縁 ご縁 みなご縁

困ったことも みなご縁

南無阿弥陀仏に遇うご縁

誰しも逃れたいと思う老いや病気、貧乏をして、生きることの重みや、意味が味合わされる。老い、病、貧、愛別離の苦悩を通してお念仏の心を喜ぶ人は、苦悩を忍んで乗り越える力となり、その苦悩の中に深い滋味を学んで柔らかい心をお育ていただいていることに、気づかされる。

人の親切な心は、順境の時には分からない。身に染みて知らされるのは、どうにもならない逆境の悲しみに遇った時である。また逆境にある人の苦悩を察するには、順境の人には分からない。

故郷の桜

10kawadusakura_minamiizu21 被災者に 思いに馳せる 桜かな

桜前線も東北地方に上って、いま、岩手県を順調に北上中だという。2月の気温は全国的に平年より高くなったが、3月の気温はほとんどの地域で平年より低くかった。4月のこれまでの気温は平年並みか平年より低い所が多いが、東北地方のこれから開花する所は平年並みか平年より遅いという。

東日本大震災と東京電力福島第一発電事故で、避難を余儀なくされている方は、いつものように桜を見ることが出来ない。大津波で家は跡形もなくなってしまったが、桜の木は残ったというところがあって、その桜が咲き始めた様子がテレビ紹介された。

避難先桜を観て、故郷の桜と、その周辺の風景が走馬灯のように駆け巡る。桜咲く故郷を思い出していることだろう。一日でも早く故郷に帰れることを祈るばかりである。

原発は国民的議論で・・・

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282_field111 東京電力の福島第一原子力発電所の事故が、日本の原子力政策に大きく影響しそうだ。世界の各国でも原子力発電の存続可否論が急浮上しているようだ。ドイツでは、原発の脱原発論が再び起こっている。

イタリアでは、建設に向けた手続きを無期限で凍結すると発表したり、電力の8割を原発に頼るフランスでも、世論調査では賛成派が震災前の66%から58%に減ったと言う。安全性が高いとされた日本の原発で起きた事故の深刻さや収拾の難しさが、原発への忌避感を増大させたのだろう。

それでも、私は原発政策を変えるべきではないと思う一人である。原油・石炭などの化石燃料が資源が限りがある。

<世界のエネルギー資源の確認可採埋蔵量> エネルギー資源:確認埋蔵量/可採年数
石油:10,500億バーレル 40年  石炭:9,845億トン 216年  天然ガス:155兆m3 62年 ウ ラ ン:393万トン 61年 (資料:BP統計2002、OECD/NEA、IAEA URANIUM2001)

そして、地球温暖化問題で、温室効果ガス問題という面からでも不可避である。オバマ米大統領は2035年までに電力の8割を温室効果ガスを排出しない資源で生み出す方針を表明し、「原発はその大きな柱」と語った。

フランスは既存原発の安全性を再確認する必要性は認めたが、推進方針に変化はない。BRICSの首脳も今月14日、「原発増設は不可避」との認識を示した。

高度経済成長を支える電力の需要増に対応する必要があるからだ。原発は、運転中は温室効果ガスを出さないことから、再評価されつつあった。その動きがフクシマを契機に後退すれば、温暖化対策に大きな影響は避けられない。

日本は、資源の乏しい国であり、エネルギー資源90パーセントを輸入に頼らざる得ないところからコストの面からも今後の経済政策、地球温暖化なのどで国民の賛否を問う問題となってきた。

原子力発電の再生には、国際的な安全基準作り、そのうえで、中長期的な観点から総合的にエネルギーを国民的議論でする必用がある。

2011年4月23日 (土)

長寿社会と少子高齢化の問題

10gokanosyo_ogatake11 明冶45年4月には石川啄木がやはり結核で26歳・明治の文豪・夏目激石が胃潰瘍で死んだのは大正5年49歳で亡くなっている。明治の日本人の寿命は男女ともわずか約40歳前後だった。

平均寿命がなぜこんなに低かったのか、まずあげられるのはコレラ、天然痘、赤痢、結核、梅毒などの伝染病の蔓延であり、乳幼児の死亡率の異常な高さだったからだ。

太平洋戦争が始まり、終戦の昭和20年には、なんと、男24歳、女37・5歳と低くなって、一気に伸びて、現代では日本人の平均寿命、女性86・44歳で世界一である。ただ、平和になると平均寿命はすぐ回復する。平均寿命が50歳をこえるのは戦後になってのことだ。

長寿世界一といっても、社会構造の変化は、家族制度が1947年に改定され、家族の形態や機能を規定する法律・道徳・慣習などの規範が崩れて、高齢化に伴い、ある面不安定な時代となったと言える。

つまり、高齢化による医療・介護の問題と少子高齢化が進み、女性の社会進出で育児や保育園などの施設と高齢者の施設とそこに働く福祉サービス業や、介護師などの待遇など大きな問題となってきた。

いま安心・安全な国に、社会を人々は求めるのは当然で、高齢化・少子化と過疎化対策が急務だと思う。社会構造の変化に必ずしも行政がマッチしていないところも見受けられる。そのアンマッチが問題でありその穴埋めが大事なことである。

家族の絆、地域の絆、社会の絆のあり方が問われたいる時代だと思う。お年寄りの思いやり、環境への思いやり、優しくて、心身共に強い子供に育てる躾・教育が問われていると思う。

大地沢の休耕田で芹摘み

09buna_sinryoku_omitake21 昨日車で、町田市の西端で、大地沢青少年センター近くの休耕田に春の香りがする芹を一人で摘みに行ってきた。休耕田は何年もそのままで、去年の枯れた雑草の中に包まれるように青い芹が伸びている。ちょっと枯れ雑草が深いので見つけるのが大変であったが・・・。

大地沢青少年センターの施設を宣伝すると・・・大地沢青少年センターは、町田市最高峰の草戸山(364m)をはじめとする山々に囲まれて、町田市と相模原市の市境(都県境)を流れ、江ノ島を河口とする「境川」の源流域でもある。施設周辺では、ムササビやリス、イノシシなどのほ乳類をはじめ、ホタルや沢ガニ、野鳥など様々な野生動物が生息している。

約22万平方メートル(東京ドーム4.7個分)の敷地内には、野外炊事場やキャビン、テントサイトなどのキャンプ施設の他、本館内には宿泊室や音楽演奏ができるホールもある。町田市民だけでなく町田市外の方も利用できる施設である。

そんな施設が近くに谷戸田がある。何年前まで稲を植え、お米を作っていたのだが、過疎化で農家の人手不足で米作りの担い手がいなくなってしまったんだろう?今は人手が入らず荒れ放題の状況である。

しかし、その奥に、畑を耕している人がいる。野生のコゴミ、ミズフキ、ウド、ギボウシなどを作っている。どんな人かと気になり、聞いてみたら、定年後の趣味で、JR橋本駅近くの方と言う、仲間二人で毎日来て畑仕事をしていると伺った。

雑木林の木の葉が黄緑に染まった、自然がいっぱいの環境の中で小鳥のさえずりだけが聞こえる静かな里山?で一人静かに日ごろの雑念を忘れ2時間近く、心地よい時間を過ごせた。芹はまずまずの収穫で、帰りにギボウシ三把(一把100円)を買ってきた。

小鳥の鳴き声がするだけの静かな自然に包まれた元里山は、むかしが懐かしく、思い出さした。そろそろ田植えの準備が始まり、お蚕で桑摘みが始まり、夏になる八十八夜(5月2日)も近い。

日に焼けた親父の顔と、手の荒れたお袋の顔が後ろに立ってニコニコして見ているような気がしてしまった。

好運と不運で人の命が左右されるとは

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E6_01xga 東日本大震災で多くの人が亡くなった。もし私が被災された土地に住んでいたら、私は死んでいたかも知れない。たまたま離れたところに住んでいたから死なずに済んだのだが、「運」で私は「好運」で、無くなった人は「不運」だったということか?

この差は一体何なのだろう。本当に「運」なのか?それは自然の中で平等に与えられた寿命を不平等なものにしている気がしてならない。もちろん望むと望まざるとにかかわらず、飢餓に苦しむ地域に生まれてしまった子どもと、日本に生まれた子どもが平等かと問われれば、考えても今のところ結論は出ないが・・・。

今、人の命と生きた状態の判断が問題となっている。意識は無くて、人口呼吸器によって命を保っている、いわゆる脳死状態の処置を選択しない人が増えているという。そして臓器移植法に基づき、15歳未満の脳死と判定された少年の臓器移植手術が日本で初めて4月13日に行われた。日本臓器移植ネットワークによると、15歳未満の臓器移植は、虐待などの痕跡がないことを条件に、法的に脳死が判定された時点で家族の承諾の上、行われる。

今回の臓器移植手術は、心臓、肝臓、腎臓が4月13日に大阪大病院など3病院で、膵臓ともう一つの腎臓を同時に移植する手術が14日未明にに愛知県の藤田保健衛生大病院で行われた。最後に肺が、東日本大震災で被害を受けた仙台市の東北大病院で行われ、余震も警戒しながらの手術となった。

延命のための技術は一体どこまで進んでいくのだろう。この技術はもちろん多くの人が、人の命を大切に思い少しでも長くと願って行なっているに違いない。しかし技術が末端の医療機関に至るとき、気持はどこかに置き忘れ、技術のみが横行していることが多いのではないだろうか・・・。

技術を開発する人々は、その心もどう伝えるかに腐心しなくてはいけない時代に入ったのではないだろうか。それは技術ではなく心を開発していくことだと思う。その中には技術による延命でなく、心による尊厳死をも含まれると思う。尊厳死のための技術も、開発していく時代が来なくてはいけないだろう。

これからは物質文明でなく、心の文明の中で、成熟した人格による種々の選択が行なわれてほしい。その選択の中に、延命も、尊厳死も含まれる。そして、卓越した技術は必要と選択されたときにのみ登場してほしいものである。

臓器移植で、命が救われ、臓器移植を待ち焦がれていても、ドナーに出会わない「好運」と「不運」で左右される命の時代である。しかし、そんな考えでいいのか疑問が残る。

2011年4月22日 (金)

市議選のこと・・・

1231 4月24日は地方統一選挙の投票日である。我が八王子市でも選挙最後の追い込みである。毎回思うのであるが投票率が低いので、今回も投票率が気になる。その原因は・・・

無関心・・・有権者が議員の存在及び議会の機能を評価していない。行政的成熟による議員の存在意義の希薄化・・・候補者数の減少。争点の欠落・・・公約のあいまいさ。政治不信・・・議員の資質の低さと悪徳議員の存在。などが挙げられる。

三無い議会・・・①全国の地方議会のうち、首長が提出した議案をこの4年間で一本も修正や否決していない「丸のみ」議会は50%、②議員提案の政策条例が一つもない「無提案」議会が91%、③議員個人の議案への賛否を明らかにしない「非公開」議会が84%・・・朝日新聞の全国自治体議会アンケートによる。(2月12日掲載)

選ばれる側の責任について・・・市議会は、何をしているのかが見えにくい、判らないと言われることがしばしばある。何をなすべきかのピントがはずれている傾向がある。

候補者は今までの実績は縷々述べているが、これからの町づくりで夢と希望の基持てる施策や財政状況の説明責任が欠落しているのは否定できない。

この点については現職の議員は、もっと説明責任を果たさねばならないでしょう。議員も印刷媒体やインターネットを通じて情報を発信し続けることに加えて、有権者と一緒に考える努力を続けねばならない。

議員は、高いところから見るのではなく、庶民の暮らしの中にとけ込んで考え、悩み解決策を考えることが大事であり、庶民の味方であるという意識付けと誠意が必用だと思う。そして3い無議会の改善が投票率の向上に繋がると思う。

ちょっとした心遣いできれいな町に・・・

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10ichige_akitakoma11 どう行動するのかということは、どう感じているのか、と強く結びついている。しかし、感じていることを実際に行動に移すのかどうかは、選ぶことが出来る。

きれいな町がいい。汚くても多少は仕方ない。ボランティアは忙しくて出来ない。また、掃除は行政でやればいい。町の清掃デーがあっても忙しいから。やれる人がやればいい。面倒だ。それぞれ意見はあるでしょう。

誰でも99パーセントきれいな町がいいと思っていると信じていますが・・・人間生きていくために、価値観が違った人がいます。公衆の場でのゴミ、タバコの吸殻を投げ捨てが多い、たった一本位いいじゃないか、が、一本ぐらいが積み重なるとたちまちゴミの山になります。

口では良いこと言っているが行動では、とんでもない詐欺まがいの偽善者がいますし、恐ろしいのは、家では、しっかりゴミ処理はしているが、道路・駅などの公衆の場では無意識にゴミ捨てる人がいることです。

目に余るゴミで市・区でゴミ捨て禁止、歩行禁煙の条例・ポスター作ったり町の浄化に乗り出しているが、一向に改善されていないように見受けられます。

自由には責任が伴い、権利には義務が伴う。人はは自由だけ欲しがる。権利ばかりを主張する。自由には責任が伴い、権利には義務が伴う事を考え直すべきであると痛感している一人です。

八王子市では喫煙実態調査を実施し、一部のマナーを守らない人が多くの人に迷惑をかけている実態が明らかになり、無秩序な迷惑喫煙を解消し、安全な歩行空間を確保することにより、快適にすごせるまちづくりを推進するため、平成19年1月1日より本条例を施行しています。

喫煙者がマナーを守り、周囲への配慮を行うことで、吸わない人にも理解される快適な環境をつくることが大切です。喫煙者は、路上喫煙をする際には、携帯灰皿や備え付けの灰皿を使用し、たばこのポイ捨てをしないなど喫煙マナーを守ってください。

一人ひとりが、「環境を守り、優しさと思いやりで明るいまち作りをしていきましょう。」100の看板よりちょっとした心遣いできれいな町になります

2011年4月21日 (木)

ごみを捨てる人拾う人

05sikotuko31 現代社会の大きな問題であるごみ問題をなんとか解決していきたい。
日課であるかのごとく、歩行者・車で、道路へごみを捨てる人がいる。自分さえよければ良い。自分はごみを捨てる人で、誰かがごみを拾い集めてきれいにしてくれる人とでも考えているのでしょうか。

地震の被害は文明の進化とともに大きくなってきているという。むかしは原子力発電事故など考えられなかった。そして、ビルが高くなればなるほど、橋が大きくなればなるほど、万が一のときの被害は甚大になります。

同じようにごみ問題も文明の進化とともに深刻になってきています。江戸時代までの日本は、米生産の副産物である「わら」を使う文化だったと思います。わらじなどの履物から、みのなどの雨具、むしろ、縄などありとあらゆるものが、わらを材料として作られました。

外国でさまざまなものが発明されていく中で、日本人はわらを使うことが得意であった。「わら文化?」が生活の基盤の一部であった。欧米のナイロン・ビニールなどの石油から出来る製品にはかなわないと思うことがあった。

よく考えてみると、わらの文化は、ごみを出しません。川や海へ流れても、その辺りに捨ててあっても、わらは腐ってしまって害にはなりません。まさに自然循環の文化であったといえます。

文明が進んで、現在では、腐らないものが多くなり、化学物質や環境ホルモンなど自然を破壊するごみが多く出現しました。地震と同じように、ごみに関しても人類が自分で被害を大きくしているといえるでしょう。市民みんなが“ごみを出さない”“ごみを拾う人”の意識を持つことが大切ではないでしょうか。

里山と春の香りと・・・

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09buna_sinryoku_omitake21  桜は散って黄緑した葉が日差しが強く感じられるようになった今日この頃である。昨日車で15分行った、里山の休耕田に芹摘みをした。田んぼの畦道に枯れ草の中に青い芹を見つけ摘み取るのであるが、春の香りがした。

春といえば、春の使者であるツバメの「キッチキッチキッチ」と鳴く声と近くの雑木林から聞こえるウグイス鳴き声も聞こえ、ひとり芹摘みに日ごろの雑念を忘れさせる一時を過ごした。

ツバメは、遠いみなみの国から春の使者とされているが、ツバメが来ることは誰にとっても嬉しいことだ。むかし実家は草葺屋根の農家で軒先に毎年ツバメの巣を作って4・5羽が巣立つ様子が見た記憶がよみがえった。

巣立ちは、親に促され、一羽づつ羽をパタパタさせて、巣の端で予行練習し、一気に飛び出すも、遠くには行かず近くの電線で、盛んに喜びを表しているような鳴き声をしている。そして一羽に続いて2羽3羽と続いて巣立ちする。しかしまた、何日か巣に戻り親から餌をもらっている。・・・そんなことを思い出してしまった。

「世間(よのなか)を憂(う)しと易(やさ)しと思えども 飛び立ちかねつ鳥にしあらねば」   山上憶良  万葉集・・・と東日本大震災に被災されて大変な苦労で避難先で毎日を送っている方達を連想してしまった。

芹摘みは、予想以上に成果があった。この芹はスーパーに出回らないもので風味が違う。てんぷら、芹ご飯、ほうれん草などとおひたし、など食べ方はあるが、私はてんぷらが好きある。

家に帰って女房の喜ぶ笑顔で、「今夜は芹ご飯にしよう」早速、ごみを取り除き水で洗ってご飯に炊き込んだ、春の香りがお腹に充満するかのようだった。

2011年4月20日 (水)

復興に増税はやむを得まい

15401 国難とも言える震災から復興するには、国民全体の増税で賄っていくことが妥当と考える。東日本大震災の被害額は政府推計で最大25兆円に上り、復興に必要な財政支出は10兆円を超えるとされる。

その財源をどう確保するか。阪神大震災では5兆円をほとんど国債発行でしのいできたが、いまの財政は当時より、悪化が進んでいる。国債発行はもう限界だ。

政府が考えている、震災復興に特化した「復興税」という時限的な増税で財源を手当てするのは当然であると思う。各種世論調査を見ても、増税を容認すると回答した人は、全体の6割~7割に及んでいる。

政府は、本格的な復興事業を盛り込む2011年度第2次補正予算案の編成作業で、復興税の内容を詰め、具体化を図るべきだ。

この際、子ども手当などの予算を見直し、復興予算に回すべきだ。そこに手を着けず、安易な増税に頼れば、国民の理解は得られないだろう。期限をきった、臨時増税の必要性を丁寧に説明すべきだだろう。

復興に必要な資金は、特別な国債を発行して賄い、返済に復興税を使う。普通の国債と違い、返済財源を確保しておくことで、負担を将来に回さないようにすることが条件だ。

消費税は1%の引き上げで2・5兆円の税収が見込めるものの、全国一律で課税するため、被災地でも負担増となる。広く薄く負担して支援するという復興税の目的を考えれば、消費税を中心に検討することになるのではないか。

社会保障の安定財源確保に向けた消費税引き上げの重要性は、震災後も変わっていない。与野党は、復興税を検討するうえで、税と社会保障の一体改革とどう両立させるかという観点も忘れてはならない。(読売社説に賛同)

消費税は逆進性が免れない。政府は被災地住民には増税分を還付する案を検討しているが、還付の手法が問題で政府は分かりやすい説明が必要だ。

自民党は増税自体には反対していない一方で、消費税ではなく、所得税や法人税の税率の引き上げの検討を求める意見もあるようだ。また公明党も、自民党と足並みをそろえている。

「挨拶」と「声かけ」をしよう

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05gihu_hana_festa21 「挨拶」と「声かけ」は人間社会で生きていられる原点です。「家族の絆」「地域の絆」「社会の絆」があって人は生きられるのです。自分ひとりで生きていると思ったらとんでもない。家族・地域・社会の多くの人に支えられているのです。

人間一人では生きていけないのだから、人を思いやるやさしい心遣いが大事です。この世に生をうけて、親の愛情で育てられて、ここまで大きく育ってこれたのです。人の身体を温かい血が全身流れで生きていられるのです。その温もりを他人に感じさせることが大切です。それには「あいさつ」声かけ」で人に温もを伝えるのです。

「おはよう。いってらっしゃい。」と近所のおばさんに明るい声であいさつをされた。いつもこの時間、おばさんは自分の家の前をはきそうじをしています。玄関前に並んだ植木ばちはいつもいろいろな花が咲いていて「きれいだな」と、みんな心が和むだろうと思って花を咲かせているのです。

ここを通る子ども達にもきっと「おはよう」と声をかけているにちがいない。あいさつをされて元気よく返す人、無表情で頭だけ下げる人、下を向いて絶対あいさつをしない人、いろいろです。

恥ずかしがらないで、まずは小さな声でいいから、あいさつを返せばいいのです。それから「声をかけ合うこと」も大事です。家族や友達はもちろん、たとえ知らない人でも声をかけ合う事で、相手の気遣いや、お互いの気持ちをわかり合えたりできるのです。

それは、人の心を、気持ちを明るくできる一つの方法で「あいさつ」「声かけ」は地域社会を明るくする「原点」です。そうして、絆が生まれ、相互信頼が醸成されて、幸せ感がもてるのだと思います。

これからは、私たちの町で出あったら誰にも「あいさつ」「声かけ」しよう。

2011年4月19日 (火)

つくしの思いで・・・

Tukusi101 懐かしき ひかりのなかで つくし摘む 

湯殿川の堰堤につくしが顔をのぞかせている。食べるわけでもないが摘んでみた。里山では、むかしは土手が多く今の季節には土筆(つくし)出る。日当たりのよい南傾斜では枯れ草の中に伸びている。節(はかま)が三段ぐらいがちょうど食べごろだ。

子供の頃、よくつくしを摘んだ記憶がある。春の野を這えずりまわったものだ。おだやかな春の日差しをあびながら、一本、二本と摘んでいるうちにひざまつくらい沢山取れる。

そしてその日差しは、実は遠い過去のものと同じである。遠きひかりと、何かを忘れさくれせてくれる一時が、遠くからも姿がシルエットのように浮かぶ、もはや夢とも現とも分からぬ情景を思い出していた。

ここは放射能で危険と言われても・・・

05detohama11 ここは、「危険だから何処かに住居を移して下さい」と言われても、仕事や先祖代々から住んでいる所で農業・漁業をはじめ多くの中小企業者など、どうやって生活すればいいのか?途方に暮れてしまう。また、何時戻れるのか?聞いてもはっきり回答がない状態だ。

これが東京電力福島原発事故で、放射能という目に見えない、匂いもない物ので人体に悪い影響があるという。よく分からないが、電気も目に見えないが、触ると命を落とす、その前に、ビリビリ感じて怖い。静電気で感じることは日常あることだ。

放射性ヨウ素とか放射性セシウムなどの言葉がテレビで言っているがサッパリ分からぬ、半減期とかいっても・・・ガンになる? 一度に100ミリシーベルト以上の放射線を浴びたときとされるとだという、なんとも理解できない。

むかし、親父がご飯をこぼすと目が潰れる、嘘をつくと閻魔様に舌を抜かれるなどと言われたことを思い出した。なにか似ているような気がしてならい。

だが、電気がなければ現在の生活はできない、昨日「東日本大震災・原発事故 参院予算委員会で集中審議」のNHKのテレビ中継を見て、福島民社党代表が菅首相に、原発は、今後建設しないか、また、今ある58箇所を使わないように出来ないのかという質問に、明解な答えはしなかった。

福島代表は、放射能に被災されている方達のことを思って、また原子力発電の絶対安全の神話が崩壊した状態では人の命が保障されないという思いで発言したのだろう。

しかし、原子力発電がなければ経済産業と人々の暮らしは考えられない。それに変るエネルギーの確保は、今のところ考えられない。従って菅首相は、「現存する原発を新たに基準を設けて再チエックする必用がある。」と答えたにとどまる。当然だと思う。

菅さんの苦しい思いは分かる。しかし避難しなければならない人の立場も分かる。難しい問題となったものだ。

爺さん何故川にゴミをすてる?

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Img_0105 昨日、わが町八王子市片倉町を流れる湯殿川に、弁当のプラッシック容器、ペットボトル、紙類、などレジ袋に一緒に入れた物が流れて、石にひっかっていた。しかし、水の流れているところまで降りるのは、危険であるが、なんとしても拾い上げないといけない。下流の町に迷惑がかかるとの思いで、拾うことを決意した。

やっとの思いでゴミ袋があるところまでたどり着いて、用意した引っ掛ける道具で拾い上げることが出来た。全部で4袋である。(これでこんな思いで拾い上げたのは6回目である。)

ようやっと拾い上げ橋の上に運びあげて、ヤレヤレと、ズボンの汚れをはたいていると、年のころ80歳前後の爺さんが、缶コヒーを飲みながら通り過ぎた。爺さんは、通り過ぎてしばらくすると、飲み終わったコヒー缶を当然のように、川の真ん中をめがけて放り投げた。

「ちょっと待った何故捨てる?」と怒鳴って後を追ったが、私は両手にゴミの袋を持っていて、早くは歩けない、ゴミ袋を道路の端に置き、駆け足で近づき、「ちょっと待って」と言ったらようやっと爺さんはとまった。

「川に缶捨てるとは何事?、私がゴミを拾い上げていたことを見ながらとんでもない!」と言ったら、「スマン」と一言、手を上げて立ち去ろうとしたので、更に「あなただろうこんなゴミを捨てるのは!」と言ったら、「中を見たのか?」聞いてきた。

近所の複数の方から「あなたが捨てているところ見ているんだよ!」と言って叱責した・・・。(名前を確認したら間違いない、2年前から移り住んでいるという。何人かの証人がいる。)

その後、爺さんはスパーに行って大きい袋を持って帰って来た。近所の奥さんと待ち構えて、「皆が見ている、絶対に捨てないで!」とこう言ったら、ペコリとお辞儀をして帰っていった。これで少し川のごみが減る???

私は、少し冷静さを欠いたようで反省したが、何でもわきまえた、年寄りがやってはいけない行為で許す訳にはいかない行為だ。「湯殿川をきれいにしよう」昔のように、魚や昆虫などすめるきれいな水が流れる川にしようと思っている一人である。これからもこういった不心得者には厳然と向きあって行くつもりである。

「不法投棄は有罪だ」「守ろうよみんなの好きな町だから」「環境は一人ひとりの心がけ」「みんな見ているよ貴方の犯罪行為」・・・川は生きている。だから死んだ川は臭がして、ドブ化し全く生き物がいなくなる。

2011年4月18日 (月)

アメリカの心強い支援

080326topics1 東日本大震災への対応をめぐる日米両国の強固な連帯が、改めて確認されたと言えよう。昨日アメリカのクリントン長官が来日、菅首相と会談し、心強く有難い約束をしていただき感激した菅首相のことばが、「永久に忘れない」と言われた。

読売朝日新聞から・・・外相共同会見には、米倉弘昌日本経団連会長とトーマス・ドナヒュー米商工会議所会頭も同席した。日本の復興に向けて、官民一体で協力することで合意した。

米側はこれまで、最大2万人による米軍のトモダチ作戦に加え、物資援助、原子力専門家や救援チームの派遣、ロボットの提供など、幅広い支援を実施している。日本側は「困った時の友が真の友」という言葉を思いだされる。

また、米軍は2月に発表した国家軍事戦略で、災害や平和維持活動にあたる自衛隊の能力向上への協力を表明した。この分野でより密接に連携できるなら、何よりの「恩返し」になるだろう。

今回の実績を生かし、その延長線上でできることはあると思う。 普天間問題や在沖縄海兵隊のグアム移転、同盟深化の作業、日本の環太平洋経済連携協定(TPP)参加に向けた日米協議など。いずれも着実に前進させることは出来ないだろうか?

「ちょっと良いことしたな!」

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10ichige_akitakoma11 昨日の朝、北野街道の横断歩道で、猫が車にはねられた死骸があった。横断歩道は血で真っ赤になって汚れていた。近くに催し物があって、人通りは多かった。私もその催しの係りであったので、その会場に出かけてその光景を出会ったのである。

その事務所にその事を話をして、片付けに必要なビニール袋・新聞紙などを探して欲しいとお願いしたが、「猫が死んでいましたね」だけどビニール袋が何処にあるか分からないとの返事である。困ってしまって、大きな紙袋があったので頂いてきた。

そして、八王子市に処理を以前にお願いしたことがあり、館清掃事業所に電話をしたが、日曜日で休みである。これは自分が処理しなければいけないと思い、知り合いの家にお願いしビニール袋を頂き、収容したのである。

その後の処置はどうしよう、と考えたが取りあえず、グランド近くの隅に置いて明日、館清掃事業所に連絡し処置をしようと考えて、紙袋に入れて運び始めた。

途中の公園の前に来て、近くの奥さんが公園をボランティアで掃除をされていた方に声をかけたら、気持ちよく「私が明日市にお願いし処理しますよ」と言って頂き助かった。その後、血に汚れた、横断歩道を水で洗い流してもとの横断歩道になった。

多くの人が猫の死骸を見ているのであろうと思うが、避けて通っていたのだ。片付けようとしないのは何故か疑問に思いつつ、何時も公園ボランティアを行っていただいている奥さんに感謝しながら、「ちょっと良いことしたな!」と満足感を味わった。

2011年4月17日 (日)

統一地方選に思う

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10shiretoko5go_1ko21 今日から統一地方選挙の後半戦がスタートする(17日告示24日投票)。わが町八王子市も40議席をめざし激しい選挙戦が繰り広げる。各候補者は、市民の安全と安心で健康な町づくりの思いを目標を掲げることだろう。

住んで良かった八王子市を作るための行政と市民の架け橋の仕事をするということが大前提である。八王子住みよい「まちづくり」は、「より良い環境づくり」を外すことは出来ない。「協働」ということばが使われるようになってから、本当に行政・市民一体の目標を持って進めてきただろうか・・・

激しい開発に晒されて環境は問題ないのか?人口は増えて、それなりの「うつわ」は出来たが、人間らしさをが維持でき「夢や希望」が持る町になったと思えるのか、人間の夢は果てしない。果てしないところに問題が起きるのである。

どういう事かというと、立派なうつわ(学校・道路・公園・コミニテーセンターなど)が出来たが、それを上手に使って、人と人のふれ合い、信頼できる人間関係が出来ているかと思えないところが気になる。

環境問題も、わが町に昔から、西から東に流れる湯殿川に河川管理通路を散歩する人は多いが、行政で管理しているから?私達には関係ない?と思っている人が多いようにみかかけられるからである。ゴミは捨てる、犬の糞は、片付けない、タバコの吸殻は捨てる。などまったく自分勝手な人間が多いということである。

そういう町は犯罪が多い、町の活性化が損なわれる、人間が無機質になってしまう恐れが出てきているのである。八王子市は多くの川が存在している、わが町でも湯殿川が、形は大きく変っているが、昔と変らぬ水量は保ったままだ。

川と人間の関係は、昔と現代では大きく変ったイメージである。それでも人間の川に対する先祖からのDNAは薄れはしているものの残っているようだ。そこで、私はその人間の潜んでいるDNAを再び呼び起こそうと思っている一人である。

美しい、きれいな川をはじめ里山などの財産を大事に利用し、維持して明日へ残して行こうと考えているのである。具体て的には毎日のゴミ拾いや、除草、花植えなどをである。

地域(まち)が抱えている課題に対して、ハード・ソフト両面から課題の解決を図ろう思うのである。また、多くの場合、まちづくりは住民が主体となって、あるいは行政と住民とによる協働で進めていくべきであると思う。私の思いを理解していただけ、働いてもらう候補者を選びたい。

2011年4月16日 (土)

原発問題について

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282_field111 東日本大震災で福島第一発電事故による、放射能の放出という重大な事故となって、政府、東京電力、関係者の懸命の対応をしているが、処理の見通しが依然つかめない状況にある。日本はおろか、世界中から注目を集めている。

農業・漁業などの被害、それに伴う風評被害、実際非難を余儀なくされている30キロ圏内の人々、その保障は莫大な費用になる。「想定外の地震・津波だった」では済まされない原発事故で、いま原発不要論が世界中から沸き起こっている。

さーて、原子力で総需要の約23パーセントを占めている日本の電力事情である。原発なしに日本の電力はまかなえない、日本の産業だって電力がいるのだ、この豊かな生活を捨てる気が日本人にあるのか。生活を変える気もないのに原発に反対しても無意味である。

原発を止めたら、何をもって代替電源とするのか?火力発電だとCO2が出て、地球温暖化が進むのに、それでもいいのか、そして、火力はコストがかかる。消費者の負担になる。また、有限である。等々で、便利で快適な暮らしを維持していくには、他に考えられない原子力発電である。

自然エネルギーでやっていけるはずがない。そもそも、自然エネルギー発電にも問題がたくさんある。原発に代わるものと言えるのか。原発は必要悪ではないのか?といったところだろう。

つまり、日本は原発なしでは、電力が不足する。原発の代替電源が火力でよいのか?果たして自然エネルギーで代替できるのか?という疑問であり、その奥には今の在り方を変えることへの恐怖があるのである。

少なくとも、私は社会や文明のあり方や自分の生き方を変える必要を感じる。が、果たして個人の生活を変えることが出来るか判断が難しい選択肢を突きつけられることになりそうだ。

 

 

 

2011年4月15日 (金)

朝に鳩の鳴き声・・・

019 芽吹く山 鳥鳴き競う 夜明かな

4月に入って、日長になったと感じる今日この頃です。朝5時には明るくなります。さすが国道16号の車の通行量も少ないようだ。静かな朝に遠くから鳥の鳴き声が聞こえてきます。

鳩は、「ポッポッポッ」と童謡のようにではなく、低音で「グオー グオー・グック・グック」と聞こえます。鶯も負けじと鳴いている。窓を開けると春独特のもやのような空気を破るかのようです。

「さぁー今日も頑張って!」いこう。という気持ちにさせてくれます。近くに、ちょこっと残る山里は桜が満開だろう。

東日本代位震災で被災された方、福島第一発電事故で避難されている方にも、里山があると思います。一日でも早く、戻って以前の暮らしが出来るよう祈っています。

生活のリズムを!

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05sikotuko31 最近、生活のリズムが一般常識からかけ離れてしまっている人が多いようです。朝夜が明けたら起き、日が沈んだら寝るといういわゆる自然に生きるという生活が出来ない時代です。

24時間開いているコンビにやスーパーが必用という昔だったら考えられないことです。そのため人間本来の生活パターンが狂ってしまっています。

現代病?いつも軽い疲れやだるさ、めまい、ふらつきなどを感じます。それが一過性に終わらずに慢性的になり、心の病を疑ってしまうような場合でも、日ごろの生活の仕方を改善するだけで、疲れが回復します。

まず問題になるのは生活のリズムを正常にすることによって治ッたという経験は誰でもあると思います。生活リズムということは、たいしことはないとお思いになるかもしれないが、規則的な生活を見直すことが健康維持に大切です。

1日24時間の中で、起床や就寝、入浴、食事の時間を一定にし、適度に休息の時間を設けるようにするだけでも、かなりの疲れがとれて症状が改善します。それが、薬では、治らない病気でも薬以上の効果があります。

1日を規則的に生活するということは、日の出から日の入りまでの自然に調和して過ごすということで、これは1日に限ったことではなく、1週間、1ヶ月、季節、1年と長期に延ばして考えることができます。

さらに、調和して生活する対象は自然だけではなく、家族や友人など周囲の人間との関係、あるいは社会についてもいえます。私たちは一人で生きているのではなく、家族や社会の一員として生きているので、その構成員として全体のリズムと調和しているかどうかも見直す必要があるのです。

また、疲労の背後に仮面うつ病などの心の病が見つかって治療を受けるようになった場合でも、生活の仕方の改善を行うことが大切です。患者さん自身がふだんの生活にひそむ問題点に気づき、自分で改善していかなければ、本当の治療にはならない。

こうした規則的な生活、リズミカルな生活とともに大切なのは、ゆっくり生きる、別の視点を持つということです。心の病に陥りやすい人の特徴は、急いで生きている、立ち止まることを知らないことが多いのです。

日本の社会では、わき目もふらず仕事に打ち込むことが美徳の一つとして高く評価されていますが、実はそうした生き方が心の病の大きな原因になっています。

それを防ぐには、少しでも身体の不調を感じた時には、走るのを止めて立ち止まる。そして、自分の現在、過去を見つめ直す。そうすると、今ぶつかっている壁の向こう側へ行くには、無理に壁を突き破らなくても、わきのほうに通り抜ける道があるかもしれないと考える余裕がでてきます。つまり、別の視点をもてるようになります。

別の視点をもつということは、物事を多面的に見たり柔軟に考えるということである。いったん設定した目標は何が何でも達成しようと歯を食いしばるのではなく、難しさを感じたら目標を設定しなおしたりハードルを低くしたりして、うまくいかなかった場合のダメージをいくらかでも小さくする工夫も必要であります。

適切な表現ではないが、困難な状況を「かわす」「はぐらかす」ことも、疲れをため込まないためには大切な生き方なのであります。(参考:暮らしと健康 第56巻 第11号)

2011年4月14日 (木)

15歳未満の臓器提供

10ichige_akitakoma11 改正臓器移植法に基づいて、脳死と判定された15歳未満の子どもから臓器提供を受けた移植手術が行われた。交通事故で頭部に重傷を負った10代前半の少年が脳死と判定され、心臓や肺などが5人に移植が行われた。

昨年7月に施行された改正臓器移植法にもとづき、15歳未満の子供が臓器提供者となる初のケースだ。

課題がある、18歳未満の脳死判定を行う際に定められている「虐待」の有無の確認だ。その判定の曖昧さがある。また、臓器提供には親の承諾が必要だが、幼いわが子が突然命を失うという事態に陥った親にとって、その判断を下すのは負担が大きい。臓器移植についてのコーディネーターの説明をするのが、これまでと違う慎重さが求められる。

子どもが犯罪に巻き込まれたり、事故にあった時、損害賠償、慰謝料を求めた時、また逆に「いくら治療しても、意識もない子に金をかけるなんて無駄!それなら移植して人の役に立つ方がいいんじゃないの?」と、いう考えもある。

これを心無い意見ととるか・・・身近な人なら看病にあけくれる親をみて、心配して心を鬼にして言っているかもしれない。病気の子に兄弟がいれば、そちらにも目を向けなければいけない。それに対し、「他にも子供がいるから、ひとりくらいいなくてもいいんだろう」と考える人もいる。

また、「それは天命」、可哀想だけど、寄付をあつめて、他の子の死を待ってするのはどうか?ある意味、他人の死を心待ちにしているという考えもある。

他人が、「こうすればいいのに・・・」という事が言えない。一番いいと思う判断が出来ない。見つからない。そして、「人の命の事をとやかく言うべきではない」というのが基本的考えであるべきだ。

その立場になった時に、医療関係者が色々な選択肢を提示してあげる。当事者以外は、親の心情(=決意)を理解して尊重するしかないと思う・・・

政治力で国難を・・・

05detohama11 政治はこの国難を挙党一致で何故あたらないのか?野党の自民党の谷垣総裁も、震災の救援には協力するといっているが、その反面、この期において、菅政権の退陣を求めている。いま、衆院を解散し選挙は考えられない。

ならば、菅政権に協力し復興を進めるしかないでだろう。菅政権の退陣を求めるなら、自民党なら、私ならこういう体制を作って復興をを図るという具体案を提示すべきである。

ただ混乱に乗じて、代案もないまま批判していているだけでは無責任すぎる。無責任といえるのは、民主党元代表の小沢氏も菅政権の批判が増しているようだが、なんとも無責任な言動だ。挙党一致でこの国難を乗り超えることに力を注ぐべきだ。そうすることで政治の信頼が取り戻せると思うのだが・・・

仮に今、首相が交代すれば、国民のみならず、国際社会も「いよいよ日本は政治の統治能力を失った」と不安を募らすのではなかろうか。内向きな政局発想から今も抜け出せないことに驚くほどだ。

被災地では多くの人々が余震におびえながら忍耐強く避難生活を続けている。首相も与野党議員も「党利党略」「個利個略」を捨て、総力体制を築くべきだと再度指摘したい。

「小異を捨て大同につく」ことで、国民の信頼が増すのではなかろうか・・・政治力で国難を乗り切るしか選択肢はない。

心の故郷

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07rose_ame21 生物すべて(種)は、やさしさの(DNA)を持って生まれてきます。それに水をやることをしなければ、枯れてしまいます。人間は自分達が思っているほどやさしい生きものではない。野生の動物にも劣るものであることは、証明できるでしょう。

教えられなければ、やさしくなれないとは残念ことですが、しかしそれでもなお、やさいいさは、人間にとって必用なのです。では、やさしさを教えるということは、どういうことでしょうか、これが分からないと教えることは出来ません。

もちろん普段から親が、身をもって教えていれば、子供はそれを見て、自然と身に着けることができます。しかしやさしさとは何か、すぐに言える人は、そんなにいない。親切にすることと、言う人はいますが、それは、ただ言葉を言い換えただけで、やさしさの定義はありません。

やさしさとは・・・人のことを先にして、自分のことをあとにすることと、学ばなければなりません。現代は、やさしさの価値が、不当に低く見られています。心の平安は財産が作りだすものでもありません、やさしさがつくります。

平和はやさしさによってでなければもたらされることはありません。この平安と、平和の心を持つことは、誰でも生まれ持った心の底のやさしさを目覚めさすことです。それが心の故郷なのです。

このたびの東関東大震災で世界中の国が心配し、捜索に協力してしていただいております。どの国、民族でもそれぞれかけがいのない故郷がある。人々の心の底には、民族が先祖から引き継いだ血があるのです。

お互い人間だから、故郷の心、やさしさの心には、人類共通も相通じるものがあり、民族や、宗教のちがいを超えて共感するものがあるのです。

 

 

2011年4月13日 (水)

生きているだけで幸せ

1231 「生きているだけで幸せなんだ」。幸せなんて探しても見つからない。あれが食べたい、楽しい楽園に住みたい、あの物が手に入れば幸せだろうな・・・なんて思っても手に入る筈がない。

どんなに貧しい生活をしていても生きていれば幸せがそばにあり、見つけることが簡単だ。だから、「幸福とは」何かを教えてほしいという人がいる。そういう人に私は「そんなもの、教えられない」と言いたいです。

この世に生まれたことへの感謝。そういうものを、もう一度見つめなおしてほしい。・・・今、こうして「生きている」って、"奇跡"なんだ。だから、生きていられることは、何故なんだと言うことを考えてみましょう。

両親をはじめ、両親を生んだ先祖がに感謝、そして、多くの人がいて、自分が生きていられると言うことを考えて下さい。そして、自分一人では生きていけないのだから・・・多くの人に支えられて生きていかれるのです。つまり、人の命を大切に思い、優しい思いやりをすることが幸せなんだ。ということを知って欲しいです。

生きているということは、人は愛するということ、あなたの手の温みが、人に差し伸べる暖かい手が生きている証拠です・・・。

証拠隠滅罪で実刑判決

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07rose_ame21 「実刑が当たり前」と、思う人は多いと思う。厚生労働省の村木厚子さんの無罪が確定した郵便不正事件で、主任検事だった前田被告は押収品のフロッピーディスクのデータを検察に有利なように書き換えていた事件である。

上司だった元特捜部長が村木さんの摘発を強く求め、捜査の見立てに矛盾する消極的な意見を嫌ったことが、前田被告を改ざんに走らせた、と指摘した。

だから、村木さんの不当な逮捕から証拠改ざんに至った事情を元特捜部長の大坪弘道被告の個人的な資質に求めている、「当然だ」。

法務省に置かれた「検察の在り方検討会議」では、の調査に対し、検事の中には実際の供述と異なる調書を作るよう指示された経験があるという。あらかじめ描いた構図に沿って自白を迫り、否認しても聞く耳をもたない。そんな取り調べがあったいうから恐ろしいことだ。

検察はこの判決を教訓にし改めて国民の信頼を取り戻すこを、真剣に考えてもらいたい。ビデオ録画が、国民に対するこの事件での不信を払拭する一番の解決策であると思う。 

2011年4月12日 (火)

鶯の鳴き声

10kawadusakura_minamiizu21 鶯の 鳴く声ことに まれになり
今朝、久しぶり家で鶯の鳴き声を聞いた。日永になり、鶯の鳴き声が、もうとうに聞こえていい頃だが、最近は聞くことがまれになった。開発が進んで、ちょっとした藪がなくなってしまったためかも知れない。
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うぐいすは、別名春告げ鳥である。「鶯の谷より出づる声なくは 春来ることを誰か知らまし」(古今集)とあるように、その声で春の来たことを知る、とされている。実際の鶯の色は、もっとくすんだ緑褐色でお腹は白色。このお菓子の色は目白に近い。
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鶯色と一般的にも言われている。お菓子にも、うぐいす餅など色には、春を感じられない、地味で「梅にうぐいす」というが、実際には梅の枝にとまっているところを見たことがない。鳴いている姿も見ることは滅多にない。
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ブッシュといわれる藪がなくなってしまったからか?しかし、春の鳥といえば他にホトトギスがいる。ホトトギスは、鶯の巣に卵を産んで育ててもらうそうだ。托卵(たくらん)だ。

春の宵・・・震度6弱で緊張

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06oga_toga11 春の宵 緊張走る 震度6

片倉城址公園の桜が満開となった。黒雲が西の高尾山を乗り越えて来ていたが、何かを予感するような雷が鳴って、パラパラ雨が降ってきた。17時16分頃、福島県と茨城県で震度6弱が起きた。NHKのテレビを見ていたら、緊急地震速報の画面に変わって、ニュース番組のアナウサーの戸惑いもあって緊張が走った。

津波の警報が出されまたもや被害が出るのかと・・・不安に胸が締め付けられた。鉾田市で震度6弱を観測するなど各地で大きな揺れを観測、その後も1時間にわたって数回揺れが続いた。津波警報はその後、解除されたが、1ヵ月前の巨大地震の余震だそうだ。

その後余震の余震が絶え間なく続くが、私達が住む八王子市は、さほど感じられない。娘孫が住む、東京江戸川区は震度4という。早速電話したが異状がないとのこてホッとする。

3月11日14時46分の東日本大震災について、国内最大級だそうだという・・・東京大学地震研究所の古村孝志教授は「M8.8は、想定されていたM7.5のエネルギーの約90倍に当たる。1707年の宝永地震(M8.6)の2倍で、国内では最大級だ」と指摘。「プレート境界面が南北200~300キロメートル、東西100~150キロメートルにわたり、十数メートルずれたと想定される」と説明する。

2011年4月11日 (月)

明るい社会を創るために・・・

3612 「ボランティア」ってどんなイメージを持っていますか?福祉のこと?困っている人を無償で助けることと思っていますか?また、「ボランティア」をしている人は偉いなあ、私にはとてもできないなあ、自分とは違う人がする特別なものと思っていませんか?

ボランティア活動は、お年寄りも子供も障害者も皆一緒に地域の中で健康で幸せに楽しく暮らしていくために、私たちそれぞれができることで、あなたを必要としている人がいます。あなたにしかできないことがきっとあります。そして、ボランティア活動はあなたを幸せな気持ちにさせてくれるのです。

黙っていれば友達になれない。叫ばなければ消え去ってしまう。私たちが生まれてきた時から、育ててきた何かを伝え合うために、ちぎれた世界の心と心を繋ぎあうために、何かをしよう。

幸せは、人から与えてもらうものではありません。自分自身で探し求めるものです。困っている人を助けたり、悩んでいる人に慰めてあげたり、辛そうにしている人に優しい声をかけたり、苦しみや辛さを共有する「愛」が信頼が深まり、明るい社会が創られると思います。

だから、ボランティアは、人と人を繋ぎ合わせ、お互いの幸せのためだということだと思います。ゴミ拾いや、子供が悪いことをしたら注意することや、人が気持ちよく暮らせることなどなどをすることだと思います。

このところ、自分さえ良ければ・・・と思われる言動が気になることがありとても残念です。しかし、ここで諦めたらいけないと、思いを新たにし私はボランティアを続けていきたいと思います。明るい社会を創るために・・・

人のために何かをしよう

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1231 八王子市では、八王子市民の安心して暮らせるまちづくり、として犯罪防止のため、相互の連携を深め、より効果的・総合的な活動に発展させることを基本指針策定し、その指針に基づき、積極的に安全・安心対策を進めています。

私が、日ごろ気づき、考えていることは、まちが活性化し潤いの感じるにはハード面と地域の住む人のソフト(心)面が問われていると思います。八王子の中でも特に、この地区はゴミが落ちていない・公園の手入れが良くされている・近隣の皆様が笑顔で挨拶するなど、地域で差があるように見かけられようです。

最近感じるのが、マナー・モラルが問題で、ハードとソフトが一体で安心・安全で「住んで良かった」という町になるのだと、痛感しています。

それには、防犯意識、近隣の交流の活性化、学校の登下校の安全対策、子供の家庭での躾・教育、社会的マナー・モラル、などをもう一度考えてみる必要があると思います。

人間は一人では生きていけない、家族があり、地域があり、社会がある。それにはルールがあって、共生という、助けあい・思いやりの心がとても大事になってきます。心のふれ合いが大切になってくるのです。

家庭で・地域で・社会で、人の命を守れれて、安心・安全で心穏やかに暮らせる町が出来るのだと思います。「みんなの好きなまちだから・・・」人のために何かをしよう。

2011年4月10日 (日)

破船に春の雨

10risiri_senpousi21  陸上に 破船悲しや 春の雨

明日で1ヶ月が経ち、真冬のような寒さに、被災者は避難先で、不安の毎日を過ごしていたことでしょう。大津波で漁船が打ち上げられて町の民家の壁に横たわっている。

その光景がテレビで中継されていて、津波の巨大パワーを想像させてくれている。なんと恐ろしいことだ。

昨日は、震災に遭われた東北地方に雨となったそうだが、冷たいあめに破船と化した漁船がなんとも悲しい。

それでも原子力発電は必要・・・

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08yokotesigai_yuukei21 東日本大震災で、津波に未曾有の被害をもたらした。その上、福島第一原発は、地元の皆さんは、もとより日本中いや世界中で大きな問題として取り上げられている。そして原子力発電の可否が取りざたされている。

保安院の西山官房審議官は9日午前の記者会見で「五つの壁があるなんて言ってきた。私も多重防護で絶対大丈夫と信じてやってきたが、こういう事態になった」。反省の弁を述べ、これまでの原発の安全規制に甘さがあったことを認めた。7日深夜の余震で、東北電力東通原発の非常用ディーゼル発電機がすべて使えなくなったことなどからだ。

現在日本の電気の約30%を担っており、今後も経済産業が維持されていく上では、有限の化石燃料で補うことは出来ない。その上、地球温暖化という大きな問題がある。電源は現在も30パーセントであるが、基幹電源として30〜40%程度以上の発電を担うことを目指すこととしている、電気事業会の考えを支持したい。

そんな状況でも、私に原子力発電は必要か否かと問われれば必要と答える。勿論、風力・地力・太陽熱などの推進は大事であるが、燃料の安定供給ができる・CO2を排出しない・電気料金の安定化ができるなどからである。

加えて、水力の新規増設は現状では非常に難しいと思う。現時点で水力や風力などの自然エネルギーで全てのエネルギーを賄うことなどできない。そして石油などの燃料も有限であると考えれば、残る選択肢は多くは無い。

今回(3月11日の地震・津波)大きな教訓として安全基準を見直し、今回の地震・津波以上を想定して、現在の原子力発電設備の点検をして補強をしていくことが条件である。

2011年4月 9日 (土)

恐ろしいこと、そうでないこと

Photo_2 福島第一原発の事故は、依然状況が深刻である。テレビでの報道時間も少し減ってきて、NHKニュースの視聴率も事故直後より低くなっているようだ。平常時の数字に戻ってきているのか・・・視聴者の側にも疲れがきたのか・・・

放射線が人体にどれだけ危険か、その情報を見て得心すると、テレビで「直ちに健康に影響が出るレベルではない」と伝えられても安心できない。「政府やマスコミは危険なデータを隠しているのではないか」と疑いを持ち始める。一方、成田~ニューヨーク間の航空機に搭乗することでどれだけ被曝すると知って驚いてしまった。

「恐ろしいこと」と「そうでもないこと」が、報道でよく分からないが、その区分けを見極めることが大事だ。私たちが何を恐れなくてはならないか、冷静に判断できる情報を得ることだ。

テレビに出る専門家は、むずかしい専門用語を使われ、理解が出来ないで、視聴者が、不安に取り残されてしるようで不安は増幅してしまう。放射能の正しく理解できる報道関係機関が氾濫してどの情報が正しいのか、一般視聴者は選択が難しい。

例えば、経済産業省原子力安全・保安院の西山英彦審議官は8日の記者会見で、ニューヨーク・タイムズ紙の報道について、「我々の認識とは違う」と述べ、福島第一原発2号機の燃料が圧力容器から漏れて、格納容器の底にたまっているという見方を否定した。

ただ、同機の格納容器や燃料棒が損傷した可能性は高いとした上で、西山審議官は「圧力容器内に注水される水が何らかの形で、格納容器内に漏れている。それが格納容器内で強い放射線として観測されている」と指摘した。(読売新聞)
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それにしても西山審議官がよく記者会見にでているが、原子力の専門知識を持っているのか?と言うとそうではない。経済産業省大臣官房審議官である。だから信頼がいま一つという人もいる。
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その西山審議官が、「五つの壁があるなんて言ってきた。私も多重防護で絶対大丈夫と信じてやってきたが、こういう事態になった」。西山審議官は9日午前の記者会見で反省の弁を述べ、これまでの原発の安全規制に甘さがあったことを認めたのだ。
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信頼できる情報が正しく伝わることが大事で、それを正しく理解することが混乱な無くすことだと思う。

 

湯殿川をきれいにしよう

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「モラルの低下」「非常識」「エゴイズム」「マナーの欠如」などの言葉がありますが、以前から町の汚れ方・乱れ方が酷いと感じている一人です。

町が汚れていると、空き巣・性犯罪・窃盗・引ったくりなどの犯罪が多いと専門家はいう。歩行禁煙・犬の散歩に糞は始末しよう・ゴミは持ち帰ろうなどの看板はあるが無視している人がいます。そして、取り付けたばかりの看板を壊してしまう人もいるのです。

また、川に生ゴミやプラスチックなどの八王子市の清掃車で運んでいただける、生活ゴミをなんと思ってか橋の上から捨てる人間がいます。わが町に流れる湯殿川は、むかしは多くの魚・昆虫がいたのですが、今は鯉がいるくらいです。もともと鯉は、比較的汚れに強い魚だ。川の水を浄化する意味で、放流したものだそうです。

そして、近くにスーパー出来た。スーパーが出来たことで、お年寄りや足の不自由の方に近くに出来たおかげで助かるとの声が聞かれる一方、ゴミが増えた、散歩に犬を連れてきて、糞の始末をしない人が目立つようになったという声も多くなる。

昨日、スーパーの買い物車(カート)が川に落ちていた。拾い上げてスーパーに戻したのだが、大変で通りかかった人に協力してもらって、やっとの思いだった。そのことをよくスーパーを利用する奥さんに話したところ、女子高校生三人がカートに乗って遊んでいたという。多分返すのが面倒で川に投げ込んだものだろうと思います。

歩きタバコは投げ捨てる、車からタバコは投げ捨てる、タバコの箱のゴミまでも、平気で道に投げ捨てる。本当に親の顔を見たい輩ばかりです。もっとも、こいつにも家庭があるのかと疑いたくなる程のバカ中高年もいます。

自分の家でもタバコを投げ捨てるのだろうか。もちろん、そんなことはしないだろう。道端に捨てたタバコやゴミは誰かが片付けなければいけないことを考えもしない。翌日に自然に消えているわけではない。自分さえ良ければ、その場が良ければ、それで良し。そんな風潮です。

この町に住んでいる一人として本当に不愉快だ。誰か困るからという意識は全くない。誰かが拾ってくれるから?自分には関係ない?人の迷惑考えない?そういう人間が東日本大震災で被災されている人のことを、大変だから義援金云々すのだから堪らない、その神経分からない。困ったことです。

2011年4月 8日 (金)

花祭りと慈眼寺

07yamazakura_kitakami11 仏教の開祖である釈迦の誕生日とされる今日、各寺院では釈迦の立像に甘茶をそそぐ儀式を行なう。この習慣では釈迦が誕生したとき、八王竜王が喜びのあまり甘露の雨を降らせたという言い伝えに由来する。古くは掛けた甘茶を持ち帰り、これで墨を擦り虫除けの呪いを書くと効果があると信じられていた。

4月8日はお釈迦様のお誕生日「花祭り・潅仏会」である。私は小さい頃、子供どうしで、近くの慈眼寺に行き、甘茶を頂いた記憶がある。

50センチ×50センチぐらいの大きさに、4本の柱が高さ70センチ屋根がつき、椿の花に飾られた屋根下の真ん中に、お釈迦様の立像にあって、柄杓で甘茶をかけると、いっぱいの甘茶が頂いて飲んだ。そのときは、とっても美味しく、もういっぱい飲みたかったが、後の人がいたので我慢した思い出でがある。

地理は、 hachibutu.com/Map057_gigenji.html -である。

あれから65年ぐらい経ったいま、当然その頃の住職はいない。

未曾有の被害を及ぼした、東日本大震災があった。そして福島第一原視力発電の事故で放射能の被害で住民はもとより、日本でもこれほど巨大な地震と津波と放射能の恐ろしさを経験したことがない。発生から1ヵ月が経とうとしている。

被災した東北地方も、ようやっと暖かくなる兆しがしているだろう。桜の花も間違いなく咲きだす。私の住んでいる八王子市片倉町では、桜は8分咲きだ。昨夜は、震度6強の地震があった。大きな余震は、まだ予想されるという。お釈迦様のお力で、何とか抑えていただくよう願うばかりである。

慈眼寺は、文安2年(1445年:室町時代)に心安守公和尚開創の古刹で、曹洞宗の武相観音札所です。寺の入口には「板橋 (=旧釜貫橋)より壱丁参道」と記された道標があります。かつて山門に吊された鐘には、鑓水商人の名前が記されている。

自衛隊と米軍の力で救援・・・

Image0171 頼りになる自衛隊と米軍の救援で、信頼が増したという元気づけれられる明るニュースだ。これで、自衛隊の存在価値が上がった?そして米軍の沖縄基地の在り方も多少見方が違ってきたのか?

朝日新聞社説で、・・・「自衛隊の働き―不断の見直しが生きた」
冷たい泥水につかって行方不明者を捜す。重い防護服をまとい、原発に立ち向かう。被災地のあちこちで、自衛隊員が黙々と災害救援活動を続けている。

投入されているのは10万人超と全自衛隊員の半数近い。500機を超す航空機や50隻余の艦艇も機動力を発揮している。巨大地震、大津波と原発事故の複合危機に対処するため、菅直人首相は一気に過去最大規模の動員を命じた。その判断は間違っていなかったといえる。

地震発生後、救助した住民は2万人近い。出動の遅れが指摘され、規模も小さかった阪神大震災に比べると、今回の初動は迅速だった。数々の支援活動も順調に進んでいる。

災害救援には、組織だった人員と大きな機動力をもつ自衛隊の存在が欠かせない。しかし、同じ組織でも、運用しだいで結果に大きな開きが出ることは過去の事例が証明済みだ。

今回の働きは、これまでの教訓をもとに、政府、自治体と自衛隊が災害派遣のあり方をめぐり、見直しや改善を積み重ねてきた成果だ。

日本の防衛に加え、海賊対処や国連平和維持活動など海外任務もおろそかにできない。業務に優先順位をつけ、規模を柔軟に増減させる。今後も長期化を見すえた態勢で臨んでほしい。

産経新聞主張・・・「在日米軍 沖縄でも共感の輪広げた」
米軍基地を抱えて反基地感情が強いとされる沖縄県で、米軍への共感の輪が広がり始めた。東日本大震災で米軍が展開した大規模救援活動「トモダチ作戦」を通じて、在日米軍と自衛隊による日米安保体制が国の守りだけでなく、国民の安全そのものを支えていることを浮き彫りにしたからだ。

行方不明者の合同捜索やがれき除去に労苦を惜しまぬ米兵らの姿に、被災地住民から感謝と称賛の声が上がったのは当然だ。沖縄でも日米同盟の大切さを見直す重要な動きとして評価したい。

「天災対応を含めた新しい日米安保の必要性を感じた」(那覇市民)、「海兵隊が改めて頼りになると感じた」(名護市民)などの沖縄県民の声は本紙でも報じられた。とりわけ、在沖縄米海兵隊と自衛隊が協力して救援活動に汗を流す姿が頻繁に伝えられたことが大きいという。

 

「お互い様」の心を信じよう

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003_201003151 悪夢の出来事からもう直ぐ、1ヵ月である。3月11日から余震が続いているが、昨夜11時32分にマグニチュード7.4震度6強の地震があった。また、停電を始め、怪我人も多くの被害がでているという。原子力発電は、大丈夫だというが・・・これでもかと非情な自然界の掟?

避難先で生活を余儀なくされている方は17万人を超えている人たちに、追い討ちをかける大きな地震だ。避難先の体育館の天井から壁が落ちたり、物が倒れたりしたという。

亡くなった方、被災して家や仕事を失った方、そして、原発の影響で故郷すらも失いつつある方の心中は察するには大きすぎるほどの痛みや悲しみで、体力・気力も萎えてしまいそうな毎日を送っていることでしょう。ただお悔みを申しあげることしかできないというのが正直なところです。

悲しんで何も手に付かないという人が多いと思いますが、それではいけない。被災者の方も我々もみんな、一言で、雑草のように・・・踏まれても、叩かれてもそれで生きていかなければ生けないのです。

ここで問われているのはどう生きるかです。被災者の方に明るく前向きに生きろなどとはとても言える状況でないことは分かっています。けれども、そうこう言っている間も<今>が存在し、人生は続いて、将来に繋げなければならないのです。

被災された方、そうでない方、日本人みんな、本当の自分という存在意識知るチャンスかも知れない、精神や心、人生や宗教などあらゆることを考える機会なのです。 そしてそれと同時に、新たな生まれ変わりへの出発でもあるのです。

人間は一人では生きていけない動物です。人間一人は、ちっぽけな存在にすぎないが、助け合えば、命を守ることができるのです。
被災された方もわれられの仲間です。力を合わせ、一緒に夢を持ち続けましょう。夢は必ず叶います。「お互い様」心を信じましょう。

2011年4月 7日 (木)

今現在を悔いなく生きよう

282_field111 被災されている方は勿論だが、このところよく眠れない人が多いと言う、東日本大震災の避難先の生活の様子・福島第一原発のニュースがテレビ・ラジオ・新聞で見て聞いて読んで、これでもかとくらいに、報道されている。

避難しているしている人、農業・漁業関係で働いていた人達の仕事が出来ない人、いまだに行方不明者探し、避難先の不自由な生活などが、生々しい現地中継などをみる機会が続いて、被災していない方でも、真剣に考えてしまっている。

東京八王子市では、計画停電の心配と食料品の納豆・ヨーグルト・牛乳などがスーパーの商品棚になかったりしていても、ガソリンスタンドも、普通に戻ったようである。

3月11日、以降、防災に備えて、避難グッツを点検し、ないものを補充したり、避難経路など確認したり、過剰思考と思える行動をしている人は多い。そして、東京に暮らしている人たちは(娘達家族がいる)度重なる余震でどうしているのだろうとか?

被災された方達は精神的に大きなショックから立ち直れない方は計り知れないと思う。普通の人でさえ、自分が震災に遭ったらどうしよう、頭から消えない、夜は眠れない、家庭の仕事もやる気がでない、食欲が落ちる、医者にかかって、睡眠薬・抗うつ薬を処方される方が多くなっていると聞く・・・

ある程度、仕方がない、自然災害は人間には何時・何処で・何が起きるか分からない部分がある。これを排除することは、不可能である。「遭ったら仕方がない」と諦め、「事実を受け止め」なければ、前に進まない。

46億年の地球の地殻変動の歴史があったことだ、世界で一番高い山エベレストが海から隆起したという。また、いまだに地球は変動していると考えられている。人間の生命はたかが80数年(平均寿命)であるが、気の遠くなる昔から氷河期があったり、火山の噴火で国が消滅してしまったり・・・多くの悲劇があった。

だから、私は、今の科学では、解明できない神の領域?がある。悩んでいる人に、「なるようにしかならいと言うことがある」・・・「今現在を悔いなく生きようと・・・」

東電と保安院と政府の関係

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06oga_toga11 このところテレビで一躍有名になった?原子力保安院の西山審議官が福島第一原子力発電事故の記者会見で答弁している。日に焼けた顔は何故だか分からぬが、殆ど毎日のようにテレビに映る。

説明が分かり安いということからか?院長の方はどなたか分からない。一度ぐらい院長がテレビに出て、考えを聞かせて欲しいと思うが・・・寺坂信昭氏だそうだ。経済学者で原子工学分野では、無理なのかも知れない。

そもそも、保安院とは・・・原子力その他のエネルギーに係る安全および産業保安の確保を図るための経済産業省の「 特別の機関」だ。

しかし、東日本大震災による福島第一原子力発電所の一連の事故対応で、原子力安全・保安院がその能力の限界をものの見事に露呈している。保安院は当初、情報公開で官邸を出し抜こうとし、会見で炉心溶融(メルトダウン)の可能性をいち早く公表した。

これが官邸の逆鱗に触れ、以降は「官邸と歩調を合わせるため、しゃべらない」と当然の如く、情報提供をためらうようになった。

東京電力は放射性物質を含んだ水1万トン以上を海に放出した。「禁じ手」にまで追い込まれたことが事態の深刻化を物語る。この水を移送、保管する場所を確保するために集中環境施設などにたまっていた比較的低い濃度の汚染水を海へ放出するという。玉突き作戦である。

これまでは放射性物質を環境中に出さないよう封じ込めに全力を挙げてきた。百八十度の方針転換にもかかわらず、説明が尽くされたとは言い難い。

タービン建屋内の地下や建屋外の立て坑に放射性物質を含んだ水が大量にたまった。もとはといえば津波被害に加え、原子炉や使用済み燃料プールを冷やすために注入を続けている水だ。

汚染水放水で「漁業が崩壊」 全漁連が勝俣東電会長に抗議文を6日手渡した。風評被害を含めて保障を早急して欲しいとのことだ。

枝野長官は6日午前の記者会見で、周辺海域への汚染水排出に伴う漁業関係者への補償について「今後、対象に含めていくのは当然だ。当面の仮払いも含めて農作物と同様に対象に含める」と述べ、早急に行う方針を明らかにした。

排水が問題になることは当初から分かっていたはずである。場当たり的な対応を繰り返してきた東電・政府の責任は免れまい。何れにしても、東電・保安院・政府と連携を蜜にし、適正な情報を国民に知らせて欲しい。

2011年4月 6日 (水)

川をきれいにしよう

Img_0103 昨日湯殿川で、大きな亀を見た。亀は岸の大きな石の上で、甲羅干しをしていた。「大分暖かくなったなぁー」と言いたげだった。そこに通りかかった中学生の男の子達5・6人が発見し、フェンスを乗り越え川岸に降りていった。

亀は「これは大変逃げるが勝ち」で、川の中にもぐってしまった。中学生達は、大きな亀を始めてみて、もっと知ろうとする人間の本能と、何故いるのか、何を食べているのか、他にいないのかなど・・・思いめぐらしたことだろう。

私は、「むかしは、こういう生き物がいたんだよ!」「きれいな川・清流になれば、もっともっと多くの魚・昆虫が棲めるようになる。」と話しかけた。

その大きな亀一匹を見ていた中学生は、「ふふーん」と返事をした。「今は鯉が棲んでいるが、君達がこの川をきれいにしていけば、必ず生き物が戻ってくるよ!」

        むかし湯殿川に棲んでいた魚

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                   うなぎ250pxcottus_reiniihamamatsushizuo_2

                かじか

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                 ぎばち

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                 なまず

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                やつめうなぎ

故郷は母親の胎内

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200903012132141 ふるさとは、誰にとっても母親の胎内のように懐かしく心を癒されるものである。私たち片倉町は、むかしは多くの生き物と共生していて、写真のようにどじょうが棲んでいた。その環境に戻し、途絶えてしまった生物を呼び戻し、守り将来につなげることは私たちの使命ある。

カエルやバッタを追って遊んだ原っぱ・・・メダカの姿をのぞきこんだせせらぎ、クワガタを探して歩き回った裏山、そこには、草いきれや日の光にきらめく川面 ,木々の葉を鳴らす風の音があった。

そんな自然や生きものたちの姿が身の回りからだんだんと見られなくなり、ふるさとは時代とともに懐かしさをひとつずつ私たちの記憶から 消し去っていくかのようである。

暮らしのスタイルの変化に伴って、暮らしの環境もまた変化を余儀なくされてきた。しかし、人が心身ともに健康に生活していくためには、健やかな大地と水と空気が不可欠である。

それにはごみ捨てない、湯殿川に清流を!また、リサイクルなどに真摯に取り組まなければ故郷の我が町は守れない。町に暮らす人ひとりひとりの意識が大きな課題である。

このように環境保全や自然生態系への配慮し、限られた資源エネルギーを上手に使う。これらは人の道徳心と相関関係にあるといえる。

こうした視点からモラリズムを重視し、道徳心を根づかせねばならない。家族で、地域社会で、礼節を重んじ、携えあう精神を大切にしながら 尊重し合える人間関係を築くことが大切と考える。

共生の精神をもって、地域社会のクリーンな環境づくりに熱意をこめて 取り組みたい。この町、八王子市片倉町の未来は、私たちの手で守り続けたい。

2011年4月 5日 (火)

義援金の行方と詐欺が・・・

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1231 街灯で募金箱を持って、大きな声で叫んでいる。「東日本大震災に募金のご協力をお願いします!!」・・・そして、テレビ局で、NHKで、人気歌手、スポーツ選手、スーパーのコーナーに募金箱など、やたらと募金箱が目に付く、先だって、住民協議会で町会で集めて欲しいとの申し入れがあった。

本当に、義援金は被災地の方達に届くのか、そしてどのように配分されるのか不透明だ。

3日朝日新聞・・・片山善博総務相は3日のNHKの番組で、東日本大震災で日本赤十字社に届いている義援金の被災地への分配について「政府で何らかの目安をつくり、早めに配れるような基準を示したい」と述べた。日赤と関係自治体間では調整に時間がかかるため、異例ながら政府が差配することになった。

片山氏は「本来は自主的に民間団体や関係県で配分額を決めるのが一番よい。政府の介入はできるだけ避けたい」と述べながらも、「青森県から千葉県に至る被害があり、(当事者間で)どう配分するかは非常に難しく、うまくいかないようだ」と指摘した。

日赤によると、義援金は3月末現在、約700億円に上っている。配分にあたっては、亡くなったり行方不明になったりした被災者数、避難者数などが基準となる見通し。最終的には被災者個人に当座の生活資金として届くことを想定している。

そして問題となっている義援金詐欺である。東日本大震災に“便乗”した詐欺事件が全国で増えている。倒壊した家屋の修繕や募金活動を装い、現金をだまし取ろうとする手口だ。

被災した当事者だけでなく、「何かしたい」と考えている被災地以外の人の善意も狙われる恐れがある。 警視庁では、「善意を逆手に取る犯罪を断じて許さない。組織を挙げて 卑劣な犯罪を取り締まる。」宮園生活安全部長の話である。

また、「被災地への義援金や自宅の電気点検、安全な水の販売など 震災を口実とした悪質商法の動きがある」と指摘、注意を喚起している。不安をあおる虚偽メールも確認されているほか、計画停電中のひったくりや 痴漢なども懸念され、注意を呼び掛けた。

既に制服警察官による巡回やサイバーパトロールを強化しているが、同部長は「犯罪を見聞きしたら110番か最寄りの警察に相談してほしい。私たちは直ちに対応する」という。

しつけと教育・・・

10shiretoko5go_1ko11 子供のしつけと教育は、一回限りの人生で、ある意味でやり直しのきかない。もっとしつけをしっかりしておけばよかった。神経症の人間になってしまった?と・・・悩む、人の親は多い。

のびのびさせてなかったり、「こうあるべき」「こうでなくてはいけない」と非常に偏った育て方をして自由にさせないでいると、いつも自分を防衛して生きるようになる。

人の顔色、反応を一々チェックして、状況判断をしてしまい、自己主張もできなくなる。その状態で、何かしらの精神的ショックを受けると、強化され、神経症へとつながっていくケースが非常に多い。

そうなるとますます自分の心を抑圧してししまい、満たしたい自我を満たせなくなり、わがままができなくなる。無理矢理やったとしても、人の視線を気にしたり、罪悪感を感じてしまう。

すると学校や社会に出た時、人間関係や日常の習慣でも、同じように加速度的に波紋を広げていき、いろんな場面に適用されてしまう。どこにいっても、何をやっても自分を出せなくなる。

つまり自分を抑えようとすることだから、自我を抑圧することになる。自分をさらけ出さず、抑え殺す人間は、当然満足できないで、充たされない。喜びやわき上がる感情もしだいに死んでいく。それでも作り笑いや必死で演技や知恵で乗り切ろうとするが、いつしか限界が来る。

親にそのままの価値を認められないで育ってきた子供は、自分の中でも存在価値を認められない。自信がつかないし、寂しい。孤独の感情が増し、もろくなっている。だから非常に傷つきやすい。

それから今度、親があんまり強いと、萎縮した子供にとっては、人の中でも自己主張をしないから、人に合わせるような生き方をしてしまう。自我を充たせないと、何かあるごとに罪悪感を持ってしまう人も多い。

人間関係でも、感動がない人は、コミュニケーションも人ととりにくくなるし、疎外されやすい。相手にも楽しみを与えられないから、バランスがとれないから、結局は人間関係も悪化する。浮いて孤立をしてしまったりする。ますます対人恐怖症、視線恐怖症的な症状が大きくなる。

うつ病にもなりやすくなる。ストレスを浴び続け、発散もできない。そして、もろい上に楽しめないから。孤立した人は相手に合わせよう、疎外されないようにしようと思って生きている。

感情がない人が相手に合わせようとすると、感情が余計もろくなるから、余計うつ病気味になる。あるいは対人恐怖症が悪化したりする。でも、本人は必死で人と合わせようと頑張っている。しかし、その努力がすべて徒労で空虚に感じる、これでは悩むのは当然だ。

2011年4月 4日 (月)

震災で地球の歴史を考える

Galleryplayer22_moon 何気なく吸っている空気、地上を覆う海や森などかけがえのない地球上の自然、、生命誕生の源となった地球は46億年という遥かな時間の中で変化し続けてきている。

3月11日の東日本の大震災を起こした原因は、地殻変動で、地殻に強い力が加わッたことで、硬い岩石や地層が曲がったり、ずれたり、高く持ち上げられたりした結果だ。地殻変動は日本列島や世界の大山脈をつくり出す原動力であり、今もなお続いている。

近い過去には、今回と同程度の記録がある。明治の三陸震災、1896年(明治29年)6月15日午後7時32分30秒に発生した、岩手県上閉伊郡釜石町(現・釜石市)の東方沖200km(北緯39.5度、東経144度)を震源とする地震。M8.2~8.5(今回は9.0)という巨大地震であった。遡上高である海抜38.2m(今回37.8m)甚大だった。

地球創生から、地殻変動・気候の変動の中で人間が生きてきた。これから、地球はどのように姿を変え、これからどう変化していくのか、素人の私には、想像の域をでない。人が地球と暮らしの壮絶な歴史があって今があることは間違いない。

最後の氷河期が終ったのは今から約一万年前で、それ以前の地球は急激な気温の変動に見舞われていた。なぜいま、安定した気候が続くのか。その秘密は太陽の熱を世界中に循環させる海流にあるということだそうだ。

地球の局所的な気候変動など地球に翻弄された人間たちの歴史がある。100年後の地球は・・・46億年もの歳月をゆっくりと進化し、これからも変動していく地球である。

愛と勇気と忍耐

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800pxdaphne_odoraja011 愛と勇気と忍耐・・・「心の“強さ・やさしさ”を感じる人」

人間生きていれば、大切な人を守る、あるいは自らの信じるところに従う、周囲からの過酷な非難と、それがもたらす汚名に堪えねばならぬことがある。

愛する人や社会を守るためには、あえて卑怯者と言われることに堪える勇気と、この上なく強い心と、優しさがなければ出来ることではない。 心の強さは、何時もあるものではない。むしろ、ふだんは内に秘めておくもので、強さを表に出すものではない。

普段は優しい人だが、イザとなると強さを発揮するのが、真の強さである。そういう場面(機会)が、人生の中には何度かはあるものだ。それは、自分にとって大切なものを守る時かもしれない。

自分にとって大切な人、愛する人を守るためには、恥も外聞も捨てて行動する。社会のために、悪しきものと闘う。自分の信念に従って、人にどう思われようが、自分の道を進む。このようなことがあっても、心の強さがなければ、大切なものを守ることができない。

心の強さの起因は、大切な人、自分、信じること、真・善・美などを愛する心である。そして世評や失敗を恐れぬ勇気である。また人からの非難や悪評や、一時的な苦境に負けない忍耐力である。

何かを愛する強い心から発し、勇気をもって行動を起こし、多少のことは忍耐して、自分の道を進む時、人はすごい強さを発揮できるのではないだろうか。それは、愛に基づくことである限り、強い優しさの発揮でもある。

2011年4月 3日 (日)

桜は人の営みと重なって・・・

07yamazakura_kitakami11 花見が庶民の身近な風習になったのは江戸時代からだそうだ。桜といえば、遠い昔に母親に連れられて、小学校一年生の入学式に行ったことを鮮明に覚えている。“母ちゃん”の手を引かれて校門をくぐった。4月6日だ。校庭の桜の花が満開に咲いていた。

以来、私の桜に関するイメージは「校庭と桜」である。華やいだ入学式と校庭の桜がよく似合う。だが気象条件と桜が今の時期というのは、東京以南だ。

震災にあった、東北の村々では桜を大切に見守り、ともに暮らし、苗代桜、種まき桜という言葉があるように農耕の目安にしてきた。しかし今度の大津波で米どころの岩手、宮城、福島県の田畑は少なくとも約二万ヘクタールが海水の塩分被害に遭った。福島原発事故の放射能で農家は野菜の作付けも出来ない。

大震災から三週間余。刻まれていく数字は冷徹である。死者、行方不明は合わせて三万人近くに・・・復興に向かって動き始めたが、原発事故への不安と不信はぬぐえない。深い鎮魂に包まれ、空も海も大地も色を失ったような東北の地に・・・、それでも、希望は生まれ、励ましは届いている。

桜は次の生のために花を咲かせる。前を向くからこそ散り、新芽を出し、再び花を咲かせる。一年、十年、数百年。過酷なことがあろうと、へこたれず生きる。人の営みと重なり合うようだ。

桜は喜びの花

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500kp330l1 桜は蕾から花に「期待に胸を膨らませる」・・・桜前線も、南から震災の遭った東北地方にも、桜の花が咲くだろう。

しかし、今年は、福島第一原発の放射能漏れで、大気は勿論、土・海いたるところが汚染され、人体に影響が心配されている。政府・東京電力など必死の処置を行っているが、目に見えない“敵”との戦いは、長引きそう。

何事もなかったかのように咲く桜、人それぞれの受け止め方があるだろうが、今年の桜は今年も必ず咲きだすことだ。放射能が心配で避難している多くの人たちも大変だろうが、その地に生活の糧で生計を立てていた、農業・漁業関係者の悲痛な叫びが遠く首都圏にも聞こえてきそうだ。

昔から、先祖霊は歳神、山の神や田の神であり、海の神である。加護してくれる力強い守護神だと信じ伝え継がれてきたが、原子力発電という、人の作り上げて設備の崩壊で、未曾有の災害となって、神は戸惑っていることだろう。

津波に押し流され殆どの枝はもぎ取れれ一つ残った枝の先に桜のつぼみがテレビで紹介された。桜の木も必死で、未来に繋げようとしている。どんな悪い条件でも未来に繋げたい生命力は自然界であり、自然の姿かも知れない。多くの犠牲者をだしたが、幸いにも生き残った人は将来に繋げる義務?があると思う。

諦めたら終りである。周りの人達の応援で、最後の最後まで生き抜いてもらいたい。きっと桜の花は喜びの花となることだろう。

2011年4月 2日 (土)

気がつけば桜の花が・・・

19378203v12387141361 開花して 肩の力が 抜けるなり

今年は、桜前線の開花予報どころではない状況だったのか・・・ふと気がつけば、桜のつぼみは膨らんで東北関東大震災で、てんてこ舞いをしているをよそに、何もなかったかのように・・・どんなことがあっても季節は巡って来る。

毎日震度3・4・5・とか度重なる余震に震災に遭われた方達は恐怖に怯えていることだろう。東京地方も、計画停電で、生活パターンが狂い、その情報に一喜一憂している。

そんなかってない緊張の毎日が続いているが、今年も桜が季節を教えてくれているようだ。そして、桜が、ちらほら咲き出し、青空に近い枝先のほころびを逆光の中に見つけると、いくらか肩の力が抜けるようだ

睡眠を考える

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08yokotesigai_yuukei21 よく眠れた朝は快適だ。快適に日々を送る三つ条件は「快食・快便・快眠」だ。その一つ「快眠」(睡眠)にについて考えてみた。人間は眠らないで活動することは出来ない。東北関東大震災で被災されている方は、避難先で、眠れない日が続いているだろうが・・・

眠れない理由は、そもそも不眠はなぜ起きるのだろうか。脳神経科の先生は・・・
①毎晩一定の時刻になると自然に眠くなる仕組み。これは体内時計が制御している。

②疲れ具合や睡眠不足の度合いに応じて脳を休ませる恒常性調節系がある。いわば休養を取り、回復するための眠りである。

③眠ると危険な時に、脳を緊張させて眠らせない仕組み。気分や情緒と関連した大脳辺縁系の機能。大地震の被災者が『不安で眠れない』と訴える。危険な状況が続くうちは不安でよく眠れない。試験の前に眠れなくなるのも同じ理由である。

2009年の厚生労働省の調査で、約5人に1人は「睡眠で十分な休養がとれていない」と感じている。ただ、その全員が不眠というわけではない。体に眠る力はあるのに、眠る時間を確保できてない人も多い。   

平日の寝不足のツケは、週末の『寝だめ』では返しにくい。休日に長く眠り過ぎると、睡眠のリズムが崩れて、水曜日くらいまで、調子の悪さを持ち越すという最新の研究もあるという。    

睡眠不足が重なれば、日中の集中力や判断力が低下することがある。その結果、仕事や人間関係がうまくいかなくなるばかりか、本格的な不眠や、うつ病につながる可能性もある。慢性的な不眠は、糖尿病や高血圧など、病気のリスクを高めることもわかってきた。

どんな眠り方が自分に最適か、今の睡眠時間は十分か。まずは健康的な睡眠に対する正しい知識を持って、生活を振り返ることが大切と専門医師はいう。

健康的な眠りに近づけるための生活のリズム作りと一日の活働の仕方や家事の工夫を考えることが大事だと思う。 私もそうであるが、睡眠が浅く、短い。トイレが近くなり夜中に何度も起きてしまう。

また、朝、早く目覚めてしまうにだが若い方と比べて、起きているときと、眠っているときのメリハリがなくなってきて、短い時間に、軽い眠りに入ったり、起きているときと睡眠の時のパターンが、入り混じったりということが増えている。年をとれば・・・

 

2011年4月 1日 (金)

やさしさが絆を生む

1231 人は、その境遇になって苦しさ・悲しさ・辛さなどを実感し初めて人温もりを感じるものだ。だから、被災に遭った方の身になって・・・と言うが正直実感ができない。しかし、除々に落ち着きを取り戻し、人の愛を受け止められるようになりつつあるようだ。

国内のボランティアの本格的な動きが出てきたり、外国からの救援隊などが入って活動し始めている。思いやりと思いやりのが重なって人の絆が深まって、本当の「人間愛」が感じられ、深い「絆」ができると思う。

救援活動に来られたアメリカ人に「何もありませんが」とせんべいを差し出し、中国の援助隊員は、通りがかりの住民に「遠くからわざわざありがとう」と声をかけられ、アメや菓子を手渡された。

現地コンビニで「援助隊なら」と代金の受け取りを拒まれ、カップ麺やおにぎりの提供を受けたという。苦境にあっても思いやりを失わぬ被災者の姿は外国人に感銘を与えた。だが、外国の人々も負けてはいない。

マレーシアのある孤児院では孤児が修道女らに働きかけて被災地への募金活動を始め、自分らと卒業生の分も含む義援金と激励の言葉を日本大使館に寄せた。

アジアの途上国からは過去の日本の援助や災害支援への感謝と共に寄せられる義援金やお見舞いのメッセージが相次いでいる。

人へのやさしさや思いやりが地球のあちこちで小さな奇跡を起こし続けている「3・11」後である。今は被災地を覆う深い悲しみも、いつかはこの奇跡の輪の中でいやされる日が来るよう祈る。(今朝の「余禄」抜粋)

人間は自然と人の間で生きる

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05sikotuko31 地球上の動物人(ヒト属)はこの地球上の生き物頂点にある。つまり、この世は人間が中心であり、他のあらゆるものは人間のためにあるとする考え方や、自己中心に利己的にものごとをとらえようとする。

しかし感情があり、思いやりのある行為ができるのも、人間らしいところで、人間中心、自己中心ではいけないと認識できるのも人間である。人間とは、人の住んでいる世界、人の住むところ、世の中、世間、この意味を、持つ。

「自分は今、何のために生きているのだろう?」 いつも不安で、自分の足がしっかりと地に着いていない人が多い。私たちが住んでいるこの地球は、地球の歴史には、137億年前にビックバンより銀河系により太陽中心に形成された。

そして46億年前に 地球誕生といわれている。太陽系の隕石や月の岩石の生成年代から、この頃、原始地球が形成されたと考えられている。その気の遠くなるような経緯あってドロドロした火の玉状態から徐徐に冷えて、火山が爆発したり、氷河期があったり、その間何度となく
地殻変動があって、現在の地球が形成された。

この世は万物無常であるという法則がある。このメカニズムは現代科学でも予想がつかない。天地自然は、震災や台風、干ばつ、猛暑寒波など、自然界の異変、すなわち天変地異をおきます。

大地自然に生きる人間やさまざまな生きものは、その宿命を享受しなければ生きていけない。この世に生を受けたものは、しっかりと地に足を着けて、どんな難局にあっても生きぬかねばなりません。

自然の大きな力の前には人間の存在など小さい。でもこの地球に生きていく限り人間は昔も今も未来も地球自然に生かされ、生きていかねばならない。東北関東大震災で被災された人々へのお見舞いや祈りの心は大切である。

被災され何もかも失った、ある人が「生きているだけでいいです」と、今、お互いに命あるを喜び大切にしたいものです。

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