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2010年3月

2010年3月31日 (水)

久しぶり肉体労働・・・

Img_0103           この写真は昨年の四月頃の湯殿川

朝のうち良く晴れて、絶好の洗濯日和かと思えたのだが、昼頃から厚い雲に覆われてしまい、北風がつめたかった。午後より湯殿川沿いのゴミ拾いをする。そして由井市民センターにて、可燃・不燃の仕分けをして処分を職員に依頼した。

そして河川敷の雑草取り(コスモスを植える場所確保)石や砂利地なのでツルハシで一株一株扱いて,根の土を落とし処分するのであるが、ツルハシを振り上げることは、かなりの重労働。汗びっしょりになった。時間は1時間30分ぐらいだった。

その後、「片倉時田まちの広場」の倉庫の修復材料を買いに、軽トラで先輩(奈良さん)と二人で行って来た。材料は、「小割り」といって、杉材で4センチ角材×4メーターもの36本だ。12本一束であって一人ではやっと持てるくらいである。車に乗せるのが大変あった。

いずれにしても、今日はツルハシを振り上げての雑草とりと・木材を運ぶという作業は、久しぶりで身体に堪えた。一晩たって明日が身体があちこちが痛くなりそうで心配である。

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ものの芽に朝の露

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080326topics1 ものの芽の 光輝く 朝の露

寒い日が続いている昨日・今日である。しかし、日の出は確実に早くなっている。今朝の日の出 は05時29分であった。いつも朝5時半に朝食の支度をしているが、お勝手の窓が明るくなってきた。

窓越しに鳥の声も一段と大きくなったようである。気がつけば、草や木の芽が一斉に芽吹き始めてきた。葉より先に咲きだす木は多い。桜・木蓮・こぶしなどが一気に咲きだし、僅か一週間位で散ってしまう、そのあと葉が生えて枝が伸びる。躍動の春の到来である。植物の力強い生命力で昆虫や動物達も活発な行動になってくる。

今朝は良く晴れて、草木に露が朝日に輝いているのを見て、自分も生きている喜びを感じてた。明日から四月である。小学生の四人の孫達は進級して、授業は6日からまる。夫々の夢を抱いて大きく羽ばたくことを願いつつ、今日一日が良い日でありますようにお日様に心で祈った。

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2010年3月30日 (火)

青春時代の替え歌

15401 「青春時代」の替え歌がテレビ(ワイド・スクランブル)で紹介された。日刊現代の新聞記事あったもの・・・なんとも的を得た内容である。

作詞阿久悠作詞・森田公一作曲・歌森田公一 

♪卒業までの 半年で
  答えを出すと 言うけれど

  二人が暮した 歳月を
  何で計れば いいのだろう
  青春時代が 夢なんて
  後からほのぼの 思うもの
  青春時代の 真ん中は
  道に迷っているばかり

替え歌誰が作詞だか分からない

 退職までの 半年で
 答えを出せと 言うけれど
 加入期間が 短くて
 年金もらえる アテがない

 年金暮らしが 夢なんて
 現役時代の 甘い夢
 年金時代の 入口は
 先の見えない ことばかり

 からだはもはや あの頃の
 盛りを過ぎて しまったか
 胃腸に肝臓 ガタガタで
 おまけに糖尿 五十肩

 年金暮らしが 夢なんて
 現役時代の 甘い夢
 年金時代の まん中は
 医者に通って いるばかり

 

  

                                              

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毒入り餃子事件容疑者逮捕の裏が・・・

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06oga_toga11 犯人逮捕は、どうも何か裏があるようなき気がしてならない。中国政府の思惑があるのではと、勘ぐるざるを得ない。

一件落着と安心できない事情がありそうだ。冤罪、国策逮捕?まず大きな疑問点は、下水道に廃棄されていた注射器から「メタミドホス」が検出されたことである。「メタミドホス」は分解されやすい物質で、数か月も注射器の中で残留するとは考えられないという。

また、容疑者は精神的に軟弱な部分があり、強硬な警察の取調べに屈し、虚偽の自白をした可能性も指摘されている。この時期における犯人逮捕の裏には、中国が国家をあげて取り組む上海万博の“てこ入れ”という裏がある?

つまり、上海万博の、海外の反響がほとんど無いという、下水から再生した油や毒入りギョーザ事件により、“食の安全神話”が崩壊した中国に、欧米や日本からの観光客が見込めないという暗い状況を打破するために、今回の逮捕劇を演出した?

さらに、中国に好意的な鳩山首相を上海万博の開幕に合わせて訪中させたい中国政府としては、外交カードとして今回の逮捕劇を出してきたのだ。つまり、犯人逮捕により事件の幕引きを図り、隣国日本からジャパンマネーと観光客を上海万博に呼び込みたいというのが中国政府筋の狙いであるのでは・・・。

今朝のテレビ朝日スーパーモーニングの番組で、下水のゴミ油を加工して、レストランなどで使用しているという衝撃的な話題があった。コメンテーターの鳥越俊太郎さん曰く、これは、中国国内だけの問題ではない。日本人の観光客などが、被害に遭う危険性があると指摘していた。全くその通りでである。中国の料理は油を使ったものが多いのだから・・・。

それにしても、中国の所得格差は、暴動が起きても、おかしくない数字だという。貧富の差を示すジニ係数、警戒ラインの0.4超えて更に上昇続いているという。容疑者の田舎の家と近くの部落が映った映像があったが、所得格差は日本よりはるかに酷い状態なようだ。そのことから会社に不満があったことでの犯行というが・・・。

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2010年3月29日 (月)

自由に生きるとは・・・

Photo_3 小鳥は籠の中で生きていくことが出来る。そして子孫を残すことが出来る。我が家のゴールデンチェリーが2度目の雛を孵した。

鳥小屋の小鳥は、籠のどこか隙があれば外に出ようとする。外に出たら大きく羽ばたいて自由に飛べると思っている。外に出たら、猫などの狙われたり、餌が見つからないで、直ぐ死んでしまうことを知らずに・・・

「凧が空高く飛べるのは、誰かが糸を、引っ張っているから、でも凧は、その糸さえなければもっと自由に、空を飛べると、思っている。その糸がなければ、地上に、落ちてしまうのも、知らずに・・・」(産経新聞「朝の詩」 宮川優 2003年5月15日)

誰れでも「自由に生きたい」と願うが、誰も考える。「自由に生きる」とは「誰にも邪魔されず、何の制約も受けずに生きること」と考えている。だから、邪魔なもの、制約を受けるものがあれば、当然それを排除しようとする。

「これさえなけりやもっと自由に出来るのにナァ…」また「あの人さえいなけりやあ、万事うまくいくのにナァ…」と言うことがあるが、これは、自由を妨げるものを取り除きさえすれば自由に生きられるという考え方である。

しかし、糸あるがゆえに凧は空高く舞い上がることが出来るように、邪魔なもの、制約を受けるものがあるからこそ、人は雄雄しく逞しく生きることが出来るのだ。

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閣内核爆発が・・・?

Photo_2 鳩山政権が2009年9月16日誕生でまだ半年あまりであるが、マニフェストを掲げて圧倒的な勝利で政権奪取した。有権者は『変革』を期待し信頼したからである。

いきなり、八ッ場ダム問題前原国土交通大臣のアッと驚く衝撃的なデビューで始まって民主党政権もやるわい期待が本物?そして事業仕分けでは、枝野議員・蓮舫議員のテレビですざましいまでの迫力は胸のすく思いだった。羽田空港ハブ化発言までは、流石・・・

しかし、普天間移設には閣内統一した考えが表に現れれいない。やっぱり社民党・国民新党を取り込んだ内閣だったので無理だったのか?という見方をする人もいるようになった。

一方何といっても、出だしに鳩山由紀夫首相・小沢一郎民主党幹事長の民主党のリーダーが「政治と金」の問題を起こし、国民に充分納得のいく説明がなされていない。その上最近郵政改革案で、亀井金融・郵政担当相・原口総務大臣の衝撃的な記者会見があった。それに対し閣内では意見不統一の露呈した形である。閣内核爆発状態・・・?

これで内閣支持率は下がるだろう。鳩山由紀夫首相の指導力、平野官房長官の閣内調整役の仕事が不十分など、閣内での意思統一は、首相の指導力不足という見方は、国民の間から聞かれるところとなった。

我々の国、日本丸は船を何処に向かわせようといているのか分からない、船頭が不在でスタッフが勝手にものを言っていて船は木の葉のように揺れてしまったいる状態で、不況の嵐の中で、固唾を呑んでいる。

それに変わる野党の自民党も、はっきりしない、党内不統一的な面がありこれも信頼できない。真の日本を再生が出来るいわゆる日本救世主があられることを望みたいが・・・

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もっと「楽(らく)」に生きる

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Photo もっと「楽(らく)」・・・いい頃加減に生きられたら、悩むこともない。

「楽しい」と「楽(らく)」は違う。同じ字を使うが、まったく違う。

☆「楽しい」とは辛いことも苦しいことも乗り越えて目的を達成した時の喜びのこと。
☆「楽(らく)」とは辛いことも苦しいことも何もないこと。

人生は、喜びがあれば悲しみが、苦があれば「楽」がある、悲喜こもごである。はたして、人は悩み苦しみがなければ、幸せだろうか・・・

今、生きているから、人は悩み苦しみもする。悩み苦しみがあるのは、生きているからである。だから「楽しく」目指して悩めばいいのでだろうが、一つの悩みが解消できても、またあとから、次々と新たな悩みが起こるものである。悩みのおかげで生きる意欲や希望が持てるのだと「楽しく」生きられると、達観できればいいのだが・・・。

人間も動物で、本来なにものにも執着しない生命体であるはずであるが、貪(むさぼり)瞋(怒り)、癡(愚かさ)の三毒の心のおもむくままに生きてしまうから、あらゆる執着心が煩悩であり、ストレスを引き起こす原因となる。人は自分自身でストレスをつくってしまう。

執着しないで、 良い頃加減に生きることができれば最高であり「楽(らく)」に生きられるのだと思う。自分らしく生きる、身の丈に合わせた生き方をする、背伸びしない、この開き直りが大切である。「気は力なり」で、もっと「楽(らく)」に生きることだ。

百年に一度といわれる未曾有の経済不況下にあって、一年先はおろか明日も見えないと嘆き悲しむよりも、一度しかない人生である。いつも笑顔で、もっと気楽に生きたいものである。そして、人は一人では生きていけない、お互いを思いやったり、励ましあったり、助け合ったりしないと生きられないということだ。

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2010年3月28日 (日)

桜とおぼろ月

Hakusan11 故郷の 桜の花は ぼったりと

霞(かすみ)というと、空気中に浮遊するごく小さな水滴・ちりなどのために、遠くのものがはっきり見えなくなる現象。また、そのために、山腹などに帯状に見える薄雲のようなものである。

最近は、首都圏である八王子でも開発が進んで大きく変わろうとしているが、不況でその開発がストップして一時のようなスピードは衰えてきたようだ。開発から取り残された、山あいの部落は、昔の故郷を偲ばせる光景が残っている。土手に咲くタンポポ・すみれはこの環境に満足しているようで、郷愁の思いが湧いてくる。

近年は春は、スギ花粉・黄砂で人間にも迷惑な存在となっているが、スギ花粉は昔から飛んでいたのだのだが、問題にはならなかったのだ。黄沙は、人間の勝手な欲望の罰である。最近は、タクラマカン・ゴビ砂漠も植林が行なわれているそうだが、元に戻すのは200年という途方もない年月がかかるという。

そして春は、霞がかかることも多く、晴れていても、星はあまりまたたかずボテッとしている。星同様、月もその輪郭がはっきりとしていない。“おぼろ月”などというロマンチックな表現がある。山に登れば、下界よりも空気は澄んでいるが、それでも雨の降った直後でない限り、澄みきった星空にはほど遠い。そういうわけで春は、やんわりとあたりを照らしてくれるおぼろ月が一番似合うのかもしれない。 

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春は悩みの季節でもある

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800pxbamboo_sprout21   ♪春は名のみの風の冷たさ♪と言うか、ここ2・3日北風が冷たく冬に戻ったような気候である。寒さがもう少し続きそうなので、昨日は町会会館の暖房用の灯油を補充して置いた。

お彼岸過ぎて陽射しは角度が上に上がって日長に感じられるようになった。木々の芽ぶきは確実に春に近づきを感じる。草の芽はのびて、さまざまな花が咲きはじめた、三月もあと三日、命が輝きはじめる頃である。

寒さの続く日であっても季節の移り変わりは感じられる。公園の桜のつぼみがふくらんできたのが分かる。無邪気にたわむれる子供たちの姿は、みんな生き生きと輝いている、仲良く寄り添う恋人たちはキラキラとまばゆいばかりに輝いている。仕事に励む人々にはエネルギシュな輝きが、ひたすらに一つのことに打ち込む人々の姿には充実感に満ちた輝きがある。

卒業し社会人になるという、変わり目でもある。そして自然となじめない、ストレスの多くなる春でもある。命の輝きを失いつつある人も多く、100人のうち1~5人はうつ病などで心療内科に通っている人がいるそうだ。

先の見えない深刻な経済不況で失業、学校を出たが就職できない、経済的理由で悩み苦しむ人々が急激に増えていて、体調を崩す。現代人の悩みで最も多いのが健康問題、次が経済・生活問題、さらに家庭問題だといわれている。

自殺の原因・動機でも病苦によるものが最も多く、うつ病などの健康問題だそうだ。そして景気悪化にともなう経済・生活問題、中でも多重債務や生活苦、事業不振によるとみられる自殺が目立って多くなっている。底の見えない経済危機によって、生きることに絶望してしまう人がさらに増えるのが気がかりである。

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2010年3月27日 (土)

冤罪をなくすには録音・録画などで可視化すべきだ

Sira71 今日の新聞各紙の社説に「足利事件」を取り上げられていた。各誌とも共通することは、取調べには「録音・録画などで可視化すべき」で法制化が急務といことだ。

朝日新聞・・・「誤判防ぐ仕組み作りを」菅家さんは17年半、自由を奪われた。裁判長は異例の謝罪を行ったが、償うことのできない重い年月だ。菅家さんが「犯人」とされたために、結果的に真犯人はわからないまま、事件は時効を迎えた。殺害された女児や家族らの無念も計り知れない。 なぜ、こんな誤判が起きたのか。徹底した検証が必要である。

そのうえで、取り調べを録音・録画する可視化を法制化することが一刻も早く必要だ。取り調べに弁護人が同席することも検討すべきだ。

読売新聞・・・「菅家さんの無念を冤罪防止に」当初の公判の途中で否認に転じた。最高裁に至るまで、自白の信用性に疑問を抱かなかった裁判所の責任も極めて重いことは言うまでもない。この日、裁判長も「真実の声に耳を傾けなかった」と語った。

今回の再審では、検察側が争う姿勢をみせなかったにもかかわらず、地裁はかつて菅家さんを取り調べた検事らの証人尋問を実施した。取り調べを録音したテープを法廷で再生することも認めた。こうした地裁の姿勢は、冤罪を引き起こした原因の究明に一定の役割を果たしたといえよう。今後のモデルケースとしたい。

毎日新聞・・・「次は第三者の検証」教訓は多岐にわたる。自白偏重の捜査へ警鐘を鳴らした。テープ再生は、取り調べの全面可視化の必要性を改めて示した。報道機関の責任も免れない。

産経新聞・・・「冤罪をなくす教訓に」担当した同地裁の佐藤正信裁判長は、菅家さんの心情に最大限に配慮したといえる。取り調べ検事の証人尋問や、取り調べの模様を録音したテープを再生し、法廷で証拠調べする措置をとったのも、その表れだった。

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片倉城址公園にて

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Nioitatitubo200304131 片倉城址公園の桜も、咲き出してきた。気の早いお花見を楽しむ家族連れが何組かあった。

片倉城址といえば、一族の毛利季光は相模国毛利荘(神奈川県厚木市)を領し、三浦泰村の宝治合戦に見方して北条氏に滅ぼされたが、末弟経光が継いで安芸国毛利氏の祖となった。

片倉城は大江広元子孫の大江師親あるいは長井道広が在城したといわれる。

公園を散歩して、俳句(駄作)を作った・・・・あまり近すぎて気がつかないことが多い。

石垣に すみれ澄まして 咲き誇り

石垣の 割れ目の奥も 春の音

手に汲んで 命通いぬ 春の水

猫やなぎ 風のステップ 楽しんで

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2010年3月26日 (金)

今日のHAPPY NEWS

500kp333l1 今日の出来事で印象に残ったこと。(HAPPY NEWS )

①高橋大輔選手が優勝。 イタリアのトリノで開かれているフィギュアスケートの世界選手権は25日、男子シングルの後半フリーが行われ、世界選手権とオリンピックを通じて、男子シングルで日本の選手が優勝するのは初めてという。

②菅家さん無罪釈放・・・裁判長謝罪。 足利事件で釈放された菅家利和さんの再審=やり直しの裁判で、宇都宮地方裁判所は菅家さんに無罪を言い渡した。裁判長は、「菅家さんの真実の声に十分に耳を傾けられず、17年半の長きにわたって自由を奪う結果になったことをまことに申し訳なく思います」と謝罪した。

菅家さんの完全無罪となったが17年間苦しい時間を償うことは出来ないが、菅家さんを起訴した検察官が、結果として職責上大きなミスを犯したことは明らかであり、現職であろうがなかろうが、その責任は免れ得ないと思う。そして、当時の検察官の心境は計り知れない罪悪感を一生背負っていくということになる。菅谷さんは、テレビのインタビューに、当時の検察官に謝罪して欲しいと言っていたことが、印象的だった。

③東京株、一時1万1000円超 1年半ぶりの大台。26日の東京株式市場は、外国為替相場の円安などを好感し、日経平均株価が大幅に続伸。取引時間中には1万1001円59銭まで駆け上がり、一昨年10月3日以来、約1年半ぶりに一時1万1000円の大台を超えた。

みずほ証券 投資情報部 マーケットアナリスト・高橋幸男氏――日経平均が昨年来高値を更新したが、きょうに関して言えば、為替相場で円安が進んだこと、後場に入りアジア株上昇の追い風を受けたことなどがある。また、EU(欧州連合)がギリシャ支援で合意に達したことで金融不安が後退したことも影響しているだろう。

さらに、権利付き最終売買日でもあり、売り方は売らずに、買いだけが入っている状況。外国人投資家の買いも幅広く入っている。1万1000円回復で、当然、上値達成感が出てくるのが気になるところだが、来週末の米雇用統計は大幅なプラスになるとみられていることもあり、米景況感の改善を先取りした買いが目立つ。4月1日には第一生命保険 の上場も控えており、当面は底堅く推移しそうだ。

桜も咲きだした。株価も、これで少し安心できるか・・・?。。。

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ゴールデンチェリーの雛

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Goldenchery1 雛育つ ゴールデンチェリー  春になり

昨年から飼っている、ゴールデンチェリーという小鳥が一羽だが孵化し巣箱の窓から顔を覗かせるようになった。我が家にも春きた!という感じだ。

もっぱら世話は、妻任せである。我が家のゴールデンチェリーの先祖は、遠いアフリカに棲んでいた。寒がりやの妻と同じで、寒さに弱いようである。雛が孵ったばかりでなの保温を十分気をつけている。気温27℃前後がいいらしい。

野鳥の鳥と同じように、卵を産むのは暖かくなった春先に生むのだろうと思っていたのだが、2月頃巣箱を覗いてみたら、卵が5個産んで暖めていた。この時期は、孵化はしないだろうと思ったが、たった1個だが孵化したのである。昨年一羽が孵り(小鳥屋に・・・)これで2羽である。

孵ったばかりに雛は、赤肌でまさしく生命誕生の奇蹟と思え、親鳥の献身的な努力の結果なのだので命の尊さを感じさせられた。孵化日数は鶏と同じ21日ぐらいなのか?

本能といえばそれまでだが、人間もこのように子供は生むことは出来るが、育てることが出来ない、いわゆる「育児放棄」の親が問題になっている昨今である。この小鳥のように確り育てることが出来ないだろうかと考えてしまった。

しかし、ある程度大きくなると、親鳥は狭い鳥小屋では雛が邪魔になり、追い出そうと攻撃をして、傷さえつけてしまう。この行為も人間も(ニート)似た人間の存在を、考えさせられる問題だ。

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2010年3月25日 (木)

来年度予算成立と郵政改革案・・・

003_201003151 鳩山由紀夫政権による初の来年度予算が成立した。歳出規模を過去最大の92兆円強に膨らんだ。44兆円の国債発行額が37兆円の税収を上回った。当初予算ベースでの逆転現象は実質的に戦後初めてである。

亀井静香郵政・金融担当相と原口博総務相は、預け限度額を現在の1000万円から2000万円に簡易保険の加入限度額を1300万円から2500万円に上げることで合意した。そして一連の郵政改革法案を四月に国会に提出されるという。

それに対しメジャー新聞の社説では、一斉に問題あり書かれている。閣内でも、鳩山由紀夫首相・仙石由人国家戦略担当、公務員制度改革担当相などはもっと議論が必要ということだが・・・

各誌の見出し・・・
朝日新聞社説・・・「郵政改革案―肥大化の弊害を恐れる」

巨大なゆうちょ銀行がさらに肥大化することの危うさを、鳩山政権はなぜ真剣に考えようとしないのだろうか。郵政改革見直しの強引な内容に、首をかしげるほかはない。

読売新聞社説・・・「郵政改革法案―非効率な官製金融が膨張する」

資金の流れを「官から民へ」と変える郵政改革の狙いに、逆行するといわざるを得ない。

毎日新聞社説・・・「郵政改革案 逆戻り以上の後退だ」

民主党はもともと郵政の金融業務について縮小を主張していた。発表された案は、経営形態が逆戻りするだけにとどまらず、規模のさらなる拡大も図る内容だ。

日本経済新聞社説・・・「民の活力を奪い郵政を肥大させる」

270兆円の資産を抱える巨大な「官製金融」がさらに膨らみ民間の活力を阻害しないか心配だ。

東京新聞社説・・・「郵政改革法案 経営効率化は二の次か」

見直しは国民の利便性向上が目的で、経営効率化が欠かせぬが、それが抜け落ちている。実質国有化や郵政関係者のための見直しではツケが国民に回されかねない。

民業圧迫とならず、将来にわたって国民負担も生じないよう、鳩山首相の責任で議論をまとめてほしいところだ。

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地球という星は

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Galleryplayer11_earth 地球という星は・・・    

私たちの住む星の誕生は、原料となった物質の微惑星に含まれていた岩石や金属であった。微惑星の衝突・合体の繰り返しによって地球は今の形、大きさを作っていった。そして、地球ができた。今から約46億年前のことだ。

誕生したばかりの地球は原始地球と呼ばれ、原始地球が現在のような地球の大きさ、様子になるま約1億年かかったといわれる。

途方もない長い歴史を経て、今も生物が住める、太陽系唯一の地球が、あと何百年かで生き物が住めない星となるかも知れない。人間という生き物は、本当の良いのか、悪いのか判断できない動物なんだ。

何故かというと・・・

自ら命が失われるかもしれない星(地球)、自ら壊そうとしている。

食べ過ぎて病を抱えてていたり、飢えにおびえる子らもい一杯いる。

絶賛の若いスポーツ選手がいて、銃を抱く不安気な少年兵がいる。

惑星の王様、太陽よ、この星の隅々まで照らして、自然を壊す心を戒め、戦争と飢えをなくし、差別する醜い心をさとして、頬をさす清しい冷気の中で、かすかな光に頭を垂れる心を取り戻して下さい。

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2010年3月24日 (水)

無償の愛

Photo_4 八王子鑓水、堂了堂近くの16号バイパスの跨線橋から市内を望む

最近のニュースで若い夫婦が我が子を虐待し死なせる事件が多発している。自分も両親に愛情(無償)を一杯受けて育ててもらったのだ。子供は親の愛情なしでは大人にはなれない。少年・少女の万引きや・窃盗などの事件も多い。

そのような、「親子の絆」が問われる問題も多い。そこで、「次郎物語」の作者の下村湖人の作品に『心窓去来』という随筆がある。その中の「お母さんのかんじょう書き」に次のような一節があるので記してみた。

進くんという少年が、ある日お母さんに書き付けた紙片を机の上に置いて学校に行きました。その中には、
         かんじょう書き

1.市場にお使いに行きちん 10円
1.お母さんのあんまちん 10円
1.お庭のはきちん 10円
1.妹を教会に連れて行きちん 10円
1.婦人会のときのおるすぱんちん 10円
ごうけい  50円
お母さんへ

お母さんはにっこりして、進くんの机の上に50円を置いておきました。進くんは大喜びでその50円を貯金箱の中に入れました。
その翌日、進くんがご飯を食べようとすると、テーブルの上に

進君のお母さんはこれをごらんになってニッコリなさいました。そして、その日の夕食の時には、今朝のかんじょう書きと、50円が、ちゃんと机の上に乗っていました。
 進君は大喜びで、お金を貯金箱に入れました。
 その翌日です。進君がご飯を食べようとすると、テーブルの上に一枚の紙があります。
 開いてみると、それはお母さんのかんじょう書きでした。

       お母さんのかんじょう書き

1.高い熱が出てハシカにかかった時の看病代 ただ
1.学校の本代、ノート代、エンピツ代 みんなただ
1.まいにちのお弁当代  ただ
1.さむい日に着るオーバー代  ただ
1.進君が生まれてから、今日までのおせわ代 みんなただ
ごうけい  ただ
お母さん 進君へ

進くんはこれを見た時、胸がいっぱいになって、大粒の涙がもう少しでこぼれそうになりました。そして、これからは、どんなにお手伝いしても、お金はいらないと思いました。世界でたった一人の大事なお母さん、大好きなお母さんのためには、自分のできることなら、何でもしてあげようと思ったからである。・・・・このような内容である。

きっと進くんは普段からお母さんのお手伝いをよくする親孝行な子供だったに違いない。そして進くんはごく自然に、親孝行の見返りを、お母さんに、お金で求めたのである。お母さんは進くんのその求めに快く応じながら、その上に「見返りを求めない世界」・「お金を越えた世界」のあることを、進くんに教えたのである。

親が子を思う世界。まさにそれが「見返りを求めない世界」であり、「お金を越えた世界」である。この見返りを求めない心が「無償の愛」だ。そして「無償の愛」は相手をいつも自分のことのように見ていくところに生まれる。自分のことのように見ていくということから、「同体の慈悲」とも言うそうだ。

家族の中で、お互いにこの気持ちがあれば、幸せな家庭生活が営まれることだろう。この気持ちが周りの人にも持てるようだと、本当に平和な社会になるものと思う。
 

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相手を尊重することは

Photo_2
................東京工科大学八王子キャンパス外観...........

昨日3/23日に入院しこんなことを考えてみた。

尊重という言葉の表現より、相手を価値ある人として評価することは、動物的な行動をとる行為がある。信頼をを高める、hug(ハグ)・握手などがある。その行動は言葉以上に相手に伝わる尊重と信頼が醸成される。

その「相手の尊重」の基本的動物本能は、「相手のプラス視」があると考えられる。言葉を代えれば、「相手プラス視」の機能が人間には備わっていると考えて良いだろう。
 
さて、この相手のプラス視が形成される基本であるが、人類発達史的に考えれば、それは乳児期の母子との授乳やスキンシップによる、一体感や充足に原点があると考えられる。または、もっとさかのぼれば胎児期の母胎内での充足も含まれるかも知れない。
 
つまり皮膚感覚の快充足である。この皮膚感覚の充足は乳児期だけではなく、子供同士のじゃれ合いや、セックスに至るまで幅広く存在している。また他にも、不安な時人がそばにいるだけで安心感を感じるなど、直接皮膚こそ接していないが、それに類似する感覚は、注意深く考えれば、ごく日常的にみられる。そこには言葉以前の、かつ狭い意味での自己意識を超えた、相手に対するプラス視が存在するからである。
 
このスキンシップの充足を原点とすると思われる、相手プラス視の機能が、人と人が結びつく上での最も根幹部分にあるのではないだろうか。
 
機能を表すという意味では誰かも使っているが、親和・言葉・馴染み合い・融合し合うという意味だ。語感から言っても妥当なのかも知れないと思う。

特に医師・看護師・理容師など、相手の身体に直接触れる職業などは、お互いに、相手を尊重しなければ、成り立たない職業である。世間のあらゆる人が生きていけるのは「相手を尊重」して生きることが出来るのだ。

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一泊し消化器(大腸・胃)の検査を行った

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Tky0811270731005p11 「サザンスカイタワー八王子」高さ158㍍の八王子駅南口再開発ビル

八王子消化器病院に、一泊し消化器(大腸・胃)の検査を行なってきた。当日は9時受付しオリエンテーションを聞き、316号室あんないされた。

それから、2リットルの下剤を1時間半飲んで、空っぽになった。時間は1時30分だった。でも内視鏡室に呼ばれたのは3時を過ぎていた。時間は何時間掛かったのか麻酔で分からなかったが、途中にお腹が痛いので目が覚めた。検査はまだまだ続くようで、痛さに耐えるのが大変辛く、思わず「まだーまだのですかー」と言ってしまった。

ようやっと終ったのだがこんなに痛いのは4・5回行なっているが、初めてと係りの看護師に話したら、「途中で麻酔の量を追加したという」もう死ぬかと思った。何とか終って看護師にポリープがあったのか聞いてみたら、組織を1㍉ぐらいとったという。

そして、病室に戻り、着替えしてしばらく休んだ。水分は、食堂に備えてある。お茶を飲んだ。そして、携帯ラジオで高校野球をベットに横になりながら聞いていた。(花咲徳栄ー嘉手納)だった。(結果は4-0で花咲徳栄が勝った)

夕飯は、五分粥が出しばらく食べていなかったので、美味しく、一気食べてしまったが、物足りない気分だった。夜には、お茶を何杯の飲んだ。「お茶も一時の空腹を満たす」の感じである。明日は「胃」の内視鏡だ。こちらは何回も行なっている経験があるので気強かった。

日中は青空が見えていて、外は暖かそうで散歩でもしたくなる様子であったが、夕飯が終る頃には、窓からみえる夕暮れはどんより曇ってしまっていた。4人部屋は最初は2人だった、挨拶して聞いてみたところ手術をして9日目で明日退院するとのことであった。歯を磨いてベットに横になる。時間は7時半であった。

何時ものようにNHKラジオ深夜便を聞きながら寝てしまった。何度かトイレに行き、朝(24日)5時に起きた。もちろん朝食はなし・・・(胃の内視鏡検査)但し一杯のお茶のみO.Kだった。

東の窓越しに眺めると(八王子市のJR八王子駅南口で、平成22年9月の完成を目指して建設中の高さ158メートル(42階建)の再開発ビルの愛称が「サザンスカイタワー八王子」)小雨降る中に圧倒する威圧感さえする感じで見えた。

退院の支度をし検査室前で麻酔を口に含ませ2分、9時に入室、検査を受ける10分ぐらいだと思う。モニターで見える自分の食道・胃は赤く、なんとしても自分の内臓とは思えない、ポリープを1個取ったが、その様子をしっかり見届けた。

病院を出たのは、9時30分、雨の中徒歩で帰宅10時前には家に着いた。結果の診察は30日になった。

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2010年3月23日 (火)

検査入院

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1231 今日は、毎年恒例の消化器関係(大腸・胃)の検査である。昨年大腸にポリープがあって除去した経緯があり、病院から検査の勧めの通知がったので予約を取ったのである。普通は2年に一度であるが、ポリープがあった場合は1年に一度が安全だという。

一週間前から脳神経外科クリニックからの飲み薬(チクピロン・サワチオン)を中止した。そして昨日から、エマクリン食、そして夜9時セノサイド3錠(下剤)を飲んだ。

それにしても、入院の準備は妻に任せぱなしで何もしないものぐさ者だ。誰もいなかったどうするの?と言われてしまった。反省・・・。

自分の不注意で入院準備して貰ってバックをストーブで穴を開けてしまい使えなくしてしまったまだ一回も使わない新品だった。なんとも情けない、集中力が欠如?

義兄が手術ということで、東京虎の病院に今日入院で、昨日様子を聞きに行ったが、手術となると心配でである。でも、暖かい家族の心のサポートで本人、気丈な感じられた。

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2010年3月22日 (月)

東京で桜開花宣言

19378203v12387141361 今日、東京で桜の開花宣言がなされた。平年では1週間早く、去年より1日遅いという。気温は昨日の暖かさと比べ、北よりの風で寒い。靖国神社にある桜の標本木で気象庁の職員の確認され、発表された。

既に10日、高知市で開花したと発表してから、福岡で14日が咲いた。高知の開花宣言は、平年より13日早く、昨年より6日早い。沖縄や奄美のヒカンザクラを除き列島トップの早咲きで、同庁が昭和28年にソメイヨシノの開花について統計を開始して以降、全国で最も早い記録に並んだ。

東京地方は、今年は雪が8回降ったというが、積雪は最高4センチ(八王子)だった。年々積雪は少なくなっている。子供の頃(1950年)には25センチ~30センチ降ったと記憶にある。

桜の開花時期と、雪の降雪量などから考えて、このことから、確実に地球温暖化は進んでいると思った。

今日は桜の木のある湯殿川の堤防のゴミ拾いをして二袋一杯になった。そろそろ桜見物で賑やかになることもあって、みんな気分良くお花見が出来るように汗をかいた。

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柳生家の家訓

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Shiraito_fujinomiya1 家訓といえば、徳川家・上杉家・柳生家の家訓が有名であるが、今朝は、徳川将軍家の剣術指南役の[柳生家]の家訓を考えてみた。

「小才は、縁に出合って縁に気づかず。」

「中才は、縁に気づいて縁を生かさず。」

「大才は、袖すり合った縁をも生かす。」

普通は「縁」というと特定の人との出会いの不思議さのようなものを意味する言葉と思っていた。しかし、袖すりあう程の出会いであっても、大事にして生かせということだ。

「縁」を自分自身の存在をも含めて考えて「自分自身のどんな小さな可能性をも大事にして磨いて生かし」、「袖すりあうすべての人生に係わる全ての一刹那を大事にして生かし」、弱肉強食の浮世では己の怠惰心や宿敵や社会すらも己を潰しにかかってくるから、それらを振り払えるだけの力量を具える。

そのためには、常に努力をして研鑽を積み、その上でこんどは「襲い掛かってきた相手を決して抹殺しないで己と相手とを共に生かすことに活路を見出すこと」の重要性を説いたものだと思う。

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2010年3月21日 (日)

煩悩と悟り

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今日は彼岸中日である。人間には煩悩がある。煩悩を超越した悟りがる。「煩悩と悟り」を考えてみたい。

花の命は短い、丹精し育てた花であるが、花が咲くまでの時間は、咲いている時間に比べ圧倒的に長い。だから、今咲いている花をいとおしく感じてしまう。永遠の時の流れの中にあって二度と帰らない今の一瞬のこの世界を、いとおしく感じる。そして、自分の心があるからこそ深遠な宇宙を認識する。

煩悩と悟りが、よく対比されるが、煩悩の苦しさがあるからこそ、悟りがあるわけで、煩悩の苦しさが消滅しきった世界には、悟りもありえないと言うことになる。このことは日常生活そのものの中に無数に、煩悩が存在すれば表裏一体の関係であるので、その数と同じ無数の悟りが存在することを意味している。

「おいしいものが食べたい。」それが簡単に実現できれば、苦しみではなく楽しみとなる。それが簡単に実現できない状態に陥れば、その段階からそれをどうしても得たいという執念の苦しみに転落する。

苦しむことが辛くて、そこから逃れたければ、そのものを諦めて未練の気持ちを消滅できればいいことである。このことを悟りと定義すれば言い換えると、悟りとは未練の消滅を意味しすることである。だから、やせ我慢している状態は悟りとは言えない。

おいしいと思っているもが、簡単に手に入らなくなった状態でありながら、おいしくもなんともないから食べたくもなくなった状態に、果たしてなるのだろうか?答えは「いいえ」である。

「愛する人が死んでしまった。」これは悲しいこと。これほど苦しいことはない。でも、これはどうしようもないことである。その苦しみが癒えるには長い長い時間がかかるだろう。なぜ、長い時間がかかって癒されるのだろうか・・・?

その答えは忘れるからである。ドラマの「君の名は」でないが「忘れえずして忘却を誓う心の悲しさよ」というナレーションがあるが名言である。論理的に言えばいつまでも忘れることが、できないようなことに執着すれば、必ず苦しみが離れない。

だから、そういうことに執着しないよう、心がければ執着するという、自分を律して己に勝つことが、仏道を目指す人の大事な修行の一つであると言える・・・?それは始めから諦めるということとは違う次元である。

おいしければおいしいでいい、愛おしければ愛おしいでいい、それを素直にまず受け入れて、苦しんで始めて、何が一番大切なことかが判るまで、「執着を律しなければならない」という気持ちにならなければ本当のものは得られない。のではなかろうか・・・。

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窓うつ風に目を覚ます

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Sira61 夜半の南風が窓うつ風の音で、目を覚ましてしまった。昨日、暖かったので観葉植物の鉢物を外に出してしまったので倒れたと思う、心配だ。NHK深夜便を聞きながら目を閉じていたが眠れない。ニュースで4:05分伊豆地方に暴風警報が出たという。

孟浩然の詩、「春暁」 詩を思い出す。

「春眠暁を覚えず 処処啼鳥を聞く 夜来風雨の声 花落ちること知る多少」

「春は朝が来たのも知らずつい寝過ごしてしまう。あちらこちらで鳥のさえずりが聞こえる。昨日の夜は雨風の音がすごかった。花もいくらか散ってしまったことだろう。」

今年は黄砂が酷い?気象庁は昨日、中国の華北地方で大規模な黄砂が観測されたため、21日にかけて日本でも各地で黄砂が広がる恐れがあると発表した。

気象庁によると、黄砂は、21日には北海道を除く全国で広がる見通し。場所によっては見通しのきく距離が5キロ未満となり、洗濯物や車への砂の付着が目立つこともあるという。

黄砂といえば、ゴビやタクラマカンで巻き上がった土ぼこりが偏西風に乗って朝鮮半島や日本に飛来する黄沙ですが、ジェット気流に乗れば北米まで飛んでいくこともあるそうだ。

ここ数年、特に黄沙の量が増え、中国でも農作物に被害を与えたり、粒状物質の健康への影響など深刻な問題になっている。日本でも2年前から黄沙の量が3倍に増え農作物や健康への被害が心配になってきた。

中国では、精密機器の製造が、急増しているが黄沙の対策で、最新式の空気ろ過装置があっての産業となってきたようだ。カメラなどの精密機械なども、機密性がよくないといつのまにか細かな砂が入り込んで次第に動きが悪くなり壊れてしまうそうだ。

でも花粉も飛んでいるということで、花粉症の人にとってはそっちのほうが重大なのかも知れないが・・・いろんなものが風に乗って運ばれてくる春ということになる。

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2010年3月20日 (土)

糟糠の妻とは

Mutsumefuta21_2 “糟糠の妻”と言えば「糠味噌女房という言葉や「長年連れ添っ た糠味噌臭い女房」「糠味噌を漬けるのが上手な奥さん」のことを思い浮かべる。一見いかにももっともらしいのですが、本当はどんな意味なのでしょうか、改めて調べてみたい。

「糟糠の妻」とは、わが国では、「内助の功」という言葉はよく使われるが、近年女性の社会進出が一般的になるにつれ、この表現は古くなってしまった。

現代のサラリーマンは自分の妻のことをワイフ、女房、かみさんなどと呼んでいることが多い。子供や孫ができれば、ママ、かあさん、ときには、おばあちゃんなどと愛称していることもある。

いずれにしても、女性の社会的地位が上り、むしろ自分が定年を迎え、家でゴロゴロするようになれば、夫人の方が活発になり、面倒を見てもらわねばならなくなる。

「粗大ゴミ」とか「濡れ落葉」などは、旧い亭主の別称として通るが、「定年離婚」という言葉さえ生れて、サラリーを持って帰らぬようになったとたん離婚話がもち上がってくる世相である。

つまり、「糟糖の妻」などの言葉は死語である。夫婦で苦労してきた時代に、妻の方からも「夫は苦労して、自分のことをよく考えてくれた」という思い出がないかぎりその危険性は高いという訳だ。

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大造じいさんとガン

0806011632871 ガン姿 遠山描く 雪絵かな

『ガン』といえば、椋 鳩十の「大造じいさんとガン」小学5年生の教科書にあったというが・・・記憶にない。。。。

内容は・・・
残雪」というガンの統領はとてもりこうで、このガンにひきいられているために、狩人の大造じいさんは、一羽のガンもとれなくなりました。

1年目・・・大造じいさん、ウナギ釣り針のワナをしかける!一羽、ガンがひっかかっている・・・しかし、翌日、残雪は針にかからずに、餌をとる方法を見つけ群れに教える。
大造じいさんの負けだ。

2年目・・・大造じいさん、見通しのきく沼地にタニシをまいて、ガンを餌付け。うまくいったので、狩り小屋をすみっこに作って待つ・・・が、急に立った小屋をあやしいと思った残雪は、群れを別の場所にひきいていく。またまた大造じいさんの負けだ。

3年目・・・実は大造じいさんは、1年目に釣り針にかかったガンを生かして、飼っていた!
そのガンをおとりに、残雪の群れをおびきよせようとする・・・ところが!残雪より先にハヤブサが、じいさんのガンに向かってきた!必死で帰るように呼ぶじいさん!と・・・

そこへ!仲間のガンを助けようと、稲妻のように飛んできたのは残雪!ぶつかる残雪とハヤブサ、地に落ちる両者!・・・じいさんは、深手をおった残雪の気高い様子に心うたれるてしまう。

春がきて、じいさんの手当てで、怪我もいえた残雪は、飛んで行く・・・その姿にむかって、じいさんは、「次の冬も正々堂々と戦おうじゃないか」と呼びかけるのでした。

うう・・・不覚にも?じーんとしてしまいました。おーい、ガンの英雄よ、お前みたいな偉物をおれは卑怯なやり方でやっつけたかぁないぞ・・・。なぁーおい、今年の冬も仲間をつれてまた沼地にやってこいよ・・・。そうして俺たちはまた堂々と戦おうではないか」

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雑木林

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08omitake_buna_aki11 雑木山 うぐいす鳴いて 露ひかる

朝、雑木林を散歩していたら、鶯の鳴く声が聞こえた。どこにいるのか、鳴き声のするほうに目をやって探したが、なかなか姿は見つからない。ナラ・クヌギ・クリ・カエデなどの落葉樹の木の枝先は、少し赤みかかっている。朝日に露が光っていた。

子供の頃、カブトムシやクワガタムシを採取で馴染み深い。人間が作り出した二次林でブナなどの林と違う。雑木林は自然に出来たものではない。昔の人々が長い長い時間をかけて育ててきたものだ。

昔は、雑木林は農業を営む人々の生活に欠かせない「燃料生産現場」だった。成長が早いクヌギやコナラは薪や炭に最適で、落ち葉は農作物の肥料である堆肥の原料として不可欠なものだった。山きり・くずはきなど手伝わされ、家の庭で薪割りをして燃料にしたのである。

そういえば、どこの農家でも、自分の雑木山を持っていて、冬の農閑期に山に入り、山仕事をした。炭焼きなど行なった記憶がある。そして薪を割ると、時々虫(鉄砲虫といっていた)の幼虫(くわがた虫?)がいて、焼いて食べた。

雑木林という言葉が出てきたのは明治時代になってからと言われている。明治時代の文豪、国木田独歩の「武蔵野」や徳富蘆花らによって、雑木林の美しさが人々の心に広まっていったと思われる。

武蔵野は、中世から江戸時代の初めまでは一面のススキ原であった。江戸に幕府が開かれ、人口が増えてきて薪や炭などの燃料が大量に必要となった。そこで、ススキ原を刈ったり焼いたりしてクヌギやコナラを植えていったのである。暖房がない当時はクヌギやコナラの薪や炭は生活必需品だった。

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2010年3月19日 (金)

彼岸と墓参り

Hiroshima101 襟足に 風も冷たき 初彼岸

今日は、北風が強く吹き、特に夕方は寒くコートの裾を揺るがし、マフラーなしで出かけて、襟首が冷たかった。

兄49日法要が済んで間もない今日、墓参りと、彼岸について考えて見た。
春彼岸・秋彼岸には、墓参に出かけるが、その意義や由来は、春分の日・秋分の日がある。この日は 宇宙の原理で「昼と夜の時間が同じ」である。この「同じ・バランスよい・かたよらない・平等」という事が仏教的には大事なことの一つである。

昼と夜の時間が同じであることは、 太陽が南にも北にもかたよらず、真東から昇り 真西に沈む。「太陽が真西に沈む」 ことが先祖の霊が祭られている。墓にお参りすることと関係があるのだという。
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「観無量寿経」 というお経があり、その解説書を見ると「春と秋の二回 太陽が真東から昇る日があり その真西に没した遥か彼方に、阿弥陀如来の住む、極楽浄土あり」と書かれていることに由来する。この日を中日とし、前後3日を加えた1週間を「 お彼岸 」 と定めたという。
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朝早く、海や山々など地平線から美しい太陽が昇る、その時古来より人は「よし !今日も一日元気で頑張るぞ !」と決心したものだ。そして知らず知らずに「手を合わせたくなる」のが自然ではないだろうか・・・。
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一日、懸命に働いて夕方には沈みゆく夕日を見てホッと一息「今日も一日無事に生かせていただいた、感謝の気持が起きる」そして西に向かって自然と手が合わせる。この素直な人間本来の心の営みが「 お日様を拝む心」と「西方浄土」が重なって現在まで続いている。
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彼岸は字の如く「かなたの岸」で、こちらの岸は「此岸(シガン」というそうだ。向うとこちらですから間に川のようなものがある。これが「三途の川」と考えると、彼の岸は極楽で、此の岸は煩悩の業火が燃える苦の世界ということだ。

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何が人の心を豊かにするのか

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Sira71 何が人の心を豊かにするのかを考えると、それは案外身近に、場合によっては自分の心の中にあるものなのだ、中国の老子の教えに、「足るを知る者は富む=満足することを知っている者が本当に豊かな人間」である。

出産、進学、結婚のような家族のおめでたや、出世し金持になる、マイホームが手に入るなどは、それぞれ慶事である。そしてこれらのことが順調に訪れて来ることが、すなわち人生を豊かにする基本である。

本来の職業や家庭生活以外の趣味の世界を豊かにする、しかし、現実的には職業の上で成功し、家庭が幸福であるということが、人生を豊かにする基本である。もちろんこの他に幅広い趣味の世界に生きていくことが出来れば、それに越したことはないが、前提条件がしっかりしていないと、余裕をもって幅広い活動はできない。

さて、格言どおり、「善行を積んでいる家に幸運が訪れてくる」ものでしょうか。私共の生活している現実の世界で善行を行うとすれば…
1)災難を蒙った人びとを助ける。2)貧困の人に財政の援助をする。3)老人に優しい言葉をかけたり、弱者に良いアドバイスをする。4)仕事の上で、人知れず隠された形で支援する。
などがある。

「陰徳あれば陽報あり」という諺があるが、これも隠れて善行を重ねていれば、よい報いがあるということだ。そして心の豊かな人間と結びつく。

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2010年3月18日 (木)

人生の処世術とは

15401 今の世は、情報がグローバル化し、変化は激しい。刻々と変わる世の中、多種多様な情報を選別し、個人の必要で正しい情報を得ようとすることは、益々難しくなったといえる。過去の栄光、過去の成功体験なども、将来をも保証する時代ではない。

その時その時が真剣勝負だ。過去の栄光にあぐらをかいたり、実力の誤認でうぬぼれる事なく、常に謙虚に、誠意を持って明日に向って日々努力し、真剣に取り組む事だ。

「今日は昨日の次の日で、今日は明日の前の日」

今日という日は、昨日の次の日であり、今突然ここに現われたものではない。昨日までの諸々の結果として今日この日がある。今ここにある自分の姿も、昨日まで自分が生きて来た結果である。

今を悲しんだり、喜んだりしても仕方がない。今があるのは過去ありその結果である。過去は直せない。だからと言って嘆き悲んだり、喜んだり、あきらめる事ではない。私達には明日がある。明日という日は今日の次の日。明日の自分は、過去の栄光や失敗では無く、今日これからの、自分の行動の結果として決まる。

今日と云う日を精一杯悔いのない生き方をすれば、次の日のその結果が今日である。毎日が激動の世の中である。毎日が一生の心構えで、一日を大事に過ごし明日に繋げることが大切なのだ。

しかし、糸を張りつめた凧は切れる確立が高いと言われるように、人間も緊張してばかりでは、疲れてしまい、正常な生活は続かない。心にゆとりと落ち着きが大事で、物事に判断ができ対処することで、明日に引継ぎが余裕が出来る。

人生の処世術は難しい。

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東芝が白熱電球の製造を中止

539571 東芝が白熱電球の製造を中止した。

人間は、想像し工夫をして、常に生活向上を目指している。その方向を間違っている事に気がついた。環境破壊・人の心まで損ね、地球の危機が叫ばれ、地球温暖化は深刻なまでになってきている。

昨年の12月デンマークのコペンハーゲンで、国連気候変動枠組み条約の締約国会議(COP15)温室効果ガスを2020年までに1990年比25%削減するという、日本の中期目標を発表した。その趣旨に賛同した東芝の決断したのである。

エジソンが電球を発明したのが1879年、東芝の白熱事業は、前身となる「白熱舎」の設立時に、創業者の一人、藤岡市助氏が開始し、現在までに累計で40億7千万個が生産されたという。

東芝ライテックの前身である「白熱舎」を創設した藤岡市助博士が、日本で初めての電球を開発した。(私も東芝の従業員当時に、横須賀に工場に何回か工場を見学したことがある。)

今後、省エネ性能の高い発光ダイオード(LED)電球に生産を切り替える。東芝の白熱電球は明治23年に日本で初めて実用化されたもので、120年にわたる長い歴史に幕が閉じられた。

佐々木則夫社長は同日開いた中止式典で「日本初の電球を作った東芝だからこそ、どこよりも早く製造中止を決断した」と述べ、LED電球の普及を加速させる考えを示した。

90年比25%は、05年比で約30%。そのうち技術的に考えられる全施策をやって20%はいける。コストは1950億円、1トン当たり14万円だそうだ。インセンティブも含めて、日本の全企業が意識を共有して取り組めるよう政府がどう支援、調整するかが、25%実現のカギになるということだ。

 

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頑張るという言葉

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24351 頑張るという言葉をこんなにも良く使う国民はあるだろうか・・・

戦後、日本国民は、歯を食いしばり、懸命に努力してきた力強い頑張りは素晴らしい誇りである。

「頑張る」は、「我に張る」から転じたもので「我意を張り通す」「精一杯努力する」といった意味で使われ、通常の状態を超えている「過剰」を含んでいるという。

頑張っても頑張ってもうまくいかない世の中、それでも「頑張って」に背中を押されている現代人・・・

頑張っている人だけが輝いていると思ってはいないだろうか?頑張れなくても、頑張りたくない時も、どんな人もみんな輝いていると思うのである。

だから、みんな人それぞれで、その儘でいいんだ・・・、ちょっと立ち止まった時に、出会える世界があるのだから・・・

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2010年3月17日 (水)

木蓮とたけのこ

003_201003151_2 木蓮や 青空に置く 白さかな

今日は昨日と変わって北風が強く、寒い一日となった。山あいの家の庭先に木蓮が白い小鳥の群れが、とまっているように見えた。近くで見ると花のつぼみが高さを競うように青空を指差しているようであった。

蓮が咲き出すと、桜・桃と一斉に咲き出し春爛漫となる。そして野鳥・昆虫などが活発に行動するようになって、春の本番となる。

最近は、竹林も開発が進んで少なくなった。スパーにいくと旬の野菜が分からなくなってしまうほど一年中置いてあるのだが、九州産の竹の子が売っていた。竹の子は旬である。東京地方で竹の子が掘れるのは四月になってからだ。800pxbamboo_sprout21 竹の子と 会話する間も 伸びて行き

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ものづくりとその道

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20080120990742131 「この道一筋」「その道の達人」などと日本人は「道」という言葉をよく使う。

道といえば「ものづくり」にも通ずる。昔から、日本の製造業とその歴史を表す言葉である。近年、マスメディア・企業の間でさかんに使われるようになった。

現在の日本の製造業の繁栄は、日本の伝統文化、固有文化に源を発するという歴史である。「ものつくり」とも言う。「その道」と表現することもある。また、生産や製造を意味する言葉として盛んに使われている。

「ものづくり」は我が国の国際競争力の源泉であり、国民的に「ものづくり」を盛り上げ、ものづくり」に携わる方々が誇りを持って仕事に取り組むことができる社会、次代を担う若者や子供達が尊敬や憧れを抱いて、将来の仕事として「ものづくり」に関心を持てるような日本伝統文化を継承し後世に引継ぎいかねばならない。

物事は確実に一歩ずつ進むことによって達成できる、基本を忘れて先を急いでは駄目。上手に作ろうと思えば、最初から旨くいくことは少ない。「失敗は成功のもと」 一つや二つの失敗を恐れないで、継続することである。その道を成就するまでの人生にはいろんなことが起る。どう乗り越え一段上のものづくりが出来るか、そして成就し更にもう一段とその道を極める努力は一生続くのである。

最近日本の技術水準が韓国・中国などの東南アジア諸国に猛追され、ハイテク機器など追い越されている分野もあるそうだ。日本固有風土と、資源の乏しい島国で、原材料を輸入しし、付加価値をつけて輸出するという歴史がある。

その誇りある伝統を今後も、力を入れて行くべきことで、日本が世界で生き残れる。そして、「その道」に秀でた職人を育てることが重要となってきた。

 

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2010年3月16日 (火)

休耕田に芹摘みをする

Top_image1 休耕田 春風吹かれ 芹を摘む

今日は、暖かい一日で、20度ぐらいに東京地方はなったと思う、近くの休耕田に芹が生えているかどうかと思って行って見たら、結構生えていた。そして約一時間芹摘みをしてきた。

今から50年前には私の家の近くには田んぼがあって、農家であった私のの家では、そろそろ田畑の手入れで忙しくなる時期になる頃である。

山あいにある休耕田に行き、芹を摘みをした。雑木山の木の葉が田んぼに落ちて芹はしっかり大きく育っていた。木の葉に包まれて寒さをしのいたのだ。

田んぼの畦の水溜りに、卵から孵ったばかりのおたまじゃくしが元気に尾を振って泳いでいた。おたまじゃくしの親の蛙の種類は分からないが、元気に育って欲しいとおもった。そう言えば、30年ぐらい前には夏になると我が家でも夜になる蛙の鳴き声で、うるさいほど鳴いていたが・・・。

そして、田んぼに水を引く頃になると、ふな・どじょう・えびなどの魚がたくさんいて、子供たち仲間で捕った思い出がある。春本番?となった今日芹を摘んで、昔の思い出した。

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鳩山政権半年たった

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Kamejima41 鳩山政権が半年たった。いろいろなメデアの支持率調査で、就任直後は70パーセントはあったものが支持率は30パーセント台となってしまった。言葉が軽い・政策は迷走続き・政治とカネの問題に真剣さがない・首相に実行力がない・などというものだろう。

支持率続落の要因は、はっきりしている。政治が変わると期待したのに、余り変わっていないと感じ取る有権者が多いということだ。  

有権者は政権交代を起こしたこと自体を後悔しているわけではないという事実である。同じ世論調査で、政権交代が起きたことを「よかった」と答えた人が7割近くもいたという。 この事実の意味は実はとても大きいと思う。

長期自民党政権から、多くの歪がでていて、有権者のとった判断は正しいことだと思う。なぜなら、自民党の支持率も上がっていない。まして旧態依然として、自民党も変化がない。谷垣自民党執行部に、異論が出ていることで党内引き締めの守りに終始しているようでは、有権者も戸惑うばかりである。

「党の運営方針、考え方の違う人間が執行部にいるのはおかしい」と不満を表明者が続出。今後は「新党も考えている」との意向も示したという。

鳩山邦夫元総務大臣の離党・枡添元厚生労働大臣・与謝野元財務大臣・園田元副幹事長などの動きを収束させることは難しくなったようだ。

鳩山由紀夫民主党は、統治の仕組みを官主導から「政治主導」に切り替えることなどであり、「お上にお任せ」の政治文化の一掃であった。 無駄な予算をあぶり出す事業仕分けや、日米密約の検証などは政権交代の成果があった。

まだ足りない点は多いし、混乱も続くが、統治構造の変革という壮大な野望が簡単にかなうはずはない。時間をかけても、官僚の力や民間の知恵を政治主導に取り込んでいくことだ。

同時にこの試みは、私たち有権者にも相応の覚悟を求めるものである。そのことは有権者の党の支持率が示している。「誰が政治をやっても同じ」ではなく、国民が参加し、日本を良くしていくという考えは無くしたくないものだ。

 

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2010年3月15日 (月)

仏教に宗派があるのはなぜ・・・

05detohama11 最近、仏事が多いが、これも巡り合わせで仕方がないことだ。葬式や法事にお坊さんに、お経をあげてもらうのだが、どうもお経の内容が分からない、宗教・宗派があるのが理解できない。

火葬場で、お坊さん最後のお別れのお経をあげもらっていたら、隣の葬儀に神主さんいて、お祓い?をしていた光景がどうしても理解できない。

仏教・キリスト教・イスラム教・ヒンズー教などが世界中で主に信仰されているが、日本人は仏教を信仰している人が8割という。その仏教にも宗派が沢山あって同じ宗派でも、お弟子さんによって違った派がある。

元はお釈迦の教えで、同じ仏教なのにこんなに宗派が出来てしまったのか? ネットでこんな説明がなされていたので記してみた。

同じ仏教でも宗派がいろいろできてしまったのは、簡単に言えば、仏教のどこにポイントを置くか・・・。仏教の究極の目的は、仏になること・・・。「成仏=死ぬ」ではなく、生きた状態で煩悩から逃れること・・・。その仏になるための方法が、多種多様だということだ。

「方便」という言葉を日常よく使うが、もともとの意味は仏教用語で、「衆生を教え導く巧みな手段」という意味・・・。衆生にも、いろいろあって、その人、その人に合わせて、いろいろな教え導く“方便”を用いてきた結果が、宗派というものになった。

何がどう違うのですか?の答え・・・
例えば、禅宗(臨済宗や曹洞宗、黄檗宗)では、坐禅をすることで煩悩から逃れようとする
真言宗は密教という秘密教え(=真言という呪文を唱えること)によって、仏と一体化することを目指す・・・。
日蓮宗は「南無妙法蓮華経」というお題目によって、また浄土真宗は「南無阿弥陀仏」というお念仏によって救われると説いている

またの解釈で・・・富士山の頂上に立つのに、西側から登ろうと、東側から登ろうと、また歩いて登ろうと、途中までバスで行こうと、ヘリコプターに乗って頂上で降ろしてもらうおうと、“頂上に立つ“という目的が達成されればよいのであって、宗派というのは、その登り方、プロセスの違いにすぎない」

という説明であった不勉強で、何も分からないらいが、「真理は一つ」である。「信じれば通ず」、人間は精神的に弱い生物である。信ずることで心を癒され、心豊かな生活を送り、人生をサポートできれば幸せだ・・・。

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春だ!

191104011 枝先に 露含ませて 春の雨

三寒四温・春に三日の晴れ間なし・春の日長・春眠暁を覚えず・などと言われれる頃となった。昨日の東京地方は晴れて暖かい一日であった。しかし、もう天気は下り坂で夕方雨と言う。

まぁー一雨ごとの暖かくなると言うことでいいことだと思う。「春耕」の時期になった。農家の方は忙しくなる。田んぼの畦道に芹やのびるが大きくなった。春の野草は、香りが強く、人によっては嫌いな人がいるようだが、私は好きだ。蕗の苦味は、なんともいえない美味しさである。

学校が春休みが始まる。孫達の元気な様子が目に浮ぶが、就活運動を余儀なくされている大学生をニュースを見るたびに、心が曇ってしまう。景気回復を期待したが・・・。

そして桜の開花情報がニュースで流れる。東京地方は23日とか、私は一泊入院し、大腸・胃の内視鏡検査を予定している。これも本格的な春を迎える恒例の行事だ。

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生命復活の大変さ

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Gray1 野生生物の国際取引に関するワシントン条約の締約国会議が13日、カタール・ドーハで始まった。大西洋と地中海のクロマグロが大きな問題だが、シー・シェパード(SS)の問題で世界に鯨の保護をアピールしている。そして、南極海で調査捕鯨船の艦船侵入容疑で逮捕した。

世界で絶滅危惧種とされている生物を保護することは人間として当然なことであるが、各国の思惑・国益と絡んで取り決めは必要であり規制は当然だ。そんな最近のNHKのニュースでコククジラに関する報道があった。

5年前に石巻沖の定置網に掛かかった「コククジラ」の全身の骨の状態を再現した標本が初めて完成した。頭の骨にほかの鯨には見られない突起があることがわかり、専門家は、海底の泥をすくって餌を食べるという特殊な習性に関係している。

体長およそ13メートルの雌で、東京海洋大学の研究グループが全身の骨格の標本を完成させたという。

「コククジラ」の体色は灰色で頭部や鰭には無数のフジツボやクジラジラミがついた独特の姿である。分布は北半球だが、北大西洋の個体群は17~18世紀に絶滅し、現在は北太平洋にベーリング海からメキシコまでの海域を移動するアメリカ系個体群とオホーツク海から南シナ海を移動するアジア系個体群があるという。また、1946年に捕獲禁止となってから手厚い保護政策によって劇的に回復したとのことだ。

新潟県トキ保護センターで9羽のトキが野生の「テン」で死んだ。人間の欲望で貴重な生物が絶滅されそうになっている。復活更生させることは、死滅させるよりも大変である。そして環境破壊ににより身近な山・川にいた動植物がどんどん姿が消えてゆく、人間の一人ひとり考えるべき問題である。

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2010年3月14日 (日)

山野草に心がひかれる

Ooinu_01 田舎育ちの私は、山野草に心がひかれる。特に暖かい春を心待ちにしているのは人間だけではない。野山に根を張る植物達も同じなんだ。故郷の野山に、他の草花より一足先に咲き出す、イヌフグリ(オオフグリというそうだ)の青い可憐な花が見られる。むかし、百姓の親父が言っていた「ちょこ花」はどこにでも生える草だ。そういえばお酒を飲む「ちょこ」に花の形が似ている。

イヌフグリの小さな花は正直、取り立てて 綺麗な訳ではないが、それでも心ひかれるのは春の花では珍しい 青という色からかもしれない。つましい小さな花であるが、来る華やかな 季節の先触れとして愛されている花だろう。

Shunran31_2 春蘭のことを「爺婆」と言っていた。50年も前のことであるが・・・。お袋と近くの山に行き、採ってきて庭に植えた春蘭も今年も、芽が出てきたようだ。花は地味で、我が家に鉢植えがある、シンビジューム・君子蘭などように派手さはない。しかし、じっと厳しい冬を耐えてきて、暖かさで目を覚ましたようで、見ていると元気が出るような気がする。

 

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本格的春がやってきた

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0008tyokai1 昨日散歩して、毎年芹を摘みに行っている休耕田をのぞいてみた。枯れ草の中に青い芹の葉が確認できた。春の香り一杯に含んでいるようだ。春の香りというと、他に蕗・たらの芽がある。そんな春の食物を食べると、なんだか元気がでるようだ。

弥生の三月である。「弥生」とは冬の間、寒さに耐えていた植物が、春になって一斉に動き出す様は印象的なものだ。自然が少なくなったといわれることの多い昨今ですが、都会の真ん中であっても気をつけてみれば、草木弥生月の姿を見つけることが出来る。

我が家の庭木の、三つ葉つつじ・紫陽花の枝先に緑の芽が膨らんできたのがわかる。先だっての雪も振るい落として昨日の20度近くになった暖かさで、一段と青さを増してきたよに見える。そして、いよいよ桜の開花がもう直ぐである。

潮干狩りの季節でもある。テレビで、富津海岸で潮干狩りが13日から始まった。ご家族で膝までズボンを捲り上げて、袋一杯にアサリをとって、Vサインをしている元気な小学生の男の子が写った。漁師が前の日にアサリを撒いたのだそうだ。千葉の潮干狩りは、何箇所もあるが20オープンが殆んどのようである。

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2010年3月13日 (土)

鯨・マグロは駄目だが牛は食べろとは・・・

282_field111 今日のニュースで南極海で調査捕鯨船の艦船侵入容疑で逮捕した「アディ・ギル」号船長でニュージーランド人のピーター・ベスーン容疑者(44)立ち会いの下、実況見分を始めたという。

そして、野生生物の保護を図るワシントン条約の締約国会議は、カタールのドーハで、13日から25日までの13日間の日程で開かれ、絶滅の危機にひんしているとして、大西洋と地中海のクロマグロの国際取引を全面的に禁止するよう求めるモナコの提案が主な議題となるという。

この提案に対して、日本は、「適正に資源を管理すれば絶滅のおそれはない」として強く反対しており、農林水産省の幹部らを各国に派遣するなどして、提案に反対するよう働きかけている。また、アメリカは大西洋と地中海マグロ全面禁止に賛成したのである。

そして、こんなニュースも、ブッシュ元大統領時代に農務長官を務めたこともあるジョハンズ上院議員らが、日本に対し、アメリカ産牛肉の輸入制限の撤廃を求める共同決議案を議会に提出し、この問題をめぐって、今後、再び日米間で緊張が高まる事態も予想されるところだ・・・。

私は「牛も食べるのに、なぜクジラを食べてはいけないのだろうか」。クジラが増えてきているのはどの資料を見ても明らかである。牛も食べるのだから、なぜクジラを食べてはいけないのか、欧米の人に質問したい。また、日本人の見方は様々だが、イルカ猟の映画も大きな話題となっているようだ。

個体数が減っている種類の鯨は捕鯨禁止にして良いと思うが、増えすぎている種類の鯨は、ある程度捕鯨しないと食物連鎖ピラミッドが崩れて魚がさらに激減してしまう。という人もいる。

捕鯨反対と言っている人達はクジラは知能を持った哺乳動物であり、牛や馬のように家畜と違い野生で生きる哺乳動物を捕獲し食べると言う事は「野蛮」で「残酷」だからと、頑なに思い込んでいるのだと思う。要は、彼らの主張としては「哺乳動物」「比較的高い知能」「野生動物」「絶滅の危惧があるから」と言う事になるのかな・・・。

いかなる生物でも、弱肉強食が生存の条件であることは間違いない。

 

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日本の財政再建を急がないと・・・

15401  最近のニュースで、日本の信頼度が落ち込み元気が出ない、懸案要因は・・・。

① 日本の98ヶ所もある空港である空港の問題。一昨日開港した茨城空港は、開港する前から赤字になることは分かっていたという。離島なら仕方がないが、今後のつけは国民である・・・。

② 世界のブランドのトヨタ自動車のリコール問題。豊田章男社長以下重役が必死の信用回復策を講じているが、果たしてうまく乗りきれるだろうか・・・。

③ 鳩山政権に関する「政治とお金」の問題。依然として、野党(自民党)の説明の追求でもはっきり納得いく説明がされていない。しかし、この問題は国会議員全てであり、超党派で法律を見直しすることが大事だと思うが・・・。

④ 事業仕分けの問題。4月中旬までに2回の会議を開き、仕分けの対象となる事業や民間の評価者を決める方針。また、公開の場で税金の無駄を洗い出す事業仕分けの手法を取り入れ、各府省が2009年度の事業について検証する「行政事業レビュー」を4月から試行的に実施することも決めたが・・・。

各府省は4月上旬までに具体的な行動計画を作成し、刷新会議に報告する。ということだが、官僚の抵抗は厳しいものがあると予想されるが、その成果が心配である。

800兆借金の日本、先行き不安や国際的な信認低下が加速、国内資産が円や日本国債など日本の様々な金融商品の価値が急激に減少し海外の商品に乗り換えざるを得なくなる。

現在の政治や経済システムに対する国民の不安が増大し、預貯金が大量に引き出され、銀行など金融機関の破綻が続出、国債購入の資金を失うという想定する議論が起きている。

ギリシャの財政危機をみて「日本も財政再建を急がないと大変だ」という議論が多い。鳩山由紀夫政権が財政破綻を回避したいなら、まず「国家公務員総人件費の二割削減」という公約を実現しなければならない。

霞が関官僚が自分たちの天下り利権を懸命に維持しながら、財政の現状を憂うのは自己矛盾だ。天下りをなくし人件費を削減できれば、増税の可能性が高まって危機は遠のく。ギリシャ危機の教訓を生かした政策を実現させて欲しい・・・。

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慣れと常識

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05sikotuko31 子どもを育てている親は、少しでも社会に貢献できる大人を目指して、例え貢献できなくても生活が安定して、社会から非難されない大人を目指して子育てをしている。

政府も法律を作り、多くの予算を投じて、優れた子どもが育つような環境作りをしている。大人が描く子どもの姿とは異なる子どもへの対策も、不十分で、子育てに負担を国が応援する事を考えて鳩山政権の目玉政策の一つとなっている。

大人の経験は、その時代によって違ってきて、経験は常識となる。その常識が問題で、現代の移り変わりの早い。昔は10年一昔と言っていたのが、現在は2.3年の速さ?かもしれない。

「今はそんなのは古い!」と一蹴されて、笑われてしまうことがある。しかし、躾・教育の基本的理念は揺るがしてはいけない。常識は常に変化しているので、生活の馴れでは通用しないといことである。

子供が悪ふざけをしている。そのことが悪いことか良いことか判断できない大人が多くなったということだ。家庭生活の躾・教育する親が、経験された時代の誤差で、判断基準が異なった結果で答えに迷いがあるのだろう。

最近皇室の愛子さまの学校登校の問題が話題になっているが、学級崩壊が低学年から起きているという。この問題は、単に学校教育者関係だけの問題ではない。日本国民の一人ひとりの問題である。大いに議論するべきことである。

1960年ぐらいまでは、“世話焼き”、爺さん・婆さんが、子供たちや悪ふざけを、注意したり、落ち込んでしまった大人たち、励ましたりしていた姿を見ることができたが、現在は見てみぬ振りをするのが“常識”?になったしまったことが悲しい。

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2010年3月12日 (金)

環境浄化は一人一人が・・・

19378203v12387141361 今日は、朝から快晴で、空は一点の雲がない青空である。一方桜のつぼみも膨らんできて、東京地方の開花予想は21日頃という。

私の家の川向こうの公園には、桜見物で毎年大勢の人でにぎわうところだ。その公園に、飲みかけのジュースの缶、ペットボトル・パンのビニール袋などが散乱、道路は、タバコの吸殻で汚されていた。公園には近くの幼稚園の子供たちが、先生に付き添われて、飛び回って遊んでいた。

幼稚園の子供たちは、公園は、飲んだり食べてりして、そのままでいいんだと思わせてしまったら一体、ゴミを片付けは誰がするのか?公園はゴミを捨ててもいいんだ。片付けは市の人がするんだと、思い込んでしまうといたら恐ろしいことになる。

「今の若い者は・・・」と嘆く声を聞くが、その大人が平気でゴミを捨てていく、これでは子供に注意すら出来ない。私が何時も思うことは、ゴミを捨てる人より、拾う人が多い世の中にすれば、環境破壊はなくなると思う。

今起こっている世の中の根源は、それは政治、経済、医療、教育、健康、環境・・・全てがおかしくなっていることにつながっている。解決策はそれぞれに対するテクニックではない。全てに共通するのは我々の“生き方”を少しずつ人間本来の姿に行動で示すことだ。

だから、単純な発想だが、一人でも二人でもゴミ拾いを勇気を持って参加してもらいたいのだ・・・。

そして・・・朝明るくなった起きて夜暗くなた寝る。所詮人間は動物なのである動物本来の生き方を考えて必要なものを必要なだけを確保し、自然の中での暮らしに帰趨することだ。

もうこれ以上の経済発展が本当に必要だろうか?これ以上、環境破壊は本気で食い止めなければ・・・、経済発展させても人が住めない地球にしてはお終いだ。

みんなその気になって世の中を変えていかなければ地球には住めなくなってしまう。今日は、そんな気になってゴミ拾いをした。

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春の雪

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Pict3228b1 暖かき 雪に埋れる 福寿草

庭の片隅に今年も、黄色い福寿草の花が咲いた。何にもない無色の庭に黄色い花を見つけて、ホッとして、忘れていた福寿草の存在を思い出させてくれた。勿論青い葉はまだである。高さが4・5センチあろうかと思う花びらは、冷たい風に揺れていた。まだ虫達は活動していないが・・・・。

一昨日、雪が降った。積雪は5センチあろうかと思う、福寿草は思わぬ春の雪に包まれて、何故か暖かそうにして雪を被っていた。昨日は、晴天になり、すっかり雪は消えてしまった。

水仙の花芽が膨らんできた水仙は葉と一緒に花のつぼみが伸びてくる。葉が先になる植物と、葉が咲きに伸びる植物がある。その理由はあるのだろうが・・・。

金鳳花(きんぽうげ)科。・学名  Adonis amurensis Adonis    : フクジュソウ属  amurensis : アムール川流域の(黒竜河:中国北東部)Adonis(アドニス)は、ギリシャ神話に登場する、イノシシの牙に 突かれて死んだ青年の名前に由来。傷から出た血のように赤い花にたとえた。 (欧州産の本属のものは黄色ではなく 赤い花だそうです)。   

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2010年3月11日 (木)

佐渡トキが襲われる

0912311 新潟県の佐渡トキ保護センターで飼育されていた9羽のトキが、小動物に襲われ死んだ。監視カメラの映像を分析した結果、トキを襲ったとみられる小動物が、そのあともケージ内にいるとみられることがわかり、環境省はわなを仕掛けて捕獲することになったという。

被害に遭ったトキは、この秋の放鳥に向けて屋外の飼育ケージで自然に慣れる訓練をしていた11羽の内9羽だそうだ。襲った小動物はイタチ科のテンとみられるという。襲撃後もケージ内にいるとみられることが分かったそうだ。

トキがテンとみられる小動物に襲われたとみて、動物が侵入できるような透き間や穴がないか、侵入経路の解明を進めているという。

テレビで、環境省の職員が、新潟県佐渡トキセンター責任を認め、謝罪したことは、私は潔く受け止められた。確かに想定外の小動物であったことであり仕方がなかったのだと思う。

起きてしまったことを悔やんでも仕方がない。今後もケージに移し訓練させなければ自然に放すことが出来ないのであるならば、監視・小動物進入などの対策を強化して万全を尽くしてもらい。

一羽の値段がどの程度掛かったものか分からないが、絶滅危惧種を保護・更生させることは人間の使命だと思う。環境省の対策と今後の取り組み期待したい。そして、これからも地域の方を始め多くの国民に理解し、環境先進国として世界に注目される日本になるように願っている。

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茨城空港開設のこと

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Jaz41 今日98番目となる茨城空港が開港される。朝から報道陣や地元の人たちで、賑やかにセレモニーが予定されテレビでも放送されていた。

しかし、今のところ定期便は韓国のASIANA航空が一日1便という。200億円の費用をかけ、首都圏までのアクセスが2時間という不便さ、羽田・成田と既にある空港と競合するという狙いは、観光と韓国の方のゴルフ好きだそうだが、一体採算は取れるのか、専門家達の懸念が多い。近くにホテルがない、専用道路も未完成ということもあって、非常に問題が多いといと思うには、素人の私だけではないだろう。

橋本知事はこれから、航空会社に定期利用ををPRして行くそうだが、果たしてどうだろうか、採算ベースどころか、利用客の予想通りの数は、はなはだ疑問である。

一昨日国交省で98の航空の需要予測と実績が公表された。今日の東京新聞社説でも、『赤字空港続出 甘い需要予測のツケ』という見出しで指摘されていた。

羽田や中部など拠点空港を含む全国の空港の約九割が、当初の需要予測を下回る利用実績だったことが明らかになった。政府の空港政策と公共事業のあり方が根本から問われている。

国土交通省が発表した2008年度の国内線利用実績によると、全国98空港のうち需要予測を上回ったのは羽田、名古屋、熊本、那覇など8空港だけ。予測と実績が明確に比較できる72空港では3分の1以上が予測値の半分以下だった。

同省の別の調査では国が管理する26空港のうち22空港が営業赤字に陥っている。地方自治体管理の空港でも大半が赤字とされており、今回の調査は苦境ぶりを裏付けた格好だ。

こうした折、国内最後の新設空港となる茨城空港が今日開港する。羽田、成田に続く首都圏3番目の空港だが先行きは厳しい。都心から直結する鉄道も高速道路もない。定期便は韓国アシアナ航空のソウル便の1日1往復のみ。来月中旬からスカイマークが神戸便を運航するが、開港時に国内線ゼロはほとんど例がない。

同空港の当初の需要予測は年間約81万人である。航空自衛隊との共用で空港本体の維持・管理は国が行う。だがターミナルビルの運営は茨城県が実質的に担当する。早くも年間で2千万円程度の赤字が予想されている。こんな赤字空港が続出している理由は需要予測が甘いためだ。

政権交代で需要予測の実態が浮き彫りになった。国交省は今後、空港政策の重点を安全性向上や耐震化などに移すという。その方向はいいが、全国の空港の集約化も重要だ。離島路線などを除き、将来も需要が望めない空港は廃止すべきだろう。

また空港整備を含めた公共事業全体をもっと効率化する。ダムや高速道路と同様、無駄な投資にならないよう整備途中でも需要予測を再点検してもらいたい。(一部省略)

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2010年3月10日 (水)

ご近所の出来事から

1231 4・5年前まで、地域でのコミニケーションは取れていたと思うが、除草・花植え・地域の方で共同作業、お花見・盆踊りなどと、結構皆さんと会って話し合う機会が多かったが、最近は、高齢化ということの理由で、催しものがない。盆踊りがあっても、前の公園で桜が咲いても誘い合って見に行くことも面倒のようになってしまった。

一昨日、近所に救急車があるお宅に来た。二日前にゲートボール元気にしていた旦那さんが・・・、一体どうしたんだろうと、救急車が出て行く姿を見送るのみで、ごく近所の方も分からない。そのお宅は、離婚して旦那さんと40代後半の独り者、息子さんと二人暮しで、息子さんは普段から殆んど近所の方と接触がない。従って旦那さんの様子を聞くことも出来ない。

近所の方に聞いたら半数のお宅が顔を合わせても、挨拶ぐらいで、世間話もしない、毎日家に閉じこもっている状態である。勿論子供の姿もない。26世帯中、平均年齢70歳を超えている状態である。

核家族化で、老夫婦世帯となり、近い将来は、老老介護・独り世帯など問題が起きることが予想され、自分も含めて不安である。その上、近くのスーパーがなくなり、頼みのコンビにすら閉店になってしまった。限界集落・フードデザートなどの言葉が当てはまる状態である。

政治家に目を向けて欲しいところだ、高校の無償化・子供手当てもいいが、深刻な高齢化に、こういった過疎化に伴う諸問題に光を当てて欲しい。政治の基本は生命尊重であるのだから・・・。

高齢者の家族と世帯の状況をみると、高齢者のみの世帯が増え、家族のつながりが希薄になっていく一方で、支えとするのは依然として家族であるとするものが多い。医療・介護・の問題が深刻となっていくのは、なんとも切ない思いである。

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日米密約のこと

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07bonchi_asayake_kumo11 民主主義国の政府が、国家の根幹にかかわる外交・安全保障政策をめぐり、何十年にもわたって国民を欺き続ける。あってはならないことだ。

歴史上、国民を欺いていた事実があったということは、被爆地の広島・長崎市民にとどまらず、今まで核廃絶を訴え続けた、日本国民は憤りが収まらないだろう。

今まで国民の訴えてきたことは一体何だったのか、今後は裏も表もない外交を構築しなければならないのは当然である。国民をごまかし、一部の政治家や官僚で大事なことを決めてきた。民主主義の危機で、私も一国民として許せない。

原爆を投下されたにもかかわらず、核持ち込みを暗黙に許していたなんてとんでもない。現政権には被爆国として、非核三原則を法制化してほしい。

密約の背景には、冷戦当時の政府が直面した判断に苦しんだ結果だったと推測される。問題は、自民党長期政権が残した負の遺産である。自らの責任に正面から向き合ってもらいたい。

国民の反核感情を考えれば、正面切って核搭載艦の寄港を認めることは政治的にできない。一方、米国は核兵器の有無を否定も肯定もしない政策を採っている。

核搭載の可能性のある船の入港をすべて拒否していたら、米軍の作戦行動に支障をきたし、核抑止力が低下する懸念もある。密約の背景には、冷戦当時の政府が直面した判断に苦しんだ結果だったと推測される。

「核の傘」への依存にとどまらず、日本にとって米国との関係は極めて重要だ。鳩山政権は「日米同盟の深化」を掲げている。核持ち込みについての日米間の解釈の違いが明らかになった以上、政府は解決することに努力すべきである。

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2010年3月 9日 (火)

川の流れに身を任せ

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08matukawakeikoku_koyo11 私は6歳のとき、川で泳いでいたら深みに嵌まって死ぬ思いをした。その記憶は、今でも忘れられない。

小学校に入る前で、「死」なんて考えて見たことがなかったのだが、川の底に引き込まれそうになって、必死にもがいたのだが、もがけばもがくほど深みに嵌まってしまい、大人の人に助けられたのである。

その時大量の水を飲んで苦しかった思いでが残ってそれ以来川で泳ぐことに恐怖を感じてしまった。そして中学の頃に会得したのだが『激流に流さまいとして、必死にもがくと溺れてしまう。流れにまかせて、力を抜くと岸にたどり着くことができる。』ということを・・・

人生の生き方も同じで、大きな流れの中で あわててじたばたしないで、力を抜いて生きてゆき、「自然に身を任す」ことが、無理のない人生を上手に生きる“コツ”・・・?

しっかり生きる努力は大切だが、力で流れに逆行した努力は結局は破綻を早めることになってしまうだろう。だから、今の流れ、即ち、決して時流に迎合したわけではない真の流れを掴むことが大切で、その流れに沿う泳ぎに対しての頑張りは必要だが、逆行して泳いでも徒労だけに終わるということだ。

徒労に終わる努力は、長い人生を考えれば無駄とは言えないし、知恵として残るだろうが・・・。できれば、今の川の流れを知って、その流れに身を任すことが重要な気がするのだ。川の流れがどこを向いているのか察知することが最優先することで、そこに対して、あまり力を入れないで対応する事である。

そう考え、今の泳ぎは、流れに沿った頑張りなのか否か自分自身で判断すれば、気持ちは楽になる。自然に身を任すことは、努力と対極した位置にあるのではなく、換言すれば、努力を伴う流れを察知して人生を送るということか・・・。

時々、私たちはその流れも考えないで、もがいている事が多いが、「なんだ、川の流れは、こっちなんだな」と思ってから、身体を動かせば、さほど大変なことではないと感じる気がする。

やらなければならないことから逃げてはいけない。与えられた課題は債務でもあると考え、そのしっかり行い、次の行動は流れを掴むことであり、その流れに身を任すことで次の世界が広がって行くのだ。
 

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2010年3月 8日 (月)

春の海で想う

199912070922111 春の海 沖の小島に 灯がともる

南風が吹き、荒れる春一番が通り過ぎると、春の海は「ゆったり」した日がある。 「春の海 ひねもすのたり のたりかな」 蕪村 と言うように一日中、長閑な日がある。

最近起きたチリ超大型の地震で地球の裏側から津波が日本列島まで押し寄せた。ただ事ではない。1960年に起きたときは日本でも142人の犠牲者が出たのだ。そうなると春の海は、のたりのたりではない。

そして、灯りといえば「一灯照隅万灯遍照」という言葉がある。一灯照隅(いっとうしょうぐう)とは、「一隅を照らす」と言う通り、自分自身が明かり、灯明になって自分の周りを足元を照らしていくということだ。万灯遍照(まんどうへんじょう)とは、法の灯火、万灯をもって世の中、世界全体を明るく照らしていくということである。

そのためには、本当に私たち自身が明かりになっていかなければならない。例えばロウソクを灯して歩いていると、風に吹かれればすぐに消えてしまう。自分自身が発光体、灯火になっていれば、風が吹いても消えることはない。自らが太陽のようなしっかりと精進していくことが、大事な使命があるのだ。

そういう意味では、一人一人が、善を行えというように、その灯火をみんなが掲げても、世の中が変わっていくだろうか?先行き不透明と言われる時代である、難しいことだが・・・。

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命は縁あって存在できる

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15401 大空の数々の星も、すべてが関係して成り立っている。38.4万キロ離れている地球と月は、ビッグバーンと言われるときに地球から月が離れて惑星となったという。それ以来、引力の関係で、潮の満ち引きがある。太陽・地球・月の関係で、1年・12ヶ月・355日と1ヶ月・30日になっている。

人は生理的に月の引力に左右されている。生き物は太陽の光や月の満ち欠けのもとに生きている。そしてすべての生き物も、お互いに何らかの関係で成り立っている。全てのものが一つとして何らかの関係で存在していないものはない。

絶滅してしまって、化石化してしまった生物もいたが、中には絶滅危惧種になって種の生存があやぶまれている種もあるが、今地球上に存在する生き物のすべてがお互いの種の存在を支え合って、互いに生かしあっている。

人間も何万年に及ぶ長い人類のルーツを遡れば、民族、宗教、国境などのない地球人であったはずである。自然界の道理にしたがえば、60数億の人類はすべて地球人であり、互いに生かし生かされあわなければいけない。

植物は太陽の光で空気中の炭酸ガスと根から吸収した水を使って自分で養分をつくって酸素をはき出して、光合成するのである。この光合成によってできた酸素を人は呼吸によって体内に吸収し、そして炭酸ガスをはき出す。人は植物に生かされている、植物とともに生きているという関係にある。

人間の欲望が地球環境を破壊し続けている。環境破壊は絶妙な生き物の生態バランスを狂わせ、食物連鎖の関係を壊し、循環型の自然を破壊している。とりわけ気候変動をもたらす温暖化対策に人間共通の努力が絶対必要だ。

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2010年3月 7日 (日)

雑木林の春

Nioitatitubo200304131 来て見れば この山道に すみれ咲き

早くも、石垣の下にタンポポの花が周りの枯れ草の中に、黄色の花びらで存在を誇示しているように咲いていた。雑木林の山道を散歩して見たらすみれが、可憐な花びらをつけて、風に揺れていた。

開発が進んで住宅が出来たが、緑地帯を残すということで、昔のままの雑木林を公園の一角に取り入れているのだ。人通りが少ないところで、静かなところである。

山路来て何やらゆかしすみれ草 芭蕉の句を思い出した。

雑木林の木々の種類によって先に花を咲かせてから葉が伸びる梅・桜などと、葉が咲きに広がってから花が咲き出す山桜・栗などがある。他に常緑樹などが雑木林にある。そして低木のつつじ類がある。この春、色々な種類の草花が一斉に花を咲かせるのではなく、それぞれが少しずつ時期をずらして、順番に姿を現すのだ。

雑木林の木々の種類によって先の花を咲かせてから葉が伸びる梅・桜などと、葉が咲きに広がってから花が咲き出す山桜・栗などがある。他に常緑樹などが雑木林にある。そして低木のつつじ類がある。

今日は冷たい「氷雨」が朝から降り続ける。しかし、春は一雨ごとに暖かくなり、三寒四温の時期とも言う。日は確実に伸びている最近の日のでは東京地方で6時3分ごろだ。天気予報で花粉情報が伝えられる。私は全く花粉は大丈夫だが、いよいよスギ花粉の季節到来である。町行く人のマスク姿が、新型ウイルス最盛期以来の、光景になっていくのだろう。

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現世を「方丈記」より写してみると

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07tamurano_yuhi31 鴨長明の方丈記が記憶に出だしの文句が残っていて、「行く川のながれは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。」感慨深く出だしを記してみた。

「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。

玉しきの都の中にむねをならべいらかをあらそへる、たかきいやしき人のすまひは、代々を經て盡きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。或はこぞ破れ(やけイ)てことしは造り、あるは大家ほろびて小家となる。

住む人もこれにおなじ。所もかはらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。あしたに死し、ゆふべに生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。知らず、生れ死ぬる人、いづかたより來りて、いづかたへか去る。・・・・・・」

訳してみると
「行く川の流れは絶えることがなく、しかもその水は、前に見たものではない。淀みに浮ぶ泡は一方に消えたかと思うと一方で浮び出て何時までも同じ形でいる例はない。世の中に存在する人とその住み家また同じだ。

玉を敷き詰めたような都の中で棟を並べ、屋根の高さを競っている。身分の高い人、低い人の住まいは、時代を経ってもなくならないもののようだが、これは本当かと調べてみると、昔からあったままの家はむしろ稀だ。

あるものは去年焼けて今年作ったものだ。またあるものは大きな家が衰えて、小さな家となっている。住む人もこれと同じだ。場所も変わず住む人も多いけれど、昔会った人は、二・三十人中一人か二人だ。朝にどこかで誰かが死ぬかと思えば、夕方には、どこかで誰かが生まれるという、この世の姿は、ちょうど水の泡とよく似ている。・・・・・・」

今から798年前鎌倉時代[1212年(建暦2)]の鴨長明の随筆だ。現代の世の中にも通じ「なるほどなぁー」と思った。将に世は無常ということだ。

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2010年3月 6日 (土)

啓蟄

Tombi061 啓蟄や 虫もためらう 寒い朝

昨日は、四月の陽気で日本列島、暖かかった。東京地方は、20度を超え、上着も要らない状態であった。我が家に庭の三つ葉つつじのつぼみも一気に膨らみをましたようだ。しかし今日は、昨日とはうって変わって、雪の降るような寒い日となった。

「三寒四温」というか、このところ寒い日が続いたかと思うと、昨日のような暖かい日が続く、その繰り返しである。また、「春は三日の晴れ間なし」の諺がぴったりする今日この頃である。そして「啓蟄」である。まだ我が家の庭を注意深く見てみたら雑草が芽生えている。「春になったんだなぁー」独り呟いてしまった。

植物達は、私たち人間より気候の変化に敏感で、その対応が的確と感心させられる。そしてオホーツクの流氷のような自然現象など、季節の移り変わりに鈍感になってしまった人間は、自然に教えてもらうことが多い。

川の魚の動き、雑木林の木の芽の膨らみ、土の中の虫達、野鳥のさえずり方など季節の移り変わり感じることが出来る。しかし、多忙で、空調施設に閉じこもり、昼夜を問わず、忙しく働いている人には、季節の移り変わりを感じる間もない。

なんだか宇宙飛行士が宇宙船に乗って長期滞在しているような、感覚になってしまったようでとても悲しい。日本は春夏秋冬に恵まれている。「自然の中に生きる」ことを心がけるようにしたい。そうすれば地球温暖化・環境問題も、解決の道が開けると思うのだが・・・。

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“かわいそう”という言葉

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271 “かわいそう” と言う言葉が「差別語」?この言葉は何ということのない、普通の言葉として使われているが、障害者側からすると、簡単に見過ごしに出来ない問題を含んでいる。

「差別語といわれる言葉の、ほとんどすべては、差別の意図をそれなりに持っている。したがって、これらの言葉は、そうした「意図」するものとして使われる。しかしこの「かわいそう」という言葉は、それを使う人にとっても、またこの言葉をうちつけられた障害者にしても、「差別」というような、強いショックをともなわない事が多いのも事実だ。

「かわいそう」という言葉はそんな言葉で、「かわいそう」という言葉に、人々はいったい何を託しているだろうか。「かわいそう」をいったん口に出した人の意識の中には、物事の全てを優劣でもってはかろうとする、確固とした価値観が存在していると思う。こうした価値観に基づく社会というのは、障害者にとっては、少なからず差別的であると言える。

現代の社会では、一人では歩けないと言う事、目が見えないと言う事、耳がきこえないと言う事、「IQ」が低いと言う事、それらの全ては、いわば優劣をはかる尺度のように考えられている。実際に、障害者は「劣るもの」と考えられてしまうことが多い社会ではないだろうか、こうした価値観を前提にすれば、障害者はかわいそう存在かもしれない。

健常者は、障害者のことを理解しょうとして、「障害者は可哀想じゃないんだ」という人がいる。こうした発言をする人達の中に、「やれば出来る」といった考え方があるように思えて、大変に気になるところである。

「障害者はなにも出来ない」と考えてきて、そんな中にあって「やればできる」式の考え方は「能力のある障害者」に対してだけ、「努力すればできる」と見ているに過ぎないのではないだろうか。

人の心からの想いを、相手に伝える「言葉」は、聞く人の受け入れ方で、大きくかけ離れた結果になることがある。誠意が素直に受けられる関係が言葉になって欲しいものである。

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2010年3月 5日 (金)

雑草という草はない

Hiroshima101 昭和天皇のお言葉で「雑草という草はない」とおっしゃったが、有名なお言葉である。

「雑草という草はないんですよ。どの草にも名前はあるんです。そしてどの植物にも名前があって、それぞれ自分の好きな場所を選んで生を営んでいるんです。人間の一方的な考えで、これを切って掃除してはいけませんよ」とおっしゃった。

どの草にも名前があり、どの草にも命がある。命どおりに自分たちの生きる場所を選んで生を営んでいる。やっぱり生き物すべてにおいて、自分で生きる場所や道筋を選ぶことが、内なる情報として入っている。父がどうしてくれる、母がどうしてくれる、先生がどうしてくれる、会社がどうしてくれるではない。

私たちは気が付かないで「なるべくなら教えてやればいいんだ、マニュアルを作ってやればいいんだ」と思ってしまう。そうではない「お前にはお前の命があって、命通りに生きていっていいんだよ」というメッセージを先に与えて、「こういうことはあまりやならい方がいいよ、こういうことはやってごらん」というメッセージを更に重ねていくといった姿勢が大切かなと思う。(草柳大蔵の人づくりちょっといい話)

雑魚という魚はいないという言葉もある。小椋圭さんの詩にもある。やはり雑草と同じで、昭和天皇と同じだ。

人間にも色々な人間がいるが、駄目人間はいない。生まれたときは誰でもみな同じである。育つ環境によって夫々異なった人生を歩んで行くのである。育つ過程で、人の道に外れてしまい、道に迷って自暴自棄になって自ら命を落とす不幸な結果に終ってしまう人間もいる。

しかし、自分の希望と夢を持って少年期を過ごし色々な職業を選択し生き続けるのである。そして、その場所で自分の世界観を持ち、将来を見据えて生きている。

それでも、名もない雑魚に例えられ相手にしない人達がいる。どうでもいい人間なんていない。何ん等か人のために係わって仕事を一所懸命している姿は素晴らしいことなのだ。どんな仕事でも仕事は神聖であり、誇りを持って働くことである。

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深刻な生活保護受給者数増

24351 リーマンショック以来世界的不況の波は日本でも深刻な問題となってきた。失業で、生活の基盤を失って路頭に迷う人々は、政治の貧困を恨んでいるばかりである。

12月時点で118万1335人(速報値)となり、前月比2万582人増、前年同期比20万4632人増だったことが4日、厚生労働省のまとめでわかった。長びく不況の影響で生活保護を受ける人が増え続けており、受給世帯数も130万7445世帯と20ヶ月連続で過去最高を記録している。

また、2008年度生活保護費の不正受給者は1万8623件で不正受給額は、前年度比約16パーセント増の106億円。稼動収入の無申告や過少申告が約7割を占めた(読売新聞5日朝刊)

一方、生活保護費の規模、受給者数ともに全国で最大といわれる大阪市が苦悩している。景気悪化にともなって、受給を申請する人が増加し、財政を圧迫しているのだ。相次ぐ不正受給も問題化している。それに加えて、周辺自治体が「大阪市なら生活保護を受けやすい」と交通費を渡して、受給希望者を事実上「たらい回し」するケースまで出ている。

その結果、大阪市では、09年12月の段階で、10万5474世帯、13万6617人が生活保護を受給している。実に、市民の20人人中1人が受給者という状態だという。

当然、これが市の財政に与える影響は小さくない。10年度の当初予算案では、生活保護費は前年度比17.2%増の2863億円(市の負担額は716億円)。一般会計全体の歳出規模は同3.9%増の1兆6095億円だ。市としては緊縮財政を目指す中、生活保護費の増加が結果として支出額全体を押し上げた形だ。生活保護費が支出の実に17.8%を占めており、生活保護費の動向が市の予算の行方を左右していると言っても過言ではない状態だ。

その中でも、大阪市が頭を悩ませているのが、受給者の「たらい回し」問題だ。10年2月9日行われた「生活保護行政特別調査プロジェクトチーム」の会合で明らかにされた聞き取り調査の結果によると、09年12月に受給を申請した2816人のうち、半年以内に市外から転入してきた人が1割近い274人もいたというのだ。(2月9日読売新聞)

生活保護の受給者が増えていることは、大きな問題であるが、年金受給者より多い支給額で、仕事が出来るのに探さないで、競輪・競馬に通ったり、昼間から酒を飲んでいる人がいる。いわゆる国を食い物にしている人間がいるという事だ。絶対に許せないし当局の徹底した調査し不正受給の取締りをお願いしたい。

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集団から個人尊重の時代

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Sira111  「集団」から「個人」の時代となり、そのスピードも加速され、成熟してきてしまっている。そのことは日本の伝統文化を護っていたもの、文化・芸術・経済などの世界がグローバル化した結果である。家族制度の崩壊で、集団意識から個人尊重の意識が進んできているが、その行き過ぎ?が大きな問題となってきたのだ。

私は、その現象に最近焦りさえ感じてしまう。社会は全面閉塞に陥り、誰もが「出口が見えない」「答えが欲しい」と必死に突破口を探している。つまり、誰もが目標を見失って、答えを探しており、それは、もはや自分だけの課題ではなく、社会一般に共通の普遍的な課題になってきている。

実際、家庭も、学校も、企業も、国家も、それぞれに深刻な問題を抱えて行き詰まり、今や目標を失ってフラフラと迷走しているだけである。では、人々が目標を見失い、社会がここまで閉塞して、集団から個人尊重に意識が強まったのは、いったい何故なのか?

それは、1970年頃に貧困を克服してしまったからだ、という人もいる。それまでは、人々は飢えの苦しみに晒され、飢えから逃れるために、必死になって働いた。生存闘争の圧力の下では、力の強い者に弱い者が従う仕組みで、徹底した力と言える。

そこでは、誰もがいい大学(身分)、いい生活(お金)、つまりは序列格差の旨味を求めて争う。そこでの身分やお金は、自分だけに所属する私有権であり、自分だけの独占物である。

誰もが私権の獲得という目標に収束することによって、集団や社会が秩序化され、統合されてきた、私権統合の時代に、アメーバ的変革でもあるようだ。

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2010年3月 4日 (木)

生命の神秘

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3612 人間の「体」は、時として「宇宙」の(人体の宇宙)例えられる。星々の宇宙も神秘的であるが、私たちの体もそれ以上に神秘的である。星のきらめく宇宙に勝るとも劣らないほど、謎に包まれている。

人間は、「奇跡的な生命体」だ。身体は60兆個の細胞からなり、その60兆の細胞の一つひとつに、30億個の塩基(遺伝子情報)が書かれているという。これだけでも驚異的、で凄い。

さらに驚くべきことは、微生物を含め、すべての生物の遺伝子の基本構造は全部一緒なのである。カビも大腸菌も、人間も動物も植物も、すべて同じ基本原理、「A、T、C、G」の遺伝子の組み合わせになっているという。遺伝子工学の世界では、基本原理が同じということは、起源を一つにしているのである。

生命の「進化論」では、ヒトは微生物→魚類→両生類→爬虫類→無乳類→「人間」へと進化してきたわけだから、その意味では、同じ仲間?なのかもしれない。

この遺伝子がどれくらい小さいかと言うと、幅1ミリの50万分の1、ちょっと想像ができないくらい に細い物質である。重さは、なんと「1グラムの2千億分の1」と言われる。この微小の空間に、30億の遺伝子情報が書かれている。

「1グラムの2千億分の1」と言ってもピンとこないが、この地球に住んでいる全人口、60億人の遺伝子を全部集めても、「米粒一個」の大きさにしかならないそうです。なんと・・・驚きである。 それ以上に凄いことは、生まれたときには、すでに遺伝子情報が“書かれている”ということである。

しかも、体の60兆個の全細胞に、まったく同じ遺伝子情報が30億個も書かれている。体のどの細胞の一片を取っても、同じ情報が書かれているのである。そして、すべての細胞が同じDNAを持っているはずなのに、細胞分裂の過程では、手・頭・顔・内臓・足など、それぞれ異なる組織を作っていくのである。

もし遺伝子の働きに狂いが生ずれば、右手と左手が逆になったり、耳の位置が違う場所に作られたり‥なども考えられますが、そのようなトラブルも起きない。30億の遺伝子は、肺・心臓・肝臓・腎臓など、体の特定の場所で、特定遺伝子のみを働かせて、細胞を分裂させて体を作る。ますます不思議である。

現代は、クローン技術が進んで、人間によって生命をコントロールまで進化させていいものか、倫理・宗教・哲学的な面から議論していく大きなテーマである。

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2010年3月 3日 (水)

チリ巨大地震で日本経済の影響

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06oga_toga11 チリの巨大地震はマグニチュード8.8という。エネルギーは中南米ハイチの地震の500倍というから想像を絶する。今から50年前の1960年に起きて日本にも大きな津波がきて142人の犠牲者が出たのだが、その時はマグニチュード9.5だったという。今回の地震では漁業関係者のカキ・昆布の養殖でいかだに被害が出たくらいで済んだようだ。

チリ国自体の犠牲者は今のところ760人ぐらいであるという。もともと地震発生国で、建物などは地震に耐えられる建築物が多かったこともあるのだが、民衆は混乱に乗じてスーパーや、商店などが略奪被害が深刻で、警察・軍が出て沈静化を図っているというが、一般市民住宅にも盗難・略奪が及んでいるそうだ。

そして、銅・サケ・ワインなど日本は輸入している。既に銅の価格に影響が出ているという。日本経済にも影響が心配である。

略奪は、食料関係でなく、冷蔵庫・洗濯機などの家庭電化製品が持ちされれている。だから、治安の悪さから、日本政府の医療支援関係も成田で足止めされているという。

その事を踏まえて言うならば、今、地球的規模の混乱の渦の中で人々は右往左往している状態である。現下のヨーロッパの深刻なギリシアの経済危機など、経済不況は百年に一度あるかどうかという深刻なものであるが、20世紀の経済恐慌や経済循環とは全く状況が異なっている。

深刻な世情だが、人間の認識をもってこの現実を理解すれば、混迷の世に自分自身の存在までも見失ってしまわず、自然の道理にかなった生き方をすれば、この世はすばらしいところ、人生は楽園なところでもある。
 

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2010年3月 2日 (火)

自然の摂理を知る

Iwao1702c1 私は、ゴールデン・チエリーという小鳥を飼っている。つがいで昨年の5月に小鳥やで買ったものだが、昨年十月に一羽の雛が誕生して、三羽になって雛も親と変わらない大きさになった。

そして、親は再び卵を温めだした。そうなると雛が邪魔になったのか、オス・メスで雛を苛めるのである。苛めはエスカレートしてきたが、時々餌を口移しで与えていたので、そのままに三羽に一つの籠に入れてお置いていた。今年二月に殺されてしまう程になってしまい、とうとう雛を小鳥やに引き取ってもらった。それから、二日後巣箱を覗いたら雛が一羽孵っていたのである。

赤い肌に産毛が生え、目は白い幕のようなものが覆っていて目は見えない。しかし口先は大きく開き大きな声でピーピーと鳴いて、親から餌をねだっている。自然の摂理の尊さと厳しさは人間も見習うことが多いと思った。

人の子も、「オギャー」と産声をあげるその前からもその後も、お父さんお母さんから無償の愛情をいただいて、育ち育てている。宇宙の自然や人類の未来を育む大切さを感じたのである。そのためには、乳幼児期に親と子が時間と心を共有することができる生活が大切である。

若いお父さん、お母さん、子どもたちをしっかり抱きしめ。遊んであげるのではなく、一緒に遊んでください。そうして人間にとって生きる術を学び取り、立派な大人になるように見守って欲しい。

そして、ある時期がきたら、独立を促し、ひとり立ちをさせることが生きていくためには必要だ。ちょっと、厳しいと思うが、突き放すことも大事である。獅子が子獅子を谷底に突き落し、 這い上がってきた児だけを育てるという故事ある通りだと思った。

ゴールデン・チエリー見て、自然の摂理を改めて知ったのである。

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春が告げる行事

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13_10241 最近、寒いのが苦手?になったようで春が待ちどうしくなった。これも年のせいかなぁ・・・。私は、ひな祭りと、東大寺のお水取りの行事が始まる三月になると不思議と勇気が出てくるのである。

春の訪れの告げる行事は、奈良の東大寺二月堂のお水取りと一般市民に親しみられているひな祭りがある。
ひな祭りは三日で、二月はじめ頃から雛人形を飾って三日を過ぎたら、早めに片付けないと、娘が嫁に行けないと言っていた母親の言葉を思い出した。

このひな祭りは、本来は女の子のための行事ではなかった。
ひな祭りの起源は、300年頃の古代中国で起こった「上巳節」にさかのぼり、「上巳(じょうし/じょうみ)」とは3月上旬の巳の日という意味で(のちに日付が変動しないよう3月3日となる)、季節の変わり目は災いをもたらす邪気が入りやすいと考えられていたため、この日に水辺で穢れを祓う習慣があったという。

奈良東大寺二月堂修二会(しゅにえ)始まる。お水取りは、二月堂の欄干から振りかざされる大松明の様子が、毎年ニュースで紹介される。

毎年3月1日から14日にかけ「お水取り」が行われ、奈良・東大寺は最も活気づくものだ。「お水取り」は修二会(しゅにえ)と言われる法要で、天平勝宝四年(752年)実忠和尚によって始められたとされる法要である。それから1200年以上一度も途絶えたことがないと言われている。

この行法は東大寺の二月堂の本尊、十一面観音に、僧侶たちが世の中の罪を一身に背負い、代苦者、すなわち一般の人々に代わって苦行を引き受ける者となり、苦行を実践し、国家安泰等を祈る祈願法要である。

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2010年3月 1日 (月)

その道を極めるということ

08nangodake_sandou11 バンクーバーオリンピックが昨日で終った。オリンピックの競技を見て、感じたことだが、「その道」のトップにいる人たちは、それぞれの道をこころざす人々の何千何万人の中から選り優れた才能と努力で、勝ち残ってきたほんの一部の人間にすぎない。

一流になるまで、育っていく過程では、もともとは、原石であったが、鍛えて磨き上げれば宝石になるという有能な才能をもつまで、成長するであろうことを、将来性を見抜いた人がいたはずである。

本人の努力はもとより,だが、さまざまな人の出会いによって励まされて、そしてよき指導者にめぐまれ、修練を重ねて、大きく成長していくものだ。

その成果を大舞台では、超一流に鍛え上げたものであっても、日頃の実力をなかなか発揮できないものである。世界の桧舞台でその成果を出すことは、人生における貴重な経験である。そして、その道の頂点を狙う人間は、全世界の人々に、さまざまな感動をあたえ、多くの人に、夢と希望を与えることであろう。

「その道」というが、スポーツ、職業や技術、学問、芸能など、あらゆる方面での専門分野においては、卓越した能力を有し、技術の向上をめざし、「その道」をきわめることを目的とする。「その道」に入り、修練し、一定の成果や成績を達成し、さらに上をめざして道をきわめることは、どの道にも通じる。しかし、向き不向きもあれば、チャンスにめぐまれるか否かということもある。

柔道や剣道、相撲道など、「道」というが、スキーやスケートでもスポーツに「道」という表現をもって日本人は人間形成を合わせてもとめようとする。華道、茶道、書道など、習い事には「道」がつく。

「一芸は道に通じる」 何ごとによらずひとつの技や芸を修めてその道をきわめるということは、人間の生きる道を極めるということだ。どの分野でも、楽な道、近道はないということで、心構えや努力、辛抱、工夫が必要となってくる。

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南米チリ巨大地震で思う

07bonchi_asayake_kumo11 南米チリを巨大地震の規模は、マグニチュード8・8である。エネルギー量は今年1月のハイチ地震の500倍超だそうだ。想像を絶する凄ざましい地震だった。

チリは世界でも地震発生の多い国だ。1960年には、観測記録に残るものとして最大のM9・5の大地震が起きているという。被害は、多数の死者を含めて甚大になりそうだ。

23万人以上の犠牲者が出たハイチ地震では、日本は、欧米や中国などよりも救援活動で出遅れた。現地の求めに機敏に応じられるよう、準備を整えておく必要がある。

日本で過去に大きな被害を出した南海地震や東南海地震、東海地震と同じタイプで、規模がM8超と大きくなることが多く、被害は広域化、大規模化するという。しかも周期的に起きており、この三つの地震は、すでに発生期に入っているという。

今回の地震では、日本の裏側で、約1万7000キロのかなたで発生した津波が発生の翌日、太平洋を渡って対岸の日本に押し寄せてきたものだ。

政府は、官邸危機管理センターに官邸対策室を設置した。津波到来の恐れがある太平洋沿岸部の関係自治体も、住民たちに避難を呼びかけた。

東北地方の太平洋岸では、寒さの中、住民が避難所などで警戒解除を待った。その上、海岸沿いの道路が各所で通行止めになり、鉄道の運休が相次いだ。様々な分野で市民生活に影響が出たが、津波の脅威を考えれば適切な対応だったと思う。

今回は、チリでの地震発生から丸一日近くたって津波が到来したが、南海地震、東南海地震など日本近海の地震では、津波は短時間で到来するため、対策にかけられる時間はほとんどない。

津波の怖さを知らないで、津波を見ようと、海岸にきた人も各地にいたそうだが、自治体などの避難呼びかけを無視するサーファーもいた。被害に遭ってからでは対策では遅い。津波に限らず、あらゆる災害に対する認識度が低いと感じられる。

「災害は忘れた頃にやってくる」普段から、心の備えは必要だ。自治体は災害に対する対応を市民の関心を絶やさない施策など、繰り返し訓練をし、注意を喚起することが大切である。

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国民の災害認識度

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200412260011 昨日は、一日中、チリ沖巨大地震で、NHKは日本列島に津波情報を終日放送していた。過去1960年のチリ沖地震で岩手県三陸海岸で犠牲者142人が出た事があったり、6年前(2006;12;26)スマトラ沖地震(M7.6)の23万人以上の犠牲者が出た。日本は、島国で津波の恐ろしさは学習している。

午後3時30分ごろ岩手県久慈港で1・2メートルの津波が確認され、その後何回か押し寄せたという。そのほか各地で1.0~0.6㍍ぐらいが確認されたが、被害は殆んどなかった模様で、怪我人は一人もいなかった。

私は、妻の実家で法事があって、雨の中お墓参りかと心配したが午後から止んで傘はささずに済んだ。そんな、緊張した朝に、東京マラソンは石原都知事のピストルの合図で3・5万人が冷たい雨の中行なわれ日本テレビは、中継でその様子を伝えた。そして、バンクーバー五輪のスケートの中継も行なわれた。

この地球上で、巨大地震発生し多くの犠牲者が出ているは、地球の反対側で起きている天災であるが、日本にまで影響は過去に経験している。日本に来る津波は、気象庁の予報で1~3㍍の予想があった。もし東京湾に3㍍の津波が押し寄せたら、犠牲者は何人でたか計り知れない。今回は日本は被害が少なくて済んだことは本当に良かった。

国民の災害の対する認識度が薄れていくのが心配である。政府は国民の「幸福度」を調査するという。是非国民の「災害認識度」も調査してもらいたいものだ

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