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2010年8月27日 (金)

生きている事実を知る

1231 最近、生きていられることが、不思議に思うことがある。生まれて何十年も行き続けられるのが、当たり前でそんなこと考えて見たこともなかった。改めて自分自身に問い直してみるということである。

「私は何故ここに、いま生きているのかなあ?」そんなことに思いを廻らしていると、些細なこと・とてつもない大きなことまでが、いまの私の命のありように深く関わっていることに気づかされる。

「何かのご縁」で、生かされている。世間でよく使われる「縁起がいい、悪い」「縁起もの」という意味ではなく、生きていられる基の全てが、相互の係わりあって、夫々が他と繋がって存在している〝真理〟がある。

私事であるが、小学校入る前の6歳のとき、よく川で泳いでいたが、台風の後で水かさが増していたとき、大勢の仲間で泳いでいたが、立つだろうと思ったところが深みに嵌まって一瞬の間に流された。慌てて両手足をばたつかせ、何かに捉まろうとしたが何にもない、何秒でもない時間だったが、水を飲んでしまい「死」感じた。そして大人に腕を掴まえてもらい助けられた。その恐怖は今でも記憶に残っている。

また、5年前にドライブに妻と出かけて、居眠り運転をして、反対道路脇の民家のブロック塀壊し、標識をなぎ倒し、車のバンバーが取れ、ようやっと止まったとき、振りかって見て、よくかすり傷もしないで過ごせた?と不思議な位だだった。同乗の妻にもかすり傷さえなかった。車は大破で廃車にしてしまった。

いまここに生きていることが不思議に思えてならない。しかもこうやって数十年の人生を恵まれたことは、不思議中の不思議だとしばしば思う。事故や病のときに私を支え、助けてくださった方がいなかったことは一回もない。これまで生きてきた経過をたどってみても、今日一日のことを思い返してみても、私が誰かのためを思ってしたことよりも、はるかにして頂いていた事のことの大きさ、多さに気づかされるのである。

人間は誰でも慣れたら、当たり前になる。「ありがたい」話を聞くのではない「ありがたい」 「命」の事実を知らせていただく事であり、「感謝の心」持ち続けたい。

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