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2011年3月

2011年3月31日 (木)

国難は国民みんなで・・・

201103128029191y1 「われわれのエンジニアや研究者たちをもっと使ってくれれば、もっと早くに事態を収束できたはずだ。東京電力の地震後の対応にはがっかりだ」──。ある東芝首脳はこう吐き捨てた。危機的状況から脱せない福島第1原子力発電所の状況にいらだちを隠せない。

東芝には最先端の原子力技術を研究する磯子エンジニアリングセンターがある。福島第1原発とはホットラインで結ばれており、地震後も、衛星通信によって正確な情報を得られる状況だったという。「エンジニアがいつでも動けるような体制は整っていた」(同首脳)。

加えて「日立製作所の設計した4号機についても、うちのエンジニアが対応できるように考えていた」(同首脳)。日立は茨城県の日立事業所が被災している。その対応に追われるだろうと、東芝は配慮していたのだ。メーカー側は企業の枠を超えて、福島第1原発の危機に対応する準備を整えていた。

 しかし、次々と起こる危機的状況に東電と政府は混乱していた。せっかくの準備をよそに、なかなか東電や政府から支援要請の声がかからない。それでいて状況は悪くなるばかり。前出の東芝首脳がいらだつのも無理もない。

 両メーカーは、日本の原発の歴史に深くかかわってきた。日々の点検や管理などで、実際に現場で手を動かすのはメーカーである。ゆえに、原発構造に関する知見も、当然ながら蓄えている。

「東電に原子炉に関する知見がないとはいわない。でも燃料や炉心、格納容器など、それこそなにからなにまでいちばんよく知っているのは実際に図面を描いたエンジニアでしょう」。メーカー側は口を揃える。(【第50回】 2011年3月29日ダイアモンド社の記事から)

東京電力の清水社長は体調崩し急遽入院したという、昨夜勝俣会長の謝罪会見を行われ、現状は平穏を保ちつつあるような発言に、一部報道関係者、放射能で避難を余儀なくされている方に、怒りと恨みが募ったという記事が新聞にあった。

いまだに入院治療をしている社長が対策本部長であるというから一般人でも、可笑しいと思わざるを得ない。福島第一原子力発電の復旧は世界で注目されている。アメリカのニューヨーク新聞は「本部長の社長が雲隠れ」との見出しまでついたという。

素人の私だが、何故メーカーの東芝・日立の技術部門に救援を要請しなかったのか、また東芝・日立が支援の申し入れをしなかった?のか不思議でならない。適切な処置は遅れれば遅れるほど、被害が大きくなる。国難は、国民みんなで対処すべき問題であるのは、いうまでもない。

故郷の心 やさしいさの心

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080326topics1 日本では、3月11日に東北関東大震災では、未曾有の被害と原子力発電の放射能対策で、いまも混乱しているさなか、世界の動きを見る余裕などないと言えばそれまでだが・・・今世界では中東諸国の国々では、人間の価値観違いで、波乱・争いは戦争化してドミノ的に広がりをみせています。

反戦世論が国際的に大きく広がっているにもかかわらず、カダフィイ大佐率いる勢力と反政府勢力の戦争と化したが、フランス・アメリカ・イギリスなどは、反政府勢力に加担している。当然国連安全保障理事会の承認されたことであるが、泥沼化したイラクの二の舞にならなければと危惧している一人です。

何故なら、遠い国と思っていた昔と違い、グローバル化した現代社会は、エネルギー資源の石油では、私達日本人に大きく、日常生活に及ぼすからです。

イスラム諸国に、欧米などの価値観を押しつけようとする戦争に突き進む大国、この中東地域では民族と宗教の絡んだ紛争が絶えず、いっそう複雑になってきたようです。

国際的な反戦運動が大きくなっているなか、今後報復の怨念からテロの頻発という見えない世界大戦を誘発する危険性をもはらんでいるとも言えると思います。

東北関東大震災に遭った方も、中東諸国の人々が国外に避難する人も、激戦の戦火の下においても、民族、宗教にかかわらず、人々の心の底に、それぞれの故郷の心はある。人的・自然災害でも非常時には、故郷の心など忘れ去ってしまうかのようだが、戦場ならばこそ故郷の心は消えることなく、平和な故郷への思慕はよりつのるものだと思います。

どの人、どの民族にも、それぞれにかけがえのない故郷がある、他民族に踏みにじられたくない故郷がある、人々の心の底にあるもの、それが故郷の心です。お互い人間だから、故郷の心、やさしさの心には、人類共通の相通じるものがあり、民族や宗教のちがいを超えて共感できるはずです。

2011年3月30日 (水)

列島を咬みついた津波

10risiri_senpousi21 列島の はらわたえぐる 春津波

ごわ算(御破算)とは、そろばんで、珠を全部払って前にした計算をこわし、新しい計算のできる状態にする。といことだが、今までの行きがかりを一切捨てて、元の何もない状態に戻すことはいかない。将に、そろばんの球を掃ってしまったような、すざましい光景がテレビのビデオにあった。

日本列島のお腹の部分を強力な牙を持った鮫が「がぶりと咬みついた」後のようだ。一切のものを飲み込んだ津波だ。その大きさは大きいところでは、想像を絶する23メートルの高さというから一山丸ごとだ。何んと恐ろしいことだ。

深刻な状況にある福島第一原発は、懸命の復旧作業が続けられているが、いまだに見通しが立っていない。何とか早く被害がでないで落ち着くことを願うばかりである。

小異を捨て大同につく

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09oga_akanegumo11 3月11日を境に日本列島は様変わりした。被災地の人々を取り巻く環境の激変は言うまでもないが、日本の隅々まで、すべての人が、くらしや意識の切り替えを迫られた。

国家が危機的状況にある。「あとは決断と実行だ。何をいまさら議論しているんだ」。被災者支援における政府の対応と与野党の駆け引きに終始している時ではない。

費用は能力に応じ被災者以外の国民で負担する。原則を共有すれば、小異は党首の決断と党内説得で越えられるのでは・・・国民が「自分は何をすべきか」と自問し、協力し合っている中、政治家が党のメンツにこだわっている場合でない。

いま大事なことは、連立という形式ではなく、実質としての協働である。自民党は最大限の助力を惜しむべきではない。とりわけ大事なのは復興財源の検討である。当面は国債に頼るとしても、いずれ国民に負担の分かち合いを求めざるをえまい。与野党の幅広い合意形成が不可欠だ。

枝葉末節にとらわれず、大所高所からものを見、大局的に判断することがいかに大切かということである。何が一番大事であり、何が真に正しいか、たえず「小異を捨て大同につく」、それが指導者としてきわめて大切な心がまえだと思う。

すべての関係機関の力を糾合できる体制をつくるのがリーダーは菅直人首相だ。結果責任が問われるのは当然だ。国家議員の防災服姿のアピールより、国民の代表として結果を出してほしい。

2011年3月29日 (火)

春の鯉

271 春の鯉 この川に棲み 他を知らず 

我が町に流れる湯殿川には、鯉が沢山いる。開発が進んで田畑が住宅地に開発され、それに伴い湯殿川も改修され、当然昔からいた魚や昆虫が住めなくなって、環境の変化に強い鯉を放した。いまでは、鯉しか見られなくなってしまった。

その鯉は、環境の悪くなっている川しか知らない? もっと自然の豊かな池など分かる筈がない。どんなに環境が悪くなっても、そこに棲むしかないのである。もっと環境が悪くなって鯉も棲めなくなるかも知れないが・・・人間しだいだ。

そんな思いで今日、川の中のゴミを回収した。何度拾っても、後から後から捨てる不心得者がいる。困ったものだ。

芭蕉の行く春や鳥啼魚の目は泪」を思い出した。奥の細道」という紀行文(旅行の俳句集)のうちの、隅田川にかかる千住大橋で、見送ってくれた弟子たちに、旅の別れを句であるが、昔の旅は今と違って死を覚悟し、二度と会えないかもしれないという思いがあった。

自然と現実

Galleryplayer16_galaxy 自然は、今も昔もこの宇宙に繰り返す法則・・・季節が来ると植物や果実が実り、生命の誕生のサイクル、太陽と月、夜と昼、太陽を回る(公転)そして空に散らばる無数の星などから成る、大宇宙の法則によって生物の仲間の人間は生かされている。

古代人はこのように繰り返される出来事を単純に奇蹟と信じていたのだろう。だが、20世紀の科学とテクノロジーで、いかなる宗教も受け入れることができない人いる。

太古の時代から近代そして現代、今私たちは世界中で起きている殆んどの出来事を理解することができる・・・コンパスで地図を作成し、農耕技術をマスターし、人間のゲノムまで解読しましている。ひと言でいえば、20世紀の高度な科学とテクノロジーが神の必要性を取り省いたと言ってもいい?

壮大な宇宙も含めて、マイクロスコープでなければ見られない微小な細胞に至るまでの万物は 、 数十億年経っても自然のプロセスで他のものへ変化されることはない。現在の営みの殆んどは物理的に証明でき、推測や概念は無意味になったかに錯覚しそうである。

「無常」という世の中の形あるものすべて変わっているという仏教の基本理念では、地球の生命もある。何時か生物の住めない唯の星になるというが・・・現代の科学の力でもその流れは変えられない。

人間が自然に逆らって生きることは出来ない。20世紀のテクノロジーを駆使しても宇宙のメカニズムを解明することは出来ないと同じに・・・出来たとしても人間がコントロールすことは不可能である。

四十五億年前、新しい地球は宇宙を漂う塵の一つであった。地球は原始の浅い海で殆んどが覆われていた。強風は大気中の分子を無作為に至るところに集めた。あるものは海に蓄積し、満潮と引き潮による波が分子を一と所に集めた。

太古の海に集められた特定の分子に生命の奇跡がスタートした・・・最初の組織的原始生命は小さな原生動物である。海には何億に及ぶ原生動物が繁殖した。最初の原生動物は海の世界で完全に自給自足で生きていた。

これらの原始的生命は水の中を動き回り周りのバクテリアや他の分子を食べていた…地球の生物の全てはこの原始的生命体から進化した。

このように地球の歴史があって現在があり未来に続くのである。宇宙(自然)の法則を無視する理論はなりた立たない。したがって、人間の生きる心の支えとして神や仏の存在を忘れることが出来ない。

四元素+原子力・・・

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05sikotuko31 四元素説とは、「火、水、土、空気」の四元素からなるという説。「それらを結合させる『愛』と分離させる『争い』がある。それにより、集合離散をくりかえす。この4つの元素は新しく生まれることもなく、消滅することもない。」という考え方が、古代ギリシア人にあったそうだ。

今、福島第一原子力発電所の放射能漏れで、人類が進化していくための武器として、四元素にもう一つ加え「五元素」にしようとしたが、宇宙大自然に受け入れらなく、否定されたようなことだ。

その放射能のそのもののエネルギーが、いかに強大だか、素人の私には想像が出来ない。人類文明の新化には、主力エネルギーである化石燃料は有限である。その代替に原子力は欠かせないところまで来ているのは私にも分かる。また、風力・地熱・水力でのエネルギーの利用も、設備な限界があるようでこれ以上は望めない。

いま、世界中でが原子力発電の利用の可否で大きな問題となって、チェノブイリ発電で大きな事故で問題となったロシアでも、ドイツ・イギリスなどでも反対派が増えているという。

もちろん日本でも反対派は増えていると思う。九州電力の玄海原発で定期検査中で稼動していなかった炉の再稼動が住民の反対で問題となっているそうだ。

福島第一発電は、想定外の地震・津波の大きさだったという理由での事故だと一部の関係者は発言があったそうだが・・・日本の安全神話が崩壊したのは間違いない。

しかし、私は将来は原子力の利用は欠かせない存在だと考えている一人である。管理の見直しの再徹底をしながら、私達人類の生活を安全に豊かにするためには、電気は不可避である。今や人間は、四元素の「火・水・土・空気」に+「原子力」に5大元素に位置づけるべきだ。

しかし、使い方間違えたり、管理を間違えたら大変な人類いや、地球上の生物まで生命を危うくするという恐ろしいことに、改めて思い知らされる。

2011年3月28日 (月)

うぐいすの初鳴きを聞く

08omitake_buna_aki11 うぐいすや 初鳴きためらう 寒さかな

昨日、山道を散歩していた、北風が強く、つめたい。畑は土ほこりをあげて空に茶色に巻き上げていた。よく見ると、雑木林の枝の先には、淡い白の羽毛のような芽が確認できる。

竹やぶの奥から、うぐいすの鳴き声が、たった一回だけ聞こえた。「間違いない確かにうぐいすだ。」まだ寒いので、もうちょっと暖かくなってからにしよう?とでも思ってか、立ち止まってニ回以降を期待したのだが・・・

田んぼのあぜみちは、よもぎが青い葉を広げ始めた。震災にあった岩手県陸前高田市は、また、雪が降ったという・・・東北地方に暖かくなる春が来ることを願わずにはいられなかった。

芭蕉の「さまざまな ことを思い出す 桜かな」の句を思い出す。被災に遭われた方の心情を察すると、安直に「頑張ってください」とはいえないが、生きるためには「頑張るしかない」ことだ。今日は高校野球の東北高校が試合をする。

そして、今日東京地方に、ソメイヨシノ桜が開花したそうだ。(平年並み・去年より6日遅い)

諦めの効用

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3612 日本人は、やはり、自然を受け入れる力をもっている。「諦め」というのは、ネガティブな言葉であり、日本では、なくなりつつあるとばかり思っていたが、世界から見れば日本はまだ「諦め」が生きているようだ。

「諦め」の効用という面で考えてみると、ネガティブな面ばかりではなく、ポジティブな面もあるように思える。仏教では「諦め」は一つの悟りでもある。「あきらめる = 手放す = 身軽になる」

世界に誇れる防潮堤が、築かれて、外国から多くの関係者が訪れていたという世界に自慢できるものだった。その防潮堤を今回の東北関東の巨大地震で、乗り越えてしまった今回の津波であった。想定外の大きさであったことは間違いない。

NHKのテレビで、津波対策は有効であったかという話題があった。防潮堤なども一定の役割を果たしたという。津波を防ぎきれなかったけれども、威力を弱めることはできたということだ。今後の津波対策はと聞かれ、自然の力を完全に防潮堤などでは防ぎきれない。避難などの的確なソフト面を強化していきたいという。

いまは、被害が出れば「人災」として災害対策の不備が問われていた。その裏には、人間の科学の力で、自然は制御できるはずだという思いがあった。そういうハード面での思いも大切だが、ソフト面も考えていかなければならないと思う。

昔の人は、ハード面が弱かった分「仕方がない」と諦めるソフト面の強さを持っていたのだろうと思う。また、世界から見れば、日本人の冷静さは、大きな力を持っている。その中でも、東北の人たちの強さは、同じ日本人から見ても驚嘆する。自分のことよりも周囲の心配をする思いは、感動を覚える。それと同時に、こういう人たちの声なき声をしっかり聞き遂げることも大切である。

出来なくなったことに固執せず、あきらめていけば違う希望が見えてくる。自分にとって必要なものとそうでないものの見極め、手放さなくてはならなくなったものの代わりをどうするか、異なるベクトルを探ることによって、見えなかったいろんなものが見えて来るはずである。


2011年3月27日 (日)

川をきれいにしよう

Img_0104 有史以来、昔から人間の心の故郷には必ず川がある。私が住む八王子市片倉町には、湯殿川・兵衛川がある。何年か前まで、その川の水を利用して田があった。米作りをはじめ、生活には、川の水はなくてはならない存在だった。川には人間の文化あると思います。

中国の揚子江、アフリカのナイル川、ブラジルのアマゾン川でも同じである。そこに暮らす人々の文化がある。だから人間を含め生き物すべてが、本能で川に暮らしを求めたのだ。現代社会でも人間は、本能で川に心の故郷があります。

川は豊かな自然とともに、人々の心と暮らしに、うるおいとやすらぎを与え続けてきたが、その豊かな自然が失われてきた今、人々は、貴重な水辺空間の再生を求めているのです。

今求められている人と人の絆も、心の故郷の川に求める人間本来の姿である。自然の川の流れは、人間の動脈の血液の流れでもある。したがって、私達の町に流れる湯殿川・兵衛川が一部の不心得の人で、汚されて、人間の身体に例えれば、動脈硬化を起こす寸前であると言えます。心筋梗塞の一歩手前状態とも言えます。

美しい川をとりもどし…美しい水辺空間を創出しつつ、まちづくりと一体となって整備していくことがと、大事なことなのだと思います。

そして、あなたの暮らしのなかで、あなたの思い出のなかで、川は流れつづけます。清流を取り戻し、維持していくことが大事なのです。昔のような魚や昆虫などが棲める川を取戻しましょう。

水のように空気のように

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19378203v12387141361 「幸せ」とは・・・を考えると「幸せ」は何んにもない無色透明、無味無臭な「空」であると思える。他人から見れば、可哀そうとか、苦しそうとか、辛そうとか思うだろうが、「心」が「空」の状態であるので一切何んのわだかまりもなく、ただ「幸せ」と思える心境であること。

そんなことを考えていたら、11日に起きた東北関東大震災で多くの犠牲者、多くの財産を一瞬のうちに無くされている。そんな被災に遭った方は「幸せ」とは到底感じるわけにはいかないだろう。だが、よく考えると、生きているだけで「幸せ」であると思える心境・・・

曹洞宗の尼僧で、青山俊董尼僧の「水のように空気のように」の言葉に出あった。
形が無いから色々な容器に水は収まる。無味・無臭・無色だから水はコーヒーにもなり緑茶にもなる。一刻一秒なくては困る大切な空気なのに、その存在は忘れ去られている。

癖の無い水、目立たずとも大切な空気こそ、仏様だと思う。臨済宗の有名なお坊さんに、白隠禅師と言う方がおられる。白隠禅師は座禅和讃の中で、氷を私達凡夫衆生とし、氷が融けた水を仏様に喩えている。

氷は自己愛や自分が正しいと言う凝り固まった自我を象徴されたものだと思う。確かに氷と氷が衝突するとお互いに傷付くが、氷と水は衝突しようが無い。氷は口の小さな容器には入れられないが、水はどんな小さな口の容器にも入って行く。相手に合わせることが出来る象徴として、水のようにと言われるのである。

そして、空気は私達に無くてはならない存在であるけれど、常に存在を忘れられている。目立たないが、無くてはならない存在。無くなって始めて存在の大きさに気付かれる、そんな人間になりたいものである。

2011年3月26日 (土)

住んでよかった町に

Sakura4031 「住んでよかったと」思える町づくりは――「地域社会の安心・安全を守る」・・・「少子高齢化と無縁社会」が深化している現代社会で、ボランティア活動するメンバーも超高齢化で、世代交代が出来ていない。この現状は深刻である。

この町に住んで何か人様にお役に立ちたいと思い町会の理事を長年行っているが、一般の住民への「町を守る」意識が高まらない。どうも大きな壁に阻まれているようで悩んでしまっている。そもそもボランティアとは・・・

ボランティアを「尊いもの美しいもの」から→「気軽で楽しいもの」・「公共の福祉は公務員任せ」→「地域は地域住民で守る」。「大量生産・大量消費社会」→「持続可能な社会」の見直し・・・

遊園地やゲーセンに代表される「バーチャル遊び」から、「ネイチャーゲーム」「人間関係を楽しむ」へ。ついでに、「自販機」を「対面売り」に。町内会、PTA活動などの復権を取り戻す・・・

行政やマスコミがタッグを組んで、人と人が関わりを持ち
「守ろうよみんなの好きな町だから」・「楽しいぞ社会」を啓蒙していく事が大切と思うが・・・家族・地域・社会の絆作りの意識付けをどうすればいいのか?

プロ野球の開幕のこと

10kanmonkyo11 大きな歯車を動かすには、原動力となる小さな歯車の力が必要だ。日本プロ野球選手会長の阪神新井選手の言葉が何とも頼もしかった。

世界中の国々から東北関東大震災の復興の義援金を頂いている、考えられない国北朝鮮からも・・・昨夜も計画停電で、不自由な暮らしを少し味わった。なんだ少しの間の停電ぐらい、被災に遭って生きるのに心も折れそうになっている人たちに比べれば、なんと幸せなんだろうと思う。

私は野球観戦が好きだ。開幕を楽しみにしている一人でもある。先に発表された。セリーグ3月25日・パリーグ4月12日であったが、この時期なんで・・・と思うファン人もいたろう。私もその一人だ。

素晴らしかった新井選手会長の言動である。「僕らは野球が仕事ですが、この大変な時期にこうこうと照明が点る中、試合をするのはどうなんでしょうか」と早期のナイター開催に疑問を訴えた。ごく普通の人間の感覚だろう。

高木文科相が東北、関東での4月中のナイター自粛を要請したことで、大あわてなのはセ・リーグだ。節電への協力を求める文科省通達に応じ、19日の理事会で「4月5日からナイター再開」と決めたばかり。

常識とかけ離れた性急な判断があだとなり、日程の一からの練り直しが必要となった。4月中のナイター自粛を自ら決めていたパ・リーグとは対照的だ。

ただし、文科省などの対応も後手に回った。ナイターの自粛を求めるならば、その期間のめどを早い時期に球界へ示すべきではなかったか。両リーグが対応を打ち出してからの“ダメだし”は混乱を招いた。

日程調整に頭を悩ませるセは、少なくとも開幕日を29日からパと同じ4月12日へ延期し、時間的な余裕を作るべきだ。場合によってはセとパが互いに本拠地球場を交換するといったさまざまな対応策を講じるしかない。

「セもパもないでしょう。12球団いっしょに、と僕らは口酸っぱく言ってきた」という新井会長の言葉にだれが反論できるのか・・・(MSN産経ニュース)

「頑張ってください」って・・・

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07rose_ame21 森繁久弥の人生訓話で、私の好きな言葉は「失敗が人間を作る」である。また青年に期待を寄せつつ、「成功の半分は忍耐」「結局、失敗を恐れず、忍耐に忍耐を重ね、どん底からはい上がってくるなかで人間は鍛えられる」と。まったく同感である。

東北関東大震災に遭った方にかける言葉は、NHKのレポーターは「このたびは大変なことでご苦労なさいましたね」「頑張って ください」だという。俳優の森繁久弥さんだったら何と言葉をかけたでしょう?

徐々にではあるが東日本大震災が発生した地域では、電気などのライフラインが復旧し始めている。被災地の方がやっとテレビなどを見られるようになったが、何度も画面から流れてくるある“言葉”に苦しめられているという。

報道番組などで、避難所からの現地生中継が多くなった。被災された方の無事が確認できる貴重な場であり、続けてほしい。 「日本中が応援しています。頑張ってください!」などと締めくくることが多い。

その言葉を聞いた被災地の方が、困惑した表情を浮かべた映像を見た視聴者はいないだろうか?

「何度も何度も。“これ以上、どうやって頑張るの?”と悲しくなった。」被災地の方も、心からの励ましの言葉なのだと分かっている。分かっていても、心も体も疲れきり途方にくれているので 「頑張ってください。」の言葉が重く心に圧し掛かり、怒りや悲しみを感じる方もいるようだ。

2011年3月25日 (金)

空を突く白い辛夷

003_201003151 耐え忍ぶ 北国の空 春の雪

今日の東京地方は、朝から晴れたが北風が冷たい。天気は下り坂で夕方から雨になるとの予報である。震災に遭われた東北地方の太平洋岸では、夕方から雪になるという。灯油や食料が思うように入らない避難先の方達は、大変厳しい日が続いていると思います。

東京地方では、もうこぶしに白い花が咲き、青い空に拳を突き上げているかのようです。早く暖かくなり、青い空北国を望み、復興に目指し、元気が出ることをお祈りするばかりです。

災害復興に国民総力で・・・

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06oga_toga11 1923年「関東大震災」は、日本の歴史の大きな節目になった。10万人を超す死者・不明を出し、「防災の日」として記憶にとどめる。その後始末が、昭和の出はなをくじいた。

「震災手形」問題と知られる不良債権処理がうまく進まず、27年に昭和金融恐慌が起きる。続いて、世界恐慌に巻き込まれ、満州事変を起こし・・・破局への道をたどる。

東北関東大震災も日本史の節目になろう。日本が良くなる方向への転機にしなければならない。それは今生きている日本人の意志にかかわっている。

宮城県沖地震が高い確率で近づいているとは予測されていたが、ついに起きてしまった。(大きさでは想定外だった?)それにとどまらない。東海地震・南関東直下型地震や東南海・南海地震も遠からず・・・と予測されている。

過去には、幕末の安政年間には東海・南海地震が連動、その翌年に南関東直下型が江戸を襲う。震災は日本の宿命でもある。

16年前の阪神大震災で6,434人強の死者が出た震災対策はどうか。今回は津波被害が甚大で原発事故も起きたという違いはあるが、「阪神」の教訓が十分生かされたとは思えない。

与野党は「政治休戦」で危機克服に協力するという。当然だ。早く2011年度予算を執行可能にし間髪を置かず補正予算案の編成・成立に急ぐべきだ。それは政治の最低限の義務だ。昨今の日本の政治も、政争に明け暮れ、肝心の大テーマは先送りばかりだ。
   
「社会保障と税の一体改革」も掛け声ばかりで煮詰まらない。衆参のねじれで国政が機能不全に陥る、今の二院制の欠陥も、克服する道筋が見えない。

大連立を組むかはともかく、大連立的な政治状況だ。この機会に先にあげた懸念も一挙にメドつけられれば、大きな悲劇が日本再生への転機にもなる。

復興には多くの人手や巨費がかかるし、電力供給もしばらく制約される。被災者の負担を国民一人ひとりが分かち合う時だ。国民が心を一つにし、手を携えて被災地と日本再生を果たときだ。

「菅首相の対応が遅い」という民社党の福島党首が会談で述べたそうだが、何をしたのだ。自民党の谷垣総裁は東北関東大震災復興大臣に首相が入閣を要請したのは、震災や福島第1原子力発電所の放射能漏れ事故に対応するには、「大連立内閣」をつくり、与野党の総力を挙げる必要があると考えたためだと思うが・・・

その谷垣氏には入閣した場合、深刻化した原発事故の責任を共に負わされかねないとの強い警戒感もあったとみられる。

国難を乗り切るには、常識外の行動をとらないと復興はおぼつかない。こんな時よりカリスマ性のある指導者の台等が望むところでもあるが・・・

2011年3月24日 (木)

日本を見直す機会

08yokotesigai_yuukei21 東北関東大災害は、単純に「被害と悲劇の大きさ」という点だけではなく、「日本社会の何らかの転換」そのように期待したい。

問題となった石原知事の「天罰」発言についても、本当に悪意でなかったことは間違いない。その真意は「これを機に日本社会が変わる」のではないかと、期待感があったものだと思う。

この災害を契機に変えよう、日本がある意味で戦後から続いてきた古い秩序を見直し新しい日本を再建する機会だ。他にも、転換の契機として捉えている人は他にもいるだろう。

災害を機に巨大な信用供給が行われ、財政出動もそれに続く、社会の風潮の転換の可能性がある。原子力政策への批判、原子力政策への批判、自衛隊への敬意や尊敬とアメリカ軍(日米同盟)への再評価などなどだ・・・

日本人の公共性・・・関心の共有は、飢えや危険の回避といった基礎的な欲求が論点であれば、特に文化の共有を必要としないかもしれない。だが幸福や人間らしさ、公正などの価値が論点であるとき、一定の文化的背景の共有が要求される。

また、私が期待したいのは、「日本人」や「共同性」といった価値で、統合する考えのが登場することだ。だが、危険な理論となりえるかもしれない。

この町に住んで良かったを目指して

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11749885491 犬の散歩のマナーのポスターを割られてショック!

「地域の環境を守りたい」との思いで、毎日湯殿川中心にゴミ拾いを行っている。その行為を逆撫でする事件があって、憤まんやるかたがない思いである。

1ヵ月前(2/14)に八王子市役所と保健所に、犬の散歩のマナーのポスター(看板)を無理を言って、本来なら一町3枚までなのだが5枚頂いて、湯殿川のフェンスに取り付けた。が、昨日4枚が割られて、見るも無残な光景となっていた。その下に犬の糞があった。

人と人のふれ合いの場でもある、わが町のシンボルとして、いっぱい魚が棲む湯殿川を取り戻したい思いで、環境改善に努力しているのだが、川に捨てる生ゴミの袋が浮かんでいたりする。一体何を考えての行為か!!

だが、私は諦めないでゴミ拾いをする。町を守るという人を、一人でも二人でも、仲間が増えるまで、実行していきたい。町の環境を守るのは行政ではない、「地域で守る」ということだ。そうして、防犯・防災・交通でも安心・安全なまちづくりにつなげていきたい。

"ゴミを捨てない”意識と “ゴミがあったら拾う”ことがこの「町に住んでいる義務であり責任でもある」という意識が芽生えるまで続けていきたいと思う。

「この町に住んでいて良かったと思えるようになるように・・・」したい。

2011年3月23日 (水)

川岸に咲く菜の花

Image0171 菜の花や この地に流れ 人に会い

湯殿川の川淵に菜の花が枯れ草の中に咲いている。誰も種を蒔いたものではない。上流から、大雨で流れてたどり着き芽を出して、ちょっと暖かさを感じるようになって咲き出したのだろう。

東北地方で津波に何キロも流され避難場所にいる被災者を想像してしまった。そこで、被災に遭った多くに人と出会い。財産を失い、身体も傷つき、心も失いかけている人も・・・

春はそこまで来ている、一人ではない。みんなで励ましあって生きれば、きっと明るい明日が来る。信じましょう「人の愛を!」今まで優しい心で人に尽くしてくれたのだから、きっと暖かい春はくる。

安心立命

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05detohama11 「安心立命」=人力を尽くしてその身を天命に任せ、どんな場合にも動じないこと。 

2011年3月11日14時46分東北関東大地震で震源の太平洋沖で津波が起こり10メートルを超える巨大津波で、生きる人間を否定すがごとくすべてを破壊してしまった。それは、日本一の防波堤も乗り越え、東電の絶対安心出来るとまで言い切った、福島第一発電所にも壊滅的被害を及ぼした。

宇宙の小さな惑星に、ロケットで石を採取して持ち帰ってくるという、昨年日本人が成し得た業績は世界中から注目された。現代は、ここ数十年の技術革新のおかげで、快適な生活が実現できるようになった。私たちにとってまったく夢のような、すばらしい時代である・・・

しかし、「安心立命」ということにはいかない。人間には大宇宙のすべてを知ることが出来ないのと同じで、人の力では克服できない。46億年続いてきた地球の自然には立ち阻むことは出来ない。そして人間の力では、自然を制することができない、神に縋る心は必用なのである。

今、私達が心豊かな日々を過ごせる、技術が急速に進んだ現代でも、一方ではなぜか「安心立命」に関しては、一向にまだ確立ができていないからだ。物が豊かになって、すばらしい社会になったのに、逆に不安はますますつのっていくのである。

いったい何が原因なのだろうか?それは近代の資本主義社会が一人一人の健康や幸福よりも、ある特定なものの経済的利益を大切にして、それを優先させているからだ。そのような事実を垣間見てしまうと、何となく不安になり、原発までが同じ考えで建設・運営され続けている。

何となく感じる不安感や、日々ひしひしと迫ってくる圧迫感などは、いったい何を意味するのでしょうか。一方では、そんなことをまったく感じないという人もいるだろう。しかし何らかの意味で、私たちは歴史上かつてない大変な時代にいることが、現実を思い知らされた。

ひっきりなしに走る救急車、親しい知人が、次々と思いがけもなく死んでしまう。日々のニュースの中にある暗い事件、そしてそれは私たちの身近なところにも起こるであろうということなど考えると、自分が非常に危ないところに置かれているのではないかと、つくづく心配になってくるのは、私だけでしょうか?

あなたは、いったいそのようなことをどのようにお考えですか?。そんなことについて考えるのは、心配性の私だけなのでしょうか?

2011年3月22日 (火)

じゃがいもの植え付け

15401 じゃがいもや 手の中から 宙に出る

関東南部の地域では、ジャガイモの植え付けは今の時期だ。昨年採れた団爵芋・メイクイーンなどである。連作すると病気に弱く劣化するしてくるので、気温の低い北海道で厳選されて作られたものが病気に強く良いと聞く・・・

まだ寒い日が続くが、人間の手のひらの温もりで感じながら、土の中に埋まって芽が出て伸びる。多少の寒さも、ものともせず・・・高い南米アンデス山脈が原産といわれていて、もともと厳しい環境でも育つのだ。そして今は世界中どこでも・・・

震災に遭われた人たちの福島県や宮城・岩手県では何時ごろ植えつけるのだろうか?

仕事とは・・・

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3612 まだ、ほとんどの人が静かに寝ている朝早の三時、

我が家の郵便ポストに新聞を入れる音が聞こえ、

配達の人オートバイの音が遠くに走り去る。

朝早くからのお仕事ご苦労さん、

そして徹夜のお仕事している人、お疲れさん、

みんな人のために働いてくれているんだ。

仕事は、真心こめ、愛情こめて、

あなたのために、みんなのために、

骨身を惜しまず働いて・・・

つまり、人間社会を幸せにすることだ。

それは愛情の印であったり、絆を深めることなんだ。

安心・安全を、そして愛する人に、

最高のプレゼント考えてする行為なんだ。

2011年3月21日 (月)

雨の彼岸の中日

13_10241 肌寒し 止まない雨の 春彼岸

今日は彼岸の中日,朝から天気予報どおり、冷たい雨、お墓参りは大変だったろう。昨日は晴れて暖かであったが・・・

朝のうちは気温7度と昨日の朝と同じだったが、桜の開花を遅らせるような冷たい雨の一日になった。

福島原子力第一発電の水素爆発で遠く離れた茨城・栃木の北関東方面に作られている農作物・原乳が、放射能で汚染されているということが問題となってきた。

農家・酪農家の出荷が出来ないという。また雨にも注意とのことだ。早く解決して欲しいが・・・

どうしていたの・・・

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07rose_ame21 どうして生きていられたの?東北関東大震災で、10日ぶりに助けられた80歳のおばあさんと、16歳の孫のテレビのテロップに流れた。

奇跡だ、どうしていきていられたの?と聞くのは止めておいたほうがいい・・・何故なら自分でも分からないだろうから、「勝手に想像してくれ!」と・・・

たぶん、生きるとか、死ぬなんて考えなかった?人間の本能で水や食べ物を探し、眠くなったら眠れたからだろう。水や食べ物がなかったら生きていけない。そんなこと聞かなくても分かるはず・・・。

しかし多くの生き物の中で、人間だけが人は必ず死ぬということを知っている。死を知っているから、深刻な状況でも生きようとしたからだ。深刻に状況になっている時点で、生きるとか、死ぬとかに気持ちを向けるのではなく、ごく自然の成り行きに身を任せたのだろう。

「今生きていられるのは何故?」なんて考えないのと同じで、生きる本能で生きているのと、平常時の人間が生きているのと同じに10日間を過ごしたのだろう。

自分の窮地を確かめるためだけの10日間だったとしても、それ以外の感情の下にあったようには思わなかったのじゃない?・・・

本当に生きることに絶望した人は、人に聞かれる前に死んでしまう・・・

2011年3月20日 (日)

無情の月

09meigetu_tyusyu11 春の海 ただひたすら 月射しぬ 

昨夜の東京地方は晴れて満月が見られたが、地震・津波の災害があった東北の太平洋岸側の青森・岩手・宮城・福島の各県ではどうだったか?3月11日に起きた東北関東大震災は、今日で10日目である。

「暑さ寒さも彼岸まで」と言われるが、昨夜は雪になったところもあるらしい。充分な食べ物や暖房なく、避難場所では、極限状態になっているところもあると言う。

そんな早春の海に満月が雲の切れ間に差し込んでいる光景を想像してみると、何とも人間の存在の小ささを思い知らされる。月は何事もなかったごとくに・・・ただ無情である。

買いだめに走る心理

539571 朝早く、こんな場所で渋滞?車の列が交差点の信号が青になっても進まない。と思ったらその先のガソリンスタンドに連なっていた。およそ70台が注油を待っていたのだ。

スーパーに行ったら、商品だなに非常食品のカップラーメン・缶詰・飲料水や、牛乳の棚が空っぽ。「今度いつはいるんですか?」店員に聞いている光景は異状だ。米・トイレットペーパーは、在庫払底である。

昭和48年のオイルショック以来のパニック状態である。この原因は、東北関東大震災と、いまだに続く震度3程度の地震が続いているからだ。この世最後?と思ってのことなのか・・・「買いだめ」して、賞味期限が切れた品物はどうするの?

近くの湯殿川の河川管理通路を歩いていたら、みかん箱ぐらいのダンボールが捨てられていた。箱が空いていたので中身をみたら、賞味期限が1週間切れていた、肉の缶詰が20個入っていた。

震災に遭われた人や、懸命に福島第一原子力発電の対応をしている人、避難先で不安な毎日を過ごしている人が沢山いる。食べ物が、飲み物が、トイレットペーパーが、ミルクを何とかして!叫んでいる。

そういう人達に、優先してしまうから品切れになってしまう?という、群集心理が働いてしまうのだろう。ある程度の備蓄は必要なのかも知れない。だが、必要以上に買いだめする必要もない。

「人が買いだめしているから、自分も買いだめする」という人しか見えない。噂が噂を呼び、買いだめが買いだめを生んでいる。生活必需品が品薄になった結果、もっとも困るのは、品薄になった商品を必要とする大震災の被災者である。

これからも余震もあるだろう。しかし今回のような津波はない。計画停電だけが日常生活に影響するだけで、余計な心配は要らない。だから落ち着いて―――。それよりあなたが、出来る苦しんでいる震災に遭った被災者に、何が出来るかを考え実行して欲しい。それは、節電であったり、買いだめをしないことかも知れないですよ・・・。

国民一致団結のとき

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10risiri_senpousi21 菅直人首相が19日午前に行った民主党代表経験者との会談では、小沢一郎元代表、鳩山由紀夫前首相から、東日本大震災をめぐる政府の対応に注文が相次いだ。

小沢氏は、震災からの復旧・復興について「ぜひ全力を挙げてほしい」と要請。福島第1原発の事故対応についても「全力というより、総力を挙げてもらいたい」と求めた。

鳩山氏は「必ずしも正確な情報が伝わっていない。風評被害も含め、(福島県などで)不安感が広がっている」と、政府の情報開示は不十分だと指摘した。東京電力についても「想定外のときにどうするかという発想が足りなかったのではないか。想定外だから仕方ないという話ではない」と厳しく批判した。 


菅首相に「管理能力がないと」に聞こえるが・・・民主党の内輪もめ?をしている場合ではない。この非常事態を、総力でと言うならもっと建設的なアドバイスが、出来ないのか?小沢さん!あなたは、何をしたのですか、何をしようとしているのですか?

鳩山前首相ほど「命を守る」と言い続けた首相はいない。震災状況を踏まえて、どう考えているのか、首相経験者として少しでも「命を守る」活動をしている?「命を守りたい」と語った人なんだから・・・

国民一致団結で、窮状を乗り切ることだと思うが・・・ それにしても、二人とも国民に×印をつけららたお方だ。

自民党の谷垣総裁は、首相から「国家的危機に責任を分担してもらえないか」と求められたことを明らかにした。

「新しい連立を作る提案だとすれば、政策をどうするかなど前さばきがなければならない。最初からトップダウンでやるのは私の政治手法からすると順序が逆だ」と首相を批判した。

と言うが・・・大連立とかの話ではない。この危機を日本人総出で救おうじゃないか・・・お手並み拝見・高みの見物?では、国民は納得いかない。記者会見で作業服を着ていたが・・・

2011年3月19日 (土)

プロ野球今期開幕日について・・・

05sikotuko31 避難生活・行方不明の方を探して多くの方がいる。一方福島原子力で懸命に対応している多くの方がいるというのに、プロ野球の今季開幕はセが予定通り3月25日、パは4月12日に延期すると決めて発表した。セの25日開幕については、選手会が反対したが押し切る形となった。

海江田経済産業相は、「球場を東京ドームではなく、電力需給が逼迫していない地域で開催していただくといった工夫を」・・・、また高木文化相は、「それぞれの判断に委ねる話だが、この状況の中でのナイター実施に国民の理解が得られるか難しい」と述べ、ナイター自粛などの措置を取る必要があるとの見解を示した。

東日本大震災の被害の全容が分からず、しかも、計画停電が実施される中での強行開幕。球場での大量の電力消費や、観客、選手の安全確保など問題は山積だ。(東京ドームで試合をする電力量は一般家庭の6000戸に相当するそうだ。)

NPB加藤コミッショナーは、「批判を受けるのは覚悟の上、甘んじて受けるのが私の責務。議論を重ねた上で私どもはこう思うということで決定した」と話したという。

チャリティー試合の開催で被災地へ金銭的バックアップができる。とはいえ、東北から首都圏にかけては福島原発への不安が広がり、電力供給問題なども続いている。労組プロ野球選手会は、あらためて「開幕延期」を12球団に要望。そんな状況でも、セは球場や試合時間を変更せずに開幕すると押し切った。

世界中から注目されている東日本震災状況と原発事故である。勿論チャリティーを銘打って行うとすることだが、どうしても納得のいかない球団関係者のトップの方たちだ。

「3月25日に行うとは・・・コメンテーターの大谷昭宏さんは「世界の国々からすれば、異様に見えるかも、とんでもない、今の球団関係者の考えは古い、全員総入れ替えで若い人のバトンタッチをしないと・・・」と、そして世代交代時期だという。

大規模停電が起きた場合はどうしたらいいのか、セの新(あたらし)理事長(ヤクルト球団常務)は「そうなれば中止になる。中止が長引くこともあるだろう」と述べたという。

「不測の事態については分かりません。情報を密にしながら対応したい」と話し、万が一の危機管理などについて、ほとんど話し合っていないらしい。

励ましの言葉が・・・

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1231 被災状況は、戦後最大の災害となった。寒さと飢えに苦しんでいる方が避難所に沢山いる。そういう方たちにかける言葉がない。

「頑張れ」という励まし言葉があるが・・・ためらってしまう・・・・
「頑張れは」・・・一生懸命やって!」と励ましの言葉に使う。しかし、食べる物、飲み物、人間が生きられる最低限の生活物資がない。そして真冬のような寒さに苦しんでいる方たちに、かける言葉は・・・

「頑張れ!」よりも「ゆったりご精進を」とあるが・・・ 人を励ますとき、「どうか、頑張ってください」と言ってしまう。自分でもよく使うことばであるが、なんとなく嫌いなことばであった。

では”努力する”ということばはどうか・・・?わたしたちは「努力、努力」と、努力を強調することが多い。もちろん、努力することは大事である。けれども、努力できる人はわりと恵まれた環境にあるのである。努力しようにも、どうにもならない状況に置かれた人もいることを忘れてはならない。
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それに、ほとんどの問題は、努力によっては解決されない。むしろ、他人の好意によって解決されることのほうが多い。だから、わたしたちは、被災者に向かって、安直に「頑張って!」と言わないいだろう。(「まんだら人生論」上巻)から・・・
.
エミリー・ディキンソンの失意の胸へは/だれも踏み入ってはならない/自身が悩み苦しんだという/よほどの特権を持たずしては――〉(中島完訳)

2011年3月18日 (金)

「非常事態」で対応すべきだ

09oga_akanegumo11 震災発生以来、首相、官房長官をはじめとする政権幹部は不眠不休で対応に当たってきた。自衛隊10万人派遣も現場は混乱したものの、阪神大震災発生直後の自社さ政権の遅い対応に比べれば、はるかに迅速だったという。

しかし、12日に起きた福島第一原子力発電所の1号機の爆発事故の対応が遅れたのは事実だ。約1時間後には日本テレビが爆発の瞬間の映像を流した。官房長官が記者会見したのは事故から2時間後で、爆発を認めたのは5時間後という遅さだ。

情報開示の遅さが、政府は本当の情報を隠蔽している?といった流言飛語が世間を席巻しているようだ。

私の住む八王子市だが、福島の原発から250キロ離れている。が、近くのスーパーやコンビニで食料品や飲料水、電池、トイレットペーパーが売り切れている。地震によって一部の流通網も寸断されているためだけでなく、政府の発表を信用できないで、人々が必要以上に買いだめに走っているからだ。

住民の安全を最優先させるため東日本全域に「非常事態」を宣言し、株式市場の一時閉鎖など思い切った施策を断行するため与野党、そして国民に協力を求めるべきと思う。

そのためには、与野党ともにつまらぬメンツを捨て、衆知を結集してこの事態を乗り越えなくてはならない。

この非常時に、4月24日投票の全国地方統一選挙も、宣伝カー町を走る光景は如何かと思うのは私だけではないだろう。

日本の非常時の意識を!

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06oga_toga11 日本の非常意識を国民全体で持とう。
産経新聞社説(抜粋)・・・東北関東大震災の復興には、国家非常時を踏まえて、守りから攻めの対応へ体制を立て直させなければなるまい。

民主党のマニフェストである。子供手当てなどの予算を復興のための財源に充てるべきだ。今までの発想に捉われたら責任は果たせない。

被災地での統一地方選実施を延期する特例法案が衆院を通過し、きょう成立するはこびだ。だが、今は国民が心を一つにして、救援に当たるべきときだ。被災地以外であっても与野党が争い、選挙カーが候補者名を連呼して走り回る状況だろうか?

与野党は来年度予算の成立後、復興費用を盛り込んだ補正予算編成に取り組む必要がある。非常時に何を優先すべきかを判断しなければならない。

与野党が一致して、相当規模の補正予算の方針を打ち出すことで被災者の不安を和らげ、危機に立ち向かう政府の姿勢を内外に示すことが重要だ。求められるのは組織の数ではなく、あらゆる緊急事態に対応する的確で迅速な判断だ。

福島第1原発が陥っている深刻な事態に対応して、自衛隊ヘリや警視庁の特殊車両が原子炉への決死の注水作戦を進めるなかで、震災の避難所では不十分な医療や寒さで、お年寄りの命が失われている。

こうした事態を平時の体制で乗り切れないことを為政者と国会は再認識すべきだ。

2011年3月17日 (木)

心づかい・・思いやり

3612 「こころ」はだれにも見えないけれど「こころづかい」は見える。「思い」は見えないけれど「思いやり」はだれにでも見える。宮澤章二 【行為の意味】より

あなたの「心」は見えないが、あなたの「心づかい」見える。そしてあなたの胸の「思い」は見えないが、あなたの「思いやり」はみえる。それは、人に対する積極的行為だからだ。

暖かい心が、暖かい行為になり、やさしい思いやりが、やさしい行為になるとき、「心」も「思い」も初めて美しく生きる――それは人が人として生きることだ。

いま東北関東大震災で苦しんでいる人たちのことを思いやると、計画停電で文句を言っている場合ではない。を買い占めるている場合ではない。ガソリンを先を争って買うことではない。同じ日本人じゃないか、被災に遭って苦しんでいる人のこと考えたら―――

みんなが心を一つにしようとしているのだなと感じることができるように・・・思いやりの力が合わさって、少しでもッ状況が良い方向に進めて行くために、一人ひとり何が出来るのか・・・何をしたらいいのか・・・しっかりと判断して正しく行動して行くことが、今とても大事だと思う。人を救うのは、人しかいないのだから――。

苦境にになって知る人間性

Img_97161 3月11日に東北関東大震災が発生した、一瞬のうちに奈落の底に落とされた人々、また心配している周わりの人の心情・・・その中で感じたのは日本人のモラルである。海外だったら、間違いなく強奪が発生しているという。モラルの高さは日本が誇るべきものである。

個人主義、自己責任などの個人がクローズアップされている現代で・・・、集団の大切さを考えさせられる。日本は「恥」の文化だと称されることがある。その行動が「恥」どうかが判断の基準になる文化である。同時に「恥」を感じる価値観でもある。

個人主義では我も我もと自分優先になりがちで、こういう文化は日本が大切にしなければならないものではないだろうか・・・

最近、町を歩いて気がつく、タバコのポイ捨て、食べながら歩き、飲みながら歩き、缶・ペットボトル・食べかすなど道路がゴミ捨て場と思っている?人がいたり、川に投げ込んだりする人がいる。モラルが問題となっている。

モラルといえば、東北関東大震災で、必死で助けを待ている人間がいるのに、ホームセンター・スパー・ガソリンスタンドで行列ができてしまうほど、商品が売れてしまい、本当に困っている人に届かないという、嘆かわしい現象が起きている。

自分さえ良ければ、身内さえ良ければでは、日本人の恥でもある。もし、自分が被災されたとしたらと考えることが出来ないのかと思う。

人間が生きていけるのは、誰かの助けがあって生きられるのである。自分さえ良ければ他人に思いやりがない人は、悲しいかな長生きできないだろう。何故なら、その人に災難にあっても助けてくれる人はいないからである。

要領がいいという言葉があるが、これは悪い言葉と良い言葉に使われているように思う。どちらかといえば悪い言葉に使われることが多い。「苦労せずに甘い汁を吸う」一生懸命働いて得た物を、上手に手に入れてしまう。

いずれにしても地道に汗を流し、人に優しく、思いやりのある人が、立派に生きれる人間であると思う。

今こそ助けあいの精神を・・・

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05detohama11  連日、福島原発の問題や、地震関連の報道が続いいているが、世界中に大きな波紋が広がている。海外の報道が聞こえてくるようになった。

「今まで、多くの国を援助してきた日本に、今こそ恩返しを」中国の新聞の1面記事に書かれたコメントで、「多くの中国人が、日本人の秩序を保った行動に、感銘を受けた」とあったという。

「このマナーの良さは教育の結果。GDPの規模だけで得られるものではない」と書かれていたそうだ。人間として、どうあるべきか、しかも日本では、海外で起きるような大々的な火事場泥棒や、略奪などはあまり起こらない。

今こそ、日本人としての誇りを持ち、後世に語り継げるような心温まる物語を後世の子供達が、感動し記憶に焼付け、大人になってもそのモラルを持って生きる。そうなったら、最高だと思う。

一方、助けあいの精神・冷静さが求められている中で、スーパーなどから、非常食品が底をついてしまったり、ガソリンスタンドに長い行列ができたり、電池が品薄になってしまったりで、枝野官房長官が国民に自粛するようにメッセージがあった。

必死で生きようとしている被災者に送る物資を、優先にしてあげたいものだと思うが・・・まだ日本人にも群集心理で動かされる人々がいるということが悲しい。

直接的に何も協力や援助が出来ない私だが、冷静さと秩序が救援にあたることだと思う。

2011年3月16日 (水)

正確な情報を早く・・・

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06oga_toga11  普段から激しい交通量の近くの国道の交差点(片倉町)に、計画停電実施により、歩行者安全確保するため、計画予定時間の18時30分より1時間、交通指導員に出動依頼が(南大沢警察・南大沢交通安全協会)より要請があった。

灯りがない真っ暗で、車・自転車・歩行者の行き交う交差点で、しかも警察の人なしで交通整理は、厳しい、もし誤って事故でもあったらどうしようと出動に不安があり、無理ではないかと思いつつ、14日指導員二人で行うということで出かけたが、10分ぐらい交差点で行ったが、計画停電は実施されなかったの中止して帰宅した。

家庭・商店や事業者など、誰でも早めの正確な情報が欲しいことは当然である。ハッキリした計画停電の内容を東京電力のカスタマーセンターに問い合わせしたくも電話が通じない。八王子市のホームページでも分からない。非常時の情報は混乱は、なるべく避けるべきだが・・・。

東京都内で15日に行われた計画停電で、予定外の地域で停電が発生し混乱した。管轄する東京電力多摩支店は「把握している送電系統のデータと現状が一致してないケースがあったと認めざるを得ない」と説明している。

八王子市によると、停電が予定された第2グループではなく第3グループに属する同市楢原町や美山町などで停電した。市には市民から問い合わせや苦情が相次いだという。さいたま市や東京都八王子市など第2グループの約200万世帯が停電した。(毎日新聞)

また、東電は同日、鉄道各社に電力を優先的に供給。前日のような首都圏交通網の大混乱を回避するのが狙いだった。ただ、運行本数の削減などが続いたため、通勤・通学時の混雑が繰り返されたという。

東京電力は、15日からの計画停電が想定される停電エリアと計画停止の週間イメージを公表した。時間帯は下記の通り。(レスポンス)私の地域の第2グループの計画停電の予定時間帯は・・・。
15日(18時20分~22時00分)
16日(15時20分~19時00分)
17日(12時20分~16時00分)
18日(9時20分~13時00分/16時50~20時30分)である。

そして交通指導員の出動要請があった。私は、17日(木)12:50~13:50の一時間、場所はみなみの郵便局前である。

計画停電は理解できる。しかし、18日以降も続くと思うが、正確で早めの情報がほしい。

2011年3月15日 (火)

九死に一生に「運」

07kitayamazaki31 一瞬のうちに地獄絵図と化した津波で、街中を瓦礫の流れの洪水が押寄せて来る。人間の生きる本能で、保冷車の上に駆け上がり車の上で振り落とされないように必死にしがみついて、助かった男性が話が生々しい。「九死に一生」を得たとは、正しくこのことだろう。生きているのが奇跡と本人が言う。

誰でも、危険を知らずちょっとした弾みで、命を落とす場合もある。また奇跡的に助かることもある。「運」が悪かった・悪かった。人の身の上にめぐりくる幸・不幸を支配する、人間の意志を超越した働きを、身をもって経験したことがあるだろう。

「運」とはその人の意思や努力ではどうしようもない巡り合わせを指す。また「運」というと・・・「運が良かった」などと過去の状況説明として用いられる場合と、「運の強い男」など個人の特性を説明するために用いる場合があるようだ。

人の人生は生まれたときから、運に支配されていると言われており生年月日、出生地、性別、血液型、容姿などは運により決定づけられるとする話が多いが、このような話には曖昧さがつきまとう。

人間の一生の運(運勢)が出生時に決まっているのか、それとも生まれた時に大体の運勢は決まっているという考えは、私は納得いかない。生まれた時にみな同じで、個人の努力と心がけ、育っていく環境で「運」変えられると信じている一人だ。

東北関東大震災のテレビで、「九死に一生」を得た人の体験を観て思い巡らした。

タイトロープの人生

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08yokotesigai_yuukei21 灯火管制・食料や生活用品の配給・洗剤を砂や灰・カルメヤキ・野草や木の芽など食材探し浮浪児・死んだ人の衣服をも使い、雨水を飲んで、生き延びた歴史がある。人間が生きるギリギリの状態を経験した。「頑張ります勝つまでは」は、5歳であった私は覚えている。

私の父親がよく話してくれた、1923年(大正12年)9月1日関東大震災の被災状況である。うわさ・デマ・流言飛語で戸惑ったという。マグチュウード7・9、死者行方不明14.3万人のデーターが残っている。

生きていられることが不思議と思う経験や、何度も何度も谷底に突き落とされるショックな出できごとは誰でも経験があるだろうだう。

3/11に起きた東北関東大震災テレビで見る。圧倒的なパワーと荒れ狂う怒涛の津波の恐ろしさは、悪夢を見ているようだ。跡形もなく、町ごと根こそぎさらって行ってしまった。これこそが地獄絵図だ。

食べもなく、水もなく、寒い夜でも毛布がない人たちが今も救助を待っている人たちがいるという。「もう限界はとうに過ぎている?」助けたくとも助けに行けない。自衛隊・消防・警察や各国の応援などで徐々に被害の全貌が見えてきたようだ。

そして、関係者の懸命に修復作業行っている、東京電力の福島原子力発電所の爆発で多くの人が避難して不安は更に増している。

不安な気持ちが増幅しているのはただ被災者だけではない。情報社会の今日、携帯電話やインターネットは欠かせない。それらが全く使えない。非常食・ローソク・電池などがスーパーから消えたという。ガソリンスタンドに長い行列を見た。

東京電力の「計画停電」の実施もいきなりで、自分の地域が何時なのか問い合わせも、電話が繋がらない。昨夜近くの国道の交差点で停電になるという計画で、交通整理に出かけたが、幸い停電がなかったので中止した。

原発の安全神話も打ち破り、人の心までズタズタにしてしまう自然の力と、人の命の儚さを思い知らされた私の人生の一コマだ。そしてタイトロープを歩いている。

2011年3月14日 (月)

東京電力の計画停電のこと

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07bonchi_asayake_kumo11 東京電力の計画停電のこと

東京電力より、需要逼迫による計画停電の実施が昨日3/13菅首相の記者会見で承認をしました。そのことにより3月14日6時20分から実施されることになりました。栃木/茨城/群馬/千葉/神奈川/東京/埼玉/山梨/静岡の関東地方です。

なお、停電時間は表中の数字(グループ)をご覧ください。(随時変更があるそうです)

第1グループ 6:20~10:00 16:50~20:30 
第2グループ 9:20~13:00 18:20~22:00
第3グループ 12:20~16:00 
第4グループ 13:50~17:30
第5グループ 15:20~19:00

八王子市片倉町は・・・
第2グループ(9;20~13;00)・18;20~22;00)
第4グループ(13;50~17;30)
です。

詳しいことは多摩カスタマーセンター(0120-995-662)に確認。
(電話が利用できないときは(042-202-2546)有料 
(月~金9時~19時)

注意事項
1;グループ毎の時間帯は、開始・終了時間が多少前後することがあります。
2;当日の需要状況によっては、予め知らした時間以外にも停電する場合もあります。
3;当日の設備状況によっては、お知らせしたグループとは違う時間帯に停電させる場合もあります。
4;火災防止のため、自宅を離れる際には、ドライヤーなどの
電気機器のスイッチを入れたまま外出しないようお願いします。
その他、
1)交通信号・防犯灯の消えるので、外出はなるべく控えてください。
2)ローソクなどの使用は火災に充分気をつけてください。
3)日ごろ電気のない生活に慣れていないこともあり、落ち着いて行動してください。

2011年3月13日 (日)

自分の本質を知る

05sikotuko31 突然だが、自分が死んだ光景を想像してみたことはありますか?死があってこそ生きていることを認識でき自分の本質を知るこができる。

世の中には確かに「死ぬ」ことよりも苦しいことはたくさんある。人間に残された最後の自由であり、安全地帯でもある。だが、そこは行き止まり。その先には何があるか判らないし、戻ることは出来ない。それを考えると、今がどんなに辛く苦しくても、その先の明るい未来を信じて生きていくのは幸せなことなのだ。

イチローは、「自分を殺して相手に合わせることは、僕の性に合わない。まして上からいろいろ言われて、納得せずにやるなんてナンセンスだと思います。」という考え方もある。

しかし、私は、自分自身を変えようとするなら、まず自分自身を殺さなくてはならない。自分自身が正しいと思うことやこだわっていることなどは、大したことではない。自分を成長させたいなら、常に周囲にアンテナを張り、過去の自分を殺し、新しい何かを身につけて、その繰り返しが成長だ。

個性のない、優柔不断な性格で面白みがない人間で、平凡な(毒にも薬にもならないかも知れない)生活ができれば、非凡だと思う。逆に自分を変えようと思ったら、「自分を殺す」くらいの気合いがないと上手くいかないとも言える。

自己研鑽を続け、自分を殺して(無にし)続けてもなお残るもの、それはまさしく、自分自身の本質であり、誇りである。それは大切にするべきである。謙虚な気持ちで自分を成長させていく過程で、自分の本質(本来の姿)探しも出来てしまう。

自分の本質に向うことは、恐れでもあり、喜びでもある。無限のパワーを授かることができ、平和な心でいられると思う。

救出は全力で・・・

06oga_toga11 11日午後2時46分東北地方中心にに襲った津波は、想像を絶する。二日後の昨日も水が引かない。地番が70㌢平均沈降したそうだ。水が引かない理由という専門家の話だ。

1804年に起きた大地震で約2・4メートルも隆起、水面は一夜にして野と化した「象潟」は昔、入り江に数多くの島を浮かべた景勝の地であり、古くから東北の名所として松島と並び称されてきたという。

その後は水田の中に島の跡の小さな丘が点々とする、という芭蕉が見たものとは別の景色となった。地震の持つ力のすごさを見せつける形状である。

それより大きいエネルギー持った地震、207年後の2011/3/11東北地方中心にマグニチュード8・8、7メートルを超える津波でリアス式海岸線の町を壊滅的被害をもたらした。「東日本大震災」である。私の住んでいる所では考えられない。津波の脅威を思い知らされた。

全体が水没したり全く家屋の基礎部分だけを残し、跡形もない町並みだけが残るという、壊滅状態になった光景がいくつもある。丸一日以上がたっても被害者数も被害額も想像がつかない、悪夢のような惨状だ。

巨大地震は専門家の「常識」を超えるものらしい。大地震の後に余震が続くのは不思議ではない素人の私であるが、昨日早朝の長野県北部などの地震も誘発されたものかも知れない。

救援は、まず取り残されている人達を優先して行っていると思うが、その現場には陸上から行けない、ヘリコプターで救出される画像を見てもっと数を増やせないかと思う人は私だけではないだろう。

不眠不休で魔物の爪痕と戦っている自衛隊、警察、消防などの関係者には、心から応援したい。特に自衛隊の力なしには、状況をつかむことすらできない現実がわかったはずだ。ともかく一人でも多く救出してほしい。

スローライフ心がける

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3612 現代人はどの程度待たるとイライラするのか、さまざまな場面・状況を、時計メーカで、イライラを感じるまでの限界時間を聞いた調査結果があった。

“セッカチ”といわれて久しい?私である。殺してしまえ→信長・鳴かせてみせよう→秀吉 ・鳴くまで待とう→家康・・・が性格の例に引き合いにだされているが、私は、たぶん秀吉の鳴かせてみせようであろう。

「総合病院」「役所」「通勤時の電車の遅れ」「エレベーターを待つ」「レジ待ち」「パソコン関連」などで少し余裕?の気持ちになってきたようだという。“スローライフ”意識が浸透してきたと見る?

総合病院――6割が『45分』でイライラ。(女性の方がやや慣れ)
役 所――『15分』で7割強がイライラ、50代以上は8割。
金融機関のATM――『5分』で7割がイライラ。(女性と50代以上はやや気長)
通勤時の電車の遅れ――『5分』遅れたら半数近くがイライラ。
エレベーターを待つ――『1分』が限界。
歩行者として信号を待つ――4人に3人が『1分』まで。
スーパー、コンビニなどでのレジ待ち――6割強が『3分』でイライラ。女性は待ち慣れ。
ランチタイム時、オーダーしたメニューが運ばれてくるまで――『10分』までが半数。
パソコンが立ち上がるまで――『1分』で6割がイライラ。
深夜帰宅の駅前タクシー乗り場――6割が『15分』、3人に1人は『30分』。

などである。私は金融機関と役所に用がないのでイライラの経験はないが、時間を予約しても、病院での待ち時間が長いとちょっとイライラすることがある。まぁ人生ゆったり生きようと心がけていようと思うが?スローライフでね・・・″

しかし、地震で取り残されて救助を待っている人がまだいる。限界に?一刻も早くしないと・・・

2011年3月12日 (土)

救済は国をあげて・・・

24351_2 今回の地震は、死者6434人を出した、阪神淡路大震災の(1995年)180倍 のエネルギーだという。日本列島全域に影響を及ぼした。一夜明けて、関東地方は朝から晴れて、昨日の揺れが信じられない。風は冷たいが、その風にも春の兆しが感じがして、何事なかったのかに思えるほどの朝だった。

自然の力は46億年の地球誕生の時から、爆発・巨大大陸の形成になったり、地球全体が氷ったり、爆発・氷結の繰り返しで、現状の海と陸を形成した。地殻変動で、現在の地球が形成されている。長い地球の歴史から見れば、今回の地震は些細なことかも知れない。

人間の力ではどうすることも出来ない。大宇宙の小さな星地球である。世界一高いヒマラヤも地殻変動で作られたという。その証拠に山頂付近に原始時代の海に棲んでいたとされる貝類の化石があるという。そのエネルギーは、今回の地震の比ではない。

そういう地球の歴史から見れば仕方がないと見るかは、人のよって違うが、これが自然であると観念しなければならないと思う。人間の力では抑えることが出来ないのだから・・・

しかし、多くの生命・財産を一瞬のうちに奪った地震の恐ろしさは、実際体験しないと分からない、被害に遭われた方には、国をあげて全力で救っていくことが、共に生きる人間としての義務であると思う。

地震に遭って

10risiri_senpousi21 想定していても、それがどんなに恐ろしいか、災害は遭ってみないと分からない。昨日(3/11)14時46分、日本列島殆ど全域に揺れを感じただろう、東北地方太平洋沖地震は、観測始まって以来のマグニチュード8.8という巨大地震だ。1日経っても余震?新潟・長野で6.6強の地震が続いている。7メートル超える津波被害は想像もつかない。人命が11日朝現在、1000人を上回る犠牲者だという(まだ増えるだろう)、そして失われた財産は莫大のもである。

寺田虎彦の「災害は忘れたころにやってくる」という、私は、普段町会などで防災意識を啓蒙をしているが、地震の恐ろしさをつくづく実感した。誰でも、何の影響もなかったということで、時間と共に、関心が薄れていくのは人間の悪い習性で、人間は絶対一人では生きていけないという基本理念を無視した行為で反省すべきことなのだ。

自分さえ良ければという認識は災害に遭われて初めて味あうというのは悲しい。いま、無縁社会の時代と言われるが、家族の絆・地域の絆・社会の絆を意識しさらに、アメリカのオバマ大統領の力強い支援の約束をしていただいたというように、世界は共通意識になっている。

南ニュージランド地震が遭ったが日本の救援隊が帰ってきたばかりに起きたものだが、災害で一番心がけ行動する原則は、自助・共助・公助の順で、最終的には人命尊重は世界共通の認識であることを再認識した。そして日ごろの備えと、家族・地域の連携が大切だと痛感した。

もう一度、水・食料はじめ、懐中電燈など地震に備えを見直しをして置こうと思った。家族の連絡先、地域の人たちの日ごろのお付き合いなど、考え直してみることがだいじだ。

東北地方太平洋沖地震

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201103128029191y1                                         火の手が上がる住宅街(読売新聞 )

11日午後、2時46分東北の太平洋沿岸で、国内の観測史上最大のマグニチュード8.8の巨大地震があり、宮城県で震度7の非常に激しい揺れを観測したほか、福島県では7メートルを超える大津波が観測されるなど、北海道から沖縄県にかけての広い範囲に津波が押し寄せてた。

福島県相馬港7.3m以上の大津波を観測したのを始め、北海道から沖縄まで、日本列島太平洋岸1m以上の津波を観測した。その後余震と見られる震度4以上のゆれが何度も続いている。

私は、ちょうど買い物から帰った直後で妻と家にいた。立っていられないほどの揺れで、揺れの長さが1分ぐらいで、ただ事ではないと思った。地震直後のNHKテレビの放送で仙台地方の津波の大きさ、その壊滅的な破壊するエネルギーの恐ろしさが分かった。

海岸線から10キロぐらいまで津波は大きな漁船が畑や道路を壊し、自動車も民家も押し潰していく様は、この世のもとは思えない光景であった。

東京電力・福島第一原子力発電所の1号機では、原子炉が入った建物内の圧力が高まっているため、建物内の空気を外部に放出する予定だと東京電力から報告があったことを明らかになり、放射能漏れが心配である。

東京でも交通のマヒで、通勤者の帰宅が出来ないで、渋谷・新宿・池袋など駅前映像で大勢の人々が道路にあふれて建物の揺れが続く不安な表情が映し出された。

何度か防災講習会で勉強したことで、防災時の対応は、「自助・共助・公助」と落ち着いた行動が大事であること。私の地区は大丈夫と確認出来たので、江戸川区にいる娘家族が心配で、電話が通じない。(携帯・固定)でパソコンで携帯にメールを送り様子を聞いたが、無事だとの返事でほっとする。

日ごろの備えと、訓練が大事と痛感した。大きな余震が続き、不安な夜であった。

2011年3月11日 (金)

元少年3人死刑の厳罰

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05sikotuko31 判決は「無抵抗の被害者に集団で暴行、男性4人を暴行し、その痕跡を消そうと殺害に及んだ理不尽な動機に酌量の余地はない」と厳しく非難。「なぶり殺しともいうべき凄惨な犯行で、遺族の処罰感情は極めて厳しく、社会に与えた衝撃も計り知れない」。

少年だった、遺族に謝罪の意を示しているなど、被告に有利な事情を踏まえても死刑は避けられないと結論付けた。

日本弁護士連合会は最高裁判所は10日、上告を退ける判決を言い渡し3人全員の死刑が確定した判決に「少年事件の特性を考慮しておらず、誠に遺憾だ」とする会長声明を出した。

国際的に見ると、死刑廃止国は着実に増加し、1990年当時、死刑存置国96か国、死刑廃止国80か国であったのに対し、現在は、死刑存置国58か国、死刑廃止国139か国となっており、死刑廃止が国際的な潮流となっていることは明らかである。

「死刑廃止が世界的な潮流になっているなか、少年事件という特性に考慮しないまま、元少年3人の死刑が確定することになったことは誠に遺憾だ」としている。

有識者の中には少年犯罪は一時的にでも増加したとする有力意見もある。少年の検挙人員は例年、大きな変動がないのにも拘らず、犯罪の認知件数は著しく増加し、また検挙率も大幅に減っているのがその根拠とされる。

このことは、不況が長引き、失業・就職難などの社会背景がある。道徳などの家庭・学校教育の不備があるのではないかと思う。人の命の尊さとを再認識させる教育の充実する。一方、死刑廃止方向への国際感覚の醸成が急務だ。

2011年3月10日 (木)

人のつながりで瀬戸際の命を救う

1231 13年連続で3万人をこえた自殺、最近さらに深刻化する児童虐待、そして若い世代に広がる孤独死。しかし、ようやく転換の時なのだろうか・・・。

警察庁によると、昨年の自殺者は9年ぶりに3万1千人台に減った。前年に比べ、34都道県で減少している。三重県は25%減、青森県は17%減と顕著に減った。13年連続の3万人台とはいえ、変化の兆しかもしれない。

自殺者数のデータはいま、市町村別に公表されるようになった。八王子市の現状はどうかというと、警視庁データー(2010/9月)で2010年10 人(前年9 人)全国の市では32位だ。

私に住む隣組に昨年一件発生した。その方は老人会に入って、カラオケやゲートボールなどの積極的に行っていた70代の男性で40歳代の子供と2人暮らしであった。子供とのトラブルが原因のようだが、ハッキリしたことは分からない。

近くにいた住民の一人としてどんな理由にしろ気にかけていればと思い非常に残念であった。「安心、安全」が必要なのは、交通事故や災害対策に限ったことではない。 最低でも年一回の親睦を兼ねた顔合わせ(3年前から中断してしまっていた)を行ってお互いに日ごろのお付き合いのない方にも顔を覚えていただくことが大事なことだ、反省したのである。

私達の市民活動を通じて、自殺を特定の人の出来事ととらえず、みんなで解決しなければならない社会の課題としてとらえる必要があると思う。

警察庁データで自殺原因の上位にあげられたのは、今回も「健康問題」であり、「経済・生活問題」だった。「就職失敗」も増加していた。

不況は続き、社会は高齢化する。苦しみはこの先も避けがたいだろう。無縁化時代と言われる今日、人のつながりにこそ、瀬戸際の人間を踏みとどまらせる力があるだろう。

私の町の湯殿川に思う

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Img_0104  土着者(生まれも育ちも同じ土地)には、激しく変る環境(人と文化と生活様式)は、わずか半世紀の間に大きく変ったことに、感慨深いものがあると同時に、昔棲んでいた生き物を取り戻し出来ないか?・・・

その中で一番変ったのは山と川だが、湯殿川に思い出してみる。40~50年前の湯殿川は蛇行し、川幅は狭かったり広かったり、浅かったり、深かったりで変化があった。川の両側は竹や篠などの根の張った土手になって、水が流れるところまではその竹や篠藪をかき分けて、降りていくのである。

近くに暮らしている人々は、湯殿川を生活の一部に取り入れていた。田に水を取り入れ、物を洗うなど生活基盤の中心であった。水車が回る、洗濯をする、野菜を洗う、子供の遊びも泳ぐ、魚を取るなど川遊びは、今では全く考えられない。

一方危険も一杯あった。かくしを踏む(篠の切り口で足の裏を刺す)、虫に刺される、蜂に刺される、蛇にかまれる(シマヘビ・マムシ・ジモグリ)、漆にかせる(川淵に漆の木があって素手で触るとブツブツができる)深みで溺れるなどである。

夏は一日に三回泳ぎ、学校の帰りに一回はフルチンで泳いた、魚を素手で取る、晒しの褌があればまだまし、手ぬぐいで腰を巻に巻きつけただけで、フナっこ、どじょう、メダカ掬ったり、味噌漉しざるで田んぼのみの口辺りでよく獲った。川で泳いで体が冷えると田んぼの稲の中に入り身体を泥だらけにして寝そべって遊んだ。

川の魚の種類は沢山いた。コイ・フナ・ナマズ・ウナギ・ぎばち・ドジョウ・すなもぐり・エビ・サワガニ・シジミ・ハヤ・イモリ・八つ目うなぎ・おばが・カジカ・カワニラなどで昆虫類は沢山いた。

獲り方は、釣り、あんま釣り、投げ込み(雨で水かさが増えるとミミズを餌に投げ込む)下げ針(夕方ミミズを針につけて魚がいそうな淵に仕掛けて翌日の朝に引き上げる)かいぼり(川を堰止める)網、モリ、ざる、手づかみ、どう、(竹で筒状に編んで一旦入ったら抜け出せない道具)などでとる。

今50代以上の人達は、湯殿川をどんな思いでみているのだろうか?・・・大きい(財産)物を失いかけていると思っていないだろうか・・・

田んぼがなくなり、堤防が整備されアスファルト河川管理通路となったが、ゴミは捨てる廃棄物は流す、犬の糞とマナーは、目を覆うばかりである。したがって生き物はすっかり影を潜めてしまった。何時も思うのだが、缶やビン・プラスチック類を捨てたら、腐らないで土には還らない、人にも有害な成分が残ってしまう。

だから、今まで無意識に捨てていた人達に、反省してもらいたい、本人もいつか苦しむ結果になるのだ。これから環境を取り戻し、環境を守っていくことは現代に生きる私達の、後世に残す義務であり責任でもある。

湯殿川をゴミをなくし、何十年前にいた生き物を取り戻し蘇させたい。湯殿川の流れの水の量は昔とかわっていない。水源の湧き水も昔と同じできれいだ。人間のかかわり方で、良くなり、悪くもなる。考えて欲しいものだ。

2011年3月 9日 (水)

景気もいよいよ春到来?・・・

05detohama11  産経新聞によると、・・・外需の伸びは1986年以来という。長いトンネルを抜け出す景気?期待したい。

内閣府が9日発表した1月の機械受注統計(季節調整値)によると、民間設備投資の先行指標となる「船舶・電力を除く民需」の受注額は前月比4・2%増の7661億円となり、2カ月連続で増加した。

外需が71・4%増と前月から大幅にプラスに転じたことが牽引した。外需の伸び率は昭和62年4月以降過去最高。ただ、基調判断は「持ち直し傾向にあるものの、非製造業で弱い動きがみられる」で判断を据え置いた。

業種別では、製造業はゆるやかな増加基調が続いており、7・2%増。一方、非製造業(船舶・電力を除く)は2・7%減となった。

街角景気にも“春”到来 2カ月ぶり改善、天候回復で客戻る。内閣府が8日発表した2月の景気ウォッチャー調査によると、街角の景気実感を3カ月前と比べた現状判断指数は前月比4・1ポイント上昇し48.4となり、2カ月ぶりに改善した。

前月は日本海側を中心とした大雪の影響で消費が冷え込み、3カ月ぶりに悪化したが、2月は比較的天候に恵まれたことが主因。エコカー補助金の終了やエコポイントの半減による販売の落ち込みも収まりつつあるとみている。基調判断は「景気は、このところ持ち直しの動きがみられる」とし、前月から据え置いた。

2~3カ月後の景気を示す先行き判断指数は、47・2で2月から横ばいを見込んでいる。

現状判断の内訳をみると、家計動向関連が4・9ポイント上昇の47・3。うち小売が6・4ポイント、飲食が4・5ポイント上昇するなど、消費の回復が改善につながった。企業動向関連も2・6ポイント上昇の46・9に回復した。

多くの国民は景気を持ち直してもらいたいと願っている。就職浪人がいるというのは、景気が悪いせいばっかりではないと思うが・・・株・投資信託も、大きく損をしてしまって身動きが取れない状況の人は沢山いるだろう。私もその一人だ。

減らない喫煙者

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Sakura4031 たばこ値上げ効果は「節煙」止まり 「禁煙」した人は意外に少なかった。 町かどでゴミ拾いをしていて気づくいているが、タバコのすい殻は、一向に減っていない。

J-CASTニュースで、昨年の年10月に実施された増税(1本あたり3.5円)で、9月の値上げ前駆け込み需要と10月の反動減と荒波にもまれた全国のたばこ売上高が、ほぼ増税前の水準を回復してきたという。

数量は戻っていないが、「禁煙断念」とのアンケートの結果も多い。思い切った増税だったが、健康増進策としては国がもくろんだほどの効果はなかったようだ。

6割が禁煙に挑戦と回答しながら、実際に挑んだのは4割。販売数量では前年同月を8~9%下回るが、金額は10~20%伸びている」(大手チェーン)。

1日10本以下の人の割合が大幅に増える。厚生労働省研究班の調査(2月8日発表、10年11~12月に面接)では、喫煙者率は男37.1%(前年は36.1%)、女8.9%(同8.3%)で、値上げ前後でほとんど変化がなかった。

では、どこまで値上げすれば禁煙に大きな効果があるのか。東京大学の五十嵐中・特任助教(医薬政策学)が試算したところ、1箱700円で、男性喫煙率(09年で38.2%)は25%まで下がるという(日経新聞2月23日付夕刊)。

こうした状況について世界保健機関(WHO)などの専門家は「価格引き上げとともに、公共施設での禁煙の徹底や、たばこの広告の全面規制などが必要だ」と述べ、さまざまな対策を組み合わせる必要を訴えており、日本では今後も、一段の増税とともに、さまざまな規制強化がさけられそうもない。

日本の公衆道徳は世界各国と比較してみると、どの程度か分からないが私は町を歩いていてタバコの吸殻は以前と変わらないと思える。タバコ吸う人のモラルのなさは相変わらずである。ただ、喫煙場所が少なくなって、タバコを嫌う人は肩身の狭くなったと思う。

その分町の交差点の付近は、吸殻の捨ててあるのは、路上喫煙(歩行喫煙)禁止違反者が多いということだ。喫煙により生じた「副流煙」、喫煙者が吸う「主流煙」の吐き出された「呼出煙」を発生源とする、を吸入させられる、受動喫煙は何とかして欲しい。

2011年3月 8日 (火)

国立市の住基ネットに拒否の問題

3612 最高裁の合憲判断を無視し、住民ネットへの接続拒否を続ける一部自治体の姿勢が、改めて問題視されている。

先月、重ねて違法とした東京地裁判決を不服とし、控訴した東京都国立市の、関口博市長は「住民のプライバシー侵害の恐れ」などを控訴理由にしているが、行政が違法を承知で「自説」を押し通すのは許されない。

住基ネットは、国が社会保障と税の一体改革に向けて導入を目指す共通番号制度の基盤システムとして最善である。すべての自治体が参加してこそ最大の効果を発揮するのが制度本来の仕組みであり、訴訟の長期化は国立市民の不利益だけで済まない。(産経新聞:主張)

市長は、直ちに控訴を取り下げ、違法状態の速やかな是正に取り組むことだ。福島県矢祭町も同様である。判決で、住基ネットの目的は、「行政コストの削減」「事務の効率化」「住民の利便性向上」などを挙げている。

これらを達成するために、市町村は「住基ネットに接続する住民基本台帳法上の義務を負う」とも指摘した。その上で、国立市の対応を「法律上の義務に違反し、目的の達成を妨害する」と断じた。

「住基ネットはプライバシーを侵害せず、憲法に違反しない」とした過去の最高裁判決などに沿ったものだ。市独自の判断で法律違反を続けることは、法秩序維持の観点から許されない、という司法の明確な意思表示でもある。

住基ネットに接続している市町村は、住民の転入・転出などの事務処理をネットワークを通じて行っている。これに対し、国立市は従来通り、転出先の市町村に書類を郵送する手間をかけている。

判決は、業者に委託しているこのデータ保存費用などについて、住基ネットに接続していれば必要のない違法な支出と認定した。過去に支出済みの約40万円については、市長が賠償責任を負うとの判断も示した。

公金の違法支出が認定された以上、国立市は速やかに施策を改めるのが市民への責務である。政府が導入を目指す「社会保障と税の共通番号制度」の基盤となるのも住基ネットだ。その際、前提となるのは、全市町村の住基ネットへの参加である。

完全無欠な人間はいない

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08tubaki_takegaki11 人間は生まれた瞬間から罪人である。この世の中にいる全ての人間は例外なく罪人であり、完全無欠の人間は最初から存在しない。

しかし、人間の心の底にある善悪の判断(理性)の声がある。だから、悪の塊のような人間もいない。この世の全ての人間は、道徳心が存在いると言える。

つまり、人生では様々な選択肢に直面する場面があるが、その際、自分がこうしたいというのとは別に、心の底から「こうすべきである」という、ちょっと矛盾する心が動くことがある。

人が池で溺れそうになっているのを見た瞬間、どうするかを決める時に頭の中に下記二つの選択肢が思い浮かぶ。

1) すぐに水に飛び込んで助ける

2) 自分も危ない目に遭うかもしれないので助けない

しかし、これに加えて実はある発想が働く。それは「2」を選ぶより、「1」のほうがモラル的に優先すべきであるという心である。この声は、あらゆる場面で出てくる。

物を盗むか盗まないか、浮気をするかしないか、仕事の経費を誤魔化したりする時など、色々な場面で、どうしようもない罪人である。そして、律法を完璧に守っている者は一人もいない。

私達はいくら頑張っても人間同士だけでは、決してお互い平和に暮らせない。長い人間の歴史から見ても戦争は耐えない。また、麻薬密売や殺人のような様々な犯罪を起こしたり、人種差別をしたり、特段の理由なく他人を妬んだり、憎んだり、見下したり等、どうしても避けられない。このような悪い行為・結果は、日々数え切れないほど目にする。

裁判を通じて犯した罪に相当する量刑が下され、懲役や罰金が求められる。また、民事の争いの場合は損害賠償が求められる。

「そんなの、ふざけるな!」「不公平じゃないか?!」と騒いでも、関係ない。規則は規則だ。例えば、東大に合格したいのであれば、東大が定めた点数を取るしかない。入試に合格するため、一生懸命頑張る人もいるし、それ程頑張らない人もいるかもしれない。でも、それは関係ない。

結果が全てだ。合格すればよい。ぎりぎりでも合格基準を満たせば合格だ。逆にどんなに惜しくても合格ラインを越えなければ不合格だ。文句を言っても全く無意味だし、時間の無駄だ。

この地球上で、現代に生きている私達の生まれる前から存在しているし、私達が死んだ後も存在し続ける。このような歴史の中で、反抗的な態度を取り、「そんなの不公平じゃないか」などと言うのは通用しない。

2011年3月 7日 (月)

前原外務大臣辞任に思う

Photo_2 外国人の知合いの女性からの応援金が、5年間で20万円である。多寡が20万円といえども、違反には間違いない。しかし、この程度ミスを辞任負う犯罪と見なすのならば見逃さない制度システム作りが必要ではないだろうか・・・

多くの国民は、国家議員は、誰でも、本人は知らないが事務方は認知している事だとか、また、故意ではない、知らないところで違反してしまっていることもあるだろう。それが自他共に指摘で分かった時点で修正で、そのミスが認められるかが問題でいいと思う。人間誰しもミスはあるのだから・・・分からなければいいと思っている人はいないという条件だが・・・

指摘議員始め、全議員が自らの献金ガラス張り公開し全議員に適用する法案成立の再発防止策を負うのが筋であると思う。献金ミスも意図的違反も一般国民が全視監査可能な制度システムはその気になれば可能であるが、闇献金したい側と欲しい議員が、利権に絡み合う世の中そう簡単には・・・

前原外務大臣の辞任は現行法に於いては正解だと思う。しかし、全国会議員の中で自分は大丈夫と言い切れる人が何人いるのか・・・?自民党の谷垣総裁は、口角泡を飛ばし解散の声高くしているが・・・解散して勝算に自信はあるのだろうか?

法律を作っても作っても、網の目を抜け出そうとする、人間の嫌らしい心が失せないうちは解決できないだろう。まぁー間違いを素直に謝る そんな人間に憧れるところだ・・・

啓蟄の日に・・・

Photo 啓蟄や 朝の寒さに 虫会えず

昨日、6日は暦の上で「啓蟄(けいちつ)」。土の中から虫がはい出てくるとされる。だが、3月に入っても「春は名のみ」の冷え込みが続いてき、昨日も朝は寒かった。

昨日は、毎年コスモスの花を咲かそうと計画していて、多くの人に楽しんでもらおうと考えています。朝夕に通学・通勤・お買い物するかたが利用する河川管理通路です。

花の持つ優しさから、毎日が人に優しい気持ちになって一日を過ごしていただければとの思いで一生懸命耕しました。土の匂いが快かったです。しかし、土の中から虫は見えなかった。きっともっと深くにいるのだろうと思いました。

自然を大切さと人づくり

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T6_02xga_2 自然を大切にする人は人の優しい。21世紀の現代は、人間生活の全ての面における「共生社会」の構築が課題である。人と人とが互いの違いを認め合う中で、お互いに支え合い助け 合って生きる社会で、人間と自然の共生、人間が自然に生かされていることを実感 できる社会づくりが大事だと思う。

いま、あらゆる分野でグローバル化・ボーダレス化が進み、人種・民族・宗教・文 化の違う人々との共生が、ますます重要になってくる。男女共同参画社会の進展に 伴い、男性と女性のより一層の共生が求められてくる。

少子化・高齢化の進む21世紀の社会では、高齢者と年少者の共生は重要 な課題であり「いじめ」が深刻化している子どもの社会においても、友だちと共に生きる力を培うことは緊急の課題である。

「共に生きる力」の根源は、「互いの違いを認め合い、共に支え合い助け合って 生きようとする広い心」「優しさ・思いやりの心」である。

いろいろな人と触れ合う・関わる体験活動(ボランティア活動、福祉体験、父母 ・ 地域住民と触れ合う活動、友だちと一緒に学ぶ共同学習等)や自然体験活動を通 して「広い心」、「優しさ・思いやりの心」の育成が最大の課題だと思う。

2011年3月 6日 (日)

みんなの好きな町だから・・・

Img_0103 今日私達の町のシンボルでもある、かたくら時田まちの広場」と「湯殿川」の清掃を行った。家庭ごみを橋の上から投げ捨てる非常識な人がまだいるようで、ゴミ袋が4個水に浮かんでいた。そのゴミ袋を拾い上げて、近くのスーパーで処分を依頼した。

また、湯殿川沿いの河川管理通路のゴミ拾いと、草取り(土お越し)して汗を流した。この作業は4日かけてようやっと終った。秋には今年もコスモスの花を町民に楽しんでもらうための準備である。

「みんなの好きな町だから」ゴミのない町にしましょう。そうして私達の「町の広場」を大事にしよう。だから、犬を連れて入らないようにね。そうして自転車や、バイクの乗り入れも禁止ですよ!もちろんゴミは持ち帰りです。守ってね!

湯殿川には30年前にはたくさんの種類の魚がいたんだ。ドジョウ・カジカ・ナマズ・フナ・サワガニ・エビそうしてシジミやカワニナ蛍だってたくさんいたんだ。川をきれいにすればきっとそうした魚も戻ってくる・・・・だからみんなできれいにしようよ!おねがいね!

英語の翻訳すると・・・Yahoo!翻訳ーテキスト翻訳・・・

1. → Beca use it "is the favorite town of all", let's make it the town without the garbage.
2. → In that way I will be careful with our "town square".
3. → Therefore I am with a dog, and do not enter.
4. → In that way riding into of a bicycle and the motorcycle is prohibition, too!
5. → Of course the garbage is a take-out.
6. → Protect it!
7. 殿30 → Many kinds of fish ached in the bathroom River 30 years ago.
8. → Even a corbicula and a marsh snail firefly mourned over a loach miller's thumb catfish crucian carp Sawa queen crab lobster a lot in that way.
9. ・だから → I will surely clean such a fish in ... / all which are sent back if I clean a river!
10. → It is a request!

自然のバランスを取り戻そう

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05sikotuko31 自然界では自然の摂理である絶妙なバランスのもとに、さまざまな生きものが生存出来ることだと思う。昔から比べると山や川に棲む生き物が種類の数が少なくなくなった。それは生物界の頂点にある人間によって(ある意味ではエゴ)死滅させたといってもか過言でない。

自然界に生きているというより、お互いを生かしあい、生かされている。なんの疑問もなく生きものたちは命のある限り精一杯に生きている。しかし、人間のあくなき欲望で自然の摂理であるバランスを崩してしまって取り返しのつかないことになっても止まることを考えない人たちがいる。

時には自然の姿に目を向ける事が大事である。自らの世界が見えてくる。そうして、人間だけが生きることに悩んだり苦しんだりしている。人は、生きることにさまざまな疑問を持って生きているが、野生の生物は我が道を行く生き方になんの疑問もなく、日々懸命に生きている。

この世のすべてが同じ姿を止めることなく無常であり、ありのままの自らの世界であるが、地球環境の変化にも柔軟に適合して、生き残った。生物を見ていると、生きものたちから元気をもらう。その生き物たちも、ちょっと昔の50年前にいた生物を人間の勝手な乱開発などで数を少なくなった。

これらをも一度、取り戻すことも人間しかできない。人間の大きな罪で罰を受けない無責任なことは許されない。自然の摂理バランスまで狂わしたのだから・・・Img_09061

2011年3月 5日 (土)

「春耕」しながらの雑感

1199679946406161252701 一昨日・昨日と冷たい季節風一日中吹いていたが、今日は日差しの暖かく感じる日となった。午後から、河川管理通路の土起し(春耕)を2時間行った。

確かに、周囲の未だに冬枯れた景色のなかに、色とりどりの早春の花が咲き始めて来た。小鳥たちの声も厳しい季節から春を感じ取っているように鳴きだしてきた。

ところが昨日、一日中風がすごく冷たい日となった。行き交う人の「風が冷たいねー」が挨拶であった。3月に入ったのに、まだまだ!今時分の天候の気まぐれまさに、「春は名のみの風の寒さよ」だ。

NHKのニュースで和歌山県で鶯の鳴きの便りがあった、例年に比べ八日早いという。今日は、暖かな日和で片倉城跡の桜の蕾も膨みが進んだろう。乾いた土にしがみつくように雑草は根を張っていた。その根をツルハシで掘り起こしで汗ををかいた。この作業は後2・3日で完了させたいが・・・

寒さと暖かさが交互にそして雨が気温を押し上げてくれる。そうして彼岸が来て一週間も過ぎれば、桜の便りがくる。明日が「啓蟄」である。

町づくりは全員の参加で・・・

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1231 私たちを取り巻く経済状況・生活環境は回復の兆しがあると言われながら、現在も混沌としている。 グローバル化した世界、どこの国でも、異常事態が起きても、私達に暮らしに影響する時代である。ますます先行きが不透明で、人々は不安を抱えながらも日々生活している。

お互いに不安な生活から抜け出そうと思っているが、一人ではどうする事も出来ない、そこで地域で悩みや、不安を話し合い、助けあい、励ましあい、時には協働作業を通じて喜びを分かち合いができれば、活力ある生活を送れればと思う。

私たちは日常の中で何らかの組織の中で暮らしている。それは、会社組織であったり、地域のコミュニティーの組織であったり、家族と言う組織である。最近は組織での生活から離れ、個人での生活を送る人が増えている。

現代社会では、個人でも生きて行ける環境が整っており、子どもの頃から一人でテレビゲームをしたり、あまり人とのコミュニケーションを取らずに成長してしまうと、引きこもりやニートと呼ばれる大人が増えているのではないだろうか・・・。

人と人とのコミュニケーションが薄れてしまうと人間は自分の殻に閉じこもりがちになり、意欲がなくなり人との繋がりが希薄になって行くように感じる。

町民の全員がコミュニケーションを取り、一つの輪になることで、一人ひとりが煌き、人の輪を築きあげ、人のつながりを更に大きくすることにより未来へ飛躍する一歩だと思う。

地域住民の方がまちづくり関心を持ち「ふれ合い」「自然環境」「安心安全」を3つの柱に人任せでは無く住民一人ひとりが主体的にまちづくりに参加して頂きけるよう、行政・各種団体と連携をさらに強化にして行かなくてはならない。

2011年3月 4日 (金)

啓蟄に思う

Galleryplayer20_van_gogh 春「はる」という言葉は「万物が発〔は〕る(発する)」「木の芽が張〔は〕る」「天候が晴〔は〕る」「田畑を墾〔は〕る」などの意味を持つ。天候に恵まれ、希望に溢れる季節を象徴している。

二十四節季の一つ「啓蟄」と聞くと、百姓だった親父が言っていた「“けいちつ” は田んぼの虫達がぞろぞろ出てくることで、人も本格的農作業を始めるんだ。」

3月6日頃で、具体的には、「さぁ働くぞ」と意気込み始める日のことを言う。この時期は、一雨降るごとに気温があがってゆき、春に近づいていく。日差しも徐々に暖かくなってくる。

そして春分、清明、穀雨、・・・と続く、樹木の年輪は毎年一本ずつ増える。正確には寒暖の差など気候の年周期性が明瞭な地域に生育する樹木は一年ごとに年輪を形成する。

年輪の成長量は気候などの環境要因によって大きく影響されるという。樹木に刻まれた年輪の寛窄パターンはその木が生育していた時代の環境変動を反映している。最近の地球温暖かが進んでそのパターンが狂ってしまう?

人も樹木のように年輪を刻んでいる。心身も大きく躍動する時期だ。そして鳥のように大空に巣立ちの時期4月になる。孫達もみんな元気に進学出来そうだ。そうして年輪を一つ増やし一回り心身ともに大きくなったように思える。幸せなことだ。

福祉行政の難しさ

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Galleryplayer1_venice いま、国会で問題になっている、子供手当てで、その財源の確保が難しいということで与野党激しい攻防真っ最中である。

そのことから思い出したのだが、私は、現役時代にある企業の厚生課で福祉の仕事をした経験がある。そのとき考えたのは、人間の欲望は限りがない。

その板ばさみに悩まされてしまった。社員気持ちよく住んで貰って仕事の効率を上げもらうには、住む環境の改善をしなければいけない。社員の要望を出来るだけ聞いてあげる。しかし会社にも予算がある。

福祉とはその国の政権の主張や考え方によって違ってくる。福祉より産業・経済・防衛が優先だという政策が国民のニーズだと判断で違いは出る。その予算の分配で違ってくる。

今日、日本では、失業・年金・医療といった社会福祉問題、治安の悪化、モラルの欠如など多くの問題を抱えている。さらに世界に目を向けると、食糧問題、貧困問題、環境問題など、数多くの問題が存在する。

私たちは、このような問題にどのように取り組んでいけばよいのでしょうか?依然として軍事費ウエイトを置いて、自国を守ることを優先に考えている国もある。また、中東の諸国に見られるように、民主化の闘争が国内紛争と化して止まり知らない。その勢いはドミノと化している。

その原因は、福祉の充実で生活向上を要求から発生している。人間の欲求は際限がない。少数の権力者が多くの国民を抑えていて、長年の鬱憤が爆発して起こった騒動だ。このことは、どこの国でも例外ではない。

世界中どこの国にも当てはまる。生活の質の向上(福祉の充実)とその他の国家予算のバランスを取るのが難しい。

2011年3月 3日 (木)

学校教育を考えよう

Galleryplayer3_desert いま、子育ての時期にあるご家庭では、子供の学習塾の学費が大変であるという。子供手当ての支給をあてにしている家庭も多いだろう。

一流大学に入学させ一流企業に勤めさせるには学習塾に入れる、それが理想だ。しかしその莫大な費用が負担できるのは富裕層でなければ出来ない。つまり、親の力がないと出世街道は走れない。貧しいが故に、努力してもエリートコースは諦めなければならない現代社会だ。

公立校より、私立校の進学率が高いと言われている学校を選びに躍起になっている父兄がいるが、そんなところに貧富の格差が生じる社会でいいのだろうか?

ちょっと次元が違うかもしれないが、私が子供だった時代から比べると、明らかに日本は裕福になっているのに、何割かの人は「自分を貧困」だと思っている人は多い。

生まれた時は人間の能力は変らないが、子育て、教育課程で、格差が出る社会を正すに政治の力だと思う。貧しいご家庭の子供にも優秀なお子さんはいる。教育の機会均等?もっと考えるべきだ。

裕福な家庭でないと有名校に進学できないなんておかしい。正常な人間形成に必用な、道徳教育も兼ね揃った、人間作りの社会意識が大事で、政治の出番だと思う。

マナーとルールと思いやり・・・

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Galleryplayer24_web マナーを守ればルールは要らない。隣にいる人の事、目の前にいる人の気持ちを互いが考えられれば、ルールは要らない。しかし、「家庭」、「地域社会」、「国」、「世界」と、グローバル社会で複雑化し、人の交流が激しくなると、人は「目に見えない人」の気持ちになるのは難しくなる。だから条例や法律というルールができる。

これだけ価値が多様化し、互いの相互利益が成立しにくくなると、都度相手の気持ちを考えるのが難しい。考えて、行動しても結局相手の要望と異なるケースが増えている。それならばいっそ、「自分の思うようにやろう」となる。

そして互いの利益争いの結果、そこに目に見える形で衝突が起きてしまうと、それを防止するためのルールが策定される。その策定されたルールで不利益を被る人がまた増えて、彼らもまた「自分の思うようにやろう」となる。そして新たなルールができる。その繰り返しの連続になる。

世の中から信号機が無くなる時がくるとすれば、それは車からアクセルもブレーキもハンドルも消えて、どこか衛星上から車の動きを第三者に管理されるような時代であるのかもしれない。

そうなったら、「生きる」人の存在意義は?自分達で判断してアクセルを踏んで、ハンドルを切って、細道から車が出てきたら入れてあげたり、おじいちゃんが信号無しの横断歩道を渡ろうとしたら止まってあげて、そうやって自分で判断を積み重ねる毎日を送るということが「生きていく」というのではなかろうか。

この世に法律があっても、人の優しさ、思いやり、心の安らぎがなければ生きることが出来ない。

2011年3月 2日 (水)

日本のお寺と葬儀

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Galleryplayer21_bali 家族葬・樹木葬・直葬などと、むかしの葬儀の意識の進化は、海や川に散骨したり、はたまたロケットで宇宙の彼方に打ち上げる。そんな葬儀の時代が来る?そして、お坊さんは無しで葬儀を考えている現代人が多くなたという。

NHKの3月1日クローズアップ現代では、日本76000のお寺の存亡の危機という。仏教は肯定するが、葬式や坊さんの信頼が薄れている?のではないかと思う。

都市への人口流出と檀家の減少、「直葬」に代表される宗教離れよって、衰退してきた寺が経営難に陥り、数億円の負債を抱えるケースも出てきている。

原因は“墓ビジネス”の失敗だ。葬儀会社に「葬式」さえも奪わつつある寺が、存続をかけてビル型納骨堂や巨大霊園を建設したものの、売れ残ってしまったのだ。

一方、危機的状況のなかで、信者の心の苦しみに寄り添う宗教の本分に立ち返ろうと、自殺や高齢者の孤立の問題に向き合う僧侶も現れているというが・・・

合理主義の生活様式に様変わりした現代社会で、「お寺の坊主は丸儲け」「坊主は元手なしで儲かる」。そんなイメージを持っている人間が多くなったのだろう。

日本消費者協会のアンケート調査によると、葬儀のお布施の全国平均は50万円を超えているという。しかも、過去25年の間、上がり続けている。葬儀での読経は長くても約1時間。つまり時給50万円、しかも、安心の現金一括払い。

葬儀だけではなく、「彼岸の供養」や「盆の供養」、「塔婆供養」や位牌や仏壇を新しくした時の「開眼供養」、そして、「賽銭収入」もあるそうだ。

このように色々な収入があり、税金も優遇されていることから、よく、「高級車を乗り回したり、飲み屋で羽振りのよい、なまぐさ坊主がいる」と、否定的なイメージで語られることがある。

しかし、現実にはこうした「金持ち坊さん」は少数派だそうだ。一般に、檀家数が1000を超えないと、本業だけでお寺を安定的に運営することはできないと言われている。

私も、金のかからない葬儀がこれからの社会に変容して行くだろうと思う。仏教は肯定するが葬儀・僧侶には信頼が薄れている。心のよりどころであった坊さんの説教は、他に求められることが出来るということなのか・・・

 

2011年3月 1日 (火)

月日が経つのが早い

Galleryplayer16_galaxy 月日の経つのは早い、今年も2ヶ月が過ぎて今日から3月である。生きている時間は、無限ではない。有限である。

子供のころは、早く大人になりたく仕方がなかったが、今は勢いがついたロケットのように秒速何キロという、感じ方してしまう。どんな人にも必ず「死」というゴールが、最後に待ち受けている。死という事実は、宇宙から見れば、人が死ぬことは当然のサイクルである。

「諸行無常」世の中の一切のものは常に変化し生滅して、永久不変なものはないということ。平家物語の祇園精舎の鐘の声・・・にあるように宇宙に変らないものはない。

ヒトの死を考える場合、個体を形成する約60兆個もの細胞数、これは太古の単細胞生物から進化の果てに達成した細胞数だと思うと、この数に悠久の時間を感じてしまう。

これだけ多いと、1日に死んでいく細胞の数も膨大だ。なんと毎日3000個~4000億個も死んでいきまた、新たに生まれている。だから生きていける。しかし、生きと死のバランスが崩れ最終的のは死に至るのである。

このように、宇宙も人間も、刻々に変化し続けているが、その変化の形やスピードが人のの感覚は、夫々違いはあるが確実に一定(死)の方向に進んでいる。

すべての物質には「始まりと終わり」という法則が当てはまり、例外はない。人間、植物、地球、はたまたあの太陽さえ終わりがある。宇宙に存在するすべてが始まりがあれば、終わりがある。終わりとは、死のことである。

いつか死ぬという意識しないと、ゴールを知らないマラソンのように、うまく走れなくなってしまう。死と真っ向から向き合う人が、人生を上手に生きることができるようになるのだと思う。

 

入試・不正ネット投稿

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08nangodake_sandou11 カンニングとは試験のとき、隠し持った参考書や他人の答案を見るなどの不正行為をすること。しかし今回は、大学受験で携帯電話で不正な行為をしたという。ニュースで驚かされた。

入試」ネット投稿、カンニングの手口とは」 News i - TBSの動画をみて・・・さらに驚かされた。写メを撮るまたはテレビ電話で入試問題を映して、協力者に送信して協力者が投稿した?・・・

ただ、携帯電話の電源がOFFであれば、これらの行為は出来ないので、入試の時には携帯電話の電源はOFFにするように指示されるはずである。そうであるならば、大学側にも過失があったので、監督責任は問われるだろう。

カンニングの疑いがある試験の扱い方をどう対処するのだろう?1980年、早大の入試漏えいの時は、不正行為で入学した生徒を除籍処分にしたり既卒者に対しては学位の取り消した。その時は生徒を特定することができたが、今回はYahoo!のIDで辿り着くことができるのできるだろうか?

試験は紙に書くという今までの概念であったが、これからのデジタル機器の氾濫で試験も対応が必要になってきたようだ。対策は、試験官増員と、携帯電話・デジタル機器の持込の禁止と、監視の強化であろう。

お金が絡む事件かも・・・ネット社会が発達したいま、何か分からないことがあれば、「自分で苦労して調べなくても、投稿サイトに質問を投げておけば、だれかが教えてくれる」。それが問題だ。

 

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