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2010年9月19日 (日)

市民感覚

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Center171 「市民感覚」というと、その時代に生きる一般市民の常識である。一般的な地域に住み、普通の暮らしをしている市民だ。その感覚で判断する裁判員裁判が取り入れられた。

裁判員制度には、2009年5月21日にスタートし、市民が、自分を取り巻く社会について考えることにつながり、より良い社会への第一歩となることが期待される。

昨日判決が下りた元俳優の押尾学被告に対する裁判員裁判で、判決が言い渡された。

被告が芸能人とあって、事件発生直後から物凄い量の報道があった。ごく一般市民感覚でも、ちょっとやり過ぎと思っていた。そんな報道に、裁判員の心証形成や量刑の判断に影響が出るのではないかと注目した。

法曹界も、あくまでも証拠に基づいて結論を出すよう裁判員を導くことが自分たちの重大な使命であると確認し、審理の進め方や立証活動の改善に取り組んだという。

市民を信じる。ごく当たり前の話なのに、一般の市民がかかわる検察審査会制度について、元民主党小沢一郎氏が先の民主党代表選で、記者の問い合わせに、「素人がいいとか悪いとかいう仕組みがいいのか」と述べたのを、テレビで聞いた。

市民の判断がいつも正しいとは限らない。個々の疑問や批判はあっていい。だが市民への信頼を抜きにして、私たちの社会も制度も、そして民主主義も成り立たない。

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コメント

押尾学被告は消極的な殺人者であり、少なくとも10年以上は投獄されるべき。
虚言を吐く悪人・押尾学及び嘘を言って犯人をかばうことを生業としている悪徳弁護士に裁判員はだまされたのかも知れない。
薬物犯罪者は出所後の再犯の可能性は否定できない。

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