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2009年12月

2009年12月31日 (木)

成功した影を知らない日本人

199912070922111_22009年最後の日に、「警鐘」を鳴らしたい。
「成功した影を知らない日本人」が多い、大リーグのイチロウが9年連続の200本安打記録を達成した。

インタビューに応えてイチローが、「一つ一つの積み重ねが記録であって、特別なことはない・・・、積み重ねていくことの大切さを子供たちに伝えたい」と語っていたことが印象的であった。

競争社会の現代で、世界のトップレベルに到達する人というのは、部分的に人並み外れた資質が備わっているのかも知れないが、イチローの言う「積み重ね」も確かに重要なのだろうと思う。

何かを積み重ね、続けていくことができるかどうかは、「忍耐力」とか「根性」とかの要素もあるとは思うが、「それが好きかどうか」ということの方が重要なポイントである。

他人の結果だけを見て、自分も簡単に達成すると「錯覚」している日本人がいる。目標を持ってそれに向けて、努力(忍耐・我慢)をしない、パソコン・携帯電話は無くてはならない必需品となってしまっているが、それを作り上げたプロセスや、苦労話など知らない。

生まれてきて、既に便利な生活環境に置かれている現代では、イチローの大記録の影には血の滲む努力があること忘れて・・・。人の輝いているところを見て自分が満足出来ていない人が多い。

また、社会のルールを守らない人間が多くなった。その事を考えると、家庭・地域・国が一体になってルールを守る、躾・教育に力を入れて考えないと日本は、世界の国々から取り残されてしまうだろう。

自己主張は自由であるが、「その言動に責任を持っ」・・・民主主義の現代。何をするにも自由であるが、起こした言動には責任をとることが現代社会のルールである。

そして、いまや「地球環境」・「経済」・「安心・安全の防備」も大事だが、「教育」を忘れたらいけない。努力しなくても好きなものが手に入る環境から、自分で努力しないと手に入らない事をしっかり子供の頃から教え込む教育こそが日本を救う唯一の道である。

日本人は何を求め、何が足りないのか

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2009年も後一日となってしまった。今年を振り返って「日本人は何を求め、何が足りないのか」を考えてみた。

今、日本人が求めているものって何んだろう?何が足りないのだろう?

がんばったら報われるという経験。バブル景気の経験がない20代としては、いくら働いても稼げない。「がんばる」ことに対する見返りはあまりないと感じる。「うまくやる」とか「効率よく」っていうことは結果を感じたことがあるので感覚的にも理解できるが、「がんばる」ってなんだろうって感じである。

苦労して育ててきれいに咲いた花を見て、花屋さんから買ってきた鉢物を一時期で終らせてしまい二度と花を咲かすことが出来ないで捨ててしまう。ただ見て単純にきれいだからと言うだけで買ってきてしまって、花を咲かす多くの労力と時間をかけて育てた苦労をした想いと感謝、花に対する愛情の掛けかたが足りない。

具体的には、努力し、工夫をし、時期が来るまで待つ忍耐力が足りない人間が多い、今問題となっている、「地球温暖化」「環境破壊」は、政府の仕事と思い込んでいる人間いる。日本人が出来ることは何か、一人ひとり、が行動を起こすことである。

街をきれいにして欲しいという要求は誰でも持っている。しかし、それは役所の仕事であると思っている人間が多い。自分がこの地球・日本・この地で、平和で楽しく住もうと考えるなら、人任せにしないで、自分自身で出来ることを実行して見ること、そして人の痛みやを分かる人間修行をすることだ。

2009年12月30日 (水)

愚直に生きる

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2009年も363日過ぎた残り2日足らずとなった。今年は「愚直」に生きようと心に決めて来たつもりだったが・・・。

愚直」とは、辞書では正直なばかりで臨機応変の行動をとれないこと。と、なっているが、変化自在で何でもあり、現代社会において、愚直さは、大事で、むしろ尊重すべきだと思う。

目指している結果は崇高な方がいいかも知れないが、他人に迷惑をかけないのであれば、何でもいい。毎日きちんと行動しているかどうかで、その人が生き抜いている価値が決まるのだと思う。

「愚直」さとは、要領の悪さを言うのではない。結果を早急には求めない真摯な姿勢を指すものだ。目指す方向に確信が持てれば、かかる時間は問題ではない。逆に長い方が、余計に楽しめることもある。素早く結果を得れば、残るのは燃え尽き症候群である。得られそうもない壮大な夢を目指していれば、一生かけて楽しめる。

要領が良くてもいいのだが、望んだものかどうかは極めて重要だと思う。ケータイやメールで便利になっても幸福感が得られないのは、求めているものや望んでいるものが見えていないからだろう。望んでもいない結果に対して、効率を求めても仕方ない。

自分が望んでいるものが見えれば、愚直に積むことが苦でなくなる。望んでいるものを見極め、目標を設定し、行動を積み重ね、愚直に続けていれば、生きている充実感が得られ、楽しく生きていける。逆に、ビジョンがなければ、行動は徒労に終わり、仮に結果が得られても幸福感は得られないのではないかと思っている。

2009年12月29日 (火)

1票の格差

06oga_toga11大阪高裁は違憲の判断を示した。

「いつまでも格差が2倍を超える状態を放置することは憲法上許されない」と国会に強く是正を求めたのは妥当だ。不平等と国民の大多数は感じていると思う。

小選挙区の大阪9区では約9万8千票を取った候補者が次点になり、有権者の最も少ない高知3区では約7万4千票の候補者が当選したのである。これは何と言っても合点出来ない。

夏の衆院選で格差が2倍を超える選挙区は45にのぼった。衆院はまず1人別枠方式をやめるよう、法改正に乗り出すべきで、過疎地の施策については、各議員が「全国民の代表」としてきちんと配慮しなければならない。

参院の一票の格差はもっと深刻だ。政権交代の前触れとなった07年の参院選では、格差は最大4.86倍もあった。次の参院選は来年夏に迫っており、こちらは待ったなしだ。

「1票の格差」が最大で4.86倍(鳥取選挙区:神奈川選挙区)だった2007年7月参院選につき大法廷で判決。定数配分は合憲との判断を示し、有権者側の上告を棄却した。

一方で、「投票価値の平等の観点から大きな不平等があった」とし、格差縮小のためには「選挙制度の仕組み自体の見直しが必要」と指摘。

最高裁が、参院の1票の格差是正のために、選挙制度そのものの見直しを言及したのは初めて。国会が06年6月に「4増4減」の定数是正を実施してから初めて行われた参院選をめぐり、これまでにない厳しい表現で抜本的改正を求めた形となった。(朝日・毎日新聞社説参照)



政権党になった民主党は政策集で衆院での1人別枠方式の廃止と、参院では選挙制度の抜本改革を掲げている。年明けの通常国会からさっそく動き出すべきだ。

暮れの掃除

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Mejiro11暮れ掃除 終ってもまだ 落ち着かぬ 

今年の暮れは、早めの掃除を済ませておこうと思い、12月に入ってから少しずつ行い、昨日最後の生ゴミ収集車が来たので出した。来年(正月)は4日からである。

昨日、毎年行っている餅つきを行った。子供たちに上げるためである。他にお米・りんご・みかんなどを宅配便で、東京江戸川に住んでいる長女家族へ送るのである。そして立川市に住んでいる長男家族に、車で持参してあげることが毎年恒例となっている。

しかし、掃除の精度が何時もと違う?もう少して丁寧にしようか?でも疲れるから・・・。迷ってしまった。

掃除は、すればするほどきりがないもの、これで完璧なんてない。手抜き?いや最高だと自己満足をして終らせることにしている。

戦前の頃を思えば、子供の頃は、暮れの大掃除は、一家総出で行ったものだ、畳を上げて庭に出し床を掃いたり、天井を雑巾で拭いたり、とても今では考えられない。

鍋・釜の煤かきと言っても分からないだろうが、へっつい・火じろで炊事をしたため、鍋・釜・の底に煤が着いてしまう。その煤を取る作業は子供たちの仕事である。食器などは、灰で磨くのであるが、クレンザーなどない時代である。

夕方、干して置いた畳を篠棒で、パタパタ・トントン叩いて埃を落とし家の取り込むのであるが、子供たちは二人で持ち元の位置に敷くのである。その元の位置はたたみの裏に墨で書いてあるので子供でも分かった。

大神宮さまの掃除は、父親の仕事で、埃を払って、幣帛(へいそく)を作って取替えて、松の枝を供えて、新しい年を迎えたのである。

2009年12月28日 (月)

鳩山政権を注視する

282_field111政権交代して100日で首相の辞任騒ぎなどしてるほうが問題だと思う。国際社会から日本は、信用されなくなる。いつも、国難と騒いでる人たちこそ冷静になって日本の危機を一致団結して守るべきである。

こんなことで騒いでいたら日本国全体がマイナスである。鳩山由紀夫首相や民主党の代わりはないと思う。自公政権がもたらした、事業仕分けから見て、自公政権では見えなかったものが見えてきたではないか、古傷のかさぶたが落ちた、そして希望・再生日本が!もう少し見守ることが大事だ。今日の最近来日した、オノ・ヨウコさんが、鳩山由紀夫首相が大変ご苦労されていること関し、見守ってあげることが大切と、朝日テレビ・ワイドスクランブルで、コメントしていた。

先の総選挙で惨敗した自公の議員は、いまの民主党批判には展望がないことだ。民主党を批判してどうするつもりなのだろうかと問いたい。確かに、鳩山首相の発言に、ブレを感じている国民は多い。

鳩山首相も危機を乗り越えられるほどの器量があるとも、危機感があるとも思えない。しかし、今は国難ともいえる時期で一団結すべきときだ。ではサブプライムやリーマンショックのときは一致団結すべきではなかったのか、麻生政権が出した政策を具体的に議論し、より良い経済対策のためにまともな民主議会を運営するべきではなかったのだろうか。

一体あの時どれだけまともな政策論争があっただろうか、漢字の間違いや、カップラーメンの値段、バー通い。些末な問題をわざわざ国会で取り上げ時間を浪費したのはどこの政党だったか・・・。

麻生政権が危機対策に行った政策の一つ一つに民主党や民主党支持者、政権交代を声高に歌ったジャーナリスト達は、具体的に反論しただのだろうか、そしてその具体的な反論を今実行し、あるいは提言し成功させられると言えるのだろうか・・・。

老老介護を考える

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1205661 私の兄夫婦は、厳しい戦時下を生き抜き、必死で子供たちを育て、ようやく平穏で穏やかな人生が待っているはずの「老後」がなぜ?、それなりに健康に配慮していた。夫婦は、80歳を過ぎて、穏やかな暮らしを送っていたが、片道切符の山道を駆け下りてしまった。介護の必要になってしまってからも、長兄夫婦は様々なドラマを演じ、四年前に他界した。

そして今、次兄が「老老介護」を余儀なく、壮絶な暮らしを目の辺りにしている。そのことが頭に浮かび、何年後間違いなく訪れる自分の老後を思わずにはいられない。

私にとって「老後」とは言葉でわかっていたつもりだが、実際の介護の実態を目にすると考えと意識は違ってしまった。おそらく多く戦前に生まれた人たちは私と同じ認識だと思うが・・・。

ともすれば、痴呆の老人やベッドや車椅子に横たわる老人を見ても、その人たちが、かつて今の自分たちのように「はつらつ」と仕事や生活を謳歌していた人達だったことすら頭の中から消え、無意識のうちに老人たちへの「畏敬」を忘れ、「尊厳」すら無視している私達や社会があるように思う。

介護施設などを見学して、痴呆や脳梗塞で「植物人間」状態の妻に対して、元気だった頃のように必死で話し掛け、決して叶うことの無い回復を願いながら介護をする夫の姿をみた時、苦楽を自分とともに生きてきた妻への「尊敬」「感謝」があればこそ「必死の介護」ができるんだろうと思ようになった。そして、自宅介護を余儀なくしている、ある男性は「妻は私の戦友ですから」と言う。

誰もが必ず「老い」を迎えること、そして今の「老人」たちもかつては、若く、はつらつとした人生を送っておられた「偉大なる人生の先輩達」であることを・・・そして[老後」を自分のこととして感じてしまった。

2009年12月27日 (日)

歴史の流れと国の借金

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08yokotesigai_yuukei21 長い自民党政権からようやっと民主党政権に代わって、見えてきたのは、国の大きな借金だ。この借金をどう処理していけばいいのか、将来に回してはいけない。国の経済が右肩上がりでいくということは、グローバリゼーション時代では難しい。

時代の流れが速まってきた事である。イデオロギーによる東西冷戦が終わったと思ったら、グローバリズムという「市場原理」が支配した。それがまた変化して「国家による国益追求の時代」に入った。歴史の流れの変化と、急速化から目を離す事が出来ない。

経済のグローバル化で「国家」の役割は低下していくと考えた事は間違いであった。国境を超えた経済活動が進んでいけばいくほど、国民の生活と安全を守るための国家の役割は増大する。しかしその解決すべき課題はますます複雑となり、かつ難しくなる。それに対処するためには、正確な判断力と大胆な実行力が必要となってくる。

こうした世界の流れに対して、わが日本はどう対処していくべきであろうか。経済的繁栄の中で希薄化された「日本国家」は、グローバル化で一層影を薄めた。しかし世界の流れは変わった。まず 国家 と 政府 を峻別しなければならない。現在の国家危機を救うために政府を作り変えるのだ。

最近目立つ政治家や官僚などの不祥事は目に余る。こうした不祥事を生み出す政府を断固改革する政治のあり方を探っていかなければならない。そして10年後の「日本国家」のあるべきビジョンを明確化し、それを実現する具体的戦略を国民的コンセンサスに基づいて早急に作り上げていく事である。

21世紀の日本は、いろんな地域が独自の繁栄を築き上げ、それぞれが 切磋琢磨する事によって展望が開けてくる。そうした地方政府の連合体としての日本は再び活力溢れる国家となる。

最近、政治家の「プライマリーバランス」と言うことを耳にしない。しかし、今までの背伸びして来た日本経済は、爪先立っていては疲れるだけである。国民に借金をしてでも楽な暮らしをさせて置けば、・・・ノー天気な息子(国民)が、親から(政治家)高級車を買ってもらい事故を起こし、乗れなくなってしまったような日本経済。政治家は馬鹿親父そのもである。

歴史の流れ速い、先延ばしと言っていては、借金を返ことがますます大変になってくる。賢い政治家は、返済計画をきっちり国民に説明して行く責任がある。

2009年12月26日 (土)

「おおつもごり」と来年度予算

Odaiba971師走というと樋口一葉の「おおつもごり」を思い出す。樋口一葉というと、2004年に、五千円札に登場した、明治の女流作家で、「おおつごもり」を思い出す。そして、リンクして考えてしまった。今年の長い不況で自殺者は3万人を超えたと言うことを・・・。

大みそかに伯父から年越しのために借金を無心された貧しい女中である主人公が、悩みに悩んだ末に主の金庫からお金を盗む。盗みが見つかるのではーという恐怖と良心の呵責にさいなまれながら長い1日を過ごす。

その樋口一葉の一生も大変な貧乏だったそうで、小説を書くようになったのも、生活のためのお金を得たいがためで、特に大衆受けのする小説ばかり書いたのは、本意ではなく、弟妹父母を養うためだったようである。

結核で倒れ、24歳という短い生涯を閉じた一葉であるが、お金に縁のなかった一葉、今五千円札の中でなにを考えているのだろうか・・・。

昨年のリーマンショック以来世界経済は落ち込んだままで、その波は日本にも経済も深刻な影響を及ぼしている。景気回復を願っている国民は鳩山政権に期待が大きい。

コンクリートから人へのスローガンの民主党、鳩山政権初めての予算案は、子ども手当や高校の授業料の実質無償化など、政権公約に掲げた政策を盛り込んだ結果、一般会計の総額は92兆2992億円と、過去最大の規模で決まった。

師走・・・普段のんびりしている教師でさえ走り出すほどあわただしくなるから「師走」――と理解しているなら、それは間違いと言う。「師走」の語源には諸説あるが、かつては年の暮れにも、坊さんが檀家の先祖供養のため一軒一軒を忙しく回った習わしに由来するとの説が最も有力である。
 
しかし、明るいニュースもある。日本人宇宙飛行士・野口聡一さんら日米露3人の宇宙飛行士を乗せたロシアのソユーズ宇宙船が23日、国際宇宙ステーションに乗り込み約5カ月間にわたる長期滞在が始まった。

野口さんは地上にいる家族と交信。「これからここが新しい家になります」などと話した。「無重力の中で、さまざまな実験に取り組んだ」と新聞・テレビが伝えた。

来年の日本経済の発展と活躍される野口さん、期待したいものである。そして五千円札の樋口一葉は更に遠い宇宙のかなたから、何にか元気の出るメッセージを送っているに違いない。そういえば明治生まれのお袋に、一葉は似ているなぁー

自殺者3万人超えた

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1231昨日、NHKのニュースで今年の自殺者が30000人を超えたという。そして12年連続でである。遺族への聞き取り調査によるとその72パーセントは亡くなる前に精神科や自治体の相談窓口などを訪ねていたという。長引く不況で中小企業の倒産などの影響が大きな要因と考えられるが、それだけではない。

自ら命を断つ、ということは悲しいことである。少しでもそうした悲しいことは、なくしていかなければならない。そのためには、しっかりした社会の対策が必要、政治の「生命尊重こそが政治の基本」が大事である。

それと共に、なぜ死にたいと思ってしまうのか?もしも自分がそう思った時、また家族、友人、知人がそう思った時、その気持ちをどう受け止めていけばいいのか、そのことを自分の問題として考えておくこともまた、重要なことだと思う。

重い心の扉を開けることはとても難しいことである。簡単に開けることはできないかもしれない。でも、だからこそ、じっくり、ゆっくり、しっかりと、考えていかなければならないと思う。

自分は何のために、この世に生まれてきたんだろう・・・

いろいろなことに夢中になっても、何か満たされない・・・

こころの中の、あるいは 身体の何かが、いつも頭から離れない・・・

メンタルに、あるいは身体が感じている感覚は、本来の自分から受取ったメッセージである。 と、とらえ、そのきっかけとなる、心の奥から自分に訴えかけている本質そのものに、気づき、それをクリアできるように働きかける、それが大切である。

悩みを聞いてもらい、心の風邪を治療すことである。人間はちょっとしたきっかけで、落ち込んでしまう動物である。悩んでいる人がいたら、聞いてあげる心のゆとりを持ちたいものである。

2009年12月25日 (金)

中国 「反体制」作家の初公判

Top_image1 中国で共産党の一党支配を批判し、民主化を求める文書を起草したなどとして、国家の転覆をあおった罪に問われ中国の人権問題の象徴とされている作家に対する初公判が開かれ、欧米各国の関係者が傍聴を求めたものの中国側は認めない。

国家と政権の転覆をあおった罪に問われているのは、中国の作家、劉暁波被告(53)で、23日午前に地方裁判所にあたる北京市第一中級人民法院で初公判が開かれた。関係者によると、裁判で検察側は、劉氏は1年前に共産党の一党支配を批判し、民主化を求める文書を発表し、政権を転覆しようという意図があったなどと起訴事実を述べた。

これに対し、劉氏は起訴事実を否認したということである。劉氏については、アメリカやEUが、中国は基本的人権を無視しているとして即時釈放を求めており、中国の人権問題の象徴的な存在となっている。

それだけに裁判にあわせて北京に駐在する欧米各国の外交官およそ20人が傍聴を求めましたが、中国側は満席だという理由で認めなかった。裁判所は25日第1審の判決を言い渡す予定で、その内容に関心が集まっている。(以上NHKwebより)

世界経済大国では、アメリカに次いで世界第2位の地位を確保した。その反面、現在民主化が遅れていると、先進各国の非難が激しい、どうも国家像が不透明なところがある。

日本のマスコミも、中国は、一党独裁、非民主的、人権抑圧、などと評されることが多い。しかし、1979年の改革開放以来30年の歴史を振り返ると、共産党独裁政治は、きわめて成功してきたと言えるのではないだろうか。

共産党政権は、社会主義経済から資本主義経済へ、社会の仕組みに移行した。そして、経済成長と両立させながら実現させてきた。末端では腐敗などの課題が根深いものの、国家レベルでは、相反する課題の中で微妙なバランスをとりながら、全体としての発展を実現させた。結果的には、「一党独裁」という体制は、一番現実的だったのではないかとさえ思う。

もし、中国が、いきなり西側先進国家のような政治体制をとっていたならば、有権者のレベルを考えると確実に衆愚政治となり、社会は分裂し、国全体にとっての最善を考えた政策は実現できず、結果として経済成長と国民生活水準の向上は遅れてしまっているだろう。

しかし、個人の基本的人権問題である言論の自由は認める社会体制にしなければ中国の将来は、国際社会から取り残されてしまうだろう。

 

「介護」と「幸せな人生」

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Mutsumefuta21「子供叱るな、来た道じゃもの。年寄笑うな、行く道じゃもの。」いずれは誰でも経験する人の最終舞台、その演出をどう考えたらいいのか?

5年前に長兄夫婦のすざましい、夫婦の介護の取り組み、家族・兄弟などで係わり(介護のあり方・人権尊重・介護制度)を約5年間を経験してきた。そして、今度は次男が倒れ、介護のの問題が大きな問題となってきている。

次男夫婦は80歳を超えている、義姉が次男を介護をしているが、介護度5である。義姉は何とかヘルパーを頼まないで大丈夫というが体調が心配である。子供・孫は、同居ではない。

突然襲ってくる環境の変化・慣れない介護は相当にきつい。次男の状態は、好転は望めない。介護制度のあり方・生きる権利・生きるとは・幸せな終焉・などを考ええてしまう。

地域でも、高齢化の進捗が激しい、そう言う私も古希を過ぎ、いよいよ心の準備をしておかないと考える毎日である。そして幸せな人生を模索したい。

厚生労働省の国民生活基礎調査で、在宅で介護する人の約1割が80歳以上の高齢者という、「老老介護」の実態が、介護者の3人に1人は70歳以上だ。急速に進む核家族化と高齢化で高齢者だけの世帯が増え、介護も高齢者に頼らざるを得ない現状が問題となってきた。

介護者の年代構成は50歳代が29.8%と最多で、60歳代24.4%、70歳代23.0%と続く。80歳以上の割合は01年6.2%、04年8.5%、今回は11.1%に増えた。

少子化や核家族化を反映し、平均世帯人員は過去最低の2.63人に。65歳以上の「高齢者世帯」は前年より54万世帯増え900万世帯(全体の18.8%)だった。祖父母と父母、子どもからなる「3世代世帯」は過去最低の404万世帯(8.4%)となり、調査開始時の86年の15.3%から急減している。

2009年12月24日 (木)

東芝佐々木社長と原子力事業

Katidoki241東芝はIHI、米エンジニアリング大手など組んで、米ウエスチングハウス(WH)を買収したが、地球温暖化や原油高で、原発の見直しの機運が高まっているのが背景にあった。

東芝の佐々木則夫社長は、CO2を出さないエネルギーとして原子力事業の役割は再評価される傾向にあり、原子力事業強化に舵取りをした戦略の正しさをアピールしている。

また、原子力事業の出身でWH買収にかかわり、社会インフラ事業の足固めをした実積を評価されて社長に抜擢された。原子炉の受注も順調。WH買収投資の成果は長期的な回収を見込んでいたが、短期的な利益寄与も見込める」と強調している。

先日デンマークのコペンハーゲンで行われたCOP15でも、具体的に目標数字が各国の思惑などで決まったわけでない。しかし温室ガス排出規制は、190以上の参加国すべてが認識している。

原発にはPWR(加圧型)とBWR(ふっとう型)の二方式がある。 東芝はこれまでGEから技術供与をうけ、BWRを手がけてきたが、最近GEは日立とくむことをきめたため、BWRを独自で開発することを決めた。

一方、WHは世界で稼動する原発の、60%以上をしめる。東芝はWHの買収により、二方式の原子炉を自前でととのえ、原発事業の成長をめざすという。

私が、東芝O.Bであるから言うのではないが、東芝の戦略は正しかったと思う。大いに期待したい。

日々是好日

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         湯殿川より富士を望む

山岡鉄舟が 「晴れて好し曇りても好し富士の山、元の姿は変らざりけり」 と言っている。富士山を見に来たのに雲に隠れて富士山が見えないと嘆いてみてもしかたがない。雲の向こうに富士山はあるが、見えないからと自分の不運を嘆くのは人間の勝手心である。

好い日、悪い日、普通の日などと、自分がそう思いこんでいるだけである。

私は最近余生をどう過ごそうかと考えていたが、しかし、よく考えたら、人間に余生と言うものがあろうはずがない。こときれるまで生きることが天命であると思うようになった。人間一生、「日々是好日」、今日で命尽きるかもしれない、その日その時、みな良き日、よき時でありたいものである。

日々是好日が積み重なれば年々好日だと思う。未練たらしく、過去を振り返っても、未来に思いを馳せても先のことなど何も分からない、だから、今日を悔いがないように生きる。晴れの日、曇りの日、雨の日、嵐の日など人生はお天気のようなものである。

絶望も希望の出発点になる。喜ぶべきであり、来る日、来る日のことごとくが好き日であり、自分の物差しで判断していると、ついつまらないことで嘆いたりしないことである。

2009年12月23日 (水)

親学(おやがく)

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08nangodake_sandou11公園で子供たちが、遊んだ後に、サッカーボール・野球のミットが置きっ放しになっている。持ち帰るのを忘れたようでない、ベンチには飲みかけのジュース・お菓子の袋などが散乱していた。よくある風景である。これではいけない、いったい親の躾・教育はどうなっているのか問題である。

将にこの問題で親学が必要であると認識した。産経新聞 [2007年05月01日(火)] に、この記事に出あって、ちょっと勇気をもらったような気がした。

「親学(おやがく)」とは、すでに親である方に限らず、これから親になる方に対しても、親とは何か、親に求められることは何かなど、親として学ぶべき大切なことを伝える。

「親学」という耳慣れない言葉が注目されている。若い親たちに子育ての知恵や楽しさを学んでもらい、家庭教育の重要性を自覚してもらおうというものだ。政府の教育再生会議も親学を進める緊急提言を検討している。

子供をしっかり抱いて子守歌を聞かせたり、早寝早起きを守らせることの大切さなど、昔からの子育てが核家族化のなかで、祖父母から親、子供へと十分に伝わらなくなっている。

逆に学校の参観にきた若い母親が廊下でたばこの吸い殻を捨てる。きまりを守らない子供を廊下に立たせたり携帯電話を取り上げたりすると親が学校に抗議する。給食費を払わない。公共心のない親の問題は目に余る。

 家庭の教育力低下は危機的といっていいほどだ。昨年12月に発足した民間の「親学推進協会」の会長を務めるエッセイストの木村治美さんが「学校教育がどんな対策をとっても家庭がまともでなければ解決しない」というように、教育再生には親の教育が先決だという思いは多くの人に共通する。

すでに民間や教育委員会が、親学の講座を開くなど、各地で親学推進の活動が広がりつつある。京都市のように乳幼児の定期健診を利用してボランティアが絵本の読み聞かせをし、親子のふれあいや子育ての楽しみ方を伝授する工夫もある。

子守歌など昔から引き継がれる子育ての知恵は、最新の脳科学などでも子供の心の成長に大きな影響があることが指摘されている。子供の問題行動などは学齢前の親のしつけや対応が鍵となっていることが多い。

再生会議では、高校などで親学を充実することも検討している。家庭科などの教科書では、ジェンダーフリー(性差否定)を背景に、伝統的な父親、母親の役割や家族の絆(きずな)を軽くみるような記述や、女性の社会進出のなかで子育てを負担として描くような記述がある。命の重さや家庭の大切さを実感できる授業をしてほしい。

再生会議の緊急提言は、いじめ問題についてのアピールに続くものだ。家庭教育のマニュアル化につながるなどという異論もあるが、親の責任は重く、緊急性は高いはずだ。地域の人たちも多く参加し、子供や親を見守り支援、協力をしていきたい。

2009年12月22日 (火)

冬至の雑感

Kamejima41 晴れていれば星が一杯、でも最近家が多くなって、見にくくなった。昔は、日の出と共に起きて一日中働いて、夕方日が落ちると夕飯を食べてから寝た。

農家の生まれの私は、両親の藁仕事の夜なべをし、朝は明けの明星を抱き、夕方は一番星を見ながら、野良仕事を終えて家に帰って来る。姿を目に焼きついている。

年の離れた兄の歌ったくれた「冬の星座」を思い出す。

木枯らしとだえて
さゆる空より
地上に降りしく
奇(くす)しき光よ
ものみないこえる
しじまの中に
きらめき揺れつつ
星座はめぐる

ほのぼの明かりて
流るる銀河
オリオン舞い立ち
スバルはさざめく
無窮(むきゅう)をゆびさす
北斗の針と
きらめき揺れつつ
星座はめぐる

きょうは、昼の時間が最も短い冬至。太陽の高度は一番低く影は長く伸びる。厳しい寒さが本格化する季節でもあるが、この日を境にまた少しずつ日が長くなっていく。
(昔の人は冬至10日前が一番日が短く感じられるという。むしろ冬至になると日が伸びたと言っていた。)

冬至にかぼちゃを食する習慣がある。野菜の少ない冬の栄養補給に、保存が効くかぼちゃで対応しようという先人の知恵によるものだ。ゆず湯もそうだが、身体によいことは間違いない。

きのうロシアの宇宙船ソユーズで基地をたった野口さんは、船長に飛行状況を伝え、操縦を補佐する重要な役割を担う。国際宇宙ステーションでは約五カ月間、ロボットアームなどを使った実験をするという。

「生きる」考える

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08muhyo_omono_tyokai11魚は水を得て泳ぎ、 それなのに水が在ることを忘れ 、鳥は風に乗りて飛び 、それなのに風が在るを知らない。

人もこの道理をそれと意識せずに、いつのまにかある行動をしたり、ある状態になっていたりする。そのことから、外のわずらわしさを惑わされずに、自然は言葉で表せないほどすばらしい。素直に喜び楽しむことだ。

子供のように純粋で素直な心境になることが出来ることが、平和で穏やかな社会を創ることで最も基本であると思う。

世の中には、色々な考え方の人がいる。人は独りでは生きていけない、人間社会で生きていくには、信頼の保障が必要だ。そこにお互いの信頼を保障するルール(法)が生まれる。

現世を顧みると、法の隙間から、抜け出そうとする人間や、身勝手な法の解釈で多くの人を苦しめている人間が多い。

人間は、いつも豊かさを願い、祈り、そして、そのために働いてきた。豊かさは「大地の恵み」であり、「労働の実り」である。この恵みと実り、祝福に満たされた豊かな人生こそ幸福と自然の姿と思う。

今、この豊かさが見直されてきている。それは先進国の、豊かさの向こうに自然破壊や地球温暖化、過度の消費主義や金銭至上主義、そして、家庭の崩壊、人間性の喪失など、文明病が待ちかまえていたことに気づいたからである。

住み良い環境を守るため、子孫に美しい地球を残すために、そして、将来予測される地球温暖化による地球規模の危機を防ぐために、あらためて自分たちの生き方や生活を見直す。つまり、この地球上に多くの生物のように、素直な心になって、考え直すことが大事だ。

2009年12月21日 (月)

宇宙開発と地球の危機

Kgk07091400111今朝、ロシアのロケットで日本の宇宙飛行士野口さんが国際宇宙ステーションに向けて旅立った。6時52分であった。滞在は5ヶ月間の予定という。テレビで打ち上げを見ていた。
一方、地球で南国ツバルという国が地球温暖化で消滅の危機がある。

デンマークのコペンハーゲンで行われたCOP15は、地球を守るための世界190カ国以上の参加で行われたが、自国の利益を守るこ思惑が強く、まとまった話し合いは、十分な内容ではない。人間の知恵は、宇宙にまで見渡すことが出来るまで進化したが、人間の心は進化する方向が違っているような気がしてならない。

人間が生きられるのは、何故生きるのか、なぜ苦しむのか、神の創られたこの世とは果たして意味があったのか、目的は本当にあったのだろうか? 

人は人としての命があり、この地球で生きるすべてのもは、それぞれの命を持ち合わせこの地球に存在する、長い歴史の中、その生命を引き継ぎ、その姿もいくつもの変化を繰り返し今に至る。その姿は時代を物語り、今の時代を築くためにその命をつないできたのである。

そして今に生きる今の命もまた、次の時代をつくる為にその姿を持って生きていると言えるだろう。その生命が人間の勝手な思い上がりで、地球の生き物が危機に瀕している。

それでも、アメリカや中国は、勝手な理屈を作って本腰に考えない、自分の国さえ良ければという、消滅してしまう日々を待たねばならない国は、お金で解決しようとしているが、お金で解決する問題ではない。オバマ大統領・胡錦涛国家主席が、消えそうな日々を送らなければならい国であったら・・・と考えてしまう。

生命尊重こそが政治の基本である。地球全人類の責任である。人が川で溺れているが誰も助ける手を差し伸べないとしたら、誰も信頼しない。宇宙を開発することは人類の素晴らしい行為だが、生命の危機に晒されている人々を真剣に考えてもらいたい。
 

地球が危ない

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06oga_toga11アメリカ・中国が本気で「地球を救う」危機意識を持って、世界をリードしていかないと地球は破滅するだろう。

「COP15」がデンマークのコペンハーゲンで行われた。成果は、先進国と発展途上国との意見の相違があって、結果的には期待できる内容ではなかった。

ポスト京都議定書の交渉期限である「COP15」に期待されていたのは、法的拘束力がある新たな議定書の採択だったが、政治的な拘束力がある「政治合意」も出来なかった。そして、新興国と途上国の猛烈な抵抗にで、政治合意よりも緩やかな「協定」に格下げされ、会期を1日延長して「留意する」という形で終った。

国連の採択は全会一致が原則だ。反対する一部の国が固いため、協定に「留意する」という形を取らざるを得なかったのだ。

協定は事実上、京都議定書を離脱した米国と、同議定書では温室効果ガスの削減義務を負わない中国の首脳会談で決まった。いずれも地球温暖化対策には極めて消極的だった温室効果ガス排出大国で、これが問題である。

協定の内容をみても、具体的な課題を軒並み先送りしている。先進国の2020年までの削減目標の義務付けや、昨年の北海道・洞爺湖サミットで合意した、50年までに世界全体の排出量を半減させるといった長期目標の記載は、見送られた。合意を優先させるためだった。

協定は、途上国に対して削減行動を求めてはいる。しかし、米国が提案した「測定・報告・検証可能な仕組み」としての国際機関による検証を、中国は主権の侵害だとして最後まで突っぱねた。国内機関の測定だけでは透明性はとても保てない。

太平洋に浮かぶツバルの政府代表団は「われわれは金銭的支援を求めているのではない。未来の生命を危険にさらしたくないだけだ」と訴えた。190カ国以上から約120人の首脳がコペンハーゲンに結集したのは、地球温暖化の危機意識を共有していたからだ。各国の“エゴ”の強さが浮き彫りされたようだ。

「コペンハーゲンで意味のある政治合意が成立したとしても、不可逆的な温暖化が回避できる可能性は50%」と専門家は語っている。それが協定に「留意する」にとどまったことで、地球が救われる確率は50%を切ったのは間違いない。

2009年12月20日 (日)

人生山あり谷あり

15401_2山あり、谷ありの人生である。 喜びもあれば悲しみがある、希望抱いて、邁進することがあれば、失望と倦怠感に陥ることもある。災難に遭遇することや、大切な人を失い失意に打ちひしがれること、失業の憂き目にあったり 将来に不安を感じることなど、自分をとりまく環境が激変することは常である。

昨年来アメリカのリーマンショックで、世界経済の大波は老いも若きも、金を頼りに人々の心は揺れ動いている、未曾有の長く厳しい経済不況下において、世の中、金次第、金を頼りに人々の心は揺れ動ごいている。 

人はなんのために生まれてきて、なんのために生きているのだろうか、 執着による迷いの人生から、生き甲斐が感じられる人生を送りたいものである。人は夢の彼方から生まれてきて、夢の彼方に帰る。 人生のことを人と夢とを 合わせて儚いという字で表すのだろう。

人生が一瞬の儚いものであるからこそ、無意識に一日を過ごす日を送っていると、すぐに老いてしまう。 しっかりと目を見開いて自分の脚下を照顧せよ、 現前の世界をしっかりと見据えよ、物事の本当のところを見失わないように、いつも眼を見開くことだ。

古希を過ぎた自分の生きてきた歩みの、不甲斐なさ!ようやっと分かったような気がする。

人を動かす

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07rose_ame21昨夜、町会の理事会があった。家に帰ってきて、「人の協力してもらうこと、そして動いてもらうには」を考えてみた。

「人を動かす」ことは、コミニケーションが大切である。コミュニケーションには、「意味=言葉が示す内容」と「意識=心が知覚を有しているときの状態」の2つの要素がある。

他人に自分がして欲しいことの「意味」を伝えようとするとき、相手が意味を正確に理解したからといって、その通りに動いてくれるかというと、そうとは限らない。「意識の共有」がベースにある相手だと、「意味」もスムーズに伝わる。

頭の良い人は、とかく、「理屈で人は動く」と考え勝ちである。しかし、理屈だけでは人は動かない。嫌な人に言われたことは、やりたくないものである。

人に言ったことを素直に分かってもらい、動いてもらうには、「意識」の共有が必要である。そのためには、日頃からの付き合いや、「人間力」というものが必要になる。

心理バリアが高い状態では、相手に受け入れる心理体制が整っていないので、メールで伝えたい意味が伝わらない。では、「意識」を共有「メールよりも電話、電話よりも会いに行く」です。特に、よく知らない人ほど、会いに行って直接話し合うことである。意識の共有ができた相手だと、短いメールでも、動いてくれる。

交渉を有利に進めるには、相手を対等な人間として尊重することがポイントである。 損得を考えたり、「自分さえ良ければいい」という狭量なところがなく、最終的には全員が幸せになることを目指している方向性で、説得力があることが大切である。

デール・カーネギーの「人を動かす」・・・より考えてみたい。
○盗人にも五分の理を認める。
○批判もしない。非難もしない。苦情も言わない。
○率直で誠実な評価を与える。
○強い欲求を起こさせる。
○誠実な関心を寄せる。
○名前を覚える。
○聞き手に回る。
○相手の関心を見抜いて話題にする。
○議論を避ける。
○教えない振りをして教える。
○人に教える事は出来ない。気づかせるようにするだけ。
○誤りを指摘しない。
○誤りを認める。
○穏やかに話す。
○相手が即座にYESと答えられる問題を選ぶ。
○相手に喋らせる。
○相手に思いつかせる。
○人の身になる。
○同情を持つ。
○人の美しい心情に呼びかける

○演出を考える。
○対抗意識を刺激する。
○まずほめる。
○遠まわしに注意を与える。
○命令せずに意見を求める。
○顔を立てる。
○わずかな事でもほめる。
○喜んで協力させる。
○口やかましく言わない。
○長所を認める。
○荒さがしをしない。
ささやかな心づくしを怠らない。
○礼儀を守る。

人を動かす秘訣は、みずから動きたくなる気持を起こさせることだ。

  

2009年12月19日 (土)

小沢氏秘書公判

05sikotuko31初公判東京地裁で18日開かれた。今朝の各誌朝刊の社説には、「小沢氏秘書初公判」について一斉に 取り上げている。西松建設の偽装献金事件で、小沢一郎民主党幹事長の公設秘書は無罪を主張しているが、「天の声」を出していたとする検察側との全面対決である。

東北地方での公共工事受注に決定的な影響力を持っており、「天の声」を出してはゼネコン側に献金を要求したのは、間違いないだろう。

それにしても、小沢氏は、自民党時代に、田中角栄元首相の教えを引きついている。つまり、小沢氏の父、故佐重喜氏は、馬車引きまでしながら苦学し、日大で法律を学んで弁護士から政治家となった立志伝中の人物である。田中角栄元首相の生い立ちに似ていることから、尋常なことでは政治は務まらない。そして、その手法は今でも通用させているとしか思えない。

西松建設と政界との関係をたどると、小沢幹事長が“後継者”とされた自民党元副総裁の故金丸信氏との付き合いが原点である。

政界再編の度にキーマンとされてきた“豪腕”・小沢側がなぜ西松側から長年にわたって巨額の献金を受けてきたのか、を産経新聞は大久保秘書が逮捕された日(3月3日)に「金丸氏から託された深い縁」と題してこと細かく書いている。

朝日新聞社説・・・小沢氏はいまや鳩山内閣の与党幹事長として巨大な議員集団を率いて政権を支える実力者だ。政府の政策にも具体的な影響を与える立場にある。この事件について、小沢氏は「やましいところはない」と主張し続けている。秘書の公判を受けて、改めて説明を聞きたい国民は多いだろう。

民主党は、3年後をめどに企業・団体献金の全面禁止を公約している。小沢氏が政治とカネの透明性を重んじるなら、率先してもっと早い立法化と実施に踏み切るべきではないか。

すでに逮捕・起訴から9カ月がたっている。裁判所にはできるだけ迅速な審理を望みたい。

成年後見制度

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08take_yuki21ちょっとした溝を跨ごうと思ったら失敗してしまったり、車の運転でも「ブレーキのかけ方が遅い・ハンドルを切るのが早い」など女房に言われたりして、自分でも注意しているのだが・・・古希を過ぎ、自分ではまだまだと思っていても、体力・気力・記憶力が落ちている。

将来を考えると、「認知症」にならないという保障はない。「遺産・財産管理などが出来なくなってしまったら・・・」と考える事がある。「成年後見制度」が法制化されて、ことしで10年になるが、そろそろ考えてみる必要があると思った。

認知症、知的障害、精神障害などの理由判断能力不十分な方々は、不動産や預貯金などの財産を管理したり、身のまわりの世話のために介護などのサービスや施設への入所に関する契約を結んだり、遺産分割の協議をしたりする必要があっても、自分でこれらのことをするのが難しくなったりしたら・・・。

2009年12月18日 (金)

災害恐ろしさを改めて認識する

199912070922111昨夜、どうしたことか眠れない夜を過ごした。NHKラジオ深夜便を何時もの通り聞きながら床に入っていたのであるが、11時45分に伊東沖で地震の速報があった。震度3・震源の深さは5キロで、地震の規模を示すマグニチュードは5.1と推定されている。

「災害は忘れたころにやって来る」その通りだ。1923年(大正12年)関東大震災の規模の地震が起こったら、死者は現在の東京直下地震の想定はマグニチュード7.3である。死者は8000人と予想されているそうだが、関東大震災はこの想定の30倍の規模となるそうだ

今回の地震は東海地震に直結する活動ではなく、海底噴火などの兆候もみられないという。気象庁の話だが、油断は禁物である。

伊豆半島東方沖の群発地震は統計を取り始めた昭和53年以降、今回で46回目。過去の傾向や観測された地殻変動から、今後数日から10日ほどの間に震度5弱から5強程度の地震が発生する恐れがあるという。

わが町八王子片倉町では、防犯・防災から安全パトロールを実施ているが、空き家の放置が心配である。公園・市道のゴミ拾い、を積極的に行っているが、所有者不在の元コンビに店が放置され枯れ草・ゴミの投げ捨て箇所があった。

隣接している市道は、枯れ草・落ち葉・雑草などを処分したが、建てやまわりは、市議会議員に相談して、今日ようやっと業者清掃し処分していただいた。

市域のことは地域の住人で守る事が大事である。災害が起きたら、「自助・共助・公助」である。伊豆半島東方沖の群発地震に遭い、災害恐ろしさを意識を改めて認識した。

「貧」と「貪」

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Sira111_2「貧」と「貪」共通する「貝」の字は、古代中国で貝が貨幣として使われていたことに由来し、金や財産を表す。「貧」の「分」は刀で二つを分けることを意味し、お金を分ければ少なくなるので「貧しい」となり、「貪」の「今」は蓋や栓の象形文字で、財産を覆い隠すことから「貪る」という意味になった。しかしこの二つの字の「まずしい」「むさぼる」は現在の世情を表しているような思いである。

そして、「貧すれば鈍する」・「窮すれば通ず」が連想される。

「貧すれば鈍する」・・・貧乏すると、生活の苦しさのために精神の働きまで愚鈍になる。

「窮すれば通ず」・・・行き詰まって困りきると、かえって思いがけない活路が開けてくるものである。

近ごろ企業のトップや政治家等がTVカメラの前で深々と頭を下げている場面をよく目にする。自社が儲かるならば、自分の得になることなら何でもしてしまう現代の経済効率第一主義の世相を象徴的に表している場面だと何時もそう思って見ている。仏教で三毒ということがよく言われている。貪りの心、怒りの心、愚痴の心である。

鉄錆は鉄の内部からジワジワと滲み出て鉄製品それ自身をボロボロにしてしまう。これと同じで、三毒も人間の心の内より滲み出て、その人自身を滅ぼしてしまう。

特に種々の金銭がらみの昨今の犯罪は三毒の中の貪りの心、が圧倒的な要因である。貪りの心に振り回されたばっかりにその会社の命運にも及ぶ重大な過ちを犯し、個人レベルではその人の社会的存在そのものを危うくしてしまう。  


困難から抜け出すためには、変化を起こす力が必要だということだ。ということは分かっていても、貧の生活観から抜け出すには、貪りの心を諌める自制意識を強く持ちたいものだ。

深刻な景気の悪化で、多くの企業が窮地に陥っている。これまでの経営手法や商品戦略の変革を迫られる中で経営者には、倫理感と清廉さだけは失ってほしくないと思う。

2009年12月17日 (木)

年の暮れに思う

041 町ゆく人も、何となくあわただしく見える。今日は師走17日だ。ようやっと本来の冬の季節の到来となって、北日本・北越地方は、雪が降り続くようだ。

政府は沖縄普天間基地移転問題・来年度予算案などの重要法案を、来年に持ち越しが濃厚になったようだ。株価は、相変わらず低空飛行のまま、失業者は363万人・自殺者は今年も3万人越えるという。

消費者も、シンプル族が増えて、デパートなどの高級品より、機能本位の商品にお客の目は向いているという。そして、ボーナスを当てにしてローンを組み込んでいるサラリーマンは、死活問題となっている。私たち年金生活者は、節約しながら何時まで続く不景気で、正月をどう迎えればいいのか、思案しているところである。

どうしても冬用シャツがが欲しかったので、勇気を出して、リサイクルショップに行ってみた。スーパーの大安売りなんて問題にならないほどの安さで売られていて、お客も多くいた。

驚いたのは、105円で、ズボン・ワイシャツ・ジャケット・セーターなどが売られていて、1500円で買った。なんと、普通の値段なら、3万円もすると思われる物だった。

今不景気の中、景気の良い話もあるもんだ。ゴルフの石川遼選手・大リーグの松井選手などは、笑いが止まらない?と感じだ。それと鳩山兄弟の母親からの何十億とのお金を頂いていたという。一般庶民には考えられないことだ。

日本の格差社会が、ますます広がってしまったような気がする。お金の価値認識が違う政治家が、庶民の感覚で政治が出来るのか心配になってきた。一流大学を目指して一生懸命に勉強を頑張っても、今はお金次第という。

教育の機会均等というけれど、それは夢物語という人もいる。来年は、何とか夢と希望の持てる社会を期待したいが・・・。

心配になる失業者の年越し

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1231NHK昨夜のクローズアップ現代から・・・仕事と住まいを失った人々が数多く身を寄せた「年越し派遣村」からまもなく1年。この秋、国は緊急雇用対策を打ち出したものの、完全失業率5.1%、失業者344万人と過去最悪の水準が続き、厳しい年末が迫ってきた。

派遣村の"元村民"たちの追跡調査からは、就職率が2割台にとどまり、予想外の長期戦となった就職活動で「夜も眠れない」など、追い詰められている状況が浮かび上がる。

苦しい就職活動を追うと、職業訓練の機能不全や、年齢制限など法令違反の求人の現実、正社員と非正規労働者の間の「見えざる壁」あり政治が問題可決に力をいれるべきと思う。

就職できない理由の一つには、年齢制限がある。求人広告には年齢が入っていないので、求職者が応募しても実際の年齢を確認して断る会社が多いという。そして求職者の今までの経験職種にこだわって、結局今までの仕事しか頭に無い人が多い。

派遣労働者にもいろいろな人がいる。ちゃんとした人はある程度貯蓄もあり、多くの人は帰る家もあるだろう。その中で、先のことも考えずに給与が入ればコンビニの弁当で済まし、後はお酒でも飲んでテレビを見るだけで終わる。

そういう人が、いわゆる派遣村などで施しを受けているのが実態だと思う。「いったい何を考えて働いているのか」と、首を傾げたくなる。そういう人にとって異業種で一から始めようという意欲がどれほどあるのか。また、今まで機械を扱ってきたから人と接するのが苦手という人もいるだろう。

労働者に対する教育に力を入れ、新たなスキルを身に付けさせて、新しい就職の機会を増やし、失業率をさげる政策を取っていくべきである。

ハローワークで月に一回程度、基本の基本を座学で教えるという取って付けた様な対策しかせずに、何時までもミスマッチを放任しているようでは日本の景気は何時まで経っても良くならないと思うが・・・。
心配になる失業者の年越しである。

2009年12月16日 (水)

悔いなき人生を!

08omitake_buna_aki11 今日、ボランテアで道路(市道)の清掃を行って、汗をかいた。そして自分の人間としての至らなさを反省するとともに、不甲斐なさを思い。まだまだ、修行が足りないと・・・。

我が身の愚かさを顧みず、人の力によって生かされていることも分からず、何時も、不満を言っている。そして反省することもなく、生きているのが自分自身である。

自己中心的な心に負けて、持って生まれた良い運命を、光らせる為にも善い心遣いが出来るようにと、努めることに専念することだ。

人間として完成度を追求するならば、人としての正しい心の在り方を持つこと、心の動きがその人の運命から生じ人生の幸不幸を左右していく。

人としての真の幸せと、心の豊かさを求めて真の人の道を歩めば、毎日が充実し生きる喜びを味わえるばかりか、我が子、わが孫の幸せ子孫繁栄が実現できる。

いつも安心感に包まれ、平和な毎日を送り、心身ともに健康で長生きし人生に何の悔いも、残すこともなく、そのような人の、魂は再び人として生まれてくる事が約束され、永遠の命を確立することができる。これこそが人として生まれ、生きた甲斐のある人生「まことの人の人生」というものだ。

「朝に、紅顔ありて夕べには白骨となれる身なり」いつも良い心で今までの人生の反省をし、悔いなきなき人生を送って生きかねば・・・。

病は口より入り、禍は口より出ず

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08tubaki_takegaki11「病は口より入り、禍は口より出ず」・・・中国のことわざである

病は口より入り、禍は口より出ず やまいはくちより入り、禍はくちより入ず・・・・病気の元は口から入ることが多い。また、不幸な出来ごとは口から出た失言から起こることが多いのです。口へ入る方も、口から出る方も十分注意しましょう。という意味だ。

日本でも「口は禍のもと」とか「物いえば唇さむし」「きじも鳴かずば撃たれまい」など、いろいろなことわざがある。口から出る禍についての注意を喚起していることわざがある。

最近の鳩山由紀夫首相の発言(ぶら下がり記者会見)などの一言が取り返しのつかない命取りになる可能性ある。そのために慎重しすぎて、真意を表せないこともあるようだ。

そして小沢民主党幹事長の中国習国家副主席の天皇の会見問題で宮内羽毛田長官の対する発言「辞表を提出してから・・・」などは、賛否両論あると思うが、私もこの発言に対して大きなショックをうけた一人である。民主党幹事長であるので発言が重い。「病は口より入り、禍は口より出ず」のことわざを知っていただろうか・・・。

一般社会人でも同じことで、ひと言余分のことを言ったり、会議などで、いわずもがなの発言をしたために、一生を台なしにするような失敗につながることがある。そして病気にならないように、食物に注意するように、口をつつしみ禍をまねかぬようにしたいものである。

余計なことを言ったばかりに災いを招いたという、同様な意味の「雉も鳴かずば打たれまい」がある。この意味は、「なるべく物は言わないようにしたいものだ。きじも黙っていれば猟師に見つけられることもなく射たれなくてすむ」言う意味だ。

ひと言多いために、サラリーマン生活を失敗した例は、少なくない。宴席でお酒が入っているとき、無礼講でなにを言ってもよいなどと上司の許可があっても、余計な一言で、相手の受け止め方で、思わぬ失敗に繋がることもあるので注意したいものである。

2009年12月15日 (火)

行き先不透明な日本丸

199912070922111アメリカのオバマ大統領の「CHAGE」・日本の鳩山由紀夫首相の「変革」を訴えて圧勝して鳩山政権は3ヶ月経った。いま大きな試練に取組んでいる来年度予算・沖縄普天間基地移設・景気など問題が山積している。しかし日本丸の進むべき進路が、霧状態で、乗船者の国民にはよく見えない。まさに「海図」なしで「航海」しているようなものだ。

一つ目に個々の施策、個々の大臣のやりたいことは分かるが、その結果、全体として日本の経済、外交、政治などがどうなるのか、果たして可能なのか、依然、全体像が国民の眼から見て分からないことだ。

国土交通大臣は八ツ場ダムの廃止、羽田空港のハブ化を就任早々に打ち上げた。また外務大臣の沖縄基地問題の解決、農林水産大臣も農家の戸別所得補償、文部科学大臣は高校の無償化、厚生労働大臣は子ども手当ての実施など、まさに劇場型の政策発表の趣である。

全体の指揮をとるべき司令塔がない。行政刷新会議の事業仕分けもなかなかよい試みと思うが、無駄な歳出を削る方針が分からず、また削った後どうするのかもみえてこない。

二つ目として、実現可能性を検討して諸施策を打ち出しているのだろうか。税収が40兆円を切ると見込まれる中で、はなはだ困難であろう。また、新規施策は無駄を削減して調達するといっているが、概算要求の95兆円から数兆円削減するという程度で、果たしてこの政策公約が実現出来るだろうか心配である。

無駄の排除で財源を賄うとする基本姿勢を、いつまで持続できるのか心配である。やっぱり公債増発に追いやられざるを得ないのだろう。この荒天にどこの港を目指して船を操作するのか、船長の技能が問われている。それなのに、船長たる鳩山由紀夫首相のリーダーシップがもうひとつみえてこない。

以前の自民・公明党政権時代のように官に依存せずに、政治家が責任を持つという新しいモデルはすばらしい。しかし、もっと地に足を着けた安心感・希望と勇気が湧いて来るような、そして政治の基本理念「生命尊重」を忘れないで欲しい。そろそろ「海図」を用意し、船長自ら目指すべき航路もはっきり示して欲しい。

自然の摂理は逆らえない

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Sira111昨日あるスーパーに買い物に出かけた。早くも正月用の鮭の塩漬けが店頭の並んでいた。その鮭を見て思った。

鮭は、川で生まれ、大海原に出て大人になって再び生まれた故郷の川に戻って、子孫を残すため上流必死でめざす、傷だらけになりながら、渾身の力をこめてひたすら上流をめざす。

そして、生まれた川に到達した鮭は卵を産み子孫を残す、運悪く途中で命を落とすものは子孫を残すことができない。卵を産み終えるや雄も雌も死に絶えていく、累々たる鮭の屍はさまざまな生き物を育む豊富な栄養源となり、鮭の稚魚の餌ともなる。

正にこれが自然の摂理である。自然界では本来どの種も絶滅することなく、また異常に繁殖することなく絶妙のバランスによってさまざまな生き物の命が共存している。   

人間は、寿命50年の時代では子を産み育てると人生も終わり、若くして数人の子を産み育てたが、現在は子を産み育てる年齢が高くなったために、生む子供の数も少なく、そして子供が成人し独り立ちする時の親の年齢は50歳を超えている。

そして、晩婚化で生まれた子がいつまでも親元を離れない、親も子離れしない、晩婚化と少子化によって、人間も自然界において鮭と同じ生き物である。人間の浅はかな欲望で自然の摂理を狂わしているのかも知れない。

人間も例外でなく種の子孫を残すためである。いろいろな生き物はそれぞれの種の子孫を残すために生きぬこうとする、それぞれの種の寿命は、それぞれ違う。数時間・数日・何十年、色々な種の寿命を生きて子孫を残す。

人間をのぞくすべての生き物はみな、種の子孫を残すためにのみに生きていることで共通している、しかし人間だけが他と異なる生き方をしている。

地球上には、60億人の人間が生存しているという。そして、世界的には人口は増え続けているそうだが、日本人は少子化が進んで、このままだと、何百年後には誰一人いなくなるという恐ろしいことになる計算?・・・。

2009年12月14日 (月)

ふるさと湯殿川を思う

447141ふるさと湯殿川を散歩しながら、昔を思い出した。

生まれも、育ちも現在も住んでいる地域が同じという、いわゆる土着者の私である。半世紀以上(60年)を振り返って見ると大きく変わった。これから先にこのペースで開発されたとしたら、どうなるのか予想がつかない。

その故郷である。故郷の歌の詩にあるような静かな村(由井村)だった。山(藤谷戸山)、川(湯殿川・兵衛川)で思い出だけが残っているが、現在はまったく想像できない風景となってしまった。山では兎を追い、川では小鮒・どじょう・なまず・うなぎなど捕って子供同士で日の暮れるのを忘れるくらい遊んだ。

その湯殿川は蛇のように蛇行し、川幅は狭く篠・竹などの藪に覆われて、川面に出るのは、その藪をかき分けていかなければならいほどだった。川幅の広い、水の深みで泳いだり魚を捕った。

湯殿川には堰があってその流れで、人々は、洗濯や野菜などの洗ったり、田んぼに水を取り込んだり、そこで暮らす人々は上手に利用していた。その一方危険もいっぱいあった。カクシ(篠の切り口)に足を刺したり、蜂にさされたり、蛇に噛まれたり、うるしにかせたり、(川の淵にうるしの木があって、素手で振れるとぷつぷつができて痒くなったり、した経験がある。

また泳ぎは、深みで泳いだのだが、学校帰りに泳いだり、一日三回泳いだこともある。殆んどはフルチンである。魚を素手で捕ったり、手ぬぐいや、みそこしざるで、めだかを掬って飲んだ。湯殿川には、魚の種類も多く(こい・ふな・なまず・うなぎ・やつめうなぎ・ぎばち・はや・どじょう・かじか・いもり・すなもぐり・おばば・かわにら・たにし・しじみ・えびなど)である。また昆虫類も沢山いた。

それらの捕り方は、釣り・網・モリ・投網・投げ込み(台風あとの水量が多くなって水が濁っているとき、ミミズを針に付けて、投げ込んで置く)。下げ針(前の日の夕方ミミズ・砂もぐりを針につけて、うなぎのいそうな場所に仕掛けておいて朝上げる)。穴釣り(うなぎの穴に棒の先に餌をつけて差し込んで釣る)。かいぼり(かわの一部をせき止めて、水をバケツで掬いだして魚を捕獲する)。など子供らと共同作業だった。

もうこれ以上の開発はしないで欲しい、最近見かけなくなったハヤが、跳ねていたのを見てちょっと勇気が沸いてきたような気になった。

Oikawa121_2

自然を取り戻したい

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08hatuyuki_sannai11この言葉が好きだ。

自然のこと・・・・・ nature    

自然観 ・・・・・・ an outlook on nature , a view of nature

自然言語・・・・・ natural language

自然美・・・・・・・ natural beauty    

ものを見るとき、自然観が最も大切に思う。 素直、純、 真心などの言葉が好きだ。これからの人生、「NATURE」に生きたいものだ。

湯殿川に魚が戻った!
最近、下水道の整備が徹底され、湯殿川の水質が改善されたのだろう、むかし懐かしいハヤの稚魚が、日当たりの良い浅瀬に夕方などに跳ねたり、水中で白い腹を見せている状況が見られるようになった。

そのためか、かわせみ(しょうびん)の姿が見るようになった。その姿を写真に撮ろうと、大勢のマニアがカメラを構える姿を毎日目にする。自然が戻った!

昨日は川面に下りてゴミを拾った。陽気が暖かったこともあるが、二袋一杯になり、運び出すのに汗をかいてしまった。自然を取り戻すには、多くの理解と協力が無くてはできないと改めて感じた。

自然に対する考え方で、これも、自然の摂理である「身辺整理」については、限られたスペースにおいては、整理することはとても大事なことである。

最近“片付けられない人”などテレビで放送しているが、気持ちよく生活をするためには、上手に片づけをすることが健康的な人生を送れる。まぁー最近は、健康が心配になり、そろそろ身辺整理をしなくてはと、思い始めている。

しかし、その方法、その程度、その時期(タイミング)その範囲など、そして保管、廃棄などによって違うし、気持ちの入れ方によっても違う。というわけで、何もできないのが実情だ。

それにしても綺麗好きな人は徹底的にしないと気がすまない、病気的な、鉄壁症の人がいる。しない人は、とても一緒には住めない程汚いと思う人もいる。

人間の勝手な行為でこの地球環境を破壊し続けてきた、自然を愛する気持ちが大事である。それには、自ら身辺整理をし、地域の環境を自然に戻す努力をす義務があると思う。

2009年12月13日 (日)

首相自身の洞察力と決断力で・・・

3612_2これはいけない、民主党小沢幹事長の「政治は力なり」今回中国へ何と600人以上を送り込んだ。そして民主党国会議員143人という「大訪中団」である。熱烈歓迎というけれど、さすがに中国当局もびっくりしたことだろう。

そして、小沢幹事長の要請と思われる意思によって、外国の要人との会見は1カ月前までに打診するという「1カ月ルール」が破られたことだ。十五日に中国の副主席の会見が行われるという。

羽毛田宮内庁長官は、相手国の大小や政治的重要性によって例外を認めることは、天皇の中立・公平性に疑問を招き、天皇の政治利用につながりかねないとの懸念を表明しているという。

日本国憲法は天皇を国の象徴として「国政に関する権能を有しない」と規定した。意図して政治的な目的のために利用することは認められないという。

他に、「国会新陳情ルール」によると地域からの要望は国会議員を通して民主党幹事長室に伝わり、幹事長室で、分別作業が行われ担当大臣に伝達されることになるという。これは今までのすざましい、何でもありの自民党時代の政・官・財癒着体質を改めると理由からであると説明している。

小沢民主党のは民主党の石破政調会長も小沢民主党の言動に、鳩山政権に大きな影響力を神経を尖らせている。同じ党での話し合いでの判断であると思うのだが、国民もいささか厭きれている人もいるだろう。

数の力学で物事を推し進める「政治力学」は、自民党時代からのポリシーだったのだろう。数の力で推し進めることは、少数意見を聞かないということになりかねない。

こくみん12千万人の命を預けているのである。鳩山由紀夫首相の自身の洞察力と決断力でことを運んで欲しい。

 

 

「今を一生懸命生きる」

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07rose_ame21世の中のいろいろな人と接触することで、家族の中では、経験することが出来ないような多くの教えを頂くことがでできる。むかしは、年期奉公・子守奉公などの子供が他人の家で働かされたことなどは、いい意味で修行?だったかも知れない。

今でも歌手や・落語家などは、師匠の家で住み込みで芸を学び、芸以外の人間修行?を行って一人前の芸人になれる。そのことは、家族の中だけでは、経験できない、いろいろな価値観の違う多く人がいることを学び、自分自身の生き方を決められる判断能力が備わる。

それらを踏まえて、今をどう生きるを考えて行くことが、いわゆる間違いの少ない価値観の出来る大人になれるのだと思う。しかし時代の移り変わりは、激しさ、人の心のうつろいを、しっかり見定めて「今を生きる」ことが大事である。

でも人生設計は、思い通りには行かないもの、過去の経験を生かすことは大事であるが、こだわらない柔軟な考えと、未来も過大な期待を持たない、色々な生活を通して、「今を一生懸命生きる」れば自ずと輝いて生きて行ける。

物事に捉われない、他人の過ちを許す豊かな心を持つ人間でありたい、自分だけ幸せなどというものは無い、相手も幸せでなければ、そして「今を一生懸命いきる」その積み重ねで、一生が終ることが大往生できる。

2009年12月12日 (土)

低価格競争

Katidoki181安いことは、消費者にとっては、嬉しいことだ。だが、そうも言っていられない。サラリーマンの給料は下がるし、ボーナスは少なくなる。でも給料がまともに出て、仕事があればよい?

いわゆるデフレスパイラルとなってしまう恐れがあるからであえる。昨年の暮れの派遣村が出現?何てなければよいがと心配するのは、私だけではないだろう。

低価格競争に敗退した企業は倒産という恐怖に晒されることになる。その低価格競争はすざましさは、目を見張るものがある。注目された商品の1つに「低価格ジーンズ」がある。

3月に、ユニクロが「g.u.」ブランドで990円ジーンズを発売したのを皮切りに、5月にイトーヨーカ堂系ディスカウント店が980円、8月にイオン、9月にはダイエーが各々880円、10月には西友が850円と低価格競争に参加、ドン・キホーテは690円ジーンズまで売り出した。

OECD(経済協力開発機構)は先ごろ、日本の2011年の実質経済成長率を2・0%と予想した経済見通しを発表、消費者物価は09年から3年間マイナスと予想し、「デフレが続く」と明示した。

実際、総務省が先週末発表した10月の全国消費者物価指数は前年同月比2.2%減となり、8カ月連続で下落した。円高の進行で輸入価格が下がれば、国内製品も巻き込まれてデフレが長期化する可能性が少なくない。

大型スパーでは、古くなった衣類や、装身具などを買い取ってその代わり。その分商品を安く売るなどを打ち出している。

そして究極の安さではリサイクル業の出店が目立つ、それだけ消費者のニーズがるのだろう。

正当な戦争って?

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282_field111オバマ大統領が、ノーベル平和賞を授与された。しかし、「正当な戦争」演説でオバマ氏が核廃絶の世論を巻き起こしたことは間違いない。「良い戦争と悪い戦争」があると言っているようだ。戦争を肯定しながら『核なき世界』を目指すのは矛盾している。」と何だか疑問を残した発言である。

受賞演説で、「武力行使は不可欠なだけでなく、道徳上も正当化されることもある」と主張した。 アフガニスタンとイラクでの戦争の現実的な必要性を説く一方、武力に頼らない世界平和という理想を捨ててはならないとも強調。国際社会の一致した圧力や人権擁護、途上国への開発支援の重要性を訴えた。

確かに、イラク・アフガニスタン・やパキスタンなどでテロが勃発して一部戦争状態になっている。イスラム教の一部組織である。その破壊活動は毎日のように行われれいる。彼らの言い分を聞く、話し合いでの解決を絶対に諦めないで欲しい。力で押さえ込もうとしても旨く行かないことは、過去の歴史から分かる。

ガンジーやキング牧師といった先人が唱えた非暴力の理想を評価。常に実現できるとは限らないものの、「それを捨てることは人類の最善、倫理的な羅針盤を捨てることだ」と訴え、「あるべき世界をめざそう」と呼びかけた。

特に、3万人の米軍増派を決めたばかりのアフガン戦争については「米国が求めた戦争ではない」と強調。米国は武力行使で単独行動主義を取らない方針を示し、戦争に際しては国際的な規範を順守する立場を示した。

アフガニスタンへの米軍増派をめぐる国内問題などもあるのだろうと思うが、 「戦争を肯定することは絶対に正しくない。戦争で犠牲になるのはいつも非戦闘員である。ボタン一つでいつ核兵器が使われるか分からないのが現代の戦争で、人類が滅びる可能性だってある。

平和な世界が来ると思ったから支持したが、平和のためと戦争を推し進めるのは、被爆地日本の広島・長崎の必死の訴えに活動している人々や戦争で犠牲になられたご家族の方の思いと反する。

平和賞受賞は的外れではないが、日本はかつて『正義のため、平和のため』と称して戦争を行った。日本は過去の反省を生かし、『平和のための戦争』の危険性を率直に伝えて欲しい。

2009年12月11日 (金)

人間の心で思うことは計り知れない

386351「一体何を考えているのだろう」「心の奥は計り知れない」それでも、人間社会は一人では生きていけない、相手を信じていかなければならない。

世の中には、結構人の言動に対して批評や、素晴らしいと思えるほどのアドバイス与えてくれる人がいる。しかしその本人は、他の面で批評されることがあるものである。言い換えれば、人間オールマイテイの人はいないと言うことである。

まして、心の奥まで察知することは、我が子・夫婦であっても分からない。また「人間の心で思うことは誰にもとめられない」し、すべてを知る必要がない。

相手を思い遣ることは、大事なことで、苦しんでいたり、悩んでいたり、困っているときは、相手の身になって対応することが優しさとなって感謝される。「相手の身になる」ことは実際にはできることではない。自分が望まないことが相手の望むことであったり、自分の望むことが相手の望まないことである場合もあり得る。

だから、相手の気持ちと違っていることが分かったときには、直ちに撤回し、謝った上で、善後策を講じる必要がある。人と違う生き方の多い人間は、とくにその危険が大きい。それでも、「人の身になってみる」ことが大切だと思う。

他人に何かをする場合「その人の身になってする」つまり、相手が望むことをして相手が望まないことをしないということができれば言うことはない。

しかし、相手が望むこと、望まぬことを把握することは難しい。そこでこのキーフレ-ズ「己の欲せざるところは人に施すことなかれ」である。

自分がして欲しくないことはよく分かるから、それをしないということなら誰にでもできるのだ。もちろん、自分のして欲しくないことが、相手にとってはして欲しいことであるかも分からないが、それは致し方ない。この点では私はマイナス思考をとる。

幸せって!

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Mutsumefuta21「辛いことや嫌なこと、苦難や逆境に打ち勝ち、その中で成長していくと共に社会貢献し友達や家族を想うこと」だろう。

そして・・・

少々のお金があり、薬を飲みながらであるがボランテアのゴミ拾い出来て、一族が健康であること。

そして、世間に何らかの理由で困った人がいたら、気の毒と思え何とか援助できないかと思うことが出来ること。

幸せとはそれが感じることであるにせよ、感じていることであるにせよ、それは主観的で、精神的な問題であろうということ。

捉え方により個人差はあり、他人が推測することは難しいこと。

そしてその多くの人々が幸せは金と思い、生涯金を追うに忙しく、或いは名誉と思い、または健康であることと思い、よき子を育てることと思い・・・・。

そして殆どの人が見果てぬ夢のままに生涯を終わり、ごく一部の人が、ほんとうの幸せとはそういういわゆる凡夫人間の欲の満足をもって幸せとするものではないと気付く。

人間の欲は果てしなくエスカレートされてゆく。その欲の満足することはあり得ない。またどんなに願い、どんなに働いても、今日食べるものもないほどの貧困のどん底にあえがねばならないときもあり、またどんなに嫌っても病気にならねばならないときはならねばならず、たとえそれが死に至る病であろうと、逃げるわけにはいかない。それが人生というもの。

その願いの条件が満たされない限り幸せはないとしたら、幸せはどこにもないのであり、ほんとうの幸せとは、そんな条件付きのものではないはず。死に至る病の床にあえいでいるときも、貧乏のどん底にあるときも、そのままにして幸せと受け止め生きうる。

2009年12月10日 (木)

沖縄の基地の問題

06oga_toga11鳩山由紀夫民主党政権の大きな問題の一つに、沖縄基地の問題がある。沖縄には、嘉手納基地と普天間基地の二つがある。

嘉手納基地は、アメリカ空軍が使用し、普天間はアメリカ海兵隊が訓練用に使っている。普天間はヘリコプターが、30機ぐらいで常駐していて、訓練用だという。

沖縄にアメリカ軍の基地がある大義名分は、日米安全保障条約で、アメリカの空軍・海兵隊で、冷戦時代のソ連の攻撃を想定しての備えである。自民党政権時代から、冷戦構造が崩れて来たいま、北朝鮮ぐらいだろう。

自民党橋本政権時代から普天間移設問題は議論があった。そして、辺野古沖に日米合意がなされていたのであるが、キャンプシヤブには、世界でも絶滅危惧種のジュゴンがすんでいる。

グレゴリー・クラーク多摩大学名誉学長は昨日、テレビ朝日の昼の番組ワイドスクランブルでの発言が、含蓄のいく発言だった。何かといえば、沖縄に、海兵隊の訓練基地はなくても何の問題もない。訓練基地であるならば、、グアム島であっても何の差しさわりもないという。

そうであるならば、、30機前後のヘリコプターの訓練基地では、佐賀空港・関西空港・北海道の苫小牧空港などが噂に上っているが、そのどの候補地でもいいのではないかと思う。

素人の私は思うのだが、空軍の嘉手納基地と普天間が一緒になり、基地を一つに出来ないのか、クラーク先生は、アメリカの空軍と海兵隊は仲が悪い事で有名だそうだ。従って無理だそうだ。そんな事、沖縄の住民の苦しみを考えると、なんと情けないことだ。

本当に北朝鮮が、日本を狙ってミサイルを打ち込むことを考えたら、幸い、今は考えられないが・・・。何れにしてもクラーク先生がいうようにアメリカは、日米同盟が危うくなるとか、約束が違うとかなど気にしなくて良いという。アメリカは痛くもかゆくもないという事だ。本当かネ・・・?

公務員の不正行為に思う

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Center171西松建設にまつわる献金問題の不祥事は、民主党小沢幹事長の公設第一秘書逮捕があった。そして昨日、自民党の二階俊博選対局長の政策秘書が、略式起訴され、100万円の支払いを裁判所から申し渡されたというニュースが一斉に流れた。

事件が発覚して以来、一貫して容疑を否認してきたが、ここで容疑を認めたからだという。政策秘書といえば公務員である。公務員の不祥事で世間を騒がせ、税金の無駄遣いなどが後を絶たない。

民間の企業で不祥事を起こしたら、企業の存続まで危険に晒される事になるかも知れない重大なことになる。公務員の不祥事には、一般の常識は公務員の方には通用しないようだ。

公務員が不祥事を起こしたら罰則も甘いのではないかと思う。民主党の仙石内閣府特命担当大臣は、昨日テレビの番組で、省庁の事務次官の撤廃など公務員改革の法案を提出すると明言されていた。期待したい。

公務員の職務怠慢や不正行為=税金の横領と同じである。給与の出所が税金という点が、国民の反感を買ことになる。これは一般企業でも同じである。要するに経営者=国民なのです従業員が不正を行い会社の金を湯水の如く使えば、私なら即刻クビにして横領した分に関しては、損害賠償請求をするのは当然だ。その当然の理論が、公務員には当てはまらない。

昨今の不景気は、金融不況でなく官製不況だと思っている国民もいる。公務員や官僚がやりたい放題してきた結果でその尻ぬぐいを国民がするのはおかしいと思いたくなる事件が多い。真面目な公務員が殆んどであると思うが、でも不真面目が1人いるだけでも会社が傾くことだってあり得るのである。「自分達の責任は自分達で取れよ!」と言いたい。

IMFの日本への指針でも、日本が借金大国を改善する為には、公務員制度の改革が必要だとしている。公務員の削減、減給、退職金廃止、年金廃止など日本の公務員は諸外国からみても異常な状態だと判断されているようである。そろそろ日本も公務員にメスを入れなければいけない。

自民党二階俊博選対局長の政策秘書の問題で、は今日の読売・朝日・毎日新聞社説で法整備の必要性を取り上げられていた。

2009年12月 9日 (水)

立って考える効果

08gozo_beachl_11ストレス社会を乗り切るには、寝ながら考えても結論は良くないという。しかも、座ってたときと、立ったときとの差を調べた、ノースカロライナ大学バーガイン教授の研究が明らかにした実験結果、彼は座らせた人間と立たせた人間の大脳反応を比較し、立たせた人間は血液の循環の関係で大悩反応が敏感になり、座っている時に比べて、5~20%も決断時間が早くなることを見出した。

つまり、立っている人間は血のめぐみが良いと言うことである。従ってその場その場の判断が重要な作業に従事する人は、座っていてはいけない。と言うことが言えるのである。なぜなら、立っている方が大悩反応はずーと敏感になるからだ。まして、寝る前に考えようと思っても出来るものではない。

寝るときは、何も考えないで寝ることに専念する。昼間仕事全精力を使って、そして徹夜をして仕事が終らないなど、どなたも経験があると思うが、徹夜の仕事は効率が悪くなる。この世にスーパーマンはいない。

人間は、寝ずに仕事は出来ない。だとするならば、寝てまで仕事を考えてたら、長くは続かない。少なくても起きて考えることにしたいものだ。確かに、イメージトレーニングは、誰でもするだろう。何通りかの起因を想定しておくのも大事であるが、インスピレーションで対処してゆく、野球の監督などがその差で勝負が決まることもある。

試合いの流れの中で重要な場面が来ると、素早い決断が迫られるために無意識のうちに立ち上がり、大脳の血の流れを良くしているのだろう。じっとベンチに座ったまま指示を出そうとすれば、わずかに判断が遅れると言うこともある。疲れの見えたピッチャーを交代させるタイミングがほんの一瞬遅れただけで、勝負に負ける事だってある。

つまり身体を動かすことで、頭の中におりのように沈んだかんがえをかき回し、表面に浮かばせるのである。「自分にはオリジナリティがない」「アイデアが浮かばない」「優柔不断で判断が遅い」そんな悩みを持つ貴方は、もしかしたら何時もじっと座って考えているのかも知れない。「立って考える」じつに簡単なことだが、試してみる価値は十分あると思う。

情報社会に自ら問う

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05sikotuko31現代は、すべてが地球規模化の時代、この時代にあって有力な道具は、パソコンと世界共通語になりつつある英語である。特にパソコンの普及があって、グローバル化した情報社会となった。

パソコンの開発、そのツールのインターネットにより、一般の人々が世界のあらゆる所と容易にアクセスすることができ、インターネット上でさまざまな情報が無料で入手できるようになると、「知の解放」の本格的なはじまりでもある。

そのとき、あらゆる従来のシステムが劇的に無に帰すのはあきらかであり、それも目前である。情報伝達が上下ではなく、フラットな関係となり、21世紀は、個人がこれまでと比較にならないほど力を持つことになり、当然、個人の能力とその可能性を十分に活かし、開花させることのできる新しい時代である。

その反面、ヒト、カネ、モノそして情報に対して、「最終的に個人が決める」ということが当たり前の、自己責任の時代でもある。冷静に判断するだけの知識と知恵が必要だ。そして、将来的には、使用上のルール作りも必要になってくるだろう。


情報が伝わり、流れるためには、世界の文化の多様性の維持、地域の歴史と文化、その個性の強化は不可欠である。世界の国々の伝統文化を理解し、尊重する配慮が必須である。

また情報交換するために、語学が上手になることが絶対条件である。その意味で、日本文化の歴史と伝統、その文化に根ざした教養を身につけ、自ら問うて学び、日本人としてのルーツを失わないことが、それ以上に大切である。

2009年12月 8日 (火)

生きる目的を考える

539571僅か半世紀前の人生五十年の時代では子を産み育てると人生も終わった。若くして数人の子を産み育てたが、今は結婚年齢(2005年12月の統計では、男性の平均結婚年齢は30歳、女性は28歳)が大分高くなっている。生む子供の数も少なく、そして子供が成人し独り立ちする時の親の年齢は五十歳を超えている。

最近、町内のご家族を見渡しても、親離れ、子離れしない、いわゆるニート族?が問題になっている。家族構成の変化・不況などが重なって、自活自立しないひ弱な子が育っているかもしれない。

あらゆる生き物が生まれる目的は子孫を残すためである。それぞれの種の寿命はさまざま、数時間、数日、数ヶ月から数十年まで、それぞれの種の寿命を生きて子孫を残す。人間も例外でない。

人間をのぞくすべての生き物はみな、種の子孫を残すためにのみに生きていることで共通しているが、人間だけがほかの生物と異なる生き方をしている。人間らしい生き方とは自分の本来心を自覚することです寿命五十年が八十年と長寿になるにともない、心と身体の悩みがさらに増す。

しかも善悪をわきまえる心が貧弱になり、慈悲の心を失ってしまうと、ストレスで自滅して体調までも崩してしまう、現代人の悩みは深刻である。自然に生きる他の生き物にはありえないことであり、人間独特のものである。自分で悩みをつくり自分が苦しんでいる人が多い。

本来の人間の姿

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Sira71動物は生まれたときに餌を与えてくれることで、親と信じてしまう。小鳥でも人間が最初に餌を与えて育てると人の手に乗ったり、肩に乗ったりする。愛媛県とべ動物園の白熊ピースは親に育児放棄され、大変苦労と熱意で飼育員の育てらて10年経ったそうだ。昨夜テレビでその親代わりで育てた飼育員の苦労を特集で見た。

白鳥も人間の手で黒鳥の卵を孵化させると、親も自分の子として本当の子と同じ愛情で育てることでも分かるように「信頼」「愛情」の深さで生き続けられるのである。

愛情を込めて、親が子供のために命を与えてくれたり、生きるために必要なものを整えて、一生懸命に育ててくれても、感謝もせず、無関心で、心を向けようともしない子供がいたら、私たちは一瞬たりとも生きられないものであることを忘れてはならない。

人は、生い立ちや、人種などで、差別することがある。また、他人を判断するとき、しばしば、服装や肩書で上下をつける。また、自らもそういう虚飾によりかかって生きている。

ブランド物を身にまとい、得意に闊歩する若者ばかりがそうなのではない。政治家だ、医者だ、大学教授だと胸を張り、一流大学出身だ、大企業の社長だとふんぞりかえるのも同じ類である。

政界のドンが、脱税で逮捕されて老残の身となり、不世出の天才投手といわれる人が覚醒剤に手を出して醜態をさらす世の中である。

世間のレッテルを剥がされたあとに残るのは孤独に打ち震える魂あるのみ。親兄弟、妻子、親友といえども、自己の真の理解者ではない。

生まれてくるのも、死んでゆくのも一人ぼっち。独生独死独去独来の人生を、無底の暗黒に向かって生きているのが、すべての人間の実相ではないだろうか・・・。

電光朝露の夢、幻がさめた時、死出の山路、三塗の大河をたった一人で渡ってゆかねばならぬわが身の姿に泣くのである。

2009年12月 7日 (月)

12月と雑感

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05detohama11近年は、12月にもなっても暖かく、霜も降りず氷が張らない。でも、そろそろ冬支度をしないといけないと思い、庭に出しておいた観葉植物を家の中に取り込んだ。20鉢ぐらいだ。シンビジューム・クンシラン・月下美人などである。

部屋を掃除し終えて、ちょっと一息ついたら、住民協議会の館長から、由井市民センターに花を植えるから手伝って欲しいとの呼び出しである。パンジー・ストックなどを2時間かけて50鉢を植えた。

午前中そんなことをして終った。やれやれちょっと疲た感じで午後は昼食後、コタツに横になって寝てしまった。

妻が体調が悪いが、カラオケの会で忘年会があり、様子を見て出欠を決めたいという。心配したが出席すると言う。日中は小春日和の暖かさであったが、夕方になり急に北風が冷たく、車で送ってあげた。

明日(12月8日)大東亜戦争の開戦の日である。“戦争”何て空しい、一言では尽くせない。戦争さえなければ死ななくてもよかった人たちの死である。

現在沖縄基地問題をめぐって、鳩山政権が苦しんいる。しかし、そんな苦しみは、あの日を生身で体験した人々のそれに比べれば、どうってことはない。たとえ無責任なマスコミに八方美人的と言われようとも、問題解決を焦ることはない。じっくりと腰をすえて、百年の大計を練るべきである。

夕方になり、フッと考えた。
暮れ行く一日一日の何と空しく味気なく、甲斐ないものに見える仕方がない。でも、なお人は生きたいと思う。生きる「生命」を尊び、希望と夢を生きることで人は明日に繋げる。

ああ人は、どんな幸を未来に繋げられるのか?『明日は、明日こそは』と、人はそれを慰める。この『明日』が、そうしているうちに、何時の間に人は墓場に入り込んでしまうんだ。

2009年12月 6日 (日)

子供を持つ必要はないと思う人42.8㌫

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08ringo_tyoukai11産経新聞記事より(参照・抜粋)・・・結婚しても必ずしも子どもを持つ必要はないと考える人が42・8%に上ることが5日、内閣府がまとめた男女共同参画に関する世論調査で分かった。

2年前の前回調査に比べ6・0ポイント増で、平成4年の調査開始以来最高となった。持つ必要があるとする人は同6・5ポイント減の52・9%だった。

全般的には先進諸国の方が少子化傾向が進んでおり、発展途上の国の方が子どもの割合が高い。これは社会医療制度の整備状況や、経済水準の問題が大きく関わっている。また、各国の少子化原因としては、全般的な問題、各国毎の制度・文化による問題など多種多様に及ぶため、一概にまとめ上げることは難しいと思うが以下の理由が上げられる。

・晩婚、晩産化。生涯出産率低下
・未婚の子どもに対する否定的な文化
・経済的理由。養育費確保の困難さ
・雇用形態の流動化による将来展望の不安定さ
・核家族化の進展
・産婦人科医や小児科医の不足(出産難民問題)

①若い世代ほど子どもを持つことにこだわらない(20歳代63㌫30歳代59㌫)

②夫は外で働き、妻は家庭を守るべきと認識している人は(半数以下)

③結婚は個人の自由だから、しなくてもよいという人は(7割)

④結婚しても相手に満足できないときは離婚すればよいと思う人は(前回より3.6ポイント減少して50.1㌫)

夫婦や家族の生活よりも、自由な生き方を求める人が多い実態が浮き彫りになったようだ。しかし、「個人の生き方の多様化が進んでいる」とは言え、人口減少するばかりでは、将来の日本の進路は、危うい。世界的にみても0~14歳の子供の全人口の割合は、13.4㌫で先進国でも最も低い。(アメリカ20.2㌫・ナイジェリア44.2㌫)

政治的に対処も必要だろうが、国民の国家認識のあり方も、家庭・学校・職場・地域などで問題意識の高揚を図るべきだと思う。

2009年12月 5日 (土)

支え合って生きている生物

061街路樹の銀杏の葉が路面に敷き詰められ、黄色いじゅうたんのようだ。そんな光景を見て、この落ち葉はやがて腐ってまたあらたな生命を育てる基になり、自然の連鎖であり、この銀杏の葉は自然界において意味のあることだ思った。

この地球上には、三千万種の生き物が存在していると言われている。そして、地球の生き物は食物連鎖によってすべてが関係している。、食物連鎖は主に、生食連鎖と腐食連鎖であり、森羅万象の自然のめぐりである食物連鎖で生まれ死んでいく命ですから、この世に不必要な命などはない。

すべての命は連鎖すなわちつながっており、すべての生き物がすべての生き物の命を互いに支えあっている。どんな生き物でも他の生き物にとって必要不可欠である。

人間も例外ではない。生きるために他の命を食べ、 他の命の犠牲の上に成り立っている命であり、食物連鎖は全生命に共通する。自然の生態系を破壊し、他の生命を絶滅の危機に追いやってしまう行為を平然と行っているのは人間だけである。

命はみなつながっている、どの命が欠けても他の命が生きていけなくなる、どの命もかけがえのないもの、どの命もどんな小さな命でも生き物はみんなこの世に必要だから生まれてきているのだ。

生命誕生から長い歴史をたどって、人間も地球上に存在している。生き物の中で自ら命を絶つ、自殺する生き物は人間だけである。そして、自然界では一つの命が他を生かせるから、自然界の摂理としていじめ構造はない、いじめのあるのは人間社会だけである。

大いなる自然界に生を受けた生き物たちはすべて他を生かしあっている、どんな生き物でも自殺したり、他をいじめたりしない。どんな命も大いなる命の循環に生きている。

どんな生き物でもその命は自然のめぐりによって親のもとに生まれた命である。どんな人でも自然のめぐりによってこの世に必要だから生まれてきたのだ。今年も自殺者が三万人を越えるという。

自分の命を自分にで絶つことは、生まれてきた使命を果たせない卑怯者である。どんな理由があるにせよ、絶対に自殺はしてはならない行為だ。

すっかり丸坊主になってしまった銀杏の木、まだいくらか黄色い葉を残している木がある師走の並木道を歩きなら・・・・。

人生意気に感じる

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08omitake_buna_aki11 人は相手が前むきで意欲のある態度であれば、それを感じて心と心が触れあうものである。そのような触れあいから行動するのであれば、結果は問わない。

「emotional(エモーショナル)」と言えば、「感情に動かされやすいさま」「感情的」であるが、「意気投合」「意気消沈」なども頭に浮ぶが、気分が高揚して、意欲が強ことだ。「男の意気地」というように、志を決めたら、一貫したものというのだろう。

最近の若い人はクールで感動しないむきがある。冷静で、理論的に先を読みきってしまうために熱がないように見えてしまう。

最近の若者は、将来の大きな夢・希望など、多くの人と語らい夜を明かしてしまうほど情熱が少ないように思う。それだけ成熟してしまった社会構造に作り上げられてしまったと思ってしまっている?

明治維新に、それぞれの思想に燃えて国家経営を論じあい、意気投合し、グループを形成し活躍した時代と現在では、あまりに社会の現実が違いすぎ、若者像を比較できない。

しかし、最近のベンチャー・ビジネスの成功例や活躍ぶりを見ると、「人生意気に感ず」の現代版を、新しいアイデア、新しいビジネスのなかに見い出すことができる。

人間は利害打算だけで動くものではない。人と人とのふれあいによって、この人のためなら、どんな犠牲を払っても頑張ろうという気持ちが突き上げてくるとき、人は利害打算をはなれて動くものである。

心から心に伝わる感動ともいうべきものが人間を揺り動かすのである。そしてそこに生きがいを感じる。 これこそが、”人生意気に感ず”ということであろう。

最近の混迷した社会情勢を、「何とかしなければ!」若者を中心に大いに,国家を論じあい、行動に移すなどの意欲が欲しいものだ。

 

2009年12月 4日 (金)

国会での陳情・・・風景を見て

199912070922111地方の議員の国会に陳情は常識化されていて、2008年の自民党政権時代の風景が、テレビに映し出された。あの方法で陳情して、どれだけの成果があるのか分からないが、異常な光景であった。あんなことで地方への補助金・交付金などが多い・少ないが決まってしまうとしたら納得いかない。

そこには、不浄な取引がなさざるを得ない。いわゆる袖の下で出し入れされることは想像に余りあるところだ。

民主党はきのう(12月2日)の正副幹事長会議で、陳情の「仕分け」方針を決めた。すでに幹事長室への窓口一本化は決まっていたが、重点項目を「判定会議」で選定し、絞り込んだものを政府につなぐ。いわゆる「小沢フィルター」ともいわれる。これも可笑しい。

自民党からは「権力の濫用だ。やってはならないこと」と石破政調会長。民主党からも渡部恒三氏は、「議員が聞くのが民主主義。それを一括というのはどうかなという感じはするな」という。

今までの自民党政権時代では、事業が実現すると、政官業の癒着ができる。これを断ち切ろうというのが、小沢民主党幹事長の念願だったのだろう。

権力とはお金、つまり予算である。お金をどう配分するか。透明性はすべて書類なので、透明性は確保されるといういうが・・・。 こういう問題に透明性はない。小沢民主党幹事長は人事権をもって、お金をもっている。これでは職権乱用である。

陳情で予算が動くという、イメージは拭い去れない。国民に透明性を主張している民主党である。何とか他の方法で、民意を聴く方法で検討してもらいたいところだ。

顕在意識と潜在意識

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07rose_ame21世の中、複雑・多義になって、自分自身の歩む道を迷ってしまい、思うとおり歩けない人が多いという。そこで悩み、苦しんで立ち止まってしまう。その理由は、顕在意識と、過去に培われ積み上げられた潜在意識のバランスがとれていないからだ。

ややもすると、そのことで悩み苦しんで心身に異常をきたすと「自律神経失調症」、「うつ病」?(今日の読売新聞で100万人を超えたという)の原因になってしまう恐れあるかも知れない。

潜在意識は、歩く”という事、それ自体が殆どの部分を潜在意識がコントロールしている。「次は右手を前に振って同時に左足を出し…」なんて考えながら歩いている人はいない、「無意識」にやっているのである。

人それぞれが持つ癖(無意識にしてしまうこと)も潜在意識のなせる技である。 癖は身体の動きとして現れる物だけではなく、「考え方」や「思い方」、「感じ方」、「物の見方」にも癖はある。

顕在意識では、人間関係を改善したい」「幸せになりたい」と思っていても、潜在意識は、現在の状況をを維持しようとするからだ。

「自分が思ったことはする」と心に決めてもなかなか潜在意識までは届かない、あるいは届いても潜在意識を動かせない。 しかし、「隠れている」あるいは「眠っている」といわれる潜在意識の可能性は計り知れない。

顕在意識と潜在意識の力関係は、海に浮かぶ氷山と同じで、水面に出ているのはほんの一部分に過ぎず、大部分は水面下に存在している。人間の意識も同じように表に現れない潜在意識の部分が大部分を占めている。

潜在意識(能力)を100%使ったときの力を考えると、オリンピックで金メダルもとれるし、ビジネスで成功者に成ることも可能であると言われている。

しかし、より潜在意識を開放することによって得られる能力「潜在能力」は、より潜在意識を開放することにある。それには、リラックスをし、バランスの取れた人格の持ち主に成ることが大切である。

2009年12月 3日 (木)

終の棲家を考える

06hatimantair341_11 気がつけば、自分の周りは年寄りばかりとなってしまった。町会の役員・交通指導員・防犯パトロール員・住民協議会メンバーなどやっているが、近隣の方、夫々の役員の方を、見渡せばみな、「老人クラブ」状態だ。そんな町で町内のみなさまのためと、頑張っているが・・・

今日は、町会の常任役員の方が、長らく老夫婦が入院していたが、旦那さんは退院し神奈川県の息子の家に行き、奥さんは退院し、一人家に帰ってきた。さーて食事は、本人では出来ない、近所の方にお願いし、コンビニで買ってきてもらって食べるという。その近所の方も一人暮らしで、自分のことをするのが精一杯の状態である。

そんな状態を、民生委員の方に連絡しようと電話をしたらご主人は、民生委員の打ち合わせで不在だという、奥さんは介護2の状況であり、ご主人が不在が、心配で堪らないという。そのご主人も高齢で早く、民生委員をおろして欲しいと常日頃口にいていた。

そして、ちょっと、所要で出かけようとしたら、私の家の前に救急隊が来て、ストレッチャーで、一人暮らしの90歳になるお婆さんが、運ばれて行った、多分具合が悪くなったのだろう。

私たちも70歳代の老夫婦二人暮し、子供は遠くに所帯を持って暮らしている。私たちも、急に具合がなったりしたら、子供には頼れないので、将来が不安である。

私は72歳で近所では若い方である。近所のことは、何かにつけ頼りにされるのである。私の住んでいる町は26世帯であるが、核家族世帯が殆んどで、一人暮らしが4世帯・親一人と息子(40歳代)結婚できない?・しない?などで占めていている。従って30歳以下の人は一人もいない。

つまり限界集落状態である。僅か東京都心から40キロのこの地は、八王子市である。私たちは、幸い持ち家である。しかし、家事・庭の手入れも十分出来ない年齢になってしまい将来の暮らしに不安で堪らない。

交通の便が良くて、病院・日常の買い物が近くにあり、そして、出入り口が一つのマンションに移って(終の棲家として)生活スタイルを変えたい。妻と相談しているところである。もう時間がない。人生80年としたら10年はないのである。真剣に考えている。

楽に生きよう

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24351 改めて自分の人生を振り返り、また将来を考えてみると・・・・

私は、「自分が本当にしたいことは何か?」

いつも新たに『今』を一生懸命生きる努力をすること結論になった。

そして、次のことを考えて心に刻み込んで置こうと思う。

深呼吸して、「次に額の皺をとれ」

行動あるのみ、

「現在あるのみ、現在の行動に集中せよ」

集中する喜び、

「自分の価値観で考え、動き、吼えて、笑え」

「楽に生きる」とは「過去の選択にとらわれない」ということだ。日々新たなりという言葉があるが、毎分毎分・毎秒毎秒新たな自分がある。

『過去のとらわれない。選んだ道は迷わず進む。他の道を閉ざすことに大胆になる。』

そして「楽に生きよう」を何時までも考えて行こうと思った。

2009年12月 2日 (水)

小中高校の暴力・いじめ

Sakura4031個性重視か、規範教育の重視か、小中高校生の暴力・いじめが増加しているという。家庭・学校・地域の道徳教育の取り組み方が問われる問題であると認識している。

今朝の産経新聞主張に「小中高校の暴力 徳育をおろそかにするな」が載っていたので参考にし、記してみた。

小中高校生の暴力行為が文部科学省の調査で3年連続で増えている、約6万件にのぼったそうだ。それは、子供たちの規範意識の低下が起因している。学校や家庭が連携を密にしてして、毅然と指導を行うことが問われる。

暴力行為は同級生や教師を殴る、教室や物を壊すなどだ。特に中学生がを急増している。小学生の暴力も3年前に比べて3倍近いという。そして、普段おとなしい子が突然、「切れる」などし、問題行動を起こす児童生徒の把握や指導がしにくい。

いじめ問題も深刻だ。件数は減っているとはいえ、親や学校の目のとどかない携帯メールやインターネット上で中傷する陰湿ないじめが増え、自殺する事件も起きている。

最近までは、個性重視などに目が向き、公共心や規範意識を養う指導欠けてしまい、道徳教育などが重視されたのは、当然である。ところが困ったことに、親や教師の中には、躾や道徳教育を「価値観の押しつけ」などと嫌う傾向があるという。

愛国心や宗教的情操を重視し、教育政策は、徳育を盛り込ことが重要だと思う。家庭では親が子供を厳しく叱らないで、教師の指導に文句をいってくる。きちんと注意する近所の大人も少ない。これでは、日本の将来が危うい。

道徳の授業などを通じて正義や善悪を取り上げ、子供たちに考えさせる教育は、決して「気持ちの悪い」ことではない。毅然と指導できない風潮は子供の暴力を助長するだけだ。

「どう生きる」「なぜ生きる」を考える

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13_10241人は皆、生きることに一生懸命である。政治・経済・科学・医学・芸術、これらはすべて、この辛い人生を、どう生きればと・・・人類が長い歴史の中で悩み、苦闘した結果の所産である。しかし、「なぜ生きる」とは、誰も考えず、知ろうともせず、問題にされることもなかった。想像すらできなかった。

生きることを歩くことに例えると、歩き方に当たるのが「どう生きる」。目的地に当たるのが「なぜ生きる」。飛行機でいうと、飛び方は「どう生きる」、着陸地が「なぜ生きる」になる。

生きることを歩くことに例えると・・・誰が考えても、着陸地のない飛行機は墜落の悲劇あるのみだ。

ところが、人生となると、途端に私たちの智恵は、「どう生きる」しか考えられなくなる。「人生に目的なんかない」という。それは、「生まれたからしょうがない。死ぬまで生きるだけだよ」と言っているようなものではないだろうか・・・。

自転車のタイヤを回り続ける尺取り虫のようなもの、自分は前進している、精一杯、進歩向上努力している。と思っても、自分は同じ所をただグルグル回っているだけに過ぎない。やがて力尽き、地面に落ちる尺取り虫である。

もし人生がそんなものなら、そこに何の喜びがあり、どんな価値が見出せるのだろうか。「なぜ生きる」が分からねば、「どう生きる」の苦労は無意味になる。

「流転輪廻のきわなきは疑情のさわりにしくぞなき」
(親鸞聖人)

苦しみは、自転車の車輪を尺取り虫が歩くように、同じところを抜け出せないという意味である。「きわなきは」は、「際限がないのは」・・・苦しみに終わりがない。

それは「疑情」一つが原因だと教えは、「疑情のさわりにしくぞなき」人間にとって最も嫌なことは自分の真実を知ることだと思う。

私たちは誰しも自分を価値ある人間と思いたい。それは価値のないものは生きる資格がないと無意識に思っているからだ。親鸞聖人は、このように善悪とらわれることを疑情と教えているのだろう。

2009年12月 1日 (火)

不自由さが長生きの秘訣?

Tonomura1170歳代の私、80歳代で、9歳も年上の方に負ける運動量。「棡原地区」の出身である。むかしは、往復4時間もかけて、上の原の町まで歩いて通ったという。

山梨県上野原市の北部に位置する棡原地区は長寿で有名である。1940年代の棡原地区は、地域人口に占める70歳以上の割合が9.10人と全国平均4.86人の倍近かった。関東山地の急峻な斜面にへばりつく山村で、水田がなく、雑穀や芋などを作り、健康的な粗食生活を送っていたからだ。

ところが、50年代になって立派な道路が通り、村外との往き来が楽になると……50~60代の生活習慣病が増え、親より子供世代が先に亡くなってしまう「逆さ仏」現象が目立つようになったという。

豊かになってしまった食生活を、再び昔に戻すのは難しい。「箸先五分、長くて一寸」――食事で箸を汚すのは先の五分(1.5cm)、長くても一寸(3cm)にとどめなさい。上品な食べ方というより、そうやって一度に口に運ぶ量を少なくし、食べ物を何回かに分けて食べれば、咀嚼する回数も増えて消化が促され、腹八分でも満腹感があるから健康に良いという教えだ。先人の知恵には、つくづく感心してしまう。

粗食の主役であるご飯は、白米よりも精米されない玄米や胚芽米のほうが、ビタミンやミネラル、食物繊維も豊富である。ご飯にあう味噌汁には、さまざまな具を入れて食べる。大豆から作られた味噌は、たんぱく質を効率よく摂取できる素晴らしい。

野菜は漬け物で食べたほうが、生で野菜を食べるよりも貴重な栄養を多く取り入れることができるそうだ。漬け物の代表格であるぬか漬けは、乳酸菌が多く、腸を整えてくれる。

浸けもので注意しなければいけないのが塩分である。食べすぎは血管を収縮させ高血圧になる可能性が高くなる。そして適度の運動を欠かさないことが何よりである。

山梨県の棡原地区は、何度か行ってみたが、急峻な場所に家があり、農家で山仕事・畑仕事が多い。従って足腰が鍛えられ、運動量は平地に住んでいる人に比べ多い。その事などの長生きできる秘訣があるのかも知れない。

落ち着いて判断・行動を!

1231今日から12月落ち着いて判断・行動をしたいものだ。

リーマンショックから、世界経済不況がなかなか抜け出せないまま、次はドバイバブル崩壊?などで世界経済は二番底?に落ち込んでしまう恐れがあるようだ。

鳩山政権の運営は厳しい。日本国内ではデフレ状況の傾向をなんとしても止める政策を期待したい。不況が続くと、環境意識・防犯意識・モラルが下がることで心配だ。そして犯罪が多発することで日常の生活が不安になってくる。

特に師走に入って失業・大学生の就職決まらないなどで、路上生活者が増えて、昨年問題になった派遣村が出来る?そして知能犯で政治家・公務員など不正で警察が忙しくなる。

これぐらいは誰でもしているからとか、見つからなければいいだろうと、ちょっとスリルを感じて万引きをしてしまう。コンビニや書店での盗みや、薬物乱用など、出来心で犯行に及んでしまう。

その時は、冷静さを失って、自分を見失い、善し悪しの見分けがつかないままに、悪行に走ってしまったなどと、自分の悪事を弁解する人がいるが、悪いことをしていて、それが間違っていると気がつかない、一年の締めくくりである師走は、人々の心は落ち着かず善悪の判断の基準が狂ってしまうのだ。

生活が苦しいから、お金がないからと、ついやってしまう。世の中が悪いから、このくらいは誰でもやっている、真正直では生きられない。何て理由をついてしまう。いずれにしても悪いことと知りながらも、人は悪事をはたらいてしまう。

不況・師走は、人の心が落ち着かない。しかし、ほとんどの人は悪いことと認識したならば悪事をは働くことをしない。悪いことをしない人は我慢が出来る人である。

耐えることに慣れていない大人・我慢が出来ない若者が多くなった。戦後多少経済の波はあったにせよ、飽食・もの余り時代が続き、苦しみの経験がない?人間が多くなってしまったのか?、耐える・我慢が出来ない人間が多くなったのかもしれない。

川浸り

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08matukawakeikoku_koyo1112月1日は、川浸りの日である。母親が朝早く、ボタ餅を作ってくれて前の川(兵衛川)の橋の下に行き、お尻を冷たい水に浸けるのである。

そうすることによって風邪をひかないといわれた。思い出すと、ある年の川浸りの日に、3・4人の子供たちと橋の下に行ってお尻を浸けるため、行ってみたが、氷が張っていて、浸けられない氷を足で叩いてみたても割れない。

乗って石で叩いても割れないので滑ってみんなで遊んだ。しばらく遊んでいるうちに、日が昇って来たのと一箇所に子供たちが集まったので、ミシミシ音がしてきた氷が割れてしまい、全員びっしょりずぶぬれとなってしまった。幸い川の深さは腰ぐらいであったので、溺れた人はいなかった。

ずぶぬれでブルブル震えて、家に帰ったら母親に酷く怒られた。「氷が張っていたら、諦めて帰ってくればいいじゃないか!」父親が大きな声で、「ワハハ・・・これが本当の川浸りだな!」と言って笑った。半世紀前のことである。

川浸りの奇習は日本の各地にあったようだ。12月は最後の日(オツイタチ)と言って、川浸りの朔日・ねばりものの朔日などともいわれた。

川に尻をつける理由は、河童にさらわれないとして水に浸るところもある。風邪をひかない。鬼がボタモチを食べるのに時間がかかって食われなない、などがあるらしい。

僅か60年前の出来事であるが、今では地球の温暖化で今では全く氷が川には張らない。「川浸り」の光景が懐かしい、もうそんな昔になってしまった。

最近は霜の降りる時期も遅くなって我が家の鉢物のシンビジューム・クンシランなどは、家に取り込まないで大丈夫だ。

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