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2010年1月

2010年1月31日 (日)

次兄の告別式を終えて

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08iwakisan_zinzya11今日次兄の告別式を執り行った。大勢の弔問に訪れていただいた。次兄は、長い闘病の末、薬石甲斐なく84歳の生涯を閉じたのである。結婚し二人の子供五人孫に恵まれたのである。その生涯は幸せと思っていただろうか、それとも苦しく、辛い人生と思って人生を終えたと思ったのだろうか、残念ながら聞き損ねてしまった。

後は残った遺族や周りの人の評価に任せるのみである。「虎は死んで皮残し、人は死んで名を残す」という言葉がある。果たして寅年に生まれ、寅年に亡くなった兄はどうだったのか?

「どうせ瞬きするほどの人生ならばせめて美味いものを食べられるだけ食べて、やりたい放題好きかってなことをして、それで結果的に野垂れ死にしようが俺の勝手じゃないか。放っておいてくれよ!」と、考えたこともあるが・・・。

しかし、仏教の教えは、「全てはあるがままの姿であり、それがあなたの姿であり、この世には、たとえて言えば仏もいれば鬼もいる。好気性菌もいれば嫌気性もいる。そしてそれらはますますそのように進化を続ける。その縁者を巻き込みながら」と・・・。

キリスト教の最後の審判ではこの世ではどんなに立派な服を着て死のうが心の罪を犯した人間は必ずそこで断罪されると説いている。

萬徳円満な釈迦は死の床に際してその涅槃図に伝承されているように誇張した表現になってはいる、いわゆる鳥や獣までが駆けつけて泣いたと表現されている。

そして、私は考えた。これからも、永く人々の良い話題となり、せめて家族や子孫らに語り継がれるように「名を残す」には、今何をすれば良いのか。じっくりと考えねば…。

2010年1月30日 (土)

春隣というけれど

Sira71春隣 梅の香匂う 朝の庭

今朝、雨戸を開けて、朝の香りが、梅の淡い匂いが感じられた。何時しか梅の花がほころんでいることに気づかされた。

のところの東京は、四月上旬の陽気でTシャツ一枚で歩けるかと思えば、翌日はダウンジャケットを着込む有様で、次々咲く近所の梅に、明日はまた真冬の寒さになる。春を待ち焦がれているのは人間だけではない、生き物すべてがひたすら待っているのである。

月日の経つのは早いもの、今日は1月30日である。今年始まったばかりであるが、今年はもう1カ月過ぎてしまう。年を重ねるほど医療費が増えていき、季節の変わり目は体調に気をつけないといけない。

大寒が終って、立春は(2月4日)である。冬季が終わるときで、節分は季節の変わり目で、春夏秋冬の節分があるが、現在では節分といえば立春の前の節分をさしている。

実際の季節は春の兆しを感じはするものの、気温も低く、関東近辺でも雪が降る冬そのものだったりする。そして、昔から2月に入ってからが一番寒い日があると言われていた。それでなんとなく行事と季節のずれを感じたりするが、習慣とは恐ろしいもので、たいして違和感もなく毎年を過ごしてしまっている。

フォッサマグナとブリとサケ

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1020208_img1昨夜NHKラジオ深夜便で、県立新潟女子短期大学名誉教授 本間伸夫氏の話を聞きながら、考えた。フォッサマグナと魚(ブリ・サケ)の食文化の関係があるのではないかと・・・。

フォッサマグナ は、日本の主要な地溝帯の一つで、地質学においては東北日本と西南日本の境目とされる地帯。中央地溝帯とも呼ばれる。

本州中央部、中部地方から関東地方にかけての地域を縦断位置する。西縁は糸魚川静岡構造線(糸静線)、東縁は新発田小出構造線及び柏崎千葉構造線とされる。

ところで、日本は、海に囲まれた日本で“最高のごちそう”といったら、やはり魚。ブリ、サケは人気は高い“東日本ではサケ、西日本ではブリ”といわれ定着している。

サケとブリを分ける東西の境界線は、なぜか糸魚川と静岡を結ぶフォッサマグナに近いという。実際、フォッサマグナが走る信州松本エリアで習慣が分かれている。

ちなみに、サケもブリも大型で豪華なのに加え、塩蔵による長期保存と遠路輸送が可能だったことから、海から遠い内陸でも、親しまれたと考えられる。

新潟県の三面川と並び、サケが遡上する川として知られる阿武隈川。河畔に広がる宮城県亘理町には、サケ料理が盛んである。古くから郷土料理として「はらこめし(腹子飯)」が今に伝わっているという。

養殖ブリの代表的な産地のひとつ、鹿児島県長島町では、定番はタイのようですが、ブリ料理も富んでいて、長島町内にはブリ料理を味わえる飲食店も点在しているという。

一方、ブリはかつて、富山方面から飛騨経由で松本エリア、南信州エリアへ塩ブリとして入って、地域ごとに少しずつ異なる食文化をその地に根付かせたようだ。

そして、信州で食されるサケは「新巻」と呼ばれる塩鮭が一般的であり、ブリを食することは少なかったようである。現代では、流通の発達で、ブリ、サケの区別はなくなってしまったが、こう考えると不思議と、フォッサマグマとブリ・サケの関係があるのではないかと・・・。

2010年1月29日 (金)

高幡不動と思い出

D20d0901281 昨日28日は、初不動であった。終戦後母親は、毎月28日は、高幡不動尊にお参りに行っていた。目的は長男の無事帰還復員の願掛けである。戦争が終り、一切の情報が入らない、たまに同じ満州で捕虜になりソ連イルクーツク地方の炭鉱に強制労働を強いられていた人が帰還したと言う話を耳にして、いても立ってもいられない姿がいまだに脳裏に焼きついている。

昭和22年11月にお蔭様で、五体満足の姿で家の前で「ただい帰ってきました。」敗れた雑嚢と、汚れた水筒をを肩から腰につけて、母親の前で右手で敬礼した姿がとても印象的であった。とにかく無事に帰ってきてくれて、家族手を取り合って喜んだ。そして高幡不動尊の有難さを家中皆が感謝するばかりであった。

その高幡不動とは、不動尊すなわち不動明王は、勇猛の神として称えられ、災難厄難、火難、国難を払うとして人々の信仰が厚い。不動尊の縁日は毎月28日だが、とくに正月28日は初不動といって大勢の参詣客で賑あう。関東三不動の一つに挙げられる高幡不動では当日だるま市が立ち、また稚児練供養が行われて、可愛らしい稚児行列を一目見ようと参道は見物客で埋まってしまう。

由来は諸説あるがその代表的なものを挙げると 地形説 全国の日野という地名は、西の大地を背に東斜面のきわめて日当たりの良い地形に名付けられた地名で、東京の日野も二つの川にはさまれた東斜面の、日の良くあたる住みよい土地であることから名付けられたという説と、 飛火野説、上古、火野と称したが和銅年間に火野を日野と改めた。火野は飛火野のことで、烽火(のろし)をあげる高い丘陵をさし、日野もこれにならって名付けられたものであろうとの説などある。という。

初不動が過ぎると、豆まきで境内は賑わうと同時に春が近づきを感じるのである。

野鳥の囀りと音楽

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Mejiro11昨日は、寒中を忘れさす暖かさであった。午前中ちょっと雨が降り、乾燥注意報が続いていたので慈雨とも言うべきであった。そして確実に春の近づきを感じる。

梅の花が枯れ枝に白い花をちらほらつけだした。野鳥は季節移り変わりが敏感だ。梅に鶯というけれど、先だって日当たりの良いお宅の庭に小鳥の囀る声を耳にし目を凝らし眺めてみたら、目白が鳴いて、まだ開き切れない花の蜜を探していた。

野鳥の鳥は不思議とツガイで行動することが多い。鶯色で目の周りが白い、鶯はうぐいす色というが実際は、草色、若しくは萌黄色である。春を心待ちにしているのは、人間だけではない。万物の生き物すべてである。特に野鳥の鳴き声で人は春が近くに来ているようで?命を蘇えさせられる気分になる。

ところで、同じ野鳥のさえずりを同時に二人の人が聴いても、一方では心に沁み入るように感動して聴こえる人と、一方では単なる鳥が鳴いている(むしろうるさい!)としか聞こえない人がいる。

音楽についても同じで、クラシックよりもミュージカルを好む人がいるし、フォークソングやジャズ、ロックや演歌や謡、浪曲等々人によって皆違う。自分がクラシックに心酔していて今どんなにすばらしいと思って聴いていても、聴きたいような心境でない他人からしてみれば、それが聞こえてくれば迷惑なうるさい雑音にしかすぎないようだ。

ある人の心の目に見えないものが見えたり、心の耳にきこえないものが聞こえたりするように、時代背景や、その人の生活環境などで、心に響く内容がそれぞれ既に違ってしまってくる。

その時で、若者は若者らしく、熟年は熟年らしく、老年は老年らしく、その時の自分自身が光り輝いていればそれが一番である。そして、音楽の原点である野鳥の鳴き声を聞き、心豊かな感性を持ち続ける。そしていつまでも若々しくさせてくれる、音楽は不思議とそのことを教えてくれるような気がする。

2010年1月28日 (木)

今生きていることは

Hiroshima101私が「今」生きていることは、「現代」という社会、あるいは時代と、どこかしっくりこない気がする。「現代人」、「現代思想」・・・そういう言い方は、何か堅苦しくてよそよそしい。

考えてみると、そういう表現には直接自分で触れられない世界を含んでいて、人ごとのように思える、そんなニュアンスがある。そもそも、ことさら身構えて、「現代とは」と考えなくても、自分の今の生活には何ら不都合はないというのが正直なところだろう。

ハイチの地震被害現場・南米ペルー・マチュピチュの洪水すざましさなどの、迫真のテレビの映像があっても自分に飛び火することがないかのように生きている現実がある。しかし、本当はさまざまな問題が、自分が生きていく上での不安という形で関わりは、年代と共に、無関心では、いられなくなってきた。

それどころか、不都合なものを自分から切り離していくことで、いつのまにか、それを見ていられるはずの自分自身の存在価値が小さくなって、下手をすれば、いつでも誰かから切り離されかねない、危うい存在になってしまった。

過去の話になったはずの9.11同時多発テロから、イラク・アフガニスタンの紛争・リーマンショックからの日本まで波及している経済不況などは、そんな我々の姿を今もあぶり出し続けている。関係がないように眺めているが、実はつながっている。特に世界はグローバル化している時代である。その影響は、恐ろしいほど打撃は大きい。

だから今は、切り取られた今ではあり得ない。連綿たる過去からつながる今、つまり、過去を引きずって、今現在を彷彿せている。そういう今でしかない。そういう現在と過去とをにじませて今がある。だからこそ“今”を夢・希望を持てる未来に繋げなけれればいけないと思う

話し方の難しさ

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1020208_img1相手に自分の意志や考え方を伝えることの難しさを改めて痛感する。
話し方の下手なのは、毎度の事なのでそういう、要因を抜きにして言葉の扱いの難しさを再認識する。それはどういう事かというと、自分の意志や考え方が話しで、どれだけ相手に正しく伝わっているのか、実に疑心暗鬼にならざるを得ないからである。

基本的に私は相当無神経な人間だった頃があった為(まあ、今もいい加減な部分は大なり小なりあるとは勿論思いますが、それ以上にという話)、今はその時の反動もあってか相当神経質に成り過ぎているきらいがある。

会話する日常生活において、相手の話を確り聞くことがいかに、大事であるかが分かった。そうして、最も重要なのは、相手の立場を理解し、その上で、自分の今までの経験や、考え方を言葉で話すということの基本を再認識した。

コミニケーションの基本は、は、「会話」である。二人だけ、多数人の場合など夫々違うが、しっかりとした自分の考えを持ち、落ち着いて、ゆったりと話すことに心がけることで、安定した雰囲気をかもし出すことができると思う。

近所での井戸端会議?は人のうわさ、陰口、愚痴は「百害あって一利なし」である。結局何時かは、自分が、うわさの対象人間になってしまう。個人のの陰口、愚痴を言い出した途端、自らの品格を貶める結果となる。

人の縁とは、どこでどう繋がっているのか分からない。「友人の、友人の…」と7人をたどっていけば、世界中のどんな人とも知り合うことができるという説もある。どんな人であっても、人の後ろには、数万人の人々が控えている。

その数万人と繋がることができるかどうかは、個人にかかっているのである。目の前にいる人に集中し、どうすれば伝わるのか、もっと心地よく話すことができるかを考えたい。その小さな積み重ねが、目標に向かって一心不乱に努力しなくても「気が付いたら得な人生を送っていた」という結果を生むことになる。

ゆったりと余裕をもって構え、上品で優雅に話し、伝えることで、人間としての価値が最大限に発揮できると思う。

2010年1月27日 (水)

花語らず

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08tubaki_takegaki11「花語らず」 京都南禅寺の柴山全慶老師

「花はだまって咲き、だまって散って行く。そして再び枝に帰らない。けれどもその一時一処にこの世の全てを託している。一輪の花の声であり、一枝の花の真である。永遠に滅びぬ生命の喜びが悔いなくそこに輝いている。」

何かと慌しい現代社会。忙しい日常生活にとかく埋没しがちの中で、とかく埃に紛れ、我を忘れてしまいがちな、自分に頭から水を浴びせ、身を洗ってくれるような、自分自身の生き方に対して方向を指し示してくれる光明のように感じる。

花は大輪の牡丹であろうが野辺に咲くスミレ・タンポポであろうが、皆そこで陽光を浴びて悔いなくそして「それぞれが誇り高くそこに美しく輝いている姿」は、他人との差別と比較ばかりを意識して常にあくせくし、ぐちって悔いばかりしている人間の愚かしさ、光を忘れ、闇に迷っている自分自身のみじめな、何とちっぽけな存在であるかをあらためて思い知らされる。

大輪の牡丹であれ、スミレ・タンポポであれ、陽光に向かう尊さには寸部の差別や違いは無いという信念を持たねばならない。差別をつけたがるのは己の心の狭さそのもからくる無明(俗念に妨げられて真理を悟ることができない無知)であるのではなかろうか・・・。

人間というのはとかく弱いもので、時に自分を見失いがちになることが多い。本当の「幸せ」を心から感じることが、できる人生をもう一度考えて見たい。

2010年1月26日 (火)

阿弥陀の本願

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13_102411月24日次兄の死に遭い、有名な平家物語の前文より考える。
平家物語の前文
「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす。奢れるもの久しからず ただ春の夜の夢の如し。」

どんなに勢が盛んな者でも、必ず衰えるものである。という、道理を現している。世に栄え、得意になっている者も、結局は滅び去り、まるで風に吹き飛ばされる塵と同じである。

沙羅双樹の花は陽光を浴びて清楚でとても美しく咲き誇るが、その花々はいつしか朽ち果ててこの世から忽然と姿を消してしまう。

一世を風靡した平家一門のがらがらと転落して行くありさまの壮絶な苦しさと無常観を流れるような美しい文体でつづったこの物語は日本人が世界に誇りうる文学作品の一つである。

逆に言えば、生きとし生けるものはこのようにはかないものだからこそ、一生懸命に咲いている「この今」が荘厳で何よりも尊いものであることを見事に言い表してもいる。

一般的には「勢力が衰えて朽ち果てていくありさまを、惨めで、厭わしいものと見て」それに対する人の心の強く、はかなくもある抵抗感は誰しもが抱いている。ごく普通の感覚である。

だからこそ、この世の散り行くものの抵抗を美しく文章表現して、見方を変えればその人にとってどんな人生であっても、この世の中は荘厳でかけがえのないものであると、総括しているのだ。

赤ちゃんを見ると人間に限らず皆生まれたての若々しい新鮮な組織細胞を持ち、大きな目は澄んで、あどけなくて無心で光り輝いている。それに対して歳をとると腰は曲がり皴は増え、髪の毛は抜け落ちてく。だからこそ、少しでも若くありたいと必死に抵抗努力して美しく装い、体を鍛錬し、いつまでも繁栄を謳歌させたいとの悲願を持っている。

しかし、歳をとることは、そんなに惨めなもではない。見方さえ変えて「ようく観さえすれば」髪は抜け落ちた老体になればなったでそこでの美しさ、荘厳さがあると思う。

繁栄が過ぎ去ったとしても今まで築いてきた人と人との心の繋がりは何ものにも勝る荘厳な宝物がそこに厳然とあるではないだろうか。

幸あわせ感を満喫出来ることは、意外と自分がいるそばが美しく荘厳していて思わずひれ伏したいほどの感動があるように思えるのである。

46億年も前に地球が誕生してから、今の自分自身そして同じように生きている全ての人も含めていや、全ての生き物が、ここに到達するまでの連綿と続く「無量光」と「無量寿」とは心が震えるほどのすばらしいかけがえのない世界である。

2010年1月25日 (月)

次兄の死と幼き頃の思い出

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06oga_toga11物心付いた頃、家には両親と五人の兄と一人の妹がいた。世間で言う七福神と言われた。 母親は、昭和二十四年八月十三日、四十八歳という若さで、亡くなった、農業を営んでいた父親に育てらて、今住んでいる土地をもらって家を立て住んでいる六男の私である。

その父親は、昭和五一年五月一日に七十六歳で亡くなった。それから、年を重ねて、一人欠け二人欠けして、そして、次男の兄も昨日一月二十四に亡くなった。 残った兄弟は兄二人と妹一人となってしまった。

私の小学校の入学式の付き添いは、母親に手を引かれ、八重桜が咲き誇っている小学校の校門を今でも思い出す。しかし、体調を崩した母親に代わって、小学校の行事・洗濯・食事なども、兄達に面倒を見てもらった記憶がある。運動会の弁当なども作ってもらったのある。母は体調崩してから四年ぐらい寝込んで、貧しさからか、たいして医者に掛からなかったようだ。

昨日亡くなった次兄は、昭和元年一月九日生まれの八十四歳であった。私の人生の最初の記憶が二歳頃だと思うが、夕方になると兄におぶさり、ねんねこ半纏の中で覚えた。「みよ東海の空あけて!」の『愛国行進曲』を歌って近くの野道を一番星が見える頃まで負ぶさっていたことが記憶にある。(いわゆる子守である)

♪見よ東海の空あけて 旭日高く輝けば
天地の正気溌剌と 希望は踊る大八洲
おお晴朗の朝雲に そびゆる富士の姿こそ
金甌無欠揺るぎなき わが日本の誇りなれ♪

その頃の事を次兄の丈夫な頃、話をしたことがあるが、その時は「へーそんな事あったかなー」といっていたが・・・。

次兄はその後、立川航空省?(兵器省)?で工員として勤め、家計を支えていたという。そして秩父兵器製造に国のために尽力したという。出兵はまぬかれ、そうしてやがて終戦。そして復員し帰宅 父親の農業を手伝いながら、役場に勤めるようになった。

結婚し一男一女をもうけて、夫々結婚させ、五人の孫達となった。八王子市役所に定年まで勤め上げてた。真面目・誠実・寡黙な兄との印象であった。

朝方三時に甥の「もう駄目らしい」と甥の電話を受け、早速病院に駆けつけてから亡くなるまでの間は、酸素吸入器をつけも、呼吸は荒く、全く意識もはっきりしない状態になっていった。 家族の呼びかけにも全く反応を示せなかった。

そして八時五十二分ごろ、家族に看取られ永遠の眠りに着いた。

そうそう、「海行かば水漬く屍 山行かば草むす屍 大君の辺にこそ死なめ かへり見はせじ」などもよく歌っていたなぁー。

2010年1月24日 (日)

次兄の死

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3612 次兄が亡くなった。午前三時入院先の,八王子医療センターから次兄の長男から電話あり、医者から、家族を呼ぶように言われたという。

早速医療センターに駆けつけたら、義姉・長男家族4人・長女家族5人が病室に、兄の手を握り「じいちゃん頑張って!」と祈るように声をかけていた。私も「確りして目を開けて!」と手を握って話しかけたが、返事はしないで呼吸は荒くなったり、10秒位止まってしまったりしたり繰り返しだった。医者が見えて「痰が喉につまっているが、体力がないので、機械で取り除くことが出来ない。肺の奥に痰が詰まってしまい肺炎は、益々酷くなる。」ということだった。

そんな悪い状況だったが、悪いなりに何故か落ち着いている状態であった。4時20分、国立か兄が高齢なのに、車を運手して来てくれた。

6時20分、変化がないので、長男一人を残し一旦帰宅することにした。ようやっと東の空が明るくなってきた。道路は日曜日の早朝ということもあり、殆んど走っていなかった。

6時30分帰宅、妻は起きていた。何時ものように朝食の支度をし、食事をとってコタツで仮眠を取っていたら国立の兄から電話あり、次兄が亡くなったようだという8時40分だった。早速妹に連絡、妹を迎えに行き一緒に病院にいく10時45分頃だった。

病室には、着替えなどの処置をされた遺体となった次兄の亡骸あった。家族に囲まれていたが、不思議と次兄の亡骸をみて涙をこぼしている人はいなかった。

11時遺体安置室に運ばれた次兄の遺体は、白の布に包まれていた。係りの方が、白菊を用意されて病院の最後の別れの儀式?白菊を霊前にあげた。病院関係の医師・看護士なども最後の別れをした。11時55分ごろ、霊柩車で自宅戻った。

薬石甲斐なくという言葉があるが、精一杯生きたと思う。次兄は八十四歳の生涯を閉じたのである。しばらく、次兄との思いが頭を駆け巡っていた。時間は八時五十二分頃との医師の確認された。

2010年1月23日 (土)

自然の生き物に学ぶ

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Goldenchery1 私の家に、ゴールデンチェリーという小鳥を昨年の5月から飼っている。そして8月に卵を5個産んだが、4個は何時の間にか親がたべてしまったのか?消滅してしまって、一羽が孵化した、親がせっせと餌を上げて12月頃は親と見間違えるようになった。

今年に入り、巣箱のまた4個の卵が生まれていた。そのせいか、子供の鳥が邪魔になったのか、追い回し、いじめるようになった。しかし、ときどき餌を口移しに与えているのである。

一昨日の夕方、苛め?は、徹底的に行なわれ、足・跳ねの付け根などから血が滲んでしまった。早速これでは死んでしまうと思い。別な籠に移し変えた。

ぶるぶる震え、片足は着けない状態となってしまった。その晩は、籠の隅にジッとして夜を明かしたのだった。朝様子を見ると目をつむり、ジッとして痛さに耐えている様子だった。しかし、夕方あたりから、餌をついばむようになってきたので、ホッとしたのである。もっと早く別な籠にすればよかったと反省している。

別な籠に移して、置いておいたら、親・子でお互いの鳴く声で、気になるのか落ち着きがなくなかなか巣に入らない。果たして、この時点で親子の愛情があったは卵から孵って何時までなのか分からないが必ず子には試練を課す時期があり、そして自然の摂理で誰にも教えてもらえないが、本能で生きているのだと思った。

よく観察すると人間にも当てはまり、勉強させられた。自然の生き物に人間の生き方を学ぶ事が多いと思った。

2010年1月22日 (金)

老人の呟き

06oga_toga11日だまりの中で、老人は呟いた。

生きていくという事は、山の連なる道を行くようなものかも知れない。その道の途中に待ち構え、行く手を阻む山々、それは、丘程度の低い山もあるが、エベレストのように、見上げても頂を見る事が出来ないほどに高く険しい山もある。

若い時は、高さも見当がつかなければ、行程の険しさも、困難さも充分に理解出来てない。
だから、高いからと言って、そこで簡単に諦めない。先輩達に無鉄砲と言われても耳をかさないで、超えた先にあるものを求めて、ひたすら突き進んで行く事が出来た。

そのように、恐れず、躊躇せずに、前に、前にと、未来に向かって突き進んでいける事こそが、若さの特権である。だからこそ将来思いもよらない、成功を得るチャンスを得る事も出来ると思うのかも知れない。

しかし悲しい事に、人は、いつかは年を取って行く、年を重ね、知識が増え、挫折の経験を積み重ねていくに連れて、自分の前に立ちはだかる、或いは超えようとする山の高さ、偉大さに、そしてそれを乗り越える事の困難さを、知る事になってゆくのである。

能力の限界を感じ、道程の困難さをあらかじめ予想できるようになると、その道のりの困難さ、努力の後の挫折の虚しさなどを嫌って、道半ばで、早い人は、山を前にしただけで、諦め、回り道をしたり、後戻りしたりするようになってゆくのである。

これは、ある面では他人の偉大さを認め、おのれ自身を謙虚にするという良い面を持っているが、人類としても、民族としても、個人としても、進歩という点から考えれば、あまりに早い時期からそのようになっていくことは、憂うるべきことかも知れない。

人はどんなに年を重ねても諦めてはいけない。命燃え尽きるまで、高いハードルを目指して努力するからこそ前進できる。後戻りは出来ないし、ゴールテープはない人生行路だ。進むのみである。未知の世界にチャレンジをしていくと充実感を味わえる、人生を送れるのだと思う。

年をとったと感じた時

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08nangodake_sandou11 昨日久しぶりに、電車に乗った。そんなに満員ではなかったが、ホームに入ってきた電車の中はポツポツ席が空いている状態であった。ドアーが開いて、待っていたお客が一斉に乗った。私を除いて殆んどの人が空いている席に座ることが出来た。

私は妻と一緒なので妻が座ることが出来たので、妻の前で立って行こうと思っていたら、間髪をいれず、妻の隣の若い男の人に席を譲られた。「どうぞお座りになってください」「いやー結構ですよ」といったが席を立ってくれた。次の駅で降りるのかと思ったが、終点まで乗っていた。

多分私が、ひどく老人に見えたのか、まだまだ若いと思っていたのに、ちょっと複雑な気持ちとなって、妻にぶつぶつ呟いてしまった。こういうときはいずれは来ると漠然とは思っていたが、それが現実となったのかー。

もっと素直に受け入れないといけないのか、私は席を譲って上げることはあったが、譲られることは初めてであり、電車を降りてからもそのことが頭に残っていた。
人は誰でも、「年をとったなあー」と感じるときは来るだろう。仕方がないか・・・

読売新聞の発言小町に乗っていた記事であるが、ショックである。

後ろに座った女子大生?二人組
「バイト先のババアって昭和から働いてるんだって~」
「ゲっ!生きた化石だ~ もうすぐ死ぬね」
働き始めた時の年号が昭和ってこと?
私ったらギリギリ平成だ やった~
しかし半化石?そりゃジャニーズの顔はTOKIO位までしかわからなくても仕方ないよね
冷蔵庫にハサミ仕舞っちゃったけど化石化のせいだったのね
カラオケ行ったら若い子(20代前半)に「懐メロ特番で聞いた曲だ」と言われても化石だから・・・
あ ウチの父ちゃん大正生まれだ 石油になっちゃう~

2010年1月21日 (木)

東京浅草に出かる

Katidoki241 今日は、昨日の春を思わせる暖かさが続いた感じであった。気温はなんと20度近くになった。娘から浅草演芸場のチケットもらったので、夫婦で行ってみた。

朝9時半に家を出て、京王線、JR中央線、東京メトロ銀座線と乗り継いで、浅草雷門に出た。さすがに、東京の観光スポットである。ウイークデイにも拘らず、大勢の観光客?ちょっとみて風体では分からない、東南アジア系の人達が多かった。しゃべる言葉で分かったのである。地下鉄を降りると、人力車の若い車引きのお兄さん達の呼び込みに出くわした。

雷門を潜って仲見世に入って散策したが、大勢の通行人で歩くのも大変であった。お土産物屋さん、寿司屋さん、蕎麦屋さん、ラーメン屋さん、そして天婦羅屋さん、などの食べ物屋さん軒を並べている。

その一軒の寿司屋さんに呼び込まれた。が、行列があって待たされてしまった。お店は14・5人ぐらいの席があるくらいで狭い、安いと思って入ったのだが、量が少ないので、お腹一杯になった気分になれなかった。そして、味の方も今ひとつの感じであった。私のイメージと大分かけ離れていて、ちょっと後悔した。

目的の浅草演芸場に着き、呼び込みのおじさんに招待券を見せたら、「招待券のお客さんは立ち見ですよ」「今日は混んでいて、3時ごろまで待っていたほうがいい、お客さんどうしますか?」と聞かれたが、帰りの時間が遅くなり入場することにした。

入ってみると、案の状人で一杯で、背の低い女房は人の頭で舞台がみられない。ドアーをあちこちみて回ったが、どこのドアーも、人・人で押しくら饅頭状態で、暑く、とてもみていられないでしばらく、廊下でたたずんでいたが、直ぐに出てしまった。ほんの2.3分だった。

私は若い時は、お正月は必ず浅草に行っていたのだが、今のような嫌なイメージはなかったのだが、「年をとったせいかなぁー」と考えてしまった。長いこと東京郊外に住んでいるせいか、昔の浅草のイメージはかけ離れていた。帰宅して疲れだけが残った。

今を生きる

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07bonchi_asayake_hi11 今朝は、目が覚めて、「あぁー生きていられる」有難い。感謝したい。今朝2時59分、伊豆地方に地震があり、伊東市は震度4であったという。私は、何も感じることが出来なかったが、NHKのラジオで放送で分かった。天災地変、人間の力では、予測できない事がある。

人生においても、将来どのようなことが起こるのか、何をしているのかは誰も明確に言い当てることは出来ない。でも、今なら、「何をしなければならないのか、自分は何をしたいのか」ということが、明確である。明確になっているものをやらないでいては、いつまで経っても、先送り人生である。

性格でも仕事の要領でも「自分はこんなところが悪いと言うのは分かっているだけれど、もっともっと大事なことがあると思うので、それには目を瞑っている」なんて会話がよくされるが、分かっているところを治せない人には明確に見えない、将来のことや、もっともっと大事なものを掴むことは困難だ

今の時点で分かっていることを追求して一生懸命生きることだ。「限りある命」。今を真剣に生きることが人間最高の幸せだということだ。

2010年1月20日 (水)

「虎の子」

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Jaz41_2 今年は寅年である。虎と言えば、「虎の子」が頭に浮ぶ。大切な財産を「虎の子」と喩える表現は、動物の中でも虎は、母虎が子虎をとても大事に守り育てる様子から来ている。その子虎の毛皮は非常に柔らかで、高価な貴重品。だから、子虎の毛皮を手に入れるには、勇猛な母虎と戦うだけの、よほどの覚悟が必要――との意味から「虎穴に入らずんば虎児を得ず」の諺が生まれた。

昨日、JAL(日本航空)の株が、とうとう5円となった。10年来最高値が366円(03・10・17)であった。昨日、会社更生法申請を受けて、同社の株式は1月19日から2月19日まで整理銘柄に移され、2月20日に上場廃止となり、その後は東証で取引できなくなる。同社の株式は株主責任を明確化するため、100%減資される見通し。同社の株式は航空料金が割引となる株主優待券目当てに個人株主から人気だったが、100%減資されると、同社の株式はほぼ紙くず同然となる。

経営不振に陥った経緯は、1980年代以降の日航開発による海外のホテルなどへの無理な投資や、燃料の先物取引の失敗などの経営判断のミス、過激な労働組合活動に後押しされた人件費の高騰などの様々な悪条件が重なり、1992度決算では538億円という巨額の経常損失を計上し経営不振に陥ったからだ。政府・民間の共同出資で潰れることはないと株主・社員も信じていたものだが、放漫経営の付けは、余りのも大きい。

リーマンショック依頼、多くの投資家は、「虎の子」の財産を失っていると思う。景気回復を望むところだ。が、昨日から始まった国会審議も、鳩山首相・小沢民主党幹事長の政治とお金にまつわる問題解明で、野党の激しい追及で、本年度補正予算・来年度予算が遅れようものなら、国民はたまったものではない。「政治とお金」と「国会」は同時並行で審議してもらい、景気回復となけなしの「虎の子」を少しでも取り戻せる政策を早く推し進めて貰いたい。


2010年1月19日 (火)

終の棲家を考える

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06oga_toga11 二人の子供が巣立って14年孫も4人となり、昭和42年に建った家は、今、夫婦二人で(戸建住宅)、住んでいるのだが、庭樹の手入れや外壁・屋根の補修といったメンテナンスが意外と大変で、費用もかかる。

また、夏場の草むしり、秋の落ち葉掃きなど、現在は何とか住んでいられる。意外と重労働的な作業もたくさんあるものである。そう考えると、これから先は、自信がなく心配となってきた。

子育て時代には部屋数も面積も広いほどありがたかった家も、夫婦2人の住まいになると広すぎて掃除が大変、光熱費が余計にかかる、防犯上も不安である。若く、現役で働いている時代は苦にはならなかったが、高齢になるほどそういった維持管理面の負担感が大きくなってきた。

マンションならほど良い広さの部屋で戸建住宅よりは冬場暖かく、カギ一つで戸締まりもOKなどと、高齢者にとって望ましい条件が揃っている。そして、子供たちには、老後の面倒はかけたくないという意志は常に持っている。

今で住んできた、地域の皆さんとも別れることは、なんとしても忍びないが、以上のような理由を考えると、自分達の老後は、不安要因が増えるばかりである。

マンションに終の棲家は、大勢の世帯が集まって住むという形態に安心感もある。同じマンションの住人と親しくなれば、なにかあった時にすぐ助けを求めることもでき、マンションの共用の部屋を使って趣味のサークルをすることもできるだろう。同じマンションで家族ぐるみのお付き合いをすることも望め、高齢になれば逆に心強い利点となると思う。

私たちの老後は一つのドアーの鍵で、安心・安全に暮らせるマンションに終の棲家を考えていきたい。

2010年1月18日 (月)

環境は真剣に考えて

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08gozo_beachl_11 私の罪滅ぼしに、ゴミ拾いを20年続けている。罪滅ぼしとは二十歳代のころ、車に乗ってタバコの吸殻をなんのためらいもなく捨てていた。同乗の妻にとがめられても平気だった。そして会社の健康診断で医者にタバコを止めるように宣告され、20年前に止めた。

駅のホーム・通勤途上の道路などタバコの吸殻・紙くず捨てられ、駅など清掃員が常駐し常に清掃していないとゴミの山となってしまう状況にあった。その状況を見て私は気がついた。これでは地球の環境破壊は、現実になってしまうと思うようになり、今までの行為の罪滅ぼしに以来殆んど毎日、ゴミ拾いを継続している。

これ位は誰でもしているからとか、見つからなければいいだろうと、思っているのか、無意識に捨ててしまっているのか分からないが、私が、会社に出かける前に町内を一回りし拾っていると、あるサラリーマンの50歳代の男の方と言い合いになったことがある。私の目の前で、「片付けてくれ!」と、言わんばかりに、火のついたまま捨てていった。

「なんで捨てるのか!」「電車に乗る時間に間に合わない」「私も家に戻って会社に行くんだよ!」歩きながらタバコを吸うのは、少なくとも許すにしても電車に間に合わないからの理由で捨てるのは困る。と言ったら、「サラリーマンの男の方は「すみません」と言って立ち去っていった。

そんな、親には子供の教育・躾は一体どうなっているのか考えさせられてしまう。いま環境破壊・地球温暖化・温室効果ガス問題は、全世界・全人類の大きな課題でもある。私一人ぐらいいいだろうが・・・大きな思い違い。ゴミの捨てられている場所が、小さなゴミを最初に捨てて行くことから、ドンドン増えて山となってしまうからである。

環境破壊はもとより、多くの人が住んでいる町がゴミなどで汚れていたら、犯罪が増えるという。私はポスターを作って貼って、町の美化に努めている。「守ろうよ!皆の好きな町だから」を貼らしてもらっている。

悪行に走ってしまったなどと、自分の悪事を弁解する人がいるが、悪いことをしていて、それが間違っていると気がつかない、などということはありえない。ただまれに無知ゆえに、善悪の理解ができていないこともあるのかも・・・。

2010年1月17日 (日)

春が待ち遠しい

Mejiro11春浅き 川蝉のいろ 陽に映える

花はまだ 梅のつぼみに 目白かな

大陸から寒気も今日が峠で、明日からは3月頃の陽気になるいう、東京地方は殆んど雨が降らない。湿度が30㌫以下の日が続いている。最近新型インフルエンザは落ち着いているようだ。

今日の八王子市は、朝から快晴で、風もなく素晴らしい天気である。いわゆる行楽日和というところだ。9時20分に、散歩を目的にちょっと遠い八百屋さんに歩いて買いもに言って来た。

途中日当たりの良いお宅の庭の梅の木に、めじろが留まっていた。まだ花はつぼみであるが、暖かい陽射しを受けて、もうすぐ春の来るのを楽しみにいているようだった。

そして私の家の前の湯殿川に川蝉の姿を発見した。堤防の淵から川面を覗き込むようにジッと息をこらしていたが、しばらくすると、いきなり川の中に真逆さまに飛び込んだと思ったら小魚をくちばしに挟んでいた。銀色の小魚がピクピク動いているのが確認できた。

正月15日が過ぎて、日の出が一日一分延びているという。春が来ることは誰にとっても嬉しいものだ。特に雪の多い北陸・信越地方に住んでおられる人々はなお更だと思う。

絆の大切さ

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08tubaki_takegaki11 「絆」とは人と人との断つことのできないつながり。離れがたい結びつきである。人は一人では生きてゆけない。お互いに支えあって生きられる。

家族との絆・友人との絆・先生との絆・地域社会との絆・日本と世界の絆・人間・地球と自然環境との絆・・・私たちの周りにある絶つことの出来ない絆を考えなしには生きて行けない。

人生には使命や意味、そして意義はない。それでいいのだ。”と。世界の多くの人々もきっと”人間の絆”によって救われていることであると信じたい。人生の意味や意義、そして使命について苦悩している人々はたくさいる。

阪神淡路大震災は15年前の本日(1月17日午前5時47分)に起きた。6434人の尊い命を絶った。そこには多くのボランテア・NGOなどの救援活動が行われれ、人間絆の強さを感じた。

13日に中南米のハイチに起きた地震は、犠牲者が10万人とも20万人とも言われている。現地の情報が混乱しいてハッキリした被害情報がない。救援活動は真っ先にアメリカ・中国が駆けつけたそうだ。二大経済大国の出動だ。日本は昨日24人の緊急救援で出発した。これも、人間の絆である。

私の“絆”の解釈は、人間生まれたとき親の優しさ・愛情で育ち成人になる。そして死ぬまで人を愛し、自然を敬うことだと思う。そして多くの人・生かされる己を知り、感謝し、多くに人に繋げていくことの大切さを責任があると自覚することである。

すなわち「人間・自然を愛する優しさが己が生きてゆける」のである。

2010年1月16日 (土)

信頼は、即席では作れない

24351 信頼は、即席では作れない。先だっての強風で、片倉町一丁目町会の会館の屋根(棟部)飛ばされてしまった。本日、無事修復することが出来た。なんとしても、町会役員では、素人ばかりで、ただ飛ばされた屋根を見上げているだけである。

修復をそのプロにお願いしてしまえば、簡単であるが、町会の予算も、ギリギリ予算である。出来るだけ町会役員の手で修復をしたいところであるが、道具・資材が調達が出来ない。

何時もお願いしている、元、工務店経営し元大工さんが私の近くに在住している。屋根やさんではないが、ノウハウは持っている。その方に相談した所、気持ちよく協力をしていただく事ができた。私を含め町会役員と4人で屋根に上り3時間で終えることが出来た。しかし、私は「役立たず」道具・機材を上げるのみであった。

これも、町会には、特別ご理解いただいている。そして日頃から近所のお付き合いをさせていただいているからである。地域のコミニケーションの重要性は、日常に起きる想定外の事案の対処で分かる。

地域の安全・安心は地域の方のひとり一人の理解していただくことにあると思う。町会役員は挨拶に始まり、一声運動を実施している。当町会もご多分にもれず、少子高齢化は進んでいる。一人暮らしの見回り、防犯パトロールの継続は、絶対必要である。

“ふれあい”を合言葉に、片倉一丁目町会の皆が住んでよかったという町にしていきたいと、会館屋根を無事修復出きて改めて思った。そして、信頼し合えるには、日頃から心がけることであり、即席には作れないのである。

政治の空白あってはならない

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15401 「政治と金」問題でロキード事件は「総理大臣の犯罪」と言われた、田中角栄元首相の事件から33年。「リトル田中角栄」といわれる民主党小沢一郎幹事長の犯罪は、東京地検特捜部により、暴かれようとしている。

小沢一郎幹事長の資金管理団体「陸山会」の土地取引を巡る事件で、東京地検特捜部の捜査が大きく動いた。

東京地検特捜部は15日夜、政治資金規正法違反(不記載)容疑で、小沢一郎氏の元私設秘書で陸山会の会計事務担当だった民主党衆院議員、石川知裕容疑者(36)と、後任の会計事務担当だった小沢一郎氏の元私設秘書、池田光智容疑者(32)を逮捕した。

「巨悪を眠らせず」と語った「巨悪」とは「政治権力」のことであるが、伊藤榮樹元検事総長の言葉である。「政治権力」と戦ってきたのが、東京地検特捜部である。

しかして、政治家最高実力者である、小沢一郎民主党幹事長の身辺も危うくなった。それだけではない、民主党政権の鳩山由紀夫内閣も大きく揺さぶられるのは必至である。18日から行われる通常国会にも大きな影響が出るのは間違いない。

日本の景気回復の国家予算をまとめ上げ、窮状を一刻も回復基調に載せなければならない、最も重大な時期に、こういう問題で政治が空白・頓挫では、国民もたまったものではない。

小沢氏をはじめ党が国会審議を通じての真相究明に協力すべきことは言うまでもない。鳩山由紀夫首相は党代表として自浄能力を示すため、指導力を発揮する責任がある。

この期に及んで、政治の空白はあってはならない。このことは国会議員の全員が心して欲しい。

2010年1月15日 (金)

国会開催を前に

386351 イヤーまいったなー、「もういい加減にしてくれ!」と叫びたい。このところずっと鳩山由紀夫首相と小沢一郎民主党幹事長の、生臭いお金に絡む政治の話しをいやというほど聞かされて国民は、大変疲れてしまっている。

景気は依然回復しない、国民生活は、どん底で、二番底になる心配も話題になってしまっている。18日から国会が始まるというのに、不正疑惑解明と野党になった自民党が躍起になっているのも分かるが、それだけの時間がない。

政治家とお金の問題は、何十年間も続いている。その都度対策を立ているのだが、政治家の基本「政治は生命尊重」を忘れしまったわけでもないと思うが、この不況で国民は、どんなに苦しんでいるのか、国民の目線というキャッチフレーズは、なんとも情けない“しおれ”た感じさえして来た。

政治資金については選挙資金の問題も含めてこれまでいろいろ《改革》がこころみられてきましたが、抜け穴だらけのいたちごっこで、さっぱり効果が表れていない。浄化されるどころか、カルト臭までしてきているのが私たちの国の政治である。

金と権力が集まるところに嗅覚鋭い人間がひきつけられていっているのが現状だ。お金を持っている政治家、権力をふるう政治家こそ、そんな嗅覚を人並みはずれて持っているのかもしれない。

そうした政治と政治家に怒りながらも、かえってそのために、腐敗臭ぷんぷんの政治の世界を嫌って自分の視界から排除している人が多いのではないだろうか。政治にはそっぽをむいて自分の生活・自分の世界に没頭する。政治なんか好きなやつが勝手にしていればいい、とうそぶきながら・・・。

私の周りでは政治と宗教の話しはよほど気心が知れないとできない。そんな話しは、まず嫌がられる。考えてみれば、政治の営みがきちんとなされて、やっと私たちも安心して暮らしていける。

敗戦後、私たちの先祖は、きっと今度こそ! という思いで民主的な国家を作ろうと意気込んだに違いないと想像する。そうした中で、たとえば民主主義を担う一人ひとりの人間をどのように育てていくか、きっと悩んだ人も少なくなかっただろう。

でも、この寒々とした社会の現状に目を向けると、何がいけなかったのだろうか、何が足りなかったのだろうか、と考えざるをえない。

<国民主権>という考えを、私たちはどれだけ噛みしめてきただろうか私たちがもっと安寧に暮らしていけるように、主権者たる国民の一人ひとりを大切にできるような社会をつくるため国会議員の方々は答えて欲しい。

そして、18日から通常国会は始まる。こういう経済情勢では、政治のあるべき本譜にウエイトを置き、政治家同士の駆け引きや政党間のやり取りに終始する国会ではなく、本来のあるべき姿を忘れないでいただきたいと思う。

隣組の助け合い精神

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06oga_toga11 一昨日の強風は、大きな被害を及ぼした、当八王子市では、作業中の大型グレーンが作業中倒れて、オペレーター始め3人の怪我人が出たという。私はそんな強風にもかかわらず、何時ものように散歩に出た。スキー用の帽子、マフラー、ジャンバー、完全装備で出かけたのであるが、砂埃が目に入って、目が痛い。

我が家の二階のベランダの屋根の留め金が緩んでパタパタと音を立ていた。お蔭様で我が家では、大きな被害がでなかたので、ホッとしていたのであるが、昨日町会長から、連絡があり、町会の会館の屋根が4枚飛ばされて裏の家の車庫の屋根に落ちていると、買い物の途中の車を運転中に連絡受けた。

早速、行ってみたが、屋根の1番上の部分は棟の部分であった。サーてどうするかであるが、対策を検討したくも、他の町会の役員に連絡がつかない、町会長に連絡し16日(土)に検討することにした。

会館の建物事態が、経年で傷んでいて屋根に上がるには、平板などで養生しないと危険である。5年前にペンキを塗るときに大変苦労したからである。近くの元大工さんに相談して修復を検討することにした。

町会内に現役でプロはいないのか、私は何時も“事”があると思うのであるが、土建・建築・不動産・保険・公務員・教師・防犯・介護・法律など今は現役を引退している方は町内にはいるはずである。そういう経験を生かす活動が出来ないかと思うのである。

「自分達の町は自分達で守る」は、大事なことで、防犯・防災をはじめ、交通安全・子供健全育成など地域で行わなければならないことが沢山ある。

経験したノウハウを、地域のために力を発揮してもらうことを、改めて必要性を痛感した。こういう時代だからこそ、昔の「隣組の助け合い精神」を考えて行かなければと思う。

2010年1月14日 (木)

今年の冬は厳しく寒い

08tubaki_takegaki11

寒風の 激しさ厳しい 浮世かな

昨日は、立って歩くこともままならないほどの強風であった。北風の乾いた風は雨上がりというのに、砂塵を巻き上げ、木の葉を舞い上がらせ、目をあいていられない。

気象庁の話で、寒さの要因は北極圏の寒気は、北極付近への蓄積と中緯度域への放出を繰り返しているが、今年は1979年以降最も蓄積が弱く、中緯度域に寒気が流れ込みやすい状態になっていた。

この結果、12月中旬から今月中旬にかけ、欧州やロシア、米国などで平年の最低気温を大幅に下回る異常な低温を記録したほか、韓国のソウルでは低気圧の影響も重なり、1月初めに26センチの積雪を記録した。日本はエルニーニョ現象で寒波の影響が弱められる形になり、極端な低温にはならなかった。 

ある人は、地球温暖化はないじゃないの?と言っていたが、そうではない。確り世界中の一人ひとりが、地球の将来を考えて行かねばならない。

景気が悪い、失業者が多い、したがって就職が出来ない高校・大学の卒業生が多いという。また、路上生活者の数が減らない。この寒さで死者が多いという。世界に目を向けるとアメリカの失業率は10㌫は下らないという。

そんな世界状況で、なお心配なアフガニスタンの紛争でアメリカは3万人の兵力を送り込んで力で抑えようとしている。そして,昨日起こった中南米のハイチでマグチュウド7.0という地震が起きて、犠牲者は何千人とでているそうだ。淡路阪神震災の15周年は17日である。

日本の国内の目を向けると、テレビ・新聞のを賑わしている民主党小沢一郎幹事長の不正疑惑と日本航空の再建の話題、そして、沖縄普天間飛行場の移転の問題である。

国会は18日開かれるが、予算審議はどうなるのか、景気は悪く、寒さは厳しい現実は、二桁・三桁のお金の感覚が違う政治家と、明日の食にも満足な保障がない人たちの目線は合わない。「生命尊重こそ政治の基本である」ことを忘れないで欲しい。

感覚と意識

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08take_yuki21 感覚と意識 
人の感覚は、皆同じだと思っている人が多い。しかし、この世に共感覚者とよばれる人がいる。音を聞くと、色が見える。誰でも音楽を聞くと、記憶に残る風景が思い出すとか、想像する風景が頭に浮んでくるが、人それぞれに違った内容である。感覚は、全く正常に暮らしており、その本人が告白しない限り共感覚者かどうか見分ける方法はないだろう。

感覚というのは、主観的なもので他人には観察できないものだからだ。科学は主観には立ち入らないという約束ができている。つまり、科学的でない非科学的だということは、イコール文明的でないと判断される。

自分の意志では回避できない不随意な感覚。それと同時に写真記憶など特異な記憶能力を持つ者も少なくない。人間の意識と感覚は、科学では解明出来ていない。

物理的でないニオイ?を感じることがある。人は、すぐに「普通そうでしょ」「常識でしょ」などと言うが、その度に私は普通とはどういうことなのだろうと考えてしまう。殆どの人は、自分は普通であり皆そうなのだと思い込み、そう思うことで安心して生き ているのではないかと思う。

自分は特別の人間だと思っている人というのは、話していて疲れる。でも、自分は普通で、皆誰も自分と同じだと思い込んでいる人というのも、他人の気持ちに踏み込んできたり、自分の考えを押し付けてくるから困る。

しかし感覚と意識のズレの多少の問題は出るのは仕方がないと思うが、平和に暮らそうと皆が思うなら、そのことを理解することである。

2010年1月13日 (水)

どう生きる余命人生

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3612_2 人生いかに生き、死が近づいたとき、どのように生きればよいか70歳を過ぎれば、誰でも一度は考えたことがあると思う。長寿社会となったといわれ、余命人生どう生きられる・・・。

日本人は世界でも有数な長寿国であり、平均寿命は、女性は85歳位、男性でも80歳位である。科学者の予測では、最も良い条件が合えば、寿命は120歳位までいくかもしれないと言う。しかし、それが果たして人間にとって、幸せなことなのかどうかは疑問である。

これまでの時代は60歳を過ぎると社会の主力から退き、さまざまな生き方をしていた。しかし、平均寿命が今より延びれば、会社でも家でも、煩わしいことが避けられなくなる。高齢者が増え、家計や社会を支えるのが難しくなる。しかし、本当にそれで幸せな時代になるのか考えると、必ずしもそうではない。

かといって、何歳で死ねばいいかを人は自分で決められない。与えられた寿命の中で生きていくしかない。でも、どんなに寿命が延びても必ず死ぬのである。

年齢的に100歳になっても元気な方はいる。医師の日野原重明先生は90歳を超えても講演活動をやり、海外にも行かれるという。

その日野原先生の長生きの秘訣は、穏やかな性格・ストレスをためない、ポジテブに考える・自分の健康に自信を持っている・信仰心を持つ・人のためになることをする。などであるが、これはとても大事なことだ。 そして、規則正しい食生活・人生にいつも目標を持っている。そうすることが悔いない人生につながる。 確かに凡人では出来ない心がけの結果だと思う。

誰でも死にたくないが、病気になってしまえば仕方がない。がんで亡くなる人は年間30万人を超えている。難病はたくさんある。やはり、私たちはいつ我が身に襲ってくるかもわからない死を覚悟の上で、どう生きるかを考えなくちゃいけない。

私は、これから絶えず、二つのことを考えないといけないと思う。「このまま生きる」ということと、「何かが起こったとき、その時どう対処する」という二つを考えなければいけない、そして死も考えた上で、悔いのないよう、残された時間を有意義に生きること考え続けていきたい。

2010年1月12日 (火)

異常な寒波

                 08muhyo_omono_tyokai11                   
古き家、建付け気になる 寒さかな

ヨーロッパを寒波が襲っている。 ドイツ北部では路面が凍結したことでスリップ事故が相次ぎ、高速道路が渋滞したり、動けなくなった車の中の人を救助する画像がテレビのニュースで流れた。 北部のハルツ山地では、ここ31年で最低気温を記録、アルプスに近い山岳地帯では氷点下20度前後まで冷え込んでいると言う。

また、ポーランドでも17日からの大雪で、交通機関に影響が出てたり、比較的暖かいスペインなども寒波の襲来で、その対応で市民は大変だそうだ。寒波は、欧州のみならず、北米・極東にも及んでいる。
 
この影響で、日本も12月中旬からの冬型傾向は固まった。これでついに北半球は12月中旬以降久々の欧州大陸、北米大陸、極東という昭和の冬を彷彿させる 伝統的な3波型が形成される可能性が高まってきた。

それにしても、新潟県の津南町では、積雪が2メートル位になっているところもあるという。今年の冬は、近年になく大雪である。私の家は、築45年の木造住宅である。大分、あちこち“ガタ”が来ている。ガスストーブで暖房しているが効率が悪く、冬用半纏を着て、コタツに潜り込んで寒さを耐えている始末である。

しかし、まぁー終戦前のマイナス15度を経験した寒さとは、大分違いはある。確かに温暖化は、地球環境を変えていることは実感できる。

        

たおやかに、しなやかに生きる

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0008tyokai1 「たおやか」「しなやか」に生きる。「たおやか」とは、性格がしとやかで上品、「しなやか」とは、気持ちがなめらかく柔らかいと解釈する。私の人生の究極の目標であるが、果たしてどうだろうか、しかしこの心がけは何時までも持ち続けたいと、思っているが・・・

そんなことを考えて今朝目が覚めた。有難い、今日も生かされて貰うことが出来そうだ。時には心静かに瞑想(深く静かに思いをめぐらす)し、そしていま、ここに生存して居ることを瞑想すること、そして過去を反省し未来を見据える。

瞑想には、今ここに居るという所から始まって、死までが含まれる。そして、驚くような事があっても、私はこれを経験しなくてはいけないことになっていたのだ。と考えてみるようにする。そうすると、ストレスはかなり緩和さると思う。

しかし、凡人であるが故に、なかなか意志を貫き通すことは出来ない。こういうのは非常に人間的であるとも言えて、かえってその人が信用できるという気がする。

自分の生活も、どんな場も、命を遊ばせる場である。ある程度自己を実現したならば、とりあえず今いる足場を肯定して、そこで遊ぶという事を始めてみるように意識を持ちたい。

おかれた現状を、時代や周囲のせいにせず自分の力で、「希望」の道を探し出し、謙虚な姿勢で現状見ることを心がければ、感謝と幸福感さえ覚えて来るだろう。

生きるとは、自業自得ということである。業とは、体の動かし方、ものの言い方、ものの考え方であり、それらが人生を決めていく。自分の行為には、責任を持つということだと思う。

2010年1月11日 (月)

成人の日に思う

08take_yuki21今日は成人の日である。もう3回も、成人式を終えてプラス12年も立ってしまった。そこで高齢者となった今、心配なのは健康である。新成人の若者も大きな夢を叶うのも、健康でなければ達成しないだろう。

「若いもの負けるものか」と息巻いていた時代はとうに過ぎてしまった今現在、如何にしたら健康的に人生を送れるかである。人生80余りの時代、その人生を、健康で生きるのと、病気で日々を送るのとでは、その差はあまりにも大きい。

高血圧症、糖尿病、高脂血症などのいわゆる成人病(生活習慣病)である。新成人の若者には、この病気の話はまだ先のことかもしれないが、飽食時代に生きる人間にとっては、注意を怠ることのできない課題である。

65歳以上の人の約4分の1が高血圧の治療を受けており、糖尿病患者は20年前に比べて約4倍になっている。この病気の原因は、半分が運動不足と過食で、まさに現代病である。車やエレベーターの利用などで歩くことが少なくなった。特に休日には1日中テレビと、ごろ寝などで、1日に1000歩も歩かない人もいるくらい。

また、日本の成人の1日の平均カロリー摂取量は、男性で2200キロカロリー、女性で1800キロカロリーであるが、現代人の大半が必要量の10%前後多く取り過ぎている状態だ。さらに、生活時間の不規則、変則的な食事によってドカ食いとなり、体の防御反応が起こるために消化吸収率が高くなる。成人病を防ぐには、自分の体に必要な分量以上の食事はしないよう心掛けることも大切だ。

私は、糖尿病の予備軍と医者に宣告されていて、血液サラサラになる薬を飲んでいる。食事のとりすぎで、メタボリックシンドロームと言われれている始末である。自分で朝食の支度は毎日行っていて、殆んど野菜が主で、炭水化物は、極力押さえた内容にしている。また、ウオーキング10000歩を目標に毎日行うようにしている。

どうも、糖尿病は、遺伝的要素があるらしい。私の長男・次男2人の兄も糖尿病で、長男は、透析をする事態になってしまった(5年前亡くなった)。そして次男も(入院中)血糖値が異常に高い。私の数値は今のところ115位である。気をつけなければと思っている。

今日、駅前を歩いていたら、晴れ着姿の女性とスーツ姿の男性が、新成人になった若者と分かる雰囲気で話し合っている姿をみて、新成人と、彼らの3倍以上の年齢差がある私の年まで健康に留意して、大きな夢を実現してもらいたい。

将来の生活が不安となる

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08tubaki_takegaki11今のところ夫婦は普通の生活が出来ているが、これが何時まで続けられるか不安になって来たのである。私の兄夫婦のすざましい、日常生活を経て亡くなった。そして二人目の兄夫婦も病院の入退院の繰り返し老老介護の大変さから、私は他の方法(現有の社会的厚生施設)を利用を考えている。

将来子供には、面倒かけたくないということが頭にある。現在の一戸建ての家では生活が出来ない。出入り口が一つ、食事も用意してもらえ、病院に近い、買い物、交通にも便利という施設を探すことを考える。

近年、体力・気力が衰えに気になり、自分達の将来はどんな、終末を送ったらいいのか、真剣に考えるようになった。ネットから、ある施設を見学したり、「高専賃」をクリックして、カタログを送付依頼した。

1/11日朝日新聞社説にあるように、人権無視から犯罪行為になっている世界は、ある程度理解できる。

厚生労働省の調査では、高齢者への暴力や介護放棄、金品の詐取といった虐待の例は、2008年度で約1万5千件。前年より1割強増えた。同居の家族による虐待がほとんどで、加害者は息子と夫で6割。家事や排泄(はいせつ)の世話が苦手な男性特有の介護ストレスもあるとみられる。

自宅で介護する家族の4分の1にはうつ状態が疑われた。「介護うつ」である。「死んでしまいたい」と考えたことがあるのは64歳以下で2割、65歳以上で3割だった。無理心中や殺人事件につながる例は各地で事欠かない。

犯罪行為や暴力は許されない。だが、介護を受ける人だけでなく、介護を担う家族にも十分な配慮が必要になっている。70代の人を介護する家族の半分以上が70代以上、という老老介護の現状をみれば、なおさらだろう。

介護保険制度が始まって今春で10年。だが家族の負担はなお重い。負担の実態を丁寧に調べたうえ、住み慣れた地域でできるだけ長く暮らせるようなサービスの充実が重要だ。 とはいえ、それだけで解決できるものでもない。 (社説抜粋)

私の住む地域でも、僅々の課題となってくることは間違いない。話し合う機会が欲しいと思う。 

2010年1月10日 (日)

70歳を過ぎて自己を肯定する

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191104011あんまり先のことを準備しても無駄である。病気になっても病人にはならない。老いても枯れもしなければ円満にもならない。ここぞというときは蜂の一刺し、強きをくじき弱きを助ける心意気。おしゃれは自己表現の最高の手段、老いを口実に諦めない。70歳を過ぎた男の独り言・・・。

現代は民主主義の世の中。勿論、自由が与えられた代わりに一人ひとりの責任をとらねばならない。自分の生活はもとより、子供たちや子孫のためにも、私たちはよりよい社会を作っていく責任がある。

「皆が聖人になれば素晴らしい世界が実現する」というようなことを言う人がいるが、それはそうではない。あまりに非現実的である。聖人なんて人はいない。極めて観念的な考えである。

しかし、聖人になることは難しいけれども道理というものがある。今は社会構造が変化が激しいから、一人ひとりが自分を肯定する必要があるということではないだろうか。そして、自分の周りに調和した世界をつくっていけば、世の中全体がよい方向に進んでいくと思う。

今現在の自分を肯定することから始める。どうしても、年を重ねてくると、自己否定の傾向になってしまい、「自分はダメな人間なんだ」と思って混乱を深くしてしまう場合が多い。

誰でも、毎日の生活の中で、物事がうまく進まずにイライラしたり、ムッとするような出来事に出会ったりすることはある。世の中、いろいろな人がいる。「私、あの人キライ!」ということもある。
 
大人の場合は周囲のことや自分の損得を考えるから、あまり表面に感情は出さないことのほうが多い。しかし、心の中で思っていれば同じことである。感情を抑えて直接表面に出さないようにしても「あの人キライ」と思っていれば態度や言葉の端々にそういう気持ちが現れてくる。すると相手は敏感にそれを感じ取って「なんだか知れないけど、あの人感じわるい。私のことを嫌っている」と思い、嫌いになっていく。

やはりイヤな相手には冷たくなるし、相手が不誠実であれば頭に来る。そういう人間が側にいたら嫌いになるに決まっている。、誰かを嫌うという感情はなくしたほうがいいが、ただ、それは理屈であって、どうしても「あいつはイヤだ」「あの人は嫌い」という感情が湧いてきてしまう。

ポジティブな発想の方は、なんとかその人のいいところを見つけて好きになろうと努力するが、殆んど失敗する。心のどこかで「やっぱり私、あの人嫌い」と思っているからである。それで余計にストレスを募らせるのである。私もそういう感情があることに気づいて自己嫌悪に陥ってしまうことがある。

解決策として、とりあえず今現在の自分の感情をそのまま認めてしまうことである。認めることで、ある程度自分の感情を客観的に見据えることが出来る。そう感じていることが、現時点で自分はそのように感じる人間である。ということを認め、自分がどのように世界を把握するクセを持っているかということが分かり、対処の方法も判断で来ると思う。

2010年1月 9日 (土)

起きている現実

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08nangodake_sandou11経済評論家の勝間和代さんの「起きていることはすべて正しい」という。

日々起きていることは、勝間さんが言うように、『起きていることはその人の能力や努力の結果であるから、いわば起こるべくして起きたことで、それはすべて正しいことだ』そう言い切れるのかなぁー

多くの人が、目標に向かって一生懸命努力しても、結果は出ない人がいる。人生行路、ひとり一人にふり被ってくる波は形も、大きさも、強さもみな違う。目標値の何割かの達成で甘んじなければならないのが現代社会である。

昨日のニュースで、仕事や住まいを失った人たちがハローワークに通う交通費などとして2万円を支給されたあと、所在がわからなくなってしまったと言う。この問題でも、支給するほう需給する方にも、言い分があると思うが、現実なのである。

それで諦めたら元も子もないことになってしまうが、世の中そんなことの連続だ。煩悩(三毒)が拭いきれない人間である。「人生泣き笑い」これが自然である。

人生は努力や意欲で掴み取っていくものかもしれない。しかし、うまくいくのもいかないのもすべて自己責任だと言い切ってしまっては身も蓋もない。うまくいかない自分と折り合いをつけて生きるのもまた、人生である。

自分の得意なことを見極め、不得意なことについてはなるべく時間を使わないようにすることが、自分にたいしても相手に対しても誠実な生き方。起きていることはすべて、自分に対するメッセージ、あるいは何らかのチャンスである。しかし泥だらけのまま人生終ってしまっても、その人の価値観で幸せと思う人もいる。

2010年1月 8日 (金)

環境美化を思う

539571今年も1月2日からゴミ拾いをしている、今年こそはこれだけは要望したい事がある。地球温暖化、環境美化など、夫々意識は持っているのだが、通りに空き缶・ペットボトルなどのゴミが落ちていても、殆んどの人が知らん顔、バス停などは、眉をしかめているだけで、片付けようともしない。

捨てた人、タバコの吸ってそのまま捨てる人が悪いと思うだけでは、町の美化は守れない。確かにゴミを拾うという行為は勇気のいることである。ちょっとそばにある屑篭に入れるだけで、後からバスを利用する人が気持ちがいい。

ゴミが散乱、街頭の球切れ、掲示板の期限が過ぎていたりする町内は、不健康で、犯罪が多いという。地域住民の一人ひとりが町内の美化に協力していく意識を持つことがみんが安心・安全に住み続けることが出来るのである。

環境美化はひとり一人で気をつけるように子供たちに教える。処理(区分け)は役所ではない、個人個人で処分する。空き缶・空き瓶・ペットボトルなどは捨てても腐らないという意識を持つことが大事だ。

要望したいこと。

1 自分の家の周りは自分の責任で行う。

2 ゴミを捨て行った人には注意する勇気を持つ。

3 他所へ行っても絶対にゴミは捨てない。

テロの心配の中のサッカーの試合

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282_field111今年は、世界的不況はなんとしても抜け出してもらいたいところ。しかし、この機に乗じて、国際的テロ組織アルカーイダの不穏な動きが気になって来た。

イエメンのサヌアで、サッカーで日本:イエメン戦が行われた。さすがに警備は500人の銃を持った軍人によって警備されたという。イエメンはアルカイーダの指導者のウサマ・ビンラーディンの故郷だそうだ。6日に試合は行われ、日本は平山選手のハットトリックで3対2で勝った。不穏な雰囲気で日本選手も、気になったことだろう。

不穏といえば、年明け早々、テロへの危機感が米国から世界へ広まった。昨年末、デトロイトに着陸直前だったアムステルダム発の米デルタ航空機内で起きたテロ未遂事件だ。

機内に持ち込んだ高性能爆弾を起爆させようとしたナイジェリア出身の男は、アラビア半島のイエメンの出身だそうだ。オバマ米大統領は、テロに対する特別な思いで、対処しようとしている。テロとの戦いの前線がアフガンやパキスタンだけでなく、さらに広範囲に及ぶと認識する必要がある。

デルタ航空機事件ではテロ対策の盲点が露呈された。なぜ搭乗の際煮爆発物を検知できなかったのか。米政府がテロリストのデータベースに登録していた要注意人物をなぜチェックできなかったのか。空港の保安態勢やテロリスト関連情報の共有などの点で、オバマ大統領のみならず,誰でも思うのは当然である。

日本でも、起こり得ると認識することが大事でその対策が急務ある。テロとの戦いは日本の安全に直結する極めて重要な問題である。

 

2010年1月 7日 (木)

運命は変えられる

3612運命は変えられる。

運命=人間の意志を超越して人に幸、不幸を与える力即ち、岐路が連続しているのが人生である。その判断によって日常生活継続されている。そして、常に軽い・重いを問わず二者または、三者択一を迫られその結果が今日現在になっている。もしも結果が不都合なものならばその原因はそれを選択した時点での判断が正しくなかったことになる。

人生の窮地に立たされた時の最終判断は知恵・知識や理性を放棄した個性によって人生を誤る場合が多く見られる。「正しい事と自分に都合の良い事」を混同した結果「なぜ、あの人が?」「どうしてあのような?」とささやかれる言葉がこれを裏付けている。

平穏無事、順風満帆の人生を歩む道中においては、良くも悪くも自分の本質を覆い隠せるが、一旦重大事に遭遇すればその判断は知らず識らずの中に親から受け継いだ資質・DNAに支配されて形は違えども親と同じような、道を辿ってしまうのは別段珍しいことではない。

花の色同様に親から受け継いだ性格等の遺伝子も自分の意志では如何ともし難いものならば、これも又運命と称して何ら差し支えはないと言える。

運命の範疇である性格も自他共に楽しく愉快な生活に役立つものならばこれを伸ばし不都合なものならばこれを変える努力が必要である。

性格と言う運命を変えるには花の交配同様の努力があれば可能である。即ち自分の持って生まれた癖や性分を取り去ることで運命は変わり、その後自身の歩む道・人生は大きく好転してくる。[運命を変える]ことになるのだ。

不死身な人はいない

07rose_ame21新年早々のショックな出来事である。

兄が3日に緊急入院した。昨年6月に次いて、二度目である。3年前に心臓手術を行っていた。戦争を体験した84歳である。昭和の激動の世の中を走ってきて、気がつけば何時の間にか体中の細胞が剥げ落ちてしまったようで、気力も失せてきたようだ。

一方、藤井財務大臣が身体の不調を理由に辞任すると言う。77歳である。国の浮沈を決める大事な予算を、組むことで精根尽きた感じである。

人間不死身な人はいない。個人差はあっても不死身な人はいない。でもこの世にに生きるものは、短命であるからこそなのか、人生をやめるものもある。共に生きようとはしない。自分さえよければ…。そんな事を思うものまでいる。

日本を、家庭を、滅ぼさないように共存してゆくこと。今の生きるものに課せられた先輩達からのから未来への絶対命令である。今まで生きてこられた偉大な資産を失くしたら生きることも出来ない。子孫に地球の命が尽きるまで継続してゆかねばなるまい。

人間が生きるには、心・技・体・プラス品格が備わって、人の上に立つことが出来る、立派なリーダーと言える。そのうち一つでも欠けてしまったら、職を辞めることだ。しかし、人生はそう簡単にはやめられない。命の尊さは、人間の判断では決められない。

自分自身で決められないことって、結構世の中多いと思う。そんな判断力は周りの人や環境によって左右される。それは相手を思う「優しさ」のファクター大きい。

知っていた積もりだった、解っていたと思ってた、でも違っていた。優しさにこんなにも、力があったなんて。人を結びつける力、人を動か力、心を結びつける力、心を動かす力があるのである。

雲の流れ風のゆくえ

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24351自分の人生を振りかってみて、つくづく思う、私の人生雲の流れるまま、そして風のゆくえが分からぬような目標もなく、行く先の分からない終わりを見据えない人生を過ごしてきたもんだ、なんと無駄な?・しかし結構充実した?ことがあったかな・・・。

まだまだ先がある、さぁーてどうするか、また雲の流れ、風のゆくえも分からないままこの先を歩んでいくしかないか・・・。そして、あるときは山の頂に舞い上り、あるときは深い谷に舞い降りて、悩んだり、苦しんだり、喜んだりしながら、そうして遠い彼方に飛び去って行く、雲のように、風のように・・・
こんな事を考えていたら、阿久 悠さんの詩に出会った。

作詞:阿久 悠    (作曲:三木たかし編曲:奥 慶一)

雲の流れ 風のゆくえ
追いかけて はや何年
立ち止まれば ふり返りたくなる
どのくらい 歩いたかと

道みちに 私がいる
さまざまな顔をして
うなだれて よろめく時代の
いくじなさも 今はいとしい


雲は高く 明日に向かい
風もまた 前を行き
生きる事に素直になる
私は ただ歩く
雲のように 風のように


雲の流れ 風のゆくえ
人はみな 夢追いびと
思わぬ道 迷いこむことなど
いくたびも あったけれど

時どきに 誰かがいる
愛したり 憎んだり
傷ついて 涙を流した
つらい過去も 生きたあかしか

雲は光り ゆらりゆらり
風の歌 やさしくて
知らず知らず ほほみつつ
私は ただ歩く
雲のように 風のように

2010年1月 6日 (水)

生きている事の有難さ知る

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Photo2010年の新しい年を迎えることが出来、生きている有難さを、痛感し、感謝している。そして私が存在していること自体を考えて見た。

私たち、人間の身体は六十兆個の細胞の集合体と言われている。そして新陳代謝をしている。いわゆる生命体を維持して行くためには、いつも新しい細胞が生まれて、一方で古い細胞が死んでいく、そんな生死の姿が人間の身体である。

私も、人間としてこの世に生まれてきて、存在しているのである。毛髪一本も自分の意思ではどうにもならないのがこの命である。また細胞の一つ一つが、気の遠くなるような何億年もの長い時間の命のつながりの上に生きている。

生きとし生ける命はすべてが、何かのかたちで皆係わりあっているからこそ生きていける。お互いに生かし合っているということである。しかし、多くのものは無関係としか見えないのである。

形ある生命体、全てただ一つだけで存在できるものはない、他の命に支えられ生かされている。だから、他とともに生きていく、他を生かせてはじめて自分が生きることができる、これは自然の姿・道理である。

自分と他の人との関わりにおいても、社会との関わり、自然との関わりにおいても、それは同じことである。この道理が軽視され、ないがしろにされているから、さまざまな問題が生じている、だから他を慈しむということが、同時に自分を慈しむことになることだと思う。

昨日は、元旦から子供・孫達の来訪の準備などから、対応から、やっと解放されたので、妻と二人で、三浦半島の三浦漁港まで、ドライブに行ってきた。そして美味しい鮨を食べてきた。 生きている有難さを改めて知る。改めて、これからも大事に生きようと思った。

2010年1月 5日 (火)

感性の時代(心の豊かさを求める時代)

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07kitayamazaki31先進国と発展途上国なんて区別しなければならなくなった国際社会意識もおかしい。行き過ぎた格差社会構造が問題である。今、人間にとって、真の心の豊かさを求める時代となってきたと思うが、その反面、環境問題も、人の命もお金で解決するという考え方がある。

いつの時代でも人類の欲望は豊かさをもとめる。近年、地球規模で市場経済が広がるにつれて、国境を越えた犯罪やテロが多発し後を絶たない。宗教からくる「幸せの価値観」の相違が生活レベルの格差となっている。

強力な軍事力を持つ国が世界を制覇し、経済の論理を押しつけ、勝ち組と負け組をつくり、富む国と貧しい国の格差も大きくなっている。負の産物として、地球規模で環境汚染・温暖化が急速に進んでいる、また地域紛争も後を絶たない。

欲望の渦巻く世情では、お金ですべてが動く、お金や物がありさえすればという考え方が日常的になっているから、お金がすべてという価値観が、子供の心までも蝕んでいのである。

国内においては犯罪の凶悪化、低年齢化、親の子殺し、子の親殺し、いじめやひきこもりなど、さまざまな深刻な問題が数多く起きている。長寿の高齢化社会、一方では子を産み育てることが少ない少子化、いわゆる少子高齢化が我が国では急速に進み、社会構造が大きく変化してきている。
 
欲望の渦巻く世の中にあって、人は限りなく豊かさを求めるが、お金がすべてである、お金ですべてが動くという価値観のみで、すべてが満足するとは思えない。

人類は物質中心の技術文明から、心の自由と飛躍をめざした「感性の時代」に入って来たと思う。外界の様々な刺激の中から有用な情報を獲得し、また自分の考えや存在を、周囲に知らせる能力、つまり情報の受信と発信の能力のことだ。
 
物質中心では、感性の豊かな生活を築くのには不十分であると考える人々が増えて来た。幸福を実現するために、豊かな感情の発露である感性を高めようとする行動を、人々はとるようになってきた。感性の豊かな人間を育てるために、子供の教育、とりわけ幼児期における子育てが大切であることをもっと認識したい。

2010年1月 4日 (月)

孫達の来て良し帰って良しお正月

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06oga_toga11純粋・無垢な、孫は可愛いものである。立川市の長男夫婦家族と、車で2時間位のところの長女夫婦家族(東京江戸川区)では、そうそう顔を見ることが出来ない。一年に4・5回である。

私たち夫婦暮らしで、静かに暮らしているので、二家族で10人となるので、食事などの用意などの事前準備から、遊びの相手・相談などで、疲れてしまったようだ。風呂に入るのも順番で大騒ぎとなる賑やかさは、私たち老夫婦にとっては限界がある。

今年も例年の通り、子供夫婦と孫達が2日に来て一泊して昨日帰った。帰ってほっとしたのが、いつわざる本音である。

妻曰く、「孫は可愛いが気を使い、お金を使い、身体を使い」孫の顔を見たく、憎くはないが「孫達の来て良し帰って良しお正月」と言ってため息?をはいた。帰省客のUターンラッシュに巻き込まれが心配で、予定より一日早めに昨夜9時に帰った。ほっとした。

これで私たちの夫婦の生活に戻り、お正月をのんびり過ごし、生活のリズムを取り戻したい。

2010年1月 3日 (日)

自然の中で幸福感を

08iwakisan_zinzya11物質的に豊かになること=幸せに暮らせることとは限らない。確かに生活してゆくためには多少のお金は必要だけれど、実は幸せの定義なんて人それぞれにあってよい筈なのに、人は誰もが一応に豊かさを求めて邁進し、人と比べて「あの人よりも私は貧乏だから不幸だ」とか思ったりする。

自分の人生をただ生きればよい。豊かさが、幸せという幻想に惑わされてはいけない。「個人主義、利己主義、マイホーム主義」とか「自分の国さえが良ければいい」という小さな生き方を選んでいる。

この地球も大自然も大調和をしている。今まで調和をしていなかったのではない。すべてが絶対的姿で、大調和をしていたのである。そして、人間が大自然の恩恵を素直に生きれば良いだけなのである。そうすれば、自然の摂理で、生きることの大切さが思い知らされて、我が侭な、自分勝手な生き方が、幸せと感じることが出来るのである。

悲喜(ひき)交交(こもごも)の人生であるが全てを受け入れ、感謝すること、そして明日への祈りと、反省の心が大事なことである。

大宇宙の自然の中で、幸福感を感じる生活を送って生きたい。これを今年2010年(平成22年)の目標としたい。

お正月を三代で過ごす

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07bonchi_asayake_hi11「故郷で 三代で祝う お正月」

世界各国でお正月を迎え方はそれぞれ違うだろうが、ただ月が替わっただけで特に日本のように、新年を祝う国はないだろう。

中国では、旧正月(2月12日)「春節(正月)」が中国人にとってもっとも重要な祝祭日であり。「春節」(ツゥェツ(ェ)は旧暦の1月1日で、中華民国建国とともに西暦を使用するようになってからは、西暦の元旦と区別するために、「春節」という呼び名が使われるようになったそうだ。

我が家では、二人の子供夫婦と孫四人でお正月を過ごした。今年も一族全員が健康で新しい年を迎えることができて幸せで有難いと思う。「正月もアッと言う間の三が日」今日は、故郷で、お正月を迎えた人々が一斉に(U-タウン)始まる。高速道路は大渋滞・新幹線は乗車率120㌫以上となるだろう。

お正月の伝統的な過ごし方を見ると、希望に満ちた新たな心で新年を迎える大事さを感じまる。昨年あった嫌なことを乗り越えて、ポジテブ思考で過ごせる事を心に誓って新しい年としたい。

「自分の悪徳と戦い、周りの人と仲良くし、すべての新しい年がより良い自分と出会えるように」政治家・科学者のベンジャミン・フランクリン(Benjamin Franklin)が残した言葉である。

“Be at war with your vices; at peace with your neighbors, and let every new year fi nd you a better man.”     

そして、凧揚げで「電気」を発明する。「時は金なり」Time is moneyで格言は有名である。       

2010年1月 2日 (土)

先祖から引き継ぐ遺伝子

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05detohama11生き物全て、まれたと同時に先祖から与え受け継がれたもが備わっている。生物の遺伝子(DNA)を引きついている。性格や一定の寿命までもである。

人間もその例に反しないで、体形・性格やしぐさなどである。しかし、生まれてきた育った環境で、性格・価値観は大分違って、個性として人間形成されて成人となる。

長い歴史の中で突然変異がある。今年は寅年でテレビで虎の映像が映っていたが、白い虎が動物園で飼育されていて、世界的のも200頭ぐらいしかいないという。

人間にもそういう人がいる。世界中には人種が多いが違った人種で結婚したら、両親の遺伝子を継いで子は生まれる。

体形や肌の色は親の遺伝子をそのまま継いで生まれ、そのことが成人するまで大きな悩みとなってしまう人もいる。しかし、その事のコンプレックスを克服し、武器にしてしまう人もいる。

物の受け止め方や出来事に対する対処の行い方、更には人生の送り方や遺伝子までそっくりと受け継いでしまう人もいる。その人にとって良いものだけを与え受け継がれるなら誰しも大変幸せなことだと思う。

出来る限り古来より与え受け継がれたものはいかなるものであってもよほどのことがない限り、いいものはそのまま受け継ぎ、悪いものは自己の人生によって切り開いて構築してゆくべきだ。

それほど歴史にまでさかのぼる程の祖先を大切に奉りわたくし達も未来に与え受け継いでいかねばならない宿命を背負っている。

2010年1月 1日 (金)

2010年元旦に想う

花の色は うつりにけりな  いたづらに 我が身世にふる ながめせしまに
古今集巻二(春下)「題しらず 小野小町」

08iwakisan_zinzya11 花の色は褪せてしまったなぁー、なすこともなくむなしく、時が経つばかりである。そんな物思いをしていたその間に――空からは春の長雨が降り続けていた。

いたずらに年を重ねていくばかり、確りした人生哲学を持たず2010年の元日が終えようとしている。上記の古今和歌集の春の長雨ではないが・・・。元旦の朝じっと東の空を眺め物思いに浸ってしまった。

強力な冬将軍が日本列島を襲って日本海側では大雪に見舞われているそうだが、関東地方は朝から雲ひとつない晴天であった。さすがに北風は冷たさは厳しく、我が家の門かぶりの真木の枯葉が風で舞っていた。


新しい年を迎え衰えていく我が身である。夢・希望も小さくなったが、今年も心に持ち続けて行きたい。先ず健康第一に考えて・・・。

元日の朝日はその年の始め日の光である。初日の光に照らされてすべてのものがみな新たに輝いている。それはにごりなき光である。 新しい年を迎えて、すがすがしい初日の光をいただき、心新たにして、この一年の幸せを願う。

2010年元旦・・・本気で考えよう「住みよい地球環境を」

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0107ukisima112010年元旦・・・本気で考えよう「住みよい地球環境を」

「地球温暖化」は、人間はもとより、地球上のあらゆる生物も生態系が壊れている。それでも、未だに、森林が人の手で開発され消滅している現状である。

地球上で植物で、意外に知らない木の寿命は、現在生存している樹木の中で、最も長寿命は、カリフォルニア州のセコイヤで、4,000年くらいだそうだ。中国4,000年の歴史と同じ?

ちなみに日本では、屋久杉の縄文杉や大王杉の樹齢は3,500~7,000年という説もあるが、最近の放射性炭素による年代測定によると縄文杉は2,500年、大王杉で3,500年といわれているそうだ。

もし寿命の長い木が生育に有利であれば、森林を優占する木々は、すべて寿命の長い木になってしまうはずである。でも現実はそうでなく、何万年経っても、寿命の長い木と寿命の短い木の両方が生育している。
木はそれぞれ生育に最適な場所があり、繁殖方法も違う。森林は寿命の異なる木によって構成され、いくつもの要素が絡み合いながら上手く共存しているというわけだ。

また寿命が長いからといって、いつまでも成長し続けるわけでもない。20年ほどで成長を停止する木(ミズキ、シラカンバ)もあれば、80年のもの(ブナ、ミズナラ、トチノキ)もある。

ところで寿命がくると、木はどうなるんですかというと、木は陽光が十分に当たる場所で生育する樹木のケヤキ、ブナなどの大径になる木は、理屈では寿命はない。その理由は生きている細胞は大木の中のほんの一部で、多くは死細胞。生命維持に必要な一部の細胞さえあれば、理論的にはいつまでも生存可能なのだそうだ。

しかし現実の環境は厳しく、光合成のための光環境・蒸散のための水環境・病気・災害などの理由で「枯死」してしまうのだという。屋久島のスギの寿命が長いのは、その環境がスギの生育に適しているからで、都会のスギが短命なのはその逆。枯死した木は倒れ、土壌中の小動物や微生物によって分解されながら腐朽していくそうだ。(東京農工大・生原喜久雄教授)

森林、殊に鬱蒼たる熱帯雨林が酸素供給源である。植物は、酸素を供給する。森林は、地球上に生息している数多の動物にも供給している。何億年も続いている生態系のバランスは保持していかなければならない。

人間の勝手な欲望から、山や・川を開発をし砂漠化してしまっている。化石燃料の大量消費で温暖化は進み、人のみに止まらず地球上のあらゆる生きものにも生命の危機を与えている。

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