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2011年1月

2011年1月31日 (月)

暖かい春は誰にも!

500ko412l1 つい先だって正月の松飾を外したかと思ったら、もう1ヵ月が過ぎてしまった。梅に鶯と言うが実際は「スパニッシュ・オリーブ」黄みが強い、うぐいす色の「めじろ」が家の梅ノ木にやってくる。あー、そうかぁ、鶯の色が鶯色、じゃあメジロは?ってことなんだ。

鶯は里山に鳴き声が似合う鳥で、どこから聞こえてくるか分からない。梅ノ木にとまって鳴いている姿を見たことがない。しかし、あの「ホーホケキョ」を聞くとあぁ春だなぁーと感じる。その梅の花が一輪、もう一輪、寒さに向けて開き始めた。

かのタイガーマスク昨年の暮れから一足先に日本中に暖かい春の風を吹かしてくれた。送り主のあるひとの「他人の分を奪ってでもたくさん食べたい年ごろの子たちが菓子を食べずに取っておき、小さな子にあげる優しい気持ちを育んだことがうれしい」とある園長さんが言っていた。

「昔は、優しかったけどつながりがきつすぎて、つらい部分もありました。かつての優しさと、手に入れた自由や快適さをうまく調節できないかなと思っているんです」。自殺率一位の秋田県の僧侶言葉である。

長引く不況で就職難で就職できない学生・リストラで失業で、春になっても見えない暖かさは遠いものになってしまう人もいるだろう。しかし、贅沢を言わず、まじめに「コツコツ」生きようと考えるなら生きられるはずだ。必ず誰にでも春は来る!

もう直ぐ春が・・・

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Mejiro11 今年の寒さは何時もの年より、厳しいように思う。今朝(31日)も日本列島殆ど氷点下である。これは、南米ペルー沖の太平洋で海水が低い「エルニーニョ」現象の影響だそうだ。しかし、必ず春は来る。梅のつぼみは、しっかり、膨らんで、昨日はいつもの年のように、めじろの姿を確認できた。もう直ぐウグイスの声も聞えてくるだろう。

春になると新しい環境・新天地に進む人が多くなるが、
人は誰でも孤独である。愛する人がいる、頼れる人がある、信頼できるパートナーがいる。家族がいるからといっても、所詮、人は誰でも自分一人だけ、一人ぼっちである。愛と希望があれば人は生きていけるというけれど、自分で自分を見失ってしまいそうな時がある。

幸せな人生を生きる道標として、何をよりどころとして生きていけばよいのか、進むべき方向さえも見つけられずに、不安な日々を過ごすこともある。人は何が幸せであり、どのような時に幸せだと感じるのだろうか・・・。

自分が生き甲斐を感じる時はどんな時だろうか・・・人それぞれ感じ方は違うと思うが、人の不幸を見て、自分は幸せではない。どんなに強い意思でも一人では生きていけない。家族をはじめ多くの人と係って生きられるのである。

だから、人に尽くす、思いやり、幸せを分け与える心をもって生きることが大切になってくるのである。まして、コミにケーションの方法がインターネットの時代で、言葉や、画像でのやり取りになって、息づかい、顔色や、心の奥、肌の暖かさまでは感じ取れない。

多くの人の、肌の温もりを感じる話し合いが出来る交流が大事となってきている時代である。一人ひとりが幸せを感じることを常に考えて行動する、春はもう直ぐ来る。そして希望・夢が持てる季節になる。

2011年1月30日 (日)

町づくりを考える(1)

10shiretoko5go_1ko11 八王子市の私達の町では、文字通り「まちをつくる」ことで、『町づくり』を、一般的なこの言葉が使われていることと同じで、建物や道路といったハード面よりは、住民の活性化など、ソフト面を考えることが少なかった。

町が抱えている課題に対して、ハード両面から課題の解決を図ろうとするプロセスが多く、それが表沙汰されている。

今、問題は、ご他聞にもれず、少子高齢化で、昔からの町内で催す、「盆踊り」や、「敬老の集い」などの行事に参加する人や関心の薄れで、見直しを迫られている状況になってきたと思われる。

環境などでも、古来からの生物の減少による子供の情操が育てる場が減ってしまている。子供の遊びを通して大事な「自然との共生」を習得することは人間形成に重大な影響を及ぼしかねない。従って、ハード・ソフトがバランスを考えて、「まちづくり」は進めなければならない。

一般的ににまちづくりにおいては、地域の合意形成が重視されなければならないと思うが、全ての住民が参加することは不可能である。多くの住民の声をよりまちづくりに繁栄させるために、まちづくりの議論に参加していない、あるいはできなかった人々のところに出向き、意見を聴取しをする。

そして、アウトリーチ(福祉などの分野における地域社会への奉仕活動、公共機関の現場出張サービス)などを通して多くの意見を汲み、住民間の合意形成を図ることが重要だ。

私達町内は、課題には次のようなものがある。
①商店街が衰退している
②老朽家屋が密集している
③道路など都市基盤整備が遅れている
④住民が高齢化しており活気が乏しい
⑤防犯上の不安が大きい 
⑥買い物難民がいる
⑦空家・一人暮らしが多くなる

これらの課題を解決するためには・・・
1・・・主権者の権利及び責任としての参画の必要性から「住民主体」。
2・・・今後も安定的な地域社会の存続を図る必要性から「持続可能性」。
3・・・衰退している状況からの脱却という意味で「地域活性化」。

これらを総合して、住民のふれあい、助けあい、「共に生きる」を原点に戻す運動をしていきたい。
    

2011年1月28日 (金)

郷土愛を育む

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10shiretoko5go_1ko21_2 現代社会は、国際化、少子高齢化等の面で大きく変化している。このような中、都市化現象によって人間同士の連帯感や思いやりが失われたり、生活様式の画一化によって徐々に地域性が失われたりするなどの問題が生じている。

郷土に対する心がどれだけ、関心があり、自分が住んでいる八王子市が好きか小中学生たちは、そして親達は、どんな思いをしているだろうか、自分の住んでいる地域に十分目を向けてはいないのではないかと思われるて仕方がないが・・・

わが町片倉町でも流通などが、便利になるに従って、地域の絆が薄れ、昔からの続く伝統の地域の行事にも関心が薄れていくように思える。また、公共施設の利用の仕方でも、郷土への愛着が薄れているようだ。

自分の育った郷土は、自己の形成に大きな役割を果たすとともに、一生にわたって大きな精神的支えとなるものである。自然破壊が進み、豊かで美しい自然が失われ、郷土の伝統や文化が忘れ去られようとしている。

郷土の自然や文化に触れ、人々とのふれあいを深める中で、郷土に親しみ、郷土を愛する心を育てることが、子供の人間形成の上から必要であると思う。

それには、大人の役割が大事で、子供は大人達の考え・行動を良く見ている。特に公共マナーを通して、郷土を愛する心を持ち、郷土を守ることで、次世代に良い形の財産を残せることだと思う。

2011年1月27日 (木)

三顧の礼で迎い入れた経済財政相

24351_2 菅直人首相が、三顧の礼を尽くし迎い入れたという。自民党谷垣禎一総裁の代表質問に対して、与謝野馨元財務相の入閣要請をしたとの回答であった。

『三顧の礼』とは、辞書では《三国時代の中国で、蜀(しょく)の劉備(りゅうび)が、諸葛亮(しょかつりょう)を軍師として招くために、その草庵を三度訪れたという、諸葛亮「前出師表」の故事から》人の上に立つ者が仕事を頼みたい人に特に礼を尽くして交渉すること。また、ある人を特別に信任・優遇すること。「―を尽くして迎える」

また、故事成語で、このエピソードは後世の日本にも影響を与えており、木下藤吉郎が竹中重治を配下に加えるくだりで使われている。

「たちあがれ日本」を離党し、経済財政相として入閣し与謝野馨元財務相は、自民党時代から「財政再建派」として日本の財政状況への危機感を訴え、税制・社会保障制度改革に執念を燃やしてきた。

直前まで野党にいた議員がいわばヘッドハンティングされる形で政府の要職に就くのは異例。与野党の理解を得て悲願の消費税増税と財政再建に道筋をつけることができるか、ベテラン政治家としての調整能力が試される。

菅首相・与謝野財政相は、政治生命を賭けての大仕事だ。軍師の竹中重治(竹中半兵衛)のような仕事を期待したい、菅首相である。

当時わが国に於いての軍師というのは、戦陣の作法を整える役割、つまりは首実検の準備をしたり、作戦の成否を占ってみたり、そういう立場だったようだが・・・。

絵本太閤記などでは、諸葛亮並みの深慮遠謀?・・・秀吉が三顧の礼で迎えたとかのあまりにも「そのまんま」な挿話もあるが・・・

民主党に人材不足と言われ、与謝野財政相の人間性が問われても日本の危機を救うことに情熱を与力の心意気を期待したい。・・・(鎌倉時代の与力(寄騎)は単に加勢する人のことを指したのだが・・・)

解散より協議を!

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06oga_toga11 解散が先の代表質問では・・・

谷垣自民党総裁の代表質問は解散だけが頭にあって、これでは全く品位と言うものがない、なりふり構わない対決姿勢では、対話どころではない。これでは、自民党ならずとも国民の支持は得られるどころか、信頼を失う。

消費税を含む税制の抜本改革など、菅直人首相が衆院解散・総選挙に踏み切らなければ与野党協議には応じないという考えでは・・・

「今年は解散に追い込む」としていたが、今までより、対決姿勢を厳しい。首相は「解散はまったく考えていない」とはねつけたから、協議に入れない。

結果として問題が先送りされ、財政や社会保障の危機を深めることにならないか。論戦を聞いて、そんな懸念を強くい抱いてしまったのは私だけではないだろう。

谷垣総裁は。「抜本改革にあたっては国民の信を問うと、首相自ら述べていたではないか。「無駄の排除で財源を賄えるという主張を覆し、消費税を引き上げるなら、成案を得る前に解散すべきだ。」と のべている。

私も、首相がその言葉を守るべきなのは当然であると思う。だが、谷垣総裁の主張のように、消費税の引き上げを実施する際に、協議にも入らず、改革の姿も示さないまま総選挙を急ぐことには、疑問である。

まず与野党が協議し、論点を煮詰めることである。合意を得られればそれでよし。仮に得られなかったとしても違いが明確になる。それを避けたままの総選挙は、政策で争い、改革の中身を審判する機会にはなりえない。 有権者が十分に考え、判断するには一定の期間が必要だ。

2011年1月26日 (水)

壊れた地域社会に温もりを!

1231 日本は、今まで経験したことがない急激な社会変化に翻弄されている。長引く不況で、新自由主義的な社会構造改革は様々な面で歪みが出ている。

日本人の心にも影響し、家庭・学校・職場にも影を落としている。「道徳心や規範意識の育み」にかかわる諸問題も、この延長線上にある抜き差しならない喫緊の課題であると思う。

日本らしい伝統文化として誇ってきた道徳心が風前の灯火となっている状況は、私たちの未来展望にも深い陰を落としつつある。

倫理・道徳欠落社会への道を辿り始めている。街を歩いて、人々の挨拶・会話がない、同じ町内であってもどういう人か分からなかったり、無関心、やたらとプライバシー保護で制約などがあり、昔のような、隣組関係や井戸端会議なくなってしまって、人々が心が失せてしまっている。

自分さえ良ければ・・・よその事はどうでもいい。なるべく、面倒な人間関係に気を使う近所つき合いはしない。

最近近くで、一人暮らしのお爺さんが、郵便ポストに新聞がたまって、心配になった新聞配達員が、亡くなっていたことを発見した。孤独死だ。近所とのつき合いはなく寂しい死に方だ。

私は、こういう無縁化社会を何とか、なくしていきたい、人にあったらまず挨拶をして顔を覚えてもらうことが第一だ。そして少なくても、年一回の近所の皆さんと顔合わせをしたいと思う。そして壊れかけた地域社会に温もりを取り戻したい。

補給船「こうのとり」に思う

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Kgk07091400111 22日種子島の宇宙センターから打ち上げられた大型国産ロケットH2B2号機が打ち上げに成功国際宇宙ステーションに物資を運ぶ無人補給船「こうのとり(HTV)」2号機を載せている。

これは、アメリカのスペースシャトルに変って、HTVは国際約束で分担している国際宇宙ステーションへの補給のため、宇宙航空研究開発機構が開発した。直径約4.4メートル、長さ約10メートルで、荷物を含めた総重量は約16トン。

宇宙飛行士と言うと「協調性」が大事だ・・・宇宙での長期滞在者にとって見れば命綱である。国際宇宙ステーションには各国の宇宙飛行士が搭乗すると、最長6ヶ月程度の長期滞在になるという。

チームの一員として共同作業を遂行できる能力や協調性、異なる文化・価値観に対する敬意、優れたコミュニケーション能力に加えて、長期間宇宙に滞在できる医学的な適合性、精神的肉体的ストレス環境下での適切な判断力と行動力も求められる。

国際宇宙ステーションは、幅広い活躍の舞台、将来宇宙滞在が一般化する時代に向け、科学・技術分野のみならず、人文科学・芸術といった創造性が求められる活動への期待感が高まり、軌道上の活動や経験について地上の様々な人々に語りかけることが必要となる。

また、有人宇宙活動を推進していくにあたり、その普及啓発活動にも参加することとなるため、このような活動に対応できる素養が望まれる。

その命の綱ともいうべき、食料・水などの補給物資を届けに、28日に国際宇宙ステーションとドッキングするという。日本の役割が世界から、注目されている。ドッキングに成功を祈りたい。

2011年1月25日 (火)

「熟議」政策を!

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Natsu1 政治家とは、マックス・ヴェーバーが、「政治家の本領は『党派性』と『闘争』である」と指摘しているが、私は「将来のビジョンを掲げ、人々に訴え活動し信頼を得ることが基本である」と思う。

昨日の菅首相の施政方針、日本の将来像を見据え、日本人の末永い未来を想定した内容であったと思う。少子高齢化で社会構造が著しく変革している。その上グローバル化してきた世界社会で、日本民族が、発展成長していき、幸せを感じられる生活保障が最終目標だ。

野党との「熟議」強調し、接点をを探る首相に対し、衆院解散・総選挙を求めて対決姿勢を強める谷垣氏。とりわけ政策面での焦点は社会保障と税制の一体改革と、マニフェスト(政権公約)の見直し問題である。

首相は一体改革について「各党が提案するとおり、議論を始めよう」と呼びかけた。

これに対し、谷垣氏は「ばらまくだけばらまいて、国民に負担をお願いする耳の痛い話は超党派でやりましょうというのは虫の良い話」と批判した。協議は、子ども手当などをはじめ政権公約を「撤回」してからだという。

人口の減少の現状から考えられることは、子供を生みやすい環境づくり、育ちを助けること。民主党の公約は、高齢者に比べて手薄だった子どもへの投資を増やそうとする点では間違ってはいない。それは、高齢者を支える世代を強めることにもつながる。

問題は、子ども手当と保育所整備にそれぞれどのくらいの比重を置くのか、実現の速度や規模をどうするかといった手段や工程は柔軟であるべきだ。

選挙時にすべて見通せればいいが、後によりよい手段が見つかることも、財源の壁にぶつかることもある

民主党は、何をめざすのか、理念や目標を整理し、それに沿って公約を組み立て直すことが不可欠だ。そうすれば野党との協議の際、どこを譲れるのか、何が譲れない点かも見えてくるに違いない。

2011年1月24日 (月)

異常現象に思う

08take_yuki21 今朝、5時半に何時ものように車庫のシャッターを開けに庭に出たら、家の前の道が雨で濡れていた。雨は昨年の暮れから降っていない。空気カラカラ、乾燥注意報が連続23日出しっぱなしという。

そんな連続記録も昨夜の雨で、ヤレヤレ終ったようだ。しっとり土ほこりが鎮まった。しかし、これでは、乾燥注意報も、また出るような降り方である。この時期降れば雪になってもおかしくない。雪となると、始末が悪い、庭木の雪落とし、雪の片付けと、大変である。車など当分おわずけである。

東京地方に10センチの雪が降れば、交通マヒは起き、大変なことなってしまうが、新潟県など、日本海側では、今年の大雪で何人も亡くなっているそうだ。3メートルも降った場所もあるという。雪かきで朝から、晩まで重労働だ。

東京地方に1メートル降ったら、潰れる家が相当出るだろう。交通は完全にマヒで、電気が切れる所があちこちに表れ、大変なことが予想される。

極端に、雪ばかり降る日本海側とカラカラの天気の太平洋側である。オーストラリヤ・ブラジルの大洪水も、エルニーヨ現象の原因という。地球温暖化での現象だ。環境破壊の防止は待ったなしだ。

人は、なんでもなければ、悪いと知りながら続けてしまう。大雪・大洪水・山崩れで何人も犠牲者でて、始めて、その恐ろしさを知る。そのときが、遅いのである。これ以上の惨状を出さないためには、世界中の多くの人が、まず自分が出来ることは、何かを考えて行動を起こすことである。

与野党双方「譲り合う」べきだ

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Natsu1 きょう(24日)から通常国会が始まる。 その前に昨日、自民党が定期党大会を開いた。民主党政権を衆院解散・総選挙に追い込み、早期に政権復帰を果たすとする運動方針を採択した。 

昨年の臨時国会は「熟議」のかけ声も空しく、与野党の激しい対立のなかで政策論争は深まらず、多くの重要法案の扱いが先送りされた。尖閣諸島をめぐる外交的な失態など、政府・与党の側に批判されるべき点が多かった。

毎日新聞が菅内閣の再改造直後に行った世論調査では「互いに対決すべきだ」が30%だったのに対し、「双方譲り合うべきだ」は64%に上っているように、国会は国民のために政策を議論し、合意形成を図る場でもある。政治を前に進める重い責任を、与野党双方が改めて自覚してもらいたい。

国民生活に深くかかわる新年度予算案と関連法案を審議する今国会こそ、この国と社会の将来像を踏まえた真剣な政策論争の場あって欲しい。

政権奪還を目指す以上は、責任政党として、喫緊の課題である消費税率引き上げや環太平洋経済連携協定(TPP)参加の問題などにも積極的にかかわっていくべきだ。(読売新聞社説)

昨夏の参議員選挙から今まで見ても、敵失?で、自民党が党勢が回復したとは言いがたい。(各誌社説)自民党は、民主党政権を厳しくチェックするとともに、国民の信頼を取り戻す地道な努力を重ねることが必要である。

特に「何も動かない国会」に対しては与野党通じて国民の厳しい目が向けられている。今、国民が何を求めているのか。自民党もそれを見失わない対応が必要だ。

  

2011年1月23日 (日)

梅一輪に思う

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Ume000341    今年も、香り高き梅の花が咲く時節になった
お金や物を失った時には、とても残念で仕方がないが、また頑張れば取り戻すことが出来る。けれども、命に係るようなショックを受けると、頭では薄らいでいくが、その体験は身にしみついて、躰が覚えているから消えることはない。

日常とかけ離れた強烈ストレスで生じたトラウマが原因で、突然に強い恐怖に襲われるなど、心的外傷後ストレス障害(PTSD)をうけた経験は、その後の生き方、考え方に影響していくという。

深い悲しみの体験により命あること、生きていることの喜び幸せが、よく分かるようになる。躰が覚えた経験が、やさしさの心を育むからだろうか・・・

耐え難い苦しみを経験し、それに耐えて、乗り越えることによって、はじめて、 生きること、 命ある喜び、本当の幸せとは何かが、よく分かるようになるのだろう。 今日、次兄の一周忌の法要がある。

夏に伸びた若枝に、翌春には蕾をあまりつけない。冬の寒風に吹かれ、そして夏の灼熱を超えて成長して、翌々年の春になって、その枝も太くなり、多くの花を咲かせる。

寒風、灼熱に耐えて咲く梅の花は美しい、あたかも人が艱難辛苦を乗り越えて、生きて、はじめて真の喜びを知る。しかも、梅は、己が力だけで咲いているのではない。天地自然のさまざまなご縁のもとに、自然が総掛かりで美しい花を咲かせるから、梅一輪にも、暖かさが感じられるかもしれない。

深い悲しみや、耐え難い苦しみに耐えてこそ命ある、生きているこの上もない喜び、幸せを、深く味わい知ることができるようになるのだと思う。

2011年1月22日 (土)

平成の開国と日本の行方

05detohama11 技術国日本の将来は、限られた資源の確保と、今まで以上の付加価値をつけて製品が要求される。今問題となっている環境の先端技術など広める産業の一層の開発が求められている。

GTPが、日本を抜き2位となった中国・サムスン電子に代表される韓国やベトナム・シンガポール発展し続けている。TPP問題は、菅首相は日本は参加検討し6月ごろまでに方向を出すという。

TPPが原則として例外を認めない貿易自由化の協定であることから、コメをはじめ国内の農業・漁業は壊滅的な打撃を受けるとして反発する声も上がっている。いわゆる菅首相が言っている「平成の開国」が迫っている。

中国のビジネスマンは、3カ国以上の語学をマスターし、日本語を語り、技術を習得し、英語で、アメリカに売り込むという。ビジネスマンがテレビで紹介された。

そんな中、日本の若者の内向き志向が問題視されているが、本当に内向き志向が強まっているのだろうか?

東洋経済オンライン記事に、「日本人の海外留学生数は増加!若者は内向き志向にあらず」とあった。若者=ひ弱=内向きとの見方は、あまりにも短絡的であり、実情を反映していると思えない。

若者全体の内向き志向が強まっているのではない。内向き志向を強めている若者が増加している一方で、海外志向も強まっている。即ち、海外志向の二極化が進んでいるのだ。「ゆとり教育を受けた草食系の若者が、内向き志向を強めている」というのは、いかにもありそうな話であるが実態は違う。というが・・・

親と子の関係

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3612 少子高齢化となった日本、最近、親離れしない子、子離れしない親のいかに多いことか、成人しても親元を離れない人が増えているという。

結婚しない人、晩婚の人はまだしも、職も持たず、なかには家に閉じこもってしまう人がとても多い。子育てや親子の関係を、命の生き死の姿として、見つめ直すべきだだろう。

動物の姿を見れば、子を産み育て、子が成長するや、親は子を追い出す、すなはち、独立させるのである。

鳥や動物すべて子育ての形は同じではないが、子が自立可能と見定めるや、親子はその瞬間からライバル関係となる。人間も子育てや親子の関係の生き方の原点とすべきだと思う。

人間の60兆個の細胞も例外ではない、地球の生き物のみならず宇宙の星のすべてが同じく、生き死にを繰り返しているという。

無数の星も生き死にが繰り返しているそうだ。細胞の生き死にも、星の生滅も、ともに生まれるために死がある。このことが不思議にも共通している。この世の摂理は永遠に変わらない。生きとし生けるものすべてに生と死がある。 

春を迎えて生きとし生けるあらゆる生命が輝き躍動する。厳しい自然の中に生きる生き物たちの姿を、人間も子育てや親子の関係の生き方の原点とすべきではないだろうか・・・。

2011年1月21日 (金)

宇宙知って命の大切を知る

Galleryplayer22_moon 昨年、宇宙探査機「はやぶさ」は7年の歳月をかけ60億キロの旅を終えて帰還した。そのプロジェクトチームの功績に世界の人々に感動と夢を与えた。私達、宇宙の事は殆ど関心がない人でも技術の高さに驚かされた。

2010年12月金星探査「あかつき」は、残念ながら今回の軌道投入は失敗に終わったたが、プロジェクトメンバーは、幸い私たちはまだ”あかつき”を手の内にしている。ミッションは失われたわけではない。

原因究明に全力を尽くし、続くミッションで同じ過ちを繰り返さないこと。そして、いまの「あかつき」を無事に飛行させ、そして「あかつき」の弟、妹達を宇宙に旅立たせ、人類の知識の獲得に向けて邁進すること。これが我々宇宙科学に携わる者の使命だと言っている。

金星探査の意義は今も決して失われていない。私達命も、宇宙の星も、すべてが関係しあっている。身近な月と地球も引力の関係にあり、潮の満ち引きは月の引力によりおこっている。人は生理的に月の引力に左右されている。

生き物は太陽の光や月の満ち欠けのもとに生きている。そしてすべての生き物も、お互いに何らかの関係がある。

私たちの地球には三千万種を超える生き物が生存しており、その生き物のすべてがお互いの種の存在を支え合って、互いに生かしあっている。人間も何万年に及ぶ長い人類の軌跡をたどれば民族、宗教、国境などのない地球人であったことだ。

自然界の道理にしたがえば、60数億の人類はすべて地球人であり、互いに生かし生かされあわなければいけない。

私は宇宙を知ることで命の尊さ、宇宙の摂理を学び、民族・宗教などの違いを認め合い平和な地球世界の星であることと、「宇宙知って命の大切さ知る」ことだと思う。

新鮮なスポーツ選手から感動を・・・

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282_field111 ゴルフの石川遼選手の活躍も、6歳から父親に教えられたそうだ。16歳で、プロデビュー、一躍日本男子ツアー史上最速(54試合目)かつ最年少(18歳7カ月)で生涯獲得賞金3億円を突破して、時の人となった。

斉藤祐樹投手は、2011年度より北海道日本ハムファイターズに入団した。ハンカチ王子で甲子園で優勝し、一躍有名に、早稲田大学でも優勝と輝かしい経歴で日ハムでも活躍が期待され早くも人気沸騰である。

卓球の福原愛ちゃんが小さい時からの練習は、有名となったが、また、また新星が現れた。昨日(19日)、東京で行われた卓球の全日本選手権で小学4年生の2人が1回戦を突破し、「福原愛ちゃん」の最年少勝利記録を塗り替えた。

静岡県の伊藤美誠(みま)と山梨県の平野美宇(みう)。伊藤は2000年10月、平野は同年4月の生まれで、2人ともまだあどけない笑顔の残る10歳だ。

感動の大きさは努力に比例する。スポーツの試合で勝利する。人はその世界に感動する。だがその感動の大きさは人により大きく違う。感動の大きさは何によって変わるのだろう。
スポーツで勝ち取った勝利が、長年の悲願だったなら、そして、その目的のために血の滲む努力をしてきたとすれば・・・どれだけすばらしい感動をしたかで、人の価値も変わるのだ。
そして、結果で、人にも感動与え、鼓舞させることで、勇気・自信に繋げることになるのだ。その時期・環境の条件と手法にはいろいろ議論はあると思うが・・・
その実現に人の何倍もの汗を流すこと。その努力の大きさが、感動の大きさを決めることは間違いない。

2011年1月20日 (木)

阿久根市の市政運営・・・

1231 テレビのインタビューで「市職員・マスコミに敗れた」前市長の竹原さん・・・

鹿児島県阿久根市の出直し市長選挙で、前市長のリコール運動を進めた住民グループの元役員が前市長を破って初当選し、17日から市長としての公務を始めている。

市民同士がに深刻な対立を生まない方法で市政の改革ができるのか・・・?前市長の竹原さんが行ってきた市政運営を、最終的には政策実現のため議会を開かずに専決処分を繰り返した。

こうした手法が独善的だと批判され、新たに市長に選ばれた西平さんたちによるリコール運動を受けた住民投票で失職、出直しの市長選挙でも敗れた。住民投票や市長選挙の結果は、住民の意見は完全に二分された形だった。

やり方はおかしいと思いつつも、竹原さんが行ってきた人件費削減などの施策は理解できるという市民が少なくない。市の財政が厳しいからと、竹原さんが市の職員の給与を公開したことで、地域の官民格差の実態が明らさまになった。

西平新市長は、専決で選任された副市長を解任するなど、違法性が指摘されるものは見直すという。一方で、「取り組むべき課題の方向性は間違っていない」として、議員定数の削減や職員の給与引き下げなどを進めていくとしている。

そうしなければ対立の構図を崩れて、竹原さんを支持する住民が議会のリコール運動を行い、今度は市議会を解すことはできない。

解散するべきかどうかを問う住民投票が来月20日に行われる。解散が決まれば出直しの市議会議員選挙が行われる。

住民の議会不審を問うもので、それを前市長が利用した面もあると指摘する専門家も・・・次は、そんな議会の是非を住民が問うことになるようだ。

それにしても、疲弊した地方自冶体で、職員と一般市民の格差があるようだ。このことを見直すきっかけになたのは間違いない。

日本の危機を認識せよ!

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386351 日本は、今、未曾有の危機を迎えているように見えてしかたがない。太平洋戦争の荒廃から、奇跡の復興を遂げた。このような日本の近代の歴史には、その時々を懸命に生きてきた日本人の努力と精進がある。

日本が最後に輝きを放ったのは、1980年代後半からの「バブル景気」の時だったかもしれない。株価が上昇し、日本の地価の総額がアメリカのそれを超え、「アメリカの象徴」ニューヨークのロックフェラーセンターが日本企業に買収された。

日本は今、劣化しつつある。明治維新以来、紆余曲折を続けながらも躍進し続けてきた「近代日本」の「賞味期限」が切れつつあるのかもしれない。

そういう自覚を持ち、私たちは、ただ手をこまねいて自らの愛する国が衰退し、没落し、ダメになって行くのを見ているだけで良いのだろうか。日本の危機の深さ、大きさに比べると、現在の日本の社会は表面上あまりにものんびりと構えているように見える。まるで、自分たちの危機の本質を、自身でつかめていないかのようだ。

世界の潮流は、激しさを増す、日本の財政も、もうこれ以上野放しでは置けない。少子高齢化が進み、『消費税を含む税と社会保障の一体改革』菅政権の掲げる事に異論はない。与謝野経済財政相の起用は民主党内からも、勿論自民・公明からも異論はあるだろう。

しかし、年金問題を一つ取って言うならば、自民・公明など野党側の考える改革案も与謝野氏の考え方と大きな違いはない。持続可能な制度を実現するためには、消費税率を引き上げることでしか安定財源を確保する手だてはない。議論の過程でこうした認識も再確認できるはずである。

年金制度は何十年先まで安定したものでなければ、国民の不安は解消しない。政権交代のたびに制度が変わることのないよう、与野党で早急に改革案を練り上げなければ、国民の不安は拭いきれない。

経済・財政は危機的状態である。先送り、停滞は許されない。なりふり構わず、挙国一致で政策作りに邁進してもらいたい。

2011年1月19日 (水)

小学校教師が親を訴える!

S121 「小学校教師が親を訴える!」 18日の朝日、毎日に、「教諭が保護者提訴」の見出しが出る。毎日新聞は、次のような記事である。

担任する女子児童の親からの度重なる苦情で不眠症に陥ったとして、埼玉県行田市立小学校の女性教諭が女児の両親に対し、慰謝料500万円を求めて、さいたま地裁熊谷支部に提訴していたことが分かった。両親は「いわれのない訴え」と反論している。

訴状などによると、教諭は10年4月から女児の学級を担任し、6月に女児同士のもめごとがあったため仲裁をした。その際、女児の母親から「相手が悪いのに娘に謝らせようとした」と電話で抗議され、7月中旬までに連絡帳にも「先生が自分の感情で不公平なことをして子どもを傷つけています」などと8度書かれたという。親は文部科学省や市教委にも苦情を申し立て、女児の背中に触っただけで警察に暴行容疑で届けたこともあった。

その結果、教諭は不眠症となり「教員生活の継続に重大な支障を生じさせられた」と主張している。教諭は9月に提訴し、小学校は10月、市教委に「モンスターペアレンツに学校や教師が負けないようにし、教諭が教員を代表して訴訟を行っていると受け止めている」との校長名の文書を提出した。

女児の母親は「学校は何の対策も取ってくれず、モンスターペアレンツに仕立てられてしまった」と反論している。また「裁判はいわれのない訴えで、和解する気はない」と話している。

なぜ裁判沙汰までなってしまったのか分からない。世の中がこんなにまで、砂漠化してしまったのか?教師同士の話し合い、父兄同士の話し合いなぜ出来なかったのか・・・である。

校長・教師仲間でワーク・スタディを行い、悩みを一人で背負い込まず多くの教師・校長と共有し、解決をしなかったのだろうか疑問である。一方父兄も、父兄同士の話し合いをし、適正な判断で対応する方法があったはずである。

問題は、子供に学校・先生・友達などに不信感がでて、子ども自身の心の傷となってしまうことが怖い。将来、社会・人間関係で歪んだ価値観が出来てしまう恐れがあるからだ。

就職難

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3612 就職難は今年に始まったわけではない。しかし、今春卒業見込みの大学生の就職内定率は 68.8%、短大生は45.3%(いずれも昨年12月1日現在)。企業業績の回復が伝えられる中、凍りつくような就活戦線である。

就職難といえば、1950年代後半に、私も高校を卒業して苦しんだことを思い出す。商業高校を卒業し、金融関係に就職も、片親であったため、就職出来ず、町の工場で、油職工で2年勤めながら、大手電機会社に、臨時工で4年勤めようやっと採用試験に合格、希望していた事務系の職場で働くことが出来た経験がある。

しかし、私の経験した時代とちょっと違うところがあるようだテレビのスパモニでこんな実態が紹介された。従業員数5000人以上の大企業への就職希望者8.9万人に対し求人数は4.2万人。求人倍率は0.47倍でほぼ2人に1人しか入社できない。

ところが、従業員300人未満の中小企業を見ると、求人数30.3万人に対して就職希望者6.9万人で、求人倍率は4.4倍となっており、就職先がないわけではない。

世の中、先行き不透明で、取りあえず大きいところへ入っておけば安心だという思いだろうが、安定的な生活を求めたいという気持ちが強いような気がする。

技術革新によってさまざまな仕事がコンピューターに置き換わり、オフィス内労働では以前ほど人手が要らなくなった。製造業は途上国へと拠点が移りつつあり、単純労働でも働く場が少なくなっている。雇用のパイが全体的に縮小していることが新卒者への門を狭めている大きな原因だと思う。

若年者雇用に苦戦しているのは日本に限ったことではない。ただ、わが国では正規労働者に対する解雇規制が厳しく、人件費を抑制するために新規採用を抑えてきたことも原因の一つだ。

こうした時代に巡り合わせた不運を恨む学生もいるだろう。ただ、名の知れた大企業だけでなく中小企業にも将来性のある会社はある。10年後にどの会社が伸びているかわからない。自らの力で会社を発展させるのだと気概をもって就職してもいいのでは・・・。

2011年1月18日 (火)

日本再生に期待したい

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07bonchi_asayake_kumo11 菅直人首相の内閣改造の新体制で昨日から事実上始動した。「問責が出されたからではなく、改革を推し進めるための新たな体制」としている。

昨日(16日)テレ朝のワイドスクランブルに出演した、仙石前官房長官とジャーナリストの田原総一郎氏が「日本の危機」なりふりかまわない人事で、日本の窮状を打破するためには、あえて菅首相は13日(2010年1月)の民主党定期大会で語ったが、改革のための「最強の態勢」を認めている。

「心を込めて働く、矛盾はない」と立ち上がれ日本を飛び出し、無所属となった与謝野馨元共同代表の経済担当相の決意である。

確かに、比例代表で当選した自民党を飛び出し、今回は議員を返上し、一般の方として入られて旗を振られるなら皆も付いていきやすい。との批判はあると思うが、田原氏はそのことは正していない。

田原氏は続ける・・・消費税増税に向けて、財政再建派で与謝野氏を経財相に、元財務相の藤井裕久氏を官房副長官にあてる人事は、財務省を動かすには他にはいないと指摘していた。そして、仙石民主党の代表代行の野党との調整役で裏方で重要で神経を使う仕事は今まで以上とも言っている。

さらに今回の内閣改造人事は、色々な批判は覚悟の上だ。あえて言うなら批判を受け止め、日本の危機を救う人事で、田原氏は、財政再建には、与謝野氏は最適な人だ断言していたのが印象的だった。

土台は出来た。「マニフェストに書いてあることはやらず、書かれていないことばかりやっている」との批判もある。それに対して、めまぐるしく変る国際情勢で、方向転換も必要だろう。

何はともあれ私は、どこの党が政権をとっても、厳しい国内外の状況では、大差はないだろう。要は国民に納得いく説明と実行であると思う。日本再生に期待したい。

 

2011年1月17日 (月)

ジャパンシンドローム

08omitake_buna_aki11_2 世界が経験したことがない急速な少子高齢化と、労働人口の減少、グローバル化による国際競争力の激化、経済や社会の停滞で若者が内向き化するなど、人々と価値観がゆらぎ、地域社会・家族の絆も薄れていきつつある日本である。

「無縁社会」「消えた高齢者」「児童虐待」など社会のさまざまな場面にひずみが表れ、多くの人達が自信を失い、不安を感じている。

NHKは、こうした閉塞状況を『ジャパンシンドローム(日本症候群)japan sindrom』と名づけた。

今朝は、あるお年寄りの一人暮らしの生活内容が紹介されたが、資産は5000位万円あって、月25万円の年金で収入は充分あるが、将来のために、日常の食生活はつましくしているという。身寄りもなく不安と孤独死も考えられそう。

先進国でも日本の状況を注目している。
ドイツの日本研究所という組織の方が栃木県の、出来たばかりの高齢者集合住宅を取材に来た取材内容であった。その住宅には、東京のマンションなどを処分して夫婦で入居されている人にインタビューした内容だ。

同世代の入居者でコミにティを持ちながら、食事や旅行などの趣味を同じにする人どうしで、助けあい、絆を深めて、人生を謳歌していきたいと元気な姿が印象的であった。

イギリスの経済雑誌「エコノミスト」(201011月20号)が大々的に日本特集に取り組んだ。タイトルは『日本の重荷』だ。このまま推移すれば日本という国が衰退するだろうと、専門家は分析しているという。

同誌は「日本がこれから世界に与えられる最大の教訓は、高齢化が、経済成長力を吸い取るということだ」・・・・・「日本が先進国に及ぼす教訓」として、問題を放置しておけば日本のようになってしまうという警告を発している。

具体的には3つの問題として、①労働力人口の減少②引退世代に対する現役世代の減少③高齢化にと人口減少によって需要減少。である。

「人口が高齢化し、減少するに従って、需要も減少する可能性が大きい。そうなれば企業がリスクをとって投資をするという意欲が小さくなる・・・・企業が投資を抑制すればするほど失業が増える。とりわけ若者の失業が増え、それが日本の不安感をさらに強めることになる」と指摘している。

地球温暖化を真剣に考えよう

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15401 地球温暖化と色々な方面で話題になっているが、意外と関心が薄い人がいる。このまま放置すれば、地球の温度は世界の気温は2100年までに4度上昇するという。たかかが4度というが、予想されない事象が出るのだ。

人間活動の拡大で、二酸化炭素・メタン・亜鉛化窒素などの温室効果ガスの濃度が増加することで、地球の表面温度が上昇する。では、地球表面温度が上昇するとどういうことが起きるかというと?

今更ながら改めて考えてみると・・・

1海面水位が上昇することで、領土がなくなり、水没の危険。

2豪雨・干ばつなどの、異常気象の増加。

3生態系への影響・貴重な遺伝子の減少。

4森林伐採や異常気象による砂漠化の進行。

5水資源などへの影響、水不足の発生。

6熱帯性感染症発生の増加(マラリヤ・コレラなど)

7気温上昇による穀物生産の低下。食糧不足問題。

8高温による冷房などの消費エネルギーの増加によるエネルギー不足。

これらのことが起こる。地球の温暖化が進むことは、私たちの生活にも被害がでる。ただ、地球温暖化は、目に見えないということから、私たち自身が危機的な状況にならないため、理解しにくい現状なのかも知れない。でも、将来的には、もっと深刻な問題になっていることは確かである。人事ではなく、将来のある子供のため、しっかりと理解し、地球温暖化防止対策を理解することだ。

地球温暖化による、地球や人間への影響にはいろいろある。そして、世界各地で、地球温暖化防止対策の協議が行われている。そして、地球温暖化を防止するための条約も作られている。その中でも日本で行われているものとして、「京都議定書」がある。これは、 日本の温暖化対策をまとめたものである。

京都議定書に続く地球温暖化防止の枠組みづくりが、ことしは国際交渉で正念場を迎える。日本の国内対策にとっても重要な年である。

今月からの通常国会で地球温暖化対策基本法を成立させる必要があることを、政府・与党だけでなく野党も認識してもらいたい。 そして国民一人ひとりが関心を高め、自分のことと思って行動をしてもらいたい。

 

2011年1月16日 (日)

北風に蝋梅が・・・

499pxroubai1 北風に 蝋梅の花 凛として

とうとう風邪を引いてしまったようだ。昨日、3時間も町中を歩き回って昨夜は熱っぽく、のどが、いがらっぽかったので大事をとって、風呂にも入らず早く床に就いた。

今日は、この冬で一番の冷え込みになるという天気予報である。日本海側では、連日雪で、太平洋側、カラカラ天気が続く、東京地方の最高6度しか上がらないという。

北風が吹く町中を歩いて、どこかのお宅の庭先に蝋梅の黄色の花が咲いていた。匂いは、確認できなかったが、しっかり春を呼んでいるかのようだった。

蝋梅が咲き、梅が咲き、そして桜が咲き出す春はもう直ぐだ。蝋梅の花を見て、今年も健康に気をつけて送らねければ・・・。

ゴミ拾いのボランティア考える

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05sikotuko31 ゴミ拾いをして考えた。環境破壊が進み、このままの状態では温暖化であと、なん百・何千年地球場に人間が生きていけるか・・・決して、今の状態を保つことは出来ないだろう。

「守ろうよ!みんなの町が好きだから」の標語あるように、「私達が住む町は、私達で守る」という精神は尊い。

いいじゃないか、この位のゴミ捨ててもいいじゃないか・・・また、無意識に捨ててしまうタバコの吸殻、そんな面倒なマイ灰皿を持つ何て!など全く環境を考えていない人は多い。

拾って綺麗になったと思っても2・3日経つと目を覆うばかりの散らかりようだ。その場所を管理している個人や団体にとってはその場をきれいに保ち、管理者や周辺住民もしくは来訪者が気持ちよく使える状態にすることが目的である。

ボランティアにより行われるごみ拾いで私は、動植物や河川などの自然をごみの汚染から守る。ポイ捨てをする人たちに拾う姿を見てもらい、ポイ捨てをやめてもらう。

私達が住む町に対する感謝の気持ちを形にする。ごみのない環境を保つことでごみを捨てにくい状況を創出する。

割れ窓理論のように犯罪の抑止策になり、ポイ捨てに対する社会規範を強化することだと信じている。

すぐに元通りになるので毎日やらないと効果はない。ポイ捨てする人を変えないと根本的解決にはならない。拾う姿を見るだけではポイ捨てをする人は変わらない、など考えてしまうことがある。

ゴミを拾う行為は、勇気の要ることである。しかし、この地に住んで生きられる事の感謝は人間として当たり前だと思う。一人ひとりが自分のことと思い「環境を守る」気持ちを持ってもらい。

2011年1月15日 (土)

常に喜べる心を養う

06oga_toga11 今日散歩しながら考えた。私はいま、本当に何が真の喜びと言えるだろうか、生きる力となる喜びとは、こういうことかと納得いき、「常に喜べる心を養う」ことが大事だと思った。

人の幸せを心底から喜ぼうとする心、我が身の不幸災難にも生きる力がわき起こり、雨にも喜び、夏の暑さ、冬の寒さにも喜べる心をいつも持ちあわせられることが出来る。

21世紀は人類が初めて経験する、高度情報社会・デジタル通信の時代である。デジタル産業革命の始まりとも言われるくらいに、日進月歩に情報が質・量・高速度的に進化している。

自己を見失わないように「真実の喜びに生きるすべ」を体得しておかなければ、情報の渦に巻き込まれてしまう藻屑になりかねない。

人類は一切のものを人間中心にとらまえようとした、歴史のありようから、人間も天地自然と同じくするあり方に立ち返り、一人一人が生きとし生けるもの天地万物と共に生きることを喜ぶ心を養うことこそが大事だ。

二度と生まれてくることがない片道切符の人生を歩むお互いである。片時も無駄にすることなく、生きる限りを尽くして生きる。そして山も川も、天も地も、なにもかもことごとくが喜び一色の世界であることを実感できる。

新しい年となったといっても、春は遠い、喜び得る心構えができておれば、この寒さにも心に花が咲き、この一年咲き続けるだろう。いつも喜びの心を持ち続けることで、心に花のある人生が送れると思う。

菅直人政権に期待したい

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05detohama11 菅直人第2次改造内閣が発足した。今度こそ菅直人政権に期待したい。日本の危機を越える力を最大にする改造だと強調したが、それにはの実際の仕事ぶりでそれを示してもらわなければならない。

そのために、与謝野経済財政相の起用は社会保障制度と財源の改革、海江田万里経済産業相らの起用は環太平洋パートナーシップ協定(TPP)を含む経済連携と農業改革のためだという。

人事を通じ実行する態勢を整えようとした意図は理解できる。マニフェストを網羅的に実現させる「全面展開型」から、菅氏が掲げる二つに力を注ぐ「2点突破型」にかじを切った。

むろん一筋縄にはいくまい。政権は深刻な逆境にある。今度こそ金看板の政治主導と、改革を現実のものとしなければならない。問題は、国民の理解を得る丁寧な説明である。

社会保障のあり方と、持続可能な財源のあり方に力点をおいた考えであるが、国の財源が厳しく、苦しいとうことで、消費増税の見直しと、社会保障・農業の将来をどう導いていくか、国民に納得いき不安を除くかに、成否はかかっている。

日本の危機的状況を克服は、野党の建設的な指導も大事で、4月の地方選挙だからといって、政権に批判するだけでは、野党の責任は逃れない。

足らざる点を自覚し、互いに補うことだ。繰り返し指摘してきたように「チーム菅」をがっちりと組み上げ、活発に機能させていくことである。

首相は、謙虚に反省し、政権公約を抜本的に改め、自民、公明両党にも、民主党政権が今直面している課題は、いずれも自公政権から引き継がれて来たものだ。

衆院解散・総選挙に追い込むことを目指すだけでは、無責任すぎる。与党とともに協議のテーブルにつき、難題解決の一翼を担うべきである。難局乗り越えるには、連立政権の枠組みも、視野に入れることも大事なことだと思う。

 

2011年1月14日 (金)

問責決議案が可決されたからと言って・・・

Natsu1 菅直人首相の内閣改造が、今日発表された。参議院で問責決議案が可決で、仙石官房長官・馬渕国土交通大臣が交代させられた。しかし、問責決議案が可決されたからと言って、絶対交代しなければならないということが、慣例になってしまたら、どの党の政権で あっても非常に問題である。

予算編成に携わった閣僚を、国会審議を前に交代させられるのは異例である。衆参ねじれ状況の下、国民生活に直結する新年度予算案と関連法案を年度内に成立させるためには、野党の審議拒否の意思が固いために、菅首相の苦渋の決断だのだ。

自民、公明など野党は、参院で問責決議が可決された閣僚を代えない限り、国会審議を拒否するという方針を譲らない。「第二院」とはいえ、「参院の意思」としての決議は重い。

それは分かる。 しかし、問責決議に法的拘束力がない。それが事実上、政治的に閣僚の生殺与奪の権を握るような事態は、衆院の「優越」を定めた憲法の想定を超えているだろう。

問責した閣僚が出席する国会審議には一切応じないとする野党の姿勢は、仙石氏が言うように「無理筋」というほかない。国会に求められる政府へのチェック機能は、徹底した審議を通じて発揮されるべきである。

政権交代時代を迎え、どの政党にも与党になる可能性がある。野党も当事者意識を持って、共通認識を得るべく真摯に話し合いに応じるべきだ。

昨年までの、お互いの上げ足とりに終始した国会議論を国民は、うんざりしている。目の前に大きな課題が山積しているのに、何たる体たらくであったことよ・・・。

今の日本を取り巻く環境は一時の余裕もないはずである。各党とも真剣且つ、真摯に議論し国の進むべき道を探って欲しい。と、思う人は私だけではないだろう。

 

21世紀のコミュニティーのあり方

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Photo 人は外から問題を解決策をもたらされても、根本的な解決にはならない。自分から変化して、自らの手で解決してこそ意味がある。そして、人種や宗教、イデオロギーや時代を超えて本能的に感じることができるのが、文化であると思う。

美味しいものを美味しいと感じ、美しいものを美しいと感じ、いい匂いをいい匂いと感じることが、人間が本能的に持っている機能であり、そこには人種や宗教、イデオロギーや時代は関係ない。

グローバル化した社会に生きる人間は、否応なしに、世界の国々にと共存共栄せざるを得ない。今、日本では、若者の海外留学が減少していると言われているが、海外とのコミュティーを若いときから培うことが日本人には必須である。

21世紀に生きる我々は新しい形のコミュニティーを必要としながら、人間の根源的な部分を揺さぶる文化やアートを醸造することを通じて、お互いを理解し、同時に「わからない」部分の存在を尊重することで新しい自分を発見し、自ら変化を感じることが可能となる。

それまで気がつかなかった自分を発見する。社会の中で組織の枠組みを超えてコミュニケーションが生まれ、そういう人が増えることで会社が変わわる。


それがやがて社会を変える動きへと、ゆっくりではあるが、繋がっていき、新しい人の結びつきが出来上がり、21世紀型のコミュニティーが生まれてくる。

それは、心と心の絆とも言うべきか、しっかりした信頼関係が生まれ、相互理解で縦と横だけの枠に斜めに入る筋交いが、なお一層な堅固な絆が構築される。その「筋交い」のようなコミュニティーを作り、社会をよりよい方向に変えてゆくことになると思う。

そして、そこには、政治的な解決や経済的な解決とは異なった、新しい形の解決方法の萌芽を感じることが出来るのではないかと思う。

2011年1月13日 (木)

年寄り雑感

Photo 早くも、今日は2011年1月13日だ。今朝は、パソコンの弄りすぎ?右目が痛い、何か刺さったような痛さだ。疲れ目に効くという、目薬を注したがどうだろう。
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そう言えば昨日は、鼻水が出て、風邪かな?と思い、その前は左足ふくらはぎが痛いので歩きすぎ?両足の踵は、あかぎれで痛かった・・・次から次えと痛いところが日替わりだ。
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年をとるという事はこういうことかと思うようになった。 また、体力の無さに比べればまだ自慢できるほうだと思っていた頭脳も衰えてきた。簡単な字・人の名前も忘れること、しばしばである。
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体力の無さはどれほどのものかと言うと、何年か前に散歩で、道了堂の急な階段120段を一気に上がれたのが、2・3回休まないと上れない。
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シルクロード(絹の道)道了堂とは、鑓水商人の大塚吾郎吉が中心となって峠を通る旅人や村内の安全のために、村でも見晴らしの良い峠の上に、浅草花川戸から道了尊を勧請して明治7年(1874)に創建したといわれている 。私は、子供の頃から良く遊びに行っていた。
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36年前に16号のバイパスが出来て山を削られ、住宅が出来て、スッカリ昔の面影がなくなってしまったが、お堂の後は、今でも大木はあって多摩丘陵では最も高い、見晴らしの素晴らしいところである 息が切れで、「ワーこれは!仕方がない。。。」これが年をとったということだと改めて認識した。
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汗をかくくらいに運動することはほとんどないし、周りの人に冗談半分で「自分もう年寄りになったよー」とか言ってるのがもはや冗談でなくなってきた。
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生老病死・・・人の一生であることは頭の中では、分かっていたいたつもりであるが、未知の世界、それも自分しか感じる事が出来ない未来との遭遇である。そのときそのときの判断と対応の仕方で、人間性が問われることだと思う。

食生活の改善

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10risiri_senpousi21_2 昨年、市の検診で、糖尿病予備軍から、とうとう立派な糖尿病と診断された。ヘモクロビンA1C数値が、6.2で血糖値が142であった。普段から、お腹周りが気になっていたので歩くようにしていたのだが、メタボリックシンドロームと言われてしまった。

薬を処方されたが、薬に頼ることのではなく、食べ方、運動1日10000歩を目標工夫を心がけるぞ!と思い、本格的にダイエットしようと、ご飯・うどん・パンなどの淡水化物は、極力少なく、生野菜・温野菜などを採るようにして一ヶ月体重3キログラム落ちた。

そして採決・採尿して検査してもらったら、5.8のヘモクロビンA1Cの値・血糖値が86と今までにない数値となった。

①・・・朝飯ガッツリ、晩飯ちょっとではなく、ダイエットの基本は食べる回数を増やすということ。血糖値を下げるインスリンがゆっくり出る。そうすると吸収がそんな早く進まないと、何かの本で見たので・・・実践した。

②・・・水分を積極的に採るようにした。そして、全く炭水化物を採らないということではなく、食事法を工夫して、乳製品・肉類なども控えめにし、バランスのとれた食品を食べるようにした。

やれば出来るのだ。医師もビックリするほどの数値で自分でも驚いている。このまま、食生活を続けていきたい決意した。ダイエットは、正しい知識を身につけて、無理のない、バランスのと取れた食生活と、心にゆとりを持ち、ストレスを貯めない、生活を送りたいと思った。

2011年1月12日 (水)

タイガーマスクの心意気

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282_field111 私は、テレビでプロレスを観戦するのが好きだ。地デジのテレビにしたので、CSチャンネルで毎日のように見られる。プロレスは、昭和20年代後半から、電気屋さんの街頭観戦で「力道山・木村政彦× シャープ兄弟」は、印象的であった。

それ以来、プロレステレビ観戦は熱くなってしまっている。「強いものが勝つ」が胸の透くような気持ちがたまらない。

不況・児童虐待・就職難などの問題でテレビ・新聞に載っている毎日である。そんな閉塞感すら覚える毎日であるが、一線の光明が差し込んだよな思いである。

クリスマスの朝、前橋市にある児童相談所に、往年のプロレス漫画「タイガーマスク」の主人公、伊達直人名で新品のランドセル10個が届けられたことだった。それをニュースで知り、共感を覚えた人たちによって全国に広がったようだ。

子どもたちの幸せを願って、自らが育った孤児の家にファイトマネーを寄付し続けたタイガーマスクの物語が、各地に伊達直人氏を出現させたのだろう。

このタイミングでの行為は世間を変えさせる力になるかも知れない。今日の新聞各紙に社説に取り上げられていた。

毎日新聞社説・・・(同感だ)かつての大家族や地域のきずなは消え、孤立と無関心が社会を覆っている。社会保障費は膨張し続け国の借金も900兆円を超える。暮らしが断崖へと追い詰められる実感を多くの人が持ち始めている。

震災時のボランティア活動などに見られるように、身近な地域が危機に陥ると自発的に思いやりの心が生まれることがある。

家族や地域だけでも公的福祉だけでもやっていける時代ではない。NPO法人への寄付を促す市民公益税制も11年度税制改正に盛り込まれた。新たな思いやりの文化や精神を社会に根付かせる機会と考えたい。

2011年1月11日 (火)

人は誰でも幸せを願う

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15401 自民党の長期の政権が続いて、国民は民主党に変換し、閉塞した社会した社会から「改革」を期待したのだが、沖縄普天間移設問題は、沖縄住民の反発で行き止まり・地球温暖化問題で温室ガス削減25パーセントを世界にアピールしたが達成は難しい?

尖閣諸島問題や、北東アジアの不穏な動き、円高・長引く不況・新卒者の就職難・失業・自殺者の13年3万人連続など、一向に不安は拭いきれない2011年が明けた。

人は誰でも幸せでありたいと願う、でも人それぞれに幸せの感じ方は違う。貴方にとって、幸せとは何ですかと尋ねらたら、受験生であれば目指す学校に入れることを願い、失業者は新しい職場を求め、必死で病気と闘っている人であれば病が回復することを願うことだろう。

精神的に不安であったり悩みを抱えていると日々落ち着かないものである。ストレスが解消されないと、精神的な不安や悩みはさらに深刻なものになる。それで幸せは精神的に幸せであるということだろう。「幸せ」とは、不平や不満がなく、楽しく満ち足りていることで、精神的な幸せである。

貧しくとも幸せであるといっても、衣食住が足りていないと穏やかな日々の暮らしは無理。幸せの条件は金や財、食べ物に不足していない、物質的な幸せでとは金や財、食べ物に不足していないという、物質的な幸せである。

金や財、食べ物に不足していないといっても、精神的にも満たされて穏やかでなければ幸せの実感はともなわない。それには健康であるという肉体的な幸せが前提であることはいうまでもない。そして、子宝に恵まれ、子孫繁栄で平和の世の中であることも、大事なファクターであることも間違いない。

2011年1月10日 (月)

成人の日に思う

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3612 私が二十歳の成人式のことを覚えている。「人生観」について、友達と語り合って一夜を過ごした事を・・・超スピード時代駆け回る物質文明から、心の時代へと変りつつある。人間の最終欲望の「幸福感」得ることだ。それが個人か、社会かで違いが出る。

イデオロギーの違いで「戦争によって平和を勝ち取る」という今までのプロセスは成立しないだろう。はたして、世界平和を実現は、永遠のテーマで続くのだろうか・・・今、二十歳になる若者は、どんな人生観を持っているのだろう。話を聞きたいものである。

過去有名人が、若者達に名言を残している。幾つか拾い集め載せて新成人に送りたい。

『近頃の人は、怒らぬことをもって知識人であるとしたり、人格の奥行きと見せかけたりしているが、そんな老成ぶった振る舞いを若い奴らが真似するに至っては言語道断じゃ。若い者は、怒らにゃいかん。もっと怒れ、もっと怒れ。』by吉川英治

『若い時は、人々の意見で善悪の判断をするのが普通である。年を取ると、自分の何の物差しもないのに興味本位で振る舞い、その上、何の徳があるわけでもないのに恥ずかしさを感じない。』byサミュエル・ジョンソン

『それは金銭に対してでも、自己の利益に対してでもなく、また世の人間が名声と呼ぶあのむなしいものに対してでもない。人間が人間として備えていなければならぬ、あらゆることをなし遂げるため、青年よ大志を抱け。』byW・S・クラーク

『二十歳のときに詩人であるものは、詩人ではなく、ただの人間にすぎない。二十歳を過ぎて詩人であれば、そのときかれは詩人である。』byペギー

『青年は完全なるものは愛さない。なぜなら、彼らの為すべき余地があまりにもわずかしか残っていないので、彼を怒らせるか退屈させるからである。』byヴァレリー

『僕は二十歳だった。それが人生でもっとも美しいときだなんて誰にも言わせない』byポール・ニザン「アデン、アラビア」

2011年1月 9日 (日)

高校に道徳教育を!

1231 「道徳」・・・最近公共の場での「モラル」「マナー」が問題となることが少なくない。「これが普通だ」だという昔に比べ甘いと思わざるを得ないまでになり、また「思いやり」を持つ人間は少なくなってきている。

品格ある日本に、人一人ひとりが、意識しなければいけないことだ。そのための教育の必要性は痛感しており、都道府県で盛り上がりを見せているという、大いに期待したい。

人の痛みを分かる人間は、英才教育より大事だ。素晴らしい頭脳であっても「モラル」が欠けた人間では社会に通用しない。今朝の産経新聞主張で取り上げていた。

内容は・・・(抜粋)
高校で道徳教育を重視する動きが広がりつつある。千葉県教育委員会は平成25年度から県立高校で道徳を必修化することを決めた。

ただ、幼児期から、家庭の躾も、大事であることは言うまでもない、学習指導要領により小中学校には「道徳の時間」が週1時間ある。

戦後教育では、「個性重視」に傾き、公徳心の育成が軽んじられてきた。助け合いや思いやり、がまんなどの徳目は本来、家庭でのしつけや子供同士の遊びの中で自然と養われるものだ。

だが、高校生になっても、「公」を大切にする心が身に付いていない例を目にすることは少なくない。高校の道徳教育の先駆けは、茨城県で、平成19年度から道徳を必修にし5年目を迎える。生命科学やスポーツ選手の人生など生徒も興味を持ち読み応えのある独自教材に知恵を絞っている。

東京都は19年度から都立高校で「奉仕」の授業を必修にした。通年で地域の清掃活動や福祉施設の体験などボランティア活動に参加させている。祭りなど催しの運営に携わる例もあり、困難に立ち向かう社会人から影響を受けたり地元への関心を強めたりして生徒には変化がみえるという。

道徳は学年が上がるにつれて指導が難しくなる。米ハーバード大での「正義」をテーマにした授業が話題を呼んだが、生徒が興味を持つ題材や教育内容が不可欠だ。何よりも教える側の力や人間的魅力が問われる授業である。

今春から道徳教育を重視した新しい学習指導要領が小学校を手始めに順次、本格実施される。一方で、民主党政権になって、小中学校の副教材「心のノート」の全員配布をやめるなど、道徳教育への取り組みは冷ややかだ。

だが、専門家からは「品性を高め、感性を磨く道徳は教育の根幹だ」との指摘がある。徳育をおろそかにしてはならない。

人を思いやる豊かな心

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07rose_ame21 人は今、物質中心の技術文明から、心の自由と飛躍をめざした「感性の時代」に入ってきたと思う。感性とは、辞書では、物事を心に深く感じ取る働きとある。

外界の膨大な情報からの中から刺激的で且つ、有用な情報を獲得し、また自分の考えや存在を、周囲に知らせる能力、つまり情報の受信と発信の能力のことだ。

物質中心の従来の科学技術だけでは、これからの時代に豊かな生活を築くのには不十分であると考える人が多くなった。つまり幸福を実現するために、豊かな感情の発露である感性を高めようとする行動を、人はとるようなった。

感性の豊かな人間を育てるために、子供の教育、とりわけ幼児期における子育てが大切であることを、もっと認識したいもである。

感性とは、自己を取り巻く環境の変化を敏感に感知してどう対応していくか、価値を認めたり価値に気づいたりしながら、生命を尊重し、真理を求め、他人と協調してよりよいものをつくりあげようとする感覚である。

子供の教育は個性を尊重し,個に応じた対応をしながら一人一人を伸ばしていくことが大切である。こうした中で,最近,子どもたちを見ていて,我が儘と個性を履き違えているのではないかと感じてしまうことある。

人が人として生活していくためには,知・徳・体のバランスが必要である。とりわけ,自分勝手な考えではなく,「人を思いやる豊かな心」を持ち,「広い視野に立った自主性」を育てることが大切であることは、自明の理である。

2011年1月 8日 (土)

孤族の国の福祉

05sikotuko31 家族と社会のかたちが変化は、生活の不安を増幅させている。3ーK[お金・健康・家族)]が尺度であるが、「安心」を保障するには社会保障(福祉)であろう。

「幸せ感」は、価値観にもよるが、生活保護生活者が160万人に上るという。日本の経済の発展と弱者の救済は難しい時代となってきているが、日本が生き残りをかけて真剣に考えなければならい。

今朝の朝日新聞の社説抜粋・・・昨秋に実施された国勢調査(私も調査員の一人)の速報値が、都道府県ごとに公表され始めた。目立つのは、世帯数の上昇だ。人口が減り続ける中で、一人暮らしが増えている現実を実感した。

単身世帯の数が、夫婦と子どもがいる世帯の数を上回って最も多い世帯類型になりふえているという。高齢者の一人暮らしが増えていることは、実際調査で回って驚いていたが、新たな変化は、50~60代の男性単身世帯の増加であるという。原因の一つは、未婚者の増加だ。すでに、50歳男性の6人に1人は一度も結婚をしたことがないという。

就職難で、安定した職業に就けず、結婚へと踏み切れないまま独り身を余儀なくされている若者が増えているのも現実だ。ちょっとした事故や病気で 生活の糧を失えばたちまち貧困に陥り、社会から孤立する。

家族に看病や介護を委ねることはそろそろ限界だ。女性が外で働く必要性は、今後ますます強まるだろう。同居する家族がいたとしても、「日中は担い手不在」になる確率は高まる。

社会保障の制度は単身世帯の増加で、見直しが必要となり、高齢者医療制度も、個人化の視点から再考すべき点は多い。個人をしっかり支えるための制度作りは、同時に地域社会の再建に向けた取り組みの強化も必要となってくる。

個人重視というと、ややもすれば「家族軽視」ととられがちで、価値観をめぐる対立に陥りやすい。だが、死別や離別で誰もが「孤族」になる時代を迎えている。現実を共有し、対策を実行に移すときだ。

心の時代

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05detohama11 何時の時代でも人類の欲望は豊かさを求める。その欲望があるから科学技術が発達している。たが、その反面、いつもいろいろな問題も生じている。

近年、地球規模で市場経済が広がるにつれて、国境を越えた犯罪やテロが多発するようになった。強力な軍事力を持つ国が世界を制覇し、経済の論理を押しつけ、勝ち組と負け組をつくり、富む国と貧しい国の格差も大きくなっている。

負の産物として、地球規模で環境汚染・温暖化が急速に進んでいる。また地域紛争も後を絶たない。欲望の渦巻く世情では、お金ですべてが動き、お金や物がありさえすればという考え方が日常的になっているから、お金がすべてという価値観が、子供の心までも蝕んでいる。

犯罪の凶悪化、低年齢化、親の子殺し、子の親殺し、いじめやひきこもりなど、さまざまな深刻な問題が数多く起きている。長寿の高齢化社会、一方では子を産み育てることが少ない少子化、いわゆる少子高齢化が急速に進み、社会構造が大きく変化した。

欲望の渦巻く世の中にあって、人は限りなく豊かさをもとめるけれど、お金がすべてである、お金ですべてが動くという価値観のみで、すべてが満足するとは思えない。

人間が霊長類とちがうところは、原因と結果の違いを知っていることである。だからこそ人間なのだ、人間は因果関係に基づいてものを考えることによって進化してきた。

人間が因果関係に基づいてものを考えることによって、情報伝達や技術が飛躍的に発展してきた。科学・技術が人の役に立つものであり続けるために大切なことは、人間の「心」のはたらきである。「心」のはたらきによって科学・技術が人にとって役立つ方向ずけがなされる。

たとえば使われている電力の3割から4割は原子力発電に頼っているが、原子力は人類に貢献するが、戦争では、人を殺すための大量破壊兵器に使われる。いずれも人間の心が決めることなのだ。

21世紀は「心」の時代と言われている。自然との共生、異文化そして異宗教の人とも共に生きていく。そういうことを考える「心」を持たなければいけない時代だ。

2011年1月 7日 (金)

地域を挨拶回りをして

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08yokotesigai_yuukei21 昨日、地元町内を歩き、各戸伺い、ご挨拶をして、フッと「無縁社会」が頭に浮かんだ。将来の地域社会のあり方、市民の暮らし、人と人の係わりをどうすべきなのか、それと合わせて、どう変えていけばいいのか、私たち一人一人はどうすべきかを考えてみた。

気がついてみたら、いつの間にかこんな人間関係になってしまった。いわゆる悪い病魔に蝕まれた大樹のように朽ち果て、砂漠・荒野になってしまう恐れさえ感じてしまったからだ。

「無絵社会」化になり、むなしい日々を送るとは想像していなかった。そして人々は、「社会とは何か」などを日頃考えてないかった。でも、こういう事態になると、そもそも社会って何だったんだとか、家族って何だったんだとか、これはちょっと哲学的な話になるが、そういう議論はやはりすべきだ。

ただ、そのときに、この「絆」が途切れていった、しかもそれに頼らなくなっていった背景に、自己責任論というのが大きかった。これが不安となって来た現代社会である。それらを払拭し、乗り越えていくためには、「社会が責任をもつんだ」という宣言がやはり要ると思う。「絆」さえ自己責任論で片付けられたら堪らない。

もう一度社会というものが本当の意味で私たちの「絆」や「家」というものであってほしい。赤の他人かちゃんと関わってくれる責任社会であってほしい。ですから、社会の側がまず、「絆」の制度化ということも含めて、責任を表明する。

「『助けて』って言っていいんだ」というのをどこかで合言葉にしていくような我々自身のメンタリティーというのか、日常性も問われているのだ。「助けて」と言うこと自体、勇気が要るものである。決して弱みじゃななくて、『助けて』って言えた人に「偉いッ」と。私はこの一言が社会を変えていくのだろうと思う。

2011年1月 6日 (木)

環境を守るのはあなた自身である

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539571 環境を守るのはあなた自身である。

今まで、人間は地球環境をすべて支配しているのだという概念があった。 この人間の思い上がりが世の東西を問わず、覇権、強弱、上下の論理をうみ、 国や民族の争いのみならず、 身近な人間関係の争いごとをも引き起こしている。

人間も生きとし生けるものの一つ生き物に過ぎないぎない。自然環境の急速な破壊は、生きとし生けるものに対して、生き物の種を根絶したり、滅亡のの危機まで追いやっている。そのことに無意識・無関心でいる。

立ち止り、心落ち着かせ時代を振り返り反省することもなく人間はいつも、何ごとにつけても、「世の中は大きな変化をきたしている、この時代の流れに合わせて変革していかねばならない」と、経済合理を優先させてきた。

したがって、大地や山川草木の真実の輝きにも、生きとし生けるものの命の輝きにも、気を留めようとしなくなった。親子、人間関係においても、互いに命輝く“ふれあい”がなくなってしまった。

仏教哲学に、「山川草木悉皆成仏」(全ての自然が我々人間を生かしているというもので、これが日本人の自然観を形成している)がある。これは、地球人類すべての心に響き合い、通じ合う言葉として、心として、 21世紀の自然と人間の関わり方や人類共通の価値観としたいものである。

2011年の年頭にあたり、今、心静かに現前の光景をそのままにとらまえてみると、この世界の何もかもが、そして自分自身の命もみんな輝いていることに気づくことだ。

何気なく、捨てるゴミは、環境破壊に大きな問題となっている。よく考えると、自分自身を苦しめてしまうことになるのだ。「自分自身が人生輝いていけるのは、今のあなた自身の行動にある。」

2011年1月 5日 (水)

首相の年頭記者会見を聞いて・・・

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06oga_toga11 これだけ政治が、国民生活に直結していることを、認識したことはなない。と言うか、持たざるを得ない状況だ。

日本丸の船長菅直人首相の年頭の記者会見で、政権の今年も重点課題を明確にした。後は、「有限実行」である。何としても初心を忘れず、掲げた目標をやり遂げて欲しい。その心意気に期待したい。

1.環太平洋パートナーシップ協定への参加を念頭に置いた「平成の開国」。

2.消費税引き上げを含む税制と社会保障の一体改革。

3.政治とカネの問題へのけじめ。

迷走から→信頼を取り戻す政治。自由貿易は、グローバル化した世界では絶対条件である。その上で、食の需給率確保と農業の再生させることである。

また、膨れあがる財政赤字での、予算を組めない。安全・安心の社会保障を裏づけは、もはや負担増から逃げ続けるわけにはいかない。後は、首相のどこまでの覚悟があるのかだ。 野党・国民の説得が必須条件である。

社会保障の財源確保は待ったなしだ。TPPは、関係国が今年11月の交渉妥結を目指している。日本の参加が遅れれば、主張を反映させる余地はなくなる。

社会保障と税制の一体改革について、首相は自民、公明など野党に超党派の議論への参加を呼びかけた。いずれの党が政権を担っても避けて通れない課題である。

政権の真摯な提案には、野党も真摯に応じるべきだ。政権を追い込むといった政略を優先するあまり、話し合い自体を拒むようなことがあってはならない。首相がそのまとめ役に全力で取り組めなければならないのは当然である。

2011年1月 4日 (火)

子供の躾と個性を生かす

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1231 昔の子供時代、誰でも、自分そのもので生きていた時代があった。「自分らしさ」というのを気にすることもなく、そんな発想自体も持つことはなく、ただ、自分の気持ちを感じたままにそのまま出して、自分を隠すということを全くしなかった時代があった。「寂しい」と感じた時にはお母さんの側にくっつき。「気に入らない」ことがあれば、泣きわめき、「嬉しい」ことがあれば、ピョンピョン飛び跳ねて感情を表現した。

そのように、自分を隠すことなく、心の感じるままにそれをそのまま表現していて、まわりの人達にそれを受け入れられていた。ところが、大きくなってくると、いつでも全てを受け入れられるというわけではない。

例えば、お出かけに連れて行ってもら嬉しくて、電車の中で騒いでいると、お父さんやお母さんに「電車の中では静かにしなさい!」と怒られることが出てきる。

電車の中という公共の場でのルールを教えているのだが、小さな子供には、そんな事情は分からない。子供にとっては、「怒られた」「怖かった」「悲しかった」「嫌われた」といった部分しか残らず、大好きなお父さんやお母さんに愛されなくなることを怖れるようになる。

次の機会に、その怖れから、騒ぐのを我慢して電車の中で静かにいると、お父さんやお母さんに誉められるような経験があると、「我慢をすると誉められるんだ」「我慢をしないと怒られるんだ」といったように、我慢して自分を抑えるということを通して、お父さんやお母さんの愛を得ようとし、自分の気持ちに自制心が生まれる。

そうして、協調性や、周りの人の気持ちを分かるようになるとに、自分の気持ちを表現することを失ったり、自分の気持ちを抑えたり隠したりすることで、いつしか、自分の気持ち自体も失っていく。このように、小さな子供なら理解できなくてあたりまえ、誤解しても仕方がないといってもいい誤った思い込みによって、「自分らしさ」を失ってしまう。

そうして、意識的、無意識的にかかわらず、自分らしさを隠していくことで、同時に、自分の持つ魅力の部分をも隠してしまうことになる。

これらを「躾」と言うことになる。子供の躾とは、人間社会・集団の規範、規律や礼儀作法など慣習に合った立ち振る舞いができるように、訓練することである。

子供の個性を生かしながら、社会・集団の慣習を踏まえて、独自な能力を示していくことが、人間社会の発展に繋がっていくことであり、躾は、子供自身の個性を大事に育てていくことだ。

グローバル化した現代社会では、生まれ、育ち、など慣習が違う人たちとの交流や生活を共にすることもある。理解して、新しい価値観を見出し、共有しながら生きることになる。

いま、問題となっている、思想・宗教・信条を否定して暴力や争いが絶えない社会がある。「共存・共栄」の意識を持って平和な社会を構築に人間の知恵で造り上げいくことが大きなテーマだ。子供を持つ親はこれらを、考えて自分の子供を躾・教育して欲しい。

2011年1月 3日 (月)

一年の経つのが早い・遅い

200810170013a11 昨年の暮れ、中日新聞のコラムに載っていた。『365日を、もう過ぎたと感じられる人はよい1年で、そうでない人はそうでなかったともいえる。でも、ツルゲーネフに言わせると<時のすぎるのが早いか遅いか、それに気づくこともないような時期に、人はとりわけて幸福>らしい。』

私にとって、2010年度の365日をもう過ぎたと感じられると言うことは、よい年だったということなのであろうが、私には相対的に考えて、2010年はよい年だったというだけで、これまでの73年の人生の中でとりわけ、よい年だったかと言えば、まあまあの年だったというのが私の今の実感だ。

現役引退13年と、去年の2010年の1年を比較して、まあまあのよい年だったと評価したのである。普通であったとの感覚である。早いか遅いか、それに気づくこともないような充実した年だったとは到底言えない。

1日1日が夢中で、時が流れていることさえ忘れている年を、人生の中でどれだけ持っているかで、人の幸福度合いが計られるのだが・・・。

そう言った意味からすると、私は幸福者の部類に属するのかも知れない。数え切れない苦労も悩まれ続けたプレッシャーも、引くに引けない責任感で押しつぶされそうになったこともあった筈なのに・・・今それらをじっくり振り返ると、健康で、大過なく過ごして来られたと思える。故に幸せだったと言うことが出来るかも・・・。

無縁社会を考える

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Img_97161 「無縁社会」・・・NHKの番組でも取り上げているが、これから大きな社会問題だ。高齢や病気になっても頼る相手がおらず、すべてを一人でやらなければならない人が増える社会。
経済的には一人暮らしに支障はないが、人づきあいが希薄で、病気になっても誰にも知らせることなく入院し、親や兄弟に迷惑はかけられないとの思い込みから肉親に知らせることすら自ら拒む。身元不明や遺族が引き取りを拒否する「無縁死」は年間3万2000人に上るという。
12年連続で3万人をこえた自殺、最近さらに深刻化する児童虐待、そして若い世代に広がる「孤独」「家族」「ふるさと」「会社」とのつながりが急速に切れている社会。こうした社会を「無縁社会」と呼ぶ。(yahoo!辞書)
この結果身近に起きている問題をあげて見ると・・・
1.「直葬」・・・ごく身近な肉親だけで火葬に立ち会って葬儀を済ませる。
2.「結婚代理人」・・・友人が少ないので結婚相手に気まずい?思いで代理出席サービス業者に頼む。
3.「わが子を置き去り」・・・自分の子供を自分の都合で置き去り・・年150件あるという。
4.「働き盛りがひきこもり」・・・会社の事情で配置転換などでストレスから、会社に勤められない。
5.「単身化」・・・独り暮らしが1980年20パーセント~2030年には40パーセントになると予想されている。
「核家族化」「単身化」。「働き方の変化」・・・会社で終身雇用が崩れ、リストラや非正規雇用といった不安定な働き方。「ライフスタイルの変化」がある。
経済成長時代の会社がしっかりあって、そこでしっかり雇用と給料が保証されて、そして家庭というものがあって、離婚は少なくというような、その時代が過去にあった。そこに戻ればいいじゃいなかという話だが、かつての終身雇用の非常に強い企業社会というものに戻せるのかということ、まずここが問題だ。
もう1つは、その時代が本当に良かったのかというと、まず会社にがんじがらめ、その中で家族というものが非常にある固定した形の中で家庭生活が維持され、もちろんそれで経済的には豊かであったかもれしないが、そこでみんなが幸せであったかというと疑問がある。
そういう画一的な暮らしからもっと自由になりたいという気持ちもあった。その中で進んできた。ところが実際に進んでみたら、自由というよりも不安定と危険な社会が加速化してきてしまった。
そこで次の新しい段階というのをどう考えればいいのだと思うのだが・・・。

2011年1月 2日 (日)

道理をわきまえて生きる

191104011 自意識過剰で自尊心に凝り固まった人間は、自己顕示のさまざまなポーズをとって見せるが、悲しいかな、「井に中の蛙大海を知らず」である。狭い井戸の中でのことだ。その井戸の中での存在を何かのきっかけで知って、自分自身の愚かさに気づくと、人間的に尺度が変ってくる。

人間は、自然の道理を悟り、万能の力をそなえていると思いこんでいても、しょせん自然の道理によって生かされている生き物の一つにすぎない。ものごとは常に変化しており、また、それ自体で存在し続けるものはないのに、ずっとあり続けると錯覚し、執着するから、人生は思い通りにならないと悩み苦しんでしまうのである。

諸行無常 この世のすべてのものは、生滅して、同じ姿をとどめるものなし、無常である。

諸法無我 この世のすべてのものは、互いに関係し、因果にもとずき、縁により存在している。

涅槃寂静 この世のすべてのものは、執着を放れると、悩み苦しみのない寂静の境地に入る。

私たちは、自然の道理にかなった生き方をしないで、人間の認識で生きていこうとするから、自分のこともわからなくなり、自分の位置も、自分の進むべき方向も見失ってしまう。

人は煩悩による錯覚や執着を放れることができれば、悩み苦しむことなく生きられる。自然の道理をわきまえて、生きる喜びを感じる人は、幸せである。

人間の絆

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07rose_ame21 経済が伝統的な地縁社会を破壊してしまい、世界大戦を2回も経験した日本。そして、社会のシステムの一部であったはずの経済が社会的諸関係を決定づけた20世紀であった。

その調整方法は大きく分けて政治的解決(敵か味方)と経済的解決(損失と利益)に委ねられている。私たちは21世紀に生きるものとして、新しい形の「人の絆」を鍵とした問題解決方法を探るべき時期に来ていると思う。

考え方や価値観が異なる人々の間に文化的コミュニケーションを媒体として対話を生み、それぞれの個性を理解することを通じて新しい自分を発見し、社会を再形成する。

「絆」とは・・・親が子に対する愛情こそは全く利害を離れた唯一の情緒である。改まって作るものでなく、日々の普通の生活の中にあると思う。

人が生きるということは、現実の世界に生きるということに他ならず、生まれた環境や時代によってさまざまな価値観や考え方が異なってくることは当然である。そこで大切なのは、様々な人の立場になって考えてみることだ。

お互いを尊敬し、大切にして助け合うということも大切だが、違いをはっきり伝えて、議論しあって相容れない点を明らかにすることも大切である。「わからない」ことを認めることが大切なのだ。

現代社会の「人間の絆」の考え方は、昔のように生まれたところでずっと暮らして、同じ人と濃く交わり会って生きることは少ない。苦楽をを共にして生きる仲間が常にいるろ状況よりも、出会っては別れる中で住まいも移り変わりながら、家族もばらばらになっていくというライフスタイルが多くなってきている。

そんな状況だからこそ、新しい形で「絆」をつくり、雪が解けて地面に吸収されるように「絆」が生まれては体に浸み込むような体験を繰り返しながら、これからの社会を創るのが、現代社会にあると思う。

2011年1月 1日 (土)

夫婦古希の雑感

09oga_akanegumo11 毎年元旦に思うことだが、今年こそ「厳しい年はないぞ!心しろ!!」と、自分に言い聞かせて、今年は、例年になく気合を入れて新年を迎えた。

夫婦古希を迎えより一層に、「生老病死」という人生における免れない、四つの苦悩を考えている。お金や人間関係、社会との関わりなど、未知の世界が待っている。将来のこと「生老病死」は自然なことだが・・・

老いも、病気も、死も、なかなか受け入れがたいものだったから、真正面から向き合うことがなかったし、むしろそれを遠ざけようとしていた。しかし、いつまでも若く、健康ではあり得ない。

近い?将来、生きて行く上でさまざまな難問にぶち当たる。克服しなければならないことや、我慢して受け入れなければならないこと、努力しないといけないことなど、予想しないさまざまなことがある。

しかし、どう対応していけるかは未知である。ストレスで病気になってしまったり、命を縮めてしまうこともあるだろう。あれやこれや取り越し苦労をしても仕方がない。

地球上の生き物は、自然の恵みで、子孫を残そうとする本能がある。けれども酷暑、酷寒、大雨や干ばつ、風など自然に影響され、時には天変地異で生存が危ぶまれることもある。

どんなに環境がめまぐるしく変わろうとも、生き物たちはぎりぎりまで、それに順応して生きていこうとしている。ただひたすら自然に逆らわず生きぬこうとする。そして子孫を残す努力をする。たとえ厳しい自然環境であろうとも・・・

そう考えると、社会環境が変っている中で、その変った環境で生きるしかない。だから余計なことは考えず、そのとき出来る最善な生き方をするしかない。西風が吹けば、枯れ葉は東にはき寄せられる落ち葉のように・・・

自分という生命体に素直な生き方をすべきところ、人間は、自我の欲望のおもむくままに利己的な生き方をしているから、自分自身で悩み苦しんでしまうのかもしれない。

生き残りを考える

06oga_toga11  木には年輪があり、その年輪で何年経ったか分かる。植物では、一年草・多年草とある。人間(動物)でも歯などで年齢が分かるそうだ。夫々の一生のサイクルがある。最近知ったのが桜の染井吉野は、60年寿命説がある。

万物すべて無常であると言いたいのである。したがって、去年の自分ではない2011年元旦の今日である。そして一瞬一瞬、留めることの(出来)ない現実がある。生物には寿命がある。

しかし、人間は誰でも長く生きたい欲望がある。医者にかかり一分一秒でも長く生きたいと考えるのが人情?今、日本人平均寿命は世界一の八十三歳だ。もしこれが百歳となったら、どんなことになってしまうか考えたら恐ろしい。六十年前には、五十歳だったが経済成長でカバーが出来たが・・・

自然界では、種の保存という厳しい掟?があるように、自然淘汰の法則がある。この法則が乱れたら、生命は同じ種族どうしの競争の世界になり争いは耐えないことになる。

今世界人口は66億人とも言われているが、毎年増え続けていると言う。人間の知恵で、生きていける衣食住とのバランスを保ち、平和に暮らし続けることが大事なテーマだと思う。

「自然に生きる」ことがどれだけ大事なことか・・・植物たちは地下に根を伸ばして春の到来を待っている。やがて芽吹きの時が来ると、すさまじいばかりのエネルギーを発揮する。それでも、寿命のあること、増えすぎて共倒れすることもご存知である。

そうやって種の保存を保っ術が自然の法則である。人間は共存共栄の術を自然界から学ぶべきだ。同じ地球という器には、その適正容量しか入らないのだから・・・。

年明けに雑感

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05sikotuko31 どうも納得いかない事が多い昨年だった。まず政権交代で民主党に大いに期待したのだが、まったく期待はずれとなってしまった事だ。

野党自民党も、何ともだらしのない、上げ足ばかりとって、本当に政策論で勝負するあるべき国会を、国民の目線で議論をしたということがない一年であったようにしか写らなかった。

長い経済不振のなかで、少子高齢化と財政危機が進む。先進国の苦境を尻目に新興国は成長軌道へ戻り、日本周辺の安全保障環境が変化しだした。政治はこれらの難問に真剣に取り組むどころか、党利党略に堕している。

小沢一郎元民主党代表の「政治とカネ」の問題で、どれだけ無駄な議論をしたことか・・・そんな余裕なんかないはずである。その間に、日本を取り巻く北東アジアの安全が脅かされている事にも対応が出来ない。そんなやりきれなさが社会を覆っている。

環境問題では、相変わらず人が集まるところには、ゴミが散らかりは収まらない。ふるさとの山や、川は汚れ、以前棲んでいた動物・魚達がスッカリいなくなってしまった。

日本人は、優しさを忘れ、心まで清浄さが不浄な心に侵食されてしまいそうである。この社会現象に日本人が慣れて「普通・常識」と認識てしまったら、日本は坂道をころげ堕ちるには時間は要らない。

日本は、今危機的状態にあると思わざるを得ない。政治・財政・経済・環境問題然りである。日本古来の良さ、努力・忍耐・思いやりなどで、原点に戻り国民一人ひとりが何をすべきかを考えて、行動を起こし、子供からお年寄りまで、日本を救っていこうではないか・・・と呼びかけたい。

 

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